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PROGRAM/放送作品
さすらいのガンマン
コルブッチ監督のセンスが光る、『キル・ビル』に影響を与えたスタイリッシュ・マカロニ・ウエスタン
マカロニ・ウエスタンを築いた男セルジオ・コルブッチ監督の、スタイリッシュの一語に尽きる傑作。あのクエンティン・タランティーノ監督にも多大な影響を与えた。一度聞いたら頭から離れない主題歌も印象的だ。
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COLUMN/コラム2020.03.31
巨匠コルブッチの作家性を語るうえで重要なマカロニ西部劇の佳作。『スペシャリスト(1969)』
実は『殺しが静かにやって来る』の姉妹編!? リアルタイムでは過小評価されながらも、今やマカロニ西部劇ファンの間ではセルジオ・レオーネとも並び称される巨匠セルジオ・コルブッチ。西部劇を通して人間の欲望と暴力に彩られたアメリカという国の裏歴史を炙り出そうとしたレオーネに対し、コルブッチは西部劇を現代社会の腐敗や不条理を映し出す暴力的な寓話として描いた。そんな彼の代表作といえば、『続・荒野の用心棒』(’66)と『殺しが静かにやって来る』(’68)。これには誰も異論がないだろう。そして、不幸にも長いこと見過ごされてきたものの、実はその『殺しが静かにやって来る』の姉妹編的な存在であり、なおかつコルブッチの作家性を語るうえで重要な作品のひとつが、この『スペシャリスト』(’69)である。 舞台は山々に囲まれた緑豊かなアメリカ北西部。全米に悪名を轟かせる凄腕のガンマン、ハッド・ディクソン(ジョニー・アリディ)が、生まれ故郷の田舎町ブラックストーンへと戻って来る。無実の罪で処刑された兄チャーリーの死の真相を突き止めるために。この付近ではエル・ディアブロ(マリオ・アドルフ)率いるメキシコ人の盗賊団が治安を脅かしており、銀行頭取の未亡人ヴァージニア(フランソワーズ・ファビアン)は、幼馴染でもあるチャーリーに銀行の現金をダラスへ運ばせたのだが、その道中で大怪我をしたチャーリーが発見され、彼が持っていたはずの現金は忽然と消えてしまった。そして、銀行に全財産を預けていた町の住民たちは、チャーリーが現金を奪ってどこかに隠したものと決めつけ、怒りのあまり暴徒と化して嬲り殺してしまったのだ。要するに私刑(リンチ)である。 そんなハッドを出迎えたのは、非暴力主義者の保安官ギデオン(ガストーネ・モスキン)。この町での暴力沙汰は二度と御免だと考えるギデオンは、拳銃の所持を厳しく禁止しており、ハッドもまた例外なく拳銃を没収される。しかし、町の住民は彼が自分たちに復讐するつもりではないかと警戒し、何者かに雇われた殺し屋たちが次々とハッドの命を狙う。一方、ヴァージニアをはじめとする町の有力者たちは、ハッドを利用して行方不明となった現金の在処を探し出し、それが済んだあかつきには彼を始末しようと考えている。そればかりか、エル・ディアブロ一味やよそ者のヒッピー(!?)たちも現金の行方を虎視眈々と狙っていた。果たして、いったい誰がチャーリーを陥れたのか、そして多額の現金はどこに隠されているのか…? 