『俺たちに明日はない』(67)や『イージー・ライダー』(69)などを発火点に、ハリウッドに新たな変革の波が押し寄せた1960年代の後半から70年代の初頭、従来のものとは異なる多種多様な作品が数多く登場して、アメリカ映画界は百花繚乱の時代を迎えるが、ハル・アシュビーの監督第2作『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』(71)も、まさにそんな解放天国の時代だったからこそ生み出されたと言える、ユニークでエキセントリックな映画の1本。初公開時には興行的に惨敗したものの、その後、若い観客層を中心にうなぎ上りに評判を呼んで異例のリバイバル・ヒットを飛ばし、今やすっかり珠玉のカルト映画として人気と名声が定着し、現代の才能ある映画作家たちにもその遺産がしっかり受け継がれている愛すべき作品だ。

 どす黒いユーモア満載の痛烈なブラック・コメディ。実は人一倍寂しがり屋である、ひねくれ者の人間嫌いたちのための心優しい人生賛歌。はたまた、切ない青春初恋映画、等々、さまざまな要素が渾然一体となった本作の魅力を、ずばり一言で簡潔に言い表すのは至難の業だが、シュルレアリストたちのお気に入りのフレーズだった、ロートレアモンの『マルドロールの歌』の中の有名な一節「解剖台の上のミシンと雨傘の偶然の出会い」をもじって、さらにここで付け加えるならば、「根暗な青年と快活な老女の、葬儀の場での出会いから生じた奇跡のラブ・ファンタジー」といったところだろうか。

 片や、裕福で恵まれた家庭環境に生まれ育ったのに、そこでの生活に息苦しさと絶え難さを覚え、ひたすら子供じみた自殺ごっこに興じることで家族や社会に対する反抗心を空しく発散させるばかりのシニカルで厭世的な20歳前後の青年、ハロルド。他方は、もうすぐ80歳を迎えようというのに、社会のルールなどどこ吹く風とばかり、どこまでも自由奔放に振る舞い、人生を存分に謳歌する愉快でチャーミングな老女、モード。この年齢や性格、生き方もおよそ対照的でかけ離れた2人が、赤の他人の葬儀の場に近親者を装って参列し、厳粛な儀式を間近で傍観するという、何とも風変わりな共通の趣味を通じて運命的に出会い、大きな年の差を乗り越えて互いに恋に落ちるのだ。

 映画の中で描かれる“年の差恋愛”といえば通常、例えば『愛のそよ風』(73)のように、人生に疲れた年上の男性主人公が、若くて溌剌としたヒロインとめぐりあうことで人生の再生を果たしていくパターンが多い。けれども、この『ハロルドとモード』ではその性別の役割が逆転し、常に喪服めいた黒装束を身にまとって血の気の失せた蒼白い表情をいっそう際立たせ、趣味は自殺ごっこと葬儀通い、そしてマイカーは霊柩車と、死の世界に深くどっぷり浸っていた若き男性主人公ハロルドに、生きることの歓びと意義を、身をもって教示するのは、老女のモードの方(実は、彼女の人生も決して常にバラ色だったわけではなく、過去につらい悲惨な体験をくぐり抜けた末、達観した境地に至ったことが、彼女の腕に刻まれた数字の刺青を瞬間的に捉えるショットで暗示されるので、要注意)。

 さらに、本作の先輩格にあたる『卒業』(67)では、ダスティン・ホフマン演じる青年主人公が、自分の母親と同世代のミセス・ロビンソンとの不倫関係に次第に後ろめたさを覚え、最終的には彼女から“卒業”していくのに対し、この『ハロルドとモード』では、青年主人公のハロルドが恋に落ちるモードはなんと、自分の母親の世代を通り越して祖母の世代にまで達した80歳直前の老女であり、しかもハロルドはモードとめでたくベッドインして深い満足感を味わい、彼女に結婚を申し込む決意を固めるのだ。

 現実社会ではおよそまずありえず、下手をすると悪趣味でグロテスクな冗談にもなりかねないこのきわどい人物・物語設定を、絶妙の顔合わせによる魔法のケミストリーで極上のメルヘンへと昇華させている2人の主演俳優が、実に魅力的で素晴らしい。ハロルドに扮するのは、丸ぽちゃの童顔がなにより印象的なバッド・コート。ロバート・アルトマン監督の怪作『BIRD★SHT』(70)で主演を務めたのに続いて、本作への出演で、幸か不幸か、その永遠の少年像としての俳優イメージが決定づけられてしまったといえるだろう。

