ザ・シネマ 桑野仁
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COLUMN/コラム2015.04.02
【未DVD化】翼に賭ける命 ― ハリウッド航空映画のタフガイ列伝〜『紅の翼』
監督を手がけたウィリアム・A・ウェルマンは、1896年生まれで、同年生まれのハワード・ホークスや、1895年生まれのジョン・フォードらと同様、無声映画時代から約半世紀の長きにわたってハリウッドで活躍し続けた映画界の神話的巨匠の1人。共通項のウェインを間に差し挟んで、この3人の巨匠たちの個性や作風の違いをあれこれ引き比べながら論じるなどということは、なにぶん畏れ多くて手に余る大仕事なので、ここではフォードの代わりに、これまた数々の伝説的神話で知られる大物ハワード・ヒューズを召喚し、タフで荒い気性で知られた“ワイルド・ビル”ことウェルマンと、これまた一匹狼の風雲児たる2人のハワードの交錯から生まれた、航空映画という新たな人気ジャンルの確立とその後の発展をざっとおさらいした上で、改めてこの『紅の翼』に立ち戻ってみることにしたい。 ■三つ数えろ ― 映画界の大物アビエイターたちの三つ巴の戦い というわけで、まずはウェルマンから。第1次世界大戦において、当時20歳そこそこの血気にはやる若者だった彼は、アメリカがまだ参戦を決める以前から義勇兵に志願して、フランス外人部隊に所属。名高いラファイエット飛行隊のエース・パイロットとして複数の撃墜記録を誇る活躍を見せ、軍功賞を授与されている。そして戦後、映画界入りした彼が、その輝かしい実績をもとに、大作の監督に抜擢され、世に送り出したのが、ハリウッドの航空映画の先駆的傑作にしてウェルマン自身の一大出世作ともなった『つばさ』(1927)だった。 この作品は、米陸軍航空隊の全面協力の下、200万ドルもの製作費を投じて、第1次世界大戦における戦闘機同士の息詰まる空中戦をスリルと迫力満点に描いたもの。折しもこの年、かのチャールズ・リンドバーグが大西洋横断の単独無着陸飛行に成功し、全米中に熱狂的な航空ブームを巻き起こしたことも相まって、映画は公開されるや一躍大ヒットを記録し、栄えある第1回のアカデミー作品賞にも輝いている。そして以後、ウェルマン監督自身、『空行かば』(28)、『若き翼』(30)、など、同種の作品を相次いで発表すると同時に、『つばさ』の成功に刺激を受けて、数多くの航空映画が他者の手でも撮られることとなった。 そして、ここで登場するのが、当時、亡き父から受け継いだ巨万の富を手にハリウッドに単身乗り込み、新参の映画製作者として独自の道を歩み始めていた変わり者の若き大富豪、ハワード・ヒューズ。彼は、『つばさ』を上回る迫真の空中スペクタクルを生み出そうと、第1次世界大戦で実際に用いられた本物の戦闘機を自らの資金で買い集め、1927年の秋から、大作航空映画『地獄の天使』の製作に着手。しかし何かと些事にこだわり、自分の思い通りのやり方でないとどうにも気が済まないワンマン主義者の彼が、当初の監督をクビにして自ら初監督の座に就き、あれこれ試行錯誤しながら撮影を長引かせている間に、映画界にはトーキー化の波が押し寄せ、無声映画として撮影されていた同作をそのままの形で公開すると、時代遅れな代物として観客にそっぽを向かれる恐れが生じたため、ヒューズは、製作半ばにして映画をトーキーに変更することを決断。その際、思い切って主演女優も、当時はまだ無名のジーン・ハーロウに新たに差し替えて撮り直しを断行し、製作費は400万ドル近くにまで達する一方、映画の完成がますます遅れる仕儀とあいなった(レオナルド・ディカプリオがヒューズに扮したマーティン・スコセッシ監督の伝記映画『アビエイター』(2004)の中にも、そのあたりの一端が描かれているので、ぜひご一見あれ)。 そして、その間隙を縫うようにして、もう1人の大物プレイヤーがここに参入してくる。それが、ほかならぬハワード・ホークス。もともとエンジニア志望で、大学では機械工学を専攻していた彼は、第1次世界大戦の際、召集されて陸軍航空隊に入り、国内の練兵場で飛行部隊の教官を務めた過去の経歴があった。ホークス初の航空映画となった『暁の偵察』(30)(彼は以後も、『無限の青空』(36)や『空軍』(43)など、さらなる航空映画の秀作を生み出すことになる)は、ようやく撮影が終了した『地獄の天使』の現場スタッフをちゃっかり雇い入れて聞き出した同作の内容を映画作りの参考にするなど、後発隊ならではの旨みと強みを発揮。一方、それを聞いて烈火のごとく怒ったヒューズは、トンビに油揚をさらわれてなるものかと、訴訟を起こして『暁の偵察』の製作や公開の差し止めを試み、お互いに激しい場外バトルを繰り広げた末、2つの作品は1930年に相次いで劇場公開されて共に大ヒットを記録し、航空映画という新たな人気ジャンルの確立に大きく貢献することとなったのだった。 さて、その後、ウェルマン監督は、『地獄の天使』においてプラチナ・ブロンドのセクシーな魅力で一躍人気が沸騰したジーン・ハーロウをジェームズ・キャグニーの相手役の1人に起用して、壮絶なギャング映画の傑作『民衆の敵』(31)を発表。これに対し、『暁の偵察』の時は互いに激しく対立したヒューズとホークスだが、これがかえって不思議な縁となって両者はその後、意気投合するようになり、続いてヒューズが製作、ホークスが監督としてコンビを組んだ『暗黒街の顔役』(31-2)では、『民衆の敵』と双璧をなす、トーキー初期のギャング映画を代表する古典的傑作を生み出すことに成功する。そして、2人のハワードはその後、無名の新人グラマー女優ジェーン・ラッセルを煽情的に売り出した異色西部劇『ならず者』(40-43)で、再び製作&監督コンビを組むが、ホークスは早々に監督の座を降り、結局ヒューズがその後を引き継いだものの、またしても映画の完成までには時間がかかり……、といった具合に、この3人をめぐる面白い因縁話には、実はまだまだ先があり、それを詳述していくと、いよいよヒューズの二の舞で(一介の貧乏ライターの自分を、かの億万長者になぞらえるのもおこがましいが)、こちらの文章も長くなって収拾がつかなくなるので、ここでは残念ながら割愛することにして、本来の航空映画の話に戻ることにしよう。 ■題名からひもとくハリウッド航空映画小史 『つばさ』や『地獄の天使』『暁の偵察』の大ヒット以後、ハリウッドではさらに多くの航空映画が生み出されていくことになるが、それらの作品群の題名をざっとここに並べてみると、「つばさ」(あるいは「翼」)と「天使」が、航空映画の大きなキーワードになっていることが見て取れる。無論、前者は『つばさ』、そして後者は『地獄の天使』に由来し、ウェルマンの『つばさの天使』(33)では、まさに両者が合体しており(ただし、これの原題は「CENTRAL AIRPORT」で邦題とは無関係)、それとは逆に、ホークスの『コンドル』(39)の原題は、「ONLY ANGEL HAVE WINGS」で、やはり「天使」と「つばさ」が揃い踏みとなっているのも面白い。 