COLUMN & NEWS
コラム・ニュース一覧
-
COLUMN/コラム2019.12.26
なぜハル・ハートリーはクラウドファンディングをするのか? ~新作プロジェクト『WHERE TO LAND』に寄せて~
ハル・ハートリーが現在、2014年の『ネッド・ライフル』以来となる新作長編プロジェクト『WHERE TO LAND』を立ち上げて、クラウドファンディングを募っている。『ネッド・ライフル』もクラファンで製作費を集めた作品であり、つまりハートリーは2作続けて、映画ファン個人の出資によって新作を届けようとしているのだ。まさに“インディペンデントの権化”の通り名(勝手に付けた)に偽りなしである。 今年でデビュー30周年、還暦も迎えたハートリーだが、大手スタジオにファイナルカット(最終編集権)を明け渡す気がさらさらないのは1989年のデビュー作『アンビリーバブル・トゥルース』の時から変わっていない。『アンビリーバブル~』はミラマックス社が全米配給し、悪名高きハーヴェイ・ワインスタインから「お色気シーンを増やせ」と要求されたが、ハートリーは断って皿を投げつけられたらしい。 実は2000年頃、ハートリーが最も大手スタジオと接近したことがある。ユナイテッド・アーティスツの製作で『No Such Thing』(01、日本未公開)を監督したのだ。主演は当時注目の若手だったサラ・ポーリー。ジュリー・クリスティやヘレン・ミレンのような大女優も参加し、ハートリーにとって間違いなく大きな飛躍のチャンスだった。 しかしユナイテッド・アーティスツ側はもっとキャッチーな作品に手直しするようにと再編集を要求し、ハートリーはまたもはねつけた。結果、映画は一年間お蔵入りにされた後、ろくに宣伝もされず申し訳程度に限定上映されて、実質的に葬られた。ハートリー自身は「でも監督料はちゃんともらえたよ」と冗談めかして語っているが。 ハートリーが『No Such Thing』の顛末についてはらわたが煮えくり返るような怒りを表明したりはしていない。しかし以降のハートリーは、ファイナンスも含めて自分自身でコントロールできる範囲で活動するようになる(例外的に、旧知の仲であるグレゴリー・ジェイコブズがクリエイターを務めた青春ドラマ「レッド・オークス」ではエピソード監督は引き受けている)。 もちろん、自分が書きたいように脚本を書き、撮りたいように撮り、自分が望む形に仕上げるというフィルムメイカーにとっては夢のような状況は簡単に実現したりはしない。ハートリーはあくまでもそれが実現可能な規模で映画作りができればいいと腹をくくり、直接ひとりひとりの観客と繋がるクラウドファンディングを始めたのだ。 インディーズ映画というカテゴリーの中でも非常に小さな商いだが、少なくとも創作の自由は確保できる。今回『WHERE TO LAND』のために集めようとしている目標額3300万円についても、「予算は多いに超したことはないけれど、“いい映画”を作るには十分な額だよ」と語っている。いじらしい理想主義者と取るべきか、頑固な偏屈者と取るべきか。 “理想主義を掲げる偏屈者”は、ハートリーの映画にしばしば登場するおなじみの人物像でもある。ハートリーの作品も、どれも理想と現実との軋轢を描いていると言える。そしてハートリーは、年齢を重ねて現実と折り合いをつけながらも、決して理想を手放すまいとしているように見えるのだ。 前置きが長くなったが、新作プロジェクトの『WHERE TO LAND』は、理想と現実に間で揺れながら、魂は売り渡すまいと踏ん張ってきたハートリーのキャリアの総括のような作品になる。断言できるのは、いち早く脚本を読む機会を得たからなのだが、ハートリーがいかに成熟を遂げ、それでいて30年前と同じ純粋さを失っていないことを、軽やかなコメディとして伝えてくれる120%ハートリー印の作品ができるはずだ。 すでに出演を表明しているのは『シンプルメン』のビル・セイジ、ロバート・ジョン・バーク、エリナ・レーヴェンソン、《ヘンリー・フール・トリロジー》のパーカー・ポージーらで、ファンには旧知の顔ぶれが再結集することになる。ただし最大の難関は、低予算のインディーズ映画とはいえ一般人の有志だけで3300万円を集めるのは容易ではないこと。正直、この原稿を書いている時点で募集金額の達成にはまだ遠い。 しかし「ハル・ハートリーの新作」が実現することは、ただファンのためだけでなく、インディペンデントムービー全体にとっても大きな勝利であるはずだ。なにせハートリーは“インディペンデントの権化”なのだから。■ 主演のビル・セイジ 2019年11月撮影/Bill Sage at Possible Films, Nov. 2019 ©POSSIBLE FILMS, LLC
-
COLUMN/コラム2019.12.04
ティム・バートンがリメイクしたホラー・コメディのルーツを探る!
監督ティム・バートン×主演ジョニー・デップという黄金コンビの顔合わせで、200年の時を経て現代へ甦ったヴァンパイアの巻き起こす珍騒動を描いたホラー・コメディ『ダーク・シャドウ』(’12)。本作がかつてアメリカで一世を風靡したソープオペラ(昼帯ドラマ)「Dark Shadows」の映画版リメイクであることはご存じの映画ファンも少なくないと思うが、しかし残念ながら日本では未放送に終わっているため、オリジナルのテレビ版がどのような作品だったのかは殆ど知られていないのが実情だろう。 それでも一応、テレビ版のストーリーを再構築した劇場版として、リアルタイムで制作された映画『血の唇』(’70)および『血の唇2』(’71)は日本でも見ることが出来る。とはいえ、どちらも劇場用に新しく撮り直しをしたリブート版であり、キャストの顔ぶれこそテレビ版を踏襲しているものの、設定は改変されているし、演出スタイルも劇場用モードに切り替わっているので、必ずしもテレビ版の雰囲気や魅力をそのまま伝えるものではない。そこで、まずは原点であるテレビ版「Dark Shadows」の詳細から振り返っていこう。 伝説のゴシック・ソープオペラ「Dark Shadows」とは? ‘66年6月27日から’71年4月2日まで、全米ネットワーク局ABCの昼帯ドラマとして放送された「Dark Shadows」は、今も昔も王道的なメロドラマで占められる同時間帯にあって、『嵐が丘』や『ジェーン・エア』を彷彿とさせるゴシック・ロマン・スタイルを全面に押し出した唯一無二の作品だった。企画・製作を担当したのは、『凄惨!狂血鬼ドラキュラ』(’73)や『残酷・魔性!ジキルとハイド』(’73)などテレビ向けのホラー映画を幾つも生み出し、劇場用映画としては幽霊屋敷物の佳作『家』(’76)を手掛けたダン・カーティス監督。もともとカーティスはプライムタイム向けの企画としてテレビ局幹部にプレゼンしたのだが、当時3大ネットワークで最も昼帯ドラマの視聴率が弱かったABCは、いわば現状打破するための起爆剤として、本作を月曜~金曜までの週5日間、昼間の時間帯に放送される30分番組としてピックアップしたのだ。 ただし、当初はそれこそ『嵐が丘』の系譜に属する純然たるゴシック・ロマンで、後に本作のトレードマークとなるスーパーナチュラルな要素は皆無だった。だが、放送開始から2ヶ月経っても3ヶ月経っても視聴率は低迷したまま。番組の打ち切りも囁かれ始めた頃、カーティスは思い切った勝負に出る。ドラマに幽霊や魔物を登場させたのだ。ここから徐々に視聴率が上り調子となるものの、しかしまだ決め手に欠ける。そこでカーティスが切り札として用意したのが、200年の時を経て蘇った孤高の吸血鬼バーナバス・コリンズだった。このバーナバスの登場によって番組の人気に火が付き、それまで4%台だった視聴率も一気に倍へと跳ね上がった。中でもカーティスやネットワーク局にとって嬉しい誤算だったのは、昼帯ドラマとしては異例とも言える若年層への人気拡大だ。 とういうのも、中部標準時間で午後3時、東部標準時間では午後4時から放送されたこの番組、ちょうど子供たちが学校から帰宅する時間帯に当たったのである。通常、この時間帯はテレビを付けても子供たちが楽しめるような番組は殆どない。しかし実は、そこにこそ想定外のニッチなマーケットが存在したのだ。吸血鬼やら幽霊やら魔女やらが登場する番組のホラー風味はたちまち若年層のハートを捕え、劇場版の制作はもとよりノベライズ本やコミック本、ボードゲームにジグソーパズルなどの関連商品も発売されるほどのブームを巻き起こす。さらには、サントラ盤LPが全米アルバムチャートのトップ20内にランキングされるという、テレビドラマとしては史上初の快挙まで成し遂げた。ただ、この若年層における人気が結果的に番組の弱点ともなる。なぜなら、当時のテレビ業界において昼間の時間帯のスポンサーは、主婦層向けの家庭用品メーカーや食品メーカーが主流。若年層の視聴者が中心の「Dark Shadows」はスポンサー企業のニーズと合致せず、テレビ局はCM枠を埋めるのに苦労した。そのため、’68~’69年のシーズンをピークに視聴率が下がり始めると、たちまちキャンセルが決まってしまったのである。 さて、放送期間およそ4年、総エピソード数1225本という、気の遠くなるほど膨大なストーリーから、重要な要素だけをかいつまむと以下のようになる。 ①メイン州の古い港町コリンズポート。その郊外に広大な屋敷コリンウッドを所有する由緒正しいコリンズ家の家庭教師として、身寄りのない女性ヴィクトリア(アレクサンドラ・モルトケ)が着任する。女主人エリザベス(ジョーン・ベネット)を筆頭に、愛憎の入り混じる複雑な事情を抱えたコリンズ家の人々。謎めいた前科者バーク(ライアン・ミッチェル)やウェイトレスのマギー(キャスリン・リー・スコット)と親しくなるヴィクトリアだったが、やがてエリザベスの弟ロジャー(ルイス・エドモンズ)を巡る暗い秘密が明らかとなっていく。さらに、コリンズポートで殺人事件が発生。犯人に捕らえられたヴィクトリアを救ったのは、200年前に自殺した令嬢ジョゼットの幽霊だった。 ②コリンズ家を脅迫していた男ウィリー・ルーミス(ジョン・カーレン)が、先祖の遺体と一緒に埋葬された宝石類を盗もうとコリンズ家の霊廟を暴いたところ、200年前に死んだ吸血鬼バーナバス・コリンズ(ジョナサン・フリッド)を蘇らせてしまう。イギリスからやって来た親戚を装ってコリンズ家に接近し、自分の下僕にしたウィリーを手足として使うバーナバスは、たまたま見かけたマギーに一目で心を奪われてしまう。200年前に自殺した恋人ジョゼットと瓜二つだったからだ。マギーを自分と同じ吸血鬼に変えようとするバーナバスを、ヴィクトリアやエリザベスの娘キャロリン(ナンシー・バレット)が阻止。正気を失ったマギーの治療を任された医師ジュリア(グレイソン・ホール)は、吸血鬼の治療法を探ってバーナバスを人間に戻そうとする。 ③交霊会の最中にヴィクトリアが忽然と姿を消す。気が付いた彼女は、1795年のコリンウッドで家庭教師となっていた。まだ吸血鬼になる前のバーナバスは、恋人ジョゼット(キャスリン・リー・スコット)との結婚を控えていたのだが、これに嫉妬を燃やしていたのがジョゼットの召使アンジェリーク(ララ・パーカー)。実は強大な力を持つ魔女であるアンジェリークは、秘かに横恋慕するバーナバスとジョゼットの結婚を邪魔するべく、様々な呪いを駆使するものの失敗。そこで彼女はジョゼットを自殺へ追い込み、バーナバスを吸血鬼へと変えてしまう。 ④辛うじて現代へ戻ってきたヴィクトリア。すると今度はロジャーが姿を消し、カサンドラ(ララ・パーカー)という女性と再婚してコリンウッドへ帰還する。そのカサンドラの正体が魔女アンジェリークであると一目で気付くバーナバスとヴィクトリア。アンジェリークはバーナバスに復讐するべく再び呪いをかけようとする。 ⑤1897年へタイムスリップしたバーナバス。イギリスから訪れた親戚を装い、コリンズ家の若き跡継クエンティン(デヴィッド・セルビー)に接近するバーナバスだが、彼の正体に気付いたクエンティンは魔女アンジェリークを復活させる。