青野賢一 連載:パサージュ #14 自然に目線の高さを合わせること──イ・チャンドン『オアシス』

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青野賢一 連載:パサージュ #14 自然に目線の高さを合わせること──イ・チャンドン『オアシス』

目次[非表示]

  1. 歓迎されない男の帰宅
  2. 被害者宅訪問と出会い
  3. 最悪の告白とその後
  4. 差別、搾取、ふたりの時間
  5. 自然と合わさるふたりの目線の高さ
 乗り物のなかで多くのひとがスマホを眺めている現代にあってはあまり意識されないことかもしれないが、普段歩いている道をバスに乗って通ってみると、目に見える景色は徒歩のときのそれとはずいぶん異なる。これはまなざしを投げかける目線の高さが違うという実に当たり前のことゆえであり、バスに限らず電車などでも同様である。「目線が違う」というのは、こうした視覚的意味のほか、社会や集団での地位や立場の違いに起因するコミュニケーションのすれ違いの際にも用いられる表現で、わかりやすいところだと「上から目線」のようなことが挙げられよう。『ペパーミント・キャンディー』(2000)や『バーニング 劇場版』(2019)などで知られる韓国の映画監督、イ・チャンドンの『オアシス』(2004)は恋愛映画の側面が強いが、同時に目線や視点──視覚的意味とひととひとのコミュニケーションにおけるそれ、双方の──を大いに意識させられる作品といえる。

歓迎されない男の帰宅

「オアシス」
© 2002 Cineclick Asia All Rights Reserved.

 街ゆくひとの着込んだ服装から寒さ厳しいことがわかる季節に似つかわしくない半袖シャツ姿の男。ジョンドゥという名のこの男(ソル・ギョング)は2年半ほどの刑期を終えて刑務所から出所してきたところだ。バス停でタバコを無心し、露天でライラック色の服を買った彼が向かうのは、親兄弟の暮らす実家。ところが彼が知っていた住所にはもう一家はおらず引っ越してしまっていた。どうにか弟に迎えにきてもらい、家族と再会することができたジョンドゥだが、一家はジョンドゥの帰宅を歓迎しているとはお世辞にもいえない。実は彼の服役はこれが最初ではなく3回目。暴行、強姦未遂、そして直近はクルマで轢き逃げして過失致死という前科だ。そんなこともあって厄介者扱いなのである。ここで現在のジョンドゥの家族構成に触れておくと、母、兄とその妻と子ども、弟で、弟を除いて狭い家──階段を降りて玄関ドアなので『パラサイト 半地下の家族』(2019)のキム一家の住まいのような半地下住宅だろうか──に皆で暮らしているようだ。兄は以前は会社勤めだったが、そこを辞めていまはクルマの整備工場を営んでいる。フラフラ、フワフワして落ち着きのないジョンドゥに対して、兄はなにかにつけて小言をいう。「お前も大人になれ」「大人というのは好き勝手に生きてはダメなんだ 行動に責任を持ち 相手が自分をどう見てるのかを考えて社会に適応できるのが大人だ」。年長者(長男)が上位に立つのは特に不思議なことではないし、確かにジョンドゥの姿を見ていると子どもっぽくて無軌道である。しかしそれと同時にジョンドゥは不思議な優しさを兼ね備えてもいる。先に述べたライラック色の服は、実は母親へのお土産だったのだ。

被害者宅訪問と出会い

 出所から程なくして、ジョンドゥはたくさんのフルーツの入った籠を手にとある団地の部屋を訪ねてゆく。この部屋はジョンドゥが轢き逃げした被害者とその家族が暮らしていたところで、彼はお詫びかたがた挨拶にきたのだった。「ハン・サンシクさんの家──ですね?」と部屋にひとりいた女性に問いかけるジョンドゥ。この女性はハン・コンジュ(ムン・ソリ)といい、被害者の娘にあたる人物。彼女は脳性麻痺を抱えており、ひとりでの外出はままならず、言葉もスラスラとは出てこない(言葉が話せないということではない)。父の死後、この部屋には息子夫婦とコンジュが住んでいたがジョンドゥが訪れた日はまさに引っ越しの最中。息子夫婦は荷物を運び出しており、コンジュだけが部屋にいたのだ。しばらくすると被害者の息子が戻ってきたので「僕のこと覚えてませんか?」と尋ねるジョンドゥ。被害者の息子が自分を誰だか認識していない様子を見て「記憶力悪いんですね 2年6か月前 警察署で会ったじゃないですか ご主人が事故死されて」というと、息子の顔つきが険しくなった。「何しに来た?」「顔も見たくない 早く帰ってくれ」と追い出されてしまうジョンドゥだった。

最悪の告白とその後

 被害者の息子たちは三人で新居に移るのかと思いきや、引っ越すのは息子夫妻だけで、コンジュは団地の部屋にひとり残されることに。それを知ったジョンドゥは心配してふたたびコンジュのいる団地の部屋を訪れ、持ってきたフルーツの籠をそっと部屋のなかに押し込んだのだった。別の日、コンジュの部屋を再訪するジョンドゥ。手には花束を持っている。呼び鈴を鳴らしても返事がないのでドアの前をうろついていると隣の部屋に住む女性が何の用かとジョンドゥに尋ねてきた。とっさに配達業者を装い、コンジュさんへの届ものだと返すジョンドゥ。あらそうなの? と花束を受け取ったその女性は廊下にごちゃごちゃと置いてあるもののなかからコンジュの部屋の鍵を取り出して彼女の部屋へ。すごすごと帰ったように見えたジョンドゥだったが、しばらく様子を見て先の隠し場所から鍵を取り出してコンジュの部屋へと入っていった。ジョンドゥはコンジュに気があって、付き合おうと思ってきたと告げる。警戒心マックスのコンジュに「かわいいよ 初めて会った時からそう思ってた」というジョンドゥ。連絡先として兄の店の電話番号が書かれたカードを置いて「いつでも電話くれ」とちょっと爽やかにいったものの、やがて劣情を催したようで、なし崩しにことに及ぼうとしてしまう。必死に抵抗したコンジュは気絶してしまい、焦ったジョンドゥは彼女に水をかけて目を覚まさせると、逃げるように部屋をあとにした。何とも最悪な告白とその後である。

差別、搾取、ふたりの時間

 コンジュの兄とその妻がコンジュを置いて転居したことは先に述べたが、引っ越し先は障がい者向けのアパートだった。コンジュが現在ひとりで暮らす部屋とは比べものにならないほどクリーンなこの部屋は、書類上はコンジュが住んでいることになっているが、実際は彼女の兄夫婦だけが暮らしており、不正がないかどうかを確認するために調査員がやってくるときだけコンジュはこの障がい者向けアパートに連れてこられるのだ。そうして調査が終わり、綺麗なアパートから古ぼけた部屋にまた連れ戻されたコンジュは、ジョンドゥが置いていった連絡先に電話をかけた。「聞きたい ことが… あって… 電話しました」。翌日、ジョンドゥはコンジュの部屋を訪ねてふたりで話をする。次第に心を開いてゆくコンジュ。「ここは──息苦しいだろ 外出しようか?」とジョンドゥが提案してふたりは団地の屋上へ。この屋上のシークエンスでコンジュが眺める青空の美しいことといったらない。こうしてコンジュとジョンドゥはその後もたびたび会い、電話で話し、また屋外でデートを重ねるようになるのだった。
 これ以降のふたりのやりとりは何とも微笑ましいものだが、外に出ればコンジュへのあからさまな差別が存在する。彼女の兄夫婦がコンジュ名義の障がい者向けアパートに住んでいるのは先に述べたが、そうした搾取と差別はコンジュの前に常に横たわっているのである。コンジュの兄嫁はたびたび「興奮するとしゃべれない」とコンジュの発言権を剥奪し、あたかも自分がコンジュの代弁者のようにふるまう。側から見れば義妹を気遣っているようだが、その実、自分たちの都合のいいようにコンジュの考えを歪曲させて第三者に伝えるのだ。しかし、そうしたコンジュを取り巻く状況は、ジョンドゥと一緒だと気持ち的にグッと和らぐ様子がうかがえる。ときおり挟み込まれるコンジュの頭のなかを具現化した映像──妄想や夢であるとともに、コンジュの目にはその瞬間が実際そのように見えているのだろうと私は考える──はユーモラスで多幸感があり、ふたりの時間が幸せなものだと物語っていて美しい(それだけに現実の厳しさが際立つのもまた事実なのだが)。

「オアシス」
© 2002 Cineclick Asia All Rights Reserved.

自然と合わさるふたりの目線の高さ

 ジョンドゥがコンジュと接するときの多くは、家のなかなら床に座ってというように目線を彼女と同じ位置にして、彼女の言葉を注意深く聞き取ろうとする。物語の終盤、コンジュの部屋の外にある街路樹に登ってその枝を切り落とすシーンでは、部屋のなかにいるコンジュが「ここにいるよ」といわんばかりにラジオのボリュームを上げて窓の外のジョンドゥに応えるのだが、これも視線の高さを合わせることといっていいだろう。ここで重要なのは、ふたりにとって、視線の高さを揃えることはなんら特別なものでなく、自然な行為であるということ。そこには憐れみや同情といった感情はなく、互いに会話したければ、相手の姿を見たければ、自ずとそうなるということである。そんなふたりの行く末はぜひ映画本篇をご覧いただければと思うが、ここではラストシーンの穏やかな陽射しが心に残ったとだけ申し添えておこう。
 ところで、本作を観ていて思い浮かんだ作品が一本あった。それはヴィンセント・ギャロの『バッファロー’66』(1998)だ。刑期を終えて出所するところから物語が始まることや、ジョンドゥと『バッファロー’66』のビリーの無軌道さといった共通点のほか、ふたりとも家族から孤立し厄介者扱いなこと、他人の罪をかぶって刑務所に入っていたこともシンクロしているようだ。それから、エンディングのなんとも愛おしい時間も。

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この記事のライター

青野賢一
青野賢一
1968年東京生まれ。株式会社ビームスにてプレス、クリエイティブディレクターや音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターなどを務め、2021年10月に退社、独立。現在は映画、音楽、ファッション、文学などを横断的に論ずるライターとしてさまざまな媒体に寄稿している。また、DJ、選曲家としても30年を超えるキャリアを持つ。

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