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COLUMN/コラム2016.03.20
男たちのシネマ愛⑤愛すべき、極私的偏愛映画たち(5)
飯森:次にお話したいのがオーストラリア映画の「ラスト・ウェディング」(注62)。これがですね、断言しましょう、映画でメシ喰ってる僕にとってこれが生涯ベストの映画です!そこに迷いはありません。ただ、他人に薦めづらい映画でもあるんです。どういうことかというと、例えるならば美術館で最高に感動できる絵画に出会ってしまったような感じなんです。絵画の感動を他人に伝えるのって映画を薦めるより難しいじゃないですか。100%印象だけの問題で、理屈で説明できないから。とはいえ、僕の人生にとっては決定的に重要な意味を持つ映画なんです。例えば、いま僕は海の目の前に住んでいます。常に海を感じて生きていたいと考えている人間なんですが、それは完全にこの映画の影響です。 なかざわ:確かに舞台となる島は美しいですよね。 飯森:でも美しい島や海を舞台にした映画なんて他にも沢山あるじゃないですか。なぜ他の映画じゃなくて、この映画にそこまでライフスタイルを決められるほどの影響を受けたのかは、自分でもよく分からないんです。映画のストーリー自体もシンプルすぎるぐらいですし。 なかざわ:なんというか、「ラスト・ウェディング」というタイトルの映画なら十中八九こういう話になるだろうなっていう映画ですよね。 飯森:十中八九これだけはやめとこうという話でもある(笑)。いくらなんでもベタすぎるだろう、恥ずかしいと。韓流ドラマのベタさすら上回っているかもしれない。これはネタバレでもなんでもないので言っちゃいますけど、主人公のカップルがとあるリゾート地みたいな島で結婚式を挙げようとする。すぐにでも挙げなきゃって感じなんですが、というのも、このカップルの女性が不治の病で余命幾ばくもないんですよね。ベタでしょう(笑)?で、旦那は最高のウエディングにしようと奔走し、友人のカップル2組がそれを応援しようと力を貸す。その中に無名時代のナオミ・ワッツ(注63)がいるんですけど、そんな感じでみんなが頑張って準備をして、最高に素敵な結婚式を挙げて、最後にヒロインは安らかに死ぬわけです。もう、おまえ本気か?ってくらいベっタベタでしょ(笑)? なかざわ:見ている方が照れくさくなるくらいですよね。 飯森:これは、生涯ベストなのになかなか魅力を説明しづらい作品なので、ちょっと趣向を変えてお話させていただきたいと思います。今回の企画とは全く関係のない、うちで放送するわけでもない作品なんですが、昔「デッドリー・フレンド」(注64)という映画がありましたよね。 なかざわ:ウェス・クレイヴン(注65)監督の作品ですね。 飯森:ストーリーを言うと、高校生で「キテレツ大百科」みたいな発明少年が、引っ越した先の隣家に住んでいる感じの良いみよちゃん的美少女と仲良くなって惚れてしまう。ところが、その美少女はアル中のオヤジからDVを受けていて、そのせいで死んじゃうんですね。で、キテレツは可愛くて親切なみよちゃんの死を悲しんで、よし!僕の発明で甦らせてあげよう!ってことで、彼女の死体を病院の霊安室から盗んできて脳にICチップを埋め込むんです。すると、彼女はロボットダンスみたいな分かりやすい動きをしながら生き返っちゃう(笑)。生き返ったと言うより、喋れませんし明瞭な意思もなさそうだから、ゾンビ兼ロボットです。キテレツは彼女を自宅の屋根裏に匿ってあげる。男子高校生ならよからぬことを考えそうなものですけど、彼はあんまりにも童貞すぎるために「これからは僕がうちの屋根裏で守って幸せにしてあげるよ」って、あくまで純情なんです。ただし、あまり後先のことまでは考えておりません。 なかざわ:そのうち腐ってくるでしょうしね。死体なんだから(笑)。 飯森:もって数日(笑)。ところがですよ、このロボっ娘が暴走し始めちゃう。喋れはしないのだけど、自分が虐待されていたという記憶の断片は残っていて、加害者である実父に復讐するんです。脳にICチップを埋め込まれただけなのに何故か馬鹿力にまでなっちゃって、オヤジを簡単にブチ殺しちゃう。ついでに、近所のガミガミおばさんの頭もグシャリと潰しちゃう。こりゃまずいことになったと慌てたキテレツは、彼女のICチップを取り除こうとするんだけれど、ロボっ娘は意識はないのに、これも記憶の断片が残っているからなのか、キテレツのことを慕っているという感情の名残りをロボット・ジェスチャーで表すんですよ。見ていて「不憫よのう…」って感じなんです。そんな不憫な不憫なロボっ娘を強制終了させねばならないのか!?そして、終了するにしても相手が怪力過ぎてなかなか止められない…というお話で、要は救いがたいバカ映画ですよ。フォローのしようがない。しかし、中学の頃にこれを木曜洋画劇場で見た僕が、どんだけ泣いたか(笑)!あなたのハートには何が残りましたかって、結局これが残りました。僕も中1で女子になんか興味もなくて童貞すぎて純情で、いきなりこれでしたから、この、薄幸・夭折の美少女を生き返らせて“完全なる飼育”状態で所有して守る、というプロットに激しく焦がれましてね。中学校から帰ったら毎日3倍録画したVHSで見て、もう泣けて泣けて、どれだけ泣いたか分からない。 なかざわ:でも、あの映画を思春期とかに見て泣けたっていう人、意外と多いですよ。 飯森:エエエっ、そうなんですか!? 僕だけかと思ってました。そんな大した映画だったのかよ(笑)。いま見たら一滴だって泣けなんかしませんよ。ただあれこそが、他者にちゃんと向き合える精神年齢にまだ達していない中学生には、理想の男女関係のあり方だった。女子は女子で交友関係があって社会と繋がっている。だから、俺のことをほっといて友達とどっかに遊びに行っちゃう自由、さらには、他の男子に関心を持つ自由、俺を振る自由、つまり彼女には彼女の自由意志があるんだ。いくら付き合ってても2人の人生には重なる部分もあるけど重ならない部分もある。どこで何しているか全部は分からないし、何を考えているかも全ては分からない。自分とは別個の人格を持った人間なんだ、という大人の現実から全力で目をそらしている映画なんですよ。中1でその残酷な真理は理解できませんから逆に良かったんですね。ロボっ娘は喋りもしないし意志も無い。そんなもんはいらん!と。童貞は異性が怖いですから、その状態なら安心だと。一方的に従順で自我の無い女子を自分の庇護下に置いて世間との接触を一切絶たせ、それに対して飽くなき愛情を惜しげなく注ぐ、という、少年の幼稚な夢を描いている映画です。それと、僕はロボっ娘役のクリスティ・スワンソンにも当時憧れまして、人生で最初に夢中になった異性のスターだったんですけど、この歳になって見ると、可愛いは可愛いんですが、さして特徴のない無個性なブロンド美女に過ぎないんです。ただ、中学ぐらいの頃ってまだ馬鹿だから、面喰いで顔が全てじゃないですか。顔が正攻法で一番良い異性にクラスの全員が憧れているという状態。人生経験や教養が無さすぎて自分流の美学が無いから、そこしか異性の評価基準が無い。そういう年頃の時には魅力的に映った女優さんですけど、今だと別にそこも引きにならない。今見ると率直に言って大した映画じゃありません。というか、いかがなものかな映画なんです。でもね、僕みたいな商売をしていると、映画に優劣って付けたくないんですよ。もしも今の大人になった僕が、こんなしょうもない幼稚な映画は放送しないよと言って却下したとして、13歳の僕みたいな視聴者がいたらどうするんだと。だから、極力いろいろな映画を優劣つけないでお届けする、映画に貴賎なし、ってのが正しい姿勢なんだろうと思って仕事をしています。「ラスト・ウェディング」もそうでね、僕にとっては生涯ベストですけれど、恐らく少数派だろうと思いますよ。もし優劣をつけるような編成マンがいたら、こんなベタな映画はないだろうと言って放送しないかもしれない。でも、そういうことはやっちゃダメ!その映画がクソなのか生涯ベストなのかは、あくまでも見る人次第ですから。 なかざわ:それは仰るとおりだと思いますよ。 飯森:少なくともザ・シネマではそうです。問題発言になるかもしれませんけど、全部の放送作品を「これは良い映画だから見てくださいね」という推薦のスタンスでやってはいない。一本でも多くの映画をひたすら放送だけはしますから、それが良い映画なのか悪い映画なのかは、あなたが決めてくださいと。うちのチャンネルのコピーをこの春から変えるんです。「生涯ベストの映画が、今日見つかる。」というものに。見つかるか見つからないかはあなた次第。そういうものだと思っています。 なかざわ:確かに、例えば「風と共に去りぬ」は映画史上永遠不滅の傑作だと言われていますけれど、みんながみんな感動するわけじゃないですからね。スカーレット・オハラ(注66)の、あの自己中なキャラがどうしても受け付けないっていう人もいるだろうし。感じ方は人それぞれです。 飯森:僕は今の仕事に就く前に雑誌の編集者だったんですけれど、ネガティブなことは書くなと編集長から徹底的に教育されましてね。SNS全盛の今、いわゆるオールドメディアは良いことしか言わないじゃないか、信用ならん、と批判されるようになって、確かにそれは一理あるかもしれませんが、僕自身は仮にネガティブな感想を個人的には持ったとしても、ネガティブな風には映画を紹介したくないんですよ。もし今の僕が「デッドリー・フレンド」についてネガティブな事を書いて、それを読んで見ないことにした人がいたとします。あるいは、僕の価値判断で放送しないことにする。しかし、もしかすると視聴者の中には「デッドリー・フレンド」を見たら号泣する童貞の中学生がいるかもしれないんです。そのチャンスを僕が潰してしまうことになる。あるいは逆に、僕以外の編成マンが「ラスト・ウェディング」を「何この恥ずかしい映画」と言って放送しなかったとして、客に僕みたいな人がいたらどう責任とる気だと。そんな恐れ多い、傲慢な話はない。お前は何様だと。 なかざわ:ただ、自分の率直な考えや意見を批評で述べることで、同じような感性を持つ人にとっての参考や指針にはなりますよね。 飯森:批評は別ですよ。ケチョンケチョンの酷評ってそれ自体が痛快で面白いコンテンツですしね。でも、それは評論家の仕事です。映画チャンネルや雑誌の映画紹介ページのような、出会うチャンスを提供するべきメディアが、これは良い、これはダメって取捨選択するのは望ましくないと思うんです。ということで、なんだか、放送する「ラスト・ウェディング」のことはほとんど語らずに、一切放送しない無関係な映画の話で話し込んじゃいましたけど、「ラスト・ウェディング」も、僕と全く同じような感性の人が見ればおそらく心を動かされると思うんです。しかも今回、過去に出ていたVHSよりも圧倒的に良い画質で見ることができるなんて!自分のためにやっているとしか思えない! なかざわ:今回はそういう趣旨の企画ですからね(笑)。 飯森:オーストラリアの権利元さんが自腹でHDテレシネをしてくださったんですよ。これは本当に嬉しかった!