【特別記事】ヴィム・ヴェンダースの「見える/見えない」をめぐる物語

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【特別記事】ヴィム・ヴェンダースの「見える/見えない」をめぐる物語
文 / 青野賢一、イラスト / 德永明子
編集 / 映画ナタリー

目次[非表示]

  1. 息子とのバディ感も見どころの「パリ、テキサス」
  2. 天使を駆り立てる恋心のめばえ
  3. 人間の目を持った天使が見た世界
  4. 登場人物の心の変化を味わう5時間弱
  5. 見ることが叶わない人のための物語
 このたび「ザ・シネマメンバーズ」で配信がスタートする、ヴィム・ヴェンダースの4作品「パリ、テキサス」(1984年)、「ベルリン・天使の詩」(1987年)、「夢の涯てまでも」(1991年)、「時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!」(1993年)──は、氏のキャリアの中でも中期にあたるもの。「パリ、テキサス」が話題を集め、より多くの人がヴェンダースの存在を知るところとなった時期に手がけた作品たちであり、これらのいずれかが初ヴェンダース体験だったという方も少なくないのではなかろうか。かくいう私も最初に劇場で観た作品は「パリ、テキサス」だった。

息子とのバディ感も見どころの「パリ、テキサス」

 黒バックに赤い文字でクレジットが流れ、“PARIS, TEXAS”とタイトルが提示されるのと同時に乾いたギターの音色が響き、荒涼とした風景を導く。「パリ、テキサス」のオープニング・シークエンスは、渇きと灼熱が画面を支配しているにもかかわらず、何度観てもゾクッとさせられる凄みがある。この日差しをさえぎるものが何もない荒地を男が一人歩いている。着ているスーツが砂埃にまみれていることから、それなりの時間、こうした土地をずっと歩いていることがわかるのだが、彼の足取りは思いのほかしっかりとしたものだ。まるで何かに取り憑かれているかのように。

 ハリー・ディーン・スタントン扮するこの男はやがて行き倒れて、その結果身元が判明する。名前はトラヴィス。彼は4年前に妻のジェーン(ナスターシャ・キンスキー)と幼い息子ハンターを置いて失踪し行方不明になっていたのだ。医師からの連絡を受けてトラヴィスを引き取ったロサンゼルスに住む弟ウォルト(ディーン・ストックウェル)の家では、ハンターがウォルト夫妻の息子として育てられていた。倒れた時には記憶を喪失していたトラヴィスだったが少しずつ回復し、実の子であるハンターとの距離を縮めようと努め、こちらも徐々に打ち解けていった。やがて、ジェーンの居場所の手がかりを得たトラヴィスはハンターとともに車でジェーン探しの旅に出る──。

 ジェーンを探すトラヴィスとハンターの様子は、ハンターが7歳であるにもかかわらず立派なバディ・ムービーという雰囲気で実にいい。そんな旅を経て、トラヴィスはついにジェーンと再会するのだが、この出会いは、トラヴィスからジェーンの姿は見えるがジェーンからは見えない、というシチュエーションである。これは、二人の隔たりとその後を暗示させる見事な設定といえるだろう。

天使を駆り立てる恋心のめばえ

 「ベルリン・天使の詩」とその続篇とでもいうべき「時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!」は、天使たちを主役にした物語。天使というと西洋絵画に見られる子どものような姿を想像してしまうが、こちらの天使は成人である。まずは「ベルリン・天使の詩」から見ていくとしよう。高い塔の上からベルリンの街を見下ろす天使ダミエル(ブルーノ・ガンツ)。成人のほとんどはダミエルの姿が見えないので、その存在に気づくことはないが、子どもたちには見えるらしい。天使であるから神への報告義務があるのだろうか、ダミエルは人間の心の声を聴き、また人間の生活や地上の様子、あるいは自然の営みを見て、同僚天使のカシエル(オットー・ザンダー)と情報交換をする。ダミエルはこういう。「霊として生きるのは素晴らしい 人々の心に霊を気づかせる」「でも霊でいる事にうんざりする時もある 永劫の時に漂うよりも自分の重さを感じたい」。カシエルは同調するそぶりを見せながらも「霊でいよう 距離を保ち 言葉でいよう」と、天使の職を捨て──とはつまり天使としての死を意味するのだが──人間界の暮らしに飛び込みたいと思っているダミエルをいさめた。

 ある時、サーカス小屋に紛れ込んだダミエルは、団員の一人で空中ブランコが担当のマリオン(ソルヴェイグ・ドマルタン)に心奪われる。映画の撮影でベルリンを訪れていたピーター・フォーク(本人が本人役で出演)は、天使たちを見ることはできないが存在を感じることができ、ダミエルにこちら側の世界に来いと促した。やがて、ダミエルは意を決して人間界へ。ベルリンの壁の西ベルリン側で気を失っていたところに、空から落ちてきたプレートアーマーが頭に当たってダミエルは目を覚ました。人間になったとなれば、マリオンに会いたい。ダミエルは街を歩き回って、以前彼女がいたライブハウスを覗いてみることにした。今夜はニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズのライブだ。果たしてダミエルはマリオンと出会えるのだろうか?

人間の目を持った天使が見た世界

 先に述べたとおり、「時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!」は「ベルリン・天使の詩」の続篇的作品で、ダミエル、カシエル、マリオン、ピーター・フォークといった登場人物はそのまま引き継がれている。舞台となるのは東西統一後のベルリン、今回の主役はカシエルだ。

 ダミエルが人間となって地上に暮らし始めてからも、カシエルは以前と変わらず人々の言葉を聴き、営みを眺めている。テクノロジーが進歩し、情報化社会に突入するうち、人間たちは天使の声にすっかり耳を貸さなくなってしまった。「人間は僕達より世界を信じてる」。カシエルは天使仲間のラファエラ(ナスターシャ・キンスキー)にこう語り、人間たちがどう感じ、どう考えているのかを知りたいから人間になって確かめたい、と告げる。やがて人間となったカシエル(ダミエルの時と同様、プレートアーマーが一緒だ)はダミエルと再会を果たすが、都市化が行き着くところまで行き着いたベルリンで孤独を感じ、酒に溺れるばかり。おまけに事あるごとに堕天使のエーミット・フレスティ(ウィレム・デフォー)が姿を現してカシエルを挑発するのだった。

 すっかり落ちぶれて路上で物乞いをするカシエルのもとに、以前コンサートを観たルー・リード(本人)が偶然現れた。カシエルはコンサートを思い出して、「なぜ善良になれない」と歌詞の一節を口にすると、ルー・リードは「分かってりゃ教えるさ」と紙幣を握らせ、こういった。「君ならきっとやれる」。路上生活に別れを告げたカシエルは善行に努めようという気持ちでいるが、それとはうらはらに事態は悪い方へ進み、いつしか犯罪に巻き込まれてゆくことになってしまった──。
「ベルリン・天使の詩」と「時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!」は両作とも、天使たちの主観シーンと天使界のことはモノクロームで描かれているが、これは天使のイメージの白とその倒錯形である悪魔の黒という天上界の状態をモノクロで表現しているのだろう。その一方で人間界は白黒だけでは表せない様々な色彩にあふれている。また、天使が人間になる際にプレートアーマーがセットになっているのは、戦争や争いごとの絶えない人間界で天使が生きてゆくのに必要な防御策といったところだろうか。天使たちは市井の人々の暮らしを美しく詩的に語るのだが、こうした「普通の暮らし」への眼差しは、ヴェンダースが敬愛する小津安二郎へのオマージュが感じられ、またジム・ジャームッシュの「パターソン」を思わせるところもあるが、いかがだろうか。

登場人物の心の変化を味わう5時間弱

 4時間48分の驚くべき超大作「夢の涯てまでも」は、1991年の劇場公開時には3時間弱のバージョンであったが、今回は1994年に発表されたディレクターズカットにて配信される。長さもそうだが、4大陸、9カ国で撮影と、スケールの大きな作品である。

 この映画の時代設定は1999年。インドの核衛星が軌道から外れ、墜落の恐怖に世界中が慄いている。そんな中、クレア(ソルヴェイグ・ドマルタン)はどこに向かうとも決めずにヴェネツィアから車を走らせた。南仏で渋滞に巻き込まれたクレアはしびれを切らして見知らぬ道へと進んでいったのだが、しばらくして前を走る車と接触事故を起こしてしまう。事故の相手はどうやら銀行強盗犯らしく、クレアは成り行きで強奪金をパリまで運ぶ仕事を請け負うことになった。パリへと向かう途中、クレアは公衆テレビ電話でたまたま隣にいた男をこれまた成り行きで車に乗せる。何者かに追われているこの男の名はトレヴァー(ウィリアム・ハート)。あちこち旅して「見てまわっている」という。

 パリに着いて、クレアは元交際相手で小説家のユージーン(サム・ニール)の家に行き、預かった強奪金を示しながら事の次第を説明していて金の一部をトレヴァーに抜かれていることに気づく。金を返してもらうこと以上に、トレヴァーが何らかの理由で追われていることが気がかりなクレアは、探偵のウィンター(リュディガー・フォーグラー)を使って彼の居場所を突き止め、首尾よく出会うことができた。と、これで話が済めば5時間近くの映画である必要はないわけで、パリからベルリン、リスボン、モスクワ、北京、東京、箱根、サンフランシスコ……と彼女たちの旅は続いてゆく。東京のシーンはどこか「ロスト・イン・トランスレーション」を思い出させたり、また箱根では小津映画の常連である笠智衆が登場するなど、楽しめる要素がたっぷりある。

 このワールドワイドな旅の終着点がどこなのか、なぜトレヴァー(彼の本名はサムで、途中からサムと呼ばれる)が追われているのか、トレヴァーの目的は何なのかは、本篇にて確認いただければと思うが、登場人物たちの気持ちの変化や、物語の最初に提示される核衛星問題が人々にどのような影響を与えているか(最終地点の現地の人々と旅人たちとのセッションによる音楽の何と美しいことか!)が実に丁寧に描写されている。こうした描写を時間をかけて行うことで、自らが生み出したテクノロジーに欲望に負けて飲み込まれてしまう人間の脆さが噴出する物語の終盤が際立ってくるのである。

見ることが叶わない人のための物語

 さて、これまで4作品を取り上げてきたが、いずれにも共通しているのは「見える/見えない」というモチーフだろう。ジェーンとトラヴィスの再会、大人からは見えない天使たち、そして「夢の涯てまでも」においても「見える/見えない」は物語の重要な要素であるし、時が経つにつれてその痕跡や存在が見えにくくなってしまった戦争などの過去の出来事や街並みもそうだろう。見ることが叶わない人たちに何かを伝えるにはどうすればいいか? 登場人物たちは愛情を持って懸命に考え、行動する。視覚的な伝達はもちろんのこと、テキスト、詩、そして言葉を用いることも忘れてはいない。そう考えると、この軌跡を収めたものがヴェンダースの映画である、ともいえるのではないだろうか。

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