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NEWS/ニュース2019.08.07
関根勤さん、声優・宮内敦士さん、とり・みきさん登壇!『マッドマックス 怒りのデス・ロード』ザ・シネマ新録吹き替え版の制作・放送記念!イベント上映のレポート&インタビュー到着!
関根勤さん、声優・宮内敦士さん、とり・みきさん登壇!「(吹)マッドマックス 怒りのデス・ロード[ザ・シネマ新録版]」の制作・放送にあわせ、イベント上映を実施! 吹き替え放送にこだわりのある洋画専門CSチャンネル「ザ・シネマ」は、 『(吹)マッドマックス 怒りのデス・ロード[ザ・シネマ新録版] 』(8月12日(月・休)、24日(土)に放送)の制作・放送を記念して8月4日にイベント上映を敢行。本作の上映とトークイベントを第1部・第2部で約200名の方にお楽しみいただきました。第1部では通常上映を実施し、トークイベントにはオーダーメイドのバトルスーツに身を包んだ大の「マッドマックス」ファンであるタレントの関根勤さん、吹き替えに造詣が深い漫画家のとり・みきさんが登壇し、マクラウドの白石さんに司会を担当いただきました。第2部では絶叫上映を実施。タンバリンやクラッカーが鳴り響いた上映終了直後、熱気あふれる会場内に突如、ザ・シネマ新録吹き替え版で主役のマックス役の吹き替えを担当した声優・宮内敦士さんが「俺の名前はマックス」という劇中の名セリフとともにサプライズ登場。会場からは「V8!」コールが鳴り響き、大きな歓声に包まれました。 8/4(日)本作のイベント上映後にご来場の方にインタビュー!熱い感想コメントをいただきました!(8/9更新) < 関根勤さん・宮内さんインタビュー! >■自前のバトルスーツで登場した関根勤さんコメント!「僕はマックスが好きなんですよ 」 「マッドマックス」の最新作を見た時はビックリしましたね。お金もかかっているし、スケールアップもしている。主演のトム・ハーディもカッコ良かったですね。ジョージ・ミラー監督がこの映画を撮った時は70歳近くだったんですよね。それくらいの年齢の人が作る映画じゃないですよ。他の監督だったら、途中で犬を救ったり、少年を救ったりするようなシーンを入れてしまいがちですが、この監督はそれをしない。アクションだけで押し通しますからね。自分が監督をするという立場になって観てください。本当に大変です。そして主役としてキャスティングされたと思ってください。本当に過酷です。それを2時間で見事にパッケージングしている。これは芸術ですね。僕はマックスが好きなんですよ。今日の衣装のバトルスーツも3年前にこの映画を観たときに作ったものです。僕はブルース・リーや「ダーティハリー」の映画が好きなんで、このシリーズにもいっぺんにハマってしまいました。「マッドマックス」っていう名前もかっこいいですよね。■マックス吹き替え担当の宮内敦士さんコメント!「これぞ「マッドマックス」の世界観だということを目指しました」 「ザ・シネマ新録吹き替え版」の放送がはじまってから、役者仲間からも、役者じゃない知り合いからも良かったよという声を多くいただいて、良かったなと。僕に限らず、他の吹き替えを担当した役者さんたちも喜んでいると思います。「マッドマックス」というのはひとつの時代を作った作品で、僕も子どもの頃から観ている大好きな作品です。絶叫上映に実際に間近で触れるのは初めてなんですが、ファンの皆さんのこの世界観に没入していくパワーは本当にすごいなと思いました。今回の新録吹き替え版は、劇場版とはまた違う、これぞ「マッドマックス」の世界観だということを目指しました。トム・ハーディは、僕よりも年下なんですが、役者としても一流。いつも勉強しなきゃいけないなと気付かされることも多いですし、彼の吹き替えはとてもやりがいがあります。この中に入ることができて本当に光栄です。みんなが力を入れて吹き替えをしました。ぜひ見逃さないように。放送は録画も出来ますので、何回も見返していただけたらと思います。------------------------------------------------------------------------------------------------------<イベント上映レポート>■イベント上映の第1部通常上映のトークイベント! この日、関根さんが着用してきた衣装は、オーダーメイドのバトルスーツ。「僕は『マッドマックス』の大ファンだったんですよ」と語る関根さんは、「3年ほど前に『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を観て、どうしたらいいか分からないくらい興奮して。そうしたらライダースーツを作っているお店に『マッドマックス』バージョンがあると聞いて。すぐに行きました」と説明。かかった費用は、上下で38万円とのことですが、「フルオーダーで、一番いい革で作りました。まず採寸して、一カ月くらいで厚地の木綿で型ができるんです。それを着ながら、細かく『ここをどうしますか?』という風に全部調整して作るんで。僕にとっては適正価格。普通のライダージャケットでも20万とか25万は平気でしますからね」という関根さん。気になるご家族の反応については「何も言いません。妻はずっと軽い病気だと思っているんで」とコメントし、周囲を笑わせました。 マクラウドの白石さんも興奮を隠せないようで、「『マッドマックス』界隈では、関根さんがバトルスーツを作ったというのは2016年のビッグニュースだったんですよ。『関根さんはこっちの人だった!』と語ると、関根さんも「そうですよ! 79年からどっぷりですからね」と笑顔を見せます。「この衣装を着てイベントに出たかったので本当に良かったです」と続けました。 劇場公開時は字幕版で鑑賞したという関根さんですが、今回のザ・シネマ新録吹き替え版は「マックスの声が渋くて。トム・ハーディ本人の声と違和感がなかった。カッコ良かったですね」と感じたそう。さらに「吹き替え版を観て、字幕では分からなかったところが分かりました。イモータン・ジョーの長男が子どもみたいなしゃべりなんですよね。それがビックリして。英語だとそのニュアンスが伝わらないんですよ。だからこういうしゃべり方なんだなと思いました」という関根さんに、とりさんも「今回はザ・シネマ用に、劇場版とは違うバージョンの吹き替え版を撮り直したんですけど、劇場版の吹き替えの長男はあまり幼児っぽくなっていないんですよね」と解説。さらに白石さんが「劇場版ではプロレスラーの真壁刀義さんが吹き替えをされていたんですが、こちらは幼児っぽいというよりは粗野な感じというニュアンスだった。今回は意図的にキャラクターを強調したということがありますよね」と指摘します。「すばらしかったですね」 また、白石さんも「僭越ながら、今回、ザ・シネマの新録吹き替え版が新しく作られると話を聞いたときに、勝手に『ここの部分の吹き替え・字幕は違和感がありましたよ』リストを作って。ザ・シネマさんに勝手に送りつけたんです。それが反映されたかどうかは分かりませんが。でも台本を読んでみると、原語に忠実であろうと気を遣っていたなと感じました」と振り返りました。 とりさんは「ザ・シネマさんが放送用に別バージョンをつくること意義深いことだと思っています。これからもその機会が増えるように皆さんも応援していただけたらと思います」そして関根さんも「『マッドマックス 怒りのデスロード』は何回みても同じ感動をいたしまして、ぼくは6回ほど見たのですが、まだこんな所があったんだと思えるので、何回も見ていただいてプラス年に1回はみていただきたいなと。その年の年齢年齢で感じるものが違うと思うのですよ。熟成されてきた自分の人生でこういうことをジョージさん(ジョージ・ミラー監督)は言いたかったんだとわかってくると思います。ぜひ、長く愛していただきたいと思います 」と締めた。------------------------------------------------------------------------------------------------------■イベント上映、第2部絶叫上映の トークイベント! そして第2部は絶叫上映を実施。上映終了直後、熱気あふれる会場内に突如、ザ・シネマ新録吹き替え版の主役マックスの吹き替え担当した宮内敦士さんが「俺の名前はマックス」という劇中の名セリフとともにサプライズ登場。会場からは「V8!」コールが鳴り響き、大きな歓声に包まれました。この日の衣装は白石さんが四年ほど前に制作したものだとのことで、「白石さんより本格的な衣装をお借りしました。皆さん(のテンション)に追いつけるように頑張ります」とあいさつ。 これまでもトム・ハーディの吹き替えを幾度となく行ってきた宮内さん。「作品によってコロコロ変わるカメレオン俳優。影もあるし、存在感もある。なりきり方というか、いれこみ方が違う。それでいてすごくナチュラルな、いい役者だなと思うので。そのなりきり感を声だけで表現できるのかなとは思っていました」と語ると、さらに「台本と画面と見比べてみて、なぜこんな芝居をしているのか、という分析から入るんですが、裏に何かあるんじゃないかと思ってしまう。だからひとつだけの芝居でなく、いろんなものを用意していないと彼の芝居の吹き替えは出来ない。だから収録の時は、いろんなものを用意したつもりですけど、もう少しできたんじゃないかなと思う部分もあります。彼はそういう役者ですね」としみじみ。 その言葉を受けてとりさんは「吹き替え声優は必ずしも声が似ている必要はないのですが、宮内さんは非常に声が似ている。そしてお芝居もきちんと理解されているんだと思う」と称賛。さらに「下手するとトム・ハーディより宮内さんの声の方が低いんじゃないかと思う時もあった。普通、外国の俳優に日本人が声をあてる時って、なかなかそこまで低くなることはない」と続けると、会場からは大きな拍手が。それに対して「若い時は出来なかった役。声がかれてきて。ガラガラいうようになってきて出来るようになった。雰囲気が合ってきたのかもしれない。この年になって出来る役であり、役者さんなのかもしれませんね。とはいえ彼は僕より10歳くらい年下なんですけどね」と笑う宮内さんでした。 今回の日本語吹き替え版の演出は、数々の洋画の日本語吹き替え版のほか、スタジオジブリ作品などのアニメ作品なども手がける音響監督の木村絵里子さんが担当しています。「ご縁から言うと、20年くらい前に吹き替えの仕事を始めた時に『ハリーポッター』で、ちょっとした役をいただいたんです。でもそれが全然出来なくて。