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COLUMN/コラム2024.04.30
鬼才クライヴ・バーカーが生んだカルトホラー映画の傑作『ヘルレイザー』シリーズの魅力を紐解く!
そもそも『ヘルレイザー』シリーズとは? 謎のパズルボックス「ルマルシャンの箱」を解くと地獄へ通じる門が開き、セノバイト(魔道士)と呼ばれる世にも恐ろしい魔界の使者たちが出現、好奇心で彼らを召喚した人間は地獄へと引きずり込まれ、肉体的な快楽と苦痛を極限まで追究するための実験台にされてしまう。そんな一種独特の都市伝説的な怪奇幻想の世界を描き、以降も数々の続編やリブート版が作られるほどの人気シリーズとなったのが、あのスティーブン・キングとも並び称されるイギリスのホラー小説家にして舞台演出家、劇作家、イラストレーターにコミック・アーティスト、ビジュアル・アーティストなど、マルチな肩書を持つ鬼才クライヴ・バーカーが監督したホラー映画『ヘル・レイザー』(’87)である。 原作は’86年に出版されたダーク・ハーヴェスト社のホラー・アンソロジー「Night Visions」第3集にバーカーが寄稿した小説「ヘルバウンド・ハート」(’88年に単独でペーパーバック化)。『13日の金曜日』(’80)の大ヒットに端を発する空前のホラー映画ブームに沸いた’80年代、その牽引役となったのは殺人鬼がティーン男女を血祭りに挙げるスラッシャー映画と生ける屍が人間を食い殺すゾンビ映画だが、しかし’80年代半ばにもなるとどちらも供給過多で飽和状態に陥ってしまう。そのタイミングで登場したのが本作だった。 古典的なゴシックホラーとアングラなパンク&ニューウェーヴを融合したエッジーな世界観、ボディピアシングやボディサスペンションなどのSM的なフェティシズムを取り込んだ過激なスプラッター描写。当時量産されていたスラッシャー映画やゾンビ映画と一線を画す独創性こそが成功の秘訣だったように思う。中でも、身体改造とボンデージの魅力を兼ね備えたセノバイトたちの変態チックなキャラ造形(バーカー自身がデザイン)はインパクト強烈。そのリーダー格であるピンヘッドはシリーズの実質的な看板スターとして、『エルム街の悪夢』シリーズのフレディや『13日の金曜日』シリーズのジェイソン、『悪魔のいけにえ』シリーズのレザーフェイスなどと並ぶホラー・アイコンとなった。 今のところ合計で11本を数える『ヘル・レイザー』シリーズだが、5月のザ・シネマでは初期の1作目~4作目までを一挙放送。そこで、今回は該当する4作品を中心にシリーズの見どころを振り返ってみたい。 『ヘル・レイザー』(1987) 物語の始まりは北アフリカのモロッコ。快楽主義者のフランク・コットン(ショーン・チャップマン)は、究極の快楽世界への扉を開くと言われる伝説のパズルボックス「ルマルシャンの箱」を手に入れ、実家へ持ち帰ってパズルを解いたところ、地獄から現れたセノバイト(魔導士)たちによって八つ裂きにされる。彼らにとって究極の快楽とは究極の苦痛でもあるのだ。 それから数年後、フランクの兄ラリー(アンドリュー・ロビンソン)が妻ジュリア(クレア・ヒギンズ)を連れて実家へ戻って来る。屋根裏部屋には消息を絶ったフランクの私物がそのままになっていた。漂うフランクの残り香に身悶えるジュリア。実は彼女とフランクはかつて不倫の関係にあり、ジュリアは今もなお彼の肉体を忘れられないでいたのだ。すると引っ越し作業中にラリーが手を汚してしまい、屋根裏部屋の床に零れた血液からフランクが復活してしまう。ジュリアの目の前に現れたのは、まだ完全体ではない「再生途中」のフランク。元の姿へ戻るためには生贄が必要だ。そう言われたジュリアは、ラリーの留守中に行きずりの男性を家へ連れ込んでは殺害し、フランクは犠牲者たちの精気を吸収していく。 一方、ラリーと前妻の娘カースティ(アシュレイ・ローレンス)はジュリアの怪しげな行動に気付き、屋根裏部屋で何が行われているのか確認しようとしたところ、世にも醜悪な姿の叔父フランクと遭遇。驚いた彼女はパズルボックスを奪って逃げるも途中で気を失ってしまう。病院で意識を取り戻したカースティは、好奇心に駆られてパズルボックスを解いたところ、ピンヘッド(ダグ・ブラッドレイ)をリーダーとするセノバイトたちが地獄より出現。フランクが地獄から逃げたことを知ったピンヘッドは、カースティを使って彼を再び地獄へ引き戻そうとするのだが…? これが長編劇映画デビューだったクライヴ・バーカー監督。それまで2本の短編映画を撮った経験しかなかったバーカーだが、しかし脚本に携わった自著の映画化『アンダーワールド』(’85)や『ロウヘッド・レックス』(’86)の出来栄えに不満足だったことから、自分自身の手で演出まで手掛けることにしたというわけだ。もともとヴァージン・レコード傘下のヴァージン・フィルムが出資を検討したが最終的に手を引き、アメリカのB級映画専門会社ニューワールド・ピクチャーズが全額出資することに。ラリー役に『ダーティハリー』(’71)の殺人鬼スコルピオ役で有名なアンディ・ロビンソン、その娘カースティ役に新人アシュレイ・ローレンスと、メインキャストにアメリカ人が起用されたのはアメリカ資本が入っているため。さらにアメリカ市場で売りやすくするべく、ニューワールド幹部の指示で一部イギリス人キャストのセリフをアメリカ人俳優が吹き替え、舞台設定もイギリスなのかアメリカなのかをあえて曖昧(撮影地はロンドン)にしている。 飽くなき欲望に取り憑かれた男女による、世にも残酷で醜悪なラブストーリー。見ているだけで痛そうな生々しい残酷シーンの不快感も然ることながら、この人間の嫌な部分をまざまざと見せつけられるような後味の悪さは、いわゆるハリウッド製ホラーと一線を画す英国ホラーらしい点であろう。そう、実のところ本作におけるメイン・ヴィランはジュリアとフランクであり、あくまでもピンヘッドやセノバイトたちは彼らに審判を下す存在、いわば「地獄の判事」とも呼ぶべきサブキャラに過ぎなかったりする。そもそも、この1作目ではまだ「ピンヘッド」という呼称すら使われていない。どうやら、少なくとも本作の製作時においては、バーカー監督も製作陣もピンヘッドがフレディやジェイソンに匹敵するほどの人気キャラになるとは想像もしていなかったようだ。 そのピンヘッド役を演じたのが、バーカー監督の高校時代の後輩で演劇部の仲間、彼が主催した前衛劇団「ザ・ドッグ・カンパニー」にも参加した盟友ダグ・ブラッドレー。頭部全体に待ち針を刺した異様な見た目のインパクトも然ることながら、舞台俳優ならではの発声法を活かした独特の喋り方やクールで知的な立ち振る舞いなど、その他大勢のホラーモンスターと一線を画すピンヘッドのカッコ良さは、間違いなくブラッドレーの役作りと芝居に負う部分が大きい。恐らく、演者が彼でなければピンヘッドもこれほどの人気キャラにはなっていなかったろう。当初、バーカー監督からピンヘッド役か引っ越し業者役のどちらかを選んでいいと言われたというブラッドレー。これが映画初出演だった彼は、「素顔のはっきりと分かる役柄の方が、あの映画のあの役をやっていたと証明しやすいため、自分のキャリアにとってプラスになるのではないか」と考え、一度は引っ越し業者役を選ぼうとしたらしい。いやあ、最終的に考え直してくれて良かった! 『ヘルレイザー2』(’88) 前作の予想を上回るスマッシュヒットを受け、矢継ぎ早に作られたシリーズ第2弾。日本語タイトルはこれ以降「・(ナカポツ)」が消えて「ヘルレイザー」となる。そもそもアメリカ側の出資元ニューワールド・ピクチャーズは1作目の仕上がりに大変満足したそうで、実は劇場公開前のタイミングで既に続編のゴーサインが出ていたらしい。ただし、当時のクライヴ・バーカーはちょうど『ミディアン』の製作に取り掛かったばかりで手が離せず、その代役として白羽の矢が立てられたマイケル・マクダウェルも健康問題などで降板せざるを得なくなったため、1作目の編集にノークレジットで参加した元ニューワールド・ピクチャーズ重役のトニー・ランデルが監督に抜擢される。また、脚本はバーカーと劇団時代からの友人であるピーター・アトキンスが担当。当時、売れないバンドのリードボーカリストだったアトキンスは、さすがに30代にもなって芽が出ないのは厳しいだろうと音楽のキャリアに見切りをつけ、これを機に映画脚本家へ転向することとなった。 時は1920年代。パズルボックス「ルマルシャンの箱」を手に入れた英国軍人エリオット・スペンサー大尉(ダグ・ブラッドレー)は、箱のパズルを解いたばかりに地獄へと引きずり込まれ、セノバイト(魔道士)のリーダー、ピンヘッドとなる。 そして現在。地獄から甦った叔父フランクと継母ジュリアに最愛の父ラリーを殺されたカースティ(アシュレイ・ローレンス)は、邪悪なフランクとジュリアに復讐を果たしたものの、しかしトラウマを抱えて精神病院へ収容されていた。担当医のチャナード医師(ケネス・クラナム)と助手カイル(ウィリアム・ホープ)に事の次第を説明し、恐るべきパズルボックスやセノバイトの存在に警鐘を鳴らすカースティ。いくら説明しても信じてもらえないことに苛立つ彼女は、せめてジュリアが死んだベッドのマットレスだけは処分して欲しいと訴える。死に場所の屋根裏部屋で甦った叔父フランクのように、ジュリアもそこから復活する可能性があるからだ。 ところが、実はこのチャナード医師、長いこと「ルマルシャンの箱」を研究してきた危険人物だった。カースティの話にヒントを得た彼は、問題のマットレスを病院のオフィスへ持ち込み、そこへ患者の血を垂らしたところ地獄からジュリア(クレア・ヒギンズ)が復活。たまたまその様子を目撃したカイルは、カースティの話が本当だったことに気付いて彼女を病室から逃がす。父親ラリーが地獄に囚われていると信じ、なんとかして救い出す方法を考えるカースティ。一方、ジュリアの復活に手を貸したチャナード医師は、パズルの才能がある精神病患者の少女ティファニー(イモジェン・ブアマン)を使って「ルマルシャンの箱」を解き、長年の夢だった地獄へと足を踏み入れる。その後を追って地獄入りし、父親を探し求めるカースティ。そこは、聖書に出てくる魔物リバイアサンが支配する迷宮のような異世界だった…! ということで、地獄から甦った魔性の女ジュリアが、魔物リバイアサンの手先として大暴れするという完全に「ジュリア推し」のシリーズ第2弾。実際、ストーリー原案と製作総指揮に関わったクライヴ・バーカーは、悪女ジュリアをシリーズの顔にするつもりだったらしい。ところが、そんな思惑とは裏腹にファンが熱狂したのはピンヘッドとセノバイト軍団。そのうえ、ジュリア役のクレア・ヒギンズが3作目への出演オファーを断ったため、ピンヘッドを看板に据えたシリーズの方向性が固まったのである。 そのピンヘッドやセノバイトたちが、実はもともと人間だったことが明かされる本作。1作目の段階では「裏設定」としてスタッフやキャストに共有されていたそうだが、今回はきっちりとストーリーに組み込まれている。そのうえで本作は、地獄とはいったいどのような空間でどういう仕組みになっているのか、どうやって人間がセノバイトへと生まれ変わるのかなど、シリーズの背景となるベーシックな世界観を掘り下げていく。そのぶん、前作で見られた背徳的かつ変態的なアングラ感はだいぶ薄れたようにも感じる。恐らく、そこは評価の分かれ目かもしれない。 『ヘルレイザー3』(‘92) 前作『ヘルレイザー2』を上回る大ヒットを記録し、いわばシリーズの人気を決定づけた第3弾。しかしその一方で、ファンの間では激しく賛否の分かれる作品でもある。恐らくその最大の理由は、初めて舞台設定をアメリカのニューヨークと明確にし、実際にイギリスではなくアメリカ(ロケ地はノース・カロライナとロサンゼルス)で撮影を行ったことで、映画全体がすっかりアメリカンな雰囲気になったことであろう。しかも監督はアンソニー・ヒコックスである。前2作と著しく毛色の違う映画になったのも無理はない。 『電撃脱走 地獄のターゲット』(’72)や『ブラニガン』(’75)で知られる娯楽職人ダグラス・ヒコックス監督と、『アラビアのロレンス』(’62)でアカデミー賞に輝く伝説的な映画編集技師アン・V・コーツを両親に持つ映画界のサラブレッド、アンソニー・ヒコックス。少年時代よりハマー・ホラーを熱愛する根っからのホラー映画マニアで、そのオタクっぷりを遺憾なく発揮した『ワックス・ワーク』(’88)シリーズや『サンダウン』(’91)は筆者も大好きなのだが、しかしスタジオシステムが健在だった時代の古き良きクラシック映画の伝統を踏襲した彼の王道的な作風は、パンク&ニューウェーヴの時代の申し子であるクライヴ・バーカーのエクスペリメンタルでアナーキーな感性とは対極にあると言えよう。どちらも同じイギリス人とはいえ、持ち味はまるで違うのだ。しかもヒコックス監督によると、本作のオファーを受けた際にプロデューサーのローレンス・モートーフから、「カルト映画的なイメージを捨てたい、思いっきりメインストリーム映画にして欲しい」と指示されたという。その結果、前2作とは一線を画す極めてハリウッド的なB級ホラー映画に仕上がったのだ。 プレイボーイの若き実業家J・P・モンロー(ケヴィン・バーンハルト)は、ふと立ち寄った画廊で奇妙な彫刻の施された柱に魅了されて衝動買いし、自身が経営する流行りのナイトクラブ「ボイラー・ルーム」のプライベートスペースに飾る。だがそれは、前作のラストでピンヘッド(ダグ・ブラッドレー)とパズルボックスを封印した魔界の柱だった。それからほどなくして、テレビの新米レポーター、ジョーイ(テリー・ファレル)は病院の緊急救命室を取材していたところ、怪我で担ぎ込まれた若者が怪現象によって惨死する現場を目撃してしまう。付き添いの女性テリー(ポーラ・マーシャル)によると、ナイトクラブ「ボイラー・ルーム」にある奇妙な柱から出現したパズルボックスが事件に関係しているらしい。そのテリーと一緒に奇妙な柱の出所を調べ始めたジョーイは、やがて一本のビデオテープを発見する。そこに映されていたのは、パズルボックスとセノバイトの危険性を訴える女性カースティ(アシュレイ・ローレンス)の姿だった。 その頃、いつものようにクラブの女性客と適当にセックスを楽しんで追い返そうとしたモンロー。すると、柱から飛び出した鎖が女性客を惨殺し、封印されていたピンヘッドが覚醒する。外の世界へ出るためには更なる生贄が必要だ。そこで、モンローは強大な権力と引き換えに、ピンヘッドのため生贄を捧げることを約束する。一方、徐々にパズルボックスの謎を解き明かして来たジョーイの夢の中に、ピンヘッドの前世であるエリオット・スペンサー大尉(ダグ・ブラッドレー)が出現。実は前作でチャナード医師に倒されたピンヘッドは、その際に善(=スペンサー大尉)と悪(=ピンヘッド)が完全に分離していたのだ。自らがセノバイト(魔道士)となるまでの複雑な過去を明かしたスペンサー大尉は、今や純然たる悪と化したピンヘッドの暴走を阻止すべく力を貸して欲しいとジョーイに告げる…。 冒頭の手術室で看護師が器具を並べるシーンはデヴィッド・クローネンバーグの『戦慄の絆』(’88)、怪我をした若者が病院へ担ぎ込まれるシーンはエイドリアン・ラインの『ジェイコブス・ラダー』(’90)、ジョーイが自宅の窓ガラスを通り抜けて異世界へ迷い込むシーンはジャン・コクトーの『詩人の血』(’30)に『オルフェ』(‘50)といった具合に、全編に渡って大好きな映画へのオマージュが散りばめられているのはヒコックス監督らしいところ。ダリオ・アルジェントの『サスペリア』(’77)へのオマージュの元ネタが、よりによってジェシカ・ハーパーがウド・キアーを訪ねるシーンなのは、さすがにマニアック過ぎてニヤリとさせられる。さらに、ナイトクラブでの虐殺シーンをはじめとして、過激なスプラッター描写は前2作以上にてんこ盛り。CDJセノバイトにカメラマン・セノバイトなど、ややコミカル寄りな新キャラの造形は少々悪乗りし過ぎという気もするが、それもまたヒコックス監督一流の「サービス精神」の為せる業と言えよう。間違いなく、シリーズ中で最もエンタメ性の高い作品だ。 ちなみに、製作会社との意見の相違からメイン撮影に一切ノータッチだったクライヴ・バーカーだが、しかしプロモーション戦略の上で原作者のお墨付きが欲しいプロデューサー陣に懇願され、製作総指揮として追加撮影およびポスプロの段階から関わったらしい。一方、前作に続いて脚本を書いたバーカーの盟友アトキンスはヒコックス監督とすっかり意気投合し、俳優としてもナイトクラブ「ボイラー・ルーム」のバーテン役&有刺鉄線セノバイト役で出演。また、これ以降『ヘルレイザー』シリーズの製作は、ミラマックス傘下のディメンション・フィルムズが担当することになる。 『ヘルレイザー4』(’96) 監督を手掛けた大物特殊メイクマン、ケヴィン・イェーガーが編集を巡る争いで降板したことから、『THE WIRE/ザ・ワイヤー』や『FRINGE/フリンジ』などのテレビシリーズで知られるジョー・チャペルが追加撮影を行い、最終的にアラン・スミシー名義で公開されたという曰く付きのシリーズ第4弾である。 映画はいきなり2127年の近未来から始まる。自らが設計した宇宙ステーション「ミノス」を占拠した科学者ポール・マーチャント博士(ブルース・ラムゼイ)は、ロボットアームで慎重にパズルボックスを解いてピンヘッド(ダグ・ブラッドレー)を召喚する。それにはある目的があったのだが、しかしそこへ武装した特殊部隊が突入。身柄を拘束されたマーチャント博士は、パズルボックス「ルマルシャンの箱」と自身の家系の忌まわしい歴史について語り始める。 時は遡って1796年のフランスはパリ。マーチャント博士の先祖に当たる玩具職人フィリップ・ルマルシャン(ブルース・ラムゼイ)は、快楽主義者の不良貴族デ・リール公爵(ミッキー・コットレル)の依頼でパズルボックス「ルマルシャンの箱」を製作する。ところが、邪悪なデ・リール公爵は道で拾った貧しい女性アンジェリーク(ヴァレンティナ・ヴァルガス)を生贄にし、「ルマルシャンの箱」を介して地獄の門を開こうとしていた。その様子をたまたま目撃したフィリップは深く後悔し、逆に地獄の門を封じるためのパズルボックスを新たに作ろうとするものの失敗。そのためルマルシャン家は末代まで呪われることとなる。 再び時は移って1996年、アメリカへ移住したルマルシャン家の子孫ジョン・マーチャント(ブルース・ラムゼイ)は建築デザイナーとして大成し、ニューヨークのマンハッタンに「ルマルシャンの箱」をモチーフにした超高層ビルを建てる。彼は秘かに全ての地獄の門を閉じるためのパズルボックスを研究開発していたのだが、そんな彼の前にセノバイトと化したアンジェリークが現れ、召喚したピンヘッドと共にジョンを亡き者にしようと画策。