さらには、フェニックスの化身ローラまで登場し、コリンウッドは次から次へと危機に見舞われることに。さらに、クエンティンはアンジェリークの呪いで狼男となってしまう。 ⑥パラレルワールドの現代へ迷い込んでしまったバーナバス。そこではクエンティンがコリンウッドの当主で、前妻アンジェリークと死別した彼はマギーと再婚する。また、ウィリーは売れない作家でキャロリンと結婚していた。吸血鬼として処刑されかけたバーナバスを、現実世界から現れた医師ジュリアが救出し、全ては魔女アンジェリークの企みだと明かす。 ⑦1995年へタイムリップしたバーナバスと医師ジュリアは、ジェラルド・スタイルズという幽霊の呪いでコリンズ家が滅亡したと知る。1970年へ戻った2人は、現代に輪廻転生したクエンティンと一緒に呪いを食い止めようとするものの失敗。辛うじて1840年へ逃げたバーナバスとジュリアは、この時代のクエンティンに復讐を企てる魔法使いザカリーが呪いの元凶と気付くが、そんな彼らの前に再び魔女アンジェリークが立ち塞がる。 …とまあ、ザックリとしたポイントを要約しただけでも、テレビ版「Dark Shadows」がどれだけ荒唐無稽かつ奇想天外なドラマであったかがお分かりいただけるだろう。脚本のセリフも大袈裟なら役者の演技も大袈裟。しかも、週5日放送のタイトなスケジュールであるため、撮影は基本的にワンテイクで済ませたため、セリフを間違えたり小道具が落下したりなどのハプニングもそのまま残されている。ストーリーが大真面目であればあるほど、意図せずして笑えるシーンが少なくない。それがまた、番組のカルトな人気に拍車をかけたものと思われる。 オリジナルのエッセンスを拡大解釈した映画版リメイク そんな往年の人気ドラマを21世紀に映画として復活させたティム・バートン監督の『ダーク・シャドウ』は、あえてオリジナルの「意図せずして笑える」という要素に焦点を絞ることで、いわばパロディ的なテイストのホラー・コメディとして仕上げている。そこがアメリカでも大きく賛否の分かれたポイントと言えるだろう。 物語は18世紀から始まる。水産会社を経営する大富豪の家庭に生まれ、イギリスからアメリカへ移住して育ったバーナバス・コリンズ(ジョニー・デップ)。しかし、火遊びをしたメイドのアンジェリーク(エヴァ・グリーン)が実は魔女で、その呪いによって最愛の恋人ジョゼット(ベラ・ヒースコート)は自殺を遂げ、バーナバス自身も吸血鬼に変えられて生きたまま地中へ埋められてしまう。 それから200年後の1972年。ある秘密を抱えた女性マギー・エヴァンズ(ベラ・ヒースコート)は、ヴィクトリア・ウィンターズと名前を変えてメイン州のコリンズポートへと到着し、今はすっかり没落したコリンズ家の家庭教師となる。その頃、近隣の森で工事業者が土地を掘り起こしていたところ、偶然にもバーナバスを復活させてしまった。初めて見る電光掲示板や車に戦々恐々としつつ、変わり果てた我が家コリンウッドへと戻ってくるバーナバス。召使ウィリー(ジャッキー・アール・ヘイリー)に催眠術をかけた彼は、イギリスから来た親戚としてコリンズ家に身を寄せることとなる。 コリンズ家の末裔は誇り高き女主人エリザベス(ミシェル・ファイファー)と不肖の弟ロジャー(ジョニー・リー・ミラー)、エリザベスの反抗的な娘キャロリン(クロエ・グレース・モレッツ)、そして母親を亡くして情緒不安定なロジャーの息子デヴィッド(ガリー・マグラス)。さらに、主治医ジュリア・ホフマン(ヘレナ・ボナム・カーター)が同居している。早々に自らの素性をエリザベスだけに明かしたバーナバスは、秘密の隠し部屋に眠る財宝を元手にコリンズ家の再興を計画。ところが、そんな彼の前に立ちはだかるのが、今や町を牛耳る女性経営者となった不老不死の魔女アンジェリークだった…! オリジナル・ストーリーにおける①~③の要素を融合し、独自の設定を加味しながら2時間以内にまとめ上げた本作。最大の特徴は、オリジナル版のキャラ、マギーとヴィクトリアを1人に集約させている点であろう。キャロリンが実は狼人間だったという設定は、オリジナル版のキャロリンが狼男クリスと交際するというサブプロットに、⑤で描かれた祖先クエンティン・コリンズの運命を融合させたもの。ウィリーがコリンズ家の召使となっているのは、映画版『血の唇』で採用された新設定を踏襲している。テレビ版では最後まで活躍する名物キャラの女医ジュリアが、バーナバスを裏切って報復されるという流れも、『血の唇』で改変された新設定をなぞったものだ。そのほか、オリジナル版ではフェニックスの化身という魔物だったデヴィッドの母親が本作では息子を守る幽霊に、生まれ変わりを繰り返していたアンジェリークが不老不死にといった具合で、こまごまと変更された設定は枚挙にいとまない。 溢れ出んばかりの家族愛に燃えるバーナバスが、かつての栄光を再びコリンズ家にもたらすべく、一族の宿敵である魔女アンジェリークと壮絶な戦いを繰り広げるというのが物語の主軸だが、やはり最大の見どころは20世紀の現代社会についていけない時代遅れな吸血鬼バーナバスの巻き起こす珍騒動、そのバーナバスとアンジェリークによるトゥー・マッチな愛憎ドラマの生み出すシュールな笑いだ。お互いの持つ魔力がぶつかり合い、部屋中を破壊しまくる濃密(?)なラブシーンなどはその好例。善と悪の魅力を兼ね備えたバーナバスのキャラを含め、オリジナル版の拡大解釈とも呼ぶべきコミカルな味付けは、確かに賛否あるのは当然だと思うものの、しかしティム・バートン監督がテレビ版のカルト人気の本質をちゃんと見抜いた証だとも言える。 なお、オリジナル版の熱狂的なファンで、本作の監督にバートンを推薦したのが主演のジョニー・デップ。エリザベス役のミシェル・ファイファーも番組のファンで、リメイク版の企画を知ってすぐに自らをバートン監督へ売り込んだという。また、アリス・クーパーもゲスト出演するパーティ・シーンでは、オリジナル版のバーナバス役ジョナサン・フリッド、アンジェリーク役ララ・パーカー、クエンティン役デヴィッド・シェルビー、マギー役キャスリン・リー・スコットがカメオ出演。「お招きどうも」と挨拶して来場する男女4人が彼らだ。 ‘91年にリメイク版が全米放送されて話題となった「Dark Shadows」。’04年にも新たなリメイク版シリーズの企画が立ち上がり、パイロット版まで制作されたがお蔵入りとなった。生みの親ダン・カーティスは’06年に亡くなり、バーナバス役ジョナサン・フリッドも映画版完成の直後に急逝。当初予定された映画版の続編企画は立ち消えたが、先ごろワーナー・テレビジョンがオリジナル版の続編シリーズ「Dark Shadows: Reincarnation」の制作を発表したばかりで、シリーズのレガシーはまだまだ今後も続きそうだ。■ 『ダーク・シャドウ』© Warner Bros. Entertainment Inc.
-
COLUMN/コラム2019.12.04
映画『ドリームガールズ』で、“夢”をつかんだ女、“夢”を見せてくれた男
本作『ドリームガールズ』(2006)のベースとなったのは、同名のブロードウェイ・ミュージカルである。原案・振付・演出を手掛けたのは、「コーラスライン」などで知られるマイケル・ベネット。1981年12月20日に、幕開けとなった。 その翌日、「ニューヨーク・タイムズ」に載った劇評は、次の通り。「ブロードウェイの歴史が作られるときは、客席にいても肌で感じられるものだ。それが、昨晩インペリアル・シアターで現実になったことを、私は報告したい」 激賞された「ドリームガールズ」は大ヒットとなり、翌82年の「トニー賞」では13部門にノミネートされ、6部門を受賞。その後85年まで、4年間のロングラン公演となった。 これだけの評判となった舞台である。ハリウッドからの“映画化”のオファーも多々あったと見られるが、映画会社の「ドリームワークス」創始者の1人で、『ドリームガールズ』の権利を持つデヴィッド・ゲフィンが、ヘタな“映画化”は「伝説的なショーとマイケル・ベネット(1987年に44歳で死去)の素晴らしい遺産を汚すことになりかねない」として、なかなか首を縦に振らなかった。 ゲフィンの心を動かしたのは。プロデューサーのローレンス・マークと、監督のビル・コンドン。ブロードウェイでのオープニング当日、後方の席で鑑賞していて「忘れがたい体験」をしたというコンドンによる、“映画化”へのアプローチは、ゲフィンから「やってみるべきだな」という一言を引き出した。 やはりブロードウェイの大ヒットミュージカルの“映画化”だった『シカゴ』(02)の脚本を担当し、オスカーを獲得したコンドンが語る、ミュージカルの舞台を映画にする上で「大切なこと」の一つは、「歌の間もストーリーは止めない」こと。映画の流れを止めて、出演者に歌うことだけをさせてしまうと、その曲が気に入らなかった観客は、歌が終わるまで置いてけぼりになってしまう。「歌の最初と最後で何かが変わっていなければいけない」というのが、コンドン流ミュージカル映画の演出法というわけだ。こうしたアプローチを基本にしつつ、本作の“映画化”に当たっては、マイケル・ベネットが残したものに「忠実であること」を、いつも心に留めていたという。 さてショービジネスの世界を描いた本作のストーリーが、「モータウン・レコーズ」とその関係者をモデルにしているのは、あまりにも有名な話。「モータウン」は、1960年代から70年代に掛けて、ソウルミュージックやブラックミュージックを世に広く伝播させる役割を果たした、伝説的なレコード・レーベルである。 本作では、「モータウン」ならぬ「レインボー・レコード」が、伝説的な音楽プロデューサーの“ベリー・ゴーディ・Jr”ならぬカーティス・テイラー・Jrによって、興隆の日を迎える姿が描かれる。実際のベリー・ゴーディ・Jrが、マーヴィン・ゲイ、スティービー・ワンダー、テンプテーションズ、コモドアーズ、そしてマイケル・ジャクソン等々、ブラックミュージックの数多のアーティストを発掘し、スターへと育てたように、劇中のカーティス・テイラー・Jrも、きらびやかなスター達を、何組も生み出していく。 そんな中で、本作の主軸となるアーティストは、「ザ・ドリームズ」。モデルは、3人組の女性ヴォーカル「ザ・シュープリームス」である。60年代中盤から後半に掛けて一時代を築き、「ビートルズと対抗できるのは、シュープリームスしか居ない」とまで言われた伝説のグループは、メインヴォーカルとして、後にブラックミュージックの大御所的な存在となる、ダイアナ・ロスを擁していた。 そんなこともあって、本作製作に当たっては、ベリー・ゴーディ・Jrに当たる“カーティス・テイラー・Jr”役と、アメリカで最も成功した黒人女性歌手の1人と言われる、ダイアナ・ロスに当たる“ディーナ・ジョーンズ”役を誰が演じるかに、大きな注目が集まった。そしてテイラーは、ジェイミー・フォックス、ディーナは、ビヨンセ・ノウルズが演じることとなった。 当時のジェイミー・フォックスは、『Ray/レイ』(04)で、“ソウルの神様”レイ・チャールズを演じて、アカデミー賞主演男優賞を獲得。シドニー・ポワチエ、デンゼル・ワシントンに続く、黒人俳優としては史上3人目の快挙を成し遂げたばかりで、正に上り調子であった。そのためギャラが高騰し、本作では1,500万ドルを要求したため、危うく出演がチャラになってしまう寸前だったという。 しかし結局テイラー役を演じることになったのは、ジェイミーがギャラのダンピングに応じたためである。なぜ彼が折れてまで、本作に出演したのか?その理由は後述する。 ディーナ役のビヨンセに関しては、説明するまでもないかも知れぬが、90年代からR&Bグループ「デスチャ」こと「デスティニーズ・チャイルド」のリードヴォーカルとして人気を博してきた、“ディーバ=歌姫”。