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COLUMN/コラム2019.03.26
自分をCIAの工作員だと思い込んだ青年が相棒に選んだチアガールは、もっとイカれた女子高校生だった!
サイコ・スリラーの傑作『かわいい毒草』、これはもう、今シーズン2の目玉です!日本では1973年に淀川長治先生の『日曜洋画劇場』で放送されて、僕はその時に観たんですが、それ以降、日本では観ることができませんでした。VHSやDVDも未だに出ていません。今回お届けするのが誇りに思える映画です。 主演はアンソニー・パーキンス。彼が精神病院から出てくるところから映画が始まります。もう、これがもう「やられた!」って感じです。なぜなら、彼はヒッチコックの『サイコ』(60年)以来、8年間、アメリカ映画に出てなかったんですが、『サイコ』の最後はパーキンスが精神病院に入るところで終わるんですよ。だから、当時の観客からすれば、8年間病院に入ってた彼がまさに出てきたみたいなんですよ。 パーキンスといえば、かつては青春スターだったんですが、『サイコ』でサイコ・キラーを演じて、それがあまりに強烈すぎて、サイコ役しか回って来なくなったので、ヨーロッパに逃げていたと言われています。この『かわいい毒草』でのパーキンスは妄想性の虚言症。だから、彼は主役なのに、彼が言ってることを観客は信用できないというトリッキーな役です。 その彼が美少女に恋します。そして、いつもの調子で「僕は実は正義のスパイなんだ」とか妄想というか虚言で口説きますが、その少女は全部信じてくれる。そのうちになりゆきでスパイみたいな破壊活動まですることになりますが、そのとき、やっと主人公は気づきます。この子のほうがクレイジーだと。タイトルになっている、かわいい毒草ちゃんだったんですね。 毒草ちゃんを演じるのはチューズデイ・ウェルド。少女モデル出身で、セブンアップという清涼飲料水の広告で大人気になった人です。清純派のアイドルだったんですが、私生活では中学生くらいから酒と麻薬とセックスでめちゃくちゃでした。だから、見た目は可愛いけど実は猛毒という役柄とぴったりなんですね。 監督はノエル・ブラック。まだ30歳での商業映画デビュー作です。この人は天才です。学生時代に作った自主短編『スケーターデーター(Skat erdat er )』でいきなりカンヌ映画祭の短編部門で賞を獲りました。カリフォルニアのスケボー少年少女を描いた、詩のような、ミュージックビデオみたいな青春映画の傑作です。この『かわいい毒草』もサイコ・サスペンスですがブラック・ユーモアに満ちていて、色彩や編集もポップ、まったく古びていません。さらに、環境破壊やアメリカ文化批評まで含んだ、深い映画になっています。 しかし『かわいい毒草』を作った20世紀フォックスは、当時別の大作映画の失敗で資金難に陥り、『かわいい毒草』は宣伝や配給の予算を与えられず、ひっそりと小規模に公開されて忘れられました。でも、その後、少しずつ評価が高まり、現在はカルト・ムービーになっていますが、おそらく日本では初めて観る人も多いと思います。絶対に面白いので、ぜひ、ご覧ください。■ (談/町山智浩) MORE★INFO. ●製作のマーシャル・バックラーとノエル・ブラック監督は、TV界出身の新人で短篇『Skaterdater』(未公開)で61年カンヌ映画祭でグラン・プリ、アカデミー賞の短編賞ノミニーを得たチームだった。 ●原作は66年に発表されたスティーヴン・ジェラーの未訳小説『She Let Him Continue』。 ●依頼されてから6週間で書き上げたという脚色のロレンツォ・センプル・Jr. が、ニューヨーク映画批評家協会脚本賞を授与された。 ●『サイコ』(60年)以来アメリカを離れヨーロッパで映画出演を続けていたパーキンス久々のハリウッド映画出演となった。 ●初の長編となるノエル・ブラック監督は、神経質なウェルドに適切な演技指導が出来ず、ウェルドは後に「最低の体験だった」と述べた。 © 2001 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2018.03.10
史実に忠実な局地戦映画『ズール戦争』は歴史的大傑作!
1800年代初頭に南アフリカに進出したイギリス帝国。先行して入植していたボーア人(オランダ系の植民者)はイギリス帝国の支配を嫌い、新たな入植地を求めてグレート・トレックと称される北上を開始した。そこには強大な戦力を誇るズールー王国が存在し、ボーア人たちとの血で血を洗う抗争を展開。1835年、ボーア人はブラッド・リバーの戦いでズールー族に勝利を収めると、この地にナタール共和国を建国した。しかしこのナタール王国もボーア人の独立を快く思わないイギリス帝国の侵攻によって、わずか4年という短い期間で崩壊してしまう。 その頃、ズールー王国ではボーア人に敗れたディンガネ国王は威信を失って失脚。後継のムパンデ国王の息子2人が後継の座を争って対立し、この内乱に勝利したセテワヨが国王に即位した。セテワヨは軍制を再編し、マスケット銃(先詰式の滑腔式歩兵銃)を装備した小銃部隊を編成するなど、軍の近代化を推進。これは拡大を続けるイギリス帝国を迎え撃つ準備であった。 セテワヨ自身はイギリス帝国との関係を良好に保とうとしていたが、イギリス帝国の原住民問題担当長官のシェプストンが高等弁務官フレアに対し、ズールー王国はイギリス帝国のアフリカ覇権最大の障害であることを報告。南アフリカ軍最高司令官のチェルムスフォード中将もこの意見に同意し、南アフリカのイギリス軍は着々とズールーとの戦争の準備を行うことになる。 1878年、高等弁務官のフレアは2人のズールー兵がイギリス領の女性と駆け落ちして越境したことを口実に、ズールー王国に対して多額の賠償を請求。ズールー王国がこれを拒否すると、フレアはズールー王国側に最後通牒を提示。13か条に及ぶこの最後通牒は、ズールー王国側が絶対に飲めない条件を列挙したものであり、ズールー王国のセテワヨ王はこれに対する明確な回答をせずにいた。 1879年1月、チェルムスフォードはヨーロッパ兵とアフリカ兵からなる17,100名の部隊を率いて、ズールー王国へと侵入を開始。迎え撃つズールー軍は4万の兵力。軍の近代化・火力化は未完だったが、イギリス帝国軍を上回る兵力と、圧倒的な士気の高さ、そして地の利を活かした機動力を持つ強力な部隊であった。 実戦経験の少ないチェルムスフォード中将は、部隊を複数に分割。そのため個々の部隊の兵力は手薄となり、第三縦隊1,700名はイサンドルワナに野営地を構築。そこに突如現れた約2万人のズールー軍が突撃を敢行し、“猛牛の角”と呼ばれる連続突撃戦術によってイギリス軍を全滅させてしまう。イサンドルワナの戦いはズールー軍の精強さをいかんなく発揮した戦いであり、ズールーの名を世界に轟かせることになったエポックな勝利であった。 前置きが長くなったが、ここからが今回ご紹介する『ズール戦争』(64年)の舞台となるロルクズ・クリフトの戦いが始まることになる。 1月22日にイサンドルワナの戦いでイギリス軍を撃破したズールー軍は、翌23日未明に約4,000人の部隊をイサンドルワナから15km離れたロルクズ・クリフトにある伝道所跡に駐屯するイギリス軍守備隊に突撃させた。イサンドルワナの敗戦を聞いたアフリカ兵が逃亡してしまい、ロルクズ・クリフトの守備隊の人数はわずか139人。30倍以上の敵軍に囲まれ、ろくな防御設備も無いロルクズ・クリフトの守備隊だったが、新任将校のチャード中尉指揮の下でズールー軍の猛烈な突撃を何度も撃退することに成功。イサンドルワナから退却してきたチェルムスフォードの本隊が接近したことから、2日間昼夜に渡る波状攻撃を繰り返していたズールー軍はようやく撤退した。ロルクズ・クリフトの戦いでイギリス人は27人が死傷。対するズールー軍は351人が戦死した。 このロルクズ・クリフトの戦いを描く『ズール戦争』は、監督のサイ・エンドフィールドがロルクズ・クリフトの戦いに関する記事を読み、インスピレーションを受けたことから始まる。エンドフィールドはこの映画の企画を友人で俳優のスタンリー・ベイカーに持ち込み、ベイカーはプロデューサーとして資金調達を実施。最低限の資金が集まると、早速映画製作を開始した。 集まった制作費はわずか172万ドル(メイキングでは見栄を張っているのか、260万ドルと称している)。そこでエンドフィールドは友人の俳優とスタッフを集めて制作費を抑え、さらにセット構築費を削減するために南アフリカでのオールロケーションを実施した。