絵が綺麗という一点で生涯ベストにまでして、この映画の風景を日常において再現しようと努力しているほど、絵画的な意味で憧れている映画ですからね。そんな作品が、僕が個人的に好きってことがキッカケで、初めてHDテープが作られることになった。これからは世界中でソフト化されたりテレビ放送される時にこのニューマスターのHDテープが貸し出され、世界の人々が綺麗な画質で見ることになるんです。ただし、万人受けするかどうかは分かりません。かなり怪しい(笑)。 注62:1997年制作、オーストラリア映画。グレーム・ラティガン監督、ジャック・トンプソン主演。注63:1968年生まれ、イギリスの女優。少女時代に家族でオーストラリアへ移住。代表作は「マルホランド・ドライブ」(’01)、「キング・コング」(’05)、「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」など。注64:1986年制作、アメリカ映画。ウェス・クレイヴン監督、マシュー・ラボート主演。注65:1939年生まれ、アメリカの映画監督。代表作は「エルム街の悪夢」(’84)、「スクリーム」(’96)など。2015年死去。注66:「風と共に去りぬ」の主人公。意志が強くて気位が高いため、自己中心的な言動を取りがちなお嬢様。 次ページ >> ビザと美徳 『愛すれど心さびしく』TM & © Warner Bros. Entertainment Inc. 『マジック・クリスチャン』COPYRIGHT © 2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED. 『ラスト・ウェディング』©2016 by Silver Turtle Films. All rights reserved. 『ビザと美徳』©1997 Cedar Grove Productions. 『暗い日曜日』LICENSED BY Global Screen GmbH 2016, ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2016.03.16
40歳からの家族ケーカク
高年齢童貞を主人公にした大ヒットコメディ『40歳の童貞男』(05年)で華々しい監督デビューを果たしたジャド・アパトー。続く監督第二作『無ケーカクの命中男/ノックト・アップ』(07年)も大ヒットしたことで、ハリウッドにおける彼の評価は決定的なものとなった。しかしこの映画はとても不思議な作品でもあった。 何が不思議かというと、そのストーリーである。冒頭、主人公であるベン(演じているのはアパトーの愛弟子セス・ローゲン)は、キャサリン・ハイグル扮する美人キャスターのアリソンと、酔った勢いで一夜限りの関係を結んだ結果、妊娠させてしまう。 普通ならアリソンが中絶を考えたり、「子どもは自分だけで育てる」とベンを遠ざけたりする紆余曲折を経て、ハッピーエンドに向かうはずだ。しかしアリソンはすぐに出産を決心すると、ベンに子どもの父親としての自覚を求めるのだ。そう、映画としてのお約束を全く守っていないのである。でもその一方で妊娠中のアリソンの描写はリアルそのものだったりする。 実はこれには理由がある。『無ケーカクの命中男』はアパトー自身の体験をベースにした半自伝作だからだ。彼にとってのアリソンは女優のレスリー・マンだった。当時、アパトーは友人のベン・スティラーとジム・キャリーがそれぞれ監督と主演を務めたコメディ『ケーブル・ガイ』(96年)でプロデューサーとして働いていた。そこで彼は、映画の主演女優だったレスリーを妊娠させてしまったのだ。 その結果、彼女はあと一歩でトップ女優になれるポジションにありながら、アパトーと結婚して子育てに注力することになった。しかしそんな大きな犠牲を払われながら、アパトーはなかなかハリウッドで浮上出来なかったのである。 それ以前からアパトーの人生は挫折の連続だった。子どもの頃からお笑いマニアだった彼はスタンダップ・コメディアンとしてキャリアをスタートしている。当初は「自分以上に面白い奴なんていない」と考えていたものの、同世代の三人のコメディアンと知り合った途端、彼の自信はこなごなに打ち砕かれてしまう。 その三人とは、前述のベン・スティラーとジム・キャリー、そしてアダム・サンドラーだった。この世代を代表するコメディアンだから負けるのは仕方ないことなのだが、アパトーのショックは大きく、彼はパフォーマーの道を断念せざるをえなかったのだった。 この時期の体験もアパトーは映画にしている。『素敵な人生の終り方』(09年)がその作品だ。アダム・サンドラー扮するジョージがサンドラー自身で、仲間内でいち早く出世するジェイソン・シュワルツマン演じるマークがベン・スティラー、そして「面白いギャグを書くけどカリスマ性がない」アイラ(演じているのはまたしてもセス・ローゲン)がアパトー自身と言われている。そして彼は芽が出ない状態のまま、レスリーを妊娠させてしまったというわけだ。 アパトーの名がようやく知られるようになったのは、プロデュースと脚本を手がけた『フリークス学園』(99〜00年)によってだった。このテレビドラマで彼は少年時代を送った80年代を舞台に、イケてないグループの少年少女たちをヴィヴィッドに描いたのだった。視聴率が伸び悩んで打ち切られたものの、この作品に関わった監督のポール・フェイグやジェイク・カスダン、俳優のセス・ローゲン、ジェイソン・シーゲル、そしてジェームズ・フランコらは後年それぞれ成功を収めることになる。 高評価を得ていたものの数字がついてこなかったアパトーにようやくチャンスが巡ってきたのは、ウィル・フェレル主演作『俺たちニュース・キャスター』(04年)にプロデューサーとして参加した時だった。彼はこの作品に脇役で出演していたコメディ俳優スティーブ・カレルと知り合ったことで、彼が温めていた企画「高年齢童貞の初体験」をテーマにした映画の実現に奔走。これが『40歳の童貞男』に結実したのだった。 『俺たちニュース・キャスター』と『40歳の童貞男』には、現在『アントマン』の主演俳優として知られているポール・ラッドも出演している。アパトーとポールは、同世代で同じ年頃の子どもを持つことから意気投合して親友になった。こうした経緯もあり、ポールは『無ケーカクの命中男』にも出演している。この作品で彼が演じたのはアリソンの姉デビーの夫ピート。デビーはレスリー・マン、ふたりの娘セイディーとシャーロットはアパトーとレスリーの娘モードとアイリスが演じていた。つまりピートのモデルはアパトー自身なのだ。『無ケーカクの命中男』には過去のアパトー(ベン)と現在のアパトー(ピート)両方が登場していることになる。 このピートとデビーの一家のその後を描いた作品が『40歳からの家族ケーカク』(12年)である。夫婦の倦怠や緊張感、思春期を迎えて不機嫌になる長女、そして老いた親との付き合いなど、テーマは四十代にとってのリアルそのものだ。 ピートがカップケーキを、デビーがタバコを(見かけは)絶っていたり、デビーの「私のおっぱいは全部娘に吸われちゃった」というセリフ、家でのWi-Fiの使用禁止を言い渡されてキレるセイディーといった細かい描写も真に迫ったものがある。 一方で、ピートの経営するインディ・レコード会社が販売不振によって倒産の危機にあるという設定は、映画監督/プロデューサーとして大成功を収めているアパトーにしては謙遜しすぎの描写に見えるかもしれない。でもこれにも理由がある。アパトーの母方の祖父ボブ・シャッドは、メインストリーム・レコードというインディ・レーベルを経営していた人物なのだ。つまりこの設定もアパトーにとっては「母方の家業を継いでいたら、こうなっていたかもしれない」というもう一つのリアルな現実なのだ。 映画の中では、こうした課題の数々は完全に解決されることはない。社運を賭けた英国のベテラン・ロッカー、グレアム・パーカー(本人が好演!)のアルバムが失敗に終わって、ピート一家はマイホームを売りに出さざるをえなくなる。その過程で夫婦の想いはすれ違い、ピートはデビーからこんな問いを投げかけられてしまう。 「もし14年前にわたしが妊娠しなかったら、今でも一緒にいたかしら?」 夫婦喧嘩の最中にレスリーから絶対言われたことがあるに違いない強烈な言葉だ。その言葉の前にピートは黙り込んでしまう。おそらくアパトーも同じ反応をしたのだろう。でも人生とは選択の積み重ねであり、過去に戻ることは出来ない。それを二人が受けとめるエンディングはほろ苦くも暖かい。 『40歳からの家族ケーカク』で自分の現在を描ききったからだろうか。これ以降アパトーがひとりで脚本を書いた作品は存在しない(最新監督作『Trainwrecking』(15年)は主演のエイミー・シューマーが脚本も書いている。但し親の介護や音楽ネタには監督アパトーの影を強烈に感じさせる)。現在レスリー・マンはコメディ女優として大成功を収めており、娘のモードとアイリスもテレビドラマで両親譲りの才能の片鱗を見せはじめている。 映画作家としては徹底して個人の体験にこだわり続けるアパトーが、将来再び脚本も単独で手がけた監督作を発表することがあるなら、その作品の主人公は、成長した娘たちに旅立たれた老いた夫婦になるのではないだろうか。そしてその際に夫婦を演じるのはきっとポール・ラッドとレスリー・マンにちがいない。 ©2012 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2016.03.15
男たちのシネマ愛⑤愛すべき、極私的偏愛映画たち(4)