しかし、お互いに信念の相違からピンヘッドとアンジェリークは敵対していく…。 過去・現在・未来と3つの時間軸を跨いで、パズルボックス「ルマルシャンの箱」を作った一族の数奇な運命を描いた大河ドラマ的なエピックストーリー。クラシカルなコスチュームプレイやスペース・オペラ的なサイエンス・フィクションの要素を兼ね備えたプロットは実に贅沢だが、しかしその割にコンパクトでチープな仕上がりなのは、脚本はおろか粗筋すら読まずにゴーサインを出したミラマックス幹部が、後からスケールの大きさに気付いて予算を出し惜しみしたせいだと言われている。 それでもなお、パズルボックスのルーツが解き明かされる中世編はロマンティックな怪奇幻想の香りが漂って秀逸だし、前作のクライマックスで登場した高層ビルの正体が判明する現代編も面白い。恐らく、宇宙ステーションを舞台にした近未来編は、もっとスケールの大きな話になるはずだったのだろう。そう考えると、予算との兼ね合いでクライヴ・バーカーの初期構想を破棄せねばならなかったことが惜しまれる。 その後の『ヘルレイザー』シリーズ 興行成績はまずまずの結果を残したものの、しかし批評的には大惨敗だった『ヘルレイザー4』。これを最後に生みの親クライヴ・バーカーも手を引いてしまうのだが、しかし製作会社ディメンション・フィルムズにとって『ヘルレイザー』シリーズは依然として金の生る木だったため、これ以降もビデオスルー作品として順調に継続していくこととなる。最後にその変遷をザッと辿ってみよう。 21世紀を迎えて早々に作られた『ヘルレイザー/ゲート・オブ・インフェルノ』(’00)は、連続殺人事件を追う汚職警官の心の闇にピンヘッドが付けこむネオノワール風ホラー。これがまるで、『ジェイコブス・ラダー』×『ロスト・ハイウェイ』と呼ぶべきシュール&ダークな仕上がりで、間違いなくシリーズ屈指の傑作となった。監督は『フッテージ』(‘12)や『ブラック・フォン』(’22)などの小品ホラーで高く評価され、マーベルの『ドクター・ストレンジ』(’16)も手掛けたスコット・デリクソン。これがデビュー作だったが、当時からその才能は抜きん出ていた。 続く『ヘルレイザー/リターン・オブ・ナイトメア』(’02)ではアシュレイ・ローレンス演じるカースティが久々に復活。’02年にルーマニアで同時撮影された『ヘルレイザー/ワールド・オブ・ペイン』(’05)と『ヘルレイザー/ヘルワールド』(’05)は、前者ではルマルシャン家の子孫の率いるカルト集団がセノバイトを支配しようとし、後者ではゲーム版『ヘルレイザー』に熱中する若者たちが次々とピンヘッドに殺されていくメタ設定を採用するなど、どちらも創意工夫を凝らしているものの、残念ながら成功しているとは言えなかった。ちなみに、『ヘルレイザー/ヘルワールド』には無名時代のキャサリン・ウィニックと、撮影当時まだ19歳の初々しいヘンリー・カヴィルが出ている。 その後、6年ぶりに『ヘルレイザー:レベレーション』(’11)が登場するのだが、しかしこれがなんとも酷かった!いよいよダグ・ブラッドレーがピンヘッド役を降板し、新たにステファン・スミス・コリンズという俳優を起用、特殊メイクのデザインも一新されたのだが、残念ながらダグ・ブラッドレー版ピンヘッドのオーラもカリスマ性も皆無。そのうえ、メキシコへヤンチャしに行った不良坊ちゃんコンビがうっかりピンヘッドを召喚してしまうというストーリーもダメダメで、明らかにシリーズ最低の出来栄え。続く『ヘルレイザー:ジャッジメント』(’18)は、『ヘルレイザー/ゲート・オブ・インフェルノ』に倣ったネオノワール・スタイルの犯罪サスペンス・ホラーで、『バートン・フィンク』や『セブン』を彷彿とさせる作風は悪くなかったが、いかんせん安っぽすぎた。 そして、満を持して発表された1作目のリブート版…というよりも原作「ヘルバウンド・ハート」の再映画化が、ディメンション・フィルムズから新たに20世紀スタジオへ権利が移って制作された『ヘル・レイザー』(’22)。といっても、ストーリーは原作とも1作目とも大きく違っている。ピンヘッドも男性から女性へ。セノバイトたちのデザインも刷新された。どうしても「誰か」に「何か」に依存してしまうリハビリ中の薬物中毒患者と、あらゆる悪徳と快楽に溺れてもなお満足できない大富豪を主人公に、人間の弱さと強さ、善と悪、理性と欲望の葛藤を描くストーリーは、『ダークナイト』三部作のデヴィッド・S・ゴイヤーも脚本原案に携わっているだけあって良質な仕上がり。同じデヴィッド・ブルックナー監督で続編も企画されているそうなので、期待して待ちたい。■ 『ヘル・レイザー』『ヘルレイザー2』『ヘルレイザー3』© 2019 VINE LSE INTERNATIONAL IV, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.『ヘルレイザー4』© 2021 VINE LSE INTERNATIONAL IV, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2024.01.18
フリードキン流ドキュメンタリーの手法が、アクチュアルなド迫力を生んだ!『フレンチ・コネクション』
昨年87歳でこの世を去った、ウィリアム・フリードキン。1935年生まれの彼が、映画監督として最高のスポットライトを浴びたのは、『フレンチ・コネクション』(71)『エクソシスト』(73)の2本をものした、30代後半の頃であったのは、間違いない。 近年には、長らく“失敗作”扱いされ、キャリアの転換点とされた、『恐怖の報酬』(77)の再評価などがあった。しかし、『フレンチ…』『エクソシスト』を連発した際の、リアルタイムでのインパクトはあまりにも凄まじく、それ故に、以降は“失墜”した印象が、強くなったとも言える。 そんなフリードキンのキャリアのスタートは、TV業界。10代後半、父親が早逝し、大学に進む気がなかった彼が、必要に駆られて職に就いたのが、生まれ育った地元シカゴのローカルテレビ局の郵便仕分け係だった。 ところがこの局では、異動の度に様々な職種を経験していくシステムになっており、やがて彼は、番組の“演出”を担当するようになる。元はディレクター志望だったわけではないが、水が合ったらしく、その後幾つか局を移りながら、20代後半までに、ヴァラエティ、クイズ、クラシック音楽、野球など2,000本以上の生番組を手掛け、10数本のドキュメンタリーを世に送り出した。 フリードキンが映画界へと進んだのは、30代を迎えた60年代後半。舞台の映画化作品である『真夜中のパーティー』(70)などが評判にはなったが、決定打が出ないまま、70年代へと突入した。 思い悩む彼がアドバイスを求めたのが、ハワード・ホークス監督。スクリュー・ボール・コメディからミュージカル、メロドラマ、ギャング映画、航空映画、西部劇等々、様々なジャンルでヒットを放ってきた巨匠ホークスがフリードキンに言ったのは、次の通り。「誰かの抱えている問題や精神的な厄介ごとについての話なんて誰も聞きたかねぇんだよ。みんなが観たいのはアクションだ。俺がその手の映画をイイ奴らと悪もんをたくさん使って作ると必ずヒットするのさ」 そしてちょうどそのタイミングで、スティーヴ・マックィーン主演の刑事アクション『ブリット』 (68)で大ヒットを飛ばした、プロデューサーのフィリップ・ダントニから、出版前のゲラ刷りが、フリードキンへと持ち込まれた。それが、ロビン・ムーアの筆によるノンフィクション「フレンチ・コネクション」だった。 ニューヨーク警察が、フランスから持ち込まれた大量のヘロインの押収に成功した、61年に実際に起こった大捕物を記したこの原作に、フリードキンは心惹かれた。更にはニューヨークに行って、この捜査の中心だった、麻薬捜査課の2人の刑事、エドワード・イーガン、サリヴァトーレ・グロッソの実物と会ってからは、本当に夢中になって映画化に取り組んだ。 そこから納得のいく脚本づくりに時間を掛けて、本作『フレンチ・コネクション』がクランクインしたのは、1970年の11月30日。翌71年の3月に入るまで、65日間の撮影では、セットは一切使わなかった。ニューヨーク、それも実際の事件の舞台となった場所を使用した、オールロケーションを敢行したのである。 ***** ニューヨーク・ブルックリンで、麻薬の摘発に勤しむ2人の刑事、ジミー・ドイルとバディー・ルソー。“ポパイ”と呼ばれるドイルの強引なやり口を、ルソーがフォローする形で捜査を含める、名コンビだった。 ある時2人で出掛けたナイトクラブで、豪遊する男サル・ボカを見て、ドイルの“猟犬”の勘が働く。妻と共に軽食堂を営むサルを張り込み、店の盗聴を行った結果、彼の仲介で、フランス・マルセイユから届くヘロインの大きな取引が行われることがわかった。 取引の中心に居るのは、フランス人実業家のシャルニエ。殺し屋の二コリを従えて、ニューヨークのホテルに滞在していた。 財務省麻薬取締部の捜査官も交えて、シャルニエらの尾行が始まる。ある日ドイルの尾行に気付いたシャルニエは、地下鉄を利用。狡猾なやり口で、まんまとドイルを撒いた。 証拠不十分でドイルが捜査から外されたタイミングで、二コリがライフルでドイルを狙撃する。弾を逃れたドイルは、高架を走る地下鉄へと逃げ込んだ二コリを追うため、通りがかりの車を徴発。高架下を猛スピードでぶっ飛ばす。 地下鉄をジャックして、ノンストップで走らせたニコリだが、終着駅で停車していた車両に衝突。何とか逃げおおせようと、地下鉄を脱出するものの、追いついたドイルによって、射殺される。 ドイルは捜査へと復帰。いよいよシャルニエたちの麻薬取引が迫る中、繰り広げられる虚々実々の闘いは、終着点へと向かう…。 ***** 主役のドイル刑事に選ばれたのは、ジーン・ハックマン。40歳になったばかりの「ハックマンは、それまでに『俺たちに明日はない』(67)などで、2度アカデミー賞助演男優賞にノミネートされるなど、知名度はそこそこにあったが、本格的な主演作は初めて。 無名俳優を使いたかったフリードキンと、スターを主演にしたかった製作会社。その妥協によって、中間的な位置にいたハックマンが起用されたという。 ハックマンは、相棒のルソー刑事に選ばれたロイ・シャイダーと共に、自分たちの役のモデルとなった、イーガン、グロッソ両刑事の捜査などに、2週間密着。麻薬常習者の溜まり場に踏み込んだり、その連行を手伝ったりまでして、役作りを行った。 刑事たちが追うシャルニエ役に、フェルナンド・レイが選ばれたのは、実は手違いからだった。フリードキンは当初、ルイス・ブニュエル監督、カトリーヌ・ドヌーヴ主演の『昼顔』(67)に出演していた、フランシスコ・ラバルをキャスティングしようと考えていたのである。 ところがキャスティング・ディレクターが、勘違い。同じブニュエル監督のドヌーヴ主演作、『哀しみのトリスターナ』(70)の共演者だったレイが、ニューヨークの撮影へと招かれた。フリードキンはその時会って初めて、自分が考えていた俳優とは、別人だと気付いたという。 実はこれが、瓢箪から駒となった。役のモデルとなった犯罪者は、粗野なコルシカ人だったが、フェルナンド・レイは、見るからに洗練された紳士。粗野なドイル刑事とのコントラストが、効果的に映えた。因みに当初想定されていたラバルは、英語がまったく話せなかったので、そうした意味でも、大成功のキャスティングとなった。
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COLUMN/コラム2023.12.25
霧の中から現れる怨霊の恐怖!巨匠J・カーペンターによるゴシック・ホラーの隠れた名作『ザ・フォッグ』
モダン・ホラー全盛の時代に登場したクラシカルな正統派ホラー 来るべき’80年代スラッシャー映画ブームの原点にして、’70年代モダン・ホラー映画の金字塔『ハロウィン』(’78)。僅か30万ドル強という低予算のインディペンデント映画だった同作は、しかし興行収入およそ7000万ドルという驚異的な数字を叩き出し、演出・脚本・音楽を手掛けたジョン・カーペンター監督は一躍ハリウッドの注目の的となる。 ’70年代は『悪魔のいけにえ』(’74)や『ゾンビ』(’78)など、従来ならドライブイン・シアターやグラインドハウスで上映されたようなインディーズ系ホラー映画が、メジャー級のメガヒットを飛ばすようになった時代。加えて、『エクソシスト』(’73)や『キャリー』(’76)など、現代社会の日常に潜む不条理な恐怖を描くモダン・ホラーが人気を博した時代でもあった。アメリカのどこにでもある平和な田舎町で、連続殺人鬼マイケル・マイヤーズが繰り広げる無差別な殺戮を描き、劇場公開時に米インディペンデント映画史上最高の興行成績を記録した『ハロウィン』は、そうした時代のトレンドを象徴するような作品だったと言えよう。この歴史的な偉業を成し遂げたカーペンター監督が、今度は一転して古式ゆかしいゴシック・ホラーの世界に挑んだ映画。それが本作『ザ・フォッグ』(’80)だった。 舞台はカリフォルニア北部の沿岸にある小さな田舎町アントニオ・ベイ。深夜の海岸では町の長老マッケン氏(ジョン・ハウスマン)が、焚火を囲んで子供たちに怪談話を聞かせている。あと5分で日付は1980年4月21日へと変わり、アントニオ・ベイは創立100周年を迎える。実はこの町には昔から不思議な言い伝えがあった。それはまさに今から100年前のこと。沖へ近づいた大型帆船エリザベス・デイン号は、海岸の焚火を灯台の光と間違えて難破し、乗組員は全員死亡してしまった。それ以来、アントニオ・ベイの沖合に濃い霧が立ち込めるたび、幽霊船となったエリザベス・デイン号が霧の中から姿を現すというのだ。 時間は午前1時。人々が寝静まった深夜のアントニオ・ベイで、建物が揺れたり自動車が勝手にクラクションを鳴らしたりなどの怪現象が一斉に発生。ちょうどその頃、ひとりで酒を飲んでいた地元教会のマローン神父(ハル・ホルブルック)は、壁の中に隠されていた一冊の本を発見する。それは亡き祖父が書き残した100年前の日記帳だった。そこに記されていたのはエリザベス・デイン号難破事件の真相。実は、船に乗っていたのはハンセン病を患った大富豪ブレイク氏と患者仲間たちで、彼らは当時まだ小さな集落に過ぎなかったアントニオ・ベイの近くにハンセン病患者の居留地を作ろうとしていたのだ。しかし、これに反対したマローン神父の祖父ら6名の集落代表は、わざと焚火を灯台の光と間違えて船が難破するよう仕向けてブレイク氏らを殺害。それがまさに100年前の4月21日、午前1時のことだったのだ。しかも、彼らは船に積まれた大量の金を盗み出し、それを元にしてアントニオ・ベイの町を創立したという。忌まわしい過去の歴史を初めて知ったマローン神父は思わず戦慄する。 その同じ時刻、灯台の上から番組を放送しているローカル・ラジオ局の女性DJ、スティーヴィ・ウェイン(エイドリアン・バーボー)は、いつも天気情報を提供してくれる気象台員ダン・オバノン(チャールズ・サイファーズ)から沖合に濃霧が発生したとの報告を受ける。なるほど、海岸へ向けて移動している霧峰が灯台からも確認できる。しかも、これが不思議なことに光って見えるのだ。いずれにしても、沖合の漁船に警戒を促さなくてはいけない。スティーヴィの濃霧注意報を聴いて周囲を確認する漁船シー・グラス号の乗組員たち。すると霧の中から幽霊船エリザベス・デイン号が出現し、ブレイク氏らの怨霊によって乗組員3人は皆殺しにされる。 やがて朝が訪れ、町では創立100周年を祝う記念行事の準備が進められる。イベントの主催を任された不動産業者キャシー(ジャネット・リー)は、秘書サンディ(ナンシー・ルーミス)を伴って町中を駆け回っている。一方、漁に出たまま戻らないシー・グラス号を心配した地元住民ニック・キャッスル(トム・アトキンス)は、仲良くなったヒッチハイカー女性エリザベス(ジェイミー・リー・カーティス)と一緒に捜索に乗り出す。ほどなくして海上を漂流するシー・グラス号の中から乗組員の遺体を発見。不可解なことに検視結果は溺死だった。それも1週間以上は経っているような状態だという。その頃、幼い息子アンディが海岸で拾った木の板を手にしたスティーヴィは、それが100年前に難破したエリザベス・デイン号の一部であることに気付く。板に浮かび上がる「6人に死を」という文字にショックを受けるスティーヴィ。いつしか夜の帳が下り、祝賀行事で盛り上がるアントニオ・ベイの町。そこへ不気味に光る濃霧が沖合より立ち込め、霧の中から現れた怨霊たちが町の人々を殺し始める…。 これはアメリカ版の『八つ墓村』!? これぞまさしくアメリカン・ゴシック!先祖の犯した忌まわしい罪に対する呪いが、100年後の子孫に降りかかる…という設定は、マリオ・バーヴァ監督の傑作『血ぬられた墓標』(’60)を例に出すまでもなく、古典的な怪談物語の王道と呼ぶべきものであろう。筆者は高校時代に都内の名画座で本作を初めて見たのだが、当時の感想は「なにこれ、『八つ墓村』じゃん!」だった(笑)。まあ、さすがに『八つ墓村』には怨霊など出てこないものの、しかし基本的なプロットはかなり似ているものがあるし、本作に登場する怨霊たちも『八つ墓村』で村人に殺された落ち武者のイメージを想起させる。この手の恐怖譚が大衆に好まれるのは、恐らく古今東西を問わないのだろう。そんな普遍性の高い「呪い」と「復讐」のゴースト・ストーリーを、古き良きアメリカの伝統を今に残す風光明媚な海辺の田舎町を舞台に描くことで、本作はエドガー・アラン・ポーやH・P・ラヴクラフトにも相通じるアメリカン・ゴシックの世界を作り上げているのだ。 脚本を手掛けたのはジョン・カーペンター監督と、彼の公私に渡るパートナーだったプロデューサーのデブラ・ヒル。2人は’77年に『ジョン・カーペンターの要塞警察』(’76)のプロモーションでイギリスを訪れた際、ストーンヘンジの周辺が濃い霧に包まれる様子を目の当たりにしたことから、「霧の中から何か恐ろしいものが現れる」という設定を思いついたのだという。スティーブン・キング原作の『ミスト』(’07)を彷彿とさせるアイディアだが、もちろん本作が元ネタというわけでは全くない。なにしろ、キングの原作小説が発表されたのは本作の劇場公開と同じ’80年である。そもそも、本作のはるか以前にも「霧の中から何か恐ろしいものが現れる」映画は存在した。それが「霧の中から巨大な目玉のお化けが現れる」という英国産ホラー『巨大目玉の怪獣~トロレンバーグの恐怖』(’58)。実際、カーペンター監督は『ザ・フォッグ』を作るにあたって同作を参考にしたと語っている。 ほかにも、ヴァル・リュートンが製作した『私はゾンビと歩いた!』(’43)や『吸血鬼ボボラカ』(’45)などのRKOホラーを筆頭に、2人が敬愛するクラシック・ホラーの数々からインスピレーションを得たというカーペンターとヒル。