町山智浩のVIDEO SHOP UFO』、5月は『ビーチレッド戦記』という1967年の映画を紹介します。これは未DVD/BD化の超激レア作で、50年も前の作品なのに、太平洋戦争を描く上で米軍と日本軍をほぼフィフティーフィフティーで取り上げる、日本の描写も可能な限りちゃんとしてる、という、実に志の高い映画です。日本人をワケのわからない野蛮な敵あつかいしていない。

 と、いう映画ですから日本人キャストが何人も出てくるのですが、実はこんなお手紙が町山さんのところに届きました。

「町山智浩様

突然のお手紙、失礼いたします。

私は、『ビーチレッド戦記』に杉山大佐として出演していた俳優・小山源喜の長男で、小山唯史と申します。以前から、町山様がこの映画を評価されていることを嬉しく思っていました。」

 このお手紙を町山さんから見せていただきました。作品を改めて今の世にお届けする側としても、予期せぬ反響、嬉しく思います。

「日本側出演者の決定に当たっては、簡単なオーディションらしきものもあったようです。父は、出演が決まった日に、帰宅してから次のような話をしていました。『野外で食事をする場面で、箸で、(剣の達人の武士のように)体の近くを飛び回っている虫を掴む仕草をして見せたら、監督がとても気に入った様子だった』」

 などと、興味深いエピソードも教えていただきました。箸で虫を掴むサムライのような日本人ですと!? この出来事が何か後世の作品に影響あたえちゃったのではなかろうか?などと、想像は膨らみますねぇ。

 小山源喜さんという俳優は、ご子息のお手紙にあったプロフィールを引用しますと、

◎小山源喜(コヤマゲンキ) 1915.7.8生〜1991.4.11 没
★戦後早々のNHKラジオ連続ドラマ『鐘の鳴る丘』で主役の青年の役。
死亡当日の朝日新聞「素粒子」が手元にありますが、次のように書かれています。
「最後の声優、小山源喜の死に思う、イモ腹で聴いたラジオの『鐘の鳴る丘』の、あの歌声。」

★TV外国ドラマの声
①『ドクター・キルデア』(リチャード・チェンバレン主演)で、ギレスビー病院長(レイモンド・マッセイ)の声を担当。
②NHK『タイムトンネル』(ジェームス・ダーレンら)で、研究所のヘイウッド・カーク所長(ホイット・ビッセル)の声を担当。

 という役者さんでして、以上でお手紙からの引用を終わります。

 ちょっと私の方からは、朝日新聞「素粒子」にあったという「最後の声優」「イモ腹」という言葉について、説明します。その前に「素粒子」とは何ぞやですが、ごく短い一言社会批評のような、朝日新聞夕刊紙上のご長寿名物コラムです。確認してみたところ、ご命日ではなく2日後の平成3年4月13日土曜日の夕刊に、確かに前掲のコラムは掲載されていました。

 先に「イモ腹」という言葉の方から説明すると、これは、米不足で米の代わりにサツマイモを食っているような食糧事情のこと。つまり戦中・戦後の頃の話だと察しがつきます。どうにかして映画『この世界の片隅に』を見てください、中で出てきます。洋画専門チャンネル ザ・シネマでは未来永劫やりません、たぶん…。

『鐘の鳴る丘』は、ご子息の手紙にあったとおり「戦後早々のNHKラジオ連続ドラマ」なのです。Wikiからコピペすると「1947年(昭和22年)7月5日から1950年(昭和25年)12月29日までNHKラジオで放送されたラジオドラマ」だそうですから、敗戦から2年目の夏に始まったんですね…。

 Wikiにはそのあらすじも記されています。小山源喜さんは主役の復員兵を声で演じられました(ラジオドラマですから)。その復員兵が戦災孤児たちと田舎で共同生活を始める、という物語だったようです。去年夏のNスペ『“駅の子”の闘い~語り始めた戦争孤児~』、あれは可哀想でしたねぇ…。ああいう子供達です。

 主題歌の「とんがり帽子」は、戦後30年目生まれの私でもさすがに知っている、♪鐘が鳴りますキンコンカン という、あの有名な歌です。「素粒子」のコラムニストが書いた「あの歌声。」というのは、それのことでしょう。

 さて、「素粒子」にあった謎の一言「最後の声優」。これ、今の人が読むと意味わかりませんよね。当チャンネルは『マッドマックス』新録吹き替えや「厳選!吹き替えシネマ」など吹き替え企画も名物ですから、声優ファンの視聴者も大勢いらっしゃいますが、意味がわからない。声優は今もますます大人気で、2010年代には歌で紅白歌合戦に出場するようなアイドル声優まで現れています。それが、1991年の小山源喜さん訃報の時点で「最後の声優」とは、一体全体どういう意味なのか!?

 実は「声優」とは、戦前戦中戦後のラジオドラマ全盛期に、まずは使われ始めた用語なのです。TVが生まれる前までお茶の間娯楽の王様であったラジオドラマで、声の演技をさせるため、NHKが戦中から養成していた放送劇団、その第1期生のお1人が、小山源喜さんなのです。

 なので「最後の声優」と言うより、どっちかと言うと「最初の声優」ですね。

 他にも、2期研究生に大木民夫さん、3期生に名古屋章さん、4期生来宮良子さん黒沢良さん山内雅人さん、そして5期生には黒柳徹子なんていう、錚々たるレジェンドを輩出しています。

 大森一樹監督の1987年の映画版『トットチャンネル』という、当時人気絶頂の斉藤由貴が若かりし頃の黒柳徹子を演じている凄い作品があり、NHK放送劇団について詳細に描かれていますので、どうにかして見てください。洋画専門チャンネル ザ・シネマでは未来永劫やりません、たぶん…。

 しかし、ラジオドラマが娯楽の王様だった時代は長くは続かず、その後TVがすぐに始まり、「声優」の語はそれ以上広まることはありませんでした。5期生の黒柳さんは『サンダーバード』や『ひょっこりひょうたん島』等で声優としても有名ですが、黒柳さんの頃からTVタレントとしての活動も増えていったようです。

 私は昔、とある大御所声優の方から、「俺が声の仕事を始めた頃はまだ『声優』なんて呼び方さえ無かったんだ」というお話を直接うかがったことがあります。その大御所が声優の仕事を始められたのは70年代。その時点では「声優」なんて日本語は存在しない、聞いたこともない、それは最近作られた新語か造語か何かか?というぐらいに、業界で声の仕事をされている方たちすら知らないマイナーな言葉になってしまっていたのです。

「声優」という日本語が爆発的に普及するのは70〜80年代のアニメブームの到来を待たねばなりませんでしたが、そもそもは、戦前から戦後にかけての娯楽の王道ラジオドラマで使われだした用語だったのです。

 朝日の「素粒子」はそういう意味で使っているのでしょう。戦後の焼け野原を回想する万感が、「最後の声優、小山源喜の死に思う、イモ腹で聴いたラジオの『鐘の鳴る丘』の、あの歌声。」との短いコラムにはこめられていたのでしょうな。

 その小山源喜さんが日本軍大佐を演じる、太平洋戦争を描いたアメリカ映画。日本が戦後の日々を迎える前の悲惨な日米の殺し合いを描きながら、その時代の日本人にも、アメリカ人にも、家族や平和な故郷を想う人間性はあったのだ、それでもひとたび戦場に放り込まれたら殺し合わざるを得ない、この理不尽と不正義!を描いている、この戦争映画に、戦後の声優第1号・小山源喜さんの起用は、実に相応しいキャスティングではなかったでしょうか。

 以上の消息、戦後ラジオ声優の活躍などにも思い致しながら、ぜひこの戦争映画の幻の傑作をご鑑賞ください。■


追伸:
①『町山智浩のVIDEO SHOP UFO』の前解説がYouTubeにアップされています。町山解説を無料で前半だけは視聴できます。コチラ

②この映画に小山源喜さんと同じく日本軍将校役で出演されている日本人キャスト、あの声優界の大重鎮・羽佐間道夫さんにも、この映画についてロングインタビューさせてもらいました。「ふきカエル 大作戦!!」に掲載されています。あわせてお読みください。

③本ブログ記事掲載後、ご子息に掲載報告とお礼をさしあげとところ、以下のようなお返事をいただきましたので、お許しを得て転載させていただきます。

「『最後の声優』については、飯森様の原稿を読んで改めて考えさせられました。

以下、参考までに。

父は(出演記録によると)NHKのラジオ放送劇全盛期に数多くの番組に出演していたようで、全く画像のないラジオでトータルに劇を演じる声優だったという意味で、現在のアニメ全盛期の声優とも異なる時代の声優だったのだと思い到りました。

他界した時期は、そういう時代が幕を閉じた時期だったのでしょう。

また、父のもとには黒沢良さん、滝口順平さんなど声優や、『巨人の星』等の制作関係者、太宰久雄さんら数多くの人々が、父を師や先輩として勉強会に集い、のちの声優界に多少の影響を与えたことも、関係しているのかもしれません。」

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