なかざわ:続いて「テイル・オブ・ワンダー」(注42)に移りましょう。 飯森:これまた思い入れの強い映画でしてね。最初に申し上げた、SDで素材に難あり、というのはこの映画のことで、これはお客さん以上に、この映画に思い入れがある担当の僕自身が一番残念です!モスフィルム(注43)さんは本作のHDテレシネをしていないんですが、ただ、それでも構わないから今回放送したかった。このまま「風と共に去りぬ」(注44)じゃないけれど「VHSと共に去りぬ」っていう映画にしてなるものか!と思うほど、強い思い入れがあるんです。僕は大学時代、日本屈指の新宿TSUTAYAを利用していて、もちろんVHS時代でしたが、そこにはロシア・東欧映画コーナーがあったんですよ。僕は大学でロシア・東欧が専攻だったので、そこでいろんな映画を借りて見ました。その中で最も気に入った作品がこの「テイル・オブ・ワンダー」だったんです。当時はロシアや東欧に対して愛着があったせいか、そうした映画を見ているとひいき目に評価してしまう傾向があった。ハリウッド映画には負けるかもしれないけれど、なかなかどうして頑張っているじゃないか!みたいな。今となっては、なんで観客の方からわざわざ歩み寄って甘く採点しなくちゃいけないのか意味が分かりませんけどね。金払ってんだから映画の方が俺にサービスしろよと(笑)。しかし、この映画はえこひいきするまでもなく完膚なきまでに面白くて、ソ連時代のロシアでこんなに凄い映画があったのかと衝撃を受けました。幼い姉と弟のきょうだい愛であったり、ファンタジックなストーリーであったり、感動を盛り上げる美しいテーマ音楽であったり、流麗なカメラワークであったりと、どれを取っても一級のエンターテインメントに仕上がっています。 なかざわ:さらわれた弟を探して姉が冒険の旅をするという話ですが、これってベースになっているのはアンデルセン(注45)の「雪の女王」(注46)ですよね。いうなればバリエーション的な作品。「雪の女王」の場合はきょうだいじゃなくて幼なじみでしたけど、さらわれた男の子を勇敢で意志の強い少女が探し出すという設定は同じ。「雪の女王」は1957年にロシアでアニメ化されていて、日本の宮崎駿監督(注47)にも影響を与えたとされています。 飯森:そもそもロシアという国自体も民話や昔話が名物ですよね。ロシア語ではСказка(スカースカ)と言いますが。ちなみにMärchen(メルヘン)はドイツ語。 なかざわ:実際、ロシアでファンタジー映画といえば殆どが民話を原作にしています。アレクサンドル・プトゥシコ(注48)監督の「石の花」(注49)とか。 飯森:プトゥシコだと「豪勇イリヤ 巨竜と魔王征服」(注50)というのもありました。日本でいうヤマトタケルみたいな民族の英雄譚で、エキストラにソ連軍も動員した大スペクタクルでした。ロシアの邪馬台国と言うべきキエフ・ルーシを舞台にしていて、我々にもおなじみの中世ヨーロッパとは明らかに違う武器防具、衣装、城郭が見られ、それを見ているだけでエキゾチックで全く飽きなかった。専攻だったから。大学で専攻するほど興味関心がないと…まぁ、ちょいキツい映画かもしれませんね。ストーリーは単なる昔話で桃太郎みたいな話ですから。あとは総合監督を務めた「妖婆・死棺の呪い」(注51)。こっちはカルト・ホラーとして日本でも一部で人気ですよね。女吸血鬼と思しきコサックの死せる娘が、やたらと美人でね。あと、ヒエロニムス・ボッシュ(注52)的な魑魅魍魎のイメージが、なんともケイオティックで凄まじかった!ケイオスの魔物が幽冥界から溢れ出てくるそこがクライマックスで、あのイメージは圧巻でした。 なかざわ:ただ、ロシアでは昔からファンタジー映画は子供向けのジャンルで、大人が観るものじゃないという偏見も強いんです。だから、確かにソ連時代からロシアでファンタジー映画はコンスタントに作られてきたけれど、その多くが見るからに子供向けです。しかし、この「テイル・オブ・ワンダー」は大人の鑑賞にも耐えうる作品に仕上がっている。そういう意味で、非常に珍しいなと思いますね。 飯森:日本でも「ロード・オブ・ザ・リング」(注53)シリーズなどを「絵空事を描いた映画なんて見ても時間の無駄。本当の人間を深く描いた、上質なドラマこそ見たい」とか言っちゃってる人って、結構いるじゃないですか。まあ個人の趣味なのでそれはそれでいいですよ。上質な人間ドラマは僕も当然良いと思いますから。でも、ファンタジー映画を下等で幼稚なものとして否定されちゃうと、「そぉれぇはぁどうかなぁ!」と、声を大にして反論したい。人間が頭の中でどれだけの空想や虚構を組み立てられるのか、そこがファンタジーの醍醐味ですよね。J・R・R・トールキン(注54)なんて凡人の千倍くらいは想像力があるんじゃないかと思えるような緻密さじゃないですか。それはもはや、一つの芸術ですよ。エルフ語なんていう言葉まで作っちゃうわけだから。しかも、デタラメじゃなくて、本職がオックスフォード大学の古言語の教授ですからね。それが架空の言語の文法体系を一つ作っちゃう。人間の想像力の素晴らしさ、限界のなさに圧倒される。それが、ファンタジー映画を見る意味でしょう。 なかざわ:イマジネーションの世界を楽しめるくらいの余裕というか、感受性みたいなものは大人になっても身につけておきたいですよね。 飯森:とにもかくにも、ロシアは立派なメルヘン大国。日本人だとグリム兄弟(注55)のドイツや、アンデルセンのデンマーク辺りを連想する人が多いかもしれませんけれど、僕が子供だった’70年代には左寄りの出版社がまだ多かったからなのか、「イワンのばか」(注56)などロシア民話の絵本が結構出ていました。実際、ドイツやデンマークに負けないくらい有名な民話が沢山あるんです。そんなおとぎ話大国ロシアの作ったファンタジー映画。ゴールデンタイムの目玉番組として放送しても恥ずかしくない、堂々たる娯楽大作だと思いますよ。画質が汚すぎて無理ですけど。 なかざわ:主役の女の子タチアナ・アクシュタ(注57)も可愛いですしね。彼女はちょうど当時のロシアで旬な女優さんだったんですよ。この作品の前に、現代ロシア版ロミオとジュリエットみたいな青春映画で高校生のヒロイン役を演じてブレイクしたんです。 飯森:え? 彼女って当時幾つだったんですか? 僕は12歳か13歳くらいかと思ったんですけど。 なかざわ:この作品の撮影当時で25歳くらいですよ。確か1957年の生まれですから。 飯森:えええええ!?…ちょっと言葉を失ってしまいました。大衝撃ですよ。ロリ顔とかいうレベルの話じゃないですね。でも、そう言われると成長してからのシーンで老けメイクみたいなものをしてませんよね。 なかざわ:髪型で演じ分けていますね。幼い頃は前髪を下げているけれど、成長してからはおでこを出している。それで大人っぽく見せているんですよね。とにかく、僕もこれはロシア産ファンタジー映画の入門編として見て欲しいと思いますね。 飯森:ちなみに監督はアレクサンドル・ミッタ(注58)。栗原小巻(注59)さんが出ていた「モスクワわが愛」(注60)とか「エア・パニック-地震空港大脱出-」(注61)などでも知られている。巨匠ではないかもしれないけれど、日本でも比較的知名度の高い監督だと思います。 なかざわ:ジャンルを問わずきちんと仕事をする職人監督ですね。 注42:1983年制作、ソビエト映画。アレクサンドル・ミッタ監督、タチアナ・アクシュタ主演。注43:1923年に創設された旧ソ連の映画スタジオで、日本で知られるソ連・ロシア映画の多くがここで制作された。注44:1939年制作、アメリカ映画。南北戦争を背景に、農園主の令嬢スカーレット・オハラと一匹狼の紳士レット・バトラーの波乱に富んだ恋愛を描く。アカデミー賞9部門受賞。ヴィクター・フレミング監督、ヴィヴィアン・リー主演。注45:ハンス・クリスチャン・アンデルセン。1805年生まれ。デンマークの童話作家。代表作は「人魚姫」「みにくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」など。1875年死去。注46:1844年発表。雪の女王にさらわれた少年カイを探して、友達の少女ゲルダが旅をする。注47:1941年生まれ。日本のアニメ監督。代表作は「風の谷ナウシカ」(’84)、「となりのトトロ」(’88)、「魔女の宅急便」(’89)、「もののけ姫」(’97)など。注48:1900年生まれ、旧ソ連映画界を代表する、ストップモーション・アニメと特撮映画のクリエーター。1973年死去。注49:1946年制作、ソビエト映画。ロシアのウラル地方の民話を基にしている。ウラジーミル・ドルジニコフ主演。注50:1956年制作、ソビエト映画。ソ連初のシネマスコープ長編映画で、大量のエキストラや馬を動員したスペクタクル・シーンや、後に日本のキングギドラに影響を与えた巨竜の造形など見どころが多い。VHSリリース時のタイトルは「キング・ドラゴンの逆襲/魔竜大戦」。注51:1967年制作、ソビエト映画。神学生が魔女を退治したところ、後日、その魔女から臨終に立ち会うよう指名された神学生が、恐怖を味わう。ナタリーア・ヴァルレイ出演。注52:15世紀北方ルネサンスの画家。絵画史上は初期フランドル派に分類される。異様な怪物たちを細かく描き込んだ妖怪画を得意とする。注53:2001年制作、アメリカ・ニュージーランド合作。J・R・R・トールキン原作の「指輪物語」を映画化。ピーター・ジャクソン監督、イライジャ・ウッド主演。注54:1892年生まれ。イギリスの作家・詩人。代表作は「ホビットの冒険」と「指輪物語」。1973年死去。注55:19世紀ドイツの童話作家。兄ヤーコブは1785年生まれ、1863年死去。弟ヴィルヘルムは1786年生まれ、1859年死去。「グリム童話集」が世界的に有名。注56:1885年にロシアの作家レフ・トルストイが発表した民話。注57:1957年生まれ。ロシアの女優。代表作は「夢にも見てはいけない…」(‘81・日本未公開)と「テイル・オブ・ワンダー」(’83)。注58:1933年生まれ。ロシアの映画監督。ソビエト・日本の合作映画を幾つも手がけるなど、日本との縁も深い。注59:1945年生まれ。日本の女優。代表作は「忍ぶ川」(’72)、「サンダカン八番娼館 望郷」(’74)、「ひめゆりの塔」(’82)など。ロシアでの人気も高かった。注60:1974年制作、ソビエト・日本の合作。モスクワへ渡った日本人バレリーナと現地の青年芸術家とのロマンスを描く。アレクサンドル・ミッタ監督、栗原小巻主演。注61:1980年制作、ソビエト映画。旅客機パニックを描くロシア版「エアポート」シリーズ。アレクサンドル・ミッタ監督で、栗原小巻が特別ゲストとして出演。 次ページ >> ラスト・ウェディング 『愛すれど心さびしく』TM & © Warner Bros. Entertainment Inc. 『マジック・クリスチャン』COPYRIGHT © 2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED. 『ラスト・ウェディング』©2016 by Silver Turtle Films. All rights reserved. 『ビザと美徳』©1997 Cedar Grove Productions. 『暗い日曜日』LICENSED BY Global Screen GmbH 2016, ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2016.03.15
セックス依存症のクリスティーナ・リッチが拉致される監禁映画かと思いきや、実は、ブルースで歌い上げる魂を揺さぶる南部賛歌〜『ブラック・スネーク・モーン』〜
アメリカ深南部のミシシッピー州メンフィス。男とみれば見境なくセックスする奔放な少女レイ(クリスティーナ・リッチ)はトラブルに遭い、血まみれで路上に置き去りにされてしまう。彼女の命を救ったのは初老の黒人農夫ラザルス(サミュエル・L・ジャクソン)だった。だが彼はレイの素性を知ると、「お前から悪魔を追い払ってやる。それこそ神がワシに下された使命なのだ!」と語りだし、彼女を鎖で縛りつけるのだった …。 サミュエル・L・ジャクソンとクリスティーナ・リッチの共演作である、この『ブラック・スネーク・モーン』。序盤のストーリーだけを文字にすると、まるで『悪魔のいけにえ』のような米南部への偏見ムキ出しの70年代B級映画みたいだ。でもその後の展開は全く違う。ストーリーは寧ろ南部賛歌へと向かっていく。というのも、本作の監督クレイグ・ブリュワーはメンフィス出身であり、やはりこの街を舞台にした『ハッスル&フロウ』(05年)で長編デビューした男だから。 『ハッスル&フロウ』は、ピンプ(娼婦の元締め)をしていた男が突如ラッパーになることを決意して、友人や娼婦たちを巻き込んでデモテープを製作する姿を描いた異色のドラマだった。その背景にはむせかえるような南部の自然があり、あらゆる意味で「濃い」住民たち、そしてキリスト教会の存在があった。 地元の人気ラップグループ、スリーシックス・マフィアが製作した劇中曲「It's Hard Out Here for a Pimp」はアカデミー楽曲賞をラップ・ナンバーとして初めて受賞。そしてこの曲をパフォームした主演のテレンス・ハワードとタラジ・P・ヘンソンは10年後にテレビドラマ『エンパイア~成功の代償』(15年〜)でリユニオンし、まるでその後の二人のような人気ラッパーとその妻を演じて全米に大ブームを巻き起こしている。そう、クレイグ・ブリュワーがいなかったら『エンパイア~成功の代償』は存在しなかったのだ(それを『エンパイア』の製作陣も理解しているのか、ブリュワーは第2シーズンで監督に招かれている) そんなヒップホップ度が高い映画で世に出ながら、続く『ブラック・スネーク・モーン』ではブリュワーが表立ってヒップホップを語ることはない。その代わりに大々的に取り上げているのはブルースだ。 ラザルスは、かつて凄腕ブルースマンでありながら、妻を弟に奪われたショックでギターを弾くことを止めていた。しかしレイが過去の辛い体験からセックス依存症に陥っていたことを知ることで、生きていく限り自身の内面の闇と共存していくしかないことを悟る。そんなラザルスがレイの前で弾き語りしてみせる「ブラック・スネーク・モーン(黒い蛇の呻き)」は、癒しへの願望と苦痛の発露、欲望と畏れが一斉にドロリと押し寄せてくるようなナンバーだ。 この曲のオリジナルを唄ったのは、ブラインド・レモン・ジェファーソンという1893年生まれの盲目のブルースマンだ。ブラインド・メロンのバンド名の語源となった彼は1920年代に活躍した戦前ブルースの代表的存在だ。 加えて本作では、「ブルースとは一種類しかない、それは男と女の愛だ」「ブルースはハートから始まる」などと黒人の老人が延々と語るインタヴュー映像が物語に挟み込まれている。その老人こそ、やはり伝説的なブルースマンのサンハウスだったりする。 1902年にミシシッピー州で生まれたサンハウスは、チャーリー・パットンが創始したデルタ・ブルースを継承し、広めた人物。ディープな声と、ギターを叩きつけるような荒々しい演奏がトレードマークだ。60年代ロックに多大な影響を与えたロバート・ジョンソンとマディ・ウォーターズは彼の弟子にあたる。 1942年の録音を最後に音楽シーンから姿を消してしまっていたサンハウスだが、それはミュージシャンを引退してニューヨークで一労働者として働いていたから。1964年に熱心なファンによって生存が確認され、再び活躍するようになった。インタヴュー映像はその復活後に撮られたものだ。本作は、サンハウスが説く「ブルース論」をドラマ化した映画であるとも言えるだろう。 かつて人気ブルースマンだったのに今は農夫というラザルスのキャラクターは、ロック・ファンには奇妙に感じられるかもしれない。しかし活動の基盤がクローズドな黒人コミュニティである以上、音楽一本で食べていくのは並大抵のことではない。サンハウスもそうだったし、もっと後の世代でもR.L.バーンサイドのように半農半ブルースマンの生活を送っていた者は多い。バーンサイドが音楽に専念出来るようになったのは、65歳のときにドキュメンタリー映画『Deep Blues: A Musical Pilgrimage to the Crossroads』(91年)でデルタ・ブルースのスタイルを守り続けている存在としてクローズアップされて以降のことだ。 『ブラック・スネーク・モーン』におけるラザルスの演奏スタイルは、このR.L.バーンサイドを参考にしている。劇中、酒場でジャクソンがバックバンドを従えて「アリス・メイ」という曲を演奏して客を大いに沸かせるシーンがあるのだが、「アリス・メイ」はバーンサイドの代表曲であり、バックバンドもこの映画の撮影開始直前に亡くなっていたバーンサイドのサイドマンたちなのだ。 不倫や煩悩、犯罪といった人間のダークサイドを歌うブルースは、日本では反キリスト教的な音楽として捉えられることが多い。だが実際にはこうした音楽を愛する南部の人々は、熱心なキリスト教信者でもある。彼らにとっては、ダークサイドも聖なるもの、永遠なるものを求める気持ちも生きる上で欠かせないものなのだ。ブルースで生きる力を取り戻したレイが歌う曲がゴスペル・ソング「This Little Light of Mine」であることがそれを証明している。 そのレイを演じるクリスティーナ・リッチは、この作品の翌年に少女マンガのような『ペネロピ』(08年)に主演しているとはとても信じがたい捨て身の熱演を披露。対するサミュエル・L・ジャクソンも得意の説教調のセリフ回しや狂気を帯びた表情はもちろん、本作のために習得したというギターの腕も素晴らしい。個人的には『アンブレイカブル』(00年)と並ぶジャクソンのベスト・アクトだと思う。またレイの恋人に扮したジャスティン・ティンバーレイクの脆さを感じさせる演技も見ものだ。 本作を発表後のクレイグ・ブリュワーは、残念ながらその特異な才能を全面的に活かせているとは言い難い。2011年には『フットルース 夢に向かって』を監督しているが、これはケヴィン・ベーコンのブレイク作『フットルース』(84年)のリメイク作。舞台を中西部から南部に変えたことや、脇役で出演していたマイルズ・テラーにブレイク・ポイントを与えるなど見所はそれなりにあるものの、やはりオリジナル脚本でないと内面が矛盾だらけのキャラクターが織りなす特濃ドラマは作れないようだ。 そんなブリュワーが暖めている企画に、チャーリー・プライドの伝記映画がある。プライドはミシシッピー州生まれの黒人でありながら、子どもの時からカントリー音楽に親しみ、黒人リーグの野球選手として活躍後に、カントリー・シンガーとしての活動を開始して人種の壁を乗り越えて遂には大スターになった人物。主演には盟友テレンス・ハワードを予定しているそうで、ブリュワー曰く、「ヒップホップ、ブルース、カントリーが揃うことでメンフィス三部作が完結する」のだそう。いつの日か、その構想が実現することを期待したいものだ。■ COPYRIGHT © 2016 BY PARAMOUNT VANTAGE, A DIVISION OF PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2016.03.10
男たちのシネマ愛⑤愛すべき、極私的偏愛映画たち(3)
なかざわ:次は「マジック・クリスチャン」(注12)の話をしましょう。 飯森:これは翌1969年の映画ですね。「愛すれど心さびしく」とは全く印象の異なる映画ですけれど、当時の政治の匂いがするという意味では根底に似たものがあると思います。 なかざわ:かなりふざけた映画ですけれどね(笑)。原作と脚本を手がけたのは、スタンリー・キューブリック(注13)の「博士の異常な愛情」(注14)の脚本でアカデミー賞候補になったテリー・サザーン(注15)。この人は「キャンディ」(注16)の原作も書いているんですけれど、ノリはほとんど一緒です。 飯森:あれもオシャレなだけでワケ分からない映画でしたよね。 なかざわ:そういう意味では作家の個性が出ていると言えるかもしれません。 飯森:ジョン・クリーズ(注17)とかモンティ・パイソン(注18)の連中が脚本に参加していますよね。 なかざわ:本編にはクレジットされていませんけれど、確かに参加しています。 飯森:だから、モンティ・パイソンのコントみたいなノリのエピソードが次々と出てくる。首尾一貫してストーリーを語るというよりは、そういったシュールな風刺ギャグの羅列で権威をおちょくる作品だと思います。 なかざわ:1969年という時代背景もあってか、資本主義や権威といったものを小バカにしているところはありますね。当時の学生運動(注19)みたいにアグレッシブに叫ぶのではなくて、権力の欺瞞や愚かさを嘲笑っているあたりが英国映画らしいなと思います。 飯森:僕は大学に通っていた頃、つまり’90年代後半なんですけれど、あの時代にすごく憧れていたんです。たまに若者で親の時代にむしろシンパシーを感じてしまう人っているじゃないですか。僕も、当時のリアルタイムな流行にはどうしても乗れなくてシラケていた。いま思い返すと’90年代こそ戦後最良のディケイドだったとしみじみ思いますけどね。冷戦に我々資本主義陣営が勝って9.11の前で、テロなんて遠い第三世界の出来事で、平和と豊かさを謳歌していた。バブルが崩壊してもそれは一時のもので、まさか東側が言ってた通りに、マネー資本主義が暴走して格差が構造化し固定化するなんて夢にも思わなかった。あんなに豊かな時代は戦後なかったと、当時もまた過ぎ去って歴史となった今なら客観的に分かる。でも、リアルタイムで当時を生きていた時は、そういう一歩引いた観察ができなかった。逆に、昔ってなんてカッコいいんだろう!と思っていたんです。中でも特に憧れたのが、’60年代末の数年間なんですよね。革命的で、理想に燃えてて、オシャレで。 なかざわ:僕もその時代に対して憧れる気持ちが強いんですけれど、それは自分自身が’68年生まれだということがあるんです。でも飯森さんはもっとお若いですよね。 飯森:僕はベトナム戦争が終わった年の’75年生まれですから、政治の季節が終わり、もう革命とか理想とかはどうでもいいやと。難しいことは分かんないけど楽しけりゃ何だっていいじゃんという、「モーレツからビューティフルへ」(注20)なんて言われたノンポリ時代の幕開け。今に続く時代の原点です。ちょっと、そういう考え方には個人的にカチンとくるものがあるので、あの時代にはそれほど魅力を感じない。僕が最も惹かれるのは’67年~’69年までの3年間。反戦運動(注21)や公民権運動(注22)、サイケデリック文化(注23)などが世界を席巻していた、まさしく政治の季節、革命と理想の時代ですね。その幕開けというのが、サマー・オブ・ラブ(注24)と呼ばれた1967年で、ピークが’69年夏のウッドストック(注25)だった。でも、同年のニクソン(注26)就任やマンソン・ファミリー事件(注27)、そして年末のオルタモント(注28)などで、’60年代とともに革命の夢は終わってしまう。そういう時代に対する憧憬が強かったこともあって、大学時代は手当たり次第に当時の映画を見たんですけれど、その一つが「マジック・クリスチャン」だったんです。さすがに40歳となった今では大学時代のような情熱はありませんが、その一方で、この時代の映画を見ると当時が懐かしいなと思うんですよね。 なかざわ:いやいや、40歳の人が懐かしむ時代じゃないと思いますけれど(笑)。 