『持ち帰ってください』と言われて帰されたんです。それで日をあらためて収録に行ったんですが、それでも悩んで。自分では変わっていないなと思ったんですけど、オッケーをいただきました。僕は半べそをかきながら、もう縁もないかなと思ったんですが、それからもちょこちょこと使っていただいて。僕のいいところを拾っていただけた。そういうご縁があるんです」と語る宮内さんは、「演出力は役者の上をいっていますからね。ひとつのシーンでも、こうじゃないかと言われると、ハッと気付かされることが多くて。そこから何テイクもやって現場で作り直していく。やはり自分を預けることができる演出家さんだなと、今回、改めて感じましたね」と付け加えました。 そんな宮内さんに『マッドマックス』への思いを尋ねると、「僕は物心ついた時から『マッドマックス』で育ちました。小学生くらいの頃に、ファーストの世界観を見た時に、本当に驚いたんです。だからそんなシリーズに声をあてて、その中に入ることができるなんて夢にも思いませんでしたね」と晴れやかな顔。そして最後に「『マッドマックス』の続きもあるという話もありますが、その時にまたトム・ハーディの声を吹き替えられたらと思います」と決意を語ると、会場からの喝采を集めました。 イベント上映:8月4日実施。運営協力:V8japan様/マクラウド様(「マッドマックス・コンベンション2019」11月開催)多大なるご協力いただき誠にありがとうございました!------------------------------------------------------------------------------------------------------ ■番組情報 『(吹)マッドマックス 怒りのデス・ロード[ザ・シネマ新録版]』 ザ・シネマ新録吹き替え版の一部動画を公開中! 放送日:8月12日(月・休) 06:30 ~/ 23:00~/8月24日(土)12:30~/23:00~[R15+] 暴力と狂気に支配された終末世界──30年ぶりとなる「マッドマックス」シリーズ最新作特設サイトはコチラ※随時、更新中!お見逃しなく!番組情報 ■Twitter感想キャンペーン実施中! 熱い感想おまちしております!8/25まで実施!当選者にはTwitterのDMでご連絡いたします。
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COLUMN/コラム2019.08.06
前作のスタイルを継承し、そして拡張させた『300〈スリーハンドレッド〉~帝国の進撃~』
■続編成立の困難な作品に挑む 「我々はひざまずいて生きるのではない。自由のために立ったまま死ぬのだ!」 紀元前480年、ギリシアに対してペルシア帝国が突き付けてきた「降伏か、戦いか」の最終通告に、陸戦部隊を率いてペルシア軍の前に立ちはだかり、応戦という回答を突きつけたスパルタ戦士レオニダス。わずか300人の兵士で100万人の大軍勢を迎え撃つという、向こう見ずな男たちの生きざまを描いた『300〈スリーハンドレッド〉』(以下:『300』)は、全米興行収入2億1,160万ドルを稼ぎ出し、監督であるザック・スナイダーに初のメガヒットをもたらした。 もちろん作品が成功すれば、続編という話が浮上して当然だろう。だがその気運とは裏腹に、シリーズを展開させるには困難が生じる映画として『300』は製作者たちの前に立ちはだかったのである。 まずフランク・ミラーの原作にシリーズ化の足がかりとなるものが存在しないという、現実的な制約があった。一説にはこの『300〈スリーハンドレッド〉~帝国の進撃~』(以下:『帝国の進撃』)、ミラーのグラフィックノベル作品「クセルクセス」が原作としての役割を担っているのではないかと言われているが、『帝国の進撃』の脚本はこの「クセルクセス」と同時に執筆されており、直接の関連はない。 なにより多勢で少数を屈服させようとする侵略主義を否定するために、死を賭して戦いに挑んだ者たちの崇高な精神を、続編という形で反復するのには疑問が残る。それはすなわち、作品の精神を汚し、陳腐なものにしてしまいかねないのでは? 加えてこの『300』が、唯一無二の映像スタイルを持っていることも、おのずと続編製作のハードルを上げている。際立ったデジタルグレーディングのコントロールや、超高輝度のカラーパレットによって生み出される独特の色調。暗黒時代を象徴するまがまがしいランドスケープに、アートのように洗練されたシンメトリックな構図など、どの場面も荘厳かつダークな美に充ち満ちている。そんな個性の塊のような世界観を、はたしてザック・スナイダー以外に成立させられるのか? しかし『帝国の進撃』は、こうした懸念を一蹴するかのように、前作とは違うアプローチと新たな方法論で、難しいと思われた続編製作を見事に成功させたのである。レオニダスの300人部隊が散ったテルモピュライの戦いとは異なる戦局を描き、映画はペルシア帝国の大艦隊に立ち向かった軍師テミストクレス(サリヴァン・ステイプルトン)に焦点を定め、描写のメインは地上戦から海上戦へと移行。さらにはペルシア側の背景にも視点を潜り込ませるという、別なるアプローチで全方位を固めた『300』となったのだ。 ■可変速度効果の向上、平面から立体への追求 そして視覚面においても『帝国の進撃』は、『300』の様式をきっちりと受け継ぎつつ、要所にてそれを見事にアップデートさせている。 前回の『300』のコラムでも触れたが、本シリーズの映像レイアウトの特徴をなすひとつに「可変速度効果」がある。これはひとつのショット内において、被写体の動きがスローモーションからファストモーションへとスピードアップしたり、逆にテンポダウンする特殊なカメラワークのことで、それを作り出すために同作では「フィルム撮影」という選択がとられていた。これは当時、デジタルHDカメラに納得のいくハイフレームレート(高コマ数)撮影機能がカバーされてなかったと、撮影監督を担当したラリー・フォンは語っている。高速度で撮像を得ないと、例えば通常スピードで撮られた映像を合成編集ソフトのエフェクトツールで引き延ばしてスローモーションにした場合、動きがカクカクしてなめらかさを欠くためである。 しかし前作から9年間の間にデジタルカメラの性能が著しく上がり、フィルムカメラを凌駕する高速度撮影が可能となったのだ。そこで『帝国の進撃』はフィルム撮影からデジタル撮影へとシフトさせ、RED EPICやファントムといったハイスペックなカメラ機種を現場に導入。1秒24fpsから96fps、最大で1200fpsというフレームレートによって、すさまじいスローモーション・フッテージをモノにしている。 だがこうした効果が、デジタル・バックロットによって合成を多く必要とする本作のVFXを、より複雑化させるものとなった。そこで本作の視覚効果を担当したVFXファシリティのひとつであるMPCは、合成チームが調整した映像のリタイムカーブ(速度曲線)情報を、本作の画像処理をつかさどるディレクトリ構造にパイプラインで共有する「3Dリタイム・パイプライン」を独自に開発。創作にともなうリタイムカーブ情報の変更を、随時可能にする利便性を得ている(ちなみにデジタル合成ソフトによるリタイムカーブ調整は前作『300』ではafter effectでおこなわれ、『帝国の進撃』ではMayaやnukeなどが用いられている)。 そしてなによりデジタルへの移行は、本作にデジタル3Dという表現形式を同時に与えることとなった。 もっとも『帝国の進撃』は専用カメラを用いて撮像したピュア3Dではなく、後処理によって3D化が図られている。そのためストーリーボードの段階から立体視を強調する画面構成やレイアウトがなされ、劇場で3Dメガネを介さずとも、おのずと前後空間を意識した画作りが感じられる。主観を思わせるカメラレンズに流血が降りかかり、血の飛沫が付着するところや、あるいは射った矢が眼前に迫ってきたり、また無数の軍艦が手前に進行してくるショットなど、こうした前後空間を意識したカメラモーションが「ミラーのコミックを映像に徹底置換する」という平面的従属から解放させ、奥行きを感じさせる新たな表現領域へと本作を誘導したのである。 ■監督ノーム・ムーロの功績 じつはこの前後方向へのカメラ移動、『帝国の進撃』の監督であるノーム・ムーロの、映像作家としてのスタイル的な特性でもある。 ムーロは1961年8月16日、イスラエルのエルサレムで生まれ、大学卒業後に広告の世界でキャリアを始めてから、CMやプロモーション映像など数多くのフィルム(ビデオ)クリップを手がけてきた。そして2003年にはGot Milk?の「Birthday」で世界最大規模を誇る広告賞「カンヌライオンズ」アワードのゴールドライオン賞を受賞し、一気に注目の存在となった。 こうして広告業界で商業的な成功を得たムーロは、大手広告製作会社ビスケット・フィルムワークスを設立。同社のオフィシャルサイトにはムーロの手がけてきたCM作品がアップされており、代表的なものをいくつか観ることができる。どの作品もゆるやかな前後のカメラ移動が特徴をなし、観る者を惹きつけていく。これらを見ると改めて、『帝国の進撃』の映像スタイルは、氏の演出的な法則に従ったものだとわかるだろう。 映画監督としてはデニス・クエイド主演によるファミリーコメディ『賢く生きる恋のレシピ』(08/日本未公開)で初の商業長編作品を手がけるが、日本でその名が意識されたのは『ザ・リング2』の監督に抜擢されたというニュースからだろう。日本由来のコンテンツに関わるということもあり、ムーロの手腕に大きな期待が寄せられたが、この企画は残念ながら途中降板となってしまった。 そんなおり、スーパーマン神話の再構築『マン・オブ・スティール』(13)の監督を依頼されたスナイダーに代わり、彼は『帝国の進撃』を手がけることとなったのだ。CMディレクター出身としてスナイダーと同じ血を体内に通わせ、同種の才能を共有するムーロだが、彼は確立された作品スタイルを、単に右から左へと流すような引き継ぎはしていない。戦闘場面などショットの精度はスナイダーよりも格段に磨き上げられ、よりスタイリッシュになっているし(残酷さも増したが)、前述したように平面世界から前後空間へとカメラモーションに奥行きが加わり、絵画的だった『300』ワールドに生々しいリアリティがもたらされたのだ。 だがなにより、こうした難しい続編に挑む姿勢そのものが、自由のために戦いを選んだ『300』という作品のテーマを体現しているかのようである。ムーロは本作の後、オリジナル配信コンテンツのリミテッドシリーズとして昨年『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』(18)のCGアニメドラマを監督。原作のみならず、2Dアニメの古典として知られている同作にCGで挑むチャレンジャーぶりを示すも、劇場用映画の領域からは久しく遠のいている。創造において発表媒体に優劣などないが、できることならば再び大きなスクリーンで、彼の描き出すヴィジョンを堪能したいものだ。■ 参考文献・資料・ASC“American Cinematographer”APRIL 2007 ・『300 〈スリーハンドレッド〉~帝国の進撃~』劇場用パンフレット(松竹事業部) ・300 – RISE OF AN EMPIRE: CHARLEY HENLEY (VFX SUPERVISOR) WITH SHELDON STOPSACK AND ADAM DAVIS (CG SUPERVISORS) – MPC
