【特別記事】志磨遼平×宇野維正×森直人が語り合う、ヴィム・ヴェンダース、ミニシアターブームとその時代(後編)

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【特別記事】志磨遼平×宇野維正×森直人が語り合う、ヴィム・ヴェンダース、ミニシアターブームとその時代(後編)
リアルサウンド映画部とのタイアップによる鼎談の後編。後編では、今振り返ることで見えてくる「夢の涯てまでも」の魅力、U2との蜜月、そしてベルリンの壁崩壊〜東西ドイツ再統一が示唆していたことを語り合う。

提供:リアルサウンド映画部
取材・文=麦倉正樹 写真=池村隆司
――ということで、ヴェンダースの映画の中でも、ある意味もっとも問題作と言っていい『夢の涯てまでも』(1991年/日本公開は1992年3月)について、いろいろと聞いていきたいのですが……。
宇野:いろんな意味で、評価が分かれる映画ではあったよね。日本での公開規模も、もはやいわゆるミニシアターの映画ではなくなり、結構な規模で公開されたね。今回取り上げる4作品で言ったら、前者2本『パリ、テキサス』と『ベルリン・天使の詩』と、後者2本『夢の涯てまでも』と『時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!』(1993年/日本公開は1994年5月)の間では、いろんなものが変わった。

森:まあ、そうですよね。

宇野:ヴェンダース自身が変わったというよりも、彼を取り巻く状況というか、彼の映画の観られ方自体が、変わったのかもしれない。

――「ミニシアターブーム」と『ベルリン・天使の詩』のヒットという追い風もあって、ヴェンダースの新作に対する注目度と期待感が、当時すごく高まっていたように記憶しています。

宇野:そうだよね。あと『夢の涯てまでも』に関して、日本の映画好きに影響を与えてしまったのは、映画評論家の淀川長治さんが、あの映画を観てブチ切れてしまったという有名な出来事があった。その詳細はともかくとして、要は「この映画は、人間を馬鹿にしている」って言ったんだよね。(参照:『淀川長治映画塾』講談社文庫)

志磨:ああ……。

宇野:淀川長治さんのような、それまでのヴェンダース作品は高く評価してきた影響力のある映画評論家が、いきなり掌を返してそこまで強く批判したというのは、すごくインパクトが大きかったんですよ。まあ、確かに『夢の涯てまでも』は、ちょっと狐につままれたような感じのする作品ではあったけどさ……。

森:当時の流れの中であの映画観た人は、ちょっと戸惑ったというか……世界を股にかけたSF超大作みたいな感じの映画だったじゃないですか。今の話を聞いていて思い出しましたけど、淀川先生だけでなく、当時ヴェンダースを熱心に称揚していた批評家の方々も、やはり『夢の涯てまでも』には相当戸惑ったと思うんですよ。そのせいか「この映画は、2時間半では短すぎる」という擁護論がたくさん出ていた(笑)。当時、僕らが観ていたのは、158分のバージョンだったので。

志磨:あ、じゃあ、今回配信される288分のディレクターズカット版は……。

森:当時は、誰も観てないと思います。「本当は5時間ぐらいあるらしい」という話だけは、当時から聞いていたんだけど。だから、ヴェンダース愛の強い識者ほど、「これは何かの間違いだ」とか「完全版を観ないと、この映画の真価は測れない」みたいな心理が働いたんじゃないかなと(笑)。それぐらいファンのあいだでも底抜け大作的な違和感があった映画なんですよね。
志磨:なるほど。逆に僕は、その2時間半版のほうを観ていなくて、このタイミングで初めて5時間版のほうを観てすごく感動したんですよ。

――そう、このタイミングで志磨さんには、今回配信される288分のディレクターズカット版のほうを観ていただいたのですが、いかがでしたか?

志磨:ものすごく面白かったです。「人間を馬鹿にしている」という淀川さんのコメントとは真逆の印象を持ったというか。後半に、夢を映像化するマシーンみたいなものが出てくるじゃないですか。つまり、他者とは共有できない「夢」や「記憶」をスクリーンに映し出すことができれば、誰でも、何度でもそれを追体験できるという。でも、映画を撮るという行為は、すでにそれそのものなんじゃないでしょうか。ヴェンダース自身が身を捧げていること、そのものというか。
――なるほど。終盤の展開には、そういう自己言及的な問い掛けが、ちょっとあったような気もします。

志磨:そうなんですよ。そのまま登場人物たちは自分の夢に浸ってばかりで、外の世界にだんだん目を向けなくなっていくという。ストーリー的には人類存続の危機みたいな状況なのに(笑)。

――そうでした(笑)。

志磨:それぞれが持ち寄った楽器で、毎日呑気にセッションしたり(笑)。序盤の、世界を股にかけた逃亡劇みたいなのはなんだったんだ? っていう(笑)。途中はのんびり箱根の旅館に逗留したりするし(笑)。

――その旅館の主人が、なぜか笠智衆さんだったりするという(笑)。
志磨:そうそう(笑)。でも冗談じゃなく、そういう当初の目的みたいなものを、登場人物たちも僕たちも、みんながなんとなく失っていく、忘れていくというのが、実はこの作品の大きいテーマにも思えるんですよね。それがひいては、ひとつの人生論のようにも思えてきて。「これはすごい」と。

宇野:実は再評価されるべき作品なのかもしれないね。そうやって、人々があるデバイスにハマり込んで、だんだん外の世界が見えなくなる感じというのは、今の時代で言ったら、スマホのメタファーにも思えるし。

森:そうですよね、ちょっと5時間版のほうも観たほうがいいかもしれない。僕は公開時に、2時間半版のほうを観たきりなので。さっきヴェンダースというのは、基本的に変な映画を撮る人なんだという話をしましたけど、『夢の涯てまでも』の企画って、実は『ベルリン・天使の詩』の前からあったみたいなんですよね。それがいろんな理由で延期になって、急遽『ベルリン・天使の詩』を撮ることになったとか……確か、そんな話でしたよね?

――みたいですね。『夢の涯てまでも』は、構想10年じゃないですけど、ヴェンダースが長年温め続けていた念願のプロジェクトだったとか。

森:テリー・ギリアムにとっての『ドン・キホーテ』みたいな(笑)。

宇野:(笑)。それが、日本のお金でできちゃったという(笑)。だってこれ、すごいですよ。サントリー、アスキー、三菱商事、電通が「提供」で、「技術協力」がソニー、NHKっていう。

森:まさに、バブルの産物というか……。

宇野:そういうものは逆に、今の日本では失われているものだから、この時代にしか生まれなかった作品という意味で、この完全版のほうを、もう一回観直してみる必要はあるのかもしれない。

――あと、『夢の涯てまでも』に関して、ひとつ覚えているのはサントラ盤が、結構ヒットしたんですよね。

志磨:この時代を代表するアーティストが大集結してますからね。

森:これは、売れるでしょう。確かみんな、ほぼ書き下ろしの新曲だったんですよね。

宇野:デペッシュ・モード、エルヴィス・コステロ、R.E.M.、トーキング・ヘッズ、ルー・リード、ニック・ケイヴ、U2……そうか、U2が主題歌を書き下ろしたんだっけ?
――そうですね。U2のアルバム『アクトン・ベイビー』(1991年)にも、同曲「夢の涯てまでも」が収録されています。

宇野:で、この作品以降、ヴェンダースはU2とちょっとシンクロしていく。U2っていうバンドも、アイルランドのダブリンから出てきて『WAR』(1983年)の頃とかは、イギリスで絶大な人気を誇っていたんだけど、そのあとアメリカに行って『ヨシュア・トゥリー』(1987年)以降、アメリカで大ブレイクするとイギリスのメディアでは、ほとんど無視されたんですよね。で、それと近いようなことが、ヴェンダースにも言えて、シネフィルのある種「守護神」みたいな感じだったのが、気がついたらジャパンマネーで、めちゃくちゃスケールのでかい映画を作っているという(笑)。

志磨:なんか、だんだんヴェンダースの当時の評価というか、立ち位置みたいなものが、わかってきました(笑)。

――(笑)。あと、テクノロジーに対する興味みたいなところでも、きっとU2のボノと意気投合するところがあったんでしょうね。

宇野:そうだね。『アクトン・ベイビー』以降というか、「ZOO TV ツアー」以降、U2のステージがどんどん大掛かりで派手なものになっていって。そういうテクノロジーフェチみたいなところでも、当時リンクしたんだと思う。テクノロジーが好きで、あと政治が好きっていう。まあ、ヴェンダースは西ドイツの作家だから、あの時代にものをつくるってなったら、ドイツ人として東西問題は絶対避けて通れなかったと思うんだけど。『ベルリン・天使の詩』は、まさにそういう映画でもあったわけで。

