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COLUMN/コラム2022.04.06
ヌーヴェルヴァーグの先駆者シャブロルの代表作『いとこ同志』
「フランスのヒッチコック」とも呼ばれたシャブロルとは? ‘50年代後半から’60年代にかけて、フランス映画界を席巻した「ヌーヴェルヴァーグ」の大きな波。当時のヨーロッパではイギリスのフリー・シネマやドイツのニュー・ジャーマン・シネマなど、各国で新世代の先進的な若手映像作家が急速に台頭し、旧態依然とした映画界に変革を起こしつつあった。それはヨーロッパ最大の映画大国フランスでも同様。従来のスタジオシステムに囚われない若い才能が次々と登場し、その大きなうねりを人々は「新たな波=ヌーヴェルヴァーグ」と呼んだのである。 このヌーヴェルヴァーグのムーブメントには、大きく分けて「カイエ・デュ・シネマ派」と「セーヌ左岸派」が存在した。前者は雑誌「カイエ・デュ・シネマ」に寄稿していたフランソワ・トリュフォーやジャン・リュック・ゴダール、ジャック・リヴェット、エリック・ロメールなどの映画批評家たち、後者はパリのセーヌ左岸に集ったアラン・レネやアニエス・ヴァルダ、ルイ・マルなど主にドキュメンタリー出身の作家たち。その「カイエ・デュ・シネマ派」の中でも先陣を切って映画制作に乗り出し、トリュフォーやゴダールと並んでヌーヴェルヴァーグの旗手と目されたのがクロード・シャブロルだった。 とはいえ、当時のヌーヴェルヴァーグ作家群の中でも、シャブロルは少なからず異質な存在だったと言えよう。ゴダールは自己表現のために映画を利用し、シャブロルは映画そのものに奉仕すると言われるように、彼は特定のジャンルやイデオロギーに囚われることなく様々なタイプの映画に取り組む、純粋な意味での「映画作家」だった。なので、やがてヌーヴェルヴァーグの勢いが落ち着いていくと、商業映画に背を向けたゴダールやリヴェットが政治的に先鋭化し、資金繰りに窮したロメールはテレビへ活路を見出し、トリュフォーはメインストリームのアート映画を志向するなど、ヌーヴェルヴァーグの仲間たちが各々別の道を模索していく中、シャブロルは折から流行のスパイ・コメディなど大衆娯楽映画に進出する。恐らく彼にとっては、たとえ低予算のプログラム・ピクチャーであろうと、大好きな映画を撮り続けることが重要だったのだろう。 中でも彼が最も得意としたのはミステリー映画。アルフレッド・ヒッチコックやフリッツ・ラング、ジョゼフ・L・マンキーウィッツなどをこよなく愛し、ロメールと共著でヒッチコックの研究書も執筆したことのあるシャブロルは、’60年代後半から’70年代にかけて『女鹿』(’68)や『肉屋』(’69)など数々の優れたミステリー映画を発表し、一時は「フランスのヒッチコック」とも評されるようになる。ヌーヴェルヴァーグを一躍世に知らしめたと言われ、ベルリン国際映画祭では金熊賞を獲得した監督2作目『いとこ同志』(’59)にも、既にその兆候を垣間見ることが出来るだろう。 明暗を分ける「いとこ同志」の青春残酷物語 法学の試験を受けるため、田舎から大都会パリへとやって来た若者シャルル(ジェラール・ブラン)。真面目でシャイなお人好しの彼は、同じく法律を学ぶ従兄弟ポール(ジャン=クロード・ブリアリー)と同居することを条件に、過保護な母親の許しを得ることが出来たのだ。そのポールは、シャルルとまるで正反対の破天荒で不真面目なプレイボーイ。広い高級アパートに遊び仲間を集めては、夜な夜なドンチャン騒ぎを繰り広げている。その贅沢な暮らしぶりに圧倒される田舎者のシャルルだったが、少しずつグループの輪にも慣れていき、大都会での暮らしを満喫しつつ勉学に励む。日頃から傲慢で自堕落なポールも、実のところ根は悪い人間ではなかった。 そんなある日、シャルルはポールの取り巻きグループの女性フロランス(ジュリエット・メニエル)に一目惚れする。恋に落ちると周りが見えなくなってしまう初心で不器用なシャルル。それなりに恋愛遍歴を重ねてきたフロランスも、今どき珍しく純情で一途なシャルルに好感を抱き、デートの誘いに応じるようになる。ところがある時、約束の時間を間違えたフロランスがアパートでシャルルを待っていたところ、ポールとその悪友クロヴィス(クロード・セルヴァル)に忠告される。真面目過ぎるシャルルと遊び慣れた君とでは絶対に合わない、いずれ退屈して彼を傷つけることになるだけだ…と。なんとなくその場の雰囲気でポールとキスしたフロランスは、そのまま彼の恋人として同居することになる。 この予期せぬ展開に大きなショックを受けるシャルルだったが、それでもなんとか平静を装い、試験に合格して見返してやろうとする。なにより、女手ひとつで育ててくれた母親の恩に報いるためにも、試験に落ちるわけにはいかなかった。とはいえ、目の前でいちゃつく2人との共同生活はストレスで、なかなか勉強にも身が入らない。そんなシャルルの複雑な心境も考えず、勉強ばかりしないで一緒に遊ぼうよ!と無邪気に誘うポールとフロランス。おかげで、シャルルはあえなく試験に落第してしまう。一方、ろくに勉強などしなかったポールは、賄賂とコネを使ってちゃっかり合格を手に入れていた。恋人を横取りされたうえに、試験でも負けてしまったシャルル。やはり貧乏人は金持ちに敵わないのか。無力感と敗北感に苛まれた彼の心に、やがてポールへの殺意が芽生えていく…。 また、本作はシャブロルにとって最大の協力者である脚本家ポール・ジェゴフとの初仕事でもあった。ルイ・マル監督の『太陽がいっぱい』(’60)の脚本家としても知られ、シャブロルとは「カイエ・デュ・シネマ」時代からの親友だったジェゴフ。実は『美しきセルジュ』でも彼に手伝ってもらうつもりだったシャブロルだが、しかし当時のジェゴフは20世紀フォックス広報部の業務で忙しかったために叶わなかった。まあ、もとはといえば先にフォックスで仕事をしていたシャブロルが、スタッフ増員の際にジェゴフを引き入れたので、その経緯を考えれば無理を言えた義理ではなかったのだろう。その後、仕事に嫌気のさしたジェゴフはフォックスを退社。めでたく(?)本作での初コラボが実現することとなったわけだ。 基本的にジェゴフが草稿を書き上げ、そこにシャブロルが加筆・修正を加えていくというスタイルで完成した本作の脚本。元になったあらすじはシャブロルのものだが、しかし出来上がった脚本の99.5%はジェゴフのものだという。そんなジェゴフは相当に破天荒な人物だったそうで、なおかつ女性関係にもだらしなかったという。もしかすると、ポールのモデルは彼だったのかもしれない。ただまあ、若い頃のシャブロルもなかなかのヤンチャ坊主で、しかも女癖の悪さを治すために結婚したというほどの遊び人だったらしいので、反対にジェゴフがシャブロルをもとにしてポールの人物像を作り上げたとも考え得る。その辺りも興味深いところだ。 ちなみに、本作は後にシャブロルのミューズとして数々の映画に主演し、2番目の妻ともなる女優ステファーヌ・オードランとの初仕事でもある。ポールの友人で生真面目すぎる若者フィリップを振り回す、プラチナブロンドの浮気性女フランソワーズを演じているのがオードランだ。主演のジェラール・ブランとジャン=クロード・ブリアリーは、前作『美しきセルジュ』からの再登板。これが本格的な映画デビューだったフロランス役のジュリエット・メニエルは、化粧石鹸の広告で彼女を見かけたシャブロルによってスカウトされたという。■ 『いとこ同志』© 1959 GAUMONT
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COLUMN/コラム2022.03.25
スティーヴ・マックィーン晩年の素顔も投影された遺作『ハンター』
もう40年以上の歳月が、流れてしまった。1980年11月7日…稀代のアクションスター、スティーヴ・マックィーン死去が報じられた際の衝撃を、今の若い映画ファンに伝えるのは、もはや至難の業かも知れない。 家庭環境に恵まれない不良少年だったマックィーンは、折り合いの悪かった継父によって、少年院に送り込まれる。退所後は数々の職を経て、海兵隊に入隊。3年間の軍隊生活を送った。 彼が演劇の勉強を始めたのは、20代になってから。そして30前後からスター街道をひた走り、やがて“キング・オブ・クール”と異名を取る、世界的な人気者となった。 1930年生まれ。思えばクリント・イーストウッドと、同い年である。マックィーンは「拳銃無宿」(58~61)、イーストウッドは「ローハイド」(59~65)という、それぞれTVの西部劇シリーズで世に出て、その後『ブリット』(68)『ダーティハリー』(71)という、それぞれに刑事アクションの歴史を塗り替える、大ヒット作のタイトルロールを演じた。 齢90を超えて未だに監督・主演作をリリースする、イーストウッドの驚くような頑健さ。それを思うと、マックィーンの享年50という短命には、改めてもの悲しい気分に襲われる。 筆者はマックィーンの、それほど熱心なファンだったわけではない。しかし70年代中盤から映画に夢中になった身には、マックィーンは、「絶対的なスター」と言える存在であった。 各民放が毎週ゴールデンタイムに劇場用映画を放送していた、TVの洋画劇場の全盛期。その頃確実に視聴率を取れる“四天王”と言われたのが、アラン・ドロン、ジュリアーノ・ジェンマ、チャールズ・ブロンソン、そしてスティーヴ・マックィーンだった。 マックィーンの他にポール・ニューマンやウィリアム・ホールデン、フェイ・ダナウェイら大スター競演のパニック映画超大作『タワーリング・インフェルノ』(74=日本公開は翌75年)以来、新作の日本公開が途絶えても(1976年にヘンリック・イプセンの戯曲『民衆の敵』を映画化した作品の製作・主演を務めたが、アメリカ本国でもまともに公開されず、日本では83年までお蔵入りとなった)、TVや名画座で彼と会うことは、困難ではなかった。筆者はまだビルになる前の池袋の文芸坐で、『荒野の七人』(60)『大脱走』(63)という、彼の代表作2本立てを楽しんだ記憶がある。 そんなマックィーン待望の新作が、5年振りに、しかも立て続けに日本公開されたのが、1980年だった。4月に『トム・ホーン』、そして12月に本作『ハンター』。しかし『ハンター』が公開された頃には、マックィーンはもう、この世の人ではなかったのだ…。 ***** 現代社会を生きる“バウンティ・ハンター=賞金稼ぎ”のラルフ・ソーソン、通称“パパ”。彼はロサンゼルスから逃げ出した犯罪者を追って、アメリカ各地へと赴いては逮捕し、ロスに戻って警察に引き渡すのが、主な仕事である。 彼の依頼主は、犯罪者に保釈金を貸し付ける業務を行っている、リッチー。逃亡されて、保釈金がパーになることを防ぐため、ソーソンに依頼を行うのである。 ソーソンの家は、いつも多くの人間が集まっては、ポーカーに勤しんでいる。時には、まったく面識のない者まで。 そんなザワついた家で、ソーソンを優しく迎えてくれるのは、彼よりかなり年下の女性ドティー。小学校の教師である彼女は、現在ソーソンの子どもを妊っている。 粗暴な大男、爆弾魔の兄弟、逃亡中に電車をジャックする凶悪犯、日々そんな者たちと、命を危険に晒しながら渡り合っているソーソンの悩みは深い。こんな自分が、父親になって良いのだろうか? 臨月を迎えて出産目前のドティーとソーソンの関係が、ギクシャクし始める。そんな時に、彼の命を狙う者が現れた。