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COLUMN/コラム2019.08.02
アルトマンとニューマンの共謀 『ビッグ・アメリカン』に於ける企て
本作『ビッグ・アメリカン』で、主演のポール・ニューマンが演じているのは、“バッファロー・ビル”。西部開拓史にその名を残す実在の人物で、セシル・B・デミル監督の『平原児』(1936)、ジョエル・マクリー主演の『西部の王者』(44)、ブロードウェイ・ミュージカルの映画化『アニーよ銃をとれ』(50)等々、黄金期のハリウッド製西部劇映画にも、度々登場してきた有名キャラクターである。 しかしながら世代によっては、その名を聞くと、『羊たちの沈黙』(1991)でテッド・レヴィンが演じた、猟奇連続殺人犯の方を先に思い浮かべてしまう向きも、決して少なくないであろう。この猟奇連続殺人犯は、「獲物の女性を捕らえて殺し、皮を剥ぐ」というその手口によって、“バッファロー・ビル”と名付けられた。 実在の“バッファロー・ビル”は、「バッファロー狩りの名手」として鳴らしたことからから、そう呼ばれるようになった男である。それが後々、「獲物の女性の皮を剥ぐ」殺人鬼のニックネームに冠せられるとは、まさか本人は、夢にも思わなかったに違いない。 それほどまでに高名な、“バッファロー・ビル”の本名は、ウィリアム・フレデリック・コーディ。アメリカ・メキシコ戦争が勃発した1846年生まれで、子どもの頃から乗馬と射撃が巧みであり、10代中盤には、馬を利用した速達便である、“ポニー・エクスプレス”の騎手として活躍したと言われる。 その後金鉱開発やインディアン討伐に関わり、南北戦争(1861~65)時には、北軍のスカウト=斥候に。 南北戦争が終結すると、ビルは先に挙げたように、バッファロー狩りの猟師となった。当時バッファローは、鉄道建設の邪魔ものであると同時に、労働者たちの貴重な食料。ビルは1年半の間に、何と4,000頭以上ものバッファローを仕留めたという。 そんな彼の勇名を高めたのは、本作ではバート・ランカスターが演じている、小説家ネッド・バントラインとの出会いだった。バントラインは、ビルの様々な経験談を盛り込んだ小説を書き、大ヒットとなる。 そしてビルは、「バッファロー狩りの名手」をはじめ、「ポニー・エクスプレスの花形」「インディアン討伐の勇者」などと謳われ、一躍「西部のヒーロー」となった。そんな経緯からわかる通り、ビルの前半生の「ヒーロー譚」については、バントラインによって盛られたところが多いのは、想像に難くない。 何はともかく、若くして名声を得た“バッファロー・ビル”。そんな彼の後半生=30代後半以降は、本作『ビッグ・アメリカン』で描かれる、「ワイルド・ウエスト・ショー」と共にあった。 「西部の荒野のリアルを見せる」という触れ込みの「ワイルド・ウエスト・ショー」をビルが思い付いたのは、バントラインの次の言葉だったという。 「東部へ、大平原やインディアンを運びたまえ」 1882年にネブラスカ州ノース・プラットで試演。翌83年にオマハで、正式に幕開けとなった。 内容的には、アニー・オークリーと、フランク・バトラーの夫婦(本作ではジェラルディン・チャップリンとジョン・コンシダインが演じる)による曲撃ちで幕を開け、続いて開拓者の生活、駅馬車の襲撃、第7騎兵隊の全滅、ロープの妙技などを披露していく。 座長の“バッファロー・ビル”の出番は、インディアンによる駅馬車襲撃のパート。ビルはそこに助けに駆けつける役として、颯爽と登場したという。 この「ワイルド・ウエスト・ショー」には、往年のガンマンであるワイルド・ビル・ヒコックやカラミティ・ジェーン、強盗団で西部を荒らした、元無法者のフランク・ジェームズやコール・ヤンガー、更には本作にも登場する通り、リトルビッグホーンの戦いで、カスター将軍率いる第7騎兵隊を全滅させた、スー族インディアンのシッティング・ブル等々、「西部の有名人」が出演。84年のシカゴ公演では1日4万人の観客を動員するなど、大いに人気を集めた。 86年には、ビルは240名のメンバーを率いてイギリスに渡り、ヴィクトリア女王の即位50年を記念する御前公演を実施。クライマックスの駅馬車襲撃では、ギリシャ、ベルギー、デンマークの各国王が乗客に扮し、イギリス皇太子が駅馬車台に座って、西部ムードを満喫したという。 更に89年には、フランス、スペイン、イタリアを巡演し、ローマ法王に拝謁。93年のシカゴ・ワールド・フェアでは、半年で600万人を動員。「ショー」は、全盛期を迎えた。 20世紀に入ると、その勢いは徐々に下火となっていったが、1913年に解散するまで、「ワイルド・ウエスト・ショー」は、30年の歴史を刻んだ。 「ショー」の解散に際しては、「私の胸は張り裂けるようだった」と記した、“バッファロー・ビル”。その4年後の1917年、70歳で生涯の幕を下ろした。 先に記した通り、相当に盛られていたことは間違いないが、“バッファロー・ビル”は、これだけドラマチックな人生を送ったことになっている。このような「西部のヒーロー」を取り上げて“映画化”する場合、かつてはアクションやロマンスを軸にした“娯楽映画”にするのが、王道であった。 しかし本作が製作・公開されたのは、1970年代中盤。アメリカ社会の欺瞞や虚飾を痛烈に暴く、“ニューシネマ”の潮流がギリギリ命脈を保っていた頃である。 そして監督はロバート・アルトマン、主演はポール・ニューマン。この時代にこの題材で、この監督にこの主演俳優である。真っ当な“英雄譚”などが、製作される筈がない。 ここに至るまでのアルトマンのキャリアで、ヒット作と言えば、『M★A★S★H マッシュ』(70)と『ナッシュビル』(75)。前者は朝鮮戦争を舞台にしながら、製作・公開時にアメリカが行っていた“大義なき戦い”=ベトナム戦争を、徹頭徹尾おちょくった内容である。後者も、カントリー&ウエスタンを扱った音楽映画を装いながら、アメリカという国家を批評的に描いた、野心作であった。 その他興行的には成功を収めたとは言えない、『BIRD★SHT バード★シット』(70)『ギャンブラー』(71)『ロング・グッドバイ』(73)といった、アルトマンの諸作を眺めれば、実在の「西部のヒーロー」などは、アメリカ開拓史のウラを暴くための道具立てに過ぎないに、決まっている。アルトマンはビルを、「捏造されたアメリカの英雄第1号」として描いた。 本作以前に、『ハスラー』(61)『動く標的』『暴力脱獄』(67) など、様々な“アンチ・ヒーロー”を十八番としてきたのが、主演のポール・ニューマン。彼が西部に実在した人物を演じるのは、『左きゝの拳銃』(58)のビリー・ザ・キッド、『明日に向って撃て!』(69)のブッチ・キャシディ、『ロイ・ビーン』(72)のタイトル・ロールに続いて、本作の“バッファロー・ビル”が4本目。それまでの3本と同様、いやそれまで以上に、本作では「西部」のレジェンドを、打ち壊しに掛かっている。 『ビッグ・アメリカン』に登場する“バッファロー・ビル”は、中身のないすぼらな嘘つきで、「作られた」神話に見合うようにと、背伸びをして生きているように描かれている。現実に“スーパースター”でありながら、虚飾に満ちたハリウッドから距離を置いたライフスタイルを取っていたニューマンにとっては、「願ったり叶ったり」と言える役どころであった。スターとしての存在感を意図的にへこませるようなこの役に関しては自分自身で、「ポール・ニューマンという映画スターを演じている」と、アルトマンに伝えたという。 そんなわけでアルトマン監督と主演のニューマンの想いは合致し、現場での息もぴったりに撮影は進んでいった。本作が公開される1976年は、アメリカが建国200年を迎える年。アルトマンとニューマンはその年の7月4日、正に200周年の記念日に本作を公開し、愛国的なお祭り騒ぎに、皮肉な一撃を加えることを目論んだ。 しかし彼らとは、想いをまったく異にする男が居た。プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスである。この頃のラウンレンティスは、見栄えばかりが仰々しい、『キングコング』(76)や『オルカ』(77)などの大作路線に走っていた頃。アルトマンの前作『ナッシュビル』(75)の大ヒットがきっかけとなり、本作に参加することになったのだが、撮影に当たっては、次のような注文を付けたという。 「心してアクションを満載にしてくださいよ。脚本を読んでもアクションがあまりない」 アルトマンはそれを受け入れるふりをして、もちろんやり過ごした。結局完成した映画を観て、ラウンレンティスは心底失望したという。 こうして、アルトマンとニューマンの思い通りの作品となった、『ビッグ・アメリカン』。世界三大映画祭のひとつ「第26回ベルリン国際映画祭」では金熊賞(グランプリ)を受賞するなど、高い評価を受けた。しかしアメリカ本国での批評家受けは芳しくなく、興行も「ポール・ニューマン史上最低」と、当時は言われるほどの不発に終わった。 因みに相性が抜群だったアルトマンとニューマンは、この3年後『クインテット』(79)という、近未来の氷河期を舞台にした作品で再びタッグを組む。『クインテット』は『ビッグ・アメリカン』以上に総スカンを食い、日本では遂に、劇場未公開に終わってしまった。 叛逆の映画人2人の、その性懲りのなさも、今となってはただただ素晴らしく思える。■
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COLUMN/コラム2019.08.02
背筋の凍る深海ホラー『海底47m』の恐怖と人喰いザメ映画の変遷。
