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PROGRAM/放送作品
地獄の黙示録【4Kレストア版】
[PG12]コッポラ監督のベトナム戦争映画の最高傑作。カンヌ国際映画祭では最高賞パルムドールを受賞
フランシス・フォード・コッポラ監督がベトナム戦争を舞台にその暴力性と狂気を描いた、映画史に残る戦争映画の金字塔。カンヌ国際映画祭パルムドール受賞。オリジナル劇場公開版の4Kレストア版。
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COLUMN/コラム2020.10.28
冷戦時代の 年代、月に人間を 送ろうとする宇宙計画を描く、 ロバート・アルトマン監督の 映画 デビュー作
今回お勧めする映画は、「ハリウッドから最も嫌われ、そして愛された男」ことロバート・アルトマン監督のメジ ャー・デビュー作『宇宙大征服』(68年) です。 アルトマンがSF映画なんか撮ってたの? と驚く人もいると思います。アルトマンの代表作は朝鮮戦争での医療部隊(略称がM.A.S.H)のデタラメぶ りを描いた『M★A★S★H マッシュ』(70年)と、カントリー音楽の殿堂テネシー州ナッシュビルに集まったミュージシャンとファンたちを描く『ナッシュビル』(75年)です。どちらもコメディで、アメリカを皮肉る群集劇です。 この『宇宙大征服』もアポロ計画に対する皮肉なんです。 1950年代から、アメリカとソ連(現在のロシア)は宇宙競争をしていました。どちらが先に月に人を送れるかを競い合っていたんです。ソ連のほうが先に有人宇宙船を打ち上げてしまって、アメリカは慌てて「ジェミニ計画」で追いかけましたが、出だしで遅れていました。で、ソ連に先んじるには、片道でいいから月にロケットで人を送ればいいという案が出ました。月から帰る方法はないけど、その後アポロ計画で迎えに来るまで月で暮らして待つという無茶な計画です。実行されませんでしたが、この『宇宙大征服』はそれを実際にやってしまう映画です。 主人公は2人の宇宙飛行士、ジェー ムズ・カーン扮するリーと、もうひとりはロバート・デュヴァル扮する現役空軍パイロットのチャイズです。チャイズは人類初の月着陸を目指していたんですが、政府が人類初の月着陸には民間人にさせるべきだと、リーを選んでしまいます。実際に月面に人類最初の一歩を残したアポロ11号のアームストロング船長もそうなんですよ。で、選ばれなかったチャイズはリーをいじめ抜きます。 『宇宙大征服』の前に、アルトマンは TVで第二次大戦ドラマ『コンバット』 (62〜67年)を演出していましたが、高視聴率にもかかわらず打ち切られてしまいます。反戦ドラマだったからです。 当時のアメリカはベトナム戦争に突入していたので、反戦的な内容が嫌われたんです。この『宇宙大征服』も宇宙競争という名の戦争の虚しさを描いています。 もともとアルトマンが原作の映画化権を自分で買ったのですが、アポロ計画で月ロケット・ブームだったので、ワーナー・ブラザーズがこの映画を欲しがって出資しました。でも、月面に取り残された主人公が絶望して終わるラストだったので、途中でアルトマンをクビにして、別の監督に希望のある結末を撮り直させました。 陰鬱な内容のため、『宇宙大征服』は興行的に失敗しましたが、今、観直すと、アポロ11号のアームストロング船長を描いた『ファーストマン』(2018 年)そっくりなんですよ。主人公が月に行くことを奥さんに黙っていて夫婦仲が破綻するところから、月に行くまでのシーンをコクピットに座る主人公しか写さず、飛んでいく宇宙船を見せないところまで。デイミアン・チャゼル監督は明らかに『宇宙大征服』を参考にしていますよ! (談/町山智浩) MORE★INFO.●ロバート・アルトマンは、ドキュメンタリー映画『ジェイムス・ディーン物語』(57年)で映画監督デビューし、第2作『The Delinquents』(57年/未公開)以後、気鋭のTV演出家として10年を過ごし、初めてメジャー・スタジオのワーナー・ブラザーズで映画監督に復帰したのが本作。 ●NASAは全面的に映画に協力・便宜を図り、おかげで映画は実際に初の月有人飛行を成功させる1年半前に公開された。●パーティ・シーンや高官たちが言い争う場面で、人物の会話をオーバーラップさせる、後にアルトマン作品のトレードマークとなる演出を、ラッシュで見て怒った当時のワーナー映画の代表ジャック・ワーナーはアルトマンをクビにし、映画を再編集してしまった。 ©︎Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
