難解? 狂気!? 映画「ホーリー・モーターズ」、「ラストムービー」について、正面から考えてみる。

LETTERS ザ・シネマメンバーズ 榎本 豊
難解? 狂気!? 映画「ホーリー・モーターズ」、「ラストムービー」について、正面から考えてみる。

目次[非表示]

  1. 「ホーリー・モーターズ」
  2. 「ラストムービー」
 ザ・シネマメンバーズで今回お届けする2本の映画、「ホーリー・モーターズ」、「ラストムービー」は、いずれも「映画を撮ること」についての映画だと考えている。「映画」についての映画ではなく―。

 観る者を惑わせ、途方に暮れさせるこの2本の映画。今回は、作品の楽しみ方の提案ではなく、作品について正面から整理し、書いてみよう。

「ホーリー・モーターズ」

 白いリムジンがパリの街を走る。そのリムジンを配車する会社がHOLY MOTORSだ。執事兼秘書のような運転手によって、“アポ”(劇中の原語ではランデヴー)と呼ばれるパリの街の様々な特定の場所へ赴き、リムジンの中に用意された“ファイル”に基づいて一連の“行為”が行われる。9つのアポをこなし、配車センターに戻るまでの一日。そしてそれ自体が、冒頭にパジャマ姿でベッドから起き、謎の扉を開けて映画館へと入っていった男(レオス・カラックス本人)が見た“何か”である。そういう映画だ。
 9つの“アポ”は、例えるならこれまでのカラックス作品や彼自身の人生のセルフリミックスバージョンだ。「ポンヌフの恋人」の路上生活者、「汚れた血」の疾走シーン、恋に落ちたパートナーなどなど、元ネタ系謎解きガジェットが豊富に散りばめられている。

 それらを観ていて感じるのは、沈痛なまでの悲しみ。それは、劇中でショスタコーヴィチの葬送行進曲が流れることやカイリー・ミノーグによって「誰だったの?あの頃の私たち」と歌われるカラックス自身の作詞による曲『Who Were We?』、最後に流れる曲『Revivre』の「人は望む、生まれ変わりたいと。もう一度、人生を生きたいと。同じ人生を―」という歌詞などから漂う「過ぎ去ってしまうこと。それにもう一度、生を与えること。」ということに対する、祈りにも似た静かな、しかし切実な想いだ。

 エンディングロールにこの映画がカラックスの亡くなったパートナー、カテリーナ・ゴルベワに捧げられていることが彼女の写真とともに記されている。そして、もう一度考えてみる。HOLY MOTORSとは何なのか―。
 HOLY(神聖な) MOTORS(動きを与えるもの)。「もう一度、生を与えること。」― 撮影し、再生することで動きを与えることによって―。劇中でも“行為の美しさ”というものが、始めた時から一貫して仕事を続ける原動力だったと語られている。その、美しい“行為”を収め、再び目の前に動きとして出現させる。それが、「HOLY(神聖な) MOTORS(動きを与えるもの)」=「映画を撮るということ」なのだ。

「ラストムービー」

 ペルーの村で撮影されている西部劇。それに参加していた現地の人々は、映画撮影の真似をし始める。ところが映画の虚構を理解しない人々は本物の暴力をふるいはじめる―。という大まかな筋書きの中に、いくつかのストーリーラインが走っている。

 一つは、西部劇の撮影。サミュエル・フラーが監督として登場し、ビリー・ザ・キッドの最期を描く映画を撮る。夜は乱痴気騒ぎと現地の密教めいた儀式が入り混じる。映画の撮影は、シンプルに、ビリー・ザ・キッドが撃ち殺され、クランクアップとなる。しかし、激しい銃撃戦、それによって死んでいく人々など、それらを光景として創り出すという映画撮影の行為自体が現地の人々に影響を与えることになる。
 二つ目は、カントリーソングとともに繰り広げられる、デニス・ホッパー演じるカンザスの物語。撮影隊にスタントマンとして参加したカンザスは、現地の女性と恋に落ち、撮影終了後も現地に残る。質素で素朴な生活に魅力を感じる彼だが、恋人はアメリカ製の冷蔵庫や美容院でのカットなど豊かな暮らしを求める。そして、同じく撮影隊に参加していた男、ネビルが金鉱の儲け話を持ち込み、カンザスはその話にのるが当然うまくいかない。やがて彼は、映画という祭りごとに憑りつかれた村人たちに巻き込まれていく。

 三つ目が、映画撮影を祭りの儀式ととらえる村人たち。映画撮影現場でビリー・ザ・キッドが撃たれたのを見て、カウボーイ役の現地キャストが「助けなきゃ」と、駆け寄ろうとし、引き留められる。彼の目には映画の撮影が本物の出来事に見えているのだろう。これが彼に決定的な影響をおよぼすことになる。

 ある夜、カンザスのところを訪れた神父が、村人たちが殺し合いを始めているという。カンザスと神父が行ってみると、ビリー・ザ・キッドが本当に死んでいると思いこんでいた現地キャストの男が監督となって映画の撮影の真似事をしていた。
 撮影といっても本物のカメラではなく、竹細工のカメラ、竹細工の機材だ。しかし行われていることは本当の殴り合いや殺し合いだ。「ここが教会だ。この通りは俺のもの。俺と村人のものだ。」と、男は言う。彼がここでは映画の撮影という祭りの儀式を執り行う司祭であり、神に近い存在なのだ。

 これら三つのストーリーラインが、各々から派生し脱線していくシーンを交えて順不同に混濁し、「映画を撮ることを描く映画」であるはずの、この映画自体が破綻し崩壊していく。この「ラストムービー」においては、“HOLY(神聖な) MOTORS(動きを与えるもの)”は、映画を撮ることによって破壊されてしまう。その様が映し出されている映画のように見える。
 2つの非常に異なる「映画を撮ること」についての映画。2つの作品を観た後のあなたの感想を是非共有してほしい。

「ホーリー・モーターズ」
©2011Pierre Grise Productions-Arte France Cinéma-Pandora Film-Theo Films-WDR/Arte

「ラストムービー」
© 1971 Hopper Art Trust, 2018 Arbelos

この記事をシェアする

この記事のライター

ザ・シネマメンバーズ 榎本  豊
ザ・シネマメンバーズ 榎本 豊
レトロスペクティブ:エリック・ロメールを皮切りにした2020年4月のザ・シネマメンバーズのリニューアルローンチから、ザ・シネマメンバーズにおける作品選定、キュレーションを担当。動画やチラシその他、宣伝物のクリエイティブなども手掛ける。

ザ・シネマメンバーズ 榎本 豊の他の記事

関連する記事

注目のキーワード

バックナンバー