また、’50年代に人気を博したECコミックの恐怖漫画からも多大な影響を受けている。『ハロウィン』と一線を画すムード重視のゴシック・スタイルは、やはり初めから意図したものだったようだ。ただ、こうした古典回帰路線を意識し過ぎたせいで、実は最初に完成したラフカット版は怖くもなんともない退屈な仕上がりだったらしい。折しも、当時は特殊メイクを駆使した刺激的なスプラッター映画が台頭し始めていた時期。ホラー映画ファンはゴア(残酷描写)を求めていた。そこでカーペンターとヒルの2人は、改めて予算を増やして追加撮影を決行。怨霊たちが犠牲者を殺害する場面の直接的な残酷描写や、冒頭の焚火を囲んだプロローグなど、最終的に完成した本編の約3分の1が追加撮影シーンだという。 カーペンター・ファミリーで固められたスタッフ&キャスト陣 ヒロインのラジオDJ、スティーヴィ役に起用されたのは、当時カーペンター監督と新婚ホヤホヤだった女優エイドリアン・バーボー。もともとテレビの人気シットコム『Maude』(‘72~’78)のレギュラーとして注目された彼女は、『ハロウィン』よりも前に撮影されていたカーペンター監督のテレビ映画『姿なき脅迫』(’78)に出演。当時カーペンターはデブラ・ヒルと付き合っていたが、しかしこれがきっかけでバーボーと急接近し、『ハロウィン』の完成後にヒルと破局することになった。ハリウッド・ヒルのカーペンター宅で、彼とヒルの2人から別離を知らされたジェイミー・リー・カーティスは、ショックのあまりその場で号泣したそうだ。ただ、本人たちは十分に納得したうえでの結論だったらしく、実際にカーペンターとヒルは本作以降もビジネス・パートナーとして仕事を続けることになる。 そのジェイミー・リー・カーティスは、『ハロウィン』に続いてのカーペンター作品出演だ。先述した通り、記録的な大ヒットとなった『ハロウィン』。主演女優であるカーティスは「これで映画の仕事が次々舞い込む」と期待したそうだが、しかし実際はその反対だったらしい。要するに、『ハロウィン』以前と変わらず全く仕事が来なかったのだ。辛うじて、テレビドラマのゲスト出演で食いつなぐ日々。それを気の毒に思ったカーペンターが、彼女のためにヒッチハイカーのエリザベスという役柄を用意してくれたのだという。そのうえ母親のジャネット・リーまで起用。カーペンターとヒルのことを「私にとっては映画界の父親と母親」と呼ぶカーティスだが、文字通り家族ぐるみの親しい付き合いだったのだろう。 そもそもカーペンター監督は映画界の友人や仲間をとても大切にする人物。本作のキャストやスタッフも、その多くがカーペンター・ファミリーと呼ぶべき常連組で固められている。例えば、気象台員ダン役のチャールズ・サイファーズは『ハロウィン』のブラケット保安官役でお馴染み。『ジョン・カーペンターの要塞警察』で演じた死刑囚を護送する刑事役も印象深い。そういえば、『ハロウィン』の続編『ブギーマン』(’81)と『ハロウィンKILLS』(’21)でもブラケット保安官を演じていたっけ。不動産屋秘書サンディ役のナンシー・ルーミスも、『ハロウィン』のブラケット保安官の娘アニー役や『ジョン・カーペンターの要塞警察』の警察署の女性職員役で知られ、『ブギーマン』と『ハロウィン3』(’83)にも顔を出していた。ニック役のトム・アトキンスと漁師トミー役のジョージ・バック・フラワーは、本作をきっかけにカーペンター映画の常連となる。また、撮影監督のディーン・カンディも『ハロウィン』から『ゴーストハンターズ』(’86)に至るまで、カーペンター映画に欠かせないカメラマンだった。 さらに本作が興味深いのは、登場人物の役名にまで友人の名前が使われていること。トム・アトキンス演じるニック・キャッスルはカーペンターの学生時代からの大親友で、『ハロウィン』の初代マイケル・マイヤーズを演じたことでも有名な脚本家が元ネタだし、気象台員ダン・オバノンはカーペンターの処女作『ダーク・スター』(’74)や『エイリアン』(’79)でお馴染み脚本家、家政婦コービッツさんはテレビ映画『姿なき脅迫』で世話になった製作者リチャード・コービッツへのオマージュだ。また、漁師トミー・ウォーレスは数々のカーペンター作品で美術や編集などを手掛けた、幼馴染の映画監督トミー・リー・ウォーレスのこと。本作でも美術と編集を担当したウォーレスは、さらにブレイク氏の怨霊役を特殊メイク担当のロブ・ボッティンと2人で演じ分けている。ちなみに、女優ナンシー・ルーミスとウォーレスは当時夫婦で、劇中に出てくるサンディの家は2人が住んでいた自宅だという。 なお、『ジョン・カーペンターの要塞警察』の死刑囚ナポレオン・ウィルソン役で強烈な印象を残す俳優ダーウィン・ジョストンが、ドクター・ファイブスという名前の検視医役で登場するのだが、この役名はカルト映画『怪人ドクター・ファイブス』(’71)でヴィンセント・プライスが演じたマッド・ドクターのこと。伝説の映画製作者にしてオスカー俳優のジョン・ハウスマンが冒頭で演じるマッケン氏は、H・P・ラヴクラフトやスティーブン・キングにも影響を与えた怪奇小説家アーサー・マッケンから引用されている。また、ジョン・カーペンター自身も教会の用務員ベネット・トレイマー役でカメオ出演。この役名も実はカーペンターの学生時代の友人である同名脚本家から取られており、『ハロウィン』にもベン・トレイマーというキャラクターが出てくる。 かくして、本来は’79年のクリスマスシーズンに全米公開を目指していたものの、大幅な撮り直しをせねばならなくなったため、’80年1月に封切時期がずれ込んだ『ザ・フォッグ』。興行成績は前作『ハロウィン』に遠く及ばなかったとはいえ、それでも110万ドルの予算(+広告費300万ドル)に対して2000万ドル強の売り上げは十分に健闘したと言えよう。ただし、批評家からの評価は決して良いとは言えなかった。カーペンター監督自身も最近でこそ本作を「ちょっとした古典」と呼んでいるが、しかし公開当時はその出来栄えにかなり不満があったそうだし、ジェイミー・リー・カーティスも仕事のない時期にオファーしてくれたカーペンター監督に感謝しつつ、「個人的に好きな映画ではない」とハッキリ断言している。そんな殺生な…『ブギーマン』は良い映画だ、過小評価されていると言ってたのに!?と愚痴りたくなるってもんだが(笑)、まあ、確かに地味な映画ではある。しかし、あからさまなショック演出やスプラッターに頼ることなく、夜霧に包まれた田舎町の禍々しいムードを煽りながら、じわじわと恐怖を盛り上げていくカーペンターの演出は、それこそジャック・ターナーやロバート・シオドマク、マーク・ロブソンといったクラシック・ホラーの名匠たちにも引けを取らないだろう。もっと評価されて然るべき隠れた名作だと思う。■ 『ザ・フォッグ』© 1979 STUDIOCANAL
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COLUMN/コラム2023.08.28
ヨーロッパ映画を彷彿とさせる骨太で硬派な政治スリラーの隠れた名作『アンダー・ファイア』
物語の背景となるニカラグア革命とは? 惜しくも、劇場公開時は興行的に全くの不発だったものの、しかしその一方でロジャー・エバートやジョン・サイモンなど名だたる映画評論家から高く評価され、映画ファンの間でも今なおカルト的な人気を誇っている政治スリラー映画の隠れた名作である。 1981年1月20日、アメリカでは元ハリウッド俳優ロナルド・レーガンが第40代アメリカ合衆国大統領に就任する。ご存知の通り、当時は東西冷戦の真っ只中。’60年代末から続いていたデタント(米ソの緊張緩和)は’79年のソ連によるアフガニスタン侵攻で崩壊し、人権問題を重視した先代・カーター大統領の穏健な外交政策はおのずと「弱腰外交」と批判される。そうした中で誕生したレーガン政権は、一転してタカ派的な強気の外交政策を展開。ソ連を「悪の帝国」と呼んで激しく非難し、反共の理念を旗印にして中南米や中近東などの不安定な政情にも介入していく。折しも’80年代のハリウッドでは、アカデミー賞を賑わせた『レッズ』(’81)や『ミッシング』(’82)などを筆頭に、世界各地の革命や紛争を題材にした政治スリラー映画が静かなブームを呼んでいたが、その背景にはこうした東西冷戦の激化が影響していたと考えてもおかしくはないだろう。 中でも当時流行ったのが、様々な情報が錯綜する革命や紛争、圧政の渦中にあって、真実を追求するために命がけで奔走するジャーナリストを描いた映画群だ。恐らくそのきっかけとなったのは、メル・ギブソンがスカルノ政権末期のインドネシアに派遣されたテレビ特派員を演じる『危険な年』(’82)。オーストラリア映画だがアメリカでも大ヒットを記録し、男性カメラマン役を演じたリンダ・ハントがアカデミー助演女優賞を獲得した同作の成功を皮切りに、カンボジア内戦を舞台にした『キリング・フィールド』(’84)やエルサルバドル内戦を題材にした『サルバドル/遥かなる日々』(’86)、アパルトヘイト政策の弾圧に立ち向かった南アフリカの黒人活動家と新聞記者の戦いを描く『遠い夜明け』(’87)など、ジャーナリズムの使命とその重要性を改めて知らしめるような政治スリラー映画の力作が次々と公開される。『エア★アメリカ』(’90)や『007/トゥモロー・ネバー・ダイ』(’97)でお馴染み、ロジャー・スポティスウッド監督の出世作となった『アンダー・ファイア』(’83)もそのひとつだ。 本作の題材はニカラグア革命。さすがに筆者も国際紛争や中南米史の専門家ではないため、ここでは一般常識的な基礎知識をサクッと振り返ってみたい。自国の覇権を拡大・維持するため、20世紀初頭から中南米諸国の政治に介入してきたアメリカ合衆国。ニカラグアもそのひとつで、1927年に親米的な保守党政権に対し自由党が内戦を仕掛けると、米国は海兵隊を送り込んで鎮圧しようとする。結局、世界大恐慌の影響で米海兵隊は撤退するも、’34年に自由党軍のサンディーノ将軍はアメリカに支援された国家警備隊に暗殺され、その首謀者であるアナスタシオ・ソモサ・ガルシアは’37年に大統領へ就任。以降、ソモサ親子3名は43年間に渡って国家権力を私物化し、「ソモサ王朝」と呼ばれる独裁的な強権政治を敷いたのである。 ‘72年にニカラグアで起きたマナグア大地震。世界中から多くの支援金や支援物資が集まったものの、その大半をソモサ一家が着服して身内企業などに分配。さらに、’78年には反体制派新聞の社長が政府によって暗殺され、いよいよソモサ王朝に対する国民の怒りが頂点へと達する。’79年にはサンディーノ将軍の遺志を継ぐ左翼革命組織・サンディニスタ民族解放戦線が武装蜂起。現地での取材を試みた米テレビ局ABCのレポーター、ビル・スチュワートが国家警備隊に射殺され、その様子をたまたま撮影したニュース映像が世界中で報道されるに至り、それまで「親米」を理由にソモサ政権を支援してきた米政府も看過できなくなる。かくして、アメリカから見放されたアナスタシオ・ソモサ・デバイレ(ガルシアの次男)大統領は失脚。マイアミを経て各地を転々とした挙句、’80年に亡命先のパラグアイで暗殺された。 以上が、本作の背景となる史実のあらまし。基本的には登場人物もストーリーもフィクションだが、しかしビル・スチュワート事件を下敷きにした出来事が物語の重要なカギとなり、劇中ではソモサ大統領まで登場してドラマに絡んでくる。やはり本作を鑑賞するにあたって、ある程度の予備知識は必要であろう。 ジャーナリストはどこまで中立であるべきなのか 時は1979年。物語の始まりは、軍事政権と反政府軍の内戦が収束に向かいつつあるアフリカのチャド共和国。命知らずのタフな報道カメラマンのラッセル・プライス(ニック・ノルティ)は、旧知の傭兵オーツ(エド・ハリス)と戦場で偶然再会する。政府軍に雇われたはずなのに、間違えて反政府軍と行動を共にしているオーツ。そのいい加減さに、2人は思わず笑い転げる。この戦場はマジでクソだ!全く金にならん!今どき稼ぐならニカラグアだな!そう愚痴をこぼすオーツと別れてホテルへ戻ったラッセルは、敬愛する先輩であり親友でもある記者アレックス・グレイザー(ジーン・ハックマン)の送別パーティに参加する。野心家のアレックスは、念願だったニュース番組のアンカーマンに抜擢され、晴れてニューヨークへ戻ることになったのだ。しかし、恋人のラジオ報道記者クレア・ストライダー(ジョアナ・キャシディ)はアレックスに同行することを拒否。ジャーナリストとしての使命感に燃える彼女は、現場から足を洗う気などさらさらなかったのだ。次の行き先は革命の動乱に揺れるニカラグア。意地を張ったアレックスは、自分もニカラグアに付いていくと言い出す。 それから暫くの後、中米ニカラグアには世界中から報道関係者が集まり、その中にはラッセルやアレックス、クレアの姿もあった。政府関係者やマスコミ関係者が行きつけのナイトクラブでディナーを楽しむ3人。ソモサ政権のスパイと噂のフランス人ビジネスマン、マルセル・ジャジー(ジャン=ルイ・トラティニャン)の姿もあった。すると、革命軍によってナイトクラブが爆撃を受け、ラッセルはその惨状をカメラに収める。ところがその直後、彼は理由もなく国家警備隊に逮捕され、翌朝には釈放されたもののカメラを壊されてしまった。マルセルが嫌がらせで仕組んだものと睨むラッセル。自分がソモサ大統領直属のスパイだと認めるマルセル。ラッセルとクレアを自宅へ招いた彼は、革命軍のリーダー、ラファエルが地方都市レオンにいるとの極秘情報を伝える。これまで一度も写真に撮られたことがなく、その存在自体が半ば伝説化したラファエルは、ラッセルがニカラグア入りしてからずっと追いかけていた人物だ。ラファエルを写真に収めることが出来れば特ダネである。半信半疑ながらも、ラッセルとクレアは一路レオンへと向かう。 まるで戦場のようなレオンの町。ラッセルとクレアは革命軍の若者たちと親しくなり、市街戦の様子を間近から取材することに成功する。ふと気づくと、政府側の兵士の中に傭兵オーツの姿が。ジャーナリストとして「中立の立場」が信条のラッセルは、死体の山に隠れたオーツの存在を革命軍に黙っていたが、そのせいで革命軍の気さくな指揮官ペドロがオーツに射殺されてしまう。果たして、自分の判断は正しかったのか。深い罪の意識を覚えるラッセル。そんな彼を慰めるクレア。志を同じくする仲間として共鳴し、やがて男女関係の一線を超えてしまうラッセルとクレア。彼らの変化になんとなく気付いていたアレックスだが、しかしキャリアを優先してニューヨークへ戻ってしまう。そんな折、ラファエルの暗殺に成功したことをソモサ大統領(ルネ・エンリケス)が記者会見で発表。当然ながら革命軍側はこれを否定し、その証拠としてラファエル本人が取材に応じるとラッセルに申し出る。指定された場所へ向かうラッセルとクレア。そこで彼らは、ジャーナリストとしての職業倫理に関わる重大な決断を迫られる…。 基本的なプロットは、戦時下を舞台にした大人のラブストーリー。戦争の動乱に揺れるエキゾチックな異国の地を舞台に、強い信念を持つ勇敢な2人の男性が同じようにタフな1人の女性を愛し、そんな彼らの三角関係に周辺の政治的な思惑が絡んでいく。まるで『カサブランカ』(’42)のごとし。そういえば、チャールズ・ブロンソン主演の『太陽のエトランゼ』(’79)やショーン・コネリー主演の『さらばキューバ』(’79)も似たような話だったと思うが、本作がそうした『カサブランカ』症候群的なハリウッド映画と一線を画すのは、あくまでもラブストーリーがメインテーマを浮き彫りにするための道具のひとつに過ぎない点であろう。 本作が真に描かんとするのは報道記者の在り方だ。ジャーナリストは「中立の立場」が基本だとして、権力側にも抵抗勢力側にも肩入れすることなく、世界各地の紛争地帯を取材してきた報道カメラマンのラッセル。しかしニカラグアでは少々勝手が違ってくる。国民を弾圧して反対派を迫害するソモサ政権下のニカラグア。革命軍と実際に行動を共にしたラッセルは、彼らが独裁者へ対する憤怒の念に駆られた平凡な若者たちに過ぎず、その背後には人権を蹂躙された大勢の市民たちの支持があることを知識ではなく肌で実感し、やがて「中立の立場」というジャーナリストの職業倫理が、むしろ独裁者の悪事に加担することになっているのでは?との疑問を抱くようになるのだ。 そもそも、本作には「仕事だから」と割り切って悪へ加担するプロたちが大勢出てくる。金払いの良い相手なら誰のもとでも働く傭兵オーツに、ソモサ政権のスパイ活動を一手に担うフランス人実業家マルセル、ソモサ政権の対外的なイメージ向上に奔走するアメリカ人の広報官キトル(リチャード・メイジャー)などなど。そのキトルは「ソモサ大統領にだって言い分はある」と独裁者を擁護し、マルセルも「誰が正しいのか分かるのは20年後だ」と嘯く。まるで正義の概念など立場によって変わるとでも言わんばかりに。しかし、果たして本当にそうなのだろうか?世の中には普遍的な正義というものが確かに存在し、それを我々は「良心」と呼ぶのではないか。そして、それこそ野心家の親友アレックスには不似合いな現場主義の女性記者クレアと似た者同士のラッセルが結ばれたように、職業倫理などという建前に縛られることなく、己の「心の声」に従って行動することも、時として報道記者にとって必要なのではないかと問いかける。 映画のリアリズムを支えたキャスト陣の存在 さらに、本作では撮影監督ジョン・オルコットのカメラがドキュメンタリーさながらのリアリズムを醸し出す。オルコットといえば、『2001年宇宙の旅』(’68)から『シャイニング』(’80)までのスタンリー・キューブリック作品を手掛け、『バリー・リンドン』(’75)でオスカーに輝いた伝説的な名カメラマン。本作でも『バリー・リンドン』さながらの自然光を活かした撮影に徹しており、実際にスポティスウッド監督はジッロ・ポンテコルヴォやコスタ=ガヴラスの影響を受けたそうだが、それこそヨーロッパの左翼系インテリ映像作家による社会派映画のような風情すら漂わせている。実に骨太な作品だと言えよう。 もちろん、役者の顔ぶれも素晴らしい。ベトナム戦争の従軍記者を演じた『ドッグ・ソルジャー』(’78)を見て、ラッセル役には彼しかいない!と初めからニック・ノルティ一択だったというスポティスウッド監督だが、しかし当時のノルティは超の付く売れっ子。そのうえマイペースな人だったそうで、自宅に山ほど届く出演オファーの脚本も土日しか目を通さないため、大半が読まれることなく埋もれていたらしい。そこで、スポティスウッド監督は本作の脚本を50部もコピーし、ノルティの親友ビル・クロスに頼んで彼の自宅に置いてもらったという。当時は家じゅうのあちこちに未読脚本の山があったそうで、そのどこに手を出しても本作の脚本が最初に来るよう配置したのだそうだ(笑)。おかげで、週明けにはノルティから出演を熱望する連絡があり、アレックス役のジーン・ハックマンもオファーを快諾したという。 しかし、本作におけるキャスティングの要は、やはりクレア役のジョアナ・キャシディであろう。『ブレードランナー』(’82)のレプリカント役で脚光を浴びたばかりのキャシディだが、実は当時すでに38歳。そもそも女優デビューした時点で27歳、2人の子供を持つ母親だった彼女は、その人生経験や下積みのおかげもあるのだろう、クレア役に説得力を持たせるに十分な逞しさと生活感を兼ね備えていた。いわゆるハリウッド的な若い美人女優が演じていたら、決してこうはならなかったはずだ。筋金入りのタフガイ、ノルティとの相性も抜群。というか、ノルティと互角に渡り合えるほどタフな女優は、彼女かチューズデイ・ウェルドしか考えられない。 さらに、コスタ=ガヴラスの『Z』(’69)でカンヌ国際映画祭の男優賞に輝いたフランスの名優ジャン=ルイ・トラティニャンが、本作でハリウッド映画デビューを飾っているのも要注目。ニック・ノルティはトラティニャンが何者なのか知らなかったらしく、あまりの演技の巧さに現場でビックリして、「ジーン・ハックマンを相手にするだけでも大変なのに、あんな凄い奴まで連れてきやがって!」と監督に文句を言ったそうだ。なお、トラティニャンのハリウッド映画出演は、結果的にこれが最初で最後となった。 なお、映画でも描かれるようにソモサ大統領の国外逃亡によって独裁政権は崩壊し、富の再分配や貧困の解消を掲げる革命政府が樹立したニカラグア。アメリカのカーター政権もその存在を容認したわけだが、しかしレーガン大統領になって状況は一変。アメリカに好都合な傀儡政権の樹立を目指したレーガン政権は、ニカラグアの革命政府を倒すためにCIAや統一教会を使って親米反革命勢力「コントラ」を支援。ニカラグアの内戦は再び泥沼化していくことになる。■ 『アンダー・ファイア』© 1983 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. 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COLUMN/コラム2023.07.26
