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コラム・ニュース一覧
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COLUMN/コラム2020.05.21
ハチャメチャな驚愕映像からエモーションが立ちのぼる快作!『スイス・アーミー・マン』
『スイス・アーミー・マン』は、予告編にもほぼまるごと収められていた冒頭のシーンで世の中の度肝を抜いた。ポール・ダノ扮する無人島の遭難者ハンクは、自殺を試みるも失敗し、ダニエル・ラドクリフ演じる水死体を発見する。死体にはガスが溜まっているからか、繁盛にオナラをする。オナラが推進力になると気づいたハンクは生きる希望を見出し、死体にまたがって大海原へと乗り出すのだ。オナラはさしずめジェットエンジンであり、大海原を突き進む超カッコいい絵面にタイトルが重なる。「スイス・アーミー・マン」と! 「スイス・アーミー・マン」とは「スイス・アーミー・ナイフ」をもじった造語。十徳ナイフとも呼ばれるスイス軍御用達の多機能ナイフみたいに、いろんな用途で役に立ってくれる死体のことを意味している。やがてハンクは死体を“マニー”と名付け、マニーは愛する女性サラのもとを目指すサバイバルジャーニーの良き相棒になっていく。 監督は、ミュージックビデオ界から頭角を現した名コンビ、ダニエル・シャイナートとダニエル・クワン(通称“ダニエルズ”)。ふたりの長編映画デビュー作となった『スイス・アーミー・マン』は、奇想天外なアイデアを次々とビジュアル化しまくった怪作だ。“ダニエルズ”の得意技は、合成映像の素材を人力で撮ってしまう力技。冒頭のオナラ噴射で海を渡る名シーンも、ダニエル・ラドクリフが実際にポール・ダノを背中に乗せて、本当にワイヤーで引っ張られているのだからスゴい。全編を貫くこの手作り感が、ありえない設定に奇妙な説得力と温かみをもたらしているのだ。 ハンクとマニーを導くのは、死体だけど勃起するマニーのイチモツだ。ハンクが語るサラへの想いに呼応してか、死んでいるはずのマニーのイチモツはコンパスのようにある方角を指し示す。ハンクはそれが愛するサラのもとへと導いてくれると信じて、人里離れた森の中を、死体のマニーを担いで進んでいくのである。 控えめに言って、この映画はどうかしている。設定もプロットもどうかしているし、ビジュアルもどうかしていて、しかもすべての要素が下ネタ系のギャグに繋がっている。サンダンス映画祭でお披露目された際に、ついていけないと退場する観客が何名もいたという話も意外ではない。ただし、その場限りのふざけたギャグを売りにした映画では決してない。どうかしている描写が積み重なることで、いつのまにか切ない感動すら呼び覚ましてしまうウルトラCこそが本作の神髄なのだ。 そもそもダニエルズはミュージックビデオ時代から、奇想天外なビジュアルにえもいわれぬ情感を醸し出す名人だった。例えばアジア系の男(ダニエル・クワンが演じている)の股間が暴れ出してビルの天井を突き破るDJ Snake & Lil Johnの「Turn Down For What」も、森の中で全裸で戯れる男女の一団がハンターの銃で撃たれると強制的に衣服を着せられていくジョイウェイヴの「Tangue」も、本作の音楽を担当したアンディ・ハルとロバート・マクダウェルが所属するバンド、マンチェスター・オーケストラの「Simple Math」も、驚愕映像を眺めているうちに、不思議と心の奥を掴まれてしまう。同じ胸の痛みを知る者同士のようなシンパシーを覚えてしまうマジックが、“ダニエルズ”の作品には宿っているのである。 つまり『スイス・アーミー・マン』は“ダニエルズ”の長編映画第一作であり、ミュージックビデオや短編作品で探求してきた「バカバカしいけどエモーショナル」というアプローチを進化発展させた第一期の集大成的な作品でもあるのだ。ただ、あまりにもビジュアルセンスが突出しているせいで、サンダンス映画祭の例のように観る側の戸惑いを誘発してしまうこともある。尖鋭化した才能が諸刃の剣になっているとも言える。 もしかするとその危険性は、当人たちが一番理解していたのではないかと思わせるのが、ダニエル・シャイナートの単独監督となった第二作『The Death of Dick Long』だ。「Dick」はイチモツの俗語なので「チンコ・デカイさんの死」とでも訳すべきだろうか。シャイナートの故郷アラバマ州で撮影されたこの犯罪コメディで、シャイナートは得意の合成テクニックを敢えて封印。奇妙な変死体をめぐって名もない田舎者たちが巻き起こす珍騒動を、あくまでも現実主義的な表現のみで描き切っている。 とはいえ“ダニエルズ”らしい刻印はしっかりと押されている。ネタバレは避けたいが、タイトルに象徴されているように、こちらの作品も壮大な下ネタが仕込まれたバカ話なのは共通している。しかしこれもまた、バカな人間たちの愚行三昧を、ひねりのある共感と優しさをもって描いているのだ。 『The Death of Dick Long』にダニエル・クワンは参加していないが、『スイス・アーミー・マン』と組み合わせて観ると、映画作家としてのエモーショナルな持ち味と、その持ち味を発揮する対象の特異性が明快に浮かび上がる。『The Death of Dick Long』はおそらく日本でも劇場公開されるはずなので、まずは『スイス・アーミー・マン』を楽しみながら心待ちにしていただきたい。 そして2020年完成予定の最新作『Everything Everywhere All at Once』は、再びシャイナートとクワンがタッグを組む“ダニルズ”としての長編映画第二作。内容は「55歳の中国系女性が税金を払おうとするSFアクション」だそうで、まったく意味がわからないけれど、興味をそそられずにいられないではないですか!■ 『スイス・アーミー・マン』©2016 Ironworks Productions, LLC.
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COLUMN/コラム2020.05.07
映画監督イーストウッドの評価を決定づけた、「最後の西部劇」。『許されざる者』
本作『許されざる者』は、1992年に本国アメリカで公開されるや、大ヒットになると同時に、高い評価を受けて、数々の映画賞を受賞。「第65回アカデミー賞」では9部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、助演男優賞、編集賞の4部門を獲得した。 製作・監督・主演を務めたのは、クリント・イーストウッド。主演男優賞こそ、『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』(92)のアル・パチーノに譲ったが、作品賞と監督賞の2つのオスカー像を掌中にしたのである。 今やハリウッドを代表する“巨匠”と誰もが認めるイーストウッドの作品が賞レースに絡むことは、近年では当たり前となっている。しかし本作を撮る頃までは、だいぶ事情が違っていた。アメリカ国内に於いて彼の作品への評価は、不当なまでに低かったのだ。 マカロニ・ウエスタンでの“名無しの男”や『ダーティハリー』シリーズでのハリー・キャラハン刑事に代表されるような、“アクションスター”というイメージが強かったせいもあるだろう。彼の監督作や出演作に、“マッチョイズム”“性差別”“タカ派”的な部分を見出し、それを忌み嫌う映画評論家などが少なからず存在したことも、マイナスに作用したと思われる。 むしろ評価されたのは、国外の方が早かった。映画評論家の蓮實重彦氏はその様を、『許されざる者』の劇場用プログラムで、次のように記している。 ~時代はようやくイーストウッドに追いつこうとしている。あと数年で映画百年を迎える二〇世紀も暮れ方になってから、アメリカのジャーナリズムも、この偉大な映画作家の存在を遅まきながら認知し始めたようだ…~ ~…『許されざる者』の監督がまぎれもなく日本で発見された作家であり、ヨーロッパは十年遅れで、アメリカでは二〇年遅れでその偉大さに気づいたにすぎないとだけはいっておきたい気がする…~ 日本の映画ジャーナリズムに於いて、蓮實氏や山田宏一氏のような重鎮が、イーストウッドの監督作品を早くから評価していたことは、紛れもない事実である。それは実在のジャズサックス奏者チャーリー・パーカーの音楽と生涯を、フォレスト・ウィテカー主演で描いた、イーストウッドの製作・監督作『バード』(88)が、フランスの「カンヌ国際映画祭」などで高く評価されるよりも、「早かった」という主張でもある。 何はともかく、イーストウッドの初監督作『恐怖のメロディ』(71)から二十年余。16本目の監督作にして、4本目の“西部劇”である『許されざる者』は、彼の作品としては初めて「アカデミー賞」の主要部門の対象となり、見事な“大勝利”を収めたわけである。 『許されざる者』の舞台となるのは、1880年のワイオミング。イーストウッド演じる主人公ウィリアム・マニーは、かつて列車強盗や冷酷な殺人で悪名高き男だったが、善良なる妻の愛によって改心し、足を洗った。 そんな妻を3年前に天然痘で亡くなり、マニーはまだ幼い2人の子どもを育てながら、豚の肥育や耕作を行っていた。しかしいずれも順調とは言えず、老齢期に差し掛かったマニーには、厳しい日々が続いていた。 ある日“スコフィールド・キッド”と名乗る、若いガンマンが訪ねてきた。町で娼婦の顔をナイフでメッタ切りにした牧童2人の首に、仲間の娼婦たちが1,000㌦の賞金を懸けた。その賞金を稼ぎに行こうという、誘いだった。キッドは人伝に、かつてのマニーの悪逆非道な凄腕ぶりを耳にして、協力を求めに来たのである。 一旦はその誘いを断ったマニーだったが、生活の苦しさから、11年振りに銃を手に取ることを決意する。老いて馬に乗ることさえやっとだった彼は、かつての相棒ローガン(演;モーガン・フリーマン)も誘い、キッドの後を追う。 2人の牧童を狙って町には、伝説的殺し屋であるイングリッシュ・ボブ(演;リチャード・ハリス)なども現れる。しかしそんな彼らの前に、手荒なやり方で町を牛耳る保安官(演;ジーン・ハックマン)が、立ち塞がるのだった…。 劇場公開時以来何度も観ているが、陰惨な印象がいつも強く残る。まずは、物語の発端となる事件を起こした2人の牧童。娼婦の顔を切り刻んだ“実行犯”の方はともかく、もう1人は、仲間のご乱行に巻き込まれただけ。なぜ命を奪われるのか?本人もわかっていない感が強い。 そして“殺し”の旅に出向きながらも、「過去の自分と違う」「真人間になった」ことを幾度も強調する、マニー。しかしいざとなったら、誰よりも躊躇なく、人を撃ち殺すことが出来た。 その時、昔のように人を撃つことは出来なくなっていた仲間のローガンは、改めて理解する。マニーが運命的なまでに根っからの“殺し屋”であることを。だからこそいち早く、その場から立ち去ろうとする。そして保安官の仲間に捕まり拷問を受けると、マニーが保安官たちを殺しに来ることを、予言する。 実際にマニーは、それを耳にすると、“復讐”を果しに町に戻る以外、取る道はないのである。 『許されざる者』は、「勧善懲悪」などとは程遠い世界観で綴られる。保安官は、己の町を守るという「正義」のために、“暴力”を行使していた。しかしそれは、娼婦たちの人間としての尊厳を踏みにじり、マニーの相棒の命を奪うこととなる。 保安官にとっては「正義」だが、マニーにとっては、「悪党め」と吐き捨てるしかない行為である。「正義」と「悪」の境界線など、あくまでも主観的で、曖昧なものなのだ。 そして“暴力”は、どこまでも連鎖していく…。 思えばイーストウッドは、ずっとずっとそうであった。『荒野の用心棒』に始まる、イタリアでセルジオ・レオーネ監督と組んだ“ドル箱三部作”(64~66)に於ける“名無しの男”。その“原作”となった黒澤明監督の『用心棒』(61)と一線を画すのは、黒澤作品の主人公が持ち合わせていた“正義感”のようなものが、“名無しの男”には極めて乏しいことである。 またアメリカに戻ってからの決定打となった、『ダーティハリー』シリーズ(71~88)。イーストウッドにとって、“師”であるドン・シーゲルのメガフォンによる第1作からして、主人公のキャラハン刑事は、彼が対峙する殺人者と、「紙一重」なのである。シリーズを通じても、ハリーの持つ「正義」は常に揺らぎ続ける。自らメガフォンを取った83年の第4作では、レイプ犯に復讐を果たした連続殺人犯を、己の裁量で見逃すに至る。 そんなイーストウッドが、『許されざる者』の物語に惹かれたのは、無理もない。陰惨で居心地の悪い佇まいの作品ではあるが、長年イーストウッド作品に触れてきた観客にとっても、彼が“殺し屋”であったことは、説明されるまでもなく、「知っている」わけであるし。 この作品が、製作される直前の89年に亡くなったセルジオ、91年に亡くなったドンに捧げられているのも、至極納得がいく話だ。 さて、自らには物語を作り出す資質はないことを認めるイーストウッド。では彼はいかにして、『許されざる者』の物語を手に入れ、“映画化”に至ったのか? 元となった脚本は、あの『ブレードランナー』(82)を手掛けたことで知られる、デヴィッド・ウェッブ・ピープルズが、1976年に書き上げた「切り裂かれた娼婦の殺し」。後に「ウィリアム・マニーの殺し」と改題され、80年代初頭には、フランシス・フォード・コッポラ監督が、“映画化権”を持っていた。 それはその後イーストウッドの手に渡り、80年代半ばには映画化の企画を立ち上げた。しかし先に、同じ“西部劇”である『ペイルライダー』(85)を製作することとなり、『許されざる者』は、一旦ペンディングとなったのである。 実際に『許されざる者』の撮影に着手したのは、『ペイルライダー』の公開から6年後の91年秋。公開はその翌年となったわけだが、結果的にこのチョイスは、大正解だった。1930年生まれのイーストウッドが、足を洗った老齢のガンマンを演じるに当たっては、60歳を超えるのを待ったからこそ、説得力のある風貌とイメージを得ることが出来た。 また、時勢も彼に味方した。1970年代以降は何度も「終わった」ジャンル扱いされた“西部劇”だったが、1990年に公開されたケヴィン・コスナー製作・監督・主演の『ダンス・ウィズ・ウルブズ』が、大ヒット!「アカデミー賞」でも作品賞、監督賞をはじめ7部門を受賞した直後で、“西部劇”を見直す動きが強まっていたのである。 イーストウッドは『許されざる者』の製作について、次のように語っている・ 「…わたしはただ、ぜひともこの物語を伝えたいと思っただけだ。ウエスタンという神話に、わたしなりの落とし前をつけるためにね。最後のウエスタンをつくるとしたら、これほどうってつけの作品はないだろう…」 彼が言うところの「最後の西部劇」を作るには、正に絶好のタイミングだったのである。彼が心の底から渇望したアメリカでの評価=アカデミー賞を得るためにも、これ以上にない時機であった。 それにしても、それから30年近く。齢90にならんとする現在まで、イーストウッドが精力的に作品を発表し続けるとは、さすがにその時は想像もつかなかったが…。■ 『許されざる者(1992)』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2020.05.06
失われたアメリカの原風景を映し出すニューシネマ的ウエスタン『夕陽の群盗』
ベトナム反戦の時代が生み出した青春群像劇アカデミー賞作品賞候補になったアメリカン・ニューシネマの傑作『俺たちに明日はない』(’67)の脚本家コンビ、ロバート・ベントンとデヴィッド・ニューマンが脚本を手掛け、ベントン自らが初めて演出も兼任した西部劇である。南北戦争時に徴兵逃れをした若者が、たまたま知り合った同世代のアウトローたちと自由を求めて西を目指して旅するものの、愚かな大人たちの作り上げた弱肉強食の醜い社会が彼らの夢と希望を打ち砕いていく。まさしくベトナム反戦の時代が生み出した、極めてニューシネマ的な青春群像劇。ハリウッドの伝統的な娯楽映画としての古式ゆかしい西部劇に対し、モンテ・ヘルマンの『銃撃』(’66)やサム・ペキンパーの『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(’73)のように、開拓時代のアメリカを舞台にしつつ映像もテーマも現代的で、同時代のカウンターカルチャーを如実に映し出した西部劇のことを「アシッド・ウエスタン」と呼ぶが、この『夕陽の群盗』もそのひとつだと言えよう。舞台は南北戦争真っ只中の1863年。当時の北軍で3番目に人口規模の大きかったオハイオ州だが、しかし中西部に位置する地理的な条件から、北部諸州の中でも特に軍隊や物資の供給において重要な役割を果たし、徴兵された住民の数も総勢で32万人と、人口比率でいうと北軍では最も多かった。そのため、まだ年端も行かぬ若者まで戦場に送り出されていたのである。敬虔なメソジスト派信者であるディクソン家にも召集がかかるものの、しかし既に長男が志願して戦死しているため、両親はたった一人だけ残された次男ドリュー(バリー・ブラウン)まで兵隊に取られてはたまらないと、現金100ドルと長男の遺品である懐中時計、そして家族写真をドリューに手渡して西へ逃がすことにする。かくして、たった一人で逃亡の旅へ出ることになったドリュー。必ずや西部で財を成して両親の愛情に報いるんだという大志を抱く彼は、まずはミズーリ州のセント・ジョーゼフへと到着する。アメリカ連合国を形成した南部州と同じく奴隷州だったミズーリは、辛うじて合衆国側に留まりこそしたものの、しかし北部寄りの州議会と南部寄りの市民感情が拮抗した、いわばグレーゾーン的な地域であったため、逃避行の中継地点としては好都合だったのだろう。ここから駅馬車に乗って西へ向かうつもりだったドリューだが、しかし道端で声をかけてきた同世代の若者ジェイク(ジェフ・ブリッジス)に殴られ現金を奪われてしまう。ホームレスの少年たちを集めて窃盗グループを組織していたジェイク。メンバーは兵役逃れのロニー(ジョン・サヴェージ)とジム・ボブ(デイモン・コファー)のローガン兄弟、臆病者のアーサー(ジェリー・ハウザー)、そしてまだ11歳の生意気盛りボーグ(ジョシュア・ヒル・ルイス)と、ジェイクを含めて5人だ。いっぱしの無法者を気取っている彼らだが、しかし親切な女性を騙して財布をすったり、小さな子供たちを脅して小遣いを奪ったりと、やっていることはなんともチンケ。所詮はまだまだ半人前のお子様集団である。さて、たいした度胸はなくとも悪知恵だけは働くジェイクは、仲間の盗んだ財布を持ち主のもとへ届けて報酬を得ようとするのだが、しかしそこで偶然居合わせたドリューに見つかってしまう。盗んだ金を返せ!と執拗に迫るドリューに根負けするジェイク。そのガッツを見込んだ彼は、ドリューを仲間に引き入れて一緒に西部を目指すことになる。信心深くて生真面目なドリューと、いい加減で不真面目なジェイク。まるで水と油の2人はたびたび対立するものの、しかしやがて互いに友人として認め合う仲になっていく。ところが、少年たちが足を踏み入れた雄大な草原の広がる開拓地は、軍人崩れの極悪人ビッグ・ジョン(デヴィッド・ハドルストン)率いる正真正銘のならず者どもが略奪と殺人を繰り返す危険極まりない世界。新天地でのチャンスを求めて意気揚々と冒険の旅へ出た彼らだったが、その行く手には戦争と弱肉強食の論理によって荒廃した「自由の国」アメリカの残酷な現実が立ちはだかり、根は善良で無邪気な悪ガキたちは嫌がおうにも大人へと成長せざるを得なくなる…。 ロバート・ベントン監督の祖国愛が垣間見えるというわけで、アンチヒーロー的なアウトローたちを主人公にしているという点で『俺たちに明日はない』と共通するものがある作品だが、しかし初心で純粋なティーンエージャーの視点から、美化されたアメリカ的フロンティア精神の偽善を暴き出し、その殺伐とした醜い社会の有り様をベトナム戦争に揺れる現代アメリカのメタファーとして描くという趣向は、リチャード・フライシャー監督の『スパイクス・ギャング』に近いかもしれない。また、どことなく少年版『ミネソタ大強盗団』(’72)とも言うべき味わいと魅力も感じられ、いずれにしてもこの時代に作られるべくして作られた映画と言えるだろう。と同時に、本作は失われたアメリカの原風景に対する郷愁のようなものが全編に溢れ、それがまた無垢な少年時代に終わりを告げる若者たちの物語に豊かな情感を与えている。そこには、ベトナム戦争の時代に終止符を打つこととなった、古き良きアメリカに対するベントン監督自身の憧憬のようなものが感じられることだろう。後の『プレイス・イン・ザ・ハート』(’84)もそうだが、ベントン監督は厳しくも豊かなアメリカの大自然と、そこで強く逞しく生きる人々の日常を活写することが非常に上手い。なにしろテキサスの田舎に生まれた生粋の南部人。幼い頃から女手一つで子供たちを育てた祖母の苦労話を聞いて育った彼にとって、アメリカの大地に根を下ろして生きてきた名もなき庶民への想いを結実させたのが『プレイス・イン・ザ・ハート』だったと聞いているが、本作にもそんなベントン監督の純粋なる祖国愛(あえて愛国心という言葉は使いたくない)の片鱗が垣間見える。アカデミー賞作品賞に輝く『クレイマー・クレイマー』(’79)が大ヒットしたおかげで、都会的な映画監督というイメージが定着しているように思うが、しかし彼の映画作家としての本質はこの『夕陽の群盗』や『プレイス・イン・ザ・ハート』にこそあるのではないだろうか。