もともとはDVDとVODのみでリリースされる予定で、実際に小売店向けのサンプルDVDまで配布されていたものの、配給会社が直前になって劇場公開へ踏み切ることを決定。その結果、超低予算のインディーズ作品であるにも関わらず、全米興行収入6230万ドルのスマッシュヒットを記録することになった人喰いザメ映画である。 旅行先のメキシコでケージ・ダイビングに挑戦したアメリカ人姉妹が、血に飢えたサメのウヨウヨする海の底に取り残されてしまうという恐怖。低予算の人喰いザメ映画が毎年のように大量生産されている昨今だが、しかしその多くがDVDストレートやテレビ映画であることを考えると、この『海底47m』が映画館で真っ当に受け入れられたことは、それなりに画期的だったとも言えよう。 人喰いザメ映画の変遷を振り返る それにしても、人喰いザメ映画の根強い人気には少なからず驚かされるものがある。ご存知の通り、そもそもの原点はスティーブン・スピルバーグ監督の出世作である『ジョーズ』(’75)。海水浴客で賑わう避暑地の海岸に凶暴で巨大なホオジロザメが現れ、次々と人間を食い殺して人々を恐怖のどん底へと突き落とす。若きスピルバーグ監督のツボを心得たショック演出、作曲家ジョン・ウィリアムズによるスリリングな音楽スコアなどのおかげもあり、興行収入において当時の史上最高記録を樹立するほどの社会現象となった。 これを機に、ピラニアやクマや犬、さらには蜂やミミズやタコなど、ありとあらゆる生物が人間に襲いかかる動物パニック映画のブームが訪れ、本家『ジョーズ』もシリーズ化されて合計4本が製作された。しかし意外なことに、その『ジョーズ』シリーズに続く本格的な人喰いザメ映画は、リアルタイムではほとんど作られなかったのである。 メキシコの有名なB級映画監督ルネ・カルドナ・ジュニアは、『タイガーシャーク』(’77)と『大竜巻/サメの海へ突っ込んだ旅客機』(’78)を相次いで発表するが、蓋を開けてみるとどちらもメインは恋愛ドラマやら自然災害パニックで、人喰いザメなど刺身のツマも同然の扱いだった。フロリダを基盤に’60年代からZ級クズ映画を撮り続けたウィリアム・グルフェも、『地獄のジョーズ/’87最後の復讐』(’76)なる映画を作っているが、当時はほとんど見向きもされなかった。 一方、世界に冠たるパクリ映画大国イタリアでは、人喰いザメ映画と思ったら実は海洋版『未知との遭遇』だった!という『人食いシャーク・バミューダ魔の三角地帯の謎』(’78)という怪作が存在するが、やはりマカロニ版人喰いザメ映画といえば、イタリアン・アクションの巨匠エンツォ・G・カステラーリが撮った『ジョーズ・リターンズ』(’81)であろう。ストーリーはほぼ『ジョーズ』のリメイクだが、機械仕掛けの巨大なサメを出し惜しみせず大暴れさせるサービス精神は立派だった。これがアメリカ市場でもメジャー・ヒットを飛ばしたことから、以降もランベルト・バーヴァ監督の『死神ジョーズ・戦慄の血しぶき』(’84)、トリート・ウィリアムズ主演の『死海からの脱出』(’87)など、イタリアでは正統派(?)の人喰いザメ映画が何本か作られている。 このように、必ずしも大きなうねりとはならなかった人喰いザメ映画だが、しかし’90年代末になって状況が一変することとなる。レニー・ハーリン監督作『ディープ・ブルー』(’99)のメガヒットだ。テレビ向けに制作された『シャークアタック』(’99)もシリーズ化されるほど評判となり、徐々に人喰いザメ映画が量産されるようになっていく。その背景には、CG技術の発達や撮影機材のコンパクト化のおかげで、昔ほど手間暇をかけずとも、それなりに見栄えのいいサメ襲撃パニックを描けるようになったことが挙げられるだろう。 そして、製作本数がうなぎ上りに増加していくに従って、奇想天外なギミックによって観客受けを狙った悪ノリ映画も増えていく。その走りが、人喰いザメ映画というより巨大モンスター映画と呼ぶべきビデオ映画『メガ・シャークVSジャイアント・オクトパス』(’09)。竜巻に乗って人喰いザメが空から降ってくるテレビ映画『シャークネード』(’13)は、米ケーブル局SyFyの看板シリーズになるほどの大評判で、現在までに通算6本が製作されているほか、スピンオフ作品やコミック版、ビデオゲーム版まで誕生した。 ほかにも、人喰いザメが陸上の砂浜を暴れまわる『ビーチ・シャーク』(’11)、民家に棲みついた人喰いザメが住人を襲う『ハウス・シャーク』(’17)、恨みを持って死んだ人喰いザメが幽霊になる『ゴースト・シャーク』(’13)、雪山のスキー場に人喰いザメが出現する『アイス・ジョーズ』(’14)などなど、もはや文字通り何でもありの滅茶苦茶な状態。そのうち、人喰いザメが宇宙で大暴れするようになるのも時間の問題であろう。いや、既にそんな映画あったりして(笑)。 ただ、先述したように、これらの人喰いザメ映画の大半は、DVD市場およびテレビ向けに作られた低予算のB級作品。映画館でちゃんと上映されたのは、中国資本が入ったメジャー大作『MEGザ・モンスター』(’18)と、オーストラリアとフィリピンの合作『パニック・マーケット3D』(’12)くらいのものだ。とはいえ、この手の人喰いザメ映画が世界中で根強いファンを獲得し、安定的なマーケットを成立させていることは注目に値するだろう。 本当に恐ろしいのは人喰いザメよりも不気味な深海世界! その一方で、奇をてらうことなくリアルなスリルと恐怖を追求した、正統派の人喰いザメ映画も、数こそ少ないもののコンスタントに作られている。恐らくその代表格は、サメのうろつく海のど真ん中で置き去りにされたダイバー夫婦のサバイバルを、緊張感たっぷりに描いてサプライズヒットとなった『オープン・ウォーター』(’04)であろう。また、海岸から離れた岩場に取り残された女性サーファーが、巨大な人喰いザメと対峙することになるブレイク・ライヴリー主演の『ロスト・バケーション』(’16)も、地味な低予算映画でありながら高く評価され、興行的にもまずまずの成功を収めた。実際、当初DVDスルーされるはずだった『海底47m』が劇場公開されるに至ったのも、『ロスト・バケーション』のヒットにあやかろうという配給会社の思惑があったとされている。 主人公はメキシコを旅行中のアメリカ人姉妹リサ(マンディ・ムーア)とケイト(クレア・ホルト)。好奇心旺盛で活発な妹ケイトに対し、姉のリサは淑やかで控えめな女性だ。その慎重すぎる性格のせいで、婚約者から「退屈だ」と言われて振られてしまったリサを励ますべく、姉を夜遊びへと連れ出すケイト。そこで地元のイケメン男子コンビ、ルイス(ヤニ・ゲルマン)にベンジャミン(サンティアゴ・セグーラ)と知り合った姉妹は、巨大なサメを間近で見ることの出来るケージ・ダイビングに誘われる。 退屈な女の汚名を返上しようと、怖がるリサを説得するケイト。開放感あふれる南国の海と太陽と青空にも後押しされ、イケメン男子たちと待ち合わせてケージ・ダイビングに参加する姉妹。しかし、アメリカ人らしい船長テイラー(マシュー・モディン)は見るからに怪しげだし、船や機材も古くて錆びついている。いや、これって絶対に無許可の違法営業でしょ、本当に信用しても大丈夫なのかなーと思いつつ、ダイビングスーツに酸素ボンベを装着してケージの中に入るリサとケイト。ところが、運の悪いことに不安は的中。ケージを吊るしているクレーンが壊れてしまい、姉妹はケージの中に閉じ込められたまま海底47メートルまで真っ逆さまに落下してしまう。 落下のショックから意識を取り戻したリサとケイト。気が付くと酸素ボンベは残り僅かだし、無線も圏外で船と連絡を取ることが出来ない。そのうえ、真っ暗な海底には巨大な人喰いザメがウヨウヨしているため、うかつにケージの外へ出るのは危険。違法業者であるテイラー船長たちが助けてくれるかも分からない。かといって、自力で脱出しようにも潜水病が心配だし、なによりサメに襲われる確率が高い。そんな極度の緊張と不安の中、姉妹はどのようにして絶体絶命の危機を乗り越えていくのか…!?というわけだ。 まさしく『オープン・ウォーター』や『ロスト・バケーション』の系譜に属する、リアリズム志向の強いワン・シチュエーションな海洋サスペンス・ホラー。注目すべきは、物語の大半が海底で展開すること。過去の人喰いザメ映画を振り返ってみても、深海を主な舞台にした作品はほとんど例がない。この着眼点こそ、本作が成功した最大の理由だろう。 なにしろ、海の底はどこまでも果てしなく真っ暗。その深い闇に何が潜んでいるのか分からない。しかも、酸素ボンベがなければ息も出来ないし、そもそも海底40メートルを超えると身体的なリスクも高くなる。そう考えると、本作において真に恐るべきは人喰いザメではなく、不気味に広がる海底世界そのものだと言えるだろう。水泳の苦手なカナヅチの筆者にとっては、それこそ眩暈がするほどの恐怖である。中でも、姉妹を助けに来た船員ハビエル(クリス・J・ジョンソン)が遠くへ消えてしまい、彼を探しに向かったリサがハッと気付くと、真っ暗な空洞のごとき海底の崖が眼下に広がっているシーンなどは、まさしく背筋が凍るような恐ろしさ!この臨場感を存分に味わうためにも、出来れば映画館で見て欲しい作品だ。 監督は『ゴーストキャッチャー』(’04)や『ストレージ24』(’12)などで知られるイギリス出身のホラー映画作家ヨハネス・ロバーツ。実は彼自身が経験豊富なダイバーだという。なるほど、素人が見ても細部の描写までリアリティが感じられるのはそのためか。主演は’00年代初頭に一世を風靡した元人気ポップシンガーのマンディ・ムーアと、ドラマ『ヴァンパイア・ダイアリーズ』(‘11~’13)および『オリジナルズ』(‘13~’18)のヴァンパイア、ミカエラ役で有名なクレア・ホルト。2人ともダイビングは全くの未経験で、直前にトレーニングを受けて撮影に臨んだのだそうだ。怪しげなテイラー船長を演じるのは、懐かしの’80年代青春スター、マシュー・モディン。近ごろはスクリーンで見かけることも少なくなった。 なお、来る’19年8月16日には、待望の続編『47 Meters Down: Uncaged』が全米公開される。再びヨハネス・ロバーツ監督がメガホンを取っているものの、ストーリーそのものは直接的な関連性がない。今回は4人のティーン女子がダイビングで海底遺跡の探索に出かけたところ、暗い洞窟に潜む人喰いザメたちに襲われるというお話。日本公開を期して待ちたい。■ 『海底47m』© 47 DOWN LTD 2016, ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2019.07.25
主人公ラクエル・ウェルチの娘役(当時10歳の)ジョディ・フォスターにも注目!
