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COLUMN/コラム2016.01.30
男たちのシネマ愛③愛すべき、ボロフチック監督作品(6)
飯森:最後に、今回はせっかくこういうテーマだったので、ちょっとばかりモザイクの話をしたいと思います。まず、映画屋でありテレビ屋でもある僕は、個人的に映画館とテレビとでは倫理の基準が違って然るべきだと思っているんですが、海外ではどうなんですかね。さすがにテレビでは規制がかかりますでしょ? なかざわ:アメリカの場合で言えば、ネットワークかケーブルかによっても基準が分かれますよね。ケーブルだとモロ出しもありだと思います。 飯森:HBO【注70】とかですかね。 雑食系映画ライター なかざわひでゆき「ダン・オバノン監督『ヘルハザード/禁断の黙示録』(‘91)のドイツ盤ブルーレイを購入。日本盤未収録の特典映像&オーディオコメンタリーてんこ盛りで、まさに至福のひと時を過ごしております」 なかざわ:そうですね、あとはStarz【注71】とか、Showtime【注72】とか、いわゆるプレミアム・チャンネルですよね。ケーブルの基本契約料金に加えて、別料金を支払わないと見れないチャンネル。HBOやStarzのオリジナルドラマだと、女性のヘアや男性器のモロ出しも珍しくありません。親が番組の視聴制限を設定できる仕組みになっているようですし。 飯森:「ウォーキング・デッド」【注73】なんかも、ケーブル局だから残酷シーンの規制がないって聞きますしね。日本の場合ですと、うちも子供がいるからよく分かるんですが、簡単にチャンネルを合わせることが出来るんですよね。さんざん陰毛を映して何が悪いと言っておきながら恐縮ですけれど、我が家で子供がそうしたものを見てしまうというケースが起こり得ると想定すると、それはよろしくないなと思うわけです。 なかざわ:それは確かにその通りですね。 飯森:なので、テレビに関しては仕方がない。我が国では、たとえCS放送であったとしても、リモコンでザッピングすれば子供でも見れてしまう状況ですので。何かしらの対応策は講じなくてはならない。ただ、劇場なりパッケージ商品なり、入口できちんと観客を選別できるものに関しては、日本ももうちょっと進んでいて欲しかったなと残念には思いますね。僕が生まれた日のキネ旬で、ポルノに関して日本はあまりにも遅れていると書かれ、ボロフチックさんにも昔は春画のような素晴らしい文化があったのに酷い有様だねと苦言を呈されていて、それから40年経っても大して変わってはいない。 なかざわ:それもケースバイケースですけれどね。配給会社の姿勢にもよるとは思います。最近であれば、男性器でも勃起さえしていなければモザイクなしでOK…かも?とか(笑)。結局、基準が明確化されていないので、確実に大丈夫なのかどうかは誰もハッキリと太鼓判を押せない。だから、例えば最近だと「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」【注74】なんかはガッチガチに修正されていましたし。もう、今時こんなのアリか!?ってくらい真っ黒でした(笑)。 飯森:あれは話題作でしたから、なおさら神経を使ったんでしょうね。その昔、「黒い雪事件」【注75】という“猥褻と芸術”裁判があったのご存知ですか? 映倫【注76】の審査を通った映画が、わいせつ図画公然陳列罪【注77】で起訴されちゃったんですよ。後出しジャンケンじゃないですか!でもよく考えると、そもそも映倫って公的機関ではない。あくまでもお上とのトラブルを避けるために、これだったら問題ないんじゃないですか、映画館でお客さんに見せても大丈夫だと思いますよ、というお墨付きを与える業界団体に過ぎないんです。だから、先ほどなかざわさんが仰ったように、どこからがアウトなのかは当局の気分次第という側面があるんです。とはいえ、この40年の間にヘアヌードも解禁になったわけだし、男性器でもちょっと写っているくらいなら問題視されなくなりましたけれど。 なかざわ:実際、映画版「セックス・アンド・ザ・シティ」【注78】の日本公開バージョンでも、堂々と男性器が写っていましたからね。 飯森:なんとなく、なし崩し的にはなっているけれど、まだまだ遅れていますよね。 なかざわ:欧米の常識に比べるとですね。 飯森:レイティング【注79】の基準があるんだからいいのでは?とも思うんですけれど。 なかざわ:海外でもそれを基にして、青少年の目に触れないようになっているわけですから。 飯森:とはいえ、やはりテレビは別です。そこは視聴者の方にも理解して頂きたい。自宅に小さな子供がいることを想定すれば分かると思うんですが、簡単にアクセスできてしまいますから。今の時代、インターネットの海外ポルノサイトで何でも見れるじゃないかという声もありますが、それは大人の感覚で、Googleのエロブロックフィルター外して画像・動画検索し、そこまでたどり着ける子供はなかなかいない。テレビの場合は、少なくとも日本だと子供でも見れてしまうので、そこは一線を引かないといけない。テレビは一番保守的であって然るべきでしょうね。 (終) <注70>1972年に創設されたケーブルテレビ局。「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」や「セックス・アンド・ザ・シティ」、「ゲーム・オブ・スローンズ」などのドラマを生んでいる。<注71>1994年に設立されたケーブルテレビ局。もともとは映画専門チャンネルだが、近年は「スパルタカス」シリーズや「アウトランダー」などのドラマも放送。<注72>1976年に設立されたケーブルテレビ局。「デクスター 警察官は殺人鬼」や「Lの世界」、「HOMELAND」などの問題作ドラマを次々と放送している。<注73>2010年より米ケーブルテレビ局AMCで放送されているドラマ。ゾンビの蔓延によって文明の崩壊した世界で、僅かな生存者が決死のサバイバルを試みる。<注74>2015年製作。過激な性描写が各国で問題視された。ダコタ・ジョンソン主演。<注75>1965年に公開された日本映画「黒い雪」の関係者が警察に書類送検され、武智鉄二監督が起訴された。69年に無罪確定。<注76>映画倫理委員会。1956年に設立され、映画作品の内容を審査してレイティングを設定する日本の任意団体。<注77>わいせつな図画を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者を罰金若しくは科料に処すこと。<注78>2008年製作。同名テレビシリーズの劇場用映画版。ニューヨークに住む大人の女性4人組の恋愛とセックスを描く。<注79>映画やテレビ番組などの内容に応じて、その対象年齢の制限を設定するシステム。 『インモラル物語』"CONTES IMMORAUX" by Walerian Borowczyk © 1974 Argos Films 『夜明けのマルジュ』©ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO.
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COLUMN/コラム2016.01.27
男たちのシネマ愛③愛すべき、ボロフチック監督作品(5)
飯森:本当にこれこそボロフチック監督の実力が遺憾なく発揮された作品だということで、もうちょっと注目されても良かったんじゃないかなと思っているのが「罪物語」なんです。 なかざわ:日本では’81年の劇場公開ですが、実は「邪淫の館・獣人」と同じ’75年に作られている。日本へ輸入されるのがかなり遅かったんですね。 飯森:これがまた、格調高い大河メロドラマみたいな作品なんですよ。今回、うちでこれを放送できるのはとても良かったと思います。あらゆるエロがショーケース的に詰まった「インモラル物語」、当時の大スターを招いてフランスらしい雰囲気を醸し出した「夜明けのマルジュ」、そして重厚な文芸大作と呼ぶべき「罪物語」。ボロフチック監督の多様な作家性を象徴する3つの作品が揃ったわけです。 なかざわ:これは母国ポーランドに戻って撮った映画ですよね。当時のポーランドは共産圏だったので、性的な描写がけっこう問題視されたとも聞いていますが。 飯森:ただね、当時のキネ旬の映画評には「ポルノ解禁度が日本よりずっと進んでいるポーランド(後略)」って書かれているんですよ。 なかざわ:そう言われると確かに、アンジェイ・ワイダ監督【注61】の映画でもけっこう過激なエロ描写があったりしますもんね。 飯森:僕は大学時代に東ヨーロッパを専攻したんですが、助教授の研究室にエロ本が置いてあったんですよ。ベルリンの壁の崩壊前にハンガリーで買ってきたと言っていましたが、ヘアも女性器も丸出しでした。旧東側ブロックというと、各国がそれぞれ共産党の一党独裁体制で、ソ連の指示を仰いでえらく怖い社会だった、表現の自由なんてカケラすらあるわけがない、という印象を持つかもしれませんが、必ずしもそんなことはなかった。特に中央ヨーロッパ。具体的にいうと、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリーの3カ国ですけれど。かつて政治的に東側陣営に属していた、地理的には中欧国ですね。ここはもともと文化先進地域だったんですよ。神聖ローマ帝国【注62】が栄えて、ハプスブルグ家【注63】が君臨して、モーツァルト【注64】が訪れて。例えば、モーツァルトのオペラというのは当然ウィーンで初演されましたが、代表作の中にはプラハで初演されたものもある。それはチェコの話ですけど、ポーランドだってショパン【注65】を生んでますし。もともとポーランドはハプスブルグではないですがヨーロッパの超大国だったし、政治的に開けた、進んだ国だった。だから、その後の歴史で国を分割されたり、ナチスに荒らされたり、解放だと称してやって来た共産軍によってソ連の衛星国に落とされちゃったりしても、そう簡単に先進国だった頃の栄光は消えない。「罪物語」を見ると、そういうことがよく分かります。 なかざわ:確かに、’80年代初頭だったと思うんですけれど、うちの父親がポーランドのワルシャワに出張で行って、街の様子などを撮影してきた写真を見せてもらったことがあるんですけれど、街頭のキオスクで普通にポルノ雑誌を売っているんですよ。中には、ゲイ雑誌なのか分かりませんが、全裸の男性が表紙になっているものもあったりして。もちろんモロ出しですよ。ソ連とは大違いだなと思った記憶があります。 飯森:旧ソ連といいますかロシアは、歴史上、先進国になった経験があんましないんですよね。帝政ロシア【注66】後期にやっとたどり着けたプーシキンとかトルストイとかチャイコフスキーといったせっかくの輝かしい文化的な豊穣も、革命によって自分でぶち壊しちゃったし。まして政治的先進性からはずっと縁遠いまま。せっかくの革命も、ツァーリズムがぐるっと回ってスターリニズムになっちゃったという、悪い冗談のような事態になってしまった。 なかざわ:そもそもロシアという国自体、他のヨーロッパ諸国に比べると歴史が浅いですしね。もともとは未開地ですから。 飯森:帝政ロシア時代の皇帝ツァーリというのも、東ローマ皇帝の後継者を自任しているけど、どっちかって言うと蒙古の皇帝ハーンに似ているという。白人の顔をしているのに、なんともアジアの専制主義【注67】的な政治制度を導入しちゃっている不思議なヨーロッパの国。そもそもヨーロッパなのかどうかも疑問なんですけれど。そんな国が革命によってソビエト連邦を形成して、ちょっとヨーロッパのメインストリームとは違う近代史を歩んできちゃっているから、考え方も独特なんですよね。その前の中世にはずっとモンゴル帝国の奴隷だったし。その点、ポーランドやハンガリーやチェコはヨーロッパの王道の近代史を歩んできたから、ロシアと同じように弾圧したり禁止したりはできない文化的な素地がある。「罪物語」では、そんなポーランドがプロイセン王国【注68】とオーストリア帝国【注69】、そしてロシア帝国によって三分割された時代が舞台になっている。要は、ポーランドという国自体が実質的になくなってしまった悲劇の時代です。ポーランド分割というのは高校時代に世界史の授業で習いますが、この時代のポーランドの様子を描いた映画はなかなかありませんから、それだけでも貴重な作品です。 なかざわ:日本でポーランド映画というと、どうしてもアンジェイ・ワイダとか一部の巨匠の作品しか見る機会がありませんもんね。 飯森:この映画では冒頭にカトリックのお坊さんが出てきて、懺悔に来たヒロインに「あなたはものすごく綺麗で可愛いから、男たちが言い寄ってくるだろうけれど、誘惑に負けちゃだめだ」と釘を刺すわけです。つまり、彼女は誰が見ても美しい汚れなき処女で、男が隙あらば言い寄ってくるくらいの美少女というわけ。そんな彼女に、神父は「自由な性欲に身を委ねちゃダメだよ」と禁圧するわけです。ボロフチック監督って、普段ならこういうものを批判的に描こうとしますよね。自由にやったらいいじゃないかと。でもこの映画だとね、神父の言うことを聞かなかったヒロインは、実家の下宿屋に部屋を借りた胡散臭い男に惚れちゃう。こいつが、どうしようもないクズなんですよ。最初からおかしい。実は俺には妻がいる、でも妻のことはもう愛していない。離婚調停中で近々別れる予定だっていうことで、2人は出来ちゃうわけです。 なかざわ:よくあるパターンですね(笑)。 飯森:はい、つい最近もあったばかりです(笑)。で、結局やっぱり無理でしたと。妻が難条件を突きつけてきたせいで離婚が不成立になりました、って手紙を送りつけただけで姿をくらます。ゴメン、離婚はもうないから諦めてくれってことですね。すると、ヒロインは仕事も手がつかなくなっちゃって、彼を探してヨーロッパ中を追い掛け回すんですよ。つまらない喧嘩から決闘沙汰を起こして死にかけた男を病院に見舞いに行ったり、今度は詐欺か何かで逮捕された男を探してイタリアの刑務所まで行ったり。そうした過程が多言語で描かれる。普段はポーランド語、ロシア領のポーランドにいるから時々ロシア語、イタリアではイタリア語という感じで、セリフの言語も次々と変わる。これぞヨーロッパです!で、とにかくこの男をつかまえて幸せになりたいと奔走しているうちに、ヒロインはどんどん身を持ち崩していくわけです。 なかざわ:ダメだと分かっていても、どうしようもできない人間の性(さが)を描いているんでしょうね。そういう激情こそが、実は人を人たらしめるものなんじゃないですか?という。好きになったら最後っていうのは、恋愛においてよくある話ですし。こればっかりは、理性ではどうにもならない。ダメ男ばかり好きになる女性ってのも実際にいますしね。 飯森:ボロフチック映画の中において、この作品はエロというものがそこまで前面に出ておらず、一番普通の映画の装いをしているんです。主人公を駆り立てて暴走させるものも、今回は性欲ではなくて恋。あくまでも、恋に狂った女が果てしなく堕ちていくという物語になっている。 なかざわ:ボロフチックの懐の深さというか、作家としての幅広さががよく分かりますね。 <注61>1926年生まれ。ポーランドの映画監督。代表作は「灰とダイヤモンド」(’58)、「大理石の男」(’77)、「コルチャック先生」(’90)など。<注62>10世紀~19世紀初頭にかけて、現在の中央ヨーロッパの一帯に存在した国家。<注63>中世から20世紀初頭まで、中央ヨーロッパ各国の皇帝や大公などの権力者を輩出した名門貴族の家系。<注64>ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。1756年生まれ。オーストリアの作曲家。1791年没。<注65>フレデリック・ショパン。1810年生まれ。ポーランドの作曲家。男装の麗人ジョルジュ・サンドとの恋愛でも有名。1849年没。<注66>16世紀半ば~20世紀初頭まで存在した国家。現在のロシアを中心にフィンランドから極東まで支配していたが、ロシア革命で消滅した。<注67>君主が絶対的な権力を有する政治形態のこと。<注68>18世紀から20世紀初頭にかけて、現在のドイツを中心に栄えた王国。<注69>1804~1867年までオーストリアに存在したハプスブルグ家の国家。 次ページ >> 男性器でも勃起してなければモザイクなしでOK…かも?(なかざわ) 『インモラル物語』"CONTES IMMORAUX" by Walerian Borowczyk © 1974 Argos Films 『夜明けのマルジュ』©ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO.
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COLUMN/コラム2016.01.22
男たちのシネマ愛③愛すべき、ボロフチック監督作品(4)
飯森:そんなこんなで、ちょうど“猥褻と芸術”の問題がクロースアップされている時期に、この「インモラル物語」が鳴り物入りで日本へ入ってきたものの、ボロフチックさんはだんだんとそこまでの大きな扱いを受けなくなっていった。でもまだまだ注目はされていた、という時期に日本公開されたのが「夜明けのマルジュ」です。 なかざわ:これはシルヴィア・クリステル【注53】にジョー・ダレッサンドロ【注54】が主演。エマニエル夫人とアンディ・ウォーホル【注55】一派という、当時のまさに旬な顔合わせです。 飯森:特にシルヴィア・クリステルは全盛期でしたよね。 なかざわ:その後に「エアポート’80」【注56】でハリウッド進出もしていますし。ヨーロッパを代表する大物セクシー女優でした。 飯森:これがまた話しづらい映画でしてね。とんでもないネタバレがあるんですよ。ジョー・ダレッサンドロふんする主人公は、フランスの郊外にあるプールもあるような豪邸で、奥さんと可愛い息子と一緒に暮らしていて、お手伝いさんもいるかなり裕福な人物なんです。しかも、奥さんとはやりまくり(笑)。朝一番に花を摘んできてね、全裸でベッドに横たわっている奥さんの体に花びらを撒く。そこに大きな窓から注ぎ込む朝日が、胸の谷間や股間の谷間に花びらの散らばった奥さんの体を美しく照らし出すわけですよ。そんな状態でセックスをする。すごくロマンチックな感じで、いやらしい感じの全くしない、とても綺麗なラブシーンです。性的にも満たされていて、なおかつ小さな可愛い息子までいる。そんな主人公が出張でパリへ行く事になるわけですが、家族に見送られて大都会へやって来た彼が真っ先にすることというのが、赤線地帯で売春婦探しなんです。まあ、別腹ってことなんですかね(笑)。 なかざわ:当時は紳士の嗜みだったのかもしれませんしね。 ■ ■ ■この先ネタバレを含みます。■ ■ ■ 飯森:で、彼の買った売春婦というのがシルヴィア・クリステル。妻ではない女をお金で買って抱きました、ああスッキリした、と。その翌日、彼は手紙を取りに行くんです。もともと事前に家族と約束をしているんですよ。連絡をするならここへ手紙を送ってくれと。で、それをチェックしに行くわけです。すると、案の定手紙が届いている。中身を確認すると、家政婦からで、奥さんが亡くなったと書いているんです!ところが、それを読んだ彼は黙って懐に入れちゃう!そして、またもやシルヴィア・クリステルを探して夜の街をさまよい、そのあとも何度か寝ちゃう!このあたりの展開は、かなり難解かもしれません。なにしろ主人公が何を考えているんだか、さっぱり理解不能なので。 なかざわ:これは20年以上前にビデオで見たきりなので、記憶はかなり曖昧ですね。 飯森:で、ここからがネタバレ全開なんですが、ラストで例の手紙を取り出してもう一度読むんですよ。すると、息子も死んだってことが書いてある。あの可愛い息子が自宅のプールに落ちて死んじゃって、それで半狂乱になった奥さんが衝動的に自殺したというのが事の全貌だったわけなんですが、我々観客には奥さんが死んだ部分しか明かされていなかったわけです。それまで売春婦と何度もやった主人公は、夜が白々と明けていく中、車の中でその手紙を改めて読みながらさめざめと泣いて、次の瞬間にバーンと銃声がこだまして終わり。恐らく自殺したんでしょう。何を言いたいのか分かりづらい映画です。で、当時の監督のインタビューを読むと、実は奥さんとシルヴィア・クリステル演じる売春婦が似ているという設定らしいんですね。奥さんが死んじゃったことで気が動転した主人公は、瓜二つの売春婦を抱くことで現実逃避しようと思ったらしいんですよ。でも、映画に出てくる奥さん役の女優とシルヴィア・クリステルは全然似ていない。だから、インタビューを読んでビックリしました。 なかざわ:他人の空似じゃないですけれど、その人にしか分からない共通点みたいなものはあるんでしょうけれどね。 飯森:でもそれは映像として描かないとダメですよ!シルヴィア・クリステルに聖女と娼婦の一人二役やらせるとか。あと、時系列も本来は違ったみたいですね。原作だと出張へ向かっている最中に訃報が届くらしいんです。なので、家族がみんな死んじゃったと分かった状態で、それでもパリへ行って夜の街をさまようという話になっているようなんですね。でも、映画だと単に出張先でハメを外して女遊びしたところ、その翌日に奥さんの訃報が届いて、それでも遊びを続けた挙句、改めて手紙を読むと息子も死んでいたことが分かり、あの家にはもう誰もいないからということで自殺する。そういう、ちょっと理解しがたい作りになっています。どうやら原作では、手紙で奥さんが死んだという一文を見つけて、動転のあまり手紙を畳んで読まなかったらしいんですよ。 なかざわ:すると、そもそも手紙をちゃんと読んではいなかったわけですね。 飯森:ともかく、驚くくらい唐突な展開の映画なんですけれど、ボロフチックさんにとっては勝負作だったのではないかなという気もします。なにしろ、プロデューサーのレイモン・アキム【注57】も、キネマ旬報のインタビューで「第二の『ラスト・タンゴ・イン・パリ』【注58】以上のものです」と豪語しているし(笑)。少なくとも、「エマニエル夫人」を上回る!くらいの意気込みで作られたのではないかと思いますね。 なかざわ:確かに主演も美男美女の旬なスターを揃えているし、作品のテイストにしても薫り高き文芸映画という趣ですから、ここでひとつ評価を固めておきたいという野心はあったのかもしれないですね。なにしろ、「インモラル物語」や「邪淫の館・獣人」で好奇の目に晒された後ですし。 飯森:とはいえ、そこまでの評価は得られなかった。当時はベルトルッチやポランスキー【注59】に続く逸材として将来を嘱望されていたようですが、このあとは次第に「結局ポルノの人なんでしょ?」みたいな扱いをされてしまう。 なかざわ:キワモノ系の監督なんかと一緒にされてしまった感はありますね。 飯森:ただ、今お話したような裏話的な解釈を踏まえた上で見ると、いろいろな謎解きとかメタファーに満ちた映画のようにも思えるんですよ。深読みを楽しめる奥の深い作品だとも言えます。あとはシルヴィア・クリステルですよ。彼女がとんでもなく美しい!格調が高いというか。彼女の場合、服を着てる時より脱いだ時の美しさですよね。裸身が高貴! なかざわ:彼女は当時のポルノ女優の一般的なイメージとは一線を画す存在ですよね。儚げだし、体も華奢だし。グラマラスからは程遠い。竹久夢二【注60】のイラストに描かれてもおかしくない。 飯森:そういう意味では、日本人受けするタイプかもしれませんね。その究極の女体美を堪能するという一点においてもオススメです。 <注53>1952年生まれ。映画「エマニエル夫人」(’74)で世界中に大旋風を巻き起こした。2012年没。<注54>1948年生まれ。ヌード・モデルを経てアンディ・ウォーホルに見出され、彼のアングラ映画に次々と主演して’70年代サブカルチャーの申し子となる。<注55>1928年生まれ。アメリカの芸術家でポップ・アートの生みの親。絵画や音楽、映画にまでその才能を発揮し、彼の取り巻きグループからはモデルのイーディ・セジウィックやキャンディ・ダーリン、ジョー・ダレッサンドロなどのスターが生まれた。<注56>1979年製作。映画「エアポート」シリーズの第4弾。超音速旅客機コンコルドがミサイルに狙われる。アラン・ドロンとシルヴィア・クリステルが主演。<注57>1909年生まれ。フランスの映画製作者。兄のロベールと共同で、「望郷」(’36)や「太陽がいっぱい」(’60)、「昼顔」(’67)などの名作を手がける。1980年没。<注58>1972年製作。主演のマーロン・ブランドとマリア・シュナイダーの大胆な性描写が物議を醸した。ベルナルド・ベルトルッチ監督。<注59>ロマン・ポランスキー。1933年生まれ。ポーランドの映画監督。代表作は「反撥」(’65)、「ローズマリーの赤ちゃん」(’68)、「テス」(’80)、「戦場のピアニスト」(’02)など。<注60>1884年生まれ。日本の画家。アンニュイな美人画で知られる。1934年没。 次ページ >> 『罪物語』…俺には妻がいるがもう愛してない、離婚調停中で近々別れる予定、という、よくあるパターン 『インモラル物語』"CONTES IMMORAUX" by Walerian Borowczyk © 1974 Argos Films 『夜明けのマルジュ』©ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO.
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COLUMN/コラム2016.01.16
男たちのシネマ愛③愛すべき、ボロフチック監督作品(3)
