検索結果
-
PROGRAM/放送作品
スウィート・ノベンバー
1ヶ月の期間限定という切ない愛を、キアヌ・リーヴスとシャーリーズ・セロンの美男美女が美しく紡ぎ上げる
ある秘密から1ヶ月期間限定の関係を繰り返す女性と、彼女を本気で愛した男の甘く切ないロマンス。キアヌ・リーヴスとシャーリーズが『ディアボロス 悪魔の扉』での夫婦役以来の共演で、抜群の好相性を見せつける。
-
COLUMN/コラム2018.10.30
悪魔が作らせたのか?97年の予言的映画『ディアボロス/悪魔の扉』が的中させた、21世紀のモラルハザード①
当チャンネルでの放映予定は当面ないが、ジョニー・デップの『フロム・ヘル』をご記憶だろうか?“切り裂きジャック”の真犯人探しモノで、19世紀末ヴィクトリア朝ロンドンの深い闇と、酸鼻きわめる猟奇描写と、あっと驚く“切り裂きジャック”の正体が見どころの、出来の良いスリラーだった。 クライマックスでついに正体を現したその人物は、傲然とこう言い放つ。「後世の人々は語るだろう、20世紀を生んだのは私だと」 まさしくそうだ。 あれは「猟奇殺人」であり、「快楽殺人」でもあったかもしれず(映画では別の犯行動機があるという話になっていたが)、そして何よりも、犯人がマスメディア(当時は新聞)に犯行声明文を送り付け、そのメディアが発信するどぎついタブロイド的・ワイドショー的情報を大量消費した資本主義社会の都市住民が、恐怖しながらも興奮した「劇場型犯罪」だった。 マスメディアを通じてそうした類いの犯罪に触れた20世紀の大衆は、それを、生理的に恐怖し嫌悪しつつ、道徳的には怒り悲しみつつも、同時にまた、それを旺盛に消費もした。猟奇事件や未解決事件を扱うドキュメンタリーやノンフィクションに恐いもの見たさの好奇心から触れて、深淵を覗き込んでしまった覚えは、誰にだってあるはずだ。20世紀、それは大衆に消費されるコンテンツの一つになった。 『フロム・ヘル』は、19世紀末のロンドンにおいて“先行配信”された20世紀型モラルハザード※のコンテンツが、悪魔の扉を開いた、という物語なのだ。 ※「モラルハザード」という言葉の本来の意味は違う。誤用が広まっている。ここでは誤用と承知で使うが正確な国語的語義は各自でおググりあれ。 そして、本稿で取り上げる1997年の映画『ディアボロス/悪魔の扉』。こちらは、90年代末のNYに存在する社会の歪みが、21世紀型モラルハザードを先取りしており、それが悪魔の扉を開くだろう、と予言した物語で、そして、実際その通りになってしまったのである。そのことを、本稿では恨み節調に書いていきたい。 まず、あらすじから始めよう。冒頭の舞台はフロリダの田舎町だ。主人公(キアヌ・リーヴス扮演)は負け知らずの若手弁護士。いま抱えているのは、被告の男性教諭が原告の女子中学生に強制猥褻をしたという裁判だ。依頼人の教師が“黒”である真相が、我々観客とキアヌの二者にだけ明かされる。女生徒が検察の質問に答えて被害の詳細を勇敢に証言している最中、依頼人は、じっとりと汗ばんだ左手で犯行時と同じ動作を、なでるような、もむような、挿入するような指の動きを、無意識のうちに再現しており、あまつさえ、反対の右手を膨らんできた己の股間にまでこっそり持っていく始末なのだ、デスクの下で。そこは誰の目からも死角。唯一、隣に座っている弁護士キアヌ・リーヴスからのみ、そこは死角ではない。その卑猥な指の動きに気づいてしまった彼は、自分の依頼人が“黒”だと悟る。たちまち生理的嫌悪が湧き上がる。が、弁護士が被告の弁護を放り出すわけにもいかない。周到に練り上げてきた法廷戦術にのっとり、彼は、女生徒が教諭の陰口を叩いていた事実、教諭を嫌い、教諭も彼女をしばしば叱っていた事実、さらには、女生徒が同級生たちと少々エッチな秘密の遊びをしていた事実を、原告の少女本人に向かい声を荒げて突きつけ、動揺させ、泣かせ、被害者であるこの女子中学生が、問題児であり、色ガキであり、先生を逆恨みしているかのように陪審員の印象を操作することに成功する。今回も彼の勝ちだった。無罪評決だ。 この裁判を傍聴していた男から、祝勝会で声をかけられる。彼はNYの法律事務所の人間で、ぜひヘッドハントしたいと言う。