女性ヴォーカルの4人組としてスタートし、内部でのイザコザでメンバーチェンジなどもあった「デスチャ」が、「シュープリームス」と重なる部分もあって、このキャスティングも大きな話題となった。 しかし実際に本作が公開となって、主演格のジェイミーやビヨンセ以上に注目を集めたのは、“助演”の2人だった。ジェニファー・ハドソンとエディ・マーフィーである。 ハドソンが演じたのは、「ザ・ドリームズ」の前身グループの頃から、パワフルな歌唱力でリードヴォーカルを務めていたエフィー役。主なモデルは、「シュープリームス」のメンバーだった、フローレンス・バラードとされる。 エフィーは、「ザ・ドリームズ」がメジャー路線に乗る際に、プロデューサーのテイラーによって、リードヴォーカルからバックへと回されてしまう。その上で、愛し合っていた筈のテイラーの視線が、リードヴォーカルとなったディーナに釘付けになっているのにも気付き、荒れてトラブルを起こすようになる。やがて「ザ・ドリームズ」を放逐されたエフィーは、波乱の人生を送ることになるが…。 ハドソンはこのエフィー役を、全米各地で6カ月間、780人以上を対象としたオーディションを勝ち抜いて、ゲットした。元々彼女は、有名な公開オーディション番組「アメリカン・アイドル」の“負け組”だったが、25才で得たこのエフィー役で、大ブレイク!主要映画賞の“助演女優賞”と“新人俳優賞”を総なめし、遂にはアカデミー賞の“最優秀助演女優賞”まで手にするに至った。 本作がデビュー作だったハドソンは、類いまれなる歌声を武器に、既にスーパースターだった主演のビヨンセを、見事に「喰ってしまった」わけである。ハドソンは本作の2年後の2008年には、歌手としてのデビューアルバムで、「ビルボード」誌のR&B/ヒップホップ・チャート第1位を獲得している。正に『ドリームガールズ』によって、夢を掴んだわけである。 ハドソンの“スター誕生”物語の一方で、長年スーパースターでありながらも、演技の面では、本作で初めて高く評価をされたと言えるのが、エディ・マーフィー。 エディは弱冠21歳にして、『48時間』(82)に出演以来、『大逆転』(83)『ビバリーヒルズコップ』シリーズ(84~)などで瞬く間にスターダムにのし上がった。一時期の低迷を経て、90年代後半には、『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』(96)や『ドクター・ドリトル』(98)など、特殊メイクを駆使したコメディで、人気が復活。『ムーラン』(98)や『シュレック』シリーズ(00~10)などで、声優としても高い評価を勝ち得ていった。しかしながら出演作品のジャンルやクオリティーなどもあって、その実力は不当なまでに、低く見られてきた感が強い。 本作で彼が演じたジェームズ“サンダー”アーリーは、誰か1人のアーティストをモデルにしたというわけではなく、リトル・リチャードやジェームス・ブラウン、サム・クック、ジャッキー・ウィルソン、ウィルソン・ピケット、マーヴィン・ゲイ等々の、ブラックミュージックの様々なレジェンド達にインスパイアされて出来上がったキャラクターと言える。ステージ上で圧倒的なパフォーマンスを見せつつ、オフ・ステージでは陽気に振舞いながらも、苦悩や寂寥感も滲ませて、やがてドラッグに溺れていく…。 ビル・コンドン監督は、オーディションで選んだハドソンとは対称的に、この役についてははじめからエディ一択で、他の俳優の起用は考えられなかったという。実はこのキャスティングは、本作に思わぬ成果をもたらしている。先に記した通り、高額ギャラを要求したために出演が取り止めになりかけたジェイミー・フォックスが、「エディが出演する」旨を耳にした途端に、態度を一変。憧れのエディと共演出来るならと、1,500万ドルだった提示額を引っ込め、出演が無事決まったのである。 ジェイミーにとっては、それほど「偉大な存在であった」エディーは、思えばまだ十代の頃に、TVの「サタデー・ナイト・ライブ」で、ジェームス・ブラウンのものまねを、見事にやってのけている。また、映画デビュー作の『48時間』では、のっけから歌声を披露していた。刑務所に収監されている囚人の彼が、ポリスの「ロクサーヌ」を絶叫しているのが、もはや「伝説」ともなっている、スクリーン初登場の瞬間である。 そんなエディーが、ブロードウェイ発の“A級”作品とも言える本作で、持てるポテンシャルを遺憾なく発揮した。ハドソンと並んで、ゴールデングローブ賞などの“助演男優賞”をゲットしたのは、至極当たり前の結果とも言える。 その勢いでハドソン同様、オスカーも手にするかと思いきや、この年度の“最優秀助演男優賞”は、『リトル・ミス・サンシャイン』のアラン・アーキンへと渡った。エディーは「唯一無二(!?)」のチャンスを惜しくも逃した。本人も相当なショックを受けたと、言われている。 余談になるがその後、2012年にエディは、“アカデミー賞”の司会を務めることが決まっていた。しかしこの年のプロデューサーだったブレット・ラトナー監督が、同性愛者への差別発言で降板を余儀なくされたのに伴い、エディも司会を降りるに至った。しみじみと、エディと“アカデミー賞”は、縁がないのかも知れない。 『ドリームガールズ』で一世一代の名演を見せた以降は、出演作品が再び「パッとしない」傾向に陥ったエディ。最近何度目かの“攻勢”の時を迎えたようで、今年Netflixで製作・主演した、実在のコメディアンの伝記映画『ルディ・レイ・ムーア』での演技は、絶賛をもって迎え入れられている。 この後は往年のヒット作『星の王子ニューヨークに行く』(88)の30余年ぶりの続編や、『ビバリーヒルズコップ』シリーズの復活などが予定されているが、まだ58才。稀代のエンターティナーにしてアクターとして、更なる“夢”を見せて欲しい。■ 『ドリームガールズ』© 2019 DW Studios LLC and Paramount Pictures Corporation. All Rights Reserved.
-
COLUMN/コラム2019.12.02
巨匠セルジオ・レオーネの一番弟子による師匠への壮大なオマージュ『怒りのガンマン/銀山の大虐殺』
マカロニ・ウエスタン・ブームの終末期に登場した、紛うことなき正統派のマカロニ・ウエスタンである。セルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』(’64)を皮切りに、世界中で人気を博したイタリア製西部劇=マカロニ・ウエスタン。当時を知るイタリアの映画製作者エットーレ・ロスボックによると、カンヌ国際映画祭のフィルム・マーケットへ持ち込めば、マカロニ・ウエスタンというだけで瞬く間に世界中から買い手が付いたという。 しかし、巨匠レオーネの『ウエスタン』(’68)を頂点として、ブームは衰退期へと入っていくことに。その年だけで75本ものイタリア産西部劇が公開されたが、翌69年には一気に26本へと激減する。’70年は35本と若干持ち直すものの、しかし一時ほどの勢いがジャンルから失われつつあるのは誰の目から見ても明らかだった。 そこで、イタリアの映画製作者たちは、日本の座頭市のごとき盲目のガンマンが登場する『盲目ガンマン』(’71)や、香港のカンフー映画と合体させた『荒野のドラゴン』(’72)など、奇をてらった変わり種を続々と投入してジャンルの再活性化を図ろうとする。中でも特に成功したのは、テレンス・ヒル(マリオ・ジロッティ)とバド・スペンサー(カルロ・ペデルソーリ)のコンビによる、パロディ的なコメディ・ウエスタン『風来坊/花と夕日とライフルと…』(’70)。おかげで『風来坊』シリーズを真似たコミカルな西部劇が次々と作られ、ほんの一時的ではあれども活力を取り戻したかに思えたマカロニ・ウエスタンだが、しかしかつてのユニバーサル・モンスター映画然り、’80年代のスラッシャー映画然り、パロディの登場はすなわちジャンルの終焉を意味する。 そんな時期に登場した本作『怒りのガンマン/銀山の大虐殺』(’72)は、さながら全盛期のレオーネ作品を彷彿とさせる王道的なマカロニ・ウエスタンだった。それもそのはず、監督を手掛けたジャンカルロ・サンティは、巨匠レオーネ自らが後継者と認めた愛弟子だったのである。 デビュー作に込めた愛弟子の意地 1939年10月7日にローマで生まれ、18歳の時に映画界へ入ったサンティは、希代の異端児にして鬼才中の鬼才マルコ・フェレーリの助監督を長年に渡って務め、『続・夕陽のガンマン』(’66)と『ウエスタン』(’68)でレオーネの助監督につく。特に『ウエスタン』では実質的な第二班監督として、サンティが単独で演出を任されたシーンも少なくなかったという。その熱心な仕事ぶりにレオーネも満足し、『ウエスタン』が完成した際には「俺の後を継ぐのはお前だ」とサンティのことを褒めたそうだ。実際、レオーネは次作『夕陽のギャングたち』(’71)の監督として、当初サンティを指名していた。ところが、これにアメリカ側から異論が出る。レオーネ自身が演出すると思っていたから出資したのだと。中でも、俳優ロッド・スタイガーは無名の新人監督と組むことを露骨に嫌がった。これにはさすがの巨匠も折れざるを得ず、結局レオーネが監督の座に座り、サンティは第二班監督へ昇進するに止まった。 一方その頃、ポーランド出身でイタリアを拠点とするベテラン製作者ヘンリク・クロシスキーは、当時マカロニ・ウエスタンの大スターとして活躍していたハリウッド俳優リー・ヴァン・クリーフと以前に交わした出演契約が、履行されないまま放置されていたことに気付く。なんていい加減な…!と言いたくなるところだが、当時のイタリア映画界では決して珍しいことではなかったらしい。いずれにせよ、早急にヴァン・クリーフの主演作を作らねばならない。そこで彼は、ヴァン・クリーフ主演の大ヒット西部劇『怒りの荒野』(’67)を手掛けたエルネスト・ガスタルディに脚本を依頼し、監督としてレオーネの愛弟子サンティに白羽の矢を立てる。というのも、もともとマルコ・フェレーリ監督作品のプロデューサーだったクロシスキーは、当時助監督だったサンティとも親しい間柄だったのだ。 期せずして監督デビューのチャンスを得たサンティ。しかも師匠レオーネの『夕陽のガンマン』(’65)でマカロニ・スターとなった、リー・ヴァン・クリーフ主演の西部劇である。おのずと、彼の脳裏には『夕陽のギャングたち』での苦い経験が甦る。あの時俺を認めなかった奴らを見返してやりたい…と考えても不思議はなかろう。この『怒りのガンマン/銀山の大虐殺』が、あからさまなくらいセルジオ・レオーネの演出スタイルを意識し、時として模倣までしている背景には、そのような経緯があったのである。 まさにマカロニ・ウエスタンの「グレイテスト・ヒッツ」 物語はリー・ヴァン・クリーフ演じる謎めいた黒衣の元保安官クレイトンが、無実の罪で指名手配犯となった若者フィリップ(ピーター・オブライエン)の逃亡を助けつつ、街を牛耳る悪徳資産家のサクソン3兄弟(ホルスト・フランク、マルク・マッツァ、クラウス・グリュンベルグ)に立ち向かうというもの。そのクレイトンが納屋に身を潜めたフィリップへ向けて、さりげなく周りを取り囲む賞金稼ぎたちの位置を教えていくオープニングからしてレオーネ節が炸裂する。 馬車から下りて寂れた酒場へとゆっくりとした足どりで向かうクレイトン。その道すがら、あちこちで意味もなく立ち止まるのだが、その全てに実は賞金稼ぎたちが身を隠している。そして、ようやく酒場へとたどり着いたクレイトンがテーブルに座り、辺りは不穏な静寂に包まれる。緊迫した空気の中で刻々と過ぎていく時間、突如として鳴り響く銃声と急転直下のガンバトル。この実際にアクションが起きるまでの徹底した「溜め」の演出といい、フィリップが納屋の隙間から外を監視する「フレーム・イン・フレーム」の画面構図といい、極端なロングショットとクロースアップの切り替えといい、ハーモニカの音色を響かせたモリコーネ風の音楽スコアといい、このオープニングだけを見ても本作がセルジオ・レオーネ作品(中でも『ウエスタン』)の多大な影響下にあることは一目瞭然であろう。 