検索結果
-
PROGRAM/放送作品
パニック・イン・スタジアム
[PG12相当]謎の狙撃者とSWATとの息詰まる対決を描いたサスペンス・パニック超大作!
70年代パニック映画ブームが生み出した傑作。主演は同ジャンルを代表するスター、チャールトン・ヘストン。米国の国民的スポーツ行事“スーパーボウル”を狙う銃乱射犯vsSWATの手に汗握る攻防が描かれる。
-
COLUMN/コラム2023.05.31
‘70年代アメリカの殺伐とした世相を映し出すパニック・サスペンス巨編『パニック・イン・スタジアム』
ディザスター映画ブームの最盛期に誕生した異色作 ‘70年代のハリウッドで大流行したディザスター映画。日本ではパニック映画とも呼ばれた同ジャンルは、地震や洪水のような自然災害からテロやハイジャックのような犯罪事件に至るまで、様々な危機的状況に巻き込まれた人々による決死のサバイバルを描き、’50年代半ばにスタジオシステムが崩壊して以降、斜陽の一途を辿っていたハリウッド映画の復興に一役買った。 トレンドの口火を切ったのは「エアポート」シリーズの第1弾『大空港』(’70)。これを皮切りに『ポセイドン・アドベンチャー』(’72)や『タワーリング・インフェルノ』(’74)、『大地震』(’74)に『カサンドラ・クロス』(’76)、さらには『大空港』の続編に当たる『エアポート’75』(’74)や『エアポート’77』(’77)などのディザスター映画が次々と大ヒットする。いずれも大掛かりな特撮やスタントを駆使した派手なスペクタクル描写と、新旧の有名スターを総動員した煌びやかなオールスターキャストの顔ぶれが人気の秘密。ブームの最盛期に登場した本作『パニック・イン・スタジアム』(’76)も同様だが、しかしこの作品がその他大勢のディザスター映画群と一線を画したのは、あくまでもスペクタクル描写はオマケに付いてくる豪華特典であり、基本的にはリアリズムを重視した社会派の犯罪サスペンスだったことだ。 舞台は現代のロサンゼルス。日曜日の早朝、市内のホテルに宿泊する正体不明の男が、おもむろに取り出したライフルでランニング中の中年夫婦を銃撃する。すぐにホテルをチェックアウトした男が向かったのは、アメフトの試合が行われるロサンゼルス・メモリアル・コロシアム。地元のロサンゼルス・ラムズ対ボルチモア・コルツの対戦だ。続々と入場する大勢の観客に紛れてコロシアムへ侵入した男は、会場全体を一望できる時計台の屋上に陣取り、試合の開始を待って静かに息をひそめる。 一方、会場には様々な事情を抱えつつも試合を心待ちにするアメフト・ファンたちが集まってくる。ワケアリな中年カップルのスティーヴ(デヴィッド・ジャンセン)とジャネット(ジーナ・ローランズ)、ギャンブル中毒で多額の借金を抱えた中年男スチュー(ジャック・クラグマン)、幼い子供が2人もいるのに失業した若い父親マイク(ボー・ブリッジス)と妻ペギー(パメラ・ベルウッド)、彼氏に誘われただけでアメフトには興味のない美女ルーシー(マリリン・ハセット)、そんな彼女に一目惚れして口説き始める男性アル(デヴィッド・グロー)、友人のスター選手チャーリー(ジョー・キャップ)を応援しに来た教会の牧師(ミッチェル・ライアン)、そして浮かれた観客のポケットから財布を盗むスリの老人(ウォルター・ピジョン)などなど。誰一人として会場に狙撃犯が潜んでいることなど気付かず、やがて大歓声に包まれて試合がスタートする。 ライフルの照射眼鏡を覗きながら客席の様子をじっと観察しつつ、しかし一向に行動を起こす様子のない狙撃犯。ほどなくしてテレビ中継カメラのひとつが彼の姿を捉え、不審に思ったスタッフが警備担当者サム(マーティン・バルサム)に報告する。ライフルを構えた狙撃犯の姿を見て戦慄し、慌ててロス市警の分署長ピーター・ホリー(チャールトン・ヘストン)に連絡するサム。