‘80年代最強のゾンビ・コメディ映画!その見どころと製作舞台裏を徹底解説!『バタリアン』
知られざる『バタリアン』誕生秘話 日本でも大変な話題となった’80年代ゾンビ映画の傑作である。いわゆる「走るゾンビ」の先駆け的な存在。そればかりか、本作の「生ける屍」たちは言葉を喋るうえに知恵だって働く。食料(=人間の脳みそ)をまとめて調達するために罠を仕掛けるなんて芸当も朝飯前だ。これぞまさしくゾンビ界の新人類(?)。『エイリアン』(’79)の脚本で一躍頭角を現し、本作が満を持しての監督デビューとなったダン・オバノンは、ゾンビ映画の巨匠ジョージ・A・ロメロ監督作品との差別化を図ってコメディ路線を採用したのだが、その際にホラー映画として肝心要である「恐怖」にも手を抜かなかったことが成功の秘訣だったと言えよう。シニカルな皮肉を効かせたブラック・ユーモアのセンスも抜群。賑やかで楽しいけれど怖いところはしっかりと怖い。もちろん、血みどろのゴア描写も容赦なし!やはりメリハリって大事ですな。 また、日本では『バタリアン』という邦題をはじめ、劇中に登場するオバンバやらタールマンやらハーゲンタフやらのゾンビ・キャラなど、キャッチーなネーミングを駆使したプロモーション作戦も大いに功を奏したと思う。そこはさすが、『サランドラ』(’77)のジョギリ・ショックに『バーニング』(’81)の絶叫保険など、とりあえず目立ってナンボのハッタリ宣伝で鳴らした配給会社・東宝東和である。そういえば、本作も「バイオSFX方式上映」とか勝手に銘打ってたっけ。なんじゃそりゃですよ(笑)。いずれにせよ、ちょうど当時は『狼男アメリカン』(’81)や『死霊のはらわた』(’81)、『死霊のしたたり』(’85)に『ガバリン』(’86)などなど、シリアスな恐怖とブラックな笑いのハイブリッドはホラー映画界のちょっとしたトレンドだったわけで、その中でも本作は最も成功した作品のひとつだった。 原題は「The Return of the Living Dead」。勘の鋭いホラー映画ファンであれば、このタイトルだけで本作がジョージ・A・ロメロ監督によるゾンビ映画の金字塔『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(’68・以下『NOTLD』と表記)の続編的な作品であることに気付くはずだ。実際、劇中では『NOTLD』の存在がセリフで言及され、その内容が実話であったとされている。つまり、これは間接的な後日譚に当たるのだ。とはいえ、製作陣が公式に「続編」を名乗ったことは一度もない。そもそも、本作には『NOTLD』の「続編」を名乗ることのできない理由があった。その辺の裏事情も含め、まずは『バタリアン』の知られざる生い立ちから振り返ってみよう。 本作の生みの親はジョン・A・ルッソ。そう、『NOTLD』の脚本を共同執筆したロメロの盟友である。『There’s Always Vanilla』(’71・日本未公開)を最後にロメロと袂を分かったルッソは、その直後にラッセル・ストレイナー(『NOTLD』のプロデューサー)やルディ・リッチと共に製作会社ニュー・アメリカン・フィルムズを立ち上げ、独自に『NOTLD』続編の企画を準備し始めたという。なにしろ彼にとっては唯一にして最大の代表作である。しかも、共同脚本家として著作権はロメロとルッソの双方が所有。なので、続編を作る権利はルッソにもあったのだ。しかも、一連のアル・アダムソン監督作品で知られる配給会社インディペンデント=インターナショナル・ピクチャーズの社長サム・シャーマンから、『NOTLD』の続編があればうちで配給したいと声をかけられていたらしい。そりゃ、ご要望にお応えしないわけにはいくまい。 かくして、ストレイナーやリッチの協力のもと『The Return of the Living Dead』のタイトルで脚本執筆に取りかかったルッソ。しかし、幾度となく修正を重ねたために時間がかかり、なおかつ製作資金の調達も難航したという。そこで、ルッソは企画の宣伝も兼ねてノベライズ本を’77年に発表。ホラー・マニアの間では評判となったが、あいにく出版社が弱小だったため5万部しか売れなかった。そんな折、ロメロが『NOTLD』の続編『ゾンビ』(’78)を撮ることになり、ルッソとの間で著作権を巡って裁判が勃発。当人同士は穏便に済ませたかったそうだが、しかし第三者も関わるビジネスの問題なのでそうもいかなかったのだろう。その結果、ロメロの『ゾンビ』が『NOTLD』の正式な続編となり、そのためルッソの脚本は対外的に続編を名乗ることが出来なくなったのである。 それから3年後の’81年、ルッソは『The Return of the Living Dead』の映画化権を知人の紹介で無名の映画製作者ポール・フォックスへ売却する。もともとシカゴ出身の投資銀行家だったというフォックスは、その傍らで映画界への進出を目論んでいたらしく、安上がりに儲けることが出来るホラー映画は優良な投資物件と考えたのだろう。とはいえ、金融の世界ではプロかもしれないが、しかし映画作りに関しては素人も同然。あちこちの製作会社へ企画を売り込んだものの、手を組んでくれる相手はなかなか現れなかった。ようやく企画が動き始めたのは’83年のこと。後に『ターミネーター』(’84)や『プラトーン』(’86)で大当たりを取る製作会社ヘムデイルがパートナーとして名乗りをあげ、同社と提携を結んでいたオライオンが配給を担当することになったのだ。監督にはオカルト映画『ポルターガイスト』(’82)を大ヒットさせたばかりのトビー・フーパーも決定。そこで、予てよりオリジナル脚本に不満を持っていたフォックスは、『エイリアン』でお馴染みのダン・オバノンに脚本のリライトを依頼したのだ。 ところが…!である。ヘムデイルの資金調達に思いがけず時間がかかったため、その間にトビー・フーパーはキャノン・フィルムと専属契約を結んで、やはりダン・オバノンが脚本に参加したSFホラー『スペースバンパイア』(’85)をロンドンで撮影することとなってしまったのだ。そこで制作陣は、代打としてオバノンに監督のポジションをオファー。自分で作るのであればロメロの真似だけは避けたいと考えたオバノンは、全面的な脚本の書き直しを条件にオファーを引き受け、実質的に『NOTLD』の続編的な内容だったオリジナル脚本のストーリーを刷新する。ルッソやオバノンの証言によれば、オリジナル版と完成版の脚本はタイトル以外に殆ど共通点がないそうだ。 ‘69年に起きたゾンビ・パニックの真実とは…!? オープニング・テロップ曰く、「この映画で描かれる出来事は全て事実であり、登場する人物や組織の名前も実在する」とのこと。時は1984年7月3日、場所はケンタッキー州ルイビル。人体標本などの医療用品を供給する会社に就職した若者フレディ(トム・マシューズ)は、先輩のベテラン社員フランク(ジェームズ・カレン)から信じられないような話を聞かされる。有名なゾンビ映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が、実際に起きた出来事を基にしているというのだ。 それは1969年のこと。ピッツバーグの陸軍病院で「トライオキシン245」という化学兵器がガス漏れを起こし、その影響で墓地に埋められた死者が次々と甦って生者を食い殺したのである。事態を収拾した陸軍は事件の隠蔽工作を図ったのだが、しかし配送ミスによって闇へ葬られるはずのゾンビがこの会社へ届いてしまい、今もなお倉庫の地下室に保管されているのだという。半信半疑のフレディを納得させるため、実際に地下室へ案内して本物のゾンビを見せるフランク。ところが、調子に乗ったフランクがゾンビを保管するタンクを叩いたところ、中に充満していた「トライオキシン245」が外へ漏れ出してしまい、思いきりガスを吸ったフレディとフランクは気を失ってしまう。 暫くして意識を取り戻したフレディとフランク。よく見るとタンクの中のゾンビは姿を消し、倉庫の冷凍室では実験用の死体が甦って大暴れしている。警察に通報しても信じてもらえないだろうし、ましてや軍隊に知れたら口封じのため何をされるか分からない。慌てた2人は社長バート(クルー・ギャラガー)を呼び出し、ゾンビ化した実験用の死体を捕らえて頭部を破壊する。「ゾンビを殺すなら頭を狙え」はゾンビ映画の鉄則だ。ところが、頭を破壊しても首を切断してもゾンビは元気いっぱいに走り回っている。「なにこれ!まさか映画は嘘だったわけ!?」と困り果てる3人。バラバラにしても死なないゾンビをどう始末すればいいのか。そこでバートは近所の葬儀屋アーニー(ドン・カルファ)に相談し、ゾンビを焼却炉で火葬してもらう。さすがのゾンビも焼かれて灰になったらオシマイだ。ところが、ゾンビを焼いた煙には「トライオキシン245」が含まれており、折からの悪天候によって雨と一緒に地上へ降り注いでしまう。 その頃、倉庫近くの古い墓地では、フレディの仕事終わりを待つ友人たちがパーティを開いていた。そこへ急に雨が降ってくるのだが、しかしこれがどうもおかしい。酸性雨なのか何なのか分からないが、肌に触れるとヒリヒリして痛いのだ。慌てて雨宿りをする若者たち。そんな彼らの目の前で、墓場の底から次々と死者が甦る。雨に含まれた「トライオキシン245」が埋葬された遺体をゾンビ化させてしまったのだ。やがて大群となって襲いかかってくるゾンビたち。生存者は会社の倉庫や葬儀屋のビルに立て籠もるのだが、しかし動きが速くて言葉を理解して知能の高いゾンビ軍団に警察もまるで歯が立たない。そのうえ、ガスを吸い込んだフレディとフランクも体調に異変をきたし、生きながらにしてゾンビへと変貌しつつあった。果たして、この未曽有のゾンビ・パニックを無事に収集することは出来るのだろうか…!? 撮影現場では嫌われてしまったオバノン監督 この軽妙洒脱なテンポの良さ、適度に抑制を効かせたテンションの高さ。これみよがしなドタバタのスラップスティック・コメディではなく、極限の状況下に置かれた人々による必死のリアクションが笑いを生み出していくというスクリューボール・コメディ的なオバノン監督の演出は、それゆえにシリアスで残酷で血生臭いホラー要素との相性も抜群だ。ジャンルのクリシェを逆手に取ったジョークを含め、その語り口は実にインテリジェントである。しかも、カメラの動きから役者のポジションに至るまで、全編これ徹底的に計算されていることがひと目で分かる。実際、オバノン監督は撮影前の2週間に渡って入念なリハーサルを行い、役者の立ち位置や動作、セリフのスピードやタイミングなどを細かく決め、相談のない勝手なアドリブは許さなかったらしい。少々大袈裟で演劇的な群像劇も監督の指示通り。あえて「わざとらしさ」を狙ったという。根っからの完璧主義者である彼は、どうやら映画の総てを自分のコントロール下に置こうとしたようだ。 そして、その強権的な姿勢が現場でトラブルを招いてしまう。あまりにも注文が多いうえに要求レベルが高いため、オバノン監督はスタッフやキャストから総スカンを食らってしまったのだ。当時を振り返って口々に「現場は地獄だった」と言う関係者たち。予算も時間も無視したオバノン監督の要求に対応できなくなった特殊メイク担当のビル・マンズは途中降板することになり、その代役としてケニー・マイヤーズとクレイグ・ケントンが呼び出されたのだが、彼らもまたいきなり初日からオバノン監督に怒鳴り散らされて面食らったという。 また、演じる役柄と同様に大人しくて控えめなティナ役のビヴァリー・ランドルフも、もしかするとそれゆえターゲットにされたのかもしれないが、監督が人一倍厳しく接した相手のひとりだったらしい。タールマンと遭遇したティナが逃げようとしたところ、階段から落ちて怪我をするシーンでは、オバノン監督は演じるビヴァリーに階段の板が外れることを黙っていたという。いやあ、現在のハリウッドでそんなことしたら大問題になりますな。結局、何も知らないビヴァリーは、本当に階段から転落して足を捻挫してしまった。なかなか起き上がれずに苦悶の表情を浮かべているのは芝居じゃないのだ。 さらに、撮影開始の直前になってキャスティングされ、そのためリハーサルに参加できなかったベテラン俳優クルー・ギャラガーは、監督からの有無を言わせぬ一方的な要求に「俳優への敬意がない!」とブチ切れ、小道具のバットだか何かを振り回しながら監督を追いかけたこともあったという。それを見て、ビヴァリーら若手俳優たちは内心スカッとしたのだとか(笑)。生前のオバノン監督自身も当時の自分がサイテーだったことを素直に認めており、監督としての初仕事ゆえ多大なプレッシャーを抱えていたとはいえ、あんな態度でスタッフやキャストに接するべきではなかった、もっと自分の感情をコントロールすべきだった、みんなから嫌われたのは私の自業自得だと大いに反省していたようだ。 そんな本作で抜きん出て良い仕事をしたのは、上半身裸の老女ゾンビ=オバンバのデザイン・造形・操演を担当した特殊メイクマン、トニー・ガードナー。ダフト・パンクのロボット・ヘルメットなどのデザイナーとして、名前を聞いたことのある人も少なくないだろう。もともとリック・ベイカーのアシスタントで、撮影当時まだ19歳の若者だった彼にとって、本作は初めて名前がクレジットされた大仕事だった。実はモヒカン頭のパンク少年スクーズを演じるブライアン・ペックの友人だったガードナー。普段はナード系のペックをパンク少年らしくイメチェンさせるため、コワモテっぽく見えるような義歯をオーディション用に作ってあげたところ、これがオバノン監督の目に留まって特殊メイク班に起用されたのである。ちなみに、トビー・フーパーが本作を降りて『スペースバンパイア』を撮ったことは先述した通りだが、そういえば『スペースバンパイア』に出てくる精気を吸われてミイラ化した女性被害者とオバンバがどことなく似ているような…? おっちょこちょいなダメオジサン、フランクの切ない名場面は脚本になかった? そうそう、人間味あふれるベテラン俳優たちの顔ぶれも、本作の大きな強みだったように思う。中でもフランク役を演じるジェームズ・カレンはマジ最高ですな!ゾンビ化していくことに絶望したフランクが、自らの意思によって焼却炉で焼かれるシーンの切なさは筆舌に尽くしがたい。実はこのシーン、ジェームズ・カレン自身のアイディアだったという。もともとオバノンの書いた脚本では、フレディと同じくフランクも凶暴なゾンビとなってしまうはずだったのだが、それでは面白くないとカレン本人が出した代案をオバノンが採用したのだそうだ。そのカレンをフランク役に起用したのは、実はトビー・フーパー監督だったとのこと。いわば置き土産だったわけだ。前作『ポルターガイスト』にも登場し、幽霊騒動の元凶を作った強欲な不動産会社社長を演じていたカレンを、恐らくフーパー監督は贔屓にしていたのだろう。この翌年、フーパー監督は『スペースバンパイア』に続いて『スペースインベーダー』(’86)でも再びオバノンとタッグを組むのだが、そこではジェームズ・カレンもまた海兵隊の将軍役で大活躍することになる。 なお、ハリウッド業界で人望が厚く交友関係の広かったカレンは、本作の撮影中に親しい友人だった天下の名優ジェイソン・ロバーズをロケ現場へ招いているのだが、その際に撮影されたスナップ写真をプロデューサー陣はロビーカードなどの宣材として使っている。全く、ちゃっかりとしてますな(笑)。 医療品会社の社長バート役には、ドン・シーゲルの『殺人者たち』(’64)やピーター・ボグダノヴィッチの『ラスト・ショー』(’71)でもお馴染みの名優クルー・ギャラガー。もともとこの役は往年のB級西部劇スター、スコット・ブレイディに決まっていたものの病気で降板し、レスリー・ニールセンなど複数の俳優に断られた末にギャラガーが引き受けた。これが初めてのホラー映画出演だった彼は、その後『エルム街の悪夢2 フレディの復讐』(’85)や『ヒドゥン』(’87)など数々のホラー映画へ出ることになる。また、アーニー役のドン・カルファはボグダノヴィッチの『ニッケルオデオン』(’76)やスピルバーグの『1941』(’79)などに端役で出ていた人で、その強烈なマスクと芝居で印象を残す「名前は知らないけど顔は知っている俳優」のひとりだったが、本作以降はメジャーどころの役柄も増えていく。実際、この人が出てくると一挙一動から目が離せない。いやあ、実に芸達者! 一方の若手俳優に目を移すと、『13日の金曜日 PART6/ジェイソンは生きていた!』