森:そういう意味で言ったら、僕、今回の4作品では『時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!』を、ちょっと観返したいと思っていて。ヴェンダース自身は、“『ベルリン・天使の詩』の続編”という言い方は嫌っているみたいですけど……。

志磨:僕、これも今回初めて観ましたけど、めちゃくちゃ続編でしたよ。

森:そう、めちゃくちゃ続編なんだけど(笑)。

――ただ、そのあいだに「ベルリンの壁」が崩壊して、1990年の10月には、東西ドイツが再統一しているんですよね。

志磨:あ、なるほど。そういうタイミングなんですね。

森:そう、1989年の11月に「ベルリンの壁」が崩壊したから、『ベルリン・天使の詩』は、ベルリンの西側で撮っているんですよね。でも、『時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!』は、アレクサンダー広場とかだから、ベルリンの東側で撮っている。だから、この2つは対照的なワンセットとも言えるし、突然ゴルバチョフが出てくるところも含めて、ヴェンダースが本気でギアを入れているのは、実は『時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!』のほうかもしれないですよね。
宇野:U2の「ステイ(ファラウェイ、ソー・クロス!)」って、それの主題歌だったんだっけ?

――そうですね。この映画の主題歌として、書き下ろした一曲だったかと。U2のアルバム『ZOOROPA』(1993年)にも収録されています。

宇野:「ステイ(ファラウェイ、ソー・クロス!)」は名曲だよね。U2の中でも個人的には5本の指に入るぐらい好きな曲で、むしろ「ファラウェイ・ソー・クロース!」って言ったら、そっちのほうを思い浮かべるようになってしまったんだけど(笑)。

森:主題歌という意味でも、この2作品はヴェンダースとU2の蜜月時代の映画だったというか。あ、そのあとU2のボノ原案の映画『ミリオンダラー・ホテル』(2000年)をヴェンダースは撮っているのか。そのあたりまでは、U2とガッツリ関わっている。それで思い出したのは、ヴェンダースの出自がもともとどこかというと、ニュー・ジャーマン・シネマなんですよね。

――60年代の半ばから80年頃まで続いた、ドイツ版ヌーベルバーグのような動きですよね。

森:そう。だから、別に「同期」というわけではないですけど、本来ヴェンダースと並べて語られるのは、(ヴェルナー・)ヘルツォークとか(ライナー・ヴェルナー・)ファスビンダーといった監督たちなんですよね。ファスビンダーとヴェンダースは、確か同い年だったと思うし。で、その中でヴェンダースは、唯一ロック・ファンだったんですよね。あとの2人は、オペラとかじゃないですか。

志磨:ああ、なるほど。もっと上品というか、旧世代的なバックグラウンドなんですね。

森:むしろ派手に狂っているのはヘルツォークとファスビンダーのほうなんだけど(笑)。ヴェンダースは1945年生まれだから、ロック・ファン第一世代みたいな感じですよね。それこそ、デビュー作の『都市の夏』(1970年)は、「ザ・キンクスに捧ぐ」という字幕から始まっているオマージュ作品だし、『都会のアリス』(1974年)の中に、チャック・ベリーのライブシーンが出てきたり。だから、登場した初期の頃から、ニュー・ジャーマン・シネマの中でも、ちょっと異彩を放っていたんですよね。で、80年代になってから、ロック・ミュージックという共通言語があったから、ある種国際性のようなものを帯びたんじゃないかな。

宇野:確かに、映画監督としては、ロック・ファン第一世代と言っていいのかもしれない。

森:そういう部分でも、ジム・ジャームッシュと親和性が高かったのかもしれないですよね。1945年生まれで、ここまでロックが好きな人って、ミュージシャン以外だとあんまりいなかったような気がするし……あと、スコセッシか。スコセッシも1942年生まれだから、実はヴェンダースと年齢的には近いですよね。

――なるほど。改めて、いろいろ見えてきたような気がします。
宇野:『時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!』って、カンヌで審査委員特別グランプリを獲っているんだね。だから、まったく評価されなかったわけではないというか。当時は、なんとなく“絶対作っちゃいけない続編”のイメージが強かったんだけど(笑)。
森:特に日本では、『ベルリン・天使の詩』が、あれだけヒットしたあとだけに……。