アラバマ物語
本作の主人公フィンチ弁護士=アメリカの良心そのもの、とされる、米映画史上最も重要な法定サスペンス
米映画の十八番、法廷サスペンスの中でも古典的名作。主人公フィンチは、米映画協会が選ぶ“米映画100年のヒーローBEST100”のトップに輝くほど、アメリカ的正義の典型。G・ペックもオスカーを獲得。
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COLUMN/コラム2020.04.10
正義の代償がデカすぎる!訴訟の裏側を暴く地味だけど豪華な名作 『シビル・アクション』
日本では2000年に劇場公開された(アメリカでは1998年)『シビル・アクション』は、ロバート・デュヴァルがアカデミー賞の助演男優賞に、コンラッド・L・ホールが撮影賞にノミネートされるなど非常に高い評価を得た。しかしながらアメリカでも日本でもヒットしたとは言いがたく、そのクオリティに見合う評価を得られているとは思えない。一体なぜなのか?本作は、1980年代のとある環境汚染訴訟を描いたノンフィクションを原作にしている。プロットはシンプルだ。個人事務所の弁護士が、大企業と大手弁護士事務所を相手に戦いを挑む。奇しくも同年に日本公開された『エリン・ブロコビッチ』(2000)にも似ているが、胸のすくような痛快作だった『エリン・ブロコビッチ』とは対照的に、なんとも苦い後味を残す。決して虚しい敗北を描いた映画ではないのだが、やるせなさの度が過ぎているのだ!(翻って、現実の厳しさをこれでもかとばかりに描ききった傑作ということでもある) ジョン・トラヴォルタ演じる主人公のジャン・シュリクマンは、巨額の和解金をもぎ取る剛腕が売りの民事弁護士。メディアに出る機会も多く、“ボストンで一番結婚したい男”に選ばれた人気者だ。ある日ラジオ番組で法律相談をしていると、ジャン宛てにクレームの電話が入る。白血病で息子を亡くした母親が、土壌汚染の責任を追求して欲しいと連絡したのに、事務所から無視されているというのだ。 実際ジャンは「カネにならない仕事だ」と断るつもりだったのだが、汚染の原因が大企業傘下の皮革工場と知って考えを変える。相手がデカければ和解金もデカい。野心満々で請けた仕事だったが、訴訟相手のベテラン弁護士からタカリのように扱われ、侮蔑を感じたことから訴訟への本気度を増していく。訴訟費用が膨らみ続ける一方、ジャンは取り憑かれたように全面勝訴を求めるようになり、事務所も財産も失っていく……。 弁護士の仕事を描いた映画は山程あるが、これほど「理想と現実」のギャップに注視した作品も珍しい。民事訴訟は有罪を立証するが目的ではなく、和解金のために駆け引きをするもので、弁護士たちは彼らのルールに従ってゲームをしている。そしてゲームの勝敗より正義を求めようとすると、システム全体が牙を向いて襲いかかってくるのである。 “正義を求める”と言っても、ジャンが強欲弁護士から正義の番人に転じたという単純な話ではない。おそらくジャン自身も、どうしてこの訴訟にこだわるのかわかっていない。プライドを傷つけられたからか、被害者を思いやる心が芽生えたか、単に引っ込みがつかなくなったのか。何度妥協点が見つかりそうになってもジャンは首を横に振り続ける。仲間たちもジャンの変貌に戸惑うばかりだ。 この飛びぬけてどんよりした物語に(映像的にもみごとに曇天の場面ばかりだ)不思議と惹き込まれてしまうのは、いぶし銀の撮影と名優のアンサンブルに拠るところが大きい。前述したように撮影監督はコンラッド・L・ホール。60年代には『冷血』(1967)や『明日に向かって撃て!』(1969)で天才ぶりを遺憾なく発揮し、本作の翌年にはサム・メンデスの『アメリカン・ビューティー』(1999)で老いても衰えぬセンスの冴えを見せつけた男だ。本作でも緊張感と格調の高さを兼ね備えた映像が素晴らしく、地味なのにゴージャスという得難い魅力を作り出している。 そして20年以上を経た今になって観直すと、実力派をそろえた超豪華な顔ぶれであることに驚く。主演のトラボルタ、老獪なライバル弁護士を怪演したロバート・デュヴァルに加えて、事務所の経理担当にウィリアム・H・メイシー、皮革工場で働く告発者の一人にジェームズ・ガンドルフィーニ、裁判の判事にジョン・リスゴーとキャシー・ベイツ、企業重役にシドニー・ポラック。原告の女性の痛みと決意をみごとに演じたキャスリーン・クインランもオスカー候補経験者であり、映画ファンなら溜息が出るような面々なのだ。 超一流のスタッフとキャストを監督として束ねたのは、デヴィッド・フィンチャー、マーティン・スコセッシ、リドリー・スコットらの信頼も厚い名脚本家として知られるスティーヴ・ザイリアン。監督作は三本と少ないが、本作を観れば演出の手腕は明らか。改めて、この地味シブな逸品に再評価の光が当たってくれることを願うばかりである。■ 『シビル・アクション』© Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ゴッドファーザーPART II【デジタル・リストア版】
[PG12]偉大なる父との対比で浮かび上がる、若きドンの苦悩と孤独…傑作大河ドラマ・シリーズ第2弾
一大マフィア帝国を築いた初代ドンの若き日と、様変わりした時代の中で孤独を深める2代目ドンの苦悩を壮大な年代記として絡め、シリーズ前作に続きアカデミー作品賞に輝く快挙を達成。作品賞の他にも5部門を受賞。
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COLUMN/コラム2020.01.03
アクション映画の歴史を変えたスティーヴ・マックイーンの代表作。『ブリット』
映画史上最高にクールな男スティーヴ・マックイーンが主演した、映画史上最高にクールなアクション映画である。人気テレビ西部劇『拳銃無宿』(‘58~’61)で脚光を浴び、『荒野の七人』(’60)と『大脱走』(’63)で映画界のスターダムを駆け上がったマックイーン。主演作『シンシナティ・キッド』(’65)も大ヒットし、『砲艦サンパブロ』(’66)ではアカデミー主演男優賞候補にもなった。そんな人気絶頂の真っただ中に公開され、全米年間興行収入ランキングで5位のメガヒットを記録した作品が、この『ブリット』(’68)だった。 舞台はサンフランシスコ。ミステリー作家ロバート・L・フィッシュがロバート・L・パイク名義で執筆した原作小説では、東海岸のボストンが舞台となっていたものの、当時のサンフランシスコ市長ジョゼフ・L・アリオートは映画撮影の積極的な誘致に乗り出しており、ロケ撮影にとても協力的だったことから同市が選ばれたという。実際、ここがアメリカ西海岸であることを忘れさせるような、サンフランシスコ市街地のお洒落でヨーロッパ的な佇まいは、スタイリッシュなムードを全面に押し出した本作において、もうひとつの主役とも言えるほど重要だ。 さて、そのサンフランシスコ市警の腕利き警部補ブリット(スティーヴ・マックイーン)が本作の主人公。上院議員チャルマース(ロバート・ヴォーン)に呼び出された彼は、シンジケート撲滅のため上院公聴会で証言する情報屋ジョー・ロスの保護を任される。ところが、チャルマース議員と警察しか知らない隠れ家の安ホテルへ2人組の殺し屋が現れ、ロスに瀕死の重傷を負わせたうえに護衛の刑事まで銃撃する。しかも、どうやらロス自身が殺し屋たちを部屋へ招き入れたらしい。なにかがおかしいと直感したブリットは、医師の協力を得て病院で死亡したロスの死体を隠し、まだ彼が生きていると見せかけて殺し屋をおびき出そうとする。 ストーリー自体は、正直なところ特筆すべきものでもない。謎めいたように思える事件の全容も、蓋を開けてみれば拍子抜けするほど単純だ。それよりも本作の面白さは、その後のハリウッド産アクション映画に多大な影響を与えたと言ってもいい、ピーター・イェーツ監督の徹底的にリアリズムを追究したアクション&バイオレンス描写にあると言えよう。