『カンサス・シティの爆弾娘』(72年)は、ローラーダービーという70年代に流行ったスポーツのスター選手が主人公です。バンクのあるトラックをローラースケートで走り、敵チームの妨害をかわしてポイントを稼ぐゲームで、日本ではローラーゲームと呼ばれて、1972年頃、毎週TVで放送されて人気でした。日本のチーム名は「東京ボンバーズ」。キャプテンの佐々木ヨーコさんは大スターでした。 ローラーゲームは実はプロレスのようなものでした。つまりスポーツというよりショービジネス、筋書きがあるエンターテインメントでした。反則攻撃が売り物で、ベンチなどを使った凶器攻撃や、女の人同士が髪の毛を引っ張りあうキャットファイトに観客は熱狂しました。女性選手は体の線がはっきり見える服を着て、ちょっとエロチックな見世物の要素もありました。でも、本作が作られたころはアメリカ人も日本人も無邪気にこれが真剣勝負だと信じていて、それを前提にこの映画は作られています。 主演はラクエル・ウェルチ。あまりにも完璧なスタイルで60年代に世界中の男性をノックアウトしました。特に『恐竜100万年』(66年)での原始人ガールは衝撃で、『ショーシャンクの空に』にも出てきますね。こういうスタイルが良すぎる女性は、ゲイの男性からも人気があるんです。『カンサス・シティの爆弾娘』のシナリオを書いたバリー・サンドラーもそうでした。 サンドラーはUCLAの学生時代、とにかくラクエル・ウェルチが大好きで、彼女を主役にしたローラーゲームの映画が観たくて、自分で一所懸命シナリオを書いて、ラクエル・ウェルチさんの家まで持ってったんですよ。で、ウェルチさんが自分で映画会社に持ち込んで、映画化にこぎつけたんです。サンドラーはこれでハリウッド・デビューして、1982年に書いた『メーキング・ラブ』はハリウッドが始めて同性愛を真正面から描いた映画になりました。 僕が『カンサス・シティの爆弾娘』を観に行った理由は、ラクエル・ウェルチよりも、ジョディ・フォスターが出てるからなんですよ。ウェルチの娘役でね。僕はフォスターのファン世代なんです。そのころ、彼女が出ている映画は『タクシードライバー』から『ダウンタウン物語』、『白い家の少女』(すべて76年)まで片っ端から観てたので、『カンサス・シティの爆弾娘』にも子役で出ていると知って、名画座まで追っかけました。でも、ジョディは売れっ子になる数年前だから、ろくにアップもなかったですけどね(笑)。 この映画、ラクエル・ウェルチは「カンサス・シティの爆弾娘」と呼ばれているんですが、舞台はオレゴン州のポートランドなんですよね。いったんスターの座から落ちたヒロインが、どん底から再起していく、スポーツ物の定番です。共演はケヴィン・マッカーシー。『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(56年)とか、昔の50年代のホラーSF映画によく出ていた俳優ですが、本作ではローラーゲームの大物プロモーター、W W Eのヴィンス・マクマホンみたいな経営者を演じていて、ヒロインと恋愛関係になります。監督がT V出身のジェロルド・フリードマンだからか、ちょっとメロドラマ風です。でも、ウェルチ様は権力のある男に屈することなく独りで闘う道を選びます。 ローラーダービーは70年代半ばには廃れましたが、21世紀に入ってから蘇りました。アメリカの女性たちが自主運営でリーグを作っていったのです。真剣勝負のスポーツとしてのローラーダービーを。それは『ローラーガールズ・ダイアリー』(09年)という映画になっていますから、この『カンサス・シティの爆弾娘』とぜひ、比べてみてください。■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●ウェルチはスケート・シーンのほとんどを自身で演じた。その訓練中に右の手首を負傷したため6週間撮影が中断。その間ウェルチはブダペストへ飛んで、リチャード・バートン主演の『青ひげ』(72 年)にカメオ出演した。●全米のトップ・スケーターはもとより、日本(当時日本で人気絶大だった“東京ボンバーズ”)とオーストラリアのチームも撮影に招かれた。●TVドラマの監督だったジェロルド・フリードマンの劇場映画監督デビュー作。●撮影監督は当初ヴィルモス・ジグモンドが担当するはずだった。●K・Cをいじめるジャッキー・バーデット役ヘレナ・カリアニオテスがゴールデン・グローブの最優秀助演女優賞を受賞した。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.07.14
過ぎ去り行く開拓時代、大西部の田舎町に情け容赦ない正義の銃声がこだまする
イギリス出身の映画監督マイケル・ウィナーの本格的なハリウッド進出作である。オリヴァー・リードやチャールズ・ブロンソンとのコンビで次々とヒットを放ち、中でもブロンソンが主演したヴィジランテ映画の金字塔『狼よさらば』(’74)の大ヒットで名を上げたウィナー。キャノン・フィルムと組んだ’80年代以降の失速ぶりが目立ってしまったせいか、なにかにつけ「B級映画監督」のレッテルを貼られがちな人だが、しかしある時期までのマイケル・ウィナーは紛れもない鬼才だった。 ロンドンの裕福な家庭の一人っ子として何不自由なく育ったお坊ちゃん(ギャンブル中毒の母親には悩まされたようだが)。14歳にして新聞に芸能ゴシップの連載コラムを持つという早熟な少年で、映画ジャーナリストを経て短編映画を監督するようになる。転機となったのは、クリフ・リチャードやマーティ・ワイルドと並ぶアイドル・ロック歌手ビリー・フューリーが主演したロック・ミュージカル『Play It Cool』(’62・日本未公開)。これが初めて商業的成功を収めたことから、当時まだ26歳だったウィナーは、英国映画界の新世代監督として売れっ子になる。そして、英米合作の戦争映画『脱走山脈』(’69)がアメリカでもヒット。ユナイテッド・アーティスツから声がかかったウィナーが、満を持してのハリウッド進出第一弾として選んだプロジェクトが、自身にとって初の西部劇『追跡者』(’71)だったのである。 舞台は19世紀末のニューメキシコ州。サバスという町から牛を運んだカウボーイたちが、その帰り道に途中の町バノックで酒に酔って暴れ、拳銃の流れ弾を受けた老人が死亡する。それからしばらく後、サバスの保安官ジャレド・マドックス(バート・ランカスター)が、犯人の一人コーマンの死体を持参してサバスへ到着。地元の保安官コットン・ライアン(ロバート・ライアン)に、残りの6人の引き渡しを求めるが、しかしライアンはそれを「不可能」だとして断る。 というのも、6人のうち1人はサバスの名士ヴィンセント・ブロンソン(リー・J・コッブ)。残りの5人は彼の子分たちだ。鉄道も石炭もない町サバスの住人たちは、ブロンソンが経営する牧場に依存して生活している。つまり、彼は町の実質的な支配者。ここではブロンソンこそが法律であり、保安官ライアンとて彼には手を出せないのだ。 しかし、「法を欺くものは絶対に許さない」が信念のマドックスは引き下がらない。当初、ブロンソンは慰謝料を支払うことで解決しようとするが、しかし清廉潔白なマドックスは取引に応じる相手ではなかった。「ならばマドックスを殺してしまおう」と考える血気盛んなカウボーイたち。だが、苦労して手に入れた土地や財産を失いたくないブロンソンは平和的な妥協策を模索し、かつては名うてのガンマンだったライアンもマドックスが彼らの敵う相手ではないと忠告する。 とはいえ、マドックスの執拗な追及に苛立つカウボーイたち。追い詰められた彼らは、無謀にもマドックスとの決闘に挑み、一人また一人と銃弾に倒れていく。夫を見逃して欲しいと嘆願するかつての恋人ローラ(シェリー・ノース)、迷惑だから町を出て行けと迫る住民たち。しかし、妥協することも罪を見逃すことも良しとしないマドックスは、彼らの要求を頑として受け付けず、ただひたすらに職務を全うしていく…。 主人公マドックスの体現するものとは? 『チャトズ・ランド』(’72)のチャトのごとく己の信念を決して曲げず、『メカニック』(’72)のビショップのごとくプロとしての美学を徹底して貫き、『狼よさらば』のポール・カージーのごとく執念深いマドックスは、紛うことなきマイケル・ウィナー映画のヒーローだ。彼の行動原理はただ一つ、法執行官としての責任を最後まで果たすこと。カウボーイたちにはそれぞれ、逮捕されては困るような生活の事情がある。そもそも、彼らは故意に老人を殺したわけではなく、マドックスが来るまでその事実すら知らなかった。情状酌量の余地もあるように思えるが、しかし頑固一徹なマドックスには通用しない。なぜなら、それは裁判官や弁護士が考えるべきことで、保安官の役割ではないからだ。 そこまで彼が己の職務と法律順守にこだわる背景には、たとえ僅かな違法行為でも見逃してしまえば、社会の秩序がそこから崩壊してしまうという危機感がある。確かに、カウボーイたちは根っからの悪人ではない。それは彼らのボスであるブロンソンも同様で、少なくとも町の人々にとっては良き独裁者だ。しかし、保安官として罪を犯した者を捕らえるのはマドックスにとって当然であり、そこに個人のしがらみや感情が介在してはいけない。ましてや、うちの旦那だけは見逃してとか、よその町で起きた犯罪なんてうちには関係ないとか、法律よりも町の利益の方が重要だなどという理屈は、彼に言わせれば言語道断であろう。 一見したところ、融通の利かない非情な男に見えるマドックスだが、しかし法律における正義とは本来そうあるべきもののようにも思える。特に、「今だけ・金だけ・自分だけ」などと揶揄され、忖度や捏造や改竄が平然とまかり通る昨今の某国では、彼のような人物こそが必要とされている気がしてならない。 と同時に、本作は時代の岐路に立たされた者たちのドラマでもある。マドックスがホテルの宿帳に記した日付によると、本作の時代設定は1887年。無法者たちが荒野を駆け抜け、開拓民が自分たちのルールで未開の地を切り拓いた時代も、もはや過去のものとなりつつあった頃だ。着実に近づいてくる近代化の足音。その象徴が、国家の定めた法の番人マドックスだと言えよう。 そして、かつてネイティブ・アメリカンを殺戮して土地を奪い、その戦いの過程で大切な家族を失ったブロンソンも、名うてのガンマンとして勇名を轟かせたライアンも、その事実を否応なしに受け止めている。暴力のまかり通る野蛮な時代は、もうそろそろおしまいだと。いや、むしろあんな時代はもう沢山だとすら考えている。しかし、フロンティア精神への憧憬が抜けきらないカウボーイたちは、まるで時代の変化に抗うかのごとくマドックスに挑み、そして無残にも命を散らしていくのだ。 必ずしも好人物とは呼べないアンチヒーロー的な主人公、あえて観客の神経を逆撫でする無慈悲なバイオレンス、そして世の中を斜めから見つめたシニカルな世界観。その後の『スコルピオ』(‘73)や『シンジケート』(’73)などを彷彿とさせる、いかにも当時のマイケル・ウィナーらしい作品だ。常連組ジェラルド・ウィルソンの手掛けた脚本の出来栄えも素晴らしい。撮影監督のロバート・ペインターも、ウィナー監督とは『脱走山脈』以来の付き合い。やはり、気心の知れた仲間とのコラボレーションは大切だ。徹底してリアリティを追求したウィナー監督は、劇中に出てくる小道具にも本物のアンティークを使用。石油ランプひとつを取っても、同時代に使われた実物を、わざわざイギリスからスタッフに運ばせたという。 鬼才マイケル・ウィナーのもとに集ったクセモノ俳優たち しかし、なによりも賞賛すべきは、バート・ランカスターにロバート・ライアン、リー・J・コッブという、ハリウッドでもクセモノ中のクセモノと呼ぶべきベテラン西部劇俳優たちを起用し、彼らから最高レベルの演技を引き出したことであろう。なんといったって、オリヴァー・リードにチャールズ・ブロンソン、オーソン・ウェルズ、マーロン・ブランドといった、気難しくて扱いづらいことで有名な大物スターたちを、ことごとく手懐ける(?)