今はIKEAがあるあたりだ。バブル崩壊から数年後、当時はバブルの徒花の巨大屋内スキー施設が建っていて、深夜にはそのシルエットが黒々と天高くそびえ、不気味だった。ふもとは港湾倉庫街。二浪が確定し、終夜バイトをしていたオレ。人生ドン詰まり感、世に出れない焦燥感を抱きながら、海からの寒風吹きすさぶスキー施設の足元を、M-65の襟を立て、バイト先の倉庫まで週6日通った。なんだか解らんが何かに凄まじくムカついてたオレは、トラヴィスにおのれを重ねながら、何十回もこの映画を観た。家ではパッチン腕立てと東京ガスで鉄拳焙りをしてたのは言うまでもない。厨二ではなく二十歳の頃の話だ。そのおかげか、今どうにかこんな仕事で喰えてる。M-65は黄緑に色褪せたが、20年来オレのバディであり続けてくれてる。で、だ若者よ!不景気と閉塞感に窒息しそうな今日の若者よ!とりあえず、M-65を着なさい。全てはそこからだ。そしてトラヴィスを胸に、とりあえずパッチンと東京ガスをしながら、雌伏の今日を生きるのだ!そのうちなんとかなるだろう。

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