中でも、今や伝説となっているカーチェイス・シーンは全ての映画ファン必見。坂道だらけのサンフランシスコ市街で、殺し屋2人組の乗った1968年型ダッジ・チャージャーと、ブリットが運転する1968年型フォード・マスタングGT390が凄まじい追跡劇を繰り広げるのだ。 そもそも、ピーター・イェーツ監督が本作に起用されたのも、カー・アクション演出の腕前を買われてのことだった。母国イギリスで撮った『大列車強盗』(’67)で、実に15分にも及ぶカーチェイス・シーンを披露したイェーツ監督。同作を見たマックイーン直々に指名された彼は、これが念願のハリウッド・デビューとなった。ロケでは実際にサンフランシスコの道路を封鎖して撮影を敢行。2人のカー・スタントマンがマックイーンの代役としてマスタングを運転しているが、しかしクロースアップではマックイーン本人がハンドルを握っている。なにしろ、カーレーサーとしても活躍した人だけあって、ハンドル捌きはプロのスタントマンも顔負けだ。車内の運転席から撮ったカーチェイス映像も、バックミラーにマックイーンの顔が映っているカットは本人の運転である。 一方、敵のダッジ・チャージャーを運転しているのは、殺し屋役を兼ねたカー・スタントマン、ビル・ヒックマン。彼は『フレンチ・コネクション』(’71)や『重犯罪特捜班/ザ・セブン・アップス』(’73)でも圧倒的なカーチェイスを披露している。なお、途中でカーチェイスに巻き込まれるバイクを運転しているドライバーは、『大脱走』でマックイーンのバイク・スタントの代役を務めたバド・イーキンズだ。どれもまだCGやVFXが存在しない時代の、文字通り命がけのリアルなスタントばかり。その度肝を抜かれるような迫力は、公開から50年以上を経た今も全く色褪せない。 『ブリット』は『ダーティ・ハリー』のルーツ!? もちろん、主人公ブリット警部補役を演じるスティーヴ・マックイーンの、クールで寡黙でニヒルでスマートなヒーローぶりも抜群にカッコいい。どこまでも冷静沈着で任務に忠実。上からの圧力にも決して折れず、時にはルールを無視することも厭わず、とことんまで犯罪者を追い詰めていく。そんな彼を上司のベネット署長(サイモン・オークランド)も全面的に信頼し、「いざとなったら俺が守ってやる」とまで言ってくれるんだから泣ける。 相棒のデルゲッティ刑事(ドン・ゴードン)ら同僚や部下の多くも、あえて口には出さないけれどブリットに厚い信頼を寄せている様子。この男同士のベタベタしない、暗黙のうちの友情ってのもいいのだよね。いけ好かないチャルマース議員に口うるさく非難されたブリットが、同じくチャルマース議員から人種的偏見で担当を外された黒人医師(ジョージ・スタンフォード・ブラウン)と、さり気なく視線を交わすだけでお互いに理解し合う瞬間の、あのなんとも言えない雰囲気も最高。近所の雑貨屋で買い物をするブリットの姿から、その人となりを雄弁に描くなど、セリフに頼らないイェーツ監督の人間描写・心理描写が素晴らしい。 そんなブリット警部補を演じるにあたってマックイーンが参考にしたのは、当時ゾディアック事件を担当して全米の注目を集めていた、サンフランシスコ市警の名物刑事デイヴ・トッシ。そう、あの『ダーティ・ハリー』(’71)シリーズのハリー・キャラハン警部のモデルにもなった人物だ。映画ポスターにも出てくるブリット愛用のショルダー・ホルスターも、実はトッシ刑事のトレードマークだった。サンフランシスコでのオール・ロケ、ハードなバイオレンス描写、ラロ・シフリンによるファンキーなジャズ・スコアなどを含め、本作は『ダーティ・ハリー』の先駆的な作品とも言えるのではないかと思う。 最後に共演陣にも目を向けてみよう。憎まれ役であるチャルマース議員を演じるロバート・ヴォーンは、これが人気テレビドラマ『0011ナポレオン・ソロ』(‘64~’68)終了後の初仕事だった。『荒野の七人』で共演したマックイーンに説き伏せられての出演だったという。それまでダンディなスパイ・ヒーローを颯爽と演じていた人が、今度は一転して鼻持ちならない傲慢な政治家を演じたのだから勇気が要ったのではないかと思うのだが、よっぽど本作の印象が強かったせいなのか、以降の彼は『タワーリング・インフェルノ』(’74)を筆頭に悪役をオファーされることが多くなる。 ブリットの恋人キャシー役には、その後ハリウッドの美人女優の代名詞ともなるジャクリーン・ビセット。当時はまだ頭角を現し始めた頃で、出番もそれほど多くはないのだが、犯罪捜査の殺伐とした世界に生きるブリットの、ある意味で救いともなるような存在として重要な役割だ。脇役でいい味を出しているのは、何と言ってもベネット署長役のサイモン・オークランドだろう。コワモテだけど頼りになるオヤジさんという雰囲気がいい。マックイーンとは『砲艦サンパブロ』でも共演済み。そういえば、デルゲッティ刑事役のドン・ゴードンも、『パピヨン』(’73)と『タワーリング・インフェルノ』でマックイーンと共演していた。ロバート・デュバルがタクシー運転手役で顔を出しているのも要注目。ちなみに、ブレットがタレコミ屋エディと待ち合わせするシーンで、レストランの席に座っているエディの連れの女性は、フォーク歌手ジョーン・バエズの妹ミミ・ファリーニャである。■ 『ブリット』© Warner Bros. Entertainment Inc., Chad McQueen and Terry McQueen
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PROGRAM/放送作品
(吹)ゴッドファーザーPART II【デジタル・リストア版】
[PG12]偉大なる父との対比で浮かび上がる、若きドンの苦悩と孤独…傑作大河ドラマ・シリーズ第2弾
一大マフィア帝国を築いた初代ドンの若き日と、様変わりした時代の中で孤独を深める2代目ドンの苦悩を壮大な年代記として絡め、シリーズ前作に続きアカデミー作品賞に輝く快挙を達成。作品賞の他にも5部門を受賞。
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COLUMN/コラム2019.09.27
自由を求めたコッポラ監督が設立した「ゾエトロープ」で自由自在に撮った“自分探しの旅”
今回はフランシス・フォード・コッポラ監督の『雨のなかの女』という1969年の映画です。コッポラが設立した製作会社ゾエトロープの第1回作品です。それまでのハリウッドの映画会社によるシステムから離れて、完全に独立のプロダクションを立てて映画を作ったんですね。『雨の中の女』のヒロインは、シャーリー・ナイト演じる専業主婦ナタリーで、ある日突然、母親になって家庭に埋没していく人生が嫌になって、夫に黙って車に乗って家出します。そして、ニューヨークからペンシルバニア、ウエストバージニア、テネシー州のチャタヌガ、ケンタッキー、ネブラスカ……というルートであてもなくアメリカを放浪していくロードムービーです。 『雨の中の女』はキャスティングの段階から、学生時代のジョージ・ルーカスが密着してメイキングを撮影し、今でもYouTubeで観ることができます。それを観るとわかるのは、撮影隊がヒロインと実際に旅をしながら、その場でロケハンをして、即興的にシーンを作っていく方法で撮られたことです。つまり、『雨の中の女』は、ジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』(60年)のような、自由で実験的な映画なのです。 コッポラは、ゴダールに代表されるフランスのヌーヴェル・ヴァーグの影響を強く受けて映画を撮り始めましたが、ハリウッドのメジャーであるワーナー・ブラザースに雇われて、『フィニアンの虹』(68年)というミュージカル映画を作らされてショックを受けました。とにかく撮影所の年老いたベテラン・スタッフが頑固で言うことをきかない。何十年もやってきた撮り方を固守するから、映像がどうしても古臭いんです。 もうハリウッドはダメだ、と思ったコッポラは自分の映画スタジオを立ち上げて、低予算で自由気ままに撮ることにしました。それが『雨の中の女』です。 ヒロインはコッポラ自身の母親をモデルにしています。だからイタリア式の結婚式の回想が入るんです。イタリア系の家庭は男尊女卑がひどくて、特に1950年代まで、女性は専業主婦として、家事と子育てする以外の人生がなかった。それでコッポラの母親は「私って何?」と絶望して家出したそうです。モーテルに一泊しただけで、あきらめて家に帰ったそうですが、『雨の中の女』のヒロインは愛を求めてアメリカの南部や中西部に入っていきます。 彼女はヒッチハイクしていた、たくましい元フットボール選手(ジェームズ・カーン)を拾います。カーンはコッポラの大学時代の友人なのでキャスティングされたんですが、実際に元フットボール選手です。夫以外に男を知らないヒロインは野性的なカーンと一夜の情事を体験しようとしますが、できません。カーンは試合中の事故で脳が壊れていたのです。 次にヒロインは優しい白バイ警官(ロバート・デュヴァル)を好きになりますが、彼も思っていたのとは違う男でした。 原題の「レイン・ピープル」とは、雨に流されて消えてしまう人々、涙でできた悲しく孤独な、この映画の登場人物たちを意味します。 自分自身を探してさまようヒロインには、ハリウッドをはぐれて自由を求めながら、この映画を撮影するコッポラ自身が重ねられています。 『雨の中の女』は興行的には成功しませんでしたが、この映画のジェームズ・カーンとロバート・デュヴァル、それにイタリア式結婚式が、コッポラの代表作『ゴッドファーザー』(72年)につながっていったのです。 ということで、巨匠コッポラの原点、『雨の中の女』、ぜひ、ご覧ください!■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●シャーリー・ナイト演じるナタリーは妊娠している設定だったのは、ナイトが実際に妊娠していたから。●ロバート・デュヴァル演じるゴードンが失った妻を回想するが、その妻を演じたの監督夫人エレノア(ノー・クレジット)だった。●フィルム・スクールを卒業したてのジョージ・ルーカスが撮影に密着して、後にこの撮影風景を短編『Filmmaker』(68年)に仕上げた。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
(吹)ゴッドファーザーPART II 【水曜ロードショー版】
偉大なる父との対比で浮かび上がる、若きドンの苦悩と孤独…傑作大河ドラマ・シリーズ第2弾
一大マフィア帝国を築いた初代ドンの若き日と、様変わりした時代の中で孤独を深める2代目ドンの苦悩を壮大な年代記として絡め、シリーズ前作に続きアカデミー作品賞に輝く快挙を達成。作品賞の他にも5部門を受賞。
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COLUMN/コラム2019.08.13
傑作冒険小説の“映画化” 『鷲は舞いおりた』は、見てから読め!
「読んでから見るか 見てから読むか」 50代以上ならば、ほとんどの方が記憶しているであろう、有名なキャッチコピーである。 1970年代後半より、日本映画界に旋風を巻き起こした、「角川映画」の第2弾である、『人間の証明』(1977)公開に当たって、原作(森村誠一の長編推理小説)と映画両方を強力にプッシュする惹句として、テレビやラジオのCMなどで、当時大々的に流された。出版界から映画界に殴り込みを掛けた、プロデューサーの角川春樹お得意の“メディアミックス”戦略の一環だが、結果的に『人間の証明』は、小説も映画も大当たり!このキャッチコピー自体、流行語として巷を大いに席捲した。 このコピーが生み出される以前から、原作のある映画を鑑賞する場合に、「読んでから見るか 見てから読むか」は、映画ファンにとって、常に悩みのタネになってきたことだと言える。原作がベストセラーだったり文学賞を受賞しているなど、大きな評判になっている場合は、特にそうであろう。 第2次世界大戦下を舞台に、ドイツ空挺部隊によるイギリスのチャーチル首相誘拐作戦を描いた、本作『鷲は舞いおりた』の原作(日本での出版タイトルは、『鷲は舞い降りた』)は、イギリスを代表する冒険小説家ジャック・ヒギンズの代表作。1975年7月に英米で出版されるや、半年以上に渡ってベストセラー入りを続けた。 日本でも翌76年、翻訳されて出版。