通報を受けて現場へ到着したホリー署長と警官隊は、人目を引かぬよう注意深く時計台の男を観察する。 果たして彼は本気で凶行に及ぶつもりなのか。だとすれば単独犯なのか、それとも仲間がいるのか。会場には市長や議員も訪れているが、いったいターゲットは誰なのか。すると、事態を知った管理責任者ポール(ブロック・ピータース)が、時計台へ上がろうとして男に突き落とされ死亡する。すぐさまホリー署長はSWAT(特殊部隊)チームを招集。観客の安全を最優先に考えつつ、会場の各所に隊員を待機させて犯人確保のタイミングを狙うSWATのバトン隊長(ジョン・カサヴェテス)。やがてアメフトの試合はクライマックスへと差し掛かり、終了2分前のタイムアウト(ツー・ミニッツ・ウォーミング)が訪れる…。 ラリー・ピアース監督の代表作『ある戦慄』との類似性とは? 肝心の見せ場であるパニック・シーンは終盤の20分ほど。コロシアムに集まった9万1000人の観客が、次々と狙撃犯の凶弾に倒れる犠牲者や会場に響き渡る銃声に青ざめ、大混乱を起こして一斉にコロシアムの外へ向かって逃げ出す。もちろん、実際に9万人以上のエキストラを逃げ惑わせることなど不可能であるため、撮影はシーンやカットごとに何週間もかけて行われたのだが、それでもなお最大で1日3000人近くのエキストラを動員したという群衆パニックは圧倒的な迫力だ。これぞディザスター映画の醍醐味。しかも、ただスケールが大きいだけではなく、危機的状況に陥って冷静な判断力を失った人々の行動をつぶさに捉え、いざという時の群集心理の恐ろしさと危うさをこれでもかと見せつける。 とはいえ、本作のキモはそこへ至るまでの生々しいサスペンス描写にあると言えよう。狙撃犯の素性も動機も目的も劇中では一切明かされず、クライマックスへ至るまで顔すら殆んど映し出されず、辛うじて最後に所持品から名前が判明するだけ。その得体の知れなさが漠然とした不安と恐怖を徐々に煽り、ケネディ大統領暗殺事件やテキサスタワー乱射事件より以降の、アメリカ社会を包み込む殺伐とした空気をリアルに浮かび上がらせていく。’60年代末から顕著になったアメリカの治安悪化は、’70年代に入ってますます深刻となり、犯罪発生件数は増加の一途を辿っていた。もはやこの国に安全な場所など残されていない。平和な日常のどこに犯罪者が潜んでいるか分からないし、いつ凶悪犯罪に巻き込まれたっておかしくない。それこそが本作の核心的なテーマであり、あえて犯人像を透明化した理由であろう。 監督はテレビ出身のラリー・ピアース。黒人男性と再婚した白人女性に立ちはだかる困難に人種問題の根深さを投影した『わかれ道』(’64)や、富裕層のお嬢さまと平凡な若者の格差恋愛を通して階級間や世代間のギャップを描いた『さよならコロンバス』(’69)など、アメリカ社会の「今」を鮮やかに捉えた人間ドラマで定評のある名匠だが、中でも最高傑作との呼び声も高い『ある戦慄』(’67)と本作の類似性は見逃せない。 ニューヨークの地下鉄にたまたま乗り合わせた平凡な人々が、傍若無人なチンピラに絡まれるという理不尽な恐怖体験を描いた『ある戦慄』。『パニック・イン・スタジアム』でアメフトの試合会場に集まってくる観客たちと同様、『ある戦慄』の地下鉄乗客たちもそれぞれに複雑な事情を抱えており、そのひとつひとつに貧困や格差や差別などの社会問題が映し出される。そのうえで、まるで自然災害のごとく理屈の通用しない凶暴なチンピラたちの脅威に晒されることによって、善良な市民の赤裸々な醜い本性が暴かれていくことになるのだ。 日常空間に突如として現れる得体の知れない暴力、極限状態に置かれた人間のパニック心理、そこから浮かび上がるアメリカ社会の殺伐とした暗い世相。クライマックスの衝撃へ向けて、少しずつ不安と恐怖を煽っていくヒリヒリとした演出も含め、犯罪の増加やベトナム戦争の泥沼化などに揺れる’60年代末アメリカのリアルな実像に迫る『ある戦慄』は、それゆえに『パニック・イン・スタジアム』と符合する点が少なくない。