主人公の一本気な若者ドリューを演じるのは、ピーター・ボグダノヴィッチの『デイジー・ミラー』(’74)にも主演したバリー・ブラウン。その相棒ジェイクには、やはりボグダノヴィッチの『ラスト・ショー』(’71)で注目されたばかりのジェフ・ブリッジスが起用されている。この、教養があって聡明だがナイーブで世事に疎いドリューと、教養がなくて愚かだが世渡り上手でズル賢いジェイクの、お互いの欠点を補い合うようにして育まれていく友情がまた微笑ましい。その後、ブリッジスはスター街道を驀進していくわけだが、その一方で複雑な家庭で育ったことからメンタルに問題を抱えていたというブラウンは、’78年に27歳という若さで自殺を遂げている。彼の2つ下の妹である女優マリリン・ブラウンも後に投身自殺してしまった。ドリューとジェイクの窃盗仲間で印象深いのは、やはりなんといっても若き日のジョン・サヴェージであろう。斜に構えたニヒルな顔つきに、どこかまだ少年っぽさを残した初々しさが魅力で、当時23歳だったが10代でも十分に通用する。また、『おもいでの夏』(’71)のオシー役で知られるジェリー・ハウザーが、臆病者で用心深い少年アーサーを演じているのも要注目だ。さらに、ならず者集団のボス、ビッグ・ジョーを『ブレージングサドル』(’74)や『軍用列車』(’75)の巨漢俳優デヴィッド・ハドルストンが演じるほか、その手下役にジェフリー・ルイスやエド・ローターといった’70年代ハリウッドのクセモノ俳優たちが揃っているのも嬉しい。冷酷非情なまでに正義の人である保安官には、往年のB級西部劇スターだったジム・デイヴィス。彼らのことを決して分かりやすい悪人や偽善者としては描かず、生存競争の激しい世の中で心の荒んでしまった、ある種の犠牲者として描いていることも本作の良心的な点だと言えよう。ちなみに、ハドルストンは後にコーエン兄弟の『ビッグ・リボウスキー』(’98)で、ジェフ・ブリッジスふんする主人公と名前を混同される大富豪ビッグ・リボウスキーを演じていた。■ 『夕陽の群盗』TM, ® & © 2020 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2020.05.06
‘80年代スラッシャー映画ブームを代表するカナディアン・ホラー『プロムナイト』
『プロムナイト』を生んだカヌクスプロイテーションとは? 『ハロウィン』(’78)および『13日の金曜日』(’80)の爆発的な大ヒットによってもたらされた、’80年代のスラッシャー映画ブーム。『バーニング』(’81)や『ローズマリー』(’81)、『ヘルナイト』(’81)などなど、当時は柳の下の泥鰌的なスラッシャー映画が雨後の筍のごとく作られたものだが、その中でもブームの先陣を切る形で公開され、カナダ映画としては異例の全米興行収入1470万ドルという大ヒットを記録したのが、この『プロムナイト』だった。そう、本作は一見したところアメリカ映画のようなふりをしているが、しかし実は純然たるカナダ映画である。もともとカナダは、すぐお隣に世界最大の映画大国アメリカが存在するという地理的な理由もあってか、有能な映像作家や俳優はすぐにハリウッドへ行ってしまい、なかなか映画業界が発展できないでいた。そこで、’74年にカナダ政府は映画産業の活性化を図るために新たな税制優遇政策を施行。その結果、かつては真面目な芸術映画やドキュメンタリー映画が主流だったカナダ映画に、新たな目玉ジャンルが誕生する。それがカナダ産B級エクスプロイテーション映画、通称「カヌクスプロイテーション(カナダ×エクスプロイテーション)」だったのである。この新たなムーブメントから誕生したのが、ボブ・クラーク監督の『暗闇にベルが鳴る』(’74)やデヴィッド・クローネンバーグ監督の『ラビッド』(’77)に『スキャナーズ』(’81)、アルヴィン・ラコフ監督の『ゴースト/血のシャワー』(’80)といった一連のB級ホラー映画群。中でも、『暗闇にベルが鳴る』はスラッシャー映画の原点とも呼ばれる名作であり、同ジャンルとカナダ映画というのは、もとから切っても切れない関係にあったとも言えるだろう。本作のリチャード・リンチ監督もまた、折からのカヌクスプロイテーション映画ブームの波に乗ろうと考えていたカナダ映画人のひとり。前作のプロレス映画『Blood and Guts』(’78・日本未公開)が全くの不入りだったことから、リンチ監督は低予算でも集客の見込めるホラー映画の制作を企画。当時ロサンゼルスに滞在していた彼は、ドクターが患者を次々と殺していく『Don’t Go See the Doctor』というタイトルの脚本を書き上げ、ちょうど『ハロウィン』を大ヒットさせたばかりだったアメリカ人プロデューサー、アーウィン・ヤブランスのもとへ持ち込む。その際に彼はヤブランスから、『ハロウィン』のように“記念日”をテーマにしたらどうかとアドバイスされ、ハイスクールのプロムを題材にした『プロムナイト』のアイディアを思いついたのだそうだ。 6年前の悲劇がハイスクールのプロム・パーティを血に染める物語は1974年から始まる。4人の少年少女がとある廃墟でかくれんぼをしていたところ、たまたま通りがかった年下の少女ロビンが一緒に遊ぼうと加わるのだが、しかしみんなにからかわれて建物の2階から転落死してしまう。思いがけない出来事にビックリして立ちすくむ4人。リーダー格のウェンディは、このことを絶対に口外してはいけない、さもないと全員警察に逮捕されてしまうと言い出し、ジュード、ケリー、ニックの3人もそれに黙って従い逃げ出す。その一部始終を目撃していた人影があることにも気付かず…。それから6年後。ロビンの事件は変質者による犯行と見なされ、性犯罪歴のある男レオナード・マーチが犯人として逮捕されたのだが、そのマーチがクリーヴランドの精神病院から脱走したとの報告が入り、警察のマクブライド警部(ジョージ・トゥーリアトス)はマーチの足取りを追跡しつつ、彼が再び町へ戻って来るのではないかと警戒していた。一方、今もなお毎年、ロビンの命日に墓参りを欠かさないハモンド家の人々。高校3年生になったロビンの姉キム(ジェイミー・リー・カーティス)は、学校で一番の人気者ニック(ケイシー・スティーヴンス)と付き合っており、ケリー(メアリー・ベス・ルーベンス)やジュード(ジョイ・シンプソン)とも仲の良い友達だ。もちろん、彼らがロビンを死に至らしめたことなど知る由もない。それは弟アレックス(マイケル・タフ)とて同じこと。姉弟は最も親しい幼馴染たちに騙され続けてきたのである。ただし、ウェンディ(エディー・ベントン)だけはちょっと事情が違う。学園の女王様を気取る彼女は元恋人のニックに未練たっぷりで、誰からも好かれるキムに対してライバル心をむき出しにしていた。いよいよ迎えたプロムの当日。ウェンディ、ジュード、ケリー、ニックのもとへ正体不明の脅迫電話が届く。6年前の真相を知る何者かが、彼らへの復讐を企てているようだ。学校では、プロム・クイーン&キングに選ばれたキムとニック、さらにDJを担当するアレックスがセレモニーの準備をしている。そんな彼らを憎々しげに見つめるウェンディは、嫌われ者の問題児ルー(デヴィッド・ムッチ)と組んでセレモニーを邪魔するつもりだった。その一方で、学園内では女子トイレの鏡が何者かに破壊されるなど奇妙な出来事が相次ぎ、マクブライド警部はプロム会場にマーチが現れるのではと心配して警備に当たる。かくして、キムとアレックスの両親でもあるハモンド校長(レスリー・ニールセン)とハモンド夫人(アントワネット・バウワー)が見守る中、大勢の学生たちが集まって始まったプロム・パーティ。その裏で、一人また一人と若者たちが正体不明の殺人鬼によって殺されていく…。大ヒットの秘密はキャスティングの勝利?ということで、かつて忌まわしい事件のあったアメリカの平凡な住宅地で、正体不明の殺人鬼が10代の若者を次々と血祭りにあげていくというプロットは『ハロウィン』から、終盤でハイスクールのプロム・パーティが惨劇の場となるシチュエーションは『キャリー』から拝借していることが明白な本作。正直なところ、オリジナリティはないに等しい。また、ポール・リンチ監督自身、はじめから血みどろのスプラッターを売りにしたホラー映画ではなく、ティーン向けのライトなサスペンス・スリラーを目指したと語っている通り、当時のスラッシャー映画にしてはかなり刺激の薄い作品であることも賛否の分かれるポイントであろう。そんな本作の最大の勝因は、物語のベースとなる青春ドラマがしっかりとしていること。まあ、そこはホラー映画として本末転倒では?と思われるかもしれないが、しかしその後『こちらブル―ムーン探偵社』や『ジェシカおばさんの事件簿』、『美女と野獣』など、数々の良質なテレビ・シリーズを手掛けるポール・リンチ監督の丁寧な人間描写は手堅い。加えて、観客がすんなりと感情移入できるような若手俳優を揃えたキャスティングも良かった。中でも、主人公のキム役にジェイミー・リー・カーティスを得ることが出来たのは幸いだったと言えるだろう。 なにしろ、『ハロウィン』の大ヒットで一躍スクリーム・クィーンとなった旬のスターである。もともとキム役には別の女優が決まっていたのだが、そこでジェイミーのマネージャーからリンチ監督のもとへ電話がかかっている。『プロムナイト』の脚本を読んだジェイミーが是非出たいと言っていると。これぞまさしく渡りに船である。すぐさまジェイミーの出演が決定し、集客力のあるスターが加わったことで予算を確保することも出来た。実際、一介の低予算ホラー映画に過ぎない本作が全米規模の大ヒットを記録したのは、主演女優ジェイミー・リー・カーティスのネームバリューに依るところが大きかったと言えよう。もちろん、『13日の金曜日』が社会現象となった直後に封切られたというタイミングの良さもある。いろいろな意味で運に恵まれた映画だったのである。ところで、キムにライバル心を燃やしてプロムを台無しにしようと画策する、悪女ウェンディ役を演じている女優エディー・ベントンに見覚えのある人も少なくないかもしれない。当時、エディー・ベントン名義で数々のB級ホラーに出演していた彼女は、その後アン=マリー・マーティンと名前を変え、主にテレビで活躍するようになる。そう、日本でも話題になった犯罪コメディ『俺がハマーだ!』(’86~’88)で、問題刑事スレッジ・ハマーの相棒となる美人刑事ドリー・ドローを演じた女優アン=マリー・マーティンこそ、本作のエディー・ベントンその人なのである。彼女は本作の直後、ジェイミーが主演した『ハロウィン』の続編『ブギーマン』(’81)にも通行人役でカメオ出演している。なお、予想を遥かに上回る本作の大ヒット受け、同じくジェイミー・リー・カーティス主演作の『テラー・トレイン』(’80)や『血のバレンタイン』(’81)、『誕生日はもう来ない』(’81)、『面会時間』(’82)などなど、カナダ産のスラッシャー映画が次々と作られヒットを飛ばし、’80年代前半のカヌクスプロイテーション映画黄金期を盛り上げることとなる。そう考えると、本作がカナダ映画界に及ぼした影響は決して少なくないと言えるだろう。■ 『プロムナイト』©MCMLXXX BY GUARDIAN TRUST COMPANY (IN TRUST)