ことに成功したウィナー監督。ランカスターとは撮影中に何度も衝突し、胸ぐらを掴まれ「殺してやる」とまで脅されたらしいが、結果的には彼の当たり役のひとつに数えられるほどの名演がフィルムに刻まれ、2年後の『スコルピオ』でも再びタッグを組むこととなった。その秘訣をウィナー監督は、「そもそも私は根っからのファンで、彼らのことを怖れたりしなかったから」と語っている。 脇役の顔ぶれも見事なくらい充実している。アルバート・サルミにロバート・デュヴァル、ジョゼフ・ワイズマン、J・D・キャノン、ラルフ・ウェイト、ジョン・マクギヴァーなどなど、映画ファンならば思わず唸ってしまうような名優ばかりだ。これが映画デビューだったリチャード・ジョーダンは、同年の『追撃のバラード』(’71)でもランカスターと再共演し、ウィナー監督の西部劇第2弾『チャトズ・ランド』にも出演。当時は下賤なレッドネックの若者といった風情だったが、いつしか都会的でスマートな悪役を得意とするようになる。ブロンソンの息子ジェイソン役のジョン・ベックは、『ローラーボール』(’75)や『真夜中の向こう側』(’77)など、一時期は二枚目タフガイ俳優として活躍した。 そして、マドックスの元恋人ローラを演じるシェリー・ノースである。もともと第二のマリリン・モンローとして、20世紀フォックスが売り出したグラマー女優だったが、脇に回るようになってから俄然本領を発揮するようになった。中でも彼女を重宝したのがドン・シーゲル監督。『刑事マディガン』(’68)の場末のクラブ歌手を筆頭に、『突破口!』(’73)の胡散臭い女性カメラマン、『ラスト・シューティスト』(’76)のジョン・ウェインの元恋人など、酸いも甘いもかみ分けた年増の姐御を演じさせたら天下一品だった。 本作でも、かつて若い頃は相当な美人だったであろう、しかし今ではすっかり生活に疲れ果てた女性として、なんとも味わい深い雰囲気を醸し出す。20年ぶりに再会したマドックスに、忘れかけていた情愛の念を掻き立てられるものの、かといって臆病者で卑怯者だけど憎めない夫を見捨てることも躊躇われる。クライマックスのどうしようもないやるせなさは、彼女の存在があってこそ際立っていると言えよう。これぞ傍役の鏡である。
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COLUMN/コラム2019.07.10
ザック・スナイダー監督が語った『300〈スリーハンドレッド〉』の様式美
■デジタル背景の正当性を示した古代戦闘劇 「『シン・シティ』は原作が大好きだし、映画だってもちろん好きだ。なぜならロバート(・ロドリゲス)の全デジタル環境での撮影は、主にアーティスティックな理由からくるもので、それはこの『300〈スリーハンドレッド〉』と同じ哲学を持っている。そういう意味でデジタル・バックロットという手法が本作によって正当化されたのではないか、と僕は思っているんだよ」 これは『300〈スリーハンドレッド〉』(以下『300』)が日本で2007年に公開されたとき、来日したザック・スナイダー監督に筆者(尾崎)が訊いた質問への答えだ。ロバート・ロドリゲス監督(『デスペラード』(95)『アリータ:バトル・エンジェル』(18))によって映画化がなされた『シン・シティ』は、『300』と同じフランク・ミラーのグラフィックノベルを原作とし、言うなれば兄弟のような存在である。 しかもそれだけではない。作品の撮影も『シン・シティ』と『300』とで、まったく同じスタイルが共有されている。そこでスナイダーにこう確認したのだ。 「同じミラーの原作を題材にし、なおかつ同じ[デジタル・バックロット]のアプローチをとった『シン・シティ』を、あなたはどう思うのか?」と。 デジタル・バックロットとは、俳優をグリーン(ブルー)スクリーンの前で演技させ、CGによって作られた仮想背景と合成する手法のことだ。映画製作においてデジタル環境の整った現在、それはもはや特殊なものではない。今やハリウッド映画は、俳優をCGの背景前に置いて映像を創り出すデジタル・バックロットが比重を占め、どこまでが実景でどこまでが仮想のものか、容易に判別できないクオリティへと達している。 しかし『300』においてスナイダーは、デジタル・バックロットを観客の目をあざむくために用いるのではなく、極度に誇張された幻想性の高い世界を創造しているのだ。 ■コミックを読む速度までもシミュレートした驚異の再現性 なぜスナイダーがこの手法にこだわったのかといえば、それは仕上げられた映像を見れば明らかだろう。彼はコミックのモノトーンのタッチを忠実に映像化した『シン・シティ』と同様、フランク・ミラーの意匠を実写に反映させるという課題を設けている。そしてミラーと彩色担当のリン・ヴァーリィによる描画スタイルを再現することで、おのずと他に類例のないビジュアルを観る者に提供し、わずか300人で100万人のペルシア軍を迎え撃つ、スパルタ戦士レオニダス(ジェラルド・バトラー)の熱い戦いをエモーショナルに、よりフェティッシュに描いたのである。 デジタル・バックロットはそのための最適な手段であり、現実的には無理が生じるアングルでも、これを駆使してスナイダーは、原作ひとコマひとコマの構図を的確に実写へと落とし込んでいる。そのこだわりは細部にまで及び、マーカーで荒々しく描かれた岩肌の筆致や、また原作では飛び散るインクで血しぶきを表現しているところ、これをスキャンし、飛沫の形状までも見事にミラーのタッチにしたがっている。このように残酷さも「様式美」と捉え、原作既読者に大きなインパクトを残した「死者の木」や「死者の壁」なども、じつにアーティスティックな表現がなされている。 だが、ここまでならば『300』は『シン・シティ』の轍を踏んだものでしかない。そこでスナイダーは、ロドリゲスが思いもしなかったアイディアにまで手を伸ばし、『シン・シティ』以上に原作のテイストに迫ったのだ。それがワンショットの中でスローからファスト(早い)モーションへ、そしてまたスローへと撮影速度が切り替わる「可変速度効果」である。 スナイダーは、この瞬時の出来事をゆっくりと引き延ばすテクニックによって、観客の視覚とカメラワークとを同化させている。ハイフレームレート(高コマ数)撮影を拡張させたこの手法が、グラフィックノベルの読み手がコマからコマへと目線を移すさいのスピードや、展開次第で感情の速度が速まったり遅くなったりするリズムをも創出し、そこは『シン・シティ』さえも及ばなかった高度な領域に『300』は及んだのである。 さらにスナイダーは、この可変速度効果ショットに急速にカメラが寄ったり引いたりするモーションを加え、より独創的な映像効果を追求している。 このテクニックは通称「クレイジーホース」と呼ばれ(クレアモント・カメラ社の特殊な撮影デバイスを使用したテレビ映画“Crazy Horse”(96)から呼称を得ている)、ワイド、ミディアム、タイトとそれぞれのアングルに固定した3台のカメラで、同一のハイフレームレートショットを撮影。それらを編集時に速度調整し、3つのアングルをシームレスに繋げることで生み出されている。そのアクロバティックな映像アプローチは、本作『300』のスタイルを受け継いだ続編『300〈スリーハンドレッド〉~帝国の進撃~』(14)でさえマネのできなかったものだ。スナイダーは映像作家としてのキャリアにおいて、このクレイジーホースを最初にゲータレードのCMに用いた。そして本作ではレオニダスが無数のペルシア軍に斬り込むショット(本編開始から約48分ごろ)や、ディリオス(デビッド・ウェナム)らが大軍を率いて一斉に進撃するラストショットに確認することができる。 ■『300』を手がけたことで確立した作家性 しかし、なぜそこまで細かくグラフィックノベルの再現に固執したのだろう? それがザック・スナイダー流の、原作に対するリスペクトの証だからだ。彼は言う。 「僕の商業映画デビュー作である『ドーン・オブ・ザ・デッド』(04)は、オリジナルの『ゾンビ』(78)がホラー映画の名作だし、そんなオリジンを監督したジョージ・A・ロメロも、そして『300』のミラーも、それぞれがジャンルのアイコンともいうべき存在だ。そんな彼らと、彼らの聖域をないがしろにすることに、ファンは強い抵抗を覚えるんだよ」 スナイダーの微に入り細に入って作り込んでいくスタイルは、なによりも原典を尊重する姿勢のあらわれだったのである。しかしそこまで従属的にならずとも、多少オリジナリティを投入するべきだったのでは? という筆者の問いには、 「『300』の複雑だったストーリーラインを一本化したのは、僕たちのオリジナル的な行為といっていいかもしれない。いちばん目立たない作業だけれど、それはそれで大変なものだったんだよ」 と笑いながら答えてくれた。 なにより『300』を原作により近づけるため、スナイダーがほどこした方法の数々は、おのずと彼自身のオリジナリティを形成する一助となっている。ハイフレームレートのためにフィルムカメラを使用したことは、その後の彼にフィルム主義をまっとうさせ、デジタルを主流とする現在の商業映画において、彼は最近作『ジャスティス・リーグ』(17)までフィルム撮影を敢行している。こうしたアプローチが、スーパーマンの存在を実録的に描こうとした『マン・オブ・スティール』(13)の支えとなり、また『エンジェル ウォーズ』(11)における、醜悪な現実を空想で駆逐する美少女たちの勇姿も、フィルムの活用あればこその説得力といえる。 ちなみにこの『300』は、スナイダー監督が『ドーン・オブ・ザ・デッド』を手がける以前より着手していた企画で、その証として『ドーン〜』にはフランク・ミラーという名のキャラクターが登場し、ゾンビと化して悲劇的に死んでしまう。あるいは『300』の後に監督した『ウォッチメン』(09)においても、スナイダーは冒頭でコメディアンが殺される部屋番号を「300」に設定するなど、リスペクトのわりに毒を効かせた引用が笑える。■
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COLUMN/コラム2019.06.30
1999年のデヴィッド・クローネンバーグ。『イグジステンズ』
かつて“プリンス・オブ・ホラー”と異名を取った、デヴィッド・クローネンバーグ監督(1943年生まれ)。彼が本作『イグジステンズ』の着想を得たのは、イギリスの作家サルマン・ラシュディとの出会いであった。 ラシュディと言えば、1988年に発表した小説「悪魔の詩」が、イスラム教を冒涜しているとして、当時のイランの最高指導者ホメイニから“死刑宣告≒暗殺指令”を受けた人物。そのため彼は、イギリス警察の厳重なる保護下に置かれ、長きに渡って隠遁生活を送ることとなった。 この“死刑宣告”はラシュディ本人に対してだけでなく、「悪魔の詩」の発行に関わった者なども対象とされたため、イギリスやアメリカでは多くの書店が爆破され、「悪魔の詩」のイタリア語版やトルコ語版の翻訳者は襲撃を受けることとなった。また、この“宣告”に異議を唱えた、サウジアラビアとチュニジアの聖職者が銃殺されるという事件も起こっている。 遠く異国の話ばかりではなく、日本でも大事件が起こった。1991年7月、「悪魔の詩」の日本語訳を行った「筑波大学」助教授の中東・イスラム学者が、キャンパス内で刺殺体で発見されたのである。この衝撃的な殺人事件は犯人が逮捕されることなく、迷宮入りに至った。 クローネンバーグは95年に、そんな「悪魔の詩」の著者であるラシュディと、雑誌で対談。芸術家がその芸術ゆえに“死刑宣告”を受けるという状況に強い衝撃を受け、本作の構想を練り始めたという。 己の作品が、特定の社会的・政治的解釈の餌食になることを好まないクローネンバーグだが、実際は新作発表の度に様々な事象と紐づけられては、物議を醸してきた過去がある。ラシュディとの邂逅にインスパイアされ、物語を編み出すなど、「いかにもクローネンバーグらしい」エピソードである。 そしてその後、紆余曲折を経て完成に至った本作も、「いかにもクローネンバーグらしい」作品と言える。 近未来の世界の人々の娯楽。それは、脊髄にバイオポートという穴を開け、生体ケーブルを挿し込み、両生類の有精卵で作った“ゲームポッド”に直接つないでプレイする、ヴァーチャル・リアリティーゲームだった。 新作ゲーム“イグジステンズ”の発表イベントにも、多くのファンが集結。開発者である、天才ゲームデザイナーの女性アレグラ・ゲラー(演:ジェニファー・ジェイソン・リー)を、拍手をもって迎えた。 しかしその会場に、“反イグジステンズ主義者”を名乗るテロリストが闖入。「“イグジステンズ”に死を!魔女アレグラ・ゲラーに死を!」と唱えると、隠し持っていた奇妙な銃でゲラーを撃ち、彼女の肩に重傷を負わせる。 その場に居合わせたのが、警備員見習いの青年テッド・パイクル(演:ジュード・ロウ)。彼はアレグラを保護するべく、彼女を連れて会場から脱出し、逃走する。 アレグラは、襲撃された時に傷ついたオリジナルの“ゲームポッド”が正常かどうかを、確かめるようとする。そこで、脊髄に穴を開けることを怖れてゲームを毛嫌いしていたテッドを強引に巻き込み、“イグジステンズ”のプレイをスタートする。 ルールもゴールも分からないまま、ゲーム世界のキャラクターになったテッドは、自意識はあるものの、進行に必要なセリフは勝手に口をついて出てくる状態になる。その中で、同行するアレグラとセックスを欲し合ったり、殺人を犯したりしながらステージをクリアして行く。 やがて“イグジステンズ”をプレイし続ける2人の、現実と非現実の境界は、大きく揺らいでいくのだった…。 本作『イグジステンズ』は公開当時、「クローネンバーグの“原点回帰”」ということが、まず指摘された。本作が製作・公開された1999年(日本公開は翌2000年)の時点での、クローネンバーグのフィルモグラフィーを振り返れば、誰もが『ヴィデオドローム』(83)を想起する内容だったからである。 ここで日本に於けるクローネンバーグの初期監督作品の紹介のされ方をまとめる。劇場公開された初めての作品は、『ラビッド』(77)。ハードコアポルノ『グリーンドア』(72)のマリリン・チェンバースが主演ということもあって、78年の日本公開当時は、一部好事家以外には届かなかった印象が強い。 続いての日本公開作は、超能力者同士の対決を描いた、『スキャナーズ』(81)。特殊効果による“人体頭部爆発”シーンを、配給会社が売りとして押し出したのが功を奏し、大きな話題となった。 そして、『ヴィデオドローム』(83)である。この作品の日本公開は、アメリカやクローネンバーグの母国カナダから2年遅れての、85年。しかし熱心な映画ファンの間では、そのタイムラグの間、劇場のスクリーンに届くより前に、かなりの話題となっていた。 ちょうどビデオテープに収録された映画ソフトを家庭で楽しむことが、ようやく一般化し始めた頃だった。私の『ヴィデオドローム』初体験にして、即ちクローネンバーグ作品初体験も、友人宅でのビデオ鑑賞。確か、字幕もない輸入ビデオだった。 本物の拷問・殺人が映し出された謎の海賊番組「ヴィデオドローム」に、恋人の女性と共に強く惹かれてしまった、ケーブルTV局の社長マックス。その秘密を知ろうと動く内、恋人は行方知れずになり、陰謀に巻き込まれたマックスの現実と幻覚の境界は、大きく崩れていく…。 英語を解せたわけでもないので、こうした筋立てが当時完全にわかっていたとも思えない。仮に言語の壁をクリアしても、「難解」と評する声が高かった作品である。「この映画監督は、狂っているのではないか?」と言う向きさえあった。 しかし、わけがわからないながらも、生き物のように蠢くビデオテープ、男の腹に出来る女性器、肉体とTV画面の融合等々、クローネンバーグの“変態ぶり”が炸裂するギミックや特殊効果に、まずは圧倒された。男ばかり数人で酒を飲みながらの鑑賞で、自らもブラウン管に呑み込まれていく思いがしたものである。 作品の性格上、これはむしろスクリーンより、TV画面で体感するのに適した作品かも知れないと感じた。その頃映画ファンの口の端に上り始めた“カルト映画”が、正にそこにあった。 『ヴィデオドローム』に関してはクローネンバーグ本人が、カナダの文明評論家マーシャル・マクルーハン(1911~1980)のメディア論を下敷きにしていることを語っている。その言説は至極簡単に言えば、「メディアは身体の拡張である」ということ。つまりテレビやビデオも、人間の機能の拡張したものになりうるという主張だ。 クローネンバーグは『ヴィデオドローム』でそれを、グチャドロを織り交ぜて、彼なりに端的に(!?)描いたわけだが、マクルーハンの言説は今どきなら、テレビやビデオをネットに置き換えるとわかり易いだろう。例えばネット検索さえ出来れば、その個人にとって未知の物事や事象であっても、知識を取り繕うことが可能になるという次第だ。 そしてヴァーチャル・リアリティーゲームの世界を舞台にした本作『イグジステンズ』は、『ヴィデオドローム』の16年後に製作された、正にそのアップデート版と言えた。両生類の有精卵を培養したバイオテクノロジー製品である“メタフレッシュ・ゲームポッド”、小動物の骨と軟骨から作られた銃で、銃弾には人間の歯を利用する“グリッスル・ガン”等々、登場するギミックの“変態ぶり”も含めて、「いかにもクローネンバーグらしい」作品だったわけである。 しかしながら『ヴィデオ…』よりは、だいぶわかり易く作られた本作は、実は公開当時、少なからぬ“失望感”をもって迎えられた。『ヴィデオ…』の時は「時代の先を行っていた」ように思われたクローネンバーグが、「時代に追いつかれた」いや「追い抜かれた」ように映ったのである。 電脳社会を描いた、押井守監督の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(95)が、96年にはアメリカではビルボード誌のビデオ週間売上げ1位となった。そしてその多大な影響を受けた、ウォシャウスキー兄弟(当時)の『マトリックス』が、「革新的なSF映画」として世界的な大ヒットを飛ばしたのは、本作『イグジステンズ』と同じ1999年だった。 本作の日本公開は、翌2000年のゴールデンウィーク。その直前には最新鋭のゲーム機として、「プレイステーション2」がリリースされている。 そうしたタイミング的な問題がまずある上、本作はわかり易く作られた分、『ヴィデオ…』の尖った感じも失われてしまっている。そんなこんなで当時のクローネンバーグの、「時代に追い抜かれた」感は半端なかったのである。 しかし本作の製作・公開から20年経った今となって、クローネンバーグの作品史を俯瞰してみると、見えてくることがある。『ヴィデオ…』で“カルト人気”を勝ち得たクローネンバーグは、その後ファンの多い『デッドゾーン』(83)や大ヒット作『ザ・フライ』(86)で、ポピュラーな人気をも得ることになる。続く作品群は、『戦慄の絆』(88)『裸のランチ』(91)『エム・バタフライ』(93)『クラッシュ』(96)と、ある意味“変態街道”まっしぐら。 そして21世紀を迎える直前に本作を手掛けるわけだが、映画作家としての自分がこれからどこに向かうのかを確認し、新たな道を切り開いていくためには、出世作とも言える『ヴィデオ…』の焼き直しという、「原点回帰」の必要があったのではないだろうか? 本作後、『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』(02)の興行的失敗で破産寸前に追い込まれたクローネンバーグは、続いてヴィゴ・モーテンセン主演で、ギミックに頼らない生身の暴力を描いた『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(05)『イースタン・プロミス』(07)を連続して放ち、絶賛をもって迎えられる。 私はこの2作に触れた際、「クローネンバーグみたいな監督でも、円熟するんだ~」と驚愕。そして彼が、「2人といない」映画監督であることを、再認識することに至った。 そうした意味でも本作『イグジステンズ』は、クローネンバーグが撮るべくして撮った作品であると、今は評価できる。製作・公開から20年を経たことで、製作当時の「追い抜かれた」感が逆に薄まっていることも、また事実である。■ 『イグジシテンズ』(C)1999 Screenventures XXIV Productions Ltd., an Alliance Atlantis company. And Existence Productions Limited.
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COLUMN/コラム2019.06.30
あのクエンティン・タランティーノをして、「映画史上最も胸を打つクロージング・ショットのひとつ」と言わしめたエンディング。『ミッドナイトクロス』
日本を含む世界中に熱狂的なファンの存在する巨匠ブライアン・デ・パルマ。出世作『悪魔のシスター』(’72)を筆頭に、『ファントム・オブ・パラダイス』(’74)や『キャリー』(’76)、『殺しのドレス』(’80)、『スカーフェイス』(’83)に『アンタッチャブル』(’86)、『ミッション:インポッシブル』(’96)などなど、代表作は枚挙にいとまない。その中でどれが一番好きかと訊かれると、困ってしまうファンも少なくないかもしれないが、筆者ならば迷うことなくこの『ミッドナイトクロス』(’81)を選ぶ。あのクエンティン・タランティーノをして、「映画史上最も胸を打つクロージング・ショットのひとつ(one of the most heart-breaking closing shots in the history of cinema)」と言わしめたエンディングの痛ましさ。事実、これほど切なくも哀しいサスペンス映画は他にないだろう。 ストーリーの設定自体は、『パララックス・ビュー』(’74)や『大統領の陰謀』(’76)など、’70年代に流行したポリティカル・サスペンスの系譜に属する。舞台はフィラデルフィア、主人公はB級ホラー専門の映画会社で働く音響効果マン、ジャック(ジョン・トラヴォルタ)。最新作で使用する効果音を拾うため、夜中に川辺の自然公園を訪れていた彼は、偶然にも自動車事故の現場を目撃してしまう。川へ転落した車から、助手席に乗っていた若い女性サリー(ナンシー・アレン)を救出するジャック。しかし運転席の男性は既に死亡していた。 その男性というのが、実は次期アメリカ大統領選の有力候補者であるペンシルバニア州知事。知事の関係者からマスコミへの口止めをされたジャックだったが、改めて録音したテープを聴き直したところ、ある意外なことに気付く。事故の直前に聞こえる僅かな銃声とタイヤのパンク音。そう、警察もマスコミも飲酒運転が原因と考えていた不幸な自動車事故は、実のところ知事の政敵によって仕組まれた暗殺事件だったのだ。乗り気でないサリーに協力を頼み、この衝撃的な真実を世間に訴えようと奔走するジャック。しかし、既に自動車のパンクしたタイヤは実行犯の殺し屋バーク(ジョン・リスゴー)によって差し替えられていた。そればかりか、バークは事件の真相を闇に葬るべく、邪魔者であるジャックとサリーをつけ狙う。 知事暗殺事件のモデルになったのは、’69年に起きたチャパキディック事件だ。ケネディ兄弟の末弟エドワード・ケネディ上院議員が、マサチューセッツ州のチャパキディック島で飲酒運転の末に自動車事故を起こし、橋から海へ転落した車の中に取り残された不倫相手の女性が死亡。ケネディ上院議員は辛うじて脱出し助かったものの、警察などに救助を求めることなく逃げたうえ、不倫だけでなく薬物使用まで明るみとなり、大統領選への出馬を断念せざるを得なくなった。また、政敵による政治家の暗殺はジョン・F・ケネディ暗殺事件の陰謀説を、殺し屋バークが連続殺人鬼の犯行を装って不都合な証人を消そうとする設定は切り裂きジャック事件のフリーメイソン陰謀説を、そのバークが仕組む証拠隠滅工作はウォーターゲート事件を連想させる。 ただし、そうした社会派的なポリティカル要素も、全体を通して見るとさほど重要ではない。むしろ、ストーリーを追うごとに政治的な陰謀よりも殺し屋バークのサイコパスぶりが際立っていき、その恐るべき魔手からサリーを救うべくジャックが奮闘するという、純然たるサスペンス・スリラーの性格が強くなっていく。 本作のベースになったと言われているのが、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『欲望』(’66)である。『欲望』の原題は「Blow Up」、『ミッドナイトクロス』の原題は「Blow Out」。デヴィッド・ヘミングが演じた『欲望』の主人公であるカメラマンは、たまたま公園で撮影した男女の逢引き写真をBlow Up…つまり大きく引き伸ばしたところ、殺人の瞬間が映り込んでいることを発見する。そして、『ミッドナイトクロス』の主人公ジャックは、たまたま公園で録音した音声テープに記録されたタイヤのパンク(Blow Out)音を分析したところ、自動車事故が実は暗殺事件だったことに気付く。デ・パルマが『欲望』のコンセプトを応用したことは、ほぼ間違いないだろう。 そして、その『欲望』でアントニオーニがスウィンギン・ロンドンの時代の倦怠と退廃を描いたように、本作はレーガン政権(第1期)下におけるアメリカの世相を浮き彫りにする。ベトナム戦争終結後の自由で開放的なリベラルの時代も束の間、深刻化するインフレと拡大する失業率はロナルド・レーガン大統領の保守政権を’81年に誕生させた。本作では、もともとゴダールに感化された左翼革命世代の映像作家であるデ・パルマの、ある種の敗北感のようなものを映し出すように、音響スタッフとして映画という虚構の世界を作り上げるジャックは、しかし現実の世界で起きた邪悪な陰謀を白日のもとに晒すことは出来ず、闇に葬り去られた真実の断片だけが映画の中で悲痛な「叫び声」を響かせる。 現実はジャックの携わるホラー映画よりも残酷であり、その残酷な社会に対して個人の理想や正義はあまりにも無力だ。もちろん、自由と平等を謳ったアメリカ独立宣言が起草された、アメリカ建国の理想精神を象徴するフィラデルフィアを舞台にしていることにも、そこがデ・パルマ監督の育ったホームタウンだという事実以上の意味があるだろう。本作を自身にとって「最もパーソナルな作品」だとするデ・パルマ監督の言葉は重い。 そんな本作のペシミスティックな悲壮感をドラマチックに盛り上げるのが、ピノ・ドナッジョによるあまりにも美しい音楽スコアだ。もともとイタリアの人気カンツォーネ歌手(シンガー・ソングライター)であり、ダスティ・スプリングフィールドやエルヴィス・プレスリーの英語カバーで大ヒットした「この胸のときめきを」のオリジナル・アーティストとして有名なドナッジョは、ヴェネツィアで撮影されたニコラス・ローグ監督のイギリス映画『赤い影』(’72)で映画音楽の分野に進出。そのサントラ盤レコードをたまたまデ・パルマの友人がロンドンで購入し、当時亡くなったばかりのバーナード・ハーマンの代わりを探していたデ・パルマに紹介したことが、その後長年に渡る2人のコラボレーションの始まりだった。 ハリウッドの映画音楽家にはない感性をドナッジョに求めたというデ・パルマ。その期待通り、初コンビ作『キャリー』においてドナッジョは、およそハリウッドのホラー映画には似つかわしくない、センチメンタルでメランコリックなスコアをオープニングに用意した。「たとえサスペンス映画でも、私はメロディを大切にする。それがイタリアン・スタイルだ」というドナッジョ。そう、エンニオ・モリコーネやニノ・ロータ、ステルヴィオ・チプリアーニの名前を挙げるまでもなく、美しいメロディこそがイタリア映画音楽の命である。長いことカンツォーネの世界で甘いラブソングを得意としたドナッジョは、そのイタリア映画音楽の伝統をそのままハリウッドに持ち込んだのだ。 『殺しのドレス』の艶めかしくも官能的なテーマ曲も素晴らしかったが、やはりトータルの完成度の高さでいえば、この『ミッドナイトクロス』がドナッジョの最高傑作と呼べるだろう。もの哀しいピアノの音色で綴られる甘く切ないメロディ、ストリングスを多用したエモーショナルなオーケストラアレンジ。まるでヨーロッパのメロドラマ映画のようなメインテーマは、残酷な運命をたどるサリーへの憐れみに満ち溢れ、見る者の感情をこれでもかと掻き立てる。ラストの胸に迫るような哀切と抒情的な余韻は、ドナッジョの見事な音楽があってこそと言えよう。 ちなみに劇場公開当時、日本だけでサントラ盤LPが発売された。筆者も銀座の山野楽器で手に入れたのだが、実はこれ、ドナッジョがニューヨークで録音したオリジナル・サウンドトラックではなく、スタジオミュージシャンによって再現されたカバー・アルバムだった。その後、オリジナル・サウンドトラックは’02年にベルギーで、’14年にアメリカでCD発売されている。 なお、日本ではブラジル出身のファッション・モデル、シルヴァーナが歌う、ベタな歌謡曲風バラード「愛はルミネ(Love is Illumination)」が主題歌として起用され、先述した疑似サントラ盤LPにも収録されていた。もちろん、デ・パルマもドナッジョも一切関係なし。例えばカナダ映画『イエスタデイ』(’81)に使用されたニュートン・ファミリーの「スマイル・アゲイン」や、ダリオ・アルジェント監督作『シャドー』(’82)に使用されたキム・ワイルドの「テイク・ミー・トゥナイト」など、当時は配給会社がプロモーション用に仕込んだ、本国オリジナル版には存在しない主題歌が少なくなかった。 閑話休題。『ミッドナイトクロス』は『愛のメモリー』に続いてこれが2度目のデ・パルマとのコンビになる、撮影監督ヴィルモス・ジグモンドによる計算し尽くされたカメラワークも見どころだ。画面左右に分かれた手前と奥の被写体に同時にピントを合わせたスプリット・フォーカス、デ・パルマ映画のトレードマークともいえるスプリット・スクリーン、そしてカメラが室内や被写体の周囲を360度回転するトラッキングショットなど、まさしく凝りに凝りまくった映像テクニックのオンパレードである。 また、物語の背景となる「自由の日」祝賀イベントをモチーフに、赤・青・白の星条旗カラーが全編に散りばめられている。例えば、映画冒頭でジャックとサリーが宿泊するモーテルの外観は、白い壁に青いドア、赤いネオンで統一されている。それは室内も同様。カーテンやベッドカバーは青、マットレスや電話機は赤、イスとテーブルは白く、壁紙の模様は白地に赤と青の幾何学模様が描かれている。ジャックがテレビレポーターに電話するシーンでは、ジャックのシャツが赤で電話機が青、背景は白いスクリーンだ。ほかにも、この3色がキーカラーとなったシーンが多いので、是非探してみて欲しい。 オープニングを飾るB級スラッシャー映画のワンシーンでステディカムを担当したのは、『シャイニング』(’80)や『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(’84)などでお馴染み、ステディカムの開発者にして第一人者のギャレット・ブラウン。その映画会社の廊下には、『死霊の鏡/ブギーマン』(’80)や『溶解人間』(’77)、『エンブリヨ』(’76)、『スクワーム』(’76)など、カルトなB級ホラー映画のポスターがずらりと並ぶ。果たして、これはデ・パルマ自身のチョイスなのだろうか。■ 『ミッドナイトクロス』BLOW OUT © 1981 VISCOUNT ASSOCIATES. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2019.06.25
芸達者で非常にキャラクターが強い俳優を集めた、遺産相続を巡る悪辣なコメディ
今回紹介するのは『三人の女性への招待状』(67年)というアメリカ映画です。日本では現在、観ることができなくなっている作品ですね。 監督はジョセフ・L・マンキウィッツ。彼は『三人の妻への手紙』(49年)で、アカデミー賞の監督&脚色賞をW受賞し、翌年の『イヴの総て』(50年)でも監督&脚色賞をW受賞。2年間に4つのオスカーを獲った記録を持っている名監督です。 『三人の妻への手紙』という映画は、3人の奥さんに「私はこれからあなたの旦那と駆け落ちする」という手紙が届くんですが、どの旦那なのかわからない……という、不思議なミステリーでした。 今回の『三人の女性への招待状』は、イタリアはヴェネツィアから始まります。主演はレックス・ハリソン。『マイ・フェア・レディ』(64年)のヒギンズ教授役や、『ドリトル先生不思議な旅』(67年)のドリトル先生で日本でもお馴染みですね。彼が演じるM r.フォックスという男は億万長者で、自分だけのために、劇場を借り切って芝居をやらせるような大金持ちです。 その演目はシェイクスピアと同時代の劇作家ベン・ジョンソンの『ヴォルポーネ』という芝居なんですが、それを観たフォックスはタチの悪いイタズラを思いつきます。自分が病気でもうすぐ死ぬと嘘を言って、遺産を誰に分けたいか考えるから来てくれという招待状を、過去に付き合った3人の女性に書くんです。そして、この3人が、遺産目当てどんな醜い争いをするか、自分にどんなおべっかを使うのかを見てやろうというわけです。 その芝居の手伝いとしてフォックスは、アメリカ人の俳優を雇います。これを演じるのはクリフ・ロバートソン。「アルジャーノンに花束を」を映画化した『まごころを君に』(68年)で主人公を演じたことで有名ですね。 招待される3人の女性は、まず、イーディ・アダムス。マリリン・モンローみたいな、当時のセクシー女優です。2人目は、ヨーロッパの貴族と結婚したフランス人。キャプシーヌが演じています。冷たい感じの美貌の人ですね。3人目はスーザン・ヘイワードが演じる、アメリカの田舎のお金持ちシェリダン夫人。ヘイワードは『私は死にたくない』(58年)という映画で死刑囚に扮して高く評価された演技派ですが、ここでは完全にお笑い演技をしています。 そして、そのシェリダン夫人の付き人にマギー・スミス。TVシリーズの『ダウントン・アビー』の年老いた伯爵夫人として日本でも非常に親しまれている女優さんですが、若い頃はこんなにかわいかったんですよ。 こんな芸達者で濃いキャラクターたちが1カ所に集まって、遺産相続をめぐってどんなコメディを演じるのか?と思って観ていると、この映画、あさっての方向へ話が行きますから! 登場人物のキャラクターもどんどん覆されていくんです。どんでん返しはジョセフ・L・マンキウィッツ監督の得意技ですから。いったいどこに着地するのか、お楽しみに!■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●原作は邦訳もあるトーマス・スターリングの『一日の悪』。これを『Mr. Fox of Venice』として戯曲化したフレデリック・ノットの台本を監督が映画用脚本化。それにベン・ジョンソンの1605年の戯曲「ヴォルポーネ」を加えたもの。『三人の妻への手紙』(49年)に似てはいるがリメイクではない。●メリル・マッギル役は当初アン・バンクロフトにオファーされたが、彼女が舞台出演と重なったため、イーディ・アダムスに変更になった。●撮影当初からの撮影監督ピエロ・ポルタルピをクビにして、ジャンニ・ディ・ヴェナンツォに変えたが、撮影半ばで肝炎により死去(わずか45歳)、弟子でカメラ・オペレーターのパスクァリーノ・デ・サンティスが引き継いだが、クレジットは辞退した。 © 1967 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved