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PROGRAM/放送作品
(吹)キャッシュトラック
警備会社に雇われた謎の男の正体は?ガイ・リッチー監督&ジェイソン・ステイサムが放つ犯罪アクション
2004年のフランス映画『ブルー・レクイエム』をガイ・リッチー監督がリメイク。警備会社に雇われた謎の男の正体と目的が明かされていく展開が、男を演じるジェイソン・ステイサムの活躍と相まってスリリング。
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COLUMN/コラム2022.08.03
製作から30年。ニール・ジョーダンのインスピレーションとパッションの賜物!『クライング・ゲーム』
ニール・ジョーダンは、1950年生まれのアイルランド人。母が画家だったため、幼い頃から絵画に親しみ、17才で詩、戯曲を書き始めたというが、少年期から映画にも夢中だった。 当時のアイルランドは検閲が厳しく、上映が許可される作品は“宗教映画”ばかり。ジョーダンは、その手の作品を数多く観たというが、その一方で、ダブリンに2館だけ在ったアートシアターに通い、50年代末に始まる、フランスの映画運動“ヌーヴェルヴァーグ”の洗礼を受ける。更にはニコラス・レイ監督の『夜の人々』(1948)『理由なき反抗』(55)などに、大いにハマった。 国立のダブリン大学卒業後は、教師、俳優、ミュージシャンとして働きながら、小説家デビュー。処女短編集「チュニジアの夜」や、長編デビュー作「過去」が高く評価され。更には83年の長編第2作「獣の夢」で、作家としての地位を決定づける。 しかしテレビの台本を書いたのをきっかけに、活動の主な舞台を、映画界に移す。82年には、『脱出』(72)『エクスカリバー』(81)などで知られるジョン・ブアマンのプロデュースで、初監督作品『殺人天使』(日本では劇場未公開)を発表する。この作品の主演だったスティーブン・レイは、それまでは舞台やテレビを中心に活躍していたが、以降は映画にも積極的に出演。ジョーダン監督作の、常連となっていく。 本作『クライング・ゲーム』(92)は、実は『殺人天使』で映画監督デビューを果たした直後から、再びスティーブン・レイ主演の想定で、脚本の執筆をスタートした企画。順調に進めば、監督第2作となる可能性もあった。 ***** イギリス領内の北アイルランドに駐留する、黒人兵士。街の警備中、折々人種差別的な罵倒を受けて、傷ついていた。 そんな彼が、誘拐される。犯人は無差別テロも辞さない武装組織、「IRA=アイルランド共和国軍」。イギリスとの交渉材料として、兵士を拉致・監禁したのである。 その実行犯グループで、人質の見張り役となった男は、黒人兵士と会話を交わす内に、彼に友情を覚える。もしイギリス側が交渉に応えぬまま、時間切れとなった場合、彼を殺さなければならないのに…。 ***** 捕えた者と捕えられた者との間に友情が生まれるが、やがて殺す時がやってくる…。スティーブン・レイを想定して描かれた、「IRA」の見張り役と、人質の黒人兵士の関係は、ジョーダン監督曰く、アイルランド文学ではお馴染みの構図だという。 こうした物語に現実味を持たせるためには、実際に起こった事件の要素を加えた。黒人兵士はブロンドの女性に誘惑されて、拉致されるのだが、70年代にはバーなどで「IRA」の女性メンバーが、イギリス兵を引っ掛けて自宅に連れ帰り、射殺するという事件が、度々起こっていたのである。また当時は、民兵組織が敵対する国家などとの取引材料に、人質を取る事件も、頻発していた。 因みに「IRA」は、北アイルランドをイギリスから分離・独立させて、全アイルランドの統一を図るため、過激なテロ闘争を行っていた、実在の組織。善悪を単純化して描く、90年代ハリウッド映画などに度々登場したことから、映画ファンの間では当時、アラブ人テロリストなどと同様、“悪役”の印象が強かった。 しかし90年代中盤以降、「IRA」とイギリスとの間では和平交渉が進み、2000年代中盤には、武装闘争は終結に至っている…。 ***** 処刑までのタイムリミットが迫る中、黒人兵士は見張り役の「IRA」戦士に、最後の願いをする。ロンドンに居る恋人を捜し出し、「愛していた」と伝えてくれ。そしてその恋人の支えとなってくれと。「IRA」戦士は兵士との約束を守るべく、その“恋人”に会いに行くのだったが…。 ***** ジョーダン曰く、何度書いても、この「“恋人”に会いに行く」部分で、筆が止まってしまった。 そこでこの企画は、一旦棚上げに。ジョーダンは先に、「赤ずきん」をベースにしたファンタジーホラー『狼の血族』(84)、ナット・キング・コールの名曲に想を得た『モナリザ』(86)を発表。両作が国際的に高い評価を受け、ハリウッド進出まで果した後に、「“恋人”に会いに行く」後の展開を、再び考えることにした。 事態を大きく動かす妙案が、ジョーダンの頭に浮かんだ!兵士の“恋人”を、○○にすれば良いんだ!! パズルの大きなピースが埋まり、ジョーダンは“映画化”に向かって、邁進することとなる。そしてこのインスピレーションこそが、本作『クライング・ゲーム』(93)が初公開時、観る者の多くをして、「衝撃的!」と言わしめる結果をもたらしたのである。 それから30年近く経って、2022年の今だと、“恋人”が○○であることを、「衝撃的!」と受け止めにくくなっている。また本作はかなり有名な作品なので、実際に鑑賞していなくても、どんな展開が待ち受けているか、ご存じの方も少なくないだろう。 しかし敢えて今回は、本作を未見で、展開も知らない方々には、この後の文章を読むのは、鑑賞後まで控えることを、オススメしておく。 <以下、ネタバレがありますので、ご注意下さい> ***** 黒人兵士のジョディ(演:フォレスト・ウィティカー)を処刑できなかった、見張り役のファーガス(演:スティーブン・レイ)。しかしジョディは、「IRA」のアジトを急襲したイギリス軍車両に轢かれ、命を落としてしまう。 アジトが爆破される中、ファーガスは辛くも逃げ延びて、ロンドンに潜伏。ジョディの“恋人”で美容師のディル(演:ジェイ・デヴィッドソン)に会いに行く。 ジョディとの関わりは隠しながら、美しく魅力的なディルとの距離が近づいていく、ファーガス。ディルもそんな彼に惹かれ、やがて2人はベッドを共にするが…。 ディルの肉体は、“男性”だった! ショックを受けたファーガスは、一旦は彼女を拒絶。ディルを傷つけてしまうが、やがて仲直り。2人の不思議な関係が続いていく。 そんな時に、「IRA」の仲間だったジュード(演:ミランダ・リチャードソン)が現れ、テロ行為への加担を迫る。渋るファーガスだったが、ディルに危険が迫ることを避けるため、計画に加わらざるを得なくなる。 果たして、ファーガスとディルの運命は? ***** 物語を動かす大きなフックは見付かったものの、それが困難の始まりとも言えた。主人公が、イギリスを恐怖に陥れていた「IRA」のテロリストであることに加え、人種差別や性差別の問題にまで、踏み込んでしまっている。こんな企画に製作費を出してくれるスポンサーは、そう簡単には見付からない。 イギリスでは、全土で同性愛が違法ではなくなったのは、1982年のこと。それ以前に、性犯罪法で処罰を受けた男性の同性愛者たちの罪が赦免されるのは、2016年まで待たなければならなかった。 LBGTQやトランスジェンダーなどという言葉が一般的ではなかった93年に、ディルのようなヒロイン像というのは、斬新過ぎた。それに加えて、そのディルを演じられる俳優を見付けるのが、簡単ではなかった。 スティーブン・レイをはじめ、フォレスト・ウィティカー、ミランダ・リチャードソンと、他の主要キャストには、適役を得た。しかし「無名の黒人男性で、女性役ができる」という条件のヒロイン探しは、困難を極めたのである。 撮影開始まで8週間と迫った頃、ジョーダンは、かのスタンリー・キューブリックに相談した。キューブリックは先の条件を確認した上で、「画面に登場して30分は女性に思える」者を探すなど、「2年掛かっても、無理」と断定したという。 スタッフが手分けして、それらしい者が居そうな、ロンドンのクラブを回った。最終的には著名な映画監督で、自身ゲイだったデレク・ジャーマンからもたらされた情報で、ディルが見付かった。 ジェイ・デヴィッドソン。並外れて美しく、演技は未経験だったが、ジョーダンは“彼女”に決めた。 そしてジョーダン曰く、「完璧に自由な環境でしか撮れない映画」の製作が進められることとなった。「完璧に自由」ということは即ち、「完璧に金がない」ということでもあった。 いざ作品が完成して、92年10月のイギリスでの公開が近づくと、ジョーダンは評論家などに手紙をしたためた。本作の展開については「秘密厳守」、特に、ディルが“男性”であることを明かさないようにと、お願いする内容だった。 作品のデキが、素晴らしかったからだろう。評論家達は、ジョーダンの願いを聞き届け、「秘密」は守られた。 この展開はその年末の、アメリカ公開に当たっても、堅持された。本作はニューヨークを中心に大ヒット! ロングラン公開となって、アメリカのアカデミー賞でも6部門にノミネートされ、ジョーダンは“オリジナル脚本賞”を受賞する。 因みに日本での公開は、翌93年6月。その年の3月に開催されたアカデミー賞で、ジェイが“助演男優賞”の候補になっていること自体が、「ネタバレ」とも言えた。しかし公開に当たっては、ディルが“男性”であることは伏せられ、観た者にも「秘密」を広げないように、お願いがされた。 ところが実際にスクリーンに対峙すると、ファーガスがディルとベッドインして、彼女が“男性”であることを知る「衝撃的!」なシーンで、ディルの股間には、悪名高き“ボカし”が掛かっていたのである。日本では無粋な規制によって、本作の本質に関わる部分が、何が何やらわからない状態にされていたのが、逆に「衝撃的!」と言えた。 さて記してきた通りに、92年という時制の中で、「IRA」のテロリストである主人公や、心が“女性”である美しい男性ヒロイン等々の設定や仕掛けが、アクチュアル且つ先鋭的であった、本作『クライング・ゲーム』。30年経って、そうしたヴィヴィッドさは失われても、挿入される曲や寓話なども含めて、言葉や構成へのこだわりが、現在でも光り輝く。 また今作の後には、商業作品は『スターゲイト』(94)程度しか出演しなかったジェイ・デヴィッドソンは、その後本作で見せたような装いを捨てて、男性的な外見へと変貌を遂げたとも聞く。そうしたことも含めて、いま改めて観る価値が高い作品とも、言えるだろう。■ 『クライング・ゲーム』© COPYRIGHT PALACE (SOLDIER'S WIFE) LTD. AND NIPPON FILM DEVELOPMENT & FINANCE INC. 1992
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PROGRAM/放送作品
ロアン・リンユイ/阮玲玉 4K
伝説の大女優ロアン・リンユイをマギー・チャンが熱演!その激動の半生を描くドキュメンタリードラマ
1930年代に活躍した無声映画の人気女優ロアン・リンユィの人生を、出演映画の映像、再現パート、関係者へのインタビューで構成。マギー・チャンがロアンに全身全霊で成りきり、ベルリン国際映画祭女優賞を受賞。
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COLUMN/コラム2022.01.06
「シネラマ」方式の醍醐味を存分に味わえるスペクタクルなウエスタン巨編!『西部開拓史』
映画界に革命を起こした「シネラマ」とは? 激動する開拓時代のアメリカ西部を舞台に、フロンティア精神を胸に新天地を切り拓いた家族三代の50年間に渡る足跡を、当時「世界最高の劇場体験」とも謳われた上映システム「シネラマ」方式の超ワイドスクリーンで描いた壮大なウエスタン叙事詩である。全5章で構成されたストーリーを演出するのは、西部劇映画の神様ジョン・フォードに『悪の花園』(’54)や『アラスカ魂』(60)のヘンリー・ハサウェイ、喜劇『底抜け』シリーズのジョージ・マーシャルという顔ぶれ。役者陣はジェームズ・スチュワートにグレゴリー・ペック、デビー・レイノルズ、ヘンリー・フォンダ、キャロル・ベイカー、ジョージ・ペパード、そしてジョン・ウェインなどの豪華オールスター・キャストが勢揃いする。1963年(欧州では’62年に先行公開)の全米年間興行収入ランキングでは『クレオパトラ』(’63)に次いで堂々の第2位をマーク。アカデミー賞でも作品賞を筆頭に合計8部門でノミネートされ、脚本賞や編集賞など3部門を獲得した名作だ。 本稿ではまず「シネラマとは何ぞや?」というところから話をはじめたい。というのも、映画界の革命とまで呼ばれて一世を風靡した「シネラマ」方式だが、しかしその本来の規格に準じて作られた劇映画は本作および同時期に撮影された『不思議な世界の物語』(’62)の2本しか存在しないのだ。今ではほぼ忘れ去られた「シネラマ」方式とはどのようなものだったのか。なるべく分かりやすく振り返ってみたいと思う。 「シネラマ」とは3本に分割された70mmフィルムを同時に再生してひとつの映像として繋げ、アスペクト比2.88:1という超横長サイズのワイドスクリーンで上映する特殊規格のこと。撮影には3つのレンズとフィルム・カートリッジを備えた巨大な専用カメラを使用し、劇場で上映する際にも3カ所の映写室から別々のフィルムを同時に専用スクリーンへ投影する。その専用スクリーンも縦9m、横30mという巨大サイズ。しかも、観客席を包み込むようにして146度にカーブしていた。さらに、サウンドトラックは7チャンネルのステレオサラウンドを採用。各映画館には専門の音響エンジニアが配置され、劇場の広さや観客数などを考慮しながらサウンド調整をしていた。このような特殊技術によって、まるで観客自身が映画の中に迷い込んでしまったような臨場感を体験できる。いわば、現在のIMAXのご先祖様みたいなシステムだったのだ。 考案者はパラマウント映画の特殊効果マンだったフレッド・ウォーラー。人間の視覚を映像で忠実に再現しようと考えた彼は、実に14年以上もの歳月をかけて「シネラマ」方式のシステムを開発したのだ。その第一号が1952年9月30日にニューヨークで封切られた『これがシネラマだ!』(’52)。まだ長距離の旅行が一般的ではなかった当時、アメリカ各地の雄大な自然や観光名所を鮮やかに捉えたこの映画は、その画期的な上映システムと共に観光旅行を疑似体験できる内容も大きな反響を呼んだ。以降、シネラマ社は10年間で8本の紀行ドキュメンタリー映画を製作する。 この「シネラマ」方式の大成功に刺激を受けたのがハリウッドのスタジオ各社。当時のハリウッド映画はテレビの急速な普及に押され、全盛期に比べると観客動員数は半分近くにまで激減していた。映画館へ客足を戻すべく頭を悩ませていた各スタジオ関係者にとって、『これがシネラマだ!』の大ヒットは重要なヒントとなる。そうだ!テレビの小さな箱では体験できない巨大な横長画面で勝負すればいいんだ!というわけで、20世紀フォックスの「シネマスコープ」を皮切りに、パラマウントの「ヴィスタヴィジョン」にRKOの「スーパースコープ」、「シネラマ」の出資者でもあった映画製作者マイケル・トッドの「トッド=AO」など、ハリウッド各社が独自のワイドスクリーン方式を次々と開発。これを機にハリウッド映画はワイドスクリーンが主流となっていく。とはいえ、いずれもアナモルフィックレンズで左右を圧縮したり、通常の35mmフィルムの上下をマスキングしたりなど、カメラもフィルムも映写機もひとつだけという似て非なる代物で、映像と音声の臨場感においても迫力においても「シネラマ」方式には及ばなかった。 とはいえ、アトラクション的な傾向の強いシネラマ映画は鮮度が命で、なおかつ似たような紀行ドキュメンタリーばかり続いたことから、ほどなくして観客から飽きられてしまう。そこで、危機感を持ったシネラマ社はハリウッドのメジャースタジオMGMと組んで、史上初の「シネラマ」方式による劇映画を製作することに。その第1弾が『不思議な世界の物語』と『西部開拓史』だったのである。 西部開拓時代の苦難の歴史を描く壮大な叙事詩 ここからは、エピソードごとに順を追って『西部開拓史』の見どころを解説していこう。 第1章「河」 監督:ヘンリー・ハサウェイ 天下の名優スペンサー・トレイシーによるナレーションで幕を開ける第1章は、西部開拓時代の黎明期である1838年が舞台。オープニングのロッキー山脈の空撮映像は『これがシネラマだ!』からの流用だ。アメリカ東部から西部開拓地を目指して移動する農民のプレスコット一家。父親ゼブロン(カール・マルデン)に妻レベッカ(アグネス・ムーアヘッド)、娘のイヴ(キャロル・ベイカー)とリリス(デビー・レイノルズ)は、旅の途中で毛皮猟師ライナス・ローリングス(ジェームズ・スチュワート)と親しくなる。大自然と共に生きる逞しいライナスに惹かれるイヴだったが、しかし自由を愛するライナスは家庭を持って落ち着くつもりなどない。ところが、近隣の洞窟を根城にする盗賊ホーキンズ(ウォルター・ブレナン)の一味がプレスコット一家を襲撃。助けに駆け付けたライナスはイヴへの深い愛情を確信する。 アメリカン・ドリームを夢見て大西部を目指す農民一家を待ち受けるのは、美しくも厳しい雄大な自然と素朴な開拓民を餌食にする無法者たち。当時の西部開拓民がどれほどの危険に晒されていたのかがよく分かるだろう。オハイオ州立公園やガニソン川でロケをした圧倒的スケールの映像美に息を呑む。中でも見どころなのはイカダでの激流下り。臨場感満点の主観ショットはシネラマ映画の醍醐味であり、見ているだけで船酔いしそうなほどの迫力だ。ちなみに、盗賊一味が旅人を罠にかける洞窟酒場のロケ地となったオハイオ州のケイヴ・イン・ロックスでは、実際に19世紀初頭にジェームズ・ウィルソンという盗賊が酒場の看板を掲げ、仲間と共に誘拐や強盗、偽金作りを行っていたらしい。なお、盗賊ホーキンズの手下として、あのリー・ヴァン・クリーフが顔を出しているのでお見逃しなきよう。 第2章「平地」 監督:ヘンリー・ハサウェイ それから十数年後。農民の暮らしを嫌って東部へ舞い戻ったリリス(デビー・レイノルズ)は、セントルイスの酒場でショーガールとして働いていたところ、亡くなった祖父からカリフォルニアの金山を相続したと知らされる。