今回紹介する2011年の英米合作『ジェーン・エア』の日本公開当時の配給会社の資料によれば、過去に18回映画化され、9回TVドラマ化されているという。あらかじめ筆者が把握していたのは10本にも満たなかったので、これは驚くべき回数だ。そのうち現在、比較的容易にDVDを入手できるのは4作品程度らしい。
簡単にストーリーをおさらいしておこう。主人公は幼くして孤児となり、伯母のリード夫人とそのワガママな子供たちに虐げられて育ったジェーン・エア。9歳の時に寄宿学校に預けられた彼女は、そこでヘレンという初めての親友とめぐり合うが、ヘレンは結核に蝕まれて死亡してしまう。やがて成長して教師になったジェーンは、家庭教師として人里離れたソーンフィールドの屋敷に赴き、ニヒルな主のロチェスター卿からのプロポーズを受けるが、結婚式当日に彼の忌まわしい秘密が明らかになる…。
先述した古典の映画化における“新鮮味の欠如”を打破する手っ取り早い手段は、原作を独自の新しい視点で解釈できる作り手を起用することだ。鬼才バズ・ラーマンがシェイクスピア悲劇を大胆に現代化した『ロミオ&ジュリエット』(1996)は極端な例だとしても、製作当時まだ30代前半の新人だったジョー・ライト監督がジェーン・オースティンの「高慢と偏見」をこのうえなくみずみずしく、なおかつ情熱的に映画化した『プライドと偏見』は、幅広い観客層を魅了して文芸映画のジャンルに新風を吹き込んだ。その点、28回目の映像化となる最新版『ジェーン・エア』のメガホンを託されたのはケイリー・ジョージ・フクナガ。不法移民たちの列車による中米横断の旅を紡ぎ上げたロードムービー『闇の列車、光の旅』(2009)で上々のデビューを飾り、最近ではマシュー・マコノヒー、ウディ・ハレルソン主演のクライム・ミステリー「TRUE DETECTIVE/二人の刑事」(2014/スターチャンネルで放映されたTVミニ・シリーズ)でも並々ならぬ実力を示した日系アメリカ人の気鋭監督だ。
結論から言えば、これは見逃し厳禁の傑作である。筆者は原作の愛読者ではないので、どのエピソードがはしょられたとか、どの場面が小説のイメージに合わないといった見方はできないが、画面に映る何もかもがすばらしい、とさえ主張したくなるほどスリリングで、極めて美しいラブ・ストーリーに仕上がっている。
女性にとって自由恋愛など夢のまた夢だったヴィクトリア朝のイギリスで、幾多の苦難に見舞われようとも自らの意思を貫き通したヒロインの波瀾万丈の物語。今の時代にふさわしく、ジェーンの自立心と自尊心、自由への渇望が強調されているが、フェミニズム臭はまったく匂わない。そうした女性映画としてのテーマ性よりも本作を強烈に特徴づけているのは、ジェーンの幸せ探しの道のりを緊迫感みなぎるスリラー映画のように、ここぞという場面ではホラー映画のようにヴィジュアル化していることだ。もともとブロンテの原作はゴシック・ロマン的な要素をはらみ、ヒッチコックの『レベッカ』と重なる部分も多い。実際、オーソン・ウェルズがロチェスター、ジョーン・フォンテインがジェーンを演じた1944年のハリウッド版(監督はロバート・スティーブンソン、音楽はバーナード・ハーマン!)のモノクロ映像には濃厚な怪奇ムードが宿っていた。しかしながら、まさかゴシック・ホラー的エッセンスにこの物語の本質を見出し、そのアプローチを本格的に実践した『ジェーン・エア』が21世紀に出現するとは!
最も主要な舞台となるソーンフィールド邸は、その幽玄なる外観からして“館”というより“古城”と呼ぶのがふさわしく、鉛色の空や霧に煙る森と相まって、ただならぬ妖気を漂わせる。屋敷内には夜な夜な不気味な音が響き、何者かの気配を感じたジェーンはロウソクの灯りを頼りに、暗黒の迷路のごとき廊下をさまよい歩くはめになる。現存する17~18世紀の建造物を借用したロケーション、映像の彩度を抑えて寒々しいムードを醸造した撮影、窓辺のカーテンの揺れ方ひとつとっても秀逸な美術、どれもがハイレベルだ。あからさまにサスペンスを煽らず、ジェーンの感情に寄り添うような哀切の調べを奏でるダリオ・マリアネッリのピアノ音楽もいい。
叫びたくなるほどの恐怖を健気にのみ込み、おそるおそる真実を確かめようとする主演女優ミア・ワシコウスカの震えを帯びた演技も最高だ。筆者はかねてからこの可憐で、幸薄げな貌立ちのオーストラリア人女優をホラー向きとにらんでいたが、まさにこの映画ではワシコウスカの“見かけは弱々しいのに、やけに辛抱強い”特性が見事に生かされている。勝ち気で知的なジェーンのことが好きでたまらないくせに皮肉や挑発を連発し、事あるごとにつらく当たるロチェスター役のマイケル・ファスベンダーもはまり役。どうしようもなく素直になれない男女の屈折と禁欲が、そこはかとなく官能的なニュアンスに結実している点も見逃せない。
スタッフ一丸となって陰鬱なトーンを生み出した本作において最もロマンティックな描写は、春の庭園を歩くジェーンを追いかけたロチェスターが、ついに「一生そばにいておくれ」と求愛するシーンだ。初めてのキスの歓びに陶酔するふたりの姿を、魅惑的な光と風の自然現象がいっそう輝かせる。ところが筆者はギョッとせずにいられなかった。この幸福感が満ちあふれたショットには、不吉なことに墓場がさりげなく映り込んでいるのだ! いや、ふたりの背景の遠くに見えるただの石碑のような物体を、筆者が墓石と錯覚しただけなのかもしれないが、本作を初めて鑑賞したときに「やはりこの男と女は呪われている!」と衝撃を受けた忘れがたき場面なのである。
また、文芸ロマンの枠組みを保ちながら、フクナガ監督のゴシック・ホラー的要素を重んじたアプローチは、ブロンテの原作にもある超自然的な“声”のエピソードにも説得力を与えている。映画の終盤、荒涼とした原野で牧師セント・ジョンからの求愛を断ったジェーンは、どこからともなく聞こえてくるロチェスターの「……ジェーン」という呼びかけに応じ、あらゆる迷いをふりきってソーンフィールド邸をめざす。この妄執による幻聴とも超常現象ともとれるスピリチュアルなシーンが、映画全体の中で浮くことなく、むしろ生々しい切迫感をもって描かれていることに感服する。
そしてジェーンとロチェスターが再会を果たすエンディング。雨も風もやみ、柔らかな自然光だけで撮られたであろうこのシーンは、ついにふたりが呪いから解き放たれたことを慎ましくも感動的に伝えてくるのだ。■
© RUBY FILMS (JANE EYRE) LTD./THE BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2011.