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PROGRAM/放送作品
特番:映像が語る東西冷戦
東西冷戦に終わりを告げた「ベルリンの壁崩壊」、あれから20年の月日が経というとしている…
1989年11月9日、当時ベルリンを東西に隔てていた「ベルリンの壁」が崩壊。それは「東西ドイツ統一」の幕開けだった。冷戦の始まりから壁崩壊までの歴史を、時代を反映した名作映画やドキュメンタリーでふり返る。
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COLUMN/コラム2017.09.03
先史時代の人類にリアルに迫ったエポックメイキング『人類創世』〜09月14日(木) ほか
■立ち遅れていた「原始人もの」というジャンル 『人類創世』といえば2017年の現在、40歳代後半から上の世代にとって、かなり強い印象を与えられている作品かもしれない。「映画と出版とのミックスメディア展開」を武器に映画業界へと参入し、初の自社作品『犬神家の一族』(76)を大ヒットさせた角川書店が、その手法を活かして宣伝協力を図った洋画作品(配給は東映)だからだ。1981年の日本公開時には原作小説がカドカワノベルズ(新書)より刊行され、おそらく多くの者が、原作とセットで映画を記憶していると思う。 とりわけ文学ファンには、この原作の出版は歓喜をもって迎えられたことだろう。著者のJ・H・ロニー兄(1856〜1940)はベルギー出身のフランス人作家で、ジュール・ヴェルヌと並び「フランス空想科学小説の先駆者」ともいうべき重要人物だ。映画『人類創世』の原作である「火の戦争 “La Guerre du Feu”」は、そんな氏が1910年に発表した、先史時代の人類を科学的に考察した小説として知られている。物語の舞台は80,000年前、ネアンデルタール人の種族であるウラム族が、ある日、大事に守ってきた火を絶やしてしまう。彼らは自分自身で火を起こす方法を知らなかったため、ウラムの長は部族の若者3人を、火を取り戻す旅へと向かわせるーー。 物語はそんな3人が大陸を放浪し、恐ろしい猛獣や食人部族との遭遇といった困難を経て、やがて目的を果たすまでを克明に描いていく。日本では16年後の1926年(大正15年)に『十萬年前』という邦題で翻訳が出版されたが(佐々木孝丸 訳/資文堂 刊)、そんな歴史的な古典が、映画の連動企画とはいえ55年ぶりに新訳されたのである。 このように年季の入った著書だけに、じつは『人類創世』が「火の戦争」の初の映画化ではない。最初のバージョンは原作が発表されてから5年後の1915年、フランスの映画会社であるスカグルと、プロデューサー兼俳優のジョルジュ・デノーラによって製作されている(モノクロ/サイレント)。スカグル社は当時、文芸映画の成功によって意欲的に原作付き映画を量産していた時期で、そのうちの一本としてロニーの「火の戦争」があったのだ。ちなみに、このベル・エポック時代のサイレント版は以下のバーチャルミージアムサイト「都市環境歴史博物館」で抜粋場面を見ることができるので、文を展開させる都合上、まずはご覧になっていただきたい。 http://www.mheu.org/fr/feu/guerre-feu.htm この映像を見る限り、先ほどまで力説してきた「科学性の高い原作」からはかけ離れていると感じるかもしれない。このモノクロ版に登場するウラム族は、原始人コントのような獣の皮を着込み、戯画化された古代人のイメージを誇示している。映画表現の未熟だった当時からすれば精一杯の描写かもしれないが、それでもどこかステレオタイプすぎて、どこか滑稽に映ってしまうのは否めない。 ■二度目の映画化はミニマルに、そしてリアルに ーー監督ジャン・ジャック・アノーのこだわり この「火の戦争」を例に挙げるまでもなく、こういった文明以前の描写というのは、過去あまり真剣に取り組まれることがなかった。例外的に『2001年宇宙の旅』(68)が「人類の夜明け」という導入部のチャプターにおいて有史以前の祖先を迫真的に描いていたものの、基本的にはアニメの『原始家族フリントストーン』や『恐竜100万年』(66)、あるいは『おかしなおかしな石器人』(81)のように、いささかコミカルで陳腐な原始人像が充てがわれてきたのだ。 『人類創世』は、そんな状況を打ち破り、先史時代の人類の描写を一新させた、同ジャンルのエポックメイキングなのである。 監督は後に『薔薇の名前』(86)『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(97)で著名となるジャン=ジャック・アノー。彼は本作を出資者に売り込むさいのプレゼンで「この映画は『2001年宇宙の旅』における「人類の夜明け」の続きのようなものだ」と説き、「火の戦争」再映画化へのステップを踏んでいる。『2001年〜』を例に出さないと理解を得られない、それほどまでに前例の乏しいジャンルへの挑戦だったのだ。 