“民主主義”を標榜するような国でも、時の政権によって“政府の敵”と見なされた者たちを標的に、“ブラックリスト”が作られることは、往々にしてある。

 有名なのは、ウォーターゲート事件により辞任に追い込まれ、「史上最低の大統領」という評価もある、アメリカの第37代大統領リチャード・ニクソン(任期:1969~74)が作った、「政敵リスト」。そこには政治家やジャーナリストと並んで、ベトナム反戦や公民権運動などに熱心だったハリウッドスターたち、ポール・ニューマンやジェーン・フォンダなどの名前が挙げられていた。

 ニクソンはこうした“リスト”に載せた人物たちを、「税務調査」などの手段で締め上げて、圧力を掛けることを目論んだとされる。結局は国税庁のTOPが拒んだため、調査が実施されることはなかったと言われるが。

 こうした“映画人”をもターゲットにした“ブラックリスト”という意味で、近年大きなニュースが報じられたのは、韓国。2016年10月に全国紙「韓国日報」によって、その前年=15年5月に、当時朴槿恵(パク・クネ)大統領を頂く韓国政府が、“文化芸術界”の検閲すべき9,473人の名簿を作成し、関係省庁へと送ったことが明らかになった。「この“リスト”に載せたタレントや文化人は、干せ!」と、政府が暗に指示したわけである。

 リストアップされたのは、大統領選挙やソウル市長選で、朴陣営に敵対する候補を支持した者や、2014年4月に発生した「セウォル号沈没事件」に関して、政府やその関係者を批判した者など。ご存知の方が多いと思うが、修学旅行中だった高校生250人を含む、300人以上の死者・行方不明者を出したこの大事故では、政府の対応の遅れや不手際が強く非難され、朴政権に大きな打撃を与えていた。

 では具体的に、韓国政府の“ブラックリスト”に挙げられた“映画人”とは、どんな顔触れだったのか?『オールド・ボーイ』(03)『お嬢さん』(16)などのパク・チャヌク監督、『悪魔を見た』(10)『密偵』(16) などのキム・ジウン監督、『10人の泥棒たち』(13)などに出演する女優のキム・ヘスといった、一流どころの名前が並ぶ。そして、本作『弁護人』の主演俳優であるソン・ガンホの名も、その“リスト”に挙げられていた。

 韓国映画界には、かつての“韓流四天王”=ヨン様やチャン・ドンゴンなどのイケメン系とは別に、エラが張った巨顔ですんぐりむっくりな体形の人気スター達が居る。私は“ジャガイモ系”と呼んでいるが、『哀しき獣』(10)のキム・ユンソクや『新感染 ファイナル・エクスプレス』(16)のマ・ドンソク、『容疑者X 天才数学者のアリバイ』(12)のチョ・ジヌン、本作にも“カタキ役”で出演しているクァク・ドウォンといった面々が、それである。

 ソン・ガンホは、そんな“ジャガイモ系”の先駆け且つ代表的な存在として、『シュリ』(1999)『JSA』(2000)『殺人の追憶』(03)『グエムル 漢江の怪物』(06)といった、韓国映画史に残る数多のヒット作や名作に次々と出演。“国民俳優”“韓国の至宝”の名を恣にし、日本でも高い人気を誇る。名実ともに、韓国映画界きってのTOPスターである。

 そんな“韓国の至宝”が、政府に睨まれる直接の原因となったのは、「セウォル号事件」の問題で署名活動に参加したこととされる。しかし2013年に製作された本作に主演したことも、その遠因になっていることは、容易に想像できる。ガンホが演じた本作の主人公=ソン・ウソクのモデルは、廬武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領だからである。

 本作では、1978年から87年頃までの韓国・釜山を舞台に、ソン・ウソク≒政治の世界に進む前の廬武鉉の姿が描かれる。もちろん映画向けに創作された部分もあるが、大筋では事実をほぼ正確に描いているという。

 では、廬武鉉の歩んだ道を、簡単にまとめてみたい。それは即ち、本作の内容の紹介になるし、主演俳優のガンホが、朴政権に目を付けられた理由の説明にも繋がる。

 1946年、釜山の貧しい農家に生まれた廬武鉉。頭脳は優秀ながら、お金がなかったため大学に行けず、アルバイトをしながら司法試験の勉強を始めた。

 途中3年間の徴兵期間を経て、75年=29歳の時に、司法試験に合格。裁判官を経て弁護士となる。本作ではこの辺りからが、描かれる。

 廬武鉉は、弁護士事務所の開業からしばらくは、税務を専門とし、お金儲けに邁進した。本作の中で、豊かになった主人公が、苦学時代に食い逃げした食堂にお金を返しに行くエピソードが登場するが、これも実話が基になっているという。

 転機が訪れたのは、81年。同僚弁護士に頼まれ、「釜林(プリム)事件」の被害者の弁護を担当したことだった。この事件では、釜山でマルクス主義などの本の読書会をしていた、学生や教師、サラリーマンなど22人が、令状もなく突然逮捕された。彼らは2カ月もの間不法監禁され、過酷な拷問を受けていた。

 当時の全斗煥(チョン・ドファン)政権は、軍事クーデターと不正選挙で権力の座に就いたこともあって、“民主化”を目指す者たちを敵視していた。そのため思想的な背景が深いとは言えない、読書会のような集まりにも目を付けて、「国家保安法」の名の下で、“アカ=共産主義者”“北朝鮮のスパイ”扱いをして摘発。徹底的な弾圧を加えていた。

 それまではノンポリで、“民主化運動”などにも関心がなかった廬武鉉だが、弁護をする若者の身体に拷問の痕を見付け、強い衝撃を受ける。それがきっかけとなって彼は、金儲けの得意な弁護士から、180度の変身を遂げる。

 この事件の弁護を、まるで「家族のように」献身的な姿勢で行ったのをはじめ、貧しい人々のために、“無料”で法律相談に乗ったり弁護を引き受けるなど、いわゆる“人権派弁護士”となったのである。

 このような活動を邪魔に思った政権側は、検察を使って彼を拘束したり、弁護士資格を停止したりした。映画『弁護人』で描かれるのは、この辺りまでである。

 こうした活動が注目され、廬武鉉は、野党政治家で民主化運動のリーダーの1人だった金泳三(キム・ヨンサム)から、政界入りを薦められる。そして88年に、国会議員に初当選。政治家の道を歩むこととなった。

 国会での鋭い不正追及でスターとなった廬武鉉だが、権力側と野合を行った金泳三とは、やがて袂を分かつこととなる。金泳三は93年に大統領となるが、それも原因となって廬武鉉は、選挙では落選を繰り返すこととなる。

 しかし98年に大統領となった、“左派”で“進歩派”の金大中(キム・デジュン)の下で、2000年に閣僚入り。廬武鉉は海洋水産部の大臣を務め、次期大統領候補に浮上する。

 そして2003年、金大中の後を継ぐ形で、廬武鉉は大統領選に勝利。第16代大韓民国大統領に就任することとなった。

 韓国の大統領の任期は、1期5年と決まっている。廬武鉉政権の任期は、改革志向の政策を“保守系”のマスコミから目の敵にされたこともあって、批判に曝された5年間となった。不動産政策の失敗や経済的不平等の拡大に失望の声が上がり、北朝鮮に融和的な“太陽政策”が、北の“核実験”によって破綻したことも重なって、支持率は急降下していった。

 金大中・廬武鉉と続いた、10年間の“左派”“進歩派”政権に見切りをつけた国民は、2008年、次の大統領に“保守派”で“右派”の李明博(イ・ミョンバク)を選んだ。

 では退任後の廬武鉉は、どんな生活を送ったのか?失意の日々を送ったのか?

 そうではない。彼は故郷の農村に戻り、村の人々と農業の研究に勤しんだ。そして合鴨農法など環境型の農業を進め、農村の収益を高めることに貢献しようと努めたのである。それは、立ち遅れた地方の現実を何とかしたいという、彼の願いであった。

 こうした振舞いが、好意的に受け止められた。現職大統領としては記録的な不支持に泣いた廬武鉉は、退任した大統領としては、最高の人気を得ることとなったのである。

 これを深刻に受け止めたのが、廬武鉉の後を襲った、李明博大統領。就任直後から失政が重なって、前任者と比較されることが多くなった李明博は、マスコミ規制を強めると同時に、廬武鉉の“政治資金”を徹底的に洗い出そうとした。

 強大な権力を誇る韓国の大統領は、ほぼ例外なく、“金絡み”のスキャンダルで末節を汚してしまう。大統領自らが汚職に手を染めて断罪されたケースもあれば、その身内や側近が権力を笠に着て、不正な金を手にしていたケースも多々ある。

 廬武鉉は弁護士出身ということもあり、その辺りはかなり注意深く、不正な金は受け取らないように、借用書などの証拠を残していた。しかし大統領の任期中に、妻が企業家から100万ドルを受け取っていたことが、発覚。以降、自らも検察の厳しい調査を受けることとなった。

 大統領任期中に、検察の改革にも手を付けようとし、その幹部を度々批判してきたことも災いした。廬武鉉は数カ月に及ぶ厳しい取り調べで健康を害し、心身共にボロボロになっていった。

 遂には2009年5月23日。自宅の近所の山に登って、投身自殺を遂げてしまう。

 判官びいきの側面もあるだろうが、廬武鉉の死後、彼を惜しむ声は尽きなかった。そして、彼を死に追いやった李明博政権を批判する声が、高まることとなった。

 2013年2月に誕生した朴槿恵政権は、李明博と同じく“保守系”で“右派”。1963年から79年まで16年間に渡って軍事独裁体制を敷いた朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の娘であり、その影響もあったのか、強権的な政権運営で、“左派”“進歩派”を締め上げる動きを強めた。

 本作『弁護人』は、朴大統領就任から10カ月経った、13年の12月に韓国で公開されたが、その際にマスコミは妙なリアクションを見せたと言われる。ソン・ガンホを筆頭に、クァク・ドウォン、オ・ダルス、アイドルのイム・シワンなど有名俳優が多数出演しているにも拘わらず、“保守系”の全国紙が、事前の映画評などをほとんど掲載しなかったのである。

 公開後、観客動員が1100万人を超える、大ヒットとなった後は、さすがに無視できなくなったと見えて、論説やコラムなどで本作に触れるようになったというが、これは廬武鉉とは正反対の政治姿勢である、朴槿恵への“忖度”だったと見られる。映画『弁護人』を取り上げることに関して、自主規制を掛けたわけである。

『弁護人』の日本公開は、本国に遅れること3年の2016年11月。前月に朴槿恵政権の“ブラックリスト”が明らかになり、大騒ぎになっている最中に、本作のプロモーションでソン・ガンホが来日した。

 ガンホは、亡くなった後も多くの国民に慕われている廬武鉉をモデルにした主人公を演じることに、当初は怖れを抱いて断ったという。しかし、ストーリーとシナリオが忘れられず、結局出演することを決めた。

 そんなガンホは来日会見で、“ブラックリスト”にその名が挙げられたことを聞かれると、次のように応えた。

「…私自身がリストに入ってしまったことによって国民に対して申し訳ないという気持ちがやや薄れました(笑)…」

 ユーモアに溢れた回答でいて、時の政権に対するスタンスも、堂々とアピールしている。“筋金入り”と言えるだろう。こんなスターだからこそ、本作の他にも、朴正煕の軍事独裁時代が舞台の『大統領の理髪師』(2004)、日本の占領時代の抵抗運動を描いた『密偵』(16)、そして全斗煥政権が民衆を虐殺した“光州事件”を題材にした『タクシー運転手 約束は海を越えて』(17)等々の“政治エンターテインメント”に出演することにも、躊躇がないのであろう。

『弁護人』日本公開の4カ月後=2017年3月10日に、朴槿恵は、側近政治が招いた数々の不祥事によって弾劾され、大統領職を罷免された。失職後には逮捕され、現在裁判に掛けられている。廬武鉉を苦しめた李明博元大統領も、昨春に横領・収賄などの罪で逮捕・起訴され、今は刑事被告人の立場だ。

 韓国の現大統領は、釜山で廬武鉉と弁護士事務所を共同で営んで以来、彼の側近を務め、「盧武鉉の影法師」と異名を取った、文在寅(ムン・ジェイン)である。■

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