先に紹介した1927年のリンドバーグの大西洋横断飛行の実話は、それから30年後、ビリー・ワイルダー監督の手で『翼よ!あれがパリの灯だ』(57)として映画化される(ちなみに、アンソニー・マン監督の『戦略空軍命令』(55)やロバート・アルドリッチ監督の『飛べ!フェニックス』(65)でもやはりパイロットの主人公を演じたジェームズ・スチュワートは、第2次世界大戦時、米陸軍航空隊に志願入隊して爆撃機パイロットとして活躍し、後に空軍少将の位にまで登りつめた文字通りの空の英雄)。そしてジョン・ウェインは、この『紅の翼』の後、フォード監督と組んで『荒鷲の翼』(56)を、準主役のロバート・スタックは、ダグラス・サーク監督と組んで『翼に賭ける命』(57)に出演することになる。なおスタックは、やはりサーク監督の傑作『風と共に散る』(56)の中で、傲岸不遜な態度の奥にさまざまなコンプレックスを抱えたテキサスの石油王の御曹司を熱演しているが、この役柄のモデルとなったのが、実は何を隠そう、ハワード・ヒューズだった。 ■『紅の翼』 さて、ここでようやく話はふりだしに戻って、本来のメイン料理たる『紅の翼』の紹介に移ろう。この映画でウェインが演じるのは、戦闘機を駆って大空を勇猛果敢に飛び回る軍人のパイロットではなく、1950年代当時の平和な戦後社会を舞台に、民間の旅客機を操るベテランの副操縦士。冒頭、ウェインが最初に劇中に登場するシーンは、映画ファンなら既にお馴染みの、あの少し内股気味の独特のゆったりした足取りとは異なり、彼が片足を少し引きずりながら窮屈そうに歩く様子を、背後から捉えるところから始まる。元来、一流のパイロットの腕前を持つ彼は、かつて上空を飛行中、天候の急変に見舞われて機体が大破炎上し、愛する妻子を含む他の乗客全員が死亡する中、彼ただ一人かろうじて生き残るという悲劇を経験したことが、その後、整備士の口を通して語られ、ウェイン扮する主人公の足の障害はその後遺症であることが、観客にも了解されるわけだが、実はこれは、監督のウェルマン自身を主人公に投影させたもの。先にも紹介した通り、ウェルマンは第1次世界大戦において、フランス外人部隊の飛行隊のパイロットとして活躍したわけだが、彼自身も敵の対空砲火で撃墜された実体験を持ち、その時に負った怪我が原因で、以後は終生びっこを引くはめになったという。 しかしまたウェインは、これまた映画ファンなら御存知の通り、『静かなる男』(52)、『捜索者』(56)から『エル・ドラド』(66)、そして遺作の『ラスト・シューティスト』(76)に至るまで、心や体に傷を負いながら、その苦境の中でこそ真のタフで勇気な精神を発揮するところに、彼の不滅のヒーローたる魅力が宿っている。 ■風と共に去りぬ ― 航空映画からパニック映画への変容 そして、本作の物語が描き出すのは、ウェイン扮する副操縦士や、ロバート・スタック扮する機長ら、乗員乗客計22名を乗せて、ハワイのホノルルからサンフランシスコへ向けて飛び立った旅客機が、上空でトラブルに見舞われてエンジンの1つが突如火を噴き、絶体絶命の極限状況に陥る中、彼らの気になる運命の行く末を、多彩な人間模様を織り交ぜながらスリリングに描き出すというもの。 こうして書き記してみればお分かりの通り、実は本作は、その後、『大空港』を皮切りに計4本作られる『エアポート』シリーズ(70-79)をはじめ、『ポセイドン・アドベンチャー』(72)、『タワーリング・インフェルノ』(74)、等々、1970年代に一大ブームとなるパニック映画の原型を成すこととなった先駆的作品の1本。これらの一連のパニック映画は、運悪く同じ場所に居合わせて非常事態に遭遇した人々が、その破局的状況から必死で抜け出そうと悪戦苦闘するさまを、豪華多彩なオールスター・キャストを取り揃え、“グランド・ホテル形式”と呼ばれるハリウッドの伝統的な話法を用いて描くのが、物語の基本的パターン。大勢の出演者たちの個々の見せ場を作る必要性から、物語はおのずと断片化されてお互いにバラバラな短い挿話を寄せ集めたものとなりがちだし、それも後年になるに従ってなし崩しとなり、ドラマそのものよりも、迫真の臨場感に満ちたアクションやサスペンスを重視して、より映画のスペクタクル性を前面に押し出したイベント的な大作が一層増えるようになるのは、必然的な流れ。 上記の作品はもとより、その後のCGの発達により、『タイタニック』(97)から最近の『ゼロ・グラビティ』(2013)に至るまで、いまやすっかり当世風のパニック映画に慣れっこになっている現代の映画ファンからすると、エンジンの不調で飛行機が危機的状況に陥るまでに結構時間がかかり、その間、登場人物たちが各自、上空の密閉空間の中で動きと生彩に欠ける会話劇を延々と繰り広げる『紅の翼』の古風で悠長な話運びは、いささか退屈で冗漫に思えても致し方ないかもしれない。 このあたりの航空映画というジャンルの時代的変遷に関して、淀川長治・蓮實重彦・山田宏一の三氏が、映画の魅力を縦横無尽に語り合った鼎談集「映画千夜一夜」の中で、次のようにズバリ本質を鋭く衝く的確な指摘をしている。 山田「航空映画というのはやっぱり風の映画なんですね。」淀川「そうなんですよ。だからいまの飛行機の映画いうのは、飛行機のなかだけで『グランド・ホテル』みたいな面白さはあるけど、本来の面白さはないね。飛行機が飛んでるのか、飛んでないのかわからないものね(笑)。」蓮實「ジェット機になってからダメになったんですね。」 ■ファニー・フェイスの心優しき天使 ― MEET DOE AVEDON さて、そんな次第で、この『紅の翼』は、正直なところ、ウェルマン監督の数ある作品群の中では、上出来の部類に入るものとは言い難いのだが、それでも筆者があえて個人的な情熱を燃やして、関連情報もあれこれ盛り込みつつ、本作の紹介文を長々と書き連ねてきたのには、実はもう1つ大きな理由がある。それは、劇中、親切で温かみのある新人スチュワーデスに扮して、パニックに陥る乗員乗客たちの不安と恐怖をそっとなだめて回る、ドウ・アヴェドンという女優の存在。あまり聞きなれない女優と思う人の方が大多数だろうが、その名が示す通り、実は彼女は、「ハーパース・バザー」「ヴォーグ」などの一流雑誌で活躍した20世紀の後半を代表するファッション写真家、リチャード・アヴェドンの元妻にしてそのトップモデル。フレッド・アステア演じる人気ファッション写真家が、本屋の女店員に扮したオードリー・ヘップバーンを見初めて自分の写真のモデルに起用する様子を洒落たタッチで描いたミュージカル映画『パリの恋人』[原題「FUNNY FACE」](57)は、リチャード&ドウ・アヴェドンのありし日の関係を下敷きにしたもの。 映画の中では、熱々の新婚カップルを羨ましそうに見やりながら、「私も結婚できるかしら?」とつぶやいたりもするドウ・アヴェドンだが、実はこの時彼女は、リチャード・アヴェドンとの結婚・離婚を経て、再婚した俳優の夫とも悲劇的な事故で死別していた。