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COLUMN/コラム2020.04.26
『小悪魔はなぜモテる?!』 モチーフとなったアメリカ文学の古典「緋文字」とその映画化作品に関するアレコレ
本作『小悪魔はなぜモテる?!』(2010)のモチーフになっているのは、19世紀アメリカの小説家ナサニエル・ホーソンが、1850年に著した「緋文字」(The Scarlet Letter)である。 本作内では、エマ・ストーン演じる主人公が通うハイスクールの授業で、この小説が取り上げられる。「緋文字」は実際に、アメリカ人の多くが学校教育の中で、課題図書として読むことになる小説だという。 「緋文字」の舞台は17世紀、植民地時代のアメリカはボストン。ヒロインはヨーロッパから渡ってきた、イギリス人の若き女性、ヘスター・プリン。 彼女は年長の夫に命じられるまま、新天地であるこの町へと先行して渡ってきたが、夫を待つ内に別の男と情を交わし、子どもを産んでしまう。周囲から責め立てられても、彼女は頑として子どもの父親の名を明かさない。当時の厳格な清教徒=ピューリタンの社会では、死刑になってもやむなしであった。 しかし、彼女の後に海を渡った筈の夫は、何年も行方不明となっており、恐らく船が難破して、「海の底」に沈んだと思われる状況。そのためにヘスターの処罰は、「晒し台に3時間だけ立つ」という刑に軽減される。その上で身に着ける衣服の胸元には、“姦通=adultery”の意味である、緋色の「A」の文字を、未来永劫付けさせられることとなる。 赤子を抱きながら晒し台に立つヘスターを、その時初めて町に現れた、チリングワースという男が凝視する。ネイティブアメリカンの部族に捕まり、長く囚われの身となっていたというその男は、海の底に沈んだ筈のヘスターの夫だった。 チリングワースは、ヘスターの不倫相手を突き止めるために、町に身を置くことにする。そしてヘスターに、自分の正体を他の者に明かさぬよう強要する。愛する男の身や我が子のことを考えると、ヘスターはその要求を呑まざるを得なかった。 それから、7年の歳月が流れる。町の者たちに蔑まれながらも、針仕事で生計を立て、女手一つで娘のパールを育てるヘスター。一方でチリングワースは、医師として町で一目置かれる存在となっていた。 そんな中で、独り苦悩を深める男が居た。町の人々からの信頼も厚い、ディムズデール牧師。彼こそヘスターの密通の相手であり、パールの父親であった…。 筋書的には、“背徳不倫ロマンス”とも言える「緋文字」だが、植民地時代のピューリタン社会を描いた歴史小説として、高く評価されている。私が幾つかの書評を眺めて、しっくりいったのが、編集者の松岡正剛氏による、次の一文。 ~初期ピューリタニズムには、そもそも栄光と残酷とが、神権と抑圧とが、ユートピアニズムとテロリズムとが表裏一体になっていた~ ヒロインのヘスターはそんなピューリタン社会の中で、自らの信仰と良心に恥じることなく、真実の愛を求めた女性ということである。 明治36年=1903年に初めて日本語に訳された、「緋文字」。これまでに少なくとも、十数人が翻訳を手掛けている。今のところ最新の日本語版である、2013年出版の「光文社古典新訳文庫」の訳者である小川高義氏は、「訳者あとがき」に次のように記す。 ~古典音楽の場合には、時代とともに演奏スタイルの変遷があることに誰もが納得しているだろう。古典文学の翻訳にも同様の現象はあるのだと考えていただければありがたい~ ホーソンや「緋文字」を取り上げた論文や研究書は、近年になっても枚挙に暇がない。そんなことも考え合わせると、「緋文字」は、アメリカ文学を学び研究する者が必ず触れることになる“古典”であると同時に、オリジナルの出版から150年余、最初の日本語訳から120年近く経っても、新たな解釈が求められ続ける、決して古びない小説とも言える。 「緋文字」が、最初に映画化されたのは、サイレント映画の昔。かのリリアン・ギッシュが主演した、『深紅の文字』(1926)という作品である。以降幾度も映像化もされており、TVのミニシリーズなどもある。 現在の日本で比較的容易に観ることが出来るのは、1973年製作のヴィム・ヴェンダース監督作品『緋文字』。そして、『キリング・フィールド』(84)や『ミッション』(86)などのローランド・ジョフィが監督した、デミ・ムーアの主演作『スカーレット・レター』(95)といったところか。 先に翻訳者の文を引用したが、~時代とともに演奏スタイルの変遷がある~のは、映画化に於いても同様と言える。こちらの場合、作り手の個性や特性によって、更に明確な違いが表れる場合が多い。 ヴェンダースにとって、「ロードムービーの巨匠」という声価を得る以前の作品である、『緋文字』。植民地時代のアメリカを舞台にした“古典”を、ヨーロッパ資本が西ドイツ(当時)の監督とオーストリア出身の女優(センター・バーガー)を起用して映画化したわけだが、意外なことに歴代の映画化作品の中では、最も「原作に忠実」という声がある。 しかし「原作に忠実」であれば、良いというわけではもちろんない。ヴェンダース自身が、彼のフィルモグラフィーで唯一の時代劇であるこの作品を「失敗作」と認め、「ピンボールマシンもガソリンスタンドも出てこない映画は2度と作らない」と、後に語っている。 この作品で興味深いのは、映画の冒頭から強調して描かれているのが、チリングワースの視点であるということ。先住民に囚われた後の漂泊の果てに、彼はやっと妻と再会するも、その愛が、自分以外の誰かに向けられているのを発見する。以降は復讐の機会を窺うように、牧師やヘスターの周辺に纏わりつく。しかし最終的には、再び漂泊の身を選ばざるを得ない。「いかにもヴェンダース」と言えば、ヴェンダース的なキャラクターとなっている。 ローランド・ジョフィが監督したことよりも、デミ・ムーアがヘスターを演じたということで記憶されているであろう『スカーレット・レター』は、かの「ゴールデンラズベリー賞」で“最低作品賞”“最低主演女優賞”をはじめ6部門にノミネート。同年にポール・バーホーベン監督の『ショーガール』があったため、受賞は“最低リメイク・続編賞”1部門に止まったが…。 無理もない。デミが演じるヘスターは開明的過ぎて、原作では重要なポイントである、“信心深さ”がほとんど感じられない。またこちらの作品では、原作では描かれない、ディムズデール牧師との馴れ初めのシーンがあるのだが、それが泉で泳ぐ全裸の牧師を覗き見て、ヘスターがときめく…というか欲情してしまうというもの。牧師を演じるのが、男臭さ溢れる若き日のゲイリー・オールドマンということもあって、ヘスターも牧師も、最初から「やる気満々」にしか見えないのである。 こうした“現代的アプローチ”に加えて、更に作品の混迷を深めるのが、ロバート・デュバルが演じるチリングワース。囚われの身の時に、先住民の霊性にすっかりハマった彼は、ヘスターに偏執狂的な脅迫を繰り返す。更には、シリアルキラーのような凶悪さを見せる。 クライマックスの展開は、原作から更に大きく離れる。何と、牧師が町に先住民の襲撃を呼び込んで、血生臭い殺戮シーンが繰り広げられるのだ。そしてラストは、ヘスターが我が子と牧師を伴って、更なる新天地へ旅立つのである。こんな形で“ハッピーエンド”を迎えて、開いた口が塞がらない観客が続出したというのも、むべなるかな。 この『スカーレット・レター』は、「緋文字」という“古典”に迂闊な“現代的アプローチ”を行って、惨事を招いた例と言える。それに対して、「緋文字」を“原作”としたわけではないが、“モチーフ”として“現代的アプローチ”を行い、大成功したのが、本作『小悪魔はなぜモテる?!』である。 ハイスクールを舞台とする本作の主人公、エマ・ストーンが演じるオリーヴは、非モテで目立たない女子高生。ある時ちょっとした弾みで、大学生と寝たと嘘をついたことから、噂に尾ひれが付いて、注目の的となってしまう。 そんな中で彼女は、ゲイでいじめられている同級生に同情して、「セックスした」フリをしてあげることに。それがきっかけとなって、続々とモテない男子たちから“偽装H”をリクエストされ、現金やクーポン券と引き換えに、彼らの願いを叶えていくこととなる。実際は処女のままなのに、親友からもアバズレ扱いされるようになったオリーヴは、開き直る。ちょうど授業で学んだばかりの、「緋文字」のヘスターに倣い、私服の胸元に「A」の赤い刺繍を縫い付け、ハイスクールを颯爽と歩くのだったが…。 ジャンル的には“青春コメディ”に分類される本作。17世紀を舞台にした「緋文字」の厳格且つ欺瞞的なピューリタン社会を、21世紀のハイスクールに、巧みに置き換えている。 オリーヴに表立って敵対するのは、「純潔こそ至高」とする、キリスト教原理主義の信徒の学生たち。しかしもっと手酷く彼女を傷つけるのは、無責任な噂からレッテル張りを行い、彼女の本当の姿を見ようとはしない、他の者たちなのである。また彼女の“嘘”に救われた者たちも、四面楚歌となって窮地に陥ったオリーヴを、助けようとはしない。その手前勝手さに、オリーヴは更に打ちのめされる。本作の原題は、『Easy A』。この「A」はもちろん、オリーヴの振舞いからもわかる通り、「緋文字」と同じく“姦通=adultery”の意味であるが、この原題は多重的な意味を持つ。「A」の前に、「性的に安易」という意味の「Easy」を付けることで、「オサセの女の子」を指す。それと同時に『Easy A』は、「楽々とAを取る」即ち「学校などの成績が優秀」という意味も持つのである。さて小説「緋文字」では、ディムズデール牧師がすべての真実を、町の人々の前で明らかにすることによって、物語が大団円へと向かう。本作『小悪魔…』では、冒頭から随時挿入されるオリーヴの一人語りが、実はこのディムズデールの告白に当たることが、クライマックスで明らかになる。牧師はすべてを語った後に、愛するヘスターの胸で最期を迎えたが、オリーヴがどんな結末を迎えるかは、皆さまがその目でお確かめいただきたい。 脚本のバート・V・ロイヤルの、ハイスクールを舞台に、「緋文字」をモチーフにした作品を作るというアイディアを、監督のウィル・グラックが、見事な“青春コメディ”に仕上げた、本作『小悪魔はなぜモテる?!』。製作費800万ドルという低予算の作品だったが、全世界で7,500万ドルの興行収入を上げるヒットとなった。本作が初めての単独主演だった、当時21歳のエマ・ストーンは、その魅力と芸達者ぶりを大いにアピール!この作品によって、スター街道を行くことが決定的となった。興味深いことに、先に挙げた『緋文字』と『スカーレット・レター』という、2本の映画化作品も、各々の主軸を為した関係者の、ターニングポイントとなっている。『緋文字』を「失敗作」と捉えたヴェンダースは、時代劇や歴史映画が不得手であることを自覚し、2度と手を出さなくなる。その代わり…というわけではないが、この作品の現場で、ヘスターの娘パールを演じたイェラ・ロットレンダーと、水夫役だったリュディガー・フォーグラーが仲良くなったのを見て、次作『都会のアリス』(73)の企画を思い付き、2人の主演で撮ることになる。そしてこの作品が、“ニュー・ジャーマン・シネマ”のムーブメントの中でも、ヴェンダースを「ロードムービーの巨匠」という位置に押し上げる第一歩となった。一方でデミ・ムーアは、『スカーレット・レター』の失敗を、ヴェンダースのようにプラスの方向には転じられなかった。1980年代中盤から『セント・エルモス・ファイアー』(85)などの作品で、“ブラット・パック”の青春スターとして人気を得た後、『ゴースト/ニューヨークの幻』(90)のメガヒットで、TOPスターの座に就いたデミ。90年代中盤、『スカーレット…』の前後から、“強い女性”を演じることへの執着が、見られるようになる。しかし『スカーレット…』に続く、『素顔のままで』(96)『G.I.ジェーン』(96)といった主演作も、期待されたような成果を上げられなかった。そんなことが重なって90年代末には、TOPスターからの陥落を余儀なくされてしまう。誰もが知ってるような“古典”の“映画化”には、やはりリスクが伴う。本作『小悪魔はなぜモテる?!』のような、聡明な翻案ならば、もちろん大歓迎であるが。■ 『小悪魔はなぜモテる?!』© 2010 Screen Gems, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2020.04.24
20年経っても変わらず胸を打つ、パク・チャヌク監督の出世作 『JSA』
韓国映画の面白さに取り憑かれたきっかけは、2002年の東京国際映画祭で『復讐者に憐れみを』(02年)を観て、そのあまりの傑作ぶりにぶっ飛ばされたからだった。そして、なぜ『復讐者に憐れみを』を映画祭でいち早く観たかというと、『JSA』のスタッフ・キャストによる新作だったからである。 考えてみれば『JSA』こそ、僕がいちばん最初に「心底面白いと思った“リアルタイムの”韓国映画」だったかもしれない。日本でも鳴り物入りで公開された話題作『シュリ』(99年)は確かに派手で面白かったが、あくまで「珍しい国から来た目新しいエンタメ大作」という印象だった。 しかし、『JSA』は違った。南北分断という韓国ならではのテーマを扱った点では『シュリ』と同じだが、映画としての完成度には雲泥の差がある。上質のドラマと、達者な俳優陣の演技、そして派手さに頼らない実直かつモダンな演出で魅せる、文句なしに面白い映画だった。いま観返しても、その印象は変わらない。時代を超えて胸に響く、本当によくできた映画だと改めて思う。 物語はこうだ。1999年10月のある夜、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の軍事境界線上にある共同警備区域(Joint Security Area=JSA)で、謎めいた銃撃事件が起こる。朝鮮人民軍の将校と兵士が、自軍の哨戒所で韓国軍兵士によって射殺されたのだ。現場に居合わせた人民軍下士官オ・ギョンピル(ソン・ガンホ)、容疑者の韓国軍兵長イ・スヒョク(イ・ビョンホン)の証言は大きく食い違い、真相究明のために中立国監視委員会から調査官が派遣される。かくして、朝鮮人の父を持つスイス軍少佐ソフィー(イ・ヨンエ)が板門店を訪れ、さっそく双方への聞き取り調査を開始。やがて目撃証言とはまったく異なる事実が浮かび上がる……。 いわゆる“藪の中”スタイルで、女性将校の視点から「その夜、何が起こったのか?」を解き明かしていくミステリードラマとして始まる第1幕。ひょんなことから知り合った韓国軍兵士と北朝鮮軍兵士の友情をユーモラスに描いていく第2幕。そして、事件の悲しい経緯が明らかにされる第3幕。観客の興味を巧みに惹きつつ、各章ごとにテイストを変え、時に語り手の視点まで変えながら、いっさい澱みなく進行していく三部構成がじつに見事だ。パク・ヨンサンによる原作小説『DMZ』(邦訳題『JSA 共同警備区域』、文春文庫刊)は、事件を通して捜査官の複雑なバックグラウンドを掘り下げていく物語だったが、映画では銃撃事件とその当事者に焦点を絞り、より明解かつ鮮烈に分断のもたらす悲劇を描くことに成功している。 それぞれにハマり役としか言いようのない俳優陣のアンサンブルも素晴らしい。まだ本格的ブレイクを迎える前のスターたち……頼れるアニキ感を漂わせつつ、北朝鮮軍のベテラン軍人を悠々と演じるソン・ガンホ。その若き同志に扮し、初々しいコメディリリーフぶりを見せるシン・ハギュン。精悍さのなかにデリケートな茶目っ気が溢れる韓国軍兵士役のイ・ビョンホン。ナイーブすぎる後輩兵士を訥々と演じるキム・テウ。彼らが等身大の兵士としてスクリーンに同居し、国家やイデオロギーの壁を越えて心を通わせ合う、その時間のなんと贅沢なことか! 凛とした美しさを放ちながら物語の牽引役を務める、イ・ヨンエの好演も印象深い。 イ・ビョンホン、ソン・ガンホを筆頭に、この映画から一気にスターダムを駆け上っていった者は少なくないが、なんといってもいちばんの出世頭はパク・チャヌク監督その人であろう。『JSA』を撮るまでの彼は、B級テイストと作家主義がちぐはぐに混ざり合う2本の低予算映画『月は…太陽の見る夢』(92年)『三人組』(97年)しか実績のない、無名の若手シネフィル監督だった。しかし、この作品で初めて大作規模のプロジェクトに取り組み、趣味性を封印した職人的アプローチで、万人に届く堅実なエンタテインメントを作り上げてみせた。『JSA』は彼が本来持ち合わせていた才能……娯楽性と芸術性を絶妙なバランスで両立させる演出スタイルを開花させ、のちの『オールド・ボーイ』(03年)や『お嬢さん』(16年)といった代表作の誕生につながっていく。そして、真っ向からヒューマニズムを描いた反動から『復讐者に憐れみを』という非情な傑作も生まれることとなった。監督の性格をよく知る人からは「別人が撮ったみたい」とまで評されたらしい『JSA』だが、いろいろな意味でその存在意義は大きかった。 大人の仕事を貫いたとはいえ、映画作家パク・チャヌクの刻印は随所にある。たとえば室内シーンにおける光と影のコントラストが際立つライティングは、兵士たちの証言の「二面性」を示唆すると同時に、いかにもシネフィルらしい往年のフィルムノワールへのオマージュでもある。あるいは、検死台に横たわる北朝鮮軍兵士の遺体の背面が、台のかたちにぺったり変形している不必要なまでに冷酷なディテール。似たような描写は『復讐者に憐れみを』にも、『JSA』監督起用のきっかけにもなった1999年の傑作短編『審判』(ソウル三豊百貨店崩落事故をモチーフに、病院の霊安室で起きるいざこざを描いたブラックコメディ)にもある。クライマックスの銃撃戦における、情無用の血飛沫エフェクトは言うまでもない。 また、原作では中年男性の設定だったスイス人将校を、映画では女性に変更している点にも注目したい。パク・チャヌク監督はのちのインタビューで「男の軍人しか出てこない映画なんて、むさくるしいでしょう?」とジョークを飛ばしつつ、「女性だという理由だけで相手を見下し、軽んじる軍隊社会の排他的性格も描きたかった」とも語っている。ソフィーが捜査官として有能さを発揮しながらも、それを否定され、曖昧な調査報告を要求される展開は、いま観ると『ボーダーライン』(15年)でエミリー・ブラントが演じたFBI捜査官の姿とも重なる。のちに『渇き』(09年)や『お嬢さん』で「抑圧された女性の解放」を描くことになるパク・チャヌクの問題意識は、20年前から一貫していたのだ。 さらに、パク・チャヌクは企画の初期段階で、兵士たちのドラマに同性愛的感情を盛り込もうと提案していたとも聞く。もしかしたら『JSA』には、軍隊内における性的マイノリティの葛藤、そして女性差別という「分断」も並列的に描かれていたかもしれない。実際、スヒョクを慕う後輩ソンシクの「男前ですね」というセリフや、無邪気にじゃれ合う南北兵士たちの姿には、その残り香がかすかに漂う。近年、韓国ノワール映画で描かれる男同士の愛憎劇を「萌え」として愛でる文化も、すでに本作から潜在的なかたちで表れていたのだ。 『JSA』は2000年6月に実現した南北首脳会談の3カ月後、9月9日に韓国で封切られ大ヒットを記録。南北融和ムードのなか、本作を観ることが一種の社会参加行事となるような空気が生まれ、一大ブームを巻き起こした。しかし、制作中は監督もプロデューサーも「北朝鮮に同情的である」といった理由で国家反逆罪に問われることまで覚悟していたそうだ(実際、パク・チャヌクはその後のパク・クネ政権下で「左翼的先導者の疑い」がある映画人としてブラックリストに載せられた)。監督としては、むしろ南北対立ムードが高まったタイミングで本作公開をぶつけたかったらしい。後日、『JSA』のフィルムは当時の北朝鮮最高指導者・金正日のもとにも送られ、高い評価を受けたという逸話もある。 それから20年、いまだに南北統一は実現していない。『JSA』の物語が真の意味で「過去」として語られる日も、残念ながら来ないままだ。 2017年、ソウル市立美術館で開催されたカルティエ現代美術財団の企画展「ハイライト」のために、パク・チャヌクは弟パク・チャンギョンとともに短編映画『隔世の感』を制作した。南楊州総合撮影所に現存する『JSA』の板門店のセットに、マネキン人形を置いて3Dカメラで撮影し、そこに『JSA』本編の音声などを被せ(なんと42台のスピーカーを駆使した超立体音響!)、時代の変化と進展しない状況を浮き彫りにする作品だという。日本ではまだ観る機会がないが、『JSA』ファンとしては否応なしに興味をそそられる一編だ。パク・チャヌク曰く、「いつかこの作品をピョンヤンで上映できたらいいね」。■ 『JSA』©myungfilm2000
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COLUMN/コラム2020.04.21
“遊び”の要素に満ちた、香り高い男の世界を、名匠ルネ・クレマンが独自のムードで描くロマンティック・ノワール!
『狼は天使の匂い』、監督はフランスの巨匠ルネ・クレマン。ギターで誰でも練習した『禁じられた遊び』(52年)、アラン・ドロンを世界的スターにした『太陽がいっぱい』(60年)のクレマン監督の知られざる傑作が『狼は天使の匂い』です。 主人公トニー(ジャン=ルイ・トランティニャン)は、フランス人のジャーナリストですが、取材で乗っていたヘリコプターが、ロマ(昔でいう“ジプシー”)の村に墜落して、少女を殺してしまいます。ロマは一族の掟で復讐のためトニーの命を狙い、トニーはカナダのフランス語圏モントリオールまで逃げます。そこで偶然知り合ったギャング団の仲間になっていきます。ギャング団のボス、チャーリーを演じているのはハリウッドの名脇役ロバート・ライアン。『ワイルドバンチ』(69年)が素晴らしかったですね。彼らギャング団は、ある事件の証人となる女性の誘拐を請け負います。 そう聞くとハードなサスペンス映画みたいですが、そうじゃない。この映画、まるで夢を見ているような「お伽話」として作られているんですね。『不思議の国のアリス』がモチーフになっています。 僕は公開当時、小学6年生くらいで、凄く感動したのは、子供の話から始まるからなんです。冒頭に、気の弱そうな男の子がいじめっ子たちに絡まれるプロローグがついているんですが、その子と同年代だった僕にはそれがリアルだったんです。 脚本はセバスチャン・ジャプリゾ、邦訳もあるミステリ作家ですが、脚本家としてもアラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンの『さらば友よ』(68年)や、やはりブロンソン主演でクレマン監督作の『雨の訪問者』(70年)などがあります。ジャプリゾの脚本には、ある特徴があります。それは他愛のない“ゲーム”のシーンが必ず入ってること。『狼は天使の匂い』でもゲームは非常に重要なものなので、注意して観て下さい。 この『狼は天使の匂い』は『不思議の国のアリス』で始まり、『不思議の国のアリス』で終わります。『アリス』は少女の夢ですが、本作は少年のような心を持ったヤクザな男たちの夢ですね。 彼らの子供っぽさを象徴するのがゲームです。ギャングの仲間に入れてもらえないトニーは、タバコを3本を縦に積み上げるゲームでギャングたちの尊敬を勝ち取ります。もうひとつ、ギャングたちは“丸めた紙くずを植木鉢に入れる”ゲームもします。これらは何を意味しているかというと、彼らにとっての犯罪は金のためじゃなく“遊び”なんだよと。禁じられているからこそ、その“遊び”をするんだということで、クレマン監督の『禁じられた遊び』にもつながってくるんですよ。 『狼は天使の匂い』ではアルド・レイもいい味出してますね。ガキ大将がそのまま大きくなったような大男で、『暴力脱獄』(67年)のジョージ・ケネディ的なグッド・バッドガイ。『ヒート』(95年)のトム・サイズモアの原型ですね。 これに非常に強い影響を受けたのが香港のジョニー・トー監督です。彼の『ザ・ミッション非情の掟』(99年)では、暗黒街のガンマンたちが無言で紙くずサッカーすることで絆を固め、『エグザイル/絆』(06年)でも、空き缶を撃ち続ける遊びがギャングたちの子どもっぽい友情を表現しています。『エグザイル/絆』のギャングたちは記念写真を撮るんですが、それも『狼は天使の匂い』からの引用です。 『狼は天使の匂い』という邦題は、狼のようなアウトローたちが実は天使のように純粋無垢だという意味を詩的に表していて素晴らしいと思います。 (談/町山智浩) MORE★INFO. ●映画はデヴィッド・グーディスのノワール小説「Black Friday」を、作家で脚本家のセバスチャン・ジャプリゾがルネ・クレマン監督のために脚本化。しかし、小説は設定だけを借りたジャプリゾのほとんどオリジナル。これをジャプリゾ自らがノヴェライズした『ウサギは野を駆ける』が映画公開時に翻訳され、原作は約30年後の2003年に映画と同じ『狼は天使の匂い』(早川書房)の題名で翻訳された。 ●日本公開時は英語吹替の99分版で上映された。オリジナル完全版は140分。 ●当初ボスのチャーリー役はリー・マーヴィンにオファーされたが、マーヴィンの推薦で友人でもあるロバート・ライアンに決定した。 ●ポールの妹ペッパー役は当初フランク・シナトラの娘クリスティーナが候補に挙げられていたが、ミア・ファローの妹ティサ・ファローに決まった。 ●冒頭のお菓子を食べる少女は、映画デビューとなるエマニュエル・ベアール(ノンクレジット)。
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COLUMN/コラム2020.04.17
ダニー・エルフマンが与えたゴスペルの調べ 『ミッドナイト・ラン』
何度聴いても泣いてしまう。映画『ミッドナイト・ラン』のオリジナル・サウンドトラック盤に収録された主題歌「Try to Believe」のことである。作詞・作曲は映画本編の音楽も手がけた作曲家ダニー・エルフマン。ティム・バートン作品やサム・ライミ作品の常連コンポーザーとして、映画ファンにはおなじみの人物だ。 『ミッドナイト・ラン』本編のエンディングには歌なしのインスト曲が使われているが、サントラ盤にはエルフマン自身が女性コーラスをバックに朗々と美声を聞かせるヴォーカル曲が収録されている。さながらゴスペル隊を率いた牧師姿のエルフマンがノリノリで歌う姿が目に浮かんでくるような、アップビートでありながら哀切さも滲む感動的な一曲だ。 歌詞のなかには、映画の主人公である賞金稼ぎジャック(ロバート・デ・ニーロ)と、マフィアの裏金と裏帳簿を持ち逃げした会計士デューク(チャールズ・グローディン)のドラマを想起させるような言葉が並んでいる。たとえばこんな一節。 「隠れたほうが楽だというときに/他人を信じることなんて簡単にはできやしない/信じることは難しい/僕らが信じようと努力しないかぎり」 そして、曲の終盤にはこんな歌詞もある。本編を観ている人なら、もうこの時点で涙腺決壊まちがいなしだ。 「失くしたけれど取り戻せるものはあると、もし僕が言ったら?/ずうっと昔に脇へ押しやってしまった夢があるのを、君は覚えているだろう/捨ててしまったおもちゃと、流さなかった涙とともに/僕らはそれを取り戻すことができるんだ、信じようと努力すれば」 ふたりの中年男が繰り広げる珍道中を描いた『ミッドナイト・ラン』は、笑いとアクション満載の傑作バディコメディであるとともに、自分を負け犬だと思い込み、やさぐれた人生を送る人物が「再生」のチャンスを与えられるファンタジーでもある。 一匹狼の賞金稼ぎジャックに人生最大級の災難をもたらすデュークは、かつてジャックが他人から受けた手ひどい裏切りのなかで捨ててしまった「良心」や「善性」の象徴だ。このままL.A.へ連れ戻せば、おそらくデュークはマフィアの非情な報復を受けるだろう――その運命からから目をそらし、仕事と割り切って彼を護送するジャックの心を、愛想は悪いが憎めない大型犬にも似たデュークのつぶらな瞳がチクチクと刺激し続ける。最終的に、デュークはジャックが過去のわだかまりを捨て、新たな人生を踏み出すための「善行」へと彼を導いていく。ついでに、再出発を祝う餞別も添えて……。 ラストシーンで忽然と姿を消すデュークは、ジャックにとっての“天使”だったのかもしれない。そんな寓話的ニュアンスが作品に奥行きを与え、いまも多くのファンを魅了し続けているのだろう。『ミッドナイト・ラン』が嫌いという映画ファンには、人生で一度も会ったことがない。 ドラマに隠された「聖性」ともいうべきニュアンスを的確に掴み、大いに作品の成功に貢献しているのが、ダニー・エルフマンの音楽である。飄々としたユーモアと哀愁が漂うブルースの調べを基調に、時にカントリーミュージック調の遊びを加えて場面を軽快に盛り上げ、必要とあらばシリアスなサスペンススコアで要所を引き締める。なかでも、ひときわ印象的なのが「Try to Believe」でも高らかに響き渡る、ゴスペル調のピアノを中心とした熱いバンドセッションだ。それは男たちの言葉には出さない友情を表したメロディと言ってもいいし、天使が投げかける優しいまなざしを音にしたようでもある。「Try to Believe」がはっきりとゴスペル・ソングとして作られているのは、改心と再生を果たしたジャックへの「祝福」の意味も込められているからだろう。本当に自由を得たのは、手錠を解かれたデュークではなく、ジャックのほうだから。 東海岸から西海岸へ、ふたりが移動するたびに次々と変化していくアメリカの情景のように、音楽もまた実に表情豊かに映画を彩り続ける。ユーモラスに、アクティブに、時にメロウに、時にシリアスに……その曲調の引き出しの多さが、ドラマの起伏を際立たせ、何度観ても飽きのこない面白さを作品に与えている。エルフマンの幅広い音楽性、天才的メロディメイカーとしての技が存分に発揮された『ミッドナイト・ラン』は、彼の最高傑作のひとつだ。 作曲家ダニー・エルフマンの才能は、兄リチャードに誘われて異能の音楽&演劇パフォーマンス集団「オインゴ・ボインゴ」に参加したときから、縦横無尽に開花していった。禁酒法時代のジャズから80年代ニューウェーブまで多種多様なジャンルが混沌と入り乱れるパワフルなサウンドは、彼らの世界観を凝縮したミュージカル映画『フォービデン・ゾーン』(80年)と、8枚のアルバムに結実。ジョン・ヒューズ監督の『ときめきサイエンス』(85年)冒頭を飾る主題歌「Weird Science」、トビー・フーパー監督の『悪魔のいけにえ2』(86年)冒頭のレザーフェイス襲撃シーンに流れる「No One Lives Forever」など、映画ファンの耳にこびりついた名曲も少なくない。 ちなみに、オインゴ・ボインゴはマーティン・ブレスト監督の初長編『Hot Tomorrows』(77年)にも出演しており、劇中ではステージで熱唱する若きエルフマンの姿も見ることができる。