かつてソーソンがムショ送りにした男、ロッコだ。 ある夜、仕事を終えて自宅に戻ったソーソンは、ドティーがロッコに連れ去られたことを知る。その監禁先は、彼女が教壇に立つ小学校。 急ぎ車を飛ばすソーソンは、愛する女性と、生まれてくる我が子を救うことは、できるのか? ***** アメリカでは、西部の開拓時代さながらに、現代でも“賞金稼ぎ”という職業が認めらている。そして本作でマックィーンが演じる、ラルフ“パパ”ソーソンは、実在の“賞金稼ぎ”である。 マックィーンは“ディスレクシア=難読症”で、読書は苦手であったが、76年に出版されたソーソンの伝記は、むさぼるように一気に読み上げたという。そして彼を演じたいという気持ちを、強く持った。「少なくとも50年生まれてくるのが遅かった」と、常々口にしていたというマックィーン。その晩年に生活を共にした、3番目の妻であるバーバラは、彼のソーソンを演じたい気持ちには、「…善悪がはっきりしていた、あまり複雑ではなかった古い時代に戻りたいというロマンチックな考えが影響していたのではないか…」と分析している。 実際のソーソンは、マックィーンよりだいぶ大柄で髭面の巨漢。本作には、セリフもあるバーテンダーの役で登場しているが、バーバラは、ソーソンとマックィーンには、多くの共通点があることを指摘している。曰く、「カリスマ性」「年齢も同じぐらい」「誰からも軽く見られることを許さない」「自分独自のルールで行動する反逆児」等々。 いずれにしてもマックィーンがこの題材に惹かれたのには、彼のキャリアも大いに関係あるだろう。若き日の彼をスターダムに押し上げるきっかけとなったTVシリーズ「拳銃無宿」の主人公ジョッシュ・ランダルは、まさに開拓時代の“賞金稼ぎ”。それから20年が経ち、現代に生きる初老の“賞金稼ぎ”を演じることを決めたわけである。こうしてマックィーンの栄光のキャリアは、奇しくも“賞金稼ぎ”で始まり、“賞金稼ぎ”で幕を下ろすこととなったのだ。 『ハンター』の監督は、当初ピーター・ハイアムズが務める予定だった。ハイアムズは『破壊!』(74)『カプリコン1』(77)『アウトランド』(86)『シカゴ・コネクション/夢みて走れ』(86)など、一級のアクション演出で知られる監督。 ところが稀代のアクションスターであると同時に、稀代のトラブルメーカーとして知られるマックィーンとは、意見がぶつかってしまった。マックィーンは打合せの席で銃をぶっ放し、ハイアムズは脚本のみを残して、敢えなく降板となった。 後を受けたのが、バズ・クーリック。本作は、実際にソーソンが遭遇した事件をベースに、脚色してアクションを加味した構成となっているが、主にTVシリーズやTVムービーの監督として活躍してきたクーリックのアクション演出の腕前は、ハイアムズに遠く及ばない。そのため本作が、激しいアクションシーンを見せ場にしながらも、些か切れ味に欠け、ヌルく見える構成になったのは、否定できない。 時は80年代の頭、間もなくシルヴェスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーの時代が訪れる直前。60年代から70年代をリードしたアクションスター、マックィーンの遺作が、こんな形になってしまったのは、ある意味象徴的とも言える。 しかし案外、本作はマックィーン本人がそんな作りを望んだのではないかと思わせる部分も、多い。ソーソンは若い女性をパートナーにしながら、古い自動車やおもちゃをこよなく愛するという設定。これは実際のソーソンをベースにしながらも、25歳下のバーバラと暮らし、アンティーク玩具のコレクターであったマックィーンの私生活も投影されている。 そうした意味で本作に於けるソーソンと、そのパートナーであるドティーや周囲の人物とのやり取りを追っていくと、他作品ではあまり見られない、マックィーンの柔和な表情が横溢していることがわかる。こうなると、微温的でヌルく見える構成・演出が、心地よく感じられるようにもなる。 本作の撮影中マックィーンは、ロケ地のシカゴで知り合った、家庭環境に恵まれない10代の少女の保護者になったり、田舎町でのロケでは、農場の夫婦と家族のような交流をしたり。これらの心温まるエピソードは、後年バーバラが明らかにしたことだが、その一方で死の影が、彼の肉体を確実に蝕み始めてもいた。 俳優人生を通して、多くのスタントシーンを自分自身で演じてきたことに、マックィーンは誇りを持っていた。しかし本作撮影に当たっては、「スタントをするには年を取り過ぎたし金を持ち過ぎた…」と、走る高架鉄道のパンタグラフにぶら下がる有名なシーンなどに取り組むのは、スタントマンに譲った。 異変が現れたのは、逃げる犯罪者を走って追いかけるシーンを、マックィーン自らが演じた際。シーン終わりには、ぜいぜいと息を切らして、そのまま立っていられなくなった。撮影後半の数週間は、絶えず咳き込んでいる状態であったという。 79年9月から始まった本作の撮影が一段落した12月、バーバラとの約束通りマックィーンが検査を受けると、右肺に大きな腫瘍が見つかり、致死性の高いがんである“中皮腫”であることがわかった。 翌80年春には、タブロイド紙が彼の余命が僅かであることを、すっぱ抜く。マックィーンは怪しげな民間療法も含めて、がんと戦い続けた。 随時伝えられる彼の病状に、世界中のファンがヤキモキしながら生還を祈った。しかしその願いもむなしく、マックィーンは、末期がんと判明して1年も経たない11月7日に、力尽きてこの世を去ったのである。 人生の最期に彼を慰めたのは、25歳下の若妻バーバラと、晩年に改宗して熱心に信仰した、福音主義教会。彼の遺灰は太平洋へと散骨されたが、バーバラと共に、ニール・アダムス、アリ・マッグロウと、別れた妻2人も列席したという…。■ 『ハンター』TM & Copyright © 2022 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2022.03.15
実写のように細心に、漫画のように大胆に!——『かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート』
◆香港大河アクション漫画の実写映画化 正義感の強い蹴りの達人・タイガーは、ある日レストランで不作法をはたらく秘密結社“江湖”と争い、脅威的なまでに強い用心棒に圧倒されてしまう。その用心棒はタイガーと同じ武術道場「龍虎門」で学び、長く彼の前から姿を消していた兄・ドラゴンだった……。 2006年に公開された『かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート』(以下:『DTG』)は、香港の伝統あるコミックス「龍虎門」の映画化で、タイトルは身寄りのない子どもたちが格闘を学ぶ養成校の名だ。邦題の頭につく「かちこみ」は「殴り込み」を意味し、物語は龍虎門で育った2人の兄弟と1人のアウトロー=突き技の神ドラゴン(ドニー・イェン)、蹴りの達人タイガー(ニコラス・ツェー)、そしてヌンチャクの天才ターボ(ショーン・ユー)が、師匠を殺した悪の大ボスを相手に人間のレベルを超えた戦いを繰り広げていく。 『DTG』の製作は香港内で注目の的となった。なぜならば当時、香港映画でコミックスの長編実写化といえば、その多くが日本のマンガ原作が主流をなしていたからだ。しかも「龍虎門」は香港コミックスの格闘ジャンルを確立させた、歴史の古い大河アクションである。1970年に発表されてから今日まで、途絶えることなく新作が発表され、作品の歴史は半世紀以上にわたる。「香港の若者なら必ず読んでいる、通過儀礼のような格闘コミックスなんだ。そんな作品のキャラクターを演じるなんて、信じがたい機会だよ」 とターボ役のショーン・ユーが筆者に語ったように、またとない題材への取り組みとなったのである。 また全編において展開される高速アクションと一体化した音楽は『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(95)の川井憲次が担当。川井の起用はドニーの強い要望からきたもので、彼が日本でアクション監督を担当した『修羅雪姫』(01)のスコアに感銘を受けたという。その後、ツイ・ハークに推薦して『セブンソード』(05)の作曲に招き入れたことをきっかけに、自身の主演作に川井を指名していったという経緯がある。ドニーは「私のアクションの“リズム”を支える要素として、川井さんの音楽が果たす役割はとても大きい」と称賛してやまない。 ◆「アクション映画の真の勝負は数年後」とドニーは言った 「僕はアクション映画は公開したそのときよりも、公開されて数年後が勝負だと考えているんだ」 この『かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート』のプロモーションを通じ、筆者はドニー・イェンにインタビューをした過去がある。忘れもしない2007年2月12日、ハーバープラザ ホンコンに部屋をとっておこなわれた同取材は、ドニーが新作の撮影にかかりっきりで進行が遅れ、夕方の開始がなんと深夜の23時になってしまった。そんなアクシデントと併せ、忘れがたいイヴェントとして今も自分の中にある。取材が大幅に遅れたことへの苛立ちは不思議となく、むしろ強く覚えたのは、優先的にアクションに身を置こうとするドニーへの尊敬心だ。 なにより取材前、ドニーは撮影現場では決して妥協をしない、厳しい俳優だと仄聞していた。確かに本人に会ってみると、常にアクションのことを考えており、じつにストイックな印象を受ける。だが言葉に余計な飾りがないぶん、彼の口から出るアクション哲学には重い響きがあり、強い説得力を放っていたのだ(前チャプターで記したメイキングの事情は、そのときのドニーやショーンとの会話から起こしたものである)。 『かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート』© 2006 Mandarin Films Ltd. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2022.03.08
同性愛者を矯正する「救済プログラム」の実態を描く問題作『ある少年の告白』
