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PROGRAM/放送作品
戦争のはらわた【4Kレストア版】
栄光に飢えた貴族将校vs歴戦の叩き上げ下士官、サム・ペキンパー監督が描く、極限の戦場ドラマ
『ワイルドバンチ』のサム・ペキンパー監督が、真骨頂であるスローモーション撮影と細かいカット割りを随所に施し、リアルで激しい戦闘シーンを再現した、ジェームズ・コバーン主演の戦争映画史上屈指の傑作!
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COLUMN/コラム2020.08.06
『戦争の犬たち』 フレデリック・フォーサイスの原作の背景と、クリストファー・ウォーケン主演によるアレンジについて
本作『戦争の犬たち』(1980)の原作は、イギリスの作家フレデリック・フォーサイスが著し、1974年に出版された同名の小説である。フォーサイスと言えば、現実の国際情勢に基づいた題材を取り上げ、アクチュアルに描いたベストセラーを、数多く世に放ってきたことで知られる。 ジャーナリスト出身の彼が書いた小説の第1作が、かの有名な「ジャッカルの日」。1962年から63年に掛けて、「ロイター通信」の特派員としてパリ駐在時に、当時のドゴール大統領の動きを、日々追った経験を基に書き上げた、サスペンススリラーの傑作である。 ドゴール大統領暗殺を狙う、正体不明のスナイパー“ジャッカル”と、それを阻止しようとする国家権力の虚々実々の戦いを描いた「ジャッカルの日」は、71年に出版されてベストセラーになった。巨匠フレッド・ジンネマン監督による、その映画化作品も、73年に公開されて世界的に大ヒット!今でも“暗殺映画”のマスターピースとして、高く評価されている。 「ジャッカルの日」の出版契約に当たって版元は、作家としては無名の新人であったフォーサイスに、「小説三作の契約」を結びたいと申し入れた。そこでフォーサイスが、ジャーナリストとして見聞きしたことを基に考え出したのが、「オデッサ・ファイル」と「戦争の犬たち」だった。 「ジャッカルの日」に続く第2作となったのは、「オデッサ・ファイル」。フォーサイスが冷戦時の東ベルリンに駐在していた時、耳にした噂が起点となっている。それは、元ナチスのメンバーが、戦後に司直の手から逃れるために作った、謎の組織が存在するというものだった。 この噂話をベースに、綿密な取材を行って執筆した「オデッサ・ファイル」は、72年に出版。74年にジョン・ヴォイトが主演した映画化作品が、公開された。 そしてフォーサイスの第3作となったのが、「戦争の犬たち」である。こちらは彼が、「ロイター」から「BBC=英国放送協会」に転職した後、アフリカに赴いた時の経験から、発想した内容。ナイジェリアの内戦=「ビアフラ戦争」の取材を通じて、自分が知ったアフリカのこと、そしてそこで戦う白人傭兵たちについて描くことを、思い付いたとしている。 小説「戦争の犬たち」に登場するのは、独裁者であるキンバ大統領が君臨する、アフリカの架空の国ザンガロ。ここにプラチナの有望な鉱脈があることを知った、イギリスの大企業が、クーデターでキンバを倒すことを企てる。その上で、自分たちが立てた傀儡を大統領に据え、プラチナを独占しようという算段であった。 そこで雇われたのが、イギリスの北アイルランド出身の傭兵シャノン。彼は観光客を装ってザンガロを訪れ、綿密な調査を行う。そして、外部からの急襲作戦によって、政権打倒が可能であるとのレポートを提出した。 そのまま、クーデターの計画立案から、武器や兵員の調達や輸送、戦闘まで任されたシャノンは、気心が知れた傭兵仲間を招集。ヨーロッパの各地で準備を進め、やがて計画は実行に移される。 シャノンが率いる傭兵部隊は、犠牲を出しながらも、独裁者を倒すことに成功。手筈通り、黒幕の大企業の使者と、傀儡政権のトップを出迎える。 しかし実はシャノンは、大国や一部の富者の思惑や謀略によって、アフリカの国家やその住民たちが蹂躙される様を、傭兵生活の中で幾度も目撃し、憤りを覚えるようになっていた。そして彼の雇い主たちには、思いもよらなかった行動に出る…。 さて、処女作「ジャッカルの日」から「戦争の犬たち」まで、いずれもフォーサイスの、ジャーナリスト時代の見聞から拡げた物語であることは、先に記した通りである。その辺りをフォーサイス本人が詳述しているのが、2015年に出版された自伝「アウトサイダー 陰謀の中の人生」。そしてその中でフォーサイスは、自分がイギリスの秘密情報部「MI6」の協力者であったことも、明かしている。 それによると、「MI6」のエージェントが、フォーサイスに初めて接触してきたのは、1968年。「BBC」を辞めてフリーランスの記者として、「ビアフラ戦争」の取材を続けている時だった。この戦争によって、多くの子どもたちが餓死している惨状を、フォーサイスはエージェントに伝え、イギリス政府がこの戦争に対して取っている政策を、揺り動かそうとしたという。 アフリカに関してはその後、70年代に過酷な人種差別政策で知られた「ローデシア」の政権の動向を探ったり、80年代、「南アフリカ」が密かに保有していた核兵器に関する情報を収集したりなどの、協力を行ったとしている。 また同書によれば、73年には東ドイツを訪問。そこで、イギリスの協力者となっているソ連軍の大佐から紙包みを受け取り、西側に持ち出すというミッションまで敢行している。 そんなこともあって、新作の小説を発表する際には、フォーサイスは機密を知る人間として、「書きすぎた部分」はないか、「MI6」のチェックを受けていたとする。しかしこの自伝に関しては、私は些か眉唾との思いを、抱かざるを得ない。 秘密情報部からの依頼のみに止まらず、ジャーナリストとしての戦場取材や、小説を書くための裏社会のリサーチなどに於いて、あまりにも命懸け、危機一髪で死地をくぐり抜けるエピソードが多いのである。しかも時によっては、彼にとっては敵方に当たる東側の女性工作員とのアバンチュールもあったりする。まさに、ジェームズ・ボンドさながらである。 また東ドイツ駐在時に、彼のスクープによって、危うく「第三次世界大戦」の引き金を引きかけるくだりがある。そんなこんなも含めて、元ネタになった経験は実際にあったとしても、「話を盛ってるなぁ~」という印象が、拭えない。 しかし、当代随一のスパイ小説の書き手が、自らの人生を綴る中でも、旺盛なサービス精神を発揮したと思えば、それほど大きな問題はないのかも知れない。元々国際情勢の現実に則りながらも、エンタメ要素を加える手法が、高く評価されてきた作家であるわけだし。 