その後、ブレスト監督は『ビバリーヒルズ・コップ』(84年)で大ブレイクし、サントラ盤にはエルフマンのソロ曲「Gratitude」が収録されたが、なぜか本編では使われなかった。次作『ミッドナイト・ラン』での起用の裏側には、そんな両者の長年にわたる関係があったのだ。 エルフマンは「オインゴ・ボインゴ」のリーダーとしての活動と並行して、ティム・バートン監督の『ピーウィーの大冒険』(85年)でプロの映画音楽家としても活動をスタート。『ミッドナイト・ラン』は、それからわずか3年後に放った傑作だ。しかも、同年にはバートンの『ビートルジュース』、リチャード・ドナーの『3人のゴースト』ほか全部で5本の作品を手がけており、翌年にはあの『バットマン』のサントラを世に放つ。まさに彼のキャリアにおいてターニングポイントとなった時期だった。 ダークなゴシック・テイストと勇壮さを併せ持ち、作品のフィクション性を堂々と際立たせる『バットマン』のオーケストラスコアは映画業界に強烈なインパクトをもたらした。バートンとはその後も『シザーハンズ』(90年)や『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(94年)など数多くの傑作を生みだし、鉄壁のコンビネーションを確立。また、後年にはサム・ライミ監督の『スパイダーマン』シリーズ(02~07年)や、アン・リー監督の『ハルク』(03年)でも音楽を担当。現在に至るアメコミヒーロー映画音楽の定番イメージを作り上げたのは、間違いなくエルフマンの功績と言っていいだろう。 しかし、『ミッドナイト・ラン』で彼が聴かせてくれたアメリカンな土着性が匂い立つ軽妙なコメディ音楽という方向性は、その後のエルフマンのキャリアにおいては、あまり開拓されなかった感がある。その意味でも『ミッドナイト・ラン』の仕事は貴重だし、当時のエルフマンがいかに大きなポテンシャルを持っていたかを思い知らされる一作である。 ちなみに本作のサントラCDは流通枚数が少ないらしく、ブツとして手に入れるのは残念ながら難しい(ただし、動画サイトなどを検索すると、こうパパッと……)。名曲「Try to Believe」は、1990年にリリースされたオインゴ・ボインゴのアルバム『Dark at the End of the Tunnel』にも別アレンジ・バージョンが収録されているので、興味のある方はぜひ。■ 『ミッドナイト・ラン』© 1988 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2020.04.10
正義の代償がデカすぎる!訴訟の裏側を暴く地味だけど豪華な名作 『シビル・アクション』
日本では2000年に劇場公開された(アメリカでは1998年)『シビル・アクション』は、ロバート・デュヴァルがアカデミー賞の助演男優賞に、コンラッド・L・ホールが撮影賞にノミネートされるなど非常に高い評価を得た。しかしながらアメリカでも日本でもヒットしたとは言いがたく、そのクオリティに見合う評価を得られているとは思えない。一体なぜなのか?本作は、1980年代のとある環境汚染訴訟を描いたノンフィクションを原作にしている。プロットはシンプルだ。個人事務所の弁護士が、大企業と大手弁護士事務所を相手に戦いを挑む。奇しくも同年に日本公開された『エリン・ブロコビッチ』(2000)にも似ているが、胸のすくような痛快作だった『エリン・ブロコビッチ』とは対照的に、なんとも苦い後味を残す。決して虚しい敗北を描いた映画ではないのだが、やるせなさの度が過ぎているのだ!(翻って、現実の厳しさをこれでもかとばかりに描ききった傑作ということでもある) ジョン・トラヴォルタ演じる主人公のジャン・シュリクマンは、巨額の和解金をもぎ取る剛腕が売りの民事弁護士。メディアに出る機会も多く、“ボストンで一番結婚したい男”に選ばれた人気者だ。ある日ラジオ番組で法律相談をしていると、ジャン宛てにクレームの電話が入る。白血病で息子を亡くした母親が、土壌汚染の責任を追求して欲しいと連絡したのに、事務所から無視されているというのだ。 実際ジャンは「カネにならない仕事だ」と断るつもりだったのだが、汚染の原因が大企業傘下の皮革工場と知って考えを変える。相手がデカければ和解金もデカい。野心満々で請けた仕事だったが、訴訟相手のベテラン弁護士からタカリのように扱われ、侮蔑を感じたことから訴訟への本気度を増していく。訴訟費用が膨らみ続ける一方、ジャンは取り憑かれたように全面勝訴を求めるようになり、事務所も財産も失っていく……。 弁護士の仕事を描いた映画は山程あるが、これほど「理想と現実」のギャップに注視した作品も珍しい。民事訴訟は有罪を立証するが目的ではなく、和解金のために駆け引きをするもので、弁護士たちは彼らのルールに従ってゲームをしている。そしてゲームの勝敗より正義を求めようとすると、システム全体が牙を向いて襲いかかってくるのである。 “正義を求める”と言っても、ジャンが強欲弁護士から正義の番人に転じたという単純な話ではない。おそらくジャン自身も、どうしてこの訴訟にこだわるのかわかっていない。プライドを傷つけられたからか、被害者を思いやる心が芽生えたか、単に引っ込みがつかなくなったのか。何度妥協点が見つかりそうになってもジャンは首を横に振り続ける。仲間たちもジャンの変貌に戸惑うばかりだ。 この飛びぬけてどんよりした物語に(映像的にもみごとに曇天の場面ばかりだ)不思議と惹き込まれてしまうのは、いぶし銀の撮影と名優のアンサンブルに拠るところが大きい。前述したように撮影監督はコンラッド・L・ホール。60年代には『冷血』(1967)や『明日に向かって撃て!』(1969)で天才ぶりを遺憾なく発揮し、本作の翌年にはサム・メンデスの『アメリカン・ビューティー』(1999)で老いても衰えぬセンスの冴えを見せつけた男だ。本作でも緊張感と格調の高さを兼ね備えた映像が素晴らしく、地味なのにゴージャスという得難い魅力を作り出している。 そして20年以上を経た今になって観直すと、実力派をそろえた超豪華な顔ぶれであることに驚く。主演のトラボルタ、老獪なライバル弁護士を怪演したロバート・デュヴァルに加えて、事務所の経理担当にウィリアム・H・メイシー、皮革工場で働く告発者の一人にジェームズ・ガンドルフィーニ、裁判の判事にジョン・リスゴーとキャシー・ベイツ、企業重役にシドニー・ポラック。原告の女性の痛みと決意をみごとに演じたキャスリーン・クインランもオスカー候補経験者であり、映画ファンなら溜息が出るような面々なのだ。 超一流のスタッフとキャストを監督として束ねたのは、デヴィッド・フィンチャー、マーティン・スコセッシ、リドリー・スコットらの信頼も厚い名脚本家として知られるスティーヴ・ザイリアン。監督作は三本と少ないが、本作を観れば演出の手腕は明らか。改めて、この地味シブな逸品に再評価の光が当たってくれることを願うばかりである。■ 『シビル・アクション』© Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2020.04.07
詩人ジャン・コクトーの芸術美学が詰め込まれた“大人のための御伽噺”。『美女と野獣(1946)』
原作『美女と野獣』とは…? フランスを代表する詩人であり小説家にして、戯曲家、画家、彫刻家、映像作家などなど、芸術的な好奇心と想像力の赴くままに様々な分野で類稀なる才能を発揮し、20世紀フランスの芸術文化に偉大な足跡を残した天才ジャン・コクトー。その彼が、第二次世界大戦の悪夢によって荒廃した人心を癒す“大人のための御伽噺”として制作し、後のディズニー・アニメ版『美女と野獣』(’91)にも少なからず影響を与えた作品が、この溜息が出るほどに幻想的で耽美的で、ほのかに官能的ですらある元祖映画版『美女と野獣』(’46)である。 原作は18世紀のフランス貴族ヴィルヌーヴ夫人が、1740年に発表した同名の御伽噺。『妖精物語』で知られるドーノワ夫人を筆頭に、17世紀後半~18世紀のパリ社交界では貴族のご婦人方が子供向けの御伽噺を出版することが流行った。それは一見したところ裕福な貴族女性の道楽みたいなものだったが、しかし同時に当時の封建的な貴族社会に対する彼女たちなりのささやかな抵抗という側面もあったと言えよう。しばしば彼女たちは、御伽噺のストーリーに家父長制や男女の不平等に対する痛烈な風刺を込め、抑圧された女性ならではの不満や願望をファンタジーの世界に投影していた。実際、ヴィルヌーヴ夫人の執筆したオリジナル版『美女と野獣』では、ベルおよび野獣それぞれの生い立ちに関する“秘密”が描かれているのだが、そこには当時の貴族社会で当たり前だった政略結婚への不満や、女性の経済的・社会的な自立に対する強い願望が見て取れる。 ただし、現在広く知られている『美女と野獣』の物語は、ヴィルヌーヴ夫人版を簡潔に短縮したボーモン夫人版である。ロンドン在住のフランス人家庭教師だったボーモン夫人は、教え子たちに読み聞かせることを念頭に置いて、自己流にアレンジした『美女と野獣』を1756年に出版。その際に彼女は原典の風刺的な要素をざっくりと取り除き、登場人物や設定をシンプルにすることで、典型的なシンデレラ・ストーリーとしてまとめ上げたのである。その粗筋はこうだ。 とある屋敷に住む裕福な商人には、3人の息子と3人の娘がいる。息子たちは兵隊に出ていて留守。娘たちはいずれも器量良しだったが、しかし最も美しいのは知的で心優しい末っ子のベルで、そのため傲慢で見栄っ張りな姉たちは彼女のことを嫌っていた。あるとき町へ向かった商人は、その帰り道に夜の暗い森で迷ってしまう。たまたま見つけた無人の城で温かい食事にありついた彼は、ベルが土産にバラの花を欲しがっていたことを思い出し、庭に咲いているバラを1輪摘んで持ち去ろうとしたところ、そこに城の主である野獣が現れた。