「日本冒険小説協会」のあの内藤陳会長が激賞したのをはじめ、後に専門誌の読者投票でも上位に食い込むなど、長年に渡って非常に人気の高い作品となっている。 これほど話題になり、尚且つ評価の高い作品故に、出版前のゲラ段階から“映画化”の申込みが殺到したというのも、頷ける。結局イギリスのプロダクション「ITC」の製作により、『荒野の七人』(60)『大脱走』(63)などでお馴染みの、アクション映画の名匠ジョン・スタージェスがメガフォンを取っての“映画化”となった。主要キャストは、マイケル・ケイン、ドナルド・サザーランド、ロバート・デュバルといった、当時脂ののった40代の男優たちで、渋いながらも豪華な顔触れ。製作も早々に進み、原作刊行から2年足らずの77年春、英米で公開されて、ヒットを記録している。 そして本作の日本公開は、同年の8月。件の『人間の証明』の公開には2カ月ほど先立つが、当時まさに、「読んでから見るか 見てから読むか」のホットな案件だったと言って、差し支えないだろう。 それから42年の歳月が流れた2019年の夏、これから「ザ・シネマ」で本作を初めて鑑賞しようという方には、私は躊躇なく言いたい。「『鷲は舞いおりた』は、読んでから見るな!見てから読め!!」である。原作本である「鷲は舞い降りた」が、「早川書房」による“文庫版”か“電子書籍版”で今でも入手が容易な状態であるからこそ、敢えて「見てから読む」ことを強く推奨する。 ではその理由を書き連ねるためにも、ここで映画のストーリーを紹介しよう。 1943年9月、ドイツ軍は、イタリアの山中に監禁されていたムッソリーニの救出作戦を決行!見事に成功し、気を良くしたヒトラー総統は、新たなミッションを下した。 それはナチスドイツにとって最大の敵の1人である、イギリスのチャーチル首相の誘拐作戦。実現不可能と思われたが、軍情報局のラードル大佐(演;ロバート・デュバル)の元にスパイから、イギリスの地方であるスタドリ―村で、チャーチルが極秘に静養するとの情報がもたらされ、作戦が現実味を帯び始める。 ラードルは、IRA=アイルランド共和国軍の活動家として反イギリス闘争を行い、現在はベルリンの大学で教鞭を取るリーアム・デブリン(演;ドナルド・サザーランド)を、現地に先乗り潜入する工作員にスカウト。しかしこの作戦に乗り気でない、上官のカナリス提督によって、作戦は中止の憂き目となる。 ところが、捨てる神あれば拾う神あり。と言うよりは、拾う“悪魔”が居た。チャーチル誘拐作戦は、ゲシュタポ=国家秘密警察のヒムラー長官によって、極秘裡に復活!ヒムラーは、ヒトラー総統の署名が入った作戦実行命令書をラードルに渡し、全権を委任した。 ラードルが作戦の実行部隊として白羽の矢を立てたのは、数々の武勲を持つシュタイナー中佐(演;マイケル・ケイン)が率いる空挺部隊。英雄として尊敬を集めていたシュタイナーだったが、ゲシュタポの残虐行為からユダヤ人の少女を救おうとしたことが“反逆行為”と見なされ、部下たちと共に自殺的な特攻任務に就かされていた。 ラードルが持ち掛けた誘拐作戦に対して当初懐疑的だったシュタイナー。しかし説得を受け入れて、部下たちと共に懲罰を解かれ、全員が元の階級に戻される。そしてシュタイナーの部隊は、勇躍作戦に挑むこととなった。 チャーチルがスタドリ―村に静養に訪れる日、シュタイナーたちは落下傘にてその近くの海岸に上陸。連合国の一員であるポーランド義勇軍を装い、先乗りしたデブリンらの手引きによって、スタドリ―村への潜入を果すのだが…。 映画『鷲は舞いおりた』は、今は失われてしまったジャンルとも言える “戦争娯楽アクション”“男性アクション”という範疇に於いて、上々の出来栄えの作品と言える。ナチスが現実に成功させた、ムッソリーニの救出作戦をドキュメンタリー映像で紹介するオープニングから、チャーチルの誘拐作戦という虚構へと踏み込んでいくまでのテンポの良さには、一気に引き込まれる。 俳優陣では、やはりマイケル・ケインのシュタイナー中佐が、格好良い。そしてロバート・デュバルが演じる、隻眼隻腕のラードル大佐の風格が、素晴らしい。冷酷無比なゲシュタポの長ヒムラーを、まるで『007』の“ブロフェルド”のように無表情で演じたドナルド・プレゼンスにも、唸らされる。 ミスキャストとの指摘も散見されるドナルド・サザーランドのデブリンに関しては、IRAの戦士という役どころからも、先にオファーされていたと言われる、リチャード・ハリスに演じて欲しかった気がしなくもないが…。 監督のジョン・スタージェスが特に得意としてきたジャンルは、先に挙げた『荒野の七人』をはじめ、『OK牧場の決斗』(57)『ガンヒルの決斗』(59)『墓石と決闘』(67)などの“西部劇”。本作はドイツ軍人を主人公にした“戦争映画”ながら、登場人物たちの心意気や振舞いに、“西部劇”的な興趣を多分に盛り込んでいる。デブリンが酒場でシュタイナーの部下たちに絡んだ際、窓ガラスを破って表に放り出されるシーンなど、正に端的なそれと言える。 1960年代末より長らく、「スランプ」と言われ続けたスタージェス。結果的に“遺作”となった本作で、「これが最後」と得意技を生かして本領を発揮したように、今となっては思えてくる。 物語の後半、村人たちに正体がバレたシュタイナーたちは、駐留していたアメリカ軍の部隊と一戦を交えることとなる。死を覚悟した部下たちによって脱出させられたシュタイナーは、チャーチルの命を狙って、独り敵陣深くに忍び込んでいくが…。 公開当時「戦争映画の快作」「巨匠スタージェス復活!」などという声も上がった本作だが、それは主に、原作を読まぬまま映画を鑑賞した者たちからの賞賛であった。実は原作を高く評価していた識者たちからは、本作は概して評判が悪い。「箸にも棒にもかからない駄作」などと、これ以上にない酷評までされている。 作戦の発端からシュタイナーがチャーチルに対峙するクライマックスまで、ほぼ原作に忠実な展開である“映画版”なのに、なぜこんな評価となったのであろうか?一つは、数百ページに及ぶ長編小説を、2時間強の映画にするに当たって、どうしても生じてしまうダイジェスト感であろうか。これは如何ともし難いことにも思えるが、スタドリ―村に先に潜入したデブリンが、村の娘と恋に落ちたことが原因となって、ある村人にその正体を見破られるくだりなど、「かなり雑」に省略されている部分も、少なくない。 また各登場人物に関して、原作との相違で大きく気に掛かる部分もある。父はドイツ陸軍少将だが、母はアメリカ人という出自のシュタイナー、戦闘が原因で隻眼隻腕となり、自らの余命が幾ばくも無いことを知るラードルをはじめ、主役から脇役まで、その人物の行動原理になっている設定が、きれいさっぱり取り払われているのである。結果的に主人公たちが、ヒトラーやヒムラーをまるで信用していないにも拘わらず、チャーチル誘拐作戦にのめり込んでいく背景が、些かボヤけてしまっている。 先に「ほぼ原作に忠実な展開」と書いたが、実は物語の幕開けは、全く違っている。原作冒頭は現代に始まり、作者のジャック・ヒギンズ本人が登場。彼は別件の調査に訪れたスタドリ村の教会墓地にて、隠匿されていた墓石を発見する。そこには、「1943年11月6日に戦死せるクルト・シュタイナ中佐とドイツ落下傘部隊員13名、ここに眠る」と刻まれていた。このことがきっかけとなって、ヒギンズが秘められた歴史を掘り起こして執筆したのが、「鷲は舞い降りた」という設定なのである。 このオープニングがあってこそ、「鷲は舞い降りた」は、伝奇ロマンの香りさえ漂わせる、冒険小説の傑作になったとも言える。 作者のヒギンズにとっても、「鷲は舞い降りた」は特別に思い入れのある作品なのであろう。後に登場人物たちのその後を詳しく補完した「鷲は舞い降りた〔完全版〕」が刊行され、更には91年、シュタイナーとデブリンが再び登場して新たなミッションに挑む続編、「鷲は飛び立った」をリリースしている。 このような原作の“映画化”であるが故に、もしも原作を先に読んでから映画を観ると、興を削がれる部分や物足りない部分が、否が応にも目に付くこととなる。しかしその逆に、映画を観た後に原作を読むと、チャーチル誘拐作戦のオペレーションや登場人物の心理や行動原理など、映画では省略されてしまって、語り切れていない部分を、良い意味で補完できるわけである。 だからこそ、私は断言する!『鷲は舞いおりた』は、「見てから読む」べき作品であると。■ © ITC Entertainment Group Limited 1976