飯森:そろそろ「インモラル物語」の話題に移りましょうか。これはセックスにまつわる4つの短編で構成されたオムニバス映画ですが、第1話の「満潮」というのがフェラチオの話なんですよね。この中でいきなり、可愛い女の子の唇のドアップが映る。先ほど述べた、肖像画がポッと出てくるような独特のテンポ感で、ワイド画面いっぱいに唇が写るんです。これは何なんだろう、という気がするんですよ。ボロフチックさんは、女性の体は本当に美しいんだ、それをフィルムに収めたかったんだということを語っているので、単純に引いて美しく寄っても美しいという理由だけなのかもしれないですが。 なかざわ:そもそも彼は、被写体=オブジェクトに対して強い執着というか、こだわりがあったみたいですね。なので、自分の映画に出てくる小道具や美術セットも、重要なものは彼自身がデザインをして作っていたらしいんですよ。彼の映画には、自分が好きなものや興味あるもの、こだわっているものだけで完璧な世界を作り上げたいという執念のようなものを感じます。以前に見た’83年撮影のインタビュー映像で、一番好きなのは短編アニメーションを作ることだと言っていました。なぜなら、他人とコラボレーションをする必要がないから。自分だけで全てをコントロールし、支配できるからなんでしょう。 飯森:「インモラル物語」でも、監督だけじゃなく撮影、編集、美術とか、何でもかんでも自分でやっていますよね。 なかざわ:そう、だからボロフチック以外の撮影監督や美術デザイナーが仮にクレジットされていたとしても、彼らは監督から指示されたことを実行するだけの人たちに過ぎないらしいんです。ボロフチック作品のイギリス盤ブルーレイ・シリーズには、初期短編時代から携わってきたスタッフのインタビュー映像が収録されているんですけれど、彼らの話によるとボロフチック作品においてスタッフが自分のアイデアを持ち込むということは、一番やっちゃいけないことだったみたいですね。良かれと思って照明の位置を変えるとか。監督の意図に沿わないものは全てやり直しさせられる。彼の頭の中では具体的なディテールに至るまでビジョンが既に出来上がっていて、あとはスタッフに命じてそれを再現するだけ、ということなんでしょうね。 飯森:ただ、もともと僕は変にアートぶった難解至極な映画ってあまり好きじゃなくて、うちで放送しないからぶっちゃけて言っちゃいますけれど、そういう意味でボロフチックさんの「愛の島ゴトー」も実は苦手なんですが、そんな僕でも「インモラル物語」は非常に楽しく見ることができる。なにか特別に言いたいことがあるわけじゃなくて、ただひたすら美しくエロを撮りたかっただけじゃないのかなって思うんです。 なかざわ:人間の営みとしてのセックスであったり、欲望としてのセックスであったりと、そのまま包み隠さずに描くことが恐らく目的ではないかなとも思います。そこに何かしらの、理に適ったストーリーを求めちゃいけない。 飯森:第1話の「満潮」にしたって、「お前ちょっとフェラしてくれよ」ってことで、可愛い従姉妹を連れて海へ行き、しゃぶってもらって、はいスッキリした、はいオシマイ!っていうね(笑)。ただ、例えばフランスのノルマンディ地方の荒涼としたような海辺の家から2人が連れ立って行く姿とか、自転車で坂を登り詰めていくと突然目の前にバーンと海岸が広がる様子とか、一つ一つのシーンのどれを取っても極めて美しく撮られている。それだけで大いに満足できるんですよ。あれが「インモラル物語」の中では一番無内容なエピソードなのかな、恐らく。 なかざわ:そうですね。 飯森:その次の第2話「哲学者テレーズ」というのも、これまたこれで無内容だった。厳格なカトリックの家庭に育てられている女の子が、大したことじゃないんだけど外出して遊んできたところを母親に見つかって、反省しなさい!ということでお仕置き部屋に入れられる。で、最初はしおらしく泣いているんだけれど、そのうちやることなくて独りエッチを始めるという、延々それだけを映している話です。 なかざわ:一応、宗教的な要素は強いですけれどね。 飯森:そうですね、ボロフチックさんは宗教も嫌いだったのかもしれない。宗教的な人たちが出てきて、そんなことやっちゃいけません!と言うような展開はよく出てきますよね。でも、そんなこと言ったってやりたいものはやりたいんだよ!と。「修道女の悶え」も同様ですが、やるなって言う方が無理な話じゃないですか、というのが彼の基本的なスタンスなんでしょう。 なかざわ:ポーランドという共産圏に生まれ育ったという、彼自身のバックグランドも影響しているかもしれません。 飯森:ポーランドは共産圏でありながら熱心なカトリック国ですからね。だからロシア語と似た言語なのにアルファベットがキリル文字じゃなくてローマ字なんです。ローマ教皇のヨハネ・パウロ2世【注43】もポーランド出身でしたしね。そういう国なので、共産党への反発なのか、それとも厳格なカトリシズムへの反発なのか、それとも単に抑圧的な権力のメタファーとして描いているのか、そのへんは定かじゃないんですけれど。 なかざわ:個人的には、カトリック教会への反発があるようにも感じます。彼はグラフィック・デサイナーとして、長いこと共産党プロパガンダのポスターを作っていましたから、さほど共産主義の理念に対して抵抗を持っていたようにも思えないので。 飯森:いずれにせよ、女性が欲望を催して、自らの指で処理するまでの過程を、丁寧かつ美しく描いた「哲学者テレーズ」は、出歯亀的な好奇心をそそるという意味でも興味深く見ることができます。で、その次からですよね、凄いことになるのは。第3話「エルザベット・バトリ」の題材はバートリ・エルジェーベト【注44】という、中世のハンガリーに実在した女性貴族。“血の伯爵夫人”として有名で、よくホラー映画の題材にもなります。ハマー・フィルム【注45】の「鮮血の処女狩り」【注46】とか。 なかざわ:若い処女の血を浴びて自らの若さを保つという。 飯森:ただこの伝説、話が話なだけに、どうしてもエログロなトラッシュ映画【注47】になりがちで。村中の処女という処女を集めてきて虐殺し、その血で満たされたバスタブに浸かったらお肌がツルッツルになった美魔女、という、まさに悪趣味としか言いようのない伝説なわけですから。でもそれをボロフチックさんが描くと、一気にハイレベルなアートになってしまう。村の若い娘達をさらってきて、一堂に集めて裸にした時の、髪の色の違い、胸の形の違い、乳首の色の違い、あとテレビでは見せられませんが陰毛の色の違い。それらがまさに十人十色で、女性の裸体というのは集団になるとこれほどまでに個性的で美しいのかと驚かされます。 なかざわ:そういえば、バートリ・エルジェーベトの話は、中田秀夫監督【注48】の「劇場霊」【注49】でも描かれていましたよね。劇中劇ですけれど。 飯森:あと彼女が着ているドレスなども、トルコ支配の影響を受けた、いかにもハンガリーらしい東西折衷の独特のエスニックなテイストがあって、西欧文化圏との違いがよく分かります。絢爛たる歴史絵巻の風情ですよ。 なかざわ:しかも演じているのはパロマ・ピカソ【注50】。あのパブロ・ピカソ【注51】の娘です。本業は確かファッション・デザイナーだったと思いますけれど。 飯森:演技力のあまり要求されない役柄ですからね。セリフもないですし。で、最後の第4話「ルクレチア・ボルジア」がルクレツィア・ボルジア【注52】の話ですね。ボルジア家の乱れに乱れた、それこそ近親相姦までやっているような、権力者の性の倒錯を描いている。 なかざわ:親子でサンドイッチ3Pしちゃいますからね。しかも、パパはローマ教皇。 飯森:にも関わらず、批判めいた感じがあまりない。最後には教会の腐敗を大声で糾弾していた修道士が処刑され、それと交互するようにルクレツィアが近親相姦で産んだ子供の誕生をにこやかに祝福する姿が描かれているのだけれど、一体どっちを悪者として捉えているのか分からない。つまり、近親相姦で乱交3Pしている方を批判的に見ているとは思えないんです。それこそ、楽しげにやってるね♪くらいのノリで。逆に、説教台の上からヒステリックに「バチカンは腐っている!」って叫んでいる奴の方を、グロテスクに描いているように見えるわけです。 <注43>1920年生まれ。在位期間は’78年~’05年。2度の暗殺未遂事件も話題になった。’05年没。<注44>1560年生まれ。自らの若さと美貌を保つため、農村の若い処女を次々と殺害しては、その血を浴びていた。有力な名門貴族だったため、その残虐行為は見逃されていたが、被害者の脱走がきっかけで逮捕され有罪となった。1614年没。<注45>’50年代~’70年代に一世を風靡したイギリスの映画会社。ホラー映画やSF映画で人気を博した。<注46>1971年製作。実の娘の若さと美貌に嫉妬した中年の貴婦人が、村の若い娘たちを殺してはその血の風呂に浸かり、まんまと若返ることに成功する。イングリッド・ピット主演。<注47>文字通りトラッシュ=ゴミ映画のこと。一部のコアな映画マニアは、親愛の情と皮肉を込めて低予算のB級C級映画をそう呼ぶ。<注48>1961年生まれ。日本の映画監督。代表作は「リング」(’98)、「仄暗い水の底から」(’02)など。リメイク版「リング2」(’05)でハリウッド進出。<注49>2015年製作。舞台劇の小道具に使われる呪われた人形が、次々と関係者を殺していく。<注50>1949年生まれ。ティファニーの宝飾デザイナーとして知られる。<注51>1881年生まれ。スペイン出身の20世紀を代表する世界的な芸術家。1973年没。<注52>1480年生まれ。ルネッサンス期のイタリアを支配したボルジア家の出身で、汚職で悪名高いローマ教皇アレクサンデル6世の娘。1519年死去。 次ページ >> 『夜明けのマルジュ』…家族に見送られ都会へやって来て真っ先にするのが赤線で売春婦探し 『インモラル物語』"CONTES IMMORAUX" by Walerian Borowczyk © 1974 Argos Films 『夜明けのマルジュ』©ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO.
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COLUMN/コラム2016.01.15
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年2月】うず潮
西部開拓から近代へと変革する激動の30年を、ある牧場の家族を通して描いた、アカデミー賞監督賞受賞作!『エデンの東』『理由なき反抗』でスターへと駆け上がり、24歳の若さで亡くなったジェームズ・ディーンの遺作となった本作。主演のエリザベス・テイラーへの叶わぬ思いに悩み続け、牧場の使用人から石油発掘で成り上がる男を青年から初老まで変幻自在に演じる、ジェームズ・ディーンは必見です! 保守的な牧場主役をロック・ハドソンが演じ、時代のうねりから家族を守るため、自分の信念を曲げて決断していく姿と、それを叱咤激励する妻役のエリザベス・テイラーとの夫婦愛はどこか感動的です。ご夫婦一緒に見て頂きたい1本です!エリザベス・テイラーの美貌とジェームズ・ディーンのカッコ良さもご堪能ください! アカデミー賞月間である2月に、ザ・シネマでは『アカデミー賞大特集 3DAYS』と題して、作品賞、監督賞、主演・助演女優賞、主演・助演男優賞を受賞した、計14作品を特集放送!放送日は2/27(土)~29(月)の3日間です!こちらも是非! © Warner Bros. Entertainment Inc., George Stevens, Jr. & Jess S. Morgan
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COLUMN/コラム2016.01.09
男たちのシネマ愛③愛すべき、ボロフチック監督作品(2)
なかざわ:面白いなと思うのは、彼のようにアバンギャルドな作家性を持つ人たち、例えばティント・ブラス【注15】やピエル・パオロ・パゾリーニ【注16】、アラン=ロブ・グリエ【注17】などもそうだと思うんですが、みんな芸術やら反権力やらを突き詰めていくと最終的にセックスへと行き着くんですよね。 飯森:これもまた昔のキネ旬のインタビュー記事からの引用なんですが、「インモラル物語」について、性器のクロースアップに執着するのはどういう理由からなのでしょう、という質問をインタビュアーの山田宏一【注18】大先生がされているんですよ。確かに誰がどう見たって異常に執着している。すると、「なぜなら、それはいわゆるタブーとして、道徳の名において最も長いあいだ隠された部分であったからです」と堂々と答えている。「誰がいったいそんなタブーを作ったのか? いつだって、それを禁じた人間がいちばんそれに関心を抱いていて、自分だけは見ても、他人には見せないように抗議し、反対するものです。こうした検閲者に対する反抗が映画のモティーフの一部になかったとは言えません」と。うちの場合、僕がその検閲者に当たるんですけれどね(笑)。うちで放送する際には当然、その部分にはモザイクをかけるわけで、我ながら申し訳ない気持ちでいっぱいです(笑)。 なかざわ:そのコメントの趣旨が最も当てはまるのは、「ジキル博士と女たち/暴行魔ハイド」【注19】かもしれませんね。これはジキル博士をビクトリア朝時代【注20】の英国における偽善的な倫理観の象徴、ハイド氏をその裏で抑圧された本能や欲望の象徴としながら、最終的にタブーやモラルによる束縛からの開放を高らかに謳った作品なんですよ。つまり、ジキル博士が完全にハイド氏になってしまう=自由の勝利宣言として描かれている。 飯森:スティーブンソンの「ジキル博士とハイド氏」という題材そのものが、ボロフチックさん向きだったのかもしれませんね。彼を含めてアバンギャルド系の人や反権力の人がポルノへ行くというのは、そういう理由でとてもよく分かる。なんで陰毛がだめなのか、なんで性交を映しちゃだめなのかと。それに対して、検閲者というのは「ダメなものはダメなんだ!」と言うほかは理屈もへったくれもない連中なので、そうなると性的な表現でこの“自由の敵”どもを挑発してやろう、ということになるんでしょう。 なかざわ:大島渚の「愛のコリーダ」【注21】もそういうことですよね。奇しくも、「インモラル物語」のプロデューサーも、「愛のコリーダ」と同じアナトール・ドーマン【注22】ですし。 ヴァレリアン・ボロフチック WalerianBorowczykPhotofest/アフロ 飯森:「愛のコリーダ」って実はフランス映画なんですよね。「インモラル物語」が日本公開された翌年くらいに「愛コリ裁判」【注23】が起きた。当時は’60年代後半からのカウンターカルチャー【注24】の流れで、政治の季節【注25】というのがまだまだ続いていた時代なんですね。その中でポルノ解禁についてもしきりに議論されていて。確か「悪徳の栄え」【注26】ですよね、マルキ・ド・サド【注27】の著作を翻訳したフランス文学者の澁澤龍彦【注28】が起訴された「サド裁判」があったりと、“猥褻と芸術”裁判というのが集中していた時期。その中で一番大きなものが「愛コリ裁判」だったかもしれません。日本初のハードコア映画。ハードコアとは、撮影のために本番・挿入しているポルノのことで、擬似だとソフトコアと呼んで区別するんですが、アダルトビデオが普通に存在する今となっては考えられませんけど、当時は撮影のために本番するなどけしからん!という理由で裁判沙汰にまで発展しちゃうような時代だったわけです。そんな’70年代半ばに「インモラル物語」でボロフチックさんが日本に初めて紹介されたわけですけど、驚くことにキネマ旬報が一号まるごと割いている。要は、「インモラル物語」特集号なの。それも、発行日がよりによって僕の誕生日なんですよ! なかざわ:それはもの凄い因縁ですね(笑)。 飯森:で、中では名だたる映画評論家の先生方が“猥褻と芸術”について問題提起をされている。しかも、わざわざパリへ行ってボロフチック監督本人にインタビューまでしているんです。例えば、日本の検閲の状況について、「日本ではまだまだ最低の状態で、毛一本見せてはならないというのが現状なのです」とインタビュアーが愚痴ると、ボロフチックさんは素晴らしいことを言っている。「それは奇妙なことですね」と。「あなたがたの国には、すでに江戸時代にあんなすばらしい春画【注29】があったではありませんか」と切り返しているんですよ。「あれほどおおらかで自由でユーモアにあふれた浮世絵があったのに、いまでは性毛すら見せてはいけないというのは、なんだかひどくバカげていますね。じつにつまらない検閲だと思いますよ」ということをズバッと言っているんです。 なかざわ:春画は確かにモロ出しですからね。 飯森:毛どころの騒ぎじゃない。そういうものが19世紀に普通に見られていた国で、どうして毛一本見せちゃいけないんだよ、バカじゃねえの!?っていうのは、まったく仰る通りじゃないですか。やはりそこですよね。反逆の作家たちは「お前らバカじゃねえの!?」って言いたくなっちゃうんでしょう。芸術家として。 なかざわ:で、その「インモラル物語」の翌年に作られたのが「邪淫の館・獣人」。これは、もともと「インモラル物語」に収録されていた短編を劇場公開時にカットして、改めて長編として作り直したものです。この2作品以前のボロフチック監督って、フランス国内はもとよりヨーロッパではアート系の映像作家として一定の評価を得ていた。例えば、漫画家時代のパトリス・ルコント監督【注30】もボロフチックに強い影響を受けていて、「カイエ・デュ・シネマ」【注31】に彼の論文を何度が寄稿していますし、長編3作目の「Blanche」【注32】では助監督も務めています。 飯森:そうなんですか! ちなみに、「インモラル物語」当時のキネ旬の記事だと、パゾリーニやベルトルッチ【注33】と比較考察されています。それくらいのポジションだった。 なかざわ:テリー・ギリアム【注34】もボロフチックの初期短編アニメに多大な影響を受けていると公言していますからね。それだけ芸術家としての高い評価を一部から受けていて、当然将来を期待されていたわけですが、この辺りから誤解が生まれるというか、「インモラル物語」や「邪淫の館・獣人」で初めて彼を知った人たちから、ポルノ監督というレッテルを貼られるようになっちゃうんですよ。いきなり時の人になっちゃったせいで。 飯森:これは「夜明けのマルジュ」の頃のインタビューなんですが、「わたしはポルノを作っている気はありませんし、いわゆるポルノは嫌悪しています。醜悪そのものだからです」と述べているように、彼は明らかにポルノと呼ばれることを嫌がっていましたけれどね。 なかざわ:実際に作品を見れば、ポルノとして作られていないことは一目瞭然です。しかし、この頃から生まれた誤解のせいで、やがて徐々に撮りたい作品が撮れなくなっていく。’80年代には「エマニエル夫人」【注35】シリーズの5作目「エマニエル ハーレムの熱い夜」【注36】なんて映画を撮っていますが、お金に困っていない限りそんな仕事は引き受けないでしょう。 飯森:そういう意味では、不幸な作家と言えるかもしれませんね。 なかざわ:結果的に世間からその真意をちゃんと理解してもらえなかったように思います。 飯森:ちょっと挑発的すぎたのかもしれません。 なかざわ:彼のように性をおおっぴらに描く映像作家が、まだまだ色眼鏡で見られる時代だったということもあるでしょうし。 飯森:それは今もそうですけれどね。ただ、彼みたいにアブノーマルと言われるようなものも含めて、ありとあらゆる性のパターンをフィルムに捉えつつ、ここまで耽美的・唯美的に描いてみせたエステティシストというのは、映画史的に見てもほかになかなか思いつかない。 なかざわ:彼の作品の特徴って、先ほどからの大らかなセックスというテーマもそうですが、被写体に対する距離感というものも印象的です。要は、傍観者なんですよ。これは特に初期作品で顕著ですけれど、決してカメラが作品の世界の中へと入っていかない。画面の構図も舞台劇というか人形劇というか、とても平面的です。 飯森:「愛の島ゴトー」はその典型ですね。 なかざわ:その次の「Blanche」も同様で、登場人物なんかも画面の左右を行き来することが多くて、奥行きへの動きが少ない。しかも、俳優まで美術セットや小道具の一つとして映像に捉えることが多い。そうしたある種の様式美は、元グラフィック・デザイナーらしいと言えるかもしれません。 飯森:僕がボロフチック作品で気になるのが銅版画【注37】。紙幣の肖像画みたいな、銅板を金属の大きな針で削って緻密に描いていくやつ。その銅版画で印刷された肖像画が、映画の中で部屋の壁によく飾ってあって、突然インサート・カット【注38】でポン!とスクリーンいっぱいに映し出されたりすることがある。あの編集が不思議なんですよね。 なかざわ:初期の短編アニメで、その銅版画のイラストだけで作られたものがあります。ひたすら奇妙な動きをしている作品なんですけど。 飯森:おおお!それは見たい! アバンギャルドですね! なかざわ:彼の初期短編作品って、アニメにせよ実写にせよ、基本的にストーリーらしきストーリーがなくて、シーンの前後の関連性までなかったりすることも珍しくない。ひたすら実験的なんです。 飯森:アニメーションってもともと実験性の高いものも多いじゃないですか。ほっといても勝手に動く人間が芝居するなら、動くのは当たり前なのでドラマをどう描いていくかが目的になりますけど、アニメは絵なりオブジェなりの静物をどうやって動かせばいいのか、という映像表現なわけですから、動かすこと自体が目的化してる作品もありますよね。 なかざわ:僕がボロフチックの短編で一番好きなのは、「Renaissance(ルネッサンス)」【注39】というタイトルのストップモーション・アニメ【注40】なんですけれど、まず最初に廃墟のような部屋が出てくるんですよ。そこには、いろいろなものが壊れて散らばっている。脚の折れたテーブルとか、ボロボロに剥がれた壁紙とか。その1つ1つが元通りになっていく様子を、コマ撮りで描いていくわけです。ベローンと剥げていた壁紙が綺麗になったり、バラバラに散らばっていた毛や綿の山がフクロウの剥製になったり。で、一番最後に元通りになるのが時計なんですよ。壊れていた時計がチクタクチクタクと動き始めると、そこにくっついていた時限爆弾が起動されてしまい、バーンと爆発して再び部屋がボロボロになってしまうわけです。恐らく永遠にそれを繰り返すんじゃないかな、と思わせる作品です。 飯森:うわぁー、なんともシュールな(笑)。アニメーションというのは物を動かす喜びに満ちたジャンルだと思うんですが、ただひたすらその喜びを表現するためだけに作られた作品なんでしょうね。 なかざわ:これなんかを見ると、テリー・ギリアムがボロフチックの短編に影響を受けたというのもよく分かる。 飯森:デヴィッド・リンチ【注41】の初期短編アニメに近いものもあるかもしれませんね。 なかざわ:ギリアムはモンティ・パイソン【注42】のネタなど、ボロフチックからインスピレーションを得ているらしいんですが、そう言われると“なるほど!”と思い当たるんです。アバンギャルドな点はもちろん、ちょっと暴力的なブラックユーモア精神も似ていると思いますね。 <注15>1933年生まれ。イタリアの映画監督。代表作は「サロン・キティ」(’76)、「カリギュラ」(’80)、「鍵」(’83)、「背徳小説」(’94)など。<注16>1922年生まれ。イタリアの詩人にして映画監督。代表作は「アポロンの地獄」(’67)や「テオレマ」(’68)、「デカメロン」(’71)、「ソドムの市」(’75)など。1975年没。<注17>1922年生まれ。フランスのヌーヴォー・ロマン派の小説家で映画監督。代表作は「危険な戯れ」(’75)、「囚われの美女」(’83)など。2008年没。<注18>1938年生まれ。日本の映画評論家。<注19>1981年製作。ジキル博士の邸宅に招かれた上流階級の偽善者たちが、老若男女に関係なく次々とハイド氏に陵辱されていく。<注20>19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、ビクトリア女王が統治した時代のこと。イギリスは経済的にも文化的にも最高潮の栄華を誇った。<注21>1976年製作。愛人の局部を切り取った女性、阿部定の実話を映画化した作品。<注22>1925年生まれ。ポーランド出身のフランスの映画製作者。代表作は「二十四時間の情事」(’59)、「ブリキの太鼓」(’76)、「パリ、テキサス」(’84)など。<注23>映画「愛のコリーダ」のスチール写真と脚本を掲載した出版物が警察に押収され、大島渚監督が起訴された事件。芸術と猥褻を巡る論争が繰り広げられた。<注24>体制的な主流文化に対抗する文化のこと。主にヒッピー文化などを指す。<注25>若者を中心に、学生運動や労働組合運動などの左翼的な政治活動が活発化した’60年代の世相のこと。<注26>1801年に出版された小説で、正式なタイトルは「ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え」。敬虔な女性ジュリエットがあらゆる悪徳と快楽に染まっていく。<注27>1740年生まれ。フランス革命で活躍した貴族にして小説家。暴力的なセックスを追求したことでも知られ、サディズムの語源となった。1814年没。<注28>1928年生まれ。日本のフランス文学者にして小説家。エロティシズムや人類の暗黒史などを追究した著作が多い。1987年没。<注29>性風俗を赤裸々に描いた江戸時代の浮世絵。<注30>1947年生まれ。フランスの映画監督。漫画家を経て映画界へ。代表作は「髪結いの亭主」(’90)、「イヴォンヌの香り」(’94)、「スーサイド・ショップ」(’12)など。<注31>1951年に創刊されたフランスの映画評論雑誌。執筆者の中からジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーなどの映画監督が生まれた。<注32>1972年製作。年老いた貴族の後家として嫁いだ、若く清純な貴婦人ブランシュの美貌に魅せられた男たちが勝手に自滅していく様子を、中世のフレスコ画のような映像で描く。<注33>ベルナルド・ベルトルッチ。1941年生まれ。イタリアの映画監督。代表作は「ラスト・タンゴ・イン・パリ」(’72)、「1900年」(’76)、「ラスト・エンペラー」(’87)など。<注34>1940年生まれ。イギリスの映画監督。コメディ集団モンティ・パイソンのメンバー。代表作は「未来世紀ブラジル」(’85)、「バロン」(’88)、「12モンキーズ」(’96)など。<注35>1974年製作。美貌の人妻エマニエルの奔放な性の冒険を描き、世界的なポルノ映画ブームを牽引した大ヒット作。その後シリーズ化された。主演はシルヴィア・クリステル。<注36>1987年製作。映画女優となったエマニエルの新たな性の冒険を描く。モニーク・ガブリエル主演。<注37>銅板に金属の針で細かい溝を彫り、そこにインクを流して印刷する版画の一種。ドライポイントやエッチングなど、様々な技法がある。<注38>映画やビデオなどの編集技法のひとつ。もともと編集された映像に、さらに別の映像を被せること。<注39>1963年製作。日本未公開。<注40>静止している物体を一コマづつ動かしながら撮影し、そのフィルムを連続して再生することで、あたかも本当に動いているかのように見せる映画技法。<注41>1946年生まれ。アメリカの映画監督。代表作は「ブルーベルベット」(’86)、「ロスト・ハイウェイ」(’97)、「マルホランド・ドライブ」(’01)など。<注42>イギリスの人気コメディ集団。’69年に始まったテレビ番組「空飛ぶモンティ・パイソン」で有名に。メンバーはテリー・ギリアム、エリック・アイドル、ジョン・クリーズなど。 次ページ >> 『インモラル物語』…お前ちょっとフェラしてくれよ! 『インモラル物語』"CONTES IMMORAUX" by Walerian Borowczyk © 1974 Argos Films 『夜明けのマルジュ』©ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO.
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COLUMN/コラム2016.01.05
男たちのシネマ愛③愛すべき、ボロフチック監督作品(1)
なかざわ:早くも3回目となる今回の対談ですが、テーマは「ミッドナイト・ヴィーナス」枠で放送される文芸エロスの巨匠ヴァレリアン・ボロフチック(注1)です。 飯森:まずはボロフチック監督の総論みたいなところから始めて、その後にザ・シネマで放送する「インモラル物語」(注2)、「夜明けのマルジュ」(注3)、「罪物語」(注4)の3作品について各論でトークすることにしましょうか。 ザ・シネマ編成部 飯森盛良 なかざわ:分かりました。どうしてもソフトポルノの人というイメージの強いボロフチックですが、しかしもともとは、いわゆるアバンギャルド路線(注5)の人なんですよね。しかも、活動の拠点はフランスだったけれども、実はポーランドの出身です。特に彼の作家性が強く出ているのは、初期の短編映画だと思うんですけれど、抽象的で実験性の強い作品ばかり撮っている。中でもロシア・アバンギャルド(注6)の影響が濃厚で、彼がグラフィック・デザイナーからスタートしたこともよく分かります。彼の生まれ育った過程で、ポーランドにはナチスの侵略があり、ソビエトのスターリニズム(注7)があり、そういう時代を経験しているから基本的に物事の見方がダークで哲学的なんですよね。 飯森:デビュー作は「愛の島ゴトー」(注8)でいいんですか? なかざわ:いえ、長編デビューはアニメなんです。なので、あれは長編実写映画のデビュー作ってことになります。 飯森:物の見方がダークだと仰いましたが、でも性に対して屈託がないというか、セックスにタブーがない人でもありますよね。 なかざわ:そうですね。その通りです。 飯森:大昔のキネマ旬報(注9)のインタビュー記事を読むと、セックスについて「古代ギリシャの文明は(今より)もっと開放的で自由でした」なんてことを言っている。それはその通りだと思うんですが、その証左として具体的に挙げているのがね、「たとえば獣姦ということがそのひとつの証拠ですね」と述べているんですよ! エェっ!?って感じじゃないですか(笑)。単にみんなが裸でエーゲ海の日差しを浴びて、明るく健康的に相手かまわずセックスしてました、それは素晴らしいことじゃないですか!と言うのかと思いきや、特に獣姦が良かったと。「古代ギリシャでは、動物と交わるということが、すくなくとも芸術家にとっては、自然な、美しい行為ですらあったのです」と力説しているんです。 なかざわ:それが「邪淫の館・獣人」(注10)のルーツですかね(笑)? 飯森:そうなんじゃないですか?あれは強烈だった!ブルボン朝期のフランスの貴婦人が、ゴリラのような獣に犯されてしまう。 なかざわ:しかも、もの凄い巨根なんですよね。 飯森:どう見ても明らかに着ぐるみで、それに巨大なモノが付いている。そいつに貴婦人が追いかけ回され犯されて、その獣のDNAが代々残っちゃうという家系の話です。 なかざわ:その巨根の先っちょから出るわ出るわ、白いドロドロの液体がとめどなく流れ出るのには驚きました。そこまでやるか!って(笑)。一歩間違えればポルノですけど、あれで欲情する人はまずいない。あえて観客を挑発しているとしか思えないですよね。 飯森:そもそも獣姦をテーマにしている時点で、明らかに観客を挑発している。ポーランドってカトリック(注11)の国ですからね。移住先のフランスだって、宗教色が薄いとはいえ同じくカトリックの国だし。後の「インモラル物語2」(注12)にも、バター犬ならぬ“バターうさぎ”を飼っている女の子の話が出てきますから、確信犯にして常習犯なんですけど、ボロフチックさんはそれらを決してネガティブには描いていない。 なかざわ:「インモラル物語」にせよ「尼僧の悶え」(注13)にせよ、禁断の性を描いていながら、どこか長閑で明るいところがありますよね。だから、例えば「尼僧の悶え」は'70年代ヨーロッパにおける尼僧映画ブームの最中に撮られた作品ですけど、当時は尼僧が一線を超えて肉欲の罪を犯したことで酷い目に遭うという暗いトーンの作品が大半だったのに対し、ボロフチックの「尼僧の悶え」はある意味で真逆。確かに結末は悲劇的かもしれないけれど、性の描き方そのものは明るく朗らか。後ろめたさがないんですよね。 飯森:あと、基本的に女性の性ですよね、彼が好んで描くのは。女性にだって性の抑えがたい欲求や変態的な願望さえあるんだと。かつて無いものとされていた女性の性欲にヒロインが突き動かされることで、トラブルが起こりドラマが生まれるという作品が多い。「修道女の悶え」はその典型的な映画で、修道女全員が悶えている(笑)。 なかざわ:厳密には修道院長以外全員ですね(笑)。 飯森:そう。修道院長はあまりにも真面目だから、あとで手痛いしっぺ返しを食らうんですけどね。それ以外の修道女は、なぜかみんな若くて美人で、しかも悶々たる性的欲求を抱えている。 なかざわ:木の枝でディルド(注14)を自作しちゃったりするし。 飯森:それはポルノじゃないかという意見も確かにありますが、しかし少なくとも監督の初期のインタビューを読んでいると、ポルノとは呼ばないで欲しいと言っているんですよ。恐らく彼の言い分としては、みんなもやっているでしょ?誰にだってそういう欲求はあるでしょ?隠すなよ!と。それが常にボロフチック作品の根底にあるテーマですよね。 <注1>1923年9月2日、ポーランド生まれ。クラクフの美術学校で絵画を学び、グラフィックデザイナーを経て'46年より短編の実験映画を発表。'59年にフランスへ移住し、'66年発表の「Rosalie」(日本未公開)ではベルリン国際映画祭やロカルノ国際映画祭の最優秀短編映画賞を獲得。'67年に長編映画デビューし、'90年代前半に現役を引退。'06年2月3日、フランスのパリで死去。<注2>1974年製作。性愛にまつわる4つの短編からなるオムニバス映画。<注3>1976年製作。フランスで最も権威のある文学賞、ゴンクール賞に輝いたアンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの小説「余白の街」の映画化。<注4>1975年製作。同年のカンヌ国際映画祭正式出品作。<注5>前衛芸術のこと。<注6>帝政ロシア末期からソビエト連邦初期にかけて、ロシアで花開いた前衛芸術運動。<注7>'20年代~'50年代にかけて、ソビエト連邦の最高指導者だったヨシフ・スターリンが実践した政治体制のこと。指導者に対する個人崇拝、秘密警察の監視や粛清による恐怖政治を特徴とする。<注8>1969年製作。外界から隔絶された島ゴトーを舞台に、独裁者の美しい妻に横恋慕した愚かで醜い男が、あらゆる卑劣な手段を使って権力の座を手に入れようとする。<注9>1919年に創刊された日本の映画雑誌。<注10>1975年製作。フランスの没落貴族と政略結婚することになったイギリスの裕福な女性が、相手の家系に獣人の血筋が流れていることを知る。<注11>キリスト教において最大規模の教派。ローマ教皇をその最高指導者とする。<注12>1979年製作。女性のセックスにまつわる3つの短編からなるオムニバス映画。<注13>1978年製作。中世の女子修道院を舞台に、性欲を持て余した尼僧たちの日常を描く。<注14>男性器の形を模した大人のおもちゃ。コケシや張り型とも呼ばれる。 次ページ >> あなたがたの国には、すでに江戸時代にあんなすばらしい春画があったではありませんか(ボロフチック) 『インモラル物語』"CONTES IMMORAUX" by Walerian Borowczyk © 1974 Argos Films 『夜明けのマルジュ』©ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO.
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COLUMN/コラム2015.12.28
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年1月】おふとん
貨物便で世界の空を飛び回る宅配会社社員チャックは、恋も仕事も忙しく充実した毎日を送っていた。だがある日、貨物便が墜落し無人島に漂着。手元にあるのは墜落時の漂流物のみ。果てしないサバイバル生活がはじまる。漂流物の1つバレーボールに目鼻を描いて“ウィルソン”と名付け話し相手にし、孤独を紛らす。そうして4年が経ち…。 『フォレスト・ガンプ/一期一会』でタッグを組んだロバート・ゼメキス監督とトム・ハンクスで送る無人島サバイバル。ほぼトム・ハンクスしか出演しないのですが、その独り芝居がすごい!作中で25kg減量していく様子も必見です。そしてご存知「ウィルソーーーーン!」シーンをお見逃しなく!! COPYRIGHT © 2015 DREAMWORKS LLC AND TWENTIETH CENTURY FOX FILM CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2015.12.20
テロの時代を予見した作品とその監督を、単純に不運とは言わせない!!〜『ブラック・サンデー』〜
映画はアメリカ大統領を含む8万人の観衆がフットボール試合を観戦する巨大スタジアムで、パレスチナのテロ集団"黒い九月"が仕掛けた無差別テロ計画を、イスラエル諜報特務庁"ムサド"が阻止しようとするパニック・サスペンス。単なる娯楽映画の枠組みを超え、強烈なリアリズムが終始観客の心を掴み続ける力作である。だが、日本公開目前の1977年、配給元に「上映すれば映画館を爆破する」という脅迫が届いたため、用意されていたプリントは破棄され、公開中止が決定する。その3年前の1974年には、東アジア反日武装戦線"狼"による三菱重工ビル爆破事件が発生し、衝撃の余波が続いていたこともあった。しかし、たとえ公開中止になろうとも、1970年代のハリウッド映画を代表する話題作へのファンの評価と飢餓感は消えることなく、2006年にはソフト化され、2011年、"第2回 午前十時の映画祭"に於いて、遂に細々ではあるが劇場公開の運びとなる。製作時から実に34年後の公開だった。 この映画が長く語り継がれる所以は、人物や状況を手持ちカメラやロングショットで追い続けるドキュメンタリー・タッチにある。物語の幕開けはベイルート。"黒い九月"のメンバーが祖国アメリカへの復讐に燃えるベトナム帰還兵、ランダー(ブルース・ダーン)を操り、無差別テロを計画しているアジトに、"ムサド"の特殊部隊が乱入。しかし、リーダーのカバコフ(ロバート・ショー)はその時シャワーを浴びていたテロの首謀者、ダリア(マルト・ケラー)を見逃したため、計画はやがて実行へと移されることになる。映画監督デビュー前にアメリカ空軍の映画班で記録映画を数多く手がけ、その後、TVの生番組を152番組も演出した経験があるジョン・フランケンハイマーは、冒頭の数分で手持ちカメラを存分に駆使。その効果は絶大で、実際はモロッコのタンジールで撮影されたベイルートのざらざらとした画像とも相まって、観客を即座にテロ前夜の緊迫した世界へと取り込んでしまう。 フランケンハイマーのリアルなタッチは人物像にも及ぶ。 イスラエルとパレスチナの終わらない報復の連鎖の中で、家族を失い、必然的に孤高のテロリストとならざるを得なかったダリアを、気丈ではあるが不幸な戦争の被害者として、出征先のベトナムで捕虜となったばかりに、解放され、帰国後は母国民から裏切り者の烙印を押され、妻子にも去られ、精神に異常を来したランダーを、祖国から見放された狂気の人物として各々描写。さらに、"ムサド"を率いてきたカバコフにすら、劇中で「もう殺戮はたくさんだ」といみじくも独白させる。そんなテロ戦争の深い闇の中で、舞台となるアメリカとアメリカ国民はただ逃げ惑うしかないという矛盾が浮かび上がる。まるで、あの9.11を予言したかのような原作と脚色は、その後、『羊たちの沈黙』(91)で世に出るベストセラー作家、トマス・ハリスによるもの。これはハリスにとって最初に映画化された原作であり、『羊~』から続く『ハンニバル』シリーズ以外で唯一映画化された作品でもあるのだ。 気鋭の作家の筆力を得て、フランケンハイマー・タッチは後半、さらにヒートアップして行く。