ロボットとひと口で言っても多彩である。漫画やアニメに登場する巨大ロボットを想起する人もいるだろうし、インダストリーのリアルな工業用ロボットを思い起こす人もいる。または今一番身近でポピュラーな、ロボット掃除機をあげる人もいるだろうか。でも『EVA<エヴァ>』で描かれるのは、人工知能が備わった自律型で、人間社会と共存しうる高性能ロボットの開発と、それに伴う人間たちの感情である。ここに登場する精巧な“S・I”シリーズの最新型ロボットは、人間と見紛うほどリアル。

 よく、人型の自律ロボットを描くにあたって思いだされるのが、アイザック・アシモフが提唱したロボット工学3原作。人間を守るための重要な規約で、「第1条/人間に危害を加えてはならない。第2条/第1条に反する場合を除き、人間に服従しなければならない。第3条/第1条及び第2条に反するおそれがない限り、自己を守らなければならない」……これらの規約は、人型ロボットの物語を構築していく際には、映画の作り手の意識・無意識を問わず、考えなければならない。

 例えば、アシモフの原作小説「バイセンテニアル・マン」を基に、人間になりたいと願う家事用ロボットを描いた『アンドリューNDR114』(99年)をはじめ、感情を実験的にプログラムされた子供型ロボットがアイデンティティーを求めて彷徨う『A.I.』(01年)、アシモフの短編集「われは、ロボット」を原案にして、殺人事件の容疑がかけられたロボットと刑事が対峙する『アイ,ロボット』(04年)、法令違反の改造を施されたロボットが独自に進化を遂げてゆく『オートマタ』(14年)など、いずれも作品の底辺にアシモフのロボット工学3原則の匂いを感じ取ることができる。

 ロボットが人間に近づこうとする、或いは、ロボットが進化するSFドラマを構築しようとする場合、ロボットを通じて人間の普遍的な姿を投影したり、科学の暴走に警鐘を鳴らすなどの表現を込めてきた。しかし『EVA<エヴァ>』の舞台の近未来では、自律型の執事用ロボット“S・I・7”やペット型ロボット“グリス”などが、人間社会と密接に絡んで共存している。ここではロボットの進化や脅威を描くのではなく、人間とロボットの壁(境界)を超えた“普遍的な愛”を詩的に捉えている。

 雪がしんしんと降り積もる郊外の静かな街を背景にして、ロボット製造から一度は逃げてしまった科学者が、再び自律型の高性能ロボットを作ろうとするドラマ。詩的でファンタジックなメルヘン要素を見せていく一方で、哀しみをおびた情緒的な愛の寓話とも受け取れる。例えば、ロボットが人間の指示に従わず、どうしようもない時にかける言葉がある。それはロボットに対する、最も神聖な言葉「目を閉じると、何が見える?」 するとロボットは、安らかに眠るように突然機能を停止!……それはロボットにとって、死を意味する。一度ショートした感情の記憶は修復不可能で、再起動しても同じロボットではなくなってしまう。そのあたりの表現が、ハリウッド映画とは異なるスペイン映画らしい芸術性か。

 若くて優秀なロボット科学者アレックス・ガレル(『ラッシュ/プライドと友情』のダニエル・ブリュール)は、かつて高性能の自立型ロボット第1号“S・I・9”を研究・製造していたが、肝心の感情生成機能が欠けていて未完成のままだった。そして、突然どこかへ雲隠れしてしまってから10数年後、大学の女性ロボット科学者ジュリアに呼び戻され、完璧な自律型ロボットの製造を依頼される。彼は一緒にいたくなるようなロボットを造りたいと切望するが、そのためには外見や感情データを収集するための人間のモデルが必要だった。

 そしてアレックスは、ロボット科学者で兄のダビッド、かつてのアレックスの恋人で兄の妻になっていたラナ・レヴィ(『スリーピングタイト 白肌の美女の異常な夜』のマルタ・エトゥラ)との久々の再会を果たした。

 父亡きあと、空き家になった実家でロボット製造に取りかかるアレックスだったが、ある日、通りがかった小学校で赤いコートを着た美少女エヴァ(クラウディア・ヴェガ)を発見してから、喋ったり、何度も逢ううちに新たなロボット製造のモデルに相応しいと考えはじめる。

 純白の世界の中、赤いコートを着て歩き回る10歳の美少女は、少々おませで、アレックスの心を無邪気に翻弄する。『ロリータ』(61年)のように、大人の男性と美少女の妖しげな匂いを仄かに放っているが、ある事実が判明する。それはエヴァが、兄ダビッドと元恋人ラナの娘だった。両親は、エヴァがアレックスと一緒に仕事をすることに反対していた。

 エヴァ(EVA)の名は、旧約聖書の創世記に誕生した最初の女性イヴに由来し、ヘブライ語で“命”や“生きるもの”を意味する。ラナは、エヴァに何を託したかったのか?

 そしてアレックスが、エヴァがラナの娘と知らず、なぜエヴァに夢中になったのか? おそらく、ラナに対する秘かな想いを、知らず知らずの内にエヴァの中に見ていたためか。アレックスのエヴァへの気持ちは、ラナへの断ち切れぬ愛でもある。アレックスのラナへの強い愛情は、更に強い妄想を抱かせてしまい、意外な事実が明らかとなり、恐ろしい事態へと発展していく。

 エヴァは母ラナに反対されながらも、好意を抱くアレックスに協力する。その結果、ロボットの感情記憶装置の設定データを採取され、“S・I・9”にプログラムされる。見たモノに反応し、人間のように経験が記憶を創りあげてゆくビジュアルは、まるで雪の結晶のようにファンタジックで美しいが、とても壊れやすいガラス細工のようにも見える。そして、アレックスのエヴァを通じて感じさせるラナへの愛も、雪の結晶のように美しくも儚い。

 おそらく「街全体を白く染めあげている雪」と「“S・I・9”の心を創りあげる記憶」と「アレックスのラナに対する愛情の記憶」の3つを、結晶というシンボリックな形で関連づけているよう。

 表向きはSF映画だが、その実、人間が愛に翻弄される詩的な寓話だった。アレックスの愛が新たな愛を生み、別の嫉妬や憎悪を生み、ある意味、結晶のようにつながっている。だから、ロボットらしい見せ場などのSF的醍醐味はほぼ皆無であるが、その代わりに詩的でファンタジック、それでいて哀切な世界観にしばらく浸っていたくなるほど。だから大人向けのSFダーク・メルヘンといった方が適切かもしれない。

 それこそが『EVA<エヴァ>』の最大の魅力だと思う。メルヘンのように雪の白い世界の中、赤いコートを着た美少女が現れ、大人たちにかつての愛を思い出させ、無邪気に翻弄してまわる。人間にとって、なかなか消せない愛、忘れられない愛は、記憶の中に生き続ける……そんな作り手の想いが伝わってくる。

 ラナがエヴァによく読んであげた本が、「アラビアンナイト」だった。エヴァはその本について、こう言う。「眠りにつくお姫様を、王子様が殺さなきゃいけないの。だけどお姫様は、毎晩毎晩、王子様にステキなお話しをしていたの。王子様は、続きが気になって、お姫様を殺せなくなってしまうのよ。こうして一夜、一夜、過ぎていきました……」

 美少女エヴァの寝顔は、安らかであって欲しい。■

©Escándalo Films / Instituto Buñuel-Iberautor