19歳で矯正施設へ送られた少年の実話 同性愛は精神疾患でも性倒錯でもなく、異性愛と同じく本人の意思で変えることのできない先天的性質である。これは世界保健機関やアメリカ精神医学会など世界中の専門組織が認めた事実であり、少なくとも現在の先進諸国においては共通の認識であるはずだが、しかしその一方で様々な理由(主に宗教的な偏見)から同性愛を犯罪として禁じる、あるいは心の病気だとして「治療」しようとする国や地域も依然として存在する。 実はLGBTQ先進国アメリカもそのひとつ。’15年に国内全州での同性婚が認められるなど、同性愛への社会的な理解が進んでいるアメリカだが、しかし今なお伝統的なキリスト教の価値観が根強い保守的な地域も多く、中には同性愛者を異性愛者に矯正する救済プログラムを実施している団体も存在する。これまでに70万人以上のアメリカ人が、そうした救済プラグラムを受けており、そのおよそ半分がティーンエージャーなのだそうだ。えっ、21世紀のアメリカで?未だに?と驚きたくもなる話だが、そんな前時代的かつ非人道的な救済プログラムの実態を、実際に体験した当事者の手記を基にして描いた作品が、この『ある少年の告白』(’18)である。 原作はNYタイムズのベストセラーにも選ばれた回顧録「Boy Erased: A Memoir」(’16年出版)。著者のガラード・コンリーは、大学生だった’04年に自らが同性愛者であることを両親に打ち明けたところ、父親の命令でキリスト教系団体Love In Action(LIA)が主催する同性愛者の救済プログラムに参加させられる。なにしろ、彼の故郷であるアメリカ南部アーカンソー州のマウンテン・ホームは保守的な田舎町で、なおかつ父親はバプテスト教会の牧師。福音派の指導者ビリー・グラハムを敬愛する原理主義者の父親によって、幼い頃から「天国と地獄は実在する」「進化論は邪悪な嘘だ」などと教え込まれた彼は、同性愛は罪深い病気だと本気で信じていたという。映画でも描かれている通り、そもそもカミングアウトの原因は大学の同級生男子にレイプされたことだったが、しかしその際にも「これは神が自分に与えた罰だ」と自分を責めたのだそうだ。いやはや、刷り込みというのは恐ろしいものである。しかも、家父長制的なクリスチャンの家庭では父親の言うことが絶対。母親も口出しは出来ない。それゆえ、当時まだ19歳のコンリーにしてみれば、父親の指示に従って救済プログラムを受ける以外に選択肢はなかったのである。 テネシー州のメンフィスにあるLIAの施設でコンリーを待ち受けていたのは、’86年から長きに渡って救済プログラムを指導してきた主任セラピストのジョン・スミッド。「同性愛は生まれつきではなく行動と選択の結果だ」と主張するスミッドは、同性愛の罪を悔いて異性愛者に生まれ変わらねば神から愛されないと若い参加者たちを脅し、君たちが同性愛者になったのは両親の育て方が悪かったからだ、家庭に欠陥があるからだ、母親が過保護なせいだなどとして、家族に憎悪を向けさせるようなセラピーを行ったという。いわば、同性愛が後天的な性質だと信じ込ませるための洗脳である。 さらに、施設内では髪型から下着まで「ゲイっぽい」かどうかのチェックが事細かく行われ、携帯電話やノートなどの私物も勝手に検閲される。男は男らしく、女は女らしく立ち振る舞わねばならない。スポーツトレーニング後に利用するシャワールームでは、マスターベーションを禁じるための砂時計まで用意されていたという。要するに、短時間でさっさとシャワーを終えろ、余計なことは一切するな、考えるなというわけだ。ほかにも、聴いてはいけない音楽や立ち寄ってはいけない場所など、施設の外で守らねばならないルールもあった。ただし、こうした救済プログラムの詳細は他言無用。家族に話すことすら禁じられていた。恐らく、プログラムの内容が重大な人権侵害であることをスミッド自身も認識していたのだろう。 もちろん、このような非科学的かつ非合理的な救済プログラムによって、同性愛者が異性愛者になれるはずなどない。実際、後にジョン・スミッド本人が「救済プログラムで変えられるのは上辺だけ」「実際に同性愛者から異性愛者への転換に成功した者はひとりもいない」と告白している。結局、救済プログラムの実態というのは、参加者に本来の自分を否定させ、強制的に異性愛者のふりをさせること。そのせいで、精神的に追い詰められた参加者が自殺するというケースも起きている。コンリーの場合は幸いにも、母親マーサが息子のSOSをちゃんと受け止め、施設へ乗り込んで救い出してくれた。「自分はまだ幸運だった」とコンリー本人も振り返っている。 皮肉なのは、同性愛者を矯正するという誤った使命感に取りつかれたジョン・スミッド自身が、実は同性愛者だったということだろう。世間からの批判を受けて’08年に教官を辞任してLIAを去った彼は、’14年にパートナー男性との同性婚を果たしている。若い頃に女性と結婚して子供をもうけたというスミッド。恐らく、彼自身が自らの性的指向に強い罪悪感を覚えていたのだろう。それゆえ、同性愛は矯正できると実証したかったのかもしれないが、結果的に身をもって「性的指向は変えられない」ことを証明してしまったのである。原作者の想いを丹念に汲み取ったジョエル・エドガートン監督 そんな日本人の知らないアメリカ社会の暗い一面を映し出す実話を描いた本作。演出を手掛けたのは、俳優のみならず映画監督としても高い評価を得ているジョエル・エドガートンだ。出版当時に原作を読んで自ら映画化することを熱望したそうだが、しかしひとつだけ大きな懸念材料があった。それは、異性愛者である自分に、果たして本作の監督が務まるのだろうか?ということ。ただ、彼にはガラード・コンリーの原作本に強く共感する理由があった。 ご存知の通り、オーストラリアの出身であるエドガートン。彼の故郷ニューサウス・ウェールズ州ブラックタウンは、コンリーの故郷マウンテン・ホームと同じく保守的かつ閉鎖的な田舎町で、エドガートン曰く「みんなが同じでなくてはならず、誰もが仲間外れにされることを恐れて、普通のふりをしながら暮らす町」だったという。しかも、両親は敬虔なカトリック教徒。当然のように彼自身も同性愛者への偏見を持っていた。「当時は周囲の価値観に染まっていただけで、実際は同性愛のことなど深くは考えていなかった」と振り返るエドガートン。しかし、16歳の時に初めて同性愛者の男性と知り合い、さらに演劇学校で学ぶため大都会シドニーへ出て視野が広がったことで、ようやくセクシャリティについてちゃんと理解するようになったという。異性愛者と同性愛者という違いこそあれ、コンリーの生い立ちには自らの生い立ちと重なる点が多かったのだ。 結局、諦めきれずに自ら映画化権を獲得したエドガートンは、原作者コンリーのみならず救済プログラムの関係者や体験者に直接会って話を聞き、さらに客観的な資料も徹底的にリサーチして脚本を書き上げたという。脚本だけでなく撮影した映像も全てコンリーの確認を取り、さらにはLGBTQのメディアモニタリングを行う組織GLAADにも本編をチェックしてもらった。なにしろ、センシティブな題材を門外漢が描くわけだから、間違った表現などがないよう細心の注意を払ったのである。 出来上がった作品は、登場人物の名前こそ架空のものに変更されているものの、それ以外は実際の出来事をほぼ忠実に再現。決してセンセーショナリズムに訴えることなく、あえて誰かを悪者に仕立てることもなく、無知や偏見に基づいた救済プログラムの危険性を訴えつつ、お互いを労わり合う親子の衝突と和解を描くファミリー・ドラマとしてまとめあげている。重苦しさよりも優しさ、憎しみや疑念よりも愛し合う家族の絆が際立つ。原作者自身が「両親を恨んでなどいない」と語っているが、その心情を丹念に汲み取ったエドガートン監督の慈しみ溢れる眼差しが印象的だ。中でも、ニコール・キッドマン演じる母親ナンシーの愛情深さには胸を打たれる。慎ましやかな南部の女性として常に夫や周囲の男性を立て、たとえ不平不満があっても黙って彼らに従ってきたナンシーが、最愛の息子を守るために「もう黙ったりしない」と夫に反旗を翻す。まさしく「母は強し」。これはクイアー映画であると同時にフェミニズム映画でもあるのだ。 結局のところ、「お前のためだ」という父親マーシャル(ラッセル・クロウ)も、「君のためだ」というセラピストのサイクス(ジョエル・エドガートン)も、実は自分の個人的なイデオロギーや信仰心のために主人公ジャレッド(ルーカス・ヘッジズ)を変えようとする。もちろん本人たちに悪意などなく、むしろ良かれと思ってやっているわけだが、それでもなお彼らが自分本位であることには変わりがない。他者が好むと好まざるとに関わらず、人にはそれぞれ持って生まれた特性というものがある。それはなにも性的指向だけに限らないだろう。本当に誰かのためを想うのならば、その人のありのままをまずは受け入れるべきではないのか。その大前提がないと、たとえ家族であっても信頼関係を構築することはできないだろう。 ちなみに、サイクス役を自らが演じるにあたって、エドガートン監督はモデルとなったジョン・スミッド本人にも面会したという。ニューヨークで行われた映画のプレミアにもスミッドは参加。救済プログラムのセラピストを辞任後、メディアを通じて公に謝罪をした彼だが、しかし原作者コンリーによると彼の家族への直接的な謝罪はされていないそうだ。父親はようやく息子の同性愛を受け入れたというが、それでも親子の関係には少なからぬ傷跡が残されたままだとも語っている。その後、LIAは名称を変えて救済プログラムも廃止されたが、現在は既に組織自体が解散してしまった模様。それでもなお、同種の救済プログラムを法律で禁じているのは、’20年の時点で全米50州中20州のみ。それ以外の地域では、いまだに行われているところがあるという。■ 『ある少年の告白』© 2018 FOCUS FEATURES LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2022.03.08
“実話”の強みを最大限に生かしたヒーロー物語『エリン・ブロコビッチ』
アメリカ映画の保存・振興を目的とした、「AFI=アメリカン・フィルム・インスティチュート」という機関がある。この「AFI」が1998年から2008年に掛け、「アメリカ映画100年シリーズ」として、「アメリカ映画ベスト100」「映画スターベスト100」など、様々な「ベスト100」を発表した。 その中で、2003年に発表されたのが、「ヒーローと悪役ベスト100」。映画史上に輝く、ヒーローと悪役それぞれ50人(人間とは限らないが…)が選出された。 ヒーローの第1位は、『アラバマ物語』(1962)でグレゴリー・ペックが演じた、人種差別と闘う弁護士、アティカス・フィンチ。続いては、インディ・ジョーンズやジェームズ・ボンド、『カサブランカ』(42)でハンフリー・ボガートが演じたリックなど、錚々たる顔触れが並んでいく。 ヒーローと銘打ちながらも、闘うヒロインたちも、ランクインしている。第6位『羊たちの沈黙』のクラリス・スターリングを筆頭に、『エイリアン』シリーズ(79~ )のリプリー、『ノーマ・レイ』(79)『テルマ&ルイーズ』(91)のヒロインたち、そして第31位に、本作『エリン・ブロコビッチ』(2000)でジュリア・ロバーツが演じた、タイトルロールが挙がる。 エリン・ブロコビッチ、それはクラリスやリプリーと違って、実在の人物。本作は、実話の映画化なのである。 彼女の物語の映画化は、カーラという女性が、カイロプラクティックを受ける時に、施術者から信じがたい話を耳にしたことに始まる。その施術者の友人に、日々の生活費にも困っているような、バツ2で3人の子持ちの女性がいた。そんな彼女が、法律知識はゼロだったにも拘わらず、大企業を相手取った公害訴訟で、数多くの被害者たちのために、莫大な和解金を勝ち取ったというのだ。 カーラはその話を、自分の夫に伝えた。その夫とは、本作を製作することになる、ジャージー・フィルムズの経営者の1人、マイケル・シャンバーグだった。 *** ロサンゼルス郊外の小さな町ヒンクリーに住む、エリン・ブロコビッチは、今まさに窮地に立たされていた。離婚歴2回で、乳呑み児を含む3人の子どもを抱えたシングルマザーの彼女は、貯金が底を突きそうなのに、高卒で何の資格もないため、就職活動もままならない状態。 そんな最中、職探しのドライブ中に、信号無視の車に追突されて、鞭打ちになってしまう。老弁護士のエド・アスリーは、相手が一方的に悪いので、賠償金が取れると請け負うが、法廷でのエリンの暴言などから陪審員の心証が悪かったせいか、びた一文得ることができなかった。 