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COLUMN/コラム2023.08.28
ヨーロッパ映画を彷彿とさせる骨太で硬派な政治スリラーの隠れた名作『アンダー・ファイア』
物語の背景となるニカラグア革命とは? 惜しくも、劇場公開時は興行的に全くの不発だったものの、しかしその一方でロジャー・エバートやジョン・サイモンなど名だたる映画評論家から高く評価され、映画ファンの間でも今なおカルト的な人気を誇っている政治スリラー映画の隠れた名作である。 1981年1月20日、アメリカでは元ハリウッド俳優ロナルド・レーガンが第40代アメリカ合衆国大統領に就任する。ご存知の通り、当時は東西冷戦の真っ只中。’60年代末から続いていたデタント(米ソの緊張緩和)は’79年のソ連によるアフガニスタン侵攻で崩壊し、人権問題を重視した先代・カーター大統領の穏健な外交政策はおのずと「弱腰外交」と批判される。そうした中で誕生したレーガン政権は、一転してタカ派的な強気の外交政策を展開。ソ連を「悪の帝国」と呼んで激しく非難し、反共の理念を旗印にして中南米や中近東などの不安定な政情にも介入していく。折しも’80年代のハリウッドでは、アカデミー賞を賑わせた『レッズ』(’81)や『ミッシング』(’82)などを筆頭に、世界各地の革命や紛争を題材にした政治スリラー映画が静かなブームを呼んでいたが、その背景にはこうした東西冷戦の激化が影響していたと考えてもおかしくはないだろう。 中でも当時流行ったのが、様々な情報が錯綜する革命や紛争、圧政の渦中にあって、真実を追求するために命がけで奔走するジャーナリストを描いた映画群だ。恐らくそのきっかけとなったのは、メル・ギブソンがスカルノ政権末期のインドネシアに派遣されたテレビ特派員を演じる『危険な年』(’82)。オーストラリア映画だがアメリカでも大ヒットを記録し、男性カメラマン役を演じたリンダ・ハントがアカデミー助演女優賞を獲得した同作の成功を皮切りに、カンボジア内戦を舞台にした『キリング・フィールド』(’84)やエルサルバドル内戦を題材にした『サルバドル/遥かなる日々』(’86)、アパルトヘイト政策の弾圧に立ち向かった南アフリカの黒人活動家と新聞記者の戦いを描く『遠い夜明け』(’87)など、ジャーナリズムの使命とその重要性を改めて知らしめるような政治スリラー映画の力作が次々と公開される。『エア★アメリカ』(’90)や『007/トゥモロー・ネバー・ダイ』(’97)でお馴染み、ロジャー・スポティスウッド監督の出世作となった『アンダー・ファイア』(’83)もそのひとつだ。 本作の題材はニカラグア革命。さすがに筆者も国際紛争や中南米史の専門家ではないため、ここでは一般常識的な基礎知識をサクッと振り返ってみたい。自国の覇権を拡大・維持するため、20世紀初頭から中南米諸国の政治に介入してきたアメリカ合衆国。ニカラグアもそのひとつで、1927年に親米的な保守党政権に対し自由党が内戦を仕掛けると、米国は海兵隊を送り込んで鎮圧しようとする。結局、世界大恐慌の影響で米海兵隊は撤退するも、’34年に自由党軍のサンディーノ将軍はアメリカに支援された国家警備隊に暗殺され、その首謀者であるアナスタシオ・ソモサ・ガルシアは’37年に大統領へ就任。以降、ソモサ親子3名は43年間に渡って国家権力を私物化し、「ソモサ王朝」と呼ばれる独裁的な強権政治を敷いたのである。 ‘72年にニカラグアで起きたマナグア大地震。世界中から多くの支援金や支援物資が集まったものの、その大半をソモサ一家が着服して身内企業などに分配。さらに、’78年には反体制派新聞の社長が政府によって暗殺され、いよいよソモサ王朝に対する国民の怒りが頂点へと達する。’79年にはサンディーノ将軍の遺志を継ぐ左翼革命組織・サンディニスタ民族解放戦線が武装蜂起。現地での取材を試みた米テレビ局ABCのレポーター、ビル・スチュワートが国家警備隊に射殺され、その様子をたまたま撮影したニュース映像が世界中で報道されるに至り、それまで「親米」を理由にソモサ政権を支援してきた米政府も看過できなくなる。かくして、アメリカから見放されたアナスタシオ・ソモサ・デバイレ(ガルシアの次男)大統領は失脚。マイアミを経て各地を転々とした挙句、’80年に亡命先のパラグアイで暗殺された。 以上が、本作の背景となる史実のあらまし。基本的には登場人物もストーリーもフィクションだが、しかしビル・スチュワート事件を下敷きにした出来事が物語の重要なカギとなり、劇中ではソモサ大統領まで登場してドラマに絡んでくる。やはり本作を鑑賞するにあたって、ある程度の予備知識は必要であろう。 ジャーナリストはどこまで中立であるべきなのか 時は1979年。物語の始まりは、軍事政権と反政府軍の内戦が収束に向かいつつあるアフリカのチャド共和国。命知らずのタフな報道カメラマンのラッセル・プライス(ニック・ノルティ)は、旧知の傭兵オーツ(エド・ハリス)と戦場で偶然再会する。政府軍に雇われたはずなのに、間違えて反政府軍と行動を共にしているオーツ。そのいい加減さに、2人は思わず笑い転げる。この戦場はマジでクソだ!全く金にならん!今どき稼ぐならニカラグアだな!そう愚痴をこぼすオーツと別れてホテルへ戻ったラッセルは、敬愛する先輩であり親友でもある記者アレックス・グレイザー(ジーン・ハックマン)の送別パーティに参加する。野心家のアレックスは、念願だったニュース番組のアンカーマンに抜擢され、晴れてニューヨークへ戻ることになったのだ。しかし、恋人のラジオ報道記者クレア・ストライダー(ジョアナ・キャシディ)はアレックスに同行することを拒否。ジャーナリストとしての使命感に燃える彼女は、現場から足を洗う気などさらさらなかったのだ。次の行き先は革命の動乱に揺れるニカラグア。意地を張ったアレックスは、自分もニカラグアに付いていくと言い出す。 それから暫くの後、中米ニカラグアには世界中から報道関係者が集まり、その中にはラッセルやアレックス、クレアの姿もあった。政府関係者やマスコミ関係者が行きつけのナイトクラブでディナーを楽しむ3人。ソモサ政権のスパイと噂のフランス人ビジネスマン、マルセル・ジャジー(ジャン=ルイ・トラティニャン)の姿もあった。すると、革命軍によってナイトクラブが爆撃を受け、ラッセルはその惨状をカメラに収める。ところがその直後、彼は理由もなく国家警備隊に逮捕され、翌朝には釈放されたもののカメラを壊されてしまった。マルセルが嫌がらせで仕組んだものと睨むラッセル。自分がソモサ大統領直属のスパイだと認めるマルセル。ラッセルとクレアを自宅へ招いた彼は、革命軍のリーダー、ラファエルが地方都市レオンにいるとの極秘情報を伝える。これまで一度も写真に撮られたことがなく、その存在自体が半ば伝説化したラファエルは、ラッセルがニカラグア入りしてからずっと追いかけていた人物だ。ラファエルを写真に収めることが出来れば特ダネである。半信半疑ながらも、ラッセルとクレアは一路レオンへと向かう。 まるで戦場のようなレオンの町。ラッセルとクレアは革命軍の若者たちと親しくなり、市街戦の様子を間近から取材することに成功する。ふと気づくと、政府側の兵士の中に傭兵オーツの姿が。ジャーナリストとして「中立の立場」が信条のラッセルは、死体の山に隠れたオーツの存在を革命軍に黙っていたが、そのせいで革命軍の気さくな指揮官ペドロがオーツに射殺されてしまう。果たして、自分の判断は正しかったのか。深い罪の意識を覚えるラッセル。そんな彼を慰めるクレア。志を同じくする仲間として共鳴し、やがて男女関係の一線を超えてしまうラッセルとクレア。彼らの変化になんとなく気付いていたアレックスだが、しかしキャリアを優先してニューヨークへ戻ってしまう。そんな折、ラファエルの暗殺に成功したことをソモサ大統領(ルネ・エンリケス)が記者会見で発表。当然ながら革命軍側はこれを否定し、その証拠としてラファエル本人が取材に応じるとラッセルに申し出る。指定された場所へ向かうラッセルとクレア。そこで彼らは、ジャーナリストとしての職業倫理に関わる重大な決断を迫られる…。 基本的なプロットは、戦時下を舞台にした大人のラブストーリー。戦争の動乱に揺れるエキゾチックな異国の地を舞台に、強い信念を持つ勇敢な2人の男性が同じようにタフな1人の女性を愛し、そんな彼らの三角関係に周辺の政治的な思惑が絡んでいく。まるで『カサブランカ』(’42)のごとし。そういえば、チャールズ・ブロンソン主演の『太陽のエトランゼ』(’79)やショーン・コネリー主演の『さらばキューバ』(’79)も似たような話だったと思うが、本作がそうした『カサブランカ』症候群的なハリウッド映画と一線を画すのは、あくまでもラブストーリーがメインテーマを浮き彫りにするための道具のひとつに過ぎない点であろう。 本作が真に描かんとするのは報道記者の在り方だ。ジャーナリストは「中立の立場」が基本だとして、権力側にも抵抗勢力側にも肩入れすることなく、世界各地の紛争地帯を取材してきた報道カメラマンのラッセル。しかしニカラグアでは少々勝手が違ってくる。国民を弾圧して反対派を迫害するソモサ政権下のニカラグア。革命軍と実際に行動を共にしたラッセルは、彼らが独裁者へ対する憤怒の念に駆られた平凡な若者たちに過ぎず、その背後には人権を蹂躙された大勢の市民たちの支持があることを知識ではなく肌で実感し、やがて「中立の立場」というジャーナリストの職業倫理が、むしろ独裁者の悪事に加担することになっているのでは?との疑問を抱くようになるのだ。 そもそも、本作には「仕事だから」と割り切って悪へ加担するプロたちが大勢出てくる。金払いの良い相手なら誰のもとでも働く傭兵オーツに、ソモサ政権のスパイ活動を一手に担うフランス人実業家マルセル、ソモサ政権の対外的なイメージ向上に奔走するアメリカ人の広報官キトル(リチャード・メイジャー)などなど。そのキトルは「ソモサ大統領にだって言い分はある」と独裁者を擁護し、マルセルも「誰が正しいのか分かるのは20年後だ」と嘯く。まるで正義の概念など立場によって変わるとでも言わんばかりに。しかし、果たして本当にそうなのだろうか?世の中には普遍的な正義というものが確かに存在し、それを我々は「良心」と呼ぶのではないか。そして、それこそ野心家の親友アレックスには不似合いな現場主義の女性記者クレアと似た者同士のラッセルが結ばれたように、職業倫理などという建前に縛られることなく、己の「心の声」に従って行動することも、時として報道記者にとって必要なのではないかと問いかける。 映画のリアリズムを支えたキャスト陣の存在 さらに、本作では撮影監督ジョン・オルコットのカメラがドキュメンタリーさながらのリアリズムを醸し出す。オルコットといえば、『2001年宇宙の旅』(’68)から『シャイニング』(’80)までのスタンリー・キューブリック作品を手掛け、『バリー・リンドン』(’75)でオスカーに輝いた伝説的な名カメラマン。本作でも『バリー・リンドン』さながらの自然光を活かした撮影に徹しており、実際にスポティスウッド監督はジッロ・ポンテコルヴォやコスタ=ガヴラスの影響を受けたそうだが、それこそヨーロッパの左翼系インテリ映像作家による社会派映画のような風情すら漂わせている。実に骨太な作品だと言えよう。 もちろん、役者の顔ぶれも素晴らしい。ベトナム戦争の従軍記者を演じた『ドッグ・ソルジャー』(’78)を見て、ラッセル役には彼しかいない!と初めからニック・ノルティ一択だったというスポティスウッド監督だが、しかし当時のノルティは超の付く売れっ子。そのうえマイペースな人だったそうで、自宅に山ほど届く出演オファーの脚本も土日しか目を通さないため、大半が読まれることなく埋もれていたらしい。そこで、スポティスウッド監督は本作の脚本を50部もコピーし、ノルティの親友ビル・クロスに頼んで彼の自宅に置いてもらったという。当時は家じゅうのあちこちに未読脚本の山があったそうで、そのどこに手を出しても本作の脚本が最初に来るよう配置したのだそうだ(笑)。おかげで、週明けにはノルティから出演を熱望する連絡があり、アレックス役のジーン・ハックマンもオファーを快諾したという。 しかし、本作におけるキャスティングの要は、やはりクレア役のジョアナ・キャシディであろう。『ブレードランナー』(’82)のレプリカント役で脚光を浴びたばかりのキャシディだが、実は当時すでに38歳。そもそも女優デビューした時点で27歳、2人の子供を持つ母親だった彼女は、その人生経験や下積みのおかげもあるのだろう、クレア役に説得力を持たせるに十分な逞しさと生活感を兼ね備えていた。いわゆるハリウッド的な若い美人女優が演じていたら、決してこうはならなかったはずだ。筋金入りのタフガイ、ノルティとの相性も抜群。というか、ノルティと互角に渡り合えるほどタフな女優は、彼女かチューズデイ・ウェルドしか考えられない。 さらに、コスタ=ガヴラスの『Z』(’69)でカンヌ国際映画祭の男優賞に輝いたフランスの名優ジャン=ルイ・トラティニャンが、本作でハリウッド映画デビューを飾っているのも要注目。ニック・ノルティはトラティニャンが何者なのか知らなかったらしく、あまりの演技の巧さに現場でビックリして、「ジーン・ハックマンを相手にするだけでも大変なのに、あんな凄い奴まで連れてきやがって!」と監督に文句を言ったそうだ。なお、トラティニャンのハリウッド映画出演は、結果的にこれが最初で最後となった。 なお、映画でも描かれるようにソモサ大統領の国外逃亡によって独裁政権は崩壊し、富の再分配や貧困の解消を掲げる革命政府が樹立したニカラグア。アメリカのカーター政権もその存在を容認したわけだが、しかしレーガン大統領になって状況は一変。アメリカに好都合な傀儡政権の樹立を目指したレーガン政権は、ニカラグアの革命政府を倒すためにCIAや統一教会を使って親米反革命勢力「コントラ」を支援。ニカラグアの内戦は再び泥沼化していくことになる。■ 『アンダー・ファイア』© 1983 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.08.14
“戦争映画”の歴史を塗り替えた!巨匠イーストウッドの“日本映画”。『硫黄島からの手紙』