さらにアノーは作品のリアリティを極めるため、原作にあった登場人物どうしの現代的な会話をオミットし、初歩的でシンプルな言語を本作に導入。それらをジェスチャーで表現するボディランゲージにすることで、あたかも文明以前の人類の会話に間近で接しているような、そんな視覚的な説得力を作品にもたらしている。 そのために専門スタッフとして本作に招かれたのが、映画『時計じかけのオレンジ』(71)の原作者で知られる作家のアンソニー・バージェスと、イギリスの動物学者デズモンド・モリスである。バージェスは先の『時計じかけ〜』において独自のスラング「ナッドサット語」を構築した手腕を発揮し、またモリスは動物行動学に基づき、ウラム族の言語と、彼らが敵対するワカブー族の言語を、この作品のために開発したのだ。 映画はこうした著名な作家や言語学者のサポートによる、アカデミックな下支えを施すことで、80,000年前の先祖たちの様子を、まるで過去に遡って見てきたかのように描き出している。 また、ウラム族をはじめとするネアンデルタール人の容姿にも細心の注意が払われ、極めて精度の高い特殊メイクが本作で用いられている。特に画期的だったのはフォームラテックスの使用で、ラバーしか使えず全身体毛に覆われた表現しかできなかった『2001年宇宙の旅』と違い、体毛を細かく配置できる特殊メイク用の新素材が導入された(本作は第55回米アカデミー賞のメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞)。他にも広大な原始の世界を活写すべく、スコットランド、ケニア、カナダなどにロケ撮影を求めるなど、古代人の放浪の旅にふさわしい、悠然たるビジュアルを提供している。 こうしたアプローチが功を奏し、本作は言語を必要としない、映像から意味を導き出すミニマルな作劇によって、人類が学びや経験によって進化を得るパワフルなストーリーを描くことに成功したのだ。 ■公開後の余波、そしてロン・パールマンはこう語った。 しかし、そのミニマルな作りが、逆に内容への理解を妨げるのではないかと危惧された。そこで日本での公開時には、地球の誕生から人類が現代文明を築くまでを解説した、短編教育映画のようなアニメーションが独自につけられた(どのようなものだったかは、当時の劇場用パンフレットに画ごと掲載されている)。こうしたローカライズは今の感覚では考えられないが、そのため我が国では、この『人類創世』を本格的なサイエンス・ドキュメンタリーとして真剣に受け止めていた観客もいたようだ。 しかし、原作が書かれた時代から1世紀以上が経過し、再映画化がなされてから既に36年を経た現在。いまの先史時代研究の観点からは、不正確と思われる描写も散見される。同時代における火の重要性、存在しない種族や使用器具etcーー。もはやこのリアリティを標榜した『人類創世』でさえ、偏見に満ちた、ステレオタイプな先史時代のイメージを与えるという意見もある。 ただそれでも、この作品の価値は揺るぎない。描写の立ち遅れていたジャンルに変革を与えるべく、意欲的な作り手が深々と対象に切り込んだことで、この映画は他の追随を許さぬ孤高の存在となったのだ。 『人類創世』以後、監督のアノーは動物を相手とする撮影のノウハウや、自然を舞台とした演出のスキルを得たことから、野生の熊の生態をとらえた『子熊物語』(88)や、同じく野生の虎の兄弟たちを主役にした『トゥー・ブラザーズ』(04)などを手がけ、そのジャンルのトップクリエイターとなった。また俳優に関しても、例えばイバカ族のアイカを演じたレイ・ドーン・チョンは本作の後、スティーブン・スピルバーグの『カラーパープル』(85)や、今も絶大な人気を誇るアーノルド・シュワルツェネッガー主演のカルトアクション『コマンドー』(85)に出演するなど、80年代には著しい活躍を果たしている。 そしてなにより、ウラム族のアムーカを演じたロン・パールマンは『ロスト・チルドレン』(95)『エイリアン4』(97)といったジャン=ピエール・ジュネ監督の作品や『ヘルボーイ』(04)『パシフィック・リム』(13)などギレルモ・デル トロ監督作品の常連として顔を出し、今も名バイプレイヤーとして幅広く活躍している。筆者は『ヘルボーイ』の公開時、来日したパールマンにインタビューをする機会に恵まれたが、そのときに彼が放った言葉をもって結びとしよう。 「(ヘルボーイの)全身メイクが大変じゃないかって? キャリアの最初にオレが出た『人類創世』のときから、特殊メイクには泣かされっぱなしだよ(笑)」■ ©1981 Belstar / Stephan Films / Films A2 / Cine Trail (logo EUROPACORP)
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PROGRAM/放送作品
西部劇ガイド総集編
時代とともに進化してきた西部劇の魅力に迫る!西部劇ガイドの総集編
「西部劇のはじまり」「進化する西部劇」「多彩な60年代の西部劇」「現代の西部劇」「往年の西部劇スターたち」「ニューウエスタンのスターたち」。シネマが贈る年末年始特別ミニ番組総集編。