これを立ち聞きしていたのが、借金で首が回らなくなった詐欺師クリーヴ(グレゴリー・ペック)。西へ向かう幌馬車隊があることを知り、気のいい中年女性アガタ(セルマ・リッター)の幌馬車に乗せてもらうリリス。そんな彼女に遺産目当てで近づいたクリーヴは、自分と似たような野心家のリリスに思いがけず惹かれていくのだが、しかし幌馬車隊のリーダー、ロジャー(ロバート・プレストン)もまたリリスに想いを寄せていた。 ロマンスありユーモアありミュージカルあり、そしてもちろんアクションもありの賑やかなエピソード。ここは『雨に唄えば』(’52)のミュージカル女優デビー・レイノルズの独壇場で、彼女のダイナミックな歌とダンス、チャーミングなツンデレぶりがストーリーを牽引する。イカサマ紳士を軽妙に演じるグレゴリー・ペックとの相性も抜群。そんな第2章のハイライトは、なんといっても『駅馬車』(’39)も真っ青な先住民の襲撃シーン。「シネラマ」方式の奥行きがあるワイド画面を生かした、大規模な集団騎馬アクションを堪能させてくれる。 第3章「南北戦争」 監督:ジョン・フォード 夫ライナスが南北戦争で北軍に加わり、女手ひとつで小さな農場を守るイヴ(キャロル・ベイカー)。血気盛んな若者へと成長した長男ゼブ(ジョージ・ペパード)は、自分も同じように戦場へ行って戦いたいと願っている。そんな折、旧知の北軍兵士ピーターソン(アンディ・ディヴァイン)が、ゼブをリクルートしにやって来る。はじめは頑なに拒否するイヴだったが、しかし本人の強い希望で息子を戦場へ送り出すことに。意気揚々と最前線へ向かうゼブだったが、しかし実際に目の当たりにする戦場は彼が想像していたものとは全く違っていた。 冒頭ではカナダの名優レイモンド・マッセイがリンカーン大統領として登場し、ジョン・ウェインがシャーマン将軍を、ハリー・モーガンがグラント将軍を演じる第2章。アメリカ史に名高い激戦「シャイローの戦い」を背景に、同じ国民同士が互いに血を流した南北戦争の悲劇を通じて、勝者にも敗者にも深い傷跡を残す戦争の虚しさを描く。全編を通して最も西部劇要素の薄いエピソードを、西部劇の神様たるジョン・フォードが担当。平和な農村地帯の牧歌的で美しい風景と、血まみれの死体が山積みになった戦場の悲惨な光景の対比が印象的だ。なお、砲弾飛び交う戦闘シーンの映像は『愛情の花咲く樹』からの流用だ。 第4章「鉄道」 監督:ジョージ・マーシャル 大陸横断鉄道の建設が急ピッチで進む1868年。西からはセントラル・パシフィック社が、東からはユニオン・パシフィック社が線路を敷設していたのだが、両者は少しでも長く線路を敷くためにしのぎを削っていた。なぜなら、担当した線路周辺の土地を政府が与えてくれるから。つまり、より早く敷設工事を進めた方が、より多くの土地を獲得できるのである。騎兵隊の隊長としてユニオン・パシフィック社の警備を担当するゼブ(ジョージ・ペパード)だったが、しかし先住民との土地契約を破ったり、作業員の生命を軽んじたりする現場責任者キング(リチャード・ウィドマーク)の強引なやり方に眉をひそめていた。亡き父ライナスの盟友ジェスロ(ヘンリー・フォンダ)の仲介で、先住民との良好な関係を維持しようとするゼブ。しかし、またもやキングが先住民を裏切ったことから最悪の事態が起きてしまう。 まだまだアメリカ先住民を野蛮な敵とみなす西部劇が多かった当時にあって、本作では彼らを白人から土地を奪われた被害者として描いているのだが、その傾向がハッキリと見て取れるのがこの第4章。ここでは、大西部にも近代化の波が徐々に押し寄せつつある時代を映し出しながら、その陰で犠牲になった者たちに焦点を当てる。最大の見せ場は、大量の野牛が一斉に押し寄せ、開通したばかりの鉄道を破壊し尽くす阿鼻叫喚のパニックシーン。牛のスタンピード(集団暴走)はハリウッド西部劇の伝統的な見せ場のひとつだが、本作は「シネラマ」方式のワイドスクリーン効果で格段にスペクタクルな仕上がりだ。 第5章「無法者」 監督:ヘンリー・ハサウェイ 西部開拓時代もそろそろ終焉を迎えつつあった1880年代末。亡き夫クリーヴと暮らした大都会サンフランシスコを離れることに決めたリリー(デビー・レイノルズ)は、屋敷や財産を全て売り払って現金に変え、懐かしき故郷アリゾナの牧場へ向かう。近隣の鉄道駅で彼女を出迎えたのは、保安官を引退したばかりの甥っ子ゼブ(ジョージ・ペパード)と妻ジュリー(キャロリン・ジョーンズ)、そして彼らの幼い息子たち。そこでゼブは、かつての宿敵チャーリー・ガント(イーライ・ウォラック)の一味と遭遇する。兄をゼブに殺された恨みを持つチャーリー。家族に危険が及ぶことを恐れたゼブは、チャーリーたちが列車強盗を企んでいることに気付くが、しかし後任の保安官ラムジー(リー・J・コッブ)は協力を拒む。たったひとりでチャーリー一味の強盗計画を阻止する覚悟を決めるゼブだったが…? 時速50キロで走行中の蒸気機関車で激しい銃撃戦を繰り広げる、圧巻の列車強盗シーンが素晴らしい最終章。手に汗握るとはまさにこのこと。サイレント時代のアクション映画スターで、ハリウッドにおけるスタントマンの草分け的存在でもあったリチャード・タルマッジのアクション演出は見事というほかない。ジョン・フォード映画でもお馴染みのモニュメント・ヴァレーでのロケも印象的。チャーリーの手下のひとりはハリー・ディーン・スタントンだ。ちなみに、ジョージ・ペパードのスタント代役を務めたボブ・モーガンが、列車から転落して大怪我を負うという悲劇に見舞われている。ほぼ全身を骨折した上に、顔の右半分が潰れて眼球まで飛び出していたそうだ。辛うじて一命は取りとめたものの、片脚を失ってしまったとのこと。第3章に出演しているジョン・ウェインはモーガンの友人で、この不幸な事故に胸を痛めたことから、翌年の主演作『マクリントック!』(’63)にモーガン夫人の女優イヴォンヌ・デ・カーロを起用している。 シネラマ映画はなぜ短命に終わったのか? まさしくハリウッド西部劇の集大成とも呼ぶべき2時間44分のスペクタクル映画。70mmフィルムを3本も同時に使って撮影されたスケールの大きな映像は、北米大陸の雄大な自然を余すところなく捉えて見応え十分だ。しかも、「シネラマ」方式はカメラの手前から数キロ先の背景まで焦点がブレず、解像度が高いので通常の35mm映画であれば潰れてしまうようなディテールまできめ細かく再現する。そのため、最初に用意した衣装はミシン目が肉眼で確認できてしまったことから、全て手縫いで作り直したのだそうだ。なにしろ、西部開拓時代にミシンなんて存在するはずないのだから。誤魔化しが利かないというのはスタッフにとって相当なプレッシャーだったはずだ。 また、アルフレッド・ニューマンとケン・ダービーの手掛けた音楽スコアも素晴らしい。テーマ曲は本作のために書き下ろされたオリジナルだが、その一方でアメリカの様々な古い民謡を映画の内容に合わせてアレンジし、パッチワークのように散りばめている。中でも特に印象的なのが、劇中でデビー・レイノルズ演じるリリスが繰り返し歌う「牧場の我が家(Home in the Meadow)」。これは16世紀のイングランド民謡「グリーンスリーヴス」の歌詞を本作用に書き直したもの。原曲はザ・ヴェンチャーズからジョン・コルトレーン、オリヴィア・ニュートン・ジョンから平原綾香まで様々なアーティストがカバーしている名曲なので、日本でも聞き覚えがあるという人も多いだろう。ちなみに、本作はもともとビング・クロスビーがMGMに持ち込んだ企画を、シネラマ社とのコラボ作品のひとつとしてピックアップしたもの。クロスビーは’59年にアメリカ民謡を集めた2枚組アルバム「西部開拓史」をリリースしている。 1962年11月1日にロンドンでプレミアが行われ、その後もパリ、東京、メルボルンなど世界各地で封切られた本作。アメリカでは1963年2月20日にロサンゼルスのワーナー劇場(現ハリウッド・パシフィック劇場)でプレミア上映され、シネラマ劇場の存在しない地方都市では35mmのシネスコサイズで公開された。同時期に製作されたシネラマ映画『不思議な世界の物語』と並んで、世界的な大ヒットを飛ばした本作。しかし、本来の「シネラマ」方式で撮影・上映された劇映画はこの2本だけで、以降の『おかしなおかしなおかしな世界』(’63)や『偉大な生涯の物語』(’65)、『2001年宇宙の旅』(’68)といったシネラマ映画は、どれも70mmプリントを映写機1台で専用スクリーンに投影するだけの疑似シネラマ映画となってしまった。その理由は、「シネラマ」方式が抱えた諸問題だ。 もともと3分割されたフィルムを3台の映写機で同時に投影するという構造上、どうしても繋ぎ目が目立ってしまうという問題があった「シネラマ」方式。本作ではシーンによって繋ぎ目部分に垂直の物体を配置するという対策が取られ、なおかつ現在のデジタル・リマスター版では目立たぬよう修復・補正作業が施されているのだが、それでも所々で繋ぎ目の跡が見受けられる。加えて、専用カメラに備わった3つのレンズがそれぞれ別の方角を向いてクロス(右レンズは左側、中央レンズは中央、左レンズは右側)しているため、例えば中央と右側に立つ2人の役者が向き合って芝居をする場合、撮影現場では相手役の立ち位置から微妙にズレた方角を向かねばならない。