検索結果
-
PROGRAM/放送作品
(吹)エクスペンダブルズ
[R15+]スタローンが歴代のアクション・スターたちを呼び集めた、最強のアクション映画!
スタローンがエクスペンダブル(消耗品)と思われていた時代の往年のアクション・スター達を呼び集め、“筋肉ばかアクション”という過去のジャンルを現代に復活させた、映画史上最強のアクション映画。
-
COLUMN/コラム2024.04.01
アメコミの世界観をM・ナイト・シャマラン流に換骨奪胎した『アンブレイカブル』三部作
驚きの結末で話題をさらった心霊ミステリー『シックス・センス』(’99)の大ヒットで一躍ハリウッドの注目株となったM・ナイト・シャマラン監督が、矢継ぎ早に放ったスーパーヒーロー映画らしからぬ印象のスーパーヒーロー映画『アンブレイカブル』(’00)。どこにでもいるごく平凡な中年男性が、己に秘められた超人的なパワーに目覚めていく姿を、極めてリアリスティックな人間ドラマとして描いた同作は、「映画史上最も優れたスーパーヒーロー映画のひとつ」と呼ばれるほど高く評価された。おのずと続編の可能性も噂され、実際に主演のブルース・ウィリスやサミュエル・L・ジャクソンはインタビューで続編への期待に言及し、シャマラン監督自身も続編の構想をほのめかしていたものの、しかし当時はそれっきり全く進展することがなかった。 ところが、それから16年後に公開された多重人格ホラー『スプリット』(’16)が、本編のクライマックスで実は『アンブレイカブル』の続編であったことが判明。この予期せぬサプライズに映画ファンが湧きたつ中、シャマラン監督自身が三部作の構想を正式に発表し、ほどなくして最終作となる異色のスーパーヒーロー映画『ミスター・ガラス』(’19)が完成したのである。この『アンブレイカブル』三部作がザ・シネマにて一挙放送。そこで、改めてシリーズの全貌を振り返ってみたい。 <アンブレイカブル> 物語の始まりは1961年。フィラデルフィアのデパートで妊娠中の女性客が産気づき、店員に補助されて自力で出産する。生まれた男の子をイライジャと名付ける母親プライス夫人(シャーレーン・ウッダード)。しかし、激しく泣き続ける赤ん坊の様子を変に感じた彼女は、遅れて駆けつけた産婦人科医にイライジャを診てもらったところ、胎内にいた時から既に両腕と両脚を骨折していたようだと聞かされて大きなショックを受ける。 時は移って現代。ニューヨークからフィラデルフィアへ向かう特急列車が脱線事故を起こし、乗員乗客131名が命を落とす。助かったのはたったのひとりだけ。アメフト・スタジアムの警備員として働く平凡な中年男性デヴィッド・ダン(ブルース・ウィリス)だ。あれだけの凄惨な列車事故に遭遇しながら、かすり傷ひとつないデヴィッドの様子に首を傾げる医師。デヴィッド自身もまた、なぜ自分ひとりだけが無事だったのかと困惑する。そんなある日、彼のもとに一通の手紙が届く。そこに記されていたのは「あなたは今までの人生で何日間病気になりましたか?」という疑問。送り主はリミテッド・エディションという画廊を経営する男性イライジャ・プライス(サミュエル・L・ジャクソン)。そう、40年近く前に両腕両脚を骨折した状態で生まれた人物だ。 コミックは歴史を伝える手段であり、そこに描かれる内容は誰かが実際に体験した事実だと主張するイライジャ。骨形成不全症という先天性疾患のせいで、全身の骨がガラスのように壊れやすい体質の彼は、それならば自分と正反対に決して病気や怪我などしない強靭な人間もいるに違いないと考え、大事故に遭っても無傷だったデヴィッドこそがその「スーパーヒーロー」ではないかと睨んだのである。そんなバカバカしい話があるもんかと一笑に付すデヴィッドだが、しかし実は思い当たる節が幾つもあった。 確かにこれまで一度も病気や怪我などした記憶がない。学生時代に交通事故で怪我をして、将来を有望視されていたアメフト選手を引退したことになっているが、しかしそれは妻オードリー(ロビン・ライト)と結婚するための口実に過ぎず、実際はかすり傷ひとつ負わなかった。そればかりか、彼には他人の体に触れるだけで相手が危険人物かどうかを察知する不思議な能力が備わっていた。もしかすると、自分の本当の使命はスーパーパワーを使って他人を助けることなのではないか?そう考えると、日常的に抱いている漠然とした不満の原因も見えてくる。自分のなすべきことに気付いていなかったからだ。おかげで、妻オードリーや息子ジョセフ(スペンサー・トリート・クラーク)との関係もギクシャクしてしまった。徐々に自らの秘めたパワーを自覚したデヴィッドは、自分の可能性を信じてくれる息子にも背中を押され、スーパーヒーローとしての第一歩を踏み出すのだが…? 映画の冒頭、平均的なコミックは1冊35ページ、コマ数124、価格は1冊1ドルから14万ドル以上まで幅があり、米国では1日17万2000部のコミックが販売されている云々と、いきなりアメコミに関する基本情報が淡々と紹介されて「一体なんのこっちゃ?」と思っていると、物語が進むに従って徐々に、本作がアメコミの世界をベースにしていることが見えてくる。ただし、どこまでも限りなく荒唐無稽を排した、いわば「大人向け」のアメコミ・ワールド。イライジャの経営する画廊リミテッド・エディションで、コミックの原画を買おうとした客が子供にプレゼントするつもりだと知り、コミックをバカにするんじゃねえ!と怒ったイライジャがその客を追い返す場面が出てくるが、あれはまさに本作の基本姿勢を象徴する重要なシーンだと言えよう。 そのうえで、本作はあえて「ヒーローであることを主人公が自覚するまで」の物語しか描かない。いわば、スーパーヒーロー誕生秘話である。一応、当初はヒーローとして覚醒した主人公が悪を相手に戦って大活躍するという「ありがち」な展開も考えていたシャマラン監督だが、しかしどうしても興味が湧かないためボツにしてしまったという。よくあるスーパーヒーロー映画であれば、まさにここから主人公の活躍が本格的に始まるというタイミングでジ・エンドとなる本作。しかしここで重要なのは、どこにでもいる平凡で疲れた冴えない中年のオジサンが、自分の中に眠っていた本当の自分を発見することで人生に意味を見出すこと。誰にだって何かしらの人と違った特別な才能があるはずで、その「ありのまま」の自分を肯定することによって人は初めて真価を発揮することが出来る。それこそが核心的なテーマではないかと考えると、本作の物語がここで終わることも十分に納得が出来るだろう。これはあくまでも、アメコミの世界観を応用したドメスティックな自分探しの物語。その先を描くと蛇足になってしまうからだ。 と同時に、本作はスーパーヒーローと敵対するスーパーヴィランの誕生秘話でもある。イライジャが自分と正反対の強靭な肉体を持った人間を探し求め、ようやく見つけたデヴィッドがヒーローとして覚醒するよう仕向けるのは、己の中に眠る本当の自分=ヴィランを覚醒させるため。なぜなら、善がいなければ悪は成立しないからだ。もちろん、その逆もまた真なり。いずれにせよ、物語のクライマックスではイライジャがスーパーヴィランとしての正体を現し、ガラスのように壊れやすい肉体に邪悪な魂を宿らせたミスター・ガラスとして自己を確立することになる。 ちなみに、本作のビジュアルや衣装のデザインは大きく分けて2つのカラートーンで構成されている。ひとつはデヴィッドの世界を表現するグリーンを基調とした暖かなカラー、そしてもうひとつがイライジャの世界を表現するパープルを基調とした冷たいカラー。しかし、デヴィッドが己の秘めたるパワーに気付いていくにつれ、アメコミ的なハッキリとした原色カラーが増えていく。それもまた、本作の基本設定がコミックに根差していることの象徴だ。 <スプリット> 原作のないコミック映画でありながら、あえてコミック映画を名乗らなかった『アンブレイカブル』。そこには、ストーリーのリアルな世界観を尊重するという意図もあったと思うが、しかし宣伝戦略において「コミック」や「スーパーヒーロー」のワードを使わなかったのは、それが映画会社タッチストーンによって禁止されていたからだという。なぜなら、本作が公開された’00年当時はまだMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)もDCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)も存在せず、マーケットがニッチなコミック映画は客層が限定されてしまうと考えられていたからだ。しかしそれから16年後、ハリウッド映画界でアイアンマンやキャプテン・アメリカなどコミック由来のスーパーヒーローたちが大活躍する中で登場した『スプリット』もまた、その実態がコミック映画であることをばかりか、実は『アンブレイカブル』の続編であることすらオクビにも出さず公開されたのである。 大好きだった父親を亡くし、保護者となった叔父から性的虐待を受けて育った女子高生ケイシー(アニャ・テイラー=ジョイ)は、それゆえ幸せな家庭に恵まれた同級生たちとは馴染めず、孤独で辛い毎日を過ごしていた。そんなある日、クラスメイトのクレア(ヘイリー・ルー・リチャードソン)の誕生会に招かれた彼女は、クレアの父親の車で家まで送り届けて貰うことになったのだが、そこへいきなり乗り込んできた正体不明の男によって、クレアやマルシア(ジェシカ・スーラ)と一緒に誘拐されてしまう。気付くと窓のない部屋に監禁されていた3人の少女たち。怯える彼女たちの前に誘拐犯が姿を現す。 犯人はケヴィン(ジェームズ・マカヴォイ)という見ず知らずの若者。だが、なぜか姿を現すたびに名前も性格も性別や年齢もコロコロと変わることから、勘の鋭いケイシーは彼が解離性同一性障害、いわゆる多重人格であることに気付く。3歳の時に父親が家を出て行き、ストレスを溜めた母親から虐待を受けて育ったケヴィンは、壊れかけた心を守るために23もの人格を持つ多重人格者となってしまったのだ。そして今、超人的なパワーを持つ24番目の人格「ビースト」が目覚めようとしており、副人格のデニスとパトリシアはその「ビースト」の生贄にするため少女たちを誘拐したのだ。そのことに気付いて脱走方法を模索する3人。ケイシーは9歳の少年人格ヘドウィグと親しくなり、なんとか脱走の手助けをさせようとする。一方その頃、ケヴィンの主治医である精神科医フレッチャー(ベティ・バックリー)は、セラピーへ訪れる彼の様子がいつもと違うことから、何か不穏な事態が起きていることを察知し始めるのだが…? というわけで、とりあえず表向きはサイコパスの多重人格者に誘拐・監禁された少女たちの恐怖と脱走劇を描く猟奇ホラー。しかし、その実態は『アンブレイカブル』と同じく変化球的なコミック映画であり、クライマックスにブルース・ウィリス演じるデヴィッドが登場することで示されるように同作の続編映画でもある。注目すべきはフレッチャー医師が劇中で披露する仮説だろう。曰く、解離性同一性障害は思考ばかりか肉体の化学反応まで変わってしまう。つまり、人間は望めば自分がそうだと信じる「完全な別人」へ変身することが出来る。それこそが、実は超能力(=スーパーパワー)の由来なのではないか。要するに、人間は誰もがスーパーヒーローやスーパーヴィランになれる可能性を秘めているというわけだ。そして実際、本作の主人公ケヴィンは野獣的な怪物である24番目の人格ビーストへと変貌し、超人的なパワーを発揮することになるのだ。 ちなみに、もともとケヴィンは『アンブレイカブル』の脚本から削除されたキャラクターで、実はスタジアムで警備中のデヴィッドとすれ違う母親と少年(母親から虐待を受けていることが示唆される)が幼少期のケヴィンとその母親だとされている。長いことこのキャラクターが脳裏から離れなかったというシャマラン監督は、改めて彼を主人公とした新しい脚本を書きおろし、かつて頓挫した『アンブレイカブル』の続編にしたというわけだ。 なお、本作はA24配給のインディーズ・ホラー『ウィッチ』(’15)で注目された女優アニャ・テイラー=ジョイにとって、初めてメジャー・ヒットとなった出演作でもある。これで彼女を知ったという映画ファンも少なくなかろう。また、フレッチャー医師役をベティ・バックリーが演じていることも見逃せない。ミュージカル『キャッツ』でトニー賞の主演女優賞に輝くブロードウェイの大女優だが、古くからの映画ファンにとってバックリーといえば『キャリー』(’76)の体育教師コリンズ先生であろう。基本的に舞台が中心で映画出演の少ない人だが、シャマラン監督と組むのは『ハプニング』(‘08)に続いてこれが2度目である。 <ミスター・ガラス> 『アンブレイカブル』の8分の1の予算で作られた『スプリット』が、興行収入では同作を大きく上回ったことから、予てよりブルース・ウィリスやサミュエル・L・ジャクソンから提案されていた三部作の完結編に着手したシャマラン監督。問題は『アンブレイカブル』の権利元がディズニー(当時の配給元タッチストーンの親会社)、一方の『スプリット』はユニバーサルが権利を持っているため、両者のキャラや設定をブレンドするとなると著作権がバッティングしてしまうことだったが、しかしシャマラン監督がディズニーのCEOショーン・ベイリーに相談したところ、ユニバーサルとの共同制作を条件に『アンブレイカブル』のキャラクターおよび映像の使用を許可される。おかげで実現したのが、『アンブレイカブル』のデヴィッド・ダンとイライジャ・プライス、そして『スプリット』のケヴィン・ウェンデル・クラムの3者が集結した『ミスター・ガラス』だった。 超人的な怪力と強靭な肉体で犯罪者を次々と成敗し、世間から「監視人(オーバーシーヤー)」と呼ばれている謎のスーパーヒーロー。その正体は平凡な中年男デヴィッド・ダン(ブルース・ウィリス)である。かつてアメフト・スタジアムの警備員だったデヴィッドは独立して電気店を経営しつつ、相手に触れるだけで危険人物かどうか見分けられる特殊能力を活かし、息子ジョセフ(スペンサー・トリート・クラーク)の協力で犯罪の撲滅に尽力していたのである。そんな彼が現在追っているのは、24の人格が共存することから「群れ(ホード)」と呼ばれている解離性同一性障害のサイコパス、ケヴィン・ウェンデル・クラム(ジェームズ・マカヴォイ)だ。ある日、デヴィッドは偶然すれ違った風変わりな青年がケヴィンだと気付き、後を追ったところ倉庫の廃墟で彼に誘拐された生贄の女子高生たちを発見する。すぐに彼女らを解放するデヴィッド。すると、そこへ怪物的なスーパーヴィランの副人格ビーストへ変貌したケヴィンが現れ、デヴィッドと凄まじいバトルを繰り広げる。やがて、気が付くと武装した警官隊に囲まれていた2人。先頭に立つ女性科学者ステイプル博士(サラ・ポールソン)によって、彼らは身柄を拘束されてしまう。 厳重な警備体制の敷かれたレイヴン・ヒル記念病院へ送られたデヴィッドとケヴィン。そこにはなんと、薬物治療のせいで半ば廃人と化した悪漢ミスター・グラスことイライジャ・プライス(サミュエル・L・ジャクソン)も収容されていた。ステイプル博士が彼らを拘束した目的は精神治療。この世にコミックのようなヒーローやヴィランなど存在しないという彼女は、あなたたちは自分に特殊能力があると思っているかもしれないが、それは精神疾患による思い込みに過ぎないとして、彼ら自身がスーパーパワーの存在を否定するよう仕向けて行く。本人のためだとして、ジェイソンやケイシー(アニャ・テイラー=ジョイ)、プライス夫人(シャーレーン・ウッダード)にも協力させるステイプル博士。デヴィッドおよびケヴィンの人格たちは、次第に「そうなのかもしれない…」と思い始める。一方、実は廃人のふりをしていただけのイライジャは、世間にヒーローやヴィランの存在を知らしめるための計画を実行するべく、ステイプル博士や病院スタッフの目を盗んで秘かに脱走を準備していた。果たして、彼は何をしようと計画しているのか。さらに、ステイプル博士の意外な正体と真の目的も明らかとなっていく…。 最終章にしてようやく「スーパーヒーロー」を全面的に押し出した本作。コミックは実際に起きたことを娯楽として表現した歴史の記録であり、とりあえずコミックのように派手な見た目やパワーはないかもしれないが、しかしそれでも超人的な能力を持つヒーローもヴィランも現実に存在するのだというテーマは、1作目『アンブレイカブル』の時よりも明確となっている。そういう意味で、これは「コミック映画」というよりも「コミックについての映画」と呼ぶべきであろう。そして今回もまた、よそのスーパーヒーロー映画であればここからが本番!というタイミングで終わりを迎える。なぜなら、これはスーパーヒーローについての映画ではなくコミックについての映画だから。さらに言えば、人間はみんなそれぞれに特殊な才能がある、それを否定する権利など誰にもないというメッセージこそが、実は恐らく三部作を通してのストーリー的な核心であり、だからこそ結果的にシリーズ全体がヒーローとヴィランの覚醒を描く「誕生秘話」となったのではないかと思う。 こうして一応の完成を見た『アンブレイカブル』三部作。完結編の『ミスター・ガラス』も興行的に大成功したことから、このままシリーズ続行もあり得るのではないかと噂されたが、しかしシャマラン監督本人はそれを全面的に否定している。確かに本作の結末を考えると、まあ、そこから話を続けること自体はいくらでも可能だと思うが、しかし全く意味のないものになってしまうであろうことは想像に難くない。■ 『アンブレイカブル』© 2000 Touchstone Pictures 『スプリット』© 2017 UNIVERSAL STUDIOS. All Rights Reserved. 『ミスター・ガラス』© 2022 Universal Studios and Buena Vista International, Inc. All Rights Reserved.
-
PROGRAM/放送作品
(吹)エクスペンダブルズ2
[PG12]シュワ、ブルース本格参戦!さらにチャック・ノリスも!80’sアクション・スター大進撃
前作で豪華競演した新旧アクション・スターが再集結し、さらに悪役としてジャン=クロード・ヴァン・ダムが新参戦。前作では顔見せ程度だったブルース・ウィリスとアーノルド・シュワルツェネッガーが大活躍する。
-
COLUMN/コラム2024.03.13
オリジンに固執しないギリアム流ディストピア『12モンキーズ』
◆戦う監督テリー・ギリアム 1995年に公開された映画『12モンキーズ』は、ブルース・ウィリス演じる主人公が過去に時間移動し、ウイルスによる人類滅亡の起因となるバイオテロを未然に防ごうとするタイムSFだ。印象的なタイトルは動物愛護団体を隠れ蓑にするテロ組織の呼称で、監督はアニメーション作家から劇映画監督へと転身し、『バンデットQ』(1981)『未来世紀ブラジル』(1985)そして『バロン』(1988)などを手がけてきた鬼才テリー・ギリアムが担当。想像力豊かな主人公による体制との格闘をテーマとし、「夢」と「現実」の舞台を行き交うファンタジーを展開してきたギリアムには、まさにうってつけの題材といえる。 だがギリアムは作品そのものの魅力にとどまらず、公開をめぐる映画会社との闘争が、彼を語るうえで欠かせない要素となってきた。『未来世紀ブラジル』は上映時間の長さとブラックな幕切れに対し、配給元であるMCA=ユニバーサルの社長シド・シャインバーグが難色を示して再編集を要求。対してギリアムは上映時間の短縮にこそ応じたものの、結末をハッピーエンドにすることには首を縦に振らず、どちらも引かず譲らずの徹底抗戦が続いた。結局ギリアムが結末を変えずに全米一般公開を勝ち得たが、この一件によって彼は「戦う映画監督」というイメージを強固なものにしていく。 そして続く『バロン』も、ミュンヒハウゼン男爵の奇異極まる冒険の数々を描いた小説「ほら吹き男爵の冒険」を壮大なスケールと巨額の予算で実写化したが、チネチッタ(ローマの映画スタジオ)で撮影したことから従来とは異なる混乱が生じ、衣装や小道具の調達、セットの建設が遅れるなどのトラブルに見舞われた。製作費は増大し、たび重なる撮影の遅れによってつど撮影中止が検討された。こうした諸問題にギリアムは消耗戦を強いられたが、自分のイメージを具現化させることに全力を注ぎ、あたかも夢想で障害を乗り越えるバロンのように完成へとこぎつけたのである。 これら『未来世紀ブラジル』『バロン』における闘争は、ギリアムをハリウッドの完成保証人がブラックリストに載せるに充分なものだった。そのため彼は職人に徹し、真っ当な企画を手がけることで信頼回復を図ったのである。それが1991年に発表した『フィッシャー・キング』で、ホームレスと堕ちたDJスターとの奇妙な友情に迫る本作は、他者の脚本によるスター俳優主導型の現代劇であり、これまでのギリアム作品の創作基準からは大きく外れるものだった。しかし主人公を苛む魔物の幻覚や、群衆の動きがピタッと止まったユニオン駅でのダンスシーンなど、ファンタジックなイメージを忍ばせてギリアムらしさを堅持し、作品は好評を獲得した。そしてなにより、アメリカでの興行収入4,200万ドルを記録し、ギリアムに『12モンキーズ』への展開を与えたのだ。 ◆『ラ・ジュテ』とのドライな関係性 『12モンキーズ』もまた、他人の脚本によるスター俳優主導型の作品だが、その発生はユニークを極める。本作の脚本にはベースとなる既存作が存在し、オリジンは1969年に発表された『ラ・ジュテ』というフランスの中編映画で、ワンシーンを除く全編をモノクロのフォトモンタージュで構成した実験的な古典である。その独自性と完成度は作家のJ.G.バラードをして「独自の慣例をゼロから創造し、SFが必ず失敗するところを、この映画は意気揚々と成功する」と高く評価している。 舞台は第三次世界大戦による地表汚染によって、生存者が地下室で生きるパリ。地下収容所に囚われている主人公は、過去と未来に救いを求め、食料やエネルギー源を輸送できる時間のルートを確立する計画の実験台となる。選ばれた理由は、過去に鮮明なイメージを持っていること。彼は子どもの頃、両親と一緒に訪れたオルリ空港で男の死を目撃するという、鮮烈なイメージを抱いていたのだ。 時間移動による人類滅亡の回避と、その結果あきらかとなる主人公の鮮烈な過去イメージの正体など、『12モンキーズ』はプロットにおいて『ラ・ジュテ』を換骨奪胎させている。起点は同作に心酔する製作総指揮のロバート・コスバーグが、監督であるクリス・マルケルを説得し、ユニバーサルに権利を買わせて長編作品へとアダプトしたのだ。当初はマルケルも関わっていたが、乗り気でなかったことから企画の初期段階で降りている。しかし脚本を担当したデイヴィッド&ジャネット・ピープルズの手腕もあって、完成した『12モンキーズ』は『ラ・ジュテ』の良質なエッセンスに満ち、原点に対するリスペクトを具に感じることができるものとなった。 しかしギリアムはこの『ラ・ジュテ』を撮影時に観てはおらず、自身の作家性をまたぎ、批評家からオリジナルに言及されることに困惑したという。