お先真っ暗のエリンは、エドの法律事務所に押し掛け、無理矢理雇用してもらうことに。豊満なバストをはじめ、常にボディラインを強調するような服装の彼女に、同僚たちは良い顔をしなかったが、本人は注意されても言い返し、直そうとはしない。 ファイルの整理という、誰でもできるような仕事を命じられたエリンは、その中の不動産案件の書類に、引っ掛かるものを感じる。地元の大企業PG&E社が、自社工場の近隣住民の土地を買おうとしているのだが、不審に思える点があったのだ。 エリンが独自に調査を始めると、その土地が工場からの排出物に混ざった六価クロムによって、汚染されている疑いが強いことがわかる。そして近隣の住民には、癌など健康被害が続出していることが、明らかになる。 事務所に現れないエリンが、サボっていると誤解して、エドは彼女を解雇する。しかしエリンが探り当てた事実を知ると、最初は及び腰ではあったが、やがて彼女と共に、大企業相手の訴訟に乗り出す。 新たな恋人となった、隣人のジョージの愛にも支えられながら、エリンの熱い戦いが繰り広げられていく…。 *** “六価クロム”は、電気メッキ、酸化剤、金属の洗浄、黄色顔料など、広く使用されている化合物。非常に強い毒性があり、肌に付着すると皮膚炎や腫瘍を起こし、また長期間体内に取り入れると、肝臓障害・貧血・肺がん・大腸がん・胃がんなどの原因になる可能性がある。 日本でも60歳前後ならば、記憶に残っている方が多いだろう。1970年代前半から後半に掛けて、東京・江東区の化学メーカー工場が、“六価クロム”を排出。近隣の土壌が汚染されて、大きな社会問題となった。 PG&E社は、そんな有害物を大量に排出しながら、適切な処理を怠り、長年近隣住民を騙し、隠蔽し続けていたのである。エリンとエドは、634人の住民を原告に立ててPG&E社と戦い、1996年に3億3,300万㌦=約350億円という、全米史上最高額(当時)の和解金を勝ち取った。 一連の顛末を映画化した本作のことを、エリン本人は「実話度98%」と評価する。事実でない残りの2%は、例えば原告となる住民たちが実名ではないことや、エリンが実際には高卒ではなく、カンザス州立大学を卒業しているということなど。いずれにしろそれらの改変は、“実話”である強みを、損なうほどのことではない。 映画化に当たって、スティーヴン・ソダーバーグ監督へのオファーを決めたのは、マイケル・シャンバーグ、ダニー・デヴィートと共に、ジャージー・フィルムズを経営する、ステイシー・シャー。『アウト・オブ・サイト』(98)で組んだ経験から、「…あまりにもドラマティックでおもしろい…」このストーリーを、「地に足のついた現実的な映画にしてくれる」監督は、ソダーバーグしかないと、白羽の矢を立てたのである。 1963年生まれのソダーバーグは、20代中盤に撮った長編第1作『セックスと嘘とビデオテープ』(89)が、カンヌ国際映画祭で最高賞=パルム・ドールを獲るという、華々しいデビューを飾った。しかしその後はスランプに陥り、興行的にも作品の評価的にも、暫しの低迷が続いた。 そんな彼にとって、『アウト・オブ・サイト』は、久々の成功作。そのプロデューサーから依頼された本作の脚本を読んだ時、エリンのストーリーに思わず惹き込まれて、プロジェクトに参加することを決めたという。 それまでこの訴訟についてはまったく知らなかったソダーバーグは、事実のリサーチを進めていく中で、「…不必要に刺激的にしたり、ドラマティックな効果を狙うためだけのシーンがないようにすることが大切だ…」と見極めた。彼を起用した、プロデューサーの狙い通りとなったわけである。 本作の内容を精査すると、大企業側からの妨害や、エリンの強烈なキャラによって起こる軋轢などは、実にサラリと描かれている。こうした題材を映画化するに当たっては、通常は強調されるであろう、そうしたエピソードには主眼を置かず、一直線な“ヒーロー譚”に仕立て上げている。それが本作を成功に導いたと言える。 もちろんそれらは、バッチリとハマったキャスティングによるところも大きい。エリンを演じたジュリア・ロバーツは、本作の10年前に出演した『プリティ・ウーマン』(90)以来、TOPスターの1人として、活躍。30代前半となって、そろそろ大きな“勲章”を手にしたい頃であった。 そんな時に出会った本作に臨むのに、エリン・ブロコビッチ本人に会ったり、取材したりなどは、一切行わなかったという。本人を真似た役作りではなく、自分自身が『エリン・ブロコビッチ』という作品の中で、そのキャラクターを創り上げるというチョイスを行ったわけである。 エリンは実在の人物とはいえ、誰もが顔を知っているような存在というわけではなかったので、このアプローチは成立。結果的に、大成功を収めた。 因みにジュリアがエリン本人と初めて会ったのは、本作の撮影で、ジュリア演じるエリンが、子ども3人を連れて、ダイナーで食事をするシーンだった。このシーンで、エリンがカメオ出演。ウェイトレスを演じている。 自分が演じている本人とセリフのやり取りをするのは、「…とても奇妙な感じで…」戸惑いを覚えていたというジュリア。ふとエリンの胸元のネームプレートを見たら、“ジュリア”と書いてあって、「…もう少しで気が違うかと…」思ったという。 何はともかく、ジュリアは本作が代表作の1本となった。そして念願の、“アカデミー賞主演女優賞”の獲得に至った。 老弁護士エド役のアルバート・フィニーの好演も、ジュリアが栄冠を得るための、大いなるアシストになった。それほどこの作品での、エドとエリンの老若押し引きのコンビネーションは、見事である。 ソダーバーグは、この役を誰が演じるか話し合った時に、真っ先にフィニーの名を挙げた。1960年代からの彼の長いキャリアをリスペクトしていたというソダーバーグの狙いは、ここでも見事に当たったと言える。惜しむらくはフィニーが、アカデミー賞のノミネートから漏れたことである。 さてソダーバーグはこの年2000年は、本作に続いて、麻薬戦争を扱った『トラフィック』が公開されて、こちらも大成功を収めた。アカデミー賞では、『エリン・ブロコビッチ』と『トラフィック』両作で、“アカデミー賞監督賞”にノミネートされるという、62年振り2人目の快挙を成し遂げた。即ち5人の監督賞候補者の内、2人分を彼が占めたということである。 こうなると票が割れて、賞自体を逃すこともありえたが、『トラフィック』の方で、見事に受賞を遂げた。実質的には同年にこの2作があったからこそ、高い評価を得たと言えるだろう。 その後は度々「引退」を匂わせながらも、現代の巨匠の1人として、活躍を続けているのは、多くの方が知る通り。本作がそのステップに向かう、大きな役割を果たしたことは、疑うべくもない。 さて「実話度98%」の本作であったが、エリン・ブロコビッチ本人のその後の人生も、なかなか凄まじい。 本作内ではアーロン・エッカートが演じ、エリンを優しく支える存在として描かれた恋人のジョージは、実際はベビーシッターとしてエリンから報酬を貰っていた上、その後更なる金銭を求めて、彼女を相手に訴訟を起こしている。また本作で描かれる物語以前に別れた夫とも、訴訟沙汰となった。 本作では、育児もそっちのけで大企業との戦いに奔走する母エリンに、子ども達も理解を示す描写が為されている。実際は十代になった子ども達は、ドラッグ漬けになり、その治療で大変な目に遭ったという。 その後も環境活動家として、公害企業との戦いに身を投じているエリンだが、2012年には3度目の離婚となった。 本作で描かれた物語以降も、「事実は小説よりも奇なり」を地で行くエリン・ブロコビッチの人生。また新たに映画化される日が来ても、不思議ではない。■ 『エリン・ブロコビッチ』© 2000 Universal City Studios, Inc. and Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2022.03.01
メキシコの生んだ伝説の悪霊ラ・ヨローナが甦る!『ラ・ヨローナ ~泣く女~』
映画界でも脈々と受け継がれたラ・ヨローナの恐怖 日本でも大人気のホラー映画『死霊館』ユニバースの第6弾に当たる作品だが、しかしストーリー上の直接的な関連性は薄いため、厳密には単独で成立するスピンオフ映画と見做しても構わないだろう。テーマはメキシコに古くから伝わる怪談「ラ・ヨローナ(泣く女)」伝説。ラテン・アメリカ圏では広く知られた話で、過去に幾度となく映画化もされてきているが、しかし日本でちゃんと紹介されたのは、これが初めてだったのではないかとも思う。そこでまずは、「ラ・ヨローナ」の伝説とはいかなるものなのか?というところから話を始めたい。 それは昔々のこと。メキシコの小さな村に美しい女性が住んでいた。ある時、彼女は村へやって来た裕福な男性と恋に落ちて結婚し、2人の子宝にも恵まれるものの、やがて夫は別の若い女性と浮気をしてしまう。これに怒り狂った女性は、仕返しとして子供たちを川で溺死させてしまった。すぐ我に返って子供らを助けようとしたもののすでに手遅れ。深い喪失感と後悔の念に打ちひしがれた女性は、自らも川に身投げをして命を絶つ。しかし、神の罰を受けた彼女は白いドレス姿の亡霊としてこの世に甦り、我が子を探し求めて泣きながら永遠に地上を彷徨うこととなる。そして、運悪くラ・ヨローナに遭遇してしまった人間は、亡き子供たちの身代わりとして連れ去られてしまうのだ。 地域によって多少の違いはあるものの、一般的に知られているラ・ヨローナ伝説の大まかな内容は以上の通り。メキシコのみならずプエルトリコやベネズエラなど中南米各国に似たような話が存在し、昔から大人が子供を躾けるための怪談として語り継がれてきたという。「悪いことをするとラ・ヨローナにさらわれちゃうよ」と。さらに、中南米からの移民によってアメリカへも伝説は持ち込まれ、かつて1990年代にはマイアミやニューオーリンズ、シカゴなどの各地で、ホームレスの子供たちが黒い涙を流すラ・ヨローナを目撃したという噂が広がったこともあった。 ラ・ヨローナのルーツについては諸説ある。そのひとつが、古代アステカの神話に出てくる女神シワコアトル。亡き息子を探し求めて泣きながら現れる、死の予兆を感じると泣きながら現れるなどの言い伝えがあるらしいが、いずれにせよ彼女がラ・ヨローナ伝説の元になったという説が最も有力だ。また、エウリピデスのギリシャ悲劇「メディア」との類似性を見出すこともできるだろう。夫の裏切りに怒り狂った王女メディアが、復讐のため我が子を手にかけるという下りは非常によく似ている。さらに、アステカ帝国を征服したスペインの侵略者エルナン・コルテスに棄てられたインディオの愛人マリンチェが、奪い去られそうになった息子をテスココ湖のほとりで殺害し、死後に亡霊となって泣きながら地上を彷徨ったという逸話もあるそうだが、しかし彼女とコルテスの息子マルティンはスペインでちゃんと育っているので、これは裏切り者の代名詞として憎まれたマリンチェを貶めるために生まれた作り話と思われる。 そんなラ・ヨローナが初めて映画に登場したのは、メキシコで最初のホラー映画とも呼ばれる『La Llorona(泣く女)』(’33)。これはラ・ヨローナの呪いをかけられた一家の話で、ホラーというよりもミステリー仕立てのメロドラマという印象だ。続く『La Herencia de la Llorona(泣く女の遺産)』(’47)は幻の映画とされており、筆者も見たことはないのだが、推理ミステリーの要素が強かったらしい。’60年代には有名なB級映画監督ルネ・カルドナが『La Llorona(泣く女)』(’60)という作品を残しているが、しかしラ・ヨローナ映画の最高傑作として名高いのは、メキシカン・ホラーの巨匠ラファエル・バレドンの『La Maldición de la Llorona(泣く女の呪い)』(’61)であろう。ここでは黒装束に黒い眼をしたラ・ヨローナが登場。ラ・ヨローナを復活させるための生贄に選ばれた女性の恐怖を描き、マリオ・バーヴァ監督の『血ぬられた墓標』(’60)を彷彿とさせるゴシックな映像美が素晴らしい。 以降も、覆面レスラーのサントがラ・ヨローナと対決するルチャ・リブレ映画『La Venganza de la Llorona(泣く女の復讐)』(’74)、ラ・ヨローナ伝説にフェミニズムを絡めたシリアスな幽霊譚『Las Lloronas(泣く女たち)』(’04)、珍しく日本でDVD発売された『31km』(’06)、マヤ語の方言でラ・ヨローナを意味する悪霊ジョッケルが出てくる『J-ok'el』、ラ・ヨローナ伝説を子供向けにアレンジしたアニメ『La leyenda de la Llorona(ラ・ヨローナの伝説)』(’11)が登場。その中でも『Las Lloronas』は女性監督らしい視点の光る秀作だ。また、アメリカでもラ・ヨローナ伝説にエクソシストを絡めた『Spirit Hunter: La Llorona』(’05)、『死霊のはらわた』風にアレンジした『The Wailer』(’05)、スラッシャー映画仕立ての『The River: Legend of La Llorona』(’06)などが作られており、『The Wailer』と『The River: Legend of La Llorona』はシリーズ化もされている。ただ、’00年代のアメリカ版ラ・ヨローナ映画は、いずれもウルトラ・ローバジェットのインディーズ映画で、残念ながら決して出来が良いとは言えない。 ハリウッドが初めて本格的に取り組んだラ・ヨローナ映画 そして、ハリウッドのメジャー映画が初めてラ・ヨローナを取り上げたのが本作『ラ・ヨローナ~泣く女~』(’19)。冒頭でも述べたように『死霊館』ユニバースのひとつとして作られたわけだが、しかしシリーズ作品との関連性は『アナベル 死霊館の人形』(’14)のペレズ神父がサブキャラとして出てくることと、フラッシュバックで一瞬だけアナベル人形が姿を見せるくらいしかない。 映画の冒頭はオリジン・ストーリー。1673年のメキシコで、夫に浮気された女性が復讐のため2人の息子を川で溺死させ、自らも命を絶って白いドレスの悪霊ラ・ヨローナとなる。舞台は移って1973年のロサンゼルス。時代設定は『アナベル 死霊博物館』(’19)の1年後に当たる。警官の夫に先立たれた女性アンナ(リンダ・カーデリーニ)は、ソーシャルワーカーとして働きながら2人の子供を女手ひとつで育てている。ある時、アンナは担当するメキシコ系のシングルマザー、パトリシア(パトリシア・ヴェラスケス)と連絡が取れないとの報告を受け、無事を確認するため彼女の自宅へ訪問すると、物置部屋に監禁されたパトリシアの息子たちを発見する。児童虐待を疑われて逮捕されたパトリシアだが、しかし本人は子供たちを守るためだと必死になって懇願する。そして翌晩、施設に預けられていたパトリシアの子供たちが、なぜか近くの川で溺死体となって発見された。 真夜中に亡き夫の元相棒クーパー刑事(ショーン・パトリック・トーマス)から呼び出され、息子クリス(ローマン・クリストウ)と娘サマンサ(ジェイニー・リン=キンチェン)を連れて現場へ駆けつけるアンナ。大きなショックを受ける彼女に、半狂乱になったパトリシアが「あんたのせいだ」と激しく詰め寄り、子供たちはラ・ヨローナに殺されたと主張する。その頃、車で待っていたクリスとサマンサは悪霊ラ・ヨローナ(マリソル・ラミレス)に襲われるが、言っても信じては貰えまいと母親には内緒にする。それ以来、アンナの自宅では奇妙な現象が相次ぎ、やがて彼女自身もラ・ヨローナの姿を目撃。悪霊は明らかに子供たちを狙っていた。恐ろしくなったアンナは教会のペレズ神父(トニー・アルメイダ)に相談し、強力なシャーマンである呪術医ラファエル(レイモンド・クルス)を紹介してもらう。愛する我が子を守るため、ラファエルの力を借りてラ・ヨローナに立ち向かうアンナだったが…? ロサンゼルスが舞台となっているのは、ここがかつてメキシコ領だったこと、現在に至るまでメキシコ系住民の多いことが主な理由であろう。’70年代を時代設定に選んだのは、もちろん当時のオカルト映画ブームへのオマージュという意味もあろうが、同時に本作が女性の映画、母親の映画であることにも深く関係しているように思う。ウーマンリブ運動の台頭によって女性の権利向上が飛躍的に進んだ’70年代のアメリカだが、それでもまだ女性の社会的地位は決して高いとは言えず、マーティン・スコセッシ監督の『アリスの恋』(’74)など当時の映画を見ても分かる通り、シングルマザーが子育てをするには依然として厳しい社会環境だった。周囲の理解やサポートをなかなか得られないシングルマザーが、子供を守るため悪霊に立ち向かっていくという本作のストーリーにとって、そうした時代背景はとても重要な要素とも言えるだろう。 アメリカでもラテン・コミュニティの間では誰もが知る有名な怪談だったラ・ヨローナの物語。これが長編映画デビューだったマイケル・チャベス監督も、ロサンゼルスで育ったことからラ・ヨローナを知っていたそうだが、しかし一般的な知名度はそれほど高くなかった。そのため、本作はラ・ヨローナ伝説の基本へと立ち返り、その存在を初めて知る平均的なアメリカ人女性を主人公に据えることで、予備知識のない観客でも理解できるオーソドックスなオカルト映画に仕立てられている。一部を除いてCGやグリーンバックの使用をなるべく避け、アナログな特殊メイクでラ・ヨローナを描写している点も、古き良きオカルト・ホラーの雰囲気を醸し出して効果的だ。ラ・ヨローナという題材以外に目新しさはないものの、そのぶん安心して楽しめる王道的なホラー・エンターテインメントと言えよう。 なお、本作の直後にはグアテマラ内戦時代に起きた先住民の大量虐殺事件とラ・ヨローナ伝説を結び付けたグアテマラ映画『La Llorona(泣く女)』(’19)が、さらに最近ではメキシコを旅した米国人一家がラ・ヨローナに襲われる『The Legend of La Llorona』(’22)が作られている。果たして、ラテン・アメリカの生んだ永遠不滅の亡霊ラ・ヨローナは、フレディやジェイソン、キャンディマンなどに続くホラー・アイコンとなり得るだろうか…?■ 『ラ・ヨローナ 〜泣く女〜』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2022.02.15
製作から30年余。ホラーのジャンルを超え、アメリカ映画史に輝く“マスターピース”『羊たちの沈黙』
アメリカでは、オスカー狙いの作品というのは、秋から冬に掛けて公開されるのが、通常のパターンである。春頃の公開だと、その作品がどんなに素晴らしい出来栄えであっても、翌年投票する頃には、投票権を持つアカデミーの会員たちに忘れられてしまう。 本作『羊たちの沈黙』は、1991年2月にアメリカで公開。それに拘わらず、公開から1年以上経った92年3月開催の「第64回アカデミー賞」で、作品賞、監督賞、脚色賞、主演男優賞、主演女優賞の、文字通りド真ん中の主要5部門を搔っ攫った。 この5部門を受賞した作品というのは、アカデミー賞の長い歴史の中でも、『或る夜の出来事』(34)『カッコーの巣の上で』(75)と本作の3本しかない。本作は、“ホラー”というジャンルで作品賞を受賞した、唯一の作品としても知られる。 アカデミー賞で栄冠を得ても、時の経過と共に忘れられてしまう作品も珍しくはない。しかし本作は、公開から20年後=2011年、「文化的に、歴史的にも、美的にも」重要であると、アメリカ議会図書館が宣言。アメリカ国立フィルム登録簿に登録・保存されることとなった。 製作から30年経った今では、クラシックの1本とも言える本作。その原作は、トマス・ハリスの筆による。 ハリスは若き日、テキサス州のベイラ―大学で英語学を専攻しながら、地元紙に犯罪記事を提供して身を立てていた。次いでAP通信のニューヨーク支社へと移り、国際報道にも携わったという。 そんな記者時代の体験と得た知識を基に、75年に処女作として「ブラック・サンデー」を発表した。アメリカ国内で大規模なテロを引き起こそうとするパレスチナゲリラのメンバーと、イスラエルの諜報員の対決を描いたこのサスペンススリラー小説は、そのアクチュアルさも評判となって、77年にはジョン・フランケンハイマー監督によって映画化。ヒットを飛ばした。 ハリスの次の小説、81年刊行の「レッド・ドラゴン」で初お目見えしたキャラクターが、ハンニバル・レクター博士。好評につき彼が再登場するのが、88年に書かれた、ハリスにとって3作目となる、本作の原作である。 ***** FBIアカデミーの女性訓練生クラリス・スターリング。ある日行動科学課のクロフォード捜査官に呼び出され、異例の任務を命じられる。 それは元精神科医ながら、自らの患者9人を手に掛けたため、逮捕・収監されている、レクター博士との面会。レクターは犠牲者の身体の一部を食していたことから、“人喰いハンニバル”との異名を取っていた。 クロフォードの狙いは、世間を騒がせている凶悪犯“バッファロー・ビル”の正体を突き止めること。若く大柄な女性を誘拐しては、殺害後に皮を剥いで遺棄する手口のこのシリアルキラーについて、稀代の連続殺人犯で高い知能を持つレクターから助言を得るために、クラリスを差し向けたのだった。 当初は協力を拒んだレクター。しかし彼は、クラリスが、自らのトラウマとなった過去の出来事を明かすことと引き換えに、“バッファロー・ビル”についての手がかりを、少しずつ示唆するようになる。 しかし上院議員の娘が“ビル”に誘拐されると、レクターの収監先の精神病院の院長チルトンが、出世欲に駆られてFBIを出し抜く。チルトンの主導で、上院議員との面会のために移送されたレクターは、隙を突いて警備の警察官らを惨殺。姿を消す。 一方、レクターから得たヒントによって、犠牲者の足跡を追ったクラリスは、遂に犯人の正体に辿り着く。“ビル”と直接対決することとなった、クラリスの運命は?そして、レクターの行方は? ***** テッド・タリーの脚本は、原作に準拠しながらも、物語の省略を効果的に行った上で、登場人物たちの奥行きを保っている。この脚本を当初監督する予定だったのは、俳優のジーン・ハックマン。実はタリーを脚本に推したのも、ハックマンだったという。 しかし、監督と同時にクロフォード捜査官を演じる予定だったハックマンは、出来上がった脚本が「あまりにも暴力的」という理由で、降板する。そこで白羽の矢がたったのが、それまでのキャリアでは、ロジャー・コーマン門下のB級作品を経てコメディ調の作品が多かった、ジョナサン・デミだった。 デミは“シリアルキラー”の映画を作ることには、「…反発さえも感じていた…」。しかし原作本を読んで、キャラクターや物語に惹かれて、この話を引き受けることに。 特に彼が興味を持ったのは、ヒロインの描写。それまでの作品でも、女性を主人公にすることを好んできたデミとしては、クラリスとの出会いは、運命的と言えた。 デミは以前に『愛されちゃって、マフィア』(88/日本では劇場未公開)で組んだミシェル・ファイファーに、まずはオファーした。しかしファイファーは題材の強烈さに難色を示し、その依頼を断った。 続いてデミがアプローチしたのが、ジョディ・フォスターだった。 幼き頃から名子役と謳われた、ジョディ。10代前半にはマーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』(76)の少女娼婦役で、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされている。 イェール大学在学中には、彼女のストーカーによって、時のレーガン大統領の暗殺未遂事件が起こる。キャリアの危機を迎えたジョディだったが、その難局を見事に切り抜け、20代後半を迎えた頃、レイプを告発する女性を演じた『告発の行方』(88)で、待望の主演女優賞のオスカーを手にした。 デミは「どこにでも居そうな普通の女性が、危機に対して雄々しく立ち向かう。『告発の行方』でレイプ犯に毅然と立ち向かったジョディには、クラリス役が要求する“気丈さ”が百パーセント備わっていた」と、その起用の理由を説明している。 それを受けたジョディは、クラリス役をどう解釈したか?少女の頃に警察官だった父親が殉職したという彼女の設定を捉えて、「…悲劇的な欠点を持つがゆえにヒーローとなり、自分の醜さと向き合いながら、犯罪を解明していく…」と語っている。また本作のキャンペーンのため来日した際にはクラリスを、「…アメリカ映画において画期的な存在…」「おそらく、本当の意味で女性ヒーローが現れたのは、これが初めてではないでしょうか…」と、重ねて強調している。 そうしたジョディをこの映画で輝かしたのは、クローズアップで芝居どころをきっちりと見せたデミの演出に加えて、共演者たちの力も大きい。ハックマン降板を受けてクロフォード役を演じたスコット・グレンは、実際に役のモデルとなったFBI捜査官ジョン・ダグラスに付いて、役作りに当たった。ある時期まで男臭い持ち味を売りにしていたグレンだが、『レッド・オクトーバーを追え!』(90)の原子力潜水艦艦長役に続いて本作では、理知的且つ冷静な役どころがハマった。 しかし何と言っても圧巻だったのは、やはりアンソニー・ホプキンス! 本作に登場するシリアル・キラー、“バッファロー・ビル”とハンニバル・レクターは、世界各地に実在した様々な連続殺人犯を融合させて、トマス・ハリスが創造したもの。獄中に居ながら捜査に協力するという、レクターの設定は、少なくとも30人の若い女性や少女に性的暴行を加えて殺害した、頭脳明晰な殺人者テッド・バンディのエピソードにヒントを得た。 またレクターのキャラクターには、ハリスが若き日に、メキシコの刑務所を取材した際の経験が強く反映されている。その時ハリスは、落ち着いた物腰の、人当たりの良い知的な紳士の応対を受け、すっかり気に入った。しかし別れの挨拶を交わすまで、ハリスが刑務所医だと思い込んでいたその男は、実は医学の知識を利用して、殺した相手の死体を小さな箱に収めた、元外科医の服役囚だったのである。 ローレンス・オリヴィエなどの伝統を継ぐ英国俳優で、いわゆる“メソッド俳優”とは一線を画すアンソニー・ホプキンス。ショーン・コネリーが断った後に、本作のレクター役が回ってきた。 ホプキンスは、「他の俳優なら、実際の精神病院へ何か月も通ってリサーチするものも居ようが、私は演技することにそんな必要があると思わない…」と語る。レクター博士を演じるに当たっては、「役柄にイマジネーションをめぐらせたことぐらい…」しかやらなかったという。 例えばレクターを怖く見せるために、ホプキンスが考えた表現は、「まばたきをしないこと」。これは彼がロンドンに住んでいた時、道端でおかしな行動をしている男性と遭遇し、「かなり怖い」思いをした際、その男性がまばたきをしていなかったことから、インスピレーションを得たという。 またクラリスとレクターの最初の対面シーンでは、見事な即興演技で、ジョディの感情を揺るがした。クラリスが身に付けたものなどから、レクターが、彼女が田舎の貧しい出身であることを見破るこのシーン。それを指摘した後レクターは、彼女が隠していた訛りを、そっくりそのままマネしてみせる。実はこの訛りの部分は、ホプキンスによる、まったくのアドリブだった。 それを受けたジョディは、目に涙が浮かび、「…あいつを引っぱたいてやりたい…」と本気で思ったという。そしてクラリスと、演じる自分の境界が、すっかりわからなくなったと、後に述懐している。 ジョディはホプキンスに対して、「あなたの演技のせいで、あなたが怖かった」などとも発言している。 ジョディとホプキンス。まさにプロvsプロの対峙によって生まれた化学反応が、ジョディには2度目、ホプキンスには初のアカデミー賞をもたらした。 特にホプキンスは、本作での出演時間は、僅か12分間。それにも拘わらず、ウォーレン・ベイティ、ロバート・デ・ニーロ、ニック・ノルティ、ロビン・ウィリアムズといった強力なライバルたちを打ち破って主演男優賞のオスカーが贈られたのも、至極納得と言える。 それまで主演作はあれども、映画では地味な演技派俳優の印象が強かったホプキンスだったが、50代に出演した本作以降、名優としての評価は確固たるものとなる。レクター博士は当たり役となり、本作の後日譚『ハンニバル』(01)、前日譚の『レッド・ドラゴン』(02)で、三度演じている。 また80歳を越えて認知症の老人を演じた『ファーザー』(10)では、29年振り2度目となるアカデミー賞主演男優賞に、史上最年長で輝いた。彼の長い俳優生活でも、本作出演は今日に至る意味で、重要なリスタートだったと言えるだろう。 この作品でアカデミー賞監督賞を得たジョナサン・デミは、2017年に73歳で亡くなる。本作後も様々な作品を手掛けて、高い評価を得ているものの、そのフィルモグラフィーを振り返ると、やはり第一に『羊たちの沈黙』が挙がってしまう。 本人としてそれが本意か不本意かは、もはや知る由もないが、“サイコサスペンス”という枠組みを確立し、後に続く多くの作品に影響を与えた本作は、デミ、ジョディ、ホプキンスの名と共に、アメリカ映画史に燦然と輝いている。■ 『羊たちの沈黙』THE SILENCE OF THE LAMBS © 1991 ORION PICTURES CORPORATION. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2022.02.08
韓国映画史に輝く『下女』に敢然と挑んだリメイク作品『ハウスメイド』
韓国映画史を紐解くと、必ずタイトルが挙がる作品のひとつに、キム・ギヨン監督(1919~98)の『下女』(1960)がある。 主人公は、紡績工場の女性工員向けに設けられた夜間学校で、音楽を教えている中年男。平穏な日常を送っていた彼だが、行員の1人から恋文を送られたことが発端となって、徐々に日々が粟立っていく。 男の家庭は、妻と子ども2人との4人家族。住居を増築するのに、音楽教師の給料だけでは足らず、妻が内職をしている。 しかし妻が過労で倒れたため、家事を任せる“下女”として、若い娘を雇い入れる。ある時彼女に誘惑された男は、気の迷いから関係を持ってしまう。 そこから男と、その家族の“地獄”が始まる…。 都市部の保守的な中産階級の一家が、“下女”によって、破滅へと追い込まれていく。“階級”や“格差”が、1人の女の魔性によってひっくり返されていく様を、ギヨンは、アバンギャルドにして精緻な画面設計で描き出した。 この作品をはじめ、60~70年代はヒットメーカーとして鳴らしたギヨンだったが、80年代中盤以降はなかなか新作が撮れず、完成してもお蔵入りになったりした。ところが90年代半ばからパリ、香港、東京といった国外で『下女』が上映され、絶賛されたことがきっかけで再評価が進み、97年には本国でも、「釜山映画祭」でレトロスペクティヴが組まれるに至った。 翌98年ギヨンは、回顧展が行われる「ベルリン映画祭」へと旅立つ前夜に、自宅の火災で不幸な最期を遂げる。しかし死後も、国内外でその声価は高まっていく。 2008年にはマーティン・スコセッシが主宰する財団と韓国映画資料院が組んで、『下女』のデジタル修復版を完成。「カンヌ映画祭」でお披露目するに至った。 ポン・ジュノやパク・チャヌクといった、現代韓国映画のリーダーたちに与えた影響も大きい。特に近年、ポン・ジュノの『パラサイト 半地下の家族』(19)が、「カンヌ」のパルムドールに続いて、米「アカデミー賞」の作品賞や監督賞などを受賞するという、国際的な快挙を成し遂げた際には、改めて『下女』にスポットが当たった。『下女』と『パラサイト』両作を観ればわかるが、豊かな家庭を下層の者が侵食するという物語の構図や、展開の中で“階段落ち”が効果的に用いられているところなど、明らかな共通点が見出せる。事実『パラサイト』製作に当たっては、キム・ギヨンから最も大きなインスピレーションを受けたことを、ポン・ジュノ本人が明かしている。 また「アカデミー賞」で言えば、昨年『ミナリ』(20)でユン・ヨジョンが韓国人俳優として初めて栄冠(助演女優賞)に輝いた時のスピーチも、印象深い。ヨジョンはこの晴れの舞台で、自らの映画デビュー作の監督だったギヨンを「天才的な監督」と賞賛し、感謝の意を表したのである。 死して尚、「韓国映画史上の怪物」と称えられるキム・ギヨン。その代表作『下女』は、ギヨン自らが『火女』(71)『火女'82』(82)とタイトルを変えながら、2度に渡ってリメイクしている。 他者によるリメイクは、オリジナル公開からちょうど半世紀経った2010年に、初めて製作された。それが本作、『ハウスメイド』である。『ハウスメイド』のプロデューサーであるジェイソン・チェは、元記者。レトロスペクティヴが開催された97年の「釜山」で、ギヨンと出会った。 翌98年には、「ベルリン」を皮切りにスタートするギヨンの回顧展のヨーロッパツアーを、チェは共に回る予定だった。しかし先に記した通り、ギヨンはその直前に、不慮の死を遂げてしまう。 その後映画界入りしたチェは、『下女』の50周年記念プロジェクトを、立ち上げ。オリジナル版のリバイバル上映と、リメイクである本作の製作に取り組むこととなった。 本作監督に起用されたのは、『浮気な家族』(03)『ユゴ 大統領有故』(05)などで高い評価を得ていた、イム・サンス。「脚本と演出は自由にさせてくれる」という条件で、このプロジェクトを引き受けた。韓国映画史に残る『下女』を、「超えてみたい」という抱負を持って本作に取り組んだというサンスだが、それを口にしたため、韓国では「生意気だ」と非難を受けたという。 それではサンス版『下女』である『ハウスメイド』は、ギヨンの『下女』をどのように踏まえ、そしていかに「自由に」アレンジを行ったのだろうか?そしてオリジナルの出来に、どこまで迫ることができたのか? 旧作から引き継いだ点として、まず挙げられるのは、「韓国社会の階級問題を正面から描く」ということ。ただ、朝鮮戦争休戦から7年しか経ってない1960年と、『ハウスメイド』が製作された2010年とでは、社会の事情が全く違っている。 オリジナルは、中産階級の家庭で“下女”が働くストーリー。それに対して半世紀を経た、リメイク版の製作時には、“下女”即ち住み込みのメイドを雇えるのは、「韓国全体の1%くらいの富裕層の人たちだけ」になっていた。