ブートレグ録音マニアが推しと恋に落ちる映画『ディーバ』のマニアックな話

LETTERS ザ・シネマメンバーズ 榎本 豊
ブートレグ録音マニアが推しと恋に落ちる映画『ディーバ』のマニアックな話

目次[非表示]

  1. NAGRA(ナグラ)
  2. コンサート録音の話
  3. 決して音源を出さない歌姫
  4. 覆面作家とオーディオマニア
  5. 無償の愛
 映画『ディーバ』は、録音された声をめぐるサスペンスアクションであり、住む世界が違う二人の出会いと恋を描いた、ボーイ・ミーツ・ガールのおとぎ話でもある。組織の秘密が録音されたテープを手に入れるため、組織と警察が追いかけるというストーリーは、ありふれているものなのだが、そこにレコーディングしないことで有名なオペラ歌手、彼女の熱狂的なファン、そして歌声が高音質で録音されたテープ、それを狙う海賊盤業者とが絡んでくることで、この映画は唯一無二の面白さとなっている。そしてこのストーリーを描くにあたって、かなりマニアックなガジェットが使われているので、そのあたりを中心に書いていこう。                            

NAGRA(ナグラ)

『ディーバ』
© 1981 STUDIOCANAL

 映画の冒頭、劇場で歌姫が歌い出すと、客席でなにかボリュームノブのようなものを回すカットへと移り、どうやら録音しているのだなと分かる。これがスイスのメーカー「NAGRA」の録音機材、NAGRA Ⅳ-Sという伝説の名機で、もはや神格化されたリール・トゥ・リールのポータブルレコーダーだ。ヴィンテージ/アナログ志向のヴィンセント・ギャロが、2003年制作の『ブラウン・バニー』であえて映画撮影の録音機材として使っているのだが、このデッキは1970年代、撮影現場での主力の機材だった。

 1971年に世に送り出されたNAGRA初のステレオのポータブルオープンリールデッキが、この『ディーバ』で歌姫シンシアの熱狂的ファンである郵便配達員ジュールが使っているNAGRA Ⅳ-Sなのだ。ちなみにNAGRAとは、ポーランド語で「録音する」の意味だ。

 あのビートルズのドキュメンタリー映画『レット・イット・ビー』におけるセッション:GET BACK SESSIONSの録音もこのNAGRAのポータブルオープンリールデッキが使用されている。『レット・イット・ビー』は1969年の制作なので、ステレオではなくモノラル録音のレコーダーで型番こそ違えど、その音源は「Beatles NAGRA Tapes」としてビートルズ・マニアの間では非常に有名なものだ。

コンサート録音の話

 こうしたスタジオや撮影現場ではないところでも、プロ用の機材を使用し、ファンによって録音されたコンサート音源というのは世の中には無数に存在し、会場の音の鳴りやライブのうねりを克明に記録したクリアなオーディエンス録音の音源は、ワンポイント録音でありながら、マルチトラックのスタジオ録音をしのぐような、伝説的な演奏を収めたハイクオリティのものが数多くある。

 誤解の無いように海賊版を推奨も賛同もしていないとはっきり書いておくが、アーティストの中には、コンサート会場での録音を公式に許可し、録音するためのセクションを設けていることもあるのだ。(日本ではほとんど認知も理解もされていないのだが。)それは、ファンコミュニティのなかで無償で流通することを前提に許可されている。

 グレイトフル・デッドやフィッシュといったアメリカのバンドはその代表格で、レコード売上はそこそこなのに、コンサートは2万人規模の会場をソールドアウトさせて何十公演ものツアーをするという彼らのベースとなっていたのは、ファンによる録音を許可し、そのテープがコミュニティの中で無数に流通することで献身的なファンがまた増えていくという連鎖で、当時意識はしていなかっただろうが、今でいう“シェア”や“ファンマーケティング”の先駆けのようなものだった。

決して音源を出さない歌姫

『ディーバ』
© 1981 STUDIOCANAL

 では、アーティストが許可していなかったら?そしてそのアーティストが、レコーディングをしない、音源を一枚もリリースしない主義だったら?- コンサートは唯一、アーティストのパフォーマンスを聴くことができる機会となり、それを録音した音源はとてつもなく高い価値を持つことになる。

 『ディーバ』でNAGRA Ⅳ-Sという機種が使われているのも、ただ録音したものではなく、高性能なプロ用機材でベストなポジションで録られた音源である必要があるからだ。劇中、マネージャーと歌姫シンシアとの間でこんなやりとりがある。
―――
問題が起きた
台湾の業者が来て、先日の公演のテープがあると言う…

前にもあったわ

今回は録音状態がいい
3列目の中央からで、機材もいい
―――
 コンサート録音のファンコミュニティ用語でいうと、この録音したポジションは、“3rd row DFC (Dead F●cking Centerの略)”ということになるのだが、録音状態を裏付けるための機材のチョイス、録音したポジションへの言及など、相当なマニアだということが分かる。この映画には原作があるのだが、原作の中ではさらに、録音に使っているマイクがショップス(Schoeps)というドイツ製の超高級プロ用機材メーカーのものを使っていることが記されている。クラシックコンサートで実際に使われる、1本数十万円もするマイクだ。

覆面作家とオーディオマニア

 この原作は、小説家であり、詩人であり、禅マスターでもあり、東洋の精神世界を研究し、タントラに関する書物を多数執筆しているダニエル・オディエが、気晴らしのためにデラコルタというペンネームでミステリー小説シリーズを書いたもののひとつ。このシリーズが刊行された当時、この覆面作家の正体をめぐってフランスでは文学界だけでなく世間に広く話題となったのだとか。

『ディーバ』新潮文庫 
ISBN4-10-220301-X C0197
現在は絶版。

 映画『ディーバ』の中では、ゴロディシュという謎めいた男が、波を発生させるオブジェ、ウェーブマシンが置かれた部屋で波を止める夢を見、瞑想にふけりながら波が描かれた絵のジグソーパズルを組み立てる風変わりな人物として描かれる。劇中、ゴロディシュは、ジュールに対してバゲットにバターを塗る時の禅の境地を説き、テープの価値を聞かされたジュールが自分の録音は、自分が聴くために録っているもので、自分の楽しみのためだと言うと、「罪のない楽しみはない。」と切り捨てる。これらは原作には描かれておらず、ジャン=ジャック・ベネックスが映画化する際にこのキャラクターに原作者のダニエル・オディエを投影したように見える。

『ディーバ』
© 1981 STUDIOCANAL

 他にもベネックスは、本作を映画化する際に、様々な原作にないガジェットなども盛り込んで、スタイリッシュな作品に仕上げている。どことなくCHARAに似ているアジア系の少女(原作のブロンドの少女を変えている。)がローラースケートをしたり、冷蔵庫の上に座って話す姿、ゴロディシュやジュールの住処のインテリアなど、細かいところまで作品の雰囲気を醸すための設定やチョイスが行き届いている。ベネックス自身も相当なオタク気質の持ち主なのだろう。

 ジュールやゴロディシュの部屋のオーディオに、Revoxのオープンリールデッキが置かれ、さらにゴロディシュの部屋のオーディオシステムは、原作には書かれていないNakamichiのSystem Oneというハイエンドオーディオシステムが、通常のタテ型のラックマウントではなく、横並びのレイアウトで、しかもDJブースのように斜めにマウントされているのだ。信じられないほどマニアックである。

無償の愛

 そんなマニア心を熱くする様々なガジェットを洒落た形で劇中に取り入れ、ブートレグ録音マニアのファンが自分の推しと恋に落ちるという、エキセントリックなロミオとジュリエットの物語が『ディーバ』のストーリーの核なのだが、大事なことはブートレグテープがすなわち海賊版というわけではないことだ。無許可の録音ではあるが、それによって金銭を得ようとは考えておらず、歌姫に対するジュールの無償の愛の形として描かれていることが重要なポイントなのだと思う。そしてその無償の愛の結末を見せてくれる。自分の歌声を聴いたことがない歌姫がそのブートレグテープを聴く時、その音源が彼女の心を溶かす。その先の彼女の選択をも予感させてくれる。だからこそ、この映画には定期的に観たくなる魔力があるのだ。

 ちなみに、本作に登場するスキンヘッドのパンクな男は、『デリカテッセン』では、精肉店の求人広告を見てやってきたルイソン役を演じているドミニク・ピノン。犯罪組織の非情な男が今度は、デリカテッセンの主人の娘と恋に落ちる。そんな組み合わせも意識しているラインナップなのがザ・シネマメンバーズ。

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この記事のライター

ザ・シネマメンバーズ 榎本  豊
ザ・シネマメンバーズ 榎本 豊
レトロスペクティブ:エリック・ロメールを皮切りにした2020年4月のザ・シネマメンバーズのリニューアルローンチから、ザ・シネマメンバーズにおける作品選定、キュレーションを担当。動画やチラシその他、宣伝物のクリエイティブなども手掛ける。

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