(’86)と『13日の金曜日 PART7/新しい恐怖』(’87)でトミー・ジャーヴィス(ジェイソンと対峙したトラウマからジェイソン化していく若者)を演じたトム・マシューズ、『新・13日の金曜日』(’85)の屋外トイレでジェイソンに殺される黒人の不良デーモンを演じたミゲル・A・ヌネス・ジュニア(スパイダー役)、同じく『新・13日の金曜日』で患者仲間を殺してしまう精神病患者ヴィックを演じたマーク・ヴェンチュリーニ(スーサイド役)と、『13金』シリーズ繋がりのキャストが目立つ。要するに、それくらい当時は大勢の無名若手俳優が『13金』シリーズに出ていたのである。 ちなみに、トム・マシューズが劇中で着用しているノースリーブシャツ。「DOMO ARIGATO」と日本語をあしらった旭日旗デザインが印象的なのだが、これは当時マシューズが広告モデルを務めていた衣料品メーカー、VISAGEのもの。なぜ「DOMO ARIGATO」なのかというと、やはりスティックスの全米トップ10ヒット「ミスター・ロボット」の影響力でしょうな。当時のアメリカではニンジャ映画が流行るなど日本ブームの真っ只中だったわけだし。で、マシューズはそのVISAGE関係者を『バタリアン』の試写会にも招いたそうなのだが、どうやら相手はホラー映画が大の苦手だったらしく機嫌を損ねてしまい、それっきり広告モデルに呼ばれなくなったという。なんたる藪蛇…。 とはいえ、やはり若手キャストの中で最も目立つのは、露出狂のパンク娘トラッシュを演じたスクリーム・クィーン、リニア・クイグリーであろう。彼女が夜の墓地で繰り広げる全裸ストリップは本作の名場面のひとつだ。もちろん、撮影では前貼りで局部を隠しているのだが、当初は何も付けない文字通りのスッポンポンだったらしい。しかし、たまたま現場を見学に訪れた製作者ポール・フォックスがビックリして、「ダメダメ!毛が丸出しじゃないか!」と注意。ところが、何を考えたのかオバノン監督はリニアにアンダーヘアを剃らせたという。いやいや、そうじゃないだろう(笑)。案の定、「違うってば!それもっとダメじゃん!」とフォックスに突っ込まれ、特殊メイク班に前貼りを作らせることに。その結果、リニアの股間はツルッツルで何もない「バービー人形状態」となったのである。ちなみに、パーティガールのケイシーを演じているジュエル・シェパードは、もともとオバノン監督が常連客だった会員制高級クラブのストリッパーで、当初は彼女にトラッシュ役がオファーされていたそうだが、映画では脱ぎたくないという理由から断ったらしい。 ジョージ・A・ロメロのゾンビ3部作最終編『死霊のえじき』(’85)が全米で封切られたのは’85年7月。当初は年末公開を目指していたという『バタリアン』だが、しかし本家の話題性に便乗せんとばかり8月に繰り上げ公開され、予算300万ドルに対して興行収入1400万ドル以上というスマッシュヒットを記録する。これまでに5本の『バタリアン』シリーズが制作されており、「ロミオとジュリエット」を下敷きにしたブライアン・ユズナ監督の3作目『バタリアン・リターンズ』(’93)は個人的に隠れた傑作だと思っているが、しかしそうは言ってもやはり、この1作目がベストであることに変わりはないだろう。結局、H・P・ラヴクラフト原作の監督第2弾『ヘルハザード・禁断の黙示録』(’91)が製作会社から勝手に編集されたうえ、アメリカ本国では劇場未公開のビデオスルーという憂き目に遭ってしまい(それでも数あるラヴクラフト映画の中では傑出した1本)、映画監督として必ずしも大成することの出来なかったオバノン。それでもなお、みんなが大好きな『バタリアン』を世に送り出してくれたことの功績は計り知れない。■ 『バタリアン』© 1984 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.04.27
巨匠コッポラのパーソナルな想いが込められた青春映画の傑作『ランブルフィッシュ』
『アウトサイダー』に続くS・E・ヒントン原作の映画化 ‘80年代青春映画の金字塔『アウトサイダー』(’83)を大成功させたフランシス・フォード・コッポラ監督が、文字通り矢継ぎ早に送り出した青春映画『ランブルフィッシュ』(’83)。どちらも原作はS・E・ヒントンが書いたヤングアダルト小説で、マット・ディロンにダイアン・レインという主演キャストの顔合わせも同じ、オクラホマ州タルサに住む貧しい不良少年たちの青春模様を描いたストーリーも似ていたが、しかし両者の最終的な仕上がりはまるで対照的だった。 ハリウッド王道のメロドラマ的な青春映画である『アウトサイダー』に対し、『ランブルフィッシュ』はフランスのヌーヴェルヴァーグ作品を彷彿とさせるクールなアート映画。そもそも、前者は色鮮やかなカラー映画だが、後者はフィルムノワール・タッチのダークなモノクロ映画だ。『アウトサイダー』の記憶があまりに鮮烈だったこともあって、劇場公開時は全く毛色の違う本作に戸惑った観客は少なくなかった。筆者もそのひとりなのだが、しかしこのシュールかつマジカルで神話的な世界観には、なんとも心を捉えて離さない不思議な魅力がある。あれから既に40年近く。改めて両作品を見直すと、『アウトサイダー』はどこか時代に色褪せてしまった感が否めないものの、しかし『ランブルフィッシュ』は今なお圧倒的に新鮮で刺激的でカッコいい。コッポラが「自分の映画の中で最も好きな作品のひとつ」というのも頷けるだろう。 地方都市タルサの荒廃した下町。不良少年グループのリーダー、ラスティ・ジェームス(マット・ディロン)がプールバーでビリヤードに熱中していると、そこへ白いスーツに身を包んだ若者ミジェット(ローレンス・フィッシュバーン)が訪れ、敵対グループのリーダー、ビフ(グレン・ウィスロー)からのメッセージを伝える。今夜10時に例の橋のたもとに来い。さもなければぶっ殺す。要するに決闘の果たし状だ。待ってましたとばかりに挑戦を受けたラスティ・ジェームスは、幼馴染みのスティーヴ(ヴィンセント・スパーノ)や右腕のスモーキー(ニコラス・ケイジ)ら仲間たちに声をかける。 昔は不良グループ同士の喧嘩沙汰など日常茶飯事だった。久しぶりにかましてやるぜ!と鼻息を荒くするラスティ・ジェームスだが、しかし仲間たちはいまひとつ気乗りしない様子だ。そもそも、決闘はモーターサイクル・ボーイ(ミッキー・ローク)が禁止したはずだ。モーターサイクル・ボーイとはラスティ・ジェームスの兄貴で、かつて地元の不良たちの誰もが尊敬して恐れた伝説のリーダー。しかし、2カ月前に忽然と姿を消したまま音沙汰がなかった。今はこの俺がリーダーだ。幼い頃から兄貴を尊敬してやまないラスティ・ジェームスは、たとえモーターサイクル・ボーイの言いつけを破ってでも、自分が後継者として相応しいことをみんなに証明したかったのである。 集合する時間と場所を確認して仲間と別れたラスティ・ジェームスは、恋人パティ(ダイアン・レイン)の家を訪ねる。心優しくて気さくな普通の少年の顔を覗かせるラスティ・ジェームス。俺も兄貴みたいになりたいんだとこだわる彼に、パティはもっと自分の良さを大切にするよう諭すが、しかし頑ななラスティ・ジェームスは聞く耳を持たない。そしていよいよ決闘の時間。仲間たちが次々と集まる中、ビフの一味も現場へと到着し、たちまち不良少年同士の大乱闘が始まる。凄まじい気迫でビフをボコボコにするラスティ・ジェームス。すると、そこへ消息不明だったモーターサイクル・ボーイが突然現れ、呆気に取られて立ち尽くしたラスティ・ジェームスは、その隙を狙ったビフに腹を切りつけられて怪我を負う。 負傷したラスティ・ジェームスを介抱するモーターサイクル・ボーイとスティーヴ。意識を取り戻したラスティ・ジェームスは、以前とはまるで別人になってしまった兄貴に困惑する。色覚異常があって色を識別できず、さらに軽度の聴覚障害も患っているモーターサイクル・ボーイは、もともと一種独特の近寄りがたい雰囲気を持っていたが、今ではすっかり物静かで穏やかな人物になっていた。いったいどうしちまったんだ。戸惑いを隠せないラスティ・ジェームスに、飲んだくれの父親(デニス・ホッパー)が言う。みんなモーターサイクル・ボーイのことを誤解している。あいつは生まれてくる場所を間違えただけだと。その意味を理解できないラスティ・ジェームスは、兄貴が家出した母親の行方を探してロサンゼルスへ行っていたことを知る。カリフォルニアはいいぞ。そう呟くモーターサイクル・ボーイ。夢も希望もない地元のスラム街を初めて出て、外の広い世界を知ってしまった彼の中で、何かが大きく変化していたのだ…。 ヨーロッパの名匠たちに影響を受けたティーン向けのアート映画 生まれ育ったスラム街の劣悪な環境に縛られ、自分も兄貴と同じ道を歩む宿命にあると頑なに信じ込んでいた若者が、人生には様々な可能性と選択肢があること、自分らしい人生を自分の意思で選ぶ自由があることに気づくまでを描いた作品。そのことをひと足早く悟った兄貴モーターサイクル・ボーイは、しかしそれゆえに自分が人生の大切な時間を浪費してしまったという現実にもぶち当たる。もっと早く気づけばよかった。自分はもう手遅れかもしれないが、しかしまだ10代の弟ならきっと間に合うはずだ。彼はそのことをラスティ・ジェームスに伝えるため、わざわざ故郷へと戻ってきたのだ。 若いうちは時間なんていくらでもある。どれだけ無駄に過ごしたって平気のへっちゃら。大人になってようやく初めて、人生の時間には限りがあると気づくのさ。劇中でトム・ウェイツ演じるプールバーの店主ベニーが呟く独り言は、まさにそのまま本作のテーマだと言えよう。それゆえ、本作は全編を通して「時間」が重要なモチーフとなっている。足早に流れる空の雲、急速に伸びていく非常階段の影、画面のあちこちに登場する大小の時計、時を刻むようなリズムの実験的な音楽。それらの全てが、登場人物たちの知らぬ間に過ぎ去って行く時間の速さを象徴しているのである。 その実存主義的なテーマを孕んだストーリーには、コッポラ監督が青春時代に見て強い感銘を受けたという、ミケランジェロ・アントニオーニやイングマール・ベルイマンなどのヨーロッパ映画と相通ずるものを見出せるが、中でも主人公ラスティ・ジェームスが生まれて初めて海岸を目の当たりにするクライマックスが象徴するように、フランソワ・トリュフォーの名作『大人は分かってくれない』(’59)からの影響は見逃せないだろう。また、被写体を歪んだ角度から捉えたり、陰影を極端に強調したりしたスタイリッシュなモノクロ映像は、『カリガリ博士』(’20)を筆頭とするドイツ表現主義映画に倣っている。どうやらコッポラ監督は、こうしたヨーロッパの芸術映画群から自身が若い頃に受けた驚きや感動を、本作を通じて’80年代の若者たちにも伝えたいと考えたそうだ。彼が『ランブルフィッシュ』を「ティーンエイジャー向けのアート映画」と呼ぶ所以だ。 そのコッポラ監督がS・E・ヒントンの原作を初めて読んだのは、実は『アウトサイダー』の製作に着手してからのことだったという。そもそも『アウトサイダー』の企画自体が彼の発案ではなく、原作のファンである中学生たちから「コッポラ監督に映画化して欲しい」との署名を渡されたことがきっかけ。実は、それまでヒントンの小説を一冊も読んだことがなかったのである。『アウトサイダー』の製作準備を進める合間に本作の原作を読んだコッポラ監督は、『アウトサイダー』よりもこちらこそ自分が本当に映画化したい作品だと感じたという。その最大の理由は主人公兄弟の関係性だ。 頭が良くて人望のある兄モーターサイクル・ボーイに羨望の眼差しを向け、自分もああなりたいけれどなれない現実に焦りと葛藤を抱えたラスティ・ジェームス。それは、少年時代のコッポラ監督そのものだったらしい。コッポラ監督よりも5つ年上の兄オーガスト(ニコラス・ケイジの父親)は、ヘミングウェイの論文などで知られる研究者であり、カリフォルニア州立大学の理事やサンフランシスコ州立大学芸術学部の学部長も務めたインテリ知識人。少年時代のコッポラ監督にとって優秀な兄は憧れであると同時に、どう頑張っても乗り越えられない壁でもあったそうだ。コッポラ監督は原作を読んで、これは自分と兄の物語だと感じたという。本編のエンドロール後に「この映画を、私の最初にして最良の師である兄オーガスト・コッポラへ捧ぐ」と記されているのはそのためだ。 念願だった役柄を手に入れたマット・ディロンの好演 かくして、『アウトサイダー』の撮影と並行して、原作者S・E・ヒントンと共同で脚本を書き進め、クランクアップの2週間後には『ランブルフィッシュ』の製作に取り掛かっていたというコッポラ監督。半年に渡って取り組んできた『アウトサイダー』とはかけ離れた映画にしたい。そう考えた彼は、色覚異常というモーターサイクル・ボーイの設定に着目し、全編をモノクロで撮影することにした。そもそも、舞台となるスラム街も主人公ラスティ・ジェームスも、いわばモーターサイクル・ボーイの多大な影響下にあるわけだから、劇中の世界全体が彼の色=モノクロに染まっていることは理に適っているだろう。 その中にあって、タイトルにもなっている「ランブルフィッシュ(=闘魚)」だけは鮮やかな色がついている。狭い水槽の中に閉じ込められ、お互いに殺し合う魚たちは、いわばラスティ・ジェームスやモーターサイクル・ボーイの心理的なメタファーだ。そして、最終的にラスティ・ジェームスが兄の呪縛から解き放たれた時、映画の世界は一瞬だけだがフルカラーになる。すぐ元のモノクロの世界へ戻ってしまうのは、恐らくこれがラスティ・ジェームスの人生において、新たな一歩の始まりに過ぎないことを示唆しているのかもしれない。つまり、今度は彼自身が自分の色で自分の世界を染めていくのだ。 ちなみに、現在のようなデジタル加工技術が存在しなかった当時、どうやってランブルフィッシュだけに色を付けたのかというと、その仕組みは意外と簡単。例えば、ラスティ・ジェームスとモーターサイクル・ボーイが水槽の魚を眺めるシーンは、先にモノクロ撮影した俳優たちの映像を背景のスクリーンに投影し、カメラの手前に魚の入った水槽を設置してカラー撮影している。いわゆるバック・プロジェクションというやつだ。 劇中ではチンピラに頭を殴られたラスティ・ジェームスが気を失い、幽体離脱の臨死体験をするシーンも印象的だが、この撮影トリックも実は非常にシンプル。なるべくリアルな映像を撮りたいと考えたコッポラ監督は、フィルム合成やワイヤーの使用は避けたかったという。そこで、ラスティ・ジェームスを演じるマット・ディロンの胴体から型抜きした人体固定用の特製ボディスーツを制作し、それをクレーンや電動式伸縮ポールの先端にセッティング。撮影の際にはマット・ディロンの胴体をそこにはめて固定し、その上から衣装を着用して動かすことで、幽体離脱したラスティ・ジェームスの体が空中を浮遊する様を再現したのである。 そのラスティ・ジェームスを演じるマット・ディロンは、ティム・ハンター監督の『テックス』(’82)を含めると、S・E・ヒントン原作の映画に出演するのはこれが3作目。彼自身、高校時代に授業をさぼってヒントンの小説を読み漁ったほどの大ファンで、中でも『ランブルフィッシュ』の原作は一番のお気に入りだったという。そのため、『テックス』の出演が決まって原作者ヒントンと初めて面会した際には、もしも「ランブル・フィッシュ」が映画化されることになったらラスティ・ジェームスを自分にやらせて欲しいと願い出ていたのだとか。まさに念願の役柄だったわけだが、これが実によくハマっている。粗暴なワルを気取った繊細で優しい少年という設定こそ『アウトサイダー』で演じたダラスと似ているのだが、しかし不良少年グループの兄貴分だったダラスに対して、こちらのラスティ・ジェームスは大好きな兄貴を慕うピュアな弟。どこか愛情に飢えた孤独な子供のようなディロンの個性は、実はこのような弟キャラでこそ真価を発揮する。なお、ラスティ・ジェームスとは原作者ヒントンが飼っていた猫の名前から取られたのだそうだ。 モーターサイクル・ボーイ役のミッキー・ロークは、『アウトサイダー』でダラス役のオーディションを受けたものの年齢を理由に不合格となったのだが、その時のことを覚えていたコッポラ監督に声をかけられて本作への出演が決まった。そういえば、原作でも映画版でもモーターサイクル・ボーイの本名に言及されていないのだが、原作者ヒントンによれば、これは彼がある種の神話的な存在だからなのだという。地元の不良少年たちにとって伝説的なヒーローである彼は、いわばローカル神話における神様のようなもの。そして、神様に本名など必要ないのである。 そのモーターサイクル・ボーイにぞっこんな元恋人カサンドラ(ダイアナ・スカーウィッド)は、誰からも信じてもらえない呪いをかけられたギリシャ神話の預言者カサンドラがモデル。また、原作に出てこない黒人の若者ミジェットは、ギリシャ神話における夢と眠りの神であり、死へ旅立つ者の道先案内人ヘルメスの役割を果たしている。このキャラは『地獄の黙示録』(’79)でローレンス・フィッシュバーンを気に入ったコッポラ監督が、彼のためにアテ書きしたのだそうだが、同時にこの物語の本質が神話であることを監督自身もよく理解していたのだろう。 なお、『テックス』では学校教師役、『アウトサイダー』では病院の看護師役でカメオ出演していた原作者ヒントンだが、本作では黒人居住地区の繁華街でラスティ・ジェームスとスティーヴに声をかける売春婦役で顔を出している。 全米では『アウトサイダー』の劇場公開から約7ヶ月後の’83年10月に封切られた『ランブルフィッシュ』。先述したように「ティーンエイジャー向けのアート映画」を志したわけだが、しかしそのティーンエイジャーを集めた一般試写での反応は芳しくなかったという。観客からは「理解できない」との感想が多かったそうだが、なにしろ当時はスピルバーグ映画やスラッシャー映画の全盛期、恐らくアート映画とは無縁の平均的なアメリカの若者には、ちょっと前衛的過ぎたのかもしれない。それでも、数あるコッポラ監督作品の中でも本作は間違いなくベストの部類に入る。「自分の昔の映画を見直すとダメなところばかりに目が行くが、この映画は奇跡的にも殆どが思い通りに上手くいった」というコッポラの言葉が全てを物語っているだろう。■ 『ランブルフィッシュ』© 1993 Hot Weather Films. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.03.31
アメリカの銃社会に警鐘を鳴らした先駆的なサスペンス映画『殺人者はライフルを持っている』
コーマン門下生ピーター・ボグダノヴィッチの処女作 『ラスト・ショー』(’71)や『ペーパー・ムーン』(’73)でニューシネマ時代のハリウッドを牽引した名匠ピーター・ボグダノヴィッチの監督デビュー作である。瑞々しい青春ドラマやクラシカルなコメディで鳴らしたボグダノヴィッチにとって、本作は恐らく唯一のサスペンス・ホラー。ボリス・カーロフ演じる往年の怪奇映画スターが、ロサンゼルスを恐怖に陥れる本物の無差別殺人犯と対峙する。あのクエンティン・タランティーノ監督をして、「史上最も偉大な監督デビュー作のひとつ」と言わしめた傑作。世界的に有名な映画ハンドブック「死ぬまでに観たい映画1001本」にも選出された。しかし、「SFとホラーは嫌いなジャンルだ」と公言していた彼が、なぜ本作のような恐怖映画を撮ったのか。その背景には、ボグダノヴィッチ監督の恩師ロジャー・コーマンの存在があった。 もともとニューヨークの映画評論家で、「エスクァイア」誌や「サタデー・イヴニング・ポスト」誌などに映画評を寄稿していたボグダノヴィッチ。その傍ら、ニューヨーク近代美術館で映画の回顧上映を企画したり、俳優や演出家として舞台劇に携わったりしていたのだが、しかしやはり最終目標は少年時代から憧れていた映画監督だった。そのためにロサンゼルスへと拠点を移し、映画評論家としてのコネを使って業界パーティや新作プレミアに足繁く通った彼は、とある試写会で近くに座っていた映画監督ロジャー・コーマンと親しくなる。ご存知の通り、映画界を目指す若者たちを積極的にスタッフとして雇い、フランシス・フォード・コッポラにマーティン・スコセッシ、ジョー・ダンテにジェームズ・キャメロンなどなど、数多くの愛弟子を一流の映画人へと育てたコーマン御大。ボグダノヴィッチもまたその門下生となり、当時コーマンが準備していた監督作『ワイルド・エンジェル』(’66)の脚本の手直しを皮切りに、助監督から雑用係までどんな仕事でもこなすようになる。 そんなある日、ボグダノヴィッチはコーマン師匠から電話で「監督しないか?」と唐突に誘われ、「はい、もちろん!」と二つ返事で引き受けたという。それこそ棚から牡丹餅みたいな話だが、しかしこれにはいくつかの条件があった。大前提は俳優ボリス・カーロフを使うこと。『フランケンシュタイン』(’31)で有名な大物怪奇映画俳優カーロフ。当時すでに80歳近い高齢者だったが、一般的な知名度が高いわりにギャラは安いこともあって、コーマンはしばしば自作に出演させていたのだが、そのカーロフとの出演契約が2日分余ってしまったため、これを上手く有効活用して新作映画を1本作れというのだ(実際は5日間かかったらしい)。 とりあえず2日間あれば本編20分くらいは撮影できる。また、コーマンの監督したカーロフ主演作『古城の亡霊』(’63)のフィルムも抜粋して使用できる。そのうえで、カーロフ以外のキャストを用いて1時間分のシーンを撮影すること。こちらは2週間以内での完了が目標。こうすればトータル1時間半の映画が出来るというわけだ。予算は総額12万5000ドル。もちろん、金を出すのはコーマン師匠である。ただし、そのうち2万5000ドルはカーロフのギャラなので、実際の映画作りは残りの10万ドルでやりくりせねばならない。まあ、なかなかハードルの高い条件だが、しかしコーマン監督のもとで低予算映画作りのノウハウを叩きこまれたボグダノヴィッチにしてみれば、決して無理な相談などではなかっただろう。むしろ彼が頭を悩ませたのはシナリオ作りだったそうだ。 なにしろ、古典的な怪奇映画俳優であるボリス・カーロフを使い、さらにゴシック・ホラー映画『古城の亡霊』のフィルムを流用するわけだが、しかし予算の金額からして大掛かりなセットを組む余裕などないため、どう考えても映画の内容は現代劇にするほかない。実際、本作では内装を変えながらひとつのセットを何度も繰り返し使い回している。劇中で老俳優が宿泊するホテルの部屋も、スタッフと打ち合わせる高級レストランも、殺人犯が家族と一緒に暮らす自宅も、実はみんな同じセットなのだ。 いずれにせよ、どうやってカーロフと『古城の亡霊』を現代劇として料理したものか。当時の妻だった脚本家ポリー・プラットと何時間も相談しあったボグダノヴィッチは、しまいに煮詰まり過ぎてこんな冗談を飛ばす。映画会社の試写室でボリス・カーロフが自分の出演する『古城の亡霊』を見ている。で、上映が終わるとカーロフが振り返って、ロジャー・コーマンに「最低の映画だな」と文句を言うんだ。あくまでもタチの悪いジョークのつもりだったが、しかしこれが意外にも脚本作りの突破口となり、キャリアの限界を感じて引退を決意した往年の怪奇映画俳優という、本作を構成する2つのプロットのうちのひとつが誕生したのである。 もうひとつのプロットである無差別殺人犯の話は、撮影の前年に当たる’66年に起きた「テキサスタワー乱射事件」が下敷きとなった。元海兵隊員の若者チャールズ・ホイットマンが、母校であるテキサス大学オースティン校の時計塔展望台に立て籠もり、たまたま通りがかった眼下の通行人を次々と無差別に射殺したのである。最終的に15名が死亡し、31名が負傷。ホイットマンは事件を起こす直前に、同居する妻と実の母親まで殺害していた。当時としては前代未聞の大量殺人に全米は文字通り震撼。加えて、ホイットマンが恵まれた家庭に育った普通の明るい好青年だったこと、犯行の動機がハッキリとしないことも世間に大きな衝撃を与えた。今なお後を絶たないアメリカの銃乱射事件の、いわばルーツのような事件だ。 実は、本作のオファーを受ける数か月前、ボグダノヴィッチは「エスクァイア」誌の編集者から、チャールズ・ホイットマンを題材に映画を撮ってみてはどうかと薦められていた。これはいいアイディアかもしれない。しかも、2つの全く異なるストーリーを並行して交互に描いていけば、ボリス・カーロフの出番も少なくて済む。このような制作進行上の都合もあって、ボグダノヴィッチは銃乱射事件のプロットをもうひとつの大きな柱としたのだが、これが結果的には大正解だった。 今なお絶えない銃乱射事件を取り上げた社会性と先見性 とある映画会社の試写室。最新主演作の完成版を見終えた往年の怪奇映画俳優バイロン・オーロック(ボリス・カーロフ)は、これを最後に俳優業から引退すると宣言する。既に次回作も決まっているというのに!と大慌てするプロデューサー。居合わせた新人監督サミー・マイケルズ(ピーター・ボグダノヴィッチ)も困惑する。今回の映画でようやくデビューのチャンスを掴んだ彼は、再びオーロックを主演に据えた次回作で勝負に出ようと考えたのだからたまらない。なんとか引退を思い止まらせようと説得するサミーだったが、しかしオーロックの決意は揺るがなかった。 自分の時代はもうとっくに終わった。新聞を見てみなさい。私の出るホラー映画なんかよりも、よっぽど恐ろしい事件が現実に起きているじゃないか。そう言って、L.A.市内のドライブイン・シアターで予定されているプレミア上映のゲスト登壇もキャンセルしようとしたオーロックだったが、しかし映画監督として才能も将来性もある若者サミーの顔を立てるため、娘のように可愛がっている中国人の秘書ジェニー(ナンシー・シュエ)と共に会場へ向かうことにする。 一方、ベトナム帰還兵の平凡な若者ボビー・トンプソン(ティム・オケリー)は、人知れず深刻な悩みを抱えていた。働き者で心優しい妻に恵まれ、同居する両親のことも敬う優等生のボビーだが、その一方で拳銃やライフルのコレクションに執着しており、自らの内側で沸々と湧き上がる殺人衝動に言いようのない不安を感じていたのだ。家族にも相談できず思いつめた彼は、ある朝突然、愛する妻と母親、そして運悪く居合わせた宅配人の若者を射殺し、父親と兄へ向けた遺書を残して自宅を後にするのだった。 車へ積み込んだ荷物には複数の銃器と大量の銃弾。高速道路沿いのガスタンクに上って陣取った彼は、行き交う自動車のドライバーたちを次々と射殺していく。しかし、ほどなくしてパトカーや白バイ警官が到着したため、慌ててL.A.市内を車で逃亡したボビーは、たまたま迷い込んだドライブイン・シアターで次なる凶行を計画する。そう、バイロン・オーロックの新作映画が上映されるプレミア会場だ。スクリーンの裏側に忍び込み、着々と準備を整えるボビー。やがて周辺では夜の帳が下り、ゲストのオーロックも到着。映画の上映が始まると、ボビーは駐車場に並んだ観客の車に向かって次々と発砲する…。 まさしく現代アメリカの深刻な病理を抉り出した問題作。ごくごく当たり前の日常を過ごしていた平凡な若者が、いきなり明確な理由もなく見知らぬ人々へ銃口を向ける。劇中に映し出される1枚の写真は、ボビーがベトナム帰還兵であることを示唆しているが、果たして彼が凶行に及んだのは戦争のPTSDに起因する殺人衝動のせいなのか。それとも、日々新聞やテレビで凶悪犯罪の報道を目にして、その影響で倫理観がぶっ壊れてしまったからなのか。その真意は図りかねるものの、少なくとも銃器が誰でも容易に手に入るような環境でなければ、このような惨劇は起き得なかったはずだ。 怪奇俳優オーロックが「自分の時代は終わってしまった」と嘆くのも無理からぬこと。映画のラストで彼は「これが現実なのか」と呟くが、ボグダノヴィッチ監督曰く、ここでの「現実」とは「恐怖」の暗喩だという。要するに、現実の恐怖が虚構を超えてしまったことに、古き良き恐怖映画を体現する老人オーロックは愕然とするのである。これは21世紀の今もなお解決されることのない、アメリカの銃社会に警鐘を鳴らした先駆的な映画。本作の劇場公開直前に、マーティン・ルーサー・キング牧師とロバート・ケネディ議員が相次いで銃殺されたのも実に皮肉な話だ。タランティーノ監督が本作について、「社会批判の要素を内包したスリラーではなく、スリラーの要素を内包した社会批判だ」と評したのは誠に正しいと言えよう。 恩師コーマンから受け継いだ低予算映画ならではの秘策とは? 2つのプロットを交互に描いていくにあたって、ボグダノヴィッチ監督はオーロック側の世界をレッドやブラウンやベージュなどの暖色系で、ボビー側の世界をホワイトやブルーやパープルなどの寒色系で統一。今はどちらの世界なのかをひと目で分かるようにすることで、観客が混乱をきたさないように細心の注意が払われている。さらに、あえて音楽スコアを一切使わず、映像だけで登場人物の感情を表現することに努めた。もちろん、音楽スコアの制作に割くだけの予算がなかったという事情もある。劇中で使用されるBGMはラジオから流れてくる音楽だけ。それ以外は生活音や環境音が音楽の代わりとなり、スクリーンには映らない周辺の出来事までも見る者に想像させ、ストーリーの奥行きと広がりをより大きなものにしている。アルフレッド・ヒッチコック監督の『裏窓』(’54)をヒントにしたそうだが、限られた時間と資材で撮影せねばならない低予算映画にとって、これは非常に有効な手法だ。 低予算映画ならではの経費節減策といえば、当局の許可を得ないゲリラ撮影もその代表格。ロジャー・コーマンもゲリラ撮影が得意だったが、その愛弟子ボグダノヴィッチも師匠に倣い、高速道路での銃乱射シーンおよび市内の逃走シーンなどでゲリラ撮影を敢行している。そもそも、高速道路での撮影は法律で禁じられており、付近での撮影はおろか高速道路にカメラを向けることすらご法度だったという。なので、たとえ申請したとしても許可は下りない。そうとなれば無許可で勝手に撮るしかなかろう。テキパキと素早く撮影するため、現場での録音も一切なし。道路を行き交う車の音はもちろんのこと、コーラの蓋を開ける音も炭酸がはじける音も、ライフルを構えて照準を合わせるボビーの息遣いの音まで含め、高速道路の銃乱射シーンは全て後から音響効果で処理をされている。あまりにも自然なので誰もが驚くはずだ。ちなみに、たまたま現場を通りがかったパトカーや白バイも、そのままカメラに収めて使用している。 さらに、プロのエキストラを動員する予算も足りないため、スタッフやその家族はもちろんのこと、無料で出てくれる友人やそのまた友人もめいっぱいかき集めたという。例えば、高級レストランのシーンでボリス・カーロフの肩越しに見える別テーブルの男性客は、『理由なき反抗』(’55)や『ジャイアンツ』(’56)などで有名な俳優サル・ミネオ。高速道路で撃たれるドライバーの中には、『風と共に去りぬ』(’39)などの製作者デヴィッド・O・セルズニクの次男ダニエルの姿もある(オープンカーを運転する男性)。車から飛び出して助けを求める女性は俳優ロバート・ウォーカー・ジュニアの奥さん。ドライブイン・シアターの受付の若者は、本作の助監督も務めたフランク・マーシャル(後のスピルバーグ映画のプロデューサー)だ。ボビーのターゲットになる観客の中には、今もハリウッド大通りで営業する映画関連書籍の専門書店ラリー・エドモンズのオーナー夫妻やフランク・マーシャルの両親なども含まれている。 殺人犯ボビー役のティム・オケリーは本作が初の大役だった若手俳優。クリーンカットのオールアメリカン・ボーイといった雰囲気は役柄にピッタリだし、モデルとなったチャールズ・ホイットマンにも容姿が似ている。新人映画監督サミー・マイケルズは、当初はボグダノヴィッチ監督の友人ジョージ・モーフォゲンを起用する予定だったが、都合が折り合わなかったためボグダノヴィッチ自身が演じることとなった。劇中ではテレビで放送されているハワード・ホークス監督の『光に叛く者』(’31)を見て、サミーが「回顧上映で見たことがある」というセリフが出てくるが、実際にボグダノヴィッチはニューヨーク近代美術館のハワード・ホークス回顧上映を企画したことがあるし、その際にホークスとのロング・インタビューも行っている。必ずしも彼自身をモデルにした役柄ではないものの、重なり合う部分が少なからずあることは間違いないだろう。 ちなみに、サミー・マイケルズという役名は、映画監督サミュエル・フラーの本名サミュエル・マイケル・フラーから取られている。というのも、ボグダノヴィッチは友人でもあったフラー監督に本作の脚本を書き直して貰っているのだ。その際、クレジットに名前を出すことを申し出たボグダノヴィッチに対して、フラーは「これは君の書いた脚本だ。私の名前を出す必要はない」と辞退したという。そんな謙虚で懐の深い大先輩へのオマージュとして、監督役に彼の本名を使ったのである。 とはいえ、やはり『殺人者はライフルを持っている』はボリス・カーロフの映画である。実際、ボグダノヴィッチはカーロフ本人をモデルにしてバイロン・オーロックという役柄を書き上げた。ただし、カーロフ自身は俳優を引退する気などさらさらなかったのだが。ご存知の通り、もともとはギャング映画などの悪役俳優だったカーロフ。先述した『光に叛く者』はその出世作だったのだが、しかし彼に真の名声をもたらしたのは、空前の大ヒットを記録した主演作『フランケンシュタイン』をはじめとする一連のホラー映画群だった。 「これ以上老醜を晒したくない」と漏らす劇中のオーロックだが、演じるカーロフ自身も当時は両脚が湾曲したうえに呼吸も困難。歩くことすらままならないため、歩行ギプスを付けて撮影に臨んでいたという。晩年は低予算のB級・C級映画への出演が多く、オーロック同様に半ば過去の人となっていたカーロフだが、本作での芝居を見ると彼が怪奇映画俳優の枠に収まることのない、ストレートなドラマ映画も十分いける正統派の名優だったことがよく分かる。サマセット・モームの短編「サマラの約束」を独り語りするシーンなどは実に見事!撮影が終わると共演者やスタッフから感動の拍手が沸き起こり、その様子に同席したカーロフ夫人は涙を流して喜んだそうだが、長いキャリアの最晩年に本作のような映画に出会えたことは、カーロフにとって少なからぬ幸運だったのではないかと思う。■ 『殺人者はライフルを持っている』TM, ® & © 2023 by Paramount Pictures. 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COLUMN/コラム2023.03.01
ミュージカル映画の巨匠がヒッチコックの世界に挑んだロマンティック・サスペンスの傑作『シャレード』
キャスト変更の可能性もあった『シャレード』誕生秘話 恋愛ロマンスとサスペンス・スリラーの要素を兼ね備えた、いわゆるロマンティック・サスペンス映画は古今東西に数多くあれども、この『シャレード』に匹敵するような傑作はなかなか見当たらないだろう。主演はハリウッド黄金時代の大スター、ケーリー・グラントとオードリー・ヘプバーン。舞台は花の都パリである。裕福なフランス人男性と結婚したアメリカ人女性が、ある日突然、身に覚えのない陰謀事件に巻き込まれ、正体不明の男たちから逃げる羽目となる。まるでアルフレッド・ヒッチコック監督のサスペンス映画のようだが、実際にスタンリー・ドーネン監督は、ケーリー・グラントが主演したヒッチコックの『北北西に進路を取れ』(’59)を強く意識していたという。本作が「ヒッチコックの監督していない最良のヒッチコック映画」と呼ばれる所以だ。 と同時に、本作は’60年代当時ブームとなりつつあったスパイ映画のジャンルにも相通ずるものがある。なにしろ、タイトル・シークエンスのスタイリッシュなグラフィック・デザインを担当したのは、007シリーズのタイトル・デザインでも有名なモーリス・ビンダーである。もちろん、ビンダーはヒッチコック監督の『めまい』(’58)も担当しているので、ヒッチコック映画へのオマージュ的な意味合いもあったであろう。さらに、ヘンリー・マンシーニによるラウンジ・ミュージック・スタイルの音楽スコアもボンド映画っぽい。甘いメロディの印象的なテーマ曲「シャレード」は、やはりボンド映画群の主題歌と同じくスタンダード・ナンバーとして親しまれ、アンディ・ウィリアムスやシャーリー・バッシーなど数多くの歌手がカバー・バージョンをレコーディングした。さながら、’50年代的なエレガンスと’60年代的なモダニズムを併せ持った映画とも言えよう。 原作はピーター・ストーンとマーク・ベームの書いた小説「Unsuspecting Wife(疑わない妻)」。しかし、実はその小説の元となった映画用の脚本が存在する。執筆したのはピーター・ストーン。’30年代に人気を博した犯罪ミステリー映画『チャーリー・チャン』シリーズで有名な映画製作者ジョン・ストーンの息子としてハリウッドで生まれ育ったストーンは、やはり映画脚本家だった母親ヒルダ・ストーンが再婚してフランスへ移り住んだことから、まだ大学生だった19歳の時に初めてパリを訪れ、たちまち魅了されてしまったという。そこで、大学を卒業した彼はCBSラジオのパリ支局に就職し、報道部で働きつつ大好きなパリを舞台にしたミステリー映画の脚本を書き上げる。それが『シャレード』だった。 完成した『シャレード』の脚本を持ってアメリカへ一時帰国し、ハリウッドのメジャースタジオ7社に売り込みをかけたストーンだが、しかしどこへ行っても断られてしまったという。そこで妻に勧められて脚本を小説として書き直すことにしたのだが、それまで小説を書いたことがなかったため、同じくパリ在住のアメリカ人だった作家マーク・ベームに協力を仰いだのである。そうして出来上がった小説版は、アメリカの有名な女性誌「レッドブック」に掲載されることとなる。その際、編集部の要望で「Unsuspecting Wife」というタイトルが付けられた。というのも「レッドブック」誌では、タイトルに「Wife」「God」「Dog」「Lincoln」のいずれかの単語が入った小説は当たる、というジンクスがあったからなのだとか。実際に掲載された小説は評判となり、かつて脚本を断ったスタジオ7社の全てが映画化権を手に入れようとアプローチしてきたという。 一方その頃、『雨に唄えば』(’52)などのミュージカル映画で巨匠としての地位を確立していたスタンリー・ドーネン監督も、エージェントから送られてきた雑誌を読んで原作を気に入り、自身の製作会社スタンリー・ドーネン・フィルムズの企画として映画化権の購入に動いていた。当時の2人はお互いに全く面識がなかったものの、ストーンはメジャースタジオ各社からのオファーを断って、ドーネン監督と直接契約を結ぶことにする。最大の理由は、ロサンゼルスではなく実際にパリで全編ロケ撮影することをドーネンが約束したこと。さらに、当初からケーリー・グラントとオードリー・ヘプバーンを主演に想定していたストーンにとって、そのどちらとも仕事をしたことのあるドーネン監督は映画化を任せるに最適な人物だった。中でも特にグラントとは、共同で製作会社グランドン・プロダクションズを立ち上げるほどの親しい間柄である。まさに理想的な人選だ。 ところが、以前からグラントと共演したかったオードリーは出演を快諾したものの、肝心のグラントがハワード・ホークス監督の『男性の好きなスポーツ』への出演を希望して『シャレード』を断ってしまった。そのため、グラントとの共演が必須条件だったオードリーも降板することに。そこで、当時ドーネン監督は映画会社コロムビアと提携を結んでいたのだが、そのコロムビア幹部の提案でウォーレン・ベイティとナタリー・ウッドに白羽の矢が立てられ、実際に本人たちも出演を承諾したのだが、しかしギャラの金額が折り合わなかったらしく、最終的にコロムビアは企画そのものから手を引いてしまった。 はてさて困った…とドーネン監督は頭を抱えたわけだが、その直後に『男性の好きなスポーツ』を降板したグラントから連絡が入り、やっぱり『シャレード』に出演したいとの申し出があったという。そこからとんとん拍子でオードリーの出演も決定し、ドーネン監督は改めて企画をユニバーサルに持ち込んだところ、すんなりとゴーサインが出たのである。ただし、グラントは出演契約を結ぶにあたって、ひとつだけ条件を付けたという。それは、撮影前に脚本家と打ち合わせをして、自分の意見を脚本へ取り入れること。そこで脚本担当のピーター・ストーンがグラントと会うことになり、ニューヨークのプラザ・ホテルで数日間に渡って綿密な打ち合わせを行った。 その際にグラントがストーンに最も強く要望したのは、自分の演じるピーターがオードリー演じるレジーナを口説くのではなく、反対にレジーナがピーターを口説くという設定にすることだった。というのも、当時のグラントは58歳でオードリーは33歳。親子ほど年の離れた中年男性が若い女性を口説くのはみっともないと考えたのだ。また、劇中ではピーターがシャワーを浴びるシーンがあるのだが、若い頃に比べて体型が衰えたことを理由に、グラントはシャワーシーンで脱ぐことを拒否。その結果、服を着たままシャワーを浴びるというユーモラスな場面が出来上がったのだが、いずれにせよ当時のグラントは自身の年齢をいたく気にしていたらしい。実際、長年に渡ってロマンティックな二枚目スターとして女性ファンを魅了してきたグラントは、本作を最後に「二枚目役」を卒業することとなる。 フランス・ロケの魅力を存分に生かした撮影舞台裏エピソード 主人公はフランス人の大富豪と結婚したアメリカ人の元通訳レジーナ・ランパート(オードリー・ヘプバーン)。親友シルヴィ(ドミニク・ミノー)とその幼い息子ジャン=ルイ(トーマス・チェリムスキー)と一緒に、フレンチ・アルプスへスキー旅行に出かけた彼女は、よく素性も分からぬまま結婚した夫チャールズとの離婚を決意する。ところが、パリへ戻ってみると自宅はもぬけの殻で、家財道具はもちろんチャールズの姿もない。そこへやって来た警察のグランピエール警部(ジャック・マラン)によると、夫は家財道具を競売にかけて得た25万ドルを持ってパリから逃げようとしたところ、何者かに列車から突き落とされて死亡したという。警察署で夫の遺体を確認し、誰もいない自宅で茫然自失となるレジーナ。するとそこへ、旅行先で知り合ったアメリカ人男性ピーター・ジョシュア(ケイリー・グラント)が現れ、新聞記事で事件を知ったと言って慰めてくれるのだった。 教会で執り行われたチャールズの葬儀。親友シルヴィとグランピエール警部以外、弔問客も殆どなかった。すると、見たこともない3名の男性が入れ代わり立ち代わりやって来る。小柄の中年男ギデオン(ネッド・グラス)にのっぽのテックス(ジェームズ・コバーン)、そして右手に義手をはめた大男スコビー(ジョージ・ケネディ)。3人ともなぜか、夫が本当に死んだのか確認しているようだ。その後、CIAパリ支局の捜査官バーソロミュー(ウォルター・マッソー)にアメリカ大使館へ呼び出されたレジーナは、そこでチャールズの本名がチャールズ・ヴォスという男であること、彼が第二次世界大戦中に情報機関OSSに所属していたこと、当時の仲間と米政府の金塊25万ドル分を横領したことを知らされる。しかも、夫は仲間と分配するはずの金塊をひとりで持ち逃げしていたのだ。戦時中のチャールズの写真を見せられたレジーナは、そこに写っている仲間たちが葬儀に現れた3名の男性であることに気付く。 夫が殺された際に持っていた25万ドルの行方をバーソロミューに問い詰められるレジーナだが、そもそもチャールズの正体を初めて知ったばかりの彼女に心当たりなどあるはずがない。夫の遺品を受け取って持ち帰った彼女は、気を紛らわすためピーターとデートに出かけるのだが、そんな彼女の前に例の3人が次々と現れて「金を返せ」と脅迫する。身の危険を感じたレジーナはピーターと一緒にホテルへ身を隠し、消えた25万ドルの所在を突き止めようとするのだったが…? 原作だとヒロインの姓はランパート(Lampert)でなくランバート(Lambert)だったそうだが、アメリカ国内に同姓同名の女性が3名実在したため変更されたという。また、ピーター・ジョシュアという役名は、ドーネン監督の2人の息子ピーターとジョシュアから取られている。男性が列車から突き落とされる謎めいたオープニングと、その後に続くカラフルでお洒落でウルトラモダンなタイトル・シークエンスのたたみかけが実にお見事!まさに掴みはオッケーという感じで、思わず期待と興奮に胸がドキドキと高鳴る。よく事情も知らぬまま陰謀事件の渦中に放り込まれたヒロイン、そんな彼女を助ける謎めいたヒーロー、そして次から次へと襲い来る危機に意表をつく驚きのどんでん返し。ロマンスとサスペンスのツボを心得たピーター・ストーンの脚本は、スリルとユーモアのバランス感覚もまた抜群に絶妙である。主演のケーリー・グラントとオードリー・ヘプバーンの顔合わせも実にゴージャスだし、’60年代当時のパリの街並みや景色がまたロマンティックなムードを一層のこと高めてくれる。 冒頭のスキー旅行シーンのロケ地となったのは、ロスチャイルド家御用達のスキー・リゾート地としても有名なムジェーヴという町。撮影に使われたホテルも実はロスチャイルド家の別荘だった。劇中でジャン=ルイ少年がロスチャイルド男爵に雪の玉を投げつけて叱られるというエピソードは、いわばちょっとした内輪ジョークだったのである。ちなみに、ロケに同行したストーンによると、この別荘には当時ロミー・シュナイダーとアラン・ドロンがお忍びで宿泊していたそうだ。また、ジャン=ルイ少年がレジーナに水鉄砲を向けるシーンでは、最初に映し出されるクロースアップショットをよく見ると、子供ではなく大人がピストルを握っているように見える。実際、撮影では助監督マーク・モーレットが水鉄砲を握っていたらしい。観客をドキッとさせるためには、ひと目で子供の手だと分かってしまっては都合が悪かったのだ。 パリ市内のロケでも、セーヌ川のほとりやノートルダム寺院などの観光名所をたっぷりと楽しませてくれるが、その中でも謎を解くための重要なカギとして使われたのが、シャンゼリゼに近いマリニー通りの有名な切手市。ここでは現在も毎週木曜日と土曜日と日曜日の3日間、切手業者が蚤の市を開いて世界中から切手コレクターが集まる。いわば知る人ぞ知る穴場スポットのようなものだ。ただし、本作では定休日に切手市の場所だけ借り、撮影用にエキストラを集めて普段の様子を再現したのだそうだ。そういえば、レジーナとピーターが微笑ましく眺める路上の人形劇も、シャンゼリゼ通りで200年以上に渡って市民から親しまれているパリ名物である。 また、終盤の大きな見せ場として登場するのがパレ・ロワイヤル。17世紀の歴史に名高い宰相リシュリューの城館として建てられた歴史的建造物だが、当初は文化省が入っているからという理由で撮影許可が下りなかったのだそうだ。そこでドーネン監督は当時の文化相アンドレ・マルローに直談判して許可を取ったという。作家でもあったマルロー氏は、映画の撮影にとても協力的だったらしい。ただし、レジーナが逃げ込む劇場コメディ・フランセーズは入り口だけが本物で、中身は全く別の劇場で撮影されている。 このように、フランス現地のロケーションを存分に生かした本作だが、その一方でスタジオ撮影が非常に印象的だったのは、ケーリー・グラントとジョージ・ケネディがビルの屋上で格闘する緊迫のアクション・シーンである。実は、このビルの屋上はもちろんのこと、周囲の建物や眼下に見える車も全てスタジオに建てられた精巧なセット。遠近法を利用して適度な距離感を表現するべく、周囲の建物は全て実物大よりもだいぶ小さく作られており、完成した本編映像では見えづらいものの、一部の窓際には人影を映すためミゼットのエキストラを立たせたそうだ。もちろん、屋上から見下ろした路上の車は全てミニチュアである。 なお、劇中には脚本家ピーター・ストーンが2度ばかり登場する。まずはレジーナが最初にアメリカ大使館を訪れたシーンで、エレベーターのドアが開いた際に立ち話している男性2人のうち、右側に立っている背の高い黒縁メガネの男性がストーン。ただし、なぜか声だけはスタンリー・ドーネン監督が吹き替えている。そして、2度目はクライマックスでレジーナとピーターがアメリカ大使館を訪れるシーン。門番の若い海兵隊員にレジーナが公金返還の担当部署を訊ねるのだが、その若い海兵隊員の「声」を吹き替えたのがストーンだった。 かくして、1963年の12月初旬にアメリカで封切られた『シャレード』。興行的には大ヒットを記録するものの、同時に2つの大きな問題が発生する。ひとつめは本編中のセリフ。劇場公開の直前にケネディ大統領の暗殺事件が発生し、当時全米はもとより世界中に衝撃が走っていたのだが、本作ではレジーナとピーターがセーヌ川沿いを散歩するシーンで、「暗殺する(Assassinate)」という単語が2度も出てくるのだ。これが不謹慎に当たると考えたドーネン監督は、全米公開の間際に大急ぎで該当箇所の音声をカットし、代わりに「抹殺する(Eliminate)」とアフレコで差し替えたのである。なお、現在ユニバーサルがテレビ放送やソフト販売などで使用しているバージョンは、該当箇所が元の「暗殺する」に差し戻されている。 そしてもうひとつの問題が、本編中で著作権の表記を忘れたことである。正確に言うと、著作権者としてユニバーサル映画とスタンリー・ドーネン・フィルムズの名前は表記されているものの、それが著作権者であることを明確に示すCopyrightの文字やロゴマークを入れ忘れたのである。そのため、法律によって本作は著作権を放棄したものとみなされ、’80年代に家庭用ビデオが普及すると数多くの海賊版ビデオソフトが出回ることとなってしまう。本作の格安DVDは日本でも沢山出ているが、どれも使い古しの上映用フィルムやテレビ放送用マスターからコピーした代物。オリジナル・フィルムを使用した正規版マスターを保有しているのは現在もユニバーサルだけなので、映画ファンはくれぐれも注意されたし。■ 『シャレード』© 1963 Universal Pictures, Inc. & Stanley Donen Films, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.01.31
テレビ版の魅力を継承しつつ進化させた映画版の見どころをチェック!『チャーリーズ・エンジェル(2000)』
‘90年代後半から流行したテレビシリーズの映画版リメイク ‘90年代後半から’00年代にかけて、ハリウッドでは名作テレビドラマの映画版リメイクが流行った。それ以前にも、ブライアン・デ・パルマ監督の『アンタッチャブル』(’87)やトム・ハンクスとダン・エイクロイド主演の『ドラグネット 正義一直線』(’87)、ハリソン・フォード主演の『逃亡者』(’93)などのリメイク映画が存在したものの、大きなきっかけになったのはそのデ・パルマが手掛けた『スパイ大作戦』(‘66~’73)の映画版リメイク『ミッション:インポッシブル』(’96)であろう。シリーズ化もされた同作の大成功に倣って、『セイント』(’97)や『ロスト・イン・スペース』(’98)、『アベンジャーズ』(’98)、『ワイルド・ワイルド・ウエスト』(’99)、『アイ・スパイ』(’02)、『S.W.A.T.』(’03)、『スタスキー&ハッチ』(’04)、『奥さまは魔女』(’05)などなど、数多くの名作テレビドラマが劇場用映画として甦った。 それゆえ、当時「ハリウッドはネタが尽きた」などとメディアでも揶揄されたものだが、恐らく実際そうだったのだろう。ヒット・ポテンシャルの高い企画を常に求めている各映画会社にとって、既に知名度がある往年の名作テレビドラマの映画化は、一からストーリーやキャラクターを作る必要もないため、手軽に稼げる美味しいネタと考えられたのかもしれない。ただ、映画ファンならばご存知の通り、当時雨後の筍のごとく作られたそれらのリメイク映画の大半は、興行的にも批評的にも決して満足のいく成果を上げたとは言えなかった なにしろ、テレビドラマというのは登場人物とそれを演じるスターの魅力が命。だからこそ、視聴者は毎週の放送を楽しみにして待ってくれる。しかし、当然ながら映画版リメイクでは別のスターが演じることになるわけで、そうなると作品のイメージそのものが変わってしまう。オリジナルの知名度が高ければ高いほど、ファンの期待を裏切ってしまうリスクは高い。『ミッション:インポッシブル』の成功だって、あれはトム・クルーズという希代のスターの存在があってこそだ。そうした中にあって、その『ミッション:インポッシブル』に次ぐ大成功を収めたテレビドラマの映画版リメイクが、同じくシリーズ化もされた『チャーリーズ・エンジェル』(’00)だった。 ‘70年代だからこそ生まれたテレビ版『チャーリーズ・エンジェル』 オリジナルはもちろん、’70年代に世界中で一大旋風を巻き起こした大ヒット・ドラマ『地上最強の美女たち!チャーリーズ・エンジェル』(‘76~’81)。警察学校を卒業した元婦人警官ジル・モンロー(ファラ・フォーセット)にサブリナ・ダンカン(ケイト・ジャクソン)、ケリー・ギャレット(ジャクリン・スミス)の美女3人が、声だけで姿を一切見せない謎多き大富豪チャーリー・タウンセンド(ジョン・フォーサイス)の経営する探偵事務所に雇われ、ちょっとトボケたオジサン上司ボスレー(ジョン・ドイル)の指示のもと、依頼人から相談された様々な事件や謎を究明するべく潜入捜査を試みる。さながら女性トリオ版ジェームズ・ボンドである。 全盛期の平均視聴率25.8%と驚異的な数字を叩き出し、着せ替え人形からノベライズ本まで様々な関連グッズが売れまくったという本作。その最大の理由は、間違いなく主人公のエンジェルたちであった。中でも、ジル・モンロー役のファラ・フォーセットは’70年代を象徴する国民的なセックス・シンボルとなり、アメリカ中の女性がライオンのたてがみのような彼女のヘアスタイルを真似たとも言われる。番組とは直接関係がないものの、彼女の水着ポスターも600万枚以上を売り上げた。また、明るくて天然ボケ気味のカリフォルニア娘ジルに、気が強くてお転婆な良家の令嬢サブリナ、モデルのようにエレガントでフェミニンなケリーと、三者三様のユニークな個性もバランスが良かった。番組では定期的にメンバー交代が行われたものの、ジルの妹クリス・モンロー役のシェリル・ラッド、ティファニー・ウェルズ役のシェリー・ハック、ジュリー・ロジャーズ役のタニア・ロバーツと、交代メンバーたちもいずれ劣らぬ魅力の美女揃い。その全員が、当番組を機にハリウッドのスターダムを駆け上がった。それもまた稀有な現象だったと言えよう。 そんな美しきヒロインたちが、任務のために毎回様々なコスチュームを披露してくれるのも番組名物。特に、半ばお約束となったビキニの水着シーンを目当てに、番組を楽しんだ男性ファンも多かったようだ。ほかにも、露出度の高い大胆なパーティ・ドレスや、時には色っぽい着替えシーンまで登場することもあった。ご存知の通り、アメリカのテレビは性描写に対して非常に保守的であるため、おのずと当番組も少なからぬ批判を受けたそうだが、なにしろ当時はリベラルなフリーセックスの時代である。そんなアメリカ社会の自由な空気が、本作の人気を後押しした面も恐らくあっただろう。 時代と言えば、男性の助けを借りずに悪者と戦うことの出来る、強くてパワフルで聡明なヒロイン像を打ち立てたという点でも、本作はウーマンリブの波が押し寄せた’70年代に生まれるべくして生まれた番組だった。それ以前にも、例えばアン・フランシスがセクシーな黒のレザースーツで活躍する探偵ドラマ『ハニーにおまかせ』(‘65~’66)やステファニー・パワーズがキュートな女性エージェントを演じるスパイ・ドラマ『0022アンクルの女』(‘66~’67)、アンジー・ディッキンソンがタフでセクシーな女性警部ペッパー・アンダーソンを演じた犯罪ドラマ『女刑事ペッパー』(‘74~’78)など、自立した強いヒロインが活躍するアクション・ドラマは幾つか存在したものの、しかしいずれもピンチの際に彼女たちを助ける男性パートナーの存在があった。一応、この『チャリエン』でも男性上司ボスレーのバックアップはあるものの、しかし現場で頼りになるのは自分たちだけ。決して強い男性に頼ることはない。そういう意味でも本作は画期的だった。 