つまり、画面上は向き合っていても実際は向き合っていないのである。これではなかなか芝居に集中できない。男女の親密な会話など重要なシーンで、メインの役者が中央にしか映っていないケースが多いのはそのためだ。 また、シネラマ専用カメラはズームレンズに対応していないため、クロースアップを撮影するには被写体にカメラが接近するしか方法がなく、どれだけアップにしてもバストショットが限界だった。さらに、人間の視界範囲の再現を特色としていることから、被写界が広すぎることも悩みの種だった。要するに、映ってはいけないものまで映ってしまうのだ。そのため、撮影開始の合図とともにスタッフは物陰に隠れなくてはならず、音を拾うガンマイクも使えないのでセットの見えないところに複数の小型マイクを仕込まねばならないし、危険なスタントシーンで安全装置を使うことも出来ない。先述した列車強盗シーンでの転落事故もそれが原因だった。 こうした撮影上の様々な困難に加えて、配給の面でも制約があった。恐らくこれが最大の問題であろう。「シネラマ」方式に対応した劇場は全米でも大都市圏にしかなく、しかもその数は60館程度にしか過ぎなかった。新たに建設しようにも莫大なコストがかかる。そのうえ、運営費用だって普通の映画館より高い。初期の紀行ドキュメンタリー映画ならば採算も合っただろうが、スターのギャラやセットの建設費など予算のかかる劇映画では難しい。そのため、シネラマ社はこれ以降、3分割での撮影や上映を廃止してしまい、「シネラマ」方式は有名無実の宣伝文句と化すことになったのだ。■
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PROGRAM/放送作品
フィールド・オブ・ドリームス
トウモロコシ畑に野球場を作れば、彼が来る──。野球を愛するすべての人に捧げる感動ドラマ
1919年に大リーグを揺るがせた八百長スキャンダル“ブラックソックス事件”をモチーフに、野球愛と親子愛をファンタジックなタッチで描いた名作。夢を信じる主人公をケヴィン・コスナーが真摯に演じ感動を誘う。
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COLUMN/コラム2021.11.01
ジョン・ウーの名声を決定づけた『男たちの挽歌』までの道
ジョン・ウーは、1990年代に香港からアメリカに移り住み、ハリウッドに進出。『ブロークン・アロー』(96)『ファイス/オフ』(97)『M:I-2 ミッション:インポッシブル2』(2000)といった監督作が、続けてボックスオフィスのTOPを飾った。 2000年代後半になると、アジアに拠点を移し、“三国志”ものの『レッドクリフ partⅠ』(08)『レッドクリフ partⅡ -未来への最終決戦-』(09)を製作・監督。中国本土で当時の興収新記録を打ち立てた。 ウーは、1946年生まれ。生誕地は中国の広州だが、49年に中華人民共和国が成立すると、一家で香港へと移住した。そこでは、時には路上で生活することもあったほどの、赤貧洗うが如しの幼少期を送ったという。 キリスト教会を通じてアメリカの篤志家の援助を受け、10歳を前に、やっと学校に通えるようになったウーが、母親の影響もあって映画に夢中になったのは、中学生の頃から。彼が青春時代を送った60年代の香港では、黒澤明や溝口健二など巨匠の作品に続いて、日活や東映の作品が、大量に上映されるようになった。日本映画専門の映画館チェーンまであったという。 そんな中でウーは、アメリカやヨーロッパの映画に親しむのと同時に、黒澤明を崇め、石井輝男や深作欣二の監督作品を熱烈に愛した。彼のヒーローは、高倉健や小林旭であった。 17の歳に学校をやめたウーは、働きながら映画を学ぶ。そして19歳の時には、8mmや16mmフィルムで実験映画を撮り始める。映画会社に職を得たのは、23歳の時だった。 71年、25歳の時に大手のショウ・ブラザースに籍を移したウーは、武侠映画の巨匠チャン・チェーの下で助監督を務めた。1年半という短い間であったが、ここで多くのことを学んだという。 そして73年に、初監督作の『カラテ愚連隊』を撮る。諸事情から香港では、2年後の75年まで公開されなかったが、我が国では、地元より一足先の74年に公開されている。これは、73年暮れにブルース・リー主演の『燃えよドラゴン』が日本公開されるや沸き起こった、空前の“クンフー映画ブーム”に乗ってのことだった。 そんな処女作を評価したレイモンド・チョウに誘われ、彼が率いるゴールデン・ハーベストへと移ると、当時ただ1人の社員監督として重用され、コメディや広東オペラのヒット作を放つようになる。マイケル、リッキー、サミュエルの“ホイ3兄弟”主演で、監督はその長兄マイケル・ホイ名義のコメディ『Mr.Boo!ミスター・ブー ギャンブル大将』(74)なども、実際の監督を務めたのは、ウーだったと言われる。 このように会社に多大な貢献をしながらも、自分が本当に撮りたいと思ったものは、なかなか撮らせてもらえなかった。それに対して不満を募らせるようになったウーは、83年の戦争映画『ソルジャー・ドッグス』の製作中に、ゴールデン・ハーベストとトラブり、退社に至る。 そして新興のシネマ・シティへと移籍するが、大手であるゴールデン・ハーベストへの体面などもあって、84年から85年に掛けては、台湾の支社へと出向せざるを得なくなる。いわば、“島流し”の憂き目に遭ったのである。 2年間の辛酸の後、86年に香港に帰ったウーが、当時気鋭のプロデューサーであり監督だった、ツイ・ハークの製作により取り掛かったのが、本当に撮りたかった企画である『英雄本色』。即ち本作、『男たちの挽歌』だった。 ***** 極道の世界に身を置くホーは、偽札作りのシンジゲートの幹部。相棒のマークとは、固い絆で結ばれていた。 ホーには病を抱えた父と、弟のキットという家族がいた。キットは兄の正体を知らないまま警察学校に通っており、ホーはそんな弟のために、次の仕事を済ませたら、足を洗うことを決めていた。 その仕事で台湾に飛んだホーだが、取引相手から裏切りに遭い、逮捕されてしまう。そのためシンジケートは、ホーが口を割らないようにと、彼の家族を急襲。キットの目の前で、兄弟の父は殺されてしまう。 一方ホーの復讐のために、マークが台湾に飛ぶ。ターゲットは討ち果すも、右足を撃たれたたマークは、不自由な身体になってしまう。 それから3年が経ち、台湾での刑期を終えたホーが、香港へ帰って来る。刑事になったキットは、父の死を招いた兄を、決して許そうとはしない。更には兄の属していたシンジケートの捜査から、「関係者の身内」という理由で外されたため、怒りを膨らませる。 ホーは更生のため、タクシー会社で働き始めるが、そんな時にうらぶれた姿になったマークと再会する。今やシンジケートは、ホーとマークの舎弟だったシンが実質的なTOPとなり、右足を引きずるマークは、雑用係となっていた。 シンはホーを呼び出し、弟のキットを警察からの情報提供者として抱き込んで欲しいと持ち掛ける。ホーが拒否すると、相棒のマークがリンチに掛けられ、勤務先のタクシー会社も、嫌がらせを受けるようになる。 キットを守るためにもホーは、シンが率いるシンジケートと対決する決意を固める。そして相棒のマーク、更にはキットと共に、命を賭けた大銃撃戦へと臨んでいく…。 ***** 1967年に製作された、ロン・コン監督の『英雄本色』をベースにしたリメイク作品である、『男たちの挽歌』。ジョン・ウーがそれまで培ってきた、キャリアと知識、テクニックのすべてを注いだ作品と言える。「チャン・チェーの映画の登場人物が、刀を銃に持ちかえたような作品だ」という評論があったように、中国時代劇の世界を暗黒街に置き換えて、アクションの撮り方から、男の情熱、騎士道といった、師匠から学んだ技術や精神をブチ込んだ。 また映画を撮ることのモチベーションは“仁義”であると、ウー本人が公言するように、日本のヤクザ映画や、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の『サムライ』(67)といった、フレンチ・ノワールからの影響も大。もちろん銃撃戦で多用される“スローモーション”は、「死の舞踏」と謳われた、ヴァイオレンスの巨匠サム・ペキンパー作品にインスパイアされ、ウーが発展させたものである。 キャストやその演じるキャラクターに関しても、ウーの思い入れがたっぷりである。主役のホーを演じるティ・ロンは、チャン・チェー門下。70年代は武侠映画の大スターとして鳴らしたが、80年代に入って、本作に出る頃までは、「過去の人」扱いだったという。 マーク役のチョウ・ユンファは、TVドラマから映画へと、軸足を移した頃に本作に出演。役作りに於いては、その容貌が似ている、日活アクションの大スター・小林旭の動きや所作を、積極的に取り入れたという。もちろんこの役作りは、来日して本人に会えた時には、足下に跪いたほどの熱烈な旭ファンである、ウーの意向もあってのことだろう。 ホーが逮捕された後、足を負傷したマークは、洗車や掃き掃除などの雑用を命じられる。そんなところまで落ちぶれながら、友の出獄を待ち、巻き返しを図る日を心待ちにしている。これは台湾に“島流し”になっていた時のジョン・ウー自身が投影されている。