飯森:’60年代後半が懐かしいのではなくて、’60年代後半に憧れていた’90年代後半の自分が懐かしいんです。古着のベルボトムを履いて、長髪にして、下駄を履いて大学に行ってましたから。「ベトナム戦争反対!」とか意味不明なことを言って。湾岸戦争もとっくに終わっていた時代なのに(笑)。 なかざわ:完全に時代を間違えてたんですね(笑)。それにしても、この映画は不発弾的なギャグも多いように思います。 飯森:まあ、そもそもモンティ・パイソンのギャグって不発なのか、それともわざと笑うに笑えないのか分からないものが多いですけどね。爆笑するようなギャグじゃない。この作品もそういうところがある。 なかざわ:ハムレット(注29)がストリップを始めるシーンなんかも、確かに面白いんだけれど意味が分からない(笑)。恐らくシェイクスピアという演劇界の権威と、それを崇め奉る権威主義者をおちょくっているのかもしれませんが。 飯森:革命の時代と言われた当時、長いこと権力の座にふんぞり返ってきた連中を、革命側の視点から揶揄した作品であるということを念頭に入れないと、ちょっと分かりづらい映画ではあるかもしれませんね。あと、いろいろな有名人が意外なところに出てきたり、ビートルズ(注30)が音楽に絡んでいたりと、話題が尽きない作品でもありますね。主演はリンゴ・スター(注31)ですし。音楽はビートルズじゃないんでしたっけ? なかざわ:音楽はポール・マッカートニー(注32)の作曲で演奏はバッドフィンガー(注33)というロックバンドですね。それから、豪華客船マジック・クリスチャン号(注34)の乗客の中に、ジョン・レノン(注35)とヨーコ・オノ(注36)が混じっている。あくまでもソックリさんで本人たちじゃないんですけれど。 飯森:それは気付かなかった!にしても、ビートルズ解散直前に、リンゴの主演映画で、またずいぶんと見てる方がヒヤヒヤすることをしますね。ヨーコねたでイジるってのはあの時期ヤバいくないですか?あと、ロマン・ポランスキー(注37)とか、ラクエル・ウェルチ(注38)は本人がカメオ出演していますね。この時ポランスキーは例のマンソン・ファミリー事件に巻き込まれてしまうちょうど前後ごろじゃないかな…。そして、白黒の燕尾服着たウェイターかと思いきやドラキュラだったというオチのクリストファー・リー(注39)も(笑)。 なかざわ:リチャード・アッテンボロー(注40)もボートレースチームのコーチ役で出ていましたし。ストリップするハムレットは、天下の二枚目だったローレンス・ハーヴェイ(注41)。 飯森:よくぞこれだけ集めたという豪華キャスト。もう1人の主演は時代の顔ピーター・セラーズですしね。こんな変な意味不明のシュールな映画に、そうそうたる有名人が嬉々として集まるというのも、いかにも’69年らしい。 注12:1969年制作、イギリス映画。ジョゼフ・マクグレイス監督、ピーター・セラーズ主演。注13:1928年生まれ。イギリスの監督。代表作は「スパルタカス」(’60)、「2001年宇宙の旅」(’68)、「時計じかけのオレンジ」(’71)など。1999年死去。注14:1964年制作、アメリカ・イギリス合作。愚かな政治家や軍人によって米ソが核戦争の危機に直面する様を描いた風刺コメディ。スタンリー・キューブリック監督、ピーター・セラーズ主演。注15:1924年生まれ。アメリカの作家。映画やテレビの脚本家としても活躍。1995年死去。注16:1968年制作、アメリカ・イギリス・イタリア合作。小悪魔的美少女キャンディが出会う男たちを次々と振り回していく。クリスチャン・マルカン監督、エヴァ・オーリン主演。注17:1939年生まれ、イギリスの俳優・脚本家。喜劇集団モンティ・パイソンのメンバーとしても有名。注18:イギリスの喜劇集団。テレビシリーズ「空飛ぶモンティ・パイソン」(‘69~’74)で一世を風靡し、「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」(’74)などの映画もヒットさせている。注19:‘60年代後半は世界各国で左翼系学生によるデモ運動が活発化。日本では1968年の東大闘争が有名。注20:藤岡和賀夫による1970年の富士ゼロックスの広告コピー。60年代の高度経済成長期、“モーレツ社員”や“Oh!モーレツ”など、「モーレツ」を時代のキーワードに掲げて遮二無二働き、政治的にもアグレッシヴだった日本人の価値観の転換を予言し、流行語となった。注21:当時はベトナム戦争に反対する運動が世界中で広がった。注22:アフリカ系アメリカ人が人権の適用と人種差別の撤廃を求めて行なった大衆運動。’50~’60年代に活発だった。注23:‘60年代半ばから’70年代初頭にかけて、アメリカの西海岸を中心に世界へ広まったムーブメント。覚せい剤の効果による視覚や聴覚のイメージを、アートや音楽として表現する。注24:サンフランシスコで10万人におよぶヒッピーの若者が集会を開くなど、全米各地でヒッピー・カルチャーが最高潮に達した1967年夏のこと。注25:1969年8月15日から17日にかけて開催された野外コンサート。全米からヒッピーが結集し、グレイトフル・デッド、ジャニス・ジョプリン、ジェファーソン・エアプレイン、ジミ・ヘンドリックスなどサイケ・ロックのミュージシャンが大挙出演し、観客は雨で泥まみれになりながら、フリーセックスやマリファナでラブ&ピースを謳歌した。注26:第37代アメリカ合衆国大統領。1969年1月に就任。政権による盗聴などの違法活動が明るみとなったウォーターゲート事件で’74年に失脚した。注27:チャールズ・マンソン率いるヒッピーのカルト集団“ファミリー”が、1969年8月に、映画監督ロマン・ポランスキーの妻で妊娠8ヶ月だった女優シャロン・テートら5人の男女を無差別に惨殺した。注28:1969年12月6日に開催されたローリング・ストーンズ主催の野外コンサート。東のウッドストックに対抗する西のラブ&ピースなコンサートを目指したが、反体制へのこだわりから会場警備に暴走族を起用し、そのメンバーがストーンズの演奏の真っ最中に興奮した黒人観客を刺し殺した。これに事故死も含め4人もの死者を出し、ラブ&ピースの理想の挫折を印象付けた。世に“オルタモントの悲劇”と呼ばれる。注29:シェイクスピアの代表的な戯曲「ハムレット」の主人公。注30:イギリスのロックバンド。’60年代に世界中で大ブームを巻き起こし、ポピュラー音楽史上最も成功したグループとされる。1970年に解散。注31:1940年生まれ。イギリスのミュージシャンでビートルズの元メンバー。メンバーの中で最も映画出演に精力的で、本作以外にも「キャンディ」(’68)、「リストマニア」(’75)、「おかしなおかしな石器人」(’81)などに出演。注32:1942年生まれ。イギリスのミュージシャンでビートルズの元メンバー。ジョン・レノンと共に同バンドの楽曲の多くを作った。注33:1968年にデビューしたイギリスのロックバンド。当初はビートルズの弟分的な存在だった。84年解散。注34:劇中に出てくる架空の豪華客船。注35:1940年生まれ。イギリスのミュージシャンで元ビートルズのメンバー。’80年にファンに射殺された。注36:1933年生まれ。日本出身の芸術家でミュージシャン。1969年にジョン・レノンと結婚した。注37:1933年生まれ。ポーランドの映画監督。代表作は「ローズマリーの赤ちゃん」(‘68)、「テス」(’79)、「戦場のピアニスト」(’02)など。妻シャロン・テートをマンソン・ファミリーに惨殺された。注38:1940年生まれ。アメリカの女優。グラマラスな肉体で一世を風靡した。代表作は「恐竜100万年」(’66)、「マイラ」(’70)、「三銃士」(’73)など。注39:1922年生まれ。イギリスの俳優。ドラキュラ俳優として一世を風靡する。代表作は「吸血鬼ドラキュラ」(’58)、「007 黄金銃を持つ男」(’74)、「ロード・オブ・ザ・リング」(’01)、「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」(‘05)、「ホビット 思いがけない冒険」(’12)など。2015年死去。注40:1923年生まれ。イギリスの俳優・監督。俳優としての代表作は「大脱走」(’63)、「ジュラシック・パーク」(’93)など。監督としても「遠すぎた橋」(’77)や「ガンジー」(’82)などの名作を発表。2014年死去。注41:1928年生まれ。イギリスの俳優。代表作は「ロミオとジュリエット」(’54)、「年上の女」(’58)、「影なき狙撃者」(’62)など。1973年死去。 次ページ >> テイル・オブ・ワンダー 『愛すれど心さびしく』TM & © Warner Bros. Entertainment Inc. 『マジック・クリスチャン』COPYRIGHT © 2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED. 『ラスト・ウェディング』©2016 by Silver Turtle Films. All rights reserved. 『ビザと美徳』©1997 Cedar Grove Productions. 『暗い日曜日』LICENSED BY Global Screen GmbH 2016, ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2016.03.08
白い世界に現れた、赤いコートの美少女! 若きロボット科学者と少女のミステリアスな関係を描いた〜『EVA<エヴァ>』〜