前作『あの空に太陽が』(’75)をきっかけに、本作を含めて4本の映画で組んだ製作者エドワード・S・フェルドマンが、『ある戦慄』を念頭に置いてオファーしたのかどうかは定かでないものの、しかしピアース監督が本作を演出するに最適な人物であったことは間違いないだろう。 主演のチャールトン・ヘストンを筆頭に、ジョン・カサヴェテスとジーナ・ローランズの夫婦、『十二人の怒れる男』(’57)でも共演したマーティン・バルサムにジャック・クラグマン、ハリウッド黄金時代を代表する二枚目スターのひとりウォルター・ピジョン、テレビ界の人気者だったデヴィッド・ジャンセンにデヴィッド・グローなどの名優たちを起用した豪華キャストも魅力。後にピアース監督夫人になったマリリン・ハセット、『ある戦慄』でも共演したボー・ブリッジスにブロック・ピータースなど、ピアース作品の常連組も揃う。ヘストンはピアース監督の仕事ぶりを気に入り、『原子力潜水艦浮上せず』(’78)の演出をオファーしたそうだが、しかし監督は好みのジャンルでないことを理由に断ったという。 当時まだ新人だったパメラ・ベルウッドは、その後一世を風靡したドラマ『ダイナスティ』(‘81~’89)でテレビ界のトップスターとなる。また、ウォルター・ピジョン扮するスリの相方を演じている女優ジュリー・ブリッジスは、当時すでに離婚していたボー・ブリッジスの元奥さんである。当時まだ無名だった『エクスタミネーター』(’80)のB級アクション俳優ロバート・ギンティが、売店のお兄ちゃん役で顔を出すのも見逃せない。それにしても、群衆に巻き込まれながらのメインキャストの芝居など、さぞかし大変だったろうと思うのだが、実は周囲に10~15名のスタントマンを配置してスペースを確保したり誘導したりしていたのだそうだ。 なお、劇中で展開するアメフトの試合は学生リーグで、ユニフォームを見れば一目瞭然だが、実はスタンフォード大学と南カリフォルニア大学の対戦。テレビ中継のディレクターとして登場するのは、当時実際にスポーツ中継ディレクターの第一人者だったアンディ・シダリス。そう、後に『グラマー・エンジェル危機一発』(’88)や『ピカソ・トリガー/殺しのコード・ネーム』(’88)など、一連のB級ビキニ・アクション映画を手掛けるアンディ・シダリス監督その人である。 幻のテレビ放送版も徹底検証! ちなみに、本作は1979年2月6日に米ネットワーク局NBCにて、3時間の特別枠でテレビ放送されたのだが、その際に大幅な追加撮影と再編集が行われている。かつてのアメリカでは劇場でヒットした話題作映画をテレビ放送する際、様々な理由から追加撮影や再編集を施したテレビ向けのロング・バージョンを作ることが少なくなかった。『大地震』や『キングコング』(’76)、『スーパーマン』(’78)などが有名であろう。この『パニック・イン・スタジアム』の場合は、理由なき無差別殺人という題材や血生臭い暴力描写が子供や老人も見るテレビには不向きと見做され、ゴールデンタイムの特別枠を欲しかった権利元ユニバーサルが独断で追加撮影と再編集に合意したらしい。 準備された予算は50万ドル。当時は低予算のインディーズ映画を1本撮れる金額だ。おのずと劇場版の監督であるラリー・ピアースに追加撮影の依頼があったそうだが、しかし『大地震』のテレビ放送版にも携わったフランチェスカ・ターナーの脚本が酷かったため断ったという。最終的に誰が追加撮影分の演出を担当したのか分かっていないが、完成版ではジーン・パーカーという匿名でクレジットされている。 このテレビ放送版と劇場公開版の最大の違いは、狙撃犯の正体が美術品強盗グループの一味と設定されていることだ。どういうことかというと、テレビ放送版には美術品強盗作戦というサブプロットが存在するのである。