実際に彼を持て余した現地スタッフから、箒を渡されて事務所の掃除をさせられたこともあったそうだ。 そしてホーとマークの間に結ばれる熱い絆は、正に当時のウーとツイ・ハークの関係をモデルにしたものだという。そもそもは、5歳年下のハークがまだ売れない頃、ウーがゴールデン・ハーベストに紹介して、ハークの道を開いた。そして台湾から香港に戻ったウーが、かねてから温めていた本作の構想を語ると、ハークは強く映画化を勧め、プロデューサーを買って出た。 もっともこの2人は後に、『男たちの挽歌』の続編や契約問題を巡って、衝突。友情は、瓦解してしまうのだが…。 因みにホーの弟のキットを演じたレスリー・チャンは、それまではアイドル歌手として、主に青春映画に出演していたのだが、本作出演以降、本格的に映画スターの道を歩み始める。 後に“ウー印”とも言われる彼の作品のトレードマーク、“白い鳩”も、2人の男が銃を至近距離で突きつけ合う“メキシカン・スタンドオフ”も、本作ではまだ登場しない。しかし間違いなく、ここからすべてが始まったのである。 本作は86年8月に香港で公開されると、記録破りの大ヒット! 長いコートにサングラス、くわえマッチというチョウ・ユンファの出で立ちを、若者がこぞってマネをするような社会現象となった。 日本では、翌87年4月に公開。ある程度話題にはなったが、それほど多くの観客を集めることはなかった。火が点いたのは、ビデオソフト化されて、当時急増していたレンタルビデオ店に出回るようになってからであった。 何はともかく本作によって、“英雄片”日本で言うところの“香港ノワール”というジャンルが確立し、香港映画界を席巻する。この大波はやがて海を越え、クエンティン・タランティーノ監督作品を筆頭に、世界のアクション映画シーンにも大きな影響を及ぼすようになる。 当時40代で、このムーブメントをリードし、その後ハリウッドのTOPランナーの1人にまで上り詰めたジョン・ウーも、今や70代中盤となった。近作である『The Crossing ザ・クロッシング Part I / PartⅡ』(14/15) や『マンハント』(17)などには、かつての輝きが見られないのは、偏に加齢のせいなのだろうか? それと同時に、ご存知のような国際情勢である。“香港ノワール”を生み出した頃の熱い香港の風土は、完全に過去のものとなってしまった。 35年前に常軌を逸した激しいドンパチが、とにかく衝撃的だった『男たちの挽歌』を、今このタイミングで鑑賞する。後には“亜州影帝=アジア映画界の帝王”と呼ばれるほどのスーパースターになる、若き日のチョウ・ユンファが、超スローモーションでロングコートを翻しながら二丁拳銃をぶっ放す姿に改めて痺れながらも、過ぎ去った日々の、その取り返しのつかなさに、愕然ともしてしまう。■ 『男たちの挽歌』© 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
透明人間(1992)
ジョン・カーペンター監督&主演チェビー・チェイスが名作SFホラーをコメディ色に染め上げる!?
有名怪奇キャラ・透明人間を、ホラー映画界の大物J・カーペンター監督とコメディ界の重鎮チェビー・チェイスが新境地のSFコメディ映画に仕立てた。ユーモラスなSFXで透明人間を描くシーンは注目!
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COLUMN/コラム2020.05.06
失われたアメリカの原風景を映し出すニューシネマ的ウエスタン『夕陽の群盗』
ベトナム反戦の時代が生み出した青春群像劇アカデミー賞作品賞候補になったアメリカン・ニューシネマの傑作『俺たちに明日はない』(’67)の脚本家コンビ、ロバート・ベントンとデヴィッド・ニューマンが脚本を手掛け、ベントン自らが初めて演出も兼任した西部劇である。南北戦争時に徴兵逃れをした若者が、たまたま知り合った同世代のアウトローたちと自由を求めて西を目指して旅するものの、愚かな大人たちの作り上げた弱肉強食の醜い社会が彼らの夢と希望を打ち砕いていく。まさしくベトナム反戦の時代が生み出した、極めてニューシネマ的な青春群像劇。ハリウッドの伝統的な娯楽映画としての古式ゆかしい西部劇に対し、モンテ・ヘルマンの『銃撃』(’66)やサム・ペキンパーの『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(’73)のように、開拓時代のアメリカを舞台にしつつ映像もテーマも現代的で、同時代のカウンターカルチャーを如実に映し出した西部劇のことを「アシッド・ウエスタン」と呼ぶが、この『夕陽の群盗』もそのひとつだと言えよう。舞台は南北戦争真っ只中の1863年。当時の北軍で3番目に人口規模の大きかったオハイオ州だが、しかし中西部に位置する地理的な条件から、北部諸州の中でも特に軍隊や物資の供給において重要な役割を果たし、徴兵された住民の数も総勢で32万人と、人口比率でいうと北軍では最も多かった。そのため、まだ年端も行かぬ若者まで戦場に送り出されていたのである。敬虔なメソジスト派信者であるディクソン家にも召集がかかるものの、しかし既に長男が志願して戦死しているため、両親はたった一人だけ残された次男ドリュー(バリー・ブラウン)まで兵隊に取られてはたまらないと、現金100ドルと長男の遺品である懐中時計、そして家族写真をドリューに手渡して西へ逃がすことにする。かくして、たった一人で逃亡の旅へ出ることになったドリュー。必ずや西部で財を成して両親の愛情に報いるんだという大志を抱く彼は、まずはミズーリ州のセント・ジョーゼフへと到着する。アメリカ連合国を形成した南部州と同じく奴隷州だったミズーリは、辛うじて合衆国側に留まりこそしたものの、しかし北部寄りの州議会と南部寄りの市民感情が拮抗した、いわばグレーゾーン的な地域であったため、逃避行の中継地点としては好都合だったのだろう。ここから駅馬車に乗って西へ向かうつもりだったドリューだが、しかし道端で声をかけてきた同世代の若者ジェイク(ジェフ・ブリッジス)に殴られ現金を奪われてしまう。ホームレスの少年たちを集めて窃盗グループを組織していたジェイク。メンバーは兵役逃れのロニー(ジョン・サヴェージ)とジム・ボブ(デイモン・コファー)のローガン兄弟、臆病者のアーサー(ジェリー・ハウザー)、そしてまだ11歳の生意気盛りボーグ(ジョシュア・ヒル・ルイス)と、ジェイクを含めて5人だ。いっぱしの無法者を気取っている彼らだが、しかし親切な女性を騙して財布をすったり、小さな子供たちを脅して小遣いを奪ったりと、やっていることはなんともチンケ。所詮はまだまだ半人前のお子様集団である。さて、たいした度胸はなくとも悪知恵だけは働くジェイクは、仲間の盗んだ財布を持ち主のもとへ届けて報酬を得ようとするのだが、しかしそこで偶然居合わせたドリューに見つかってしまう。盗んだ金を返せ!と執拗に迫るドリューに根負けするジェイク。そのガッツを見込んだ彼は、ドリューを仲間に引き入れて一緒に西部を目指すことになる。信心深くて生真面目なドリューと、いい加減で不真面目なジェイク。まるで水と油の2人はたびたび対立するものの、しかしやがて互いに友人として認め合う仲になっていく。ところが、少年たちが足を踏み入れた雄大な草原の広がる開拓地は、軍人崩れの極悪人ビッグ・ジョン(デヴィッド・ハドルストン)率いる正真正銘のならず者どもが略奪と殺人を繰り返す危険極まりない世界。新天地でのチャンスを求めて意気揚々と冒険の旅へ出た彼らだったが、その行く手には戦争と弱肉強食の論理によって荒廃した「自由の国」アメリカの残酷な現実が立ちはだかり、根は善良で無邪気な悪ガキたちは嫌がおうにも大人へと成長せざるを得なくなる…。 ロバート・ベントン監督の祖国愛が垣間見えるというわけで、アンチヒーロー的なアウトローたちを主人公にしているという点で『俺たちに明日はない』と共通するものがある作品だが、しかし初心で純粋なティーンエージャーの視点から、美化されたアメリカ的フロンティア精神の偽善を暴き出し、その殺伐とした醜い社会の有り様をベトナム戦争に揺れる現代アメリカのメタファーとして描くという趣向は、リチャード・フライシャー監督の『スパイクス・ギャング』に近いかもしれない。また、どことなく少年版『ミネソタ大強盗団』(’72)とも言うべき味わいと魅力も感じられ、いずれにしてもこの時代に作られるべくして作られた映画と言えるだろう。と同時に、本作は失われたアメリカの原風景に対する郷愁のようなものが全編に溢れ、それがまた無垢な少年時代に終わりを告げる若者たちの物語に豊かな情感を与えている。そこには、ベトナム戦争の時代に終止符を打つこととなった、古き良きアメリカに対するベントン監督自身の憧憬のようなものが感じられることだろう。後の『プレイス・イン・ザ・ハート』(’84)もそうだが、ベントン監督は厳しくも豊かなアメリカの大自然と、そこで強く逞しく生きる人々の日常を活写することが非常に上手い。なにしろテキサスの田舎に生まれた生粋の南部人。幼い頃から女手一つで子供たちを育てた祖母の苦労話を聞いて育った彼にとって、アメリカの大地に根を下ろして生きてきた名もなき庶民への想いを結実させたのが『プレイス・イン・ザ・ハート』だったと聞いているが、本作にもそんなベントン監督の純粋なる祖国愛(あえて愛国心という言葉は使いたくない)の片鱗が垣間見える。アカデミー賞作品賞に輝く『クレイマー・クレイマー』(’79)が大ヒットしたおかげで、都会的な映画監督というイメージが定着しているように思うが、しかし彼の映画作家としての本質はこの『夕陽の群盗』や『プレイス・イン・ザ・ハート』にこそあるのではないだろうか。主人公の一本気な若者ドリューを演じるのは、ピーター・ボグダノヴィッチの『デイジー・ミラー』(’74)にも主演したバリー・ブラウン。その相棒ジェイクには、やはりボグダノヴィッチの『ラスト・ショー』(’71)で注目されたばかりのジェフ・ブリッジスが起用されている。この、教養があって聡明だがナイーブで世事に疎いドリューと、教養がなくて愚かだが世渡り上手でズル賢いジェイクの、お互いの欠点を補い合うようにして育まれていく友情がまた微笑ましい。その後、ブリッジスはスター街道を驀進していくわけだが、その一方で複雑な家庭で育ったことからメンタルに問題を抱えていたというブラウンは、’78年に27歳という若さで自殺を遂げている。彼の2つ下の妹である女優マリリン・ブラウンも後に投身自殺してしまった。ドリューとジェイクの窃盗仲間で印象深いのは、やはりなんといっても若き日のジョン・サヴェージであろう。斜に構えたニヒルな顔つきに、どこかまだ少年っぽさを残した初々しさが魅力で、当時23歳だったが10代でも十分に通用する。また、『おもいでの夏』(’71)のオシー役で知られるジェリー・ハウザーが、臆病者で用心深い少年アーサーを演じているのも要注目だ。さらに、ならず者集団のボス、ビッグ・ジョーを『ブレージングサドル』(’74)や『軍用列車』(’75)の巨漢俳優デヴィッド・ハドルストンが演じるほか、その手下役にジェフリー・ルイスやエド・ローターといった’70年代ハリウッドのクセモノ俳優たちが揃っているのも嬉しい。冷酷非情なまでに正義の人である保安官には、往年のB級西部劇スターだったジム・デイヴィス。彼らのことを決して分かりやすい悪人や偽善者としては描かず、生存競争の激しい世の中で心の荒んでしまった、ある種の犠牲者として描いていることも本作の良心的な点だと言えよう。ちなみに、ハドルストンは後にコーエン兄弟の『ビッグ・リボウスキー』(’98)で、ジェフ・ブリッジスふんする主人公と名前を混同される大富豪ビッグ・リボウスキーを演じていた。■ 『夕陽の群盗』TM, ® & © 2020 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
アザーズ
古い屋敷の中で迫り来る見えない恐怖! ニコール・キッドマン主演の大どんでん返しゴシック・ホラー
ニコール・キッドマン主演で、スペイン映画界の風雲児『海を飛ぶ夢』のアレハンドロ・アメナーバル監督が迫りくる見えない恐怖を描いた、背筋も凍るゴシック・ホラーの傑作!
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COLUMN/コラム2020.02.26
「ボイスシネマ声優口演2020 in調布」3/22(日)開催!声優たちが無声映画に声を吹き込むライブイベント「声優口演」。企画・総合プロデューサー羽佐間道夫さんに聞く
――もう何度もお話をされていると思いますが、改めて「声優口演」の成り立ちからうかがえますでしょうか? 羽佐間 古い話になりますが、僕が俳協という事務所にいたころ、そこに福地悟朗さんという方がいたんです。戦前から活弁士として活躍されていた方で、その語り口が僕はとっても好きでね。現在でも澤登翠さんたちが活動を続けていらっしゃるけれども、いつからか僕は活弁上映というものを観るたびに、フラストレーションが残るようになっていったんです。それはなぜかと考えたら、登場人物が喋ったらもっと面白くなるんじゃないか?と思ったんです。 チャップリンの作品もそうだけど、昔の無声映画を観ると、登場人物の口が開いて明らかに何ごとか喋っているわけです。もちろん無声映画だからセリフは聞こえず、たまに挿入される字幕で内容は伝わるように作られている。活弁では、そういう「聞こえないセリフ」をすっ飛ばしてしまうことがままある。だけど、これを現在の洋画と同じように、ちゃんと全部吹き替えてあげれば面白いんじゃないかと。 ただ、無声映画には台本がないわけです。我々が普段やっている吹き替えの仕事は、画面とのシンクロまで考えて作られた翻訳台本があって成立するものですから。それならば、自分たちで好きなようにセリフを考えて、有声の喜劇にしてみたらどうだろうと。そんなとき、たまたまチャップリンのフィルムが手に入ったので、それを練習台にしながら自主的に研究を始めたんです。 そのうちに、これは声優たちで集まって「劇団公演」としてやったら面白いのでは?と思い始めた。その最初の試みが、かれこれ十数年前になりますが、野沢雅子と一緒に長野県でやったライブイベントなんです。地元の映画館主に声をかけられて、このときは昔の日本映画を上映しました。ものすごく小さな会場で、みかん箱かなんかの上に乗ってやりましたね。観客は8人ぐらいでしたけど(苦笑)。「こりゃダメだな」と思ったんだけど、その後も僕と雅子がコアとなり、そのうち山寺(宏一)も引き込んで、2006年に「声優口演」として本格的にスタートしたんです。いまはこの3人が軸となり、僕らの周りにいろんな声優さんたちを集めるかたちで続いています。 ――「したまちコメディ映画祭 in 台東」では、2009年開催の第2回からレギュラーイベントになりましたね。 羽佐間 おかげさまで回を重ねるごとに好評をいただきまして、あるとき、いとうせいこうさんがプロデュースする「したまちコメディ映画祭」に呼んでくれたんです。そこからさらに人気が出ましたね。「したコメ」のレギュラー企画として、浅草公会堂で年1回の公演をやりつつ、地方公演にも呼ばれるようになって。いつしか必ずと言っていいほど客が入るイベントとして定着して、しかも必ず老若男女が来るんですよ。若い声優ファンばかりではなく、昔観て面白かった映画をもういちど楽しみたいお年寄りのお客さんが、お孫さんの手をひいて観に来てくださる。そういう幅広い年齢層がクロスオーバーするイベントになっていった。そして、帰り道では「おじいちゃんが昔観たときはこうだったんだよ」と、世代を超えた会話もできる。これはいいな、映画のファミレスだな、と思ってね(笑)。 ●チャップリンは無声映画時代が最高に面白い! ――上映作品はどのように決めるんですか? 羽佐間 チャップリンは全部で81本の映画を作っていて、最初の1年間だけで35本の映画を作っているんです。つまり、1カ月に約3本というペース。当時、彼は25歳ぐらいだから、これはもう天才の所業ですよ。その後、だんだんスローペースになっていくんだけど、今度のイベントで上映する『チャップリンの質屋』(1917)というのは、彼の56本目の作品なんです。僕はこの時期のチャップリン作品がいちばん面白いと思う。1916年から18年ぐらいの間、ミューチュアル社という映画会社で作っていたころですね。 もともとイギリスの劇団にいたチャップリンは、アメリカ巡業中にキーストン社という映画会社にスカウトされて、一躍人気者になるんです。そこからは自分の思いどおりに映画を作れる環境を求めて、さまざまな会社を転々とし、最終的には自らユナイテッド・アーティスツという会社を設立する。それ以前の作品は、チャップリン自身がすべての権利を所持していない時期の作品だから、いわゆるパブリックドメイン(著作権フリー)作品として扱いやすいだろうという理由もあります。 その後、日本チャップリン協会の大野裕之さんとも知り合いまして、ぜひ一緒にイベントをやりましょうと。大野さんはチャップリン家の書斎にも自由に出入りできるぐらい、絶大な信頼を置かれている方なのでね。彼を介してチャップリン家とも交渉できるようになり、近年では後期の作品も上映できるようになりました。大野さんのおかげで、向こうも我々を信頼してくれるし、我々も安心して演じられるというわけです。 ――サウンド版として作られた『街の灯』(1931)や『独裁者』(1940)も、吹替え版で上映されていますね。 羽佐間 なかなか上映許可の取りづらかった時代の作品まで上映できるようになって、嬉しかったですね。だけど、チャップリンは音がついちゃうと面白くないんだよ! ――ぶっちゃけましたね!(笑) 羽佐間 やっぱり無声映画時代が最高だよね。みんな『ライムライト』(1952)は名作だって言うけど、あの映画で素晴らしいのは、チャップリンとバスター・キートンが一緒にパントマイムをやるシーンのみと言っても過言ではない。あのくだりに僕らの声の芝居を乗せてみたらどうだろうと思って、去年の公演でやってみたら、やっぱり面白かったもの。 ほかにも面白い作品はたくさんありますよ。『チャップリンの移民』(1917)なんて素晴らしいと思うなぁ。まずストーリーがいいし、食堂の場面などの仕掛けもすごく面白い。エドナ・パーヴァイアンスという、この時期ずっとチャップリンの相手役を演じ続けた女優さんがいるじゃないですか。彼女の存在もすごく大きかったと思いますね。 ――羽佐間さんのおっしゃる「全盛期」に作られた『チャップリンの質屋』は、これまでに何度も上映されていますよね。 