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PROGRAM/放送作品
プリティ・プリンセス
“私が王国のプリンセス!?” 『プリティ・ウーマン』の監督が贈るシンデレラストーリー
21世紀ハリウッド・ビューティー、『プラダを着た悪魔』のアン・ハサウェイの映画デビュー作。監督は“シンデレラ・ストーリー”の名手、ゲイリー・マーシャル。本作でもファンタスティックなときめきを見せてくれる。
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COLUMN/コラム2014.05.17
【ネタバレ】イザベル・コイシェ監督の2作品に隠された秘密、それは、“もうひとりの別の存在”
サラ・ポーリーと組んだ『死ぬまでにしたい10のこと』『あなたになら言える秘密のこと』の2作品で日本でも広く知られるようになったスペイン人監督イザベル・コイシェは、自らの制作会社を“ミス・ワサビ”と名付け、菊地凛子主演作『ナイト・トーキョー・デイ』を東京で撮ったほどの親日家だ。筆者は過去に二度インタビューしたことがあるが、とてもお洒落でユーモラスかつフレンドリーな女性で、つねに新作を楽しみにしている監督のひとりである。 2007年に日本公開された『あなたになら言える秘密のこと』は、筆者がその年の洋画ベストワンに選んだ思い入れの深い作品なのだが、題名から連想されるようなロマンティックな映画ではない。主人公ハンナ(サラ・ポーリー)はつねに思い詰めたような険しい顔つきをしており、極度の潔癖症で、あからさまに他人を拒絶するオーラを放っている。そんな彼女が勤務先の工場の上司から半ば強制的に休暇を取るよう勧められ、ひょんなことから海上に浮かぶ石油掘削施設で大火傷を負ったジョゼフ(ティム・ロビンス)の看護をすることになる。一時的に視力を失っているジョゼフは、ぶっきらぼうなハンナになぜか好意を抱き、少しずつ彼女の頑なな心を溶かしていく。しかしハンナは、ジョゼフの想像も及ばない衝撃的な“秘密”を抱えていた……。 ここから先はネタバレで恐縮だが、実はハンナはバルカン半島からイギリスに移住してきたクロアチア人で、ボスニア紛争における拷問被害者である。映画のクライマックスで語られるハンナの告白の内容は残酷なまでに悲劇的で、公開当時、そのような重い題材が扱われているとは夢にも思わなかった筆者を含む観客は心底驚愕し、戦慄さえ覚えることになった。ハンナの心身の耐えがたい痛みを知ったジョゼフが、それでも彼女とともに未来を歩もうとする物語はこのうえなく感動的で、極めて純度の高いラブ・ストーリーに仕上がっている。 ところが筆者が本当に驚かされたのは、しばらくしてから本作をもう一度観直したときだった。この映画の初鑑賞時に漠然と感じていた違和感のようなものが具体化し、大いなる謎が浮かび上がってきたのだ。 もともとこの映画には、誰もが気づくスーパーナチュラルなエッセンスがちりばめられている。物語の語り手というべき少女の“声”である。「ハンナは私の顔を知らない。でも唯一の友だちよ」と語るこの正体不明の“声”は何者なのか。前述したハンナの“秘密”を踏まえると、(1)拷問のトラウマゆえに幼児退行したハンナ自身の声である、(2)ハンナが紛争中に亡くした子供の声である、など幾つかの推測が可能だ。筆者は精神分析の知識が乏しいうえに、映画はあえて“声”の主を曖昧にしているので、明快な答えは見つからない。 二度目に観て気づいたのは、物語の主な舞台となる石油掘削施設の一室でハンナとジョゼフが心を通わせていくシーンに、これまた正体不明の何者かの視線のショットが何度か挿入されていることだ。物陰からひっそりとハンナとジョゼフのやりとりを見つめているかのような、そこにいるはずのない第三者の存在が感じられてしょうがないのだ。こうなるともはや心霊映画の領域だし、「たまたま手持ちカメラのアングルがそう思えるだけではないか?」という向きもあろう。しかし、この映画はコイシェ監督自身がカメラ・オペレーターを兼任(撮影監督はジャン=クロード・ラリュー)しており、物陰に潜む何者かの視線を感じさせるような主観ショットが“たまたま”撮られたとは思えない。むしろ監督は明確な意思をもって超自然的な存在がハンナにつきまとっていて、その部屋に存在していることを表現したのではないかと考える。この世を見ぬまま生命を絶たれたハンナの子供なのか、それとも非業の死を遂げた大勢の拷問被害者の魂なのか、筆者には断定しようがない。ここではまず霊的な何かが“そこにいる”可能性を指摘しておきたい。この映画の原題は『The Secret Life of Words』であり、正体不明の“声”が語る言葉が極めて重要であることは疑いようがないのだから。 ■最大の謎はラスト・シーンの“窓”の向こう側にある そして筆者が最も驚き、未だ脳裏に焼きついて離れないのがラスト・シーンである。石油掘削施設から工場勤めの孤独な日常に戻ったハンナは、再会したジョゼフからのひたむきな求愛を受け入れ、ふたりは情熱的な抱擁を交わす。続いて映し出されるのは、ハンナがキッチンでひとりたたずんでいる光景だ。どうやらハンナは、この家でジョゼフと穏やかに暮らしているらしい。ストーリーの流れとしては、明らかにハッピーエンドである。 しかし、ここにもあの少女の“声”が聞こえてくる。「私はもういない。ときどき日曜日の朝に来るだけ」。そう語る“声”は「彼女には子供がふたりいる。私の弟たち」と呟き、ハンナとジョゼフが2児をもうけたことを告げる。そして“声”が「子供たちが帰ってくる。もう行くわ」と消えようとするなか、キッチンの窓の向こうには隣家に遊びに行っていたハンナの子供たちの姿が映る。ここにこそ本作の最大の謎がある。“声”いわく“私の弟たち”なのだから、窓の向こう側を歩いてくるのは“ふたりの男の子”でなくてはならない。それなのに何度もスロー再生して確認した筆者が見るに、そこに映っているのは赤い服を着た“ふたりの女の子”なのだ! いったい、これはどういうことなのか。明らかにつじつまが合わない。おまけにこの窓の外を捉えたショットは微妙にフォーカスがずれており、子供たちがおぼろげに映っている。その撮り方から察するに、コイシェ監督はそれが女の子かどうか観客が気づかなくても構わない、というスタンスでこのショットを設計している。しかし、どうしても女の子でなくてはならかった何らかの理由があるのではないか。そうとしか考えようがない。 このあまりにも奇妙で、不可解なミステリーに関しても、筆者は答えを持ち合わせていない。ただし想像することはできる。ハンナがたたずむキッチンはまぎれもなく“現実”のシーンだが、ひょっとする窓の向こう側は“幻”なのではないかと。では、ふたりの女の子は誰なのだろう。ひょっとすると祖国のクロアチアでまだ無邪気だった幼少期のハンナと、その友だちなのかもしれない。もう幸せだったあの頃には帰れない。そんなスーパーナチュラルな心霊的ニュアンスがこもったエピローグは、表面的にはジョゼフと結ばれたことで心の平穏を取り戻したように見えるハンナの奥底に残る、もうひとつの複雑にして不穏な“秘密”を表現したシーンとして、何年経っても筆者の中で謎めき続けているのだ。 ■頻出する“ダブル”=“もうひとりの別の存在”のイメージ もう一点、筆者にとって興味深いのは、なぜ“ふたり”なのか、ということだ。ここで言う“ふたり”とは“もうひとりの別の存在”に置き換えることもできる。エピローグにおける窓の向こうの子供はなぜか“ふたり”であり、劇中には戦時中の拷問体験で精神を病んだハンナが“もうひとりのハンナ(=おそらく彼女自身)”について涙ながらに語るシーンもある。 こうした疑問を抱いた後に、コイシェ監督の前作にあたる『死ぬまでにしたい10のこと』を観直してみると面白い。この映画の冒頭では、ガンに蝕まれて死にゆく運命にある主人公アンが雨の中にたたずんでいる。そのオープニングに被さる彼女自身のモノローグは、日本語字幕では「私」という一人称で訳されているが、なぜかサラ・ポーリーがしゃべる英語セリフでは「You」という二人称になっているのだ。つまり「これが私」という日本語字幕は、本来「これはあなた」と訳されるべきなのだが、想像するに字幕担当者はそれでは不自然と判断して「私」にしたのだろう。ウィキペディアを参照してみると、代名詞に「You」が使われた理由についてこんな記述がある。「あたかも映画を観ているあなたが、この映画の主人公だ、あなたの余命が2ヵ月なのだ、と訴えかけるようになっている」。確かにそうかもしれない。しかし筆者には、超自然的な霊魂のような“もうひとりの別の存在”がアンを客観的に見つめながら、このモノローグを語っているように思えてならない。 “ふたり”もしくは“もうひとりの別の存在”、すなわちペアともダブルともいえる概念は、『死ぬまでにしたい10のこと』にさらに盛り込まれている。自らの死期が迫ったことを悟ったアンは、この世に残される夫にふさわしい再婚相手を見つけ出そうとするのだが、タイミングよく空き家だった隣家に美しく心優しい女性が引っ越してくる。レオノール・ワトリングが演じるその女性の名前は、何と主人公と同じ“アン”である。しかも隣人の“アン”はかつて看護師だった頃、患者が出産後にまもなく死亡したペアの赤ん坊=シャム双生児を看取った悲痛な体験をアンに打ち明けるのだ! 以上の文章には筆者の妄想も少々入り混じっているかもしれないが、コイシェ監督がダブルのイメージに執着しているという指摘は、まんざら的外れではないと思う。なぜなら2013年に彼女が撮ったばかりの最新作の題名は『Another Me』。“もうひとりの自分”につきまとわれる若い女性(ソフィー・ターナー)を主人公に据え、まさしくダブルをモチーフにしたミステリー・スリラーらしいのだ。現時点で日本公開は未定だが、すでに期待が膨れ上がりっぱなしの筆者は観る気満々である。■ ©2005 El Deseo M-24952-2005
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PROGRAM/放送作品
ホワイトナイツ/白夜
アメリカとソ連から亡命した2人のダンサーを描いたサスペンス。プロダンサー2人の踊りが絶品!
『愛と青春の旅だち』や『Ray/レイ』のテイラー・ハックフォードが制作・監督。バレエ界のカリスマ 、ミハイル・バリシニコフとタップダンス界のトップダンサー、グレゴリー・ハインズの2人の踊りが圧巻!
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COLUMN/コラム2016.01.05
男たちのシネマ愛③愛すべき、ボロフチック監督作品(1)
なかざわ:早くも3回目となる今回の対談ですが、テーマは「ミッドナイト・ヴィーナス」枠で放送される文芸エロスの巨匠ヴァレリアン・ボロフチック(注1)です。 飯森:まずはボロフチック監督の総論みたいなところから始めて、その後にザ・シネマで放送する「インモラル物語」(注2)、「夜明けのマルジュ」(注3)、「罪物語」(注4)の3作品について各論でトークすることにしましょうか。 ザ・シネマ編成部 飯森盛良 なかざわ:分かりました。どうしてもソフトポルノの人というイメージの強いボロフチックですが、しかしもともとは、いわゆるアバンギャルド路線(注5)の人なんですよね。しかも、活動の拠点はフランスだったけれども、実はポーランドの出身です。特に彼の作家性が強く出ているのは、初期の短編映画だと思うんですけれど、抽象的で実験性の強い作品ばかり撮っている。中でもロシア・アバンギャルド(注6)の影響が濃厚で、彼がグラフィック・デザイナーからスタートしたこともよく分かります。彼の生まれ育った過程で、ポーランドにはナチスの侵略があり、ソビエトのスターリニズム(注7)があり、そういう時代を経験しているから基本的に物事の見方がダークで哲学的なんですよね。 飯森:デビュー作は「愛の島ゴトー」(注8)でいいんですか? なかざわ:いえ、長編デビューはアニメなんです。なので、あれは長編実写映画のデビュー作ってことになります。 飯森:物の見方がダークだと仰いましたが、でも性に対して屈託がないというか、セックスにタブーがない人でもありますよね。 なかざわ:そうですね。その通りです。 飯森:大昔のキネマ旬報(注9)のインタビュー記事を読むと、セックスについて「古代ギリシャの文明は(今より)もっと開放的で自由でした」なんてことを言っている。それはその通りだと思うんですが、その証左として具体的に挙げているのがね、「たとえば獣姦ということがそのひとつの証拠ですね」と述べているんですよ! エェっ!?って感じじゃないですか(笑)。単にみんなが裸でエーゲ海の日差しを浴びて、明るく健康的に相手かまわずセックスしてました、それは素晴らしいことじゃないですか!と言うのかと思いきや、特に獣姦が良かったと。「古代ギリシャでは、動物と交わるということが、すくなくとも芸術家にとっては、自然な、美しい行為ですらあったのです」と力説しているんです。 なかざわ:それが「邪淫の館・獣人」(注10)のルーツですかね(笑)? 飯森:そうなんじゃないですか?あれは強烈だった!ブルボン朝期のフランスの貴婦人が、ゴリラのような獣に犯されてしまう。 なかざわ:しかも、もの凄い巨根なんですよね。 飯森:どう見ても明らかに着ぐるみで、それに巨大なモノが付いている。そいつに貴婦人が追いかけ回され犯されて、その獣のDNAが代々残っちゃうという家系の話です。 なかざわ:その巨根の先っちょから出るわ出るわ、白いドロドロの液体がとめどなく流れ出るのには驚きました。そこまでやるか!って(笑)。一歩間違えればポルノですけど、あれで欲情する人はまずいない。あえて観客を挑発しているとしか思えないですよね。 飯森:そもそも獣姦をテーマにしている時点で、明らかに観客を挑発している。ポーランドってカトリック(注11)の国ですからね。移住先のフランスだって、宗教色が薄いとはいえ同じくカトリックの国だし。後の「インモラル物語2」(注12)にも、バター犬ならぬ“バターうさぎ”を飼っている女の子の話が出てきますから、確信犯にして常習犯なんですけど、ボロフチックさんはそれらを決してネガティブには描いていない。 