ロボットとひと口で言っても多彩である。漫画やアニメに登場する巨大ロボットを想起する人もいるだろうし、インダストリーのリアルな工業用ロボットを思い起こす人もいる。または今一番身近でポピュラーな、ロボット掃除機をあげる人もいるだろうか。でも『EVA』で描かれるのは、人工知能が備わった自律型で、人間社会と共存しうる高性能ロボットの開発と、それに伴う人間たちの感情である。ここに登場する精巧な“S・I”シリーズの最新型ロボットは、人間と見紛うほどリアル。 よく、人型の自律ロボットを描くにあたって思いだされるのが、アイザック・アシモフが提唱したロボット工学3原作。人間を守るための重要な規約で、「第1条/人間に危害を加えてはならない。第2条/第1条に反する場合を除き、人間に服従しなければならない。第3条/第1条及び第2条に反するおそれがない限り、自己を守らなければならない」……これらの規約は、人型ロボットの物語を構築していく際には、映画の作り手の意識・無意識を問わず、考えなければならない。 例えば、アシモフの原作小説「バイセンテニアル・マン」を基に、人間になりたいと願う家事用ロボットを描いた『アンドリューNDR114』(99年)をはじめ、感情を実験的にプログラムされた子供型ロボットがアイデンティティーを求めて彷徨う『A.I.』(01年)、アシモフの短編集「われは、ロボット」を原案にして、殺人事件の容疑がかけられたロボットと刑事が対峙する『アイ,ロボット』(04年)、法令違反の改造を施されたロボットが独自に進化を遂げてゆく『オートマタ』(14年)など、いずれも作品の底辺にアシモフのロボット工学3原則の匂いを感じ取ることができる。 ロボットが人間に近づこうとする、或いは、ロボットが進化するSFドラマを構築しようとする場合、ロボットを通じて人間の普遍的な姿を投影したり、科学の暴走に警鐘を鳴らすなどの表現を込めてきた。しかし『EVA』の舞台の近未来では、自律型の執事用ロボット“S・I・7”やペット型ロボット“グリス”などが、人間社会と密接に絡んで共存している。ここではロボットの進化や脅威を描くのではなく、人間とロボットの壁(境界)を超えた“普遍的な愛”を詩的に捉えている。 雪がしんしんと降り積もる郊外の静かな街を背景にして、ロボット製造から一度は逃げてしまった科学者が、再び自律型の高性能ロボットを作ろうとするドラマ。詩的でファンタジックなメルヘン要素を見せていく一方で、哀しみをおびた情緒的な愛の寓話とも受け取れる。例えば、ロボットが人間の指示に従わず、どうしようもない時にかける言葉がある。それはロボットに対する、最も神聖な言葉「目を閉じると、何が見える?」 するとロボットは、安らかに眠るように突然機能を停止!……それはロボットにとって、死を意味する。一度ショートした感情の記憶は修復不可能で、再起動しても同じロボットではなくなってしまう。そのあたりの表現が、ハリウッド映画とは異なるスペイン映画らしい芸術性か。 若くて優秀なロボット科学者アレックス・ガレル(『ラッシュ/プライドと友情』のダニエル・ブリュール)は、かつて高性能の自立型ロボット第1号“S・I・9”を研究・製造していたが、肝心の感情生成機能が欠けていて未完成のままだった。そして、突然どこかへ雲隠れしてしまってから10数年後、大学の女性ロボット科学者ジュリアに呼び戻され、完璧な自律型ロボットの製造を依頼される。彼は一緒にいたくなるようなロボットを造りたいと切望するが、そのためには外見や感情データを収集するための人間のモデルが必要だった。 そしてアレックスは、ロボット科学者で兄のダビッド、かつてのアレックスの恋人で兄の妻になっていたラナ・レヴィ(『スリーピングタイト 白肌の美女の異常な夜』のマルタ・エトゥラ)との久々の再会を果たした。 父亡きあと、空き家になった実家でロボット製造に取りかかるアレックスだったが、ある日、通りがかった小学校で赤いコートを着た美少女エヴァ(クラウディア・ヴェガ)を発見してから、喋ったり、何度も逢ううちに新たなロボット製造のモデルに相応しいと考えはじめる。 純白の世界の中、赤いコートを着て歩き回る10歳の美少女は、少々おませで、アレックスの心を無邪気に翻弄する。『ロリータ』(61年)のように、大人の男性と美少女の妖しげな匂いを仄かに放っているが、ある事実が判明する。それはエヴァが、兄ダビッドと元恋人ラナの娘だった。両親は、エヴァがアレックスと一緒に仕事をすることに反対していた。 エヴァ(EVA)の名は、旧約聖書の創世記に誕生した最初の女性イヴに由来し、ヘブライ語で“命”や“生きるもの”を意味する。ラナは、エヴァに何を託したかったのか? そしてアレックスが、エヴァがラナの娘と知らず、なぜエヴァに夢中になったのか? おそらく、ラナに対する秘かな想いを、知らず知らずの内にエヴァの中に見ていたためか。アレックスのエヴァへの気持ちは、ラナへの断ち切れぬ愛でもある。アレックスのラナへの強い愛情は、更に強い妄想を抱かせてしまい、意外な事実が明らかとなり、恐ろしい事態へと発展していく。 エヴァは母ラナに反対されながらも、好意を抱くアレックスに協力する。その結果、ロボットの感情記憶装置の設定データを採取され、“S・I・9”にプログラムされる。見たモノに反応し、人間のように経験が記憶を創りあげてゆくビジュアルは、まるで雪の結晶のようにファンタジックで美しいが、とても壊れやすいガラス細工のようにも見える。そして、アレックスのエヴァを通じて感じさせるラナへの愛も、雪の結晶のように美しくも儚い。 おそらく「街全体を白く染めあげている雪」と「“S・I・9”の心を創りあげる記憶」と「アレックスのラナに対する愛情の記憶」の3つを、結晶というシンボリックな形で関連づけているよう。 表向きはSF映画だが、その実、人間が愛に翻弄される詩的な寓話だった。アレックスの愛が新たな愛を生み、別の嫉妬や憎悪を生み、ある意味、結晶のようにつながっている。だから、ロボットらしい見せ場などのSF的醍醐味はほぼ皆無であるが、その代わりに詩的でファンタジック、それでいて哀切な世界観にしばらく浸っていたくなるほど。だから大人向けのSFダーク・メルヘンといった方が適切かもしれない。 それこそが『EVA』の最大の魅力だと思う。メルヘンのように雪の白い世界の中、赤いコートを着た美少女が現れ、大人たちにかつての愛を思い出させ、無邪気に翻弄してまわる。人間にとって、なかなか消せない愛、忘れられない愛は、記憶の中に生き続ける……そんな作り手の想いが伝わってくる。 ラナがエヴァによく読んであげた本が、「アラビアンナイト」だった。エヴァはその本について、こう言う。「眠りにつくお姫様を、王子様が殺さなきゃいけないの。だけどお姫様は、毎晩毎晩、王子様にステキなお話しをしていたの。王子様は、続きが気になって、お姫様を殺せなくなってしまうのよ。こうして一夜、一夜、過ぎていきました……」 美少女エヴァの寝顔は、安らかであって欲しい。■ ©Escándalo Films / Instituto Buñuel-Iberautor
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COLUMN/コラム2016.03.05
男たちのシネマ愛⑤愛すべき、極私的偏愛映画たち(2)
なかざわ:では、まずはその「愛すれど心さびしく」(注8)から各作品の話をしていきましょうか。 飯森:これは1968年の映画ですけれど、あの時代の瑞々しい青春模様や市井の人々の物語が描かれている。と同時に、政治の匂いもする作品です。 なかざわ:ことさら政治を強調しているわけではないものの、物語の背景として当時の人種差別や貧困などの社会問題が暗い影を投げかけていますよね。そのような混沌とした社会の中で、憎しみや悲しみや疎外感を抱いている人々が出てくる。根本的な原因は他者への無関心やコミュニケーション不足なんですけれど。そんな彼らの心の傷を癒やし、人と人とをつなぐ橋渡し役として、ろうあ者である主人公が大きな役割を果たすわけです。 飯森:とはいえ、障がい者を描きたい作品ではない。つまり、主人公が必ずしもろうあ者だから成立する話ではないと思うんです。どういうことかというと、世の中には自分の考えばかりを声高に叫んだり、耳は聞こえても人の話なんか聞いちゃいなかったり、そこまでいかなくても日常の生活に追われて他人のことまで気が回らなかったりという人が沢山いる一方で、聞き役に徹する大人しい人たちっているじゃないですか。決して自分の意見を押し付けることなく、他者をしっかり観察して細やかな気づかいができるタイプ。この主人公もまさにそれで、耳が聞こえずしゃべれない分、自分の言い分を主張せず、他人の性格とか問題をよく観察していて、さりげない気配りができる。そういう優しい人って、ろうあ者じゃなくてもいると思うんですよ。穏やかであまり自己主張しない、誰の隣にでもいるであろう人。そういう誰かを描いた映画だと思うんです。そして、果たしてそういう人のことを逆に我々は考えてあげられたのだろうか?という問題が提起される。つまり、我々はその人に一方的に借りを作りっぱなしなんじゃないんですか?という問いをオチで強烈に突きつけてくるわけです。ここから先はネタバレになっていくのですが… ■ ■ ■この先ネタバレを含みます。■ ■ ■ …あのオチは唐突でしたよね? なかざわ:親友が死んでしまったという出来事が、ある種のきっかけとして描かれてはいましたけれど。 飯森:でも、それなら本来は、その親友が主人公の人生にとって欠くべからざる存在だという伏線としての描き方を映画はしなければいけませんよね。でも、ここではそれほど重要な存在としては描かれていない。観客があまり注目しなくてもいいサブプロット程度に描かれてる。ところが、親友が死んでしまったという事実を知らされた瞬間、彼はものすごく動揺して、突然自殺をしてしまう。あまりに唐突な展開すぎるので我々観客もものすごく動揺します。そして、彼に孤独や悲しみを癒やしてもらった人々は、果たして逆に彼の孤独や悲しみを理解してあげられていたのか。そういう重たい問いを見る者に突きつけるんです。決して不親切にしてたわけじゃないんですが。 なかざわ:誰でも少なからず身に覚えがある話ですよね。どうしても人間って自己中心的になってしまいますから。 飯森:僕なんかは自己中の中でも一番重症なタイプでいつも胴間声でわめき散らしている典型的クソ野郎なので、まさに自分が批判されているような気になりましたね。本当すいません(笑)。 なかざわ:あと、この作品は手話のシーンでいちいち説明を入れませんよね。ろうあ者同士が手話で話をするシーンでも、恐らく日本映画だったら字幕スーパーを入れたり、もしくは会話の内容を観客のために訳する第三者を登場させたりすると思うのですが、この作品では一切説明しない。あくまでも観客の想像力や読解力に任せている。そこは素晴らしいと思いました。 飯森:確かに説明過多な映画って観客をバカにしているとしか思えませんからね。あの時代はお客さんと作り手の共犯関係というか、この程度ほのめかせば分かる人は分かってくれるし、分からなくても意図は理解できるよねという、お互いに信頼し合える“大人のもの作り”が出来ていたと思うんですよ。それから、この映画のタイトルにある“心さびしく”というのは、もちろん主人公のことでもあるけれど、同時に時代を映し出す言葉でもある。例えば、当時は公民権法(注9)が成立したとはいえ、まだまだ黒人への差別が酷かった。なので、この作品にも理不尽な差別を受ける黒人であったり、白人を心の底から憎む黒人の知識人が出てきますよね。 なかざわ:あの頃の映画で「ある戦慄」(注10)ってありましたけど、あの作品にも白人に凄まじい憎しみを向ける黒人が出てきました。あと、ステイシー・キーチ(注11)が演じている流浪人は、仕事にあぶれた元軍人という設定でしたけど、そこにはベトナム戦争の影みたいなものも感じられます。 飯森:それと格差の問題ですよね。そういう暗い影が社会全体を覆っていて、その中で主人公は人々にささやかな癒やしを与えるわけですが、これは今だからこそ再び共感できるテーマになったと思うんですよ。ヘイトスピーチや格差、テロに戦争と、何かにつけてギスギスした今の世の中で、この主人公のように静かで心配りのできる人がいたらいいなと思うし、実際に、僕らのすぐ隣にいそうに思うんですよね。 注8:1968年制作、アメリカ映画。ロバート・エリス・ミラー監督、アラン・アーキン主演。注9:人種や宗教、性別などによる差別を禁止した法律。1964年に成立した。注10:1967年制作、アメリカ映画。様々な社会階級や職業、人種の人々が乗り合わせた地下鉄車両が、2人の無軌道な暴漢によって占拠されてしまう。危機に直面することで人間の偽善が暴かれていくという社会派ドラマ。ラリー・ピアース監督、トニー・ムサンテ主演。注11:1941年生まれ、アメリカの俳優。代表作は「ロイ・ビーン」(’72)、「ロング・ライダーズ」(’80)、「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」(’13)など。 次ページ >> マジック・クリスチャン 『愛すれど心さびしく』TM & © Warner Bros. Entertainment Inc. 『マジック・クリスチャン』COPYRIGHT © 2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED. 『ラスト・ウェディング』©2016 by Silver Turtle Films. All rights reserved. 『ビザと美徳』©1997 Cedar Grove Productions. 『暗い日曜日』LICENSED BY Global Screen GmbH 2016, ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2016.03.03