実はロサンゼルス・メモリアル・コロシアムの向かいに美術館があり、そこに展示されている国宝級の美術品を盗もうと画策する強盗グループが、目眩ましとして狙撃犯を試合会場に送り込んだというのだ。あくまでも目的は警察の注意をコロシアム側に引いて、その隙に仲間が美術品を盗み出すこと。人は殺さないというのが大前提だ。なので、狙撃犯のターゲットは会場の照明器具や誰も座っていない空席。その銃声で観客はパニックに陥るのだが、最後までメインの登場人物は誰一人として死なない。たまたま照明の陰に隠れていたSWAT隊員が1人、運悪く銃弾に当たって殺されるだけだ。 さらに、劇場公開版では最後に名前が判明するだけで、その素性も動機も目的も分からず、顔も殆んど見せなかった狙撃犯だが、テレビ放送版では最初から顔も名前も堂々と明らかにされ、美術品強盗グループの仲間であることはもちろん、実はベトナム帰還兵だったという設定まで加わっている。なるほど、ラリー・ピアース監督が関わり合いになることを拒否したのも納得。これじゃ映画本来の意図が台無しである。しかも、恐らく相当急ピッチで撮影された様子で、例えば車のリアウィンドウに映る景色がグリーンバックのままになっていたりする。これはさすがに不味いだろう(笑)。 こうした追加撮影分のサブプロットが本編に混ぜ込まれる一方、劇場公開版に存在するシーンの多くがテレビ放送版ではカットされている。例えば、ランニング中の夫婦が銃撃されるオープニングのホテル・シーンは丸ごと全て消えているし、狙撃犯が会場へ向かうドライブ・シーンや観客たちの背景を描く人間ドラマも大幅に短縮。バトン隊長の家族も一切出てこないし、狙撃犯の仲間と疑われた迷惑客を手荒に尋問するシーンも存在しない。その結果、最終的にCMを含む3時間の放送枠に収まるよう再編集された、合計で約2時間半のテレビ向けロング・バージョンが出来上がったのである。 追加撮影分に登場する主なキャストは以下の通り。美術品強盗グループのリーダー、リチャード役には『コマンドー』(’85)のカービー将軍役でお馴染みのジェームズ・オルソン。本作でもベトナム帰りの元陸軍将校という設定だ。同じく強盗グループのブレーンである美大教授には、ハリウッド・ミュージカル『南太平洋』(’58)でも有名なイタリアの名優ロッサノ・ブラッツィ。狙われる美術品のオーナーである大富豪アダムス氏は、『カーネギー・ホール』(’47)や『ガントレット』(’77)のウィリアム・プリンス。その恋人で実は強盗グループの仲間である美女パトリシアには、『007/カジノ・ロワイヤル』(’67)のマタ・ボンド役で知られるジョアンナ・ペティット。後に『スカーフェイス』(’83)で南米カルテルのボスを演じるポール・シェナーも強盗グループの一員、トニー役を演じている。なかなか豪華な顔ぶれだ。 さらに、主演のチャールトン・ヘストンも追加撮影に参加。強盗計画のタレこみ情報を受けた美術館の警備担当者からホリー署長が電話連絡を受けるシーンと、終盤でホリー署長が警官隊を美術館へ向かわせるシーンに登場するのだが、よく見ると劇場公開版の映像に比べて髪型が微妙に違う。そういえば、『大地震』のテレビ放送版でも、追加撮影シーンに出てくるヴィクトリア・プリンシパルのアフロ・ウィッグが明らかに別物だったっけ(笑)。また、追加撮影では狙撃犯役のウォーレン・ミラーも再登板。劇場公開版と同じ衣装を着用している。残念(?)ながら、日本では見ることのできない『パニック・イン・スタジアム』テレビ放送版だが、米盤ブルーレイの映像特典として収録されている。好事家の映画マニアであれば一見の価値くらいはアリだろう。■ ◆本作撮影中のラリー・ピアース監督 『パニック・イン・スタジアム』© 1976 Universal Pictures, Ltd. All Rights Reserved.