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COLUMN/コラム2016.06.11
演出、撮影、編集をワンマンに全部手がけつつも、珍しく役者の演技とストーリーを優先させた、ソダーバーグの異色作にして到達点〜『恋するリベラーチェ』〜
ソダーバーグの「映画監督やめたい」発言はほとんど年中行事化していたので、真に受けていた人は少ないだろう。ただ世間的には『サイド・エフェクト』(2013)が引退作とされており、不幸にも割りを食ったのがその直後に発表された『恋するリベラーチェ』である。 実は『恋するリベラーチェ』は本国アメリカでは「映画」としてカウントされていない。カンヌ国際映画祭に公式出品され、日本を始め多くの国々で劇場公開されているにも関わらず、である。 その理由は、アメリカではケーブルテレビ局でお披露目されたからで、あくまでも「テレビドラマ」扱いなのだ。ただしエミー賞のミニシリーズ/テレビ映画部門では作品賞、監督賞、主演男優賞など11部門を独占している。企画を蹴った映画スタジオの重役陣はさぞや歯噛みしたに違いない。 『恋するリベラーチェ』は1940年代から80年代にかけて活躍した実在のピアニスト、リベラーチェの伝記映画である。リベラーチェはクラシック畑の出身ながら、絢爛豪華な衣装とショーアップされたステージでポップスター的な人気を集めた。同性愛者であることは公然の秘密だったが、本人は決して認めようとはしなかった。映画ではリベラーチェの恋人だったスコット・ソーントンの回想録をもとに、ソーントンとリベラーチェの愛憎劇をブラックユーモアまじりに綴っている。 ソダーバーグは『トラフィック』(2000)の撮影時に早くもマイケル・ダグラスにリベラーチェ役を打診していたという。しかし映画が完成するまでに13年もの歳月がかかった。ダグラスの喉頭がんで企画が消滅しそうになったりもしたが、最大の障壁は「あまりにも同性愛的すぎる」という映画スタジオからの拒絶だった。 当時のソダーバーグのハリウッドでの立ち位置を整理しておきたい。ソダーバーグがリチャード・ラグラヴェネーズ(『フィッシャー・キング』)に『恋するリベラーチェ』の脚本を依頼したのが2008年の夏。ちょうど『チェ』二部作を完成させ、アメリカでの配給が決まらず宙ぶらりんになっていた時期である。 『チェ』二部作が配給を渋られたのは、ほぼ全編がスペイン語の作品だったから。「アメリカ市場のために英語で作れ」という要望を「英語の文化的帝国主義はもはやナンセンス」とはねつけたのだ。政治的な主張というよりも、スペイン語で話すラテンアメリカの人々を描いた実話なのだからスペイン語で撮るのが当然――という素直すぎる理由である。 また前々年には趣味性の強い実験作『さらば、ベルリン』が大コケ、前年に発表したヒットシリーズの第三弾『オーシャンズ13』も期待されていたほどの興収を上げることはできなかった。『チェ』でもハリウッドと揉めたソダーバーグはリスキーな企画ばかり撮りたがる厄介な大物監督という、一種の要注意人物だったのだ。 一方ソダーバーグにしてみれば、次々と浮かぶ刺激的なアイデアを実現させたいのになかなか資金が集まらないフラストレーションが溜まる状況が続いており、それが度重なる「引退発言」にも繋がっていく。 「同性愛」を理由に出資を断られたことについて、ソダーバーグは「『ブロークバック・マウンテン』以降の時代に信じられないよ、しかもこっちはもっと笑える映画だっていうのにね」と皮肉っていた。しかし2009年のアカデミー賞ではゲイの政治家の伝記映画『ミルク』が主演男優賞など二冠に輝いており、「同性愛的」という建前の裏にはソダーバーグへの警戒感もあったのだろう。 最終的に『恋するリベラーチェ』に出資したのが、アメリカの大手ケーブルテレビ局HBOだった。スピルバーグとトム・ハンクスが製作総指揮を務めた大作シリーズ「バンド・オブ・ブラザーズ」(2001)など、映画人とのコラボレーションに積極的な局である。製作費2300万ドルは決して安い買い物ではなかったはずだが、エミー賞11部門独占という成果を思えば双方にとって幸せな契約だったと言っていい。 そして映画業界への不満を募らせていたソダーバーグは、これ以降テレビシリーズの「The Knick」に着手したり、クロエ・グレース・モレッツ主演の舞台劇を演出したり、通販サイトを始めたりと映画以外の分野にワーカホリックっぷりを発揮し始める。 可笑しいのが『マジック・マイク』(2012)の続編『マジック・マイクXXL』(2015)で監督を盟友グレゴリー・ジェイコブスに任せながらも、製作総指揮、撮影監督、編集の三役を務めていたこと。自らカメラを回し編集も手掛けるのはソダーバーグのスタイルだが、他人が監督する映画で撮影や編集を担当するのは初めて。本人にも言い分はあるだろうが、そこまでするなら監督もやれよと言いたくもなる。 さて『恋するリベラーチェ』に話を戻そう。本作でソダーバーグは、おそらくデビュー作以来初めて「コンセプトありき」の方法論を捨てた。いや、「捨てた」は言い過ぎにしても、自分自身の表現欲よりも役者の演技とストーリーを優先させているのだ。 基本的にソダーバーグはコンセプト先行型の監督で、作品ごとの狙いがビジュアルにも反映されている。最もわかりやすい成功例が、物語の舞台となる三つの場所を色の異なるレンズフィルターで表現した『トラフィック』だろう。ただしコンセプトが勝ちすぎて「スタイルばかりで空疎」と批判されるケースも少なくなく、才気ゆえの諸刃の剣でもあった。 しかし『恋するリベラーチェ』では、彼の一番の武器である「センス」や「技巧」をみごとに抑制しているのだ。最も印象の残るのはリベラーチェに扮したマイケル・ダグラスとスコット・ソーントン役のマット・デイモンの素晴らしい演技であり、2人の繊細なやり取りが醸し出す可笑しさや哀愁なのである。 もちろん「技巧」や「センス」を捨てたわけではない。ソフトフォーカスを多用した撮影はレトロな時代感を出すだけでなく、年甲斐もなく若さを追い求めるリベラーチェの脳内ファンタジーの写し絵でもある。ドラッグでラリっているシーンのピンボケとフォーカスの絶妙なバランス加減も、監督自身がカメラを回しているからこそできる力技だ。 ジャンプカットを多用する得意のトリッキーな編集は控えめに、編集のさりげなさはもはや小憎たらしいほど。BGMに頼らずリズムを感じさせる音楽的なカッティングも冴えている 全米映画監督協会の規定のせいで撮影ではピーター・アンドリュース、編集ではメアリー・アン・バーナードと別名義になっているのは『トラフィック』以降のお約束。理不尽なのは撮影監督としても編集者としても映画界隈で明らかに過小評価されていること。「なんでも自分でやりたがる器用貧乏」というわけだ。しかしピーター・アンドリュースとして手がけた映画は19本を数え、テレビシリーズも含めると相当な仕事量にのぼる。明言しておくが出しゃばり監督の余技などではまったくない。 演出、撮影、編集という映画の基本が三位一体となり、過不足なく「人間」と「物語」を語ってみせる。当たり前といえば当たり前だが、ソダーバーグが叩き出す精度の高さはもはや円熟の境地。ひとつの到達点と呼ぶべき『恋するリベラーチェ』を観て、どうかソダーバーグの妙技を堪能していただきたい。■ © 2016 Home Box Office, Inc. All rights reserved. HBO® and related channels and service marks are the property of Home Box Office, INC.
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PROGRAM/放送作品
映像で地球を考える~アースデイ2010~
映画『アース』放送にあわせた特別番組。映像を通して私たちの地球を一緒に考えよう
4月22日は“アースデイ”。地球環境について考え、行動する日だ。地球のために私たちに何ができるのか?何をしなければならないのか?フリーダイビングなど自然での活動を通し、環境に対するメッセージを数多く発信している、女優の益戸育江(旧名:高樹沙耶)と一緒に考える、オリジナル特番。
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COLUMN/コラム2015.12.12
死体消失事件をめぐる驚愕の真実を描き、スパニッシュ・スリラー&ミステリーの充実を証明する逸品~『ロスト・ボディ』~
このジャンルにおけるハリウッドやイギリスのクリエイターたちが映画界からTVドラマ界へと活動の場をシフトする傾向が強まるなか、スペイン映画こそが約100分間ひたすらハラハラ&ドキドキする映画を楽しみたい!という私たちの欲求を補完してくれる役目を果たしているのだ。“スパニッシュ”といえば、先頃ザ・シネマでも大々的に特集が組まれた“ホラー”のレベルの高さは広く知られているが、ミステリー&スリラーの充実ぶりも目覚ましいものがある。 近年のスペイン製スリラー&ミステリーの隆盛の元をたどってみると、アレハンドロ・アメナーバル監督の『テシス/次に私が殺される』(1996)、『オープン・ユア・アイズ』(1997)、『アザーズ』(2001)の成功が思い起こされる。とりわけアメリカ資本とタッグを組み、スター女優のニコール・キッドマンを主演に据えた『アザーズ』は、国際的なマーケットにおけるスペイン映画のブランドバリューを高めたエポック・メイキングな作品となった。 その後しばらくブランクは生じるものの、スペイン産の英語作品というパターンのプロジェクトは『[リミット]』(2010)、『レッド・ライト』(2012)、『記憶探偵と鍵のかかった少女』(2013)、『グランドピアノ 狙われた黒鍵』(2013)、『MAMA』(2013)へと受け継がれて現在に至っている。 スペインのジャンル・ムービー事情を語るうえでは『TIME CRIMES タイム・クライムス』(2007)も見落とせない。新人のナチョ・ビガロンド監督が放ったこの奇想天外なタイムパラドックスSFは、低予算作品でありながらスペイン国内で大ヒットを記録し、ファンタスティック系の映画祭で数多くの賞に輝いた。このような興行的な成功例が生まれると、スタジオやスポンサーに「スリラー&ミステリーは客を呼び込める」「海外に打って出ることができる」という自信が芽生え、新たな投資への好循環が沸き起こる。このジャンルで実績を積み重ねたプロデューサーやペドロ・アルモドバル、ギレルモ・デル・トロといった大物監督のバックアップのもと、若い才能たちが次々と育ち、今まさにスペインのジャンル・ムービーは豊かな“収穫期”を迎えている感がある。 ところが日本においては、スペイン製のスリラー&ミステリーが全国的なシネコン・チェーンのスクリーンにかかることは滅多にない。ここ数年、このジャンルの愛好家である筆者が唸らされた『ヒドゥン・フェイス』(2011)、『悪人に平穏なし』(2011)、『ネスト』(2014)、『ブラックハッカー』(2014)、『マーシュランド』(2014)といった快作は、いずれも小劇場や特集上映でひっそりと紹介されるにとどまっている。これらの“宝の山”のほとんどが、今もレンタルショップの片隅で日の目を見ずに眠っているのだ。 前置きが長くなって恐縮だが、今回ピックアップする『ロスト・ボディ』(2012)も“宝の山”の中の1本である。『ロスト・アイズ』(2010)、『ロスト・フロア』(2013)という似たタイトルのスペイン映画があっていささか紛らわしいが、これはどれも『永遠のこどもたち』(2007)のベレン・ルエダが主演を務めたミステリー・スリラーであるということ以外、内容的にはまったく繋がりがない。出来ばえに関しては『ロスト・ボディ』がダントツの面白さである。 日本では特集上映〈シッチェス映画祭セレクション〉で紹介された『ロスト・ボディ』は、ある真夜中、郊外の法医学研究所の死体安置所から製薬会社オーナーである高慢な中年女性マイカの遺体が忽然と消失したところから始まる。心臓発作で急死したマイカにはアレックスという年下の夫がおり、捜査に乗り出したベテランのハイメ警部はアレックスを呼び出し、彼がマイカを殺害して死体を隠蔽したのではないかと疑って事情聴取を始めるのだが……。 映画の比較的早い段階で、ひげ面の容疑者アレックスがマイカ殺しの犯人だという事実がフラッシュバックで観る者に提示される。ミステリーの核となるのは、なぜマイカの遺体が消えたのかという点だ。アレックスは外部にいる若く美しい愛人カルラと携帯で連絡を取りながら、ハイメ警部の厳しい事情聴取をのらりくらりとかわそうとするが、アレックスを取り巻く状況は悪化の一途をたどる。次第に追いつめられたアレックスは、特殊な毒薬を使って殺害したはずのマイカは実は生きていて、自分への復讐を実行しているのではないかという強迫観念に囚われていく。アレックスがマイカの幻影に脅えるシーンは、ほとんどホラー映画のようだ。 そもそも死体安置所を備えた2階建ての法医学研究所という空間を、警察の取調室代わりに仕立てたシチュエーションの妙がすばらしい。おそらく室内シーンの大半はセットで撮られたはずで、ミステリー・スリラーでありながらホラー的なムードを濃厚に漂わせた陰影豊かな美術、照明、撮影が、この映画のクオリティの高さを裏付けている。猛烈な雨が降りしきり、雷鳴の閃光がまたたく濃密な映像世界は、いつ幽霊が出没しても不思議ではない不気味な気配を醸し出している。 こうしたオリオル・パウロ監督率いるスタッフの的確な仕事ぶり、死美人役のベレン・ルエダとホセ・コロナド、ウーゴ・シルヴァらの演技巧者たちの迫真のアンサンブルに加え、何よりこの映画はオリジナル脚本が抜群に優れている。やがて死体消失の怪事件は夜明けの訪れとともに急展開を見せ、矢継ぎ早に意外な真相が明かされていく。いわゆるどんでん返しが待ち受けているわけだが、それは単にサプライズ効果を狙ったトリッキーな仕掛けではなく、登場人物の“情念”と結びついた本格ミステリーの醍醐味を堪能させてくれる。謎だらけの死体消失事件には、ある目的を達成するために恐ろしいほどの執念を燃やす首謀者とその共犯者が存在しているのだ! 巧妙な伏線をちりばめたうえで炸裂する“驚愕の真実”と、ラスト・カットまで持続する並々ならぬ緊迫感に筆者は舌を巻いた。こんな隠れた逸品を目の当たりにするたびに、スペイン製ジャンル・ムービーの発掘はしばらく止められそうもないと感じる今日この頃である。■ ©2012 Rodar y Rodar Cine y Television/A3 Films. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
セレンディピティ
クリスマス5日前に出会った2人に再び“幸せな偶然”を願わずにはいられない究極のラブストーリー
主演は『アメリカン・スウィートハート』でもヒロインが思いを寄せる役を演じるジョン・キューザック。本作品のヒロインには『アンダーワールド』シリーズで主演を務めるケイト・ベッキンセイル。
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COLUMN/コラム2015.08.03
サービス精神に溢れた究極の脱走映画〜『脱走特急』〜
戦争映画というジャンルの中でも、傑作率が非常に高いカテゴリーがいくつかある。よく言われるのが「“潜水艦モノ”にハズレ無し」。『眼下の敵』(1957年)、『Uボート』(1981年)、『U-571』(2000年)といった第二次世界大戦を舞台にした映画だけでなく、『レッド・オクトーバーを追え』(1990年)や『クリムゾン・タイド』(1995年)、『K-19』(2002年)のような現代劇でも潜水艦モノは傑作揃いだ。潜水艦という限定された空間で、登場人物も限定される潜水艦モノは、“密室劇”としてサスペンスフルな展開が作りやすく、その辺りがハズレの少ない映画となりやすい土壌となっているのであろう。また前述の『眼下の敵』や『Uボート』のようなジャンルを代表する大傑作によって、このカテゴリーの作品のフォーマットがある程度完成形となっていることも大きな要因であると思われる。 そして“脱走モノ”というカテゴリーもまた、戦争映画というジャンルの中では傑作率が高いカテゴリーとなっている。潜水艦モノとはまったく真逆で、バラエティ豊かな大量の登場人物と、まったく制約の無い完全なオープンフィールドで物語が進む脱走モノは、自由度が非常に高いことでともすれば難易度は上がることが想定される。しかし潜水艦モノと同じように、このカテゴリーの先達にして最高峰となる『大脱走』(1963年)という存在によって、脱走モノのフォーマットが完成してしまっていることもあり、後続の類似作品はそのフォーマットをなぞることでハズレの無い作品が成立しやすくなっているのだ。 しかし後続の作品群の中でも傑作とされる作品は、『大脱走』をなぞりながらも、差別化を図るために様々な蛇足(と言ったら失礼だが)を加えている。『脱走山脈』(1968年)は脱走するのが人だけではなく、動物園で殺処分されそうだった象と共にスイスを目指す映画であったし、収容所内で飛行機を作って脱出を図る実話を基に制作された『空中大脱走』(1971年)、『勝利への脱出』(1980年)は“脱走”にサッカーを組み合わせるというウルトラCを成功させた痛快作だった(『大脱走』フォロワーではないが、日本では黒澤明が脚本を担当した『暁の脱走』(1950年)や、正式には脱走モノではないが勝新太郎の人気シリーズ『兵隊やくざ 大脱走』(1966年)という作品もあった)。 斯様に傑作映画を生み出している脱走モノというカテゴリーの中で、実は『大脱走』と並び称すべき大傑作が存在しているのをご存じであろうか。それがこの『脱走特急』なのである。 第二次世界大戦の真っ最中の1943年。破竹の勢いでヨーロッパを席巻したナチスドイツとイタリアは、アメリカの参戦によって徐々に劣勢に立たされていた。そんなとき、アメリカ空軍パイロットのライアン大佐はイタリア軍によって撃墜され、捕虜収容所に送り込まれる。この収容所に収容されている捕虜はフィンチャム少佐率いるイギリス陸軍ばかりであったが、ライアンは捕虜の中で最も階級が高いこともあって捕虜収容所のリーダーとなる。この収容所から脱走することに執念を燃やすフィンチャムと、イタリアは遠からず降伏することを予見するライアンは対立するが、その頃連合軍のイタリア上陸に戦線が崩壊してついにイタリアが降伏する。一夜にして警備兵たちはいなくなったが、代わりにドイツ軍がやってくることを察知し、捕虜たちは全員で脱出を図る。しかしドイツ軍に補足され、捕虜たちは貨物列車に乗せられてドイツ本国に移送されることになるが、ライアンたちは隙をみて列車を奪うことに成功。中立国のスイスに向けて列車を走らせていくが…。 4,400万ドル(現価では3億ドル以上)という当時としてはあり得ない巨費を投入したエリザベス・テイラーの『クレオパトラ』(1963年)の影響で経営危機にあった20世紀フォックス社が、まだ経営が健全であることを証明するために会社の意地だけで大規模な予算を投じて制作された本作。そんな大作の主人公ライアン大佐に抜擢されたのは、歌手のフランク・シナトラだ。シナトラは本業が歌手とは思えないほど堂々たる演技で、『第三の男』『ライアンの娘』の名優トレヴァー・ハワードと渡り合っている(ちなみにハワードは実際にイギリス軍落下傘兵としてイタリア戦線に従軍し戦功十字章を受けている)。他にも『荒野の七人』のブラッド・デクスター、ジョシュ・ブローリンの父で『カプリコン1』のジェームズ・ブローリン、『ナイトライダー』のエドワード・マルヘア、『007サンダーボール作戦』のアドルフォ・チェリなどが出演し、映画に厚みを与えている。 また本作で唯一の女性出演者であるラファエラ・カラは、胸元が深く開いた開襟シャツとタイトスカート姿で縛られたままベッドに横になって身悶えたり、なまめかしくストッキングを履きかえるシーンなど、サービス精神満タンで、本作を観た思春期の小中学生に多大なるインパクトを与えている(こういうサービスは『大脱走』には無い)。 