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COLUMN/コラム2017.04.09
Mr.ズーキーパーの婚活動物園
「動物園の飼育員となんて結婚できないわ!」恋人ステファニーにプロポーズをするも、そんな捨てゼリフでフラれたグリフィン。それから5年。仕事に打ち込んだ彼は飼育係のリーダーになっていたものの、心は打ち砕かれたままだった。そんなある日、グリフィンは兄の結婚披露宴会場として動物園を貸し出したのだが、そこに彼女がゲストとして招かれているではないか!「一緒にカー・ディーラーをやろうぜ。そうすれば彼女を取り戻せるぞ」いまだにステファニーを諦めきれないグリフィンは、そんな兄の誘いに乗って、本気で退職を考えるようになってしまう。 困ったのは動物たちだ。「あんな最高の飼育員を辞めさせるわけにはいかない。彼の仕事を辞めさせずに婚活を成功させようぜ!」 動物界のルールを破って人間語で話しかけて来た動物たちから、ワイルドな恋のアドバイスを伝授されたグリフィンはステファニーへの再アタックに挑戦するのだが……。 動物が人間の言葉を話す映画は星の数ほどあるけれど、大抵アニメっぽいキャラ。それを打ち砕いたのが、エディ・マーフィ主演の『ドクター・ドリトル』シリーズ(98〜01年)だった。同作は、当時最先端のCGを駆使して、リアルな動物が人間の言葉を喋るのを違和感なく見せて大ヒットを記録したのである。 2011年に公開された『Mr.ズーキーパーの婚活動物園』は、この手法をさらに進化させて約1億7000万ドルもの興行収益を叩き出したメガヒット・コメディだ。ディズニー製作の大ヒット作『ジャングル・ブック』(16年)は間違いなく本作の延長線上にある。 ここで『ジャングル・ブック』を連想するのは、同作の監督で俳優でもあるジョン・ファヴローが、本作でクマの声優を務めているからだ。ファヴローがあの傑作を演出できたのも、本作で色々とノウハウを得たからではないだろうか。 そのひとつが声優選び。『ジャングル・ブック』ではビル・マーレイやイドリス・エルバ、スカーレット・ヨハンソン、クリストファー・ウォーケンといった人気俳優が、声色にぴったり合う動物の声優を務めていたけど、『Mr.ズーキーパーの婚活動物園』はそれを先駆けたかのようなキャスティングが行なわれているのだ。そのメンツをざっと挙げてみよう。 まず『サウス・キャロライナ/愛と追憶の彼方』(91年)でゴールデングローブ賞を受賞したシリアスな俳優でありながら『48時間』(82年)では前述のエディ・マーフィと共演し、ファヴローともアニメ『森のリトル・ギャング』(06年)で動物声優として共演していたニック・ノルティがストーリーの鍵を握るゴリラ役。 アクション・ムービー界の伝説シルヴェスター・スタローンと、シンガーであり『月の輝く夜に』(87年)でアカデミー主演女優賞を獲得しているシェールという濃厚なコンビはライオンの夫婦を演じている。 『サタデー・ナイト・ライブ』出身のコメディエンヌでポール・トーマス・アンダーソンのパートナーでもあるマーヤ・ルドルフがキリン、『40歳の童貞男』(05年)や『エイミー、エイミー、エイミー! こじらせシングルライフの抜け出し方』(15年)を監督する傍ら、セス・ローゲンやジェイソン・シーゲルといった若手コメディ・スターの育ての親として知られるジャド・アパトーがゾウ、そしコメディ・レジェンド、アダム・サンドラーがサル(演じているクリスタルは、前述の『ドクター・ドリトル』をはじめ、『ナイト・ミュージアムシリーズ(06〜14年)や『ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える』(11年)『幸せへのキセキ』(11年)にも出演している名優サル!』の声を担当している。 通常、主演映画にしか出演しないサンドラーがこんな地味なポジションを務めているのは珍しい。実はこれにはワケがある。本作のプロデューサーはサンドラーで、製作会社は彼が主宰するハッピー・マジソンなのだ。そしてこれほどゴージャスな声優陣を招いてまでサンドラーがバックアップしようとした才能こそが、本作の主演俳優ケヴィン・ジェームズなのである。 ケヴィンはサンドラーと同じニューヨーク出身で、彼よりひとつ上の65年生まれ。スタンダップ・コメディアンとして活動し始め、兄貴分のレイ・ロマーノが主演したシットコム、『HEY!レイモンド』(96〜05年)への出演をきっかけに、やはりシットコム『The King of Queens』(98〜07年)の主演に抜擢。下町クイーンズで宅配業者として働く中年男役でブレイクした男だ。 本格的な映画出演は、ウィル・スミスが非モテ男に恋愛術を指南する<デートドクター>に扮したロマンティック・コメディ『最後の恋のはじめ方』(05年)から。この作品でケヴィンは、スミスの顧客となる究極の非モテ男アルバートに扮して、笑いを根こそぎかっさらうパフォーマンスを披露。スミス目当てに映画館を訪れた観客にも「あの面白いデブ、誰?」と評判を呼び、大ヒットに貢献したのだった。 その勢いで出演したのが、旧知のアダム・サンドラーとのダブル主演作『チャックとラリー おかしな偽装結婚!?』(07年)だった。ここでケヴィンは、子どもに残す年金問題に悩むあまり、サンドラー扮する結婚願望ゼロのプレイボーイと偽装同性婚をする男ヤモメの消防士を好演。すでにスーパースターだったサンドラーに負けない存在感を示した。そしてサンドラーのプロデュースのもと、遂に『モール★コップ』(09年)で単独主演を実現したのだった。 警官採用試験に挑戦しては失敗を続けているドジなショッピングモールの警備員が、モールを占拠した強盗団相手に丸腰で立ち向かうこのアクション・コメディは、ケヴィンのメタボなボディを駆使したギャグに笑わされながら、『ダイ・ハード』の流れを汲むマッチョ系アクション映画としても見れるという二刀流でメガヒットを記録した。 そしてサンドラー、クリス・ロック、デヴィッド・スペード、ロブ・シュナイダーら人気コメディ俳優が集結した同窓会コメディ『アダルトボーイズ青春白書』(10年)を経て公開されたのが本作『Mr.ズーキーパーの婚活動物園』だったというわけだ。 その後もケヴィンは、総合格闘技に挑戦する教師に扮したアクション・コメディ『闘魂先生 Mr.ネバーギブアップ』(12年)やそれぞれシリーズの続編となる『アダルトボーイズ遊遊白書』(13年)と『モール・コップ ラスベガスも俺が守る!』(15年)、そしてサンドラー主演のSFXコメディ『ピクセル』(15年、何と米国大統領役!)といったヒット作に立て続けに出演。一方で16年からテレビに逆上陸し、製作も兼ねたシットコム『Kevin Can Wait』に主演して人気を博している。つまりケヴィンはかれこれ20年以上もコメディ界の第一線に立ち続けていることになる。 同世代でこれだけコンスタントに長期間活躍しているコメディ・スターは前述のサンドラーやベン・スティラーくらいだろう。ふたりに比べると日本では知名度がだいぶ下がるけど、これはもはやコメディ・レジェンドとして扱っていいレベル。見かけはどこにでもいそうなデブだけど、実は頭が切れるスマート・ガイ、それがケヴィン・ジェームズなのだ。 そんな彼のパーソナリティに動物たちのチャームも加味された『Mr.ズーキーパーの婚活動物園』はケヴィン初心者にとって入門編にふさわしい作品だと思う。ヒロインのロザリオ・ドーソンとのコンビネーションの良さも心に残る仕上がりだ。 ZOOKEEPER, THE © 2010 ZOOKEEPER PRODUCTIONS, LLC. All Rights Reserved
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NEWS/ニュース2017.01.27
世界中が待ち望んだ!『チェイサー』『哀しき獣』のナ・ホンジン監督、最新作。3月11日(土)公開『哭声/コクソン』の日本最速!ティーチイン付きプレミア上映会レポート!!
5年3ヶ月ぶりの来日となるナ・ホンジン監督と、日本を代表する俳優であり、本作では「よそ者」という謎の男で作品を引っ張る國村隼さんのQ&Aのコーナーを(ほぼ)全文レポートさせて頂きます! ※ネタバレを含む部分があります!該当部分には警告がございますので 注意の上ご一読頂ければ幸いです!! ザ・シネマでは3月、ナ・ホンジン監督の過去作『哀しき獣』と『哭声/コクソン』でもその演技で深い印象を残す、韓国映画界の大スター、ファン・ジョンミンが人気を不動のものにした『新しき世界』を特集放送。『哭声/コクソン』公開連動特集もお見逃しなく! 司会:では、ナ・ホンジン監督、5年3か月ぶりの来日となります。國村さんもいらっしゃっています。さっそくお呼びしようと思います。『哭声/コクソン』から、國村隼さん、そしてナ・ホンジン監督です。拍手でお迎えください。 ではまず、お二人にご挨拶を頂戴したいと思います。まず國村さんからお願いします。 國村隼(以下、國村):こんばんは。今日は本当にありがとうございます。映画をご覧になった後のお客さんの前に出てくると、ほんとにちょっとドキドキしますが、ちょっとホッとしました(笑)。この日本で、一番最初にこの『哭声/コクソン』をご覧になって下さった皆さんです。本当にもう嬉しくて、嬉しくて、皆さんお一人お一人をハグしたい気がします。今日は本当にありがとうございます! ナ・ホンジン監督(以下、監督):こんばんは、ナ・ホンジンです。お会いできて嬉しいです。足を運んで頂き誠にありがとうございます。映画の上映時間が結構長かったと思うのですが、お待ち頂き本当にありがとうございます。トイレとかは大丈夫でしょうか(笑)? シナリオから6年くらいをかけて作った映画なのですが、皆さんにお見せできるこの時間を迎える事ができて、本当に嬉しく思います。この後のQ&Aの時間もベストを尽くして挑みますので、よろしくお願い致します。 司会:ありがとうございます。では、お二人には(椅子に)おかけ頂いてお答えいただこうと思います。今日は立ち見のお客様もいらっしゃいます。ではさっそくいきましょうか。すでにリドリー・スコット監督の製作会社からリメイクのオファーが入ったとの事ですが、韓国サイドの代表の方が「この題材を撮れるのはナ・ホンジン以外いない」と明言されたとお聞きしました。もし、監督にハリウッドからリメイクのオファーが来たら、もう一度本作を撮ろうと思われますか?その場合、また國村さんを起用されますでしょうか?また、國村さんはハリウッドからリメイクのオファーがもし入ったらどうされますか? 監督:スコット・フリー(スコット・フリー・プロダクションズ※リドリー・スコットの製作会社)から連絡があったという事は聞きました。でも、対応の方が「演出できるのはナ・ホンジンしかいない」と冗談半分で言ったのだと思います。でも自分に要請が来たとしても、リメイク版を演出するつもりはありません。でも隼さんはこの映画に重要な方なので、必ず必要になると思います。ですのでオススメしたいと思います(笑)。 國村:あの…。オススメされてもやはり、ナ・ホンジンがメガホンを取らないのであれば、私もやることは多分ないんじゃないかと思います(笑)。 監督:では両方ともしないということにします(笑)。 司会:ここでやんわりお断わりが入りましたね(笑)。これまでのナ・ホンジン監督の過去作『チェイサー』や『哀しき獣』は、どちらかというと社会派サスペンスの様な作品だったと思いますが、本作はどちらかというと、ちょっと表現しにくいのですが「オカルト」の様な印象です。どちら(の作風)が監督が嗜好されていた作品、作りたいと思うものだったのでしょうか?教えて頂きたいと思います。監督:この『哭声/コクソン』という映画は、前2作を撮った後に、もう少し自分らしく、自由に、やりたい様に作りたいという意欲が昂ぶった時に作った作品なので、自分のスタイルのままに作った、ありのままに作った、よりやりたいものに近い作品だと思います。 司会:今回、監督が國村さんを起用された理由は何でしょうか?日本では非常にベテランの俳優さんで、悪役から非常に良い方の役まで演じてらっしゃいますが、一番の決め手は何だったのでしょうか?それと國村さんは、ナ・ホンジン監督の現場で一番印象に残っている事はなんでしょうか? 監督:シナリオが出来上がった時に、日本人の俳優が必要だということになり、國村さんと同年代の俳優さんを沢山調べました。既に國村さんという存在を存じ上げておりましたし、ずっと尊敬し続けていた俳優さんであったのですが、(探す過程で國村さんの)全作品を集中して見続けているうちに、ある特徴に気づきました。それはカットごとに自分の演技だけで既に編集され尽くされている様な演技をされるなぁという事でした。カットの中で、自由に演技をされているところが、とても素晴らしいと思ったのです。 で、この『哭声/コクソン』の中で、(國村さん演じる)「よそ者」という役は、お客さんに「この人物ってどういう存在なんだ?」という疑問を投げかける、とても重要な存在なんですね。その役をやり遂げるのはやはり隼さんしかいない、國村さんしかいないという確信を持って、日本に来てオファーをさせて頂きました。 國村:最初にオファーを頂いて、彼の前作『チェイサー』と『哀しき獣』そしてもちろん(本作の)脚本を読ませて頂き、もうその段階で「このナ・ホンジンという人はとんでもない才能だな」と実感していました。いざ、現場に入り一緒に撮影をしていく中で、最初に思っていた以上に「この人はもう才能のカタマリがそのまま人の形をしている様な人だな」と感じました。 というのは、現場でテイクを撮っていくんですが、この人はなかなか終わらないんです。1つテイクをとり終わった後、最初の基本のビジョンから新たにどんどんイメージが湧いていくタイプの方で、その自分の中で膨らむイメージを、「もっともっと」と、テイクを重ねる、という様な事がありました。 ただ、むやみやたらに重ねるのではないんです。自分の中のイメージの膨らみ、その膨らみこそがすごい才能だと思います。それを現場で目の当たりにして、やっぱり想像以上にすごい人だと、そういう風に思いました。 昨年、ソウルで『哭声/コクソン』を観させて頂きました。朝一で観たんですが、その日一日ブルーな気持ちになってしまいました(笑)。方言が難しくてあまり理解ができていなかったのですが、今日改めて拝見してさらにブルーになりました(笑) 司会:私は、ファン・ジョンミンさんのファンなのですが、國村さんは、現場でどの様なお話しをされましたでしょうか?何かエピソードがあれば教えて頂きたいです。 國村:ファンさんとは、画面の上でやり合ったりする事はなかったので、撮影の現場を一緒に過ごした事はあまりないのですが、その少ない中でも、彼はやっぱり、韓国の役者さんってみんなそうなんですが、映画の世界に来るまでにものすごく色々なスキルを重ねてらっしゃる。彼もまた、学生時代に演劇というものを始めて、それからこの世界に入り、映画の世界に行くまで様々な経験を重ねてらっしゃった様です。だから当然のごとく、経済的にもとても苦労した、という様な話しを、「ああ、なんかその辺は日本の役者の事情と非常に似ていて面白いな。一緒なんだな。」と思って。もちろんファンでいらっしゃるので、ご存知だと思いますが、韓国の大スターでらっしゃいます。けれども全然驕るところのない方で、本当に色々なキャラクターを演じられます。今回の役も明らかですが、どこかにファンさん自身の、物事に対する真摯な人柄みたいなものがちょこっ、ちょこっと出てくる。そのまんまの人です。あの人は。はい。 司会:ナ・ホンジン監督は、キャスティングに関して何か基準があれば教えて頂きたいと思います。 監督:一番その役にふさわしい(正しい)という役者さんを選びます。(出演する)それぞれの俳優さん達のバランスというのも一番注意する部分の1つです。それぐらいが自分の原則と言えるところです。 先ほどのファン・ジョンミンさんのエピソードに関して補足を入れさせて頂きますが、國村さんとファン・ジョンミンさんが映画の中で実際会うシーンは「ない」と言っても過言ではありません。もともとワンシーンだけ二人が会うシーンがあったのですが、それすら自分が編集の過程でカットしたので、映画の中で二人が会うシーンは無かったと思います。 司会:キム・ヨンソク(『チェイサー』主演)さんが、「甲板の上から飛び込みさせられたが、そのシーンがあまり映っていなかった」という様な事をおっしゃっていましたが、監督は國村さんの事をソンセンニム(先生)とお呼びになるほど尊敬されていらっしゃる様です。目上の方に結構無理な事をお願いするのは大変じゃなかったのかな?と思いました(笑)。韓国では年上の方に敬意を払われるので、裸にしてしまったり、結構いろんな事を、國村さんにさせてらっしゃるので(笑)。國村さんもそういう大変なシーンについては、どの様に思われているか教えて下さい(笑)。 監督:本当に申し訳なかったと思っております(笑)。ただ、シナリオがそういう風に出来上がっていたので、自分としてもどうしようもなかった、というほかありません。大変な思いをされるシーンが多かったことについては、撮影以外のところでなんとかケアをする為に、最善を尽くしたつもりであります。自分なりに頑張りました(笑)。今でも申し訳なかったと思っています。もしこの映画が日本で良い成績を残せなかったら、自分自身になんと言ったらよいかわかりませんが、良い結果を残せたらいいなと思っております。撮影を通して、沢山の事を、國村さんから学び、驚き、感嘆する事が多くありました。またそういった撮影の過程を通して、さらに尊敬し、大好きになりました。謝罪と感謝の気持ちをこの場でまた、述べさせて頂きたいと思います。 國村:なんか気恥ずかしいですね(笑)。 私もまさに監督が今おっしゃった様に、台本の中でもう、「こういう事をしなければいけない」という事が予め分かっていたので、それを理解した上でオファーを受けました。ただ一番引っかかったのは、「あれ?俺、ひょとして、このカメラの前ですっぽんぽんになることなんて出来るのかな?」という事でしたが、「この『哭声/コクソン』という作品の世界観はすごいな、そして、この男の役を僕以外の人がやっているのを見たくないな」、という気持ちが正直なところで、「観客の皆さんのご迷惑になる様なものを晒す事になっても、やってみよう」と思った次第です。ですから、監督に「ひどいことをさせられてる!」という意識は全くありませんでした。あくまで自覚的にその世界に自分から飛び込んだということです。 司会:韓国で賞もとられて、テレビで観ていてとても嬉しかったです!これからもご活躍をお祈りしております! 國村:ありがとうございます。 <場内拍手> 司会:ちなみに個人的にお聞きしたいのですが、ふんどし…姿じゃないですか? 國村:あ、言い忘れました!最初の脚本はすっぽんぽんだったんです! 司会:発案は國村さんからされたんですか? 國村:いえいえ。やっぱり韓国にも映倫に相当する様な組織があるらしく、やっぱりそらーまずかろうという(笑)それで「日本でいったらなんだ?」という事で、「そらふんどしだろう」と。劇中で、あるおじさんが「おむつ」って言ってますけど、多分見まがうという事もあったんでしょうね(笑) 司会:それじゃあ、日本で言ったら「ふんどし」だろうということで、あのセリフも付け加えられたんでしょうね。 司会:素晴らしい映画を有難うございました。監督に質問なんですが、この映画は観る側の想像に委ねる部分が沢山あると思います。監督の中で、國村さんが演じられた役については、細かい設定等は考えてあるのでしょうか?また、國村さんに質問なのですが、今回の役について、國村さんなりの解釈や背景は設定されて役作りをされたのでしょうか? 監督:映画を通して(國村さん演じる)「よそ者」はずっと観客に質問を投げかけ続ける立場にあります。これは映画そのものが観客に質問を投げかけるという設定なんですが、映画を観終えた方にもまだなお「「よそ者」をどう思いますか?」とずっと質問を投げかけ続ける映画であります。この「よそ者」というキャラクターはとても重要なのですが、その理由として、劇中の他の登場人物たちの「よそ者」に対する考えがどんどんどんどん変わってくるんです。「よそ者」に対するイメージが固まらない。まとまらないものが、まとまりつつある映画なんですが、その解釈が一人一人違うんですね。だから、「たった一つの解釈で定義するものではない」というのがこの映画の特徴であります。なので、自分自身もキャラクターを一言で定義することはできません。観客の皆さんがどんな解釈をしていようが、全ての解釈が合っていると、自分は思っています。この映画は観客の皆さんが自分で整理して完成させる。そういう映画であることを期待しております。 國村:「その男」をやるにあたって私が考えた事を申し上げます。良く言われる「役作り」という様なアプローチは機能しない、もっと言えばご覧になってわかる様に、 ※※ここからネタバレを含みますので、本編をご覧になる前の方は絶対にお読みにならないで下さい!!※※ あれは実在するものでないかもしれない。つまり、人でもなければ、何かのエネルギー体なのか、本当に存在するのか?確かな事は、「この男を見た」という奴の「噂」の中に、あの男がいるということです。最後、イサムという牧師の若者が、自分が見ている目の前の存在に、「お前はどう思う?」と逆に聞かれた時に、「お前は悪魔だ」と言った途端、すっとそこに悪魔として現れる。存在しているのかどうかもわからない、そういうイメージなんですね。ですから、その存在自体が本当に有るのかどうかも分からないものを、どう作ろう、なんてことは全く無理な話しであって、無理やり1つ何かを言葉を与え、自分の実感を伴ったイメージを与えようとした時に、このお話しの中で、あのキャラクターの「存在意義」というか「役割」というのは一体なんだろう?と。そこからアプローチした方がいいかなと思いました。 例えばですが、コクソンという片田舎の小さな町のコミュニティを池に例えて、そこにぽんっと放り込まれた、異物としての石ころ。その石ころが、ぽんっと池に投げ込まれる事によって起こる波紋。みたいなものだと。つまり無理やりに「(その男とは)なんだ?」と言われると、「池に投げ込まれる石」かもしれない。そんな事を注意しました。 司会:最後までドキドキする映画で、でもその中に笑いの要素もあり、そこが救いで良かったです。キャスティングも皆さん素晴らしかったですが、監督と國村さんから見た、現場でのチョン・ウヒさんの印象をお聞かせください。 國村:彼女も若いですが、舞台からの経験を積んで、素養をきっちりと身に付け、女優さんとして本当にクオリティが高いなと思いました。何より彼女は例えば「ムミョン」というキャラクターを自分がどういう風に捉えているかも含め、それをきちんと言葉にして喋る事ができる。やっぱり若いけどクオリティの高い女優さんである、というのが僕の印象です。 監督:たくさんの女優さんがオーディションを受けた中で、チョン・ウヒさんを選んだ理由というのは、彼女が最適な女優さんだからです。外部から見えるものではなく、その方が持つ『技』という面で、ものすごい力を感じました。私はこの役には「見せる力」があってほしいな、と思っていました。その理由としましては、2時間半の上映時間の中、全ての登場人物のバックグラウンドにあるものは「コクソン」という地名なんですが、その「コクソン」という地域の中に存在する、「神」というものを直接描写することはしなかったんです。しかし、観客に、無意識的に「神」という存在を感じさせる様な描写をしたかった。「神」を描写する手段としては、BGMや後ろの背景、時間や天気の変化を通して、観客にも届くのではないかと思っていました。チョン・ウヒさんを通して皆さんに伝えたかったんです。出演の場面もセリフも少ないのですが、映画の緊張を持続させる力がある役者が必要だと思っていたので、彼女を選びました。また現場では、すごくかわいらしい、妹の様な存在で、映画をご覧になった方はお分かりになると思いますが、期待以上にパワフルな演技をして下さいました。 司会:監督がなぜキャスティングも含めて、天気にそんなにこだわっていたのか、今の答えでもわかりました。「神」を感じさせるという。お時間の方が来てしまいましたので、公開は3/11なのですが、最速で観て頂いた皆さんにご挨拶を頂ければと思います。 國村:今日は本当にいらしていただいてありがとうございます。ほんとは最初に聞こうと思っていたのですが、どうでした? <場内拍手> ああ、良かった!!楽しんで頂けたなら本当に良かったと思います!で、ここからはお願いでございます。この『哭声/コクソン』という映画は今までには無かった映画だと思います。カテゴライズできない映画。映画の新たな楽しみ方が、この『哭声/コクソン』だと思います。ぜひお友達にこういう体験をさせてみたい、と思った方はお友達とまた一緒に観に来て下さいね。今日はありがとうございました! 監督:監督としての未練というのはあると思うのですが、この『哭声/コクソン』を作り上げた後に、「一抹の未練もない!」と言い切れます。ナ・ホンジンという監督の全てを注ぎ込んだ、未練が残らない作品と言えます。どんな評価を皆さんから頂こうが、それを全部受け止める所存であります。そんなナ・ホンジンという監督が6年をかけて全てを注ぎ込んで作った映画なので、周りのお友達に、「こういう監督が6年もかかって作った映画」だとお伝え下さい。長い間ご一緒頂きありがとうございました! 司会:ということで、ナ・ホンジン監督、國村隼さん、もう一度大きな拍手でお見送り下さい。ありがとうございました!!数日前にこの作品拝見して、どこか喉につかえたものがあったのですが、皆さんの質問、そしてお二人の回答によって、半分くらいは自分の中で咀嚼できたかなと思いました。そんな映画体験をさせてくれる作品というのは、今の上映作品の中でも珍しいと思います。3月11日公開ですが、公開後も応援して頂ければ幸いです。本日はご来場本当にありがとうございました。気を付けてお帰り下さい。 <終了> ■ ■ ■ ■ ■ 監督:ナ・ホンジン出演:クァク・ドウォン、ファン・ジョンミン、國村隼、チョン・ウヒ2016年/韓国/シネマスコープ/DCP5.1ch/156分©2016 TWENTIETH CENTURY FOX FILM CORPORATION配給:クロックワークス 公式サイト:http://kokuson.com/公式Twitter:@ kokuson_movie公式Facebook:https://www.facebook.com/kokuson0311 2017年3月11日、シネマート新宿他にて公開
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COLUMN/コラム2017.01.26
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2017年2月】キャロル
v動物園の飼育員グリフィンの婚活を、言葉を話せる動物たちが全力でサポートする!?人気コメディアン、ケヴィン・ジェームズ主演で贈るハートウォーミング・ラブコメディ。 奥手な中年男のグリフィンは動物園の飼育員。超イケイケの恋人ケイトに「結婚相手に動物園の飼育員はイヤ」とあっさりプロポーズを断られてしまう。振られたショックを5年も引きずった挙句諦めきれないグリフィンは、再び彼女にアタックするため転職を考える。ところが、自分たちにとって最高の飼育員を失うことに危機を感じた動物園の動物たちは、彼の転職を阻止しようと必死になるあまり、なんと“掟”を破って人間の言葉で彼に話しかけるのだった!ケイトとうまくいけばグリフィンは動物園を辞めずにすむと考えた動物たちは、グリフィンを男前に仕立てるべく一生懸命応援するのだが、動物本能むき出しのアドバイスはどれもこれも的外れ。それどころか、ケイトのハートを射止めるためにイケイケになろうとしたグリフィンは、動物たちの努力むなしく高級車ディーラーに転職してしまう。自分らしさをすっかり失ってしまったグリフィンだったが、ついにケイトから逆プロポーズされる日が来て・・・! 見てくれや社会的地位に振り回されなくても、人間、中身が大切だよね。と、動物たちに教わる心温まるコメディ。それはそれとして十分楽しめるこの作品、実はシルヴェスター・スタローンやニック・ノルティといった超豪華キャストが動物たちの声を熱演しているのです!普段はいぶし銀な彼らの、ファンキーでちょっと笑える演技も見どころ。ぜひ2月のザ・シネマ、バレンタイン特集でお楽しみ下さい! ZOOKEEPER, THE © 2010 ZOOKEEPER PRODUCTIONS, LLC. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2016.12.09
テッド
1985年。友達がひとりもいない8歳の少年ジョンは、両親からクリスマスにテディ・ベアをプレゼントされて大喜び。(安直に)テッドと名づけたジョンはある晩、夜空の星にお祈りした。「テッドが言葉を喋れたら楽しいのに」 翌朝、ジョンはビックリした。テッドが「僕をハグして!」と話しながら抱きついてきたのだ。少年の祈りが起こした奇跡は全米に報じられ、取材が殺到して大騒動に! そんなオープニングから始まる『テッド』は、しかしその大騒動を描いた映画ではない。物語は一気に27年後の現代へとジャンプする。今ではテッドは街中で歩いたり話したりしていても誰も驚かない”過去のスター”状態で、マリファナとテレビが何より好きなボンクラ・クマでしかない。 35歳になったジョンもサラリーマンとして地味な毎日を送っていたが、彼の方には誇れるものがあった。美女のロリーと付き合っているのだ。ロリーの方もジョンにはぞっこんなのだが、子どもの頃から一緒のジョンとテッドの間には入り込めない。遂に「私とテッドどっちを取るの?」とジョンに選択を求めてしまう。結果、テッドはジョンと別に部屋を借りてスーパーで働く自立の道を強いられることになるものの、相変わらず二人は仲良しなのだった。 そんなある夜、テッドの興奮した声に誘われたジョンはロリーとの約束をすっぽかして、テッド宅で開かれていたパーティでワイルドな時間を過ごしてしまう。それが原因でロリーに愛想をつかされたジョンはテッドとも仲違い。「お前のせいで俺の人生はメチャクチャだ!」はたして3人は元通りの関係に戻れるのだろうか…。 『テッド』は、30代男とテディ・ベアの友情を描いた、ありえないコメディだ。脚本と監督、そしてテッドの声の三役を担当したのは、セス・マクファーレンという人物で、これがハリウッド・デビュー作となる。とはいえ、彼のキャリアはそれなりに長い。73年にコネチカット州で生まれたマクファーレンは、名門美大「ロード・アイランド・スクール・オブ・デザイン」卒業後に『原始家族フリントストーン』や『チキチキマシーン猛レース』で知られる名門ハンナ・バーべラ・プロダクションに入社。アニメーターとしてキャリアのスタートを切っている。 そんな彼が飛躍を遂げたのは99年のこと。フォックステレビのコメディ番組「MADtv」で手掛けたアニメパートが局の上層部に認められ、自身が製作、監督、脚本、原画、声を務めるアニメシリーズ『ファミリー・ガイ』の放映を開始することになったのだ。これが大ヒットしたため、05年から『American Dad! 』、09年から『The Cleveland Show』もスタート。一時は3本のアニメをフォックステレビで放映する”ミスター・フォックス”として君臨していた(現在も2本が放映中)。 これだけならマイク・ジャッジやトレイ・パーカー&マット・ストーンといった才人たちが他にもいるのだけれど、マクファーレンのユニークなところはレトロ志向を併せ持っていること。彼は、フランク・シナトラをはじめとするジャズ・ヴォーカリストを偏愛しているのだ。その愛がこうじてジャズ・シンガーとしても活動を開始。フルバンドをバックにスウィングの名曲を歌いまくった11年のアルバム『Music Is Better Than Words』はグラミー賞のベスト・トラディショナル・ポップ・ヴォーカル・アルバムにノミネートされた。13年にはクリスマス・ソングを歌った『Holiday For Swing』、15年にも『No One Ever Tells You』も発表している。『テッド』は、テレビアニメとジャズ・ヴォーカルという不思議すぎる二刀流で活躍していたマクファーレンが、満を侍して発表したハリウッド・デビュー作なのだ。 彼は当初この作品をアニメとして構想していたそうだが、実写が可能になるまでCG技術の発展を待とうと考え直したらしい。その判断は正しかった。薄汚れたクマのぬいぐるみが、現実世界で毒舌を吐いたりマリファナ吸ったりセックスしたり(なぜかする!)している姿はそれだけで最高におかしい。ムーヴは完全にオッさんのそれだけど、元々テディ・ベアなので微妙に可愛いらしいという、バランス感も絶妙だ。 ジョンとの友情物語は、ジャド・アパトーが確立させたロマンチック・コメディの物語構造を男同士の友情に当てはめた”ブロマンス映画”からの影響大ではあるけれど、人間とぬいぐるみに当てはめたことで”少年はテディ・ベアと別れて大人の男になれるのか?”という新たな意味合いを物語に与えている。 主人公ジョン役は、アクション・スターのイメージが強いものの、『アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!』や『デート & ナイト』でコメディもイケることを証明していたマーク・ウォルバーグ(本作以降は『ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金』『パパVS新しいパパ』など、コメディ作はウォルバーグのキャリアにとって重要な柱となる)。またロリー役には、『ファミリー・ガイ』の声優としてマクファーレンと13年間も仕事をしてきたミラ・クニスが扮している。 ノラ・ジョーンズやライアン・レイノルズといったスターが本人役で登場するシーンも見どころではあるけど、それ以上にあのサム・ジョーンズが本人役で登場してストーリー上重要な役割を果たすことが本作最大のチェック・ポイントだろう。そもそもジョンがロリーとの約束をすっぽかしてテッドのパーティに行ってしまった理由こそ、「いま家でパーティを開いているんだけど、サム・ジョーンズが来ているんだ!」とテッドに言われたからなのだ。 ここで「サム・ジョーンズって誰?」という疑問が浮かんでくるかもしれない。答えは「あの『フラッシュ・ゴードン』の主演俳優」である。『フラッシュ・ゴードン』はもともと新聞に連載されていたスペースオペラ漫画で、あの『スター・ウォーズ』にも影響を与えたとされる古典作だった。80年には『スター・ウォーズ』人気に便乗する形で実写映画化されている。ところが古臭いストーリー(無理もない、原作が書かれたのは第2次大戦前なのだから)とチャチなSFXが災いして興行的に大失敗。主演に抜擢されたサム・ジョーンズはこれっきりで過去の人になり、今ではクイーンが担当したサントラ以外は話題にすらのぼらない黒歴史映画になってしまっている。 なのにジョンは子どもの時に観て以来、『フラッシュ・ゴードン』こそが史上最高の映画と信じて疑わない。だからパーティでサム・ジョーンズに会うと大興奮してしまう。これ以降の展開が笑える。映画のBGMはクイーンのサントラばかりになり、ジョーンズ本人が大暴れするのだ! 三十男のくせにテディ・ベアとツルみ、『フラッシュ・ゴードン』を愛してやまないジョンは確かに滑稽である。だが、もしそれらをもう少し格好良さそうなもの、たとえばアクション・フィギュアや『スター・ウォーズ』に置き換えたらどうだろう? 笑えないという人は多いのではないか? 子ども時代の大好きなものへの依存を未だに止められない人間は、皆ジョンと同類なのである。映画を観た者はそんな真実をマクファーレンからそっと教えられ、爆笑しながらも(心の中の)頬に涙が伝っていることに気がつくのである。 ちなみに映画の舞台は、マクファーレンが大学時代を過ごし、ウォルバーグの故郷でもある街ボストン。水族館やボストン・レッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークといった実在の場所でのロケ撮影が、この破天荒なコメディにリアリティを与えている。 © 2012 Universal City Studios
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COLUMN/コラム2015.12.10
男たちのシネマ愛②愛すべき、味わい深い吹き替え映画(3)
なかざわ:以前にマンディ・パティンキン(注30)という、舞台でトニー賞(注31)の主演男優賞も取ったことのあるユダヤ系の有名な俳優にインタビューしたことがあって、彼が面白いことを言っていたんです。彼はテレビドラマの「HOMELAND」(32)で、ヒロインであるCIAアナリストのキャリーの上司ソールという人物を演じているんですが、これがシリーズの始まった当初は善悪の区別がつきにくい人だったんですね。で、あなたはソールを善人として演じているのか、それとも腹にイチモツある男として演じているのかって尋ねたところ、こう切り返してきたんです。ヒットラー(注33)とムッソリーニ(注34)とガンジー(注35)とマザー・テレサ(注36)の共通点はなんだか分かるかい?って。彼らは自分の住む世界をより良いものにしようとしたんだよ。確かにヒットラーやムッソリーニの考え方には賛同しないが、しかし彼らが自分自身を悪人だと思っていたかというと、決してそんなことはないはずだと。だから、私は自分が演じる役を善人だとか悪人だとか決めつけて演じたりはしない、って言うんですね。 飯森:演技者というのは哲学に行きますね。人間とは何か、人生とは何かを突き詰めて芝居を考えていくと、おのずと哲学的になっていくと思うんですが、一方で舞台演劇の世界では、悪役はこう、怒ってる時はこう、というルールを守って演じなくてはいけない。でないと客席から見えないんで。その違いなんでしょうね。だから、内面を掘り下げるアメリカ人の演技に日本の演技者の舞台劇的な声が乗っかると、なかざわさんの仰るような違和感は当然生まれるんでしょう。それは確かに吹き替え版のデメリットかもしれません。 なかざわ:ただ、日本の吹き替えバージョンって、欧米に比べると圧倒的に完成度が高いですよね。例えば、イタリアってそもそも昔から全ての映画がアフレコで、しかも演じている役者本人とは別人が声を当てていることも少なくないんですよ。 飯森:香港映画も同じですね。 なかざわ:すると、果たしてオリジナル音声って何なんだって話になってくるんです。例えばイタリア映画でクリストファー・リー(注37)が出ていたりすると、英語バージョンは本人が声を当てているけれど、イタリア語バージョンは別人が吹き替えている。特に彼は声が特徴的だから、別人の声だと違和感ありありです。その一方で、共演のイタリア人俳優たちの場合は全く逆。イタリア語バージョンは本人の声で、英語バージョンが吹き替えになります。ちなみに、イタリア映画がアフレコ中心になってしまった理由は、撮影機材の問題なんです。今はどうか知りませんが、昔からイタリアで一般的に使用されてきた撮影カメラって音がデッカイらしいんですよ。だから、そもそも現場の音が録れない。フレッド・ウィリアムソン(注38)がインタビューでビックリしたって言ってましたもん。最初から音を録るつもりがないから、本番中でも周りでスタッフが好き勝手に話したり飯食ったりしているんだって。それに、’80年代頃まではイタリア映画って輸出産業だったから、各国向けに幾つもの外国語バージョンを作っていた。キャストの国籍もバラバラだったから、現場でも役者はそれぞれの母国語でセリフをしゃべっていたらしいんですよ。そうすると、全部まとめてアフレコにしちゃった方が便利ですよね。そういった事情もあって、ローマにはアフレコ専門のスタジオがあって声優さんがいて、輸出用の外国語バージョンを作っていたみたいですね。 飯森:その辺の事情は、実はうちで放送する「バーバリアン怪奇映画特殊音響効果製作所」(注39)っていう映画に詳しく出てくるので、是非ともご覧になって頂きたい(笑)。イタリアの音響効果スタジオにイギリス人の技師さんが呼ばれて、ジャロ映画(注40)の音響を作ることになるのだけれど、そこでいろいろと嫌な目に遭うというホラー映画なんですけれど、イタリア映画の音響に関して、まさにそのままメタ映画になっているんです。 なかざわ:乞うご期待ですね! 飯森:ただ、そういうのが逆に良かったりもするんですよ。典型的なのはマカロニ・ウエスタン(注41)ですね。日本語版だと納谷悟朗(注42)さんとか山田康雄(注43)さんなどの名優たちが素晴らしい吹き替えを残していて、それはそれでいいんだけれど、あのイタリア語版のアフレコならではの安っぽさも捨てがたい。絶妙にリップシンク(注44)がズレていたりとかね(笑)。 なかざわ:いい感じにクオリティーが低いんですよ。声優も下手っクソな人が紛れていたりとかして。 飯森:どの位置にマイクがあって録音しているんだ?と首を傾げてしまうような、要するに雑な録り方をしている。全く自然に聞こえないんですよ。そういう雑な仕事ぶりが、明らかにアメリカじゃないだろうという、マカロニ・ウエスタンの映像と絶妙なハーモニーを奏でるわけです。 注30:1952年生まれ。俳優。主に舞台で活躍。映画の代表作は「愛のイエントル」(’83)や「トゥルー・カラーズ」(’91)など。注31:ブロードウェイの優秀な作品や人材に贈られる舞台版アカデミー賞。注32:’11年より放送中。CIAアナリストのキャリーを主人公に、米国の対テロ工作の最前線を徹底したリアリズムで描く。注33:1889年生まれ。ドイツの政治家。ナチスの指導者として独裁体制を敷いた。1945年没。注34:1883年生まれ。イタリアの政治家。国家ファシスト党を率いて一党独裁体制を敷いた。1945年没。注35:1869年生まれ。インドの政治指導者。インド独立の父と呼ばれる。1948年没。注36:1910年生まれ。ルーマニアの修道女。慈善活動でノーベル平和賞などを受賞。1997年没。注37:1922年生まれ。俳優。代表作は「吸血鬼ドラキュラ」(’58)や「007 黄金銃を持つ男」(’74)、「ロード・オブ・ザ・リング」(’01)シリーズなど。「顔のない殺人鬼」(’63)などイタリア映画への出演も多い。2015年没。注38:1938年生まれ。俳優。「ブラック・シーザー」(’73)などの黒人アクション映画で大ブレイク。「地獄のバスターズ」(’76)や「ブラック・コブラ」(’87)などイタリア産アクションへの出演も多い。注39:2012年制作。日本ではシッチェス映画祭ファンタスティック・セレクション作品として公開。トビー・ジョーンズ主演。注40:’60年代~’80年代にかけて世界中で一世を風靡したイタリア産猟奇ホラーの総称。注41:’60年代~’70年代に世界的な大ブームを巻き起こしたイタリア産西部劇の総称。注42:1929年生まれ。声優。「宇宙戦艦ヤマト」の沖田艦長や「ルパン三世」の銭形警部で有名。2013年没。注43:1932年生まれ。声優。「ルパン三世」のルパン役のほか、クリント・イーストウッドの吹き替えでも知られる。1995年没。注44:映像などにおいて口の動きと声がズレないこと。 次ページ >> “字幕原理主義”の影響で、みんな洋画を見なくなってしまった…(飯森) 『ゴッドファーザー』COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED. 『ゴッドファーザーPART Ⅲ』TM & COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED 『レインマン』RAIN MAN © 1988 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved 『バーバリアン怪奇映画特殊音響効果製作所』©Channel Four Television/UK Film Council/Illuminations Films Limited/Warp X Limited 2012 『ファール・プレイ』COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2015.12.05
男たちのシネマ愛②愛すべき、味わい深い吹き替え映画(2)
飯森:僕はコメディーも吹き替え向きだと思っています。ギャグの場合は情報量だけじゃなくてタイミングの問題もある。字幕の2行目にオチが出てきちゃって、せっかくのギャグが台無しになっちゃうとかね。それと、これは日本語吹き替え擁護派の第一人者でもある漫画家のとり・みき(注6)先生に取材させて頂いた時に、聞いてなるほどと思ったことなんですが、字幕は画面の邪魔をすると。これって字幕派の人は案外気付いていない。吹き替えがオリジナルと違うというのであれば、なぜ字幕が画面に乗っている状態を良しとするのか。映像に集中したい映画であればあるほど、字幕は目障りになるんですよ。 なかざわ:ちなみに、海外は吹き替えが主流ですよね。アメリカ人なんか字幕っていうだけで敬遠する人が多いですし。 飯森:ヨーロッパでも外国映画は吹き替えが一般的みたいですよ。 なかざわ:吹き替えの事情って国によってまちまちですが、例えばアメリカではボイスアクターという職業自体はありますが、それでも声優を専門にしているわけじゃない。俳優としての仕事が少ないから、声優をやらざるを得ないというケースが多いんですよ。なので、今の日本みたいに最初から声優を目指している人というのはあまりいない。以前に、セス・マクファーレン(注7)が作っている「ファミリー・ガイ」(注8)というテレビアニメの声優さんたちにインタビューしたことがあって、日本では声優の専門学校があるんですけどアメリカにもありますか?って尋ねたところ、そんなの聞いたことないねって言ってましたよ。 飯森:日本もそうだったんですけれどね。それこそ、「厳選!吹き替えシネマ」で取り上げているような昔の作品では、舞台をメインに活躍されていた劇団俳優さんが、声の仕事ももらってやっていた。だから、有名な方の中には声優と呼ばれることを嫌がる人もいて。声だけやってるわけじゃない、総合的な演技者だからと。でも、その後のアニメから発生した声優ブームのおかげもあって、だいぶ意識はかわりましたよね。 なかざわ:面白いのは、イタリアだと日本のオードリー・ヘプバーン(注9)=池田昌子(注10)さん、刑事コロンボ(注11)=小池朝雄(注12)さんみたいな感じで、特定のハリウッド俳優の声は専門の声優が吹き替えるという伝統があったらしいんですよ。今も同じなのかは分かりませんが。で、中にはハリウッド俳優並みにスター扱いされる人もいたらしいですね。 飯森:日本ではマニア用語で「フィックス」と言いますね。シュワルツェネッガー(注13)なら玄田哲章(注14)さんとか。でも、意外と侮れないのが屋良有作(注15)さんなんですよ。屋良さんといえば「ちびまる子ちゃん」(注16)の父ヒロシですけど、「コマンドー」(注17)とか「トータル・リコール」(注18)とかの頃はシュワちゃんもされていました。フィックスといっても、だんだん一本化されていくんでしょうね。あるいは複数の方でフィックスされることもありますし。例えば、ハリソン・フォード(注19)なら村井国夫(注20)さんか磯部勉(注21)さん。村井さんがやるとちょっとチャラく聞こえるけれど、磯部さんは激シブ。同じハリソン・フォードでも印象が全く変わるんです。村井さんの「インディ・ジョーンズ」(注22)はちょっと女たらしでお調子者だけど、磯部さんの「インディ・ジョーンズ」はダンディー極まりない。別の価値を持ったコンテンツとして両方楽しめるんです。賛否両論だと思いますが、吹き替え肯定派にとってはこれがいいんですよ。 なかざわ:最初に述べたように自分は字幕派だけど吹き替えも否定しませんし、オリジナル版よりも面白くなったというケースも実際にあるとはいうものの、それでも引っかかる点はあるんですよ。それがですね、例えば日本語の吹き替えだと悪人はいかにも悪人ぽいしゃべり方をすることって多くありません? その役柄のイメージをステレオタイプに当てはめて演じる声優さんが多いと思うんですよ。でも、アメリカの俳優は絶対にそんな演技はしない。確かに大昔はオーバーアクトな俳優も多かったけれど、今は“演技を演技に見せない演技”というのが良しとされています。なので、日本語吹き替えの大袈裟な台詞回しには違和感を覚えるし、場合によっては作品を台無しにしていると思うんです。 飯森:それは、’60年代後半から’70年代にかけて、アメリカでメソッド演技が主流になったことと関係しますよね。 なかざわ:リー・ストラスバーグ(注23)ですね、アクターズ・スタジオ(注24)の。 飯森:スーザン・ストラスバーグ(注25)のお父さん! なかざわ:いや、それ、我々以外だと分からない人の方が多いと思います(笑)。 飯森:まあ、要はロシアで発明された演技法ですよね。そもそも、古代ギリシアの昔からシェイクスピアやオペラを経て、人類は舞台での演技というのを培ってきたわけです。スポットライトを浴びて、客席に向かって芝居をする。2階席から見ても、何をしているのか分かるような感情表現を磨いてきた。ところが、映像が発明されてクロースアップが出来るようになると、そんな大げさな芝居はいらなくなったわけです。例えば、本当に人間が悲しんでいる時、それこそ芝居みたいに髪をかきむしったりなんかしないじゃないですか。 なかざわ:まあ、イタリア人だったら別かもしれませんけどね(笑)。 飯森:ラテン系の人は置いておいて(笑)。ごく普通の人はそんなことしない。だから、本当に悲しそうな演技をするためにはどうすればいいのか。それをどうすればフィルムに捉えることができるのか。そのノウハウを研究して生まれたのがメソッド演技なわけです。 なかざわ:いわゆるスタニスラフスキー・システム(注26)ですよね。 飯森:そこからアメリカでもニューヨークの演劇界なんかでメソッド演技を研究するようになり、マーロン・ブランド(注27)やアル・パチーノ(注28)ダスティン・ホフマン(注29)などが、そういう演技アプローチを取り始めた。ところが、日本ではそうならなかったわけです。日本は引き続き今でも、舞台演劇をやっている人こそ本格派だという信仰がある。 なかざわ:そのくせ舞台俳優ってあまりお金になりませんけどね。 飯森:僕は仕事柄、最近の邦画をほとんど見ないので、たまに近年の日本映画を見ると、芝居が大きくてビックリしちゃうんですよ。 なかざわ:本当にそうですね。もちろん、全員がそうではないですし、特にインディーズ系の映画だと自然な演技をされる役者さんも多いですけど。やはり演出家のセンスの問題もあるような気がします。 飯森:我々の感情とか生活の延長線上に物語があるんじゃなくて、完全に別物になっちゃっている。だから、そういうものと思って割り切りながら見ないと、僕みたいな洋画派が見るとビックリちやうんですよ。 注6:1958年生まれ。漫画家。代表作「クルクルくりん」「遠くへ行きたい」など。注7:1973年生まれ。映画監督、アニメ作家、俳優。テレビアニメの代表作は「ファミリー・ガイ」、実写映画の代表作は「テッド」(’12)シリーズ。注8:’99年より放送中の長寿テレビアニメ。田舎町に住む家族の日常を、下ネタや差別ネタ満載の過激なブラック・ユーモアで描き、アメリカでは常に保護者から俗悪番組と非難されている。注9:1929年生まれ。女優。代表作はアカデミー主演女優賞に輝いた「ローマの休日」(’53)、「マイ・フェア・レディ」(’64)など。1993年没。注10:声優。オードリー・ヘプバーンやメリル・ストリープの吹き替えで知られる。アニメ「銀河鉄道999」のメーテル役でも有名。注11:’68年から’03年まで制作された同名刑事ドラマ・シリーズの主人公。一貫して俳優ピーター・フォークが演じた。注12:1931年生まれ。俳優。「仁義なき戦い」(’73)シリーズなどの映画で活躍する傍ら、ドラマ「刑事コロンボ」などの吹き替え声優としても活躍。1985年没。注13:1947年生まれ。俳優。代表作は「ターミネーター」(’84)シリーズや「プレデター」(’87)など。注14:1948年生まれ。声優。シュワルツェネッガー本人から専属声優として公認されている。注15:1948年生まれ。声優。「ちびまる子ちゃん」のお父さんや「ゲゲゲの鬼太郎」のぬりかべなどアニメ声優として知られる。注16: さくらももこの原作漫画をアニメ化した国民的テレビアニメ。注17:1985年制作。娘を救うため宿敵と対決する元特殊部隊隊員をシュワルツェネッガーが演じる。マーク・L・レスター監督。注18:1990年制作。偽の記憶を植えつけられた工作員をシュワルツェネッガーが演じる。ポール・バーホーベン監督。注19:1942年生まれ。代表作は「スター・ウォーズ」(’77)シリーズや「インディ・ジョーンズ」(’81)シリーズなど。注20:1944年生まれ。俳優。「日本沈没」(’73)など数多くの映画やドラマで活躍し、声優としても定評がある。注21:1950年生まれ。俳優。NHK大河ドラマ「元禄太平記」などのドラマや映画で活躍。声優としてはハリソン・フォードやチョウ・ユンファでお馴染み。注22:スピルバーグ監督の同名映画シリーズでハリソン・フォードが演じた探検家。注23:1901年生まれ。俳優、演技コーチ。マーロン・ブランドやマリリン・モンロー、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノなど数多くの俳優に演技指導を行い、自らも「ゴッドファーザーPART Ⅱ」(’74)などの映画に出演。1982年没。注24:リー・ストラスバーグが設立したニューヨークの名門演劇学校。注25:1938年生まれ。女優。映画「女優志願」(’58)の主演で清純派スターとして大ブレイク。1999年没。注26:ロシアの演出家コンスタンチン・スタニスラフスキーが、’30年代に提唱して世界的に普及したリアリズム重視の演技理論。注27:1924年生まれ。俳優。アメリカ映画史で最も重要な俳優の一人。代表作は「波止場」(’54)や「ゴッドファーザー」(’72)など。2004年死去。注28:1940年生まれ。俳優。代表作は「ゴッドファーザー」(’72)シリーズや「スカーフェイス」(’83)、「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」(’92)など。注29:1937年生まれ。俳優。代表作は「卒業」(’67)や「クレイマー、クレイマー」(’79)、「レインマン」(’88)など。 次ページ >> 各国の事情を鑑みると、“オリジナル音声って何なんだ?”って話になる(なかざわ) 『ゴッドファーザー』COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED. 『ゴッドファーザーPART Ⅲ』TM & COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED 『レインマン』RAIN MAN © 1988 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved 『バーバリアン怪奇映画特殊音響効果製作所』©Channel Four Television/UK Film Council/Illuminations Films Limited/Warp X Limited 2012 『ファール・プレイ』COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2015.10.27
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2015年11月】おふとん
サミュエル・L・ジャクソン演じる孤独なブルース・マンのラズとクリスティナ・リッチ演じるSEX依存症の少女レイ。身も心も傷だらけのレイを救うためラズがとった手段は、鎖と監禁だった。 『バッファロー'66』で魅せた、突然冴えない中年男のところにやってきて、がっつりハートをつかむ少女役のリッチが再び!9年越しでも、その小悪魔っぷりは健在です。『モンスター』でもシャーリーズ・セロンを夢中にさせていましたね。 ちなみに『ブラック・スネーク・モーン』とは「黒い蛇のうめき声」という意味。うめき方すら知らない傷を負った人々はどうやって救済されていくのか。救済とはなにか。うなるブルースの音色も心地よい。 COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT VANTAGE, A DIVISION OF PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2015.10.05
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2015年11月】おふとん
サミュエル・L・ジャクソン演じる孤独なブルース・マンのラズとクリスティナ・リッチ演じるSEX依存症の少女レイ。身も心も傷だらけのレイを救うためラズがとった手段は、鎖と監禁だった。 『バッファロー'66』で魅せた、突然冴えない中年男のところにやってきて、がっつりハートをつかむ少女役のリッチが再び!9年越しでも、その小悪魔っぷりは健在です。『モンスター』でもシャーリーズ・セロンを夢中にさせていましたね。 ちなみに『ブラック・スネーク・モーン』とは「黒い蛇のうめき声」という意味。うめき方すら知らない傷を負った人々はどうやって救済されていくのか。救済とはなにか。うなるブルースの音色も心地よい。■ COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT VANTAGE, A DIVISION OF PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2015.04.08
なに、この普通人クオリティ!〜『宇宙人ポール』
この作品には今ハリウッドで「普通の人」を演じさせれば天下一品のジェイソン・ベイトマンも出演しているのだけど、二人と比べると彼すらもスターのオーラに満ち満ちているように見えてしまう。なぜ、これほどまでにドン臭く、オーラに欠けた(失礼!)二人が、SFコメディ大作の主演俳優の座に上りつめたのだろうか? 謎を解くにはそこから歴史を10年以上遡らないといけない。 二人が出会ったのは1999年に英国のロンドンで撮影された『SPACED ~俺たちルームシェアリング~』の現場でだった。「友人同士の男女が、カップルだと格安で借りれるアパートに正体を偽って入居したら、そこがオタクの巣窟になってしまった!」というプロットを持つこのシュエーション・コメディ番組は、それまでもいくつかのテレビ番組に出演していた当時29歳のコメディアン、ペッグにとって、企画、脚本、主演の三役を手がけた勝負作だった。 「監督は以前の仕事で知り合って親友になったエドガー・ライトに任せたから大丈夫。問題は自分が演じるSFオタクの主人公ティムの親友でミリタリー・オタクのマイクを誰に演じさせるかだ……」悩めるサイモンの前に現れたのが2才年下のメタボなコメディアン、ニックだったというわけだ。各話に織り込まれた膨大な「オタクあるある」や映画やテレビ番組のパロディがバカウケして、『SPACED』は英国でカルト人気を獲得。固い絆で結ばれたサイモン、ニック、エドガーの三人は映画進出を決意する。 こうして2005年に公開されたのが、サイモン(主演、脚本)ニック(主演)エドガー(監督、脚本)による『ショーン・オブ・ザ・デッド』だった。舞台はサビれた地方都市。サイモン扮する主人公ショーンは、いい齢こいてプレステに夢中なダメ人間だ。だが街中にゾンビが出現したことによって、生きるための戦いに巻き込まれていく。ジョージ・A・ロメロが創始したゾンビ映画にオマージュを捧げながら、米国の都会ではなく英国の田舎が舞台なこと、一般人が銃を所持していないためクリケットのラケットで戦うといったオリジナルとの「落差」によってこの作品は極上のコメディに仕上がっている。 でも落差で笑わせながら、元ネタの精神は守っているところが『ショーン・オブ・ザ・デッド』のスゴいところだ。ロメロの『ゾンビ』(78年)でゾンビの巣窟になるのはショッピング・モールだが、こちらでゾンビが押し寄せてくるのはパブだ。ロメロが『ゾンビ』で米国のモール文化を批判していることに呼応して、ライトは夕方になると必ずパブに行く英国人を皮肉っているのだ。 同じことは演出面にも言える。本作はゾンビ映画として実に真っ当に撮られているのだ。ゆっくりとしか歩けないゾンビたちにヘマを犯した人間が捕まって食べられそうになる際のスリリングさは相当なもの。『ゾンビ』の正式なリメイク作『ドーン・オブ・ザ・デッド』や『ワールド・ウォーZ』といった近年のハリウッド産ゾンビ映画では、ゾンビは走れる設定に改変されてしまっている。たしかにそっちの方がアクション・シーンは作りやすいのだが、ゾンビ本来の恐ろしさは『ショーン・オブ・ザ・デッド』の方にこそある。 こうした「パロディではあるけれど、ジャンル映画として見ても最高に面白い」いう映画のコンセプトは、トリオ第二作でポリス・アクションのパロディである『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-』(07年)でさらに進化を遂げている。サイモン扮する元エリート警察官のニコラスは、左遷で飛ばされた先の田舎町が平和すぎてやる事がない。ニック扮する同僚ダニーから「ロンドンでは銃撃戦をしているのか?」と訊かれて「そんなものはハリウッド映画の中だけだ」と苦い顔で否定してみせる。だが物語はそこから思いがけない方向に転がっていき、銃撃戦はもちろん、カーチェイス、爆発がテンコ盛りの『リーサル・ウェポン』や『バッドボーイズ』も真っ青のド派手なクライマックスへと雪崩れ込んでいくのだ。 この作品はアメリカでも大ヒット。エドガーはハリウッドに招かれ、カルトコミックの実写化作品『スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団』(10年)をマイケル・セラ主演で撮っている。一方でサイモンとニックがアメリカで作った脚本&主演作が、この『宇宙人ポール』だった。 ストーリーは、オタクの祭典「コミコン・インターナショナル」を見にいくためにアメリカにやってきたコミック・オタクのグレアムとクライヴが、墜落したUFOが隠されているという都市伝説で知られるネバダ州の空軍基地「エリア51」付近をドライブ中に、宇宙人のポールと遭遇してしまうことから始まる。つまり今作でネタにされているのは、『未知との遭遇』や『E.T.』といった宇宙人コンタクト物である。 もちろんそうした作品にあるハート・ウォーミングなテイストも今作には満載。特に父から誤った教育を受けてガチガチのキリスト教原理主義者に育てられた女性ルースが、ポールから宇宙の真実を教えられて自立を果たすパートは泣ける。ポールは自分の痛みと引き換えに人間のキズを治療する超能力を持っているのだが、その自己犠牲的救世主的な能力設定には、サイモンとニックによる「イエス・キリスト観」が込められているようにも思える。一見お気楽なように見える『宇宙人ポール』、実は深い作品なのだ。 また監督のグレッグ・モットーラをはじめ、ポールの声優を務めたセス・ローゲン、そしてビル・ヘイダーやクリステン・ウィグといった助演陣は現代アメリカのコメディ・シーンのトップに立つ面々であり、彼らと大西洋を超えて仕事をしたことは、サイモンとニックにとって大きな経験になったはずだ。 この作品の後、ふたりは英国に戻ってエドガーとリユニオン。やはり宇宙人が登場するものの、こちらは侵略SFムービーのパロディである『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』(13年)を作り上げた。『ショーン・オブ・ザ・デッド』以来のパブへの偏愛とセカンド・サマー・ラブへのオマージュに満ちたこの作品は大ヒットを記録したものの、三人はこれで三部作完結を宣言。以降はそれぞれの道を歩みだしている。 サイモンは以前からハリウッドきってのヒットメイカー、J・J・エイブラムスに才能を認められ、彼が監督/プロデュースした『ミッション・インポッシブル』や『スタートレック』といった大作シリーズに出演を続けていたのだが、先日『スタートレック』の次回作で脚本を手がけることが発表された。『スターウォーズ』新シリーズを手がけることになったエイブラムスの代わりに『スタートレック』を任されたのかもしれない。『SPACED』のティムが聞いたら嬉しさのあまり卒倒してしまいそうな出世ぶりである。一方、『パイレーツ・ロック』や『スノーホワイト』でイイ味を出していたフロストも故郷英国でプロデュース、原案、主演の三役を務めた社交ダンス・コメディ『カムバック!』(14年)を発表している。 西海岸とロンドンに遠く離れてしまった二人だが心配無用。『カムバック!』にはしっかりサイモンがゲスト出演していたりする。サイモンとニックはこれからも普通人クオリティの顔を並べて、大スクリーンで暴れてくれるはずだ。■ © 2012 Universal Studios.ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2014.05.17
【ネタバレ】イザベル・コイシェ監督の2作品に隠された秘密、それは、“もうひとりの別の存在”
サラ・ポーリーと組んだ『死ぬまでにしたい10のこと』『あなたになら言える秘密のこと』の2作品で日本でも広く知られるようになったスペイン人監督イザベル・コイシェは、自らの制作会社を“ミス・ワサビ”と名付け、菊地凛子主演作『ナイト・トーキョー・デイ』を東京で撮ったほどの親日家だ。筆者は過去に二度インタビューしたことがあるが、とてもお洒落でユーモラスかつフレンドリーな女性で、つねに新作を楽しみにしている監督のひとりである。 2007年に日本公開された『あなたになら言える秘密のこと』は、筆者がその年の洋画ベストワンに選んだ思い入れの深い作品なのだが、題名から連想されるようなロマンティックな映画ではない。主人公ハンナ(サラ・ポーリー)はつねに思い詰めたような険しい顔つきをしており、極度の潔癖症で、あからさまに他人を拒絶するオーラを放っている。そんな彼女が勤務先の工場の上司から半ば強制的に休暇を取るよう勧められ、ひょんなことから海上に浮かぶ石油掘削施設で大火傷を負ったジョゼフ(ティム・ロビンス)の看護をすることになる。一時的に視力を失っているジョゼフは、ぶっきらぼうなハンナになぜか好意を抱き、少しずつ彼女の頑なな心を溶かしていく。しかしハンナは、ジョゼフの想像も及ばない衝撃的な“秘密”を抱えていた……。 ここから先はネタバレで恐縮だが、実はハンナはバルカン半島からイギリスに移住してきたクロアチア人で、ボスニア紛争における拷問被害者である。映画のクライマックスで語られるハンナの告白の内容は残酷なまでに悲劇的で、公開当時、そのような重い題材が扱われているとは夢にも思わなかった筆者を含む観客は心底驚愕し、戦慄さえ覚えることになった。ハンナの心身の耐えがたい痛みを知ったジョゼフが、それでも彼女とともに未来を歩もうとする物語はこのうえなく感動的で、極めて純度の高いラブ・ストーリーに仕上がっている。 ところが筆者が本当に驚かされたのは、しばらくしてから本作をもう一度観直したときだった。この映画の初鑑賞時に漠然と感じていた違和感のようなものが具体化し、大いなる謎が浮かび上がってきたのだ。 もともとこの映画には、誰もが気づくスーパーナチュラルなエッセンスがちりばめられている。物語の語り手というべき少女の“声”である。「ハンナは私の顔を知らない。でも唯一の友だちよ」と語るこの正体不明の“声”は何者なのか。前述したハンナの“秘密”を踏まえると、(1)拷問のトラウマゆえに幼児退行したハンナ自身の声である、(2)ハンナが紛争中に亡くした子供の声である、など幾つかの推測が可能だ。筆者は精神分析の知識が乏しいうえに、映画はあえて“声”の主を曖昧にしているので、明快な答えは見つからない。 二度目に観て気づいたのは、物語の主な舞台となる石油掘削施設の一室でハンナとジョゼフが心を通わせていくシーンに、これまた正体不明の何者かの視線のショットが何度か挿入されていることだ。物陰からひっそりとハンナとジョゼフのやりとりを見つめているかのような、そこにいるはずのない第三者の存在が感じられてしょうがないのだ。こうなるともはや心霊映画の領域だし、「たまたま手持ちカメラのアングルがそう思えるだけではないか?」という向きもあろう。しかし、この映画はコイシェ監督自身がカメラ・オペレーターを兼任(撮影監督はジャン=クロード・ラリュー)しており、物陰に潜む何者かの視線を感じさせるような主観ショットが“たまたま”撮られたとは思えない。むしろ監督は明確な意思をもって超自然的な存在がハンナにつきまとっていて、その部屋に存在していることを表現したのではないかと考える。この世を見ぬまま生命を絶たれたハンナの子供なのか、それとも非業の死を遂げた大勢の拷問被害者の魂なのか、筆者には断定しようがない。ここではまず霊的な何かが“そこにいる”可能性を指摘しておきたい。この映画の原題は『The Secret Life of Words』であり、正体不明の“声”が語る言葉が極めて重要であることは疑いようがないのだから。 ■最大の謎はラスト・シーンの“窓”の向こう側にある そして筆者が最も驚き、未だ脳裏に焼きついて離れないのがラスト・シーンである。石油掘削施設から工場勤めの孤独な日常に戻ったハンナは、再会したジョゼフからのひたむきな求愛を受け入れ、ふたりは情熱的な抱擁を交わす。続いて映し出されるのは、ハンナがキッチンでひとりたたずんでいる光景だ。どうやらハンナは、この家でジョゼフと穏やかに暮らしているらしい。ストーリーの流れとしては、明らかにハッピーエンドである。 しかし、ここにもあの少女の“声”が聞こえてくる。「私はもういない。ときどき日曜日の朝に来るだけ」。そう語る“声”は「彼女には子供がふたりいる。私の弟たち」と呟き、ハンナとジョゼフが2児をもうけたことを告げる。そして“声”が「子供たちが帰ってくる。もう行くわ」と消えようとするなか、キッチンの窓の向こうには隣家に遊びに行っていたハンナの子供たちの姿が映る。ここにこそ本作の最大の謎がある。“声”いわく“私の弟たち”なのだから、窓の向こう側を歩いてくるのは“ふたりの男の子”でなくてはならない。それなのに何度もスロー再生して確認した筆者が見るに、そこに映っているのは赤い服を着た“ふたりの女の子”なのだ! いったい、これはどういうことなのか。明らかにつじつまが合わない。おまけにこの窓の外を捉えたショットは微妙にフォーカスがずれており、子供たちがおぼろげに映っている。その撮り方から察するに、コイシェ監督はそれが女の子かどうか観客が気づかなくても構わない、というスタンスでこのショットを設計している。しかし、どうしても女の子でなくてはならかった何らかの理由があるのではないか。そうとしか考えようがない。 このあまりにも奇妙で、不可解なミステリーに関しても、筆者は答えを持ち合わせていない。ただし想像することはできる。ハンナがたたずむキッチンはまぎれもなく“現実”のシーンだが、ひょっとする窓の向こう側は“幻”なのではないかと。では、ふたりの女の子は誰なのだろう。ひょっとすると祖国のクロアチアでまだ無邪気だった幼少期のハンナと、その友だちなのかもしれない。もう幸せだったあの頃には帰れない。そんなスーパーナチュラルな心霊的ニュアンスがこもったエピローグは、表面的にはジョゼフと結ばれたことで心の平穏を取り戻したように見えるハンナの奥底に残る、もうひとつの複雑にして不穏な“秘密”を表現したシーンとして、何年経っても筆者の中で謎めき続けているのだ。 ■頻出する“ダブル”=“もうひとりの別の存在”のイメージ もう一点、筆者にとって興味深いのは、なぜ“ふたり”なのか、ということだ。ここで言う“ふたり”とは“もうひとりの別の存在”に置き換えることもできる。エピローグにおける窓の向こうの子供はなぜか“ふたり”であり、劇中には戦時中の拷問体験で精神を病んだハンナが“もうひとりのハンナ(=おそらく彼女自身)”について涙ながらに語るシーンもある。 こうした疑問を抱いた後に、コイシェ監督の前作にあたる『死ぬまでにしたい10のこと』を観直してみると面白い。この映画の冒頭では、ガンに蝕まれて死にゆく運命にある主人公アンが雨の中にたたずんでいる。そのオープニングに被さる彼女自身のモノローグは、日本語字幕では「私」という一人称で訳されているが、なぜかサラ・ポーリーがしゃべる英語セリフでは「You」という二人称になっているのだ。つまり「これが私」という日本語字幕は、本来「これはあなた」と訳されるべきなのだが、想像するに字幕担当者はそれでは不自然と判断して「私」にしたのだろう。ウィキペディアを参照してみると、代名詞に「You」が使われた理由についてこんな記述がある。「あたかも映画を観ているあなたが、この映画の主人公だ、あなたの余命が2ヵ月なのだ、と訴えかけるようになっている」。確かにそうかもしれない。しかし筆者には、超自然的な霊魂のような“もうひとりの別の存在”がアンを客観的に見つめながら、このモノローグを語っているように思えてならない。 “ふたり”もしくは“もうひとりの別の存在”、すなわちペアともダブルともいえる概念は、『死ぬまでにしたい10のこと』にさらに盛り込まれている。自らの死期が迫ったことを悟ったアンは、この世に残される夫にふさわしい再婚相手を見つけ出そうとするのだが、タイミングよく空き家だった隣家に美しく心優しい女性が引っ越してくる。レオノール・ワトリングが演じるその女性の名前は、何と主人公と同じ“アン”である。しかも隣人の“アン”はかつて看護師だった頃、患者が出産後にまもなく死亡したペアの赤ん坊=シャム双生児を看取った悲痛な体験をアンに打ち明けるのだ! 以上の文章には筆者の妄想も少々入り混じっているかもしれないが、コイシェ監督がダブルのイメージに執着しているという指摘は、まんざら的外れではないと思う。なぜなら2013年に彼女が撮ったばかりの最新作の題名は『Another Me』。“もうひとりの自分”につきまとわれる若い女性(ソフィー・ターナー)を主人公に据え、まさしくダブルをモチーフにしたミステリー・スリラーらしいのだ。現時点で日本公開は未定だが、すでに期待が膨れ上がりっぱなしの筆者は観る気満々である。■ ©2005 El Deseo M-24952-2005