なかざわ:「インモラル物語」にせよ「尼僧の悶え」(注13)にせよ、禁断の性を描いていながら、どこか長閑で明るいところがありますよね。だから、例えば「尼僧の悶え」は'70年代ヨーロッパにおける尼僧映画ブームの最中に撮られた作品ですけど、当時は尼僧が一線を超えて肉欲の罪を犯したことで酷い目に遭うという暗いトーンの作品が大半だったのに対し、ボロフチックの「尼僧の悶え」はある意味で真逆。確かに結末は悲劇的かもしれないけれど、性の描き方そのものは明るく朗らか。後ろめたさがないんですよね。 飯森:あと、基本的に女性の性ですよね、彼が好んで描くのは。女性にだって性の抑えがたい欲求や変態的な願望さえあるんだと。かつて無いものとされていた女性の性欲にヒロインが突き動かされることで、トラブルが起こりドラマが生まれるという作品が多い。「修道女の悶え」はその典型的な映画で、修道女全員が悶えている(笑)。 なかざわ:厳密には修道院長以外全員ですね(笑)。 飯森:そう。修道院長はあまりにも真面目だから、あとで手痛いしっぺ返しを食らうんですけどね。それ以外の修道女は、なぜかみんな若くて美人で、しかも悶々たる性的欲求を抱えている。 なかざわ:木の枝でディルド(注14)を自作しちゃったりするし。 飯森:それはポルノじゃないかという意見も確かにありますが、しかし少なくとも監督の初期のインタビューを読んでいると、ポルノとは呼ばないで欲しいと言っているんですよ。恐らく彼の言い分としては、みんなもやっているでしょ?誰にだってそういう欲求はあるでしょ?隠すなよ!と。それが常にボロフチック作品の根底にあるテーマですよね。 <注1>1923年9月2日、ポーランド生まれ。クラクフの美術学校で絵画を学び、グラフィックデザイナーを経て'46年より短編の実験映画を発表。'59年にフランスへ移住し、'66年発表の「Rosalie」(日本未公開)ではベルリン国際映画祭やロカルノ国際映画祭の最優秀短編映画賞を獲得。'67年に長編映画デビューし、'90年代前半に現役を引退。'06年2月3日、フランスのパリで死去。<注2>1974年製作。性愛にまつわる4つの短編からなるオムニバス映画。<注3>1976年製作。フランスで最も権威のある文学賞、ゴンクール賞に輝いたアンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの小説「余白の街」の映画化。<注4>1975年製作。同年のカンヌ国際映画祭正式出品作。<注5>前衛芸術のこと。<注6>帝政ロシア末期からソビエト連邦初期にかけて、ロシアで花開いた前衛芸術運動。<注7>'20年代~'50年代にかけて、ソビエト連邦の最高指導者だったヨシフ・スターリンが実践した政治体制のこと。指導者に対する個人崇拝、秘密警察の監視や粛清による恐怖政治を特徴とする。<注8>1969年製作。外界から隔絶された島ゴトーを舞台に、独裁者の美しい妻に横恋慕した愚かで醜い男が、あらゆる卑劣な手段を使って権力の座を手に入れようとする。<注9>1919年に創刊された日本の映画雑誌。<注10>1975年製作。フランスの没落貴族と政略結婚することになったイギリスの裕福な女性が、相手の家系に獣人の血筋が流れていることを知る。<注11>キリスト教において最大規模の教派。ローマ教皇をその最高指導者とする。<注12>1979年製作。女性のセックスにまつわる3つの短編からなるオムニバス映画。<注13>1978年製作。中世の女子修道院を舞台に、性欲を持て余した尼僧たちの日常を描く。<注14>男性器の形を模した大人のおもちゃ。コケシや張り型とも呼ばれる。 次ページ >> あなたがたの国には、すでに江戸時代にあんなすばらしい春画があったではありませんか(ボロフチック) 『インモラル物語』"CONTES IMMORAUX" by Walerian Borowczyk © 1974 Argos Films 『夜明けのマルジュ』©ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO.
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PROGRAM/放送作品
ポケット一杯の幸福
フランク・キャプラ監督、最後の監督作品であり、彼の真骨頂が存分に味わえる人情喜劇の傑作
30年代から活躍する大女優ベティ・デイヴィスや、後の「刑事コロンボ」ピーター・フォークなど豪華競演も見どころのひとつ。後にジャッキー・チェン監督・主演で「ミラクル/奇蹟」としてもリメイクされた。
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COLUMN/コラム2016.01.09
男たちのシネマ愛③愛すべき、ボロフチック監督作品(2)
なかざわ:面白いなと思うのは、彼のようにアバンギャルドな作家性を持つ人たち、例えばティント・ブラス【注15】やピエル・パオロ・パゾリーニ【注16】、アラン=ロブ・グリエ【注17】などもそうだと思うんですが、みんな芸術やら反権力やらを突き詰めていくと最終的にセックスへと行き着くんですよね。 飯森:これもまた昔のキネ旬のインタビュー記事からの引用なんですが、「インモラル物語」について、性器のクロースアップに執着するのはどういう理由からなのでしょう、という質問をインタビュアーの山田宏一【注18】大先生がされているんですよ。確かに誰がどう見たって異常に執着している。すると、「なぜなら、それはいわゆるタブーとして、道徳の名において最も長いあいだ隠された部分であったからです」と堂々と答えている。「誰がいったいそんなタブーを作ったのか? いつだって、それを禁じた人間がいちばんそれに関心を抱いていて、自分だけは見ても、他人には見せないように抗議し、反対するものです。こうした検閲者に対する反抗が映画のモティーフの一部になかったとは言えません」と。うちの場合、僕がその検閲者に当たるんですけれどね(笑)。うちで放送する際には当然、その部分にはモザイクをかけるわけで、我ながら申し訳ない気持ちでいっぱいです(笑)。 なかざわ:そのコメントの趣旨が最も当てはまるのは、「ジキル博士と女たち/暴行魔ハイド」【注19】かもしれませんね。これはジキル博士をビクトリア朝時代【注20】の英国における偽善的な倫理観の象徴、ハイド氏をその裏で抑圧された本能や欲望の象徴としながら、最終的にタブーやモラルによる束縛からの開放を高らかに謳った作品なんですよ。つまり、ジキル博士が完全にハイド氏になってしまう=自由の勝利宣言として描かれている。 飯森:スティーブンソンの「ジキル博士とハイド氏」という題材そのものが、ボロフチックさん向きだったのかもしれませんね。彼を含めてアバンギャルド系の人や反権力の人がポルノへ行くというのは、そういう理由でとてもよく分かる。なんで陰毛がだめなのか、なんで性交を映しちゃだめなのかと。それに対して、検閲者というのは「ダメなものはダメなんだ!」