2000年代中盤、70代半ばとなったクリント・イーストウッドの監督としてのキャリアは、まさにピークを迎えていた。『ミスティック・リバー』(03)は、アカデミー賞6部門にノミネート。ショーン・ペンに主演男優賞、ティム・ロビンスに助演男優賞のオスカーをもたらした。翌年の『ミリオンダラー・ベイビー』(04)では、ヒラリー・スワンクに主演女優賞、モーガン・フリーマンに助演男優賞が渡っただけではなく、イーストウッド自身に、『許されざる者』(1992)以来となる、それぞれ2度目の作品賞と監督賞が贈呈された。 もはや彼を、「巨匠」と呼ぶのに、躊躇する者は居なかった。次は何を撮るのか?常に注目される存在となっていた。『ミリオンダラー・ベイビー』に続いて選んだ監督作品は、硫黄島を舞台にした"戦争映画”。小笠原諸島の一部であり、東京とサイパンのちょうど間に位置するこの島では、太平洋戦争末期に激しい戦闘が行われ、日米双方に多大な犠牲者が出ている。戦死者は両軍合わせて、2万7,000人近くに及ぶという。 ノンフィクション小説(邦訳「硫黄島の星条旗」)をベースにした、『父親たちの星条旗』(06)。この企画を彼に持ち掛けたのは、スティーブン・スピルバーグだった。 イーストウッドは、『ミリオンダラー・ベイビー』の脚本家ポール・ハギスに、再び仕事を依頼。ハギスはイーストウッドとミーティングを重ねて、脚本を完成させた。 この作品の主人公は、硫黄島の戦いに参加して英雄となりながらも、その後戦争について語らなかった元米兵。彼が死の床に就いた時、その息子は関係者に話を聞いて初めて、父親の秘めたる真実を知る…。 イーストウッドは若き日、ユニバーサル・スタジオで、オーディ・マーフィーと出会った。マーフィーは第2次大戦の英雄であり、終戦後にハリウッドでスターとなった男で、彼の自伝的映画である『地獄の戦線』(55)という大ヒット作もあった。 しかし彼は、戦争のことを語りたがらなかった。彼がPTSDに苦しんでいたことを、イーストウッドは後に知る。 戦争で死に直面するような経験をした者は、多くを語らない。遠方で差配しているような者に限って、見てきたような勇ましい戦話をするのである。 戦争に英雄などいない。正しい戦争などなく、無意味な「人殺し」しかない。これがイーストウッドの、“戦争観”である。 しかしそれと同時に、死んだ兵士には、敵味方を問わず最大限の敬意が払われるべきなのだ。イーストウッドは言う。「私が観て育ったほとんどの戦争映画では、どちらかが正義で、どちらかが悪だった。人生とはそんなものではないし、戦争もそんなものではない」 そんなイーストウッドだからこそ、米兵を主人公にした『父親たちの星条旗』の製作準備中に、ある疑問に行き当たる。米軍と戦った日本兵たちは、一体どんな状況だったのか? リサーチを続ける中で、イーストウッドの興味を強く惹く、日本の軍人が現れた。硫黄島の戦いで、常識にとらわれない傑出した作戦を打ち出した最高指揮官。その名は、栗林忠道。 1944年5月に硫黄島に着任した栗林中将は、長年の場当たり的な作戦を変更。米軍の攻撃に対抗するため、島中にトンネルを掘り、地下要塞を作り上げる。5,000もの洞穴、トーチカを蜂の巣のように張り巡らせ、日本兵がそこから、米兵を狙えるようにした。 また彼は、日本軍の悪弊である、部下に対する理不尽な体罰を戒め、玉砕を許さなかった。最後の最後まで生き抜いて、1日でも長くこの島を守り抜こうとした。 米軍が欲したのは、この島の飛行場。ここが敵の手に落ちたら、B29の中継基地となって、日本本土への大規模な爆撃が可能となってしまう。栗林は、一般市民が大量に犠牲になるのを、避けるか遅らせるかしたかったと言われる。 アメリカ軍は1945年2月16日に、硫黄島への攻撃を開始。19日から上陸。23日までには、島全体を制圧できると考えていた。しかし実際は栗林の智略の前に、その後も約1ヶ月間、合わせて36日間も戦闘が続いた。 調べれば調べるほど、イーストウッドは栗林への関心が高まっていった。戦前には、アメリカに留学。ハーバード大で英語を学び、その後カナダにも、駐在武官として滞在している。その時代にできた友人も多く、アメリカとの戦争にも反対していた。これが軍の一部から、アメリカ贔屓と見られ、疎まれる結果になったとも言われる。 イーストウッドは、彼が戦地から妻と息子、娘に宛てた手紙にも心を打たれた。住まいの台所のすきま風を心配したり、硫黄島で育てているひよこの成長を、幼い娘に書き送ったり…。 また栗林が率いた若い兵士たちが、「アメリカ兵と実によく似ていた」ことにも、胸を掴まれた。「あれから何十年も経った今、どちらが勝ったとか負けたとかいうことに関係なく、わたしは日本の人々に彼らの生き様を認めてもらうことが必要だと考えた。正しいかどうかは別として、祖国のために彼らが払った犠牲に目を向けてもらいたかったー実際、彼らは犠牲者だったのだから」 そしてイーストウッドは、前代未聞のプロジェクトに挑む決断をする。硫黄島の戦闘をアメリカ側の視点から描く『父親たちの星条旗』だけでなく、日本側の視点から描いた作品も、同時に製作する。 この戦争映画の歴史に残る、画期的なチャレンジ。当初は日本人監督の起用も考えたというが、イーストウッドは『父親たちの星条旗』に続けて、自らメガフォンを取ることを決めた。 脚本はポール・ハギスの推薦で、日系アメリカ人二世の、アイリス・ヤマシタの起用となった。 戦場に於いて米兵だったら、生きて帰れる可能性に賭ける。一方日本兵は、死を覚悟して戦う。アメリカ人のイーストウッドにとっては凡そ理解し難い、この日本兵のメンタリティーに迫るため、彼は様々な勉強を重ねたという。 本作『硫黄島からの手紙』(06)は、『父親たちの星条旗』の撮影終了後、すぐにクランクイン。内容的には、栗林をはじめ主要な登場人物の過去の回想シーンなど織り交ぜながらも、硫黄島での日本軍の戦闘準備から、米軍上陸、激戦、終結までを描く。 主役の栗林を演じたのは、渡辺謙。ハリウッドデビュー作の『ラスト サムライ』(03)でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、『バットマン ビギンズ』(05)『SAYURI』(05)と、大作への出演が続いていた。憧れの人イーストウッドの『父親たちの星条旗』製作の報を耳にして、1シーンでもいいから出たいと、願ったという。 それと対になる本作の栗林役に決まると、関係資料を読んだり、栗林の孫や甥に会って、彼の遺した書など見せてもらったりなどのリサーチを行った。 栗林が生まれ育った長野県の生家には、取り壊される前日に訪問。その際に墓参りをすると、雪がちらついてきて、渡辺は思った。こんな寒い場所で育った人が、南方の暑い島で死を賭して戦うとは、さぞ辛かったであろうと。 本作で渡辺は、“主役”である以上の働きを見せた。英語で書かれた脚本を、日本語の表現に換えていく作業を手伝ったのをはじめ、日本側で発見した栗林のエピソードや記録も付け加えてもらった。また若き日本兵を演じた、加瀬亮と二宮和也の役が、当初書かれていた年齢から逆転していたので、2人の関係や生まれた土地のことなども考慮して、微妙なニュアンスのリライトを行った。 危惧されたのは、全編日本語での撮影であること。しかしイーストウッドは、意に介さなかった。 彼の俳優としての出世作である、セルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウエスタンでの経験が、大きかった。主にスペインでの撮影で、キャストやスタッフが全く異なる言語を話す状況の中、イタリア人のレオーネは当時、英語などろくに話せない状態だった。それにも拘わらず、主演のイーストウッドと二人三脚で、『荒野の用心棒』をはじめとした傑作群をものしているのだ。「いい演技というものは、言葉に関係なくいい演技として伝わるもの…」。セリフの間違いなどテクニカルなことは、通訳を通じて修正すれば良い。その上で、日本人俳優の目や顔など感情表現の小さな違いが、イーストウッドにとっては、「新鮮な発見」だったという。 二宮和也は、台本に書いてないことを急にやりたくなった時に、「そういうことをやっていいの?」と、イーストウッドに尋ねた。それに対する彼の答は、「いいんだよ」。イーストウッド本人が、俳優として「台本に書いてないこと、自分のアイデアを提案することが好き」だったためだ。役作りに関しては、自由に膨らませていいと、出演者たちに伝えた。 栗林と同じく、実在の人物だったバロン西を演じたのは、伊原剛志。西は、1932年のロサンゼルス五輪馬術競技の金メダリストで、ロスの名誉市民章も貰っている国際人だった。撮影前に西の息子に会って話を聞くなどした伊原は、俳優の自主性を重んじるイーストウッドの演出について、「彼の中の大きな枠、方向性があって、そこを間違うと修正されるというような感じ…」と、語っている。 伊原は、軍隊についての資料やビデオ、例えば敬礼の仕方などを収録したDVDなどを集めて、撮影地へと持ち込んだ。これが多くの“日本兵”たちの役に立った。 憲兵失格で戦地に送られた兵士を演じた加瀬亮は、オーディションに受かってから撮影までの時間がなかった。そのため、軍事訓練どころか、敬礼の仕方もわからないままの現地入りだった。伊原のDVDの存在を知った彼は、二宮らと伊原の部屋へと押しかけて、即席で勉強したという。 渡辺は文献や映像から、栗林を実践的な人と判断。硫黄島も自分の足で調査したのだろうと考えて、当初はブーツしか用意されていなかったのを、衣裳として地下足袋やゲートルを提案。日本から取り寄せてもらった。 イーストウッドに対して、“父親”を感じたという渡辺は、ある時にはっと閃いた。「(自分の)この役は、クリント自身なんだな」。それからは、イーストウッドとスタッフとのやり取りなどを、つぶさに観察。語り方や目線、立ち居振る舞いを参考にして、栗林を演じたという。 演出は本能的に行うという、イーストウッド。俳優たちが己の役を、過剰に考えたり分析しすぎたりして、あまりにも細かい要素を入れようとすると、本質を見失ってしまうと、考えている。そのために撮影も、最初のテイクこそ最良のものが出るという思想で、テストもほとんどしない。その結果として、「早撮り」になる。 下士官の1人を演じた中村獅童曰く、「「リハーサルだろうな」と思っていたら、「OK」と突然言われて、撮っていたことに気付くこともあった」 戦闘シーンなど本作の撮影の大部分は、経費や安全面から、アイスランドの火山島でロケーション。日本政府などの許可を得て行われた硫黄島ロケは、メインキャストでは1人だけ、渡辺謙が参加した。 栗林が海岸を調査するシーンや、山に登って、島全体を見渡すシーンなどが撮影されたが、この地で見聞したものは、渡辺の想像を超えていたという。 地下壕や司令部が在った場所で、その狭さや息苦しさ、暑さを実感し、僅かな食糧や水で何日も過ごすことなど、考えるだけで体が震えてきた。先にこの体験をしていたら、「…怖ろしさで演じられなかったかも…」と、渡辺は語っている。 単に日程的な問題だったのかも、知れない。しかし「役を作り込ませ過ぎない」イーストウッドの演出法から考えて、ひょっとすると硫黄島での撮影が後回しだったのも、その辺りの配慮があったのかもなどと、想像が働く。『硫黄島からの手紙』は、2006年12月に日米で公開。日本では興収50億円を超える大ヒットとなった。アメリカでは、興行的には成功したと言い難い結果となったが、評価は高く、アカデミー賞では作品賞を含む4部門にノミネート。その内、音響編集賞を受賞した。 巨匠クリント・イーストウッドによる、“日本映画”とも言える本作。製作から17年経った今日でも、“戦争映画”の歴史に於いて、エポックメーキングとして語り継がれる。■
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COLUMN/コラム2023.08.09
『北京原人の逆襲』私史 ―怪獣映画少年はいかに本作を愛したのか―
◆香港を破壊する巨大猿人のファーストインパクト 天突くほどの巨大な古代猿人が、香港の街を破壊するモンスターパニック映画『北京原人の逆襲』(監督/ホー・メンホア)は、『道』(1954)『天地創造』(1966)のディノ・デ・ラウレンティス製作、『タワーリング・インフェルノ』(1974)のジョン・ギラーミン監督によるリメイク版『キングコング』(1976)の製作に触発されて始動した企画だ。3000万ドルという、当時としては巨額のバジェットを誇る前者に対し、わずか50万ドル(600万香港ドル)という低予算で対抗したにもかかわらず、本家よりもはるかに面白い作品となった。 この「『キングコング』以上に面白かった」というのは、本作を語るうえでテンプレのごとくついてまわる常套句だが、決して盛ったものではなく、日本公開時に小学生だった筆者(尾崎)がオンタイムでそれを実感している。なにしろ開巻からいきなり巨大猿人“北京マン”(吹替版本編での呼称に準拠。以下同)が登場し、村を容赦なく蹂躙するのを見せられては、始まって30分経たないと全体像を見せないキングコングの分が悪くなるのも当然だ。加えて本作のヒロイン、野生美女サマンサ(イヴリン・クラフト)の気持ち程度のアニマル革をまとった半裸姿も、思春期前の少年には相当に刺激が強いものだった。 そしてなにより、半端でないスケールのミニチュアと着ぐるみを駆使した同作の特殊効果が、驚くほど日本人である自身のDNAに馴染むものだったのだ。 それもそのはずで、本作の特技撮影は『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967)の特技監督として知られる有川貞昌を筆頭に、東宝の優れた特撮スタッフが製作元のショウ・ブラザースに招聘されて担当しているからだ。 当時の東宝怪獣映画は、円谷英二の死去にともなう1969年の特殊技術課の廃止以降、ゴジラシリーズを子ども向けの低予算映画としてシフトチェンジさせ、残存スタッフでその命脈を保ってきた。それも1975年の『メカゴジラの逆襲』で休眠期に入り、本格的な怪獣映画の製作は1984年の『ゴジラ』まで潰えてしまう。 その間『日本沈没』(1973)や『ノストラダムスの大予言』(1974)などのパニック映画は折に触れて製作されていたし、私的にはまだ見ぬ『スター・ウォーズ』(1977)の公開に胸躍らせて飢餓感はなかったが(同作の日本公開は1978年7月1日)、それでも怪獣映画こそ心の花形だった少年は、なんともいえない心の空洞を感じていたのだ。 そんな状況下で、東宝のサウンドステージの数倍はあろうかというショウ・ブラザースのスタジオに、香港の街をミニチュアで精密に再現し、巨大なクリーチャーを大暴れさせた同作は、黄金期の東宝怪獣映画を彷彿とさせるものだったのである。 ◆東宝特撮映画の道筋を変えたかもしれない存在 ショウ・ブラザーズ(邵氏兄弟有限公司)は1950年代後半から〜1970年代末まで香港映画の黄金時代を牽引した映画会社で、技術的な発展を視野に入れた同スタジオは、日本の撮影スタッフを積極的に招き入れていた。『北京原人の逆襲』は同社にとって初の本格怪獣映画として、日本の優れた特撮スタッフが持つノウハウを希求したのだ。 後年、筆者はこの映画の特撮班に助監督としてたずさわった川北紘一氏と、インタビュー取材やトークショーの相手役として何度かお仕事をご一緒させていただき、この『北京原人の逆襲』について話を聞いたことがある。そのとき川北監督は、「当時は映画の仕事がなかったからさ、ついていくしかなかったんだよ」とニコニコ笑いながら参加の動機を答えていたが、事実、それは先に記した東宝特撮映画の動向に裏付けられるだろう。ただこの仕事を境に川北は『さよならジュピター』(1984)の企画にほどなく関与し、また東宝の田中友幸プロデューサーが主導してきた「ゴジラ復活委員会」に尽力し、後に平成ゴジラシリーズの特撮監督を担っていく。こうした怪獣映画ルネッサンスの布石として、『北京原人の逆襲』の影響力は小さくないものと筆者は捉えている。いささか極論かもしれないが、1976年のあの段階で川北の香港渡航がなければ、以後の東宝特撮映画の流れはもう少し違ったものになっていたかもしれない。 しかしこうして力説するほどに『北京原人の逆襲』が重要視されているかというと、当方の熱量とはいささかの温度差がある。 『キングコング』の対抗馬として世に出ながら、本作は撮影スケジュールの遅れから本家より半年後の公開となった。そのもくろみ外れは興行に影響し、初公開後の1週間でわずか120万香港ドルの興行収入しか得られなかった。そして限定的なインターナショナル公開の後、1979年にはアメリカでは『GOLIATHON』と改題され、短縮バージョンで短い期間に配給され、知られざるまま消えてしまったのだ。 それから20年後の1999年、『パルプ・フィクション』(1994)『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(2019)の監督クエンティン・タランティーノが、当時パートナー関係にあった映画会社ミラマックスをスポンサーにして立ち上げたレーベル「ローリング・サンダー・ピクチャーズ」とカウボーイ・ブッキング・インターナショナルの共同によってオリジナル版が再公開され、全米20か所で深夜上映された。 不遇にあったこの傑作が 晴々しい復権を得た瞬間である。 ◆出藍の誉、ここに極まれり それにしてもなぜ『北京原人の逆襲』に、自分はここまで惹かれるのだろう? 映画の出自が出自だけに、当然ストーリーは『キングコング』の鋳型に収めたような定型的なものだ。興行師が金儲けのために未踏の地で発見した巨大猿人を捕獲し、その存在を見せものにした興行を打とうとする。だが猿人は制御を失い、大都市に放たれて大暴れをする。彼が唯一心を通わせるヒロインの存在といい、どこまでも“美女と野獣”の寓話に忠実である。クライマックスで猿人が、自国を象徴する高層建築によじ登っていくところまで、折目正しく踏襲している。 しかし、こうした類似性に観る側も自覚的であれば「では違う部分はどこなのか?」と比較し、能動的に作品と接していくことになる。だから余計に『北京原人の逆襲』の良点が鮮やかに映るのだ。 また同作の公開時、仮想敵だった『キングコング』はすでに公開から1年が経過しており、比較対象として俎上にさえ上がらなかったことや、このギラーミン版はむしろ、1933年製作のオリジナル版『キング・コング』との比較にさらされ、作品自体の評価がネガティブに固定してしまった。それが『北京原人』の高評価の底上げになったといえなくもない。 また当時はそこまで思慮深く意識していなかったが、本家『キングコング』に先駆けて公開してやろうという『北京原人の逆襲』の哲学は、東宝が『スター・ウォーズ』公開までの間に『惑星大戦争』(1977)を製作したのと似たものを覚えてしまう。そんな同作のエクスプロイテーションを標榜する姿勢に、肌感覚で同じようなテイストを感じたのだろう。 そして日本を代表するベテラン造形師・村瀬継蔵が創造した北京マンのままならぬ容姿も、「猿人系モンスターはブサイクである」という東宝怪獣の屈折した美学にのっとっており、そこもまた同作に肩入れする要素だったといえる。 これらが複合的に撚り合わさり、『北京原人の逆襲』は当時の少年の心をグッと捉えたというのが、オンタイムで同作を観た者の剥き身の体験談である。映画史には残らないかもしれない、しかしこの映画の存在は、怪獣映画ジャンキーだった筆者の私史にしっかりと刻みつけられている。■ 『北京原人の逆襲』© 2004 CELESTIAL PICTURES LTD. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.08.01