ソフィア・コッポラ、彼女の瞳にうつるもの〜『ヴァージン・スーサイズ』、『ロスト・イン・トランスレーション』、『マリー・アントワネット』、『SOMEWHERE』、『ブリングリング』
パーソナルな魅力が溢れ出した知的で美しい容姿。決して派手ではないけれどシンプル&エレガンスな、1点1点上質なアイテムをさらりと着こなすファッションセンス。 さらにはアートや音楽の洗練された感性さえを持ち合わせ、世界を代表する映画監督フランシス・フォード・コッポラを父に持つという恵まれた家柄で育った。女の人生を生きる上で、欲しいものをすべて手に入れた女性である。 映画監督としてだけでなく、新進気鋭のカメラマンとしての実績や、ファッションデザイナーとして「ミルクフェド」を設立し、最近ではその活動は映画の域を越え、ハイブランドのCM監督もこなす。 クリスチャンディオールのキャンペーンではナタリー・ポートマンを起用した「MissDior」のCM(2013年)を手がけ、オシャレ女子から圧倒的な支持をうける「Marc Jacobs」の人気フレグランス「デイジー」シリーズなどのCMも監督し、まるで映画の1シーンのようなショートトリップに世の女性達をいざなってくれたのも記憶に新しい。 更に、今年2016年には「椿姫」の後援者でイタリアのデザイナーのヴァレンティノ・ガラヴァーニがソフィアの『マリー・アントワネット』に感激したことから、イタリアのローマ歌劇場でのオペラ「椿姫」の舞台監督に抜擢された。ソフィアは、今まさに、初の「オペラ監督」としての挑戦に奮闘中なのである(公園期間は5月24日〜6月30日)。 自分の可能性を花開かせ続けるその姿から勇気をもらうと同時に、1度は彼女のような人生歩んでみたいとソフィアに強い憧れを抱く女性は少なくないはずだ。 生まれもって宝くじを引き当てたかのような特権を持つ存在でありながらも、決して家柄におごることなく自分を貫き、夢を叶える。 20世紀の「与えてもらう」ような受け身のお姫様ではなく、自分の夢を自分でつかみ取る彼女こそ21世紀の女性の憧れの的なのである。 そんな彼女が「映画」という手段を選び、発信しようとしているメッセージとは何なのであろうか。作品に共通して描かれているものがあるとすれば、それは、誰しもの心にひっそりと潜むガラス細工のような「孤独」ではないだろうか。 ソフィアと言えば、作品に合わせた色彩を効果的に使った美しい色味で描かれる世界観も特徴の1つであるが、彼女は誰よりも知っていたのではなかろうか。孤独は、色のないからっぽの感情ではなく、カラフルな世界に身を置いたときによりいっそう滲み出るものだということを。 たくさんの色や光に囲まれた瞬間にこそ、自分のむなしさや寂しさがよりいっそう際立つことを。 だからいつだって彼女の作品は美しいのかもしれない。 ソフィアが描いてきたいくつかの孤独の表現について追ってみようと思う。 彼女の長編映画デビュー作でありながらも、彼女の作品の世界観を確立させたミシガン州に住む美しい5人姉妹の自殺を描いた『ヴァージン・スーサイズ(1999)』では、一緒に過ごしていても心は離れている姉妹達の孤独感。家族という間柄であっても、満たせない見えない人と人との間の距離感を垣間みた。 次にアカデミー脚本賞を受賞した『ロスト・イン・トランスレーション(2003)』では、言葉の通じない海外に行った時に味わう異邦人としての哀愁や異文化の中での孤独の感情に寄り添った。監督自身の東京での経験を下敷きにして、海外版でも日本語の字幕は一切つけず、観る者に孤独を疑似体験させた。 世界中で注目されてきたフランス王妃を描いた『マリー・アントワネット(2006)』では、下着すら自分でつけることを許されない生活の中で、仮面を付けるかのように洋服を何着も何着も着替えることで、不安、不満をモノで満たしていく孤独な女心をこれ以上ないほど愛らしい世界観の中、表現した。 続いて、父と娘のつかの間の休暇を描いた『SOMEWHERE(2010)』では 、ハリウッドスターを主人公とし、端から見たら人気者で多くの人に囲まれるうらやましがられる生活をしていても、充実感とは裏腹に空虚な気持ちを拭えない中年男性の孤独を映し出した。 また最新作『ブリングリング(2013)』では、全米を震撼させた実際の高校生窃盗団の事件を描き、犯罪が露見する可能性がゼロではないにも関わらず、誰かに認めてもらいたいという想いも消しきれないSNSの普及した現代社会に起こりうる、承認欲求という新しいタイプの孤独を描いた。 ちなみに、彼女がはじめて監督・脚本を務めたモノクロの16mmフィルムで撮影した14分の『Lick the Star(1998年)』もスクールカースト(階級社会)の中で生まれる思春期の「孤立感」がコンセプトだ。「ヴァージン・スーサイズ」を彷彿とさせる独特の芝生の使われ方など随所に彼女の才能を感じることが出来る作品で、白黒なものの登場人物達は活き活きと描かれている。字幕付きのものが日本では観られないのが残念だが、ネットに何件かアップされている動画を映画ができる友人と観るのがおすすめだ。 彼女のこれまでの作品の中で、私は特に「リック・ザ・スター」「ヴァージン・スーサイズ」「ブリングリング」といった10代の思春期の頃に抱える抑え切れない程の強いエネルギーや、集団心理を描いた作品に興味を持っている。 特に「ヴァージン・スーサイズ」には、女性が避けることができない人生の悲哀もひっそりと閉じ込められているように感じる。 女は他人から比較されずに生きていくことができないし、同時に自分も人と比較することをやめられない生き物である。 「私は私」と思うタイプの人でさえ、年を重ねれば若い頃の自分と「あの子も昔はかわいかった」なんて比較されていく。 一生続く、毒をもった甘い戦いが女の世界には存在しているのだ。 自分の部屋がまるで世界の中心のように思うことさえある思春期。1つの空間に閉じ込められた1歳ずつしか年齢の違わない姉妹達、そこにはまるで満開のバラが咲き乱れたような、異常なエネルギーが漂っていたのではなかろうか。 男性からすると一種の連帯感かもしれないが、まるで1つの花のように見えた彼女達は、それぞれ別の花びらの集合体だったのではないか。 だからこそ一致団結していたように見えた姉妹達も最期の瞬間は、バラバラの場所、それぞれの方法で死を選んだのかもしれない。 同時に、彼女達は、自分たちが1番美しい瞬間を永遠に閉じ込めようとしたのではないだろうか。「死」という選択肢を使って。彼女達にとって「死」とは、美しいままでいるための1つの手段だったようにも思えて仕方がないのである。 また、場所も時代もおかれている状況も違うけれど「ブリングリング」にも思春期の抑えられない強いエネルギーが描かれていると同時に、「自分は自分」でいることの難しさを伝えている。 10代の頃からSNSの普及によって、幸せの基準がわからなくなってしまったブリングリングのメンバー達は、罪の意識を抱くよりも、Facebookに窃盗したセレブの持ち物をアップし続け、周囲に注目される存在であることを望んだ。 被害者の1人でありながらも自宅を撮影場所として提供したパリス・ヒルトンが被害状況を語った際、「普通の泥棒はお金や宝石を盗むけど、彼らはお金ではなく、雑誌に出ているものを欲した」と語った。 そこに理屈は存在していない。「承認されたい」という欲望を抑えることができなくなった若者達の感情は、こんがらがってしまった電線のようだ。 他人の生活が必要以上に見えるようになってしまった現代を生きる上で、人に流されず自分らしくいることが難しくなっていることについて、小さな警鐘を鳴らしたのではないか。 それにしてもなぜ、彼女は性別年代問わず、人の感情を繊細にすくいとることができるのであろうか? 世界的な巨匠を父に持ち、1歳で乳児役として「ゴッドファーザー」に出演し、小さい頃から大人の目にさらされてきたソフィア。 人の顔色に敏感にならざるを得なかったであろうし、時に誰よりも比較されてきたのは、他でもなく、彼女自身だったからのかもしれない。 余談になるが、コッポラ一族の勢いはとどまることを知らない。 2013年、フランシス・フォード・コッポラの孫ジア・コッポラは、「パロアルト・ストーリー」で映画監督デビューを果たす。原作はハリウッドの若き開拓者的存在であるジェームズ・フランコが書いた短編小説。ジェームズ・フランコ自ら、ジアに監督を依頼し、ジュリア・ロバーツの姪であるエマ・ロバーツやヴァル・キルマーの息子のジャック・キルマーが起用され、青春の不安定さから来る思春期の若者達の繊細な気持ちを描いた。 インテリアやレースのカーテンといった小物等からもソフィアの感性を受け継いだことが肌で感じられる作品である。 甘くけだるく、耳に残る音楽は「ヴァージン・スーサイズ」の音楽でもおなじみのソフィアの従兄弟であり、フランシス・フォード・コッポラを叔父に持つシュワルツマンが担当。改めて、溢れんばかりの才能に恵まれた一族である。 「アメリカン・グラフィティ」「ラスト・ショー」「ヴァージン・スーサイズ」のようなタイプの10代の繊細な感情の機微を描いた青春映画を欲している人は、こちらの作品も観ても良いかもしれない。■ ©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2016.03.01
男たちのシネマ愛⑤愛すべき、極私的偏愛映画たち(1)
飯森:今回の企画は、その名もズバリ「ザ・シネマSTAFFがもう一度どうしても観たかった激レア映画を買い付けてきました」という特集です。これ以上の説明はなんも要らない(笑)。映画好きの皆さんであれば、多感な年頃に見て影響を受けた作品が、いつの間にか見ることが出来なくなってしまったという経験って、多かれ少なかれありますよね? ザ・シネマ編成部 飯森盛良 なかざわ:それはもう、数え切れないくらいありますよ! 飯森:それはザ・シネマのスタッフも同じでして、それだったら僕を含めて社内のそうした声を集めた上で、買い付けてきて放送してしまおうと考えたわけです。でもね、こういう企画って実は滅多にできないことなんですよ。いわゆるハリウッド・メジャー(注1)と呼ばれる映画会社は、各社ともテレビ向けに旧作を配給していますよね。放送権販売です。我々はそこから買っているわけですが、まとめて20本とか30本を幾らで、という感じでパッケージ購入しているわけです。何社かから買って、その中から、今月はこれ、来月はこれといった具合で小出しに組み合わせながら番組編成する。CSの洋画チャンネルを見ていて、同じ映画がライバル・チャンネルの間をたらい回しみたいに何度も放送されていることに気付かれた視聴者も多いと思うのですが、なぜなら同じ配給元からこのようなシステムで旧作をまとめ買いしているからなんです。パッケージ購入の際に配給元がライバル・チャンネルに売ったものと同じ作品を入れてくる場合もあれば、その作品が視聴率を取れることを我々が予めリサーチしていて、こちらから要望する場合もある。いずれにせよ、基本は配給元の“テーブル”の上に並べられている映画なんですよ。そういう作品は既に字幕も付いていますから、新たにこっちで作業をする必要はほとんどない。いつでもすぐに放送できるんです。 なかざわ:要するに即戦力ですね。 飯森:その一方で、例えば「おたくは’60年代にこういう映画を製作していましたよね、最近見かけなくなりましたが、あれを放送したいんですけれど…」、というような問い合わせ、つまり、“テーブル”に載ってない作品を出してきてくれと配給元にリクエストした場合、まず放送用テープの有無の確認から始めることになります。元はフィルムでも当然ながら放送用ビデオテープになっていないとテレビではかけられない。つぎに日本向けに日本語字幕版や日本語吹き替え版があるのかどうか。大昔に劇場公開したっきりの作品もあれば、VHSでリリースしたっきりで何十年も販売実績がない作品もある。全ては一から調べないとならないんです。それどころか、ハリウッド・メジャーならいいんですけど、インディペンデント系(注2)の作品だと、今どこが権利を持っているのか、どこと交渉すればいいのか、そこから調べなければならない。もちろん歴史上の全映画の権利元リストなんて存在するわけがない。それがいかに大変なことなのか、今回は身を持って実感しましたね。実現までにとにかく時間がかかった! なかざわ:そうした事情は映画ファンでもなかなか分かりませんからね。“テーブル”に載っていない作品の中にこそお宝が眠っていることが多いわけですけど、逆に、滅多に見ることが出来ないからこそ、お宝になってしまうとも言える。 飯森:そうなんです。“テーブル”の上に並んでいないと、わざわざ奥の方から出してきてもらわないといけない。 なかざわ:そうしたニッチなマーケットを掘り起こすために、アメリカではハリウッド・メジャーの映画各社がアーカイブ作品のオンデマンドDVDサービスを行っています。ワーナーやMGM、20世紀フォックス、ソニー・ピクチャーズなど、いずれも過去にDVD化されたことのある数々の作品とともに、VHSですら出したことのない貴重な作品も大量に放出しています。殆どがオリジナル・ネガ(注3)やインターポジ(注4)などからテレシネ(注5)しているので画質も良いですし。それらのラインアップの中から、ライセンスを借りてブルーレイ化しているインディペンデント系メーカー(注6)もあるくらいです。日本ではまず見られないだろうという作品が多いので、自分もよく利用していますよ。 雑食系映画ライター なかざわひでゆき 飯森:そりゃ、アメリカの場合は字幕や吹き替えを付ける必要がないですからね。ちなみにCSの日本映画系チャンネルさん各社がソフト化されたこともないような昔の貴重なお宝作品をよくテレビ初放送してたりするのも、そもそも日本語コンテンツだからだと思いますよ。具体的な金額までは申し上げませんが、字幕を付けるにはサラリーマンの月収くらい費用がかかります。字幕翻訳が残っていてその金額です。昔すぎて翻訳が残っておらず、新たに訳し直すところからだとその倍。5本、10本とそれにコストをかけられるか、それを12ヶ月やったらどうなるか、考えてみてください。さらに吹き替え新録ともなると年収くらいの費用がかかります。2011年に僕はウチのチャンネルでやった『ブレードランナー/ファイナル・カット』の新録吹き替え版(注7)をプロデュースしたことがあるんですが、あんなことは滅多にできることではない。あれ以来、ありがたいことに視聴者の皆さんにああいうことをもっとやれと期待されちゃってはいるんですけど、スンマセン、と(笑)。今の料金据え置きではそうしょっちゅうはやれない。昔、洋画番組をやられていて毎週吹き替え版を作って流していた民放さんとは、やっぱり資金力が違いますから。あれは映画の中に何発もCMをはさんで儲けていなければ無理です。でも、それやったら皆さん怒るでしょ?(笑) といったようなわけでして、日本で“テーブル”の上に並んでいないレアな外国映画を奥から出してきてもらって放送するのは、英語を母国語としているアメリカよりハードルが高いんです。ハードルというのは具体的にはコストがって意味です。“テーブル”の上のおなじみのタイトルならば、作品購入費以外のそうした追加コストが一切かからなくて済む。だから複数チャンネルの間を同じ映画がいつもグルグルグルグル回遊しているんですよ。まあ、それでも視聴率を取れてるんだから、別に悪いことではないとは思います。それって需要に対し我々がちゃんと供給できてるってことなので。 とはいえ、いくらコストがかからず視聴率も取れるからといって、同じような映画を何度も繰り返し放送するばかりでは映画ファンに失望されるということも、我々はよく理解しています。そもそも、こういう商売をしている本人がみんな商売抜きに映画好きですから、「そんなの面白くない!」という思いは同じなんです。なので、まあ、公私混同のきらいもありますけれど、まずは自分たちがなんとしてでも見たかった作品を探し出してきて放送し、さらに今後はみなさんからの要望にも耳を傾けながら続けていければと思っているんです。 なかざわ:でもですね、今回放送される作品の中で、「愛すれど心さびしく」だけは日本盤DVDが出ていますよね。 飯森:恐らくそれって、某レンタルチェーンさんがやられている、オンデマンドでDVDを焼いて届けてくれるというサービスですよね。確かにこの作品は仰る通り、そういう形で日本国内で観る手段は他に無くはありません。なのでお詫びの意味も込めて、そのうちテレビ吹き替え版も発掘して放送する予定です。これは文句なしに超貴重でしょ?そして「愛すれど心さびしく」以外の作品はもはや見ることができません。その中には今回ウチでもどうしてもコンディション良好とは言い難いSD素材しか手に入らなかったという作品もあります。HD化には相当なコストがかかるんです。古いSDテープが一応あるのに、それを捨てて新たにテレシネし放送用HDビデオテープを作り直すわけですから、それを数回しか放送しない我々チャンネル側の予算で負担することは、まぁ、なかなかできませんわな。作品の持ち主である配給元さんの方でそこは負担してもらうしかないんですが、配給元さんだってご商売ですし、採算の現実的なご判断は当然ありますよね。 注1:ワーナー・ブラザーズや20世紀フォックス、ソニー・ピクチャーズ、ユニバーサルなど、ハリウッドの大手映画会社の総称。注2:ハリウッド・メジャーではない中小様々な映画会社。注3:撮影フィルムを編集して作られたネガフィルムのこと。全ての映画はこれを元にプリントを重ねていく。注4:オリジナル・ネガからプリントされた中間素材用のポジフィルム。ここから、上映用フィルムを複製するためのインターネガが作成される。注5:フィルムに記録された映像をビデオに録画すること。これによりフィルムで撮られた映画をテレビで放送したりDVD等で再生できる。注6:前述のインディペンデント系映画会社とは異なり、ここではソフトメーカーのこと。代表的なメーカーとして、クライテリオンやキノ・ローバー、シャウト・ファクトリーなどが挙げられる。注7:2007年のリドリー・スコット監督による再編集・デジタル修復バージョン。この吹き替えを、ハリソン・フォードのフィックス声優である磯部勉を初めて起用して制作。ルトガー・ハウアーに谷口節、ショーン・ヤングに岡寛恵。 次ページ >> 愛すれど心さびしく 『愛すれど心さびしく』TM & © Warner Bros. Entertainment Inc. 『マジック・クリスチャン』COPYRIGHT © 2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED. 『ラスト・ウェディング』©2016 by Silver Turtle Films. All rights reserved. 『ビザと美徳』©1997 Cedar Grove Productions. 『暗い日曜日』LICENSED BY Global Screen GmbH 2016, ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2016.02.29
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年3月】
28歳にして監督デビューを果たしたソフィア・コッポラの衝撃のデビュー作!父上はもちろんご存じのフランシス・フォード・コッポラ。本作でも製作に関わってます。主人公の姉妹5人が全員美人という奇跡から始まりますが、特に自由奔放な四女ラックス役のキルステン・ダンストは、17歳で色っぽすぎるだろ!と叫びたくなります。のちに彼女は、ソフィアの監督3作目『マリー・アントワネット(2006)』で主演を務め、ガーリーでキュートなマリー・アントワネットを好演!(もちろんこちらもザ・シネマで3月に放送します!)。 物語ですが、5人姉妹が全員自殺を図るというショッキングな事実から始まります。姉妹たちの繊細で瑞々しい世界をソフィアの独特のタッチで描き、自由への憧れ、異性への意識…大人になりきれない10代の揺れ動く心を美しく映し出していきます。これを見れば、みなさんもきっと青春時代のあの純粋な気持ちを思い出せるはず! ザ・シネマでは、ザ・シネマ10周年にちなんだ特集企画として、ソフィア・コッポラを大特集!【ソフィア・コッポラ全部やります!】と題して、デビュー作から最新作まで全5作品を放送! ©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved