◆ダグ・リーマンが降りた理由

 記憶を失くした男が自身のアイデンティティ(存在証明)を明らかにする過程で、命を狙われる危機に幾度となく遭遇する。だがそのつど、彼は高度な挌闘センスと優れた身体能力を発揮し、自分に危害を加えようとする者を瞬殺する。それもまったくの無意識で——。

 2002年に公開された『ボーン・アイデンティティー』は、「出自を追い求めるヒーロー」という、異色の設定を持つアクションスリラーとして観客の心を見事に捉えた。スパイ小説の巨匠ロバート・ラドラムの古典的名作「暗殺者」の権利を取得した監督ダグ・リーマンが、さまざまな障壁を乗り越えて映画化へとこぎつけた執念の企画である。その甲斐あって、作品は全米興行成績1億2000万ドルを稼ぎだし、同ジャンルのものとしては空前の大ヒットを記録した。

 ヒット映画の慣例として当然、続編製作のプロジェクトは動き出したものの、そこに最大の功労者であるリーマンの名はなかった。リアリティを追求し、ハンドヘルト(手持ち)カメラや即興性を徹底させたその撮影スタイルにスタジオは難色を示し、見栄えのする派手なアクションシーンを追加するようリーマンに要求。彼はそれを拒んでファイナルカット(最終編集)の権利を剥奪されるなど、双方の間に深い溝ができたのだ。だがこうしたリーマンの抵抗こそが、前述のようなシリーズを象徴する視覚スタイルを決定づけたのは言を俟たない。

◆シネマヴェリテ

『ボーン・アイデンティティー』の続編として2004年に発表された本作『ボーン・スプレマシー』は、こうしたリーマンの意匠を汲みながら、新しい才能へのアクセスを余儀なくされた。そこで白羽の矢が立ったのが、イングランド出身のイギリス人監督ポール・グリーングラスだ。

 グリーングラスのキャリアは、アルカイダのテロリストによるハイジャックを描いた『ユナイテッド93』(2006)の自著コラム(https://www.thecinema.jp/article/850)に詳しいのでそちらを読んでほしい。概略して補足すると、彼はドキュメンタリーやテレビドラマのディレクターから映像作家のキャリアを始め、ヘレナ・ボナム=カーターとケネス・ブラナー共演による1998年公開のラブコメディ『ヴァージン・フライト』で劇場映画監督デビューを果たす。そして2002年、北アイルランドでの差別撤廃を掲げる国民デモで軍隊が発砲し、13人の犠牲者を出した「黒い日曜日」の映画化『ブラディ・サンデー』を監督し、同作は第52回ベルリン国際映画祭金熊賞を宮崎(﨑)駿監督の『千と千尋の神隠し』(2001)と共に受賞する。

 この写実的映画の古典『アルジェの戦い』(1966)を彷彿とさせるセミドキュメンタリー調の作品を観た『ボーン・アイデンティティー』の製作総指揮フランク・マーシャルが、彼を『ボーン・スプレマシー』の監督にどうかとスカウトしたのである。もともと続編の監督選考条件として、「ダグ・リーマンと同じインディ系の監督を」という意向もあり、そこはリーマンと符号が合う。しかもマーシャルが観た『ブラディ・サンデー』は16mmネガフィルムで撮ったものを35mmにブローアップし、撮像のほとんどをハンドヘルトによって得た、いわゆる“シネマヴェリテ”的なリアル志向の強い作品だった。グリーングラスもメジャーを舞台とする新たな挑戦として、マーシャルからのオファーを受けることにしたのだ。

◆暗殺者ボーンの贖罪

 そんなグリーングラスが『ボーン・スプレマシー』で目指したのは、「ボーン自身が暗殺者である事実とどう向き合うのか?」という“贖罪”をテーマに持つことだった。自分が暗殺者として存在し、誰かを殺めてきたことや、自身と関わる人が犠牲になってしまうことへの重責が、ジェイソン・ボーンを苛んでいく。 「重いテーマになるが、それが彼の宿命であり、もう一度ボーンの物語を描くのならば、宿命を避けることはできない」(※1)
 とグリーングラスは語る。本作の『ボーン・アイデンティティー』にない暗いトーンは、こうした作品志向に起因するものだ。

 前作の最後、マリー(フランカ・ポテンテ)と一緒になって新たな人生を歩むはずのボーンは、あれからまだ記憶を取り戻せず、依然として追われる逃亡生活を続けていた。そしてある日、彼は潜伏していたインドのゴアで殺し屋に狙われ、追撃戦の果てにマリーを死なせてしまう。

 いっぽうCIAではエージェントのパメラ・ランディ(ジョアン・アレン)が、組織内の公金横領事件の捜査にあたっており、その手がかりを追っていくうち、ボーンを生んだ殺人兵士の養成プロジェクト「トレッドストーン計画」の存在へと行き着く。そして容疑者が殺され巨額が消えたこの事件にボーンが関わっているのではと、彼との接触を図ろうとする——。