だがこの「アウトサイダー」では、フォーサイスの歩みを知る者としては、一体どんな風に記すのか興味津々だった部分が、書かれていなかったりする。それは1972年、アフリカの小国「赤道ギニア共和国」で、フォーサイスがクーデターを支援するために傭兵部隊を雇い、政権転覆を企てたという、かなり有名な逸話についてだ。 このクーデターの資金は、「ジャッカルの日」の印税で、主たる目的は、フォーサイスが「ビアフラ戦争」で肩入れしていた、反乱軍の兵士たちのため。「ナイジェリア」を追われた彼らに、国を与えようとしたと言われる。 しかしこの計画は、船に武器を積み込む予定だったスペインで、傭兵隊長が身柄を拘束されて失敗に終わった。そしてこれらの経験を盛り込んで書かれたのが、「戦争の犬たち」だという。小説の中ではクーデターは成功し、フォーサイスの所期の目的も果たされる。 このクーデター未遂事件は、6年後の78年に、イギリスの新聞「サンデー・タイムズ」に報じられ、大きなニュースとなった。但しフォーサイス自身はこの件に関しては、作戦会議を取材しただけで、傭兵達が自分を首謀者だと思い込んだのだと、関与を否定しているが…。 虚実は、はっきりしない。しかしいずれにせよ、アクチュアルながらも、フィクションである物語を数多紡いできた、フォーサイスらしい逸話と言っても、良いのではないか? さて、そんな小説を映画化した本作『戦争の犬たち』は、原作のエッセンスは残しながらも、ストーリーをかなり省略。更にオリジナルの設定も、多分に盛り込んだ作りとなっている。 シャノンが、ザンガロへの調査の旅で、逮捕されて拷問に遭ったり、原作には登場しない、別れた妻との愁嘆場があったり。なぜこうした作りになったかと言えば、シャノンを演じるのが、クリストファー・ウォーケンだったからではないだろうか。 ウォーケンが一躍注目を集めたのは、今から42年前=1978年、彼が30代半ばの時に公開された、マイケル・チミノ監督のベトナム戦争もの『ディア・ハンター』。戦場で心を病み、ロシアン・ルーレットで命を落とす青年ニック役で、繊細且つ凄絶な演技を見せ、アカデミー賞助演男優賞を受賞した。 それに続く出演作は、80年に公開された2本。チミノ監督作への連続出演となる、『天国の門』、そして本作『戦争の犬たち』である。当時のウォーケンは、大作の“主演級スター”として、猛売り出し中だった。 また近年は、“個性派”或いは“怪優”といった印象が強いウォーケンだが、当時は女性ファンも多い、“二枚目”俳優であった。『戦場の犬たち』に、出世作『ディア・ハンター』を想起させるような“拷問”シーンや、切なさを醸し出す“ラブシーン”が用意されたのは、当時のウォーケンならではだったと思える。 しかし『天国の門』は、空前の失敗作扱いをされ、製作の「ユナイテッド・アーティスツ」を破綻に追い込んだのは、多くの方がご存知の通り。『戦争の犬たち』も興行成績がパッとせず、ウォーケンが“A級作品”の主役を演じるのは、83年の『ブレインストーム』や『デッドゾーン』辺りで、打ち止めとなる。まあ今になって考えると、大作の“主演”も“二枚目”扱いも、柄じゃなかったという気がしてくるが。 そしてウォーケンは、『007 美しき獲物たち』(85)で、当初デヴィッド・ボウイにオファーされていた悪役を、彼の代わりに演じた辺りから、「クセが強い」役柄が多い俳優となっていく。 余談になるが、ダニエル・クレイグがボンドを演じる現在、『007』シリーズの悪役は、ハビエル・バルデム、クリストフ・ヴァルツ、ラミ・マレックと、いつの間にかオスカー男優の定席となってしまった。だが実は、それ以前にオスカー受賞者で『007』の悪役を演じたのは、ウォーケンただ一人である。 最後に話をまとめれば、原作者が実際に起こそうとしたクーデターをベースに書いたと言われる物語を、当時は“二枚目”で“主演級”だった現“怪優”向けにアレンジしたのが、本作『戦場の犬たち』である。そう思うとこれは、1980年というタイミングだからこそ、作り得た作品とも言えるだろう。■ 『戦争の犬たち』(C) 1981 JUNIPER FILMS. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
ザ・ネゴシエーション
『愛の不時着』のヒョンビンが初の悪役に!凶悪犯と交渉人との息詰まる駆け引きを描いたサスペンス
人質を取った凶悪犯と女性交渉人が繰り広げる駆け引きを、『愛の不時着』のヒョンビンと『頭の中の消しゴム』のソン・イェジンが熱演。善と悪の境目が曖昧になっていく、先読み不能な展開から目が離せない。
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COLUMN/コラム2020.07.03
‘50年代SF映画ブームの起爆剤となったジョージ・パルの代表作『宇宙戦争(1953)』
ハリウッドでは過小評価され続けたSF映画 ご存じ、スティーブン・スピルバーグ監督×トム・クルーズ主演によって、’05年にリメイクもされたSF映画の金字塔である。火星人による地球侵略の恐怖とパニックを、当時の最先端の特撮技術を用いて描いたスペクタクルなSF大作。ハリウッドでは’50年代に入ってSF映画の本格的なブームが到来するが、その象徴とも呼ぶべき作品がこの『宇宙戦争』だった。 そもそも、フランスが生んだ映像の魔術師ジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』(’02)や、ドイツの巨匠フリッツ・ラングによる『メトロポリス』(’26)、H・G・ウェルズ自らが脚本を書いたイギリス映画『来るべき世界』(’36)など、ヨーロッパではサイレントの時代から正統派のSF映画が脈々と作られてきた。しかし、一方のハリウッドへ目を移すと、純然たるSF映画は戦後まであまり見当たらなかったと言えよう。 ざっくりとSF映画にジャンル分けされる当時のアメリカ映画を振り返っても、例えば子供たちに人気を博した『フラッシュ・ゴードン』(’36)シリーズや『バック・ロジャーズ』(’39)シリーズなどは基本的にヒーロー活劇だし、『フランケンシュタイン』(’31)や『キング・コング』(’33)などもSFというよりはモンスター・ホラー、『失はれた地平線』(’37)や『明日を知った男』(’44)辺りになると完全にファンタジーである。しかも、一部を除いて大半は低予算のB級映画で、空想科学(Science Fiction)の「科学」だってないがしろにされがち。要するに、SFというジャンル自体がハリウッドでは成立しづらかったのである。 しかし、第二次世界大戦後になるとテクノロジーの飛躍的な進化とともに、アメリカ国民の宇宙開発や最先端科学への関心も急速に高まっていく。もはや、科学をおろそかにした空想科学映画は通用しない時代になりつつあった。そうした世相を背景に、いち早く本格的なSF映画として勝負に打って出たのが、ハリウッドにおける特撮SF映画のパイオニアであるジョージ・パルが製作した『月世界征服』(’50)。これはハリウッド史上初めて科学的根拠に基づいて宇宙旅行を描いたSF映画であり、大々的な宣伝キャンペーンも功を奏してスマッシュ・ヒットを記録、アカデミー賞の特殊効果賞やベルリン国際映画祭の銅熊賞を獲得するなどの高い評価を得た。 さらに、その翌年にはエイリアンの地球侵略を題材にした『遊星よりの物体X』(’51)と『地球の静止する日』(’51)が相次いで大ヒット。当時のアメリカでは東西冷戦の緊張の高まりを背景に、自国がソビエトによって侵略されるかもしれないとの不安が広まり、それがジョセフ・マッカーシー上院議員の扇動する共産主義者への人権弾圧、いわゆる「赤狩り」のパラノイアを生み出したわけだが、これらのSF映画はそうした社会不安の時代に上手くマッチしたのだろう。 以降、ハリウッドのSF映画はエイリアンによる地球侵略物を中心に盛り上がり、たちまち「SF映画黄金時代」の様相を呈してく。その空前とも言えるブームの頂点を極めた作品が、『月世界征服』と『地球最後の日』(’51)に続いてジョージ・パルがプロデュースした『宇宙戦争』だったのである。 SF映画の歴史を変えた製作者ジョージ・パル ジョージ・パルはもともとハンガリー出身のアニメーション作家。ナチス・ドイツの台頭を逃れてアメリカへ移住し、友人だったアニメーター、ウォルター・ランツ(ウッディー・ウッドペッカーの作者)の助けで米国籍を取得してパラマウントで働くようになる。アメリカではドイツ在住時代に自身が開発した人形アニメ、パル・ドールの技術を改良し、子供向けの御伽噺を映像化した短編ストップモーション映画「パペトゥーン」シリーズを’42~’47年にかけて製作。その功績が評価され、’44年にはアカデミー特別賞を獲得した。 その一方で実写劇映画への進出を目論んでいたパルは、イギリスの映画会社ランクオーガニゼーションのアメリカ支社に当たるイーグル=ライオン社の出資を取りつけ、2本の実写映画を立て続けに制作する。それがパペトゥーンの技術を生かしたコメディ映画『偉大なルパート』(’50)と、先述したSF特撮映画『月世界征服』。この成功を足掛かりに、パルはパラマウントで『地球最後の日』を制作するのだが、しかしSFジャンルに懐疑的なスタジオ側は十分な予算を与えず、パルにとっては不本意な仕上がりとなってしまう。そんな彼が次に取り組んだ企画が、SF小説の大家H・G・ウェルズの代表作『宇宙戦争』の映画化だった。 1897年にイギリスの雑誌「Pearson’s Magazine」に連載されたH・G・ウェルズの小説『宇宙戦争』は、その後アメリカの「New York Evening Journal」でも連載されて大評判となり、後世のSF小説に多大な影響を及ぼすことになった。ハリウッドでは1924年にパラマウントの社長ジェシー・ラスキーが映画化権を獲得。しかし、具体的に映画化されることなく歳月が流れ、その間にセシル・B・デミルやアルフレッド・ヒッチコックらが関心を示すものの実現はしなかった。あのレイ・ハリーハウゼンも『宇宙戦争』の映画化を切望し、テスト・フィルムまで製作してジェシー・ラスキーに売り込んだが、出資者が見つからずに頓挫した。唯一の例外は、1938年のハロウィンに放送されてアメリカ中に衝撃を与えた、鬼才オーソン・ウェルズの脚色・演出・ナレーションによるラジオ・ドラマ版だ。あまりにも真に迫った内容だったため、本当に宇宙人が攻めてきたと勘違いした全米のリスナーがパニックを起こしてしまったのである。 閑話休題。とりあえず『宇宙戦争』の映画化権がパラマウントにあると知ったジョージ・パルは、数々のフィルムノワール作品で知られるバー・リンドンに脚色を依頼し、それを携えてパラマウントの重役に企画を売り込むものの、その場で脚本をゴミ箱に捨てられてしまったという。脚本を読みもせず門前払いしようとする重役に食ってかかったパルだったが、その騒ぎを聞いて仲裁に駆け付けた別の重役が映画化を約束。最終的に200万ドルという莫大な予算を与えられることになるものの、このエピソードだけでも当時のハリウッドの大手スタジオが、SF映画をどれだけ過小評価していたのかよく分かるだろう。 宇宙人の地球侵略に人類はどう対抗するのか…!? 原作の舞台設定はビクトリア朝時代のイギリスだが、ジョージ・パル版では現代の南カリフォルニアへと変更されている。ある日、世界各地で隕石が飛来。カリフォルニアの小さな町にも隕石が墜落し、たまたま近くにいた高名な科学者フォレスター博士(ジーン・バリー)は、ロサンゼルスからやって来た科学研究所パシフィック・テックの職員シルヴィア(アン・ロビンソン)らと共に、隕石の調査をすることとなる。ところがその翌晩、隕石の中から不気味なアーム状の物体「コブラ・ヘッド」が飛び出し、駆けつけた州兵や科学者、マスコミ関係者へ対して攻撃を始めるのだった。 すぐさま近隣の米軍が総動員されるものの、しかしコブラ・ヘッドから放たれるビーム光線の強大な破壊力には敵わない。そればかりか、コブラ・ヘッドの下からUFO状の飛行物体「ウォー・マシーン」が出現。総攻撃を仕掛ける軍隊だったが、透明シールドに守られたウォー・マシーンはビクともせず、遂には最前線の基地が木っ端みじんに破壊されてしまう。辛うじて脱出したフォレスター博士とシルヴィアだったが、飛び乗ったセスナ機が途中で墜落してしまい、急いで逃げ込んだ民家でエイリアンに遭遇する。 シルヴィアに襲いかかったエイリアンを斧で撃退したフォレスター博士。そこで敵の血液サンプルと偵察用カメラを手に入れた2人は、ロサンゼルスのパシフィック・テック本部にそれを持ち込み、エイリアンを迎え撃つ策を練る。しかし、既に世界各地の都市が陥落しており、ロサンゼルスが敵の攻撃に晒されるのも時間の問題。そこで米政府は、最終兵器である原子力爆弾の使用に踏み切るが、期待も空しくまるっきり歯が立たなかった。いよいよロサンゼルスへと迫りくるウォー・マシーン軍団。果たして、このままアメリカ西海岸もエイリアンの手に堕ちてしまうのか…!? 企画段階ではレイ・ハリーハウゼンも関わっていた…? 本作が成功した最大の要因は、火星人による地球への侵略という突拍子もない設定を大真面目に捉え、当時の科学的知識や軍事的戦略をしっかりと織り交ぜることで、それまでのSF映画にありがちな荒唐無稽を極力排した、シリアスな「戦争映画」として仕上げている点にあるだろう。