映画版はオリジナルと地続きの続編だった!? かくして、’70年代の社会ムーブメントすらも体現した金字塔的ドラマを映画として復活させたのが、’00年公開の『チャーリーズ・エンジェル』。本作が数多のテレビドラマに比べてリメイク向きだったのは、登場人物やキャストが変わってもあまり違和感がないことだろう。つまり、謎の大富豪チャーリー・タウンセンドの探偵事務所に雇われた3人の美女が活躍する…という基本設定さえ押さえておけば、そのメンバーが入れ替わっても大して問題ないのだ。実際、テレビ版もメンバー交代を繰り返しながらシーズンを重ねたわけだし、シリーズの終了から20年近くも経っているわけだから、エンジェルたちも世代交代していると考えた方がむしろ自然である。幸い、このリメイク版ではチャーリー役にオリジナルのジョン・フォーサイスが再登板。なおさら、時代が変わって世代交代が進んだことに説得力が増す。ビル・マーレ―のボスレーはコードネームと理解すればよろしかろう(笑)。なので、これはテレビドラマの映画版リメイクというよりも、テレビドラマから地続きの映画版続編と捉えた方が正しいかもしれない。 そんな新世代のエンジェルたちが、キャメロン・ディアス演じるナタリー・クックにドリュー・バリモア演じるディラン・サンダース、そしてルーシー・リュー演じるアレックス・マンデイの3人だ。笑顔のキュートな天然ボケ気味のカリフォルニア娘ナタリー、反骨精神旺盛なおてんば娘のディラン、エレガントな女王様タイプのアレックスと、各人がテレビ版のジル、サブリナ、ケリーのイメージをそれとなく継承しつつ、一方で演じる女優たちの個性を存分に際立たせた独自のヒロイン像を打ち出している。’70年代のエンジェルたちがセクシーでグラマラスならば、’00年代のエンジェルたちはワイルドでクレイジー。当たり前のことだが、求められる理想の女性像も変わったのだ。 その点は、監督のMcG(マックジー)も十分に意識していたはずだ。「一般的なアクション映画における男女の役割を逆転させた」と監督が語っている通り、あらゆる場面で主導権を握るのはあくまでもエンジェルたち、つまり女性である。一応、ナタリーとアレックスにはボーイフレンドがいるものの、ハッキリ言って単なる添え物にしか過ぎない。もちろん、プロデューサーに名を連ねたドリュー・バリモアの意向もあっただろう。そもそも、本作の企画を最初に立ち上げたフラワー・フィルムズは、ドリュー・バリモアと親友ナンシー・ジュヴォネンが創設した製作会社。恐らく、女性へのエンパワメントという意図もあったに違いない。その方向性は、同じくフラワー・フィルムズが製作した3作目『チャーリーズ・エンジェル』(’19)でより明確なものとなる。 また、本作は香港映画でもお馴染みのワイヤー・アクションをふんだんに取り入れた点でも印象的だった。ちょうど当時のハリウッドは、ジャッキー・チェンやチョウ・ユンファ、ジョン・ウー監督ら香港映画の才能が次々と進出していた時期である。恐らくハリウッド映画で最初に香港のワイヤー・アクションを導入したのは『マトリックス』(’99)だと思うが、しかし王道的なアクション映画で本格的に取り入れたのは本作が初めてだったかもしれない。ジョン・ウー作品など香港映画のファンを自認するMcG監督は、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ天地黎明』(’91)などで有名な武術監督ユエン・チョンヤンを香港から招へい。メインキャストたちは1日8時間、週5日間のカンフー・ブートキャンプを3カ月間みっちり続けたという。その甲斐あって、エンジェルたちのアクロバティックなアクションは実に見事な仕上がりだ。 一方、ストーリーは実にシンプルで単純明快である。新興ハイテク企業の創立者で天才エンジニアのエリック・ノックス(サム・ロックウェル)が誘拐され、共同経営者ヴィヴィアン(ケリー・リンチ)の依頼でエンジェルたちは捜査を開始。ライバル企業の社長コーウィン(ティム・カリー)とその手下の殺し屋・ヤセ男(クリスピン・グローヴァー)を怪しいと睨むも、実は全てエンジェルたちに近づくためノックスが仕組んだ狂言だった。その目的は、探偵事務所のボスであるチャーリーへの復讐。亡き父親がチャーリーのせいで殺されたと信じている彼は、謎に包まれたチャーリーの居場所を突き止めて抹殺するつもりだったのだ…! 実は、テレビ版にも似たようなストーリーのエピソードがある。それがシーズン1第5話「標的にされたエンジェル達」と、シーズン4第12話「チャーリー出動!孤島のエンジェル狩り」。どちらもチャーリーに恨みを持つ犯罪者がエンジェルたちの命を狙い、その住所すら誰も知らないチャーリーをおびき出して殺そうとする。具体的な設定や展開はだいぶ違うので、映画版がこれらのエピソードを下敷きにしたというわけではないが、もしかするとヒントくらいにはなったのではないかとも思う。 ちなみに、テレビ版「標的にされたエンジェル達」にはチャーリーの屋敷が出てくるのだが、これがまるでヒュー・ヘフナーのプレイボーイマンションみたい(笑)。そういえば、番組では声だけで後ろ姿しか登場しないチャーリーだが、いつも周囲にセクシーな若い美女をはべらせていたっけ。しかし、それから20年近く経った映画版のチャーリー宅は上品で落ち着いた雰囲気。やはり後ろ姿しか出てこない本人も、ひとりでのんびりとビーチを散歩している。年を取ってすっかり丸くなったようだ。 なお、本作にはテレビ版へ直接オマージュを捧げたシーンも存在する。それが、タイトルクレジットで登場する、囚人服を着たエンジェルたちが手錠に繋がれて逃亡するシーンだ。これはMcG監督が大好きだというシーズン1第4話「潜入!戦慄の女囚刑務所」からの引用。裏で人身売買を行っている刑務所にエンジェルたちが潜入するという、まるで’70年代にロジャー・コーマンが製作したB級女囚映画のようなお話だ。しかも、ゲストにはロジャー・コーマン映画の常連でもあったカルト女優メアリー・ウォロノフやクリスティナ・ハート、無名時代のキム・ベイシンガーも出ている。筆者もお気に入りのエピソードだ。その終盤で3人のエンジェルが手錠に繋がれたまま脱走を試みるのだが、映画版ではそのワンシーンを再現しているのだ。 ほかにも、『E.T.』(’82)や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(’85)、『フェリスはある朝突然に』(’86)など、大の映画マニアでもあるMcG監督が大好きな作品へのオマージュがそこかしこに盛りだくさん。ノックスが住んでいる近未来的なデザインの家はブライアン・デ・パルマ監督作『ボディ・ダブル』(’84)の再現だし、キャメロン・ディアスが華麗に舞い踊るドリーム・シークエンスはMGMミュージカルにインスパイアされたという。赤や青やグリーンの原色を大胆に使った色彩は、テレビ版シリーズのオープニング・シーンを彷彿とさせるが、同時に昔懐かしいテクニカラーへのオマージュでもある。「華やかで弾けていてカラフルで愉快な映画」を目指したというMcG監督だが、実際に目論見通りの理屈抜きで楽しい娯楽映画に仕上がった。この天衣無縫さが本作の最大の魅力かもしれない。■ 『チャーリーズ・エンジェル (2000) 』© 2000 Global Entertainment Productions GmbH & Co. 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COLUMN/コラム2022.12.26
‘60年代の「スウィンギング・ロンドン」を’90年代に甦らせた爆笑スパイ・コメディ!『オースティン・パワーズ』
日本でも世界でも60年代リバイバルがトレンドだった’90年代 ‘60年代後半に世界を席巻した英国発祥の若者文化「スウィンギング・ロンドン」。ミニスカートに厚底ブーツにベルボトムといったカーナビー・ストリート・ファッション、ビーハイブにボブカットなどのヘアスタイル、ビートルズやローリング・ストーンズに代表されるポップ・ミュージック(通称「ブリティッシュ・インベージョン」)、ジェームズ・ボンド・シリーズに端を発するお洒落なスパイ映画、カラフルでサイケデリックなポップアートなどが流行し、ドラッグとフリーセックスとウーマンリブのリベラルな気運が社会に広がった。そんな「スウィンギング・ロンドン」時代のトレンドを’90年代に甦らせて大ヒットしたのが、マイク・マイヤーズ主演のスパイ・コメディ映画『オースティン・パワーズ』(’97)だった。 そもそも’90年代を振り返ってみると、世界中で「スウィンギング・ロンドン」的な’60年代カルチャーがリバイバルした時代だったと言えよう。それがいつ頃始まったのかは定かでないが、トム・ジョーンズやダスティ・スプリングフィールドがヒットチャートに復活し、B-52’sのアルバムがバカ売れした’80年代末には、すでにその下地が出来ていたのかもしれない。筆者が’60年代リバイバルをハッキリと意識するようになったのは、恐らくディーライトのデビュー曲「グルーヴ・イズ・イン・ザ・ハート」が大ヒットした’90~’91年頃だろうか。カラフルでサイケなカーナビー・ストリート・ファッションに身を包み、当時最先端のハウス・ミュージックに’60年代末~’70年代初頭のR&Bやファンクを取り入れた彼らのルックスとサウンドは、まさしく「スウィンギング・ロンドン」の’90年代的アップデートに他ならなかった。その後もレニー・クラヴィッツやジャミロクワイ、カーディガンズなど’60年代カルチャーの影響を受けたアーティストが次々と台頭し、ベルボトムや厚底ブーツを筆頭とする’60年代風ファッションも流行。特に『オースティン・パワーズ』が公開された’90年代後半はそのピークだったかもしれない。 時を同じくして、ここ日本でも独自の60’sリバイバルが巻き起こっていた。その引き金となったのは「渋谷系」ブームだ。ピチカート・ファイヴやフリッパーズ・ギターといったお洒落な渋谷系アーティストの人気は、彼らが影響を受けた海外の’60年代カルチャーにまで広がり、バート・バカラックやクインシー・ジョーンズなどのラウンジ・ミュージック、ロジャー・ニコルズやクロディーヌ・ロンジェなどのサンシャイン・ポップス、セルジュ・ゲンズブールやフランス・ギャルなどのフレンチ・ポップス、エンニオ・モリコーネやアルマンド・トロヴァヨーリなどのイタリア映画音楽が、渋谷を発信源として流行に敏感な当時の若者たちに次々と再発見されたのだ。そのトレンドはファッションや映画などにも波及。『黄金の七人』シリーズやカトリーヌ・スパーク主演作などを、映画館のリバイバル上映で追体験できたのは、それこそ「渋谷系」ブームのもたらした恩恵だったと言えよう。こうした日本ならではの少々マニアックな60’sリバイバルも、海外のムーブメントと呼応するようにして世界へと広がっていったのである。思い返せば、当時の東京はロンドンやニューヨークと並ぶ世界的な若者トレンドの発信地でもあった。なんとも文化的に豊かで幸福な時代だったと思う。 さらに、『オースティン・パワーズ』が大成功した背景には、ジェームズ・ボンド映画の人気復活も影響していたように思われる。’60年代スパイ映画ブームの起爆剤であり、「スウィンギング・ロンドン」時代の象徴のひとつでもあったジェームズ・ボンド映画シリーズ。しかし、3代目ロジャー・ムーアの後期作品『007 オクトパシー』(’83)辺りから人気に陰りが見え始め、続く4代目ティモシー・ダルトンの『007 リビング・デイライツ』(’87)と『007 消されたライセンス』(’89)は、地味なシリアス路線が災いしてか興行的に不発。おかげで、それまで2~3年毎のペースで作られてきたシリーズが、初めて6年という長いブランクを開けることとなる。だが、軽妙洒脱で荒唐無稽でお洒落な往時のボンド映画スタイルを取り戻した、5代目ピアース・ブロスナンのお披露目作『007 ゴールデンアイ』(’95)が久々の大ヒットを記録。再びジェームズ・ボンド映画は世界的なドル箱シリーズへと復活を遂げたのだ。『オースティン・パワーズ』がブロスナン版第2弾『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』(’97)と同じ年に公開されたのは、もしかすると偶然などではなかったのかもしれない。 現代に蘇った伝説のチャラ男スパイが巻き起こす珍騒動! 物語の始まりは1967年のロンドン。普段は女性にモテモテのトレンディなファッション・フォトグラファー、しかしその素顔は世界を股にかける凄腕の英国諜報員というオースティン・パワーズ(マイク・マイヤーズ)は、相棒のセクシーな女性スパイ、ミセス・ケンジントン(ミミ・ロジャース)と共に、国際的な犯罪組織ヴァーチュコンを率いる宿敵Dr.イーヴル(マイク・マイヤーズ2役)を追いつめるものの、しかしあと一歩のところで取り逃がしてしまう。人気ファミレス・チェーン「ビッグ・ボーイ」のマスコット人形の形をしたロケットで宇宙へ逃亡したDr.イーヴルは、近い将来の復活を予言して自身と愛猫ビグルスワースを冷凍保存。そこで、オースティンも同じく自信を冷凍保存し、来るべきDr.イーヴルの復活に備えるのだった。 それから30年後の1997年。あのビッグ・ボーイ人形が大気圏に突入したことから、米軍より緊急連絡を受けたイギリス国防省は、極秘施設で冷凍睡眠に入っていたオースティン・パワーズを解凍させる。新たな相棒となったのは、ミス・ケンジントンの娘である見習い諜報員ヴァネッサ(エリザベス・ハーリー)。母親から常々聞かされていた伝説の大物スパイとの対面に胸を躍らせるヴァネッサだが、しかし仕事よりも夜遊びやセックスのことで頭がいっぱい、スウィンギング・ロンドンそのままのド派手なファッションで闊歩するお気楽なプレイボーイ、オースティンの破天荒すぎる言動に目を丸くするのだった。 一方、同じく30年ぶりに冷凍から目覚めたDr.イーヴルは、その間にヴァーチュコンを巨大企業へと成長させた腹心Mr.ナンバー・ツー(ロバート・ワグナー)やドイツ人の女性幹部フラウ・ファービッシナ(ミンディ・スターリング)、さらに人工授精で生まれた息子スコット(セス・グリーン)などを招集。物価や国際情勢などの大きな変化に戸惑いつつ、核弾頭を奪って世界の平和を脅かすという昔ならではの手法で、国連に莫大な金を要求することにする。その頃、ヴァーチュコンの幹部が入り浸っているという、ラスヴェガスのカジノへと乗り込んだオースティンとヴァネッサ。そこでMr.ナンバー・ツーの愛人アロッタ・ファジャイナ(ファビアナ・ウーデニオ)とムフフな関係になったオースティンは、Dr.イーヴルが邪悪な計画を企んでいると知る。懐かしの上司バジル(マイケル・ヨーク)の指示のもと、世界を救うためDr.イーヴルの野望を打ち砕こうとするオースティンとヴァネッサだったが…!? マイク・マイヤーズの好きなものが目いっぱい詰まったおもちゃ箱 オースティン・パワーズの元ネタとなったのは、主演のマイク・マイヤーズがレギュラー番組「サタデー・ナイト・ライヴ」の中で’91年に結成した’60年代英国風ロックバンド、ミン・ティー(本作のエンドロールにも登場)。このバンドには元バングルズのスザンナ・ホフスやマシュー・スウィートなどが参加し、マイヤーズはリードボーカルとギターを担当したのだが、そのキャラクター名がオースティン・パワーズだったのだ。このオースティンを主人公に映画を作ったらどうか?と妻に勧められた彼は、自ら書いた脚本をホフスの旦那であるジェイ・ローチ監督に持ち込んだことから本作が生まれたのである。 映画そのもののベースは、もちろん’60年代のジェームズ・ボンド映画シリーズ。Dr.イーヴルは明らかに『007は二度死ぬ』(’67)でドナルド・プレザンスが演じたブロフェルドをモデルにしているし、A Lotta Vagina(ワギナがたくさん)をもじった悪女アロッタ・ファジャイナの名前は『007 ゴールドフィンガー』(’64)のボンドガール、プッシー・ガロア(プッシーがいっぱい)のパロディだ。黒の眼帯をしたMr.ナンバー・ツーは『007 サンダーボール作戦』(’65)のエミリオ・ラーゴ、強面オバサンのフラウ・ファービッシナは『007 ロシアより愛をこめて』(’63)のローザ・クレッブが元ネタであろう。 ただし、主人公オースティン・パワーズはジェームズ・ボンドよりも、その影響下で作られた’60年代スパイ映画『サイレンサー』シリーズの軽薄なチャラ男スパイ、マット・ヘルム(ディーン・マーティン)に近い。劇中のカラフルでスウィンギンでサイケデリックなファッションや美術セットも、『サイレンサー』シリーズや『黄金の眼』(’68)などの影響が色濃いように思う。また、黒縁メガネをかけたオースティンのルックスは、マイケル・ケインが演じた『国際諜報局』シリーズの主人公ハリー・パーマーをモデルにしたそうだ。 そのほか、’60年代のオースティンの相棒ミセス・ケンジントンは英国ドラマ『おしゃれ(秘)探偵』でダイアナ・リッグが演じた、黒革のジャンプスーツ姿で空手技を操る女スパイ、エマ・ピールが元ネタだし、オースティンが女性ファンから追いかけられるオープニング・クレジットは『ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!』(’64)へのオマージュだし、エンド・クレジットのフォトセッション・シーンはミケランジェロ・アントニオーニ監督のイギリス映画『欲望』(’66)のパロディ。劇中で随所に差し込まれる、オースティンとバックダンサーたちが決めポーズを取るシーン・ブレイクは、’60年代末に人気を博したお笑い番組『Rowan & Martin’s Laugh-In』のパロディである。また、おっぱいから銃口が飛び出す女性型ロボット軍団「フェムボット」は、『華麗なる殺人』(’65)でブラジャーに拳銃を仕込んだグラマー美女ウルスラ・アンドレス、もしくはヴィンセント・プライス主演の『ビキニマシン』(’65)に登場するビキニ姿のロボット美女軍団をヒントにしたものと思われる。 生まれも育ちもカナダのマイク・マイヤーズだが、両親はリヴァプール出身のイギリス人で、幼少期から英国文化に親しんで育ったという。中でも、’60年代当時の映画や音楽を愛した父親からの影響は大きく、マイヤーズが本作のために設立した自身の製作会社Eric’s Boyは、’91年に亡くなった父親エリックの名前から取られている。恐らく、彼が子供の頃から大好きだったものを目いっぱい詰め込んだ、おもちゃ箱のような映画が『オースティン・パワーズ』だったのであろう。■ 『オースティン・パワーズ』© MCMXCVII New Line Productions, Inc. All Rights Reserved.