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PROGRAM/放送作品
ザ・フォッグ(1980) 【4Kレストア版】
不穏な霧に覆われた町で惨劇が起きる…鬼才ジョン・カーペンター監督がミステリアスな恐怖を紡ぐホラー
ジョン・カーペンター監督が『ハロウィン』で成功した後に手がけたホラー。猟奇殺人鬼が恐怖を生む『ハロウィン』とは一転し、一面を覆う霧で不気味なムードを盛り上げる。2005年にはリメイク版が製作された。
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COLUMN/コラム2023.12.25
霧の中から現れる怨霊の恐怖!巨匠J・カーペンターによるゴシック・ホラーの隠れた名作『ザ・フォッグ』
モダン・ホラー全盛の時代に登場したクラシカルな正統派ホラー 来るべき’80年代スラッシャー映画ブームの原点にして、’70年代モダン・ホラー映画の金字塔『ハロウィン』(’78)。僅か30万ドル強という低予算のインディペンデント映画だった同作は、しかし興行収入およそ7000万ドルという驚異的な数字を叩き出し、演出・脚本・音楽を手掛けたジョン・カーペンター監督は一躍ハリウッドの注目の的となる。 ’70年代は『悪魔のいけにえ』(’74)や『ゾンビ』(’78)など、従来ならドライブイン・シアターやグラインドハウスで上映されたようなインディーズ系ホラー映画が、メジャー級のメガヒットを飛ばすようになった時代。加えて、『エクソシスト』(’73)や『キャリー』(’76)など、現代社会の日常に潜む不条理な恐怖を描くモダン・ホラーが人気を博した時代でもあった。アメリカのどこにでもある平和な田舎町で、連続殺人鬼マイケル・マイヤーズが繰り広げる無差別な殺戮を描き、劇場公開時に米インディペンデント映画史上最高の興行成績を記録した『ハロウィン』は、そうした時代のトレンドを象徴するような作品だったと言えよう。この歴史的な偉業を成し遂げたカーペンター監督が、今度は一転して古式ゆかしいゴシック・ホラーの世界に挑んだ映画。それが本作『ザ・フォッグ』(’80)だった。 舞台はカリフォルニア北部の沿岸にある小さな田舎町アントニオ・ベイ。深夜の海岸では町の長老マッケン氏(ジョン・ハウスマン)が、焚火を囲んで子供たちに怪談話を聞かせている。あと5分で日付は1980年4月21日へと変わり、アントニオ・ベイは創立100周年を迎える。実はこの町には昔から不思議な言い伝えがあった。それはまさに今から100年前のこと。沖へ近づいた大型帆船エリザベス・デイン号は、海岸の焚火を灯台の光と間違えて難破し、乗組員は全員死亡してしまった。それ以来、アントニオ・ベイの沖合に濃い霧が立ち込めるたび、幽霊船となったエリザベス・デイン号が霧の中から姿を現すというのだ。 時間は午前1時。人々が寝静まった深夜のアントニオ・ベイで、建物が揺れたり自動車が勝手にクラクションを鳴らしたりなどの怪現象が一斉に発生。ちょうどその頃、ひとりで酒を飲んでいた地元教会のマローン神父(ハル・ホルブルック)は、壁の中に隠されていた一冊の本を発見する。それは亡き祖父が書き残した100年前の日記帳だった。そこに記されていたのはエリザベス・デイン号難破事件の真相。実は、船に乗っていたのはハンセン病を患った大富豪ブレイク氏と患者仲間たちで、彼らは当時まだ小さな集落に過ぎなかったアントニオ・ベイの近くにハンセン病患者の居留地を作ろうとしていたのだ。しかし、これに反対したマローン神父の祖父ら6名の集落代表は、わざと焚火を灯台の光と間違えて船が難破するよう仕向けてブレイク氏らを殺害。それがまさに100年前の4月21日、午前1時のことだったのだ。しかも、彼らは船に積まれた大量の金を盗み出し、それを元にしてアントニオ・ベイの町を創立したという。忌まわしい過去の歴史を初めて知ったマローン神父は思わず戦慄する。 その同じ時刻、灯台の上から番組を放送しているローカル・ラジオ局の女性DJ、スティーヴィ・ウェイン(エイドリアン・バーボー)は、いつも天気情報を提供してくれる気象台員ダン・オバノン(チャールズ・サイファーズ)から沖合に濃霧が発生したとの報告を受ける。なるほど、海岸へ向けて移動している霧峰が灯台からも確認できる。しかも、これが不思議なことに光って見えるのだ。いずれにしても、沖合の漁船に警戒を促さなくてはいけない。スティーヴィの濃霧注意報を聴いて周囲を確認する漁船シー・グラス号の乗組員たち。すると霧の中から幽霊船エリザベス・デイン号が出現し、ブレイク氏らの怨霊によって乗組員3人は皆殺しにされる。 やがて朝が訪れ、町では創立100周年を祝う記念行事の準備が進められる。イベントの主催を任された不動産業者キャシー(ジャネット・リー)は、秘書サンディ(ナンシー・ルーミス)を伴って町中を駆け回っている。一方、漁に出たまま戻らないシー・グラス号を心配した地元住民ニック・キャッスル(トム・アトキンス)は、仲良くなったヒッチハイカー女性エリザベス(ジェイミー・リー・カーティス)と一緒に捜索に乗り出す。ほどなくして海上を漂流するシー・グラス号の中から乗組員の遺体を発見。不可解なことに検視結果は溺死だった。それも1週間以上は経っているような状態だという。その頃、幼い息子アンディが海岸で拾った木の板を手にしたスティーヴィは、それが100年前に難破したエリザベス・デイン号の一部であることに気付く。板に浮かび上がる「6人に死を」という文字にショックを受けるスティーヴィ。いつしか夜の帳が下り、祝賀行事で盛り上がるアントニオ・ベイの町。そこへ不気味に光る濃霧が沖合より立ち込め、霧の中から現れた怨霊たちが町の人々を殺し始める…。 これはアメリカ版の『八つ墓村』!? これぞまさしくアメリカン・ゴシック!先祖の犯した忌まわしい罪に対する呪いが、100年後の子孫に降りかかる…という設定は、マリオ・バーヴァ監督の傑作『血ぬられた墓標』(’60)を例に出すまでもなく、古典的な怪談物語の王道と呼ぶべきものであろう。筆者は高校時代に都内の名画座で本作を初めて見たのだが、当時の感想は「なにこれ、『八つ墓村』じゃん!」だった(笑)。まあ、さすがに『八つ墓村』には怨霊など出てこないものの、しかし基本的なプロットはかなり似ているものがあるし、本作に登場する怨霊たちも『八つ墓村』で村人に殺された落ち武者のイメージを想起させる。この手の恐怖譚が大衆に好まれるのは、恐らく古今東西を問わないのだろう。そんな普遍性の高い「呪い」と「復讐」のゴースト・ストーリーを、古き良きアメリカの伝統を今に残す風光明媚な海辺の田舎町を舞台に描くことで、本作はエドガー・アラン・ポーやH・P・ラヴクラフトにも相通じるアメリカン・ゴシックの世界を作り上げているのだ。 脚本を手掛けたのはジョン・カーペンター監督と、彼の公私に渡るパートナーだったプロデューサーのデブラ・ヒル。2人は’77年に『ジョン・カーペンターの要塞警察』(’76)のプロモーションでイギリスを訪れた際、ストーンヘンジの周辺が濃い霧に包まれる様子を目の当たりにしたことから、「霧の中から何か恐ろしいものが現れる」という設定を思いついたのだという。スティーブン・キング原作の『ミスト』(’07)を彷彿とさせるアイディアだが、もちろん本作が元ネタというわけでは全くない。なにしろ、キングの原作小説が発表されたのは本作の劇場公開と同じ’80年である。そもそも、本作のはるか以前にも「霧の中から何か恐ろしいものが現れる」映画は存在した。それが「霧の中から巨大な目玉のお化けが現れる」という英国産ホラー『巨大目玉の怪獣~トロレンバーグの恐怖』(’58)。実際、カーペンター監督は『ザ・フォッグ』を作るにあたって同作を参考にしたと語っている。 ほかにも、ヴァル・リュートンが製作した『私はゾンビと歩いた!』(’43)や『吸血鬼ボボラカ』(’45)などのRKOホラーを筆頭に、2人が敬愛するクラシック・ホラーの数々からインスピレーションを得たというカーペンターとヒル。また、’50年代に人気を博したECコミックの恐怖漫画からも多大な影響を受けている。『ハロウィン』と一線を画すムード重視のゴシック・スタイルは、やはり初めから意図したものだったようだ。ただ、こうした古典回帰路線を意識し過ぎたせいで、実は最初に完成したラフカット版は怖くもなんともない退屈な仕上がりだったらしい。折しも、当時は特殊メイクを駆使した刺激的なスプラッター映画が台頭し始めていた時期。ホラー映画ファンはゴア(残酷描写)を求めていた。そこでカーペンターとヒルの2人は、改めて予算を増やして追加撮影を決行。怨霊たちが犠牲者を殺害する場面の直接的な残酷描写や、冒頭の焚火を囲んだプロローグなど、最終的に完成した本編の約3分の1が追加撮影シーンだという。 カーペンター・ファミリーで固められたスタッフ&キャスト陣 ヒロインのラジオDJ、スティーヴィ役に起用されたのは、当時カーペンター監督と新婚ホヤホヤだった女優エイドリアン・バーボー。もともとテレビの人気シットコム『Maude』(‘72~’78)のレギュラーとして注目された彼女は、『ハロウィン』よりも前に撮影されていたカーペンター監督のテレビ映画『姿なき脅迫』(’78)に出演。当時カーペンターはデブラ・ヒルと付き合っていたが、しかしこれがきっかけでバーボーと急接近し、『ハロウィン』の完成後にヒルと破局することになった。ハリウッド・ヒルのカーペンター宅で、彼とヒルの2人から別離を知らされたジェイミー・リー・カーティスは、ショックのあまりその場で号泣したそうだ。ただ、本人たちは十分に納得したうえでの結論だったらしく、実際にカーペンターとヒルは本作以降もビジネス・パートナーとして仕事を続けることになる。 そのジェイミー・リー・カーティスは、『ハロウィン』に続いてのカーペンター作品出演だ。先述した通り、記録的な大ヒットとなった『ハロウィン』。主演女優であるカーティスは「これで映画の仕事が次々舞い込む」と期待したそうだが、しかし実際はその反対だったらしい。要するに、『ハロウィン』以前と変わらず全く仕事が来なかったのだ。辛うじて、テレビドラマのゲスト出演で食いつなぐ日々。それを気の毒に思ったカーペンターが、彼女のためにヒッチハイカーのエリザベスという役柄を用意してくれたのだという。そのうえ母親のジャネット・リーまで起用。カーペンターとヒルのことを「私にとっては映画界の父親と母親」と呼ぶカーティスだが、文字通り家族ぐるみの親しい付き合いだったのだろう。 そもそもカーペンター監督は映画界の友人や仲間をとても大切にする人物。本作のキャストやスタッフも、その多くがカーペンター・ファミリーと呼ぶべき常連組で固められている。例えば、気象台員ダン役のチャールズ・サイファーズは『ハロウィン』のブラケット保安官役でお馴染み。『ジョン・カーペンターの要塞警察』で演じた死刑囚を護送する刑事役も印象深い。そういえば、『ハロウィン』の続編『ブギーマン』(’81)と『ハロウィンKILLS』(’21)でもブラケット保安官を演じていたっけ。不動産屋秘書サンディ役のナンシー・ルーミスも、『ハロウィン』のブラケット保安官の娘アニー役や『ジョン・カーペンターの要塞警察』の警察署の女性職員役で知られ、『ブギーマン』と『ハロウィン3』(’83)にも顔を出していた。ニック役のトム・アトキンスと漁師トミー役のジョージ・バック・フラワーは、本作をきっかけにカーペンター映画の常連となる。また、撮影監督のディーン・カンディも『ハロウィン』から『ゴーストハンターズ』(’86)に至るまで、カーペンター映画に欠かせないカメラマンだった。 さらに本作が興味深いのは、登場人物の役名にまで友人の名前が使われていること。トム・アトキンス演じるニック・キャッスルはカーペンターの学生時代からの大親友で、『ハロウィン』の初代マイケル・マイヤーズを演じたことでも有名な脚本家が元ネタだし、気象台員ダン・オバノンはカーペンターの処女作『ダーク・スター』(’74)や『エイリアン』(’79)でお馴染み脚本家、家政婦コービッツさんはテレビ映画『姿なき脅迫』で世話になった製作者リチャード・コービッツへのオマージュだ。また、漁師トミー・ウォーレスは数々のカーペンター作品で美術や編集などを手掛けた、幼馴染の映画監督トミー・リー・ウォーレスのこと。本作でも美術と編集を担当したウォーレスは、さらにブレイク氏の怨霊役を特殊メイク担当のロブ・ボッティンと2人で演じ分けている。ちなみに、女優ナンシー・ルーミスとウォーレスは当時夫婦で、劇中に出てくるサンディの家は2人が住んでいた自宅だという。 なお、『ジョン・カーペンターの要塞警察』の死刑囚ナポレオン・ウィルソン役で強烈な印象を残す俳優ダーウィン・ジョストンが、ドクター・ファイブスという名前の検視医役で登場するのだが、この役名はカルト映画『怪人ドクター・ファイブス』(’71)でヴィンセント・プライスが演じたマッド・ドクターのこと。伝説の映画製作者にしてオスカー俳優のジョン・ハウスマンが冒頭で演じるマッケン氏は、H・P・ラヴクラフトやスティーブン・キングにも影響を与えた怪奇小説家アーサー・マッケンから引用されている。また、ジョン・カーペンター自身も教会の用務員ベネット・トレイマー役でカメオ出演。この役名も実はカーペンターの学生時代の友人である同名脚本家から取られており、『ハロウィン』にもベン・トレイマーというキャラクターが出てくる。 かくして、本来は’79年のクリスマスシーズンに全米公開を目指していたものの、大幅な撮り直しをせねばならなくなったため、’80年1月に封切時期がずれ込んだ『ザ・フォッグ』。興行成績は前作『ハロウィン』に遠く及ばなかったとはいえ、それでも110万ドルの予算(+広告費300万ドル)に対して2000万ドル強の売り上げは十分に健闘したと言えよう。ただし、批評家からの評価は決して良いとは言えなかった。カーペンター監督自身も最近でこそ本作を「ちょっとした古典」と呼んでいるが、しかし公開当時はその出来栄えにかなり不満があったそうだし、ジェイミー・リー・カーティスも仕事のない時期にオファーしてくれたカーペンター監督に感謝しつつ、「個人的に好きな映画ではない」とハッキリ断言している。そんな殺生な…『ブギーマン』は良い映画だ、過小評価されていると言ってたのに!?と愚痴りたくなるってもんだが(笑)、まあ、確かに地味な映画ではある。しかし、あからさまなショック演出やスプラッターに頼ることなく、夜霧に包まれた田舎町の禍々しいムードを煽りながら、じわじわと恐怖を盛り上げていくカーペンターの演出は、それこそジャック・ターナーやロバート・シオドマク、マーク・ロブソンといったクラシック・ホラーの名匠たちにも引けを取らないだろう。もっと評価されて然るべき隠れた名作だと思う。■ 『ザ・フォッグ』© 1979 STUDIOCANAL
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PROGRAM/放送作品
沈黙のジェラシー
息子を溺愛する母親の嫉妬が恐るべき牙を剥く!嫁と姑の命を懸けた“オンナの闘い”が幕を開く
オスカー女優ジェシカ・ラングがキャリア初の悪役に挑戦。愛する息子と嫁の仲を引き裂くため陰湿な罠を仕掛けていく様を、静かな狂気で熱演。嫁役グウィネス・パルトローの健気な演技とのコントラストが強烈。
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COLUMN/コラム2017.04.02
【本邦初公開】東西冷戦下のモスクワで育まれるイデオロギーを超えた男女のささやかな愛。当時のロシアを知る映画ライターが作品の魅力と知られざるソ連の素顔に迫る!〜『ペトロフカの娘』〜04月27日(木)深夜ほか
出演はゴールディ・ホーンにハル・ホルブルック、アンソニー・ホプキンス。そして監督は、以前にここでもご紹介した切ない系青春映画の傑作『愛すれど心さびしく』(’68)の名匠ロバート・エリス・ミラー。この顔ぶれにして、なぜか今まで日本では劇場未公開。それどころかテレビ放送やソフト発売すらされていなかった幻の作品が、この『ペトロフカの娘』(’74)である。 ペトロフカとは、ロシアのモスクワ中心部にある大通りのこと。ネタバレになりかねないので深くは言及しないが、ここには名前の由来となったヴィソコ・ペトロフスキー修道院やロシアン・バレエの殿堂ボリショイ劇場、そして権力の象徴たるモスクワ警察署が存在し、今では高級ブランドのブティックが軒を連ねるショッピングストリートだ。 実は筆者、このペトロフカ通りから徒歩で15分くらいの場所に住んでいた。時は’68年~’72年、そして’78年~’83年。大手マスコミのジャーナリストだった父親がモスクワ特派員として2度に渡って赴任し、家族ともども暮らしていたのだ。当時はまだ東西冷戦の真っ只中。ソビエト連邦はブレジネフ書記長の政権下にあった。そんな鉄のカーテンの向こう側を知る人間として、本作はいろいろな意味で興味深い映画だ。 ストーリーは東西の壁に阻まれた男女の悲恋ドラマである。主人公は米国新聞社のモスクワ特派員ジョー(ハル・ホルブルック)。妻に先立たれたばかりの彼は、現地の友人コスチャ(アンソニー・ホプキンス)を介してオクチャブリーナ(ゴールディ・ホーン)というロシア人女性と知り合う。自由奔放にして天真爛漫。口を開けば歯に衣着せぬ物言いだが、やたらと尾ひれや背びれを付けるので、何が本当で何が嘘なのかよく分からない。仕事もなければモスクワの居住許可証もないが、政府高官をはじめとする男たちの間を渡り歩いて逞しく生きている。ゴールディ・ホーンのコケティッシュでキュートな不思議ちゃんキャラがなんとも魅力的だ。 ちなみに、オクチャブリーナとはロシア語の10月、オクチャーブリ(Октя́брь)に由来する名前。10月といえばソビエト政権樹立のきっかけとなった十月革命。それゆえ、男ならオクチャーブリン、女ならオクチャブリーナと名付ける親がソビエト時代は多かった。ただし、ロシア語ではアクセントのないOをアと発音するので、厳密に言うと10月はアクチャーブリ、ヒロインの名はアクチャブリーナと発音すべきなのだが、本作ではセリフも字幕も英語読みとなっている。 で、そんなオクチャブリーナに振り回されつつも、いつしか強く惹かれていくジョー。当局の目をかいくぐっての異文化交流がやがて恋愛へと発展していくわけだが、しかしそんな2人の間に厳格なソビエトの社会体制が立ちはだかる…という筋書きだ。 原作は1971年に出版された同名小説。著者のジョージ・ファイファーは本来ノンフィクション作家で、ソビエト時代のロシアに関する著書も数多い。本人が実際にどれだけ現地へ足を運んだことがあるのかは定かでないが、ある程度の正確な知識や情報を持っていたであろうことは、この映画版を見れば想像に難くない。とはいえ、原作と映画は基本的に別物と考えるのが妥当だと思うので、ここではあくまでも映画版に焦点を絞って話を進めていこう。 まず、本作に登場するモスクワの風景や街並みが明らかに本物と違うのは仕方あるまい。なにしろ、ソビエト体制の矛盾に斬り込んだ内容なので、当時のモスクワでの撮影は絶対に不可能だ。選ばれたロケ地はオーストリアのウィーン。マット合成で赤の広場を背景に差し込むなどの工夫は凝らされているものの、建築様式の違いなどは見た目に明らかだ。それよりも筆者が少なからず違和感を覚えたのは、主人公ジョーとロシア人コスチャの友人関係である。当時のソビエトで外国人と現地人が交流することは別に違法ではなかったものの、現実には限界があったと言えよう。特に現地人にとってはリスクが高い。なぜなら、万が一の時にスパイの嫌疑をかけられる可能性が生じるからだ。特に主人公ジョーのようなジャーナリストには、KGBの尾行が付くことも十分に考えられる。筆者の父親も日頃から尾行は意識していたようだし、実際に自宅アパートの電話は常時盗聴され、通りを挟んだ向かい側のアパートからも部屋が監視されていた。本作の場合、当時の社会状況や主人公の職業を考えると、現地人のアパートへ気軽にふらりと立ち寄る彼の行動は軽率だ。 なので、西側から来た外国人が日常的に付き合う現地人となると、仕事の一環を兼ねての政府関係者か、もしくは当局から派遣された外国人専用のメイドや秘書(人材派遣センターはKGBの管轄で、彼らは派遣先で見聞きしたことを報告していた)などにおのずと限られてしまう。と考えると、ジョーとコスチャの親密な友人関係は、決してあり得ないとは言わないまでも、あまり現実的ではない。 その一方で、オクチャブリーナがジョーの住む外国人専用アパートを訪れる際、塀を乗り越えて裏口から侵入するというのは結構リアルな描写だ。当時、モスクワ市内には外国人専用アパートが何か所もあり、その正門にはミリツィアと呼ばれる武装した民警兵士が常駐していた。居住者はもちろん顔パスだが、現地人はそこで許可証をチェックされる。なので、オクチャブリーナのように一見すると無茶な手段も仕方ないのだ。 ちなみに、筆者の父親にも現地民間人の友人はいた。その方は日本語が話せたので、電話連絡は全て日本語で。自宅へ招くときは疑われないよう、外国人の泊まる高級ホテルで落ち合い、父の運転する自家用車で正門からアパートへと直接入った。さすがに外国人ナンバーの車まではミリツィアもチェックしないからだ。そういう意味では、意外と緩いところもあったのである。 実際、当時のソビエトの市民生活は、外から想像するよりも遥かにのんびり平穏だった。もちろん、日本ではあり得ないような制約は多かったし、言論や移動の自由も全くないし、文化的にはだいぶ遅れているし、生活レベルも高いとは言えなかったものの、その一方でモスクワ市内に点在するルイノックと呼ばれる市場では新鮮な肉や野菜が沢山揃っていたし、有能でも無能でも誰もが平等に一定の給料を貰えるし、不祥事さえ起こさなければ仕事をクビになることもない。とりあえず体制に盾ついたりせず、贅沢を望んだりしなければ、それなりに楽しく生活できたのだ。建前上は民主主義国家として市場経済の導入された現在のロシアで、ソビエト時代を懐かしむ声が多い理由はそこにある。 そうやって振り返ると、本作で描かれるモスクワの市民生活はけっこう正しい。とはいえ、ちょっと時代的に古くも感じる。例えば本作ではジャズが当局から禁止されていて公衆の面前で演奏することが出来ないとされているが、しかしそれは’50年代までのこと。’60年代以降は大規模なジャズ・フェスティバルも各地で開かれていたし、当局の認可するジャズクラブも存在した。’75年にソロ・デビューした女性歌手アーラ・プガチョワはジャズやロック、R&Bなどを積極的に取り入れてロシアの国民的大スターとなったし、彼女に多くのヒット曲を提供したラトヴィア出身の作曲家レイモンズ・パウルスは’60年代から活躍するジャズ・ミュージシャンだった。’70年代には西側の流行音楽も数年遅れで入っており、例えば’74年にはTレックスのレコードも正規版でリリースされている。なので、本作は『ニノチカ』(’39)の時代辺りでストップしたソビエト観の基に成り立っているとも言えよう。 その一方で、本作は当時の多くのハリウッド映画に登場したような、体制側に洗脳されたロボットのような人間、死んだような目でクスリとも笑わない陰鬱な人間としてではなく、アメリカ人と何ら変わることない等身大の人間として、ロシア人を描いている点は特筆に値する。実際に昔からロシア人は陽気で大らかで人懐っこい人が多かった。劇中に出てくる政府高官のように、お堅い役人でもいったん仕事を離れると気さくだったりする。その点はまさにその通り!といった感じだ。 ちなみに、劇中では役人や警察への賄賂としてアメリカ製のタバコが使われているが、他にもいろいろと賄賂に有効なものはあった。筆者の父親がよく使っていたのは日本航空の水着カレンダー。あとは、ひっくり返すと女性の水着が消えてヌードになるボールペンも効果抜群だったので、西側へ旅行した際にはまとめ買いしてきたものだった。やはり世の東西を問わず人間はスケベなのだ。 モスクワ市民のささやかな日々の営みを、時に瑞々しく、時に爽やかに、そして時に切なく描くロバート・エリス・ミラーの演出も素晴らしい。ラストへ向けての抒情感溢れる哀しみなどは、まさしく彼の真骨頂。そういえば、先述した筆者の父親の友人は、とある事件を起こして当局に逮捕されてしまった。実は生活の足しにと現地通貨のルーブルを、うちの両親がこっそりドル紙幣に両替してあげていたのだが、どうやら彼はそれを闇市で転売していたらしく、KGBのおとり捜査に引っかかってしまったのだ。その煽りでうちの父親はスパイ容疑の濡れ衣を着せられ、共産党機関紙プラウダでも報じられた。たまたま本社から帰国の辞令が出ていたので、我が家に関しては大事に至らなかったのだが、父の友人は強制労働送りになったはずだ。あの日、彼の奥さんが泣いて取り乱しながら我が家に電話をかけてきた。ほっそりとした華奢な体に憂いのある瞳の、とても美しい女性だった。筆者は息子さんとも仲が良かった。あの一家は今どうしているだろうか。本作の哀しいラストを見ながら、ふと思い出してしまった。■ © 1974 by Universal Pictures. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
(吹)ダーティハリー2
法を無視して勝手に悪を裁く過激派警官と戦うハリー・キャラハン。彼の44マグナムが真の正義の火を噴く!
“正義のためなら警官は悪党を撃ち殺していい”という心の病「ダーティハリー症候群」なる言葉まで生まれた過激な前作。これを反省するかのような今作でハリーは正義の処刑人気取りの警察内過激派と対決する。
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PROGRAM/放送作品
ダーティハリー2
法を無視して勝手に悪を裁く過激派警官と戦うハリー・キャラハン。彼の44マグナムが真の正義の火を噴く!
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PROGRAM/放送作品
ペトロフカの娘
ソ連の不思議ちゃんと米国人中年記者の間に降りる鉄のカーテン…ゴールディ・ホーンの魅力光る切ない恋愛劇
ヘンリー・マンシーニの哀愁のメロディーが耳に、ゴールディ・ホーン演じるコケティッシュなヒロインが心に、いつまでも残る、『愛すれど心さびしく』のロバート・エリス・ミラーの未公開・未ソフト化冷戦悲恋物語。
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PROGRAM/放送作品
プロポーズ
遺産を相続するため、明日中に結婚しなければならなくなった男の抱腹絶倒ロマコメ
花嫁を探して7人の元彼女にプロポーズしてまわる、笑える独身男をクリス・オドネルが好演。本命の恋人役のレニー・ゼルウィガーが、男が結婚したいと思うタイプの恋人を爽やかに演じる。