現地ではズールー族の協力を得て、1,000人以上のエキストラが参加。演技初体験のズールー族とのコミュニケーションをとるために、スタッフとキャストは積極的にズールー族とコミュニケーションを取る努力を行っている。しかし当時の南アフリカではアパルトヘイト法が存在しており、本作の脚本がズールー族を勇敢で敬意を受けるに足る存在として描いていることもあり、南アフリカの公安が撮影クルーの監視を行っている中での撮影となった。 『ズール戦争』は公開されるや興行収入は800万ドル、イギリス市場では過去最大級の記録的な大ヒット作品となった(映画の舞台となった南アフリカでは、映画に参加した一部のエキストラ以外の黒人はながらく観ることの出来ない映画となっていた)。本作はイギリス人の琴線に触れる作品となっており、毎年年末年始にTVで放映されるという『忠臣蔵』のような定番映画となっている。 本作の素晴らしさは、まず映画をロルクズ・クリフトの戦いのみを描いたことであろう。ズールー戦争全体を描けば、イギリス帝国の侵略戦争、黒人差別、虐殺といったセンシティブなキーワードに触れざるをえず、価値観が目まぐるしく変わる現代においては観る者によって評価を大きく変えてしまうポイントとなる。しかし本作では、どちらが正義でどちらが悪という描き方ではなく、純粋にひとつの戦いを史実に沿って描く作品とし、余計なものを極力そぎ落としている点が、後世でも高い評価を受けている大きな要因だろう。 また驚くべきことに1960年代の脚本にも関わらず、ズールー族を野蛮な原住民ではなく、特殊な美意識を持った尊敬すべき集団として描いている点も注目。逆にイギリス軍側は、侵略者でも犠牲者でもなく、絶望的な状況に放り込まれたごく普通の青年たちとして描くことで普遍性をゲットすることに成功している(フック二等兵の描き方には子孫からのクレームもあったが)。 また史実を忠実に再現し、緊急の防御陣地設営、長篠の戦いよろしくマルティニ・ヘンリー銃(5秒に1発射撃可能)での三段射撃で間断なく制圧射撃を繰り返す様子や、ズールー族側の“猛牛の角”作戦など、緻密なリサーチが行われたことが映画の端々から感じられ、マニアックな視点でも信頼性が非常に高い作品となっている。 他にも予算不足に起因したオールロケーションも、結果的には大成功。アフリカの広大な風景はセットやマットペイントでは決して再現できなかったであろう。音楽を担当したジョン・バリーも流石のお仕事だ。 そして本作で存在感を示したのは、準主役のマイケル・ケイン。ながらく下積みを続けていたケインは、オーディションの末にフック二等兵役となっていた。しかしブロムヘッド少尉役の俳優が降板し、現地入りした俳優の中で一番貴族出身将校っぽく見えるケインがブロムヘッド少尉役に抜擢。初めての大役で戸惑うケインの立ち位置と、初めての戦場で戸惑うブロムヘッドの立ち位置が見事にシンクロして高い評価をゲット。ケインは『国際諜報局』(65年)で世界的スターへと上り詰めていくことになる。 本作は英国映画協会が選ぶイギリス映画ベスト100でも、30位に入る作品。イサンドルワナの敗戦を描く『ズールー戦争』(79年)も併せて観ておきたい作品である。■ TM, ® & © 2018 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2018.02.01
動物パニック映画の枠を超えた奇想と、驚異のミクロ描写に目が釘付けの昆虫映画2作品『燃える昆虫軍団』『フェイズⅣ 戦慄!昆虫パニック』〜2月8日(木)・9日(金)ほか
ある日突然、筆者のもとに〈シネマ解放区〉の担当さんからシュールなメールが届いた。「“昆虫セット”はいかがですか?」。要するに『燃える昆虫軍団』『フェイズⅣ 戦慄!昆虫パニック』という往年の昆虫パニック映画2本をまとめて紹介してくれという原稿の発注だ。どちらも30年以上前にテレビで観ていて、やたら面白かった記憶があるので、さして迷うこともなく「昆虫セット、承りました」と返信し、今この文章を書いている。 この2作品が世に出た1970年代は、空前のアニマル・パニック映画ブームが吹き荒れ、地球上のあらゆる動物が人類を脅かした時代だった。ヒッチコックの『鳥』がそうであったように、特に理由も示されぬままサメ、ワニ、クマなどが我も我もと凶暴化し、普段はあまり人目につかないネズミやヒルといった小動物までも人間に襲いかかった。 そんな1970年代に作られた『燃える昆虫軍団』『フェイズⅣ 戦慄!昆虫パニック』は小動物よりさらに小さい昆虫が主役であり、内容もかなりの変化球であるため、漠然とアニマル・パニック映画ブームの“後期”の作品だと思い込んでいた。ところが今回、改めてそれぞれの本編を見直すと同時に、製作年をチェックして驚いた。『燃える昆虫軍団』はスピルバーグの『ジョーズ』と同じ1975年、『フェイズⅣ 戦慄!昆虫パニック』に至ってはさらに早い1973年に作られているではないか。「そろそろブームもマンネリだから、ちょっと変わった昆虫パニックものでも作るか」といういかにも商魂旺盛なB級映画のプロデューサー的な発想とは、まったく関係なく生み出された2作品だったのだ。 まず『燃える昆虫軍団』の凄いところは、この邦題の“燃える”というのが何かの比喩でもハッタリでもなく、本当に“燃える昆虫”を描いている点だ。物語はとある夏の日、田舎町で大地震が発生し、あちこちにできた地割れから未知の虫が現れるところから始まる。その体長10センチ弱くらいの三葉虫のような生き物は、お尻のあたりにパチパチッと火花を発す特殊スキルの部位を装備しており、乾ききった草むらはもちろん、手当たり次第に車や家屋を燃やし始める。すかさずありったけの消防車が出動するが、とても消火活動は追いつかない。生物学に精通した地元の教授がこの発火昆虫を分析すると、さらなる驚きの事実が次々と明らかに。人間の足で踏みつけても殺せない屈強な甲殻を持ち、害虫の駆除薬でも死なず、草木や新聞などの燃えかすの灰を食べて栄養にするこの昆虫は、太古の時代から粘り強く地底で生き抜いてきた最古の生物だったのだ! 先ほど“三葉虫のよう”と書いたが、実際にはゴキブリを撮影に使っているので、少年時代に目の前に飛んできたゴキブリを避けようとしてガラス戸に突っ込んで大ケガしたトラウマを抱える筆者には、直視できないシーンの多い困った映画である。それでも本作から目を離せないのは、発火昆虫の意表を突いた設定に加え、アニマル・パニック映画の型にはまらない異様なストーリーが繰り広げられるせいだ。運の悪いネコや数名の人間が発火昆虫に殺害され、あちこちで火災が発生する前半はよくあるパニック映画風の滑り出しなのだが、中盤以降はパニックがスケールアップするどころか極端にスケールダウン。一軒家に閉じこもって研究に没頭していた教授が、昆虫に妻を惨殺されたことで怒りを爆発させ、彼個人の私的な復讐ドラマへ転じていくのだ。しかも何を思ったのか、太古の発火昆虫を現代に生きるゴキブリと異種交配させ、なおさら危険な新種の昆虫を創造する始末。主人公がマッドサイエンティスト化する展開に呼応して、映像のトーンもからっと明るいパニック映画から陰影を強調したサイコスリラーへと変貌していく。思わず呆気にとられつつも、その不可解なストーリーの転調をきちんとビジュアルで表現していることに感心させられる。 かくして驚異の進化を遂げ、知能も発火機能もバージョンアップした昆虫のディテールがさらに念入りに描かれ、後半にはあっと驚く“虫文字”などの見せ場が用意されているのだが、それは観てのお楽しみ。そして今回観直して気づいたことだが、日曜日に大勢の信者が集う“教会”が大地震に見舞われるシーンで幕を開け、教授が生命の創造という神をも恐れぬタブーを犯し、ついにはこの世に“地獄の裂け目”が表出する破滅的なエンディングを招き寄せてしまう構成も秀逸。すなわち本作は昆虫をモチーフにした宗教的パニック・カタストロフ映画とも解釈できるわけだ。 ちなみに手堅い演出を披露しているのは、タイムスリップSFの傑作『ある日どこかで』で知られ、今も現役で「グレイズ・アナトミー」などのTVシリーズの演出を手がけているヤノット・シュウォーク。しかし、より注目すべきは製作、脚本のウィリアム・キャッスルだろう。1950年代末から1960年代にかけて『地獄へつゞく部屋』『13ゴースト』などのホラー映画を世に送り出し、4DXの先駆けとも言えるあの手この手のアトラクション体験を観客に提供。そんな偉大なる“ギミックの帝王”がキャリアの最後に携わった一作なのだ。さすがに劇場公開時、ゴキブリを観客席にばらまくなどというシャレにならないギミックはしでかさなかったようで、本作の完成から2年後の1977年に心臓発作でこの世を去った。 うまくストレートに内容を表している『燃える昆虫軍団』に比べると、『フェイズⅣ 戦慄!昆虫パニック』はかなり損をしている題名ではなかろうか。日本では劇場未公開に終わったこの作品はチープなアニマル・パニック映画ではなく、哲学的とも言える本格志向のハードSF。遅ればせながら数年前に国内盤DVDがリリースされたことで、もはや知る人ぞ知るの域を超えて多くの映画ファンを唸らせてきたカルトムービーの逸品である。 はるか彼方の宇宙空間で発生した異変の影響が地球へと伝わり、アリゾナの小さな小さな生き物=アリの一群が奇怪な行動を見せ始める。そのアリたちは同じ種族で争うことを止めて一致団結し、カマキリやヘビといった自分たちの天敵を駆逐し、ぐんぐん勢力を拡大していく。冒頭の10分間はそうしたアリの生態がネイチャー・ドキュメンタリーさながらに超接写やハイスピード撮影を駆使して延々と描かれるので、たまたま暇つぶしでこれを観始めた人は、ザ・シネマではなく間違ってナショナル・ジオグラフィックかアニマル・プラネットにチャンネルを合わせてしまったかと錯覚することだろう。 アリたちの不思議な行動を知って現地に赴いた学者のハッブスと若いエンジニアのレスコが、シルバーのドーム状施設で研究を開始するまでが〈フェイズⅠ〉、すなわちアリと人類の存亡をかけた前代未聞の闘いの第1段階。そのドームの前には7つの幾何学的なモニュメントがそびえ立っている。人間の背丈よりもはるかに高いそのタワーは、アリたちが築き上げた巨大なアリ塚だ。学者としての情熱は人一倍だが、かなり傲慢な性格のハッブスはアリタワーを荒っぽい手段で粉砕し、上から目線でアリたちを挑発する。もともと好戦的なアリたちがその宣戦布告を受けて立ったことで、両陣営の攻防は一気に激化。虫ごときに発電機を破壊されたハッブスは、お返しに強力なイエローの殺虫液をお見舞いして無数のアリたちを抹殺する。ここからの描写が凄まじい。生き残ったアリは殺虫剤のかけらを女王蜂のもとに届けるため、決死の覚悟で運び始める。運び主のアリが絶命したら、別のアリがそれを受け継ぐという捨て身のリレー。ついに殺虫剤を受け取った女王蜂は、その薬物に耐性のあるイエローのアリを産み落とす。当然ながらCGなど存在しない時代に、本物のアリを使って“演技”させ、その組織だった連係プレーや自己犠牲をいとわない献身性を映像化してみせた撮影に舌を巻く。ましてや地下空間に戦死したアリたちの亡骸が整然と並べられた“葬儀”シーンは、揺るぎない全体主義を形成するアリ社会の圧倒的な強みをひしひしと伝え、エゴイスティックで何かと感情に左右されがちな人間との優劣を残酷なまでに浮き彫りにする。 続いて、人間が高温に弱いと見抜いたアリたちは、太陽光を反射させる鏡面機能を備えた新たなアリ塚を建造し、エアコンも破壊して(このシーンにおけるアリとカマキリとの絡みが見ものだ)、蒸し風呂状態のドームにこもったハッブスとレスコを苦しめていく。まだ〈フェイズⅡ〉だというのに、早くも人類の敗色ムードは濃厚。初見の視聴者の興趣を殺がないよう〈フェイズⅢ〉以降の詳細を書くことは避けるが、アリたちは人間をやすやすと殺したりはしない。なぜならアリ目線の一人称ショットがさりげなくも随所に挿入されるこの映画は、人類がアリを倒す話ではなく、アリが人類を観察してある目的のために有効利用しようとする恐るべき話なのだ! 監督は、ヒッチコックの『めまい』『サイコ』などのメインタイトルの作者として名高いグラフィック・デザイナーのソウル・バス。このキャリア唯一の長編監督作品で独創的な視覚的センスを遺憾なく発揮し、哲学的な寓意をはらんだ異種族間の一大戦記をヴィジュアル化した。人間の主要キャラクターは前述のハッブスとレスコ、そして研究ドームに逃げ込んできた近所の農家の娘ケンドラの3人だけ。半径数百メートルの局地戦を描きながら、『燃える昆虫軍団』よりもはるかに深遠な黙示録的なドラマを創出し、『2001年宇宙の旅』や人類と宇宙病原体とのミクロな死闘を描いた『アンドロメダ』をも連想させるレベルのSFに仕上げたその手腕には驚嘆せずにいられない。これまた男性視聴者の視覚を大いに潤すであろうケンドラ役のリン・フレデリックの麗しい魅力を生かし、アリがその柔肌を這いずり回る倒錯的なエロティシズムも表現。この紅一点の美女が単なるお色気担当ではないことが判明する衝撃的な結末にも注目されたし。 そして最後に、インセクト・シークエンス、すなわち見事な昆虫撮影を手がけたケン・ミドルハムについて。1971年にアカデミー賞ドキュメンタリー長編賞を受賞した『大自然の闘争/驚異の昆虫世界』の撮影監督であるミドルハムが、『フェイズⅣ 戦慄!昆虫パニック』で重要な役目を担っていることはもともと知っていたが、何と『燃える昆虫軍団』にもインセクト・シークエンスでクレジットされていたとは! ザ・シネマがお届けする昆虫撮影の名手によるこの2作品、いろんな意味で興味の尽きない必見&録画必須の“昆虫セット”なのである。■ TM, ® & © 2018 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2017.09.10
「考えるな、感じるな、ただ下らなさに笑え」香港ナンセンスコメディの正当後継映画『ドラゴン・コップス -微笑(ほほえみ)捜査線-』〜09月11日(月)ほか
おそらくほとんどの方はブルース・リーの一連の作品やジャッキー・チェンの作品のような「カンフー映画」ではなかろうか。その他にジョン・ウーの『男たちの挽歌』や『インファナル・アフェア』、ジョニー・トーの一連の作品のような「香港ノワール」を思い浮かべる方もおられるであろうし、中にはウォン・カーワイやピーター・チャンのようなアート寄りな作品を連想される方もいるのではないだろうか。 そしてそうしたジャンルと並んで、香港映画の代表的ジャンルとして今なお人気を博しているのが、コメディ映画、特にナンセンスコメディ映画なのである。 香港映画は日本の技術者の協力の下、京劇ベースの武侠映画からスタートし、キン・フーやチャン・チェのようなアクション映画に骨太な人間ドラマを持ち込んだ名監督が登場。さらにブルース・リーの登場によって、本物の武術のバックグラウンドを持つ俳優たちによる別次元のアクション映画が登場することで、最初の全盛期を迎える。ブルース・リーの急逝によってその勢いは陰りを見せるかに思えたが、ブルース・リーの遺産である「カンフー映画」というジャンルは次世代のスターを生み出せずにいた香港映画界を延命させることに成功した。 ブルース・リーによって、東アジア最大の映画会社ショウ・ブラザースと並ぶ規模に成長したゴールデン・ハーベスト社は、次なるドル箱の映画を探していた。そこで目を付けたのが、ブルース・リーと同窓で、TV番組の司会者として人気を博し、映画界に活動の場を移していたマイケル・ホイだった。 マイケル・ホイは『Mr.BOO!』シリーズ(日本の配給会社によって一連のシリーズのようなタイトルを付けられているが、それぞれが独立した作品)を立ち上げて、香港映画史上に残るメガヒットを記録。カンフーアクション映画一辺倒であった香港映画界に大きな風穴を空け、この大ヒットがジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポーらを輩出するコメディ・カンフー映画の呼び水になったことは言うまでもない。 『Mr.BOO!』の特徴は、言うまでもなくナンセンスギャグの連発、そして社会風刺の効いたストーリー展開だ(もちろん日本では吹替版の故・広川太一郎氏の絶大な貢献があるが、本稿では無関係なので泣く泣く割愛する)。これ以降、香港には様々な種類の映画が登場し、いよいよアジアのハリウッドとしての地位を確立していくことになる。マイケル・ホイの系譜は、さらに香港映画史上最大級のヒット作となった『悪漢探偵』シリーズに繋がり、ジャッキー・チェンやサモ・ハン・キンポーの『福星』シリーズや『霊幻道士』シリーズといったアクションコメディの大流行に繋がっていくことになる。 そして80年代後半になると、現在に至るまでヒットメーカーとして活躍する一人の天才監督が登場する。バリー・ウォン(ウォン・ジン)だ。芸能一家に育ち、テレビ局の脚本家から映画監督に転身したバリー・ウォンの名を一気に知らしめたのは、何と言っても『ゴッド・ギャンブラー』シリーズだろう。1989年にノワール食の強いギャンブルアクション映画『カジノ・レイダース』を撮りあげたバリー・ウォンは、同時期にナンセンスコメディ、エンタメ方向に思いっきり振り切ったギャンブルアクション映画『ゴッド・ギャンブラー』も制作。香港ノワールのハードコアで陰惨な世界に飽いていた香港の映画ファンは、笑って燃えて最後にホロリとさせる『ゴッド・ギャンブラー』の上映館に押し寄せたのだった。 バリー・ウォンは次々とヒット作の制作・監督・脚本を担当し、そのコメディ作品ではチョウ・ユンファやアンディ・ラウといった人気俳優の新たな側面を引き出すことに成功。そのため多くの有名スターが、こぞってバリー・ウォンの作品に出演するようになっていく。 しかしバリー・ウォンの最大の功績は、コメディ映画の次世代スーパースターを次々と発掘したことであろう。その中でも最大のスターに成長したのがチャウ・シンチーだ。チャウ・シンチーはバリー・ウォンのナンセンスコメディのあり方をさらに進化させて世界的な映画人へと成長していくことになるが、こちらも本稿とは直接関係は無いため割愛する。 さて、このバリー・ウォンの確立したナンセンス・コメディで大化けした俳優もいる。前述のチョウ・ユンファやアンディ・ラウだけでなく、『ドラゴン・コップス』の主役の一人を演じたジェット・リーだ。『少林寺』で大ブレイクした後、不遇な10年を経てコメディ要素を強くしたワイヤーアクション超大作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズでマネーメイキングスターの地位を確立したジェット・リー(当時はリー・リンチェイ)。『ワンチャイ』シリーズの監督ツイ・ハークと揉めてシリーズを降板した後に出演したのが、バリー・ウォンの『ラスト・ヒーロー・イン・チャイナ/烈火風雲』だった。ここで『ワンチャイ』以上にワルノリしたコメディ演技を開花させたジェット・リーは次々とバリー・ウォン作品に出演。中でも今回紹介している『ドラゴン・コップス』との類似点の多い『ハイリスク』は、香港映画マニアの好事家の間でも非常に評価の高い作品だった。しかしジェット・リーはハリウッドに進出し、再びシリアス路線に戻ってコメディ演技を封印。実に8年ぶりに本格コメディ映画に復帰したのが、この『ドラゴン・コップス』なのである。 セレブリティの連続死亡事件。死体は常に微笑んでいるという怪異な事件だ。この事件を追っていた刑事プーアル(ウェン・ジャン)と相棒のフェイフォン(ジェット・リー)、そして彼らの女性上司のアンジェラ(ミシェル・チェン)は、死んだ者たちに共通点を見出す。彼らはすべて売れない映画女優のチンシュイ(リウ・シーシー)と関係していたのだった。プーアルはチンシュイから事情を聞くが、チンシュイを迎えにきた姉のイーイー(リウ・イェン)は怪しさ満開。捜査を進めていると、死んだ者たちには保険金がかけられており、その受取人はすべてイーイーだったのだ……。 映画のビジュアル的にジェット・リー主演映画のように思えるだろうが、本作の主演はプーアル刑事役のウェン・ジャンだ。テレビ俳優としてブレイクした後、ジェット・リーがアクションを封印したヒューマンドラマ『海洋天堂』で、ジェット・リーの自閉症の息子役で本格的に映画界に進出。チャウ・シンチーの『西遊記~はじまりのはじまり~』や『人魚姫』でブレイクした若手俳優だ。実生活でもジェット・リーを「パパ」と呼ぶほど仲の良いウェン・ジャンは、共演2作目となる本作でも息の合ったコメディ演技を見せており、コスプレも厭わない自信満々なポンコツという点で前述の『ハイリスク』でのジャッキー・チュンを彷彿とさせる。 またバリー・ウォンは、自作でチンミー・ヤウのような常軌を逸したような超美人女優にムチャブリを繰り返すことで有名だったが、『ドラゴン・コップス』も負けていない。台湾で大ヒットした青春ドラマ『あの頃、君を追いかけた』でブレイクしたミシェル・チェン。本作ではアクションに挑戦したり、壁に激突したりと大活躍を見せる。そして行定勲監督の『真夜中の五分前』で双子の姉妹を演じたリウ・シーシーはワイヤーアクションにも挑戦。さらにシンガーやテレビ番組の司会者として有名で、中国の美人ランキングで1位にもなったリウ・イェンは、パブリックイメージ通りの豊満なバストを半分放り出したまま登場する。 そしてジェット・リーファンなら期待するアクションも盛り沢山。オープニングではジェット・リーとの共演は『カンフー・カルト・マスター』以来6作品というコリン・チョウは、相変わらず息の合ったアクションを展開。監督・主演を務めた映画『戦狼 II』が興行収入800億円超えという世界興行収入を塗り替える大ヒットを記録しているウー・ジンも登場。そして最後には時空を超えた人物との最終決戦が待っている。 ……改めて申し上げるが、本作はハードなバディアクションものではなく、あくまでもナンセンスコメディ映画だ。真面目な作品や、コメディタッチのアクションという期待をして観るとその落差に呆然とする類の作品である。しかしあえて言いたい。 「おれ達の好きな香港映画はこれだ!」 と。 まさにマイケル・ホイが切り開き、バリー・ウォンが再構築し、チャウ・シンチーが世界を制した香港コメディ映画の正当なスタイル。本当に下らないギャグが連発し、ヒット作のパロディが随所に取り込まれ、凄まじい人数のカメオ出演者が登場するというオールスターかくし芸大会的な、香港映画が本来持っていたサービス精神の塊のような作品。その正当後継者が、この『ドラゴン・コップス -微笑捜査線-』なのだ。■ ©2013 BEIJING ENLIGHT PICTURES CO., LTD. HONG KONG PICTURES INTERNATIONAL LIMITED ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2017.09.03
先史時代の人類にリアルに迫ったエポックメイキング『人類創世』〜09月14日(木) ほか
■立ち遅れていた「原始人もの」というジャンル 『人類創世』といえば2017年の現在、40歳代後半から上の世代にとって、かなり強い印象を与えられている作品かもしれない。「映画と出版とのミックスメディア展開」を武器に映画業界へと参入し、初の自社作品『犬神家の一族』(76)を大ヒットさせた角川書店が、その手法を活かして宣伝協力を図った洋画作品(配給は東映)だからだ。1981年の日本公開時には原作小説がカドカワノベルズ(新書)より刊行され、おそらく多くの者が、原作とセットで映画を記憶していると思う。 とりわけ文学ファンには、この原作の出版は歓喜をもって迎えられたことだろう。著者のJ・H・ロニー兄(1856〜1940)はベルギー出身のフランス人作家で、ジュール・ヴェルヌと並び「フランス空想科学小説の先駆者」ともいうべき重要人物だ。映画『人類創世』の原作である「火の戦争 “La Guerre du Feu”」は、そんな氏が1910年に発表した、先史時代の人類を科学的に考察した小説として知られている。物語の舞台は80,000年前、ネアンデルタール人の種族であるウラム族が、ある日、大事に守ってきた火を絶やしてしまう。彼らは自分自身で火を起こす方法を知らなかったため、ウラムの長は部族の若者3人を、火を取り戻す旅へと向かわせるーー。 物語はそんな3人が大陸を放浪し、恐ろしい猛獣や食人部族との遭遇といった困難を経て、やがて目的を果たすまでを克明に描いていく。日本では16年後の1926年(大正15年)に『十萬年前』という邦題で翻訳が出版されたが(佐々木孝丸 訳/資文堂 刊)、そんな歴史的な古典が、映画の連動企画とはいえ55年ぶりに新訳されたのである。 このように年季の入った著書だけに、じつは『人類創世』が「火の戦争」の初の映画化ではない。最初のバージョンは原作が発表されてから5年後の1915年、フランスの映画会社であるスカグルと、プロデューサー兼俳優のジョルジュ・デノーラによって製作されている(モノクロ/サイレント)。スカグル社は当時、文芸映画の成功によって意欲的に原作付き映画を量産していた時期で、そのうちの一本としてロニーの「火の戦争」があったのだ。ちなみに、このベル・エポック時代のサイレント版は以下のバーチャルミージアムサイト「都市環境歴史博物館」で抜粋場面を見ることができるので、文を展開させる都合上、まずはご覧になっていただきたい。 http://www.mheu.org/fr/feu/guerre-feu.htm この映像を見る限り、先ほどまで力説してきた「科学性の高い原作」からはかけ離れていると感じるかもしれない。このモノクロ版に登場するウラム族は、原始人コントのような獣の皮を着込み、戯画化された古代人のイメージを誇示している。映画表現の未熟だった当時からすれば精一杯の描写かもしれないが、それでもどこかステレオタイプすぎて、どこか滑稽に映ってしまうのは否めない。 ■二度目の映画化はミニマルに、そしてリアルに ーー監督ジャン・ジャック・アノーのこだわり この「火の戦争」を例に挙げるまでもなく、こういった文明以前の描写というのは、過去あまり真剣に取り組まれることがなかった。例外的に『2001年宇宙の旅』(68)が「人類の夜明け」という導入部のチャプターにおいて有史以前の祖先を迫真的に描いていたものの、基本的にはアニメの『原始家族フリントストーン』や『恐竜100万年』(66)、あるいは『おかしなおかしな石器人』(81)のように、いささかコミカルで陳腐な原始人像が充てがわれてきたのだ。 『人類創世』は、そんな状況を打ち破り、先史時代の人類の描写を一新させた、同ジャンルのエポックメイキングなのである。 監督は後に『薔薇の名前』(86)『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(97)で著名となるジャン=ジャック・アノー。彼は本作を出資者に売り込むさいのプレゼンで「この映画は『2001年宇宙の旅』における「人類の夜明け」の続きのようなものだ」と説き、「火の戦争」再映画化へのステップを踏んでいる。『2001年〜』を例に出さないと理解を得られない、それほどまでに前例の乏しいジャンルへの挑戦だったのだ。 さらにアノーは作品のリアリティを極めるため、原作にあった登場人物どうしの現代的な会話をオミットし、初歩的でシンプルな言語を本作に導入。それらをジェスチャーで表現するボディランゲージにすることで、あたかも文明以前の人類の会話に間近で接しているような、そんな視覚的な説得力を作品にもたらしている。 そのために専門スタッフとして本作に招かれたのが、映画『時計じかけのオレンジ』(71)の原作者で知られる作家のアンソニー・バージェスと、イギリスの動物学者デズモンド・モリスである。バージェスは先の『時計じかけ〜』において独自のスラング「ナッドサット語」を構築した手腕を発揮し、またモリスは動物行動学に基づき、ウラム族の言語と、彼らが敵対するワカブー族の言語を、この作品のために開発したのだ。 映画はこうした著名な作家や言語学者のサポートによる、アカデミックな下支えを施すことで、80,000年前の先祖たちの様子を、まるで過去に遡って見てきたかのように描き出している。 また、ウラム族をはじめとするネアンデルタール人の容姿にも細心の注意が払われ、極めて精度の高い特殊メイクが本作で用いられている。特に画期的だったのはフォームラテックスの使用で、ラバーしか使えず全身体毛に覆われた表現しかできなかった『2001年宇宙の旅』と違い、体毛を細かく配置できる特殊メイク用の新素材が導入された(本作は第55回米アカデミー賞のメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞)。他にも広大な原始の世界を活写すべく、スコットランド、ケニア、カナダなどにロケ撮影を求めるなど、古代人の放浪の旅にふさわしい、悠然たるビジュアルを提供している。 こうしたアプローチが功を奏し、本作は言語を必要としない、映像から意味を導き出すミニマルな作劇によって、人類が学びや経験によって進化を得るパワフルなストーリーを描くことに成功したのだ。 ■公開後の余波、そしてロン・パールマンはこう語った。 しかし、そのミニマルな作りが、逆に内容への理解を妨げるのではないかと危惧された。そこで日本での公開時には、地球の誕生から人類が現代文明を築くまでを解説した、短編教育映画のようなアニメーションが独自につけられた(どのようなものだったかは、当時の劇場用パンフレットに画ごと掲載されている)。こうしたローカライズは今の感覚では考えられないが、そのため我が国では、この『人類創世』を本格的なサイエンス・ドキュメンタリーとして真剣に受け止めていた観客もいたようだ。 しかし、原作が書かれた時代から1世紀以上が経過し、再映画化がなされてから既に36年を経た現在。いまの先史時代研究の観点からは、不正確と思われる描写も散見される。同時代における火の重要性、存在しない種族や使用器具etcーー。もはやこのリアリティを標榜した『人類創世』でさえ、偏見に満ちた、ステレオタイプな先史時代のイメージを与えるという意見もある。 ただそれでも、この作品の価値は揺るぎない。描写の立ち遅れていたジャンルに変革を与えるべく、意欲的な作り手が深々と対象に切り込んだことで、この映画は他の追随を許さぬ孤高の存在となったのだ。 『人類創世』以後、監督のアノーは動物を相手とする撮影のノウハウや、自然を舞台とした演出のスキルを得たことから、野生の熊の生態をとらえた『子熊物語』(88)や、同じく野生の虎の兄弟たちを主役にした『トゥー・ブラザーズ』(04)などを手がけ、そのジャンルのトップクリエイターとなった。また俳優に関しても、例えばイバカ族のアイカを演じたレイ・ドーン・チョンは本作の後、スティーブン・スピルバーグの『カラーパープル』(85)や、今も絶大な人気を誇るアーノルド・シュワルツェネッガー主演のカルトアクション『コマンドー』(85)に出演するなど、80年代には著しい活躍を果たしている。 そしてなにより、ウラム族のアムーカを演じたロン・パールマンは『ロスト・チルドレン』(95)『エイリアン4』(97)といったジャン=ピエール・ジュネ監督の作品や『ヘルボーイ』(04)『パシフィック・リム』(13)などギレルモ・デル トロ監督作品の常連として顔を出し、今も名バイプレイヤーとして幅広く活躍している。筆者は『ヘルボーイ』の公開時、来日したパールマンにインタビューをする機会に恵まれたが、そのときに彼が放った言葉をもって結びとしよう。 「(ヘルボーイの)全身メイクが大変じゃないかって? キャリアの最初にオレが出た『人類創世』のときから、特殊メイクには泣かされっぱなしだよ(笑)」■ ©1981 Belstar / Stephan Films / Films A2 / Cine Trail (logo EUROPACORP)
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COLUMN/コラム2017.07.03
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2017年7月】うず潮
1988年当時、フランス領であったニューカレドニアで先住民族による独立紛争事件が発生。この事件の交渉役を任された国家憲兵隊大尉の告発手記をもとに、『クリムゾン・リバー』のマチュー・カソヴィッツが監督・主演を務め、入念なリサーチを重ねて完成まで10年も費やした意欲作です。フランス本国で現職のミッテラン大統領VSシラク首相による、熾烈な大統領選のさなかに起きた紛争事件の真相を描いています。両陣営から繰り出される票集めを見据えた命令に、揺らぐ現場の臨場感をリアルに描き出しているので、まるで当事者として参加しているように、グイグイと映画の中に引き込まれていきます。「自分だったらどう判断するのか?」と問いかけずにはいられない作品です。是非ご覧頂きたい1本!■ © Nord-Ouest Films – UGC Images – Studio 37 – France 2 Cinéma
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COLUMN/コラム2017.04.09
Mr.ズーキーパーの婚活動物園
「動物園の飼育員となんて結婚できないわ!」恋人ステファニーにプロポーズをするも、そんな捨てゼリフでフラれたグリフィン。それから5年。仕事に打ち込んだ彼は飼育係のリーダーになっていたものの、心は打ち砕かれたままだった。そんなある日、グリフィンは兄の結婚披露宴会場として動物園を貸し出したのだが、そこに彼女がゲストとして招かれているではないか!「一緒にカー・ディーラーをやろうぜ。そうすれば彼女を取り戻せるぞ」いまだにステファニーを諦めきれないグリフィンは、そんな兄の誘いに乗って、本気で退職を考えるようになってしまう。 困ったのは動物たちだ。「あんな最高の飼育員を辞めさせるわけにはいかない。彼の仕事を辞めさせずに婚活を成功させようぜ!」 動物界のルールを破って人間語で話しかけて来た動物たちから、ワイルドな恋のアドバイスを伝授されたグリフィンはステファニーへの再アタックに挑戦するのだが……。 動物が人間の言葉を話す映画は星の数ほどあるけれど、大抵アニメっぽいキャラ。それを打ち砕いたのが、エディ・マーフィ主演の『ドクター・ドリトル』シリーズ(98〜01年)だった。同作は、当時最先端のCGを駆使して、リアルな動物が人間の言葉を喋るのを違和感なく見せて大ヒットを記録したのである。 2011年に公開された『Mr.ズーキーパーの婚活動物園』は、この手法をさらに進化させて約1億7000万ドルもの興行収益を叩き出したメガヒット・コメディだ。ディズニー製作の大ヒット作『ジャングル・ブック』(16年)は間違いなく本作の延長線上にある。 ここで『ジャングル・ブック』を連想するのは、同作の監督で俳優でもあるジョン・ファヴローが、本作でクマの声優を務めているからだ。ファヴローがあの傑作を演出できたのも、本作で色々とノウハウを得たからではないだろうか。 そのひとつが声優選び。『ジャングル・ブック』ではビル・マーレイやイドリス・エルバ、スカーレット・ヨハンソン、クリストファー・ウォーケンといった人気俳優が、声色にぴったり合う動物の声優を務めていたけど、『Mr.ズーキーパーの婚活動物園』はそれを先駆けたかのようなキャスティングが行なわれているのだ。そのメンツをざっと挙げてみよう。 まず『サウス・キャロライナ/愛と追憶の彼方』(91年)でゴールデングローブ賞を受賞したシリアスな俳優でありながら『48時間』(82年)では前述のエディ・マーフィと共演し、ファヴローともアニメ『森のリトル・ギャング』(06年)で動物声優として共演していたニック・ノルティがストーリーの鍵を握るゴリラ役。 アクション・ムービー界の伝説シルヴェスター・スタローンと、シンガーであり『月の輝く夜に』(87年)でアカデミー主演女優賞を獲得しているシェールという濃厚なコンビはライオンの夫婦を演じている。 『サタデー・ナイト・ライブ』出身のコメディエンヌでポール・トーマス・アンダーソンのパートナーでもあるマーヤ・ルドルフがキリン、『40歳の童貞男』(05年)や『エイミー、エイミー、エイミー! こじらせシングルライフの抜け出し方』(15年)を監督する傍ら、セス・ローゲンやジェイソン・シーゲルといった若手コメディ・スターの育ての親として知られるジャド・アパトーがゾウ、そしコメディ・レジェンド、アダム・サンドラーがサル(演じているクリスタルは、前述の『ドクター・ドリトル』をはじめ、『ナイト・ミュージアムシリーズ(06〜14年)や『ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える』(11年)『幸せへのキセキ』(11年)にも出演している名優サル!』の声を担当している。 通常、主演映画にしか出演しないサンドラーがこんな地味なポジションを務めているのは珍しい。実はこれにはワケがある。本作のプロデューサーはサンドラーで、製作会社は彼が主宰するハッピー・マジソンなのだ。そしてこれほどゴージャスな声優陣を招いてまでサンドラーがバックアップしようとした才能こそが、本作の主演俳優ケヴィン・ジェームズなのである。 ケヴィンはサンドラーと同じニューヨーク出身で、彼よりひとつ上の65年生まれ。スタンダップ・コメディアンとして活動し始め、兄貴分のレイ・ロマーノが主演したシットコム、『HEY!レイモンド』(96〜05年)への出演をきっかけに、やはりシットコム『The King of Queens』(98〜07年)の主演に抜擢。下町クイーンズで宅配業者として働く中年男役でブレイクした男だ。 本格的な映画出演は、ウィル・スミスが非モテ男に恋愛術を指南する<デートドクター>に扮したロマンティック・コメディ『最後の恋のはじめ方』(05年)から。この作品でケヴィンは、スミスの顧客となる究極の非モテ男アルバートに扮して、笑いを根こそぎかっさらうパフォーマンスを披露。スミス目当てに映画館を訪れた観客にも「あの面白いデブ、誰?」と評判を呼び、大ヒットに貢献したのだった。 その勢いで出演したのが、旧知のアダム・サンドラーとのダブル主演作『チャックとラリー おかしな偽装結婚!?』(07年)だった。ここでケヴィンは、子どもに残す年金問題に悩むあまり、サンドラー扮する結婚願望ゼロのプレイボーイと偽装同性婚をする男ヤモメの消防士を好演。すでにスーパースターだったサンドラーに負けない存在感を示した。そしてサンドラーのプロデュースのもと、遂に『モール★コップ』(09年)で単独主演を実現したのだった。 警官採用試験に挑戦しては失敗を続けているドジなショッピングモールの警備員が、モールを占拠した強盗団相手に丸腰で立ち向かうこのアクション・コメディは、ケヴィンのメタボなボディを駆使したギャグに笑わされながら、『ダイ・ハード』の流れを汲むマッチョ系アクション映画としても見れるという二刀流でメガヒットを記録した。 そしてサンドラー、クリス・ロック、デヴィッド・スペード、ロブ・シュナイダーら人気コメディ俳優が集結した同窓会コメディ『アダルトボーイズ青春白書』(10年)を経て公開されたのが本作『Mr.ズーキーパーの婚活動物園』だったというわけだ。 その後もケヴィンは、総合格闘技に挑戦する教師に扮したアクション・コメディ『闘魂先生 Mr.ネバーギブアップ』(12年)やそれぞれシリーズの続編となる『アダルトボーイズ遊遊白書』(13年)と『モール・コップ ラスベガスも俺が守る!』(15年)、そしてサンドラー主演のSFXコメディ『ピクセル』(15年、何と米国大統領役!)といったヒット作に立て続けに出演。一方で16年からテレビに逆上陸し、製作も兼ねたシットコム『Kevin Can Wait』に主演して人気を博している。つまりケヴィンはかれこれ20年以上もコメディ界の第一線に立ち続けていることになる。 同世代でこれだけコンスタントに長期間活躍しているコメディ・スターは前述のサンドラーやベン・スティラーくらいだろう。ふたりに比べると日本では知名度がだいぶ下がるけど、これはもはやコメディ・レジェンドとして扱っていいレベル。見かけはどこにでもいそうなデブだけど、実は頭が切れるスマート・ガイ、それがケヴィン・ジェームズなのだ。 そんな彼のパーソナリティに動物たちのチャームも加味された『Mr.ズーキーパーの婚活動物園』はケヴィン初心者にとって入門編にふさわしい作品だと思う。ヒロインのロザリオ・ドーソンとのコンビネーションの良さも心に残る仕上がりだ。 ZOOKEEPER, THE © 2010 ZOOKEEPER PRODUCTIONS, LLC. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2017.01.10
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2017年2月】うず潮
ルイ・ペルゴーの小説「ボタン戦争」を原作にした1961年のフランス映画。インターネットもケータイもTVゲームもなかった頃のケンカを描く、子供抗争映画の名作。演技経験ゼロの子供たちが元気いっぱいに暴れまわる、フランス版「あばれはっちゃく」とも言える作品です。見ているうちに、自然と自分の子供時代に戻って、いつの間にか彼らの一員になっています。また、劇中の子供たちはフランス憲法を理解し、全てにおいて平等の精神で描かれているところも注目です。 「フニャチン」「〇〇はケツの穴」といった大人になって決して口にしなくなったことを叫び、全員まっ裸で戦ったり、秘密基地を作ったり、男子たるもの子供の頃、絶対にやりたかった、やっていたことを満載に描いた映画です。さらに映画の中では、両津勘吉バリに子供たちだけで商売をはじめ、軍資金をつくって必要な備品を揃える始末(逞しすぎ!)。そして色々見つかって、当然、親たちにめっちゃ怒られます(笑)。40歳以上の男子は是非見てほしい1本。見た後は、思わず竹馬の友に連絡したくなりますよ! 余談ですが、本作は1995年に『草原とボタン』のタイトルでリメイク。さらに、劇中で「来るんじゃなかった」が口癖の小さな男の子を演じたアントワーヌ・ラルチーグは、愛くるしい笑顔で本作公開後に人気者となり、彼が主演の映画『わんぱく旋風』が作られました。 © 1962 ZAZI FILMS.
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COLUMN/コラム2016.06.11
演出、撮影、編集をワンマンに全部手がけつつも、珍しく役者の演技とストーリーを優先させた、ソダーバーグの異色作にして到達点〜『恋するリベラーチェ』〜
ソダーバーグの「映画監督やめたい」発言はほとんど年中行事化していたので、真に受けていた人は少ないだろう。ただ世間的には『サイド・エフェクト』(2013)が引退作とされており、不幸にも割りを食ったのがその直後に発表された『恋するリベラーチェ』である。 実は『恋するリベラーチェ』は本国アメリカでは「映画」としてカウントされていない。カンヌ国際映画祭に公式出品され、日本を始め多くの国々で劇場公開されているにも関わらず、である。 その理由は、アメリカではケーブルテレビ局でお披露目されたからで、あくまでも「テレビドラマ」扱いなのだ。ただしエミー賞のミニシリーズ/テレビ映画部門では作品賞、監督賞、主演男優賞など11部門を独占している。企画を蹴った映画スタジオの重役陣はさぞや歯噛みしたに違いない。 『恋するリベラーチェ』は1940年代から80年代にかけて活躍した実在のピアニスト、リベラーチェの伝記映画である。リベラーチェはクラシック畑の出身ながら、絢爛豪華な衣装とショーアップされたステージでポップスター的な人気を集めた。同性愛者であることは公然の秘密だったが、本人は決して認めようとはしなかった。映画ではリベラーチェの恋人だったスコット・ソーントンの回想録をもとに、ソーントンとリベラーチェの愛憎劇をブラックユーモアまじりに綴っている。 ソダーバーグは『トラフィック』(2000)の撮影時に早くもマイケル・ダグラスにリベラーチェ役を打診していたという。しかし映画が完成するまでに13年もの歳月がかかった。ダグラスの喉頭がんで企画が消滅しそうになったりもしたが、最大の障壁は「あまりにも同性愛的すぎる」という映画スタジオからの拒絶だった。 当時のソダーバーグのハリウッドでの立ち位置を整理しておきたい。ソダーバーグがリチャード・ラグラヴェネーズ(『フィッシャー・キング』)に『恋するリベラーチェ』の脚本を依頼したのが2008年の夏。ちょうど『チェ』二部作を完成させ、アメリカでの配給が決まらず宙ぶらりんになっていた時期である。 『チェ』二部作が配給を渋られたのは、ほぼ全編がスペイン語の作品だったから。「アメリカ市場のために英語で作れ」という要望を「英語の文化的帝国主義はもはやナンセンス」とはねつけたのだ。政治的な主張というよりも、スペイン語で話すラテンアメリカの人々を描いた実話なのだからスペイン語で撮るのが当然――という素直すぎる理由である。 また前々年には趣味性の強い実験作『さらば、ベルリン』が大コケ、前年に発表したヒットシリーズの第三弾『オーシャンズ13』も期待されていたほどの興収を上げることはできなかった。『チェ』でもハリウッドと揉めたソダーバーグはリスキーな企画ばかり撮りたがる厄介な大物監督という、一種の要注意人物だったのだ。 一方ソダーバーグにしてみれば、次々と浮かぶ刺激的なアイデアを実現させたいのになかなか資金が集まらないフラストレーションが溜まる状況が続いており、それが度重なる「引退発言」にも繋がっていく。 「同性愛」を理由に出資を断られたことについて、ソダーバーグは「『ブロークバック・マウンテン』以降の時代に信じられないよ、しかもこっちはもっと笑える映画だっていうのにね」と皮肉っていた。しかし2009年のアカデミー賞ではゲイの政治家の伝記映画『ミルク』が主演男優賞など二冠に輝いており、「同性愛的」という建前の裏にはソダーバーグへの警戒感もあったのだろう。 最終的に『恋するリベラーチェ』に出資したのが、アメリカの大手ケーブルテレビ局HBOだった。スピルバーグとトム・ハンクスが製作総指揮を務めた大作シリーズ「バンド・オブ・ブラザーズ」(2001)など、映画人とのコラボレーションに積極的な局である。製作費2300万ドルは決して安い買い物ではなかったはずだが、エミー賞11部門独占という成果を思えば双方にとって幸せな契約だったと言っていい。 そして映画業界への不満を募らせていたソダーバーグは、これ以降テレビシリーズの「The Knick」に着手したり、クロエ・グレース・モレッツ主演の舞台劇を演出したり、通販サイトを始めたりと映画以外の分野にワーカホリックっぷりを発揮し始める。 可笑しいのが『マジック・マイク』(2012)の続編『マジック・マイクXXL』(2015)で監督を盟友グレゴリー・ジェイコブスに任せながらも、製作総指揮、撮影監督、編集の三役を務めていたこと。自らカメラを回し編集も手掛けるのはソダーバーグのスタイルだが、他人が監督する映画で撮影や編集を担当するのは初めて。本人にも言い分はあるだろうが、そこまでするなら監督もやれよと言いたくもなる。 さて『恋するリベラーチェ』に話を戻そう。本作でソダーバーグは、おそらくデビュー作以来初めて「コンセプトありき」の方法論を捨てた。いや、「捨てた」は言い過ぎにしても、自分自身の表現欲よりも役者の演技とストーリーを優先させているのだ。 基本的にソダーバーグはコンセプト先行型の監督で、作品ごとの狙いがビジュアルにも反映されている。最もわかりやすい成功例が、物語の舞台となる三つの場所を色の異なるレンズフィルターで表現した『トラフィック』だろう。ただしコンセプトが勝ちすぎて「スタイルばかりで空疎」と批判されるケースも少なくなく、才気ゆえの諸刃の剣でもあった。 しかし『恋するリベラーチェ』では、彼の一番の武器である「センス」や「技巧」をみごとに抑制しているのだ。最も印象の残るのはリベラーチェに扮したマイケル・ダグラスとスコット・ソーントン役のマット・デイモンの素晴らしい演技であり、2人の繊細なやり取りが醸し出す可笑しさや哀愁なのである。 もちろん「技巧」や「センス」を捨てたわけではない。ソフトフォーカスを多用した撮影はレトロな時代感を出すだけでなく、年甲斐もなく若さを追い求めるリベラーチェの脳内ファンタジーの写し絵でもある。ドラッグでラリっているシーンのピンボケとフォーカスの絶妙なバランス加減も、監督自身がカメラを回しているからこそできる力技だ。 ジャンプカットを多用する得意のトリッキーな編集は控えめに、編集のさりげなさはもはや小憎たらしいほど。BGMに頼らずリズムを感じさせる音楽的なカッティングも冴えている 全米映画監督協会の規定のせいで撮影ではピーター・アンドリュース、編集ではメアリー・アン・バーナードと別名義になっているのは『トラフィック』以降のお約束。理不尽なのは撮影監督としても編集者としても映画界隈で明らかに過小評価されていること。「なんでも自分でやりたがる器用貧乏」というわけだ。しかしピーター・アンドリュースとして手がけた映画は19本を数え、テレビシリーズも含めると相当な仕事量にのぼる。明言しておくが出しゃばり監督の余技などではまったくない。 演出、撮影、編集という映画の基本が三位一体となり、過不足なく「人間」と「物語」を語ってみせる。当たり前といえば当たり前だが、ソダーバーグが叩き出す精度の高さはもはや円熟の境地。ひとつの到達点と呼ぶべき『恋するリベラーチェ』を観て、どうかソダーバーグの妙技を堪能していただきたい。■ © 2016 Home Box Office, Inc. All rights reserved. HBO® and related channels and service marks are the property of Home Box Office, INC.
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COLUMN/コラム2016.01.05
男たちのシネマ愛③愛すべき、ボロフチック監督作品(1)
なかざわ:早くも3回目となる今回の対談ですが、テーマは「ミッドナイト・ヴィーナス」枠で放送される文芸エロスの巨匠ヴァレリアン・ボロフチック(注1)です。 飯森:まずはボロフチック監督の総論みたいなところから始めて、その後にザ・シネマで放送する「インモラル物語」(注2)、「夜明けのマルジュ」(注3)、「罪物語」(注4)の3作品について各論でトークすることにしましょうか。 ザ・シネマ編成部 飯森盛良 なかざわ:分かりました。どうしてもソフトポルノの人というイメージの強いボロフチックですが、しかしもともとは、いわゆるアバンギャルド路線(注5)の人なんですよね。しかも、活動の拠点はフランスだったけれども、実はポーランドの出身です。特に彼の作家性が強く出ているのは、初期の短編映画だと思うんですけれど、抽象的で実験性の強い作品ばかり撮っている。中でもロシア・アバンギャルド(注6)の影響が濃厚で、彼がグラフィック・デザイナーからスタートしたこともよく分かります。彼の生まれ育った過程で、ポーランドにはナチスの侵略があり、ソビエトのスターリニズム(注7)があり、そういう時代を経験しているから基本的に物事の見方がダークで哲学的なんですよね。 飯森:デビュー作は「愛の島ゴトー」(注8)でいいんですか? なかざわ:いえ、長編デビューはアニメなんです。なので、あれは長編実写映画のデビュー作ってことになります。 飯森:物の見方がダークだと仰いましたが、でも性に対して屈託がないというか、セックスにタブーがない人でもありますよね。 なかざわ:そうですね。その通りです。 飯森:大昔のキネマ旬報(注9)のインタビュー記事を読むと、セックスについて「古代ギリシャの文明は(今より)もっと開放的で自由でした」なんてことを言っている。それはその通りだと思うんですが、その証左として具体的に挙げているのがね、「たとえば獣姦ということがそのひとつの証拠ですね」と述べているんですよ! エェっ!?って感じじゃないですか(笑)。単にみんなが裸でエーゲ海の日差しを浴びて、明るく健康的に相手かまわずセックスしてました、それは素晴らしいことじゃないですか!と言うのかと思いきや、特に獣姦が良かったと。「古代ギリシャでは、動物と交わるということが、すくなくとも芸術家にとっては、自然な、美しい行為ですらあったのです」と力説しているんです。 なかざわ:それが「邪淫の館・獣人」(注10)のルーツですかね(笑)? 飯森:そうなんじゃないですか?あれは強烈だった!ブルボン朝期のフランスの貴婦人が、ゴリラのような獣に犯されてしまう。 なかざわ:しかも、もの凄い巨根なんですよね。 飯森:どう見ても明らかに着ぐるみで、それに巨大なモノが付いている。そいつに貴婦人が追いかけ回され犯されて、その獣のDNAが代々残っちゃうという家系の話です。 なかざわ:その巨根の先っちょから出るわ出るわ、白いドロドロの液体がとめどなく流れ出るのには驚きました。そこまでやるか!って(笑)。一歩間違えればポルノですけど、あれで欲情する人はまずいない。あえて観客を挑発しているとしか思えないですよね。 飯森:そもそも獣姦をテーマにしている時点で、明らかに観客を挑発している。ポーランドってカトリック(注11)の国ですからね。移住先のフランスだって、宗教色が薄いとはいえ同じくカトリックの国だし。後の「インモラル物語2」(注12)にも、バター犬ならぬ“バターうさぎ”を飼っている女の子の話が出てきますから、確信犯にして常習犯なんですけど、ボロフチックさんはそれらを決してネガティブには描いていない。 なかざわ:「インモラル物語」にせよ「尼僧の悶え」(注13)にせよ、禁断の性を描いていながら、どこか長閑で明るいところがありますよね。だから、例えば「尼僧の悶え」は'70年代ヨーロッパにおける尼僧映画ブームの最中に撮られた作品ですけど、当時は尼僧が一線を超えて肉欲の罪を犯したことで酷い目に遭うという暗いトーンの作品が大半だったのに対し、ボロフチックの「尼僧の悶え」はある意味で真逆。確かに結末は悲劇的かもしれないけれど、性の描き方そのものは明るく朗らか。後ろめたさがないんですよね。 飯森:あと、基本的に女性の性ですよね、彼が好んで描くのは。女性にだって性の抑えがたい欲求や変態的な願望さえあるんだと。かつて無いものとされていた女性の性欲にヒロインが突き動かされることで、トラブルが起こりドラマが生まれるという作品が多い。「修道女の悶え」はその典型的な映画で、修道女全員が悶えている(笑)。 なかざわ:厳密には修道院長以外全員ですね(笑)。 飯森:そう。修道院長はあまりにも真面目だから、あとで手痛いしっぺ返しを食らうんですけどね。それ以外の修道女は、なぜかみんな若くて美人で、しかも悶々たる性的欲求を抱えている。 なかざわ:木の枝でディルド(注14)を自作しちゃったりするし。 飯森:それはポルノじゃないかという意見も確かにありますが、しかし少なくとも監督の初期のインタビューを読んでいると、ポルノとは呼ばないで欲しいと言っているんですよ。恐らく彼の言い分としては、みんなもやっているでしょ?誰にだってそういう欲求はあるでしょ?隠すなよ!と。それが常にボロフチック作品の根底にあるテーマですよね。 <注1>1923年9月2日、ポーランド生まれ。クラクフの美術学校で絵画を学び、グラフィックデザイナーを経て'46年より短編の実験映画を発表。'59年にフランスへ移住し、'66年発表の「Rosalie」(日本未公開)ではベルリン国際映画祭やロカルノ国際映画祭の最優秀短編映画賞を獲得。'67年に長編映画デビューし、'90年代前半に現役を引退。'06年2月3日、フランスのパリで死去。<注2>1974年製作。性愛にまつわる4つの短編からなるオムニバス映画。<注3>1976年製作。フランスで最も権威のある文学賞、ゴンクール賞に輝いたアンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの小説「余白の街」の映画化。<注4>1975年製作。同年のカンヌ国際映画祭正式出品作。<注5>前衛芸術のこと。<注6>帝政ロシア末期からソビエト連邦初期にかけて、ロシアで花開いた前衛芸術運動。<注7>'20年代~'50年代にかけて、ソビエト連邦の最高指導者だったヨシフ・スターリンが実践した政治体制のこと。指導者に対する個人崇拝、秘密警察の監視や粛清による恐怖政治を特徴とする。<注8>1969年製作。外界から隔絶された島ゴトーを舞台に、独裁者の美しい妻に横恋慕した愚かで醜い男が、あらゆる卑劣な手段を使って権力の座を手に入れようとする。<注9>1919年に創刊された日本の映画雑誌。<注10>1975年製作。フランスの没落貴族と政略結婚することになったイギリスの裕福な女性が、相手の家系に獣人の血筋が流れていることを知る。<注11>キリスト教において最大規模の教派。ローマ教皇をその最高指導者とする。<注12>1979年製作。女性のセックスにまつわる3つの短編からなるオムニバス映画。<注13>1978年製作。中世の女子修道院を舞台に、性欲を持て余した尼僧たちの日常を描く。<注14>男性器の形を模した大人のおもちゃ。コケシや張り型とも呼ばれる。 次ページ >> あなたがたの国には、すでに江戸時代にあんなすばらしい春画があったではありませんか(ボロフチック) 『インモラル物語』"CONTES IMMORAUX" by Walerian Borowczyk © 1974 Argos Films 『夜明けのマルジュ』©ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO.