COLUMN & NEWS
コラム・ニュース一覧
-
COLUMN/コラム2020.12.03
4度映画化された「盗まれた街」。1978年版の装いは…『SF/ボディ・スナッチャー』
SF小説の古典として名高い、ジャック・フィニィ(1911~95)の「盗まれた街」。1955年に発表されて以来、洋の東西を問わず、多方面にインパクトを及ぼした。日本でも、手塚治虫の「ブラックジャック」にインスパイアされた一編があるなど、影響を受けたクリエイターは少なくない。 ハリウッドでの映画化は、4回に及ぶ。本作『SF/ボディ・スナッチャー』(1978)は、その2回目の作品である。 まずは原作小説のストーリーを、紹介しよう。主人公は、アメリカ西海岸沿いの田舎町サンタ・マイラで開業する、医師のマイルズ。ある時彼の診察室に、ハイスクール時代に何度かデートした美しい女性ベッキーが訪れる。 彼女の用件は、いとこのウィルマを診て欲しいということだった。ウィルマは、自分の育ての親である伯父が、偽者だと思い込んでいるという。 マイルズはベッキーの依頼に応え、ウィルマの元を訪れる。その際に彼女の伯父にも会ったが、何ら変わった様子は感じられない。しかしウィルマに言わせると、小さなしぐさや癖、身体の傷までそのままで、思い出話をしても、ちゃんと答えてくれるのだが、「何かが決定的に違う」というのである。ウィルマには伯父が、感情らしい感情を、失ってしまっているように思えるらしい。 そしてその時以降、マイルズの診察室には、ウィルマと同じようなことを訴える患者が次々と訪れる。夫が自分の妻を、「妻でない」と言い張る。子が親を、或いは友人が友人を、偽者だと主張するのである。 マイルズは精神科医のマニーの力を借りるのだが、一向に埒が明かない。その一方で、お互いバツイチになってからの再会だった、ベッキーとの距離が縮まっていく。 ベッキーとのデートを楽しんでいる最中、マイルズは友人の小説家ジャックから、至急家に来て欲しいという連絡を受ける。2人でジャック邸を訪れると、彼の家のガレージへと案内される。 そこにあるビリヤード台の上には、シートにくるまれた人間の死体が置いてあった。ジャックはマイルズに、その死体をよく観察してくれと頼む。 その死体は、成人の顔にしては未熟な印象であり、その肉体は傷一つなく、未使用と言える状態だった。死体らしい冷たさもなく、その指先には、指紋がなかった。まるで、一度も生きたことがないかのように。 マイルズとベッキー、ジャックとその妻シオドラは、この物体と、最近この街に住む人々の身に次々と起こっている、身近な人々を別人と感じる症状に、何らかの関わりがあると思い至る。そしてマイルズは、ベッキーの自宅の地下室にも、同じものを発見する。 街の人々は、この不思議な物体に次々と乗っ取られている! しかし相談していた精神科医のマニーを呼ぶと、物体はいつの間にか姿を消していた。マニーはマイルズたちが、幻覚を見たに過ぎないと指摘。マイルズたちも、一旦は納得せざるを得なかった。 しかし、奴らの“侵略”は確実に進んでいた。マイルズたちは次第に追い詰められ、街からの脱出を、決意するのだったが…。 「盗まれた街」で、サンタ・マイラの人々の身体を乗っ取っていくのは、死滅の危機に直面した惑星から、宇宙間の莫大な距離を、数千年の歳月を費やして漂流してきた宇宙種子である。巨大なサヤのようなその種子は、ターゲットとなる人間の近くに置かれると、その者が眠っている間に、個々人が持つ正確な原子構造の図式を読み取って複製し、完全なる同一人物が生まれる仕組みとなっている。それと同時に、複製された側の人間は、灰色の塵となって消えてしまう。“睡眠”は、人間が生きていく上で避けられないもの。ところが眠ってしまうと、一巻の終わりというわけだ。このメカニズムが、実に恐ろしい。 原作では、主人公たちの抵抗によって、宇宙種子による地球侵略は、頓挫する。いわばハッピーエンドを迎えるのだが…。 原作が発表された翌年に公開されたのが、『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(56/日本未公開)。アクション映画の名手ドン・シーゲル監督による、「盗まれた街」の映画化第1作の登場人物や筋立ては、ほぼ原作に忠実である。物語の終幕も、希望が残る。 大きく改変されたのは、主要登場人物の一部に待ち受ける運命。クライマックスには、過酷としか言いようがない展開が訪れる。 それを考えると、原作に準拠したような終幕は、正直違和感が残る。実はシーゲルは、ケヴィン・マッカシーが演じる主人公のマイルズ医師が、ハイウェイに立って1台の車を止めて、サヤに対する警告を発するところで、エンドマークを出したかったという。彼は観客に向かって指を差し、叫ぶ。「次は、あなたの番だ!」 こうしたアンチ・ハッピーエンドが避けられたのは、製作側の意向だった。シーゲルはもしそれに従わなければ、脚本家のダニエル・メインウォーリングと共に、「交替させられてしまっただろう」と、後に述懐している。 この映画化第1作は、“赤狩り”の時代を背景にした寓話であると、後世まで語られる作品となった。米ソ冷戦が激化し、“共産主義”の脅威が広く語られる中で、アメリカ国民の中には、「同僚や隣人が、スパイでもおかしくない」という疑心暗鬼が広がっていた。身近な者が共産主義者であっても、見た目は普通の人間と変わらない。どうやって見分ければ良いのか?誰を信用すれば良いのか?…というわけだ。 こうした映画化作品の評価と共に、原作小説に対しても、その“意味”を巡る解釈は、様々に為されてきた。しかし原作者フィニィは、それを一笑に付す。「…これは楽しんでもらうためのただのお話。それ以上の意味はない…」「…映画にかかわった人々がなんらかのメッセージを持っているという議論は、いつもくすぐったい思いで拝聴していました。そうだとすれば、それは私が意図した以上のものだし、映画は原作に忠実なのだから、そもそもメッセージとやらがどうやって入り込んだのか想像もつきません…」 フィニィはこう語るが、しかしながら、長く読み継がれるような優れた物語は、現実の変化に応じて、意味付けや解釈が変わってしまうのが、至極当たり前である。「盗まれた街」に関しては、発表から65年の間の、4度の映画化作品を見ると、各時代が抱える問題や病弊が、明確に浮かび上がる。 ドン・シーゲル版から23年後の、2度目の映画化作品、『SF/ボディ・スナッチャー』は、『スター・ウォーズ』(77)『未知との遭遇』(77)『エイリアン』(79)などで、世界的なSF映画ブームが沸き立っている最中に、製作・公開された。監督を務めたのは、後に『ライトスタッフ』(83)や『存在の耐えられない軽さ』(88)を撮る、フィリップ・カウフマン。 本作には、ドン・シーゲルやケヴィン・マッカーシーがカメオ出演。前作へのリスペクトぶりを、至るところに溢れさせながらも、70年代後半という、時代の装飾を纏わせている。 宇宙の彼方で絶滅する惑星、そしてそこから逃れて、地球に向けて侵略を開始する微生物が描かれるオープニングで、この作品が何を描くかを、高らかに宣言した後に登場する舞台は、田舎町のサンタ・マイラではなく、大都市のサンフランシスコ。そしてドナルド・サザーランドが演じる主人公ベネルは、医師ではなく、州の公衆衛生官となっている。 ベネルはある時、職場の同僚であるエリザベス(演;ブルック・アダムス)から、夫の様子がおかしくなり、「彼が彼でなくなった気がする」と奇妙な相談を持ち掛けられる。これをきっかけに、ベネルは周囲の異変に気付いていく…。 サヤが人体を乗っ取る原理は、前作と変わらない。しかし、特殊メイクなどSFX技術の著しい進歩と、しかもCG登場以前というタイミングがあって、サヤが人体を複製していく描写が、何ともグロテスク。実にリアルで、グチャドロに表現される。 舞台を大都市に変えた狙いも、明白だ。本作のプロデューサーであるロバート・H・ソロ曰く、ここに暮らす人々は「お互いに無関心であり、回りの人の小さな変化などに、誰もが気がつかない」。それ故に、“複製”になり代われる怖さは、倍増するというわけだ。 主人公の職業変更も、その流れの中で行われた。レストランなどの店舗や施設の衛生状況をチェックするのが仕事の公衆衛生官ならば、無関心な大都市の中でも、いち早く異常事態に気付くことが、不自然ではない。 映画史的に鑑みればこの頃は、SF映画ブームであると同時に、60年代後半から70年代中盤に掛けて、アメリカ映画を席捲した“ニューシネマ”が終焉を迎えた時期である。『SF/ボディ・スナッチャー』は、“ニューシネマ”が肯定的に捉え続けた、反体制文化や個人主義に対して、疑念を提示しているとも言える。そうした方向性が行き過ぎると、社会やコミュニティが崩壊に向かうという考え方である。 それにしてもメインキャストに、ドナルド・サザーランド、『ザ・フライ』(86)のジェフ・ゴールドブラム、そしてMr.スポックことレナード・ニモイと、よくもまあ個性的な“顔”ばかり揃えたものである。宇宙種子に乗っ取られて、当然とも思えてしまう。 それは冗談として、そんな面相のサザーランドだからこそ、ブルック・アダムス演じる美しきヒロインとのロマンスが、より切なさを帯びる。職場の気の置けない友人同士だった筈が、侵略者からの逃避行の中で、お互いを愛していることに気付いてしまう。 それだけに主人公が、前作同様に、何よりも大切なものを失ってしまうクライマックスに、私は涙を禁じ得なかった。先にも挙げた通り、SFXの発達によって、よりグロテスク、且つ、より痛ましく、そして、よりもの悲しいシーンになっているのである。 『SF/ボディ・スナッチャー』に続く、「盗まれた街」3回目の映画化は、15年後のアベル・フェラーラ監督作品、『ボディ・スナッチャーズ』(93/日本未公開)。前作と同じく、ロバート・H・ソロが製作を手掛けている。 主演は、ガブリエル・アンウォー。当時20代前半の彼女が、ティーンエージャーを演じた。 