そして彼女は、それから3年後の1957年、めでたく3度目の結婚を果たす。その相手こそ、誰あろう、当時、B級ノワールの傑作『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(56)などを放って頭角を現わしつつあった活劇映画の名手、ドン・シーゲルその人であった! 1940~50年代に、本作を含めてわずか4本の映画といくつかのTVドラマに出演した彼女は、シーゲルとの結婚を機に女優業を引退して家庭生活に専念。1975年に彼と離婚した後、彼女は長年親交のあったジョン・カサヴェテスの晩年の個人秘書を務め、『ラヴ・ストリームス』(84)に端役で出演したきり、2011年にこの世を去ったため、この『紅の翼』は、女優ドウ・アヴェドンの姿が拝める数少ない貴重な映画の1本となる。御存知『駅馬車』(39)や『暗黒の命令』(40)でもウェインとコンビを組んだクレア・トレヴァーや、本作の熱演でゴールデン・グローブ助演女優賞に輝いた『地獄の英雄』(51)のジャン・スターリングもさることながら、ここはぜひ、アヴェドンの清楚でさわやかな演技に注目していただきたい。 ■スタア誕生 そしてシーゲルとくれば、ここでやはり最後にクリント・イーストウッドにもご登場願って、このすっかり長くなってしまった拙文を締め括ることとしたい。この2人の師弟関係については、もはやここで改めて説明するまでもないだろうが、イーストウッドがシーゲルと出会うよりも十年ばかり前、当時まだ駆け出しの新人俳優だった彼が、脇役とはいえ、初めて一流の巨匠監督の作品に出演できる機会がめぐってくる。それこそが、ウェルマン監督の本邦劇場未公開作『壮烈!外人部隊』[原題「LAFAYETTE ESCADRILLE」](58)だった。 1975年にこの世を去る同監督の、いささか早すぎる引退作となったこの最後の長編映画でウェルマンが題材に採り上げたのは、彼の青春時代の思い出がたくさん詰まった、第1次世界大戦におけるラファイエット飛行隊の物語。かつて『つばさ』で、ほんの短い出番のチョイ役ながら、鮮烈な印象を観る者の脳裏に刻み込んで、その後一躍人気に火が点いてスターへの座を駆け上っていったゲイリー・クーパーのように、ウェルマンの原点回帰というべき航空映画であり、甘酸っぱい初恋青春映画でもあるこの『壮烈!外人部隊』で、主人公と同じ飛行隊に所属する若者の1人を演じたイーストウッドは、御存知の通り、その後、現代映画界きっての大スターへの道を歩むようになる。 ここで今更ながらに思い起こすならば、ウェルマン監督は、決して航空映画専門のスペシャリストではなく、先に紹介した『民衆の敵』のようなギャング映画から、社会派ドラマ、戦争映画、西部劇など、幅広い題材を手がけた万能型の職人監督でもあって、ハリウッド・スターたちの栄枯盛衰を描いた古典的傑作『スタア誕生』(37)を放ってアカデミー原案賞に輝いたのも、ほかならぬ彼だった。同作はその後、1954年と1976年にリメイクされ、そしてウェルマン監督の異色西部劇『牛泥棒』(43)を自身が最も影響を受けた映画の1本と公言するイーストウッドが、本来ならその3度目のリメイク版の監督をする企画が進行していたはずだが、どうやら現在では、イーストウッドが、『アメリカン・スナイパー』に主演したブラッドリー・クーパーにその企画を譲り、クーパーが主演に加えて監督業にも初挑戦するということが最新ニュースで報じられている。これもぜひ楽しみに待ちたいところだ。■ COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. 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COLUMN/コラム2015.03.10
ウェス・アンダーソンの出現以前に登場したウェス・アンダーソン的カルト映画の逸品〜『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』
『俺たちに明日はない』(67)や『イージー・ライダー』(69)などを発火点に、ハリウッドに新たな変革の波が押し寄せた1960年代の後半から70年代の初頭、従来のものとは異なる多種多様な作品が数多く登場して、アメリカ映画界は百花繚乱の時代を迎えるが、ハル・アシュビーの監督第2作『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』(71)も、まさにそんな解放天国の時代だったからこそ生み出されたと言える、ユニークでエキセントリックな映画の1本。初公開時には興行的に惨敗したものの、その後、若い観客層を中心にうなぎ上りに評判を呼んで異例のリバイバル・ヒットを飛ばし、今やすっかり珠玉のカルト映画として人気と名声が定着し、現代の才能ある映画作家たちにもその遺産がしっかり受け継がれている愛すべき作品だ。 どす黒いユーモア満載の痛烈なブラック・コメディ。実は人一倍寂しがり屋である、ひねくれ者の人間嫌いたちのための心優しい人生賛歌。はたまた、切ない青春初恋映画、等々、さまざまな要素が渾然一体となった本作の魅力を、ずばり一言で簡潔に言い表すのは至難の業だが、シュルレアリストたちのお気に入りのフレーズだった、ロートレアモンの『マルドロールの歌』の中の有名な一節「解剖台の上のミシンと雨傘の偶然の出会い」をもじって、さらにここで付け加えるならば、「根暗な青年と快活な老女の、葬儀の場での出会いから生じた奇跡のラブ・ファンタジー」といったところだろうか。 片や、裕福で恵まれた家庭環境に生まれ育ったのに、そこでの生活に息苦しさと絶え難さを覚え、ひたすら子供じみた自殺ごっこに興じることで家族や社会に対する反抗心を空しく発散させるばかりのシニカルで厭世的な20歳前後の青年、ハロルド。他方は、もうすぐ80歳を迎えようというのに、社会のルールなどどこ吹く風とばかり、どこまでも自由奔放に振る舞い、人生を存分に謳歌する愉快でチャーミングな老女、モード。この年齢や性格、生き方もおよそ対照的でかけ離れた2人が、赤の他人の葬儀の場に近親者を装って参列し、厳粛な儀式を間近で傍観するという、何とも風変わりな共通の趣味を通じて運命的に出会い、大きな年の差を乗り越えて互いに恋に落ちるのだ。 映画の中で描かれる“年の差恋愛”といえば通常、例えば『愛のそよ風』(73)のように、人生に疲れた年上の男性主人公が、若くて溌剌としたヒロインとめぐりあうことで人生の再生を果たしていくパターンが多い。けれども、この『ハロルドとモード』ではその性別の役割が逆転し、常に喪服めいた黒装束を身にまとって血の気の失せた蒼白い表情をいっそう際立たせ、趣味は自殺ごっこと葬儀通い、そしてマイカーは霊柩車と、死の世界に深くどっぷり浸っていた若き男性主人公ハロルドに、生きることの歓びと意義を、身をもって教示するのは、老女のモードの方(実は、彼女の人生も決して常にバラ色だったわけではなく、過去につらい悲惨な体験をくぐり抜けた末、達観した境地に至ったことが、彼女の腕に刻まれた数字の刺青を瞬間的に捉えるショットで暗示されるので、要注意)。 