なかざわ:面白いなと思うのは、彼のようにアバンギャルドな作家性を持つ人たち、例えばティント・ブラス【注15】やピエル・パオロ・パゾリーニ【注16】、アラン=ロブ・グリエ【注17】などもそうだと思うんですが、みんな芸術やら反権力やらを突き詰めていくと最終的にセックスへと行き着くんですよね。

飯森:これもまた昔のキネ旬のインタビュー記事からの引用なんですが、「インモラル物語」について、性器のクロースアップに執着するのはどういう理由からなのでしょう、という質問をインタビュアーの山田宏一【注18】大先生がされているんですよ。確かに誰がどう見たって異常に執着している。すると、「なぜなら、それはいわゆるタブーとして、道徳の名において最も長いあいだ隠された部分であったからです」と堂々と答えている。「誰がいったいそんなタブーを作ったのか? いつだって、それを禁じた人間がいちばんそれに関心を抱いていて、自分だけは見ても、他人には見せないように抗議し、反対するものです。こうした検閲者に対する反抗が映画のモティーフの一部になかったとは言えません」と。うちの場合、僕がその検閲者に当たるんですけれどね(笑)。うちで放送する際には当然、その部分にはモザイクをかけるわけで、我ながら申し訳ない気持ちでいっぱいです(笑)。

なかざわ:そのコメントの趣旨が最も当てはまるのは、「ジキル博士と女たち/暴行魔ハイド」【注19】かもしれませんね。これはジキル博士をビクトリア朝時代【注20】の英国における偽善的な倫理観の象徴、ハイド氏をその裏で抑圧された本能や欲望の象徴としながら、最終的にタブーやモラルによる束縛からの開放を高らかに謳った作品なんですよ。つまり、ジキル博士が完全にハイド氏になってしまう=自由の勝利宣言として描かれている。

飯森:スティーブンソンの「ジキル博士とハイド氏」という題材そのものが、ボロフチックさん向きだったのかもしれませんね。彼を含めてアバンギャルド系の人や反権力の人がポルノへ行くというのは、そういう理由でとてもよく分かる。なんで陰毛がだめなのか、なんで性交を映しちゃだめなのかと。それに対して、検閲者というのは「ダメなものはダメなんだ!」と言うほかは理屈もへったくれもない連中なので、そうなると性的な表現でこの“自由の敵”どもを挑発してやろう、ということになるんでしょう。

なかざわ:大島渚の「愛のコリーダ」【注21】もそういうことですよね。奇しくも、「インモラル物語」のプロデューサーも、「愛のコリーダ」と同じアナトール・ドーマン【注22】ですし。


ヴァレリアン・ボロフチック WalerianBorowczyk
Photofest/アフロ

飯森:「愛のコリーダ」って実はフランス映画なんですよね。「インモラル物語」が日本公開された翌年くらいに「愛コリ裁判」【注23】が起きた。当時は’60年代後半からのカウンターカルチャー【注24】の流れで、政治の季節【注25】というのがまだまだ続いていた時代なんですね。その中でポルノ解禁についてもしきりに議論されていて。確か「悪徳の栄え」【注26】ですよね、マルキ・ド・サド【注27】の著作を翻訳したフランス文学者の澁澤龍彦【注28】が起訴された「サド裁判」があったりと、“猥褻と芸術”裁判というのが集中していた時期。その中で一番大きなものが「愛コリ裁判」だったかもしれません。日本初のハードコア映画。ハードコアとは、撮影のために本番・挿入しているポルノのことで、擬似だとソフトコアと呼んで区別するんですが、アダルトビデオが普通に存在する今となっては考えられませんけど、当時は撮影のために本番するなどけしからん!という理由で裁判沙汰にまで発展しちゃうような時代だったわけです。そんな’70年代半ばに「インモラル物語」でボロフチックさんが日本に初めて紹介されたわけですけど、驚くことにキネマ旬報が一号まるごと割いている。要は、「インモラル物語」特集号なの。それも、発行日がよりによって僕の誕生日なんですよ!

なかざわそれはもの凄い因縁ですね(笑)。

飯森:で、中では名だたる映画評論家の先生方が“猥褻と芸術”について問題提起をされている。しかも、わざわざパリへ行ってボロフチック監督本人にインタビューまでしているんです。例えば、日本の検閲の状況について、「日本ではまだまだ最低の状態で、毛一本見せてはならないというのが現状なのです」とインタビュアーが愚痴ると、ボロフチックさんは素晴らしいことを言っている。「それは奇妙なことですね」と。「あなたがたの国には、すでに江戸時代にあんなすばらしい春画【注29】があったではありませんか」と切り返しているんですよ。「あれほどおおらかで自由でユーモアにあふれた浮世絵があったのに、いまでは性毛すら見せてはいけないというのは、なんだかひどくバカげていますね。じつにつまらない検閲だと思いますよ」ということをズバッと言っているんです。

なかざわ:春画は確かにモロ出しですからね。

飯森:毛どころの騒ぎじゃない。そういうものが19世紀に普通に見られていた国で、どうして毛一本見せちゃいけないんだよ、バカじゃねえの!?っていうのは、まったく仰る通りじゃないですか。やはりそこですよね。反逆の作家たちは「お前らバカじゃねえの!?」って言いたくなっちゃうんでしょう。芸術家として。

なかざわ:で、その「インモラル物語」の翌年に作られたのが「邪淫の館・獣人」。これは、もともと「インモラル物語」に収録されていた短編を劇場公開時にカットして、改めて長編として作り直したものです。この2作品以前のボロフチック監督って、フランス国内はもとよりヨーロッパではアート系の映像作家として一定の評価を得ていた。例えば、漫画家時代のパトリス・ルコント監督【注30】もボロフチックに強い影響を受けていて、「カイエ・デュ・シネマ」【注31】に彼の論文を何度が寄稿していますし、長編3作目の「Blanche」【注32】では助監督も務めています。

飯森:そうなんですか! ちなみに、「インモラル物語」当時のキネ旬の記事だと、パゾリーニやベルトルッチ【注33】と比較考察されています。それくらいのポジションだった。

なかざわ:テリー・ギリアム【注34】もボロフチックの初期短編アニメに多大な影響を受けていると公言していますからね。それだけ芸術家としての高い評価を一部から受けていて、当然将来を期待されていたわけですが、この辺りから誤解が生まれるというか、「インモラル物語」や「邪淫の館・獣人」で初めて彼を知った人たちから、ポルノ監督というレッテルを貼られるようになっちゃうんですよ。いきなり時の人になっちゃったせいで。

飯森:これは「夜明けのマルジュ」の頃のインタビューなんですが、「わたしはポルノを作っている気はありませんし、いわゆるポルノは嫌悪しています。醜悪そのものだからです」と述べているように、彼は明らかにポルノと呼ばれることを嫌がっていましたけれどね。

なかざわ:実際に作品を見れば、ポルノとして作られていないことは一目瞭然です。しかし、この頃から生まれた誤解のせいで、やがて徐々に撮りたい作品が撮れなくなっていく。’80年代には「エマニエル夫人」【注35】シリーズの5作目「エマニエル ハーレムの熱い夜」【注36】なんて映画を撮っていますが、お金に困っていない限りそんな仕事は引き受けないでしょう。

飯森:そういう意味では、不幸な作家と言えるかもしれませんね。

なかざわ:結果的に世間からその真意をちゃんと理解してもらえなかったように思います。

飯森:ちょっと挑発的すぎたのかもしれません。

なかざわ:彼のように性をおおっぴらに描く映像作家が、まだまだ色眼鏡で見られる時代だったということもあるでしょうし。

飯森:それは今もそうですけれどね。ただ、彼みたいにアブノーマルと言われるようなものも含めて、ありとあらゆる性のパターンをフィルムに捉えつつ、ここまで耽美的・唯美的に描いてみせたエステティシストというのは、映画史的に見てもほかになかなか思いつかない。

なかざわ:彼の作品の特徴って、先ほどからの大らかなセックスというテーマもそうですが、被写体に対する距離感というものも印象的です。要は、傍観者なんですよ。これは特に初期作品で顕著ですけれど、決してカメラが作品の世界の中へと入っていかない。画面の構図も舞台劇というか人形劇というか、とても平面的です。

飯森:「愛の島ゴトー」はその典型ですね。

なかざわ:その次の「Blanche」も同様で、登場人物なんかも画面の左右を行き来することが多くて、奥行きへの動きが少ない。しかも、俳優まで美術セットや小道具の一つとして映像に捉えることが多い。そうしたある種の様式美は、元グラフィック・デザイナーらしいと言えるかもしれません。

飯森:僕がボロフチック作品で気になるのが銅版画【注37】。紙幣の肖像画みたいな、銅板を金属の大きな針で削って緻密に描いていくやつ。その銅版画で印刷された肖像画が、映画の中で部屋の壁によく飾ってあって、突然インサート・カット【注38】でポン!とスクリーンいっぱいに映し出されたりすることがある。あの編集が不思議なんですよね。

なかざわ:初期の短編アニメで、その銅版画のイラストだけで作られたものがあります。ひたすら奇妙な動きをしている作品なんですけど。

飯森:おおお!それは見たい! アバンギャルドですね!

なかざわ:彼の初期短編作品って、アニメにせよ実写にせよ、基本的にストーリーらしきストーリーがなくて、シーンの前後の関連性までなかったりすることも珍しくない。ひたすら実験的なんです。

飯森:アニメーションってもともと実験性の高いものも多いじゃないですか。ほっといても勝手に動く人間が芝居するなら、動くのは当たり前なのでドラマをどう描いていくかが目的になりますけど、アニメは絵なりオブジェなりの静物をどうやって動かせばいいのか、という映像表現なわけですから、動かすこと自体が目的化してる作品もありますよね。

なかざわ:僕がボロフチックの短編で一番好きなのは、「Renaissance(ルネッサンス)」【注39】というタイトルのストップモーション・アニメ【注40】なんですけれど、まず最初に廃墟のような部屋が出てくるんですよ。そこには、いろいろなものが壊れて散らばっている。脚の折れたテーブルとか、ボロボロに剥がれた壁紙とか。その1つ1つが元通りになっていく様子を、コマ撮りで描いていくわけです。ベローンと剥げていた壁紙が綺麗になったり、バラバラに散らばっていた毛や綿の山がフクロウの剥製になったり。で、一番最後に元通りになるのが時計なんですよ。壊れていた時計がチクタクチクタクと動き始めると、そこにくっついていた時限爆弾が起動されてしまい、バーンと爆発して再び部屋がボロボロになってしまうわけです。恐らく永遠にそれを繰り返すんじゃないかな、と思わせる作品です。

飯森:うわぁー、なんともシュールな(笑)。アニメーションというのは物を動かす喜びに満ちたジャンルだと思うんですが、ただひたすらその喜びを表現するためだけに作られた作品なんでしょうね。

なかざわ:これなんかを見ると、テリー・ギリアムがボロフチックの短編に影響を受けたというのもよく分かる。

飯森:デヴィッド・リンチ【注41】の初期短編アニメに近いものもあるかもしれませんね。

なかざわ:ギリアムはモンティ・パイソン【注42】のネタなど、ボロフチックからインスピレーションを得ているらしいんですが、そう言われると“なるほど!”と思い当たるんです。アバンギャルドな点はもちろん、ちょっと暴力的なブラックユーモア精神も似ていると思いますね。


<注15>1933年生まれ。イタリアの映画監督。代表作は「サロン・キティ」(’76)、「カリギュラ」(’80)、「鍵」(’83)、「背徳小説」(’94)など。
<注16>1922年生まれ。イタリアの詩人にして映画監督。代表作は「アポロンの地獄」(’67)や「テオレマ」(’68)、「デカメロン」(’71)、「ソドムの市」(’75)など。1975年没。
<注17>1922年生まれ。フランスのヌーヴォー・ロマン派の小説家で映画監督。代表作は「危険な戯れ」(’75)、「囚われの美女」(’83)など。2008年没。
<注18>1938年生まれ。日本の映画評論家。
<注19>1981年製作。ジキル博士の邸宅に招かれた上流階級の偽善者たちが、老若男女に関係なく次々とハイド氏に陵辱されていく。
<注20>19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、ビクトリア女王が統治した時代のこと。イギリスは経済的にも文化的にも最高潮の栄華を誇った。
<注21>1976年製作。愛人の局部を切り取った女性、阿部定の実話を映画化した作品。
<注22>1925年生まれ。ポーランド出身のフランスの映画製作者。代表作は「二十四時間の情事」(’59)、「ブリキの太鼓」(’76)、「パリ、テキサス」(’84)など。
<注23>映画「愛のコリーダ」のスチール写真と脚本を掲載した出版物が警察に押収され、大島渚監督が起訴された事件。芸術と猥褻を巡る論争が繰り広げられた。
<注24>体制的な主流文化に対抗する文化のこと。主にヒッピー文化などを指す。
<注25>若者を中心に、学生運動や労働組合運動などの左翼的な政治活動が活発化した’60年代の世相のこと。
<注26>1801年に出版された小説で、正式なタイトルは「ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え」。敬虔な女性ジュリエットがあらゆる悪徳と快楽に染まっていく。
<注27>1740年生まれ。フランス革命で活躍した貴族にして小説家。暴力的なセックスを追求したことでも知られ、サディズムの語源となった。1814年没。
<注28>1928年生まれ。日本のフランス文学者にして小説家。エロティシズムや人類の暗黒史などを追究した著作が多い。1987年没。
<注29>性風俗を赤裸々に描いた江戸時代の浮世絵。
<注30>1947年生まれ。フランスの映画監督。漫画家を経て映画界へ。代表作は「髪結いの亭主」(’90)、「イヴォンヌの香り」(’94)、「スーサイド・ショップ」(’12)など。
<注31>1951年に創刊されたフランスの映画評論雑誌。執筆者の中からジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーなどの映画監督が生まれた。
<注32>1972年製作。年老いた貴族の後家として嫁いだ、若く清純な貴婦人ブランシュの美貌に魅せられた男たちが勝手に自滅していく様子を、中世のフレスコ画のような映像で描く。
<注33>ベルナルド・ベルトルッチ。1941年生まれ。イタリアの映画監督。代表作は「ラスト・タンゴ・イン・パリ」(’72)、「1900年」(’76)、「ラスト・エンペラー」(’87)など。
<注34>1940年生まれ。イギリスの映画監督。コメディ集団モンティ・パイソンのメンバー。代表作は「未来世紀ブラジル」(’85)、「バロン」(’88)、「12モンキーズ」(’96)など。
<注35>1974年製作。美貌の人妻エマニエルの奔放な性の冒険を描き、世界的なポルノ映画ブームを牽引した大ヒット作。その後シリーズ化された。主演はシルヴィア・クリステル。
<注36>1987年製作。映画女優となったエマニエルの新たな性の冒険を描く。モニーク・ガブリエル主演。
<注37>銅板に金属の針で細かい溝を彫り、そこにインクを流して印刷する版画の一種。ドライポイントやエッチングなど、様々な技法がある。
<注38>映画やビデオなどの編集技法のひとつ。もともと編集された映像に、さらに別の映像を被せること。
<注39>1963年製作。日本未公開。
<注40>静止している物体を一コマづつ動かしながら撮影し、そのフィルムを連続して再生することで、あたかも本当に動いているかのように見せる映画技法。
<注41>1946年生まれ。アメリカの映画監督。代表作は「ブルーベルベット」(’86)、「ロスト・ハイウェイ」(’97)、「マルホランド・ドライブ」(’01)など。
<注42>イギリスの人気コメディ集団。’69年に始まったテレビ番組「空飛ぶモンティ・パイソン」で有名に。メンバーはテリー・ギリアム、エリック・アイドル、ジョン・クリーズなど。


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『インモラル物語』"CONTES IMMORAUX" by Walerian Borowczyk © 1974 Argos Films 『夜明けのマルジュ』©ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO.