1942年5月17日、ナチス・ドイツのSS=親衛隊大将ラインハルト・ハイドリヒが、チェコスロバキアのプラハで襲撃されて重傷を負い、8日後の6月4日に死亡した。レジスタンスの力を借りて、ハイドリヒの暗殺計画「エンスラポイド(類人猿)作戦」を実行したのは、亡命チェコスロバキア軍人たち。亡命先のイギリスから、母国に潜入しての決行だった。
この顛末は確認出来る限りで、今までに4回映画化されている。フリッツ・ラング監督の『死刑執行人もまた死す』(1943)、ルイス・ギルバート監督による『暁の七人』(75)、そして本作、ショーン・エリス監督の『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』(2016)、更に今年1月には、セドリック・ヒメネス監督の『ナチス第三の男』(17)が日本公開されている。
この“暗殺作戦”が、かくも欧米のフィルムメーカーたちを惹き付けるのは、なぜであろうか?まずは、ナチの中でハイドリヒが占めていた位置がポイントと思われる。
ドイツ近現代史研究者の増田好純氏が著すところによれば、ハイドリヒは「ナチズムの暗面を象徴する存在」だったという。親衛隊のTOPであるハインリヒ・ヒムラーの片腕として、ゲシュタポ=秘密国家警察を含む警察組織を掌中に収め、アドルフ・ヒトラー総統の“敵”を、徹底的に排除することに努めた。それは時には、ナチ内部の粛清にも及んだ。
そんな中で、人種的・社会的マイノリティの迫害やユダヤ人の大虐殺にも大きく関与。それが、「絞首人」や「死刑執行人」、「若き死神」「金髪の野獣」など、様々な異名を取る所以である。
1941年9月には、ハイドリヒは、ドイツの支配下だったチェコスロバキアの事実上の総督に就任。当時高まりを見せていた抵抗運動の撲滅を図って、全土に戒厳令を布告し、弾圧を強化していった。
そんな「ナチズムの暗面を象徴する存在」の暗殺が、成功したわけである。ナチが席捲していたヨーロッパでは無理でも、既にドイツと交戦状態にあったアメリカで、すぐにそれを題材にした作品が作られたのも、むべなるかな。反ナチ・レジスタンスのプロバガンダ作品として、正に打ってつけのネタであったのだ。
そうして、“暗殺”の翌年にアメリカで公開されたのが、『死刑執行人もまた死す』である。当時のハリウッドには、このニュースを映画化するのに、格好の人材が揃っていた。
監督のフリッツ・ラングは、戦前のドイツ映画界きっての巨匠。ナチスの台頭後にアメリカに渡って、活躍していた。
原案・脚本は、やはりドイツからアメリカに亡命中だった、ベルナルド・ブレヒト。20世紀最大の戯曲家のひとりで、「三文オペラ」や「肝っ玉お母とその子供たち」などを著した、あのブレヒトである。音楽はブレヒトと亡命仲間の同志である、ハンス・アイクラ―が担当した。
『死刑執行人も…』は、実際にあった“暗殺”の顛末を、事細かに描いた作品ではない。この作品で“死刑執行人”ハインリヒを暗殺するのは、レジスタンスの闘士フランツ。架空の人物である。フランツは逃走中に、マーシャという女性に救われ、匿われる。
暗殺犯の行方をつかめないゲシュタポは、犯人を密告するか自首させないと、事件とは無関係な市民たちを無差別に殺していくと宣言し、弾圧を強める。匿ってくれたマーシャの老父も連れ去られ、フランツは苦悩するが…。
連行された市民たちが、毅然とした態度で処刑されていく描写。ドイツ軍と通じている裏切り者の男を、市民たちが一丸となって罠には嵌め、暗殺犯に仕立て上げていくサスペンスなど、見事な出来栄えである。
エンディングでは、「The End」ならぬ「NOT……The End」」という文字が画面に映し出され、今は戦時中で、自由を得るためのナチスとの戦いが、これからも続いていくことが表される。普遍的にも、素晴らしい作品と言える。
とはいえこれはやはり、戦争中にハリウッドのセットで撮られた、プロバガンダ作品。戦後しばらくすると、同じ“ハイドリヒ暗殺”の映画化でも、現実の舞台だったプラハでのロケを敢行した、ぐっとリアルな描写が施されるようになる。
先にフィルムメーカー達が、この題材に惹かれる理由として、ナチの中でハイドリヒが占めていた位置を挙げたが、ここでもう一つのポイントが浮上する。実際に行われた「エンスラポイド作戦」が、あまりにも壮絶で、悲劇的な色彩を帯びている点である。
戦後30年経って映画化された『暁の七人』では、暗殺を実行するのは史実通りに、イギリスに亡命していたチェコスロバキア軍人のヤン軍曹(演:ティモシー・ボトムズ)とヨゼフ曹長(アンソニー・アンドリュース)ら。
彼らはパラシュートで母国に潜入すると、レジスタンスと合流。潜伏生活の中で暗殺計画を練り、試行錯誤の上で、ハイドリヒが車で司令部に向かう道中を待ち伏せて襲うという、大胆な作戦を決行する。
ハイドリヒの殺害は見事に成功したものの、ナチは厳重な捜査網を敷いて、レジスタンスを血祭りに上げていく。そして更に、一般のチェコスロバキア国民に対する報復行為に踏み切る。標的となったのは、リディスという田舎町。男という男は、すべて銃殺刑に処され、女性や子どもは強制収容所へと送還され、町は全滅に至った。
一方、暗殺に成功したヤンとヨゼフら7人は、協力者である教会に隠れ、脱出の日を待っていた。しかし裏切り者の密告などで、ナチに包囲されてしまう。700人もの親衛隊と、壮絶な銃撃戦を行う7人だったが、1人また1人と倒れていく。最後に地下室に逃げ込んだヤンとヨゼフは、ナチの水攻めの中で、覚悟の自決を遂げるのだった…。
『暁の七人』から30余年を経て、改めて「エンスラポイド作戦」の全容を描いたのはが、本作『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』である。史実に基づく以上大筋は変えようがないが、『暁の七人』にはまだあった、戦争映画特有の作戦遂行までのワクワク感や成功後のカタルシスが、本作では大幅に削ぎ落されている。
ハイドリヒ暗殺に成功してしまえば、ナチの追及が強まり、無関係な市民への虐殺が行われるのは、あらかじめわかっている。そのためレジスタンスのメンバーの中には、ヤンとヨゼフへの協力に躊躇する者も出てくる。
また本作では、暗殺実行後の部隊が国外脱出することの困難さが、はじめから強調されている。ハイドリヒ暗殺が“片道切符の特攻作戦”の色が強かったことが、示唆されているわけだ。
様々なリスクを想定し、それが現実のものになるのを目の当たりにした上で、それでも実行すべき作戦だったのか? 『ハイドリヒを撃て!』では、観る者も問われていく。
ジェイミー・ドーナンとキリアン・マーフィが演じるヤンとヨゼフのキャラクター造形も、『暁の七人』以上に深められている。彼らの潜伏生活に、映画で描かれたような、レジスタンスの女性たちとのロマンスが本当にあったかどうかは、寡聞にして知らない。しかしそれもまた、彼らの苦悩や逡巡を表す意味で、効果的な描写となっている。
さて本作とほぼ同じ頃に製作された“ハイドリヒ暗殺もの”に、『ナチス第三の男』がある。こちらはベストセラー小説「HHhH プラハ、1942年」を原作にしたものだが、『暁の七人』や本作と大きく違うのは、映画の前半で丹念に、ハイドリヒの半生を追っているところだ。
女性問題で海軍士官の道を断たれたハイドリヒ(演:ジェイソン・クラーク)が、ナチ党支持者だった妻(演:ロザムンド・パイク)の影響を受け、親衛隊のリーダーだったヒムラーと出会う。まだ野党だった頃のナチに加わったハイドリヒは、出世欲に駆り立てられ、ナチの台頭と共に、敵だけでなく味方からも恐れられる男へとなっていく…。
そして後半は、ヤンとヨゼフを軸にした、“暗殺劇”が展開されることになる。こうした二部構成のような展開が、必ずしもうまくいってない部分もある。
しかし、ハイドリヒがはじめから“怪物”だったわけでなく、自らの現況や時勢に応じた選択を重ねた結果として、「死刑執行人」「金髪の野獣」などと呼ばれるようになっていく様が、大変興味深い。
改めて、ナチが犯した大罪を知り、戦争がもたらす災禍を知るためにも、まずは『ハイドリヒを撃て!』、時間があれば、他の“ハイドリヒ暗殺もの”3本も、ご覧になって欲しい。■
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