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PROGRAM/放送作品
ザ・コンテンダー
[PG12相当]アメリカ初の女性副大統領候補に指名された議員が、政敵を相手に闘う政治サスペンス
女性副大統領の椅子に座るため、スキャンダルや中傷に敢然と立ち向かう議員をジョアン・アレンが演じる政治サスペンス。同年のアカデミー賞ではJ・アレンが主演女優、ジェフ・ブリッジスが助演男優賞にノミネート。
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COLUMN/コラム2018.11.06
‘80年代青春映画ブームの代表作は元祖「ブラット・パック」映画でもあった!〜『セント・エルモス・ファイアー』〜
‘80年代を代表する青春映画の金字塔である。『アウトサイダー』(’83)や『フラッシュダンス』(’83)、『フットルース』(’84)、『すてきな片思い』(’84)の相次ぐ成功によって、徐々に盛り上がっていった’80年代の青春映画ブーム。特に’85~’87年にかけてはその絶頂期で、本作のほかにも『ブレックファスト・クラブ』(’85)や『プリティ・イン・ピンク』(’86)、『フェリスはある朝突然に』(’86)、『ダーティ・ダンシング』(’87)などの青春映画が次々と大ヒットして社会現象となり、それらの作品の多くに出演した若手俳優たちが「ブラット・パック」と呼ばれて持てはやされた。’80年代はまさに青春映画の黄金時代だったのである。 しかし、なぜ’80年代に青春映画ブームが花開いたのか。その理由を考える前に、ハリウッドにおける青春映画の歩みを駆け足で振り返ってみよう。そもそも青春映画のルーツは、「アメリカの恋人」と呼ばれたサイレント映画の清純派スター、メアリー・ピックフォードの時代にまで遡ることが出来る。’30年代にはミッキー・ルーニーが明朗快活な中流階級の少年を演じた「アンディ・ハーディ」シリーズが人気を集めた。しかし、ハリウッドにおいて青春映画が一つのジャンルとして確立されるようになったのは、終戦後の’50年代に入ってからのことだと言えるだろう。 『乱暴者』(’53)でマーロン・ブランドが、『理由なき反抗』(’55)でジェームズ・ディーンが若い反抗世代のヒーローとなり、エルヴィス・プレスリーが主演する一連のロックンロール映画もヒット。中流階級の恵まれた若者たちの青春模様を描いた『避暑地の出来事』(’59)や『ボーイハント』(’60)などの群像ドラマ、フランキー・アヴァロンとアネット・ファニセロが主演した能天気な「ビーチ・パーティ」シリーズなども人気を集めた。その背景として、第二次世界大戦後の好景気によってアメリカ社会全体がかつてない繁栄を享受し、中でも中流階級が豊かになったことでアメリカ史上初めて、ティーンの若者が消費活動の主役に躍り出たことが深く関わっている。映画だけでなくロックンロールやファッションなど、当時はアメリカの若者文化全体が大きく花開いた時代だったのだ。 その後も『卒業』(’67)や『ラスト・ショー』(’71)、『アメリカン・グラフィティ』(’73)、『アニマル・ハウス』(’78)などの青春映画がヒットしたものの、ジャンルとして大きなムーブメントとなることは’80年代までなかった。ではなぜ当時、青春映画がブームと呼ばれるほどの人気を集めたのか。まずは映画業界の仕掛けた戦略効果が理由として挙げられるだろう。若年層の観客開拓に試行錯誤していた彼らは、折から社会現象となっていたMTVに目を付けたのである。レコード会社と提携した各映画スタジオは、若者に人気のポップ・スターの最新ナンバーを主題歌や挿入歌として起用。映画の広告を兼ねたミュージックビデオを大量に流すことで、予告編以上の絶大な宣伝効果を得ることが出来た。もちろん、映画とのタイアップという話題性はアーティスト側にもメリットがある。そのきっかけを作ったのが『フラッシュダンス』だったわけだが、若年層をターゲットにした青春映画とポップ・ミュージックの親和性が高いのは当然だと言えよう。おのずと、各映画スタジオは青春映画の制作に力を入れるようになり、『フットルース』や『ベスト・キッド』(’84)などなど、次々と映画と音楽の相乗効果を狙った青春ものが作られて大ヒットしたわけだ。 さらに、時の大統領ロナルド・レーガンによる経済政策「レーガノミックス」の影響も、少なからずあったように思われる。結果的にアメリカの財政赤字を増大させ国民の経済格差を拡大させた「レーガノミックス」だが、一方で減税や金融緩和によって景気そのものは’83年頃から回復(実態は貧困層がより貧しく、富裕層がより豊かになっただけだが)へと転じた。その中から、高学歴高収入のエリート層「ヤッピー」や、高級ブランドを身に着けてパーティ三昧に興じる西海岸の女性層「ヴァレー・ガール」といった、物質主義・拝金主義的な新人類の若者たちが台頭。もちろん、そんな恵まれた若者は全体の一部に過ぎないわけだが、しかし’80年代アメリカのキラキラと輝く若者文化を牽引した彼らの存在も、当時の青春映画ブームを語るうえで無視することは出来ないだろう。 また、「ブラット・パック」と呼ばれた青春映画スターの存在も大きかったと言えよう。その原点は『アウトサイダー』とされており、同作に出演したマット・ディロンやC・トーマス・ハウエル、ラルフ・マッチオ、ロブ・ロウ、トム・クルーズ、エミリオ・エステベス、ダイアン・レインらが「ブラット・パック」の第一世代として活躍し、そこへさらにアンドリュー・マッカーシーやモリー・リングウォルド、ジャド・ネルソンにデミ・ムーア、ロバート・ダウニー・ジュニア、アンソニー・マイケル・ホールらが加わって勢力(?)を拡大。人気者の彼らを共演させることは観客動員数の伸びにも繋がった。 ちなみに、「ブラット・パック」という呼称が使われたのは『セント・エルモス・ファイアー』が最初。雑誌「ニューヨーク」で本作の特集記事が組まれた際、担当記者のデヴィッド・ブラムが当時の人気若手俳優たちを「ブラット・パック」と総称したのである。ただし、もともとそれは蔑称だった。というのも、ブラム記者から取材を受けたエミリオ・エステベスは、インタビュー後に共演のロブ・ロウらと共に彼を誘って夜遊びに繰り出したらしいのだが、その豪遊ぶりを目の当たりにしたブラム記者は、分不相応の高額ギャラを貰って遊びほうける不埒な若造どもという侮蔑の意味を込めて、記事中で彼らを含む売れっ子青春スターたち全般のことを「ブラット・パック(小僧集団)」と呼んだのだ。ジョエル・シューマカー監督曰く、「明らかに、地味でモテないブラム記者による若者たちへの嫉妬心があった」とのことだが、おかげで彼らはメディアから「ブラット・パック」と呼ばれることを嫌い、やがてお互いにつるんで遊ぶことも避けるようになった。本来とは違うポジティブな意味で「ブラット・パック」の呼称が使われるようになったのは、後々になってからのことである。 そんな「ブラット・パック」映画の本家とも言うべき『セント・エルモス・ファイアー』。主人公はワシントンD.C.近郊の名門ジョージタウン大学(撮影で使用されているのはメリーランド大学のキャンパス)を卒業したばかりの男女7人の若者たちである。アルバイトをしながら弁護士を目指して勉強するカービー(エミリオ・エステベス)、無職で女癖が悪くブラブラしている学生時代の人気者ビリー(ロブ・ロウ)、グループ内で唯一恋人がいない新聞記者ケヴィン(アンドリュー・マッカーシー)、国際銀行に就職したものの金遣いが荒く放蕩三昧のジュールズ(デミ・ムーア)、政治の世界で立身出世を狙う野心家アレック(ジャド・ネルソン)、建築家としてのキャリアのためアレックとの結婚を躊躇するレズリー(アリー・シーディ)、そして福祉局で真面目に働く金持ちのお嬢様ウェンディ(メア・ウィニンガム)。まだまだ学生気分の抜けない彼らが、仕事や恋愛の悩みに直面し、社会の厳しい現実に揉まれながらも、やがて大人としての責任に目覚めていく姿を描く。 タイトルは主人公たちが学生時代からたまり場にしているバー「セントエルモの店」と、船乗りの守護聖人セントエルモの名を冠した「セントエルモの火」に由来する。「セントエルモの火」とは、嵐の時などに船や飛行機の突端で起こる放電現象のこと。古くから船乗りたちが悪天候の際に「セントエルモの火」の光を頼りに前へ進んだという伝承を踏まえ、困難な状況に直面した人間がすがる神頼み的なものの象徴として劇中では説明されている。つまりこれは、新社会人として道に迷ってしまった若者たちが、かすかな希望の光を頼りに手探りで前へ進んでいく物語なのだ。 エリート街道を歩むもキャリアと恋愛や友情の板挟みとなる「ヤッピー」のアレックとレズリー、学生時代の栄光が忘れられず自堕落な日々を送るビリー、東海岸版「ヴァレー・ガール」として消費社会の落とし穴にはまっていくジュールズ、弱者の救済に情熱を捧げつつも富裕層である家族の無理解に苦しむウェンディなどなど、’80年代的な若者のトレンドを全編に散りばめつつ、主人公たちの成長ドラマにアメリカの光と影を映し出していくストーリーは非常に巧みだ。また、長所と短所を併せ持つ人間臭い登場人物たちの描写にも説得力があり、それぞれの迷いと苦悩、そこから導き出される決断にも心動かされるものがある。 中でも個人的に一番好きなキャラクターがウェンディだ。地味で大人しくて控えめだが、グループの中では誰よりも芯が強くてしっかりした女の子。いまだ処女であることを気にしているが、かといってセックスを神聖視しているわけでも嫌悪しているわけでもない。むしろ性に対する価値観は進歩的。ただ、彼女なりに譲れない理由があるのだ。その強い信念は仕事でも一貫しており、恵まれない貧困層を救うため献身的に働くが、それゆえに早く結婚して娘婿に家業を継がせたい父親(マーティン・バルサム)と対立し、性格が優しすぎて親子のすれ違いに胸を痛めてしまう。演じるメア・ウィニンガムの、いかにも純朴そうな個性がまたいいんだよね。完成版本編からカットされてしまったものの、口論の末に父親と和解する未公開シーンは本当に感動的。今回の放送を見て気に入った方には、是非ともブルーレイの特典として収録されている未公開シーン集もチェックして頂きたい。涙なしでは見れませんから。 また、恋愛感情に振り回されて右往左往するカービーの迷走ぶりもムチャクチャ共感できる。たまたま病院で再会した大学の先輩デイル(アンディ・マクドウェル)に片想いを炸裂させるカービー。しかし、相手はモデル級の美女でドクターという高根の花。こちらは法律学校に通う弁護士志望とはいえ、まだ何者でもない一介のアルバイト学生。募る恋心と劣等感が強迫観念をどんどんと増大させていく。彼女の気を引くためにあの手この手を使い、将来の進路までコロコロと変えてしまうのだが、やっていることはまるっきりストーカー。若さゆえに盲目となってしまう恋愛感情の暴走。バカだなあ…と苦笑いするしかないんだけど、その一途な気持ちは痛いほどよく分かる。当初、このカービーのエピソードが「あまりにも情けない」ということで、コロンビア映画の重役から丸ごとカットするよう指示されたらしいのだが、若者ばかりのモニターを集めた試写会で圧倒的に受けたことから指示が撤回されたという。そう、リアルな若者の恋愛は美しいだけじゃない。むしろ情けないことの方が多いんですよ。 劇場公開当時、批評家の大人たちから散々酷評されたものの、主人公たちと同世代の若者からは熱狂的に支持されたというのも、恐らく同じような理由からなのだろう。ジョエル・シューマカー監督と共同で脚本を書いているカール・カーランダーは、当時大学を卒業したばかりのインターンだった。ストーリーの土台そのものはジョージタウン滞在中に監督が思いついたものだが、しかし当事者世代のカーランダーの協力がなければ、これほど等身大に共感できる青春群像劇は成立しなかったはずだ。その感動は今の若者にもきっと伝わると思うし、なにより青春時代の未熟で青臭かった自分をちゃんと覚えている大人世代だって、年齢を問わず感じるものがあるのではないだろうか。 ’80年代青春映画の御多分に漏れず、ロック歌手ジョン・パーの歌うテーマ曲「セント・エルモス・ファイアー」がビルボード・チャートで全米1位を記録する大ヒットとなった本作。主要キャストが出演するミュージックビデオも当時はヘヴィーローテーションされた。また、デヴィッド・フォスターによる「愛のテーマ」も、インストゥルメンタル曲にも関わらず全米チャートで最高15位をマークしたことも印象深い。今だったら考えられない現象だと思うが、当時はそれほど映画音楽の影響力が強かったのだ。 もちろん、「ブラット・パック」の代表的なスターを中心に構成されたキャスト陣のネームバリューも映画のヒットに大きく貢献している。エミリオ・エステベスとロブ・ロウは、『アウトサイダー』から飛び出した「ブラット・パック」第一世代。といっても、本作の撮影時19歳のロブは出演者で最年少だった。現在エミリオは映画監督を本業とし、ロブは『ザ・ホワイトハウス』以降テレビで活躍している。そのエミリオの前作『ブレックファスト・クラブ』で共演していたのがアリー・シーディとジャド・ネルソン。大ヒット作『ウォー・ゲーム』(’83)の実績もあった人気女優アリーが先に決まり、彼女の推薦で起用されたジャドは本作をステップにトップスターとなった。最近では『ビリオネア・ボーイズ・クラブ』(’18)の父親役などで地道に活動しているジャドだが、一方のアリーは『X-MEN: アポカリプス』(’16)の端役を最後に出演作がない。 アンドリュー・マッカーシーもジャドと同様、本作を機に『プリティ・イン・ピンク』や『マネキン』(’87)などで超売れっ子スターに。しかし長続きせず、最近では『ブラックリスト』などテレビドラマの監督として活躍している。メインキャストで唯一「ブラット・パック」とは無縁なのがメア・ウィニンガム。そりゃそうだろう。なにしろ当時の彼女はメンバー最高齢の26歳で、既に2人の子供がいるお母さんだった。女優としてのキャリアも10年近くあり、特にテレビの世界では有名な演技派だった。現在も数々のテレビドラマに出ている。『アメリカン・ホラー・ストーリー:ホテル』の不気味な怪演には驚かされた。そして、本作最大の出世頭はデミ・ムーア。『ゴースト/ニューヨークの幻』(’90)でハリウッドの頂点に上り詰めるのは5年後だ。主人公たちがそれぞれの人生を歩み始めるのと同様、演じるスターたちのその後も様々である。◼️ © 1985 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
パトリオット・ゲーム
ジャック・ライアン、テロリストの標的に!人気ポリティカル・アクション・シリーズ第2弾
本作から、主人公ジャック・ライアン役がハリソン・フォードに交替した、「ジャック・ライアン」シリーズ第2弾。監督のフィリップ・ノイスは、同シリーズ第3弾『今そこにある危機』も手がけることに。
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COLUMN/コラム2018.12.19
“映画史”の転換点に立ち会った2人…“スライ”と“ボブ”がスクリーン上で邂逅『コップランド』
「スタローン壮絶。デ・ニーロ超然。」 これが本作『コップランド』が、1998年2月に日本公開された際のキャッチフレーズ。そこからわかる通り、本作最大の売りは、シルベスター・スタローンとロバート・デ・ニーロ、2大スターの“初共演”だった。 そもそもこの2人、同時代のアメリカ映画を牽引して来た存在ながら、共演など「ありえない」ことと、長らく思われてきた。それは偏に、スターとしての、それぞれの歩みの違いによるものだった。 シルベスター・スタローン、通称“スライ” 。スターとしての全盛期=1980年代から90年代に掛けては、鍛え上げたムキムキの肉体で、ボディビルダー出身のアーノルド・シュワルツェネッガーと、“アクションスターNo1”の座を争っていたイメージが強い。 そんな中でも代表作はと問われれば、誰もがまずは『ロッキー』(1976~ )シリーズ、続いて『ランボー』(1982~ )シリーズを挙げるであろう。特にプロボクサーのロッキー・バルボア役は、スタローンが最初に演じてから40年以上経った今も、『ロッキー』のスピンオフである『クリード』シリーズに、登場し続けている。 一方のロバート・デ・ニーロ、愛称“ボブ”の場合は、“デ・ニーロ・アプローチ”という言葉が一般化するほどに、徹底した役作りを行う“演技派”といったイメージが、まずは浮かぶ。 “デ・ニーロ・アプローチ”の具体例は、枚挙に暇がない。出世作『ゴッドファーザーPARTII』(1974)では、前作でマーロン・ブランドが演じたドン・ヴィトー・コルレオーネの若き日を演じるため、コルレオーネの出身地という設定のイタリア・シチリア島に住み、その訛りが入ったイタリア語をマスター。その上で、ブランドのしゃがれ声を完コピした。 『タクシードライバー』(1976)の撮影前には、ニューヨークで実際にタクシー運転手として勤務したデ・ニーロ。街を流して乗客を乗せたりもした。 特に有名なのが、実在のプロボクシングミドル級チャンピオン、ジェイク・ラモッタを演じた『レイジング・ブル』(1980)での役作り。まずトレーニングで鋼のような肉体を作ってボクサーを演じた後、引退後に太った様を表現するため、短期間に体重を27キロ増やすという荒業をやってのけた。 そんなこんなで、パブリックイメージとしては、マッチョなアクションスターのスライと、全身全霊賭けて役になり切るボブ。そんな2人の共演など、「ありえない」ことになっていたわけである。 しかしこの2人の俳優の歩みを振り返ると、スタートの時点では、そんなに縁遠いところに居たわけではない。 その起点は、1976年。 まずはマーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』が、2月にアメリカで公開された。主演のデ・ニーロが演じたのは、「ベトナム帰りの元海兵隊員」を名乗る、不眠症の孤独なタクシー運転手トラヴィス。彼はニューヨークの夜の街を走り続ける内に、次第に狂気を募らせて、やがて銃を携帯。過激で異常な行動へと、走るようになる…。 デ・ニーロは、この2年前の『ゴッドファーザーPARTⅡ』でアカデミー賞助演男優賞を受賞して、「最も期待される若手俳優」という位置を既に占めていたが、『タクシー…』はメジャー作品としては、初の主演作。公開後の5月には『タクシー…』が、「カンヌ映画祭」の最高賞である“パルム・ドール”を受賞したことなどもあり、その評価を更に高めることとなった。 同じ年の11月に公開されたのが、スタローンが脚本を書き主演を務めた、『ロッキー』である。うだつの上がらない30代の三流ボクサーであるロッキーが、世界チャンピオンから“咬ませ犬”として指名され、挑戦することになる。とても勝ち目がない勝負と思われたが、「もし最終ラウンドまでリングの上に立っていられたら、自分がただのゴロツキではないことが証明できる」と、愛する女性に告げて、ファイトに挑んでいく…。 この作品が製作され公開に至るまでの経緯は、もはやハリウッドの伝説になっている。ある時、プロボクシングの世界ヘビー級タイトルマッチを、偶然に視聴したスタローン。偉大なチャンピオン=モハメド・アリに、ノーマークのロートルボクサー=チャック・ウェプナーが挑んで、大善戦したのを目の当たりにして感動。3日間で『ロッキー』の脚本を書き上げた。持ち込まれたプロダクション側は、スター俳優の起用を前提に、脚本に数千万円の値を付けた。しかし当時まったく無名の存在だったスタローンは、自らが主演することを最後まで譲らず、結局は最低ランクの資金で製作されることとなった。 そうして完成した『ロッキー』は、公開されるや誰もが予想しなかったほどの大ヒットに!正に、“アメリカン・ドリーム”を体現する作品となった。 デ・ニーロとスタローンにとって、“主演スター”としての第一歩になった、『タクシードライバー』と『ロッキー』は、その年の賞レースを席捲。翌77年の3月に開催されたアカデミー賞で、2人は“主演男優賞”部門で覇を競うこととなった。 両作は“作品賞”部門にも、共にノミネート。この激突はいま振り返れば、映画史的に非常に興味深い。 1967年の『俺たちに明日はない』以来、70年代前半まで映画シーンをリードしてきたのが、“アメリカン・ニューシネマ”というムーブメント。ベトナム戦争の泥沼化やウォーターゲート事件などで、アメリカの若者たちの間で自国への信頼が崩壊する中で、アンチヒーローが主人公で、アンチハッピーエンドが特徴的な作品が、次々と作られていった。 『タクシー…』は、そんな夢も希望もない内容の、“アメリカン・ニューシネマ”最後の作品と位置付けられている。 一方で『ロッキー』は、当初は“ニューシネマ”さながらに、主人公が試合を途中で投げ出す展開も考えられていたというが、結局は、“アメリカン・ドリーム”を高らかに歌い上げる結末を迎える。今では、翌年の『スター・ウォーズ』第1作(1977)と合わせて、“ニューシネマ”に引導を渡す役割を果たしたと言われている。 そんな因縁はさて置き、1976年度のアカデミー賞“主演男優賞”部門に、話を戻す。海外のニュースがネットで瞬時に伝わる今とは違って当時は、アカデミー賞の戦前予想は、月刊の“映画雑誌”などで読む他はなかった。それによると、“主演男優賞”はデ・ニーロ本命、対抗がスタローンといった雰囲気が伝わってきた。 ところが、ところがである。蓋を開けてみると、“主演男優賞”を獲得したのは、『ネットワーク』に出演したピーター・フィンチだった。 シドニー・ルメット監督が、視聴率獲得競争を描いてメディア批判を行ったこの作品に於いて、徐々に狂気に蝕まれていく報道キャスターを演じたフィンチは、役どころ的には、本来は“助演”ノミネートが相応しいと言われていた。しかしノミネート発表直後に、心不全で急死。同情票を集めることとなり、アカデミー賞の演技部門史上初めて、死後にオスカー像が贈られることとなったのである。 『ネットワーク』もフィンチの演技も、腐す気はまったくない。しかし40余年経った今、この結果と関係なく、『タクシー…』のデ・ニーロや『ロッキー』のスタローンの方が、未だに熱く語られる存在であることを考えると、賞など正に水物であることが、よくわかる。 とはいえ“アカデミー賞”が、映画人にとって最大の栄誉の一つであることには、疑いもない。『タクシー…』で本命と目されながらも逃したデ・ニーロは、1978年度にマイケル・チミノ監督の『ディア・ハンター』での2度目のノミネートを経て、80年度にスコセッシ監督の『レイジング・ブル』で、遂に“主演男優賞”のオスカー像を手にすることとなる。 これ以降もデ・ニーロは、名コンビとなったスコセッシ監督作品他で、多くの者がお手本にするような俳優として、キャリアを積み重ねていく。そしてアカデミー賞にも、度々ノミネートされることとなる。 一方のスタローン。『ロッキー』では“主演男優賞”に加えて、“脚本賞”にもノミネートされていたが、こちらも『ネットワーク』脚本のパディ・チャイエフスキーに攫われてしまった。『ロッキー』自体は、“作品賞”、“監督賞”、“編集賞”の3部門を制覇。『タクシードライバー』が無冠に終わったのに対し、大勝利と言える成果を収めたが、以降スタローンとアカデミー賞は、長く疎遠な関係となる。 『ロッキー』で大成功を収めた後の主演作となったのが、『フィスト』(1978)。スタローンは、労働組合の大物指導者でありながら、マフィアとの癒着が噂され、最終的には謎の失踪を遂げた実在の人物、ジミー・ホッファをモデルにした主人公を演じた。監督に起用されたのは、『夜の大捜査線』(1967)でアカデミー賞監督賞を受賞し、他にも『屋根の上のバイオリン弾き』(1971)『ジーザス・クライスト・スーパースター』(1973)などの作品を手掛けてきた、ノーマン・ジュイスン。 明らかに賞狙いの作品であった『フィスト』だが、大きな話題になることもない失敗作に終わった。同じ1978年には、スタローンが初監督もした主演作『パラダイス・アレイ』も公開されたが、『ロッキー』に続くスタローン主演作のヒットは、翌79年の続編、『ロッキー2』まで待たねばならなかった。 このように、暫しは『ロッキー』シリーズ以外のヒットがなかったスタローンだが、1980年代に、ベトナムから帰還したスーパーソルジャーを主人公にした、『ランボー』シリーズがスタート!スタローンは、アクションスターとしての地位を確立していくと同時に、1984年以降は、毎年アカデミー賞授賞式の前夜に「最低」の映画を選んで表彰する、“ゴールデンラズベリー賞=ラジ―賞”受賞の常連となっていった…。 “マネーメイキングスター”としては、常にTOPの座を争いながらも、その“演技”が評価されることは、まず「ない」存在となったスタローン。しかし彼もスタート時点は、マーロン・ブランドのような性格俳優に憧れて、初主演作では“アカデミー賞”にノミネートされた、立派な“俳優”である。アクションではない“演技”で注目されたいという気持ちは、常にあったものと思われる。 そんな彼が、50代を迎えて主演作に選んだのが、本作『コップランド』であった。ニューヨーク市警の警官が多く住むため、“コップランド”と呼ばれる郊外の町ギャリソンを舞台にしたこの作品で、スタローンが演じたのは、落ちこぼれでやる気のない中年保安官。しかし、殺人まで絡んだ警察内の不正に目を瞑ることが出来なくなり、遂には孤高の戦いを繰り広げることとなる。 スタローンは、低予算ながらドラマ性の高い本作への出演を、ほぼノーギャラで受けた。そして主人公の保安官の愚鈍さを表すために、15キロも体重を増やす、“デ・ニーロ・アプローチ”ばりの役作りを行ったという。 一方本作でのデ・ニーロは、ニューヨーク市警の内務調査官役。コップランドの警官たちの不正を暴こうとする中で、スタローンの正義感を利用する、狡猾な役どころである。とはいえ、「2大スター共演」を売りにした割りには、登場シーンもさほど多くはない、ゲスト的な出演の仕方と言える。劇場公開時には、その辺りが何とも物足りなかったが、いま見返すと、短い出番ながらさすがに的確で印象的な演技をしていることに、感心する。 余談だが、スタローンとデ・ニーロは、『コップランド』から16年後に、『リベンジ・マッチ』(2013)という作品で再共演を果たしている。こちらは本格的なW主演作品で、2人の役どころは、30年前の遺恨のために、リング上で対戦する老齢のボクサー。作品的な評価は高くないが、2人の若き日が、『ロッキー』シリーズや『レイジング・ブル』のファイトシーンから抜き出されてコラージュされている辺りが、“楽屋落ち”のように楽しめる作品ではあった。 さて本作『コップランド』の話に戻ると、公開時に“俳優”スタローンの挑戦は、それなりに高く評価はされた。しかしその演技が、賞レースなどに絡むことはなかった。 スタローンとアカデミー賞との関わりは、2016年度の『クリード チャンプを継ぐ男』で“助演男優賞”にノミネートされるまで、『ロッキー』第1作以来、実に40年ものブランクを空けることとなる。候補となったのが40年前と同じく、ロッキー・バルボア役だったというのは、逆に特筆すべきことだと思うが…。◼︎ © 1997 Miramax, LLC. 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PROGRAM/放送作品
レッド・オクトーバーを追え!
トム・クランシー原作「ジャック・ライアン」シリーズ第1弾!ソ連が生んだ究極の超高性能原子力潜水艦を追え!
人気作家トム・クランシーの同名ベストセラーを『ダイ・ハード』のジョン・マクティアナン監督が映画化した軍事サスペンス。『パトリオット・ゲーム』、『今そこにある危機』へと続く、人気シリーズの原点。
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NEWS/ニュース2012.05.09
映画『ローマの休日』と、舞台版『ローマの休日』
映画『ローマの休日』を今月、ザ・シネマで放送中です。私も10代で初めて見てから今に至るまで、映画館で、ビデオで、テレビでと、何回も見てきた大好きな作品ですが、やっと念願かなってザ・シネマでお届けすることができました。様々な年代の視聴者の皆様からのメッセージも多数いただき、改めてこの作品が時代を越えて愛される永遠の名作であることを感じております。この放送に合わせて、ザ・シネマHPではオードリー・ヘップバーンに捧げられた香水など関連プレゼント・キャンペーンを実施中です。楽しいコラム記事もありますのでぜひ覗いてみてくださいこの舞台に出演する吉田栄作さん、秋元才加さんから、ザ・シネマにメッセージが届きました。 ■吉田栄作 映画『ローマの休日』の原作が、オフブロードウェイの舞台作品であったら・・・という発想で台本が書かれたと聞きました。そこには、レッドパージでハリウッドを追われた作者ダルトン・トランボの影がジョー・ブラッドレーの中に、そして、アン王女の中には、オードリー・ヘップバーン自身の「平和への想い」が投影されています。舞台を観た後に、映画を見直せば、きっと新たな発見と、感動があるはずです。 ■秋元才加(AKB48) 先日、映画が日本で公開され58年経ったとお聞きしました。この舞台をきっかけに映画を初めてきちんと観たのですが…今も変わらない輝きと新鮮さに驚かされました。オードリーが演じたアン王女。女性だけでなく、男性までも、誰もが憧れるオードリーの役をやらせて頂くのはプレッシャーもありますが光栄な事だと感じております。映画より一人一人の人物像や作者を深く描写している部分、また、映画をそのまま再現している部分、見応え抜群の舞台、「ローマの休日」是非皆様に観て頂きたいです!舞台版『ローマの休日』は「『ローマの休日』という映画はオフブロードウェイで上演していた舞台を映画化した作品だったら・・・」という発想から作成した作品で、映画の良さはそのままに、人物像はもっとくっきりと浮かび上がった作品です。今でも不朽の名作として愛されている『ローマの休日』。映画をご覧になったお客様もぜひ舞台をお楽しみ下さい。■
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PROGRAM/放送作品
悪いことしましョ!
もしも願いが叶うなら悪魔に魂売りますか?セクシー悪魔のコスプレも見どころのラブ・コメディ
『ゴーストバスターズ』で脚本を手がけ、自らも出演するなど多彩な才能を発揮するハロルド・ライミスが、1967年制作の同名映画をリメイク。セクシーなコスプレで登場するエリザベス・ハーレイも見どころ。
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PROGRAM/放送作品
今そこにある危機
今度の敵はホワイトハウス!? ポリティカル・サスペンス「ジャック・ライアン」シリーズ第3弾!
『レッド・オクトーバーを追え!』『パトリオット・ゲーム』に続く、トム・クランシー原作の人気シリーズ第3弾。『パトリオット・ゲーム』に引き続き、主演ハリソン・フォード、監督はフィリップ・ノイス。
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PROGRAM/放送作品
(吹)ナイト・オブ・ザ・スカイ
これがフランス版『トップガン』。空軍に渦巻く陰謀を描いた痛快ハイスピードスカイ・アクション!
『TAXi』で世界的なヒットをとばしたジェラール・ピレスが手がけた本作はフランス空軍が全面協力。スピード感、リアリティを追求するためにCGを極力排除し、戦闘機にカメラを搭載して撮影した映像はド迫力!
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PROGRAM/放送作品
“アイデンティティー”
[PG-12]嵐に閉じ込められた男女11人が次々と惨殺されてゆく謎と恐怖を描いたサイコ・スリラー!
嵐でモーテルに閉じ込められた男女11人が一人また一人と殺されてゆく謎と恐怖を『17歳のカルテ』のジェームズ・マンゴールド監督が個性派の役者たちをキャスティングして巧みに描いたサイコ・スリラー!