小学校のころ入っていたブラスバンド部で、『ロッキー』のテーマを練習させられたことがある。担当は太鼓だった。なぜトランペットを選ばなかったのか覚えていないけど、ビル・コンティによる勇壮な曲調に釣られてテンションを上げまくって、ドカドカと叩きまくった記憶がある。

当時はまだ『ロッキー2』までしか公開されていなかった頃だから、トレンドに相当敏感な選曲ではある。でも『ロッキー』のテーマは小学生に人気があったし、演奏映えがするから楽譜が全国に出回っていたのだろう。『ロッキー』が教育的観点から支持されていた可能性もあるかもしれない。たとえ倒れても立ち上がるロッキーのネバー・ギブアップ精神は、部活を運営する側にとっても都合がいいからだ。

やれるまでやる。部活の顧問でもないのにシルベスター・スタローン=ロッキー・バルボアはこうした教えを40年以上にわたって僕らに説き続けてきた。

そもそも生まれつき顔の左側が麻痺して表情や発音が万全とは言い難い人物が、俳優を志すだろうか? 身長が170センチ代半ばにもかかわらずヘビー級ボクサー役を自ら演じて世に出ようとするだろうか? でもスタローンはやってみせた。製作会社からスター俳優を起用すればヒット間違いなしと勧められても、主演に拘って低予算で『ロッキー』を作り上げたのだ。

同作の大成功によってスター俳優になったスタローンは、『ロッキー2』『ロッキー3』『ロッキー4/炎の友情』とリングで戦い続け、製作費と興行収入は膨れあがっていった。その一方で作品の評価が下降線を描いていったのも事実だ。

「俺と戦った時のお前は“虎の眼”をしていた」

『ロッキー3』でアポロがロッキーに語るこうしたセリフは、スタローンによる自分への問いかけだったかもしれない。かくして完結篇として構想された『ロッキー5/最後のドラマ』でスタローンはロッキーにフィラデルフィアの街角で若手ボクサーとストリート・ファイトをさせた。原点回帰だ。だがこの決着は観客に支持されないまま、シリーズは幕を閉じることになる。普通の人間ならここで諦めるところだろう。

しかしスタローンは諦めなかった。26年後の『ロッキー・ザ・ファイナル』で老齢にさしかかったロッキーに第一作と同じような練習やファイトをさせることによって、別の原点回帰を行なわせたのだ。結果、同作は執念が生んだ偉大なる完結編として絶賛された。

これで終わり。誰もがそう思って久しかった頃、スピンオフ作『クリード チャンプを継ぐ男』への出演がスタローンの魂に再び火を付けた。『ロッキー3』のラストでは描かれなかったロッキーとアポロふたりだけの試合の結果を重要なモチーフに掲げた同作の成功は、彼に正統な評価を得られなかった過去作のリベンジを行うアイデアをもたらしたのだ。

かくしてスタローンが脚本家に復帰した『クリード 炎の宿敵』は、『ロッキー4/炎の友情』の後日談をベースにしながら、『ロッキー2』における妻の出産や『ロッキー3』における持久戦に弱いライバルの存在など、過去作のモチーフを積極的にリサイクル。加えて『クリード』では影が薄かったロッキー・ジュニアまで再登場、『ロッキー・ザ・ファイナル』で十分に書き込めなかった父子の物語にケリをつけている。この傑作によって、ロッキーシリーズの全作品は映画ファンに肯定されるものになった。

スタローンがインタビューで「『クリード 炎の宿敵』の続編が製作されてもロッキーは登場しないだろう」で語っているのは、<やれるまでやる>を貫いてやり遂げた自分に達成感を感じているからにちがいない……いや、またやる気になっても、それはそれでオッケーなんだけど。

 

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