宇野:もう当時から、名作というかひとつの古典みたいな感じになっていて、別に続編なんて誰も求めてなかったじゃないですか。しかも、その前の作品が『夢の涯てまでも』みたいな作品だったから、「ああ、ヴェンダースもやっぱり困って、自分の十八番を引っ張り出してきたのか」と勝手に思っていたんだけど。

――少なくとも、日本の映画ファンの反応は、鈍かった気がしますよね。『夢の涯てまでも』以降、ちょっと期待度が下がったようなところがあって……。

宇野:そうだね。日本は「ミニシアターブーム」の盛り上がりもあって、ヴェンダースをちょっと持ち上げ過ぎたというか。しかもそのあとにきたのが『夢の涯てまでも』で、さっきの淀川さんの話じゃないけど、そこで一気に波が引いたところがあるんですよね。

志磨:なるほど……。

――ただ、今改めて考えると、カンヌで賞を受けたことも含めて、ヨーロッパ的には、ドイツ再統一のご祝儀的な評価もあったのかなと。

宇野:そうか、1993年か。

森:だから、時代感という意味では、実は当時のドイツの状況を、ダイレクトに反映していたわけですよね。

宇野:統一したわけだから、続編を作らざるを得なかったというのもきっとあるんでしょうね。

森:ヴェンダースの真意としては本当はそうだったのかもしれないですよね。

志磨:やっぱり、そのタイミングの祖国を、再統一したドイツをフィルムに収めるのは自分しかいない、という作家としての使命というか。

宇野:あと、ベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統一した頃って、僕は19、20歳の頃だったんだけど、あまりにもリアルタイムだと、歴史的な価値ってわからないものなんですよね。ただ、今振り返ると、第二次世界大戦が終了して以降、実はいちばん大きい出来事だったと言えるかもしれない。もちろん、その前にベトナム戦争があったり、その後アメリカ同時多発テロとかがあったけど、世界経済的な意味では、やっぱりいちばん衝撃的だったんじゃないかな。

森:確かに。そこから世界のメカニズムが完全に変わりましたよね。
宇野:いや、本当に大きかったと思うんですよ。当時は、もちろんその年の重大ニュースの1位とかだったと思うけど、そんな1年とかのレベルじゃなかった。冷戦構造が終わって、資本主義がこういう異常な形で発展しちゃったのも、実は全部そこがきっかけだったとも言えるわけで。

森:そして、奇しくも日本では、そこから平成の世の中が始まるという。

志磨:ああ、そうか。1989年が平成元年ですもんね。

宇野:で、バブルのピークとも重なる。日本の場合、そこからずっと経済的には、落ちっぱなし。だから本当に、そういう意味でも重要な時期だった。今もう一回『ベルリン・天使の詩』と『時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!』を観直してみたら、そこから何か見えてくるものがあるのかもしれないですよね。

森:まあ、いずれにせよ、ベルリンの壁の崩壊を挟んで、前後編があるっていうのは、今考えると、ちょっとすごいことですよね。

志磨:確かに。

――歴史に選ばれた作家というか。その辺りの話も、今はあまり語られることがないですよね。
森:そもそも、『時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!』の存在を忘れていますから(笑)。

宇野:まあ、僕と森さんは、その2本をもう1回観直さなきゃないけないという結論になりましたね(笑)。

森:そうですね(笑)。でも、当時の流れの中で観ていたら、やっぱり戸惑ったと思いますよ。こっちの意識が追いついていなかった。「あ、変な映画、2つ続けてきたな……」って、当時は思っていましたから。

志磨:(笑)。

宇野:というか、最初の2本――『パリ、テキサス』と『ベルリン・天使の詩』ーーに関しては、観てない人は、絶対観たほうがいいですよ。名作だから。

森:そうですね。観てない人は、本当に損すると思います。両方とも、単純にめちゃくちゃいい映画ですから。

宇野:そうそう。気負わなくても観られる作品だし、言ってみれば映画好きにとっての基礎教養であり、共通言語だから。

――そして、後半の2本についても、今だからこそ見えてくるものがあるかもしれないので、今回の配信を機会に是非という感じでしょうか。今日はありがとうございました(笑)。


「時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!」
© 1993 ROAD MOVIES GMBH - TOBIS FILMKUNST
© 2014 WIM WENDERS STIFTUNG

「夢の涯てまでも」
© 1994 ROAD MOVIES GMBH – ARGOS FILMS
© 2015 WIM WENDERS STIFTUNG  – ARGOS FILMS

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