 グリーングラスはトニー・ギルロイによって書かれていた第1稿を11ヶ月かけてさらに膨らませ、こうしたボーン試練の章を組み立てたのである。ちなみにラドラムの同名原作(小説邦題「殺戮のオデッセイ」)は中国での副首相暗殺に端を発する物語で、拉致されたマリーを救うべくボーンが自分の名を騙る偽の人物と対峙する。このように映画において原作の影は薄いが、ボーンが唯一心を開いたマリーの受難と、ボーンの名が一人歩きし、陰謀に加担させられる状況のみ原作と共有している。

◆強化したアクションとリアリティ

 こうして『ボーン・スプレマシー』は、前作の優れた点をより鋭利にするだけでなく、さらなる進化を作品にもたらしている。とりわけ視覚的なリアリティに関しては、前作以上に強化したレベルのものを提供しているのだ。
 今回もインドのゴア、ドイツのミュンヘンやベルリン、モスクワという広範囲のロケ撮影を敢行。そして「スタイルはできるだけシンプルに」を目指したグリーングラスの演出は、劇中で交わされるセリフをより排除し、登場人物のソリッドな行動だけでストーリーを観客に提示する。「俳優が考えすぎると直感力を失い、演技にリアリティが失せてしまう」と主張し、リハーサルを抜いて俳優に演技をさせたりもしている。

 過去にドキュメンタリー作品を何本も手がけてきたグリーングラスは、前作のダグ・リーマンが求めたリアリティをさらに突き詰め、アクション映画として影響力の高いスタイルを創造している。例えばリーマンがステディカムとハンドヘルトを併用した撮影だったのに対し、グリーングラスはほとんどのシーンをハンドヘルトで撮影した。キャメラを被写体と観客を結ぶ“間”の存在ではなく、キャメラそのものを観客の“眼”として見立てたのだ。グリーングラスは言う。
「フィックス(固定)撮影ではリアルな映像は生まれない。カメラがアクションを観客と同時体験することで臨場感は引き出せる」(※2)
 そうした撮影アプローチで得たラフショットのような画を、平均2秒とジッとしていない細切れのカッティングで編集している。構成されたショットはその総数3500。しかしノンリニアなデジタル編集以降の流れにありがちな、眼前で何が起きているのか分かりにくいカオス編集ではなく、被写体の目線誘導や距離関係を把握させる編集で、観る者を混乱させることはない。この巧技を提供したクリストファー・ラウズは、その後『ユナイテッド93』そして『キャプテン・フィリップス』 (2013) 『ジェイソン・ボーン』 (2016) と、グリーングラスの専属的なエディターとなっていく。また前作から連続登板したジョン・パウエルによるアンダースコアも、本作ではバングラドールという大型の両面太鼓を導入し、多動性を極めるショット構成にマッチした律動感で演出した。グリーングラスはリーマンの構築したボーンの世界観を踏襲しつつ、彼独自のボーンを創り上げたのだ。

 こうしたアプローチのうえに完成した『ボーン・スプレマシー』は、2004年7月15日に公開され、全米興行成績で1億7600万ドルを稼ぎ出し、前作以上の成果をみせた。そしてジェイソン・ボーンの物語はシリーズへと拡張し、ラドラムが遺したもうひとつのボーン登場作『ボーン・アルティメイタム』の映画化 (2007)へと発展していく。

・『ボーン・アルティメイタム』撮影中のマット・デイモン(中央)とポール・グリーングラス監督(右)

◆真のスタイルとは何か?

 後年、グリーングラスはインタラクティブな質疑応答インタビューReddit AMAでのセッション(※3)で、自身の映像スタイルに関し、

「(手持ちカメラのスタイルは)三脚を買う金銭的な余裕がなかったのさ、なんてね(笑)。私は20代でドキュメンタリーを作り始め、それはしばしば危険な場所で撮影された。だからカメラを三脚で固定する時間がなく、カメラは自分の肩や手の中になければならなかったんだ。その後、映画を作り始めたとき、ドリーやトラックなどの古典的なスタイルで撮影することを学んだが、それには結婚式でスーツを着ているような違和感を覚えたよ。だから40代でドキュメンタリーを撮影していた頃の撮影に戻り、すべてがうまくいっているように感じたんだ」

 と冗談混じりでユーザーに語っている。しかしグリーングラスはあくまで「スタイルは自分の内側からくるもの」と提言し、経験を通してより固定された視点を持つことこそ、映画制作の中心だと話題を結んでいる。これは若い映画製作者への助言ではあるが、同時にジェイソン・ボーンのシリーズ以降、自身のスタイルが乱用される傾向への戒めを含んだ文言といえるかもしれない。■

『ボーン・アイデンティティー』(C) 2002 Universal Studios. All rights Reserved. 『ボーン・スプレマシー』(C) 2004 Universal Studios. All Rights Reserved.『ボーン・アルティメイタム』(C) 2007 Universal Studios. All Rights Reserved. Photo Credit: David Lee