羽佐間 あれは時計のシーンが面白いんです。チャップリンが働いている質屋に、1人の客が動かない時計を質草として持ってくる。それをチャップリンが散々いじくった挙句、メチャクチャに壊して追い返しちゃう。それから、金魚鉢に入った金魚を質草として持ってくるおばさんが出てきたりしてね。 つまり、いまで言う「オレオレ詐欺」ですよ。来るやつ来るやつ、みんなインチキで、チャップリンを引っ掛けようとしてくるわけだから。非常に今日的なギャグだな~と思ってね。だから今回の声優口演版では、そういう話として決め込んで演じてしまおうと。いまの時代にぴったりなストーリーとしてね。もとが無声映画なんだから、セリフでどんなふうに料理してもいいわけです。 『チャップリンの質屋』(1916) Advertisement in Moving Picture World for the American comedy film The Pawnshop (1916). ――もう1本の上映作品、『チャップリンの冒険』(1917)は? 羽佐間 これは山寺宏一が1人でやるんです。全部で20人くらいのキャラクターを演じ分けるんだけど、面白いよ~! 僕もやれと言われればできるかもしれないけど、途中で息絶えちゃうかもしれない(笑)。 『チャップリンの冒険』(1917) ©1917 Mutual Film Corporation 山寺が演じる『犬の生活』(1918)なんて、もっとすごいですよ。これも彼が自分から「1人でやってみたいんです」と言ってきた作品なんです。人間だけでも数十人出てくるのに、さらに犬も8匹ぐらい出てきて、その犬の芝居も全部変えてくるんだから(笑)。さすがは長年『それいけ!アンパンマン』で犬のチーズを演じてきただけはあるよね。しかも、それをライブで、一発勝負でやるわけだから。「吹き替えってこんなに面白いものなんだ!」って、僕が思い知らされるぐらいだもの。そういう人たちの素晴らしい至芸を、生で楽しめるイベントでもあるわけです。今後も山寺版『犬の生活』は再演したいと考えているので、その際にはぜひお見逃しなく! ●台本作りはとにかく大変! ――台本はどのように作られるんですか? 羽佐間 これがいちばん、くたびれる作業だね(笑)。何もないところから、画面の動きだけをもとにセリフを作っていくわけだから。まずはとにかく映像を繰り返し観る。100回以上は観ますね、大袈裟じゃなしに。観ながら自分で声を出して、画のタイミングに合わせてセリフを作っていくわけ。しかも、チャップリンの作品はスピードがものすごく速くて、すべてのタイミングがきっちり出来上がっているから、少しでもズレちゃいけない。1ページ書くのに、大変な時間がかかるんですよ。25分の短編1本の台本を作るのに、最初は1週間ぐらいかかったんじゃないかな。 だけど、やっているときはものすごく面白い。つくづく、チャップリンという人は天才だと思うね。しかも、こっちは勝手なセリフを書いていいわけだから(笑)。もちろん、ストーリーはあるし、字幕も入るから、何もかも勝手気ままに作るわけではないですけどね。 それで、台本が出来上がったところで、またアタマから声を出して合わせていく。すると全然ズレていたりするわけ。その呼吸を合わせていく作業も大変だし、本番で演じる俳優たちはもっと大変だと思うよ。しかも、ライブだからね。少しでもトチったら画面に置いていかれちゃう。そのぶん、スピードに乗ったときは本当に面白い。終わったあとは全員ヘトヘトですけどね(笑)。 ――今回、宮澤はるなさんが台本と出演に名を連ねられていますね。 羽佐間 これまでは僕ばかりが台本を書いていたから、今回は宮澤にも書かせてみたんです。「ちょっといじってみろ」と試しに渡してみたら、何箇所か面白いところがあったので、全部任せてみました。それに対して僕が「こうしたほうがいいんじゃないか?」とか「もっと自由に書いていいんじゃないの、何言ったっていいんだからさ」とか言って、直しを入れたりしています。いわば、合作ですね。 実は、三谷幸喜さんとか、クドカン(宮藤官九郎)さんにも台本をお願いしてみたいんですよ。それこそ彼らの作風を存分に発揮してもらって、無声映画を自由に脚色してもらったら、ものすごく面白いものができるんじゃないかと。お金がないから、3万円ぐらいしか払えませんけど(笑)。 ●ライブでやるからこそ面白い! ――全キャスト揃っての読み合わせは、毎回やるんですよね。 羽佐間 もちろん! どんな人気声優さんであろうと、必ず半日か1日は使って全員でリハーサルをやります。で、僕が「もう1日やらないとダメだな」とか言うと、マネージャーが慌てちゃうんだよね。そんな余裕ありません!とか言ってね。でも、本人はやる気満々なことが多いですよ。「わかりました! 明日も来ます!」って、スケジュールをやりくりして来てくれる。 どういうわけか、役者はみんなやりたがるんですよ。もちろん、そうじゃなければこんなイベントは組めませんけどね。高木渉なんて、会うたびに「またやりましょうよ~!」と言ってきて(笑)。なかなかスケジュールが合わなかったんだけど、今回ようやく久々に出てくれることになりました。若い人たちも、みんな面白がってくれますね。お客さんの反応もいいですし、やっていて楽しいんでしょうね。最近は映画でもドラマでも、なかなかないジャンルだからなのかな。僕らが若いころは『奥さまは魔女』(1964~72・TV)とか、海外作品といえばコメディが主流だった時代がありましたからね。 ――今回のキャストは若手の方が多いですね。 羽佐間 キャスティング担当が「もう古いのは十分だ!」と思ったんじゃないかな(笑)。僕も若い人たちと一緒にやるのは楽しいんです。彼らのファンの人たちも観に来てくれるし、彼ら自身も面白がってくれるし。ただ、どれぐらいの人気者なのか全然知らないので、つい練習で厳しくしちゃったりしてね。あとで「大変な人なんですよ」と言われて、俺だってけっこう大変な人なんだぞ!と思ったりしますけど(笑)。 いま、ひとつの番組のキャストに僕がいて、野沢雅子がいて、さらに小野大輔くん、梶裕貴くんたちがいるような、いろんな世代の役者がスタジオで一堂に会するような番組がないんですよ。「声優口演」はそれが実現できている、特別な場だという意識もあります。 しかも、これはライブでやるから面白いんですよ。テレビでやると、なぜかつまらない。昔からテレビ用に作られたチャップリン作品の吹き替えとか、ナレーションを付けたものって、たくさんあるんです。だけど、ライブでやるのがいちばん面白い。自分で演じていても、お客さんの反応を見ていても、そのギャップはものすごく感じますね。 たとえば山ちゃんが『犬の生活』で8匹の犬をその場で演じ分ける、その芸をその場で観られるというライブの醍醐味はあるだろうね。これは実際に会場へ観に来られた方だけが味わうことができる面白さだと思います。 ――普通の洋画の吹き替えとは違いますか? 羽佐間 全然違うと思いますね。徹底的にアクションに合わせた芝居になるわけだから、どうしてもエロキューション(発声術)がきちんと表現できていないと演じきれない。ただただセリフを硬く読むような、単調な芝居では成り立たないわけです。 いまのアニメなんか観ていると、画一的な芝居ばっかりで、キャラクターの区別がつかないんだよね。小林清志の言葉を借りれば「いまは全員が王子様か、お姫様みたいな芝居しかしない」ってこと。僕らの時代は声優の一人ひとりが個性的で、声を聞くだけで面白い!という人がたくさんいた。そういう場を再現したいという思いもあるんです。 ●自分の基礎はコメディにある ――羽佐間さんはシリアスなものからコミカルなものまで幅広い役柄を演じていらっしゃいますが、ご自身ではコメディがお好きなんですか? 羽佐間 僕自身はどちらかというと、ライトコメディみたいなジャンルが好きで、そこから出てきたという意識があるんですよ。もちろん『ひまわり』(1970)のマルチェロ・マストロヤンニみたいな、センチメンタルな役も演じていますけどね。いちばん最初に自分が吹き替えをやってよかったと感動したのは、ダニー・ケイですから。『5つの銅貨』(1959)という、彼が実在のコルネット奏者を演じた作品の吹き替えをやって、それがきっかけで『ピンク・パンサー』シリーズのクルーゾー警部(ピーター・セラーズ)をやったり、『裸の銃を持つ男』シリーズのドレビン警部(レスリー・ニールセン)につながったりしたんです。 ――『5つの銅貨』の吹き替え版は1970年に初放送され、近年「ザ・シネマ」でもオンエアされました。ダニー・ケイの多彩な芸達者ぶりを、羽佐間さんがしっかりとカヴァーしていて素晴らしいですね。 羽佐間 あれはダニー・ケイの元の芝居が素晴らしいから、声の芝居をリードしてくれるんですよ。テンポから何から「こういうふうにやりなよ」って、画面から演技指導をされるというかね。放送後、山田康雄が電報を打ってきたのを覚えてます。「泣かせるなよ、おまえ」ってね。 ――イイ話ですねー!! 羽佐間 奥さん役は野口ふみえさんという映画女優の方で、この方も素晴らしかったね。そして、サッチモことルイ・アームストロングの声をやったのは、相模太郎。彼は僕の中学校時代の演劇部の先輩だったんですよ。 ――そうなんですか! 