西部劇なのにヒッピーが登場! マカロニ・ウエスタンと言えば、その大半がメキシコ国境付近の荒れ果てた砂漠地帯を舞台とし、主にスペインのアルメリア地方で撮影されていたことは有名だが、しかし本作は『殺しが静かにやって来る』と同じくフレンチ・アルプスでロケされており、まるでテレビ『大草原の小さな家』のような美しい大自然が背景に広がる。マカロニらしからぬルックだ。また、『殺しが静かにやって来る』ではルイジ・ピスティッリが狡猾な銀行頭取ポリカットを演じていたが、本作で登場する銀行頭取の未亡人ヴァージニアの姓もポリカット。もしかして、これは後日譚なのか…?などと勝手な想像も膨らむ。ブラックストーンの町並みもローマ郊外にあるエリオス・フィルムの西部劇セットを使用。かように『殺しが静かにやって来る』との共通点は少なくない。まあ、エリオス・フィルムの西部劇セットに関しては、『続・荒野の用心棒』をはじめコルブッチの西部劇には欠かせないロケーションなのだけれど。 また、コルブッチ作品では往々にして無法者が世の不条理を正すヒーローとなり、本来尊敬されるべき社会的地位の高い人々が強欲で卑劣な悪人、一般市民もまた偽善的な日和見主義者として描かれることが多いのだが、本作は特にその傾向が強い。なにしろ、町を支配する有力者も善良なはずの市民もみんな金の亡者。金銭欲に駆られればリンチで人を殺すことすら厭わない。反対に、どんな時も冷静で正直で良識的なのは、売春婦や黒人奴隷、墓堀人など、普段は一般社会から爪弾きにされている弱者たちだ。コルブッチは『続・荒野の用心棒』や『殺しが静かにやって来る』などでも、世間から後ろ指をさされる底辺の人々に対し、ことさらシンパシーを寄せている。そして、『殺しが静かにやって来る』の保安官がそうであったように、本作の非暴力主義を掲げるギデオン保安官もまた、清廉潔白な理想主義者であるがゆえに最も無力な存在として描かれる。 こうした善悪の逆転したコルブッチの人間描写は、その根底にアメリカ的な資本主義や物質主義、拝金主義に対する彼の強い嫌悪感があることは間違いないだろう。さらにいえば、そうした社会的構造を土台として現代社会に蔓延する、権威主義や経済格差、汚職や差別など、あらゆる不正義に対する皮肉と風刺精神が感じられる。いわば、社会が偽善的で腐りきっているからこそ、ハッドのように筋の通った男はそこからドロップアウトせざるを得ないのだ。その視点は極めて左翼的である。なにしろ、本作が作られた’60年代末は革命の季節。メキシコ三部作と呼ばれる左翼色の強いマカロニ・ウエスタンを撮っていた人だけに、コルブッチが革命世代に共鳴する形で本作を撮ったと考えても不思議はなかろう。 ただ、そうなると興味深いのはヒッピー風の若者たちの描写である。そもそも西部劇にヒッピーってどうなのよ?と言いたいところだが、しかしコルブッチは意図して本作に彼らを登場させている。’71年にフランスの映画雑誌「Image et Son」に掲載されたインタビューによると、コルブッチは映画『イージー・ライダー』(’69)が大嫌いで、ヒッピーやドラッグを嫌悪していたそうだ。つまり、そうしたカウンター・カルチャーへのアンチテーゼとして、表層的にアウトローを気取るだけの無軌道で軟弱なヒッピーたちを西部劇の世界に投入したのだ。ファシスト政政権下のイタリアで育ち、青春時代に第二次世界大戦を経験した、いわば“パルチザン世代”のコルブッチにしてみれば、当時の革命世代の若者たちが掲げる理想には共鳴しても、彼らのやり方は軽薄短小に感じたのかもしれない。 本来の主演はリー・ヴァン・クリーフだった! ちなみに、実はもともとコルブッチ監督とリー・ヴァン・クリーフの初顔合わせとして企画がスタートしたという本作。ストーリーのアイディアにも、ヴァン・クリーフの提案が採用されていたそうだ。ところが、フランス側の出資者が主演に推したのは、当時フランスのみならずヨーロッパで絶大な人気を誇ったロック・シンガー、ジョニー・アリディだった。“フランスのエルヴィス”とも呼ばれたアリディは、57年間のキャリアで1億1000万枚ものレコードを売り上げたスーパースター。しかも当時はその人気の絶頂期で、日本でも大ヒットした『アイドルを探せ』(’63)を筆頭に、数多くの映画にも出演していた。とはいえ、俳優としては正直なところ大根。決して芝居の巧い人ではない。ただ、そのニヒルでクールな反逆児的ルックスはとても画になり、しかも本作では感情表現が必要とされるドラマチックなシーンも少ないため、寡黙で謎めいた凄腕ガンマン、ハッド役にはうってつけだったと言えよう。 一方、ファム・ファタール的なヒロインのヴァージニアを演じているのは、エリック・ロメール監督の『モード家の一夜』(’69)で有名なフランス女優フランソワーズ・ファビアン。若い頃はいまひとつキャリアが伸びず、中年になってから上品な大人の色香で人気を集めた遅咲きの女優さんだが、本作では珍しくヌードシーンまで披露している。というか、基本的にコルブッチはエロスや恋愛の要素にあまり関心がなかったので、彼の西部劇映画に女性のヌードが登場すること自体が異例だったと言えよう。ただ、彼女がレイプされるシーンはもともと脚本になかったらしく、撮影時はコルブッチと激しい口論になったらしい。 ギデオン保安官役のガストーネ・モスキンは、『黄金の七人』(’65)シリーズの泥棒や『暗殺の森』(’70)の捜査官でお馴染みの名脇役。『ゴッドファーザーPARTⅡ』(’72)ではリトル・イタリーの恐喝屋ドン・ファヌッチを演じていた。また、『ダンディー少佐』(’65)や『ブリキの太鼓』(’78)で有名なイタリア系スイス人の怪優マリオ・アドルフが、フェルナンド・サンチョ的なメキシコ盗賊のリーダー、ドン・ディアブロ役で登場し、その豪快かつアクの強い芝居で主役のアリディを食っている。ちなみに、酒場のギャンブラー、キャボット役のジーノ・ペルニーチェは、『続・荒野の用心棒』の生臭坊主ならず生臭宣教師を演じて以来、コルブッチ作品の常連だった俳優だ。 というわけで、本来であればリー・ヴァン・クリーフがハッド役を演じるはずだったものの、大人の都合でジョニー・アリディが起用されたことによって、コルブッチとヴァン・クリーフの夢の初タッグは幻となってしまい、残念ながらその後実現することはなかった。また、本作自体がコルブッチのフィルモグラフィーの中で埋もれてしまい、なおかつ長いこと画質の悪いソフトしか出回っていなかったことから、近年になるまで正当な評価を受けてこなかったことは惜しまれる。■ 『スペシャリスト(1969)』©1970- ADELPHIA CINEMATOGRAFICA - TF1 DROITS AUDIOVISUELS - NEUE EMELKA
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PROGRAM/放送作品
続・荒野の用心棒
原題『ジャンゴ』!マカロニ・ウエスタンの毒々しさと大げさ感ここに完成!伝説のマカロニ最高傑作!
陰鬱・大袈裟なストーリー、やたら耳に残るテーマ曲、イタリアお得意の残酷描写など、これぞマカロニ・ウエスタンの教科書的作品!『続』とは付くが続編でも何でもないので、前作未見の人でも楽しめる。
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COLUMN/コラム2020.02.03
これが不滅のマカロニ・ヒーロー、ジャンゴの原点だ!『続・荒野の用心棒』
世界を席巻したジャンゴ旋風 マカロニ・ウエスタンの生んだ最大のヒーロー、ジャンゴの原点である。1966年4月に本国イタリアで封切られたのを皮切りに、同年9月には日本で、11月には西ドイツとフランスで劇場公開され、各国で関係者の予想を遥かに上回る大ヒットを記録したセルジオ・コルブッチ監督作『続・荒野の用心棒』。その主人公こそが、マシンガンを隠した棺桶を引きずるニヒルでシニカルな凄腕ガンマン、ジャンゴ(フランコ・ネロ)だった。あまりの熱狂ぶりから非公式の続編映画、つまり勝手に主人公をジャンゴと名乗らせた無関係なイタリア産西部劇が続々と作られ、その数は30本を超えるとも言われている。 ただし、フランコ・ネロがジャンゴを演じた作品は、オリジナルの本作と唯一の正式な続編『ジャンゴ/灼熱の戦場』(’87)の2本だけ。それ以外は、トーマス・ミリアンやアンソニー・ステファン、テレンス・ヒルにジョージ・イーストマンなど、様々な俳優たちがジャンゴを演じてきた。ちなみに、ジャンゴというキャラの名付け親は、本作で共同脚本を手掛けているピエロ・ヴィヴァレッリ。ちょうど彼は当時、コルブッチ監督にジャンゴ・ラインハルトのレコードを貸していたことから、打ち合わせで主人公の名前をどうしようかという話題になった際、思いつきでジャンゴと命名したのだそうだ。 さらには、シャマンゴやらデュランゴやらシャンゴやらと、似たような名前のマカロニ・ヒーローまで登場。中でも特にジャンゴ人気の高かった西ドイツでは、フランコ・ネロが主演する西部劇のタイトルを、配給会社が片っ端からジャンゴ映画シリーズへ変えてしまったという。ちょうど、日本の配給会社がセルジオ・レオーネ監督作『荒野の用心棒』(’64)と無関係の本作を、勝手に続編と銘打って公開してしまったように。 とはいえ、実は『荒野の用心棒』と本作には浅からぬ縁がある。ご存じの通り、『荒野の用心棒』は黒澤明の時代劇『用心棒』(’61)を西部劇として翻案したわけだが、レオーネにそのアイディアを提案したのは他でもないコルブッチだったそうだ。2人はコルブッチがレオーネの初監督作『ポンペイ最後の日』(’59)を手伝って以来の友人で、家族ぐるみの付き合いがあるほど親しい仲だった。さらに言えば、この『続・荒野の用心棒』のストーリーもまた、黒澤の『用心棒』を下敷きにしているのだ。 数多のマカロニ西部劇群でも類を見ないバイオレンス 舞台はメキシコ国境に位置する、泥濘だらけの寂れた田舎町。棺桶を引きずりながら泥にまみれて現れた元北軍兵のガンマン、ジャンゴ(フランコ・ネロ)は、今まさに処刑されかけている娼婦マリア(ロレダーナ・ヌシアック)を救出し、人気のない町で唯一営業している酒場へとやってくる。この町ではジャクソン少佐(エドゥアルド・ファヤルド)率いる元南軍のならず者集団と、ロドリゲス将軍(ホセ・ボダロ)率いるメキシコ革命軍が、縄張りを巡ってお互いに睨みあっていた。マリアはその両方を裏切ったために殺されかけたのだ。到着早々、ジャクソン少佐の手下たちを挑発するジャンゴ。実は彼、最愛の女性をジャクソン少佐一味に殺されていたのだ。己の復讐のために2大勢力を翻弄し、両者が共倒れするよう仕組むジャンゴだったが…? なるほど、日本の配給会社が『荒野の用心棒』の続編として売り出そうと考えたのも無理からぬ話。コルブッチ自ら、本作のストーリーやビジュアルは一連の黒澤明作品にインスパイアされたと回顧録に記しているが、少なくとも基本設定は『用心棒』を下敷きにしていると見て間違いないだろう。それゆえ、『荒野の用心棒』と似ている部分も少なくないわけだが、しかしその終末的な殺伐とした映像の世界観は、レオーネ作品よりもこちらの方がずっと黒澤映画に近い。さながら『七人の侍』と『用心棒』のハイブリッドといった印象だ。 やはり本作最大のハイライトは、中盤の棺桶に隠したマシンガンでジャクソン少佐一味を撃退するシーンだろう。この意表を突くと同時に胸のすくようなシーンのおかげで、マシンガンは以降のマカロニ・ウエスタンにおける必須アイテムのひとつとなり、オルガンやらミシンやらにマシンガンを仕込んだジェームズ・ボンド映画ばりの秘密兵器まで登場するようになる。また、凄惨なバイオレンス描写の面でも本作は、その後のイタリア産西部劇に多大な影響を与えたと言えよう。中でも最もインパクト強烈なのは、ロドリゲス将軍がジャクソン少佐の手下の耳をナイフで切り落として本人の口へ突っ込むシーン。残酷描写を売り物にしたことで、正統派の西部劇ファンからは眉をひそめられることの多いマカロニ・ウエスタンだが、それでもここまで過激な描写は他になかなかない。 さらに、マカロニ・ウエスタン最高の看板スターであるフランコ・ネロを輩出したことも、本作の大きな功績のひとつに数えられるだろう。もともと、コルブッチ監督は前作『リンゴ・キッド』(’66・公開時期は本作の後)に主演したアメリカ人俳優マーク・ダモンをジャンゴ役に考えていたのだが、そんな彼に助監督のルッジェロ・デオダートが「クリント・イーストウッド似の俳優がいる」と推薦する。それが、アントニオ・マルゲリティ監督のSF映画『惑星からの侵略』(’65)の撮影現場でデオダートと知り合った、当時まだ23歳の駆け出し俳優フランコ・ネロだったのである。 ただ、当初コルブッチはオーディションに現れたネロのことを気に入らなかったという。そんな彼に考え直すよう説得したのはコルブッチ夫人のノーリだった。ところが、プロデューサー陣は依然としてマーク・ダモンを推しており、さらにはピーター・マーテルことピエトロ・マルテランザではどうかという声も上がる。結局、なかなか意見がまとまらないことから、配給会社の社長に3人の宣材写真を見せて選んでもらうことに。その際に指をさされたのがネロだったのだそうだ。いやあ、そんな適当な方法で主演俳優を決めるのもアリなのか(笑)。 イギリスでは実質上の上映禁止に…!? 撮影が始まったのは’65年の12月、ちょうどクリスマスの2日前のこと。といってもジャンゴが酒場の2階の部屋でマリアと対面するシーンを、ローマ近郊の撮影所エリオス・フィルムで1日かけて撮ったのみで、本格的な撮影は年明けにスペインでスタートしたという。ただし、コルブッチ監督は独裁者フランコ将軍の政権下にある当時のスペインを嫌ったため、スペインでの演出は助監督デオダートに任されたという。その間にエリオス・フィルムでは美術監督カルロ・シーミが町の屋外セットを完成させ、すぐに撮影隊はイタリアへ戻ることになる。 ちなみに、当時のエリオス・フィルムはほとんど使われておらず、敷地の整備も全くされていなかった。それゆえに格安で借りられたのだが、なにしろ雨が多いため土地も泥だらけ。どうしたものかとスタッフが困っていたところ、監督はこの荒れ放題の環境をそのまま生かして屋外セットを作るよう指示したのだそうだ。その現場にはコルブッチの次回作『さすらいのガンマン』(’66)に主演が決まったバート・レイノルズや、盟友レオーネも見学のために訪れたという。先述した耳切断シーンの撮影に立ち会ったレイノルズはビックリ仰天したと伝えられる。 なお、冒頭で紹介した通り世界各国で大成功した本作だが、実はイギリスとアメリカでは事情が大きく違った。まずイギリスでは、残酷描写を理由にBBFC(全英映像等級審査機構)から審査そのものを拒否され、実質的に上映禁止の憂き目に遭ってしまう。’80年代にホラー映画をビデオ市場から駆逐しようとしたブラックリスト「ビデオ・ナスティー」の例もあるように、昔からイギリスは残酷描写の規制が非常に厳しいのだ。その後、’80年に海賊版ビデオが出回るようになり、’84年に正規版のホームビデオが発売されることに。そして、’93年になってようやく映画館での上映が許可される。ただし、18歳未満お断りの成人映画として。 一方のアメリカでは、そもそも配給先がなかなか決まらなかったそうだ。本作の翌年、ハリウッドのミュージカル大作『キャメロット』(’67)の撮影でロサンゼルスを訪れていたフランコ・ネロが、自らの主催で業界人向けのプライベート試写を実施。ポール・ニューマンやジャック・ニコルソンなどが訪れて大盛況だったそうで、ニコルソンなどは本作の配給権獲得にも動いたらしいが実現せず、’72年になってようやく独立系配給会社の手でアメリカ公開されたのだが、しかし場末のグラインドハウス映画館で短期上映されただけ、しかも残酷描写をカットした再編集版、なおかつタイトルも「Jango」とミススペルされるという有り様だった。 結局、アメリカでは長いこと幻のカルト映画とされ、その後発売されたホームビデオのおかげで評価が定着するようになる。タランティーノは『ジャンゴ 繋がれざる者』(’12)で本作にオマージュを捧げたが、恐らく彼もまたビデオで再発見した世代の一人であろう。■ 『続・荒野の用心棒』1966 B.R.C. S.r.l. - Surf Film All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
スペシャリスト(1969)
“殺しのスペシャリスト”が復讐の銃弾を浴びせる!セルジオ・コルブッチ監督作のマカロニ・ウエスタン
「もう一人のセルジオ」ことマカロニの巨匠セルジオ・コルブッチが、フランスを代表する人気歌手ジョニー・アリディを主演に迎えた西部劇。モダンなシャツに銃弾をも跳ね返す鎖かたびらを合わせたガンマン像が斬新。
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COLUMN/コラム2018.10.11
舞台裏ではスターと監督の軋轢が?有象無象のならず者がメキシコ革命で暴れまわる痛快マカロニウエスタン!『ガンマン大連合』
マカロニウエスタンの巨匠と言えばセルジオ・レオーネだが、もう一人忘れてはならない同名の大御所がいる。それがセルジオ・コルブッチだ。スタイルとリアリズムを追求して独自のバイオレンス美学を打ち立てた芸術家肌のレオーネに対し、シリアスからコメディまでなんでもござれ、荒唐無稽もデタラメも上等!な根っからの娯楽職人だったコルブッチ。多作ゆえに映画の出来不出来もバラつきはあったが、しかし時として『続・荒野の用心棒』(’66)や『殺しが静かにやって来る』(’68)のような、とんでもない傑作・怪作を生み出すこともあった。そんなコルブッチには、メキシコ革命を舞台にした「メキシコ三部作」と一部のマカロニファンから呼ばれる作品群がある。それが『豹/ジャガー』(’68)と『進撃0号作戦』(’73)、そして『ガンマン大連合』(’70)だ。 主人公はスウェーデンからメキシコへ武器を売りにやって来たキザな武器商人ヨドラフ(フランコ・ネロ)と、靴みがきから革命軍のモンゴ将軍(ホセ・ボダーロ)の副官に抜擢されたポンコツのならず者バスコ(トーマス・ミリアン)。国境近くの町サン・ベルナルディーノでは、庶民を苦しめる独裁者ディアス大統領の政府軍と、実は革命に乗じて金儲けがしたいだけだったモンゴ将軍の一味、そして非暴力を掲げて合法的に革命を遂行しようとする理想主義者サントス教授(フェルナンド・レイ)に心酔する若者グループが、3つの勢力に分かれて攻防を繰り広げていた。 モンゴ将軍に呼ばれてサン・ベルナルディーノに到着したヨドラフ。その理由は、町の銀行から押収したスウェーデン製の金庫だった。鍵の暗証番号を知る銀行員を殺してしまったため、スウェーデン人のヨドラフなら開け方が分かるだろうとモンゴ将軍は考えたのだ。成功したら中身の大金は2人でこっそり山分けするという算段。ところが、頑丈な金庫はヨドラフでも手に負えない代物だった。唯一、暗証番号を知っているのはアメリカに身柄を拘束されたサントス教授だけ。そこでモンゴ将軍は、万が一の裏切りを用心してバスコを監視役に付け、アメリカの軍事要塞に捕らわれているサントス教授をメキシコへ連れ戻す使命をヨドラフに託すこととなる。 …ということで、道すがら女革命戦士ローラ(イリス・ベルベン)率いるサントス派の若者たちの妨害工作に遭ったり、ヨドラフに恨みを持つアメリカ人ジョン(ジャック・パランス)の一味に命を狙われつつ、過酷なミッションを遂行しようとするヨドラフとバスコの隠密道中が描かれることとなるわけだ。 ド派手なガンアクションをメインに据えた痛快&豪快なマカロニエンターテインメント。荒々しいリズムに乗ってゴスペル風のコーラスが「殺っちまおう、殺っちまおう、同志たちよ!」と高らかに歌い上げる、エンニオ・モリコーネ作曲の勇壮なテーマ曲がオープニングからテンションを高める。革命の動乱に揺れるメキシコで、有象無象の怪しげな連中が繰り広げる三つ巴、いや四つ巴の仁義なき壮絶バトル。コルブッチのスピード感あふれる演出はまさに絶好調だ。終盤の壮大なバトルシーンでは、『続・荒野の用心棒』を彷彿とさせる強烈なマシンガン乱射で血沸き肉踊り、フランコ・ネロの見事なガンプレイも冴えわたる。コルブッチのフィルモグラフィーの中でも、抜きんでて勢いのある作品だと言えよう。 もともとマカロニウエスタンはロケ地であるスペインの土地や文化が似ている(元宗主国だから文化が似ているのは当たり前だけど)ことから、メキシコを舞台にした映画はとても多いのだが、その中でもメキシコ革命を題材にした作品と言えば、左翼革命世代の申し子ダミアーノ・ダミアーニ監督による社会派西部劇『群盗荒野を裂く』(’66)を思い浮かべるマカロニファンも多いだろう。しかし、コルブッチはダミアーニではない。確かに『豹/ジャガー』は左翼的メッセージがかなり強く出た作品だったが、あれはもともと『アルジェの戦い』(’66)で有名な左翼系社会派の巨匠ジッロ・ポンテコルヴォが監督するはずだった企画で、コルブッチは降板したポンテコルヴォのピンチヒッターだった。政治色が濃くなるのも当然だ。その点、コルブッチ自身が原案を手掛けて脚本にも参加した本作は、基本的に荒唐無稽なエンタメ作品に徹している。世界史に精通していたと言われる博識なコルブッチが、あえてメキシコ革命の史実を無視するような描写を散りばめているのも、その決意表明みたいなものかもしれない。 ただ、脚本の中に政治的な要素が全くないかと言えばそうでもない。金儲けのためなら政府軍にも革命軍にも武器を売る現実主義者ヨドラフ、革命の理想など特に持たず軍隊で威張り散らしたいだけのお調子者バスコ。この火事場泥棒みたいな2人が隠密道中を通じて、市民革命の強い理念に従って行動するサントス教授と若者たちに、少しずつ感化されていく過程が見どころだ。特に、マカロニウエスタンで野卑なメキシコ人を演じさせたら右に出る者のない名優トーマス・ミリアンが演じるバスコのキャラは興味深い。 棚ぼた式にモンゴ将軍の副官となり、虎の威を借る狐のごとくヒーロー気取りで振る舞う、もともと革命の精神とは全く縁のなかった貧しく無教養な男バスコ。「メキシコ人をバカにするな」「外国人と通じている女は罰してやる」「インテリは本と一緒に焼かれろ」。こういう偏った主張をする人間が、政治的混乱に乗じてマウントを取っていい気になるのは、古今東西どこにでもある光景だろう。しかし、そもそもがコンプレックスをこじらせただけのバカであって、根っからの悪人というわけではない。そんな単細胞な男が教養豊かなサントス教授から、本来の革命精神とは相容れない国粋主義の矛盾と欺瞞を説かれ、あれ?