フィリップ・ガレルが描く、ミニマルなラブストーリー

LETTERS ザ・シネマメンバーズ 榎本 豊
フィリップ・ガレルが描く、ミニマルなラブストーリー

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  1. 嫉妬とはなにか
  2. 語り手の声
 フィリップ・ガレルは、神童と呼ばれた10代での早熟な映画作家デビューやアンディ・ウォーホルの“ファクトリー”との交流、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのニコと出会い、彼女を主演にして制作された70年代の前衛的な作品など、孤高の職人というイメージを持っている人が多いだろう。

 商業映画に復帰してから彼が撮る作品は、いくつかの例外を除いて一貫して恋人たちの物語だ。今回お届けするのは、2010年以降の近年に撮られた2本の作品。どちらも美しいトーンのモノクロで、シンプルで小さな物語が描かれる。フィリップ・ガレルは、父親であり俳優であるモーリス・ガレル、パートナーであったニコ、息子のルイ・ガレルなど、彼のプライベートな関係性の中から作品を創り出してきた。そのことによって、自伝的であったり、私小説的といった枕詞で語られることが多い映画作家だが、映画自体はそのことを意識せずに、端的にこの小さな物語を味わってみたい。

嫉妬とはなにか

 別れた夫婦。男(ルイ)には恋人(クローディア)がいる。娘との関係は良好だ。『ジェラシー』の冒頭では、いくつかのシーンの時間軸が入れ替えられている。「これはどうなっている?」という観客の心の動きに連動するかのように、娘、元妻、恋人のそれぞれがうっすらと抱え持つ“不安”が映し出される。

『ジェラシー』

 両親が別れ話をしている声をベッドで聞く娘。父親とのお絵描きのことを語る娘。それを見る母親、出ていった父親が帰ってこないかと玄関に座り込む娘、ルイが役者仲間と共演相手の女優について話すのを聞くクローディア。
 中心となるのはルイとクローディアの関係だ。娘と定期的に会い、娘からも愛されているルイ。稼ぎは少なくとも役者としての仕事はつづいている。一方、クローディアは、オーディションでは6年間失格ばかり。そして目の前の恋人ルイには家族の愛も望んでいる仕事もある。
 そうして嫉妬が動き出す。それはクローディアが友人との会話の途中、思い出したように席を立ち、走り出した時から始まっていたのだろう。不安が嫉妬へと形を変えていく。恋人の心変わりへの不安、自分が得られないものを手に入れている恋人。そしてそれを本心として彼には話すことはできない。それが嫉妬の正体ではないか。
 この映画のガイドの役割をしているのは、クローディアの友人の老爺の言葉かもしれない。「誰にでも自分の物語がある。」、「障害を前に不安を感じながら生きている。」、「人生の美点は何びとにも生を強要しないこと。」― そして、エンドロールで歌われる『Ouvre ton cœur(心を開いて)』もこの映画を象徴しているようだ。

『ジェラシー』

 ガレルは、この作品において、ほんの小さな出来事を捉える際、登場人物の目というカメラの視点をほぼ使わずに写しとっている。物語は主人公によって語られるわけではない。そしてそれを継ぎ足していくことで、人生の“ある時間”を映画としての形にする。この世界を語るための時間ではない、ある部分的な時間―。そこに映っているのは、私小説的な、誰かをイメージさせる俳優の演技ではなく、そこにあたかも生きているという“個人”だ。例えばエリック・ロメールの映画には、物語を機能させる“偶然”が用意され、短編小説のような感触とともにウィットのようなものを感じるのだが、ガレルの映画はもっとミニマルで自然だ。

語り手の声

 『パリ、恋人たちの影』においても、『ジェラシー』同様、芸術を志す者、貧しい生活、恋人たちの“不和”が描かれている。ドキュメンタリー映画を撮っている作家のピエールとマノン。ここでは嫉妬というよりは、男女それぞれの浮気が物語の中心にくるのだが、『ジェラシー』と大きく異なるのは、物語をガイドする外の声=語り手の声が入ってくることだ。
 ピエールがフィルム倉庫で出会った学生エリザベットと浮気をし、エリザベットはピエールとマノンのカップルの生活を隠れて見る。そして、マノンにも愛人がいたことを知るシーンでは、「マノンの裏切りでピエールへの愛が汚されたと感じた。」という、エリザベットの心情を説明する語りが入るのだ。ここを説明なしに放置して置き去りにしていくのがフランス映画のよくあるパターンのような気もするが、この語り手を存在させていることで、映し出されるシーンに独特な、そこに生きている人々の生活を説明しているかのような日常感が出ているように思う。

『パリ、恋人たちの影』

 例えば、ホン・サンスの映画ならこの語り手の声は、主人公の声になるだろう。そうすることで、映し出されるものはプライベートな生っぽい感覚を得て、過去に自分が経験したことを語るような、私小説的な質感となっていく。一方で、本作のガレルのこの第三者による語り手の声は、それが入ることで、そこに生きている“個人”の生活の一部の時間がいま映っているのだという感覚をもたらしている。男の身勝手な生態や簡単には別れられない恋人たちの状態が極めて自然な形で映り、物語を等身大で日常的なものにしているのではないか。

『パリ、恋人たちの影』


 『ジェラシー』も『パリ、恋人たちの影』も、本当の気持ちを話せない状態や、お互いに自由ではないことによる不和を描いている。それらは確かに、父親であるモーリス・ガレルの人生の一部だったかもしれないし、フィリップ・ガレルの見た人生の一部だったかもしれない。けれども、それを映画にする際に、作品内に投影するのではなく、普遍的な愛の物語にしているように見える。儚い日常をミニマルに写しとったラブストーリーの味わいがある。

「ジェラシー」
©2013 Guy Ferrandis / SBS Productions

「パリ、恋人たちの影」
© 2014 SBS PRODUCTIONS - SBS FILMS - CLOSE UP FILMS - ARTE FRANCE CINEMA

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この記事のライター

ザ・シネマメンバーズ 榎本  豊
ザ・シネマメンバーズ 榎本 豊
レトロスペクティブ:エリック・ロメールを皮切りにした2020年4月のザ・シネマメンバーズのリニューアルローンチから、ザ・シネマメンバーズにおける作品選定、キュレーションを担当。動画やチラシその他、宣伝物のクリエイティブなども手掛ける。

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