羽佐間 彼はお父さんが浪曲師の初代・相模太郎で、その跡を継いで二代目として浪曲をやりつつ、声優もやっていた。あいつに教わったことはたくさんあってね。あるとき、声を出すときにどういう工夫をしているのかと訊いたら「おまえ、浪花節を聴いたことあるか?」と言うわけ。もちろんあると答えたら、「それなら明日、浅草の劇場に出ている梅中軒鶯童の浪花節を聴いてこい」と言うんです。それで、言われるがままに観に行って、翌日報告したわけ。面白かったよ、と。そしたら「おまえ、どこの席で観てた?」と訊かれてね。確か上手(カミテ)の、前から3番目くらいの席かな?なんて答えたら「じゃあ、明日は下手(シモテ)の席で観てこい」と言うんだ。 で、また同じ劇場へ観に行くわけですよ。それでまた「どうだった?」と訊かれるので、どうもこうも同じだったよ、と答える。すると「同じわけがないじゃないか! もう1回観てこい!」と。 ――おお~。 羽佐間 つまり彼が言うには、浪曲でも落語でもそうなんだけど、偉い人はみんな上手から下手に声をかけるんだと。たとえば大家さんが「おい、八つぁん。元気かい?」なんてね。それに対して、下々の者は下手から上手に向かって返事をする。「へい、おかげさんで!」とかなんとか。そのとき、客席に見せている顔が左と右で違うじゃないか、と言うわけね。 顔が違えば、言葉のテンポも違ってくる。上から目線の人はゆったり上から喋り、反対に下から目線の人は上目遣いに素早く喋る。これが引っくり返ってしまっては、その役を理解してないということになる。大家さんが早口で、八つぁんがゆったり喋っちゃおかしいわけ。で、それは顔にも出ているはずだと。それぐらいのコントラストを表現するつもりで役を演じるんだ、ということを言われたんです。ちょっといい芸談でしょ(笑)。 ――現在でも十分に通用する演技メソッドですね。 羽佐間 しかも相模太郎は、『5つの銅貨』でサッチモなんていう特徴のカタマリみたいな人物を演じていながら、「テンポは違っても、声は作らなくていい」と言うんだよ。確かに、広沢虎造がやる浪曲『清水の次郎長』がそうなんです。ものすごく多彩な登場人物のセリフを喋っているにもかかわらず、声のトーンは同じなの。女性も含めてね。ことさら甲高い声を作ったりせず、テンポと抑揚だけで表現していく。徳川夢声が朗読した『宮本武蔵』もそう。武蔵も、沢庵和尚も、お通も同じ声でやっているのに、それぞれ異なるキャラクターが喋っているように思わせてしまう。 つまり、うまい人は声のトーンを変えるまでもなく、テンポと語り口でキャラクターを表現してしまう。声優ならば、そこまで技を突き詰めたいし、突き詰めてほしいと思うよね。日本の伝統芸能をしっかり勉強すれば、学べることはたくさんあると思うよ。 とはいえ、声を作ったほうが面白い場合もあるけどね(笑)。そのほうが聴いてる人のイメージがはっきりするなら、声色を使い分けるのも全然アリだと思う。だって山寺が1人30役ぐらいやるときなんて、全員の声が違うからね。だけど、彼もやっぱり声色だけに頼っているわけではないから。 ●『特攻野郎Aチーム』は楽しい職場だった! ――羽佐間さんのコミカルな演技と言えば『ヤング・フランケンシュタイン』(1974)レーザーディスク版の吹き替えも忘れられません! 羽佐間 ジーン・ワイルダーが演じたフランケンシュタイン博士の役ね。あの映画はおかしかったなぁ~。ジーン・ワイルダーの吹き替えも何本かやったけど、好きな役者でしたよ。テレビ版は広川(太一郎)だよね。 ――そうです。レーザーディスク版もテレビ版に引けを取らない傑作吹き替えで、羽佐間さんと助手のアイゴール(マーティ・フェルドマン)役の青野武さんとの掛け合いが最高でした! お2人は『がんばれ!タブチくん!!』(1979)でも共演されてますね。 羽佐間 ヒロオカ監督ね! 当時はテレビによく本人が出てたから「あんな感じかぁ」と思いながらやってました。主人公のタブチ役が西田敏行さんで、その収録が本当に面白かったんですよ。もう本番一発目から、スタジオにいる全員が息を呑むぐらい面白かった。僕は山岡久乃さんの吹き替えのお芝居を聴いたときも心底「すごいな~」と思ったけど、それぐらいの衝撃がありました。やっぱり、芝居がちゃんとしている人は吹き替えもうまいですよ。 ――『ミッドナイト・ラン』(1988)テレビ朝日版のチャールズ・グローディンも最高でした。 羽佐間 これはね、最初はキャスティングが逆だったの。僕がロバート・デ・ニーロの役をやるはずだったんだけど、プロデューサーに「羽佐間さんはこっちのほうがいいですよ」と言われて、それで引っくり返っちゃった。これは前に別のCS局で羽佐間道夫特集を組んでくれたとき、『名探偵登場』(1976)や『ランボー』(1982)と一緒にやってくれて嬉しかったな。『名探偵登場』なんて、ピーター・セラーズの芝居に合わせてニセモノ中国人っぽく演じたら、中国大使館からクレームが来てね(笑)。それ以降、再放送が一切できなくなっちゃった。 ――すごい話ですね(笑)。 羽佐間 僕ね、ロイ・シャイダーとか、ポール・ニューマンとか、わりと渋い二枚目の声を演じているイメージがあるみたいだけど、自分では全然違うと思うんだ。だから(シルヴェスター・)スタローンの『ロッキー』(1976)なんて、いちばん向いてないんだよ(笑)。なんで俺のところに持ってきたんだろう?って思ったもん。あのシリーズは第1作(1983年にTBS「月曜ロードショー」でテレビ初放送)から、ずーっと伊達やん(伊達康将。東北新社のベテラン音響演出家)と作り続けて、気づけば36年ですよ。『ロッキー』が6本あり、さらに『クリード』が2本あり、全部で8本。 ――2019年公開の『クリード 炎の宿敵』(2018)まで演じ続けているわけですから、名実ともに当たり役ですよね。羽佐間さんの重量感のある芝居では『ベター・コール・ソウル』(2015~)の主人公ジミーの兄チャック(マイケル・マッキーン)も印象的です。 羽佐間 これも伊達やんとの仕事だよ! 彼とは本当に付き合いが長いんだ。『ベター・コール・ソウル』はなかなか面白い作品でしたね。残念ながら僕は途中退場しちゃったけど(笑)。兄弟役をやった安原義人とは『特攻野郎Aチーム』(1983~87・TV)でも一緒だったけど、相変わらず飄々としていて面白い男だね。彼は驚いたときでも、驚きの表現では言わないんだ。ただフラットに「びっくりした。」とか言うだけで(笑)。 ――まさか羽佐間さんによる安原さんのモノマネが聴けるとは!! しかもムチャクチャ感じ出てますね(笑)。 羽佐間 『Aチーム』は楽しい職場だったなぁ~。誰一人としてマトモにセリフ喋ってるヤツなんていないんだから。みんなでマイクの前で押し合い圧し合いしながら、まるで格闘技のようにセリフを言い合ってたよ。富山(敬)でしょ、安原でしょ。コング役の飯塚昭三なんて、誰かに服を引っ張られてドテッと床に転がったりしてね(笑)。 ●目標はファミリーレストラン! ――それでは最後に、イベントに来られるお客さんに向けてメッセージをお願いします! 羽佐間 さっきも言いましたが、目指すは「ファミレス 声優口演」なんです。僕らのイベントが、家庭内での会話を作るきっかけになったら、こんなに嬉しいことはない。おじいちゃん、おばあちゃんが、お孫さんと一緒にイベントに来てくれて、お家に帰ってご飯を食べながら、今日観た映画について楽しく話してもらえたら最高ですね。いくらヒットしていても、特定の世代しか集まらないようなものではなく、各世代が集い、語り合える作品として、チャップリンは最適だと思います。ぜひ、ご家族で楽しんでください!■ 羽佐間道夫(はざま・みちお)日本声優界の大御所のひとりで、2008年には第2回声優アワード功労賞を受賞した。コメディからシリアスまで幅広い役柄をこなす一方、名ナレーターとして多数のニュース、バラエティ番組で活躍。そのナレーションでお茶の間に広く親しまれる。ナレーターとしての功績を、2001年ATP賞テレビグランプリ個人賞で讃えられた。『声優口演』は2006年から企画・総合プロデューサーとしても携わる、ライフワークとなっている。<代表作>「ロッキー シリーズ」(ロッキー・バルボア)「スター・ウォーズシリーズ」(ドゥークー伯爵)「ポケットモンスター サン&ムーン」(各名人) ボイスシネマ声優口演2020 in調布 ■公演日時 2020年3月22日(日) 昼の部:13:00開場/13:30開演 夜の部:18:00開場/18:30開演 ■会場 調布市グリーンホール(〒182-0026 東京都調布市小島町2丁目47−1) ■出演【昼の部】 羽佐間道夫/野沢雅子/山寺宏一/高木渉/小野友樹/木村昴/宮澤はるな/今村一誌洋【夜の部】 羽佐間道夫/野沢雅子/山寺宏一/小野大輔/梶裕貴/木村昴/宮澤はるな/今村一誌洋 演奏:Tellers Caravan スペシャルゲスト:大野裕之 ■公式HPはこちらから ******************************************* ザ・シネマでは世代を超えた豪華声優陣競演の本公演【昼の部】に10名様をご招待! ■当選者数…【昼の部】5組10名様 ※当選された方には、ザ・シネマよりメールで当選のご連絡をさせて頂きます■応募締切:3月13日(金)■応募ページはこちらから ©Roy Export SAS