ただ同作を構成したフォトスチールをプリントし、ナレーションテキストを採録した写真集“La Jetee : ciné-roman“は目にしていた。そこでギリアムは、あえて似たようなイメージを回避し、『ラ・ジュテ』の成分はあくまでデイヴィッドとジャネットがオリジンより抽出したものと割り切り、自身は意識的に同作との差別化を図っている。 筆者(尾崎)はこれまでに2度、ギリアムにインタビューしたことがあるが、コンピュータに支配された世界で、複雑なゼロ定理解析を強いられるプログラマーの悲劇を描いた『ゼロの未来』(13)の取材では、「どうせお前らは本作を『未来世紀ブラジル』と比較するつもりだったんだろ? だからあえて違うものを撮ったんだ。私がやっている作品は、どれも総じて自分が見えている世界を、ひたすら歪めて表現しているんだよ」 と、既存のイメージに縛られることを嫌い、それを強調する姿勢を示していた。笑いの絶えないインタビューだったが、ささやかながらも筆者はそこに「戦う映画監督」の気性を垣間見たのである。このことからもギリアムは『12モンキーズ』が己れのイマジネーションを飛び超え『ラ・ジュテ』に誘引されることを好まなかったのは容易に想像できる。たとえそれが雇われ仕事であっても、自身の持つアート性を封じたくはなかったのだろう。 ちなみにギリアムが『ラ・ジュテ』に接したのは、『12モンキーズ』製作後のパリでのプレミアで併映されたものだったという。作品自体は素直に称賛しており、編集の技と、博物館の剥製が次々と映し出されるイメージが傑出していると答えている。 テリー・ギリアムが『12モンキーズ』撮影以前に読んだとされる『ラ・ジュテ』のフォトブック“La Jetée : ciné-roman“。映画本編のショットとは仕様テイクや配置が一部異なっており、本書は今でも独立した価値を持つ。(筆者所有) ◆ギリアムとブルース・ウィリス ところで今回のザ・シネマにおける『12モンキーズ』の放送は、俳優ブルース・ウィリスの特集に連動したものだ。そこでおあつらえ向きに、テリー・ギリアムが彼についての称賛を2015年に出版した自伝“Gilliamesque: A Pre-posthumous Memoir”(日本未刊行)の文中にて触れているので採り上げたい。ウィリスの起用は彼がギリアムと仕事をしたがっていたことに端を発するが、ギリアムはギリアムで『ダイ・ハード』(1990)で彼が演じるマクレーン刑事が、妻に電話をしながら足の裏に刺さったガラスを抜く、タフガイが弱さを見せるシーンがお気に入りだったという。それが実際にウィリス会い、彼自身のアイディアによるものだと知ったことで、がぜん自作に出て欲しいとなったのだ。ギリアムはこう綴っている、 「私は“ブルースにはスーパースター性は必要ない”と提唱していた。彼には何も持たずに撮影に来てほしい俳優なのだ。そして『12モンキーズ』では、ジムを備えたトレーラーハウスをセットに持ち込むことで、かろうじてそれに応えてくれた。実際のパフォーマンスに関しては、彼は確かに見事な成果をあげてくれた。そしてコンドームのようなスーツを着させられることに、自身が何らかの抵抗を感じていたとしても、彼はそれを私に決して話すことはなかったんだ」 相変わらず人をおちょくったような書き振りだが、ウィリスが現役を退いた今となっては、ギリアムなりの愛に満ちた称揚が胸に沁みるのである。■ 皮肉と自虐と攻撃性に満ちた内容で、読み手をグイグイと惹きつけるテリー・ギリアムの回想録“Gilliamesque: A Pre-posthumous Memoir”。日本でもこのパンチの効いた装丁のまま、翻訳出版されると嬉しい。(筆者所有) 『12モンキーズ』© 1995 UNIVERSAL CITY STUDIOS, INC. ALL RIGHTS RESERVED.
-
PROGRAM/放送作品
アンブレイカブル
なぜ男は列車事故から無傷で生還できたのか?M・ナイト・シャマラン監督が放つ謎と衝撃のサスペンス
前年の『シックス・センス』で一躍注目を集めたM・ナイト・シャマラン監督が、悲惨な列車事故から始まる衝撃の物語をミステリアスに綴る。不死身の主人公の正体に迫る男をサミュエル・L・ジャクソンが怪演。
-
COLUMN/コラム2022.04.11
ブルース・ウィリスのやりたい放題が炸裂したトンデモ超大作『ハドソン・ホーク』
今年3月30日、ブルース・ウィリスが“失語症”のために、俳優業を引退するという、衝撃的なニュースが飛び込んできた。この病気は、脳卒中や脳外傷などによって発症することが多く、会話や読み書きを含む言語能力が低下するというもの。 近年のウィリスと言えば、やたらと出演作が多く、しかもその大半が、劇場公開にまで至らない、いわゆるビデオストレート作品。そこから推して知るべしだが、評判が芳しくないものがほとんどであった。 そのため、アカデミー賞開催前夜に、「サイテー」の映画を選んで表彰する「ラジー賞=ゴールデンラズベリー賞」では、昨年=2021年にリリースされたウィリスの出演作8本を対象に、「ブルース・ウィリスが2021年に見せた最低演技部門」を新設。3月27日にはその中から、『コズミック・シン』(日本では昨年11月にDVD発売)が、「サイテー賞」に選出された。 しかしその3日後に、ウィリス引退の報が流れると、「ラジー賞」の主催団体は、この賞の設置を撤回。「もしも誰かの健康状態がその人の意思決定やパフォーマンスの要因になっているのならば、その人にラジー賞を与えるのは不適切…」との説明を行った。 いずれにしても、まだ67歳。ウィリスがスターダムにのし上がっていくのを、リアルタイムで目撃していた世代としては、「残念」という他はない。 ゴールデングローブ賞やエミー賞の獲得歴はあれど、アカデミー賞には、まったく縁のない俳優であった。そしてその逆に、件の「ラジー賞」の常連でもあった。今となってはそれも、“バカ映画”も含めて数多くの娯楽作品に出演を続けた、彼の勲章と言えるかも知れない。 ウィリスが世に出たのは、30歳の時。85年スタートのTVシリーズ「こちらブルームーン探偵社」(~89)に、当時は格上のスターだったシビル・シェパードの相手役として、オーディションで3,000人の候補者の中から選ばれたのである。 そこで人気を得た彼は、スクリーンの世界を目指す。その決定打となったのが、『ダイ・ハード』(88)のジョン・マクレーン役だった。たまたま事件現場に居合わせてしまった平凡な中年刑事が、愚痴をボヤきながらも機知の限りを尽くして、犯罪集団を壊滅へと追い込んでいく。 当時はシルベスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーなど、バリバリ大殺戮を繰り広げるような、筋骨隆々な無敵のヒーローものの全盛期。そんな中、見た目は冴えない中年男で、はじめは拳銃を撃つのも躊躇するようなマクレーン刑事は、至極新鮮に映ったものである(もっともそんな『ダイ・ハード』も、シリーズ化されて回を重ねていく内に、マクレーンの無敵ぶり・不死身ぶりが、ジェット戦闘機相手に、素手で挑んでも勝ってしまうほどに、インフレ化していくのだが…)。 何はともかく90年代は、『パルプ・フィクション』(94)『12モンキーズ』(96)『フィフス・エレメント』(97)『アルマゲドン』(98)『シックス・センス』(99)等々、非アクションも含めて、数多くのメガヒット作に出演。ウィリスは、TOPスターの地位を揺るぎないものにしていく。 しかしそんな最中でも、もちろんうまくいかなかった作品はある。近年ほどではないにしろ、当時から出演作が多かったウィリスの場合、結構な死屍累々。そんな中でもとびきりの“爆死”作品として語り継がれることになったのが、本作『ハドソン・ホーク』(91)である。 ***** 10年間のムショ暮らしをようやく終えた、エディ(演:ブルース・ウィリス)。彼は“ハドソン・ホーク”と異名を取る怪盗で、悪徳観察官から新たな“仕事”を持ち掛けられるも、今はただ落ち着いた生活を送りたため、その依頼を断わる。 かつての仲間で親友のトミー(演:ダニー・アイエロ)の元に身を寄せたエディだったが、悪の誘いは引きも切らない。結局エディは、マフィアのマリオ・ブラザースの脅迫に屈し、トミーと共にレオナルド・ダ・ヴィンチ作の芸術作品「スフォルツア」を盗み出すハメになる。 見事犯行に成功した2人だが、ニュースでは、失敗したものとして報じられる。そして盗んだ筈の「スフォルツア」が、オークションへと出品される。 エディは、オークション会場へと乗り込む。「スフォルツア」は、怪しげな富豪のメイフラワー夫妻に競り落とされるが、その瞬間に会場では大爆発が起こる。エディは隣り合わせた謎の美女アナ(演:アンディ・マクダウェル)の命を救うも、自らは落下物のために気を失う。 気付くと走る救急車の中で、マリオ・ブラザースの囚われの身となっていたエディ。決死の脱出に成功すると、今度は彼の前に、過去に因縁のあったCIA捜査官キャプラン(演:ジェームズ・コバーン)の一味が現れる。 再び気絶させられたエディが、次に目が覚めたのは、ローマ。そしてメイフラワー夫妻をTOPに頂く犯罪組織が、世界征服のために必要なものを、自分を使ってバチカンから盗ませようとしていることを知る。 マフィアにCIA、そしてバチカンまで絡んだ世紀の大陰謀に、エディは相棒トミー、謎の美女アナと共に立ち向かっていく…。 ***** 日本の劇場用プログラムに掲載されている、複数の解説コラムでは、お馴染みの「ルパン三世」に、やたらと言及している。なるほど、一流の腕を持つ怪盗ながら、ちょっと間抜けなところもあり、またセクシーな美女にはからっきし弱い辺り、「ルパン」的ではある。 実際に物語のベースとして参考にしたのは、『泥棒成金』(55)や『トプカピ』(64)『ピンクの豹』(63)『おしゃれ泥棒』(66)といった、往年の“泥棒映画”群。また大富豪夫妻が、珍奇な発明品を用いて世界征服を企む辺りは、60年代に『007』シリーズの大ヒットで次々と製作された、荒唐無稽なスパイ映画シリーズ『サイレンサー』(66~68)や『電撃フリント』(66~67)などの影響と言われる。『電撃フリント』の主役だったジェームズ・コバーンがCIAのエージェントを演じるのは、その流れであろう。 さてそんな本作誕生のきっかけは、製作から遡ること10年以上前の、1980年のある夜。ロバート・クラフトというミュージシャンが、ニューヨークのグリニッジビレッジにあるナイトクラブで演奏していた際、観客の1人だったウィリスが、ハーモニカを吹いたことに始まる。 2人は仲良くなり、当時はバーテンダーで生計を立てていたウィリスは、しばしばクラフトのステージに参加するようになった。クラフトのレパートリーの中でも、ウィリスが特にお気に入りだった楽曲が、「ハドソン・ホーク」。 これはクラフトがある昼下がりに、マンハッタンのウエストサイドを歩いていた際に、ハドソン川の方から風が吹いてきたのにインスピレーションを得て、作った曲だった。“ホーク”というのは、ミシガン湖を襲った暴風に付けられた名前で、それをハドソン側からの風に結び付けて、「ハドソン・ホーク」というタイトルにしたのである。 ウィリスはこの由来を聞いて、古典的なエンタメ作品のキャラのテーマにぴったりだと感じた。そしてクラフトの依頼で、この曲に歌詞を付けた。その際に、“ハドソン・ホーク”とその相棒トニーのキャラクターも出来上がったという。 しかし、当時はまだ無名の存在だったウィリスとクラフト。もしどちらかが映画を製作する立場になったら、「世界一の怪盗映画」にしようと誓い合ったが、これらのアイディアは暫し、凍結となった。 それから月日が流れて、TVの人気者となったウィリスは、『キャデラック・カウボーイ』(88/日本未公開)という作品に主演する際、“ハドソン・ホーク・プロ”と名付けた、自らのプロダクションで製作に参画した。この作品は当たらなかったが、次に主演したのが、『ダイ・ハード』。 その2年後には続編『ダイ・ハード2』(90)も大ヒットとなって、ウィリスは“スーパースター”の座を手に入れる。彼は勇躍、クラフトと共に、本作の製作に乗り出したわけである。 ウィリスは、本作のプロデューサーを、『ダイ・ハード』シリーズはじめ、『リーサル・ウェポン』シリーズ(87~98)、『マトリックス』シリーズ(99~ )など、ド派手なアクション大作で勇名を馳せた、ジョエル・シルバーに依頼。シルバーは、ドル箱シリーズの主演スターからの頼みを、むげには出来なかったものと思われる。 監督に決まったのは、フランシス・フォード・コッポラ門下の出身で、『ヘザース/ベロニカの熱い日』(89)という青春もののブラック・コメディが評判となった、マイケル・レーマン。相棒トニー役には、ウィリスと以前からの知り合いだった、ダニー・アイエロがキャスティングされる。アイエロはスパイク・リー監督の『ドゥ・ザ・ライト・シング』(89)で、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、そのキャリアがピークを迎えた頃だった。 元々ミュージシャンでありコメディアンであったウィリスは本作に関して、「…出来るだけ突拍子もないコメディにしたかった」と語っている。ある意味でその願いは、実現することとなる…。 ニューヨーク、ロサンゼルスから、ローマ、ブダペスト、ロンドンと、大々的なロケーションを行うと同時に、複数の巨大セットを建てて行われた本作の撮影は、トラブルの連続。謎のヒロイン役は、イザベラ・ロッセリーニやイザベル・アジャーニの名が挙がった後、マルーシュカ・デートメルスに決まるも、クランクインして6週間後に、彼女は背中を痛めて降板となる。 その代役となったアンディ・マクダウェルによると、本作の撮影に臨んでは、セリフを覚えることよりも、製作側の突然の要求に柔軟な対応ができるよう準備していたという。現場がいかに混乱していたか、伝わってくる証言である。 主要スタッフの交代劇もあり、脚本の最後も書き直しが行われるなど、相次ぐトラブルに、製作費はどんどん膨れ上がる。最終的に、当時としては破格の4,000万㌦に達した。 アクションとミュージカルとコメディを融合させた本作で、“スーパースター”ブルース・ウィリスの思うがままに進行させたツケは、高くついた。全米公開の興収は、製作費の半分にも満たない、大コケ。 その年度の「ゴールデンラズベリー賞」では、作品賞、監督賞、脚本賞の3部門にわたって受賞を果たし、正真正銘の“サイテー作品”と認定された。思えばウィリスの引退まで続いた「ラジー賞」との因縁は、この時に始まったわけである。 本作後、先にも記した通り、ブルース・ウィリスは数々のメガヒット作に出演し、“スーパースター”としての地位を確固たるものにしていく。その中ではプロデューサーとして参画した作品もあるが、脚本にまで手を出した作品は、後にも先にも、本作1本に終わった。 本作を賞賛する声はほとんど聞かないが、30年余に渡って我々映画ファンを楽しませてくれた、稀代のアクションスター、ブルース・ウィリスが心底やりたかったことを、やり尽くした作品である。『ハドソン・ホーク』は、彼のフィルモグラフィーを振り返る上で、ある意味ハズせない1本と言える。■ 『ハドソン・ホーク』© 1991 TriStar Pictures, Inc. All Rights Reserved.
-
PROGRAM/放送作品
ミスター・ガラス
特殊能力を持つ男らが禁断の遭遇!M・ナイト・シャマラン監督作『アンブレイカブル』『スプリット』の続編
M・ナイト・シャマラン監督作『アンブレイカブル』『スプリット』のその後を描くスリラー。両作品に登場した特殊能力を持つ男たちが一堂に会し、禁断の遭遇を果たした3人の対決と衝撃の真実をスリリングに描く。
-
COLUMN/コラム2019.11.01
『ジャッカルの日』と『ジャッカル』 24年の歳月を超えた隔たりとは…
ジュリアス・シーザーの昔より、人の世で、数多実行されてきた“暗殺劇”。映画の世界でも古くより、“暗殺”を題材とした作品は枚挙に暇がない。 そんな中でも1970年代前半の映画界は、暗い世情と相まってか、“暗殺映画ブーム”とでも言うべき様相を呈していた。 リチャード・バートン演じるトロツキーを、アラン・ドロン扮するソ連の刺客が狙う、『暗殺者のメロディ』(72)、ケネディ大統領暗殺の裏にある陰謀劇を描いた、『ダラスの熱い日』(73)、大統領候補暗殺の陰に暗躍する秘密組織の存在を、ウォーレン・ベイティのジャーナリストが暴こうとする、『パララックス・ビュー』(74)、ロッド・スタイガー演じる元IRAの闘士が、エリザベス女王らイギリスの要人を爆弾テロで狙う、『怒りの日』(75)等々。虚実を織り交ぜた、様々な“暗殺映画”が製作・公開され、それぞれに話題となった。 そんな70年代前半の“暗殺映画”群の中でも、映画史に燦然と輝く存在。それが、『ジャッカルの日』(73)である。 本作の原作は、イギリス人作家のフレデリック・フォーサイスが執筆。71年に出版された。 フォーサイスは「ロイター通信」の特派員として、62年から3年間パリに駐在し、当時のフランス大統領、シャルル・ドゴールの担当記者を務めた経歴を持つ。そして『ジャッカルの日』は、正にその駐在期間中の63年を舞台に、ドゴール大統領の暗殺計画を描く。 ナチス・ドイツからフランスを取り戻した英雄的軍人であるドゴールだが、59年の大統領就任後に打ち出した、植民地のアルジェリア独立を認める方針が、軍部の極右勢力などの不興を買う。そのため暗殺計画のターゲットとなり、合わせて6回も、その命を狙われることとなった。 原作及び映画の冒頭で描かれるのは、実際に起こった、ドゴールの車列を狙った“暗殺未遂事件”の顛末。その失敗によって追い詰められた極右勢力の幹部が、正体不明の暗殺者“ジャッカル”を雇い入れ、新たな“暗殺計画”を発動する運びとなる。 “ジャッカル”の登場からは、“フィクション”の世界へと突入するわけだが、現実と地続きになっている。そんなアクチュアルな題材を映画化するに当たっては、どんな描き方が最適なのか? そこで白羽の矢が立てられたのが、フレッド・ジンネマン監督だった。『地上より永遠に』(53)『わが命つきるとも』(67)で2度アカデミー賞監督賞を受賞している他に、『真昼の決闘』(52)『尼僧物語』(59)『ジュリア』(77)などを手掛けた巨匠である。 ジンネマンは若き日、『極北のナヌーク』(1922)『モアナ』(26)などで「ドキュメンタリーの父」と謳われた、ロバート・フラハティの下で修業を積んだ。そんな彼の映画作家としての特性は、師匠フラハティ譲りと言える、ドキュメンタリー風なリアリズム描写にあった。 『ジャッカルの日』に於けるジンネマン演出の狙いは、「観客を目撃者にする」というもの。“ジャッカル”による“暗殺計画”の進行と、それを追う者たちの動きを、客観的なドキュメンタリータッチで追っていき、それを“目撃”させるわけである。 例えば本作のクライマックスには、パリの凱旋門の下での「解放記念日」の式典が登場する。これは、街を交通止めして撮影したものに、実際の式典の際の記録フィルムを加えて、構成したという。 こうした手法で映画を撮るに当たって、キャストから排除したのが、“スター”である。観客が「スティーブ・マックイーンだ」「アラン・ドロンだ」などと認識してしまうような、ネームバリューのある俳優は、本作には至極邪魔な存在というわけだ。 凄腕の暗殺者“ジャッカル”役に抜擢されたのは、当時はほとんど無名の存在だった、イギリス人俳優のエドワード・フォックス。そして彼を追うパリ警察のルベル警視役には、フランス映画の脇役俳優だった、マイケル・ロンズデールが起用された。 付記すれば、クライマックスに登場するドゴール大統領のそっくりさんも、アドリアン・ケイラ=ルグランという、無名の俳優。一言もセリフを喋らせずに、ドゴールの仕草を正確に再現させている。 もちろん本作の世界的ヒットの後には、フォックスもロンズデールも、有名俳優の仲間入りとなった。フォックスは、戦争映画大作『遠すぎた橋』(77)日本公開の際には、ロバート・レッドフォードやダーク・ボガートらと共に、14大スターの1人に数えられ、ショーン・コネリーがジェームズ・ボンド役に復帰した、「007番外編」の『ネバーセイ・ネバーアゲイン』(83)では、M役を演じた。またロンズデールは、正調「OO7」の第11作『ムーンレイカー』(79)で、ロジャー・ムーアのボンドと戦う、メイン悪役を務めている。 さて“暗殺映画”のマスターピースとなった『ジャッカルの日』を、24年後の1997年に復活させようとした試みが、今回フィーチャーするもう1本の、『ジャッカル』である。とは言っても97年になって、その34年前=63年のフランス大統領暗殺計画を再び描くのは、観客へのアピールが足りないと、『ジャッカル』のプロデューサー兼監督である、マイケル・ケイトン=ジョーンズは考えたのであろう。 『ジャッカルの日』の成功には、フォーサイスの原作の展開に忠実でありながらも、映画的なまとめや省略を大胆に行った、ケネス・ロスの脚本の功績も大きい。新版の『ジャッカル』の原作としてクレジットされるのは、フォーサイスの小説ではなく、ケネス・ロスの脚本である。ジョーンズ監督は、オリジナル版の脚本から活かせるシチュエーションだけ抽出して、97年的な“暗殺映画”を作るという選択を行ったのである。 97年という時勢は、まずはオープニングタイトルで表現される。これはピアース・ブロスナンが5代目ジェームズ・ボンドに就いた「007」シリーズ第17作の『ゴールデンアイ』(95)でも取られていた手法だが、ソ連と東側陣営の崩壊によって、“冷戦”が終結したことがまずは説明され、新たなる“混乱”の時代に突入したことが、物語られる。 そして97年のモスクワ。闇の世界で台頭する、チェチェン・マフィアの根城に、「MVD=ロシア内務省」と「FBI=アメリカ連邦捜査局」の合同捜査チームが強制捜査を掛ける。その際に、マフィアのボスであるテレクの弟が、捜査員に射殺される。激高したデレクは復讐を誓い、正体不明の暗殺者“ジャッカル”を雇う。 “暗殺”のターゲットが、「FBI」の長官だと判明したことから、合同捜査チームは“ジャッカル”の追跡に乗り出す。しかし彼の顔を見たことがある者は、ほとんど存在しなかった。 “ジャッカル”を知る1人として、地下組織「IRA=アイルランド共和国軍」のスナイパーで、現在はアメリカ国内の刑務所に収監されている、デクランという男の存在が浮かび上がる。捜査チームは特別措置として、デクランをチームに加えるが、実は彼は、“ジャッカル”に個人的な恨みを抱いていた…。 オリジナルの『ジャッカルの日』に於ける“暗殺作戦”の発動と、それを阻止せんとする捜査陣の追跡は、「“大義”vs“大義”」の対決であった。それが新版の『ジャッカル』では、「“私怨”vs“私怨”」となってしまっている。 新旧両作とも、“ジャッカル”自体には、政治的な主義主張はなく、金目当ての“暗殺者”であることに変わりはない。“ジャッカル”の成功報酬は、オリジナル版が50万㌦だったのに対し、新版は7,000万㌦!それぞれに、このミッションを成功させた後は「2度と仕事が出来ない」ため、引退するに足る金額と説明されるが、製作年度で24年間、物語の設定的に34年間離れた『ジャッカル』両作の大きな違いは、この金額の差だけではない。 「“無名”vs“無名”」であったオリジナルのキャストに対して、新版の最大の売りとされたのは、「ブルース・ウィリス vs リチャード・ギア」! “ジャッカル”役のブルース・ウィリスは、お馴染みの『ダイ・ハード』シリーズ(88~ )でスターダムにのし上がった。『ジャッカル』の前後の主演作も、『パルプ・フィクション』(94)『12モンキーズ』(96)『フィフス・エレメント』(97)『アルマゲドン』(98)『シックス・センス』(99)等々、メガヒット作が目白押し。 対抗するは、デクラン役のリチャード・ギア。『愛と青春の旅立ち』(82)『プリティ・ウーマン』(90)という、そのキャリアでの2大ヒット作を軸に、日本でも高い人気を誇るスター俳優であった。 脇役にも、スターを配している。捜査チームのリーダーである、「FBI」の副長官役を演じたのは、黒人俳優として初めてアカデミー賞主演男優賞を受賞した、シドニー・ポワチエ。 こんなキャスティングからもわかる通り、とにかく新版『ジャッカル』は、オリジナルの逆張りに、敢えて走った感が強い。この姿勢は、謎の暗殺者である筈の“ジャッカル”の行動にも表れる。 オリジナル同様、「変装の名人」という設定である“ジャッカル”。しかしエドワード・フォックスの“ジャッカル”が、空港でわざわざ自分と背格好が似た外国人を見付けて、パスポートを掏り取るという手間を掛けたのに対し、ウィリスの“ジャッカル”は、空港でたまたま居合わせた、自分とは似ても似つかない体型の者のパスポートを盗み出す。そしていざその者に成りすましても、我々観客からは、「ブルース・ウィリスが変装している」ようにしか見えないのである。 偽造パスポートや暗殺用の銃は、外注して用意する。その際に、“プロ”の仕事を誠実にこなす者に対しては敬意を見せ、逆に強請りたかりを働こうとした輩はあの世に送る。その姿勢は、新旧“ジャッカル”とも同じであるが、ケリの付け方が、ウィリスの“ジャッカル”は派手過ぎる。捜査チームにわざわざ、暗殺の手口や追跡のためのヒントを残しているかのようである。 捜査チーム内から“暗殺者”側に情報を漏らしている内通者が居ることが暴かれるのも、“ジャッカル”の取った態度が引き金となる。全般的にウィリスの“ジャッカル”は、自信満々な態度に反比例するかのように、かなり迂闊なのである。 その迂闊さは、“暗殺計画”実行直前にも、見受けられる。自分の顔を知る女性の居所を知ると、わざわざ殺しに馳せ参じる。しかもその女性は逃がしてしまって、代わりに(?)待ち伏せていた捜査員3名を惨殺する。“暗殺”本番直前に、こんな危険を冒す必要がどこにあるのか?何度観ても、まったく理解できない(笑)。 しかもその際に、“暗殺”の的が、実は「FBI」の長官ではないことを仄めかしたため、追っ手のデクランに、真のターゲットを気付かれてしまう。はっきり言って超一流の“プロ”と言うには、あるまじき軽率な所業の連続なのである。 オリジナル版では、お互いにプロの“仕事人”同士としてのライバル関係にある、暗殺者“ジャッカル”と追跡者のルベル警視。2人が顔を合わすのは、最後の最後に訪れる、直接対決の1度だけ。 新版の“ジャッカル”とデクランは、途中で1回ご対面があり、その際は“ジャッカル”の銃撃から、デクランが逃れる。そしてクライマックスでは逆に、デクランが“ジャッカル”を追跡。駅の構内で銃撃戦が繰り広げられる。 …と記したが、実は新版の『ジャッカル』は、“ジャッカル”とデクラン…と言うよりも、ブルース・ウィリスとリチャード・ギアの2大スターが、最後の最後まで撮影現場で顔を合わせてないのでは?…という疑惑が拭えない。 その辺りどうなのかは、皆さんに実際ご覧いただいた後の判断にお任せしたい。■ 『ジャッカルの日』© 1973 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved. 『ジャッカル』©TOHO-TOWA
-
PROGRAM/放送作品
シン・オブ・アメリカ
[R15+相当]田舎町の人質事件で街の暗部が暴かれる。ブルース・ウィリス出演のバイオレンスアクション
ブルース・ウィリスが引退宣言した前年に出演した作品。田舎町の権力者に支配される冴えない保安官に扮して哀愁を誘う。若者3人が起こした人質籠城事件から驚きの真実が明かされていく急展開に手に汗握る。
-
COLUMN/コラム2018.02.13
隣のヒットマン
カナダのモントリオール郊外。歯科医のオズ( マシュー・ペリー)はシカゴ出身でありながら、妻の父が起こしたセックス&脱税絡みのスキャンダルによって愛する地元にいられなくなり、仕方なくこの街の病院で働いていた。それなのに、妻ソフィ(ロザンナ・アークエット)の浪費癖は改まることなく家計は破綻寸前。公私ともども冴えない彼は、病院の受付嬢ジル(アマンダ・ピート)にも同情される有様だった。そんなある日、オズの隣家にジミー(ブルース・ウィリス)と名乗る男が引っ越してくる。オズは、彼がシカゴを牛耳るマフィア組織の一員で、ボスを警察に売り渡して予定よりも早く出所することに成功したヒットマン“チューリップ”ことテュデスキの世を偲ぶ仮の姿だということに気づく。だが意外にも気さくな彼とウマが合い、友情らしきものを築くのだった。 しかしいよいよ破産寸前となったオズは、ソフィから「ジミーをマフィアのボスの息子ヤンニに引き渡せば大金を貰えること間違いなし。成功したら離婚してあげる」と迫られ、ヤンニの部下と接触するためにシカゴに行く羽目に陥ってしまう。 しかしオズの留守中にソフィが向かったのはテュデスキの家だった。彼女はオズが彼を売り渡そうとしていることをあっさり打ち明けてしまう。そう、ソフィの真の狙いはオズにかけた多額の生命保険金だったのだ。彼女のオズ殺害計画を知ったテュデスキは、ヤンニの部下で、実はテュデスキの親友フランキー( マイケル・クラーク・ダンカン)を介して「心配するな、俺たちの友情は壊れない」とオズを励ます。 だがオズは手放しでは喜べなかった。というのも、ヤンニのアジトで出会ったテュデスキの妻シンシア(ナターシャ・ヘンストリッジ)と恋に落ちてしまっていたからだ。シンシアはボスの秘密資金1000万ドルを預かっており、現金化するには彼女とテュデスキ、ヤンニ三人のサインもしくは死亡証明書が必要だった。大金を獲得するためならヤンニはもちろん、テュデスキも自分を殺すことを躊躇わないだろうと語るシンシア。果たして小市民のオズは、自分とシンシアに降りかかった絶体絶命のピンチを乗り切れるのだろうか……。 プロットをざっと書いてみるだけでも分かる通り、『隣のヒットマン』(2000年)は複雑な設定と、二転三転するストーリーによって、観る者のテンションを最後までマックス状態に維持し続けるクライム・コメディだ。 凝りに凝った脚本を書いたのは、これがデビュー作だったミッチェル・カプナー。それをモンティ・パイソンのエリック・アイドルが主演した『ナンズ・オン・ザ・ラン 走れ!尼さん』 (1990年) やメリサ・トメイにオスカーをもたらした『いとこのビニー』 (1992年) で知られる英国出身のコメディ職人ジョナサン・リンがタイトに仕上げている。 主演は、ブルース・ウィリス。このとき既にアクション映画界のスーパースターだった彼だけど、出世作だったテレビドラマ『こちらブルームーン探偵社』(1985〜89年)は探偵モノでありながら、パロディとマシンガン・トークを売りにしたコメディ仕立てのものだった。映画本格進出作の『ブラインド・デート』(1987年)にしてもブレイク・エドワーズ監督のロマ・コメだったし、スターダムに押し上げた『ダイ・ハード』(1988年)も実はアクションと同じくらいウィリスの軽口を楽しむ映画である。『隣のヒットマン』はそんな彼のコメディ・サイドをフューチャーするのにピッタリの企画であり、最初にキャスティングされたのも彼だった。そんな製作サイドの要望に忠実に、ここでのウィリスはシリアスとコミカルの狭間を行き交う演技で観客を惹きつけてみせる。 そんなウィリスが、相手役(そしてストーリー上は主人公)であるオズ役に当初から熱望したのがマシュー・ペリーだったという。当時のペリーは、驚異的な高視聴率を記録していたシットコム『フレンズ』 (1994〜2004年)のチャンドラー役でノリに乗っている時期であり、ウィリスは彼が持つ勢いを作品に持ち込めれば映画の成功は間違いないと思ったのだろう。 こうした彼の目論見にペリーは見事に応えている。リアクションがいちいち絶妙。しかも等身大のキャラを得意とする彼だからこそ、映画冒頭の冴えない姿から後半のヒーローへの変貌に、観客が喝采を叫べるというわけだ。またその活躍があくまで歯科医という設定を活かしたものであるところにも唸らされてしまう。 ウィリスとのコンビネーションという意味では、超能力者に扮したフランク・ダラボン監督作『グリーンマイル』(1999年)における演技が絶賛されたマイケル・クラーク・ダンカンも印象的だ。ダンカンはウィル・スミスをはじめとするハリウッド・スターのボディ・ガードから俳優に転じた変わり種。そんな彼をウィリスは『アルマゲドン』(1998年)で共演して以来、高く評価しており、本作は『ブレックファースト・オブ・チャンピオンズ』(1999年)に続く3度目の共演作にあたる。もし2012年に心筋梗塞で急死していなかったら、もっと共演を重ねられたのではないかと思うと、残念でならないけど、ウィリスとのプライベートの交流がそのまま反映された本作の彼は心の底から楽しそうだ。 女優陣もそれぞれ健闘。オズのどうかしている妻ソフィを演じているのは、『マドンナのスーザンを探して』(1985年)などコメディで抜群の冴えを見せるロザンナ・アークエット。フランス語訛りのヘンなセリフ回しが最高におかしい。そんな彼女とは対照的に、『スピーシーズ 種の起源』(1995年)のエイリアン役でお馴染みのナターシャ・ヘンストリッジがフィルム・ノワール的なクール美女シンシアになりきってみせる。 とはいえ、女優陣のMVPはジルを演じたアマンダ・ピートだろう。リアルタイムで本作の彼女を観たときの衝撃ときたら無かった。テレビにはそこそこ出演していたものの、それまで映画で大きな役をひとつも演じたことが無かった彼女は本作でも病院の受付嬢という一見チョイ役で登場する。だが濃すぎる顔立ちは存在感がありすぎるし、セリフは非常識なものばかり。 「彼女は一体何者なんだ?」そんな疑問が観客の中にじわじわ湧き上がっていき、それが沸点に達した瞬間に正体が明かされる。何とジルの正体はテュデスキを崇拝する殺し屋志望の女子だったのだ。映画後半の彼女の大活躍ぶりは、大スターのウィリスとペリーのそれを霞ませるほどのもの。こんな美味しい役をブレイク前の若手女優に与えた本作の製作陣にはどれほど賞賛を送っても送り足りないと思う。 本作でブレイクしたピートは、血も涙もないサイコな悪女に扮した『マテリアル・ウーマン』(2001年)でジェイソン・ビッグス、ジャック・ブラック、スティーブ・ザーンという3人のコメディ男優を向こうに回して映画を引っ張りまくり、『17歳の処方箋』(2002年)でもキーラン・カルキン扮する主人公を翻弄するフリーダムな女子を怪演。コメディ女優として一時代を築いたのだった。2006年に『ゲーム・オブ・スローンズ』のショーランナー、デイヴィッド・ベニオフと結婚して以降は上昇志向が収まったのか、普通の演技派女優になってしまったのがコメディ好きとしては本当に残念である。というわけで、映画ファンは、本作の続編『隣のヒットマンズ 全弾発射』(2004年)を含めて、この時期ならではのギラギラしたアマンダ・ピートの魅力に脳天を撃ち抜かれてほしい。 WHOLE NINE YARDS, THE © 2000 METRO-GOLDWYN-MAYER DISTRIBUTION CO.. All Rights Reserved