と言うほかは理屈もへったくれもない連中なので、そうなると性的な表現でこの“自由の敵”どもを挑発してやろう、ということになるんでしょう。 なかざわ:大島渚の「愛のコリーダ」【注21】もそういうことですよね。奇しくも、「インモラル物語」のプロデューサーも、「愛のコリーダ」と同じアナトール・ドーマン【注22】ですし。 ヴァレリアン・ボロフチック WalerianBorowczykPhotofest/アフロ 飯森:「愛のコリーダ」って実はフランス映画なんですよね。「インモラル物語」が日本公開された翌年くらいに「愛コリ裁判」【注23】が起きた。当時は’60年代後半からのカウンターカルチャー【注24】の流れで、政治の季節【注25】というのがまだまだ続いていた時代なんですね。その中でポルノ解禁についてもしきりに議論されていて。確か「悪徳の栄え」【注26】ですよね、マルキ・ド・サド【注27】の著作を翻訳したフランス文学者の澁澤龍彦【注28】が起訴された「サド裁判」があったりと、“猥褻と芸術”裁判というのが集中していた時期。その中で一番大きなものが「愛コリ裁判」だったかもしれません。日本初のハードコア映画。ハードコアとは、撮影のために本番・挿入しているポルノのことで、擬似だとソフトコアと呼んで区別するんですが、アダルトビデオが普通に存在する今となっては考えられませんけど、当時は撮影のために本番するなどけしからん!という理由で裁判沙汰にまで発展しちゃうような時代だったわけです。そんな’70年代半ばに「インモラル物語」でボロフチックさんが日本に初めて紹介されたわけですけど、驚くことにキネマ旬報が一号まるごと割いている。要は、「インモラル物語」特集号なの。それも、発行日がよりによって僕の誕生日なんですよ! なかざわ:それはもの凄い因縁ですね(笑)。 飯森:で、中では名だたる映画評論家の先生方が“猥褻と芸術”について問題提起をされている。しかも、わざわざパリへ行ってボロフチック監督本人にインタビューまでしているんです。例えば、日本の検閲の状況について、「日本ではまだまだ最低の状態で、毛一本見せてはならないというのが現状なのです」とインタビュアーが愚痴ると、ボロフチックさんは素晴らしいことを言っている。「それは奇妙なことですね」と。「あなたがたの国には、すでに江戸時代にあんなすばらしい春画【注29】があったではありませんか」と切り返しているんですよ。「あれほどおおらかで自由でユーモアにあふれた浮世絵があったのに、いまでは性毛すら見せてはいけないというのは、なんだかひどくバカげていますね。じつにつまらない検閲だと思いますよ」ということをズバッと言っているんです。 なかざわ:春画は確かにモロ出しですからね。 飯森:毛どころの騒ぎじゃない。そういうものが19世紀に普通に見られていた国で、どうして毛一本見せちゃいけないんだよ、バカじゃねえの!?っていうのは、まったく仰る通りじゃないですか。やはりそこですよね。反逆の作家たちは「お前らバカじゃねえの!?」って言いたくなっちゃうんでしょう。芸術家として。 なかざわ:で、その「インモラル物語」の翌年に作られたのが「邪淫の館・獣人」。これは、もともと「インモラル物語」に収録されていた短編を劇場公開時にカットして、改めて長編として作り直したものです。この2作品以前のボロフチック監督って、フランス国内はもとよりヨーロッパではアート系の映像作家として一定の評価を得ていた。例えば、漫画家時代のパトリス・ルコント監督【注30】もボロフチックに強い影響を受けていて、「カイエ・デュ・シネマ」【注31】に彼の論文を何度が寄稿していますし、長編3作目の「Blanche」【注32】では助監督も務めています。 飯森:そうなんですか! ちなみに、「インモラル物語」当時のキネ旬の記事だと、パゾリーニやベルトルッチ【注33】と比較考察されています。それくらいのポジションだった。 なかざわ:テリー・ギリアム【注34】もボロフチックの初期短編アニメに多大な影響を受けていると公言していますからね。それだけ芸術家としての高い評価を一部から受けていて、当然将来を期待されていたわけですが、この辺りから誤解が生まれるというか、「インモラル物語」や「邪淫の館・獣人」で初めて彼を知った人たちから、ポルノ監督というレッテルを貼られるようになっちゃうんですよ。いきなり時の人になっちゃったせいで。 飯森:これは「夜明けのマルジュ」の頃のインタビューなんですが、「わたしはポルノを作っている気はありませんし、いわゆるポルノは嫌悪しています。醜悪そのものだからです」と述べているように、彼は明らかにポルノと呼ばれることを嫌がっていましたけれどね。 なかざわ:実際に作品を見れば、ポルノとして作られていないことは一目瞭然です。しかし、この頃から生まれた誤解のせいで、やがて徐々に撮りたい作品が撮れなくなっていく。’80年代には「エマニエル夫人」【注35】シリーズの5作目「エマニエル ハーレムの熱い夜」【注36】なんて映画を撮っていますが、お金に困っていない限りそんな仕事は引き受けないでしょう。 飯森:そういう意味では、不幸な作家と言えるかもしれませんね。 なかざわ:結果的に世間からその真意をちゃんと理解してもらえなかったように思います。 飯森:ちょっと挑発的すぎたのかもしれません。 なかざわ:彼のように性をおおっぴらに描く映像作家が、まだまだ色眼鏡で見られる時代だったということもあるでしょうし。 飯森:それは今もそうですけれどね。ただ、彼みたいにアブノーマルと言われるようなものも含めて、ありとあらゆる性のパターンをフィルムに捉えつつ、ここまで耽美的・唯美的に描いてみせたエステティシストというのは、映画史的に見てもほかになかなか思いつかない。 なかざわ:彼の作品の特徴って、先ほどからの大らかなセックスというテーマもそうですが、被写体に対する距離感というものも印象的です。要は、傍観者なんですよ。これは特に初期作品で顕著ですけれど、決してカメラが作品の世界の中へと入っていかない。画面の構図も舞台劇というか人形劇というか、とても平面的です。 飯森:「愛の島ゴトー」はその典型ですね。 なかざわ:その次の「Blanche」も同様で、登場人物なんかも画面の左右を行き来することが多くて、奥行きへの動きが少ない。しかも、俳優まで美術セットや小道具の一つとして映像に捉えることが多い。そうしたある種の様式美は、元グラフィック・デザイナーらしいと言えるかもしれません。 飯森:僕がボロフチック作品で気になるのが銅版画【注37】。紙幣の肖像画みたいな、銅板を金属の大きな針で削って緻密に描いていくやつ。その銅版画で印刷された肖像画が、映画の中で部屋の壁によく飾ってあって、突然インサート・カット【注38】でポン!とスクリーンいっぱいに映し出されたりすることがある。あの編集が不思議なんですよね。 なかざわ:初期の短編アニメで、その銅版画のイラストだけで作られたものがあります。ひたすら奇妙な動きをしている作品なんですけど。 飯森:おおお!それは見たい! アバンギャルドですね! なかざわ:彼の初期短編作品って、アニメにせよ実写にせよ、基本的にストーリーらしきストーリーがなくて、シーンの前後の関連性までなかったりすることも珍しくない。ひたすら実験的なんです。 飯森:アニメーションってもともと実験性の高いものも多いじゃないですか。ほっといても勝手に動く人間が芝居するなら、動くのは当たり前なのでドラマをどう描いていくかが目的になりますけど、アニメは絵なりオブジェなりの静物をどうやって動かせばいいのか、という映像表現なわけですから、動かすこと自体が目的化してる作品もありますよね。 なかざわ:僕がボロフチックの短編で一番好きなのは、「Renaissance(ルネッサンス)」【注39】というタイトルのストップモーション・アニメ【注40】なんですけれど、まず最初に廃墟のような部屋が出てくるんですよ。そこには、いろいろなものが壊れて散らばっている。脚の折れたテーブルとか、ボロボロに剥がれた壁紙とか。その1つ1つが元通りになっていく様子を、コマ撮りで描いていくわけです。ベローンと剥げていた壁紙が綺麗になったり、バラバラに散らばっていた毛や綿の山がフクロウの剥製になったり。で、一番最後に元通りになるのが時計なんですよ。壊れていた時計がチクタクチクタクと動き始めると、そこにくっついていた時限爆弾が起動されてしまい、バーンと爆発して再び部屋がボロボロになってしまうわけです。恐らく永遠にそれを繰り返すんじゃないかな、と思わせる作品です。 飯森:うわぁー、なんともシュールな(笑)。アニメーションというのは物を動かす喜びに満ちたジャンルだと思うんですが、ただひたすらその喜びを表現するためだけに作られた作品なんでしょうね。 なかざわ:これなんかを見ると、テリー・ギリアムがボロフチックの短編に影響を受けたというのもよく分かる。 飯森:デヴィッド・リンチ【注41】の初期短編アニメに近いものもあるかもしれませんね。 なかざわ:ギリアムはモンティ・パイソン【注42】のネタなど、ボロフチックからインスピレーションを得ているらしいんですが、そう言われると“なるほど!”と思い当たるんです。アバンギャルドな点はもちろん、ちょっと暴力的なブラックユーモア精神も似ていると思いますね。 <注15>1933年生まれ。イタリアの映画監督。代表作は「サロン・キティ」(’76)、「カリギュラ」(’80)、「鍵」(’83)、「背徳小説」(’94)など。<注16>1922年生まれ。イタリアの詩人にして映画監督。代表作は「アポロンの地獄」(’67)や「テオレマ」(’68)、「デカメロン」(’71)、「ソドムの市」(’75)など。1975年没。<注17>1922年生まれ。フランスのヌーヴォー・ロマン派の小説家で映画監督。代表作は「危険な戯れ」(’75)、「囚われの美女」(’83)など。2008年没。<注18>1938年生まれ。日本の映画評論家。<注19>1981年製作。ジキル博士の邸宅に招かれた上流階級の偽善者たちが、老若男女に関係なく次々とハイド氏に陵辱されていく。<注20>19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、ビクトリア女王が統治した時代のこと。イギリスは経済的にも文化的にも最高潮の栄華を誇った。<注21>1976年製作。愛人の局部を切り取った女性、阿部定の実話を映画化した作品。<注22>1925年生まれ。ポーランド出身のフランスの映画製作者。代表作は「二十四時間の情事」(’59)、「ブリキの太鼓」(’76)、「パリ、テキサス」(’84)など。<注23>映画「愛のコリーダ」のスチール写真と脚本を掲載した出版物が警察に押収され、大島渚監督が起訴された事件。芸術と猥褻を巡る論争が繰り広げられた。<注24>体制的な主流文化に対抗する文化のこと。主にヒッピー文化などを指す。<注25>若者を中心に、学生運動や労働組合運動などの左翼的な政治活動が活発化した’60年代の世相のこと。<注26>1801年に出版された小説で、正式なタイトルは「ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え」。敬虔な女性ジュリエットがあらゆる悪徳と快楽に染まっていく。<注27>1740年生まれ。フランス革命で活躍した貴族にして小説家。暴力的なセックスを追求したことでも知られ、サディズムの語源となった。1814年没。<注28>1928年生まれ。日本のフランス文学者にして小説家。エロティシズムや人類の暗黒史などを追究した著作が多い。1987年没。<注29>性風俗を赤裸々に描いた江戸時代の浮世絵。<注30>1947年生まれ。フランスの映画監督。漫画家を経て映画界へ。代表作は「髪結いの亭主」(’90)、「イヴォンヌの香り」(’94)、「スーサイド・ショップ」(’12)など。<注31>1951年に創刊されたフランスの映画評論雑誌。執筆者の中からジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーなどの映画監督が生まれた。<注32>1972年製作。年老いた貴族の後家として嫁いだ、若く清純な貴婦人ブランシュの美貌に魅せられた男たちが勝手に自滅していく様子を、中世のフレスコ画のような映像で描く。<注33>ベルナルド・ベルトルッチ。1941年生まれ。イタリアの映画監督。代表作は「ラスト・タンゴ・イン・パリ」(’72)、「1900年」(’76)、「ラスト・エンペラー」(’87)など。<注34>1940年生まれ。イギリスの映画監督。コメディ集団モンティ・パイソンのメンバー。代表作は「未来世紀ブラジル」(’85)、「バロン」(’88)、「12モンキーズ」(’96)など。<注35>1974年製作。美貌の人妻エマニエルの奔放な性の冒険を描き、世界的なポルノ映画ブームを牽引した大ヒット作。その後シリーズ化された。主演はシルヴィア・クリステル。<注36>1987年製作。映画女優となったエマニエルの新たな性の冒険を描く。モニーク・ガブリエル主演。<注37>銅板に金属の針で細かい溝を彫り、そこにインクを流して印刷する版画の一種。ドライポイントやエッチングなど、様々な技法がある。<注38>映画やビデオなどの編集技法のひとつ。もともと編集された映像に、さらに別の映像を被せること。<注39>1963年製作。日本未公開。<注40>静止している物体を一コマづつ動かしながら撮影し、そのフィルムを連続して再生することで、あたかも本当に動いているかのように見せる映画技法。<注41>1946年生まれ。アメリカの映画監督。代表作は「ブルーベルベット」(’86)、「ロスト・ハイウェイ」(’97)、「マルホランド・ドライブ」(’01)など。<注42>イギリスの人気コメディ集団。’69年に始まったテレビ番組「空飛ぶモンティ・パイソン」で有名に。メンバーはテリー・ギリアム、エリック・アイドル、ジョン・クリーズなど。 次ページ >> 『インモラル物語』…お前ちょっとフェラしてくれよ! 『インモラル物語』"CONTES IMMORAUX" by Walerian Borowczyk © 1974 Argos Films 『夜明けのマルジュ』©ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO.
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PROGRAM/放送作品
ザ・シネマ流 レコメン道場 #5
映画で対決!レコメン道場へようこそ!道場生がおすすめ映画をプレゼンし合う映画トークバラエティ
ザ・シネマ流映画道を極めるためのレコメン道場。今日も映画黒帯を目指し道場生たちがしのぎを削り、プレゼン合戦で対決! 道場主の映画道師範のお眼鏡にかなうのは、果たしてどちらのプレゼンか? いざ勝負開始!
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COLUMN/コラム2016.01.16
男たちのシネマ愛③愛すべき、ボロフチック監督作品(3)
飯森:そろそろ「インモラル物語」の話題に移りましょうか。これはセックスにまつわる4つの短編で構成されたオムニバス映画ですが、第1話の「満潮」というのがフェラチオの話なんですよね。この中でいきなり、可愛い女の子の唇のドアップが映る。先ほど述べた、肖像画がポッと出てくるような独特のテンポ感で、ワイド画面いっぱいに唇が写るんです。これは何なんだろう、という気がするんですよ。ボロフチックさんは、女性の体は本当に美しいんだ、それをフィルムに収めたかったんだということを語っているので、単純に引いて美しく寄っても美しいという理由だけなのかもしれないですが。 なかざわ:そもそも彼は、被写体=オブジェクトに対して強い執着というか、こだわりがあったみたいですね。なので、自分の映画に出てくる小道具や美術セットも、重要なものは彼自身がデザインをして作っていたらしいんですよ。彼の映画には、自分が好きなものや興味あるもの、こだわっているものだけで完璧な世界を作り上げたいという執念のようなものを感じます。以前に見た’83年撮影のインタビュー映像で、一番好きなのは短編アニメーションを作ることだと言っていました。なぜなら、他人とコラボレーションをする必要がないから。自分だけで全てをコントロールし、支配できるからなんでしょう。 飯森:「インモラル物語」でも、監督だけじゃなく撮影、編集、美術とか、何でもかんでも自分でやっていますよね。 なかざわ:そう、だからボロフチック以外の撮影監督や美術デザイナーが仮にクレジットされていたとしても、彼らは監督から指示されたことを実行するだけの人たちに過ぎないらしいんです。ボロフチック作品のイギリス盤ブルーレイ・シリーズには、初期短編時代から携わってきたスタッフのインタビュー映像が収録されているんですけれど、彼らの話によるとボロフチック作品においてスタッフが自分のアイデアを持ち込むということは、一番やっちゃいけないことだったみたいですね。良かれと思って照明の位置を変えるとか。監督の意図に沿わないものは全てやり直しさせられる。彼の頭の中では具体的なディテールに至るまでビジョンが既に出来上がっていて、あとはスタッフに命じてそれを再現するだけ、ということなんでしょうね。 飯森:ただ、もともと僕は変にアートぶった難解至極な映画ってあまり好きじゃなくて、うちで放送しないからぶっちゃけて言っちゃいますけれど、そういう意味でボロフチックさんの「愛の島ゴトー」も実は苦手なんですが、そんな僕でも「インモラル物語」は非常に楽しく見ることができる。なにか特別に言いたいことがあるわけじゃなくて、ただひたすら美しくエロを撮りたかっただけじゃないのかなって思うんです。 なかざわ:人間の営みとしてのセックスであったり、欲望としてのセックスであったりと、そのまま包み隠さずに描くことが恐らく目的ではないかなとも思います。そこに何かしらの、理に適ったストーリーを求めちゃいけない。 飯森:第1話の「満潮」にしたって、「お前ちょっとフェラしてくれよ」ってことで、可愛い従姉妹を連れて海へ行き、しゃぶってもらって、はいスッキリした、はいオシマイ!っていうね(笑)。ただ、例えばフランスのノルマンディ地方の荒涼としたような海辺の家から2人が連れ立って行く姿とか、自転車で坂を登り詰めていくと突然目の前にバーンと海岸が広がる様子とか、一つ一つのシーンのどれを取っても極めて美しく撮られている。それだけで大いに満足できるんですよ。あれが「インモラル物語」の中では一番無内容なエピソードなのかな、恐らく。 なかざわ:そうですね。 飯森:その次の第2話「哲学者テレーズ」というのも、これまたこれで無内容だった。厳格なカトリックの家庭に育てられている女の子が、大したことじゃないんだけど外出して遊んできたところを母親に見つかって、反省しなさい!ということでお仕置き部屋に入れられる。で、最初はしおらしく泣いているんだけれど、そのうちやることなくて独りエッチを始めるという、延々それだけを映している話です。 なかざわ:一応、宗教的な要素は強いですけれどね。 飯森:そうですね、ボロフチックさんは宗教も嫌いだったのかもしれない。宗教的な人たちが出てきて、そんなことやっちゃいけません!と言うような展開はよく出てきますよね。でも、そんなこと言ったってやりたいものはやりたいんだよ!と。「修道女の悶え」も同様ですが、やるなって言う方が無理な話じゃないですか、というのが彼の基本的なスタンスなんでしょう。 なかざわ:ポーランドという共産圏に生まれ育ったという、彼自身のバックグランドも影響しているかもしれません。 飯森:ポーランドは共産圏でありながら熱心なカトリック国ですからね。だからロシア語と似た言語なのにアルファベットがキリル文字じゃなくてローマ字なんです。ローマ教皇のヨハネ・パウロ2世【注43】もポーランド出身でしたしね。そういう国なので、共産党への反発なのか、それとも厳格なカトリシズムへの反発なのか、それとも単に抑圧的な権力のメタファーとして描いているのか、そのへんは定かじゃないんですけれど。 なかざわ:個人的には、カトリック教会への反発があるようにも感じます。彼はグラフィック・デサイナーとして、長いこと共産党プロパガンダのポスターを作っていましたから、さほど共産主義の理念に対して抵抗を持っていたようにも思えないので。 飯森:いずれにせよ、女性が欲望を催して、自らの指で処理するまでの過程を、丁寧かつ美しく描いた「哲学者テレーズ」は、出歯亀的な好奇心をそそるという意味でも興味深く見ることができます。で、その次からですよね、凄いことになるのは。第3話「エルザベット・バトリ」の題材はバートリ・エルジェーベト【注44】という、中世のハンガリーに実在した女性貴族。“血の伯爵夫人”として有名で、よくホラー映画の題材にもなります。ハマー・フィルム【注45】の「鮮血の処女狩り」【注46】とか。 なかざわ:若い処女の血を浴びて自らの若さを保つという。 飯森:ただこの伝説、話が話なだけに、どうしてもエログロなトラッシュ映画【注47】になりがちで。村中の処女という処女を集めてきて虐殺し、その血で満たされたバスタブに浸かったらお肌がツルッツルになった美魔女、という、まさに悪趣味としか言いようのない伝説なわけですから。でもそれをボロフチックさんが描くと、一気にハイレベルなアートになってしまう。村の若い娘達をさらってきて、一堂に集めて裸にした時の、髪の色の違い、胸の形の違い、乳首の色の違い、あとテレビでは見せられませんが陰毛の色の違い。それらがまさに十人十色で、女性の裸体というのは集団になるとこれほどまでに個性的で美しいのかと驚かされます。 なかざわ:そういえば、バートリ・エルジェーベトの話は、中田秀夫監督【注48】の「劇場霊」【注49】でも描かれていましたよね。劇中劇ですけれど。 飯森:あと彼女が着ているドレスなども、トルコ支配の影響を受けた、いかにもハンガリーらしい東西折衷の独特のエスニックなテイストがあって、西欧文化圏との違いがよく分かります。絢爛たる歴史絵巻の風情ですよ。 なかざわ:しかも演じているのはパロマ・ピカソ【注50】。あのパブロ・ピカソ【注51】の娘です。本業は確かファッション・デザイナーだったと思いますけれど。 飯森:演技力のあまり要求されない役柄ですからね。セリフもないですし。で、最後の第4話「ルクレチア・ボルジア」がルクレツィア・ボルジア【注52】の話ですね。ボルジア家の乱れに乱れた、それこそ近親相姦までやっているような、権力者の性の倒錯を描いている。 なかざわ:親子でサンドイッチ3Pしちゃいますからね。しかも、パパはローマ教皇。 飯森:にも関わらず、批判めいた感じがあまりない。最後には教会の腐敗を大声で糾弾していた修道士が処刑され、それと交互するようにルクレツィアが近親相姦で産んだ子供の誕生をにこやかに祝福する姿が描かれているのだけれど、一体どっちを悪者として捉えているのか分からない。つまり、近親相姦で乱交3Pしている方を批判的に見ているとは思えないんです。それこそ、楽しげにやってるね♪くらいのノリで。逆に、説教台の上からヒステリックに「バチカンは腐っている!」って叫んでいる奴の方を、グロテスクに描いているように見えるわけです。 <注43>1920年生まれ。在位期間は’78年~’05年。2度の暗殺未遂事件も話題になった。’05年没。<注44>1560年生まれ。自らの若さと美貌を保つため、農村の若い処女を次々と殺害しては、その血を浴びていた。有力な名門貴族だったため、その残虐行為は見逃されていたが、被害者の脱走がきっかけで逮捕され有罪となった。1614年没。<注45>’50年代~’70年代に一世を風靡したイギリスの映画会社。ホラー映画やSF映画で人気を博した。<注46>1971年製作。実の娘の若さと美貌に嫉妬した中年の貴婦人が、村の若い娘たちを殺してはその血の風呂に浸かり、まんまと若返ることに成功する。イングリッド・ピット主演。<注47>文字通りトラッシュ=ゴミ映画のこと。一部のコアな映画マニアは、親愛の情と皮肉を込めて低予算のB級C級映画をそう呼ぶ。<注48>1961年生まれ。日本の映画監督。代表作は「リング」(’98)、「仄暗い水の底から」(’02)など。リメイク版「リング2」(’05)でハリウッド進出。<注49>2015年製作。舞台劇の小道具に使われる呪われた人形が、次々と関係者を殺していく。<注50>1949年生まれ。ティファニーの宝飾デザイナーとして知られる。<注51>1881年生まれ。スペイン出身の20世紀を代表する世界的な芸術家。1973年没。<注52>1480年生まれ。ルネッサンス期のイタリアを支配したボルジア家の出身で、汚職で悪名高いローマ教皇アレクサンデル6世の娘。1519年死去。 次ページ >> 『夜明けのマルジュ』…家族に見送られ都会へやって来て真っ先にするのが赤線で売春婦探し 『インモラル物語』"CONTES IMMORAUX" by Walerian Borowczyk © 1974 Argos Films 『夜明けのマルジュ』©ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO.
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PROGRAM/放送作品
マイ・プライベート・アイダホ
キアヌ・リーブス×リバー・フェニックス、二大スターの美男ぶりが焼き付けられた、切ない青春映画
揺れ動く少年たちのイノセンスを映してきたガス・ヴァン・サントの監督・脚本作品。孤独を湛えた主人公を見事に演じたリバー・フェニックスはヴェネチア映画祭で主演男優賞を受賞、本作は彼の代表作となった。
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COLUMN/コラム2016.01.22
男たちのシネマ愛③愛すべき、ボロフチック監督作品(4)
飯森:そんなこんなで、ちょうど“猥褻と芸術”の問題がクロースアップされている時期に、この「インモラル物語」が鳴り物入りで日本へ入ってきたものの、ボロフチックさんはだんだんとそこまでの大きな扱いを受けなくなっていった。でもまだまだ注目はされていた、という時期に日本公開されたのが「夜明けのマルジュ」です。 なかざわ:これはシルヴィア・クリステル【注53】にジョー・ダレッサンドロ【注54】が主演。エマニエル夫人とアンディ・ウォーホル【注55】一派という、当時のまさに旬な顔合わせです。 飯森:特にシルヴィア・クリステルは全盛期でしたよね。 なかざわ:その後に「エアポート’80」【注56】でハリウッド進出もしていますし。ヨーロッパを代表する大物セクシー女優でした。 飯森:これがまた話しづらい映画でしてね。とんでもないネタバレがあるんですよ。ジョー・ダレッサンドロふんする主人公は、フランスの郊外にあるプールもあるような豪邸で、奥さんと可愛い息子と一緒に暮らしていて、お手伝いさんもいるかなり裕福な人物なんです。しかも、奥さんとはやりまくり(笑)。朝一番に花を摘んできてね、全裸でベッドに横たわっている奥さんの体に花びらを撒く。そこに大きな窓から注ぎ込む朝日が、胸の谷間や股間の谷間に花びらの散らばった奥さんの体を美しく照らし出すわけですよ。そんな状態でセックスをする。すごくロマンチックな感じで、いやらしい感じの全くしない、とても綺麗なラブシーンです。性的にも満たされていて、なおかつ小さな可愛い息子までいる。そんな主人公が出張でパリへ行く事になるわけですが、家族に見送られて大都会へやって来た彼が真っ先にすることというのが、赤線地帯で売春婦探しなんです。まあ、別腹ってことなんですかね(笑)。 なかざわ:当時は紳士の嗜みだったのかもしれませんしね。 ■ ■ ■この先ネタバレを含みます。■ ■ ■ 飯森:で、彼の買った売春婦というのがシルヴィア・クリステル。妻ではない女をお金で買って抱きました、ああスッキリした、と。その翌日、彼は手紙を取りに行くんです。もともと事前に家族と約束をしているんですよ。連絡をするならここへ手紙を送ってくれと。で、それをチェックしに行くわけです。すると、案の定手紙が届いている。中身を確認すると、家政婦からで、奥さんが亡くなったと書いているんです!ところが、それを読んだ彼は黙って懐に入れちゃう!そして、またもやシルヴィア・クリステルを探して夜の街をさまよい、そのあとも何度か寝ちゃう!このあたりの展開は、かなり難解かもしれません。なにしろ主人公が何を考えているんだか、さっぱり理解不能なので。 なかざわ:これは20年以上前にビデオで見たきりなので、記憶はかなり曖昧ですね。 飯森:で、ここからがネタバレ全開なんですが、ラストで例の手紙を取り出してもう一度読むんですよ。すると、息子も死んだってことが書いてある。あの可愛い息子が自宅のプールに落ちて死んじゃって、それで半狂乱になった奥さんが衝動的に自殺したというのが事の全貌だったわけなんですが、我々観客には奥さんが死んだ部分しか明かされていなかったわけです。それまで売春婦と何度もやった主人公は、夜が白々と明けていく中、車の中でその手紙を改めて読みながらさめざめと泣いて、次の瞬間にバーンと銃声がこだまして終わり。恐らく自殺したんでしょう。何を言いたいのか分かりづらい映画です。で、当時の監督のインタビューを読むと、実は奥さんとシルヴィア・クリステル演じる売春婦が似ているという設定らしいんですね。奥さんが死んじゃったことで気が動転した主人公は、瓜二つの売春婦を抱くことで現実逃避しようと思ったらしいんですよ。でも、映画に出てくる奥さん役の女優とシルヴィア・クリステルは全然似ていない。だから、インタビューを読んでビックリしました。 なかざわ:他人の空似じゃないですけれど、その人にしか分からない共通点みたいなものはあるんでしょうけれどね。 飯森:でもそれは映像として描かないとダメですよ!シルヴィア・クリステルに聖女と娼婦の一人二役やらせるとか。あと、時系列も本来は違ったみたいですね。原作だと出張へ向かっている最中に訃報が届くらしいんです。なので、家族がみんな死んじゃったと分かった状態で、それでもパリへ行って夜の街をさまようという話になっているようなんですね。でも、映画だと単に出張先でハメを外して女遊びしたところ、その翌日に奥さんの訃報が届いて、それでも遊びを続けた挙句、改めて手紙を読むと息子も死んでいたことが分かり、あの家にはもう誰もいないからということで自殺する。そういう、ちょっと理解しがたい作りになっています。どうやら原作では、手紙で奥さんが死んだという一文を見つけて、動転のあまり手紙を畳んで読まなかったらしいんですよ。 なかざわ:すると、そもそも手紙をちゃんと読んではいなかったわけですね。 飯森:ともかく、驚くくらい唐突な展開の映画なんですけれど、ボロフチックさんにとっては勝負作だったのではないかなという気もします。なにしろ、プロデューサーのレイモン・アキム【注57】も、キネマ旬報のインタビューで「第二の『ラスト・タンゴ・イン・パリ』【注58】以上のものです」と豪語しているし(笑)。少なくとも、「エマニエル夫人」を上回る!くらいの意気込みで作られたのではないかと思いますね。 なかざわ:確かに主演も美男美女の旬なスターを揃えているし、作品のテイストにしても薫り高き文芸映画という趣ですから、ここでひとつ評価を固めておきたいという野心はあったのかもしれないですね。なにしろ、「インモラル物語」や「邪淫の館・獣人」で好奇の目に晒された後ですし。 飯森:とはいえ、そこまでの評価は得られなかった。当時はベルトルッチやポランスキー【注59】に続く逸材として将来を嘱望されていたようですが、このあとは次第に「結局ポルノの人なんでしょ?」みたいな扱いをされてしまう。 なかざわ:キワモノ系の監督なんかと一緒にされてしまった感はありますね。 飯森:ただ、今お話したような裏話的な解釈を踏まえた上で見ると、いろいろな謎解きとかメタファーに満ちた映画のようにも思えるんですよ。深読みを楽しめる奥の深い作品だとも言えます。あとはシルヴィア・クリステルですよ。彼女がとんでもなく美しい!格調が高いというか。彼女の場合、服を着てる時より脱いだ時の美しさですよね。裸身が高貴! なかざわ:彼女は当時のポルノ女優の一般的なイメージとは一線を画す存在ですよね。儚げだし、体も華奢だし。グラマラスからは程遠い。竹久夢二【注60】のイラストに描かれてもおかしくない。 飯森:そういう意味では、日本人受けするタイプかもしれませんね。その究極の女体美を堪能するという一点においてもオススメです。 <注53>1952年生まれ。映画「エマニエル夫人」(’74)で世界中に大旋風を巻き起こした。2012年没。<注54>1948年生まれ。ヌード・モデルを経てアンディ・ウォーホルに見出され、彼のアングラ映画に次々と主演して’70年代サブカルチャーの申し子となる。<注55>1928年生まれ。アメリカの芸術家でポップ・アートの生みの親。絵画や音楽、映画にまでその才能を発揮し、彼の取り巻きグループからはモデルのイーディ・セジウィックやキャンディ・ダーリン、ジョー・ダレッサンドロなどのスターが生まれた。<注56>1979年製作。映画「エアポート」シリーズの第4弾。超音速旅客機コンコルドがミサイルに狙われる。アラン・ドロンとシルヴィア・クリステルが主演。<注57>1909年生まれ。フランスの映画製作者。兄のロベールと共同で、「望郷」(’36)や「太陽がいっぱい」(’60)、「昼顔」(’67)などの名作を手がける。1980年没。<注58>1972年製作。主演のマーロン・ブランドとマリア・シュナイダーの大胆な性描写が物議を醸した。ベルナルド・ベルトルッチ監督。<注59>ロマン・ポランスキー。1933年生まれ。ポーランドの映画監督。代表作は「反撥」(’65)、「ローズマリーの赤ちゃん」(’68)、「テス」(’80)、「戦場のピアニスト」(’02)など。<注60>1884年生まれ。日本の画家。アンニュイな美人画で知られる。1934年没。 次ページ >> 『罪物語』…俺には妻がいるがもう愛してない、離婚調停中で近々別れる予定、という、よくあるパターン 『インモラル物語』"CONTES IMMORAUX" by Walerian Borowczyk © 1974 Argos Films 『夜明けのマルジュ』©ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO.