【特別記事】アニエス・ヴァルダの自由な自己更新の足跡を辿る 市井の人々に美を見出す柔和な視線

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【特別記事】アニエス・ヴァルダの自由な自己更新の足跡を辿る 市井の人々に美を見出す柔和な視線
提供=リアルサウンド映画部 文=森直人   
les créatures - marilou parolini © varda estate

目次[非表示]

  1. <集大成>『アニエスによるヴァルダ』(2019年)
  2. <初期>『ラ・ポワント・クールト』(1954年)
  3. <中期>『ダゲール街の人々』(1975年)
  4. <後期>『落穂拾い』(2000年)
 偉大にして等身大、常に人々の生きる歓びに寄り添ってきた、とびきりチャーミングな映画作家――アニエス・ヴァルダ。2019年3月29日、90歳の生涯を閉じた彼女を紹介する際には、ひとつのクリシェ(紋切り型)がある。ヌーヴェル・ヴァーグの猛者たちの中で独り気を吐いた「女性監督」の先駆、といったものだ。しかし彼女自身は『歌う女・歌わない女』(1976年)発表の時、すでにこう発言している。

 「わたしは、自分で映画をつくりはじめた当初から、つねに視点というものについて考えてきたつもりです。差別の問題だけではありません。男と女の違いなんて、当然だといえば当然で、わたしには興味のない問題なのです。違いはもう誰もが知っているのです。問題は、その違いから何をすべきか、世界をどう見つめてゆくか、ということだと思うのです」「わたしは、男と女の差よりも、個人の差があるだけだということを強調したいのです」――『映画とは何か 山田宏一映画インタビュー集』(草思社)所収、「フェミニズムと映画」より。

 生まれはベルギー。二次大戦中に家族でフランスに渡り、写真家からキャリアをスタート。劇映画とドキュメンタリーを撮り続けて、インスタレーションアートにまで活動を広げたアニエス・ヴァルダの膨大な作品群に一貫しているのは、「個人」の目を通した世界の在り様の鋭さと優しさだ。ヴァルダ自身が語る「太陽の光がなくては生きられない地中海人的な血」による大らかな肯定性。以上を踏まえ、本稿では彼女のフィルモグラフィーの中でも重要な位置を占める珠玉の映画4本を見ていきたい。

<集大成>『アニエスによるヴァルダ』(2019年)

 遺作となったこのセルフ・ポートレートは映画の未来に向けた至上の贈り物だ。ヴァルダ一流の楽しい“Causerie”(コズリ)=「おしゃべり」により、『顔たち、ところどころ』(2017年)に至るまで自身の60年以上に及ぶ創作活動を振り返るという文字通りの集大成。パリの自宅で息を引き取る前月、第69回ベルリン国際映画祭でプレミア上映。その舞台挨拶に登壇して元気な姿を見せていた。

 映画の冒頭。「AGNES V.」と刻まれたディレクターズチェアに座り、『天井桟敷の人々』(1945年/監督:マルセル・カルネ)のようね、と形容する劇場のステージからたくさんの観衆に語りかけていくヴァルダ。

 「私の作品は有名なものもあるけど、知られていないものもある。長年この仕事を続けてきた理由を話しておくわ。キーワードが3つある。“ひらめき”と“創造”、そして“共有”よ」

 こうして、サンフランシスコの船上に住んでいる気さくな画家のおじさん――見知らぬヴァルダの親族との出会いを映した短編『ヤンコおじさん』(1967年)から始まり、『5時から7時までのクレオ』(1961年)や『幸福』(1964年)や『冬の旅』(1985年)や『ジャック・ドゥミの少年期』(1990年)などの人気作はもちろん、ヴァルダ当人が「大失敗だった」と述懐する映画生誕100周年企画のオールスター映画『百一夜』(1994年)も含め、鮮やかで明晰な「自己解題」が展開していく。

 諸作に絡めて語られるのは、映画製作の具体的な裏話に加え、最愛の夫であるジャック・ドゥミ(1931年生~1990年没/『シェルブールの雨傘』(1964年)や『ロシュフォールの恋人たち』(1967年)などのハンサムな映画監督)のこと、主観的な時間と客観的な時間のこと、お金の調達のこと、哲学者バシュラールのこと、ドキュメンタリーのふたつのタイプについて、映画書法(シネクリチュール)について、大好きな浜辺のことなどなど……。

 それはもう素敵な金言ばかりで、ぜひ書き起こしのテキストを発売して欲しい!と切に願うほど。その中でもターニングポイントとなる局面で大きく言及されているのが、以下に紹介する初期・中期・後期の代表作3本だ。

<初期>『ラ・ポワント・クールト』(1954年)

 まさに伝説と言えるヴァルダの長編監督デビュー作。映画学校にも行かず、何の現場経験もなかった当時26歳の彼女は、もともと小説として構想していた本作を初めての映画として自主制作する。時代は「ヌーヴェル・ヴァーグ以前」。クロード・シャブロル監督の『美しきセルジュ』(1957年)が、フランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』(1959年)が、ジャン=リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』(1959年)が、エリック・ロメール監督の『獅子座』(1959年)が撮られる数年も前、『ラ・ポワント・クールト』はロケーション撮影でフィクションの中に現実の事物を放り込む「ヌーヴェル・ヴァーグ的」なスタイルを瑞々しく備えており、「偉大なカリヨン(鐘桜)の最初の鐘の音」とのちに賞揚された。

 『アニエスによるヴァルダ』でも語られているが、着想源となったのはウィリアム・フォークナー。彼が1939年に発表した米南部ゴシック小説『野生の棕櫚』である。本作の影響により、若きヴァルダはタイプの異なる「場所以外は無関係な」ふたつの物語を交互に見せる構造を考えた。

 舞台はヴァルダが思春期を過ごした南仏の港町セート(彼女の母親の出身地)――その北部にあるポワント・クールトという小さな漁村。この生まれ故郷に戻ってきた夫(フィリップ・ノワレ)と、彼を追ってパリからやってきた妻(シルヴィア・モンフォール)――プロの俳優が演じる結婚4年の倦怠期カップルの別れ話に向かう対話劇がひとつの軸となる。もうひとつはドキュメンタリーのように映し出される貧しい村の様子だ。出演者は本物の住民たち。女たちが洗濯して風にはためくバスクシャツ。村には衛生局の検査員が目を光らせ、貝が汚染されていると漁の禁止を命じる。「なぜ弱者の俺たちをいじめるんだ」と嘆く漁民たちの周りで、うろちょろしている野良猫たち。ヴァルダはこのパートを「ネオリアリズモ風」のアプローチで撮影したと規定しているが、しかしそれに当たるイタリア映画群を実際に観たことはなかったらしい。

 有名な話だが、当時のヴァルダはまったくシネフィルではなく、このデビュー作を撮ってからシネマテークに通って映画をたくさん観るようになったのだという。本作は「セーヌ左岸派」――ヌーヴェル・ヴァーグの中でもモンパルナス界隈に集っていたドキュメンタリーやシネマ・ヴェリテに出自を持つ一派の雄、アラン・レネのサポートで撮りあげた。すでに『ヴァン・ゴッホ』(1948年)や『ゲルニカ』(1950年)などのドキュメンタリーを撮っていたレネは、逆に『ラ・ポワント・クールト』から強い影響を受け、マルグリット・デュラスが脚本を書いた初の長編劇映画『二十四時間の情事(ヒロシマ、モナムール)』(1959年)などは『ラ・ポワント・クールト』の夫婦のパートに近しい詩的イメージと方法論がある。

 音楽はピエール・バルボーが担当。冒頭に出る「ピエロに捧ぐ」との献辞は、本作の試し撮りに出演したあと、癌で早世してしまった友人の夫ピエロ氏に向けたものである。

<中期>『ダゲール街の人々』(1975年)

 ヴァルダが夫ジャック・ドゥミと長年暮らした下町、パリ14区モンパルナスの一角にあるダゲール街。「ダゲレオタイプ」と呼ばれる銀版写真――黒沢清監督『ダゲレオタイプの女』(2016年)でもモチーフに使われた世界最古の写真撮影方法を発明したルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(1787年生~1851年没)にちなんで名づけられたこの通りに住む「ご近所さん」たちを捉えたドキュメンタリーだ。

 「すべてのはじまりはこの店、近所の商店“シャルドン・ブリュ”(青アザミ)。私はここのショーウィンドウが大好き。忘れられた在庫の匂いがする。この通りに住んで25年、商品はいつも同じだ」と、ヴァルダの饒舌なおしゃべり(ナレーション)が始まる。
老夫婦が経営しているこの“シャルドン・ブリュ”は香水の小売りをメインにした店で、ヴァルダの娘ロザリーは常連客。こうした「華やかさとは無縁の、私の家から50メートル以内の毎日訪れる店」の様子ばかりが映し出されていく。理髪店にパン屋さん、時計の修理店、精肉店、クリーニング店などなど……。
庶民の生活そのものである日常風景。街にはどこからかアコーディオンの音色が流れ、奇術師がマジックショーを披露する。何の変哲もない住民群像は寓話のような色彩を豊かに帯びていく。

 本作の撮影を共に行った写真家のヌリト・アヴィヴも『アニエスによるヴァルダ』にゲスト出演しており、『ダゲール街の人々』についてこう語っている。
「あるものに注目した時から、それまで平凡だったものが特別に見えはじめるのよね」
その発言にヴァルダは頷いて、こう返す。「撮る対象に愛情を抱くと平凡ではなくなるわ」
特別ではない、普通の生活者にこそ本物の「美」を見出す。ヴァルダ流の愛にあふれた格別の人間賛歌だ。

<後期>『落穂拾い』(2000年)

 ヴァルダ後期を代表する傑作。20世紀から21世紀への端境期に、ドキュメンタリー映画作家としての彼女に画期的な転機が訪れた。デジタルカメラの発達と普及である。
『アニエスによるヴァルダ』で彼女はこう語る。「カメラが小型化し、デジタル化されたおかげで、これまでとは別の方法で撮影できるようになった。小さなデジタルカメラは素晴らしい! ストロボ装置が付いていて自己愛的。超写実的。より親密な撮影が可能になって、自由が利くようになったの」

 こうして新しい「デジタル・アニエスV.」の時代が到来する。本作の着想は、パリのエドガール・キネ大通りのカフェにヴァルダが居た時、市場で道路に落ちている残り物を拾う人たちを目撃したこと。彼女はミレーの絵画『落穂拾い』を連想し、やがて現代の消費社会における「落穂拾い」の光景を探すため、ハンディカメラを手にしてフランス各地への旅に出る。

 そこから浮かび上がってくるのは「リサイクル」の精神だ。市場が閉まったあとには、まだ全然食べられる卵パックやチーズなどが平気で捨てられている。その道に落ちている廃棄された果物などで日々の食事をまかない、ボランティアで読み書きを教えているインテリ青年。廃品やゴミを集めてオブジェを作る美術家たち。中には家まで建ててしまう人もいる。まさしく今で言うSDGs――サスティナブル(持続可能性)に向けたリアルな実践例の数々だ。誰かが捨てたものを再利用して生きていこうとする人々の智恵。

 当時70歳を過ぎていたヴァルダは、この旅を通してフレッシュな人生の「気づき」をたくさん得ていく。収穫が終わったあとの畑で彼女が拾ったハート型のジャガイモは、以降お気に入りのモチーフとなり、ヴェネツィア・ビエンナーレの会場などでジャガイモの着ぐるみを身に纏った可愛いコスプレ姿を披露するようになる。
本作は彼女を映画から現代アートへの越境――ヴィジュアル・アーティストとしての活動へと橋渡しすることにもなった重要作であり、続編『落穂拾い・二年後』(2002年)も作られた。
 軽やかに世紀を跨ぎ、柔らかで自由な自己更新を続けてきたアニエス・ヴァルダ。また同時に、彼女も最も大切にしてきたのは我々一般の生活と意見だ。それは『ラ・ポワント・クールト』から何も変わっていない。『アニエスによるヴァルダ』でも『ダゲール街の人々』が捉えた「市井の人々」についてこう語っている。
「演技は素人だけど“本物の人々”よ。彼らこそ今まで私が被写体にしてきた人々。彼らが私の仕事の中心なの」――。

『アニエスによるヴァルダ』
© 2019 Cine Tamaris – Arte France – HBB26 – Scarlett Production – MK2 films
『ラ・ポワント・クールト』
© 1954 succession varda
『ダゲール街の人々』
© 1975 ciné-tamaris
『落穂拾い』
© 2000 ciné-tamaris

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