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COLUMN/コラム2024.04.10
ピーター・ジャクソンとWETAの躍進ー『さまよう魂たち』
◆カルトな支持を誇るマイケル・J・フォックス主演作 1996年に公開された映画『さまよう魂たち』は、マイケル・J・フォックスの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』トリロジー(1985〜1989)を別格とする主演作の中でも、とりわけカルトな人気を誇る異色のゴーストコメディだ。 マイケルが演じるのは、臨死体験の後に妻を亡くしてしまった中年男のフランク。彼はその体験によって、最近に亡くなった人の霊体と接触する能力を得る。そしてこのスキルを悪用し、ゴースト仲間の助けを借りてニセの幽霊騒ぎを演出し、ゴーストバスタービジネスで大儲けを実行していたのだが……。 映画は恐ろしい悪霊やクレイジーなキャラクターの登場、そしてコメディとシリアスの配分に優れたストーリーなどの好要素にあふれ、加えてプラクティカルエフェクトとデジタルエフェクトの融合による、大胆な視覚スペクタクルを存分に堪能することができる。 なにより本作は、ニュージーランドを拠点に活動していた映画監督ピーター・ジャクソンの、初めて手がけたハリウッド作品として映画ファンの熱い支持を得ているのだ。 『ロード・オブ・ザ・リング』(2001〜2003)そして『ホビット』(2012〜2014)両三部作で世界的な映画作家となったジャクソンだが、キャリア初期は『バッド・テイスト』(1987)『ミート・ザ・フィーブル 怒りのヒポポタマス』(1989)など、残酷だが絶妙にコミカルな、嗜好性の強いホラーSFやブラックコメディを手がけ、特に彼が1992年に発表した『ブレインデッド』は、ゾンビの軍団が芝刈り機で粉々に粉砕されるという、映画史上最も血量の多いシーンで世界に悪名をとどろせていた。 ・『さまよう魂たち』撮影現場でのマイケル・J・フォックス(中央左)とピーター・ジャクソン監督(中央右)。最左はロバート・ゼメキス。 こうした初期3作では、造形物や特殊メイク、特殊効果が多用されていたが、作品ごとにファシリティを編成しては解散するという非効率さにジャクソンは疑問を覚え、『ブレインデッド』公開後の1992年12 月、視覚効果の制作チームを結成する方向に舵を向けた。それがWETAである。名前のコンセプトは 「Wingnut Effects and Technical Allusions」の頭文字をとったものだが、頑丈な姿をした、ニュージーランド生息のコオロギにちなんで付けられたものだ。 そんなジャクソンの転機となったのが、ケイト・ウィンスレット主演『乙女の祈り』(1994)で、これは1950年代のキリスト教会で2人の少女が親友になり、後に母親を殺害したパーカー・ハルム事件に基づくクライムファンタジー。彼は同作でCGを用いた場面を設定し、開発のための設備導入を、この映画の製作費でおこなったのだ。これが2000年に分社化する「WETAデジタル」の起点である。ちなみに同スタジオはフィジカルエフェクト部門の「WETAワークショップ」と、CGなどデジタルエフェクトを専門に扱う「WETAデジタル」の2部門で編成されている。 ◆WETAデジタルの確立 『乙女の祈り』が事実に基づく話だったことから、その反動でジャクソンは次回作を、映画的な創意に満ちた話にしようと模索した。そこで以前より原案として考えていた、ペテン師が幽霊を使って人を怖がらせ、金を稼ぐ話を膨らませようとしたのである。 そのあらすじが代理人を通して『テールズ・フロム・ザ・クリプト』の劇場版を開発中だったロバート・ゼメキスの目に止まり、発想に感心したゼメキスは単独の作品として『さまよう魂たち』の映画化を進行させたのだ。 フランク役にマイケル・J・フォックスが選ばれたのもゼメキス由来で、彼は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で仕事をしたマイケルはどうかとジャクソン側に提案し、ジャクソンはこれを快諾。マイケルに脚本を送り、彼はその面白さを称賛して出演OKを出したのだ。 同時にWETAは世界市場を舞台にすることで、自社の規模を急速に拡大する必要があった。脚本から想定されたVFXショットは約570(『乙女の祈り』は30ショット)。今日の基準に照らし合わせると決して多くはないが、新進気鋭の監督とニュージーランドの小さなVFXスタジオにとっては膨大なものだった。加えて公開が1996年10月のハロウィン期から7月のサマーシーズンへと早められ、製作は急務となったのである。 そこでユニバーサル側は他の視覚効果スタジオにVFXを分担させることを提案したが、WETAはショウリール用に自社で手がけた100のVFXショットをユニバーサルに見せ、自社をメインとする資金提供をものにした。1台しかなかったコンピューターを40台に増設し、技術的インフラを整え、CGアーティストを12人から40人に増員。壁紙やカーペットの下を滑空して犠牲者を襲う恐ろしい死神や、最も困難をともなうクライマックスのワームホールシークエンスなど、複雑で膨大なエフェクトの創造に対応したのである。 『さまよう魂たち』はジャクソンが取り組んできた作品の中で、あまり大ヒット作とは言えなかったものの、プロジェクトにおける投資とシステムの拡張が功を奏し、1996年公開の商業長編映画で使用されたデジタル効果が、これまでで最も多く含まれた作品となった。そしてWETAはハリウッドの外側にいながら、世界トップクラスの特殊効果が実現可能であることを証明したのだ。 ◆WETAを支えたゼメキスとの友情 『さまよう魂たち』でユニバーサルにささやかな利益をもたらしたピーター・ジャクソンとWETAは、念願だった『キング・コング』映画化の権利を同スタジオから得て、このプロジェクトに1年間近く取り組んだ。WETAワークショップが制作したマケットをスキャンし、CGのコングやスカルアイランドに生息する恐竜たち、そして正確を極めたデジタルによるマンハッタンをWETAデジタルが生み出すという創造のバトンパスが理想的に交わされ、またコングの毛並みの描写を極めるアニメーションテストが徹底しておこなわれるなど、いつ制作にGOが出てもいいようクルーたちは準備していたのだ。 しかしユニバーサルの経営陣が交代し、当時『GODZILLA』や『マイティ・ジョー』(1998)といった巨大クリーチャー映画が同時に製作されていたため、撤退を余儀なくされたのだ。そして企画の棚上げはWETAの存続に危険信号を灯し、危うく生き残れなくなるところだったのである。 しかし『さまよう魂たち』でプロデューサーを務めたロバート・ゼメキスが、ジョージ・ミラーから企画を譲り受けた監督作『コンタクト』(1997)のVFXにWETAを起用し、いくつかの視覚効果シーケンスを担当させた。それが同スタジオの維持につながったのである。ゼメキスはジャクソンを信頼しており、彼と作品を通じて良好な関係を築いていた。『さまよう魂たち』はそんな信頼関係の証であり、WETAを救った映画でもあったのだ(『キング・コング』が実現するのは、それから約9年後のこととなる)。 『コンタクト』で数ヶ月間、WETAのクルーは全員が忙しくしていたが、その間にジャクソンは映画会社ミラマックスと、別のプロジェクトを始動させることになる。原作はファンタジー文学の古典「指輪物語」。そう、後の『ロード・オブ・ザ・リング』なのは言を俟たない。■ 『さまよう魂たち』© 1996 Universal City Studios,Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2015.05.16
【DVD廃版】ハリウッド伝統の"泣かせ映画"を支えるベット・ミドラーの適役ぶり!!〜『ステラ』
1913年に著名なボードビリアンで映画プロデューサーでもあったジェシー・L・ラスキー、当時まだ無名監督だったセシル・B・デミルと共に、パラマウントの前進となる映画製作会社、ジェシー・L・ラスキー・フィーチャー・プレイ・カンパニーを設立。その後、1922年にはパラマウントと同じメジャースタジオのメトロ・ゴールドウィン・メイヤー=MGMの母体となる製作会社を立ち上げ、翌年にはMGMを脱退し、自らの名前を冠にした独立プロ、サミュエル・ゴールドウィンを設立する。このように、まるでハリウッドの離合集散を象徴するようなゴールドウィンだが、映画作りのコンセプトはズバリ、文芸色の強い濃厚で波乱に富んだストーリー性。"ゴールドウィン・タッチ"と呼ばれるこの特性に則り、製作された彼の代表作と呼べるのがメロドラマの名作『ステラ・ダラス』だ。 今回放送されるベット・ミドラー主演の『ステラ』は、サミュエル・ゴールドウィンが製作した1925年の無声映画と、1937年のリメイク映画のリメイク。つまり、3度目の映画化というわけだ。映画のベースになっているのはオリーヴ・ヒギンズ・プローティ著のベストセラー小説『ステラ・ダラス』で、文芸志向の強いゴールドウィンはこの原作に惚れ込み、すでに取得していた他作品の著作権を担保にして映画化権をゲット。舞台出身の大物女優たちがオーディションに殺到する中、ゴールドウィン映画に数本出演経験があるだけの無名女優、ベル・ベネットがステラ役に、夫のスティーブン役にゴールドウィン社の看板スターだったロナルド・コールマンが各々配され、名匠ヘンリー・キングの下、第1作目の無声映画『ステラ・ダラス』は製作され、傑作として映画史に記録されることになる。 それから12年後、ゴールドウィンは再び『ステラ・ダラス』をトーキー映画として蘇らせる。ロシアの文豪トルストイの原作をオードリー・ヘプバーン主演で映画化した『戦争と平和』(56)で知られるキング・ヴィダーが監督し、バーバラ・スタンウィックがステラを演じたリメイク版は前作に勝るヒットを記録し、スタンウィックと娘のローレルを演じたアン・アシュレーがアカデミー主演女優、助演女優のW候補に。同じ配役でラジオドラマまで制作され、放送は何と延々18年間も続いた。主要な登場人物のその後を描いたドラマについて、原作者のプローティは版権使用を許可しなかったが、リスナーの欲求には勝てなかったのだろう。 では、なぜ、この物語が人々をそれ程までに魅了したのか?少なくとも、1925年製作の無声映画と1937年製作のトーキー映画は、共通したメッセージを孕んでいる。父親が経営していた銀行が破綻したために、婚約を破棄して別の町の工場で働き始めた主人公のスティーブンが、そこで出会ったステラと恋に落ち、結婚して一女のローレルをもうけるが、ステラとは口論が絶えず、やがて、離婚。ニューヨークへ栄転したスティーブンは元婚約者で今は未亡人となったヘレンと再会する。スティーブンは時折ローレルをニューヨークに招き、ローレルはヘレンの長男、リチャードに恋心を抱くようになり、1人取り残されたステラは嫉妬に狂い、スティーブンから離婚を提案されても承諾しなかった。しかし、そもそもが無教養で、上流社会に仲間入りしようとしても気持ちが空回りし、派手に振る舞い過ぎて浮いてしまう自らの思い違いが、ローレルやスティーブンを不幸にしていると知った時、ステラは決断する。夫と娘をヘレンに託して失踪したステラは、ローレルとリチャードの結婚式に姿を現し、会場の外から幸せそうな娘の姿を見届けると、そっとその場を後にする。 つまり、最愛の人の幸せを優先し、自らは舞台裏に退くというサクリファイスを、階級社会を背景に描いた点が、この物語に人々が惹きつけられる最大の要因なわけで、スタンウィック版が公開されたほぼ半世紀後の1990年に製作されたベット・ミドラー版にも、それはしっかりと踏襲されている。しかし、時代が変わればそれに準じて設定も変わるのが常識で、最大の改変ポイントは、ステラが娘のジェニー(ローレル改め。演じるのは1990年代に青春スターとして活躍したトリニ・アルバラード)を妊娠したと知った時、身分の違いを理由に端からスティーブに結婚など望んでない点。「自分は正しいことをしたい。だから、結婚する」という、半ば諦めにも似た言葉で責任を取ろうとするスティーブを突き放したステラは、一旦は中絶や里子を言葉にする。時代設定は1969年。偶然、ザ・シネマでも紹介した『さよならコロンバス』が公開された年だ。劇中で、ステラはその『さよなら~』を映画館で鑑賞中に破水してしまうのたが、若者の中絶問題に言及した話題の映画に絡めて、声高ではないけれど、中絶や女性の自立に目配せしているところが最新版の工夫点と言ったところか。 そんな1969年に始まり、マンハッタンの新たなランドマークとしてシティコープ・ビルが完成した1977年を経て、公開年の1990年へと至る物語には、ステラが生活費を稼ぐために化粧品の訪問販売に挑戦したり(今ならネット通販で事足りる)、ステラが初めて手にしたクレジットカードを使ってジェニーとマイアミ旅行に出かけたり等、今見ると時代を感じさせる要素も満載だ。 一方で、時代に関係なく弾けまくるのがベット・ミドラーだ。BARのウェイトレスという設定のミドラー=ステラは、冒頭でいきなりカウンターに上がってエロいストリップティーズをお見舞いした後、白けた食卓を温めようと、「ジョン・レノンの亡霊がマザー・テレサの前に現れて"ヘイ・ジュード"をリクエストするの。どう?可笑しいでしょう?」と爆笑ネタを披露したり、マイアミのビーチに悪趣味なサンドレスで登場し、ボーイ相手にサルサを踊って周囲をどん引きさせたり、シンガー・アクトレスの面目躍如な活躍ぶり。思えば、このステラ役、『ローズ』(79)でジャニス・ジョプリンがモデルのロックシンガーに扮してオスカー候補になった後、『殺したい女』(86)、『ビッグ・ビジネス』(88)とコメディでヒットを飛ばす傍ら、『フォーエバー・フレンズ』(88)から『フォー・ザ・ボーイズ』(91)へと続く"泣かせ路線"にも定評があったミドラー抜きには考えられないキャラクター。父親のサミュエル・ゴールドウィンが残した遺産を受け継ぎ、3度目の映画化に挑戦した息子のゴールドウィン・ジュニアが、映画の成否をミドラーに託したのも頷けるナイスなキャスティングだと思う。惜しくもミドラーのラジー賞候補入りという残念な結果にはなったけれど、長いハリウッドの歴史と時代の変遷と、そして、元気なベット・ミドラーを味わうには、絶好の作品ではないだろうか。■ STELLA © 1990 TOUCHSTONE PICTURES AND ORION PICTURES CORPORATION.. All Rights Reserved