興味深いのは、本作における復讐のモチベーションというのが、主人公たち正義の側だけでなく悪の側にもあるということ。というのも、銀山を所有するフィリップの父親はそれゆえ強欲なサクソン家の罠にかかって殺され、そのサクソン家の当主(3兄弟の父親)もまた何者かによって殺されたのだ。銀山の所有権を奪うための便宜上、跡取りのフィリップに自分たちの父親殺しの濡れ衣を着せたサクソン兄弟だが、その傍らで正体不明の真犯人を探している。実はクレイトンだけが真犯人を知っているものの、なぜか口をつぐんで明かそうとはしない。その理由は最後になって分かるのだが、いずれにせよこの複雑に絡み合った正義と悪の双方の復讐ドラマを軸としながら、徐々に全体像を解き明かして謎の真相へと迫る脚本は巧みだ。 なお、老練ガンマンと無鉄砲な若者の師弟関係という図式は、『怒りのガンマン』をはじめ『復讐のガンマン』(’66)や『風の無法者』(’67)など、まさしくリー・ヴァン・クリーフ主演作の定番的なシチュエーション。そのヴァン・クリーフが若者の過去と深い関りがあるという設定は、『新・夕陽のガンマン/復讐の旅』(’67)とそっくりだ。また、白いスーツに身を包んだサクソン3兄弟の末っ子アダム(K・グリュンベルグ)のサディスティックなサイコパス・キャラは、ルチオ・フルチ監督『真昼の用心棒』(’66)のニーノ・カステルヌオーヴォを彷彿とさせる。邦題にもなった銀山の大虐殺で使用されるマシンガンは、セルジオ・コルブッチ監督『続・荒野の用心棒』(’66)をはじめイタリア産西部劇では定番の武器。こうした、さながら「グレイテスト・ヒッツ・オブ・マカロニ・ウエスタン」とも呼ぶべき見せ場の数々も本作の魅力であろう。 さらに、本作で忘れてならないのは音楽スコアだ。基本的に映画音楽というのはストーリーやシーンを盛り上げるための脇役的な存在だが、時として映画そのもののイメージを左右し、さらには作品全体の格を上げてしまうことさえある。本作などはまさにその好例と言えるだろう。中でもルイス・エンリケ・バカロフが作曲したメインテーマ(それ以外はバカロフの盟友セルジオ・バルドッティの作曲)の素晴らしいことと言ったら!レオーネの『ウエスタン』でエンニオ・モリコーネが書いたスコアを意識していることは明白ながら、しかしこの壮大でドラマチックな高揚感はなんとも筆舌に尽くしがたい。なるほど、タランティーノが『キル・ビルVol.1』(’03)で引用するわけだ。ちなみに、本作はマカロニ・ウエスタンとしては珍しく、スペインのアルメリアではなくイタリア本国で撮影されているのも要注目ポイント。主なロケ地はローマおよびピサの郊外だ。 名優リー・ヴァン・クリーフを取り巻く個性的な役者陣 フィリップ役を演じているピーター・オブライエンは、本名をアルベルト・デンティーチェというイタリア人。もともと’60年代半ばからロック・ミュージシャンとして活動していた彼は、ボブ・ディランの楽曲をモチーフにした舞台ミュージカル「Then An Alley」を友人と組んでプロデュース。自らも出演を兼ねたこの舞台が大成功したことから役者へと転向した。その後、2年ほど芸能活動を休止してインドとチベットを放浪していたところ、ミケランジェロ・アントニオーニ監督から「Tecnicamente dolce」という作品のオファーを受け、旅費の足しになるならばくらいの軽い気持ちで帰国。結局、この企画はボツになってしまったものの、当時アントニオーニのもとでロケハンを担当していたサンティ監督がアルベルトのことを覚えており、本作のフィリップ役に起用したのである。 劇中での軽業的なアクションはスタントマンに任せているものの、しかし本人は柔道の心得がある上に当時はまだ若かったこともあり、自らスタントを演じたシーンも多いという。ただ、もともと映画界での野心がなかった彼は、本作で賞金稼ぎの1人を演じた俳優ミミ・ペルリーニに誘われ、彼が主催するアングラ劇団ラ・マスケラに参加して舞台に専念。さらに結婚を機に俳優業を引退し、現在は大手週刊誌「レスプレッソ」の映画ジャーナリストとして活動している。 また、脇役陣で注目したいのはサクソン3兄弟の長男デヴィッドを演じるホルスト・フランク、次男イーライ役のマルク・マッツァ、そして三男アダム役のクラウス・グリュンベルグである。ホルスト・フランクはマカロニ・ウエスタンのみならずジャッロ映画の悪役としてもお馴染みのドイツ人俳優。マルク・マッツァはフランス人のタフガイ俳優で、数多くのギャング映画やアクション映画で端役を演じていたが、恐らく最も有名なのはチャールズ・ブロンソン主演の『雨の訪問者』(’69)における正体不明の「訪問者」役であろう。実はフランスの化粧品会社Hei Poaの創業社長(現在は娘に譲っている)でもある。クラウス・グリュンベルグは、バーベット・シュローダー監督の『モア』(’68)でミムジー・ファーマーと共演していたドイツ人俳優。あの朴訥とした爽やかな好青年が、本作では別人のようなサイコパスに扮しており、そのカメレオンぶりに思わず唸ってしまう。 なお、日本では当時劇場公開の見送られた本作だが、欧米では見事にスマッシュヒットを記録し、これを見た師匠レオーネはサンティ監督に『ミスター・ノーバディ』(’73)の演出をオファーする。しかし、『夕陽のギャングたち』の二の舞になることを恐れたサンティはその申し出を断り、結局もう一人の弟子トニーノ・ヴァレリーにお鉢が回ることとなった。そして、この『ミスター・ノーバディ』をもって、マカロニ・ウエスタンのブームは終焉を迎える。その後、サンティ監督は大衆コメディを手掛けるも畑違いゆえに実力を発揮できず、再び助監督生活へと逆戻りすることとなった。もう少し早くに独り立ちしていれば、また違ったキャリアが開けていたのかもしれない。■ 『怒りのガンマン/銀山の大虐殺』© 1972 - Mount Street Film /Corona Filmproduktion/ Terra Filmkunst/ S.N.C. - Sociéte Nouvelle De Cinématographie. Surf Film S.r.l. All rights reserved.
-
COLUMN/コラム2019.11.30
巨匠監督による「愛こそすべて」なスペクタクル巨編 『ドクトル・ジバゴ』
舞台はロシア。19世紀の終わりに近い頃、幼くして父母を亡くしたユーリー・ジバゴ(演:オマー・シャリフ)は、モスクワに住む化学者のグロメーコの家庭に引き取られる。 成長したジバゴは、詩人として評価されると同時に、医学の道を志す。そしてグロメーコ夫妻のひとり娘で、共に育ったトーニャ(演:ジェラルディン・チャップリン)と愛し合うようになる。 一方同じモスクワに暮らし、仕立て屋の母に育てられたラーラ(演:ジュリー・クリスティー)。母の愛人のコマロフスキー(演:ロッド・スタイガー)の誘惑に屈し、やがてレイプされたことから、彼への発砲事件を起こす。 それはたまたま、ジバゴとトーニャの婚約が発表される、クリスマス・パーティの場だった…。 1914年、第1次世界大戦が勃発すると、ジバゴは軍医として出征。そこで、戦場で行方不明となった夫のパーシャ(演:トム・コートネー)を捜すため、従軍看護師となっていたラーラと再会する。惹かれ合っていく2人だが、お互いの家庭を想い、男女の関係にはならぬまま、それぞれの場所へと還っていく。 しかし大変革の嵐が吹き荒れ、内戦が続く広大なロシアの地で、ジバゴとラーラはまるで宿命のように、三度目の出会いを果たす。ラーラとトーニャ…2人の女性を愛してしまったジバゴの運命は、“ロシア革命”の激動の中で、大きく揺れ動いていくのだった…。 中学時代の1977年、地元の名画座で喜劇王チャールズ・チャップリンの名作『黄金狂時代』(1925)と併映で観たのが、本作『ドクトル・ジバゴ』(65)との出会い。…と記していて、父=チャールズの製作・監督・主演作と、娘=ジェラルディンのデビュー作という、チャップリン父娘をカップリングした2本立てだったのかと、40数年経って初めて気が付いた。当時の名画座の編成も、色々と考えていたわけである。 それはともかくとして、スクリーン上での2度目の対峙は80年代後半、大学生の時だった。後輩の女性と一緒に観たのだが、本作初見だった彼女の感想は、「いかにもアメリカ人から見た、ロシア革命」というもの。まあ監督や脚本家はイギリス人だし、プロデューサーのカルロ・ポンティはイタリア人だから正確な言ではないのだが、当時として諸々先鋭的だった彼女には、「西欧社会が、皮肉っぽくロシア革命を捉えている」と映ったのだろう。 それはまだ、社会主義国の魁であった、ソヴィエト連邦が崩壊に至る数年前のこと。“革命幻想”もまだぶすぶすと、燻ぶってはいたのだ。 本作の監督は、デヴィッド・リーン(1908~91)。かのスティーヴン・スピルバーグが最も尊敬する、“巨匠”である。その監督作品の中でもスピルバーグは、『アラビアのロレンス』(1957)と並べて、『戦場にかける橋』(62)と本作『ドクトル・ジバゴ』は、自作を撮影する前に必ず見直す作品だと語っている。 製作時は東西冷戦の最中で、もちろんソ連ではロケが出来ないため、スペインやフィンランドで大々的なロケ撮影を敢行。スペインのマドリード郊外には、1年がかりでモスクワ市街のセットを再現した。こうした広大な舞台で繰り広げられる人間ドラマは、正に『戦場にかける橋』『アラビアのロレンス』に続いて、「完全主義者の巨匠」リーンの面目躍如と言えるだろう。 しかし、現在では映画史に残る古典的な名作という位置付けの本作も、初公開時の評価は、決して高くはなかった。アメリカの「ニューズ・ウィーク」曰く、「安っぽいセットで、“生気ない映像”」。映画評論家のジュディス・クリストからは、「“壮大なるソープオペラ=昼メロ”」といった具合に酷評され、さしもの巨匠も大いに傷ついたという。 また本邦も例外ではなく、72年に「キネマ旬報社」から出版された、「世界の映画作家」シリーズでは本作に関して、「…スペクタクルの華麗さが目立っただけ、人間のドラマが充実を欠いていたといわざるを得ない。主人公の革命に立ち向う態度のあいまいさではなく、主人公の知識人としてのなやみの追及に対する不徹底が問題であった(登川直樹氏)」「主人公に対する共感だけでは、映画はつくれるものではない。とくに、リーンは、安っぽい人間的共感や分身を排除することによって、独自の世界を厳しくつくって来た。その厳しさが、『ドクトル・ジバゴ』にはないのである(岡田晋氏)」等々、散々な打たれようである。 このような酷評が頻出した背景としては、先に指摘したような“革命幻想”の残滓が、60~70年代には濃厚であったことも考えられる。しかしそれ以上に、ソ連の詩人ボリス・パステルナーク(1890~1960)の筆による本作の原作小説が、著しく“政治的”に取り扱われた案件であったことが、至極大きかったからだと思われる。 パステルナークの「ドクトル・ジバゴ」は本国ソ連では、当初予定されていた出版が中止になりながらも、1957年11月にイタリアで翻訳版が出版され、翌58年10月には、「ノーベル文学賞」が与えられている。当初は「ノーベル賞」の受賞を喜んだというパステルナークだったが、スウェーデンでの授賞式に赴けば、ソ連には「2度と帰国出来ない」と脅され、受賞を辞退せざるを得なくなった。 ソヴィエトの独裁政党だった「共産党」は、小説「ドクトル・ジバゴ」のことを、「革命が人類の進歩と幸福に必ずしも寄与しないことを証明しようとした無謀な試みである」と非難。当時は、「ロシア革命は人類史の大きな進歩である」というソ連政府の見解に疑問符をつけることは、許しがたいこととされていたのである。 「ドクトル・ジバゴ」が、ソ連で発禁とされる一方で、イタリアをはじめ西側諸国で続々と出版されるに当たっては、ロシア語原稿の奪取などに、「CIA=アメリカ中央情報局」が大きな役割を果したという。