ジャン=リュック・ゴダール コンプレックス

LETTERS ザ・シネマメンバーズ 榎本 豊
ジャン=リュック・ゴダール コンプレックス

 ゴダールの作品に触れる時、あるいはゴダールについて語るとき、難しい言葉を使ってしまうこと、またはそれらの言葉によって心的なストレス(?)を感じることをジャン=リュック・ゴダールコンプレックス(JLGコンプレックス)と呼んでみようと思います。
架空の例文1
「物語の不可能性──そのパースペクティブに立つとき、映画におけるエクリチュールの裂け目を前にして、私たちは沈黙せざるを得ない。」

 ラーメン二郎の注文のような、それを知らない者に緊張を与える文章ですが、この呪文を解いてみると、「映画におけるストーリーの位置づけって難しい。その視点で考えたとき、映画の中でなにが表現されているのかをとらえようとして、困ってしまうんだよね。」みたいなことなのです。こうした文章は割と多く、なじみのない言葉を使っているけれども、言っていることは実に単純だったりします。こうしたこと以外にも、何かの資料に基づいた翻訳や事実しか言っていない、作品に向き合った自分の反応が記されていない。ということが映画作家の作品を語るときにしばしばあるのではないでしょうか。

 特にゴダールは日本において、そういうことが起きてきた作家です。それゆえに彼の作品を観る前に、あるいは観た後に誰かに話したくても、ちょっとやめておこうかなという気持ちになってしまう。あえて貶してみたくなったり、小難しいと遠ざけたくなったり──。

 そんなジャン=リュック・ゴダール コンプレックスを解消?できるのかどうかわかりませんが、いくつかの言葉についてつらつらと書いていくことにしたいと思います。「面白がること」がゴダールの楽しみ方のひとつなのですから。(この“面白がる”も「異化」という言葉を使うのかもしれません。)※こう書いても「批評を“批判”している」と読んでしまう方がいるでしょう。違います。
リアリズム
これまでLETTERSの中では何度も書いていますが、「本当らしさ」へのアプローチのこと。「映画」の場合、そのなかで表現されていることは、本当に起きている訳ではない。その一連の出来事が現実そっくりであること、その“本当らしさ”を「リアリズム」と呼ぶ。そして、その「リアリズム」に対してのアプローチの仕方が、作家性につながっている。ここの大前提を押さえておくことで、様々な言葉の腹落ちの仕方が変わってくる。
 ゴダールは、映画の中で起きていることは本当ではない。ということを強く意識しており、あえてリアルである必要がないという描写をよくしています。夜のドライブのシーンでは、止まっている車で、窓に映る街路灯はライトを持った二人の人が左右で手をブンブンまわしているだけだったり、死を描く時もあえて嘘っぽい絵作りで見せたりするのがそうです。このことは次の“ブレヒト的”とも関連してきます。

「カラビニエ」
ロッセリーニ演出によるブレヒト劇をゴダールが映画化したのが本作。

ブレヒト的
 『三文オペラ』で有名な劇作家ブレヒト。演劇において、意味なく突然俳優が踊りだしたり、これは芝居です。と注意書きが出たり、客席に向かって脈絡のない行為をしたりする。そんな演出を「異化効果」と呼んで自身の特徴にした人。このへんのことも、LETTERSの「それでは皆様、勝手にしやがれ」に具体例を挙げて書いています。
パースペクティブ
視点、考え方のこと。そこから見渡してみると、ものの見え方/理解の仕方が変わってくるようなときに使われる。
エクリチュール
 (話されたものと対比して)書かれたもの。言葉の使い方、表現のしかた、つまりは表現技法のことでもある。それ以上の意味としてとらえない方が、わかりも整理も良いはず。

 書くことと、映画を撮ること、作曲すること。これらを語る時に、コアになってくる部分が共通しているので、指し示す意味があいまいに混ざり合った状態で使われている。
ショット
撮影されたもの。カメラをまわして止めるまでの1回で撮られたもの全部。それを必要な箇所だけにしたものがカット。だからカットはデクパージュに関連していく。

「気狂いピエロ」
ジャン=ポール・ベルモンドとアンナ・カリーナが殺しを行う一連をワンショットで収めたこのシークエンスは見どころの一つ。

デクパージュ
 切り取られたもの。カット割り。カットのことでありながら、カットの配列のことでもある。それがややこしさの原因になっている言葉。「見えているものをどう見るか。」ということに関連していく。モンタージュと対比して使われることもあれば、同じような意味合いで使われることもある。明確に理解して規定したうえで使われていることが少ない言葉。

 この言葉が出てきたときは、広く「切り取られたもの」と受け取っておいて、どうもそこからはみ出てくる意味を含んでいるなと思ったら、前後を読み直すくらいでよい。
モンタージュ
 複数のカットを組み合わせること。編集。①そのシーンを違和感なく成立させるためのモンタージュと、②意図した意味を伝えるためのモンタージュの大きく2方向がある。監督の方向性になぞられて、①をグリフィス的と言ったり、②をエイゼンシュテイン的と言ったりする。
架空の例文2
 例えば、ニュースやワイドショーについて、「そうやって切り取られると、意味が全然違ってくる」ってよく言われますよね?これをJLGコンプレックス的に言い換えると、

「そうしたパースペクティブを内包したデクパージュ、あるいはモンタージュされたそれら—。そのエクリチュールが生み出す新たな差異を前にして我々は動揺を禁じ得ない」

みたいなことになります。でも、先に書いた方の内容しか言っていないのです。

 いかがでしょうか。こうして解きほぐすと、難しく見える批評もグッと距離が縮まります。そして、ゴダールあるいは映画について書かれたものに臆することなく、躊躇せずに、あなたらしいやりかたでゴダールを楽しみませんか?

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この記事のライター

ザ・シネマメンバーズ 榎本  豊
ザ・シネマメンバーズ 榎本 豊
レトロスペクティブ:エリック・ロメールを皮切りにした2020年4月のザ・シネマメンバーズのリニューアルローンチから、ザ・シネマメンバーズにおける作品選定、キュレーションを担当。動画やチラシその他、宣伝物のクリエイティブなども手掛ける。

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