恩を仇で返すのかと商人に迫る野獣は、命と引き換えに娘を差し出すよう要求。帰ってきた父親から話を聞いたベルは、自分が身代わりになろうと野獣のもとへ赴く。彼女の美しさに平伏す野獣。はじめこそ野獣の醜い姿を見て慄くベルだったが、やがて彼の純粋な心に惹かれていく。だが、大好きな父親に会いたい気持ちは募るばかり。そこで彼女は、1週間という期限付きで実家へ戻ることとなる。ところが、意地悪な姉たちはベルを引き留めようと画策。自分の不在中に野獣が衰弱していると知ったベルは、すぐに城へ戻って瀕死の野獣に愛を告白する。そのとたん、呪いの解けた野獣は彼女の目の前でハンサムな王子様に戻り、2人は結婚して末永く幸せに暮らしました…というわけだ。 コクトーと盟友ベラールの作り上げた幻想美の世界 そんな18世紀の古典的な御伽噺を、初めて長編劇映画化したのがジャン・コクトー。基本的な設定やストーリーはボーモン夫人版に忠実だが、最大の違いはヒロインのベル(ジョゼット・デイ)に横恋慕する美青年アヴナン(ジャン・マレー)の存在であろう。映画版に登場する商人の子供たちは娘3人に息子が1人。その放蕩息子ルドビック(ミシェル・オークレール)の悪友がアヴナンだ。ベルが1週間の約束で実家へ戻って来た際、2人の姉はお姫様のような美しい身なりの妹に嫉妬し、多額の借金を抱えたルドビックは野獣(ジャン・マレー2役)の城に眠るという財宝に関心を示すわけだが、ベルが野獣に心惹かれていると気付いたアヴナンは彼らを焚きつけ、野獣を殺して財宝を奪おうと計略を立てる。醜い容姿に美しい心を持つ野獣と、美しい容姿に醜い心を持つアヴナン。この両者を対比させることによって、コクトーは本作を単なるシンデレラ・ストーリーではなく、より深い示唆に富んだ純愛ドラマへと昇華させていると言えよう。 コクトーが本作の構想を練り始めたのは戦時中のこと。詩人として夢や空想の世界を通して真実を語ることを信条としていた彼は、ナチ・ドイツの侵略を受けたうえ、激しい戦火に見舞われ疲弊しきったフランス国民に必要なのはファンタジーだと考え、幼い頃に乳母から語り聞かされた『美女と野獣』の映画化を思いついたのだという。脚本が完成したのは終戦間際の’44年3月。野獣と王子、そしてアヴナンの3役は、当時コクトーの恋人でもあった二枚目俳優ジャン・マレーを当初から想定していた。映画会社ゴーモンとの交渉にはマレーのほか、当初からベル役を熱望していた女優ジョゼット・デイや作曲家ジョルジュ・オーリックらも同席し、’45年6月より撮影がスタートすることとなる。ところが、しばらくしてゴーモンからの出資が役員会議によって反故にされてしまった。理由は「モンスターの出てくる映画など当たるはずがない」から。やはり、当時のファンタジー映画に対する認識・評価はその程度のものだったのだろう。 そこでコクトーが企画を持ち込んだのが、脚本を手掛けた映画『悲恋』(’43)のプロデューサーだったアンドレ・ポールヴェ。脚本の読み合わせに同席した夫人が感動で涙を流したことから、妻の意見を尊重するポールヴェが自身のプロダクションでの制作を決めたと伝えられている。こうしてゴーサインの出た『美女と野獣』だったが、しかし戦前に50分強の中編実験映画『詩人の血』(’30)を発表していたとはいえ、コクトーにとって本格的な長編劇映画を演出するのはこれが初めて。しかも、大掛かりなセットや衣装、特殊効果を駆使するファンタジー映画である。自分一人では心もとないと感じたコクトーは、当時処女作『鉄路の闘い』(’46)を準備中だったルネ・クレマンにテクニカル・アドバイザーとして演出のサポートを依頼。さらに、コクトー自身が全幅の信頼を置く親友の一人、クリスチャン・ベラールに、本作で最も重要な位置を占める美術セットと衣装のデザインを任せることにする。 もともとシュールレアリスムの画家としてキャリアをスタートしたクリスチャン・ベラールは、ココ・シャネルやニナ・リッチなどのファッション・イラストレーター、クリスチャン・ディオールのショップ・デザイナー、バレエ・リュスのポスター・デザイナーとして活躍した人物だが、特に評価が高かったのは舞台演劇における豪華絢爛で想像力豊かな美術や衣装のデザインだった。そんな彼が知人を介してコクトーと知り合ったのは’25~’26年頃。どちらも当時はまだ珍しいオープンリー・ゲイだった2人は、芸術的な感性が似通っていたこともあり意気投合し、コクトーは自身の舞台劇の美術と衣装を彼に任せるようになる。映画未経験のベラールを『美女と野獣』のスタッフに加えることに現場からは異論もあったそうだが、しかし自身のイマジネーションを具現化するために必要不可欠な存在であることから、コクトーは周囲の反対を押し切って彼を起用したという。野獣の特殊メイクデザインも実はベラールの仕事。いわば作品全体のビジュアル・コンセプトを一任されたわけで、本作のオープニングでベラールが「イラストレーター」としてクレジットされている理由はそこにある。 本作でコクトーがベラールを介して表現しようとしたのは、その神秘的な作風が日本でも人気の高い版画家ギュスターヴ・ドレがシャルル・ペローの童話集のために制作した挿絵の世界観。実際、野獣の棲む森や城のシーンには、ドレのイラストにソックリなショットが幾つも出てくる。また、ベルが暮らす実家ののどかな日常風景は、ヨハネス・フェルメールやピーテル・デ・ホーホといったオランダ黄金時代の画家からインスピレーションを得た。女性たちが身にまとう豪奢なコスチュームは、まるでベラスケスやゴヤなど宮廷画家たちの肖像画を彷彿とさせる。廊下の壁から生えた人間の手が燭台を支えていたり、暖炉を囲む彫刻がよく見ると本物の人間だったりと、独創的かつ奇抜な美術セットのデザインにも驚かされる。 そんな摩訶不思議なダーク・ファンタジー的世界を、モノクロの陰影を強調した照明と流れるように滑らかなカメラワークで幻想的に捉えたのが、『ローマの休日』(’53)や『ベルリン・天使の詩』(’87)でも知られる名カメラマン、アンリ・アルカン。コクトーは当初、『詩人の血』で組んだジョルジュ・ペリナルを希望していたが、スケジュールが合わないためクレマンの推薦するアルカンが起用された。この夢と現実の狭間を彷徨うかのごとき、マジカルでシュールレアリスティックな映像美こそ、本作が数多の子供向けファンタジー映画と一線を画すポイントと言えよう。また、コクトーが庇護した作曲家集団「フランス6人組」の一人、ジョルジュ・オーリックによる華麗な音楽スコアもロマンティックなムードを高める。 こうして完成した『美女と野獣』は、出品されたカンヌ国際映画祭でこそ受賞を逃したものの、批評家からも観客からも大絶賛され、権威あるルイ・デリュック賞にも輝く。あのウォルト・ディズニーも本作の高い完成度にいたく感銘を受け、当時構想していた『美女と野獣』のアニメ化企画を諦めたと言われる(その40数年後に映画化されるわけだが)。当のコクトー自身は初めての長編劇映画ゆえ、どう受け取られるのか心配だったらしく、初号試写では緊張のあまり隣に座った親友マレーネ・ディートリヒの手を握りしめ続けていたそうだ。面白いのは、当時は心優しい野獣に同情や親しみを感じるあまり、最後にハンサムな王子様へ変身したことを不満に思う観客も少なくなかったらしい。あの大女優グレタ・ガルボが「私の野獣を返して!」と言ったのは有名な逸話だが、実際に観客からも抗議の手紙が多数舞い込んだそうだ。 これだけある!バラエティ豊かな映像版『美女と野獣』 ちなみに、恐らく今の日本の映画ファンにとって『美女と野獣』といえば、ディズニーによる’91年のアニメ版と’17年の実写版が最も親しまれていると思うが、このコクトー版の大成功を皮切りに、これまで数多くの映画化作品が作られている。その一つが、B級モンスター映画で有名なエドワード・L・カーン監督が撮った『野獣になった王様』(’62)。これは日没とともに野獣となってしまう呪いをかけられた若き王様が、王座を狙う宮廷内の陰謀をかわしつつ、心美しき婚約者のお姫様の愛によって救われるという、原作を大胆に改変したファンタジー映画で、特殊メイクをユニバーサル・ホラーで有名なジャック・ピアースが手掛けていることもあり、野獣が狼男にしか見えないという珍品であった。 ほかにも、ジョン・サヴェージとレベッカ・デモーネイが主演したキャノン・フィルム版『Beauty and the Beast』(’87・日本未公開)は、原作をミュージカル仕立てでほぼ忠実に再現した正統派。フランスでもヴァンサン・カッセルとレア・セドゥを主演に迎えた『美女と野獣』(’14)が作られている。さらに、『美女と野獣』のコンセプトを現代に置き換えた、ヴァネッサ・ハジェンズとアレックス・ペティファー主演の青春ファンタジー『ビーストリー』(’11)という作品もあった。現代版『美女と野獣』と言えば、’80年代に人気を博したリンダ・ハミルトン主演のテレビ・シリーズ『美女と野獣』(’87~’90)および、そのリメイクに当たる『ビューティ&ビースト/美女と野獣』(’12~’16)も忘れてはならないだろう。 また、実はボーモン夫人の原作の舞台をロシアに置き換えてアレンジした小説も存在する。それが、帝政ロシアの文学者セルゲイ・アクサーコフが1858年に出版した『赤い花と美しい娘と怪物の物語』。こちらもソ連時代に映画化され、アニメ版(’52年)と実写版(’78年)が作られているが、どちらも残念ながら日本では公開されていない。そうそう、旧東欧版『美女と野獣』といえば、チェコの鬼才ユライ・ヘルツによる『鳥獣の館/美女と野獣より』(’78)もカルト映画として有名。そのタイトルの通り、巨大な鳥の姿をした野獣のビジュアルがインパクト強烈で、ストーリー自体はボーモン夫人の原作にほぼ忠実であるものの、東欧映画独特の悪夢的な映像美がとてもユニークな作品だ。 『美女と野獣(1946)』© 1946 SNC (GROUPE M6)/Comité Cocteau