条件は破格だ。詳しい話を聞きにNYまで行ってみると、職場環境も社宅も申し分ない。人生の成功者の暮らしだ。事務所はワールドトレードセンターのほど近く(倒壊4年前のツインタワーが映し出される)。オフィスビルの最上階で、モダンインテリアで統一された最先端のデザイナーズオフィスだ。住環境の方は、『ローズマリーの赤ちゃん』のダコタハウスや『ゴーストバスターズ』の高層マンションを思い出させる、19世紀末築のクラシカル&クラッシーな歴史的建築物。法律事務所の代表がその不動産を丸ごと一棟所有していてスタッフを各階に住まわせているのだ。無論本人はペントハウスに君臨し、上層階から下層階へと事務所でのヒエラルキー順にフロアが割り当てられているのである。 この初老の代表がジョン・ミルトン(すごい名前だ!アル・パチーノ扮演)。家父長的なカリスマ性を発散し、確固たる成功哲学を持ち、時にそれを雄弁に語り、夜ごとパーティーを催し、若い美女たちをはべらせ、部下にもそのオコボレを与え、事務所スタッフを完全に支配しているのである。主人公は、このミルトンにまず感謝し、次いで心酔し、その下で働けることを光栄に思う。 …が、しかし。 この『ディアボロス/悪魔の扉』には原作が存在する。1990年に書かれた小説『悪魔の弁護人』がそれで、映画化時に邦訳も出たことがある。主人公がフロリダではなく元々NY郊外に暮らしていたり、ペドフィリア教員がキモでぶハゲおやじではなくレズ女教師だったりと、多少の違いはあるが、ここまではおおむね映画版も原作も同じ展開をたどる。途中から違いが広がっていき、最後には全く別の結末にそれぞれたどり着くのだが、最大の相違は何かと言えば、まず端的に、主人公の妻のキャラクター造形であり、より根本的には、そもそものモチーフとなっているもの、テーマが違うのである。 映画版で奥さんを演じるのはシャーリーズ・セロンだ。中学教諭の強制猥褻裁判でも夫を応援し、勝訴が決まれば誰より喜ぶ。野心も強く、NYでのセレブ新生活に大興奮する。気っ風の良い田舎の元ヤン若妻みたいな辣腕カーディーラーの女性だった。しかし、そんな彼女がNYで次第に精神に変調をきたし、泣きじゃくりながら被害妄想と神経衰弱の症状に陥っていく。 一方、原作小説の方では真逆のキャラクターとして描かれている。NY郊外の弁護士家庭という中の上クラスの生活に満足している専業主婦で、その地域社会に愛着も抱いており、上を目指して別の生活に飛び込もうという気はさらさら無い。夫が強制猥褻容疑の被告の弁護を担当し原告の女子中学生を人格攻撃したことも恥じている。そんな彼女が、マンハッタンに移って豪華な暮らしを始めると、カネと消費の亡者に豹変するのだ。 要は、どちらも中盤で奥さんのキャラクターがガラリと一変してしまうのである。そのトリガーとなるのが「悪魔」という本作のキーワードだ。 映画版では、奥さんシャーリーズ・セロンが、この、人も羨む勝ち組ライフのふとした瞬間に、何か禍々しい、悪魔的な存在をチラチラ垣間見るようになり、フロリダではあれほど明朗快活だった彼女が、オカルト的な影に怯えて田舎に戻りたいと泣いて懇願しだす。主人公キアヌには悪魔の影など見えないのだが、妻の方は妄想なのか何なのか、不吉な気配を繰り返し感じるようになる。 「妄想なのか何なのか」と書いたが、これはつまり、いわゆる「ニューロティック・スリラー」的展開だ。この映画は、慣れない贅沢暮らしでノイローゼになり追い詰められていく心を病んだ庶民女性の物語なのか?それとも、本当に悪魔は実在するのに、それを旦那を含む誰からも信じてもらえない孤立した女性の物語なのか?どちらなのか!? それでクライマックスまで興味を持続させるのがニューロティック・スリラーというジャンルである。 一方、原作の方もニューロティックなのだが、悪魔が実在するのか妄想なのか、どちらなのかで読者を翻弄するのは、こちらでは主人公である旦那の方だ。ミルトン代表から殺人者の弁護を任され、良心の呵責に苦しむのみならず、ミルトンこそ実は本物の悪魔ではないのか!?と疑いだす。疑うほどに、逆に妻の方は、夫のことを精神異常あつかいしつつ、自身は浪費に明け暮れていく。悪魔に取り込まれつつあるのか? ヒロインである奥さんが、このように原作と映画化版とで正反対に描かれるのだが、より重要なのは、そもそもモチーフが違う、テーマが違う、ということの方だ。次回はそこに触れていきたい。 (つづき② 原題「悪魔の弁護人(Devil's Advocate)」は慣用句。その意味を知っているか?) © Warner Bros. Productions Limited, Monarchy Enterprises B.V., Regency Entertainment (USA), Inc. 保存保存 保存保存
-
PROGRAM/放送作品
(吹)スウィート・ノベンバー
1ヶ月の期間限定という切ない愛を、キアヌ・リーヴスとシャーリーズ・セロンの美男美女が美しく紡ぎ上げる
ある秘密から1ヶ月期間限定の関係を繰り返す女性と、彼女を本気で愛した男の甘く切ないロマンス。キアヌ・リーヴスとシャーリーズが『ディアボロス 悪魔の扉』での夫婦役以来の共演で、抜群の好相性を見せつける。
-
COLUMN/コラム2017.08.29
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2017年9月】飯森盛良
『エイリアン:コヴェナント』一足お先に見たが、「人間はどこから来たのか?人は何のため生まれてくるのか?」について語りたいシリーズであることがますます鮮明に。またリドスコ映画の同窓会の趣も。タイレル社長とロイバッティの関係、人体の腑分けに熱中するレクター博士の貴族趣味などが映画中に散りばめられ、さらに文学や音楽からの引用といい、「どんだけ深えんだ!」という豊潤な作品になった。しかーし!完全に『プロメテウス』の続編。『エイリアン』シリーズは見てなくても『プロメテウス』だけは見ておかないと話についていけない。ま、公開前にウチでは『エイリアン』シリーズも『プロメテウス』も全部やるんだけどな!■ © 2012 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
-
PROGRAM/放送作品
告発のとき
[PG-12]トミー・リー・ジョーンズ、シャーリーズ・セロン主演、実話を基にした社会派ミステリー
初監督作品『クラッシュ』がアカデミー賞作品賞と脚本賞を受賞したポール・ハギス監督渾身作。イラク戦争から帰還して間もなく、謎の失踪を遂げた息子を捜す父親を描いた、衝撃と感動の人間ドラマ。
-
NEWS/ニュース2012.06.01
映画『スノーホワイト』シャーリーズ・セロン来日イベントレポート
すでにテレビやWEBやらでご覧になっている方も多いかと思いますが、僕も行ってきました、映画『スノーホワイト』シャーリーズ・セロン来日イベント。 計120媒体以上が集まったという会場は大盛況! この日は、映画の中でも特に印象的な、主人公スノーホワイトが迷い込む"森"のオブジェを設置したレッドカーペットに、シャーリーズ・セロンと、日本語吹き替え版でシャーリーズ・セロン演じるラヴェンナ女王役のアフレコを担当した小雪さんが、"悪の女王"ラヴェンナを彷彿とさせる黒を基調にしたドレスで登場!白雪姫役かと思いきや、意外や意外、本作では悪の女王役。また、ルパート・サンダース監督と、これまた猟師エリック役で実写洋画のアフレコ初体験の椎名桔平さんも続いて、4人はファンサービスもしながらレッドカーペットを歩きます。 その後、場所を移して場奥のステージでは、あの名セリフ「鏡よ。鏡・・・」にちなんだ大きな鏡の中からシャーリーズ・セロン、小雪さん、椎名さん3人が登場するという大層凝った演出が行われました。 本作『スノーホワイト』は、グリム童話誕生から200年、子供から大人まで幅広く愛されている名作グリム童話の「白雪姫」を下敷きに、『アリス・イン・ワンダーランド』のスタッフらが斬新な映像と予想外の新展開を注ぎ込んだ、驚異のアクション・アドベンチャー超大作。悪の女王ラヴェンナ演じるシャーリーズ・セロン曰く、「私が惚れ込んだのは、誰もが知っている古典的な童話をまったく違う形で描いているところです。ビジュアルがとにかく素晴しいし、スケールも大きく、ストーリーも感動できます!」とのこと。また、本作品の監督であるルパート・サンダース(CMディレクター出身の映像作家)からは、「本作は日本のみなさんに魅力的に感じてもらえる作品になっているはずです!魔法やファンタジー、格闘シーンなど、文化的に受け入れてくれる土壌が日本にはあると思います。大作でありながら、感情面も豊かに描かれていてメッセージ性も高く、何百年も語り継がれるこの物語を、今の人たちに受け入れてもらえる作品に仕上げることができました。よろしくお願いいたします。」という、(なんとも丁寧な)日本のファンへ向けた熱いメッセージをいただいた。コンセプト、ビジュアル、ストーリー・・・すべてにおいて、これまでの白雪姫のイメージを一新させた本作。なんといっても、あの〈愛らしい白雪姫〉が、〈戦う白雪姫〉へ、大胆変身!するのである。とにもかくにも、観てみないことには伝わらないし分からない。でも6月15日(金)の劇場公開まで待てない!そんな人のために、6月のザ・シネマでは、『シャーリーズ・セロン出演4作品を特集放送!』あわせて特別番組『戦う白雪姫!「スノーホワイト」スペシャル―まったく新しい白雪姫を徹底解剖―』もオンエアいたします!こちらも是非!■ © 2012 Universal Studios. All Rights Reserved
-
PROGRAM/放送作品
イーオン・フラックス
ハリウッド屈指の美女シャーリーズ・セロンがセクシーな暗殺者イーオン・フラックスを熱演!
テレビドラマ『Lの世界』の監督でもある日系人監督カリン・クサマが、アメリカの人気アニメを実写映画化した話題作!セクシーな戦闘服で戦うシャーリーズ・セロンの魅力を満喫できるSFアクション!
-
COLUMN/コラム2011.11.01
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2011年11月】山田
哀しい過去と空虚な現在が深く絡み合っていく─。因果な血で結ばれた女性たちの愛と葛藤に満ちた人生を描き出す人間ドラマ。『21グラム』の脚本を務めたギジェルモ・アリアガ監督作品だけあって、時系列を複雑に交錯させた構成や演出はさすがである。3世代にわたる女性たちの生き様を描いたこの作品。シャーリーズ・セロンとキム・ベイシンガーの新旧オスカー女優競演はもちろんのこと、注目すべきはハリウッド期待の新星のジェニファー・ローレンス。びっくりするほどかわいいわけではないのですが。妙にそそられます。 ©2008 2929 Productions LLC, All rights reserved.
-
PROGRAM/放送作品
モンスター(2003)
[R-15]「孤独な魂が求めた普通の幸せ」、実在の女性連続殺人犯をシャーリーズ・セロンが熱演
主人公のアイリーンは全米初の女性連続殺人犯としてアメリカを震撼させた実在の人物。シャーリーズ・セロンは、彼女を演じるにあたり体重を13kgも増やして迫真の演技を見せ、アカデミー賞を受賞。
-
COLUMN/コラム2009.09.11
『1Q84』を読んだら『イーオン・フラックス』を観よう
“オーウェリアンSF”というジャンルがある。SF好きの人にとっては、何を今さら・・・という感があるかもしれないが、この“オーウェリアン”なる言葉はイギリスの作家、ジョージ・オーウェルが1948年に執筆したという著作『1984』から生まれた。(イギリスでの発売は1949年)『1984』は、思想や言語、結婚などあらゆる市民生活が「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビによって政府当局に監視されている、恐るべき1984年の近未来社会を描いた小説である。そこから、極度な管理社会を舞台にしたSFのことを“オーウェリアン”と呼ぶようになり、映画、小説、漫画、舞台などでその世界観が描かれてきた。『イーオン・フラックス』は、ピーター・チョンによるアニメ作品を映画化したオーウェリアンSF。舞台は致死性のウィルスが発生して、人類のほとんどが死滅した2415年。生き残った人類は、トレバー8世による政府の下で厳密に管理され、汚染された外界と壁で隔てられた都市、ブレーニャで何不自由なく生活している。 しかしいつの時代にも、反政府分子は生まれるもの。今作ではそれが、“モニカン”という組織である。シャーリーズ・セロン演じるイーオンはモニカンの女戦死で、彼女は妊娠したばかりの妹が反政府分子として抹殺されたことをきっかけに、復讐のためにモニカンの一員となったのだ。そして政府の厳重なセキュリティを解除する方法を見つけたモニカンから、命令を受けたイーオンは要塞に乗り込み、意外にあっさりとトレバーを見つけ出す。しかし、彼を殺そうと銃を突きつけた瞬間、トレバーと自分が恋人同士のように一緒にいる場面が脳裏に浮かび、動揺した彼女は逆に捕らえられてしまうのである。この脳裏に浮かんだ場面、というのがこの映画のキモ。ここから映画は急展開して、なぜ脳裏にそんな場面が浮かんだのかを探るうちに、イーオンは、本当の自分は何者で、どこからやってきたのかを知ることになる。さて、今回当チャンネルがお送りする『イーオン・フラックス』は、編成部が先見の明で選んだのか、単なる偶然なのかはさておき、ここ日本でオーウェリアンSFは、今もっとも注目を集めているジャンルなのである。というのも、映画化で話題になった浦沢直樹氏のコミック『20世紀少年』も、絶対君主“ともだち”が統治するオーウェリアン的世界を描いた作品であるし、200万部を突破した村上春樹氏の大ベストセラー『1Q84』は、冒頭に書いたジョージ・オーウェルの小説『1984』をもじったものである。僕はまだ読んでいないので、詳しいところはわからないが、内容もその世界観を土台に構築したものであるらしい。また村上氏は過去の著作、『世界の終わりと、ハードボイルドワンダーランド』でもオーウェリアンの世界観を組み込んでいる。もちろん、日本の小説や漫画だけではなく、オーウェリアンものは『イーオン・フラックス』のほかにも多数映画化されており、SFジャンルの一つとして確立されている。ルーカスの記念すべきデビュー作『THX-1138』、トリュフォーによる『華氏451』、スピルバーグの『マイノリティ・リポート』、マイケル・ベイによる『アイランド』、そして、カート・ウィマーという、ここまであげてきた大物監督に比べれば1ランク落ちる監督が撮った、しかしオーウェリアンSFの最高傑作とのマニア評がある『リベリオン』、などなどなど。これらで描かれる高度管理社会を観ると、“空想上の世界”というよりは、われわれが生きている世界をほんの少し誇張、あるいは時計の針を進めた形に過ぎないと感じる人は、けっして少なくないはずである。オーウェリアンもののメッセージ性は、時代を追うごとに増していると言える。それゆえ、『イーオン・フラックス』をはじめとするオーウェリアン作品は妙なリアリティを持って観るものに迫ってくる。このオーウェリアン的世界を肯定するのか、あるいは否定するのかで、その人生はずいぶんと異なってくる。高度管理社会で何不自由なく平穏に暮らすことは、ひとつの幸せでもある。一見、それはユートピアのように見える。しかし、何不自由なく平穏に暮らせる世界は、一方で生きることに必要でない“無駄”をなくす世界であり、必要以上の感情の起伏や芸術は必要とされない世界である。トリュフォーが『華氏451』のなかで、書物を無駄なものとして描いたのはその良い例だろう。高度に管理された何不自由ない社会は本当にユートピアなのか? それはディストピアではないのか?人はそう考え、管理社会に危険を感じるからこそ、“オーウェリアン”はこれほど描かれるのである。それにしても、映画、漫画、そして小説の世界で活躍する超一流の作家達が、こぞって"オーウェリアン"ものを作るということは、世界はそういう方向に間違いなく進んでいるということなのだろうか?人類への警鐘というと大げさに聞こえるものの、けして人ごとでも、ずっと未来の話でもないのかもしれない。歴史的な政権交代が決まった今日この頃、『イーオン・フラックス』を観た僕は、ちゃんと政治に興味持たなきゃと思ったのでした。■(奥田高大) © 2005 Paramount Pictures. All Rights Reserved