さらに、本作の先輩格にあたる『卒業』(67)では、ダスティン・ホフマン演じる青年主人公が、自分の母親と同世代のミセス・ロビンソンとの不倫関係に次第に後ろめたさを覚え、最終的には彼女から“卒業”していくのに対し、この『ハロルドとモード』では、青年主人公のハロルドが恋に落ちるモードはなんと、自分の母親の世代を通り越して祖母の世代にまで達した80歳直前の老女であり、しかもハロルドはモードとめでたくベッドインして深い満足感を味わい、彼女に結婚を申し込む決意を固めるのだ。 現実社会ではおよそまずありえず、下手をすると悪趣味でグロテスクな冗談にもなりかねないこのきわどい人物・物語設定を、絶妙の顔合わせによる魔法のケミストリーで極上のメルヘンへと昇華させている2人の主演俳優が、実に魅力的で素晴らしい。ハロルドに扮するのは、丸ぽちゃの童顔がなにより印象的なバッド・コート。ロバート・アルトマン監督の怪作『BIRD★SHT』(70)で主演を務めたのに続いて、本作への出演で、幸か不幸か、その永遠の少年像としての俳優イメージが決定づけられてしまったといえるだろう。 一方、モード役を嬉々として演じるのは、『ローズマリーの赤ちゃん』(68)の怪演でアカデミー助演女優賞を得た、1896年生まれの異色のベテラン女優ルース・ゴードン。実はこの彼女、かつては夫のガーソン・ケイニンとの共同脚本で、ジョージ・キューカー監督と絶妙のチームを組み、スペンサー・トレイシー&キャサリン・ヘップバーンというハリウッド史上屈指の名コンビが丁々発止と渡り合う『アダム氏とマダム』(49)、『パットとマイク』(52)などの痛快ロマンチック・コメディを世に送り出した、知る人ぞ知る才女。前述の『ローズマリーの赤ちゃん』や本作の印象的な演技で、70代にしてユニークな個性の名物女優として再び脚光を浴び、その後も『ダーティファイター』(78)では、クリント・イーストウッドやオランウータンと愉快に共演すると同時に、ごろつきのバイカー集団を相手にライフル銃を豪快にぶっぱなして、なおも意気軒昂たる姿を披露していたのも忘れ難い。 そして、「大声で歌いたいなら、大声で歌うといい。自由になりたいなら、自由になればいい」と伸びやかに歌う「If You Want to Sing Out, Sing Out」をはじめ、映画の全篇にわたって、主人公たちの心情に優しく寄り添い、その背中をそっと後押しする、当時人気絶頂だったシンガー=ソングライター、キャット・スティーヴンスの歌曲の数々も、本作の魅力を語る上では欠かせない大きなポイントの1つ。スティーヴンスといえば、本作同様、青春初恋映画の白眉というべきイエジー・スコリモフスキ監督の『早春』(70)の中でも、彼の名曲「But I Might Die Tonight」が、劇中主人公の心の叫びを鮮やかに代弁していた。 この『ハロルドとモード』のサントラ盤は、劇中未使用の曲も多く含めた変則版が1972年に日本で発売された以外は、本国でもリリースされず、正規のオリジナル・サントラ盤の発売がファンの間で長年待ち望まれていたが、2007年になってついに、本作の大ファンと公言するキャメロン・クロウ監督が、自らのレーベルから少数限定の豪華コレクターズ・アイテム仕様のオリジナル・サントラ盤ディスクを発売し、話題を呼んだ。 そして2011年には、デニス・ホッパーの息子ヘンリー・ホッパーとミア・ワシコウスカ演じる若い1組の男女が、赤の他人の葬儀の場に近親者を装って参列するという特異な趣味を通じて運命的に出会う青春悲恋映画、『永遠の僕たち』をガス・ヴァン・サント監督が発表したのも、まだ記憶に残るところ。そのヴァン・サント監督が、同作に対する『ハロルドとモード』の影響関係について問われ、最初に脚本を読んだ時点で自分もすぐそれに気づいた、と答えているインタビュー記事の中に、さらに次のような面白い発言をしているのを今回新たに見つけたので、ここでぜひ紹介しておこう。 「…『ハロルドとモード』は、ある点では、ウェス・アンダーソンの出現以前に登場した彼の映画のようなものだ。それを現代風にしているのは、たぶんウェス・アンダーソンが存在しているからだ。」 うーむ、なるほど。確かにそれって、言い得て妙。そしてここで翻って、アンダーソン監督と『ハロルドとモード』の影響関係をあらためて探ってみると、彼の長編第2作『天才マックスの世界』(98)の主演俳優に抜擢された、まだ当時17歳のジェイソン・シュワルツマンが、その役作りの参考になるかもと、初めて目にして思わずぶっとび、以後繰り返し見た映画こそ、ほかならぬこの『ハロルドとモード』だったと熱っぽく語っているし、アンダーソン監督自身、やはりシュワルツマンが主役の1人を演じた『ダージリン急行』(07)を作るにあたって、ハル・アシュビー監督の次作『さらば冬のかもめ』(73)をあらためて見返した、と発言している。それに『ライフ・アクアティック』(05)には、いまやすっかり禿げ頭の中年オヤジへと変貌したバッド・コートが、元気に姿を見せていたではないか! まだまだ掘り下げてみる価値のあるその辺の課題はこの機会にぜひ、皆さんにも一緒に考えていただくことにして、まずはこの珠玉の本作を存分にご堪能あれ。■ TM & Copyright © 2014 by Paramount Pictures. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2014.06.11
【ネタバレ】『ロング・グッドバイ』 グールドだって猫である ― 「不思議の国/鏡の国のマーロウ」
カンヌ国際映画祭のパルム・ドールに輝き、彼の一大出世作となった『M★A★S★H』(1970)を皮切りに、とりわけ1970年代、『BIRD★SHT』(1970)、『ギャンブラー』(1971)、『ボウイ&キーチ』(1974)、『ナッシュビル』(1975)、『ウエディング』(1978)、等々、既存のジャンル映画の枠組みやさまざまな神話を根底から問い直す、斬新で型破りな作品を次々に発表して破竹の快進撃を続け、現代映画界に変革と衝撃の波をもたらした、今は亡きアメリカの鬼才ロバート・アルトマン。 この『ロング・グッドバイ』(1973)も、そんな彼ならではの大胆不敵で奇抜な発想と遊び心に満ちた実験的手法が随所で観る者を挑発的に刺激する、異色の傑作群のうちの1本。初公開時にはこれに当惑する従来のミステリ・映画ファンたちの不平不満や非難の声が相次いで、商業的には失敗に終わったものの、今日では、世代や国籍を超えて、これを支持し、偏愛する者たちが後を絶たない、極上のカルト映画の逸品といえるだろう。 本作の原作にあたる『ロング・グッドバイ』といえば、1953年にアメリカで刊行され、ハードボイルド小説の古典として不動の人気を誇る、レイモンド・チャンドラーの代表作のひとつ。日本のミステリ・ファンの間では長らく、清水俊二の訳による『長いお別れ』の題で親しまれて、海外ミステリの名作を選出するさまざまなベストもののアンケート調査でも常に上位を占め、雑誌「ミステリマガジン」が2006年に行なった「オールタイム・ベスト」では堂々の第1位を獲得。その後、村上春樹による新訳の登場も話題を呼んだ。 そしてつい先頃、この原作をNHKが日本版に翻案して連続TVドラマ化し、巷でそれなりに好評を博したのも記憶に新しいところだ。レトロモダンな昭和の戦後日本を舞台に、シックでダンディな衣装に身を固めた浅野忠信扮する主人公が、おのれの信ずる友情のためにたえずタフで毅然とした態度で奔走する姿は、なかなか貫録十分で、チャンドラーが生み出した現代の孤高の騎士たるハードボイルド探偵、フィリップ・マーロウをこれまでスクリーン上で演じてきた歴代の名優たち―ハワード・ホークス監督の古典的名作『三つ数えろ』(1946)においてマーロウ像の決定版を打ち立てたハンフリー・ボガートや、人生の憂愁を色濃く滲ませた『さらば愛しき女よ』(1975)、『大いなる眠り』(1978)のいぶし銀の味わいのロバート・ミッチャムなど―に決してひけをとらない好演を披露していた。 しかし、アルトマン監督が本作で主役のマーロウに抜擢したのはなんと、先に『M★A★S★H』でも組んで独特の飄々とした持ち味と存在感を発揮した個性派俳優のエリオット・グールド。しかも映画を、原作をそのままなぞってレトロ趣味に満ちた時代ものとして作り上げるのとは反対に、物語の時代設定を映画製作当時の1970年代にアップ・トゥ・デイト化するという、意外で思い切ったアプローチを選択した。その一方でアルトマン監督は、本作でのマーロウを、“アメリカ版浦島太郎”というべきワシントン・アーヴィング原作の有名なお伽噺の主人公の名をもじって、リップ・ヴァン・ウィンクルならぬ“リップ・ヴァン・マーロウ”とひそかに名づけ、「20年の大いなる眠りから覚めて70年代初めのロスの景観の中をうろうろしているマーロウ、ただし心情的には過去のモラルを喚起しようとしている男」(「ロバート・アルトマン わが映画、わが人生」の中の本人の発言)という斬新なコンセプトのもと、まったく独自の解釈を施した。 ■「不思議の国マーロウ」 かくして、薄着や裸の恰好のまま、他人の目など一向に気にすることなく、向かいのバルコニーでヨガや自己瞑想に耽る、いかにも当世風の若い女性たちなどとは対照的に、グールド扮する本作のマーロウは、ただひとりダークスーツに白シャツ、ネクタイという古風な服装を頑なに貫き通し(ただし、いつもヨレヨレのだらしない恰好)、1948年型のリンカーン・コンチネンタルのクラシックカーを愛車として乗り回し、さらには健康志向の時代などどこ吹く風と言わんばかりに、ひっきりなしに煙草を吸い続ける。そして、他人や社会のことよりあくまで自己中心的な個人主義が幅を利かせる、“ミー・ディケイド”とも呼ばれた1970年代の時代風潮に戸惑いを覚えつつも、それをマーロウは、「It’s OK with me.[=ま、俺はいいけどね]」という、彼一流の韜晦とぼやきの入り混じった独り言をぶつぶつつぶやきながら、どうにか受け流していく。それでもなお友情と忠節を重んじる昔気質の彼は、妻殺しの容疑のかかった友人テリー・レノックスの身の潔白をどこまでも固く信じて、どこか奇妙でシュールな異世界の中を懸命に駆けずり回るのだ。過去から現代にタイムスリップし、不思議の国アメリカをさまよう、時代遅れで場違いな“リップ・ヴァン・マーロウ”…。 そう、本作もまた、あの『ナッシュビル』や『ウェディング』などと同様、さまざまな奇人・変人たちがお呼びでないのにあちこち出没してはとんだ場違いな珍騒動を繰り広げる、アルトマン独特の皮肉と諷刺に満ちた人間悲喜劇のまぎれもない一変種といえるだろう(その一例として、映画監督のマーク・ライデル演じるチンピラ一味のボスが、まるでお笑い芸人さながら、マーロウや手下の連中を交えて突拍子もない掛け合い漫才を繰り広げる爆笑場面があり、その一員に扮した当時はまだ無名の若きアーノルド・シュワルツェネッガーが、ボディビルで鍛えた自慢の肉体美をしれっとした表情で誇示するのも妙におかしい)。 ■「鏡の国のマーロウ」 いや、そればかりではない。アルトマン監督は、『ギャンブラー』以来3作たて続けにコンビを組むヴィルモス・ジグモンドという撮影の名手を得て、たえずキャメラがゆるやかなズームやパンを伴いながら動き回り、さらには鏡や窓ガラスの反映が幾重にも屈折して乱反射を起こす重層的な迷宮世界を構築し、その中へマーロウを閉じ込めようとするのだ。 少女のアリスを不思議な国へといざなう白兎に代わって、続編『鏡の国のアリス』でアリスを鏡の国へと導くのは子猫だが、本作の冒頭、自室で大いなる眠りに就いていたマーロウを深夜に叩き起こし、現代の異世界へと彼を連れ出す役割を果たすのも、やはり猫。腹を空かせた飼い猫にエサを与えようとして、猫お気に入りの銘柄のキャットフードが切れていたことに気づいたマーロウは、スーパーまで買い出しに行くが、あいにく店にも欲しい品は置いておらず、やむなく購入した別の銘柄のキャットフードをいつもの銘柄の空き缶に入れ替えてから皿によそって猫に差し出す。しかし彼の涙ぐましい偽装工作も空しく、猫はそれにそっぽを向いて、そのままいずこともなく去って行ってしまうのだ。それにしても、チャンドラーの原作にはない本作独自の創作で(ただし、チャンドラー本人も猫好きとして知られていた)、一見物語の本筋には関係ないようでいて、実はさまざまな伏線が張り廻らされたこのオープニング場面は、何度見てもやはりケッサクで素晴らしい。 そしてそれ以後、その猫は飼い主たるマーロウのもとへ戻ることはなく(その代わり、やがてマーロウは行く先々で犬と出くわしては、彼を敵視する犬から威嚇され続けることになる)、猫と入れ違うようにして彼の元へ姿を見せた親友のレノックスも、マーロウを自分の都合のいいように利用するだけ利用すると、思いも寄らぬトラブルだけを置土産に残して彼の前から去って行く。 その後、一体どういう事情かもさっぱり分からないまま、マーロウは刑事たちに連行され、警察署の取り調べ室で尋問されることになるが、ここで先に軽く紹介した、鏡や窓ガラスを巧みに利用したアルトマン監督ならではの特徴的な演出が凝縮した形で示されるので、少し詳しく見てみることにしよう。この秀逸な場面では、画面の中央に配置された透過性のガラスを介して(ただし、アルトマンはそこに無数のひっかき傷や、黒インクで汚れたマーロウの手型をつけさせて、ガラスの存在を強調してみせている)、奥にマーロウと彼に質問を浴びせる刑事、そしてその手前には、別室からその様子を見守る別の刑事たちの姿が、背中のシルエットとガラス窓に映る顔の反射像として示されるという、印象的な空間設定・人物配置が施されている。実は2つの部屋を繋ぐ/隔てる中央のガラスはマジックミラーで、奥の部屋で尋問されるマーロウの姿を、相手に見られることなく一方通行的に見守る手前の部屋の上官たち、というフーコー的な視線の権力装置が、ここには鮮やかに示されている。マーロウはそのマジックミラーの仕掛けにいち早く気づき、自分からは姿の見えない別室の窃視者たちの前で、滑稽な物真似の仕草をして虚勢を張ってみせるのだが、レノックスをめぐる一連の事件の流れをはじめからしっかり把握していたのは、やはり警察の連中の方で、マーロウはそれをよく見通せないまま、哀れなピエロよろしく右往左往していたにすぎなかったことが、その後明らかとなるのだ。 マーロウの視界の無効性を映画の観客により深く実感させるのが、スターリング・ヘイドン扮するアル中の老作家ウェイドが、海辺で入水自殺を遂げる場面。ここでもまたアルトマンは、技巧を凝らした卓抜な画面設計と演出の冴えを存分に発揮している。この場面でははじめ、マーロウとウェイド夫人が海辺にあるウェイド邸内の窓際で立ち話をする様子が映し出され、次第にキャメラの焦点が2人を逸れて画面奥の遠景へゆるやかにズームアップしていくと、ガラス窓越しに夜の浜辺を歩くウェイドの後ろ姿が浮かび上がり、やがて波の中へ身を躍らせる彼の姿をキャメラは捉えるのだが、マーロウは話に夢中になって一向に戸外のその様子が目に入らない。そして先にそれに気づいたウェイド夫人に一歩遅れて、マーロウも慌てて屋敷の外へ飛び出し、ウェイドの姿を波間で探すものの、時すでに遅く、彼の命を救い出すことはもはやできないのだ。 ■ちょっと待って プレイバック、プレイバック! そしてこれを見届けた後、観客はこの場面に先立って、ウェイド邸を訪れたマーロウが、いったんウェイド夫妻とあいさつを交わした後、深刻な夫婦喧嘩を始めた2人を家に残して、ひとり浜辺をぶらつくという、よく似たような場面があったことを即座に思い返すに違いない。こちらは先述の夜の場面と違って、陽光きらめく白昼の光景で、浜辺にいるのは、ウェイドではなくマーロウ。しかもマーロウは、波打ち際で波と戯れはしても、ウェイドのように海中に身を躍らせて自殺するわけではない。夜と昼、ウェイドとマーロウ、死と生、といった具合に、この2つの場面は、まるで鏡の像のようにお互いを反転させた形で対峙している。さらにそれを増幅させるかのように、白昼、浜辺をぶらつくマーロウの姿は、たえずウェイド邸のガラス窓に映る反射像として映し出され、その遠くてちっぽけなマーロウの反射像の上に、アルトマン監督は、今度はいわば合わせ鏡のようにして、家の中で妻と口論するウェイドのガラス窓越しの透視像を重ね合わせてみせるのだ。 ここで改めて思い起こすと、アーネスト・ヘミングウェイを戯画化したようなマッチョで大酒飲みの老作家ウェイドも、本作の中では既に時代遅れのお荷物的存在であり、なぜかマーロウとだけはウマが合う貴重な同志として描き出されていた。これらを考え合わせると、ウェイドとは、マーロウのもうひとりの自己=鏡像にほかならず、いわばその身代わりとなって自殺を遂げたウェイドの死をくぐり抜けて、マーロウは新しく生まれ変わることになるのだ。まるで、9つの命を持つとされる猫が、いくたびも死んでは生まれ変わるように。 主人公の転生という本作の隠れた主題は、物語の終盤でも再び繰り返される。夜道を車で走るウェイド夫人の姿を偶然見かけ、彼女を呼び止めようと必死で車のあとを走って追いかけたマーロウは、その最中に別の車に轢かれ、危うく命を落としかける。そして、病院のベッドで意識を取り戻した彼は、同じ病室にいる、全身を白い包帯でぐるぐる巻きにされた、見た目はミイラそっくりの不可思議な重傷患者と対面することになるのだ。勝手に病室を抜け出そうとして、看護婦から呼び止められたマーロウは、「マーロウは僕じゃなくて彼ですよ」とミイラの患者を指し示し、自らの古びた肉体と生命を彼に譲り渡す形でまたもや生まれ変わったマーロウは、ミイラの患者から交換で渡された生命の象徴たるハーモニカを手に活力を取り戻し、親友だとばかり思い込んでいたレノックスといよいよ最終的な決着をつけるべく、死んだと見せかけて実は隠れて生きていた彼のアジトへと乗り込んでいく。 ■さらば愛しきひとよ… そして、公開当時、原作を大きく変更して踏みにじったとして何かと論議の的となり、チャンドラーの信奉者たちを激怒させた、あの悪名高いラストのクライマックス場面が訪れる。ここはやはり、ぜひ見てのお楽しみということで詳細はいちおう伏せておくことにするが、実はこのラストの改変は、アルトマンが本作の監督として起用される以前に、既に脚本家のリー・ブラケットがシナリオの中に書き込んであったものであり、その大胆な案を知ってアルトマン監督もこの企画に大いに乗り気になったこと、そしてまた、このブラケットは名匠ホークス監督とのコンビで知られる女性脚本家であり、何よりも同監督が主演のボガートと組んで作り上げた、あのチャンドラー映画の決定版というべき『三つ数えろ』に共同脚本のひとりとして参加していたことは、ここで特記しておく必要があるだろう。 あるインタビューでの彼女の言い分によると、「マーロウは、親友として信頼していた相手に裏切られ、心のもっとも奥深くで傷ついているにも関わらず、原作の結末では、一向にさっぱり要領を得ない。我々ならどうするか、よし、堂々と問題に正面から立ち向かうことにしよう」となったのこと。さらには、「『三つ数えろ』を作った頃には、たとえそうしたいと望んでも、検閲があってそれは許されなかった。我々は、マーロウを負け犬(loser)とみなすチャンドラー自身の価値判断にどこまでも忠実に付き従って、彼を何もかも失った本物の負け犬として設定した」とも彼女は述べている。 かくして映画の中で、「俺が何をどうしようが、どうせ誰も構いやしないやしないさ」と開き直ってうそぶくレノックスに対し、「ああ、俺以外にはな」と切り返し、「You’re a born loser.[=お前は、生まれついての負け犬さ]」とせせら笑うレノックスに、「Yeah, I even lost my cat.[=ああ、俺は猫も失ってしまったしな]」とシニカルに言い放つマーロウの決め台詞が効いてくるのである。 さて、こうして映画『ロング・グッドバイ』を、幾つかの顕著なアルトマン的主題をざっと辿りながら見てきても分かるように、この作品は、アルトマン監督がチャンドラーの原作を単に適当にぶち壊して、勝手気ままに浮薄な現代の社会に物語の設定を移し替えただけというような、安易な諷刺やパロディ映画などでは決してない。それどころか、往年のハリウッド映画のスタイルを借用して、『三つ数えろ』のような古典的フィルム・ノワールを現代にそのまま再生産するのは、もはや不可能であり、失われた神話にすぎないことを充分に自覚したアルトマン監督が、過去と現在をたえず対比させて、その時代的距離を浮き彫りにしつつ、しかしそのどちらか一方にだけ加担して他方を断罪するのではなく、その両者のはざまで必死に自らの居場所を見つけようとしてあがくマーロウの姿を、彼独自の複眼的視線と実験的手法を駆使して描いた、まぎれもない野心的傑作の1本であると言えるだろう。 鏡や窓ガラスの反映を巧みに用いた空間設計と、卓抜なキャメラワークを緊密に連携させることで、さまざまな主題が幾重にも交錯して乱反射し、幾つもの鏡像・分身を生み出しながら、めくるめく重層的なアルトマンの映画世界が形作られるさまを、これまで見てきたが、これはなにも、映像だけの話に限らない。この『ロング・グッドバイ』では、音楽の使い方がまた何とも心憎いまでに粋でふるっていて、その後『JAWS/ジョーズ』(1975)や『スター・ウォーズ』(1977)でハリウッド随一の人気映画音楽家の座に上り詰める、あのジョン・ウィリムズの作曲した主題曲の印象的な同一のフレーズが、時には車のラジオから流れる男性ボーカルのバラード、時には深夜のスーパーにかかるミューザック、はたまたメキシコの楽団スタイルやゴスペル調、といった具合に、アレンジだけ変えながら、多彩なスタイルで次々と反復・変奏されていくさまには、思わず誰もがニヤリとさせられること間違いなしだろう。 その一方で、この主題曲の作詞を手がけた20世紀のアメリカを代表する名作詞・作曲家のひとり、ジョニー・マーサーが若き日にやはり作詞を担当した「ハリウッド万歳」というハリウッド讃歌の明るいナンバーが、この映画の冒頭と最後に本編を枠取る形で流されるが、そのなんともお気楽で能天気なメロディは、『ロング・グッドバイ』という作品の内容自体を効果的に彩る音楽というより、時と場所をわきまえずに不意に出現する場違いなアルトマンの作中人物たちにも似て、むしろその異質さと空虚さを際立たせるばかりで、ここでも、楽天的なハリウッド神話の夢が、もはや今日では成り立たずに終焉したことを、観客にはっきり告げ知らせる異化装置として機能している。 ことほどさように、アルトマンの映画は複雑で厄介で、とうてい一筋縄ではいかない不可思議な魅力と面白さに満ち溢れている。彼本人は残念ながら、もはやこの世に別れを告げてあの世へ旅立って行ってしまったが、見返すたびに新たな発見がある彼の多面的な映画世界に、我々はまだまだ、ロング・グッドバイをすることなどできはしない。■ LONG GOODBYE, THE © 1973 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. 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COLUMN/コラム2014.05.10
「聖なる映画」から遠く離れて ― ポール・シュレイダーのピンキー・バイオレンス世界
スケベ心と野次馬根性に満ちた好き者ならばいざ知らず、原題がズバリ『HARDCORE』、邦題も『ハードコアの夜』(1979)と、いかにも煽情的でキワモノめいた題名につい思わず腰が引けて、さてどうしたものかと、いざこの作品を前にして見るのをためらってしまう人は、結構多いのではないだろうか。しかも監督がポール・シュレイダーだというのも、いまどきあまりピンとこないし…。 しかし、そういえば、待てよ、シュレイダーといえば、マーティン・スコセッシ監督と初めてコンビを組んで生み出した衝撃作『タクシードライバー』(1976)の脚本を手がけた人物であり、あの映画の中には、ロバート・デ・ニーロに初デートに誘われたものの、それが映画館で一緒にポルノ映画を鑑賞することだと知って、インテリ美女のシビル・シェパードが憤然とその場を立ち去っていく噴飯ものの場面があったっけ…、と思い出す映画ファンならば、きっとこの映画へ対する関心と興味が沸いてくるはずだ。 そう、この『ハードコアの夜』は、『タクシードライバー』と同様、ハリウッドの商業娯楽映画でありながら、シュレイダーの自伝的要素や生の肉声が随所にちりばめられたきわめてパーソナルな作品であり、スコセッシに代わってシュレイダー本人が自ら演出のメガホンを握って監督した、いわば『タクシードライバー』のパート2でもある(その後2人でまた監督・脚本家コンビを組んだ『救命士』(1999)は、さしずめパート3といったところか)。さらには、筋金入りの映画狂たるシュレイダー自身が公言している通り、あの巨匠ジョン・フォードの傑作西部劇『捜索者』(1956)を大胆不敵にも物語の骨格に借用して現代風に翻案するなど、さまざまな映画からの影響が随所に看て取れるハイブリッドな作品ともなっていて、映画ファンならばやはり見逃せない、なんとも興味深い一作に仕上がっているのだ。 映画は、アメリカ中西部ミシガン州の都市グランド・ラピッズに暮らす敬虔なプロテスタント信者の一家が、クリスマスで親戚一同、老若男女みな顔を揃え、賑やかに家族団欒を過ごす平和な家庭風景から幕を開ける。ところが翌朝、信者たちの若者集会に出席するためカリフォルニアへと旅立った十代の愛娘が、不意に失踪したとの知らせがジョージ・C・スコット扮する父親のもとに間もなく届き、その捜索に乗り出した彼は、それから数週間後、雇った私立探偵の案内で場末のポルノ映画館に足を運び、そこで思いも寄らぬ意外な光景と対面。いかがわしいブルーフィルムの中で淫らな痴態をさらけ出していたのは、ほかならぬ彼の可愛いひとり娘だった! 苦悶と絶望にあえぎながら悲痛な叫び声を上げたスコットは、しかしその後、決死の覚悟を決め、娘の居場所を突き止めて我が家に無事連れ帰るべく、彼にとってはまるで未知の異世界である風俗産業の危険でディープな猟奇地帯へ、自ら足を踏み入れていくこととなる…。 平和と安らぎに満ちた神聖な家庭風景から卑俗の極みたるポルノ映画の闇の世界へとメーターの針が一気に大きく揺れ動く、本作の何とも両極端な物語をざっと簡単に書き綴ってみたが、ここで最初に留意すべきなのは、この映画の舞台の出発点となるミシガン州グランド・ラピッズが、シュレイダー自身の生まれ故郷であるという点だろう。そして、スコット扮する主人公の一家は敬虔なプロテスタント信者の家庭と設定されているが、これもシュレイダーの家庭環境をそのまま劇中に再現したもの。シュレイダーの一家は、プロテスタントの中でもとりわけ厳格で禁欲的なオランダ・カルヴィン派を信奉し、この宗派は、飲酒や喫煙はおろか、映画やダンスも"世俗的な楽しみ"であるとして禁じていた。 1950~60年代のフランスのヌーヴェル・ヴァーグの登場に呼応する形で、アメリカでも1960~70年代、熱狂的な映画好きが嵩じて自ら映画作りに関わるようになる新しい世代の映画作家たちが台頭し、1946年生まれのシュレイダーは、4歳年上のスコセッシや、『愛のメモリー』(1976)でコンビを組んだ6歳年上のブライアン・デ・パルマらと同様、そんなシネフィル映画作家世代のひとりに属するわけだが、子供の頃から映画狂だったスコセッシなどとは異なり、シュレイダーは、前述の宗教的な戒律のため、なんと17歳になるまで映画を1本も見たことがなかった。 将来、聖職者となるべく厳しい宗教的修練を受けた家庭と教会の束縛から逃れようと、青年となってからようやく映画を見始めた彼は、やがてすっかりその魅力に取りつかれて人生が大きく急旋回。高名な映画批評家ポーリン・ケイル女史との運命的な出会いに啓示を受けてその弟子を目指すようになり、UCLAの映画学科に進んだ彼は、在学中から数々の映画評を執筆し、小津安二郎、ロベール・ブレッソン、カール・テホ・ドライヤーという3人の神聖な映画作家たちの超越的スタイルを論じた「聖なる映画」を修士論文として発表。また、アメリカにおけるフィルム・ノワール評価の火付け役となった「フィルム・ノワール注解」や、日本の東映ヤクザ映画を体系的に英語圏に紹介した「ヤクザ映画―入門」など、古今東西の映画を幅広く論じる一方で、私生活では同棲していた恋人と喧嘩して家を追い出され、昼間は酒に酔いつぶれて、車の中で寝泊まりしたり、オールナイトのポルノ映画館で一夜を明かしたりする、孤独でみじめなどん底生活を送る一時期もあったという。本来は聖なる世界を目指していたはずのシュレイダーの、そこからの離反と逃走、そして地獄への転落。ここで彼が自ら味わった孤独や疎外感をバネにシュレイダーが一気呵成に書き上げたのが、ほかならぬ『タクシードライバー』の映画脚本だった。 『タクシードライバー』のデ・ニーロ演じる主人公は、自分を取り巻く周囲の卑俗にまみれた汚い現実社会に吐き気や嫌悪感を催し、これを自らの手ですっかり一掃して洗い清め、その中から、街娼の少女たるジョディ・フォスターを清純な天使に勝手に見立てて救い出そうと、常軌を逸した暴力的行動にうってでる。そしてこの『ハードコアの夜』では、ポルノ映画の世界に身を落とした我が娘をその汚らわしい世界から奪還すべく、敬虔なカルヴィン教徒たるスコットが、薄汚い街路=ミーン・ストリートの中を必死で駆けずり回るのだ。 しかしまた、この映画でシュレイダーは、自らの父親をモデルに、聖なる世界を代表する父権主義的なスコットの主人公像を造型する一方、彼本人はむしろ、そこから逃走を図って映画の俗世界に身を投じる娘の側に、自らを深く投影させていたはずだ。シュレイダーのその自己分裂症的な傾向は、『タクシードライバー』のデ・ニーロが、「オレに向かって話してるのか?」と、鏡の中に映るもう一人の自分と、対話ならぬ奇妙な自問自答を繰り広げる、あのあまりにも有名な場面に既にくっきりと明示されていた。聖と俗、理想と現実の二項対立として、お互いに激しく反発し合いつつ、実は自分とは反対側にある世界に次第に魅力を覚えて微妙に惹かれ合う、アンビヴァレントな関係性。ここに、シュレイダーの映画世界が絶えず孕む、奇妙なジレンマと不思議な魅力の謎が潜んでいるように筆者には思われる。消息不明の娘の手掛かりを得るため、夜の風俗街の探訪に乗り出した『ハードコアの夜』の主人公スコットは、はじめのうちこそ、若い裸の女性を前にしても石部金吉的な堅物の姿勢を崩さなかったのが、やがてかつらに付け髭までしてポルノ映画のプロデューサーへとすっかり様変わりし、自ら俳優のオーディションをこなしていくあたりは、もう何ともおかしくて爆笑もの。一見高尚で気難しい芸術派の映画作家を気取ってはいるものの、なんだかんだ言って、やっぱりシュレイダーは下世話で卑俗な裏世界の話が大好きなのだ。彼がその後も、性の快楽を題材にした『アメリカン・ジゴロ』(1980)や『ボブ・クレイン 快楽を知ったTVスター』(2002)といった作品を撮り続け、目下のところの最新作たる『ザ・ハリウッド』(2013)では、「アメリカン・サイコ」の作家ブレット・イーストン・スミスのオリジナル脚本、そして主役陣にはあの全米お騒がせ女優のリンジー・ローハンと現役の人気ポルノ男優という異色の顔合わせによる官能的スリラーに挑んでいることも、そのことをよく物語っていると言えるだろう。 ところで、先にも軽く触れたように、シュレイダーはこの『タクシードライバー』と『ハードコアの夜』両者の作品の主人公に、コマンチ族にさらわれた姪を何とか見つけて連れ戻すべく、執念深くその居場所を探し続ける『捜索者』の主人公ジョン・ウェインの姿を重ね合わせている。と同時に、実はシュレイダーが、この『ハードコアの夜』の物語を考案するにあたって、必ずや大きな影響を受けたに違いないと筆者がにらむ、もう1本の映画がある。それは、ロバート・アルドリッチ監督の『ハッスル』(1975)。この映画の中にも、自分の愛娘をブルーフィルムの中に見出して苦悶する、哀れな父親の姿が登場する。演じるのはベン・ジョンソンで、『捜索者』にこそ出ていないが、彼もまたフォードの西部劇には欠かせない常連役者のひとりだった。ちなみにシュレイダーが、東映ヤクザ映画の研究成果を生かして、兄のレナードと2人で共作し、当時空前の高値でワーナーに買い上げられた『ザ・ヤクザ』の映画脚本は、当初アルドリッチが監督する予定となっていたが、企画の交渉段階で交代を余儀なくされ、結局シドニー・ポラックが監督を務めて1974年に映画化された。それ以前にもシュレイダーは、アルドリッチ監督の『キッスで殺せ』(1955)をフィルム・ノワールの精華たる傑作として高く評価していて、自らの監督作『アメリカン・ジゴロ』の中に、既によく知られたブレッソンの名作『スリ』(1959)からの借用以外に、この『キッスで殺せ』からも幾つかの場面をパクッている。 そしてまた、シュレイダーが、日本のヤクザ映画研究から汲み取った、このジャンル必須のお約束事というべきクライマックスの殴り込みシーンは、『ザ・ヤクザ』のみならず、『タクシードライバー』や本作などにしっかり転用されていることも、ここで言い添えておく必要があるだろう。あのクエンティン・タランティーノが偏愛するバイオレンス・アクションで、彼がかつて創設したカルト映画専門の配給会社にこの名を冠したことでも一部の映画ファンにはよく知られた、シュレイダー脚本、ジョン・フリン監督のカルト映画『ローリング・サンダー』(1977)も、やはりこの系譜に連なる1本。ヴェトナム帰還兵の主人公が、孤独や疎外感、苦難を味わった末、後半、その怒りを爆発させる展開は、これまた『タクシードライバー』の姉妹編的作品ではあるが、シュレイダーが当初書き上げた脚本に、後から別人の手が大幅に加えられており、彼はこれを自作とは認めていない。 シュレイダーが約50本にものぼる日本の東映ヤクザ映画をまとめて見て、先に述べた研究論文「ヤクザ映画―入門」を発表した際、そこに『網走番外地』や『緋牡丹博徒』シリーズが含まれていたことは、その文中に言及されていることからおそらく確かだろうが、はたして彼はその時、昨今海外でもすっかり人気の、石井輝男や鈴木則文らのいわゆる東映ピンキー・バイオレンス映画も目にしていたのだろうか? いずれにせよ、シュレイダーは既に1970年代、タランティーノらに先駆けて、映画史上に輝く古典的名作から、セクスプロイテーション映画や日本のヤクザ映画にいたるまで、古今東西のさまざまな映画ジャンルを独自に混ぜ合わせて、ハイブリッドで面白い映画世界を生み出していたことは、今日、もっと多くの映画ファンに知られて再評価されてもいいのではないだろうか。■ ©1978 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.