第一次世界大戦と第二次世界大戦のモノクロ記録映像で幕を開けるオープニングなどはまさにその象徴。さらに、まるで本物の天体写真かと見紛うばかりに精密な火星や土星などのマットペイントを駆使し、高度な文明を有しながらも感情を持たない火星人が、どのような事情で故郷の惑星を捨てて地球への侵略計画を進めてきたのか、ドキュメンタリーさながらのリアリズムで丹念に説明をする。これがまた、にわかに信じがたい物語に独特の説得力を持たせるのだ。 ちなみに、このマットペイントを担当したのが、フランスのルシアン・ルドーと並ぶ「現代スペース・アートの父」と呼ばれ、その作品がアメリカの国立航空宇宙博物館にも展示されている有名な画家チェズリー・ボーンステル。彼はオーソン・ウェルズの『市民ケーン』(’40)や『偉大なるアンバーソン家の人々』(‘42)のマットペイントも手掛け、ジョージ・パルとは『月世界征服』と『宇宙征服』(’55)でも組んでいる。 また、特殊効果マン出身のバイロン・ハスキンを監督に起用したのも正解だった。ワーナー・ブラザーズで『真夏の夜の夢』(’35)や『女王エリザベス』(’39)、『シー・ホーク』(’40)などの特殊効果を手掛け、アカデミー賞にも4度ノミネートされた実績のあるハスキンは、当時の原始的な技術を用いた本作の特撮シーンを、いかにリアルかつスペクタクルに見せるかという演出のツボを心得ている。中でも、爆撃によって立ち込める煙の中から「ウォー・マシーン」がゆっくりと姿を現すシーンなどは、ミニチュアを吊り下げる無数のピアノ線を煙で隠すという本来の目的を果たしつつ、人類の英知を結集した武器をもってしても敵わない「ウォー・マシーン」の無敵感と恐怖感を存分に煽って効果的だ。 そのウォー・マシーンをデザインしたのは、セシル・B・デミルも御贔屓だった日系人美術デザイナーのアル・ノザキ。H・G・ウェルズの原作では三脚型のトライポッドとして描かれ、スピルバーグ監督のリメイク版もそれに準じているが、本作では技術的な問題からUFO型の飛行物体へと変更された。原作と違うのはウォー・マシーンだけではない。火星人のキャラクター・デザインも同様だ。ウェルズの描いた火星人はタコに似た姿をしていたが、実物大の着ぐるみとして登場させるため、やはりアル・ノザキが独自に火星人をデザインし、特殊メイク・アーティスト兼スーツ・アクターのチャーリー・ゲモラが着ぐるみを制作した。 なお、先述したレイ・ハリーハウゼンのテスト・フィルムでは、原作通りのタコ型エイリアンがストップモーション・アニメで描かれている。そもそも実は、ジェシー・ラスキーに売り込んだ『宇宙戦争』の企画が頓挫した後、『月世界征服』を見たハリーハウゼンはジョージ・パルのもとへテスト・フィルムを持ち込んでいるのだ。しかし当時、既にパルは『宇宙戦争』の映画化をパラマウントと交渉中だったのだが、そのことをハリーハウゼンには隠して企画資料とテスト・フィルムを受け取ったという。さらに、パルは映画『親指トム』の企画売り込みに例のテスト・フィルムを使いたいとハリーハウゼンに持ち掛け、実現した暁には彼にストップモーション・アニメを担当させることまでほのめかしたそうだ。 しかし、そのまま何カ月も音沙汰がなく、ようやくかかってきた電話でパルは、『宇宙戦争』も『親指トム』も売り込みに失敗したとハリーハウゼンに告げたという。それが’51年のこと。ところがどっこい…である。その2年後にジョージ・パル製作の『宇宙戦争』が公開され、さらに7年後には『親指トム』も映画化された。まあ、映画の企画というのは実現までに紆余曲折あるのが当たり前なので、決してパルがハリーハウゼンを騙して利用したというわけではないのだろうが、それにしても皮肉な話ではある。 かくして、’53年7月29日に公開されたジョージ・パル版『宇宙戦争』は、スタジオの期待を遥かに上回るほどの大ヒットを記録し、アカデミー賞でも特殊効果賞を獲得。これを機にディズニーの『海底二万哩』(’54)やワーナーの『放射能X』(’54)、ユニバーサルの『宇宙水爆戦』(’55)、MGMの『禁断の惑星』(’56)など、各メジャー・スタジオが次々と本格的なSF大作を手掛けるようになり、ブームが一気に加速することとなったわけだ。といっても、もちろん低予算のB級作品の方が数的には遥かに多かったのだけれど。 ちなみに、先述したようにウォルター・ランツと親友だったジョージ・パルは、恩人でもあるランツが生み出したアニメ・キャラ、ウッディー・ウッドペッカーを、いわばラッキー・チャーム(縁起物)として自作に登場させることが多い。この『宇宙戦争』も御多分に漏れず。最初に隕石が墜落する夜の森林シーンで、画面中央に位置する木のてっぺんをよく見ると、ウッディらしき鳥の姿が確認できる。■ 『宇宙戦争(1953)』(C) Copyright 2020 Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
コンフィデンシャル/共助
北朝鮮と韓国の刑事が国境の壁を越えてタッグを結成!型破りな共助捜査を描く痛快バディアクション
北朝鮮のエリート刑事と韓国の庶民派刑事という凸凹コンビの合同捜査を、南北の国家対立を背景に絡めつつ、アクションやユーモアを交えて痛快に描き出す。『愛の不時着』のヒョンビンのカッコよさにため息が出る。
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NEWS/ニュース2020.06.01
「ヤング・ソウル・レベルズを探してー。」ザ・シネマメンバーズにて、 台湾青春映画7作品を配信
ザ・シネマメンバーズ、エリック・ロメール9作品の次のラインナップは、台湾の3人の映画作家による青春映画7本。 「青春神話」【ヤング・ソウル・レベルズを探して】 独特な夜の湿度や気怠い空気感、儚い光のなかで描かれるのは、行き場のない苛立ち、未来に対するそこはかとない不安や、抱え持った不満と閉塞感だ。ある作品ではそれはポップに表現され、ある作品ではやりきれない結末を迎える。うまくいかないことばかりだけれど、懸命に生きている若者たち。今を少しだけ変えたい。そんな衝動が形作っていく物語たち。➣観るにはこちら 第一弾は、最新作の「あなたの顔」が公開される、ツァイ・ミンリャンの初期3部作。 「青春神話」【まなざしについて】エリック・ロメールの作風から一転して、ニコリともしない、全く異なるトーン。そう見えるかもしれないが、シンプルなストーリー、BGMをほとんど使わない、グリッドを意識した構図、さらには生々しく向けられているカメラといった共通項がある。ロメールのような軽やかさやお洒落なモチーフは一切ないのだが、ロメールを9作品観た後の目でツァイ・ミンリャンの作品を見るとき、そのまなざしをより実感できるだろう。 そこに見えているものをどう見るのか。というところに個性があらわれるのだとしたら、ツァイ・ミンリャンは、だいぶ生々しく、そして容赦がない。じっと見ている。ずっと映している。例えばロメールの作品を観ているときに、「まさにそこで行われていることにカメラを向けて撮られているのだな。」みたいに感じることがあったと思うが、その感覚で観るのが、味わい方のひとつではないか。ツァイ・ミンリャンのまなざしを味わおう。➣観るにはこちら 「愛情萬歳」【楽しむこと】作品はどれもシンプル。淡々と描かれるストーリーは実にストイックで、時に匂いがキツいと思うかもしれない。が、ロメールと同じで、そこに見えていること以上の意味を求めなくていい。作品全体を見終わった後に残る感情と思い出されるイメージが全て。で良いのではないか。雨のよく降る日本の夏とツァイ・ミンリャンの映画の持つ質感との組み合わせを是非試してもらいたい。もちろん、この相性をお気に召さなくても大丈夫。エリック・ロメールの9作品は今も全て配信中で、好きな時に、何度でも楽しめる。甘いものとしょっぱいものを交互に楽しむように観るのもいい。(ロメールも決して甘くはないのだけれども)➣観るにはこちら第二弾は、この機会に是非観て欲しいチェン・ユーシュン初期2作、そして、見逃していた方も多いであろう、エドワード・ヤンの「台北ストーリー」と、もはやマスターピースである「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」。【笑顔の異端児】ツァイ・ミンリャンとは好対象に、思い切りカラフルでポップな作品を撮っているのが、チェン・ユーシュン。 「熱帯魚」例えば「熱帯魚」は、ツァイ・ミンリャンの「青春神話」と同じく、受験を前にした少年、訪れる偶然と出会いと出来事、それを通過したことによってこの先、なにかが決定的に変わってしまうだろうという予感が描かれるが、これら2つの作品は全く異なる方向へ振り切られた表現となっている。チェン・ユーシュンの作品は、親しみやすいのだが、そこにあるのは、やはり、現在や未来に対して抱いている、もやもやとしたものへの反抗なのだ。そして、特に「ラブゴーゴー」は、詳細は控えるが、人懐っこいビジュアルに油断していると、完全にノックアウトされる傑作なので、絶対に表面的なルックで敬遠することなかれ。➣観るにはこちら 「ラブゴーゴー」【マスターピース】言わずと知れた台湾映画代表格のエドワード・ヤン。今回は、長編2作目にあたる「台北ストーリー」と、彼の名を世界的に知らしめた、「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」の2本をお届けする。エルビス・プレスリーの「Are you lonesome tonight?」の歌詞の引用で、”A Brighter Summer Day”という英語の題名がつけられているということを覚えておくと、「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」は、より味わいが深くなる。➣観るにはこちら 「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」よく晴れた夏の日に、想いがさまよっている。あなたは孤独なのですか?という青い感覚は、今回のどの作品にも共通するテーマのようにも思える。 「台北ストーリー」過ぎ去っていくことへ哀惜、ある季節の終わりを知る時の痛みを伴った空気を、今年の夏、この作品群を観て思い出しませんか?■ ★ザ・シネマメンバーズにて日本最速独占配信(※印の作品を除く) ➣観るにはこちら 【7月配信開始】・青春神話・愛情萬歳・河 【8月配信開始】・熱帯魚・ラブゴーゴー・台北ストーリー※・牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件※ 「青春神話」©Central Motion Picture Corp. All rights reserved.「愛情萬歳」©Central Motion Picture Corp. All rights reserved.「熱帯魚」©Central Pictures Corporation「ラブゴーゴー」©Central Pictures Corporation「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」© 1991Kailidoscope「台北ストーリー」© 3H productions ltd. All Rights Reserved「河」©Central Motion Picture Corp. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
江南ブルース
[R15+]韓国の若手実力派イ・ミンホが映画初主演!裏社会をのし上がる若者の運命を描く犯罪アクション
韓国版『花より男子』で注目を集めた若手俳優イ・ミンホが映画初主演を果たした犯罪アクション。持ち味のロマンティックな王子様キャラを封印し、野心あふれるワイルドなアウトローを激しいアクションとともに熱演。
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COLUMN/コラム2019.11.01
チャック・ノリス・ブームの頂点を極めた名作クライム・アクション
‘80年代を代表するB級アクション映画スター、チャック・ノリスが、まさにその全盛期の真っただ中に放った大ヒット作であり、多くのファンが彼の最高傑作と太鼓判を押すクライム・アクションである。まあ、それもそのはず。既にご存じの映画ファンも少なくないとは思うが、もともと本作はクリント・イーストウッドのために用意された企画だった。 オリジナル脚本を書いたのは、マイケル・バトラーとデニス・シュリアックのコンビ。当時、イーストウッド主演のアクション映画『ガントレット』(’77)の脚本を手掛けた2人は、それに続く『ダーティ・ハリー』シリーズ第4弾として、本作の企画をイーストウッドに提案する。つまり、チャック・ノリス演じる主人公エディの原型はハリー・キャラハンだったのだ。当初はイーストウッド本人も関心を示していたそうだが、しかし出来上がった脚本がお気に召さなかったのだろう、しばらくすると連絡が途絶えてしまい、企画そのものがお蔵入りとなる。 