ダリアとランダーが武器として用意したプラスティック爆弾の密輸入に成功し、まずはその威力を試すため、カリフォルニアのモハベ砂漠の小屋で爆破させると、トタンに無数のライフルダーツが開くシーンの視覚的恐怖から、テロ一味が決行の日時と場所に設定したマイアミのスーパーボウル当日、ランダーが操縦する爆弾を搭載した飛行船がスタジアム上空に接近するのを、カバコフがヘンコプターから身を乗り出して追跡する空中戦へと転じるクライマックスのカタルシスは半端ない。リアルな犯罪サスペンスが娯楽アクションに俄然シフトする瞬間だ。 スーパーボウルのシーンはNFLの全面協力の下、マイアミのオレンジボウルで行われた第10回スーパーボウル、ダラス・カウボーイズVSピッツバーグ・スティーラーズの試合前日、10000人のエキストラを投入して撮影された。試合当日にパニックシーンの撮影は危険だったからだ。エキストラは全員ボランティアだったため、後日、フランケンハイマーは謝礼代わりに彼らの仕事ぶりを得意のドキュメンタリー映画に収めることで、その献身に応えている。タイヤメーカー、グッドイヤーが飛行船を提供したのもフランケンハイマーの尽力によるもの。彼とグッドイヤーはFIレースを描いた『グラン・プリ』(66)以来、信頼関係にあったからだ。 『ブラック・サンデー』を語る上で、改めてジョン・フランケンハイマーを取り上げないわけにはいかない。映画の公開直前、配給のバラマウントはかつてない量のモニター試写を行い、結果、かつてない程の好評を獲得し、自信を持って劇場公開に踏み切った。『ジョーズ』(75)に匹敵するブロックバスターになると信じて。ところが、映画は同じ1977年に公開された『スター・ウォーズ』の興収に遠く及ばなかった。そして、これを境にフランケンハイマーは映画作家としてのカリスマを失う。モンスター映画『プロフェシー/恐怖の予言』(79)、ドン・ジョンソン主演のディテクティブもの『サンタモニカ・ダンディ』(89)、H・G・ウェルズ原作『D.N.A./ドクターモローの島』(96)等を発表したものの、どれも『ブラック・サンデー』以前の代表作、アカデミー賞4部門に輝いた『終身犯』(62)以下、『グラン・プリ』『フィクサー』(68)『ホースメン』(71)『フレンチ・コネクション2』(75)等と比べて、質的に劣る作品ばかりだった。 そして、2002年、フランケンハイマーは脊髄手術の合併症により72歳で死去。1960~70年代のハリウッド映画に独自のダイナミズムとリアリズムを持ち込んだ巨匠は、惜しまれつつ、ファンの記憶の中に仕舞い込まれる。ハリウッドメジャーの期待を裏切った彼自身も、もしかして、映画と同じく不運な人だったのかも知れない。しかし、遊園地を舞台に爆弾魔と検査官を攻防を描いた『ジェット・ローラー・コースター』や、同じフットボール試合で発生する狙撃事件を追った『パニック・イン・スタジアム』等、'77年に起きたパニック映画ブームの一翼を担った他作品と比べると、『ブラック・サンデー』がいかに大人の鑑賞に耐え得る重層構造になっているかがよく分かる。単純な悪人も、ひたすら雄々しいヒーローも登場しないテロの時代の空虚を画面にとらえながら、同時に、娯楽的要素もたっぷりのバニック映画とその監督を、単純に不運と呼ぶのはいささか申し訳ない気がする。■ COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2015.11.22
話題の食人族映画『グリーン・インフェルノ』のイーライ・ロスが原案・製作・脚本・主演したディザスター・パニック・ホラー〜『アフターショック』〜
これはルッジェロ・デオダート監督の『食人族』(81年)やウンベルト・レンツィ監督の『人喰族』(84年)等の人喰い族を題材にしたモンド映画をリスペクトした作品である。とりわけ前者の『食人族』は、POV(主観映像)によるファウンドフッテージ形式をとったモキュメンタリー(疑似ドキュメント)作品にも関わらず、日本では衝撃のドキュメンタリーという悪ノリ宣伝にのって劇場公開され、真実か?作り物か?の議論を呼んで異例の大ヒット! ちなみにモンド映画とは、観客の見世物的な好奇心をそそらせるような猟奇系ドキュメンタリー、もしくはモキュメンタリーのことを指し、モンドはグァルティエロ・ヤコペッティ監督のドキュメンタリー映画『世界残酷物語』(62年)の原題“MONDO CANE”に由来する。 でも『グリーン・インフェルノ』は、ファウンドフッテージ物でもモキュメンタリーでもなく、モンド映画が持ついかがわしさは多少薄れているものの、生々しい残虐描写を盛り込みつつ、現代的アプローチで食人族映画を復活させた。ジャングルの森林破壊によって先住民のヤハ族が絶滅に瀕すると考えた過激な学生グループが小型飛行機に乗るが、熱帯雨林に墜落する。生き残った学生数人はヤハ族に捕われてしまい、一人ずつ喰われていった。ヤハ族は食人族だったのだ……。 生きた人間からえぐった眼球を生のまま食べたり(オエッ)、生きた人間の四肢をナタで切断して肉塊を燻製にして(笑)食べるなど、ロス監督らしいエゲツない描写に溢れている。 血生臭い『グリーン・インフェルノ』の脚本を務めたロスとギレルモ・アモエドは、その前にディザスター・パニック・ホラー『アフターショック』(12年)の脚本で組んでいる。 ロスは、ある映画祭で上映されたニコラス・ロペス監督の作品を観てとても気に入り、いつか一緒に組もうと約束した。そしてロペス監督がチリ地震での体験を基にした作品を作りたいと言うと、ロスも意気投合し製作が決定。ロペス監督の盟友ともいえる脚本家ギレルモ・アモエドも参加し、ロスは製作と共同脚本を務め、俳優として出演もした。 チリを観光旅行する男友だちの3人が、ワインを愉しみつつ、昼は観光、夜はクラブで女性をハント。さながら導入部は、『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』(09年)風のダメンズな匂いを感じさせながら、そこに巨大地震が起きて一変! ガラス片が体に突き刺さった女性とか(痛々しいっ)、壁が崩れ、天井からコンクリートの塊が落下してきて人間が果実のように潰れて圧死する! さっきまで、生の狂騒を感じさせていた空間が、阿鼻叫喚の地獄絵図に様変わり。津波が来るぞ、来るぞっという噂(情報)が流れだし、生き残った人間たちは高台を目指して右往左往するし、パニックに乗じて暴動や略奪があちこちで起こり、しかも刑務所から囚人たちが多数脱走し、更に混沌とした世界に変貌する。 大地震による恐怖もあるが、それによって引き起こされた人間のモラル崩壊が相次いで描かれる。地震の恐怖以上に人間の様々な凶行が、一層恐ろしく映し出される。 実は『ホステル』と『グリーン・インフェルノ』と同じく、『アフターショック』も似たようなシンプルな構成を取っている。導入部は若者たちの姿を、妙に脳天気に映し出しながら、突然ある異常な事態を迎えて恐怖の坩堝に落ちていく展開だ。その落差により、ショックと残虐に満ちた描写が一層際立つし、観る者たちに主人公たちの苦しみを疑似体験させようとする。ちぎれた腕を探す男の姿はどこか滑稽に映るが、どこか真実味をおびているし、時に不快感をももよおさせるほどの陰惨な場面も続出する。 例えば『ホステル』でいえば、拷問人に肉体を痛めつけられて肉体損壊される過程を丹念に見せながら、主人公と思しき人物が、隙をついてなんとか逃げ出そうとする際の、きりきりと胃が痛むような緊迫感が持続していた。あのなんともいいようのないショックと恐怖がたまらなかった。 おそらくイーライ・ロスが固執し続けるのは、彼自身が若い頃に『食人族』や『人喰族』等のモンド映画を観て受けた、超絶トラウマ体験の衝撃……すなわち“恐くて目を覆いたくなるようなショックで不快なものを見せつけてやろう”という精神なんだと思う。それがロスの心にも息づいていて、自分と同じようなトラウマ体験を、今の観客にも味あわせてやろうという意気込みが感じられる。まさにロスの監督作品は、“恐怖とショックと残酷の遺産”である。 だからロスにとって、作品がモンド映画か否かではなく、思わず観客の気持ちをひかせてしまうほどの、人間たちのリアルで恐るべき所業が主として映し出される。人間ほど恐くて魅力的なものはないのだから。 『アフターショック』では、地震よりも人間たちのほうが恐ろしい。パニックに乗じて囚人たちが民衆の中に巧みに入り混じってしまい、助けてもらいたいと思っても助けてもらえない状況に陥ってゆくし、普段は人の良さそうな人たちでも、銃を手にして発砲してくる始末だ。無法地帯になってしまった街中では、危険な不良グループがたむろし、だからといって重傷者を助けるわけでもなく、逆に弱っている者を血祭りにあげて嬌声をあげるし、若い女性を見れば、ここぞとばかりに襲いかかって欲望の赴くままにレイプする。 そうかと思えば、クラブから主人公たちを外に導こうとする、優しい清掃のおばさんがあっけなく死んでしまうし、展望台に運ぶケーブルカーのワイヤーが突然切れて、高所から傾斜度の高い坂をすべり落ちて婦女子全員が死んでしまう場面がある。人間の善悪では関係ないところで起きる自然災害の恐怖を伝える一方、神に仕える神父と修道女たちのいかがわしい関係によってできただろう堕胎児が地下墓地に埋葬されていて、善悪の人間に関わらず、誰しも恐ろしい本性を隠し持っていることを匂わせている。 そしてラストで、なんとか助かって、ようやく解放された空間に出てきたヒロインが直面する恐怖には、観る人によっては御都合主義と見られそうだが、私なりの解釈では、地獄からなかなか抜け出せなかった悪夢のようなものだと解釈した。現実かもしれないし、ヒロインが見た恐ろしい夢かもしれない。そのあたりのさじ加減が、実に上手い。 『アフターショック』はイーライ・ロスの監督作品ではないが、ロスの特徴が多分に盛り込まれた作品である。ちなみに『アフターショック』でロスが、ヒロインの一人、ロレンツァ・イッツォと共演し、その数年後に結婚するまでに到った記念碑的な作品でもある。ロスはイッツォを『グリーン・インフェルノ』の主役に起用し、食人族の族長が見染める処女を演じさせた。『アフターショック』の彼女とはかなりイメージが異なるので、見比べてみるのも一興である。■ ©2012 Vertebra Aftershock Film, LLC