さらに本作が『大脱走』を凌駕していると言っても過言でない点は、怒涛の戦闘シーン。脱走モノは、ともすれば戦争映画でありながら戦闘シーンは省略傾向になりがちであるが、本作はその点においてもサービス満点だ。 特に、スイスに向かって特急列車で脱出をはかる主人公たちに対して、3機のメッサーシュミットBf108戦闘機(ホンモノ!!)が空から攻撃を繰り返し、数百人のドイツ兵を乗せた軍用列車が追いまくり、仲間たちを逃がすために激しい銃撃戦が展開されるクライマックスは必見。ドイツ軍の猛攻によって一人また一人と仲間を失いながらも、スイスに向かって脱出をはかる手に汗握る展開は、脱走モノというともすれば地味になりがちなカテゴリーの映画としては特筆に値するほどのサービス精神に溢れている。戦後20年が経った段階で制作された映画ではあるが、装備品などもよく整っておりマニアも納得の出来栄えだ。 またイタリア軍から始まって、ドイツ国防軍、ゲシュタポ、武装親衛隊と、敵のレベルもクリア難易度の高い敵へとエスカレートしていくという流れも素晴らしく、ステージクリア系のアドベンチャー映画としての体裁もしっかりと整っている点も素晴らしい。 さらにこの手の痛快娯楽映画としてはあり得ない、ある意味『大脱走』以来の定番を覆す衝撃的なラストも必見。シナトラ自身はこのラストに納得をしていなかったらしく、改変を求めていたようだが、このラストこそが本作を凡百の脱走モノとは一線を画する大傑作たらしめている名シーンなのだ(このシーンでのシナトラとハワードの演技はアカデミー賞ものだ)。 脱走モノとしての定番をしっかりとおさえ、さらに戦争映画のあらゆる要素をぶち込んだ脱走映画の究極系がこの『脱走特急』なのである。■ Motion Picture © 1965 Twentieth Century Fox Film Corporation and P‐R Productions. Renewed 1993 Twentieth Century Fox Film Corporation and P‐R Productions. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
バラキ
[PG12相当]暗黒街に生きる男の非情な運命。チャールズ・ブロンソンが演じるマフィアの壮絶な半生!
バラキという実在のマフィアが明かす闇社会の恐るべき秘密。『セルピコ』と同じ原作者がこれを取材したノンフィクションを、アクションやサスペンスに定評のあるテレンス・ヤング監督が映画化した実録極道モノ。
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COLUMN/コラム2015.04.08
なに、この普通人クオリティ!〜『宇宙人ポール』
この作品には今ハリウッドで「普通の人」を演じさせれば天下一品のジェイソン・ベイトマンも出演しているのだけど、二人と比べると彼すらもスターのオーラに満ち満ちているように見えてしまう。なぜ、これほどまでにドン臭く、オーラに欠けた(失礼!)二人が、SFコメディ大作の主演俳優の座に上りつめたのだろうか? 謎を解くにはそこから歴史を10年以上遡らないといけない。 二人が出会ったのは1999年に英国のロンドンで撮影された『SPACED ~俺たちルームシェアリング~』の現場でだった。「友人同士の男女が、カップルだと格安で借りれるアパートに正体を偽って入居したら、そこがオタクの巣窟になってしまった!」というプロットを持つこのシュエーション・コメディ番組は、それまでもいくつかのテレビ番組に出演していた当時29歳のコメディアン、ペッグにとって、企画、脚本、主演の三役を手がけた勝負作だった。 「監督は以前の仕事で知り合って親友になったエドガー・ライトに任せたから大丈夫。問題は自分が演じるSFオタクの主人公ティムの親友でミリタリー・オタクのマイクを誰に演じさせるかだ……」悩めるサイモンの前に現れたのが2才年下のメタボなコメディアン、ニックだったというわけだ。各話に織り込まれた膨大な「オタクあるある」や映画やテレビ番組のパロディがバカウケして、『SPACED』は英国でカルト人気を獲得。固い絆で結ばれたサイモン、ニック、エドガーの三人は映画進出を決意する。 こうして2005年に公開されたのが、サイモン(主演、脚本)ニック(主演)エドガー(監督、脚本)による『ショーン・オブ・ザ・デッド』だった。舞台はサビれた地方都市。サイモン扮する主人公ショーンは、いい齢こいてプレステに夢中なダメ人間だ。だが街中にゾンビが出現したことによって、生きるための戦いに巻き込まれていく。ジョージ・A・ロメロが創始したゾンビ映画にオマージュを捧げながら、米国の都会ではなく英国の田舎が舞台なこと、一般人が銃を所持していないためクリケットのラケットで戦うといったオリジナルとの「落差」によってこの作品は極上のコメディに仕上がっている。 でも落差で笑わせながら、元ネタの精神は守っているところが『ショーン・オブ・ザ・デッド』のスゴいところだ。ロメロの『ゾンビ』(78年)でゾンビの巣窟になるのはショッピング・モールだが、こちらでゾンビが押し寄せてくるのはパブだ。ロメロが『ゾンビ』で米国のモール文化を批判していることに呼応して、ライトは夕方になると必ずパブに行く英国人を皮肉っているのだ。 同じことは演出面にも言える。本作はゾンビ映画として実に真っ当に撮られているのだ。ゆっくりとしか歩けないゾンビたちにヘマを犯した人間が捕まって食べられそうになる際のスリリングさは相当なもの。『ゾンビ』の正式なリメイク作『ドーン・オブ・ザ・デッド』や『ワールド・ウォーZ』といった近年のハリウッド産ゾンビ映画では、ゾンビは走れる設定に改変されてしまっている。たしかにそっちの方がアクション・シーンは作りやすいのだが、ゾンビ本来の恐ろしさは『ショーン・オブ・ザ・デッド』の方にこそある。 こうした「パロディではあるけれど、ジャンル映画として見ても最高に面白い」いう映画のコンセプトは、トリオ第二作でポリス・アクションのパロディである『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-』(07年)でさらに進化を遂げている。サイモン扮する元エリート警察官のニコラスは、左遷で飛ばされた先の田舎町が平和すぎてやる事がない。ニック扮する同僚ダニーから「ロンドンでは銃撃戦をしているのか?」と訊かれて「そんなものはハリウッド映画の中だけだ」と苦い顔で否定してみせる。だが物語はそこから思いがけない方向に転がっていき、銃撃戦はもちろん、カーチェイス、爆発がテンコ盛りの『リーサル・ウェポン』や『バッドボーイズ』も真っ青のド派手なクライマックスへと雪崩れ込んでいくのだ。 この作品はアメリカでも大ヒット。エドガーはハリウッドに招かれ、カルトコミックの実写化作品『スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団』(10年)をマイケル・セラ主演で撮っている。一方でサイモンとニックがアメリカで作った脚本&主演作が、この『宇宙人ポール』だった。 ストーリーは、オタクの祭典「コミコン・インターナショナル」を見にいくためにアメリカにやってきたコミック・オタクのグレアムとクライヴが、墜落したUFOが隠されているという都市伝説で知られるネバダ州の空軍基地「エリア51」付近をドライブ中に、宇宙人のポールと遭遇してしまうことから始まる。つまり今作でネタにされているのは、『未知との遭遇』や『E.T.』といった宇宙人コンタクト物である。 もちろんそうした作品にあるハート・ウォーミングなテイストも今作には満載。特に父から誤った教育を受けてガチガチのキリスト教原理主義者に育てられた女性ルースが、ポールから宇宙の真実を教えられて自立を果たすパートは泣ける。ポールは自分の痛みと引き換えに人間のキズを治療する超能力を持っているのだが、その自己犠牲的救世主的な能力設定には、サイモンとニックによる「イエス・キリスト観」が込められているようにも思える。一見お気楽なように見える『宇宙人ポール』、実は深い作品なのだ。 また監督のグレッグ・モットーラをはじめ、ポールの声優を務めたセス・ローゲン、そしてビル・ヘイダーやクリステン・ウィグといった助演陣は現代アメリカのコメディ・シーンのトップに立つ面々であり、彼らと大西洋を超えて仕事をしたことは、サイモンとニックにとって大きな経験になったはずだ。 この作品の後、ふたりは英国に戻ってエドガーとリユニオン。やはり宇宙人が登場するものの、こちらは侵略SFムービーのパロディである『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』(13年)を作り上げた。『ショーン・オブ・ザ・デッド』以来のパブへの偏愛とセカンド・サマー・ラブへのオマージュに満ちたこの作品は大ヒットを記録したものの、三人はこれで三部作完結を宣言。以降はそれぞれの道を歩みだしている。 サイモンは以前からハリウッドきってのヒットメイカー、J・J・エイブラムスに才能を認められ、彼が監督/プロデュースした『ミッション・インポッシブル』や『スタートレック』といった大作シリーズに出演を続けていたのだが、先日『スタートレック』の次回作で脚本を手がけることが発表された。『スターウォーズ』新シリーズを手がけることになったエイブラムスの代わりに『スタートレック』を任されたのかもしれない。『SPACED』のティムが聞いたら嬉しさのあまり卒倒してしまいそうな出世ぶりである。一方、『パイレーツ・ロック』や『スノーホワイト』でイイ味を出していたフロストも故郷英国でプロデュース、原案、主演の三役を務めた社交ダンス・コメディ『カムバック!』(14年)を発表している。 西海岸とロンドンに遠く離れてしまった二人だが心配無用。『カムバック!』にはしっかりサイモンがゲスト出演していたりする。サイモンとニックはこれからも普通人クオリティの顔を並べて、大スクリーンで暴れてくれるはずだ。■ © 2012 Universal Studios.ALL RIGHTS RESERVED