これは2000年代も後半になってから明らかにされたことだが、俗に“「ドクトル・ジバゴ」事件”と言われる一連の経緯は、東西両陣営の政治的思惑が、バチバチと火花を散らした結果なのであった。 そんなことまでは与り知らなかったであろうパステルナークは、その後失意の内に、1960年逝去。彼の名誉回復が行われたのは、ソ連がゴルバチョフの時代になってからの87年であり、国内で「ドクトル・ジバゴ」が出版されるには、88年まで待たなければならなかった。 このように原作小説は、高度に政治的なアイコンと化していた。それを東西冷戦が続く60年代中盤に、映画化する運びとなったわけである。 そんな時勢にも拘わらず、デヴィッド・リーンは、『アラビアのロレンス』に続いて組んだ脚本担当のロバート・ボルトに、長大な原作の内容を絞り込んでいくに当たっては、“愛”を軸にするよう指示を出した。リーン自身が本作に関して、「革命は背景にすぎず、その背景で語られるのは、感動的な一個人の愛情物語である」とまで言い切っている。極言すれば、「愛こそすべて」というわけだ。結果的に、「“壮大なる昼メロ”」などとディスる評が飛び出すのも、ある意味致し方のないことだったかも知れない。 またリーンの前2作が、『戦場にかける橋』『アラビアのロレンス』だったのも、本作が批判される下地になったものと思われる。 アカデミー賞ではそれぞれ作品賞、監督賞他を大量受賞するなど、赫々たる成果を上げた両作。その共通点としては、劇中にほぼ男性しか登場しないことに加え、前者は東南アジア、後者はアラブ世界を舞台にしながら、共に主人公のイギリス人男性が、そのアイデンティティー故に、希望と絶望の間で煩悶するストーリーが繰り広げられる。イギリス人のリーンだからこそ、「描けた」とも評価された。 それに比べると本作は、「軟弱なメロドラマ」に映る上に、主人公をはじめ登場人物は、すべてロシア人。しかもそれを演じる者たちは、エジプト人のオマー・シャリフをはじめ、非ロシア人ばかりである。 件の「世界の映画作家」から引用するならば、「そこにはどこにも、イギリス人としての、リーンの目がない/イギリス人の目でロシア人を見ようとしても、俳優自体がロシア人ではないのだから、視線が、空転するばかりである(岡田晋氏)」というわけだ。 本作は初公開時から暫くは、このように多くの批判を集めていた。しかし先にも記した通り、現在では映画史に残る古典的な名作となっている。評価が逆転していったことには、どんな作用があったのか? 一つは、初公開時から世界中で大ヒットとなり、その後も一貫して、多くの観客から支持され続けたということが挙げられる。それと同時に、デヴィッド・リーン亡き今となって、この稀代の“映画作家”の歩みを再点検すれば、自明の事実が浮かび上がるからであろう。 リーンにとって初のスペクタクル巨編と言える『戦場にかける橋』以前のフィルモグラフィーで、彼が得意としたジャンルの一つが、『逢びき』(45) 『旅情』(55)といった、「大人の恋愛もの」である。中年男女の一線を越えない不倫劇である『逢びき』は、後の『恋におちて』(84)の元ネタになったことでも知られる。 『旅情』では、キャサリン・ヘップバーン演じるアメリカ人の独身中年女性が、イタリアのベネチアで、旅先の恋に身を震わす。リーンは非イギリス人のヒロインを得たこの作品を、海外ロケで撮り上げたことによって、新たなステップに入っていく。 「アフリカやアメリカの西部や、アジア各地など、映画は世界中をスクリーンの上に再現して見せてくれ、私の心を躍らせた。私が『幸福なる種族』(44)や『逢びき』のようなイギリスの狭い現実に閉じこもった作品から脱皮して、『旅情』以後、世界各地にロケして歩くようになったのは、映画青年時代からの私の映画を通しての夢の反映であるわけだ。私は冒険者になった気持で、一作ごとに知らない国を旅行して歩いているのである」 こうしてリーンは、『戦場にかける橋』『アラビアのロレンス』という、異国の地を舞台にしたスペクタクル巨編へと臨んでいく。そして大成功を収め、“巨匠”の名を得た後に挑んだのが、『ドクトル・ジバゴ』であった。 異国の地を舞台に、スペクタキュラーな画面を作り出しながら、そこで“愛”の物語を展開する。これこそ正に、リーンの真骨頂!得意技の集大成とも言うべき作品だったわけである。 付記すればリーンが描いた『ドクトル・ジバゴ』の世界は、原作者のパステルナークが描こうとしたものとも、そんなにはかけ離れていない筈である。革命に共感する部分はありながらも、積極的な加担は出来ない政治的姿勢や、妻と愛人の間で揺れ動き続け、どちらを選ぶことも出来ない主人公のモデルは、パステルナークその人だったからである。最初の妻との結婚生活は、友人の妻に恋をしたことで破綻したパステルナーク。結果的に友人から奪って得た2度目の妻と暮らしながらも、更に別の女性と恋に落ち、妻と愛人との二重生活を、その生涯を閉じるまで送ったのである。 そしてリーン自身も、83年間の生涯で6回もの結婚をした、「恋多き男」であった。1950年代中盤、自らの監督作の主演に岸恵子を抜擢した際(その作品は結局製作されなかったが)、本気で彼女に惚れてしまい、その後を追い回してやまなかったエピソードなども伝えられている。 リーンは本作の後、脚本のボルトと三度コンビを組んで、歴史的背景をバックにした「愛こそすべて」路線に、今度はオリジナル脚本でチャレンジした。それは20世紀初頭、独立運動が秘かに行なわれているアイルランドの港町を舞台に、若妻とイギリス軍将校の許されない恋を描いた、『ライアンの娘』(70)である。■ 『ドクトル・ジバゴ』© Warner Bros. Entertainment Inc.
-
COLUMN/コラム2019.11.27
激レア映画『いちご白書』『カーニー』12月再放送
本サイトでもお馴染み、映画ライターなかざわひでゆきさんと、ザ・シネマ激レア発掘係だった飯森盛良による、不定期の映画対談「男たちのシネマ愛」が、ついに最終回。日本未公開/今や見られなくなっちゃった激レア映画などを発掘してきましたが、最後を飾る2本は… ・1970年の映画ながら今の香港情勢とダブりまくりの学生運動映画『いちご白書』 ・ジョディ・フォスターを奪い合う親友男子同士のブロマンス映画かと思いきや…ラストとんっでもない方向に転がっていくカーニバル映画『カーニー』 「男たちのシネマ愛」は前回からテキスト記事ではなく音声番組になりましたが、最終回もYouTubeに音声番組としてアップしてます。何かしながら“ながら聞き”で、是非お聞きください。 長すぎ!な怒涛の81分『いちご白書』トーク。この時代の映画を見る上で不可欠な背景知識“ベトナム戦争とは何だったのか!?”に言及しているため、長い!悪しからずご了承を。いちど聞いとけば、なんで当時あんなにデモや学園紛争で荒れたのかを解ってる人、になれます。 61分『カーニー』トーク。ザ・シネマでの放送が本邦初公開となっているはずです。ハタチ前のピッチピチのジョディ・フォスターが出ていて、ザ・バンドのロビー・ロバートソン渾身の自身主演・音楽・プロデュース作品、という、どう考えても絶対に見ておいた方がいい映画なのに、当時もその後も未公開…どんな作品かトークします。 それでは皆さん、いよいよ最後、さようなら皆さん、さようなら!最後にジョディ・フォスターのピッチピチの写真を見ながらお別れです。いゃ~映画って、本っ当にいいもんですね!またいつかどこかでお会いしましょう!■ © Warner Bros. Entertainment Inc.
-
COLUMN/コラム2019.11.22
『セックス・アンド・ザ・シティ』の基ネタになった画期的なセックス・コメディ!
今回ご紹介する映画は『求婚専科』(65年)です。 原題は「SEX AND THE SINGLE GIRL=セックスとある独身女性」。ドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』のことを思い浮かべると思うんですが、実はあの原点が本作『求婚専科』なんですよ。 原作は同名の本で、著者はヘレン・ガーリー・ブラウン。後に女性誌『コスモポリタン』で32年も編集者をした女性で、彼女が独身女性が結婚前に男性とセックスする必要について書いたエッセイ集です。これが1962年に発売されるや、アメリカでは大事件になりました。当時は、結婚していない女性はセックスをしてはいけないと考えられていたからです。 「セックスとある独身女性」というタイトルはどうにも意味不明ですが、元の書名は「SEX FOR SINGLE GIRLS=独身女性のためのセックス」だったんです。ところが、それは直接的でまずい、という出版社の自主規制で「SEX AND THE SINGLE GIRL」に変えちゃったそうです。でも、『セックス・アンド・ザ・シティ』の原作も女性の体験的なエッセイ集で、この『セックス・アンド・ザ・シングル・ガール』を元にして書名がつけられたんですよ。 『求婚専科』は、大ベストセラーの映画化ということで、映画会社も非常に気合いを入れて、オールスターキャストになっています。ヒロインは『ウエスト・サイド物語』(61年)で世界的な大スターになったナタリー・ウッド。彼女が演じるのは原作者ヘレン・ガーリー・ブラウンなんですが、ライターではなく、精神分析医という設定です。つまり完全にフィクションです(笑)。 相手役はプレイボーイ俳優のトニー・カーティス。役はスキャンダル雑誌の編集長。彼のご近所さんの夫婦がヘンリー・フォンダとローレン・バコール。2人ともハリウッドの超ド一流スターですけど、フォンダの役は脚フェチの変態おじさん(笑)。大スターにひどい役をふってます。 監督はリチャード・クワイン。彼は同時期に『女房の殺し方教えます』(65年)という、これもまたセックス・コメディを作ってる人です。ただ、この当時のハリウッド映画はヘイズ・コードという自主規制があるので、セックスについては描いちゃいけない。だから、ものすごくおしゃれに作ってあります。あと、ギャグの量も多い。今観ても腹を抱えて笑えます。 でも、今観ると、女性に対しての扱いがひどい。トニー・カーティスは、自分の秘書やいろんな女性に手を付けまくっているくせに、ヒロインのナタリー・ウッドのことを「処女だ!」と騒いでスキャンダルにしたり、女性差別的なギャグが多い。当時は、男尊女卑から女性の地位向上に向っていく過渡期だったんですね。 「求婚」といっても、全然、結婚を申し込む話ではなくて、独身女性にセックスをすすめている処女の心理学者と、彼女を取材するうちに惚れてしまった雑誌記者のラブ・コメディですね。それで、クライマックスはなんとカーチェイス! 60年代ハリウッドの娯楽映画の技をお楽しみに!■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●原作者のヘレン・ガーリー・ブラウンは、出版社の雑用係から文章力を買われてコピーライターに抜擢、40歳のときに出版した本作がベストセラーとなり、遂には世界的な女性誌「Cosmopolitan」誌の編集長にまでなった。ちなみに、彼女の夫は『JAWS /ジョーズ』(75年)を製作したプロデューサー、デヴィッド・ブラウン。●設定がニューヨーク市からカリフォルニア州ロサンゼルスに変更されているなど、映画はかなり脚色されている。●当初はレスリー・H・マーティンソン監督、ダイアン・マクベイン主演と発表された。●トニー・カーティスが女性のナイトガウンを着ているシーンは、まるで『お熱いのがお好き』(59年)で共演したジャック・レモンのパロディ。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
-
COLUMN/コラム2019.11.03
粋でニヒルでいなせな漆黒のマカロニ・ヒーロー、サバタ参上!
フランク・クレイマーことジャンフランコ・パロリーニ監督が生み出した、カルトなマカロニ・ウエスタン・シリーズ「サバタ三部作」の第一弾『西部悪人伝』(’69)。サバタと言えば、ジャンゴやリンゴ、サルタナなどと並ぶマカロニ西部劇の人気ヒーローだが、その原型は同じくパロリーニ監督が生みの親となった西部の流れ者サルタナだった。 もともとアルベルト・カルドーネ監督の『砂塵に血を吐け』(’67)に登場する悪役だったサルタナ(ジャンニ・ガルコ)を、全身黒づくめのニヒルで洒落たアンチヒーローとして主人公に据えた、サルタナ・シリーズの1作目『Se incontri Sartana prega per la tua morte(サルタナに会ったら己の死を祈れ)』(’68・日本未公開)。この作品を手掛けたパロリーニ監督は、それまでマカロニ・ウエスタンの定番だった「復讐とバイオレンス」のペシミスティックな要素を徹底的に排除し、スパイ映画ばりのアップテンポで軽妙洒脱なアクション・エンターテインメントとして仕上げ、’70年代初頭にブームとなるコメディ・ウエスタンの先陣を切ったのである。 ところが、2作目以降はアンソニー・アスコットことジュリアーノ・カルニメオが演出を担当。シリーズ降板を余儀なくされたパロリーニ監督が、ならば自分の手で新たなマカロニ・ヒーローを作ってやろうじゃないか!…と意気込んだかどうかは定かでないものの、とにかくサルタナのキャラクターをそのままパクる…いえ、継承するような形で誕生させたのが、同じように全身黒づくめのニヒルな洒落者、どこからともなく現れては欲深い悪人どもをてんてこ舞いさせ、首尾よくちゃっかりと大金を奪って去っていく正体不明のガンマン、サバタだったというわけだ。 舞台は西部の町ドハティ。まるで旋風のようにふらりと現れた謎のガンマン、サバタ(リー・ヴァン・クリーフ)が、酒場でチンピラ、スリム(スパルタコ・コンヴェルシ)のいかさま賭博を見抜いてやり込めていると、無法者集団による大胆な銀行強盗事件が発生する。なんと、軍の資金10万ドルを含む預金がゴッソリと盗まれたのだ。すると、すぐさま先回りしたサバタが犯人グループを皆殺しにし、現金を積んだ荷馬車と共に町へ戻ってくる。歓喜に沸く町の人々。これを見てすっかりサバタを気に入った町一番のホラ吹き男カリンチャ(ペドロ・サンチェス)は、神出鬼没の相棒インディオ(ニック・ジョーダン)と共にサバタの仲間となる。 一方、銀行強盗事件の解決に内心穏やかでないのは、町の有力者ステンゲル(フランコ・レッセル)とファーガソン(アンソニー・グラッドウェル)、そしてオハラ判事(ジャンニ・リッツォ)の3人だ。実は彼らこそが犯人グループの黒幕。鉄道の線路が敷かれる近隣一体の土地を買い占めるため、銀行強盗を働いてその資金を集めようとしていたのだ。しかし、殺された実行犯の身元が分かれば、いずれ自分たちに軍の捜査の手が及ぶことは免れない。そこで、リーダー格のステンゲルは、強盗計画に加わった関係者全員を一人残らず抹殺し、証拠隠滅を図るよう部下たちに指示する。 これにいち早く気付いたサバタは、カリンチャたちの協力で証拠となる馬車を奪い取り、それをネタにしてステンゲル一味を脅迫。金よこさねえとあんたらの悪だくみバラしちゃうよ~と(笑)。慌てたステンゲルは、その要求を聞き入れるふりをしつつ、サバタを亡き者にするため次々と刺客を送り込むものの、しかしいずれも片っ端から難なく撃退されてしまい、そのたびにサバタからの要求金額は跳ね上がっていく。ニヤニヤと意地悪そうな笑顔を浮かべるサバタ、困り果ててオロオロする腹黒オジサンたち。いやあ、自業自得とはまさにこのことですな。 そこでステンゲル一味が目を付けたのは、酒場女ジェーン(リンダ・ヴェラス)のヒモをしている、さすらいのバンジョー弾きバンジョー(ウィリアム・バーガー)。実はこの男、バンジョー(楽器の方ね)にライフルを仕込んだ凄腕のガンマンで、過去にサバタとは因縁のある相手だった。しかも、5人の殺し屋を一瞬にして成敗してしまうような猛者。こいつなら、さすがのサバタも太刀打ちできまいと踏んだステンゲルたちだったが…!? やっぱりサバタと言えばリー・ヴァン・クリーフ! ということで、サルタナ映画で打ち出した荒唐無稽なコミカル路線をそのままに、トリッキーなガジェット満載、ピリッと毒の利いた大人のユーモア満載、アクロバティックなアクションも満載のノリノリなエンタメ作品に仕上げたパロリーニ監督。なにしろ、007ブームに便乗した西独産スパイ映画「コミッサールX」シリーズの『エメラルドの牙』(’65)や『キス!キス!キル!キル!』(’66)などをヒットさせた人だし、『戦場のガンマン』(’68)なんて戦争映画も蓋を開けたら戦場を舞台にしたジェームズ・ボンド映画みたいな感じだったので、恐らくもともとこの手の軽いノリが持ち味なのだろう。まさに水を得た魚のごとし。 マカロニ・ファン要注目なのが、やはり劇中に出てくる武器の数々だろう。リムの内側にウィンチェスター製ライフルを仕込み、ネックの先から銃弾を連射するバンジョーはもちろん、上下左右4連なうえにグリップ部分からも弾が3発出る7連発デリンジャー銃(こちらはサバタがご愛用)など、いかしたガジェットたちにもニンマリさせられる。ジュリアーノ・カルニメオ版「サルタナ」シリーズほど荒唐無稽ではない、適度なさじ加減が「サバタ」シリーズの特徴。いずれにせよ、こういう「なんちゃってね!」的なお遊びは素直に楽しい。 もちろん、サバタ役を演じるリー・ヴァン・クリーフのニヒルなダンディズムと、渋い大人の男の色気も最高!しかも、悪知恵に長けた悪人たちの、さらに上を行く狡猾なワルときたもんだからたまりません。町の権力を牛耳る極悪非道なオッサンたちが、手も足も出ずに慌てふためく姿を、ニヤニヤと眺めながらジワリジワリと追い詰めていくサバタのドSっぷりがまた痛快。一般的にはセルジオ・レオーネ監督のドル箱三部作が有名なヴァン・クリーフだが、なかなかどうして、こちらのサバタ三部作も負けていない。いや、むしろこちらこそが代表作と推したいほどのはまり役である。なぜか第2弾『大西部無頼列伝』(’71)ではユル・ブリンナーにサバタ役がバトンタッチされ、これはこれで面白いんだけど、なんかちょっと違うんだよねと思っていたら、第3弾『西部決闘史』(’72)では無事にリー・ヴァン・クリーフが復活。やっぱり、サバタの粋でいなせでお茶目なワル親父っぷりは、ヴァン・クリーフじゃなければ十分に発揮されないのだ。 なお、サバタのライバル、バンジョーを演じているのは、パロリーニ監督の「サルタナ」映画で悪役を演じたマカロニ・ウエスタンの名物俳優ウィリアム・バーガー。『地獄のバスターズ』(’78)でフランス人女性ニコルを演じたデブラ・バーガー、ロリコン映画『小さな唇』(’74)に主演したカティア・バーガーはどちらも彼の娘だ。悪党トリオのボス、ステンゲル役のフランコ・レッセルは、’60年代イタリア産スパイ映画には欠かせない顔だった悪役俳優。オハラ判事役のジャンニ・リッツォも、数々のマカロニ西部劇や史劇映画で小心者の卑怯な小悪党を演じた俳優だ。そうそう、イタリア産B級娯楽映画の名物俳優アラン・コリンズことルチアーノ・ピゴッツィが、サバタを殺すために送り込まれた偽牧師役で顔を出しているのも見逃せない。 しかし、やはり「サバタ」シリーズの名物といえば、大ぼら吹きで単細胞で超テキトーだけど、どうにも憎めない熊さんみたいな髭面男カリンチャをコミカルに演じているスペイン俳優ペドロ・サンチェスことイグナチオ・スパッラ。フェルナンド・サンチョと並ぶマカロニ西部劇きってのコメディ・リリーフで、「サバタ」シリーズでも役名を変えながら全作に出演している。その相棒インディオ役のニック・ジョーダンは、本名をアルド・カンティというイタリア人で、もともとはスタントマンだったものの、ルックスの良さと抜群の身体能力を買われて、数々の史劇映画やマカロニ西部劇で活躍した人だ。どうやらマフィアと関りがあったらしく、48歳の若さで怪死を遂げている。 そして、本作を語る上で外せないのが、音楽スコアを担当した作曲家マルチェロ・ジョンビーニの存在であろう。サバタとバンジョーのそれぞれにテーマ曲を設け、ストーリー展開に合わせてそれらを巧みに使い分けていくメソッドは、一連のセルジオ・レオーネ監督作品でエンニオ・モリコーネが用いた手法と全く一緒だが、しかしポップでグルーヴィーなノリの良さはモリコーネと明らかに一線を画する。中でも、ウルトラ・キャッチーなサバタのテーマは、まるでベンチャーズみたい。このワクワクするような高揚感は絶品だ。 なお、ジャンゴやサルタナなどと同様、「サバタ」も本家のヒットに便乗した非公式作品が幾つも作られている。正式なシリーズは本作『西部悪人伝』(’69)と『大西部無頼列伝』(’71)、そして『西部決闘史』(’72)の3本のみ。ほかにも、ブラッド・ハリス主演の『Wanted Sabata(指名手配犯サバタ)』(‘70・日本未公開)やアンソニー・ステファン主演の『Arriva Sabata!(サバタが来た!)』(‘70・日本未公開)などのサバタ映画が作られているものの、いずれもパチものなのでご注意を(笑)。■ 『西部悪人伝』© 1969 ALBERTO GRIMALDI PRODUCTIONS, S.A.. All Rights Reserved
-
COLUMN/コラム2019.11.01
『ジャッカルの日』と『ジャッカル』 24年の歳月を超えた隔たりとは…
ジュリアス・シーザーの昔より、人の世で、数多実行されてきた“暗殺劇”。映画の世界でも古くより、“暗殺”を題材とした作品は枚挙に暇がない。 そんな中でも1970年代前半の映画界は、暗い世情と相まってか、“暗殺映画ブーム”とでも言うべき様相を呈していた。 リチャード・バートン演じるトロツキーを、アラン・ドロン扮するソ連の刺客が狙う、『暗殺者のメロディ』(72)、ケネディ大統領暗殺の裏にある陰謀劇を描いた、『ダラスの熱い日』(73)、大統領候補暗殺の陰に暗躍する秘密組織の存在を、ウォーレン・ベイティのジャーナリストが暴こうとする、『パララックス・ビュー』(74)、ロッド・スタイガー演じる元IRAの闘士が、エリザベス女王らイギリスの要人を爆弾テロで狙う、『怒りの日』(75)等々。虚実を織り交ぜた、様々な“暗殺映画”が製作・公開され、それぞれに話題となった。 そんな70年代前半の“暗殺映画”群の中でも、映画史に燦然と輝く存在。それが、『ジャッカルの日』(73)である。 本作の原作は、イギリス人作家のフレデリック・フォーサイスが執筆。71年に出版された。 フォーサイスは「ロイター通信」の特派員として、62年から3年間パリに駐在し、当時のフランス大統領、シャルル・ドゴールの担当記者を務めた経歴を持つ。そして『ジャッカルの日』は、正にその駐在期間中の63年を舞台に、ドゴール大統領の暗殺計画を描く。 ナチス・ドイツからフランスを取り戻した英雄的軍人であるドゴールだが、59年の大統領就任後に打ち出した、植民地のアルジェリア独立を認める方針が、軍部の極右勢力などの不興を買う。そのため暗殺計画のターゲットとなり、合わせて6回も、その命を狙われることとなった。 原作及び映画の冒頭で描かれるのは、実際に起こった、ドゴールの車列を狙った“暗殺未遂事件”の顛末。その失敗によって追い詰められた極右勢力の幹部が、正体不明の暗殺者“ジャッカル”を雇い入れ、新たな“暗殺計画”を発動する運びとなる。 “ジャッカル”の登場からは、“フィクション”の世界へと突入するわけだが、現実と地続きになっている。そんなアクチュアルな題材を映画化するに当たっては、どんな描き方が最適なのか? そこで白羽の矢が立てられたのが、フレッド・ジンネマン監督だった。『地上より永遠に』(53)『わが命つきるとも』(67)で2度アカデミー賞監督賞を受賞している他に、『真昼の決闘』(52)『尼僧物語』(59)『ジュリア』(77)などを手掛けた巨匠である。 ジンネマンは若き日、『極北のナヌーク』(1922)『モアナ』(26)などで「ドキュメンタリーの父」と謳われた、ロバート・フラハティの下で修業を積んだ。そんな彼の映画作家としての特性は、師匠フラハティ譲りと言える、ドキュメンタリー風なリアリズム描写にあった。 『ジャッカルの日』に於けるジンネマン演出の狙いは、「観客を目撃者にする」というもの。“ジャッカル”による“暗殺計画”の進行と、それを追う者たちの動きを、客観的なドキュメンタリータッチで追っていき、それを“目撃”させるわけである。 例えば本作のクライマックスには、パリの凱旋門の下での「解放記念日」の式典が登場する。これは、街を交通止めして撮影したものに、実際の式典の際の記録フィルムを加えて、構成したという。 こうした手法で映画を撮るに当たって、キャストから排除したのが、“スター”である。観客が「スティーブ・マックイーンだ」「アラン・ドロンだ」などと認識してしまうような、ネームバリューのある俳優は、本作には至極邪魔な存在というわけだ。 凄腕の暗殺者“ジャッカル”役に抜擢されたのは、当時はほとんど無名の存在だった、イギリス人俳優のエドワード・フォックス。そして彼を追うパリ警察のルベル警視役には、フランス映画の脇役俳優だった、マイケル・ロンズデールが起用された。 付記すれば、クライマックスに登場するドゴール大統領のそっくりさんも、アドリアン・ケイラ=ルグランという、無名の俳優。一言もセリフを喋らせずに、ドゴールの仕草を正確に再現させている。 もちろん本作の世界的ヒットの後には、フォックスもロンズデールも、有名俳優の仲間入りとなった。フォックスは、戦争映画大作『遠すぎた橋』(77)日本公開の際には、ロバート・レッドフォードやダーク・ボガートらと共に、14大スターの1人に数えられ、ショーン・コネリーがジェームズ・ボンド役に復帰した、「007番外編」の『ネバーセイ・ネバーアゲイン』(83)では、M役を演じた。またロンズデールは、正調「OO7」の第11作『ムーンレイカー』(79)で、ロジャー・ムーアのボンドと戦う、メイン悪役を務めている。 さて“暗殺映画”のマスターピースとなった『ジャッカルの日』を、24年後の1997年に復活させようとした試みが、今回フィーチャーするもう1本の、『ジャッカル』である。とは言っても97年になって、その34年前=63年のフランス大統領暗殺計画を再び描くのは、観客へのアピールが足りないと、『ジャッカル』のプロデューサー兼監督である、マイケル・ケイトン=ジョーンズは考えたのであろう。 『ジャッカルの日』の成功には、フォーサイスの原作の展開に忠実でありながらも、映画的なまとめや省略を大胆に行った、ケネス・ロスの脚本の功績も大きい。新版の『ジャッカル』の原作としてクレジットされるのは、フォーサイスの小説ではなく、ケネス・ロスの脚本である。ジョーンズ監督は、オリジナル版の脚本から活かせるシチュエーションだけ抽出して、97年的な“暗殺映画”を作るという選択を行ったのである。 97年という時勢は、まずはオープニングタイトルで表現される。これはピアース・ブロスナンが5代目ジェームズ・ボンドに就いた「007」シリーズ第17作の『ゴールデンアイ』(95)でも取られていた手法だが、ソ連と東側陣営の崩壊によって、“冷戦”が終結したことがまずは説明され、新たなる“混乱”の時代に突入したことが、物語られる。 そして97年のモスクワ。闇の世界で台頭する、チェチェン・マフィアの根城に、「MVD=ロシア内務省」と「FBI=アメリカ連邦捜査局」の合同捜査チームが強制捜査を掛ける。その際に、マフィアのボスであるテレクの弟が、捜査員に射殺される。激高したデレクは復讐を誓い、正体不明の暗殺者“ジャッカル”を雇う。 “暗殺”のターゲットが、「FBI」の長官だと判明したことから、合同捜査チームは“ジャッカル”の追跡に乗り出す。しかし彼の顔を見たことがある者は、ほとんど存在しなかった。 “ジャッカル”を知る1人として、地下組織「IRA=アイルランド共和国軍」のスナイパーで、現在はアメリカ国内の刑務所に収監されている、デクランという男の存在が浮かび上がる。捜査チームは特別措置として、デクランをチームに加えるが、実は彼は、“ジャッカル”に個人的な恨みを抱いていた…。 オリジナルの『ジャッカルの日』に於ける“暗殺作戦”の発動と、それを阻止せんとする捜査陣の追跡は、「“大義”vs“大義”」の対決であった。それが新版の『ジャッカル』では、「“私怨”vs“私怨”」となってしまっている。 新旧両作とも、“ジャッカル”自体には、政治的な主義主張はなく、金目当ての“暗殺者”であることに変わりはない。“ジャッカル”の成功報酬は、オリジナル版が50万㌦だったのに対し、新版は7,000万㌦!それぞれに、このミッションを成功させた後は「2度と仕事が出来ない」ため、引退するに足る金額と説明されるが、製作年度で24年間、物語の設定的に34年間離れた『ジャッカル』両作の大きな違いは、この金額の差だけではない。 「“無名”vs“無名”」であったオリジナルのキャストに対して、新版の最大の売りとされたのは、「ブルース・ウィリス vs リチャード・ギア」! “ジャッカル”役のブルース・ウィリスは、お馴染みの『ダイ・ハード』シリーズ(88~ )でスターダムにのし上がった。『ジャッカル』の前後の主演作も、『パルプ・フィクション』(94)『12モンキーズ』(96)『フィフス・エレメント』(97)『アルマゲドン』(98)『シックス・センス』(99)等々、メガヒット作が目白押し。 対抗するは、デクラン役のリチャード・ギア。『愛と青春の旅立ち』(82)『プリティ・ウーマン』(90)という、そのキャリアでの2大ヒット作を軸に、日本でも高い人気を誇るスター俳優であった。 脇役にも、スターを配している。捜査チームのリーダーである、「FBI」の副長官役を演じたのは、黒人俳優として初めてアカデミー賞主演男優賞を受賞した、シドニー・ポワチエ。 こんなキャスティングからもわかる通り、とにかく新版『ジャッカル』は、オリジナルの逆張りに、敢えて走った感が強い。この姿勢は、謎の暗殺者である筈の“ジャッカル”の行動にも表れる。 オリジナル同様、「変装の名人」という設定である“ジャッカル”。しかしエドワード・フォックスの“ジャッカル”が、空港でわざわざ自分と背格好が似た外国人を見付けて、パスポートを掏り取るという手間を掛けたのに対し、ウィリスの“ジャッカル”は、空港でたまたま居合わせた、自分とは似ても似つかない体型の者のパスポートを盗み出す。そしていざその者に成りすましても、我々観客からは、「ブルース・ウィリスが変装している」ようにしか見えないのである。 偽造パスポートや暗殺用の銃は、外注して用意する。その際に、“プロ”の仕事を誠実にこなす者に対しては敬意を見せ、逆に強請りたかりを働こうとした輩はあの世に送る。その姿勢は、新旧“ジャッカル”とも同じであるが、ケリの付け方が、ウィリスの“ジャッカル”は派手過ぎる。捜査チームにわざわざ、暗殺の手口や追跡のためのヒントを残しているかのようである。 捜査チーム内から“暗殺者”側に情報を漏らしている内通者が居ることが暴かれるのも、“ジャッカル”の取った態度が引き金となる。全般的にウィリスの“ジャッカル”は、自信満々な態度に反比例するかのように、かなり迂闊なのである。 その迂闊さは、“暗殺計画”実行直前にも、見受けられる。自分の顔を知る女性の居所を知ると、わざわざ殺しに馳せ参じる。しかもその女性は逃がしてしまって、代わりに(?)待ち伏せていた捜査員3名を惨殺する。“暗殺”本番直前に、こんな危険を冒す必要がどこにあるのか?何度観ても、まったく理解できない(笑)。 しかもその際に、“暗殺”の的が、実は「FBI」の長官ではないことを仄めかしたため、追っ手のデクランに、真のターゲットを気付かれてしまう。はっきり言って超一流の“プロ”と言うには、あるまじき軽率な所業の連続なのである。 オリジナル版では、お互いにプロの“仕事人”同士としてのライバル関係にある、暗殺者“ジャッカル”と追跡者のルベル警視。2人が顔を合わすのは、最後の最後に訪れる、直接対決の1度だけ。 新版の“ジャッカル”とデクランは、途中で1回ご対面があり、その際は“ジャッカル”の銃撃から、デクランが逃れる。そしてクライマックスでは逆に、デクランが“ジャッカル”を追跡。駅の構内で銃撃戦が繰り広げられる。 …と記したが、実は新版の『ジャッカル』は、“ジャッカル”とデクラン…と言うよりも、ブルース・ウィリスとリチャード・ギアの2大スターが、最後の最後まで撮影現場で顔を合わせてないのでは?…という疑惑が拭えない。 その辺りどうなのかは、皆さんに実際ご覧いただいた後の判断にお任せしたい。■ 『ジャッカルの日』© 1973 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved. 『ジャッカル』©TOHO-TOWA
-
COLUMN/コラム2019.11.01
チャック・ノリス・ブームの頂点を極めた名作クライム・アクション
‘80年代を代表するB級アクション映画スター、チャック・ノリスが、まさにその全盛期の真っただ中に放った大ヒット作であり、多くのファンが彼の最高傑作と太鼓判を押すクライム・アクションである。まあ、それもそのはず。既にご存じの映画ファンも少なくないとは思うが、もともと本作はクリント・イーストウッドのために用意された企画だった。 オリジナル脚本を書いたのは、マイケル・バトラーとデニス・シュリアックのコンビ。当時、イーストウッド主演のアクション映画『ガントレット』(’77)の脚本を手掛けた2人は、それに続く『ダーティ・ハリー』シリーズ第4弾として、本作の企画をイーストウッドに提案する。つまり、チャック・ノリス演じる主人公エディの原型はハリー・キャラハンだったのだ。当初はイーストウッド本人も関心を示していたそうだが、しかし出来上がった脚本がお気に召さなかったのだろう、しばらくすると連絡が途絶えてしまい、企画そのものがお蔵入りとなる。 その後、バトラーとシュリアックは西部劇『ペイル・ライダー』(’85)で再びイーストウッドと組むことになるのだが、その直前に2人が脚本に携わったのがクリス・クリストファーソン主演の犯罪ドラマ『フラッシュポイント』(’84)。その際、友人の製作者レイモンド・ワグナーから、クリストファーソン主演で本作の映画化をという提案があったらしいのだが、それがいつの間にかチャック・ノリス主演の企画として始動していたのだそうだ。 ただし、実際に映画化された脚本にはバトラーとシュリアックの2人は一切タッチしていない。2人の書いたオリジナル脚本をリライトして、最終的な決定稿を仕上げたのは名作『チャイナ・シンドローム』(’77)でオスカー候補になったマイク・グレイである。本作の演出に起用されたアンドリュー・デイヴィス監督は、無名時代に世話になって気心の知れた恩人グレイに脚本の書き直しを依頼。監督の生まれ育ったシカゴが舞台ということで、彼自身のアイディアも多分に盛り込まれているという。 主人公はシカゴ市警の腕利き警部エディ・キューサック(チャック・ノリス)。犯罪を憎み不正を絶対に許さない、頑固だが実直な刑事である。そんなエディが陣頭指揮を執っていたのが、ルイス・コマチョ(ヘンリー・シルヴァ)率いる南米系麻薬組織コマチョ一家の検挙。タレコミ屋をおとりに使ってコマチョ一家との麻薬取引をセッティングし、その現場へ警官隊が乗り込んで一網打尽にする手筈だったが、こともあろうか第三者のギャング組織が先回りして乱入。タレコミ屋を含む取引関係者が皆殺しにされ、大量の麻薬と現金が奪われてしまったのだ。 この急襲作戦を実行したのが、コマチョ一家と敵対する組織のボスであるトニー・ルナ(マイク・ジェノヴェーゼ)。トニーは裏社会の大物スカリース(ネイサン・デイヴィス)の甥っ子で、その御威光を笠に着て無茶ばかりするような男だった。まんまと成功したかに思えた横取り作戦だったが、しかし現場で殺したはずのルイスの実弟ヴィクター(ロン・ヘンリケス)が、実は生き延びていたことが判明。自分の犯行であることがバレるのも時間の問題と察したトニーは、子分たちに家族の警護を指示したうえで、荷物をまとめて高飛びする。 一方、思わぬ邪魔が入って作戦が失敗し、上司ケイツ署長(バート・レムゼン)から大目玉を食らうエディ。しかも、銃撃戦の際に飲んだくれの老いぼれ刑事クレイギー(ラルフ・フーディ)が、無関係の少年を射殺してしまったことも大問題となる。一貫して正当防衛を主張するクレイギーだが、実はこれ、丸腰の少年を誤って撃って慌てた彼が、いつも足元に隠し持っている護身用の拳銃を少年の手に握らせ、偽装工作を図ったもの。その一部始終を相棒の新米刑事ニック(ジョー・グザルド)が目撃していたが、しかし現場責任者であるエディに真実を言い出せないでいた。 なぜなら、同僚の不始末を庇うのは警察内における暗黙のうちの了解。いわゆる「沈黙の掟(=本作の原題Code of Silence)」だ。これを破れば署内で居場所がなくなってしまう。妻子を抱えたニックにとっては死活問題だ。以前からクレイギーの飲酒癖を問題視していたエディは、そうした事情を直感で察するものの、真実を告白するもしないもニックの良心に任せる。 ひとまず公聴会までクレイギーが停職処分となったため、ケイツ署長の指示でニックはエディとコンビを組むことに。すぐに2人はトニーが主犯であることを突き止め、高飛びした彼の行方を探ると同時に、宿敵コマチョ一家の動向も監視する。すると、コマチョ一家はトニーの留守宅を襲撃して家族を皆殺しに。たまたま仕事中で難を逃れた一人娘ダイアナ(モリー・ヘイガン)にも刺客が差し向けられる。間一髪のところでダイアナを保護し、引退した先輩テッド(アレン・ハミルトン)に彼女を預けるエディ。しかし、そこへもコマチョ一家の魔手が迫り、ダイアナは誘拐されてしまう。 ダイアナの命を助けたければ、トニーを探し出して連れてこいとルイスから言い渡されるエディ。ところが、公聴会でクレイギーに不利な証言をしたため、警察では誰一人としてエディに力を貸す者はなかった。唯一の協力者は、脚を怪我して現場を離れた親友刑事ドレイト(デニス・ファリーナ)のみ。かくして、ほぼ孤立無援な状態のまま、エディはダイアナを救出するため、コマチョ一家と対峙せねばならなくなる…。 シカゴへの愛情が溢れる豊かなローカル色も見どころ! プロの空手選手として無敵の実績を誇り、親交のあったブルース・リーの誘いで映画界へ足を踏み入れたチャック・ノリス。『フォース・オブ・ワン』(’79)や『オクタゴン』(’80)、『テキサスSWAT』(’83)といった低予算アクションで頭角を現した彼は、当時波に乗りつつあった映画会社キャノン・フィルムと初めて組んだ戦争アクション『地獄のヒーロー』(’84)が空前の大ヒット記録したことで、一躍ハリウッドのトップスターの座へと躍り出る。続く『地獄のヒーロー2』(‘5)や『地獄のコマンド』(’85)、そして『野獣捜査線』も全米興行収入ナンバーワンに。中でも、それまで批評家からは酷評されまくっていたノリスにとって、初めて真っ当な評価を受けた作品が本作だった。 実際、当時のチャック・ノリス主演作品の多くが、映画としては非常にビミョーな出来栄え。ぶっちゃけ、アクションはA級だけれど脚本はC級だよねと言わざるを得ない。出世作『地獄のヒーロー』にしてもそうだが、ストーリーがアクションを見せるための手段でしかなく、どうしてもご都合主義で安上がりな印象が否めないのだ。その点、本作はライバル組織同士の抗争に警察が絡むという三つ巴の対立構造がしっかりと練られており、なおかつ警察たるものの正義とモラルを問う明確なテーマも貫かれている。主人公エディとヒロインの、さり気ない心の触れ合いも悪くない。しかし、やはり一番の功績は、優れたB級アクション映画のお手本のようなアンドリュー・デイヴィス監督の演出であろう。 大都会シカゴのロケーションを最大限に生かすことで予算を抑え、あくまでもストーリーに重点を置きつつ、ここぞというピンポイントでダイナミックなアクションを挿入することで、テンポ良くスピーディに全体をまとめあげていく。その安定感のある職人技的な演出は、さながら名匠ドン・シーゲルのごとし。本作が初めてのメジャー・ヒットとなったデイヴィス監督は、続いて同じくシカゴで撮ったスティーヴン・セガール主演作『刑事ニコ/法の死角』(’88)も大成功させ、やがて『沈黙の戦艦』(’92)や『逃亡者』(’93)などの大型アクション映画を任されるようになる。 やはり最も印象に残るのは、ループと呼ばれるシカゴ名物の高架鉄道でロケされた追跡シーンであろう。実際に走行する車両の屋根へ役者を登らせたスタントも見もの。通常よりもスピードをだいぶ落としての撮影だったらしいが、それでもなお迫力は十分である。また、激しいカーチェイスの末にリムジンがクラッシュ&炎上するシーンは、これまたシカゴへ行ったことのある人ならお馴染み、市内に張り巡らされた多層道路の中でも最も有名なワッカー・ドライブの低層階でロケされている。この同じ場所は『ダークナイト』(’08)のクラッシュ・シーンにも使われているので、見覚えのある方も少なくないだろう。また、随所に出てくる警察署のオペレーター・ルームは、実際にシカゴ警察署本部で撮影されており、本物の刑事や職員も多数出演。こうした、普通なら撮影許可の下りにくい場所を使用できたのも、シカゴ出身で地元にコネの多いデイヴィス監督だからこそだったようだ。 ちなみに、主人公エディの親友ドレイト役のデニス・ファリーナ、サングラスをかけた同僚コバス役のジョセフ・コサラの2人も、当時シカゴ警察に勤務する現役の刑事だった。どちらも刑事を本職としながら、アルバイトで俳優の仕事もしていたらしい。ファリーナは本作の翌年、マイケル・マン製作のテレビドラマ『クライム・ストーリー』(‘86~’88)の主演に抜擢されたことで警察を辞職。プロの俳優として『ミッドナイト・ラン』(’88)や『スリー・リバーズ』(’93)、『プライベート・ライアン』(’98)など数多くの映画で活躍することになる。一方のコサラは「クレイジー・ジョー」のあだ名で知られたシカゴ警察の名物刑事だったらしく、プロの俳優には転向せず役者と刑事の二足の草鞋を履きつつ、定年まで勤めあげたそうだ。 ほかにも、本作はシカゴ出身の地元俳優が多数出演。もともとシカゴは、ニューヨークに次いで全米最大の演劇都市として知られ、ゲイリー・シニーズやジョン・マルコヴィッチなどを輩出した名門ステッペンウルフ劇団もシカゴが本拠地だった。ダイアナ役のモリー・ヘイガンも、彼女自身はミネアポリスの出身だが、当時はシカゴの劇団に所属して舞台に出演していた。暗黒街の大物スカリーセ役では、デイヴィス監督の実父ネイサン・デイヴィスが出演しているが、彼もまたシカゴ演劇界の重鎮だった人物。そのほか、刑事役やギャング役を演じている俳優たちもシカゴの舞台俳優で、その多くが本作をきっかけにデイヴィス監督作品の常連となる。そういう意味では、実にローカル色の強い作品なのだ。 なお、終盤で大活躍する警察ロボットは、コロラド州に実在した’83年創業のRobot Defense Systems Inc.という会社(’86年に倒産)が製作に協力。この「仲間に反感を買った刑事の新たな相棒がロボット」という設定は、マイケル・バトラーとデニス・シュリアックのオリジナル脚本の段階から存在したらしいが、恐らく本作で唯一賛否の分かれるポイントかもしれない。まあ、実際に開発した会社が本作の翌年に倒産しているのだから、あまり実用的とは言えない代物だったのだろう。■ 『野獣捜査線』© 1985 ORION PICTURES CORPORATION. All Rights Reserved