-
PROGRAM/放送作品
さよならコロンバス
70年代に絶大な人気を誇ったアリ・マッグロー主演の名作。透明感と瑞々しさ溢れるひと夏の恋物語
アリ・マッグロー主演、フィリップ・ロス処女作原作。透明感と瑞々しさ溢れるひと夏の恋を描く、青春の輝きと痛みが凝縮された名作。アソシエイションの主題歌含め、60年代の空気を堪能できる。
-
COLUMN/コラム2015.04.18
【ネタバレ】プレップスクールギャル・ファッション満載!アリ・マッグローのセンス炸裂の辛口青春ドラマ〜『さよならコロンバス』
1970年代前後から80年代にかけてハリウッドで脚光を浴びたモデル出身の女優たちの中で、最も成功したのはアリ・マッグローではないだろうか?まず、モデル時代の活躍ぶりが凄い。彼女はその個性的なルックス(スコッテッシュとハンガリアンの血を引く)を武器に、"ハーパース・バザール"を始め、一流ファッション誌のカバーや特集ページを次々席巻。特に、タートルネックのセーターにミニスカートという、典型的なアメリカ東部プレップスクールのライフスタイルを取り入れたコンサバな着こなしと、一転、バンダナを大胆に頭に巻き付けたボヘミアン調のスタイルは、当時のファッションシーンに強烈なインパクトを与えたものだ。彼女が仕掛けたトレンドは女優デビュー後も映画と巧く連動し、世界中に拡散して行った。それが、実際にプレップスクールを舞台にした純愛物語『ある愛の詩』(70)であり、デビュー2作目になる『さよならコロンバス』(69)なのだ。 さて、『さよならコロンバス』は小説家のフィリップ・ロスがアメリカに住むユダヤ人の生活形態や価値観を独特のユーモアと共に綴った作家デビュー作で、発刊されたのは1959年。その翌年、アメリカで最も権威のある文学賞の1つである全米図書賞に輝いた原作にハリウッドが目を付けたのは10年後、1969年のことだ。後に『クレイマー、クレイマー』(79)でアカデミー賞を獲得するスタンリー・R・ジョフィの初プロデュース作品で、監督はTV出身の新鋭、ラリー・ピアースに任される。原作の知名度もあり、読者のイメージを損なわない厳格なキャスティングが行われた結果、リチャード・ベンジャミンが演じる冷めたユダヤ人青年、ニールが恋に落ちる同じく裕福なユダヤ人ファミリーの令嬢、ブレンダ役に抜擢されたのが、モデルとして人気絶頂だったアリ・マッグローだった。映画の冒頭、プールサイドで女の子の水着チェックに余念がないニールの前に若干逆光気味に現れたブレンダが、『ちょっとサングラスを持っててくれない?』と語りかけるシーンから、彼女はニールと観客のハートを鷲掴みにしてしまう。 当時、マッグローは30歳でブレンダの設定年齢より10歳も年上だったが、それは問題ではなかった。彼女の前に役をオファーされたナタリー・ウッドは11歳も年上だったし、何よりも、マッグローはその年齢を超越した褐色の肌とモデル業で鍛え上げた身軽な身のこなしで、名門大学に通う女子大生のルックを完璧にクリアしていたのだから。ニューヨークのブロンクスで公立図書館員としてライブラリーを管理するニールは、大学を卒業して陸軍に入隊し、除隊後は大した野望もなくのんびりと暮らしている男だ。そんな掴みどころのなさが、一代で巨万の富を築いた父親や家族、また、その周辺にたむろする男達にはない魅力として映ったのか、ブレンダはニールの半ば強引なアプローチを受け容れ、2人は急接近して行く。 だが、2人は住む世界が違いすぎた。ニールが居候するブロンクスの親戚の家では、台所を預かる叔母が家族各々の好みに合わせて別々の料理を振る舞っているのに対し、ニールが招待されて席に着いたブレンダ家の食卓では、メイドがコース料理を家族全員に取り分け、それをみんなが黙々と食するのが決まりだ。料理にあまり手をつけない末娘に対し、ブレンダの母親は『世界には飢えている子供もいるのよ』と叱りつけるが、それを冷めた目で眺めるニールの表情が印象的だ。個人の好みを優先するか?それとも全員で飽食を貪るのか?この違いは、アメリカ社会に於けるユダヤ人の異なる立ち位置と価値観を暗示しているようで興味深い。