ディレクターズ・カット版で味わいに深みを増した’80年代青春映画の金字塔『アウトサイダー』
アメリカの光と影を映し出す、貧しい若者たちの群像劇 巨匠フランシス・フォード・コッポラが監督を手掛け、アメリカはもとより日本でも爆発的な大ヒットを記録した、’80年代を象徴する青春映画の金字塔『アウトサイダー』(’83)。いつまでも若かりし頃の輝きを失わないで…と歌う、スティーヴィー・ワンダーの主題歌「ステイ・ゴールド」の美しくも抒情的なメロディと共に記憶している映画ファンも多いことだろう。 ‘80年代のハリウッドといえば青春映画の全盛期。『初体験リッジモント・ハイ』(’82)や『プライベート・スクール』(’83)のようなセックス・コメディから、ジョン・ヒューズ監督の『すてきな片想い』(’84)や『ブレックファスト・クラブ』(’85)のようにお洒落な学園ドラマ、さらには『セント・エルモス・ファイアー』(’85)に『プリティ・イン・ピンク』(’86)に『ダーティ・ダンシング』(’87)に『ヘザース/ベロニカの熱い日』(’88)にと、等身大の若者たちを鮮やかに描いた青春映画が次から次へと大ヒットし、ブラット・パック(悪ガキ集団)と呼ばれる若手の青春映画スターたちがハリウッドのニュー・セレブとして持て囃された時代だ。そのブラット・パック第一世代(マット・ディロンやC・トーマス・ハウエル、ラルフ・マッチオ、トム・クルーズなど)の俳優たちがズラリ勢ぞろいした本作は、さしずめ’80年代青春映画ブームの原点にして頂点と呼べるかもしれない。 原作はデビュー当時まだ18歳だった女性作家S・E・ヒントンが高校在学中に執筆し、処女作として’67年に発表してベストセラーとなった同名のヤングアダルト小説。ヒントン自身が生まれ育ったオクラホマ州の町タルサを舞台に、行き場のない怒りや不満や哀しみをぶつけるかのごとく、喧嘩ばかりに明け暮れる貧しい若者たちの青春群像が描かれる。まずはそのストーリーから振り返ってみよう。 時は’60年代半ば。主人公はリーダー格のクールなタフガイ、ダラス(マット・ディロン)を筆頭に、両親を交通事故で亡くした14歳の最年少ポニーボーイ(C・トーマス・ハウエル)、その兄貴のダレル(パトリック・スウェイジ)とソーダポップ(ロブ・ロウ)、親からの虐待に苦しむジョニー(ラルフ・マッチオ)、ひょうきんで明るいツー・ビット(エミリオ・エステベス)に筋肉バカのお調子者スティーヴ(トム・クルーズ)など、「グリース」と呼ばれる貧困層の不良少年グループだ。肩で風を切るようにしてイキがっている彼らだが、しかしその素顔はごくごく平凡な普通の若者たち。中でも、物語の語り部であるポニーボーイは映画と本をこよなく愛する芸術家肌の秀才で、その親友ジョニーも争いごとを嫌う繊細で心優しい少年だ。しかし、たまたま運悪くスラム地区の貧困層に生まれ育ってしまった彼らは、普段からタフを装わなくては弱肉強食の世界を生き抜くことが出来ないのである。 そんな「グリース」の面々にとって最大のライバルは、山手の高級住宅地を根城にする富裕層の不良グループ「ソッシュ」。普段から小競り合いの絶えない「グリース」と「ソッシュ」だが、ある晩ドライブイン・シアターでポニーボーイたちが「ソッシュ」の美少女チェリー(ダイアン・レイン)と親しくなったことから、これに嫉妬した「ソッシュ」のリーダー格ボブ(レイフ・ギャレット)が仲間を引き連れてポニーボーイとジョニーを襲撃。目の前でリンチされるポニーボーイを助けようとしたジョニーだったが、しかし無我夢中だったために勢い余ってボブをナイフで刺し殺してしまう。恐れをなして一目散に逃げだした「ソッシュ」の連中。ボブの死体と共に取り残されて途方に暮れるポニーボーイとジョニー。2人はダラスの助言で遠く離れた古い教会の廃墟へ身を隠し、熱(ほとぼり)がさめるのを待つことにするのだが、そんな彼らを皮肉な運命が待ち受ける…。 巨匠コッポラを突き動かした原作ファンのティーンたち 『風と共に去りぬ』(’39)のキッズ版をコンセプトにしたというコッポラ監督。なるほど、確かに夕焼けの空を背景にしたオープニングのタイトル・シークエンスをはじめ、明らかに『風と共に去りぬ』からインスパイアされたと思しきシーンは少なくない。さらに言えば、愛情に飢えた不良少年たちを巡る切なくもほろ苦い青春ストーリーは、まるでジェームズ・ディーンの『理由なき反抗』(’55)や『エデンの東』(’55)の如し。興行的に大惨敗を喫した前作『ワン・フロム・ザ・ハート』(’82)でも垣間見せた、ハリウッド黄金期のスタジオ映画に対するコッポラ監督の愛情と憧憬が滲み出ている映画と言えるだろう。 それにしても、『ゴッドファーザー』(’72)シリーズでマフィアの熾烈な権力争いを描き、『地獄の黙示録』(’79)では戦場の地獄と狂気をスクリーンにぶちまけたフランシス・フォード・コッポラが、一転してなぜ、これほどまでに瑞々しい正統派の青春メロドラマを世に送り出したのか。その経緯がまたちょっと興味深い。 そもそもの始まりは、’80年の春にコッポラのもとへ届いた一通の手紙。それは、カリフォルニア州フレズノ市のローン・スター小学校に勤める図書館司書ジョー・エレン・ミサキアンが、8年生の生徒たちに代わって代筆したもの。封筒にはS・E・ヒントンの小説「アウトサイダー」が同梱され、手紙には「これを貴方に映画化して欲しい」との旨がしたためられていた。どうやら、原作の熱心なファンで映画化を望んでいた8年生の生徒たちは、『ゴッドファーザー』の映画化に成功したコッポラであれば適任だろうと考えたようだ。手紙には生徒たちの署名まで添えられていたらしい。そこで、当時はS・E・ヒントンの名前すら知らなかったコッポラ監督だが、子供たちの熱意に心を動かされて原作本を読み、さらにオクラホマ州タルサにも足を運んで作者ヒントンと親しくなり、最終的に映画化へ踏み切ることにしたのである。要するに、きっかけは原作ファンからのご指名ラブコールだったのだ。 また、先述したようにブラット・パックと呼ばれる新世代の若手スターを数多く輩出した本作だが、配役選考の際にコッポラ監督が採用したユニークな形式のオーディションも今や語り草となっている。キャスティング・ディレクターを任されたのは、『ゴッドファーザー』以来の付き合いである盟友フレッド・ルース。なるべく手垢の付いていない無名俳優を中心に、ルースは数十名の候補者を全米各地から探し出してきたという。その中には、最終的に合格したメイン・キャスト陣はもちろんのこと、次作『ランブルフィッシュ』(’83)で起用されるミッキー・ロークやヴィンセント・スパーノをはじめ、デニス・クエイドにスコット・ベイオ、アンソニー・マイケル・ホール、アダム・ボールドウィン、ヘレン・スレイターにキャサリン・メアリー・スチュワート、ケイト・キャプショーなどなど、後に映画界で名を成す有望な新人が多数含まれていた。 若手俳優たちを戸惑わせた前代未聞のオーディションとは? で、そんな才能あふれる候補者たちをコッポラ監督がどうしたかというと、まずはオーディション会場に全員集めて複数のグループに分け、その場で指定したシーンを交代で演じさせたという。通常、オーディションというのは審査員を前に個別で行うものなので、この前代未聞のグループ・オーディションには多くの参加者が戸惑った。なにしろ、審査員だけでなく他の参加者も見ている前で芝居をしなくてはならない。駆け出しの若手俳優にとっては相当なプレッシャーだったはずだ。しかも、コッポラは各人の適性や相性をチェックするため、あえて全員に複数の役柄を演じさせた。実際、トム・クルーズがダラス役を、エミリオ・エステベスがソーダポップ役を演じたオーディション映像も残っている。最初からジョニー役を希望していたというラルフ・マッチオは、ポニーボーイやツー・ビットのセリフ読みをさせられるたび、「このままだとジョニー役は貰えないかもしれない」と不安になったそうだ。 こうした実験的なプロセスを経て選ばれたのが、本作を機にスターダムを駆け上がったブラット・パック第一世代の面々。ただし、ダラス役のマット・ディロンはすでにティーン・スターとして頭角を現しており、中でも特に日本では『リトル・ダーリング』(’80)や『マイ・ボディガード』(’80)のヒットで絶大な人気を誇っていた。筆者はこれまでに2回ほどマット・ディロンに単独インタビューをしているが、若い女性ファンから追いかけられるような経験をしたのは日本だけだと語っていたのが印象的。当時はアメリカ本国よりも日本での人気の方が高かったのだ。 それはともかく、コッポラ監督がオーディションで最初に手応えを感じたのもマット・ディロンだったという。なにしろ、本人は高校の授業をさぼってまでS・E・ヒントンの小説を貪り読むほどの熱烈なファン。役柄だけでなく作品の世界も誰より理解していた。しかも、当時はヒントンの小説を映画化した『テックス』(’82)に主演したばかり。その過程で原作者ヒントンとも大親友になっていた。もはや、『アウトサイダー』に出ることは彼の宿命みたいなものだったと言えよう。実際、かなり早い段階でコッポラは彼をダラス役に決めたらしいのだが、しかし監督から「もう帰っていいよ」と言われたディロンは、オーディションに落ちたものと勘違いしてムチャクチャ凹んだそうだ。 当時すでにスターだったといえば、ヒロインのチェリー役を演じているダイアン・レインも同様。なんたって、13歳の時に主演した映画デビュー作『リトル・ロマンス』(’79)で天下の名優ローレンス・オリヴィエと渡り合い、マスコミから「第二のグレース・ケリー」とまで呼ばれた逸材である。また、富裕層グループ「ソッシュ」のリーダー、ボブ役のレイフ・ギャレットも、当時すでに全盛期を過ぎて落ち目だったとはいえ、’70年代に全米で絶大な人気を誇ったスーパー・ティーンアイドル。歌手としてもシングル「ダンスに夢中」が全米チャート・トップ10に入り、日本のお菓子メーカーのTVCMにも起用された。田原俊彦のデビュー曲「哀愁でいと」も、実はレイフ・ギャレットのカバー曲である。 ちなみに、本作は若手俳優のオーディションだけでなく演技指導もかなり実験的。まずメイン・キャストは撮影開始の3~4週間前にロケ地のタルサへ入り、本番さながらのリハーサルを行い、その様子を全てビデオ撮影&デジタル編集していたという。そうすることによって、撮影本番へ入る頃には役柄と同じような信頼関係がキャストの間にも生まれたのだとか。さらに、コッポラ監督は「グリース」役の俳優たちをホテルの安い部屋へ泊らせ、反対に「ソッシュ」役の俳優たちは高い部屋に泊まらせる、「グリース」役の役者たちの台本はプラスチック製のバインダーで、「ソッシュ」役の役者たちには革製のバインダーを与えるなど、両者の扱いに差をつけることで互いへのライバル意識を芽生えさせたのだそうだ。まあ、このやり方には恐らく賛否あることだろう。実際、撮影現場の外でも喧嘩沙汰が起きたらしいので、少なからず問題のある演技指導だったのではないかとも思う。 「ディレクターズ・カット版」の見どころもチェック こうして出来上がった映画『アウトサイダー』は、世界中のティーンエージャーたちの共感を集めて大ヒットを飛ばし、『ワン・フロム・ザ・ハート』の大失敗で危機に陥ったコッポラのキャリアを救ったわけだが、その一方で原作ファンにとって大事なシーンが幾つも抜けていることから、監督のもとには「もっと原作に忠実であった方が良かった」との不満を示すファン・レターが長年に渡って多く届いていたらしい。そう言われると、筆者も初見時はノスタルジックな映像の美しさや旬な若手俳優たちの魅力に心酔しつつ、どことなくストーリーに物足りなさを感じていたことは否めない。それゆえ、同じくコッポラがヒントンの小説を忠実に映画化した次回作『ランブルフィッシュ』の方が、作品の出来栄えに軍配が上がると考えていたのだが、どうやらコッポラ監督自身も劇場公開版には不満があったらしい。 というのも、もともと本作は原作小説に出来る限り忠実な内容で、上映時間も当初は2時間近くあったのだが、これを長すぎると感じた配給元ワーナーの指示によって91分に短縮させられていたのだ。そこで劇場公開から23年後の’05年、コッポラ監督は削除シーンを再編集で復元した「ディレクターズ・カット版」を初めて発表。これが劇場公開版を遥かに凌駕するほど素晴らしい出来栄えだった。 まずはメインキャラクターやストーリーの設定背景を詳しく掘り下げた導入部分が復活。おかげで、劇場公開版ではなんとなく浅く感じられた彼らの友情と絆の描写に、圧倒的な深みと説得力が加わっている。これは恐らく誰の目にも明らかであろう。さらに、ポニーボーイとソーダポップ、ダレルのカーティス3兄弟に関するシーンも大幅に復活し、どれだけの困難に見舞われようともお互いに助け合う兄弟愛の美しさと尊さが描かれる。中でも、ポニーボーイとソーダポップが同じベッドでお互いを抱きしめながら、人生の様々なことについて本音で語り合うシーンは素直に感動的だ。そういえば、ポニーボーイは親友ジョニーともよくハグしていたっけ。ゲイではないストレートの男同士だって抱きしめ合うことは恥ずかしいことじゃないし、辛いときにお互いを慰めたっていい。もちろん、男が弱音を吐いたって泣いたって構わないし、男だからって強くなくてはいけないわけじゃない。そもそも、男同士がいちいちマウントを取って強さを競ったりするの、ホントに無益で下らないからやめようよ。そんな「有害な男らしさ」からの脱却を、今から40年も前にハッキリと描いていたことは本作の先見の明であろう。 さらに、劇場公開版では『風と共に去りぬ』のキッズ版というコンセプトのもと、コッポラ監督の実父カーマインが甘美で壮麗な音楽スコアを作曲したのだが、これがまたあまりにもメロドラマ的過ぎた。そのため、「ディレクターズ・カット版」ではオリジナル・スコアを大幅にカットし、代わりにビートルズ上陸以前のアメリカのティーンたちに愛されたエルヴィス・プレスリーやカール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイスなどのヒットソングをたっぷりとフィーチャー。そこへ、当時のロックンロールやR&Bをベースにしたマイケル・セイファートとデイヴ・パドラットのクールな音楽スコアを新たに追加することで、映画そのものがリアルな時代性をまとい、作品全体の印象も引き締まったように感じられる。 しばしば商業的な理由を最重要視して編集された「劇場公開版」に対して、監督自身が本来ならこうあるべきと考える理想形を追求した「ディレクターズ・カット版」は、それゆえ自己満足に陥りがちだったりもするのだが、少なくとも本作の場合はセルジオ・レオーネ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(’84)と同じくオリジナルの完成度を確実に上回っている。初公開時に映画館で見て夢中になったという人はもちろんのこと、実は周りの評判ほど感動しなかったという人にもぜひ、この「ディレクターズ・カット版」を見て頂きたいと切に願う。■ 『アウトサイダー【ディレクターズ・カット版】』© 2005 / ZOETROPE CORPORATION - Tous Droits Réservés
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COLUMN/コラム2023.07.27
“生身の戦い”に勝るものなし『レイジング・ファイア』
◆香港アクションの旗手ベニー・チャン最後の作品 正義感に燃えるチョン警部(ドニー・イェン)は、何年も追っていた凶悪犯ウォンによる麻薬取引現場への踏み込み捜査を直前に外され、代わりに向かった捜査員らが何者かによって殺害、麻薬も奪われてしまう。そして容疑者として浮かび上がったのは、チョンに恨みを抱く元警官のンゴウ(ニコラス・ツェー)だった……。 2021年公開の香港・中国合作によるアクション映画『レイジング・ファイア』は、かつては同じ警察組織で正義を全うしようとした二人の男が、善と悪とに立場をたがえ、怒りの拳を交える対立を描いた、身を切るような悲壮さに満ちた復讐劇だ。 本作はもともとメキシコの麻薬カルテルと香港警察との対立を描いたストーリーを映画化する予定で、撮影もおこなったが、製作費が莫大となって企画がペンディング状態に陥った。そんな窮状を見かねたドニー・イェンが監督のベニー・チャンを励まし、映画は軌道修正されて『レイジング・ファイア』として完成をみたのである。 だが残念なことに、ベニー・チャンは映画が公開される前年の8月に上咽頭がんのため亡くなり、作品の興行的成功を見届けることはできなかった。『香港国際警察/NEW POLICE STORY』(2004)を筆頭とするジャッキー・チェンとの一連のアクション作品や、ラリー・コーエン原案の携帯スリラー『セルラー』(2004)のリメイク『コネクテッド』(2008)など、堅実な職人ぶりで幅広い層のファンを得ていただけに、早逝を惜しむ声は多かった。そんなベニーの形見のような作品として、本作は忘れがたい印象を放つものとなったのである。 特に監督と同い年だったドニーの落胆は大きく、「ベニーの死は、人生には多くの悲しみを目撃しないといけないことや、手放さなければならないことがあるのを悟らせる。私は今も彼の笑顔を感じて、自分のもとを去っていったような気がしないんだ」と語っている。テレビドラマ『クンフー・マスター 洪熙官』(1994)や、『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972)のテレビ版リメイク『精武門』(1995)で仕事を共にし、以来、違う道程で同時代を走ってきた仲間への、惜しみない賞賛を含んだ別れのメッセージだ。 ◆善と悪とに袂を分つ、かっての同志 二人の警察官が袂を分かち、戦い合うという設定は、ハリウッド映画では定番ともいえるエモーショナルなものだ。たとえばコンピュータハッカーたちの決別と対立をテーマにした『スニーカーズ』(1992年 監督/フィル・アルデン・ロビンソン)や、秘密任務の犠牲となった部隊が国家に復讐をなそうとする『ザ・ロック』(1996年 監督/マイケル・ベイ)などが、その代表格といえるだろう。最近だと、キャプテン・アメリカとアイアンマンが正義行動の行方をめぐって対立する『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016年 監督/ジョー&アンソニー・ルッソ)が、この条件に合致するものとして記憶に新しい。 このようなテンプレートはアクションを際立たせ、特に顕著なのは映画のクライマックスで展開される、市街地での白昼の銃撃戦だろう。同シークエンスはマイケル・マン監督によるクライムアクション『ヒート』(95)を彷彿とさせるもので、発砲が始まると同時にかの名作を連想した人は少なくないだろう。奇しくも『ヒート』がアル・パチーノとロバート・デ・ニーロという二大俳優の顔合わせで耳目をさらったように、ドニーとニコラスの15年ぶりの共演も、これになぞらえることができる。 ドニー・イェンとニコラス・ツェーの共演は、香港の伝統的アクションコミックを映画化した『かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート』(2006)以来となる。単に同じ作品に出演したというだけならば、二人には2007年公開の『孫文の義士団』(監督/テディ・チャン)があるが、本作では二人が同じフレームに収まり、そして彼にアクション指導をしたという、密接なコラボレーションを果たしているのだ。 そして『レイジング・ファイア』は『ヒート』の反復などではなく、さらにそこから先を大胆に攻め込んでいる。それが最後の、ドニーとニコラスが教会で繰り広げる格闘シーンだ。 片や両手にバタフライナイフ、片やスティックを手にした凶器戦から、ステゴロ(素手喧嘩)のバトルへとなだれ込んでいくこの展開にこそ、本作の価値と独自性を実感することができるのだ。そしてかつての盟友どうしが拳を交える、悲壮なクライマックスを繰り広げていくのである。 ドニーがディレクションしたアクションは、持てる力をすべて振り絞って出したようなハイレベルなもので、谷垣健治を筆頭に、ドニーのスタイルを映画に落とし込むことのできる優秀なスタントコーディネーターが配された。その成果は2022年の香港フィルムアワードの最優秀アクション・コレオグラフィー賞(電影金像奨 最佳動作設計)を受賞したことで明白だろう。 ◆ドニー・イェンを体現する劇中のキャラクター なにより筆者はこの最終バトルに、かって『かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート』のインタビューでドニー・イェンが放った、以下の発言を思い出さずにはおれない。 「このジャンルはワイヤーワークやCGの発達によって、年を追うごとに見せ場の演出がエスカレートしていく。なので、それが常に新鮮であるのはとても難しいんだ。だからこそ、生身の戦いやファイター同士の精神こそが、いつの時代にも新鮮さを保つんだよ」 まさにその言葉を体現するかのような、ドニーとニコラスの一騎打ち。そこにドニー・イェンの役者哲学の実践を見たように感じられてならない。“生身の戦い”に勝る普遍性などあろうか、と——。 なにより、ドニーのアクションに対する真摯で実直な姿勢は、そのまま劇中、聞き取り調査の席で警視監に正義への理念を吐露する、チョン警部にぴったりと重なるのである。 「(警察は)命を懸けて全うする仕事なのか? と若い警官たちは思うだろう。だがいつしか、プライドを持って奮闘することになる。危険を顧みず、犠牲をも恐れない。そして(自分たちがなすべきは)仕事を減らすことではなく、より良い仕事をすることだと考えるのだ」 腐敗した警官組織の中で正しさを維持しようとする主人公の言行は、アクションスターとしてのドニーの哲学に重なっていく。市場の拡大と共に映画のスケールも巨大化したアジア映画において、こうした基本をまっとうするドニー・イェンの姿に、映画においてもっとも重要な不変の魂を感じるのである。 ちなみに本作の最初のバージョンは、ランニングタイムが約3時間におよぶ「ディレクターズ・カット版」が編集で調整され、このバージョンはそれをさらにタイトにまとめたものとなる。カットの影響としては、ニコラス・ツェーの役が本来もっと邪悪な存在だったものが、ややソフトになったとのこと。いつか完全版が公開される日を待ちたい。■ 『レイジング・ファイア』© 2021 Emperor Film Production Company Limited Tencent Pictures Culture Media Company Limited Super Bullet Pictures Limited ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2023.07.26
‘80年代最強のゾンビ・コメディ映画!その見どころと製作舞台裏を徹底解説!『バタリアン』
知られざる『バタリアン』誕生秘話 日本でも大変な話題となった’80年代ゾンビ映画の傑作である。いわゆる「走るゾンビ」の先駆け的な存在。そればかりか、本作の「生ける屍」たちは言葉を喋るうえに知恵だって働く。食料(=人間の脳みそ)をまとめて調達するために罠を仕掛けるなんて芸当も朝飯前だ。これぞまさしくゾンビ界の新人類(?)。『エイリアン』(’79)の脚本で一躍頭角を現し、本作が満を持しての監督デビューとなったダン・オバノンは、ゾンビ映画の巨匠ジョージ・A・ロメロ監督作品との差別化を図ってコメディ路線を採用したのだが、その際にホラー映画として肝心要である「恐怖」にも手を抜かなかったことが成功の秘訣だったと言えよう。シニカルな皮肉を効かせたブラック・ユーモアのセンスも抜群。賑やかで楽しいけれど怖いところはしっかりと怖い。もちろん、血みどろのゴア描写も容赦なし!やはりメリハリって大事ですな。 また、日本では『バタリアン』という邦題をはじめ、劇中に登場するオバンバやらタールマンやらハーゲンタフやらのゾンビ・キャラなど、キャッチーなネーミングを駆使したプロモーション作戦も大いに功を奏したと思う。そこはさすが、『サランドラ』(’77)のジョギリ・ショックに『バーニング』(’81)の絶叫保険など、とりあえず目立ってナンボのハッタリ宣伝で鳴らした配給会社・東宝東和である。そういえば、本作も「バイオSFX方式上映」とか勝手に銘打ってたっけ。なんじゃそりゃですよ(笑)。いずれにせよ、ちょうど当時は『狼男アメリカン』(’81)や『死霊のはらわた』(’81)、『死霊のしたたり』(’85)に『ガバリン』(’86)などなど、シリアスな恐怖とブラックな笑いのハイブリッドはホラー映画界のちょっとしたトレンドだったわけで、その中でも本作は最も成功した作品のひとつだった。 原題は「The Return of the Living Dead」。勘の鋭いホラー映画ファンであれば、このタイトルだけで本作がジョージ・A・ロメロ監督によるゾンビ映画の金字塔『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(’68・以下『NOTLD』と表記)の続編的な作品であることに気付くはずだ。実際、劇中では『NOTLD』の存在がセリフで言及され、その内容が実話であったとされている。つまり、これは間接的な後日譚に当たるのだ。とはいえ、製作陣が公式に「続編」を名乗ったことは一度もない。そもそも、本作には『NOTLD』の「続編」を名乗ることのできない理由があった。その辺の裏事情も含め、まずは『バタリアン』の知られざる生い立ちから振り返ってみよう。 本作の生みの親はジョン・A・ルッソ。そう、『NOTLD』の脚本を共同執筆したロメロの盟友である。『There’s Always Vanilla』(’71・日本未公開)を最後にロメロと袂を分かったルッソは、その直後にラッセル・ストレイナー(『NOTLD』のプロデューサー)やルディ・リッチと共に製作会社ニュー・アメリカン・フィルムズを立ち上げ、独自に『NOTLD』続編の企画を準備し始めたという。なにしろ彼にとっては唯一にして最大の代表作である。しかも、共同脚本家として著作権はロメロとルッソの双方が所有。なので、続編を作る権利はルッソにもあったのだ。しかも、一連のアル・アダムソン監督作品で知られる配給会社インディペンデント=インターナショナル・ピクチャーズの社長サム・シャーマンから、『NOTLD』の続編があればうちで配給したいと声をかけられていたらしい。そりゃ、ご要望にお応えしないわけにはいくまい。 かくして、ストレイナーやリッチの協力のもと『The Return of the Living Dead』のタイトルで脚本執筆に取りかかったルッソ。しかし、幾度となく修正を重ねたために時間がかかり、なおかつ製作資金の調達も難航したという。そこで、ルッソは企画の宣伝も兼ねてノベライズ本を’77年に発表。ホラー・マニアの間では評判となったが、あいにく出版社が弱小だったため5万部しか売れなかった。そんな折、ロメロが『NOTLD』の続編『ゾンビ』(’78)を撮ることになり、ルッソとの間で著作権を巡って裁判が勃発。当人同士は穏便に済ませたかったそうだが、しかし第三者も関わるビジネスの問題なのでそうもいかなかったのだろう。その結果、ロメロの『ゾンビ』が『NOTLD』の正式な続編となり、そのためルッソの脚本は対外的に続編を名乗ることが出来なくなったのである。 それから3年後の’81年、ルッソは『The Return of the Living Dead』の映画化権を知人の紹介で無名の映画製作者ポール・フォックスへ売却する。もともとシカゴ出身の投資銀行家だったというフォックスは、その傍らで映画界への進出を目論んでいたらしく、安上がりに儲けることが出来るホラー映画は優良な投資物件と考えたのだろう。とはいえ、金融の世界ではプロかもしれないが、しかし映画作りに関しては素人も同然。あちこちの製作会社へ企画を売り込んだものの、手を組んでくれる相手はなかなか現れなかった。ようやく企画が動き始めたのは’83年のこと。後に『ターミネーター』(’84)や『プラトーン』(’86)で大当たりを取る製作会社ヘムデイルがパートナーとして名乗りをあげ、同社と提携を結んでいたオライオンが配給を担当することになったのだ。監督にはオカルト映画『ポルターガイスト』(’82)を大ヒットさせたばかりのトビー・フーパーも決定。そこで、予てよりオリジナル脚本に不満を持っていたフォックスは、『エイリアン』でお馴染みのダン・オバノンに脚本のリライトを依頼したのだ。 ところが…!である。ヘムデイルの資金調達に思いがけず時間がかかったため、その間にトビー・フーパーはキャノン・フィルムと専属契約を結んで、やはりダン・オバノンが脚本に参加したSFホラー『スペースバンパイア』(’85)をロンドンで撮影することとなってしまったのだ。そこで制作陣は、代打としてオバノンに監督のポジションをオファー。自分で作るのであればロメロの真似だけは避けたいと考えたオバノンは、全面的な脚本の書き直しを条件にオファーを引き受け、実質的に『NOTLD』の続編的な内容だったオリジナル脚本のストーリーを刷新する。ルッソやオバノンの証言によれば、オリジナル版と完成版の脚本はタイトル以外に殆ど共通点がないそうだ。 ‘69年に起きたゾンビ・パニックの真実とは…!? オープニング・テロップ曰く、「この映画で描かれる出来事は全て事実であり、登場する人物や組織の名前も実在する」とのこと。時は1984年7月3日、場所はケンタッキー州ルイビル。人体標本などの医療用品を供給する会社に就職した若者フレディ(トム・マシューズ)は、先輩のベテラン社員フランク(ジェームズ・カレン)から信じられないような話を聞かされる。有名なゾンビ映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が、実際に起きた出来事を基にしているというのだ。 それは1969年のこと。ピッツバーグの陸軍病院で「トライオキシン245」という化学兵器がガス漏れを起こし、その影響で墓地に埋められた死者が次々と甦って生者を食い殺したのである。事態を収拾した陸軍は事件の隠蔽工作を図ったのだが、しかし配送ミスによって闇へ葬られるはずのゾンビがこの会社へ届いてしまい、今もなお倉庫の地下室に保管されているのだという。半信半疑のフレディを納得させるため、実際に地下室へ案内して本物のゾンビを見せるフランク。ところが、調子に乗ったフランクがゾンビを保管するタンクを叩いたところ、中に充満していた「トライオキシン245」が外へ漏れ出してしまい、思いきりガスを吸ったフレディとフランクは気を失ってしまう。 暫くして意識を取り戻したフレディとフランク。よく見るとタンクの中のゾンビは姿を消し、倉庫の冷凍室では実験用の死体が甦って大暴れしている。警察に通報しても信じてもらえないだろうし、ましてや軍隊に知れたら口封じのため何をされるか分からない。慌てた2人は社長バート(クルー・ギャラガー)を呼び出し、ゾンビ化した実験用の死体を捕らえて頭部を破壊する。「ゾンビを殺すなら頭を狙え」はゾンビ映画の鉄則だ。ところが、頭を破壊しても首を切断してもゾンビは元気いっぱいに走り回っている。「なにこれ!まさか映画は嘘だったわけ!?」と困り果てる3人。バラバラにしても死なないゾンビをどう始末すればいいのか。そこでバートは近所の葬儀屋アーニー(ドン・カルファ)に相談し、ゾンビを焼却炉で火葬してもらう。さすがのゾンビも焼かれて灰になったらオシマイだ。ところが、ゾンビを焼いた煙には「トライオキシン245」が含まれており、折からの悪天候によって雨と一緒に地上へ降り注いでしまう。 その頃、倉庫近くの古い墓地では、フレディの仕事終わりを待つ友人たちがパーティを開いていた。そこへ急に雨が降ってくるのだが、しかしこれがどうもおかしい。酸性雨なのか何なのか分からないが、肌に触れるとヒリヒリして痛いのだ。慌てて雨宿りをする若者たち。そんな彼らの目の前で、墓場の底から次々と死者が甦る。雨に含まれた「トライオキシン245」が埋葬された遺体をゾンビ化させてしまったのだ。やがて大群となって襲いかかってくるゾンビたち。生存者は会社の倉庫や葬儀屋のビルに立て籠もるのだが、しかし動きが速くて言葉を理解して知能の高いゾンビ軍団に警察もまるで歯が立たない。そのうえ、ガスを吸い込んだフレディとフランクも体調に異変をきたし、生きながらにしてゾンビへと変貌しつつあった。果たして、この未曽有のゾンビ・パニックを無事に収集することは出来るのだろうか…!? 撮影現場では嫌われてしまったオバノン監督 この軽妙洒脱なテンポの良さ、適度に抑制を効かせたテンションの高さ。これみよがしなドタバタのスラップスティック・コメディではなく、極限の状況下に置かれた人々による必死のリアクションが笑いを生み出していくというスクリューボール・コメディ的なオバノン監督の演出は、それゆえにシリアスで残酷で血生臭いホラー要素との相性も抜群だ。ジャンルのクリシェを逆手に取ったジョークを含め、その語り口は実にインテリジェントである。しかも、カメラの動きから役者のポジションに至るまで、全編これ徹底的に計算されていることがひと目で分かる。実際、オバノン監督は撮影前の2週間に渡って入念なリハーサルを行い、役者の立ち位置や動作、セリフのスピードやタイミングなどを細かく決め、相談のない勝手なアドリブは許さなかったらしい。少々大袈裟で演劇的な群像劇も監督の指示通り。あえて「わざとらしさ」を狙ったという。根っからの完璧主義者である彼は、どうやら映画の総てを自分のコントロール下に置こうとしたようだ。 そして、その強権的な姿勢が現場でトラブルを招いてしまう。あまりにも注文が多いうえに要求レベルが高いため、オバノン監督はスタッフやキャストから総スカンを食らってしまったのだ。当時を振り返って口々に「現場は地獄だった」と言う関係者たち。予算も時間も無視したオバノン監督の要求に対応できなくなった特殊メイク担当のビル・マンズは途中降板することになり、その代役としてケニー・マイヤーズとクレイグ・ケントンが呼び出されたのだが、彼らもまたいきなり初日からオバノン監督に怒鳴り散らされて面食らったという。 また、演じる役柄と同様に大人しくて控えめなティナ役のビヴァリー・ランドルフも、もしかするとそれゆえターゲットにされたのかもしれないが、監督が人一倍厳しく接した相手のひとりだったらしい。タールマンと遭遇したティナが逃げようとしたところ、階段から落ちて怪我をするシーンでは、オバノン監督は演じるビヴァリーに階段の板が外れることを黙っていたという。いやあ、現在のハリウッドでそんなことしたら大問題になりますな。結局、何も知らないビヴァリーは、本当に階段から転落して足を捻挫してしまった。なかなか起き上がれずに苦悶の表情を浮かべているのは芝居じゃないのだ。 さらに、撮影開始の直前になってキャスティングされ、そのためリハーサルに参加できなかったベテラン俳優クルー・ギャラガーは、監督からの有無を言わせぬ一方的な要求に「俳優への敬意がない!」とブチ切れ、小道具のバットだか何かを振り回しながら監督を追いかけたこともあったという。それを見て、ビヴァリーら若手俳優たちは内心スカッとしたのだとか(笑)。生前のオバノン監督自身も当時の自分がサイテーだったことを素直に認めており、監督としての初仕事ゆえ多大なプレッシャーを抱えていたとはいえ、あんな態度でスタッフやキャストに接するべきではなかった、もっと自分の感情をコントロールすべきだった、みんなから嫌われたのは私の自業自得だと大いに反省していたようだ。 そんな本作で抜きん出て良い仕事をしたのは、上半身裸の老女ゾンビ=オバンバのデザイン・造形・操演を担当した特殊メイクマン、トニー・ガードナー。ダフト・パンクのロボット・ヘルメットなどのデザイナーとして、名前を聞いたことのある人も少なくないだろう。もともとリック・ベイカーのアシスタントで、撮影当時まだ19歳の若者だった彼にとって、本作は初めて名前がクレジットされた大仕事だった。実はモヒカン頭のパンク少年スクーズを演じるブライアン・ペックの友人だったガードナー。普段はナード系のペックをパンク少年らしくイメチェンさせるため、コワモテっぽく見えるような義歯をオーディション用に作ってあげたところ、これがオバノン監督の目に留まって特殊メイク班に起用されたのである。ちなみに、トビー・フーパーが本作を降りて『スペースバンパイア』を撮ったことは先述した通りだが、そういえば『スペースバンパイア』に出てくる精気を吸われてミイラ化した女性被害者とオバンバがどことなく似ているような…? おっちょこちょいなダメオジサン、フランクの切ない名場面は脚本になかった? そうそう、人間味あふれるベテラン俳優たちの顔ぶれも、本作の大きな強みだったように思う。中でもフランク役を演じるジェームズ・カレンはマジ最高ですな!ゾンビ化していくことに絶望したフランクが、自らの意思によって焼却炉で焼かれるシーンの切なさは筆舌に尽くしがたい。実はこのシーン、ジェームズ・カレン自身のアイディアだったという。もともとオバノンの書いた脚本では、フレディと同じくフランクも凶暴なゾンビとなってしまうはずだったのだが、それでは面白くないとカレン本人が出した代案をオバノンが採用したのだそうだ。そのカレンをフランク役に起用したのは、実はトビー・フーパー監督だったとのこと。いわば置き土産だったわけだ。前作『ポルターガイスト』にも登場し、幽霊騒動の元凶を作った強欲な不動産会社社長を演じていたカレンを、恐らくフーパー監督は贔屓にしていたのだろう。この翌年、フーパー監督は『スペースバンパイア』に続いて『スペースインベーダー』(’86)でも再びオバノンとタッグを組むのだが、そこではジェームズ・カレンもまた海兵隊の将軍役で大活躍することになる。 なお、ハリウッド業界で人望が厚く交友関係の広かったカレンは、本作の撮影中に親しい友人だった天下の名優ジェイソン・ロバーズをロケ現場へ招いているのだが、その際に撮影されたスナップ写真をプロデューサー陣はロビーカードなどの宣材として使っている。全く、ちゃっかりとしてますな(笑)。 医療品会社の社長バート役には、ドン・シーゲルの『殺人者たち』(’64)やピーター・ボグダノヴィッチの『ラスト・ショー』(’71)でもお馴染みの名優クルー・ギャラガー。もともとこの役は往年のB級西部劇スター、スコット・ブレイディに決まっていたものの病気で降板し、レスリー・ニールセンなど複数の俳優に断られた末にギャラガーが引き受けた。これが初めてのホラー映画出演だった彼は、その後『エルム街の悪夢2 フレディの復讐』(’85)や『ヒドゥン』(’87)など数々のホラー映画へ出ることになる。また、アーニー役のドン・カルファはボグダノヴィッチの『ニッケルオデオン』(’76)やスピルバーグの『1941』(’79)などに端役で出ていた人で、その強烈なマスクと芝居で印象を残す「名前は知らないけど顔は知っている俳優」のひとりだったが、本作以降はメジャーどころの役柄も増えていく。実際、この人が出てくると一挙一動から目が離せない。いやあ、実に芸達者! 一方の若手俳優に目を移すと、『13日の金曜日 PART6/ジェイソンは生きていた!』(’86)と『13日の金曜日 PART7/新しい恐怖』(’87)でトミー・ジャーヴィス(ジェイソンと対峙したトラウマからジェイソン化していく若者)を演じたトム・マシューズ、『新・13日の金曜日』(’85)の屋外トイレでジェイソンに殺される黒人の不良デーモンを演じたミゲル・A・ヌネス・ジュニア(スパイダー役)、同じく『新・13日の金曜日』で患者仲間を殺してしまう精神病患者ヴィックを演じたマーク・ヴェンチュリーニ(スーサイド役)と、『13金』シリーズ繋がりのキャストが目立つ。要するに、それくらい当時は大勢の無名若手俳優が『13金』シリーズに出ていたのである。 ちなみに、トム・マシューズが劇中で着用しているノースリーブシャツ。「DOMO ARIGATO」と日本語をあしらった旭日旗デザインが印象的なのだが、これは当時マシューズが広告モデルを務めていた衣料品メーカー、VISAGEのもの。なぜ「DOMO ARIGATO」なのかというと、やはりスティックスの全米トップ10ヒット「ミスター・ロボット」の影響力でしょうな。当時のアメリカではニンジャ映画が流行るなど日本ブームの真っ只中だったわけだし。で、マシューズはそのVISAGE関係者を『バタリアン』の試写会にも招いたそうなのだが、どうやら相手はホラー映画が大の苦手だったらしく機嫌を損ねてしまい、それっきり広告モデルに呼ばれなくなったという。なんたる藪蛇…。 とはいえ、やはり若手キャストの中で最も目立つのは、露出狂のパンク娘トラッシュを演じたスクリーム・クィーン、リニア・クイグリーであろう。彼女が夜の墓地で繰り広げる全裸ストリップは本作の名場面のひとつだ。もちろん、撮影では前貼りで局部を隠しているのだが、当初は何も付けない文字通りのスッポンポンだったらしい。しかし、たまたま現場を見学に訪れた製作者ポール・フォックスがビックリして、「ダメダメ!毛が丸出しじゃないか!」と注意。ところが、何を考えたのかオバノン監督はリニアにアンダーヘアを剃らせたという。いやいや、そうじゃないだろう(笑)。案の定、「違うってば!それもっとダメじゃん!」とフォックスに突っ込まれ、特殊メイク班に前貼りを作らせることに。その結果、リニアの股間はツルッツルで何もない「バービー人形状態」となったのである。ちなみに、パーティガールのケイシーを演じているジュエル・シェパードは、もともとオバノン監督が常連客だった会員制高級クラブのストリッパーで、当初は彼女にトラッシュ役がオファーされていたそうだが、映画では脱ぎたくないという理由から断ったらしい。 ジョージ・A・ロメロのゾンビ3部作最終編『死霊のえじき』(’85)が全米で封切られたのは’85年7月。当初は年末公開を目指していたという『バタリアン』だが、しかし本家の話題性に便乗せんとばかり8月に繰り上げ公開され、予算300万ドルに対して興行収入1400万ドル以上というスマッシュヒットを記録する。これまでに5本の『バタリアン』シリーズが制作されており、「ロミオとジュリエット」を下敷きにしたブライアン・ユズナ監督の3作目『バタリアン・リターンズ』(’93)は個人的に隠れた傑作だと思っているが、しかしそうは言ってもやはり、この1作目がベストであることに変わりはないだろう。結局、H・P・ラヴクラフト原作の監督第2弾『ヘルハザード・禁断の黙示録』(’91)が製作会社から勝手に編集されたうえ、アメリカ本国では劇場未公開のビデオスルーという憂き目に遭ってしまい(それでも数あるラヴクラフト映画の中では傑出した1本)、映画監督として必ずしも大成することの出来なかったオバノン。それでもなお、みんなが大好きな『バタリアン』を世に送り出してくれたことの功績は計り知れない。■ 『バタリアン』© 1984 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.07.12
社会派の巨匠ルメットが、アル・パチーノと生み出した、実話ベースの傑作悲喜劇。『狼たちの午後』
1972年8月22日のニューヨーク。ブルックリンのチェース・マンハッタン銀行支店に、武装した3人組の強盗が押し入るという事件が、発生した。 計画したのはベトナム帰還兵で、27歳のジョン・ウォトヴィッツ。彼は60年代に、銀行で働いた経験があった。 一緒に押し入ったのは、18歳のサルバトーレ・ナチュラーレと、20歳のロバート・ウェステンバーグ。しかしウェステンバーグは、ビビって現場からすぐに逃走したため、ウォトヴィッツはナチュラーレと2人で、男性の支店長と女性従業員たち合わせて8名を人質に、14時間銀行に立て籠もることとなった…。「ライフ」誌に載った、この事件のあらましをまとめた「The Boys in the Bank」という記事に目を付けたのは、プロデューサーのマーティン・ブレグマンとマーティン・エルファンド。彼らの興味をまず惹いたのは、ウォトヴィッツのプロフィールとキャラクターにあったものと思われる。 ウォトヴィッツは妻との間に2人の子どもをもうけながら、69年に別居。71年に男性と結婚式を挙げていた。銀行強盗を企てたのは、そのパートナーが女性になるための性別適合、当時の言い方ならば、性転換の手術費用を稼ぐのが、目的の一つにあった。 籠城を続ける中で、ウォトヴィッツの振舞いや言動に、人質たちが共感を寄せたり、銀行を囲んだ野次馬たちが、熱烈な支持を表明するなどの現象が起こった。 事件当時そんな言葉はなかったが、ウォトヴィッツに起因するところの、“LGBTQ”や“ストックホルム症候群”等々といった事象に、プロデューサー陣はピンと来たのであろう。もっと下世話な言い方をすれば、「これは見世物になる」「商売になる」という直感が働いたわけだ。 世間の規範に対しての、叛逆やドロップアウトがテーマとなる、“アメリカン・ニューシネマ”の時代。この事件は映画化するには、格好の題材と言えた。「ライフ」の記事には、ウォトヴィッツの容姿について、アル・パチーノやダスティン・ホフマンに似ているという一文があった。プロデューサーのブレグマンは、実際にウォトヴィッツの写真を見て、主役をパチーノに依頼。ブレグマンとパチーノは、エージェントと俳優として、長い付き合いだった。 パチーノは題材に興味を持ちながらも、オファーを断った。前の出演作『ゴッドファーザーPARTⅡ』(1974)の撮影で疲れ切っており、しばらく映画には出たくないという気持ちと、舞台こそ自分の本分だという想いが強くなっていたのである。 パチーノの後には、元記事の表記通りに、ダスティン・ホフマンに出演交渉が行われた。しかしホフマンにも断られ、パチーノへと、オファーが戻る。 この再オファーを、パチーノは受けることにした。決め手になったのは、フランク・ピアソンが書いた脚本が、「すごい傑作」だったからだという。 ピアソンは執筆に当たって、重点を置いてまず考えたのは、視点をどこに持たせるかということ。警察なのか?人質なのか?野次馬なのか?はたまた犯人の家族なのか? 絞り込んでいって、最も興味深いのは、やはり強盗側の視点というところに行き着いた。それによって、立て籠もった銀行内が、主な舞台に決まった。 ピアソンを悩ませたのは、ウォトヴィッツから、直に話を聞けなかったこと。本人が、映画化の権料で製作陣と揉めてしまってため、刑務所での面会を拒絶されたからだ。 それならばと、彼と関わった家族や恋人、友人、事件の人質や警察等々にリサーチを敢行。しかしそれぞれの目には、ウォトヴィッツの人物像はまったく違って映っていた。 どこかに共通点はないか?探しに探して浮かび上がったのが、彼が「面倒見の良い男」であるということだった。 ピアソンは、その「面倒見の良い男」を突破口にして、『狼たちの午後』のストーリーを作り上げた。監督のシドニー・ルメットに脚本を渡す際には、「自分が皆を幸せにする魔術師と勘違いしている男の話」と伝えたという。 そして、この脚本があったからこそ、ルメットも、『狼たちの午後』の監督を引き受けたのである。 『セルピコ』(73)に続いて、ルメットと2回目の組合せになったパチーノ曰く、ルメットは「俳優を動かす天才」。子役として5歳の時からブロードウエイの舞台に立っていた経験もあって、俳優の気持ちがわかり、俳優の視点から演技を理解できる、「actor's director=俳優の監督=」と言われた。 ルメット曰く、「私自身、俳優だったから、自分の心の中を探らねばならないのは辛いということは解っている。良い演技は自分の本心を知ることで生まれる。俳優たちはそれが解っているし、私もそれが解っている」「俳優の監督」であると同時に、ルメットと言えば、“社会派”。しかも、社会派とエンタメを同時に成立させる、希有な監督としての評価が高かった。陪審員制度を描いた映画監督デビュー作『十二人の怒れる男』(57)から、ナチスの強制収容所で家族を失った男が主人公の『質屋』(64)、冷戦時代の核戦争の恐怖を描いた『未知への飛行』(64)、軍刑務所内の非人道な在り方を訴える『丘』(65)等々。 そして、『狼たちの午後』を手掛けた頃には、まさにキャリアのピーク!70年代は本作の前に、『セルピコ』(73)『オリエント急行殺人事件』(74)、本作の後に『ネットワーク』(76)といった作品を放って、社会派エンタメ監督且つ、ヒットメーカーとして異彩を放っていたのである。「俳優の監督」であるルメットが重視するのは、“リハーサル”。曰く、「自分の感じられるところまで進め、自分が望むだけやれ。望まないことはできるだけやるな。心に感じるものがあるなら、それを外に高く飛ばせ。その勘定が正しいか誤っているかは気にするな。じきにわかる。それがリハーサルのねらいだ」 ルメットは映画界に入る前、TVで生放送のドラマを、5年間で500本手掛けた。その経験もあって、入念なリハーサルを行い、いわば舞台的な演出を行った。 彼の遺作となった『その土曜日、7時58分』(2007)の出演者イーサン・ホークは、こんなことを言っている。「2週間ほどかけて入念にリハーサルした。僕らのクリエイティブな仕事の大半は、撮影開始以前に終わっていた。結論は既に出ているから、あとはそれを実行するだけ」 ルメットの初監督作『十二人の怒れる男』(1957)で、リー・J・コッブがヘンリー・フォンダと言い争そうシーンがあった。この作品は順撮りではなく、シーンの途中で撮影を終えた後、1週間ほど経ってから続きを撮ることとなった。 これだけ間が空いてしまうと、前に撮った時の感情を保つのは、困難である。しかし撮影前に、2週間に及ぶリハーサルでシーンを作り上げていたため、どういった感情で演じれば良いか、ルメットも俳優たちも、はっきりと認識できていた。 入念なリハーサルをベースに、舞台的な演出を行いながらも、映像は映画的なのも、ルメットの特徴。作品に合わせて撮影のスタイルを変えるなど、融通無碍でもあった。『狼たちの午後』は、ルメットのそうした特性が、最も有機的に作用した作品とも言える。もちろん本作も御多分に漏れず、撮影前に3週間のリハーサルが行われた。しかし本作のリハーサルに関しては、即興の演技を引き出すためのものという位置づけだった。 具体的には、リハーサルの際に脚本のセリフを言わせるのではなく、その状況の中で俳優たちにアドリブを言わせる方式を取った。そして毎晩リハーサルの後、録音してあった即興のセリフを、タイプで清書したのである。こうして練りだされたセリフが、映画で使われることになった。因みに脚本の構成は、全く変わってはいない。 本作に、実際の事件を捉えているような、ドキュメンタリーな臨場感が出たのは、こうした演出法も明らかに作用している。 ルメットがデビュー以来お得意の密室劇でもある本作で、メインの舞台となるのは、銀行。ブルックリンの、実際の事件現場からほど近い場所に空き倉庫を見つけて、外観も内装も、銀行に作り変えた。ルメットは本作に関して、スタジオで撮ることは、まったく考えなかったという。 ルメットの監督作品は、全部で43本。その内で実に29本が、己が生まれ育ったニューヨークでロケを行なっている。ルメットが生粋のニューヨーカー監督であったことも、本作にはうってつけだったと言えよう。 撮影は7週間。通常の照明ではなく、例えば銀行内は蛍光灯を軸にするなどして、リアルなルックを狙った。 因みにキャスティングには、主演のパチーノの意向が大きく働いた。舞台の共演がきっかけで信頼関係を築いた、ジョン・カザール、チャールズ・ダーニング、ランス・ヘンリセンなどが起用されることになった。『ゴッドファーザー』シリーズではパチーノの兄を演じたジョン・カザールは、本作では、強盗の共犯者役。実は脚本では、15~16歳の少年という設定だった。 それなのに、40歳に近いカザールを推してくるパチーノに、ルメットは怪訝な思いを抱いた。実際にカザールに会ってみても、30代にしか見えず、失望しかなかったという。 しかし彼の演技を目の当たりにして、考えが変わり、役の設定を変えた。結果的にパチーノは、間違ってなかったのだ。 主人公と“同性結婚”をした、トランスジェンダーの役には、クリス・サランドンが選ばれた。サランドンはそれまで、舞台が専門で、映画は初出演。彼をオーディションで選んだのは、ルメット。そしてその場に立ち合った、パチーノだった。 パチーノはクランクイン前、リハーサルも含めて、ルメットやピアソンと、役作りに関して、十分に詰めたつもりだった。しかしいざ撮影が始まって主人公を演じてみると、なぜか違和感が拭えなかった。何かが違う…。 銀行に押し入るシーンのラッシュを見たパチーノは、「ここには誰も写っていない」と主張し撮り直しを要求。その日は家に帰ると、一晩掛けてどうすれば良いかを考えた。「…おれはサングラスをかけて銀行へ入ってゆく。で、思った。ちがう。あいつはサングラスはしない。サングラスは決行の日に家に忘れてくるんだ。なぜなら、本心ではつかまりたいと思っているんだ」 そう思い至ったパチーノは、サングラスを掛けずに撮り直しを行った。そして、そこからは順調に、撮影が進んだ。 本作では様々な形で、アドリブが生かされた。代表的と言えるのが、銀行から出てきたパチーノが、野次馬たちに「アッティカ!アッティカ!」と連呼して、歓声を浴びるシーン。 アッティカとは、ニューヨーク州に在る刑務所で、71年9月、囚人たちが所内の劣悪な環境の改善を訴えて暴動を起こすという事件が起こった。本作の主人公は公権力の横暴を批判するために、この一件を引き合いに出して群衆にアピールしたわけだが、実はこのセリフは、助監督のアイディアを、パチーノが採り入れたものだった。 この「アッティカ! アッティカ!」は、本作製作後30年経った2005年に、「アメリカン・フィルム・インスティチュート」によって、名台詞ベスト100中第86位に選ばれている。 本作終盤近く、パチーノが同性の妻であるクリス・サランドンと電話で話すシーンは、リハーサルの時の即興を元に演じられた。パチーノは続けて、今度は子をなした妻の方と電話で話す。ここはパチーノの部分は即興だが、妻役のスーザン・ペレスは、脚本で書かれているオリジナルのセリフを喋っている。 この2人の妻とのやり取りは、カメラを止めず、続けて撮影された。気合い十分のパチーノは素晴らしい演技を見せたが、実はルメットは1テイク目の出来がどうであれ、2テイク目に行くことを決めていた。 1テイク目で全力を出して、すでにグッタリしていたパチーノ。そのため、本人は予想していなかった2テイク目は、気負いや虚飾が一切剥ぎ取られ、反射的に対応するようになる。 その結果はルメット曰く、「あの十四分間は、それまでわたしが見たこともないほどすばらしいシーンのひとつだった」 こんな調子で、本物の怒りや焦燥を引き出されたパチーノは、撮影終了後に過労で入院。今度こそ本当に、一時映画を離れて舞台を優先することとなる…。 完成に至った本作は、マスコミからも観客からも、熱狂的に迎えられた。アカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演男優賞など6部門でノミネート。しかし受賞は、ピアソンの脚本賞だけに止まった。 この年の作品賞のライバルは、スタンリー・キューブリック監督の『バリー・リンドン』、ロバート・アルトマン監督の『ナッシュビル』、スティーヴン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』、ミロス・フォアマン監督の『カッコーの巣の上で』と、強敵揃い。その中でも『カッコー…』が圧倒的な強さを見せ、作品賞はじめ主要部門を掻っ攫っていった。 ルメットがノミネートされた監督賞は、フォアマンに、パチーノの主演男優賞は、やはり『カッコー…』のジャック・ニコルソンの手へと渡った。この時が主演・助演合わせて4度目のノミネートだったパチーノが、オスカーを実際に手にするには、17年後の『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』(92)まで待たねばならなかった。 一方ルメットは、生涯で4度候補になった監督賞のオスカーを手にすることは、結局なかった。彼に贈られたオスカーは、2004年度アカデミー賞の名誉賞のみ。 ルメットほどの名匠にとっては、ただただ巡り合わせが悪かったという他はない。しかし2011年に86歳で没したルメットのフィルモグラフィーの内、少なくない数の作品が、映画史の中で語り続けられ、今でも燦然と輝いている。 本作『狼たちの午後』も、明らかにそんな1本。2009年にはアメリカ議会図書館が、「文化的・歴史的・美的価値がきわめて高い」作品と見なし、アメリカ国立フィルム登録簿に保存する作品に選んでいる。 最後に余談になるが、撮影前の取材を断ったウォトヴィッツにも、大ヒットした本作の収益の一部が支払われた。彼はその金の一部を、男性妻の性転換手術に使ったという。■ 『狼たちの午後』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2023.07.04
パク・チャヌクが描いた、「ヴァンパイア神父 meets テレーズ・ラカン」『渇き』
本作『渇き』は、2009年の作品。パク・チャヌク監督が、『JSA』(00)、そしていわゆる“復讐三部作”『復讐者に憐れみを』(02)『オールド・ボーイ』(03)『親切なクムジャさん』(05)などを経て、韓国映画界のTOPランナーの一人として、十分な名声を得た後に発表した作品である。 しかしその構想は、『JSA』の頃には既にあった。またそのアイディアの原点は、監督の少年時代にまで遡るという。 幼い頃は、カトリックの信者だったというチャヌク。毎週教会に通っており、聖職者に関心があった。 しかし高校生の時に、知人の神父が父親を訪ねてきたのが、転機になる。神父はチャヌクの熱心さを見て、神学校に通わせるのを薦めた。しかし当の本人には、結婚願望があったのだ。 生涯妻帯を許されず、即ち童貞のまま生きていかねばならない。そんな“神の道”を、チャヌクは選ぶことはできず、結果的には、宗教から遠ざかることとなる。 しかし、聖職者という存在への興味は止むことはなかった。更に言えば、「人間の原罪」というものへの意識は、常に抱いていたという。『渇き』の根源にあったアイディアは、チャヌク曰く「…あくまでも“神父の映画”を作るというものでした。この世で最も高潔な職種と見られている神父。その中でも人一倍高潔な人類愛に溢れ、自己犠牲的な精神を持った一人の神父が、神学校時代の親友がAIDSに罹って終末期にあることを知り、新薬開発のための人体実験の素材となるべく自ら志願してパリの研究所に行く。けれどもそこで彼自身が同じ不治の病を感染してしまう…」 これはチャヌクがたまたま目にした雑誌の記事にインスパイアされて、浮かんだストーリー。実際にAIDS治療薬開発のための被験者を募ったところ、多くの宗教者や医師が応じたという。 そこにチャヌクが、幼少期から目の当たりにしていた光景を思い出しての、閃きが加わった。カソリックに於けるミサの儀式では、イエス・キリストの血に見立てた葡萄酒を飲む。イエスの血を毎日口にする神父が、己が生きていくために、本物の人の血を飲まなければいけなくなったら、どうなるだろうか?神父がヴァンパイアになったら、一体どんな振舞いをするのか? 考える内に、より背徳的な筋立てになっていく。人の血を求めるようになった神父は、同時に本能を抑えることができなくなり、最終的には、性的な快楽をも追及してしまう。しかしこうした構想を煮詰めていく中でも、神父が愛してしまう女性像というのが、なかなか明確にはならなかった。 本作は当初、“復讐三部作”にピリオドを打った、『親切なクムジャさん』の前後に撮影が予定されていた。しかしそんなこともあって、製作が延び延びになっていく。 同時にチャヌクには、別にやりたい企画が浮かんでいた。それは19世紀のフランスの文豪エミール・ゾラの小説「テレーズ・ラカン」。 愛人と結託して、病弱な夫との不幸な結婚生活にピリオドを打ちながらも、良心の呵責から、やがて愛人共々破滅へと向かう若い女性テレーズの物語である。サイレントの頃から、時にはアレンジを加えながら、幾度か映像作品が製作されてきたこの物語だが、チャヌクは19世紀のパリを舞台に、原作に忠実な映画化を構想した。 ヴァンパイア神父と「テレーズ・ラカン」の融合を思い付いたのは、女性プロデューサーのアン・スジョンだった。『渇き』を作るお膳立てはとうに出来ているのに、別の企画ばかり優先しようとするチャヌクに対して、彼女の焦りもあったのかも知れない。 しかしこのミクスチャーは、チャヌクにとっても腑に落ちるものだった。すべてのパズルがハマって、いよいよ本作は製作に至ったのである。 ***** 孤児院出身で、謹厳実直なカソリックの神父サンヒョン。病院で重病患者を看取ることに無力感を募らせた彼は、アフリカの荒野に佇む研究所に向かう。 そこでは、死のウィルスのワクチン開発が進められていた。サンヒョンは、その実験台を志願したのだ。 発病し死に至った彼だが、提供者不明の輸血で、奇跡的に復活。ミイラ男のような姿で帰国し、“包帯の聖者”と崇められる。 サンヒョンは幼馴染みのガンウと、期せずして再会。彼の家に出入りするように。 ガンウの家族は、一人息子の彼を溺愛する母親のラ夫人と、妻のテジュ。地味で無愛想なテジュだったが、あどけなさの中に不思議な色香を漂わせ、サンヒョンの心は掻き乱される。 実はサンヒョンの身には、恐ろしい異変が起こっていた。人の血を吸わなければ生きていけない、ヴァンパイアになっていたのだ。しかし神父の身で、人殺しはできない。彼は病院に忍び込んでは、昏睡中の入院患者の血をチューブで吸って、飢えをしのいだ。 太陽光を浴びられないなどの不自由さと引換えに、驚異的な治癒能力や、跳躍力などを身に付けたサンヒョンは、お互いを強く意識するようになったテジュと、やがて男女の仲になる。サンヒョンの正体を知って、一時は恐れおののいたテジュだったが、2人の関係はどんどん深みにはまっていく。 やがては己の幼馴染みで、テジュの夫であるガンウに強い殺意を抱くようになったサンヒョン。彼はテジュと共に、越えてはならない一線を、ついに踏み越えてしまう…。 ***** マザコンで病弱な夫に仕え、義母の営む服店で働くテジュの設定は、「テレーズ・ラカン」とほぼ同じ。サンヒョンとテジュが共謀し、ボート遊びに誘ったガンウを溺死させる件や、その後病に倒れて口がきけなくなったラ夫人の目線に、2人が脅かされる展開など、小説をベースにしている部分は多い。 本作の最初の構想が浮かんだのは、ちょうど『JSA』を製作していた頃。撮影の合間にその内容を一番初めに話した相手は、ソン・ガンホだったという。そんなこともあって、ガンホが本作の主演を務めるのは、どちらからともなく自然に決まっていた。 ガンホは10㌔減量。神父にしてヴァンパイアという、それまで主に欧米で映画化されてきた、数多もの吸血鬼ものの類型を脱した役作りに挑んだ。 テジュ役のキム・オクビンに、チャヌクが最初に会ったのは、知人の薦め。彼のイメージでいけば、オクビンの年齢が若すぎるため、正直なところあまり気乗りしないまま、“キャスティング”を前提としない、面会だった。 ところがいざ対面してみると、彼女の掴み所の無い、不安定な印象に魅了された。そしてもう一点、チャヌクの心を鷲づかみにしたのが、オクビンの“手”であった。 韓国では一般的に、色白で小さい手の持ち主が、美人とされる。ところがオクビンの手は、指が長くて掌も広かった。この力強い“手”が、サンヒョンのことを一度摑んだら離さないという、テジュのイメージと合致したのである。 テジュの役にオクビンの抜擢を決めると、チャヌクは彼女に、アンジェイ・ズラウスキー監督の『ポゼッション』(1981)を観るように指示した。イザベル・アジャーニの人妻が、自らの妄想が生み出した魔物とセックスするシーンがあるこの作品のように、臆病にならずに演技をして欲しいという、意図からだった。因みにテジュの衣裳が、後半で印象的な“青”となるのは、『ポゼッション』でヒロインが着ていた衣裳に対する、リスペクトの意味も籠められているという。 もっとも、“青”になるのは、それだけが理由ではない。初登場からしばらくの間、義母と夫に抑圧されながら暮らすテジュの顔色は青白い。髪にもほとんど櫛を入れることはなく、身に纏うのは、すべて地味な色の洋服。 ところがサンヒョンと出会ってから、活力を得た彼女の頬の色は、ピンクに輝くようになる。髪も整えるようになった彼女が着るのが、真っ青な服。頬の色を強調するためにも、対照的な色彩の“青”が不可欠だったわけである。 因みにサンヒョンの出で立ちにも触れると、登場時は無色で柔らかな素材の、いかにも聖職者らしい服装だったのが、ヴァンパイアになった後の服装はラフになり、ボサボサの髪型。先に挙げた通りの、役作りでの減量も効果的に、少し若返った印象に映る。 チャヌクは演出に当たっては、ヴァイオレンスとセックスをどう結合させるかを、テーマにした。暴力に馴染んでしまった官能性、そしてエロスの中にある暴力。その2つのものが完全に融合するということを、強く意識したという。 本作のポスターやチラシのメインヴィジュアルでは、オクビンが情事の時に見せるような表情をしながら、ガンホの首を絞めている。この図は本作の作品のコンセプトを、見事に表していると言える。 2000年代から10年代に掛けてのパク・チャヌク監督作品は、過剰なまでに、エロスとヴァイオレンスが溢れかえっていた印象が強いかも知れない。しかしそんな中で、『親切なクムジャさん』から『お嬢さん』(2016)に掛けての10年余で、彼の“フェミニスト”的な視点が確立していくのも、決して見落としてはならない。 チャヌクが、肉体の欲望に裏打ちされた愛の姿を特に強調して描きたかったという本作も、そうした文脈の中で語られるべき1本である。 最新作『別れる決心』(2022)では、根底に流れるものには共通性を感じさせながらも、敢えてヴァイオレンスとセックスの描写を封印してみせたパク・チャヌク監督。彼の作品には、まだまだ驚かされることが、多そうである。■ 『渇き』© 2009 CJ ENTERTAINMENT INC., FOCUS FEATURES INTERNATIONAL & MOHO FILM. ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2023.06.30
#MeTooとSNSの時代を映し出す古典的SFホラーの見事な新解釈版『透明人間』
かつて透明人間は日本映画でも人気者だった! 『ミイラ再生』(’32)をリメイクした『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』(’99)の大成功とシリーズ化をきっかけに、『ヴァン・ヘルシング』(’04)や『ウルフマン』(’10)、『ドラキュラZERO』(’14)など、往年のクラシック・モンスター映画をコンスタントにリメイク&リブートしてきたユニバーサル・スタジオ。’14年にはフランチャイズ化(後に「ダーク・ユニバース」と命名)も発表され、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)やDCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)にも匹敵する壮大なシェアード・ユニバースが展開されるはずだった。 ところが、その第1弾『ザ・マミー/呪われた砂漠の女王』(’17)がまさかの大失敗に終わり、フランチャイズ化の計画は一転して白紙撤回されることに。トム・クルーズにジョニー・デップ、ハヴィエル・バルデムにラッセル・クロウと、錚々たるビッグネームを揃えた「ダーク・ユニバース」のコンセプト写真に、企画発表の当時からワクワクしていた筆者は思わずガッカリしたものである。そして、その代わりとなる単独映画として作られたのが、本作『透明人間』(’20)だった。 ご存知、オリジナルはSF小説の大家H・G・ウェルズの同名小説を、巨匠ジェームズ・ホエールが映画化したユニバーサル・ホラーの名作『透明人間』(’33)。人間を透明にする薬品を開発した科学者グリフィン博士(クロード・レインズ)が、自ら実験台となって透明化に成功するものの、しかし薬品の副作用によって狂暴化してしまう…というお話。いわば、「ジキル博士とハイド氏」の系譜に属するマッド・サイエンティスト物である。グリフィン博士が頭部に巻いていた包帯を解いていくと、なんと中身は透明で何も見えません!という特撮は、今となっては極めて原始的な合成技術に過ぎないのだが、しかし90年前の公開当時はこれが大変な評判となった。そもそも、この透明効果を映像化するのが技術的に困難ゆえ、それまでウェルズの原作は1度も映画化されたことがなかったのだ。1933年といえば、あの特撮怪獣映画の金字塔『キング・コング』(’33)も公開されている。ハリウッドの特撮技術が飛躍的な進化を遂げた記念すべき年だったと言えよう。 これ以降、ユニバーサルは『透明人間の逆襲』(’40)など合計で4本(1作目を含めると5本)の続編シリーズを製作。中でも最終作『The Invisible Man’s Revenge』(’44)は、徐々に透明化していく過程を移動撮影で描いたことが画期的だった。また、人気コメディアン・コンビ、アボット&コステロ主演の『凸凹透明人間』(’51)や、透明エイリアンが地球を侵略する『インベーダー侵略 ゾンビ来襲』(’59)、ギャング組織が透明技術を悪用する『驚異の透明人間』(’60)など、パロディ映画や亜流映画も各映画会社で続々と作られ、やがて透明人間はSFホラーの定番キャラクターへと成長する。 ちなみに、戦後の日本映画でも透明人間が流行った。その原点は円谷英二が特撮を手掛けた大映の『透明人間現わる』(’49)。ユニバーサルの『透明人間』を徹底的に研究した円谷は、透明人間が煙草をふかすシーンなど、当時としては画期的な特撮の見せ場を披露するも、しかし本人は「力量不足」と満足しなかったそうで、その後も東宝の『透明人間』(’54)で再挑戦している。また、大映は的場徹に特撮を任せた『透明人間と蠅男』(’57)を発表。興味深いのは、ハリウッド映画の透明人間が基本的にヴィランであるのに対し、国産の東宝版と大映版2作目は透明人間を正義の味方として描いていることだろう。いわば変身ヒーローの先駆けだ。そのほか、怪人二十面相が透明化する『少年探偵団 透明怪人』(’58)や、南蛮の秘薬で透明化した武士が復讐に走る特撮時代劇『透明天狗』(’60)などが作られている。 そもそも、ディズニー俳優ディーン・ジョーンズがイタリアで主演した『透明人間大冒険』(’70)や、ドイツの犯罪アクション映画「マブゼ博士」シリーズのひとつ『怪人マブゼ博士・姿なき恐怖』(’62)など、それこそ世界中の映画に登場してきた透明人間。やはり、透明になって姿を消すことは人類共通の夢みたいなものなのだろうか。また、ハイレベルな特撮技術を求められるため、透明人間映画は作り手の創造力を刺激するのかもしれない。そういう意味で、初めて透明人間をCGで描写したジョン・カーペンター監督の『透明人間』(’92)は画期的だったし、透明化していく過程の血管やら筋肉やら骨やらまで見せるポール・ヴァーホーヴェン監督の『インビジブル』(’01)はまたグロテスクでインパクト強烈だった。 なので、CG技術が飛躍的に進化した現代に『透明人間』のリメイクというのは理に適っているのかもしれないが、しかしこの2020年版『透明人間』で最も評価されるべき点は、実は最新のデジタル技術を駆使したVFXよりも、古典的な題材を現代的にアップデートした脚本の妙にあると言えよう。 ヒロインだけでなく観客も追いつめられるガスライティングの恐怖 真夜中に防犯システムを完備した大豪邸からこっそりと逃げ出す女性セシリア(エリザベス・モス)。彼女は世界的な光学研究の第一人者エイドリアン・グリフィン博士(オリヴァー・ジャクソン=コーエン)の恋人なのだが、しかし嫉妬深くて束縛が強くて支配的な彼との暮らしは生き地獄だったため、いよいよ覚悟を決めて脱出を企てたのである。睡眠薬で眠らせたはずのエイドリアンが、文字通り鬼の形相で追いかけてきたものの、電話連絡を受けて駆け付けた妹エミリー(ハリエット・ダイヤー)の車で逃げ切ることに成功したセシリア。その後、彼女は警察官である友人ジェームズ(オルディス・ホッジ)の自宅に匿われたが、しかしエイドリアンから受け続けた精神的な暴力によるトラウマはなかなか癒えなかった。 そんな折、驚くべきニュースが飛び込む。エイドリアンが自殺を遂げたというのだ。彼の兄である弁護士トム(マイケル・ドーマン)に呼び出され、500万ドルの遺産まで相続することになったセシリア。しかし、彼女はエイドリアンの死をにわかに信じることが出来ない。なぜなら、彼は自己愛の強いソシオパスで、全てを自分の思い通りにせねば気が済まない性格の持ち主。とてもじゃないが自殺をするような人間ではない。他人の目を欺くことにだって長けている。ましてや彼は世界的な科学者だ。自殺を偽装するなど朝飯前であろう。 やがて彼女の周辺では奇妙な出来事が起きるようになり、エイドリアンに見張られているのではないかと感じ始めるセシリア。当然、ジェームズやエミリーは思い過ごしだと受け流すが、しかしセシリアは送った覚えのない誹謗中傷メールでエミリーと絶縁する羽目になり、さらにジェームズの娘シドニー(ストーム・リード)を殴ったと疑われてしまう。私は何もしていない。エイドリアンが透明人間になって私を陥れようとしているのだ。証拠を掴むためエイドリアンの自宅へ行ったセシリアは、そこで人体を透明化する特殊スーツを発見。やはりそうだったのか。疑惑が確信へと変わった彼女は、エミリーに全てを打ち明けようとするのだが、しかしそこで最悪の悲劇が起きてしまう。果たして、エイドリアンは本当にまだ生きているのか、それとも全てはセシリアの被害妄想の産物なのか…? もちろん、一連の出来事は透明人間になったエイドリアンの仕組んだ罠なのだが、いずれにせよ主人公の名前(グリフィン博士)および透明人間という設定を継承しただけで、それ以外はほとんど原形をとどめていない大胆なアレンジに驚くホラー映画ファンも多いことだろう。オリジナル版の天才科学者グリフィン博士も、透明薬の副作用が少なからず影響しているとはいえ、優性思想に染まった誇大妄想狂のクソ野郎だったが、このリメイク版のグリフィン博士は典型的なDVモラハラ男として描かれる。まさしく、#MeToo時代に相応しい新解釈版『透明人間』だ。 被害者が精神的におかしいのではないか?と本人だけでなく周囲にも信じ込ませ、巧みに窮地へと追い詰めていく心理的虐待をガスライティングと呼ぶのだが、なるほど確かにガスライティングと透明人間は驚くほど親和性が高い。姿が見えなければやり放題だ。これまでありそうでなかった新しい切り口と言えよう。加えて、己の姿を一切見せることのないグリフィン博士の執拗な嫌がらせは、いわゆるソーシャルメディア・ハラスメントをも想起させる。SNSで匿名に隠れて他者を攻撃する加害者などは、まさに透明人間みたいなものだ。そういう意味でも、これは極めて今日的なテーマを扱った作品だ。 しかも、本作は透明人間ではなくその被害者の視点でストーリーが語られるため、観客はヒロインに降りかかる心理的な恐怖や絶望を生々しく追体験することになる。この息の詰まるような恐ろしさときたら!それゆえ、DVやハラスメントの被害者はフラッシュバックする恐れがあるので、鑑賞する際には注意が必要かもしれない。 監督と脚本を手掛けたのは、盟友ジェームズ・ワンと共に『ソウ』(’04)シリーズや『インシディアス』(’10)シリーズを生んだオーストラリア出身の脚本家リー・ワネル。前作『アップグレード』(’18)では、『狼よさらば』(’74)的なリベンジ・アクションを『ターミネーター』(’84)的な科学の暴走へと昇華させたていたワネル監督だが、本作ではその逆パターンを採用している。要するに、「科学の暴走」そのものである『透明人間』の物語を、『狼よさらば』というよりは『リップスティック』(’76)や『天使の復讐』(’81)的な性暴力被害者の復讐譚として仕上げたのだ。 さらに本作で目を引くのは透明人間のカラクリだ。ご存知の通り、H・G・ウェルズの原作小説や’33年版のグリフィン博士は、特殊な薬品を投与することで透明人間となる。その後の透明人間映画の多くも、この透明薬を採用してきた。その他にも、原子力を用いた放射能光線や透明化装置などもポピュラーだったが、本作では着用すると透明になれる特殊なボディスーツが使用される。 これがどういう仕組みかというと、スーツ全体に無数の小型カメラレンズが埋め込まれており、それぞれのレンズが周囲の様子をリアルタイムで細かくホログラム化。その映像で全身を覆い隠すことによって、周囲に溶け込んで透明化したように見える…ということらしい。なので、一度投与したら透明化したままの薬品と違って、それこそプレデターのように姿を見せたり隠したりが自在に出来るのだ。ある意味、CG加工と似たような原理である。実際、本作では透明人間役のスタントマンが全身グリーンのボディスーツを着用し、ポストプロダクションの際にはその部分だけをデジタル消去することで透明化している。なるほど、現実が空想科学にだんだんと追いついてきたわけだ。 ヒロインのセシリア役にエリザベス・モスを選んだのもドンピシャ。なにしろ、出世作『マッドメン』(‘07~’15)では男社会の会社組織で女性差別やセクハラに苦しむキャリア女性ペギー・オルセンを、初主演作『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』(‘17~)では全体主義国家アメリカで妊娠出産に奉仕させられる侍女ジューンを演じた、いわば#MeToo時代のハリウッドを象徴するような女優である。金持ち男性が囲い込む女性としては容姿が地味過ぎやしないか…との声も一部にあったようだが、しかし見た目が地味で大人しそうな女性ほど性暴力被害に遭いやすいとも言われる。まあ、そりゃそうだろう。DV男やモラハラ男は、自分に自信がなくて支配しやすい女性を狙うものだ。そう考えると、彼女の起用は十分に説得力があると思う。 ちなみに、『マトリックス』シリーズのゴースト役で知られる俳優アンソニー・ウォンが、交通事故に遭った車からフラフラしながら出てくるドライバー役でチラリと登場。その直後、セシリアが彼の車を奪って精神病院から逃走するのだが、その際にほんの一瞬だけ「ソウ人形」の落書きが画面に映る。くれぐれもお見逃しなきよう。 そんなこんなで、コロナ禍での劇場公開という圧倒的に不利な状況にも関わらず、世界興収1億4300万ドルというスマッシュヒットを記録し、ハリウッド批評家協会賞やサターン賞といった賞レースを席巻するなど、批評的にも極めて高い評価を得た本作。目下のところリー・ワネル監督による続編映画、そしてエリザベス・バンクスを監督に起用したスピンオフ映画の企画が進行しているという。それより前に、ホラー映画ファンとしては『スクリーム』製作チームによる、’24年春公開予定のタイトル未定ユニバーサル・モンスター映画というのが大いに気になるところですな!■ 『透明人間(2020)』© 2020 Universal City Studios Productions LLLP. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2023.06.28
古き良きモンスター映画の魅力を現代に受け継いだ正統派ゴシック・ホラー『ウルフマン』
※本レビューには一部ネタバレが含まれるため、鑑賞後にお読み頂くことを推奨します。 狼男はいかにしてホラー映画のメジャースターとなったのか? ハリウッド産ホラー映画の殿堂ユニバーサルが、往年の名作『狼男』(’41)を21世紀に甦らせたリメイク映画『ウルフマン』(’10)。「吸血鬼」や「フランケンシュタインの怪物」などと並ぶ、古典的ホラー・モンスターの代表格「狼男」だが、しかし映画の世界では長いこと不遇の扱いを受けることが多かった。そこでまずは、狼男伝説の基本をおさらいしつつ、人狼映画の変遷を振り返ってみたい。 普段は平穏に暮らしている普通の人間が、満月の夜になると全身が狼のように毛むくじゃらの怪物へと変身し、文字通り野獣本能の赴くままに殺戮を繰り広げる狼男(=人狼)。襲われた人間もまた人狼となってしまう。唯一の弱点は銀製の弾丸や武器だが、この設定は19世紀に加わったものと言われる。ヨーロッパの民間伝承では古くから知られており、そのルーツは遠くギリシャ神話やローマ神話の時代にまで遡るという。アルカディア王リュカオンの伝説だ。詩人オウィディウスの叙事詩「変身物語」には、自分のもとへ訪れた最高神ゼウスを本物かどうか試そうとしたリュカオンが、そのことでゼウスの怒りを買って狼へ変えられたという記述がある。このリュカオンこそが、人狼=ライカンスロープの語源となったのだ。 さらに、中世ヨーロッパでは各地に人狼事件の記録が残っており、特に魔女狩りの嵐が吹き荒れた16世紀から17世紀にかけては、実に3万件もの人狼裁判が行われたそうだ。また、1764~67年にフランスのジェヴォーダン地方で100人近くが狼のような野獣に襲われたという、いわゆる「ジェヴォーダンの獣」事件にも人狼説が存在する。ただ、この頃になると「狼憑き」は精神疾患の一種と見做されるようになっていたようだ。実際、ライ麦パンを主食とする貧困層が、そのライ麦に寄生した麦角菌の中毒が原因で「狼憑き」状態に陥ったケースも多かったらしい。 かように長い歴史と伝統を誇る怪物・狼男(=人狼)だが、しかし映画のスクリーンで暴れまわるまでには時間がかかった。世界初の人狼映画と呼ばれるのは、ユニバーサルが配給した『The Werewolf』(’13)という短編サイレント映画。これは、先住民ナバホ族の呪術師が、白人侵略者を殺すため我が娘を狼に変えるという話だった。しかし、サイレント期に作られた人狼映画は、これとジョージ・チェセブロ主演の『Wolf Blood』(’25)くらいのもの。吸血鬼およびフランケンシュタインの怪物に比べて人狼が不人気だったのは、「吸血鬼ドラキュラ」や「フランケンシュタイン」のように著名な原作が存在しなかったからと考えられる。また、人間→モンスターへ変身する過程の描写が、当時の映像技術では極めて難しかったことも理由として挙げられるだろう。 やがて、’30年代に入ると『魔人ドラキュラ』(’31)と『フランケンシュタイン』(’31)の大ヒットを皮切りに、いわゆるユニバーサル・モンスター映画ブームが到来。フランケンシュタインの怪物を演じたボリス・カーロフが一躍注目されたことから、そのカーロフを単独主演に据えた次回作として、実はスタジオ側が人狼映画の企画を準備していたらしい。監督と脚本も『モルグ街の殺人』(’32)のロバート・フローリーに決まっていたという。ところが、人間が野獣に変身するのは冒涜的ではないか?と、カトリック系団体からの反発を恐れたユニバーサルが途中で企画を断念。その代わりとして製作したのが『倫敦の人狼』(’35)だった。ただし、人狼治癒効果のある希少な植物を研究する学者が人狼に変身するというストーリーは、「ジキル博士とハイド氏」のバリエーションという印象。劇中に登場する人狼の特殊メイク(ジャック・ピアースが担当)も、なるべくショッキングになり過ぎないよう配慮され、あえて野獣的なイメージが薄められてしまった。 そのユニバーサルが、ようやく本腰を入れて世に送り出した本格的な人狼映画がジョージ・ワグナー監督の『狼男』(’41)。兄の死をきっかけに故郷へ戻った名家の御曹司ローレンス・タルボット(ロン・チェイニー・ジュニア)が、夜の森で狼に襲われたことから、満月の夜になると人狼へと変身してしまう。普段は善良で心優しい青年が、理性なき凶暴なケダモノと化してしまう衝撃。そして、己の残酷な運命に苦悩した彼が、さらなる惨劇を防ぐため自らの死を望むという悲劇。そのドラマチックなストーリーは、原作小説のないオリジナル作品でありながら文学的な香りが色濃く漂う。脚本を手掛けたのはSF作家としても知られるカート・シオドマク。ジャック・ピアースによる野獣的な特殊メイクの仕上がりも素晴らしく、以降の人狼映画におけるプロトタイプとなる。技術的な粗を巧みに隠した変身シーンの演出も上出来だった。 この『狼男』が大ヒットしたおかげで、いよいよ人気ホラー・モンスターの仲間入りを果たした人狼。ユニバーサルは引き続きロン・チェイニー・ジュニアをローレンス・タルボット(=狼男)役に起用し、『フランケンシュタインと狼男』(’43)や『フランケンシュタインの館』(’44)、『ドラキュラとせむし女』(’45)などのモンスター競演映画を製作する。また、20世紀フォックスもジョン・ブラーム監督の『不死の怪物』(’42)という人狼映画の隠れた名作を発表。ただ、やはり特殊メイクに手間暇がかかるうえ、当時の技術では変身プロセスをリアルに見せることが困難だったためか、’50年代以降のハリウッドはあまり作られなくなっていく。 一方、ヨーロッパではオリヴァー・リードの出世作となったハマー・プロの英国ホラー『吸血狼男』(’60)や、『吸血鬼ドラキュラ対狼男』に始まるポール・ナッシー主演のスパニッシュ・ホラー「狼男ヴァルデマル・ダニンスキー」シリーズなどが登場し、アメリカへも上陸してヒットしている。さらに、’80年代になるとハリウッドの特殊メイクや視覚効果の技術が飛躍的に向上。ジョー・ダンテ監督の『ハウリング』(’81)とジョン・ランディス監督の『狼男アメリカン』(’81)が相次いで全米公開され、いずれも当時としては画期的な人狼の変身シーンが話題となった。人狼映画にとって長年の課題が遂に解決したのである。中でも、リック・ベイカーが特殊メイクを担当した『狼男アメリカン』は、人間から野獣へと変化していく過程を細部まで克明に表現。もはや特殊メイクの世界そのものに革命を巻き起こしたと言えよう。 こうして、長年に渡って進化を遂げてきた人狼映画。やがてCG全盛の時代が訪れると、毛の質感をいかにデジタルで表現するかが新たな課題となったが、しかし『アンダーワールド』(’03)シリーズや『トワイライト』(’05)シリーズを見ても分かるように、それもまた着実に改善されてきているだろう。とはいえ、デジタル処理された昨今の狼男に少なからず物足りなさを感じることも否定できまい。特に『トワイライト』シリーズの人狼は、もはや人狼というより狼そのものだし、なによりも変身シーンのあまりの呆気なさときたら(笑)。なので、『ドッグ・ソルジャー』(’02)や『ローンウルフ 真夜中の死闘』(’14)のような、極力CGを最小限に抑えてフィジカルな特殊メイクやアニマトロニクスにこだわった作品に、どうしてもシンパシーを覚えてしまう。いずれにせよ、そんな過渡期の時代にあえて登場したのが、人狼映画の古典にして金字塔『狼男』をリメイクした本作だった。 脚本・演出・特殊メイクの総てに溢れるオリジナルへのリスペクト! 舞台は19世紀末のイギリス。兄弟ベンが行方不明になったとの一報を、彼の婚約者グエン(エミリー・ブラント)より受けたシェイクスピア俳優ローレンス・タルボット(ベニチオ・デル・トロ)は、公演先のロンドンから故郷の村ブラックムーアへ25年ぶりに戻って来る。生家のタルボット城へ到着した彼を待っていたのは、長いこと複雑な関係にある父親ジョン(アンソニー・ホプキンス)。幼い頃に愛する母親を自殺で失い、その現場を目撃してしまったローレンスは、父親によって精神病院へと入れられ、退院後はアメリカに住む叔母のもとへ預けられたのだ。その父親ジョンの口から告げられたのはベンの訃報。遺体は無残にも引き裂かれており、まるで獰猛な野獣に襲われたようだった。いったいベンの身に何が起きたのか。ローレンスは真相を突き止めることを誓う。 実は、ローレンスの母親が亡くなった25年前の満月の夜にも、村では同様の事件が起きていた。一部の村人は人狼の仕業と信じているようだ。亡きベンが流浪民と関わっていたことを知ったローレンスは、手がかりを掴むために流浪民の野営地を訪ねるのだが、そこへ突然現れた人狼が大殺戮を繰り広げ、ローレンスもまた襲われて重傷を負ってしまう。瀕死の彼を助けたのは流浪民の占い師マレバ(ジェラルディン・チャップリン)。辛うじて一命を取り留めたローレンスは、驚くほどのスピードで回復。そんな彼の身辺を、警察庁のアバライン警部(ヒューゴ・ウィーヴィング)が調べ始める。精神疾患の過去があるローレンスに大量殺人の疑いを向けたのだ。徐々に自らの身体的な変化に違和感を覚えていくローレンス。そして訪れた満月の晩、彼はみるみるうちに狼人間へと姿を変えて村人を襲う。果たして、ベンを殺してローレンスを襲撃した人狼の思いがけない正体とは?そして、やがて明らかとなる母親の死の真相とは…? オリジナル版のストーリーを下敷きにしつつ、主人公ローレンスを舞台俳優に変えるなど随所で様々な設定変更を施し、さらに母親の死という新たな設定を加えた本作。ヒロインのグウェンも、オリジナル版ではローレンスの恋人となる骨董品店の娘だった。しかし恐らく最大の違いは父親ジョンの設定であろう。旧作のジョンは息子を誰よりも愛する理知的で温厚な天文学者だったが、本作のジョンはシニカルで冷笑的な名門貴族の隠居老人で、息子に対してもどこか冷淡なところがある。そればかりか、実は彼こそがベンを殺してローレンスを襲った人狼だった。この大胆な新解釈によって、ストーリー後半の展開も旧作とは意味合いが異なるものとなっている。 人狼としての野獣的な本能を受け入れ、むしろ優越感をもってそれを愉しむようになったジョン。一方の息子ローレンスは、抗いたくても抗うことのできない野獣的な本能に苦悩し、全ての元凶である父親に復讐を果たして自らも死を選ぼうとする。本編後半で繰り広げられる両者の全面対決は、それすなわち人間的な理性と動物的な本能の葛藤だと言えよう。確かに、父と子の死闘は旧作のクライマックスでも描かれるが、しかしオリジナル版の父親ジョンは目の前の人狼が我が子ローレンスだとは知らなかった。血を分けた親子の戦いというのは多分にシェイクスピア的であり、このリメイク版ではその宿命的な悲劇性がなおさらのこと際立つ。ローレンスの職業をシェイクスピア俳優に変えたことには、そういう意図も含まれていたに違いない。『セブン』(’95)のアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーが手掛けた脚本を、『ロード・トゥ・パーディション』(’02)のデヴィッド・セルフがリライトしたそうだが、この肉親同士の非情な対立と隔絶の要素には後者の個性が色濃く出ているようにも思う。 ちなみに、グエンのナレーションによって読み上げられる冒頭の「清らかな心を持ち/祈りを欠かさぬ者も/トリカブトの咲く/秋月の輝く夜に/人狼にその姿を変える」という一文は、旧作『狼男』を筆頭にユニバーサル・ホラーでたびたび登場する人狼伝説の有名なフレーズ。一部では実在する東欧系流浪民の言い伝えだとも噂されてきたが、実際はオリジナル版の脚本家カート・シオドマクが考え出したものだった。 かように文学的で品格のある脚本を、正統派のゴシック・ホラーとして映像化したジョー・ジョンストンの演出も評価されて然るべきだろう。濃い霧の立ち込めるダークで重厚な映像美は、オリジナル版のイメージを最大限に尊重したもの。さらに、舞台設定を旧作の現代から19世紀末に移し替えたことで、メアリー・シェリーやブラム・ストーカーの小説にも相通じるクラシカルな怪奇幻想譚の世界を創出している。VFXの使用を必要最小限に抑えたことも、物語にリアリズムを与える上で非常に効果的だったと言えよう。中でも特に、昔ながらのフィジカルな特殊メイクで人狼を表現したのは賢明な選択だ。 特殊メイクのデザインを担当したのは、先述した『狼男アメリカン』の画期的な人狼メイクで業界に革命を巻き起こした巨匠リック・ベイカー。なにしろ、少年時代に見た旧作『狼男』や『フランケンシュタイン』に感化されて、特殊メイク・アーティストを目指した人物である。これほど適した人選もなかろう。事実、本作の企画を知ったベイカーは、「何が何でも俺がやりたい!」と自ら名乗りをあげたそうだ。その『狼男アメリカン』や『ハウリング』の成功以来、人間よりも本物の狼に寄せたデザインが主流となっていたハリウッド映画の人狼だが、本作ではベイカーも尊敬するジャック・ピアースが手掛けた旧作の人間寄りデザインを採用。そこに最先端の特殊メイク技術を活用したアップデートを施している。 例えば、趾行動物の特徴を受け継いだ人狼の独特な歩き方。旧作では単純に役者がつま先立ちをしているだけだったが、本作では競技用義足を応用することで、より動物的な歩行を表現している。また、旧作の狼男は材質が固かったため表情を変えることが難しかったが、その点も本作では大きく改善されており、なおかつ役者本人の顔つきや身体的な特徴を生かしたデザインが考案された。おかげで、CG人狼にありがちなアニメっぽさが感じられないのは有難い。なにより、古き良き伝統的な狼男を甦らせてくれたことは、ホラー映画ファンとして素直に嬉しいと言えよう。とはいえ、さすがに変身プロセスではCGを使用。一応、見せるパーツを選ぶことでデジタルの粗を隠しているが、それでも部分的には隠しきれていないところも見受けられる。そこは本作で唯一不満の残る点であろう。 なお、今回ザ・シネマにて放送されるのは、劇場版よりも17分ほど長いディレクターズ・カット版。オープニングのスタジオ・ロゴも、オリジナル版が公開された’40年代当時のものを再現している。また、劇場版ではグウェンからベン失踪を告げる手紙を受け取ったローレンスが、故郷のブラックムーアへ急いで向かう様子を駆け足で手短にまとめていたが、ディレクターズ・カット版ではそこへ至るまでの過程が詳しく描かれる。注目すべきは、クレジットにない名優マックス・フォン・シドーの登場であろう。ローレンスが機関車のコンパートメントで知り合う謎めいた老人役。終盤のストーリーで重要な役割を果たす純銀製のステッキは、この老人から譲り受けたものだったのだ。しかも、ジェヴォーダンで作られたものだというのだから、分かる人なら思わずニンマリとするに違いない。 特殊メイクを手掛けたリック・ベイカーとデイヴ・エルシーが第83回アカデミー賞に輝いたものの、しかし公開当時の批評は決して高かったとは言えず、興行的にも残念な結果に終わってしまった本作。正直なところ、理不尽なほどの過小評価だったと言わざるを得まい。実際は極めて良質なゴシック・ホラー映画。特に、ローレンス・タルボットやヴァルデマル・ダニンスキーの名前を聞いて思わず胸がキュンとなるような、筋金入りのクラシック・モンスター映画ファンならば必見である。現在、ユニバーサルは新たなリブート版の企画を進めているとのこと。大いに期待して待ちたい。■ 『ウルフマン [ディレクターズカット版]』© 2010 Universal Studios. 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