『狼は天使の匂い』、監督はフランスの巨匠ルネ・クレマン。ギターで誰でも練習した『禁じられた遊び』(52年)、アラン・ドロンを世界的スターにした『太陽がいっぱい』(60年)のクレマン監督の知られざる傑作が『狼は天使の匂い』です。

 主人公トニー(ジャン=ルイ・トランティニャン)は、フランス人のジャーナリストですが、取材で乗っていたヘリコプターが、ロマ(昔でいう“ジプシー”)の村に墜落して、少女を殺してしまいます。ロマは一族の掟で復讐のためトニーの命を狙い、トニーはカナダのフランス語圏モントリオールまで逃げます。そこで偶然知り合ったギャング団の仲間になっていきます。ギャング団のボス、チャーリーを演じているのはハリウッドの名脇役ロバート・ライアン。『ワイルドバンチ』(69年)が素晴らしかったですね。彼らギャング団は、ある事件の証人となる女性の誘拐を請け負います。

 そう聞くとハードなサスペンス映画みたいですが、そうじゃない。この映画、まるで夢を見ているような「お伽話」として作られているんですね。『不思議の国のアリス』がモチーフになっています。

 僕は公開当時、小学6年生くらいで、凄く感動したのは、子供の話から始まるからなんです。冒頭に、気の弱そうな男の子がいじめっ子たちに絡まれるプロローグがついているんですが、その子と同年代だった僕にはそれがリアルだったんです。

 脚本はセバスチャン・ジャプリゾ、邦訳もあるミステリ作家ですが、脚本家としてもアラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンの『さらば友よ』(68年)や、やはりブロンソン主演でクレマン監督作の『雨の訪問者』(70年)などがあります。ジャプリゾの脚本には、ある特徴があります。それは他愛のない“ゲーム”のシーンが必ず入ってること。『狼は天使の匂い』でもゲームは非常に重要なものなので、注意して観て下さい。

 この『狼は天使の匂い』は『不思議の国のアリス』で始まり、『不思議の国のアリス』で終わります。『アリス』は少女の夢ですが、本作は少年のような心を持ったヤクザな男たちの夢ですね。

 彼らの子供っぽさを象徴するのがゲームです。ギャングの仲間に入れてもらえないトニーは、タバコを3本を縦に積み上げるゲームでギャングたちの尊敬を勝ち取ります。もうひとつ、ギャングたちは“丸めた紙くずを植木鉢に入れる”ゲームもします。これらは何を意味しているかというと、彼らにとっての犯罪は金のためじゃなく“遊び”なんだよと。禁じられているからこそ、その“遊び”をするんだということで、クレマン監督の『禁じられた遊び』にもつながってくるんですよ。

 『狼は天使の匂い』ではアルド・レイもいい味出してますね。ガキ大将がそのまま大きくなったような大男で、『暴力脱獄』(67年)のジョージ・ケネディ的なグッド・バッドガイ。『ヒート』(95年)のトム・サイズモアの原型ですね。


 これに非常に強い影響を受けたのが香港のジョニー・トー監督です。彼の『ザ・ミッション非情の掟』(99年)では、暗黒街のガンマンたちが無言で紙くずサッカーすることで絆を固め、『エグザイル/絆』(06年)でも、空き缶を撃ち続ける遊びがギャングたちの子どもっぽい友情を表現しています。『エグザイル/絆』のギャングたちは記念写真を撮るんですが、それも『狼は天使の匂い』からの引用です。

 『狼は天使の匂い』という邦題は、狼のようなアウトローたちが実は天使のように純粋無垢だという意味を詩的に表していて素晴らしいと思います。

(談/町山智浩)

 

MORE★INFO.

●映画はデヴィッド・グーディスのノワール小説「Black Friday」を、作家で脚本家のセバスチャン・ジャプリゾがルネ・クレマン監督のために脚本化。しかし、小説は設定だけを借りたジャプリゾのほとんどオリジナル。これをジャプリゾ自らがノヴェライズした『ウサギは野を駆ける』が映画公開時に翻訳され、原作は約30年後の2003年に映画と同じ『狼は天使の匂い』(早川書房)の題名で翻訳された。

●日本公開時は英語吹替の99分版で上映された。オリジナル完全版は140分。

●当初ボスのチャーリー役はリー・マーヴィンにオファーされたが、マーヴィンの推薦で友人でもあるロバート・ライアンに決定した。

●ポールの妹ペッパー役は当初フランク・シナトラの娘クリスティーナが候補に挙げられていたが、ミア・ファローの妹ティサ・ファローに決まった。

●冒頭のお菓子を食べる少女は、映画デビューとなるエマニュエル・ベアール(ノンクレジット)。