つまり、ニール家は原作者フィリップ・ロスが属するアメリカ文学及びアメリカン・カルチャーを支える個人主義の象徴であり、一方、ブレンダ家はアメリカの実業界を牛耳るユダヤ人コミュニティの金満主義のシンボルと思えなくもないからだ。 そもそも、ニールとブレンダが本当に愛し合っていたのかどうかも、定かではない。結局、2人はブレンダの両親に隠れて頻繁にセックスを楽しんだ結果、決定的な意識のズレに直面し、決別することになるのだが、観客からしてみれば、それも想定内。人は未知のものに惹かれることはあっても、なかなか価値観を共有するまでには至らないことを、多くの人が経験上、知っているからだ。ユダヤ社会という特殊な世界で芽生えた一夏の恋にフォーカスしつつ、そこから人間関係の本質にまで言及している点が、フィリップ・ロスの作家として秀逸なところだ。 ニューヨーク近郊のマサチューセッツ州ケンブリッジにあるブレンダ邸の裏庭にはプールがあり、プールサイドでは頻繁にパーティが行われている。また、邸宅の周囲にはテニスコートや池があってニールとブレンダの絶好のデートコースだ。そんな背景に合わせて、マッグローはカプリパンツやボーダーのノースリーブ、短めのトレンチコート、そして、彼女が世に広めたセーターの肩掛けやスカーフの髪結び等々、トレンディな着こなしをファッション・フォトのように画面上に並べて行く。結果、原作者の意思を超越して、決して共感できないブレンダというヒロイン像が、魅惑のファッション・アイコンへと浄化されることになる。驚くのは、"ハーパース・バザール"が今年『ニュー・イングランド・スタイル』と題してボーダーのトップとパンツを穿いた『さよならコロンバス』のマッグローをそのまま掲載していること。彼女が希代のファッショニスタとして永遠の存在である証拠だ。 この後、マッグローは大学時代の旧友だったエリック・シーガルの原作『ある愛の詩』を、当時パラマウントの副社長だったロバート・エヴァンスに売り込み、映画版に主演して純愛ブームを巻き起こす一方で、エヴァンスの妻に収まりセレブライフを満喫。エヴァンスは愛妻のために『チャイナタウン』や『華麗なるギャツビー』(共に74)という魅惑の企画を用意するが、マッグローは『ゲッタウェイ』(72)の撮影中、恋に落ちたスティーヴ・マックイーンの元に走り、それらの企画はあえなく頓挫。マッグローとマックイーンは3年間、夫婦として生活を共にする。ハリウッドのウォーク・オブ・フェイムにはマッグローの手形がしっかりと刻まれているが、『さよならコロンバス』『ある愛の詩』『ゲッタウェイ』『コンボイ』(78)と、以上たった4本の出演作で刻印の栄誉に与った女優は、ハリウッド史上珍しいことらしい。ファッショニスタは効率の良さでも他を圧倒しているのだ。 今年、アメリカの演劇界最大の事件は、『ある愛の詩』で一世を風靡したマッグローと相手役のライアン・オニールが、その続編とも言うべき舞台『Love Letters』で45年ぶりに共演し、一緒に全米をツアーすること。今年77歳になるマッグローは白髪の老婦人としてPRの席に現れ、顔に深く刻まれた皺を隠そうともせず微笑む姿は、口うるさいメディアを一瞬沈黙させるほど美しかったとか。■ TM & Copyright © 2015 Paramount Pictures Corporation. All Rights Reserved.
-
COLUMN/コラム2014.10.30
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2014年11月】おふとん
フィリップ・ロスのデビュー作を1969年に映像化した珠玉の名作。青春の輝きと痛みが凝縮されたストーリーと、瑞々しく透明感に溢れた映像。夏のプールの水面のきらめき、遠い記憶の匂い、少女たちの熟れた胸とおしり、アソシエイションの主題歌、小麦色の肌と真っ白なテニスウェアのアリ・マッグロー、パステルカラーのママたちの服、ゴーギャンが大好きな少年。やっぱり69年は特別な年!オープニングのプールシーンは映画史に残る名場面。 TM & Copyright © 2014 by Paramount Pictures. All rights reserved.