苅田梨都子 連載:WORD-ROBE file03 「モノクロームの映画と衣服」

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苅田梨都子 連載:WORD-ROBE file03 「モノクロームの映画と衣服」

目次[非表示]

  1. 印象的なシルエットの衣装たち 
  2. 空想の色を思い描く
  3. 自意識過剰なラブロマンス
 気づいたら、クローゼットの半分は黒と白がベースの無彩色な服たちがずらりと並んでいる。それらは全て自分が一つ一つ選択してきた過程の集積なのだが、いつの間にか増えている。「もう黒や白の服は買わないぞ。」と胸に刻んでも、無難で合わせやすいため必然的に増えてしまう。でも、全てお気に入り。

 無彩色以外に好きな色はなんだろう。私の好きな色には移ろいがある。気分でもかなり左右される。どの色もそれぞれ魅力的。例えばハッと目が覚めるような赤、ひんやりと冷たい水色、若草のような渋めの緑など。色の組み合わせでも更に補色の効果で好きだなと感じさせる場面に度々直面する。そのためクローゼットには黒と白の服に混じって、ピンク、青、蛍光イエローなど様々な色が並んでいくことになる。

 黒と白、私は好きというよりも無難であることで選んでいるのかもしれない。数は黒に負けるがどちらかといえば白の方が“好き”という気持ちが強いかもしれない。白は揃えると心地が良いのだ。服以外のアイテムだとさらに。ところが、全身で衣服を纏うとなると圧倒的に“無難な”黒の方が多い。どちらも無意識で手に取り易く、且つ無彩色の良さでもある「シンプルで、冷静で居られる」こと。良い意味で何にも心動かされない色に日々助けられている。例えば仕事のシチュエーションでは他人と関わっていなくても黒と白の確率がうんと高い。

 映画の場合はどうだろう?個人的に色鮮やかな映画を積極的に摂取してきたのでモノクロの作品は数多く観たことがないと認識している。思い当たるのは小津安二郎、ロベール・ブレッソン、ジム・ジャームッシュ、そして、これから紹介する映画たちくらいかもしれない。モノクロであることは目に映る情報が削減されながら、どこかカラーとは違ったアプローチ、吸収の仕方であるなと感じる。削ぎ落とされた中に何を見つけるのか?今回は3つのモノクロ映画から掬い取った自分の気持ちを綴ろうと思う。

印象的なシルエットの衣装たち 

「怒りの日」© Danish Film Institute

 〝魔女狩り〟を題材とした愛と生と死の物語。『怒りの日』は鑑賞しながら思わずiPadでスケッチしてしまうほど登場人物がインパクトのあるシルエットの服装に身を包まれており、物語とは別に着目してしまった要素の一つである。モノクロ映画のため確かな色は想像でしかないが性別に限らずおそらく黒の帽子を身に纏う。そしてそれらはとても個性的な形状をしている。

 牧師で男性のアプサロンが被るかつらのような重厚感のあるハット。襟とは思えない分厚さと後ろヨークが立体的に立ち上がっており羽のような衣服。黒々しており、まるで悪魔のような印象を受けた。主人公の若い女性アンネが着ているドレスは白のフラットな白い大きな襟、お袖がパフスリーブ。ウエスト部分はコルセットのようなタイトな身頃をしている。生地はベルベット系で起毛があり上品な佇まいだ。ロング丈のドレスでボリュームはなく身体に沿い、すらりとしており歩くたびにうっとりする。頭には頭巾のような布帽子を被っている。その他にも首の側にしっかりと沿う立ち襟、大きなくるみボタン、イヤーマフラーのような耳当て付き帽子など。モノクロであるからこその効果がくっきりしている。独特な衣服の形はインパクトがありつつ色は視覚として引き算されている。例えば白の襟と黒の衣装のコントラストが妙に美しく映る。光と影も相まって映像美として楽しめる。どのシーンも始まりから終わりまで写真集を眺めているかのような時間の経過。カラーでなくても素材感やシルエットを十分に楽しめる作品だと思った。

「怒りの日」© Danish Film Institute

 ラストまで服装の変化は殆ど無いのだが、最後、アンネが白いシフォンのてるてる坊主のような衣服を身に纏う。このラストはとても心苦しくなるシーンだ。そんな物語に反して言葉にできないくらい優美に感じた。そして悲しくもぐっと観入ってしまう作品であった。また、男性がつけている大きな襟は、この年代の衣装であると思うが日常で見かけることのない組み合わせがとても可愛らしく素敵で、より惹かれた部分の一つである。冠婚葬祭等の衣服であるのかな。

 カール・テオドア・ドライヤー作品は現在『ゲアトルーズ』も鑑賞中で、特にピアノの演奏シーンはお遊戯会や夢のような景色。薄明るい光たちが驚くほど綺麗で、仕方がなかった。揺れ動く足元で影たちが踊っていた。

空想の色を思い描く

「紹介、またはシャルロットとステーキ」
©Eric Rohmer/LES FILMS DU LOSANGE

 『紹介、またはシャルロットとステーキ』は、映画館で鑑賞した際にとても好きだなと感じた作品の一つ。10分ほどしかないショートムービー。季節は冬。今鑑賞するにはもう冬が恋しくなってしまいそう。冒頭からしんと積もった雪景色の中を歩く3人と怪しいリズムのBGMが印象的。

 エリック・ロメール作品はカラーでこそ本領を発揮すると思うほどにオープニングやエンディングの配色に毎回惚れ惚れする。彼の映画の登場人物たちは服装を色で遊んでいることが多いのだが、それゆえにモノクロ映画の中では実際にどんな色を仕込んでいるのかと気になってしまう。濃淡でしか判断できないが、暗めのコートと合わせている首元のスカーフは何色をしているだろう。他にも部屋のテーブルクロスは、耳元で揺れるピアスの色は?など、想像は広がる。また、本人は意図していないと思うのだが、いま私たちがロメールのモノクロ映画を観るとき、それらがどんな色なのか、見る側に委ねられており、私たちはそれらの色を想像することも出来るのだ。そんなこともまた一つの楽しみになるのではないか。

紹介、またはシャルロットとステーキ
©Eric Rohmer/LES FILMS DU LOSANGE

 思いきりにおいがついてしまいそうなコート姿のまま大胆にステーキを焼き、食す。部屋の中での二人の親密なやりとり。このシーンがたった数分だけというのがとてもスリリングで、ロマンチック。そしてこの映画の潔さでもある。若かりしゴダールと、すこしだけ登場するアンナ・カリーナにも注目したい。

自意識過剰なラブロマンス

「モンソーのパン屋の女の子」
©Eric Rohmer/LES FILMS DU LOSANGE

 『モンソーのパン屋の女の子』は、モノクロや服装について言及するというよりは23分という短編の中でも物語の起承転結の面白さが詰まっていて、とても気に入った。わたしも自意識過剰なのか日常で頻繁にロメールの主人公と気持ちが重なるときが多い。何かにつけては運命やら偶然を感じてしまう。こんなことを書くのは恥晒しでもあるが。

 この作品は法学生の主人公男性が、街で見かけた女性シルヴィに興味を覚えたところから物語が始まる。シルヴィを探し街を歩きまわり、街にあるパン屋でサブレを買う習慣になった。なかなかシルヴィが現れないのでそのパン屋の売り子ジュリエットをデートに誘うが・・・

 パン屋のサブレがまた美味しそうで、サブレをくるりと包む様だけを何回も永遠に見ていたい、ただそのワンシーンを観るだけでも価値がある。主人公の男は平凡な味のサブレを買い続ける。彼女に会うために。そういう買い物、皆はしているのだろうか?わたしは度胸がないので頻繁には買いに行くことはしていないが、ふらりと入ったお店で初対面の店員さんとプライベートな会話まで発展させてしまい、あちらは営業だとわかりつつも「また話しに来てくださいね。」その一言で本当にそう思ってくれているなと気持ちが揺らぎ、私の心に加点されてしまう。主人公の男性は立ち寄ったパン屋でお店の子がどの商品を買うか覚えてくれていただけなのに「パン屋の娘が私に気があるのはすぐに分かった。」と言う。ただの接客なのに、色んな妄想を繋げてしまっている。でも、このくらいの方が人生は楽しいとさえ思う。

モンソーのパン屋の女の子
©Eric Rohmer/LES FILMS DU LOSANGE

 まだ作ったことはないが、モノクロの服のコレクションを臆せず作りたいなと密かに思っている。いつも色に頼ってしまうところがあるが、自分が一番着る黒と白について、自分の中でうまく表現できたらと長らく考えている。作ることに制限がないからこそ、自由にできるのだが、まだ私には覚悟がついていない。と言いつつすぐに反映してしまうかもしれない。

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この記事のライター

苅田梨都子
苅田梨都子
1993年岐阜県生まれ。

和裁士である母の影響で幼少期から手芸が趣味となる。

バンタンデザイン研究所ファッションデザイン科在学中から自身のブランド活動を始める。

卒業後、本格的に始動。台東デザイナーズビレッジを経て2020年にブランド名を改める。
現在は自身の名を掲げたritsuko karitaとして活動している。

最近好きな映画監督はエリック・ロメール、濱口竜介、ロベール・ブレッソン、ハル・ハートリー、ギヨーム・ブラック、小津安二郎。

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