この作品の舞台は、アメリカ国内の米軍基地。主人公は、土地の汚染を調べる仕事をする父親の異動で、継母や幼い弟と基地内に移り住むことになるが…。 田舎町でも大都市でもなく、軍の基地が宇宙種子に乗っ取られていくというのが、新たな設定。栽培されて増殖したサヤが、トラックなどで他の町や都市に運び出されていく描写は、前2作でもあったが、こちらは軍用トラックで、大々的に展開されるわけである。 文民統制が取れなくなって、集団ヒステリーに陥った軍部が暴走する恐ろしさが描かれている…と解釈することも出来るだろう。しかしそんなことよりも、ティーンの少女を主人公にしたことによって、「思春期の不安定な心理が生んだ妄想劇といえばそう見えなくもない」(後記の「映画秘宝」より井口昇氏の文を引用)のが、ポイントとも言える。 いずれにせよ、「盗まれた街」という原作の、汎用性が窺える改変である。 そして4回目にして、今のところ最新の映画化作品は、『ヒトラー〜最期の12日間〜』(2004)などの成功により、ハリウッドに招かれたドイツ人監督オリヴァー・ヒルシュビーゲルがメガフォンを取った、『インベージョン』(07)である。 スペースシャトルの墜落によって、未知の宇宙ウィルスが地球上に降下し、やがて蔓延していく。その脅威に戦いを挑んでいくヒロインは、ニコール・キッドマンが演じる、バツイチで一人息子と暮らす、シングルマザーの精神科医。 今回は、ウィルスに感染した者が眠りに就くと、起きた時には、“別人”になっているという仕組み。お馴染みのサヤが出てこないのには、些か拍子抜けするが、2001年にアメリカを襲った“同時多発テロ”や、HIVやレジオネラ、SARS、鳥インフルエンザ等々、未知のウィルスが次々と現れては、人類の脅威と喧伝されるようになった時代を受けての、改変であった。 そしてその改変が、実は『インベージョン』製作から13年経った、2020年のまさに今こそ、ピタリとハマってしまう。ここまで記せば、ピンと来た人が多いだろう。 現在、全世界に蔓延し、人類の脅威となっている“新型コロナ禍”である。『インベージョン』に於いて未知の宇宙ウィルスは、文字通りの“飛沫感染”によって、拡がっていく。また物語の中で、登場人物たちの都市間の移動も多く、それがウィルスが蔓延していく情勢と合致する。 感染しても、すぐに発症するわけではない。また中には抗体を持つ者が居て、発症しないが故に、侵略者たちには脅威となり、逆に人類にとっては、ワクチンをもたらす福音となる。『インベージョン』はそうした意味で、13年早かった作品とも言える。そして改めて、原作者ジャック・フィニィのオリジナルの発想の素晴らしさにも、思い至るのである。■
-
COLUMN/コラム2020.11.26
妹になりすました姉の栄華と破局を描いた、ベティ・デイヴィスの双子演技が素晴らしいサスペンス
今日は『誰が私を殺したか?』(1964 年)という映画をお勧めします。謎なタイトルですね。 主人公は大女優ベティ・デイヴィスが一人二役で演じる双子で、ひとりはマーガレットという名の大金持ちと結婚した女性、でもうひとりはイディスという貧乏酒場の女主人。そのイディスがマーガレットを殺して彼女に成りすま そうとする......というミステリです。イディス自身は殺されたことにするんです。だから「誰が私を殺したか?」という邦題なんですね。 原題は『DEAD RINGER』。"RINGER"は「成りすます」という意味で、直訳すると「死んだ成りすまし」という意味に思えるんですけど、この場合の"DEAD"は「死」という意味ではなくて、「死ぬほど」という強調語なんです。だから、「デッド・リンガー」は「死ぬほど似ている」という意味ですが、もちろん「死んだ」に も引っ掛けています。 主演のベティ・デイヴィスは大きな目が特徴で、80年代には「ベティ・デイヴィスの瞳」という歌まで作られたほどのハリウッドのアイコンです。彼女はサマセット・モームの『人間の絆』を 映画化した『痴人の愛』(34年)で悪女を演じて注目され、以降、当時のハリウッドでは画期的だった、「男に頼らない女性」を演じ続けました。 同時期の女優さんでデイヴィスと同じような評価をされていたライバルがジョーン・クロフォードなんですが、ふたりとも50代になって仕事が無くなっていたころ、『何がジェーンに起こったか?』(62年)で共演しました。デイ ヴィスが往年の少女スターで、クロフォードがその妹役で、二人が老いをむき出しにしてドロドロと憎み合う地獄のようなスリラーで、これが世界中で大ヒットして、二人は堂々のカムバックを果たしました。 そして、2人には大量にホラーやスリラー映画の仕事が舞い込みました。そうして作られたうちの1本が本作なんで すね。監督はポール・ヘンリードという『カサブランカ』(42年)で有名な俳優で、50〜60年代にかけて隆盛となったTVドラマの演出家に転身したベテラン俳優のひとりでした。演出はオーソドックスですが、『何がジェーンに〜』 以後のベティ・デイヴィス・ホラーの中では最も優れた映画です。 まず撮影がいいんです。モノクロできっちりと豪華なマーガレットの邸宅を美しく映しています。撮影監督はアーネスト・ホーラーという巨匠で、最も有名なのはジェームズ・ディーン主演の『理由なき反抗』(55年)などで、『何がジェーンに〜』も彼の撮影です。 また、デイヴィスだけでなく、ハリウッド黄金期に育った俳優たちの競演が観られるという点にも注目です。プレイボーイのゴルフ・コーチ役のピーター・ローフォードは実生活でもプレイボーイだった俳優で、ケネディ大統領の妹とも結婚して、フランク・シナトラの一派に入っていました。刑事役のカール・ マルデンは『欲望という名の電車』(51年)、『波止場』(54年)、『パットン大戦車軍団』(70年)の名優です。丸くて大きなダンゴっ鼻が特徴ですが、この『誰が私を殺したか?』では彼がいいんですよ。彼のおかげで、この映画はサスペンス・ミステリーの枠を超えて不思議な感動を与えてくれるラブストーリーになっています。お楽しみください! (談/町山智浩) MORE★INFO.●元々脚本はワーナー・ブラザーズのため に1944年に書かれていて、46年にはベ テ ィ・ デ イ ヴ ィ ス に 主 演 を と オ フ ァ ー さ れ た が、デイヴィスは同時期に自身の製作会社 で企画していた『盗まれた青春』(46年)と 内容が似ていたため辞退した。●ワーナーは仕方なく、メキシコでドロレス・ デル・リオ主演の『La otra』(46年)として 映画化。60年代半ばには、ラナ・ターナー を主役にリメイクを望んだが、ターナーが双 子役を嫌がって流れた。●デイヴィスはTVで見たカール・マルデンを 気に入り自ら刑事役にキャスティングした。●監督ポール・ヘンリードの娘モニカ・ヘン リードが本作で映画デビューした。●86年にTVドラマ『Killer in the Mirror』 (日本未放映)として再びリメイクされている。 ©︎Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
-
COLUMN/コラム2020.11.04
ロイ・シャイダーとジョン・バダムの瞬間最大風速『ブルーサンダー』
本作『ブルーサンダー』のアメリカ公開は、1983年3月13日、日本公開は10月1日。共に、大きな話題となった。 その理由の一つは、時勢に符合したアクチュアルな設定にある。舞台はオリンピック開催を翌年に控えた、公開時期と同じ83年のロサンゼルス。最新鋭の武装ヘリが、テロ防止の名目で導入されるというのが、物語の発端である。 本作のセリフにも登場するが、この頃はまだ、72年のミュンヘン五輪で発生した、パレスチナゲリラによるイスラエル選手団11名殺害の記憶が、新しいものだった。それに加えて80年代前半は、国際情勢がリアルに不穏になっていくのを、肌身で感じざるを得ない時代であった。 アメリカを主軸とする西側諸国と、ソ連を頭目とする東側諸国の関係は、70年代のデタント=緊張緩和の時代を終えて、80年代には“新冷戦”と言われる局面に突入していた。ロスの前の夏季五輪だった、80年のモスクワ大会は、開催国ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、アメリカや日本など西側陣営がボイコット。選手の派遣を取りやめた。 本作公開時にはまだ確定していなかったが、84年のロス五輪では、今度はソ連をはじめとする東側諸国が、モスクワの報復でボイコット。いわゆる“片肺大会”が、連続することとなったのである。 このような中で、警備にハイテク仕立ての“武装ヘリ”を導入するというのは、いかにも「ありそう」な話であった。そして本作の中で導入される武装ヘリ=“ブルーサンダー”が、リアリティーを伴うカッコ良さだったことが、本作への注目度を、否が応にも高めたのである。 最大時速320㌔で大都市を縦横無尽に飛び回り、有効射程1㌔で毎分4,000発発射可能のエレクトリック・キャノン砲を装備。コクピットから、高精度の暗視や盗聴が可能な上、秘密情報機関のデータバンクに接続したコンピュータ端末で、あらゆる情報を集められる。これらのシステムは、当時の軍用ヘリに導入されていた最新設備に、多少の“映画的誇張”を加えて構築したものだという。“ブルーサンダー”のインパクトがある外見も、大いに人気を呼んだ。フランス製のヘリを、本作のために改造。1,500万㌦=当時の日本円にして37億円もの巨額を投じて生み出されたその偉容は、公開時に「空のジョーズ」と表現する向きもあった。 そうしたデザイン性の高さは、論より証拠。実際に本作を鑑賞して、皆様の眼で確認していただきたい。 ヘリ同士のドッグファイトなど、本作のスカイアクションは、実物とミニチュアを使い分けて撮影を行っている。時はまだ、CGが普及していない頃。今から見ると合成カットの一部など、チャチく感じられる箇所が無きにしも非ず。しかし全体的には、高度な撮影と巧みな編集が見事な融合を果し、大スクリーンに相応しい迫力を生み出している。 こうした数多の要素によって、“A級”のアクション大作として成立した、『ブルーサンダー』。その“A級”度合いは、実は主演俳優と監督の組み合わせによって、揺るぎないものになっている。 さて、先にも記したが、シャイダーと同じく、やはりこの頃にキャリアがピークを迎えていたのが、監督のジョン・バダム(1939~ )である。本作プログラムで、映画評論家の垣井道弘氏は、次のように書いている。 ~ジョン・バダム監督は、いまという時代を先取りする感覚が、天下一品である。大ヒットした「サタデーナイト・フィーバー」はいうにおよばず「ドラキュラ」や「この生命誰のもの」でも、優れた才能をみせた。つまり、ナウいのである。~ ~スティーヴン・スピルバーグ、ジョーン・ルーカス(原文ママ)、ジョン・ランディスなどと共に、これから最も注目しておきたい監督の1人である。~ イェール大学時代に、演劇を専攻したバダムは、卒業後に映画監督への途を探っていた。そんな時、当時9歳の彼の妹メアリー・バダムが、子役として大抜擢を受ける。 グレゴリー・ペック主演の『アラバマ物語』(62)の出演者に、1,000人に上る候補者の中から、選ばれたのである。役どころは準主役とも言える、ペックの娘役。そしてメアリーは、アメリカ映画史に燦然と輝くこの作品で、アカデミー賞助演女優賞の候補にまでなった。 バダムは、妹の成功に便乗。ユニヴァーサルスタジオに、郵便係の職を得た。時に65年、バダムが25才の時であった。 その後彼は、スタジオのツアーガイドの職を経て、キャスティング係に。そのまま現場での修行を積んだ。 それから数年経って、TV部門の監督に抜擢されたバダムは、「サンフランシスコ捜査網」「ポリス・ストーリー」「燃えよ!カンフー」などの人気シリーズを手掛けた。監督作品としては、シリーズものは20本ほど、長編のTVムービーは、10本ほどに及んだという。 劇場用映画の初監督作は、76年の『THE Bingo Long Travelling All-Stars and Motor Kings』(日本未公開)。当初はスピルバーグ監督が予定されていたこの作品で、バダムは37歳にして、劇場用作品の監督デビューを果す。 そして翌77年、ジョン・トラボルタの初主演作として、今や伝説的な、『サタデー・ナイト・フィーバー』を送り出す。世界的なディスコブームを巻き起こした、エポックメーキングと言えるこの作品で、バダムは一躍、ヒット監督の仲間入りとなった。 その後『ドラキュラ』(79)『この生命誰のもの』(82)といった作品を経て、バダムが最高の輝きを放つ、“1983年”を迎える。この年の3月に本作『ブルーサンダー』、続いて6月に『ウォー・ゲーム』と、監督作2本が相次いで公開されたのだ。『ウォー・ゲーム』は、普及期のパソコン、というより、まだマイコンと言われていた頃の家庭用コンピューターで、他者のシステムへのハッキングを楽しんでいた高校生が、偶然にNORAD=北アメリカ航空宇宙防衛司令部の軍事コンピュータにアクセス。高度な戦争シミレーションゲームと思い込んでプレイをする内に、“第3次世界大戦”の危機が現実に迫ってくるというストーリーである。 最新鋭のハイテクを題材に、リアルな脅威を描く娯楽大作という共通点がある、『ブルーサンダー』と『ウォー・ゲーム』は、共に大ヒット。そしてバダムは、時代の最先端を行く寵児となった。『ブルーサンダー』が10月、『ウォー・ゲーム』が12月と、両作の公開順がアメリカと逆になった、日本でも同様。本作プログラムにある通り、バダムをスピルバーグやルーカスと並べて、ハリウッドのトップランナーの1人として扱う動きも急であった。 『ブルーサンダー』© 1983 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
-
COLUMN/コラム2020.10.28
冷戦時代の 年代、月に人間を 送ろうとする宇宙計画を描く、 ロバート・アルトマン監督の 映画 デビュー作
今回お勧めする映画は、「ハリウッドから最も嫌われ、そして愛された男」ことロバート・アルトマン監督のメジ ャー・デビュー作『宇宙大征服』(68年) です。 アルトマンがSF映画なんか撮ってたの? と驚く人もいると思います。アルトマンの代表作は朝鮮戦争での医療部隊(略称がM.A.S.H)のデタラメぶ りを描いた『M★A★S★H マッシュ』(70年)と、カントリー音楽の殿堂テネシー州ナッシュビルに集まったミュージシャンとファンたちを描く『ナッシュビル』(75年)です。どちらもコメディで、アメリカを皮肉る群集劇です。 この『宇宙大征服』もアポロ計画に対する皮肉なんです。 1950年代から、アメリカとソ連(現在のロシア)は宇宙競争をしていました。どちらが先に月に人を送れるかを競い合っていたんです。ソ連のほうが先に有人宇宙船を打ち上げてしまって、アメリカは慌てて「ジェミニ計画」で追いかけましたが、出だしで遅れていました。で、ソ連に先んじるには、片道でいいから月にロケットで人を送ればいいという案が出ました。月から帰る方法はないけど、その後アポロ計画で迎えに来るまで月で暮らして待つという無茶な計画です。実行されませんでしたが、この『宇宙大征服』はそれを実際にやってしまう映画です。 主人公は2人の宇宙飛行士、ジェー ムズ・カーン扮するリーと、もうひとりはロバート・デュヴァル扮する現役空軍パイロットのチャイズです。チャイズは人類初の月着陸を目指していたんですが、政府が人類初の月着陸には民間人にさせるべきだと、リーを選んでしまいます。実際に月面に人類最初の一歩を残したアポロ11号のアームストロング船長もそうなんですよ。で、選ばれなかったチャイズはリーをいじめ抜きます。 『宇宙大征服』の前に、アルトマンは TVで第二次大戦ドラマ『コンバット』 (62〜67年)を演出していましたが、高視聴率にもかかわらず打ち切られてしまいます。反戦ドラマだったからです。 当時のアメリカはベトナム戦争に突入していたので、反戦的な内容が嫌われたんです。この『宇宙大征服』も宇宙競争という名の戦争の虚しさを描いています。 もともとアルトマンが原作の映画化権を自分で買ったのですが、アポロ計画で月ロケット・ブームだったので、ワーナー・ブラザーズがこの映画を欲しがって出資しました。でも、月面に取り残された主人公が絶望して終わるラストだったので、途中でアルトマンをクビにして、別の監督に希望のある結末を撮り直させました。 陰鬱な内容のため、『宇宙大征服』は興行的に失敗しましたが、今、観直すと、アポロ11号のアームストロング船長を描いた『ファーストマン』(2018 年)そっくりなんですよ。主人公が月に行くことを奥さんに黙っていて夫婦仲が破綻するところから、月に行くまでのシーンをコクピットに座る主人公しか写さず、飛んでいく宇宙船を見せないところまで。デイミアン・チャゼル監督は明らかに『宇宙大征服』を参考にしていますよ! (談/町山智浩) MORE★INFO.●ロバート・アルトマンは、ドキュメンタリー映画『ジェイムス・ディーン物語』(57年)で映画監督デビューし、第2作『The Delinquents』(57年/未公開)以後、気鋭のTV演出家として10年を過ごし、初めてメジャー・スタジオのワーナー・ブラザーズで映画監督に復帰したのが本作。 ●NASAは全面的に映画に協力・便宜を図り、おかげで映画は実際に初の月有人飛行を成功させる1年半前に公開された。●パーティ・シーンや高官たちが言い争う場面で、人物の会話をオーバーラップさせる、後にアルトマン作品のトレードマークとなる演出を、ラッシュで見て怒った当時のワーナー映画の代表ジャック・ワーナーはアルトマンをクビにし、映画を再編集してしまった。 ©︎Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
-
COLUMN/コラム2020.10.28
“時”に囚われし男ビギニング『メメント』
左手が持つ、ポラロイド写真。そこには後頭部を撃たれて、倒れている者の姿が映っている。写真がせわしなく振られると、なぜか写っている者の姿が消えていく。 真っ白になった写真をポラロイドカメラの前面に差すと、本体へと吸い込まれながら、ストロボが光り、シャッターが切られる。カメラを持つのは、返り血を頬に浴びたらしい、細身で金髪の男(演;ガイ・ピアース)。 床には血が流れ、眼鏡が落ちている。そして写真の構図通りに、後頭部を撃たれて倒れている者が映る。 金髪の男の手元に、足元から吸い寄せられるように拳銃が収まり、転がっていた薬莢は拳銃本体へ。と同時に、倒れていた者の顔に眼鏡が戻り、銃声が鳴り響くと、弾が発射される前の瞬間に時間は逆行。眼鏡の男(演;ジョー・パントリアーノ)は振り返りながら、絶叫する…。 これが『メメント』の、2分ほどのファーストシーンである。これから本作が何を描こうとしているのかを、端的に表しているオープニングと言える。 金髪の男が、眼鏡の男の後頭部を撃って、殺害した。それは一体、なぜなのか?これから時間を逆行させながら、解き明かしていきます!クリストファー・ノーラン監督が、そのように宣言を行っているのである。 このオープニングに続いては、暫しモノクロのシーンとカラーのシーンが、交互に登場する。このモノクロのシーンの時制ははっきりとしないが、金髪の男=主人公のモノローグによって、彼のプロフィールが説明される。 彼の名は、レナード。元は保険調査員だったが、妻を目の前で強盗に殺された過去を持つ。その際に頭を強打され、“前向性健忘”=「新しい記憶が10分しかもたない」という、脳障害を持つ身となってしまった。そしてそれ以来、妻を殺した犯人への復讐を目的に生きている男であることが、わかる。 一方でカラーのシーンは、現在から過去へと遡っていくタイムラインとなっている。このカラーのパートが、レナードが「新しい記憶が10分しかもたない」ということを表現するのに、実に効果的な役割を果している。 カラーの各シーンは、大体3~5分程度の長さ。つまりそのシーンでの行動に関して、レナードはなぜそのように振舞うに至ったか、常に記憶が維持できずに、忘れてしまっている。 例えばこんなシーン。いきなり、レナードが走っている。でも何で全力疾走しているのか、自分でわからなくなっている。気付くと、離れて並走している男がいる。「この男を追っているのか?俺が追われているのか?」 そう思いながら、その男へと接近する。すると男はいきなり拳銃を取り出し、レナードに向けて発砲する。「俺の方が、追われていたんだ」 このシーンの場合、なぜその男に追われていたかということが、モノクロを挟んで、次のカラー、即ち時間的に逆行したシーンに進んで(=戻って)から、説明される。それまでは主人公が、どんな理由で誰に追われていたのか、観客にもわからない仕組みになっているのである。 映画の冒頭で、レナードはなぜ眼鏡の男=テディを殺害したのか?彼こそがレナードの妻殺しの犯人だったのか?この謎は、過去へと逆行する中で、徐々に明らかになっていく。そして最後に観客の前に、すべての真相が提示される。 そこには、それまで時制がはっきりしなかったモノクロのシーンも大きく絡んでくる。この辺り、正にアッと驚く仕掛けになっている。本作をこれから初見の方は、是非カラーとモノクロの使い分けにも、大いに注目いただきたい。 さて先に記したように、『メメント』は興行・評価両面で大成功!この後ノーランは、彼の才能を高く買ったスティーヴン・ソダーバーグらの協力で、アル・パチーノ主演、製作費4,600万㌦の『インソムニア』(02)を手掛け、その後には「ダークナイト・トリロジー」の第1作で製作費1億5,000万㌦の『バットマン・ビギンズ』(05)を監督した。製作費的には倍々ゲーム以上の勢いで、ブロックバスター監督への道を猛進していったのである。 その後の活躍はご存知の通りであるが、今に至るそのフィルモグラフィーのほとんどで、ノーランは「時間をどう操るか」にこだわり続けている。『インセプション』(10)『インターステラー』(14)『ダンケルク』(17)…。最新作『TENET テネット』(20)の“時間逆行”シーンを観て、『メメント』のファーストシーンを想起した方も少なくないだろう。 こうした趣向は、ノーランがこよなく愛する“探偵小説”“ハードボイルド小説”の影響が大きいと、指摘する向きがある。フラッシュバックや時間の移行に関して様々な仕掛けを使う、こうしたジャンルへのこだわり故に、ノーランは、“時系列”を自由に入れ替える「ノンリニア」な作風へと導かれたというわけだ。 出発点はそこにあるのだろうが、今のノーランは、「時間をどう操るか」にこだわるというよりは、もはや「囚われている」かのようにも映る。それが映画的な躍動に繋がっていかないという、批判の声も出てきてはいる。ノーマークの新人監督から、『メメント』の成功で一気にハリウッドの寵児へと駆け上がっていった歩みが起因する、固執なのかも知れない。 彼がかねてから監督することを熱望する、『007』シリーズを今後手掛ける夢がかなったとしても、やはりそこは変わらないのだろうか?■
-
COLUMN/コラム2020.10.05
スピルバーグ念願の“劇場用映画”第1作!『続・激突!/カージャック』
スティーヴン・スピルバーグが監督した、伝説的なTVムービー『激突!』は、1971年11月にアメリカで放送。高視聴率と高評価を勝ち取った。 気を良くした製作会社のユニヴァーサルは、海外では『激突!』を、“劇場用映画”として展開することを決定。フランスで開かれた「第1回アボリアッツ国際ファンタスティック映画祭」ではグランプリを受賞するなど、大評判となった。 1946年12月生まれ。20代中盤だったこの時期のスピルバーグにとって、『激突!』のようなTVムービーの転用ではない、初めての“劇場用映画”を手掛けるという、念願の瞬間は刻一刻と近づいてきていた。しかし『激突!』が好評だったからといって、一気呵成に夢が実現したわけではない。 『激突!』の翌年=72年は、2本目のTVムービーとして、オカルトものの『恐怖の館』、73年にはシリーズ化を想定した90分のパイロットフィルム『サヴェージ』を演出している。 そうしている間にも、“劇場用映画”の準備を並行。脚本家ジョゼフ・ウォルシュと9カ月掛けて練ったギャンブルものの『スライド』は、実現のメドが立たず、やがてスピルバーグは、プロジェクトから離れた。この脚本は後にロバート・アルトマン監督の手で、『ジャックポット』(1974/日本未公開)という作品になる。 スピルバーグが脚本を書いた、クリフ・ロバートソン主演の『大空のエース/父の戦い子の戦い』(1973/日本未公開)。この作品では結局、“原案”としてクレジットされるに止まった。 当時人気急上昇だった、バート・レイノルズ主演の『白熱』(73)。スピルバーグは、ロケハン、キャスティング等々、製作準備に追われて3カ月ほど過ぎたところで、監督を降板した。 この件に関して彼は、「職人監督の道を歩みたくなかった。もう少し独自のものをやりたかったんだ」などと発言しているが、友人兼仕事仲間の一団を従えて撮影に関与してくるレイノルズとの仕事を、うまく裁く能力も興味もなかったからだとも言われる。結局『白熱』は、ジェゼフ・サージェントがメガフォンを取って、完成した。 そうした紆余曲折を経て、最終的に実現に向かったのが、本作『続・激突!/カージャック』だった。日本語タイトルは、『激突!』を受けて、その続編の体裁となっているが、内容は全くの無関係。1969年5月にテキサス州で実際に起こり、全米の耳目を集めた事件をベースに、スピルバーグが、友人のバル・バーウッド、マシュウ・ロビンスという2人の脚本家と共に、物語を編んだ。 テキサス州立刑務所に、ケチな窃盗事件の犯人として収監されていたクロービス(演:ウィリアム・アザ―トン)は、面会に来た妻のルー・ジーン(演:ゴールディ・ホーン)の手引きで脱獄する。刑期をあと4か月残すのみだったのに、敢えて危険を冒すハメになったのは、裁判所命令で取り上げられていた2人の幼い息子が、福祉協会を通じて養子に出されてしまうことがわかったからだった。 最初は脱獄に消極的だったクロービスだが、ルー・ジーンから「息子を取り戻さないと、離婚よ」と迫られ、渋々妻の計画に従うことに。他の囚人の面会に来ていた老夫婦を騙してその車に同乗し、我が子が引き取られた家庭がある、“シュガーランド”の町へと向かう。 その途中、スライド巡査(演:マイケル・サックス)のパトカーに呼び止められたことから、逃走を図った2人は、成り行きからパトカーを“カージャック”。人質にしたスライドを脅迫し、引き続きシュガーランドへと針路を取った。 やがてこの事実が明らかになり、タナー警部(演:ベン・ジョンソン)が指揮を執る、警察の追跡が始まった。狙撃による、犯人の射殺も検討されたが、夫婦が凶悪犯ではないことを知った警部は、躊躇する。 やがてマスコミの報道から、事件を知った野次馬も大挙して押し掛け、夫婦を英雄扱いする者まで現れる。人質のスライド巡査も夫婦に、友情のような気持ちを抱くようになる。 はじめはただ我が子を取り戻したかっただけなのに、騒ぎが過熱していく。クロービスとルー・ジーン、彼ら2人に訪れる結末とは!? 無責任に2人を煽って騒動を大きくしていく、マスコミや野次馬への批判的視点も盛り込まれた本作だが、スピルバーグがこの物語で重視したのは、父親と母親が不都合を顧みず、我が子を遠路はるばる取り戻しに行くストーリーだったと言われる。少年期に経験した両親の不和と離婚を、フィルモグラフィーに反映し続けた、スピルバーグの原点と言える。 そんな本作の企画ははじめ、スピルバーグと関係の深いユニヴァーサルに持ち込まれたものの、にべもなく断られて宙に浮く。他社への売り込みを図らなければならなくなったところで登場したのが、リチャード・D・ザナックとデヴィッド・ブラウンのコンビだった。 ザナック&ブラウンは、映画会社には属しない独立プロデューサーとしての活動を始め、ちょうどユニヴァーサルと提携したばかり。『ザ・シュガーランド・エクスプレス(本作の原題)』の脚本を読んで気に入ったものの、この企画が1度、自分たちの提携先に却下されていることを知って、知恵を絞った。 そして2人は、本作の企画を、他のプロジェクトの一群に紛れ込ませるという荒業を使って、通してしまったのである。但しメインキャストの3人の中に、名前が通った“スター”を入れるのが、絶対条件であった。 スピルバーグはまず主演男優に、『真夜中のカーボーイ』(69)や『脱出』(72)などのジョン・ヴォイトを据えようとした。しかし、そのために設けた会食の席でヴォイトは、新人監督の作品に出ることをリスキーと考えたらしく、本作への出演を断った。 ザナック&ブラウンは主演女優として、『サボテンの花』(69)でアカデミー賞助演女優賞を受賞しているゴールディ・ホーンを提案。一説にはユニヴァーサルが、「ゴールディ・ホーンが出なければ映画は作らない」と主張し続けたとも言われている。 ホーンは、本作が自分の新生面を引き出してくれることを期待して、オファーを快諾。『続・激突!/カージャック』の製作に、GOサインが出た。 「予算180万ドル」「準備期間3カ月」「撮影60日」。実際に起きた事件をベースにしていることから、事実にできるだけ即するため、ロケはすべてテキサスで行われることとなった。 クランクインは、1973年1月8日。ザナックはその撮影初日から、スピルバーグに唸らされたといいう。 「…ほんの青二才がそこでは周囲に海千山千のクルーを大勢従え、大物女優を引き受けている。それも何か簡単なシーンからスタートするのではなく、あの男ときたら複雑なタイミングを山ほど必要とする、やたらこみ入ったシーンから手をつけたよ。そして、それが信じられないほどうまく進行しているときた…あの男ときたら映画の知識を身につけて生まれてきたかのよう、自在にやってのけていたよ。あの日以来、私は彼に驚かされっ放しなんだ」 このザナックの現場での実感は、「ニューヨーカー」誌の著名な映画評論家ポーリン・ケイルが、本作公開後に記した批評にも通じる。 「技術的安定が観客にもたらす娯楽という点から見て、これは映画史においても最も驚異的なデビュー作である」 本作は撮影隊がテキサス州を移動するのに合わせ、州内各地の町で5,000人のエキストラが雇われ、車240台が使われた。撮影は完全な“順撮り”。台本通りの順番で行われた。これは本作で、主人公たちを追跡する警察や自警団、野次馬などの車が、徐々に多くなっていく展開だったためである。製作費の関係上、日数計算でレンタル料を払わなければならない車両を、撮影に使わない日まで借りている余裕がなかったのだ。 余談であるが、テキサスでのロケに当たっては、現地の警察がパトカーを出してくれるのを期待していたが、それはすげなく断られた。その少し前に同地で撮影された、サム・ペキンパー監督の『ゲッタウェイ』(72)のスタッフが、酒場で喧嘩騒ぎを起こしたり、警察が貸した車両から、警察無線が消えたりしたことが原因だった。ペキンパー組の煽りを喰って、本作ではパトカーを競売で25台、落札するハメとなった。 しかしながら、ロケは順調に進んだ。この処女作の撮影で、スピルバーグが得たものは、非常に大きかったと言える。 主演のゴールディ・ホーンについてはスピルバーグ曰く、「…最初の映画を撮るぼくにとって驚くべき女優だった。彼女は完全に協力的で、数えきれないほどの名案を出してくれた」ということである。 そして彼女の役どころは、その後のスピルバーグ映画によく登場する、「あまり身だしなみに気を使わない女性」の先駆けとなった。『未知との遭遇』(77)のメリンダ・ディロン、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(81)のカレン・アレン、『E.T.』(82)のディー・ウォレス、『オールウェイズ』(89)のホリー・ハンター、『ジュラシック・パーク』(93)のローラ・ダーン等々のオリジナルが、本作にある。 因みにゴールディ・ホーンは本作の撮影について、「こんなに楽しいロケは初めてだというスタッフが何人もいたわ」と語っている。地元の女性と結婚したスタッフが、4人もいたのだという。 本作の撮影を担当したのは、ヴィルモス・ジグモンド。1956年に共産圏だったハンガリーから亡命し、“アメリカン・ニューシネマ”の時代になると、気鋭の若手監督の作品を多く手掛け、めきめきと頭角を現していた。彼はスピルバーグに、「視点を持つこと」の大切さを教えた。 スピルバーグが、あるシーンを車のガラス窓越しに撮影するようジグモンドに伝えると、「誰の視点なんだ?」との問いが返ってきた。そこでスピルバーグが、「僕の、監督の視点だ」と答えると、ジグモンドは、「そいつは賢い。だが効果はないね」。 カメラは監督の客観的な“神の目”から覗くのではなく、登場人物の視点から覗かなければならないということ、カットは映像的に素晴らしいだけでは不十分で、何かを意味しなければならないことを、ジグモンドは教授したわけである。 撮影中は意見が衝突することも少なくなかったというが、スピルバーグは後に、『未知との遭遇』(77)で再びジグモンドを起用。 『未知との…』の素晴らしいカメラには、アカデミー賞の撮影賞が贈られた。 スピルバーグにとって特に大きな収穫と言えたのは、音楽を担当したジョン・ウィリアムズとの出会い。本作を皮切りにもはや半世紀近く、「スピルバーグ作品と言えば、ジョン・ウィリアムズの音楽」である。 スピルバーグがジョージ・ルーカスに紹介したことが、ウィリアムズが『スター・ウォーズ』の音楽を手掛けることにも、繋がった。正にお互い、映画業界の第一人者の地位を、その協力関係によって築き上げたと言える。 スピルバーグには実りが多かった本作だが、1974年4月5日からのアメリカ公開は、興行的には不発であった。しかし先に挙げたポーリン・ケイルをはじめ、批評的には素晴らしい評価をされ、その年の5月開催の「カンヌ国際映画祭」では、脚本賞が贈られた。 スピルバーグを喜ばせたのは、尊敬するビリー・ワイルダー監督からの絶賛。「この作品の監督はこれから数年以内にすばらしい才能を発揮するようになるはずだ!」 本作のラッシュを見た段階でスピルバーグの才能を確信したザナックとブラウンは、監督第2作に取り組ませることにした。まず提案したのは、『マッカーサー』。敗戦後の日本の統治を行ったことなどで知られる、アメリカの英雄的な軍人の伝記映画である。 しかしスピルバーグは、「2年もの間10カ国で働き、それぞれの国で下痢をする」のは嫌だと断った。因みにこの作品は、『激突!』の出演を断ったグレゴリー・ペックの主演で映画化され、77年に公開している。『白熱』でスピルバーグの代役となったジョゼフ・サージェントが、またも監督を務めたのは、“運命の皮肉”と言うべきか。 『マッカーサー』を断り、では次回作を何にするかを考えている時、スピルバーグはデヴィッド・ブラウンのデスク上に、ザナック&ブラウンが出版前の段階で映画化権を押さえた、小説のゲラ刷りが積んであるのが目に入った。彼は何気なく、一番上にあるものを手に取り、ブラウンの秘書に許可を貰って、自宅に持ち帰って読むことにした。 そのゲラ刷りの表紙に記してあったのは、『JAWS=ジョーズ』というタイトルだった。■ 『続・激突!/カージャック』© 1974 Universal Studios. All Rights Reserved.
-
COLUMN/コラム2020.09.28
トム・クルーズ30代の代表作!『ザ・エージェント』で発掘したものとは!?
1997年5月12日のこと。日本公開が迫った、『ザ・エージェント』の劇場試写会が、有楽町マリオンの、今はなき「日劇東宝」で開かれた。 当時の私は、映画業界との接点はほとんどなかったので、多分何かのプレゼントで当たったのだろう。妻と共に客席で上映を待っていると、「開映に先立ちまして、今日は素晴らしいゲストにご来場いただいています」とのアナウンスがあった。 事前には何も告知されてなかったので、今流で言えば「サプライズ・ゲスト」といったところか。場内が大きくどよめいた。多分観客のほとんどが、「まさかトム・クルーズが!」と思ったのだろう。しかし続くゲストの紹介アナウンスは、「『ザ・エージェント』で主役のジェリー・マクガイアを支えるドロシー・ボイドを演じた、レニー・ゼルウィガーさんです!」 紹介されて登場した女性は、遠い異国で数百人もの観客に迎えられて、上気しているようだった。しかし場内には、明らかに落胆の色が浮かんだ。 それはそうだ。当代ハリウッドの人気№1スターが現れるかと期待したのに、出てきたのは、当時の日本ではまったく無名の存在だった女優。後に日本語表記が、“レニー”から“レネー”に変わる彼女が、その後オスカーを2度も受賞する大スターに成長するなど、その時の会場に居た誰ひとりとして、想像もつかなかったであろう…。 日本ではその試写の5日後、97年5月17日の公開だった『ザ・エージェント』は、アメリカではその5カ月前、96年12月に封切り。大ヒットを記録すると共に、作品的にも高く評価され、その年度の賞レースに絡む作品となった。 アカデミー賞では、作品賞、主演男優賞など5部門で候補に。そして、「Show me the money!=金を見せろ!」という、アメリカ映画史に残る名セリフを吐いた、キューバ・グッディング・Jrが、助演男優賞を手にした。 因みにこの年のアカデミー賞は、12部門でノミネートされた、アンソニー・ミンゲラ監督の『イングリッシュ・ペイシェント』が、作品賞、監督賞など9部門を制している。しかしながら四半世紀近く経った今となっては、いまだに人々の思い出に残り、口の端に上る作品としては、『ザ・エージェント』に軍配が上がるだろう。 スポーツ業界最大手のエージェント会社「SMI」に勤め、数多くの有名アスリートを顧客に持つ、ジェリー・マクガイア(演:トム・クルーズ)。選手の所属チームとの交渉で、いかに大金や長期の契約を引き出すか、いかにビッグなCM出演をまとめるか、携帯電話を片手に全米を飛び回る、ハードな日々を送っていた。 しかしある日、担当するアイスホッケー選手が大怪我をして、再起不能となってしまう。その選手の幼い息子から罵声を浴びせられたジェリーは、利益を最優先する会社のやり方に疑問を抱き、初心を取り戻す。そして一夜にして、理想に溢れる提言書を書き上げる。 ~人々に夢を与える選手たちの支えとなるべき、この仕事の本当の在り方とは、より少数のクライアントに、金ではなく、心を配ることである~ 提言書は、職場の仲間たちから、賞賛を以て迎えられたかに見えた。しかしその1週間後、ジェリーは会社から突然解雇される。それは企業の方針に盾突いた、報いだった。 ジェリーを頼っていた筈の顧客のアスリートたちとの契約も、彼にクビを言い渡した同僚に、ごっそりと攫われてしまう。たった1人残ったのは、落ち目のアメフト選手ロッド(演:キューバ・グッディング・Jr)。そして「SMI」の社員でジェリーについていったのは、提言書に感銘を受けた、シングルマザーのドロシー(演:レネー・ゼルウィガー)だけだった。 職を失ったジェリーは婚約者にも去られ、失意のどん底に落ちる。しかしドロシーに支えられて新たな会社を興し、周囲の予想を裏切る活躍を見せるロッドと友情を育てていく中で、本当に大切なことは何かを、知っていくことになる…。 簡単にまとめれば、理想を掲げた者が一敗地に塗れながらも、愛や友情を支えに再び立ち上がり、勝利に向かう物語である。ハリウッド映画としてかなりクラシカルな展開だが、“スポーツ・エージェント”という、それまで大々的には取り上げられていなかった世界を舞台にしたことが新味となって、本作を成功に導いた。 折しも日本では、95年に近鉄バファローズの野茂英雄投手が、アメリカのメジャーリーグ挑戦に当たって、“エージェント”が介在したことが大きな注目を集めた。そしてその存在が、一般化し始めた頃の公開であった。 『ザ・エージェント』の監督・脚本を担当したのは、キャメロン・クロウ。「リサーチの鬼」と言われる彼は、数多くのスポーツ・エージェントやアスリートたちに取材を敢行。多くのフットボールの試合を観戦し、チームと一緒に旅もした。 金儲けだけを追求しているかのように見える、スポーツ・エージェントの世界で、「誠実であるとはどういうことなのか?」「選手が炭酸飲料みたいに売り買いされる世界で、本当のヒーローとは何なのだろう?」などと考えながら、3年もの歳月を掛けて、脚本を完成させた。本作の中でジェリーがエージェントの初心に戻って記す、27頁にも渡る提言書は、その内容が映画のプログラムなどにも採録されているが、キャメロン・クロウが実際に、一晩掛けて書き上げたものだという。 この脚本を読んだトム・クルーズは、すぐに主役のジェリーに同化。自ら進んで本読みを志願するなど、「…これこそ本当にやりたい役…」と、出演を熱望したという。そしてクロウが吃驚するほどの情熱を持って、本作に臨んだ。 その成果として本作は、1962年生まれのトムにとっては、30代のピークと言うべき作品となった。アカデミー賞主演男優賞のオスカー像こそ、オーストラリア映画『シャイン』のジェフリー・ラッシュに譲り、ノミネート止まりだったが、現在に至るキャリアの中でも『ザ・エージェント』は、代表作の1本に挙げられるだろう。 以前本コラムで『レインマン』(88)を取り上げた時にも触れたことだが、トムは、『タップス』(81)『アウトサイダー』(83)など、青春映画の脇役で注目された後に、初めて主演した『卒業白書』(83)が大ヒット。更には世界的なメガヒットとなった『トップガン』(86)で、当時の20代若手スターのトップに躍り出た。 その後『ハスラー2』(86)でポール・ニューマン、『レインマン』でダスティン・ホフマンという、“ハリウッド・レジェンド”たちと共演。尊敬する彼らと固い絆を結び、演技者としての薫陶を受けた。この両作は、ニューマンとホフマンにオスカーをもたらしたが、共演したトムの演技が、そのアシストになったことも見逃せない。 続いて出演した、オリバー・ストーン監督の反戦映画『7月4日に生まれて』(89)では、ベトナム戦争の戦傷で車椅子生活を余儀なくされる、実在の帰還兵ロン・コーヴィックを熱演。この役で初めて、アカデミー賞主演男優賞の候補となる。 そして迎えた30代前半は、まさにトムの黄金期。『ア・フュー・グッドメン』(92)『ザ・ファーム 法律事務所』(93)『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(94)、初めてプロデューサーも兼ねた『ミッション:インポッシブル』(96)、そして『ザ・エージェント』と、史上初めて、主演作が5作続けて全米興行収入1億ドルを突破するという、快挙を成し遂げたのである。 本作はそんな、輝きがマックスの頃のトム・クルーズを観るだけでも、価値がある作品になっている。しかし、現時点で振り返る際に忘れてはいけないのは、レネー・ゼルウィガーを世に出した作品であるということだ。■ レネーは1969年4月25日生まれということだから、「日劇東宝」で挨拶に立った時は、まだ28歳だったか。彼女が女優を志したのは、テキサス大学在学中に、選択科目で「演劇」を受講したのがきっかけだったという。 まずは地元で活動し、CMやインディペンデント映画に出演。ロスアンゼルスに移り、メジャー作品で初めて大役を得たのが、本作だった。彼女は尊敬するトムとスクリーン・テストを受けた際は、「これって現実?私、本当にここにいるの?」と自問せずにいられなかったという。 一方でトムはその時のことを、「彼女が出ていった後、キャメロンとブルックス(プロデューサーを務めた、ジェームズ・L・ブルックスのこと)と僕は思わずお互い目を合わせて、ドロシーが見つかったな、と確信したんだ」と語っている。彼女の「善良さと飾り気のなさ」が、ドロシー役にぴったりと、見初めたのである。 グウィネス・パルトロウやミラ・ソルヴィーノなど、その当時活躍中の若手女優たちも、ドロシー役の候補に挙がっていたという。そんな中で、当時ほとんど無名だったレネーが、大抜擢となった。 その後レネーは、『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズ(2001~2016)などで人気が爆発。『コールド マウンテン』(03)でアカデミー賞助演女優賞を、『ジュディ 虹の彼方に』(19)で主演女優賞を受賞したのは、ご存知の通り。 レネーは『ジュディ…』で「SAG=映画俳優組合」の主演女優賞を受賞した際、スピーチでトムに謝辞を述べている。 「トム・クルーズ、あなたが撮影現場でのプロ意識と最高を目指す姿勢のお手本になってくれたこと、親切と無条件の優しさに感謝します」 トムのプロデューサーとしての慧眼、ここに極まれりである。 その一方で俳優としてのトムが、アカデミー賞主演男優賞の候補になったのは、実は本作『ザ・エージェント』が最後。助演男優賞の候補になった『マグノリア』(99)からも、もう20年以上の時が経ってしまっている。 近年は『ミッション:インポッシブル』シリーズを軸に、すっかり“アクション俳優”のイメージが強くなってしまっているトム・クルーズ。それももちろん悪くはないのだが、いま60代に手が届かんとする彼が、自分が発掘したレネーと四半世紀ぶりに再共演を果たして、オスカー戦線を騒がすような主演作も、また観たい気がする。■ 『ザ・エージェント』© 1996 TriStar Pictures, Inc. All Rights Reserved.
-
COLUMN/コラム2020.09.28
安易な理解を否定する、 オーソン・ウェルズ監督の悪夢のような映像とイメージが満載!
今回お勧めするのは、オーソン・ウェルズ監督の『審判』(62年)です。 これは有名な作家フランツ・カフカの同名傑作小説の映画化ですね。 監督のウェルズと言えば、映画史上の傑作のひとつ『市民ケーン』(41年) の監督です。彼は26歳で老新聞王ケーンを演じながら監督も兼任して、 様々な撮影テクニックを開発していま す。たとえば「パンフォーカス」。画面の近くにいる人物も遠くの背景にも同時にピントが合っているという肉眼 ではありえない映像ですね。 『市民ケーン』は、それ以降のあらゆる 映画に影響を与えたものすごい傑作ですが、アカデミー作品賞は獲れませんでした。ケーンのモデルは、当時の実在の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストで、彼を茶化した内容だったため、ハーストが反『市民ケーン』キャンペーンを行い、アカデミー賞で9部門にノミネ ートされながら、脚本賞のみの受賞に終わっています。これ以降もウェルズはハリウッドでなかなか映画を作れなくなり、作品数は少ないのですが、ヨーロッパで撮ったのがこの『審判』です。 原作がカフカの小説だと聞くと、重々しい映画じゃないの? と思う人も多いでしょうが、これコメディです。 映画は「K」という銀行員。保険会社で働いてたカフカ自身ですね。彼は、ある日突然“起訴”されてしまいます。 何の罪でかというと判らないんです よ。判らないまま裁判にかけられて......という、本来なら怖い話ですが、 本作は怖さよりもシュールさが強調されています。ウェルズ監督が冒頭で「こ れは悪夢(の理論)である」と説明しているように、つげ義春の『ねじ式』みたいな映画になっています。 たとえば「K」が勤めている会社では地平線の彼方まで机が並んでいて、物凄い数の従業員がタイプライターを打ち続けているんです。CGじゃなくて 実際に何百人ものエキストラとタイプライターを集めて撮影しています。こうい うありえない悪夢的なイメージはテリ ー・ギリアムの『未来世紀ブラジル』(85年)に明らかに影響を与えています。 主人公「K」を演じるのはカフカに顔が似ているアンソニー・パーキンス。彼は本作の前に、アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』(60年)で 変態殺人鬼の役を演じて、世界中で大当たりしたために、その後は変態殺人鬼役ばかりオファーされたんですね。彼はそれが嫌でハリウッドからヨーロッパへ逃げ出して、そのころに出た作品です。 その「K」は次々に美女に誘惑されます。夢には願望が出てきますから。なかでもロミー・シュナイダーがやたらエロくて可愛くて困ってしまいま す。美女たちにキスされて、ふにゃふにゃと反応するアンソニー・パーキンスは『アンダー・ザ・シルバー・レイク』(18年)のアンドリュー・ガーフィールドそっくりです。 オーソン・ウェルズ自身も「K」の弁護士役で出てきます。「私に任せとけ」と言うだけで何もしてくれない、実にウェルズらしいインチキくさい役 ですね。 『審判』というタイトルは仰々しいですが、ダークでエロチックなコメディですので、リラックスして悪夢をお楽しみください。 (談/町山智浩) MORE★INFO.●1960年にオーソン・ウェルズが、独立プロデューサーのアレクサンダー・サルキンドから、パブリックドメイン(PD)の文芸作品から何か映画を作らないか? と持ちかけられたのがそもそもの始まり。●ウェルズはフランツ・カフカの『審判』の映画化に決めたが、後に原作はPDではないことが発覚、訴訟に発展した。●ウェルズは、主役に当初ジャッキー・グ リースンを求めていた。●ウェルズは映画中で11人の声を自ら吹替えている。●本作と『シベールの日曜日』(共に62年) で使われた『アルビノーニのアダージョ』は、そもそもレモ・ジャゾットによる偽作で、トマゾ・アルビノーニとは直接的に関係はない。 (C) 1963-1984 Cantharus Productions N.V.
-
COLUMN/コラム2020.09.07
ロシア産SF映画史上最大のヒットを記録したSFパニック大作『アトラクション 制圧』
ソビエト時代から連綿と受け継がれるSF映画の伝統近年、ロシア産のSF映画が徐々に注目を集めつつある。今年だけでも『ワールドエンド』(’19)に『アンチグラビティ』(’19)、そして『アトラクション 制圧』(’17)の続編である『アトラクション/侵略』(’20)などが相次いで日本へ上陸。かつては、ロシアのSF映画というとアンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』(’72)や『ストーカー』(’79)くらいしか思い浮かばない日本人も多かったと思うが、それももはや「今は昔の話」と呼ぶべきだろう。 こうしたロシア産SF映画のムーブメントは、恐らくティムール・ベクマンベトフ監督による『ナイト・ウォッチ』(’04)と『デイ・ウォッチ』(’06)の世界的なヒットがきっかけだったように思う。どちらもジャンル的にはファンタジーに分類される作品だが、しかしロシアでもハリウッドのようにVFXを多用したエンターテインメント映画が成立することを証明したことの意義は大きく、これ以降ロシアでも『プリズナー・オブ・パワー 囚われの惑星』(’08~’09)や『タイム・ジャンパー』(’08)とその続編『タイムソルジャー』(’10)、露米合作『ダーケストアワー 消滅』(’11)など、ハリウッド路線のSF映画が続々と作られるようになる。 ただ、振り返ればソビエト時代からロシアにはSF映画の長い伝統と歴史がある。その原点がフリッツ・ラングの『メトロポリス』(’27)や『月世界の女』(’29)を先駆けたSF映画の古典『アエリータ』(’24)。世界で初めて宇宙旅行をリアルに描いたとされる『宇宙飛行』(’35)も忘れてはならない。アレクサンドル・コズィリ&ミカイル・カリューコフ監督の『大宇宙基地』(’59)やパーヴェル・クルチャンツェフ監督の『火を噴く惑星』(’61)は、アメリカのB級映画製作者ロジャー・コーマンが追加撮影と再編集を施し、複数の全く違う映画へ変えてしまったことで有名だ。 また、ティーンエージャーたちが宇宙船に乗って銀河系へ冒険の旅に出る「モスクワ=カシオペア」(’74・日本未公開)とその続編「宇宙の十代たち」(’75・日本未公開)は、西側の特撮SFアドベンチャー映画を知らないソビエトの青少年にとって、いわば『スター・ウォーズ』や『スター・トレック』みたいなものだったとも言えよう。他にも、エイリアンと人類のファースト・コンタクトを抒情的に描く『エバンズ博士の沈黙』(’74)は大人向けの優れたSF映画だったし、独特のシュールな世界観が強烈な印象を残す『不思議惑星キン・ザ・ザ』(’86)は日本でも大ヒットした。このように、かつてのロシアではタルコフスキー作品以外にもSF映画の製作が盛んだったのである。 しかし、ソビエト連邦の解体によってロシア経済が低迷した’90年代、制作コストのかかるSF映画は敬遠されるようになってしまう。いわば空白の時代だ。それだけに、’00年代半ば以降のロシア製SF映画の復権と台頭は素直に喜ばしいし、なにより伝統あるロシア映画界がいよいよハリウッドばりのSF大作映画を作るようになったことに感慨深いものがある。まあ、あくまでもまだ発展途上にあることは否めないため、どうしても大ヒットしたハリウッド映画のパクリみたいな作品は少なくないし、技術的に洗練されているとは言い難い部分も見受けられるが、しかしそこは実績を重ねるうちに成熟していくはずだ。そういう意味において、ロシアのSF映画史上最大の興行収入を稼いだ本作『アトラクション 制圧』は、ひとつのターニングポイントになった作品とも言えるだろう。あくまでもロシア的なものにこだわったストーリーと世界観舞台は現代のロシア。モスクワ郊外の北チェルタノヴォ地区では、人々が珍しい隕石雨の観測を心待ちにして大空を眺めている。ところが、その隕石雨の中には故障した宇宙船が紛れ込んでおり、そのことに気付いたロシア軍の迎撃機がミサイルを命中させたところ、宇宙船は住宅街に墜落して200人以上の住人が犠牲となってしまう。宇宙船から降り立ったのは未知のエイリアン。果たして、地球へ何をしにやって来たのか?エイリアンと対峙したロシア非常事態省のレベデフ大佐(オレグ・メンシコフ)は、少なくとも相手に攻撃する意思がないことから、無用の争いを避けるためにも戒厳令を敷いて事態を静観することを政府に進言する。 しかし、これに不満を隠せないのがレベデフ大佐の一人娘ユリア(イリーナ・スタルシェンバウム)。親友スヴェタを墜落事故で亡くした彼女は、その原因を作ったのがロシア軍側にあることも知らず、エイリアンが地球を侵略しに来たものと決めつけ復讐を決意する。恋人チョーマ(アレクサンドル・ペトロフ)とそのチンピラ仲間たちを集め、封鎖された事故現場へと忍び込んだユリアは、そこでエイリアンとばったり遭遇。驚いて転落しそうになった彼女をエイリアンが助けるものの、そうとは知らないチョーマたちは身代わりに転落したエイリアンの強化スーツを奪い去っていく。 一方、自分を助けるために重傷を負ったエイリアンを救出するユリア。ヘイコン(リナル・ムハメトフ)と名乗るエイリアンは人間とソックリで、しかも流暢なロシア語を話す。彼はたまたま事故で地球へ飛来しただけで、47光年先にある故郷の惑星へ戻ることを望んでいた。だが、そのためには現場からロシア軍が持ち去ったシルクという物体が必要だ。そこで、シルクを取り戻すべく力を貸すことにしたユリアは、やがて純粋で心優しいヘイコンと深く愛し合うようになる。だが、それを知って嫉妬の炎を燃やすチョーマは、一般大衆のエイリアンに対する恐怖心や復讐心を煽って自警団を組織し、宇宙船を破壊してヘイコンを亡き者にしようとする…というわけだ。ある日突然、空から巨大な宇宙船が地球へ飛来し、人類がパニックに陥るという侵略型SFのパターンを踏襲しつつ、実は友好的だったエイリアンの存在を通して、有史以来争いや殺し合いに明け暮れる人類の野蛮な愚かさが炙り出されていく。そうしたプロット自体は『地球が静止する日』(’51)の昔から使い古されてきたものだが、しかしそこへ未知なる他者へ対する不寛容や憎悪に煽られる大衆心理、盲目的な愛国心の危うさなど、昨今の国際情勢を取り巻く不穏な要素を散りばめることで、極めて現代的なSFドラマとして仕上げられていると言えよう。 基本的に原作物が多いロシア産SF映画にあって、本作は近年増えつつあるオリジナル・ストーリー物なのだが、それでも実は元ネタになった出来事がある。それが、’13年10月にモスクワ南部で起きた「ビリュリョーヴォ地区の騒乱」だ。工業地帯であるビリュリョーヴォ地区に暮らす25歳の若者が刺殺され、目撃された犯人が中央アジア系の移民であったことから、増加する一方の不法移民やそれを黙認する当局に対する地元住民の不満が爆発。大規模なデモは近隣都市へと飛び火し、ロシア人の若者と移民の間で暴力的な衝突まで発生した。フョードル・ボンダルチュク監督は本国公開時のインタビューで、「これは我々ロシア人全員に関係する問題を描いているからこそ、私の手で映画化しなくてはならないと思った」と語っているが、本作では現代ロシアに蔓延する深刻な民族対立を憂慮し、多様性のある成熟した社会の実現を願う意図があることは間違いないだろう。そういう意味で、現代的であると同時に非常に“ロシア的”なテーマを扱った映画でもある。 エイリアンの宇宙船や強化スーツの洗練された独特なデザインを含め、ロシア産SF映画がたびたびハリウッド映画の物真似と揶揄されがちだからこそ、なるべく“ロシア的”であることにこだわったというボンダルチュク監督。ソビエト時代の国民的な俳優・監督だったセルゲイ・ボンダルチュクを父親に持つ彼は、ロシアを代表するSF作家ストルガツキー兄弟の小説を映画化したSF超大作『プリズナー・オブ・パワー 囚われの惑星』も手掛けているが、恐らく本作においては従来のハリウッド的なるものと決別した、よりロシア映画らしいSFエンターテインメントの世界を模索したのかもしれない。先述したように、本国では歴史的な大ヒットを記録した金字塔的な映画だが、ここからロシア産SF映画がどのように発展していくのか要注目だ。 ちなみに、ロシア映画ファンにとって興味深いのは、チョーマ役のアレクサンドル・ペトロフとレベデフ大佐役のオレグ・メンシコフの顔合わせであろう。人気の伝奇ホラー・ファンタジー『魔界探偵ゴーゴリ』(’17~’18)シリーズで、それぞれ若き日の文豪ニコライ・ゴーゴリとその相棒グロー捜査官を演じた名コンビ。ペトロフは現在ロシアで最も売れている若手俳優のひとりで、リュック・ベッソン監督の『ANNA/アナ』(’19)ではヒロインのダメ亭主を演じていた。一方のメンシニコフは巨匠ニキータ・ミハルコフの作品に欠かせない名優で、中でも『太陽に灼かれて』(’94)に始まる「ナージャ三部作」のKGB幹部ドミートリ役で有名だ。■『アトラクション 制圧』(C) Art Pictures Studio
-
COLUMN/コラム2020.09.04
ヴァン・ダムとハイアムズ監督が2度目のタッグを組んだアイスホッケー版“ダイ・ハード”!『サドン・デス』
巨大アリーナで繰り広げられるヴァン・ダムVSテロリストの攻防戦 ‘80年代半ばにチャック・ノリスが『地獄のヒーロー』(’84)で大ブレイクして以降、にわかにハリウッドで増えたのが格闘家出身のアクション映画スターである。ショー・コスギにドルフ・ラングレン、スティーブン・セガールにウェズリー・スナイプスなどなど。その中でも、セガールと並んで’80年代末~’90年代のハリウッド・アクションを牽引した存在がジャン=クロード・ヴァン・ダムだった。 ベルギーの出身で10代の頃から空手やキックボクシングの選手として国際大会で活躍し、チャック・ノリスの助太刀で映画界へ進出したヴァン・ダム。『サイボーグ』(’89)や『キックボクサー』(’89)などのB級映画で注目された彼は、ドルフ・ラングレンと組んだ『ユニバーサル・ソルジャー』(’92)の大成功でメジャー・スターの仲間入りを果たし、ピーター・ハイアムズ監督のSFアクション『タイムコップ』(’94)がキャリア最大の興行成績を稼ぐメガヒットを記録する。そのハイアムズ監督とヴァン・ダムが再びタッグを組んだ、アイスホッケー版『ダイ・ハード』とも呼ぶべき映画が、この『サドン・デス』(’95)である。 ヴァン・ダムが演じるのは、ピッツバーグのシビック・アリーナで消防管理の責任者を務める元消防士ダレン・マッコード。一時期メロン・アリーナとも呼ばれたシビック・アリーナは、かつてピッツバーグに実在した多目的アリーナで、NHL(ナショナル・ホッケー・リーグ)所属のホッケーチーム、ピッツバーグ・ペンギンズが本拠地にしていた場所だ。2年前まで地元の消防署に勤務していたダレンだが、しかし火災現場で幼い少女を助けることができなかった。その精神的な苦しみから立ち直れず、妻と離婚することになった彼は、消防士の職も辞してシビック・リーナの消防管理官へ転職していたのだ。 時はNHLのプレイオフトーナメント優勝チームを決めるイベント、スタンレー・カップ・ファイナルの真っ最中。ピッツバーグ・ペンギンズとシカゴ・ブラックホークスの対戦チケットを2枚入手したダレンは、再婚した妻のもとで暮らす息子タイラー(ロス・マリンジャー)と娘エミリー(ウィットニー・ライト)を観戦に連れていく。ところが、この試合の裏では恐ろしい計画が人知れず進行していた。テロリストたちが秘密裏に警備員や場内スタッフを殺害して入れ替わり、来賓として招かれたアメリカ合衆国副大統領ダニエル・バインダー(レイモンド・J・バリー)を人質とすべく狙っていたのだ。 テロリスト集団のリーダーは元CIA捜査官ジョシュア・フォス(パワーズ・ブース)。バインダー副大統領やピッツバーグ市長夫妻が試合観戦するVIPルームを占拠した彼は、アメリカ政府に対して17億ドルの身代金を要求する。指示した手順通り3回に分けて指定口座へ金を振り込まなければ、人質を一人ずつ見せしめとして殺害し、最終的にはアリーナの各所に仕掛けた爆弾を爆発させて観客を皆殺しにするという。 その頃、兄タイラーと喧嘩をして思わず座席を離れたエミリーは、運の悪いことにテロリストが場内スタッフを殺害する現場を目撃してしまい、人質としてVIPルームに囚われてしまう。そんな娘の後を追ってテロリストの存在に気付いたダレン。外部と連絡を取ろうにも通信手段が断たれており、アリーナの出入りはテロリスト一味が監視している。ようやく無線でシークレット・サービスの責任者ホールマーク(ドリアン・ヘアウッド)と連絡が付いたものの、テロリストに対して手も足も出ない彼らを頼りなく感じたダレンは、自ら単独で会場内に仕掛けられた幾つもの爆弾を解除し、テロリスト一味に立ち向かって娘を助け出そうとする…。 本物のアリーナで本物のホッケー選手を使って撮影された舞台裏とは? ストーリーはまさしく『ダイ・ハード』そのもの。ただし、こちらは2万人近くの観客を収容できるドーム型の巨大アリーナが舞台で、少なくともスケール感に関しては『ダイ・ハード』を上回っていると言えるだろう。しかも、ピッツバーグ・ペンギンズにシカゴ・ブラックホークスという実在のホッケーチームによる対戦試合を、主人公ダレンとテロ集団の壮絶な攻防戦と同時並行でフューチャーする本格的なスポーツ映画でもある。実際にシビック・アリーナで爆薬を使用したり、スケートリンクにヘリが墜落するなどの大掛かりな見せ場も含まれているため、当初オファーを受けたハイアムズ監督は本当に実現可能なのか?と首を傾げたそうだが、その疑問と不安はすぐに解消する。実は本作のプロデューサーであるハワード・ボールドウィンは、なんとピッツバーグ・ペンギンズのオーナーだったのだ! もともとアイスホッケーの興行主だったボールドウィンは、’72年にハートフォード・ホエーラーズを創設したことを皮切りに、サンノゼ・シャークスやミネソタ・ノーススターズなどのオーナーを歴任し、本作が制作された当時はピッツバーグ・ペンギンズを所有していた。その傍ら、元女優の妻カレンと共に映画の制作会社を設立し、アカデミー作品賞候補になったレイ・チャールズの伝記映画『Ray/レイ』(’04)をはじめ、カルト・ホラー『ポップコーン』(’91)やスティーブン・セガール主演『沈黙の陰謀』(’98)、ジェームズ・ワン監督の犯罪アクション『狼たちの死刑宣告』(’07)など、数多くの映画を世に送り出している。本作のプロデューサーとしてはまさにうってつけの人物だと言えよう。 そのボールドウィン夫人カレン(本作では原案としてクレジットされている)の、「シビック・アリーナを舞台に『ダイハード』みたいな映画を作ったら面白いかも」という思いつきが企画の発端だったとのこと。大きな見せ場のひとつとなるホッケーの試合シーンは、’94年10月1日にシビック・アリーナで予定されていた、ピッツバーグ・ペンギンズVSシカゴ・ブラックホークスの本物の試合を撮影して本編に織り交ぜるはずだった。ところが、NHLの経営陣と選手の間で契約を巡る軋轢が起き、’94~’95年シーズンの前半試合が中止されてしまう。 そのため、制作陣はNHLの許可を得てペンギンズとマイナー・リーグのクリーヴランド・ランバージャックスとの練習試合をセッティングし、ランバージャックスの選手たちにブラックホークスのユニフォームを着せ、およそ1万人のエキストラを集めて撮影したのだが、いまひとつ迫力に乏しかったため、別のマイナー・チームにペンギンズとブラックホークスのふりをさせて撮り直ししたものの、そちらの試合映像もボツとなってしまう。結局、地元の元プロ選手や元大学リーグ選手をかき集め、およそ4カ月に渡って撮影された試合映像が最終的に使用されることとなったのだそうだ。 ヴァン・ダムはスケートが大の苦手だった!? とはいえ、本編にはリュック・ロバタイユやケン・レジェットなど、ペンギンズ所属の本物のスター選手たちが本人役で登場。面白いのは、当時現役を引退したばかりの選手ジェイ・コーフィールドが、ブラッド・トリヴァーという架空のゴールキーパー役で出演していること。性格的に少々問題のあるコワモテの選手という設定であるため、実在のゴールキーパーを使うわけにはいかなかったのかもしれない。 そのトリヴァーが試合中に体調を崩してロッカールームで休んでいたところ、テロリストに追われたダレンが寝ている彼のユニフォームとマスクをこっそり拝借して変装し、そのまま試合に出なければならなくなるシーンも本作のハイライトのひとつ。実はこれ、ソ連のホッケー選手が国際試合で敵チームの選手に化けて亡命を謀る…という、ボールドウィン夫妻が予てから温めつつも実現しなかった映画のプロットを流用したのだそうだ。ちなみに、ヴァン・ダムはスケートが大の苦手だったため、ホッケー靴ではなくテニスシューズを履いて撮影に臨み、ロングショットでは別人のスタントマンがダレン役を演じている。 また、ダレンが氷上から客席の息子へ「愛している」のハンドサインを送るシーンは、ハイアムズ監督が自らの希望で盛り込んだアイディア。実はこれ、監督の子供たちがまだ幼い頃、テレビ「セサミ・ストリート」を見て覚えたサインで、それ以来、ハイアムズ親子の間でずっと使われてきたのだという。劇中では、難しい年頃に差しかかった息子タイラーに手を焼いていた主人公ダレンが、我が子ばかりでなく大勢の人々をテロリストから守らねばならないという重責を担う中、改めて父親としての愛情をきちんと息子に伝えるべくハンドサインを送るわけだが、もしかするとハイアムズ監督はそんなダレンの親心に我が身を重ねていたのかもしれない。■ 正直なところ、欠点の少なくない作品ではある。主犯格フォスをはじめとするテロリストたちはマンガ的過ぎて嘘っぽいし、都合の良すぎる展開や回収しないまま放置された伏線も目立つ。それでもなお、孤高のヒーローVSテロリストの攻防戦と白熱するアイスホッケーの試合を同時進行で絡めながら展開するストーリーのスリルは格別だし、なによりも映画にとって肝心要となるアイスホッケーの描写に手抜きをせず、ちゃんとその道のプロや経験者を集め、手間と暇と予算を惜しまなかったことが、結果として功を奏したように思える。要するに、職人がちゃんと真面目に作ったB級エンターテインメントだ。 なお、劇場公開時はアメリカ国内よりも国外での評判が高く、興行的には『タイムコップ』ほどの成功には至らなかった本作だが、ヴァン・ダム・ファンの間では根強い人気を誇り、近々マイケル・ジェイ・ホワイト主演による続編「Welcome to Sudden Death」がNetflixオリジナル映画として配信される予定。また、デイヴ・バウティスタが主演と製作を兼ねた『ファイナル・スコア』(’18)が、アイスホッケーをサッカーに変えた以外はほぼ同じような内容で、『サドン・デス』に負けず劣らず良く出来た映画だった。そちらも併せておススメしたい。『サドン・デス』(C) 1995 Universal City Studios. Inc. ALL RIGHTS RESERVED.