新自由主義経済によって、中産階級が崩壊していたのである。 監督は、こうした富裕層こそ、現代の韓国社会の重要なカギを握っていると考え、そこを描くことを重視。そのため主人公も、一家の主の男性ではなく、“下女=メイド”の側とした。社会的に下層にいる彼女が富裕層の生態をウォッチする内に、その傲慢さに傷つけられていく物語にしたのである。 ***** 上流階級の豪邸で、ウニはメイドとして働くことになった。 一家の主は、礼儀正しく穏やかな物腰のフン。その妻ヘラは、現在双子を妊娠中で、大きなお腹を抱えていた。2人の間の6歳の娘ナミは、すぐにウニに懐く。 この家に長年仕える先輩メイドのビョンシクの指導の下、懸命に働くウニ。しかし、一家のお伴で付き添った別荘で、主のフンと男女の仲になってしまったことから、歯車が軋み始める。 邸宅に帰ってからも関係を持つも、翌朝フンから呆気なく手切れ金を渡されて、ウニは深く傷つく。しかしそのまま、働き続けるしかない。 数週間後、ウニが妊娠していることを、本人も気付かない内に、ビョンシクが感づく。その話はやがてヘラまで届き、ウニは憎しみの対象となった。 邸宅を離れ、ひとりで子どもを産もうと考えたウニ。しかし一家はそれを許さず、やがて彼女の身に悲劇がもたらされる。 ウニは「復讐」を宣言する。徒手空拳の彼女が取ったのは、あまりにも苛烈で悲しい手段だった…。 ***** ウニを演じたのは、当時30代後半のチョン・ドヨン。デビュー以来着実にキャリアを積み、2007年にはイ・チャンドン監督の『シークレット・サンシャイン』での演技が高く評価されて、「カンヌ」で女優賞に輝いた。本作主演の頃には、名実ともに韓国のNo.1女優と言えた。 ウニの主人夫婦を演じたのは、イ・ジョンジェとソウ。オリジナル『下女』の夫婦が、小市民的な体面を守ろうとしたことも手伝い、破滅への道へと進んでいくのと違って、こちらのカップルは、傲岸不遜な上流階級を体現。“下女”を踏みにじることに、何ら痛痒を感じない。 ウニの様子を主人たちに注進するかと思えば、遂には彼女に同情するようになる先輩メイドのビョンシク役は、後のオスカー女優ユン・ヨジョン。先にギヨン監督の作品でスクリーンデビューを飾ったと記したが、その作品とは、実は『火女』。ギヨン自らが『下女』をリメイクした2本の内の1本の主演女優だったのである。 イム・サンス作品の常連でもあったヨジョンが、新たなる“下女”の先輩役を演じているのは、意味深且つ巧みなキャスティングと言える。そして彼女は、見事にその期待に応えて、画面を引き締める。 プロデューサーのジェイソン・チョは、『ハウスメイド』製作に至る道程で、『下女』のリメイクを、「自分たちにやり遂げる力と資質があるか」思い悩んだという。しかしサンス監督の下、韓国映画界きっての実力派キャスティングが決まっていって、「よし、闘ってやろうじゃないか!」と決意が固まった。 そうして出来上がった『ハウスメイド』は、監督の願い通り、オリジナルの『下女』を超えられたのか?それは観る方々の判断に任せたいが、2010年の韓国社会の問題を抉る作品になっていたことだけは、間違いない。 イム・サンスは本作の後、『蜜の味~テイスト オブ マネー』(02)を監督した。やはり上流階級の腐敗を描いたこちらの作品は、『ハウスメイド』の“精神的続編”と言える。『ハウスメイド』でウニが取った「復讐」とは、自分に懐いていたナミの心に消し難いトラウマを残すことだった。そして『蜜の味』には、大人になったナミが登場し、幼き日に目撃したその「復讐」について語る。『ハウスメイド』と合わせて、オリジナルの『下女』、そして『蜜の味』もご覧いただきたい。韓国社会の変化や韓国映画の歴史など、色々味わい深く感じられると思う。■ 『ハウスメイド』© 2010 MIROVISION Inc. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2022.02.03
大西部を舞台に復讐と贖罪を描くサム・ペキンパー監督の映画デビュー作『荒野のガンマン』
テレビ西部劇をステップに映画進出したペキンパー バイオレンス映画の巨匠サム・ペキンパー監督の処女作である。もともと’40年代末にテレビ業界でキャリアをスタートしたペキンパー。ロサンゼルスのローカル局で裏方スタッフとして働きながら映画界でのチャンスを狙っていた彼は、やがて『第十一号監房の暴動』(’54)や『地獄の掟』(’54)などドン・シーゲル監督作品のダイアログ・コーチに起用され、そのシーゲル監督の推薦で『ガンスモーク』や『西部のパラディン』などテレビ西部劇の脚本家となる。その『ガンスモーク』のために書いて却下された脚本が元となって、人気シリーズ『ライフルマン』(‘58~’63)が誕生。同作でエピソード監督も経験した彼は、自らクリエイターを務めた西部劇シリーズ『遥かなる西部』(‘59~’60)の脚本と監督を手掛ける。 だが、この『遥かなる西部』は高い評価を受けたわりに視聴率が伸びず、たったの13話でキャンセルされてしまった。その後、同作で主演を務めた俳優ブライアン・キースが低予算の西部劇映画に出演が決まり、『遥かなる西部』で組んだペキンパーを監督としてプロデューサーに推薦する。それが待望の映画監督デビュー作となった『荒野のガンマン』というわけだ。 舞台は19世紀後半のテキサス。元北軍将校の流れ者イエローレッグ(ブライアン・キース)は、かつて南軍兵士にナイフで頭の皮を剥がされそうになり、その際に出来た額の大きな傷跡を隠すため常に帽子を被っていた。必ずやあの男を探し出して復讐してやる。それだけを生き甲斐に西部を転々としてきた彼は、たまたま立ち寄った酒場でついに宿敵ターク(チル・ウィルス)と遭遇する。どうやら、向こうはこちらの顔を全く覚えていないようだ。タークにはビリー(スティーヴ・コクラン)という相棒がいた。「ヒーラの町に新しく銀行が出来た。保安官は老いぼれだから楽に稼げる」と言って、ビリーとタークを銀行強盗に誘うイエローレッグ。もちろん、憎きタークを陥れるための策略だ。 賑やかな町ヒーラへ到着し、銀行周辺の様子を探る3人。そんな彼らが見かけたのは、町の人々から後ろ指を指される美しい踊り子キット(モーリン・オハラ)とその幼い息子ミード(ビリー・ヴォーン)だった。結婚したばかりの夫を旅の途中でアパッチ族に殺され、ひとり辿り着いたヒーラで息子を出産したキット。だが、偏見にまみれた住民たちはキットが父親の分からない子供を産んだと決めつけ、普段から親子に冷たい眼差しを向けていたのだ。すると、突然銀行の周辺で銃声が鳴り響く。別のならず者たちが先に強盗を働いたのだ。逃げようとする犯人に拳銃を向けるイエローレッグ。ところが、手元が狂ってミードを射殺してしまう。実は戦争で受けた銃弾のせいで、イエローレッグは右肩を痛めていたのだ。 最愛の息子を失って悲嘆にくれるキット。町長や牧師たちはミードの葬儀と埋葬を申し出るが、しかし彼女は毅然とした態度で頑なに断る。これまで町の人々にどれだけ傷つけられてきたことか。今さら同情などされたくない。亡き夫が眠るシリンゴの町へ行き、息子を父親の墓の隣に埋葬しよう。そう決意したキットだったが、しかし廃墟と化したシリンゴはアパッチ族の領地にある。道中は非常に危険だ。それでも旅の支度を済ませて出かけようとするキットに、罪の意識を感じたイエローレッグが護衛として同行を申し出る。そんな彼にありったけの憎しみをぶつけて拒絶し、ひとりで出発してしまうキット。どうしても放っておけないイエローレッグは、反対するビリーやタークを連れて彼女の後を追いかける…。 実は脚本に手を加えることすら許されなかった…!? もともと主演女優モーリン・オハラのスター映画として企画された本作。『我が谷は緑なりき』(’41)や『リオ・グランデの砦』(’50)、『静かなる男』(’52)などジョン・フォード映画のヒロインとして活躍したオハラだが、中でも当時はジョン・ウェインと共演した西部劇の数々で世界中の映画ファンに愛されていた。意志が強くて誇り高い踊り子キット役は、鉄火肌の赤毛女優として気丈なヒロイン像を演じ続けたオハラにはうってつけ。ストーリーを牽引していくのは流れ者イエローレッグだが、しかし後述する作品のテーマを担うのは、間違いなくオハラの演じる女性キットだ。 そんな本作のプロデュースを手掛けたのが、オハラの実弟であるチャールズ・B・フィッツシモンズ。たまたま読んだ30ページほどの草稿を気に入り、すぐさま脚本エージェントに問い合わせたフィッツシモンズだったが、当時は既にマーロン・ブランドが映画化権を押さえていたらしい。しかしその1年後、ブランドが別の企画を選んだことからフィッツシモンズが権利を入手。姉モーリン・オハラの主演を念頭に置いて、プロジェクトの陣頭指揮を執ることになる。シド・フライシュマンの書いた脚本も、基本的にはフィッツシモンズの意向を汲んだもの。完成した脚本を基にしてフライシュマンに小説版を執筆させ、映画への出資金を集めやすくするため先に出版させたのもフィッツシモンズの指示だし、ジョン・ウェインに雰囲気が似ているという理由でブライアン・キースをイエローレッグ役に起用したのもフィッツシモンズの判断だった。要するに、本作は紛うごとなき「プロデューサーの映画」だったのである。 そう考えると、本作が「サム・ペキンパーらしからぬ映画」と呼ばれるのも無理はないだろう。実際、ロケハンの時点から自分のカラーを出そうという姿勢を見せるペキンパーに対し、フィッツシモンズは脚本の改変も独自の解釈も一切許さなかった。脚本に書かれた通り忠実に映像化すること。それがペキンパーに与えられた役割だったのである。しかも、これが初めての長編劇映画であるペキンパーは現場に不慣れだったため、撮影中はずっとフィッツシモンズが付きっきりで演出に口を挟んだらしい。なにしろ、製作費50万ドルと予算が少ないため、撮影スケジュールを伸ばすわけにはいかない。当然ながら、根っからの反逆児であるペキンパーとフィッツシモンズは対立し、現場では喧嘩が絶えなかったという。 それでもなお、どこかマカロニ・ウエスタンにも通じるドライな映像美や荒々しい暴力描写、憎悪や復讐という人間心理のダークサイドを掘り下げたストーリーには、もちろん当時の修正主義西部劇という大きな潮流の影響もあるだろうとはいえ、その後のサム・ペキンパー映画を予感させるものを見出すことは可能だろう。中でも、銀行から奪った金で黒人奴隷や先住民を買い揃えて軍隊を作り、南部連合の夢よ今一度とばかりに自分だけの共和国を建設するという妄想に取りつかれたタークは、いかにもペキンパーが好みそうな狂人キャラのように思える。そういう意味で、本作の監督にペキンパーを推したブライアン・キースは間違っていなかった。 ただ、映画そのもののテーマは非常に道徳的で、なおかつ宗教的でもある。復讐だけを心の拠り所にしてきたイエローレッグは、それゆえに子供殺しという取り返しのつかない罪を犯してしまう。キットを危険から守るためのシリンゴ行きは、彼にとっていわば贖罪の旅だ。その過程で我が身を振り返った彼は復讐の虚しさを噛みしめ、キットとの愛情に人生の新たな意味を見出していく。一方のキットもまた、世の中の理不尽に対して怒りや憎しみを抱き続けていたが、しかし己の罪と真摯に向き合おうとするイエローレッグの姿に心動かされ、やがて深い愛情と寛容の心で荒み切った彼の魂を救うことになる。新約聖書でいうところの「復讐するは我にあり」。つまり、復讐というのは神の役目であって人間のすべきことではない。悪に対して悪で報いるのではなく、善き行いによって悪を克服すべきである。それこそが本作の言わんとするところであろう。 結局、ペキンパー本人にとっては少なからず不本意な映画となった『荒野のガンマン』。インディペンデント映画であったため劇場公開時はあまり話題にならず、興行的にも制作陣が期待したような結果を残すことが出来なかった。これを教訓とした彼は、脚本に手を加えることが許されないような仕事は一切引き受けないと心に誓ったという。とはいえ、そこかしこに「バイオレンスの巨匠」の片鱗を垣間見ることが出来るのも確かであり、映画監督サム・ペキンパーの原点として見逃せない作品だ。■ 『荒野のガンマン』© 1996 LAKESHORE INTERNATIONAL CORP. ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2022.02.03