俺って実は悪人の側だったわけ?と気づき始め、純粋に自由と正義を信じて革命に殉じていく若者たちに感情移入していく。この視点はなかなか鋭い。 なお、マカロニブームを牽引した2大スターのフランコ・ネロとトーマス・ミリアンだが、映画で共演したのはこれが初めて。ミリアンにとっては意外にも初のコルブッチ作品だった。一方のネロはコルブッチ映画の常連組。監督が彼のアップばかり撮ることに嫉妬したミリアンは、電話でコルブッチに泣きながら抗議したと伝えられている。ただし、イタリア映画の英語版吹替翻訳で有名なアメリカ人ミッキー・ノックスによると、逆にコルブッチがミリアンにばかり気を遣うもんだから、不満に思ったネロがへそを曲げてしまったそうだ。ん~、どっちが本当か分からないが、しかしどっちも本当だという可能性もある。ミリアンがごねる→コルブッチが気を遣う→ネロがへそを曲げる、という流れならあり得るかもしれない。いずれにせよ、コルブッチとネロのコラボレーションはこれが最後となり、当初コルブッチが手掛ける予定だった『新・脱獄の用心棒』(’71)の出演もネロは渋ったという。結局、ドゥッチオ・テッサリが監督に決まったことで引き受けたのだが。いやはや、スターって面倒くさいですね(笑)。 なお、本場ハリウッドの西部劇でもお馴染みのジャック・パランスは、コルブッチの『豹/ジャガー』に続いてマカロニへの出演はこれが2本目。フェルナンド・レイも『さすらいのガンマン』(’66)以来のコルブッチ作品だ。また、ローラ役のイリス・ベルベンはドイツのテレビ女優。『続・荒野の用心棒』以降のコルブッチ作品に欠かせないスペインの悪役俳優エドゥアルド・ファヤルドが冒頭で政府軍の司令官を、ドイツの有名なソフトポルノ女優カリン・シューベルト(後にハードコアへも進出した)がヨドラフと昔なじみの売春婦ザイラを演じている。◾️
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PROGRAM/放送作品
リンゴ・キッド
コルブッチ監督が描くマカロニ史上もっともキザなガンマン。その超絶戦法は痛快至極!
マカロニ・ウエスタンを築いた男セルジオ・コルブッチ監督による傑作。小汚い主人公が多いマカロニにあって、本作のキザな主人公は異色。爆薬を駆使したあっと驚くびっくり戦法が痛快至極!
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PROGRAM/放送作品
ミネソタ無頼
暗闇で敵を撃つ──マカロニ・ウエスタンの鬼才セルジオ・コルブッチ監督が放つ西部劇版『座頭市』
マカロニ・ウエスタン界で“もう一人のセルジオ”の異名を持つセルジオ・コルブッチ監督の初期作で、後年の作品よりも爽やかな娯楽テイストが顕著。目の見えないハンデを埋めるため暗闇へ敵を誘う戦法が個性的。
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PROGRAM/放送作品
ガンマン大連合
殺っちまおうぜ、同士たちよ!『続・荒野の用心棒』の黄金コンビが放つ痛快マカロニ・ウエスタン
傑作マカロニ・ウエスタン『続・荒野の用心棒』のセルジオ・コルブッチ監督とフランコ・ネロが3度目のタッグ。コルブッチ監督の“革命三部作”第2作にあたり、痛快アクションとユーモラスな珍道中を魅せる。
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PROGRAM/放送作品
豹/ジャガー
監督コルブッチ×主演ネロ。マカロニを創った2人の男が再びコンビを組むメキシコ革命大冒険譚
監督コルブッチ×主演ネロと言えば『続・荒野の用心棒』の名コンビ。レオーネ×イーストウッドのコンビと並ぶ、マカロニ・ウエスタンのパイオニアだ。メキシコ革命を舞台にした男くさいドラマが本作では描かれる。