その後、バトラーとシュリアックは西部劇『ペイル・ライダー』(’85)で再びイーストウッドと組むことになるのだが、その直前に2人が脚本に携わったのがクリス・クリストファーソン主演の犯罪ドラマ『フラッシュポイント』(’84)。その際、友人の製作者レイモンド・ワグナーから、クリストファーソン主演で本作の映画化をという提案があったらしいのだが、それがいつの間にかチャック・ノリス主演の企画として始動していたのだそうだ。 ただし、実際に映画化された脚本にはバトラーとシュリアックの2人は一切タッチしていない。2人の書いたオリジナル脚本をリライトして、最終的な決定稿を仕上げたのは名作『チャイナ・シンドローム』(’77)でオスカー候補になったマイク・グレイである。本作の演出に起用されたアンドリュー・デイヴィス監督は、無名時代に世話になって気心の知れた恩人グレイに脚本の書き直しを依頼。監督の生まれ育ったシカゴが舞台ということで、彼自身のアイディアも多分に盛り込まれているという。 主人公はシカゴ市警の腕利き警部エディ・キューサック(チャック・ノリス)。犯罪を憎み不正を絶対に許さない、頑固だが実直な刑事である。そんなエディが陣頭指揮を執っていたのが、ルイス・コマチョ(ヘンリー・シルヴァ)率いる南米系麻薬組織コマチョ一家の検挙。タレコミ屋をおとりに使ってコマチョ一家との麻薬取引をセッティングし、その現場へ警官隊が乗り込んで一網打尽にする手筈だったが、こともあろうか第三者のギャング組織が先回りして乱入。タレコミ屋を含む取引関係者が皆殺しにされ、大量の麻薬と現金が奪われてしまったのだ。 この急襲作戦を実行したのが、コマチョ一家と敵対する組織のボスであるトニー・ルナ(マイク・ジェノヴェーゼ)。トニーは裏社会の大物スカリース(ネイサン・デイヴィス)の甥っ子で、その御威光を笠に着て無茶ばかりするような男だった。まんまと成功したかに思えた横取り作戦だったが、しかし現場で殺したはずのルイスの実弟ヴィクター(ロン・ヘンリケス)が、実は生き延びていたことが判明。自分の犯行であることがバレるのも時間の問題と察したトニーは、子分たちに家族の警護を指示したうえで、荷物をまとめて高飛びする。 一方、思わぬ邪魔が入って作戦が失敗し、上司ケイツ署長(バート・レムゼン)から大目玉を食らうエディ。しかも、銃撃戦の際に飲んだくれの老いぼれ刑事クレイギー(ラルフ・フーディ)が、無関係の少年を射殺してしまったことも大問題となる。一貫して正当防衛を主張するクレイギーだが、実はこれ、丸腰の少年を誤って撃って慌てた彼が、いつも足元に隠し持っている護身用の拳銃を少年の手に握らせ、偽装工作を図ったもの。その一部始終を相棒の新米刑事ニック(ジョー・グザルド)が目撃していたが、しかし現場責任者であるエディに真実を言い出せないでいた。 なぜなら、同僚の不始末を庇うのは警察内における暗黙のうちの了解。いわゆる「沈黙の掟(=本作の原題Code of Silence)」だ。これを破れば署内で居場所がなくなってしまう。妻子を抱えたニックにとっては死活問題だ。以前からクレイギーの飲酒癖を問題視していたエディは、そうした事情を直感で察するものの、真実を告白するもしないもニックの良心に任せる。 ひとまず公聴会までクレイギーが停職処分となったため、ケイツ署長の指示でニックはエディとコンビを組むことに。すぐに2人はトニーが主犯であることを突き止め、高飛びした彼の行方を探ると同時に、宿敵コマチョ一家の動向も監視する。すると、コマチョ一家はトニーの留守宅を襲撃して家族を皆殺しに。たまたま仕事中で難を逃れた一人娘ダイアナ(モリー・ヘイガン)にも刺客が差し向けられる。間一髪のところでダイアナを保護し、引退した先輩テッド(アレン・ハミルトン)に彼女を預けるエディ。しかし、そこへもコマチョ一家の魔手が迫り、ダイアナは誘拐されてしまう。 ダイアナの命を助けたければ、トニーを探し出して連れてこいとルイスから言い渡されるエディ。ところが、公聴会でクレイギーに不利な証言をしたため、警察では誰一人としてエディに力を貸す者はなかった。唯一の協力者は、脚を怪我して現場を離れた親友刑事ドレイト(デニス・ファリーナ)のみ。かくして、ほぼ孤立無援な状態のまま、エディはダイアナを救出するため、コマチョ一家と対峙せねばならなくなる…。 シカゴへの愛情が溢れる豊かなローカル色も見どころ! プロの空手選手として無敵の実績を誇り、親交のあったブルース・リーの誘いで映画界へ足を踏み入れたチャック・ノリス。『フォース・オブ・ワン』(’79)や『オクタゴン』(’80)、『テキサスSWAT』(’83)といった低予算アクションで頭角を現した彼は、当時波に乗りつつあった映画会社キャノン・フィルムと初めて組んだ戦争アクション『地獄のヒーロー』(’84)が空前の大ヒット記録したことで、一躍ハリウッドのトップスターの座へと躍り出る。続く『地獄のヒーロー2』(‘5)や『地獄のコマンド』(’85)、そして『野獣捜査線』も全米興行収入ナンバーワンに。中でも、それまで批評家からは酷評されまくっていたノリスにとって、初めて真っ当な評価を受けた作品が本作だった。 実際、当時のチャック・ノリス主演作品の多くが、映画としては非常にビミョーな出来栄え。ぶっちゃけ、アクションはA級だけれど脚本はC級だよねと言わざるを得ない。出世作『地獄のヒーロー』にしてもそうだが、ストーリーがアクションを見せるための手段でしかなく、どうしてもご都合主義で安上がりな印象が否めないのだ。その点、本作はライバル組織同士の抗争に警察が絡むという三つ巴の対立構造がしっかりと練られており、なおかつ警察たるものの正義とモラルを問う明確なテーマも貫かれている。主人公エディとヒロインの、さり気ない心の触れ合いも悪くない。しかし、やはり一番の功績は、優れたB級アクション映画のお手本のようなアンドリュー・デイヴィス監督の演出であろう。 大都会シカゴのロケーションを最大限に生かすことで予算を抑え、あくまでもストーリーに重点を置きつつ、ここぞというピンポイントでダイナミックなアクションを挿入することで、テンポ良くスピーディに全体をまとめあげていく。その安定感のある職人技的な演出は、さながら名匠ドン・シーゲルのごとし。本作が初めてのメジャー・ヒットとなったデイヴィス監督は、続いて同じくシカゴで撮ったスティーヴン・セガール主演作『刑事ニコ/法の死角』(’88)も大成功させ、やがて『沈黙の戦艦』(’92)や『逃亡者』(’93)などの大型アクション映画を任されるようになる。 やはり最も印象に残るのは、ループと呼ばれるシカゴ名物の高架鉄道でロケされた追跡シーンであろう。実際に走行する車両の屋根へ役者を登らせたスタントも見もの。通常よりもスピードをだいぶ落としての撮影だったらしいが、それでもなお迫力は十分である。また、激しいカーチェイスの末にリムジンがクラッシュ&炎上するシーンは、これまたシカゴへ行ったことのある人ならお馴染み、市内に張り巡らされた多層道路の中でも最も有名なワッカー・ドライブの低層階でロケされている。この同じ場所は『ダークナイト』(’08)のクラッシュ・シーンにも使われているので、見覚えのある方も少なくないだろう。また、随所に出てくる警察署のオペレーター・ルームは、実際にシカゴ警察署本部で撮影されており、本物の刑事や職員も多数出演。こうした、普通なら撮影許可の下りにくい場所を使用できたのも、シカゴ出身で地元にコネの多いデイヴィス監督だからこそだったようだ。 ちなみに、主人公エディの親友ドレイト役のデニス・ファリーナ、サングラスをかけた同僚コバス役のジョセフ・コサラの2人も、当時シカゴ警察に勤務する現役の刑事だった。どちらも刑事を本職としながら、アルバイトで俳優の仕事もしていたらしい。ファリーナは本作の翌年、マイケル・マン製作のテレビドラマ『クライム・ストーリー』(‘86~’88)の主演に抜擢されたことで警察を辞職。プロの俳優として『ミッドナイト・ラン』(’88)や『スリー・リバーズ』(’93)、『プライベート・ライアン』(’98)など数多くの映画で活躍することになる。一方のコサラは「クレイジー・ジョー」のあだ名で知られたシカゴ警察の名物刑事だったらしく、プロの俳優には転向せず役者と刑事の二足の草鞋を履きつつ、定年まで勤めあげたそうだ。 ほかにも、本作はシカゴ出身の地元俳優が多数出演。もともとシカゴは、ニューヨークに次いで全米最大の演劇都市として知られ、ゲイリー・シニーズやジョン・マルコヴィッチなどを輩出した名門ステッペンウルフ劇団もシカゴが本拠地だった。ダイアナ役のモリー・ヘイガンも、彼女自身はミネアポリスの出身だが、当時はシカゴの劇団に所属して舞台に出演していた。暗黒街の大物スカリーセ役では、デイヴィス監督の実父ネイサン・デイヴィスが出演しているが、彼もまたシカゴ演劇界の重鎮だった人物。そのほか、刑事役やギャング役を演じている俳優たちもシカゴの舞台俳優で、その多くが本作をきっかけにデイヴィス監督作品の常連となる。そういう意味では、実にローカル色の強い作品なのだ。 なお、終盤で大活躍する警察ロボットは、コロラド州に実在した’83年創業のRobot Defense Systems Inc.という会社(’86年に倒産)が製作に協力。この「仲間に反感を買った刑事の新たな相棒がロボット」という設定は、マイケル・バトラーとデニス・シュリアックのオリジナル脚本の段階から存在したらしいが、恐らく本作で唯一賛否の分かれるポイントかもしれない。まあ、実際に開発した会社が本作の翌年に倒産しているのだから、あまり実用的とは言えない代物だったのだろう。■ 『野獣捜査線』© 1985 ORION PICTURES CORPORATION. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
インサイダーズ/内部者たち
[R15+]策士、検事、チンピラ…命を懸けただまし合いの勝者は?イ・ビョンホン主演の痛快サスペンス
同名ウェブ漫画を映画化した骨太な社会派サスペンス。財閥と政治家の癒着による腐敗した韓国社会の実態を、3人の男たちによる壮絶なだまし合いと共に暴き出す。人間味のあるチンピラをイ・ビョンホンが好演。
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COLUMN/コラム2019.08.30
50歳のオードリー主演作は、 “妖精”への鎮魂歌⁉︎ 『華麗なる相続人』
「永遠の妖精」と呼ばれ、世界中の映画ファンを魅了した女優、オードリー・ヘップバーン(1929~93)。日本での人気も非常に高く、彼女のフルネームをもじった、「驚きコッペパン」などというダジャレを、多くの人々が日常的に口にしていたほどだ。 彼女が絶大なる人気を集めていたのは、『ローマの休日』(53)から『暗くなるまで待って』(67)まで、次々と名作・話題作に出演していた50~60年代に限った話ではない。『暗くなるまで…』以降は映画出演が途切れ、70年代には2本の作品にしか出演していないにも拘わらず、洋画雑誌の人気投票では、その時どきの旬の若手女優などと、常にTOPの座を競っていた。 この頃が、TVの「洋画劇場」の全盛時だったことも、大きかったと思われる。70年代後半に中坊だった我々は、『ローマの休日』『尼僧物語』(59)『マイフェアレディ』(64)『おしゃれ泥棒』(66)等々、池田昌子さんの吹替えで、ゴールデンタイムに頻繁にオンエアされるオードリー主演作にブラウン管で触れ、彼女の可憐な容姿と立ち居振る舞いに釘付けとなったものだ。 新作の製作・公開がなくとも…、いや失礼な言い方になるが、逆に新作のリリースがない分、“妖精”の魅力全開の頃の若い彼女こそが、我々にとって「リアルタイム」のオードリーであった。これこそ正に、一旦フィルムに焼き付けられた姿は年を取らない、“映画女優”のアドバンテージとも言える。 とはいえ、もちろん現実のオードリーは、齢を重ねる。彼女が40代後半になって、9年振りに銀幕復帰した『ロビンとマリアン』(76)が公開された際は、「オードリーも老けた」という声が上がると同時に、「年齢相応の輝きを放っている」という評価もされた。題材が、かの義賊ロビン・フッドと恋人マリアンの、「その後」の物語であったことや、相手役が、ジェームズ・ボンドを降りて老け役に挑むようになったショーン・コネリーだったことなども、プラスに作用したのであろう。人気投票の順位も、相変わらず高止まりであった。 そしてそれから更に3年、オードリーが50歳の時に公開されたのが、本作『華麗なる相続人』である。1979年という製作年を鑑みると、彼女の主演作として、正に万全の布陣で製作された作品だった。 原作は、シドニー・シェルダンが77年に発表した小説「血族」。シェルダンは70年代中盤から90年代まで、発表する作品のほとんどが“ベストセラー”となった、当代の流行作家であった。 多彩な人物が登場する彼の小説世界は、話の展開が早く先が読めないことが、人気を呼んでいた。ハリウッドで映画化された作品は、本作と『真夜中の向う側』(77)ぐらいだったが、TVドラマとしてシリーズ化された作品は、数多い。余談になるが、吉田栄作主演の「もう誰も愛さない」(91)など、90年代初頭に日本でブームになった、フジテレビの“ジェットコースタードラマ”は、明らかにシェルダンの小説及びアメリカでのそのドラマ化作品から、影響を受けていたものと思われる。 本作の監督を務めたのは、テレンス・ヤング。初期『007』シリーズの立役者として知られるヤングだが、オードリーとは浅からぬ縁がある。 第2次世界大戦中の大半を、オードリーはオランダのアルンヘルムで過ごし、終戦後はその郊外に在る傷病兵や退役軍人のための施設「王立廃兵院」で、ボランティアとして働いた。一方ヤングは、イギリス軍戦車部隊長として、アルンヘルム近郊で砲撃の指揮を執っており、その「廃兵院」で手当てをしてもらったこともあったという。 同じ場所で戦争を生き延びたという事実が、2人を結び付けて友情を育てたと言われる。それに加えて大きかったのは、ヤングが監督し、オードリーが長いブランクに入る直前に主演した、『暗くなるまで待って』という作品の成果であろう。 ブロードウェイでヒットした戯曲を映画化したこの作品で、オードリーは、悪漢に狙われる盲目の人妻を演じた。その役作りは高く評価され、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。 ヤングも70年代前半に受けたインタビューで、「(自作の中で好きなのは)いま作っている仕事をのぞいては『暗くなるまで待って』でしょうか。あれは、大衆的に大ヒットした映画であると同時に、世界中の映画人たちから、ほめてもらえた作品でした…」と語っている。ウィリアム・ワイラー、アルフレッド・ヒッチコック、ジョン・フォード、デヴィッド・リーン、ジョン・フランケンハイマー、ジャン=ピエール・メルヴィル、フェデリコ・フェリーニ等々、錚々たる面々から絶賛され、ヤングにとっては、『007』の監督というイメージから脱け出すきっかけとなった作品だった。 そもそもオードリーが、そのフィルモグラフィーで複数の作品で組んだ監督は、4人しか居ない。ウィリアム・ワイラー、スタンリー・ドーネン、ビリー・ワイルダー、そしてテレンス・ヤング。彼女からヤングへの信頼が厚かったことが、『暗くなるまで…』から12年の歳月を経ての、『華麗なる相続人』での再タッグに繋がったわけである。 本作は実に国際色豊かな、オールスターキャストとなっている。イギリスからジェームズ・メイスン、フランスからモーリス・ロネとロミー・シュナイダー、ドイツからゲルト・フレーベ、ギリシャからイレーネ・パパス、エジプトからオマー・シャリフといった具合に。ある者はヤングのかつての監督作に出演した縁から、またある者は、オードリーと共演出来ることが決め手となって、この作品に参集した。 『華麗なる相続人』の物語は、大製薬会社の社長が登山中に、事故を装って殺害されたことから幕開けとなる。その巨額の財産を相続した、社長の一人娘エリザベスを演じるのが、オードリーである。 彼女にも殺人者の手が迫るわけだが、容疑者となるのが、件の国際的キャストが演じる、ヒロインの血縁者たち。それぞれが犯行の動機を持ち、そしてその内の誰かが、真犯人であるという趣向だ。 こうした物語が、まるで欧米デラックス・ツアーのようなロケ地を巡りながら展開する。アメリカ・ニューヨークから、ロンドン、パリ、ローマ、地中海のサルジニア島、スイスアルプスまで、世界各地で撮影が行われた。 加えて見ものなのが、オードリーが身に纏う、華麗なるジバンシィ・ファッション。『麗しのサブリナ』(54)『パリの恋人』(57)『ティファニーで朝食を』(61)などの作品で、オードリーとは切っても切り離せない関係であったファッションデザイナーのユベール・ド・ジバンシィが、この作品でも彼女のために8点のドレスを提供している。 さてこれだけお膳立てを揃えた、“妖精”オードリー待望の、3年振りの最新主演作。いざ公開の段になってみると、批評家、一般観客双方から、見事にそっぽを向かれる結果となった。 はっきり言えば、色々と“無理”があったのだ…。 先にも記したが、シドニー・シェルダンの小説は、そのほとんどが映画化はされていない。膨大なキャラクターが登場し入り組んだ人間関係を展開する、その作品世界は、TVの連続ドラマには適しても、2時間前後でまとめ上げなければならない映画には、基本的に不向きなのである。 それ故映画化に当たっては、脚本の段階で換骨奪胎を目指すぐらい、相当な割愛と整理、再構成が必要になる。しかし本作の場合、良く言えばシェルダン原作持ち前の“ジェットコースター”のような展開で見せるが、悪く言えば、かなり粗雑なダイジェストとなってしまっている。この辺りテレンス・ヤングの腕をもってしても、如何ともし難い脚本だったのだろうか? 何よりも一番の“無理”は、オードリー主演に合わせて改変された、ヒロインの年齢設定。劇中で、殺された父親の歳が、64歳だったことが示されるが、誰もがその時点で「!?」となる。実年齢50歳のオードリー演じるエリザベスは、一体何歳という設定なのか?そもそも原作では、ヒロインは20代半ばだったのに…。 当初はジャクリーン・ビセットなど、当時30代の人気女優を主演に想定して、進められていた企画だった。しかしオードリーの起用によって、ヒロインは「年齢不詳」になってしまったのだ。この辺り資料によっては、オードリーの主演を喜んだ原作者のシェルダンが、主人公の年齢を「35歳」に変えたとも記述されている。 「年齢不詳」にしても「35歳」にしても、何だかな~という思いは、否めない。今回本作を再見してみて、近年の吉永小百合主演作品を鑑賞する際に抱くものと、同じような感慨を抱いた。前作の『ロビンとマリアン』では、せっかく年齢相応の役どころで評価されたのに、このあたり“女優”の性(さが)とでも言うべきなのか? 因みに本作は、製作当時2度目の結婚生活が暗礁に乗り上げていたオードリーには、新たなロマンスをもたらしたとも言われている。劇中でオードリーの相手役を務めるベン・ギャザラとは、“不倫”の関係だったという。オードリーとギャザラは本作の後すぐに、ピーター・ボグダノヴィッチ監督の『ニューヨークの恋人たち』(81/日本未公開)で再共演している。 …というわけで、オードリーを主演に、当時の大ベストセラーを国際的オールスターキャストで映画化した、『華麗なる相続人』。その楽しみ方を最後に提示して、〆とした。 有名ロケ地や豪華キャストを捉えた、名手フレディ・フランシスの美しい撮影、ジバンシィがデザインした艶やかな衣装などを、エンニオ・モリコーネの流麗な音楽をBGMに、まずは堪能する。その上で作品の展開に関しては、家族や友人などと“ツッコミ”を入れながら観るのが、モアベターな鑑賞法と言えるだろう。 また何だかんだ言っても、世界の映画史に燦然と輝く、“妖精”の1979年の姿を目の当たりにするだけでも、上映時間の116分を割く価値は十分にあると、私は考える。■