シリアルキラーの脳内世界をポップに描いたシュールなブラック・コメディ『ハッピーボイス・キラー』
監督は傑作『ペルセポリス』のマルジャン・サトラピ シリアルキラーの深層心理へと観客を誘い、その目から見える世界をポップ&ユーモラスに描いたシュールなブラック・コメディ。フリッツ・ラング監督の『M』(’31)を筆頭に、アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』(’60)からファティ・アキン監督の『屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ』(’19)に至るまで、シリアルキラーを主人公にした映画は古今東西少なくないものの、しかし精神を病んでしまった連続殺人鬼の人間的な内側にこれほど寄り添った作品はなかなか珍しいかもしれない。 演出を手掛けたのはイラン出身のマルジャン・サトラピ。そう、あの傑作アニメ『ペルセポリス』(’07)で有名な女性監督である。近代化と経済成長に沸く’70年代のイランに育ち、裕福でリベラルな両親から西欧的な教育を受けたサトラピだったが、しかし10歳の時にイスラム教の伝統的な価値観への回帰を目指すイラン革命が勃発。それまで比較的自由だった女性の権利も著しく抑圧されてしまう。娘の将来を案じた両親によってヨーロッパへ送り出された彼女は、フランスの美術学校でイラストレーションを学んだ後、パリを拠点にバンドデシネ(フランスの漫画)作家として活動するように。そんな彼女が、自らの少女時代をモデルに描いた漫画が『ペルセポリス』だった。アメリカをはじめ世界中でベストセラーとなった同作を、サトラピ自身が監督したアニメ版『ペルセポリス』もカンヌ国際映画祭で審査員賞を獲得し、アカデミー賞の長編アニメ部門にもノミネート。以降、バンドデシネ作家としてだけでなく映画監督としてもコンスタントに作品を発表した彼女にとって、初めてアメリカ資本で撮った英語作品がこの『ハッピーボイス・キラー』(’14)だった。 舞台はアメリカ北東部の寂れた田舎町ミルトン。地元のバスタブ工場で働く男性ジェリー(ライアン・レイノルズ)は、一見したところごく普通の明るくて爽やかな好青年なのだが、しかし実は少年時代の悲惨なトラウマが原因で長いこと心の病を患っていた。裁判所の命令によって精神科医ウォーレン博士(ジャッキー・ウィーヴァー)の監督下に置かれた彼は、廃墟となったボーリング場の2階に部屋を借り、社会人としての自立を目指していたのである。 そんな彼の同居人が愛犬ボスコと愛猫Mr.ウィスカーズ。仕事から帰ったジェリーを出迎えた彼らは、なんと人間の言葉でペラペラとしゃべり始める。というのも、ジェリーはウォーレン博士から処方された薬を飲まず、言ってみれば常にナチュラルハイの状態だったのだ。いつも妙に明るくて元気でテンションが高いのも、普段から薬を服用していないため。確かに薬を飲めば精神は安定するものの、しかし冷静になって見えてくる現実世界は孤独で殺伐としていて寂しい。それをどうしても受け入れがたいジェリーは、動物たちとおしゃべりできるパステルカラーに彩られたキラキラな自分だけの世界に居心地の良さを見出していたのだ。 ある日、職場で年に1度のパーティが開かれることとなり、その準備を手伝うことになったジェリーは、経理部に勤めるイギリス人女性フィオナ(ジェマ・アータートン)に一目惚れしてしまう。まるで初めて恋をした少年のように浮足立ち、困惑するフィオナに猛アタックするジェリー。はた目から見ればちょっとヤバい人だが、もちろん本人にその自覚は全くない。それどころか、遠回しに断ろうとするフィオナの言葉もまるで耳に入らず、一方的にデートの約束を取り付けてしまう。しかし、その日は経理部の女子会。悪い人じゃないかもしれないけど、あまり気乗りしないなあ…ということで、フィオナはジェリーとのデートをすっぽかしてしまう。 女子会を終えて帰ろうとしたフィオナだが、肝心の車が故障して動かない。困っていたところへ通りがかったのがジェリーの車だった。少々気まずいけれど仕方ない。ジェリーに家まで送ってもらうことにしたフィオナだったが、しかしその途中で飛び出してきた鹿と車が衝突。「この痛みから解放してくれ…」という鹿の声が聞こえたジェリーは、取り出したナイフで鹿の喉を掻っ切る。周囲に飛び散る鮮血。パニックを起こしたフィオナは近くの森へと逃げ、それを追いかけたジェリーはうっかり転倒して彼女を刺し殺してしまう。慌てて自宅へ戻ったジェリーに「警察へ通報するべきだ」と諭す愛犬ボスコ、反対に隠蔽しろと囁く愛猫Mr.ウィスカーズ。フィオナの遺体を回収してバラバラにしたジェリーは、生首だけを冷蔵庫の中に保存する。すると、今度はフィオナの生首がしゃべり出し、「ひとりじゃ寂しい」と懇願。かくして、ジェリーはフィオナの生首友達を集めるため、経理部のリサ(アナ・ケンドリック)やアリソン(エラ・スミス)を次々と手にかけていく…。 ライアン・レイノルズの起用も大正解! なんとも奇想天外かつブッ飛んだ映画である。’50年代風のレトロでカラフルでクリーンな田舎町、人間の言葉を喋るキュートな動物たち、思わず胸を躍らせる軽やかな音楽。まるでスタンリー・ドーネン監督のMGMミュージカル映画のようであり、はたまたヒュー・ロフティング原作の『ドリトル先生不思議な旅』(’67)のようでもある。だが、それはあくまでも精神病を患った主人公ジェリーの目から見える虚構の世界。ひとたび精神安定薬を服用して落ち着くと、明るくて整理整頓された小ぎれいな部屋は暗くて薄汚いゴミ屋敷へ、愛犬や愛猫は人間の言葉など理解しない普通のペットへ、おしゃべりな生首も腐敗臭が漂う腐乱死体へと戻ってしまう。この日常と非日常の極端な対比を、様々な映像スタイルを用いながら織り交ぜることで、現実と空想が複雑に交錯したジェリーの心象世界を鮮やかに再現していく。さすがはコミック作家出身のサトラピ監督らしい、的確で洗練されたビジュアルセンスだ。 脚本を書いたのは『LAW & ORDER:性犯罪特捜班』や『堕ちた弁護士-ニック・フォーリンー』、『オルタード・カーボン』など、テレビの犯罪ドラマやミステリードラマで知られる脚本家マイケル・R・ペリー。とある番組で監修を務めるFBI行動分析官と知り合ったペリーは、「連続殺人犯の行動が不明瞭だった場合はどうするのか?」と素朴な疑問を投げかけたところ、「犯人が見ている世界を映画のように想像する」との答えが帰って来たという。ぜひその映画を見てみたい!と思ったのが、この脚本を執筆するきっかけだったそうだ。 2009年には映画化されていない優れた脚本を評価する「ブラックリスト」の年次リストに選ばれた本作。同じ年には『ソーシャル・ネットワーク』(’10)や『英国王のスピーチ』(’10)、『ウォール・ストリート』(’10)などもランキングされたが、しかし本作はなかなか映画化が決まらなかった。その理由は、一歩間違えると不謹慎になりかねない題材にあったようだ。なにしろ、シリアルキラーや血生臭い殺人をポップなノリで軽妙洒脱に描くわけだから。実際、オファーを受けたサトラピ監督も最初に脚本を読んでビックリし、主人公ジェリーに観客が共感を抱くにはどうすればいいのか悩んだという。 そこで監督が撮った手段が、ジェリーを子供のまま成長が止まった青年として最後まで愛らしく描くこと。幼い頃に乱暴な父親から虐待を受け、母親の自殺を幇助したことで心に深い傷を負った彼は、そこから大人になることを拒否してしまったのだ。だからこそ厳しい現実世界に向き合うことが出来ず、キラキラとしたバラ色の空想世界に逃避している。いつまでも無邪気で無垢な少年なのだ。だが、そんな彼の中には善と悪が常に拮抗し、しゃべる動物や生首を通して自分自身に語りかける。ジェリー自身は善き人間として社会に溶け込みたい。だから滑稽なくらい一生懸命に明るく振る舞い、仕事に恋愛に前向きに取り組んでいくわけだが、しかし見えている世界が違うために現実とのズレが生じ、やがて苦悩と葛藤の中で内なる悪魔が囁きかけていく。可笑しくもやがて恐ろしく哀しきかな。シリアルキラーを単なる異常なサイコパスとしてではなく、あなたも私も人生の歯車が狂えばそう成り得る平凡な人間として描いているところは白眉だ。 『ブレアウィッチ・プロジェクト』が怖すぎて、冒頭6分で脱落したというくらいホラー映画が苦手だというサトラピ監督。まるでウェス・アンダーソンがサイコパスの頭の中を解析したような本作の演出には、むしろ適任だったかもしれない。それでも、人殺しは忌避すべき邪悪なものとして、決して美化することなく描いている。内臓や肉片を小分けにしたタッパーの山などはゾッとする光景だ。そこは映画自体の根幹的なモラル意識に関わるポイントだけあって、やはり有耶無耶にはできないだろう。あくまでも犯罪は犯罪として絶対的な悪としつつ、そのうえでシリアルキラーの脳内世界を不条理なファンタジーとして描くことで、狂気へと追い込まれていく人間の痛みと悲哀を浮き彫りにする。主要キャラが勢揃いするミュージカル仕立てのエンディングがまた妙に切ない。 また、ジェリー役にライアン・レイノルズを起用したことも大正解だった。どこか初心な少年の面影を残すチャーミングなオール・アメリカンボーイ。中でもコメディは最も得意とするジャンルだ。そんなイメージを逆手にとって、不器用で無邪気で愛らしい青年ジェリーがふとした瞬間に垣間見せるゾッとするような狂気までをも見事に演じている。これはキャスティングの勝利であろう。ライアン本人も本作に深い思い入れがあるようで、自身の最も好きな出演作のひとつに『ハッピーボイス・キラー』を挙げている。ちなみに、愛犬ボスコと愛猫Mr.ウィスカーズはもちろんのこと、蝶々や鹿、さらには靴下で作ったウサギのぬいぐるみの声も、実は全てライアンが吹き替えている。そりゃそうだ。いずれも主人公ジェリーの心の声だもの。ジェリー役を演じるライアンが声を当てるのは当然と言えば当然だろう。 ‘14年のサンダンス映画祭で初お披露目されたものの、配給会社ライオンズゲートが興行的に見込めないと判断したためなのか、アメリカでは大都市のみの限定公開、それ以外はビデオ・オン・デマンドで配信されるにとどまった作品。確かに取り扱い要注意な内容ゆえに賛否は分かれるかもしれないが、しかしシリアルキラー物の変化球として非常にユニークな切り口の映画であることは間違いない。■ 『ハッピーボイス・キラー』© 2014 SERIAL KILLER, LLC. ALL RIGHTS RESERVED