 一方、モード役を嬉々として演じるのは、『ローズマリーの赤ちゃん』(68)の怪演でアカデミー助演女優賞を得た、1896年生まれの異色のベテラン女優ルース・ゴードン。実はこの彼女、かつては夫のガーソン・ケイニンとの共同脚本で、ジョージ・キューカー監督と絶妙のチームを組み、スペンサー・トレイシー&キャサリン・ヘップバーンというハリウッド史上屈指の名コンビが丁々発止と渡り合う『アダム氏とマダム』(49)、『パットとマイク』(52)などの痛快ロマンチック・コメディを世に送り出した、知る人ぞ知る才女。前述の『ローズマリーの赤ちゃん』や本作の印象的な演技で、70代にしてユニークな個性の名物女優として再び脚光を浴び、その後も『ダーティファイター』(78)では、クリント・イーストウッドやオランウータンと愉快に共演すると同時に、ごろつきのバイカー集団を相手にライフル銃を豪快にぶっぱなして、なおも意気軒昂たる姿を披露していたのも忘れ難い。

 そして、「大声で歌いたいなら、大声で歌うといい。自由になりたいなら、自由になればいい」と伸びやかに歌う「If You Want to Sing Out, Sing Out」をはじめ、映画の全篇にわたって、主人公たちの心情に優しく寄り添い、その背中をそっと後押しする、当時人気絶頂だったシンガー=ソングライター、キャット・スティーヴンスの歌曲の数々も、本作の魅力を語る上では欠かせない大きなポイントの1つ。スティーヴンスといえば、本作同様、青春初恋映画の白眉というべきイエジー・スコリモフスキ監督の『早春』(70)の中でも、彼の名曲「But I Might Die Tonight」が、劇中主人公の心の叫びを鮮やかに代弁していた。

 この『ハロルドとモード』のサントラ盤は、劇中未使用の曲も多く含めた変則版が1972年に日本で発売された以外は、本国でもリリースされず、正規のオリジナル・サントラ盤の発売がファンの間で長年待ち望まれていたが、2007年になってついに、本作の大ファンと公言するキャメロン・クロウ監督が、自らのレーベルから少数限定の豪華コレクターズ・アイテム仕様のオリジナル・サントラ盤ディスクを発売し、話題を呼んだ。

 そして2011年には、デニス・ホッパーの息子ヘンリー・ホッパーとミア・ワシコウスカ演じる若い1組の男女が、赤の他人の葬儀の場に近親者を装って参列するという特異な趣味を通じて運命的に出会う青春悲恋映画、『永遠の僕たち』をガス・ヴァン・サント監督が発表したのも、まだ記憶に残るところ。そのヴァン・サント監督が、同作に対する『ハロルドとモード』の影響関係について問われ、最初に脚本を読んだ時点で自分もすぐそれに気づいた、と答えているインタビュー記事の中に、さらに次のような面白い発言をしているのを今回新たに見つけたので、ここでぜひ紹介しておこう。

「…『ハロルドとモード』は、ある点では、ウェス・アンダーソンの出現以前に登場した彼の映画のようなものだ。それを現代風にしているのは、たぶんウェス・アンダーソンが存在しているからだ。」

 うーむ、なるほど。確かにそれって、言い得て妙。そしてここで翻って、アンダーソン監督と『ハロルドとモード』の影響関係をあらためて探ってみると、彼の長編第2作『天才マックスの世界』(98)の主演俳優に抜擢された、まだ当時17歳のジェイソン・シュワルツマンが、その役作りの参考になるかもと、初めて目にして思わずぶっとび、以後繰り返し見た映画こそ、ほかならぬこの『ハロルドとモード』だったと熱っぽく語っているし、アンダーソン監督自身、やはりシュワルツマンが主役の1人を演じた『ダージリン急行』(07)を作るにあたって、ハル・アシュビー監督の次作『さらば冬のかもめ』(73)をあらためて見返した、と発言している。それに『ライフ・アクアティック』(05)には、いまやすっかり禿げ頭の中年オヤジへと変貌したバッド・コートが、元気に姿を見せていたではないか!

 まだまだ掘り下げてみる価値のあるその辺の課題はこの機会にぜひ、皆さんにも一緒に考えていただくことにして、まずはこの珠玉の本作を存分にご堪能あれ。■

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