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シャンハイ
[PG12]チョウ・ユンファ、渡辺謙ら国際派スターが豪華競演!魔都・上海の危険な愛と陰謀を描く
ジョン・キューザック主演、コン・リー、チョウ・ユンファ、渡辺謙、菊地凛子ら国際派スターが豪華共演!魔都と呼ばれた戦前の上海を舞台に、各国スパイの暗闘が複雑にからんだ何組かの男女の哀しい愛の形を描く。
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COLUMN/コラム2021.08.11
2021年の今だからこそ観るべき“戦争巨篇”『遠すぎた橋』
1977年の夏休み、中1の私が公開を待ち望んでいた作品があった。それが本作『遠すぎた橋』である。 その年の春頃から、配給元が大々的にプロモーションを展開。ジョン・アディスンによる、いかにも戦争大作のテーマといった風情の勇壮なマーチも、ラジオ番組などで頻繁に耳にしていた。「史上空前の製作費90億円」「世界の14大スーパースターが結集」「すべてが超弩級。壮大な歴史を舞台にした戦争巨篇」 数々のきらびやかな惹句に、映画少年になりたての私の心はワシづかみにされた。また当時としては珍しく、B5判のチラシが3種類も作られて映画館などで配布されていたのも、本作の“超大作”感を際立たせた。 そうしたチラシなどに記された、本作で取り上げられるオペレーションの説明も、興奮を高めた。 ~〔マーケット・ガーデン作戦〕それは、連合軍、最大の、空陸大作戦。規模において、壮絶さにおいて、[ノルマンディ作戦]を遥かに凌ぐという。その厖大な史実が、いま白日のもとに~ [ノルマンディ作戦]と言えば、映画ファン的には、『史上最大の作戦』(62)である。あれを凌ぐとは、どれほどのものなのだろうか? 日本版のチラシやポスターでは、「14大スター」の中でも強く押し出されていたのが、ロバート・レッドフォード。『明日に向って撃て!』(69)でスターダムにのし上がって以降、70年代は『追憶』(73)『スティング』(73)『大統領の陰謀』(76)等々の話題作に次々と出演し、押しも押されぬ大スターとして、日本でも絶大な人気を誇っていた。 さて7月に公開されると、本作はその夏の映画興行では本命作品だった、『エクソシスト2』や『ザ・ディープ』などを上回る成績を上げた。配給収入にして、19億9000万円。興収に直せば40億円前後という辺りで、文句なしの大ヒットであった。 しかし私を含め、当時実際にスクリーンで本作に対峙した者たちは、一様に同じような違和感を抱いた。何か、思っていた戦争映画とは、違う…。 *** 第2次世界大戦のヨーロッパ戦線。ノルマンディ上陸作戦の成功で、連合軍の優勢へと、戦況は大きく傾いた。その3か月後の1944年9月、イギリスの最高司令官モントゴメリー元帥が中心になって、ドイツが占領するオランダを舞台にした、「マーケット・ガーデン作戦」の実行を決定する。 それは5,000機の戦闘機、爆撃機、輸送機、2,500機のグライダー、戦車はじめ2万の車輛、30個の部隊、12万の兵士を動員するという、史上空前の大作戦。ネーデル・ライン川にかかるアーンエム橋を突破して、一気にヒトラー率いるドイツの首都ベルリンまでの進撃路を切り開こうという目的だった。 モントゴメリーの命を受けた、イギリスのブラウニング中将から作戦の説明を受けた、連合軍の司令官たちは、戸惑いの表情を見せる。歴戦の勇士である彼らには、その作戦が無謀で危険なものであることが、わかったのである。 レジスタンスと連携して得た情報から、この作戦に疑義を示す声などももたらされた。しかしそれは無視され、作戦は決行される。 9月17日の日曜日、巨大な編成の輸送機が空を埋め尽くし、夥しい数の落下傘が、アーンエム近郊に降下。ベルギーからは無数の戦車が列をなして、アーンエムへと北上していく。「マーケット・ガーデン作戦」が、遂に始まったが…。 *** 先に記した通り本作は間違いなく、第2次世界大戦のヨーロッパ戦線での、連合軍最大の空陸大作戦を描き、その厖大な史実を白日のもとに晒す内容であった。しかしそれは失敗した作戦、即ち連合軍の“負け戦”を描いたものだったのだ。 原題「A BRIDGE TOO FAR」をほぼ直訳した邦題である、『遠すぎた橋』。これは作戦が目標としたアーンエム橋が、連合軍にとっては「遠すぎた」という、かなりストレートに、本作の内容を表している。 勇猛果敢な兵士たちの活躍を描くような、スポーティなノリの戦争映画を期待していると、もろにハズされる。プロモーションにある意味騙されて映画館に足を運んだ我々は、完全にそんな感じだった 大々的に“主演”と謳われていた、レッドフォードにも吃驚させられた。175分という上映時間の中で、作戦を決行する見せ場ではあったものの、彼が実際に登場するのは、たった十数分間だけだったのだ。 レッドフォードのギャラが「6億円」であるのをはじめ、14大スターの高額ギャラも話題だった本作。製作費90億円で3時間近い長尺であることが、「高すぎた橋」「長すぎた橋」などと、やがて揶揄の対象にもなっていった。 中1の自分にとっては、「期待はずれの戦争大作」だった『遠すぎた橋』。しかしそれから44年経った今年=2021年の夏に、久々に鑑賞すると、別の感慨が湧き上がってきた。その詳しい内容は後に回して、先に本作の成り立ちについて、記したい。 「90億円」を調達して本作を実現したプロデューサーは、ジョゼフ・E・レヴィン。映画業界に於いて大々的な宣伝手法を確立した人物であり、『卒業』(67)や『冬のライオン』(68)などで知られる、アメリカ人プロデューサーである。 本作の監督リチャード・アッテンボローによると、彼の初監督作である『素晴らしき戦争』(69)を、レヴィンがわざわざロンドンまで観に来て激賞したことから、縁が出来た。そしてレヴィンは、「史上最大の作戦」の原作や「ヒトラー最後の戦闘」など、第2次世界大戦の戦史に関する作品で知られるジャーナリスト、コーネリアス・ライアンが1974年に上梓した「遥かなる橋」を映画化するに当たって、アッテンボローに白羽の矢を立てる。「マーケット・ガーデン作戦」について行った膨大な取材をまとめ、邦訳にして上下巻合わせて600頁近くに上る「遥かなる橋」を読んだアッテンボローは、そのスケールが大きすぎるため、まずこんな疑問を抱いたという。本当に映画化できるのか? 作戦の詳細が複雑すぎるのも、悩ましかった。上空から地上、東から西へと、作戦の舞台が頻繁に変わっていく。観客にわかるように作るには、どうすれば良いのか? そこで思い付いたのは、シーンと登場人物を結び付けることだった。例えば橋を陥落するための決死の渡河作戦のシーンの主人公は、レッドフォードが演じるクック少佐、敵弾に倒れた上官の命を救うために、ジープで敵陣を突破するシーンは、ジェームズ・カーンのドーハン軍曹といった具合に。そうすることで観客は、登場人物と共にその場面を即座に思い出すことが可能になり、話の展開を理解できるようになるというわけだ。 因みに本作の脚本は、ウィリアム・ゴールドマン。『明日に向って撃て!』と『大統領の陰謀』で、2度アカデミー賞を受賞している彼は、本作執筆に当たって、まずは原作のエピソードを、アメリカ、イギリス、ドイツと国別に分類して整理。小さな紙きれを用意して、関係各国の状況や出来事を、事細かに書き込んでいった。 そうした上で、ここはジーン・ハックマン演じる、ポーランドのソサボフスキー中将の出番だなとなったら、ポーランドの欄に目をやり、使う話を選ぶ。そうやって、史実に基づいた内容を盛り込んでいった。 ゴールドマンはこの作業を繰り返して、膨大な原作を解体・再構成。脚本を書き上げたのである。 因みにシーンと登場人物を結び付けて観客に理解させるためにも不可欠だった、大スターたちの出演交渉は、主にアッテンボローの担当だったという。大金を持って、何人ものスターの元を訪れた。脚本家のゴールドマン言うところの「爆撃」を以て、ショーン・コネリーやマイケル・ケイン、ダーク・ボガート等々を、次々と陥落した。 しかしアッテンボローは、俳優として『大脱走』(63)『砲艦サンパブロ』(66)で共演し、親しくしていたスティーヴ・マックィーンの出演交渉には、失敗。彼がギャラを「9億円」要求したため、折り合いがつかなかったと言われる。結局マックィーンの代わりに出演が決まったのは、「6億円」のレッドフォードだった…。 撮影現場にリアリティーをもたらすためには、アッテンボローは、演技ではない“本物”が必要と考えた。そこで彼は、100名のイギリス人若手俳優たちに、クランクイン前の数週間、訓練を施すことにした。 それは、お茶の飲み方から銃器の取り扱いまで、兵士らしい立ち居振る舞いができるようにする特訓。「アッテンボローの私有軍隊」と謳われた、この若手俳優たちが撮影現場に居ることで、スタッフから大スターたちまで、「ヘタなマネはできない」という、良い緊張感が生み出されたという。 実際に「マーケット・ガーデン作戦」に参加して、本作にも実名で登場する英米の司令官や指揮官を、テクニカル・アドバイザーとして現場に招いた。これもまた、戦場や軍のリアリティーを強めるのに、寄与した。 戦場を再現するための、CGなき時代の大物量作戦も凄まじい。ヨーロッパ各国の軍隊や博物館、美術館からコレクターまで協力を得て、大量の戦車や軍用機を調達。使用した火薬量は、19,250㎏にも及んだという。 圧巻なのは、オランダ陸軍空挺部隊の協力を得て撮影された、大規模な空挺降下のシーン。風の影響などもあって、想定通りには進まないこのシーンを撮るためには、19台のカメラが用意された。その際に活躍したのは、ドキュメンタリーのカメラマンたち。何が起こっても即応し、フィルムに収められる者を集めたのである。 光学合成などの後処理が行われた部分はあるものの、スピルバーグの『プライベート・ライアン』(98)で、戦争映画の描写が決定的に変わってしまうよりも、21年も前の作品。当時としては、考え得る限りのリアリティーを求める試みが、為されたと言える。 それだけの巨額と物量を投じて、アッテンボローは自覚的に「反戦映画」として、『遠すぎた橋』を作っている。ヒトラーの殲滅という大義はあろうとも、「戦争は、最低の最終手段」であり、「いかなる理由や目的があっても、武力行使は人間としての良識を欠いた、自尊心を否定する行為」という主張なのである。 そして本作はまた、アッテンボロー版の「失敗の本質」とも言える。本作に於いては、作戦の実行者であり責任者として描かれるのは、ダーク・ボガート演じるフレデリック・ブラウニング中将。彼は作戦を決行する上で、都合の悪いデータは見なかったことにして、その報告者は左遷してしまう。作戦の明らかな失敗を受けても、「われわれは遠すぎた橋に行っただけだ」と嘯くのみだ。 この辺りのブラウニング中将の描き方は、その家族や関係者から、抗議を受けたり、不快感を示されたりもしたという。しかしアッテンボローは、徹底したリサーチの上で、自分たちの判断を示したと、揺るがなかった。 実際のところで言えば、「マーケット・ガーデン作戦」の発案者且つ最高責任者は、先に記した通り、イギリスのモントゴメリー元帥。映画の製作中はまだ存命であったために、このような描写になったとも言われる。本作には俳優が演じるモントゴメリーは、登場しない。 因みにモントゴメリーはその著書で、「マーケット・ガーデン作戦」を次のように回顧している。「…オランダの大部分を開放し、それにつづくラインランドの戦闘で成功を収める飛び石の役割を果たしたのである。これらの戦果を収めることができなかったら、一九四五年三月に強力な軍をライン河を越えて進めることはできなかったであろう…」 その上で彼は作戦を、「90%は成功」と強弁したとされる。 中1で『遠すぎた橋』を鑑賞した時は、後に非暴力主義の偉人を描いた『ガンジー』(82)や、南アフリカでのアパルトヘイトを告発する『遠い夜明け』(87)を製作・監督することになるアッテンボローの本意を、読み取ることが出来なかった。しかし時を経て次第に、彼が描きたかったものに思いを致せるようになっていくと、本作を観る目も変わっていった。 そしてこの夏、新型コロナ禍の中で「TOKYO2020」なるイベントの強行を、私は目にすることとなった。『遠すぎた橋』に於ける、「都合の悪い情報は無視」「部下たちに忖度させる」「責任は決して取ろうとしない」指揮官の姿は、更に趣深く映るようになったのである。■
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硫黄島からの手紙
[PG12相当]渡辺謙ら日本人スターが集結!クリント・イーストウッド監督の「硫黄島2部作」第2章
クリント・イーストウッド監督が“硫黄島の戦い”を日米双方の視点から描いた「硫黄島2部作」の第2作。渡辺謙以外の主要キャストはオーディションで選んだ日本人俳優で、撮影も全編日本語。アカデミー音響賞受賞。
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COLUMN/コラム2021.08.11
ピーター・ジャクソンが製作を手掛けたスチームパンクなアドベンチャー大作『移動都市/モータル・エンジン』
『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズや『ホビット』シリーズの製作チームが再集結したスチームパンク系のファンタジー・アドベンチャーである。原作はイギリスのSF作家&イラストレーターのフィリップ・リーヴが発表した小説「移動都市」4部作の第1弾『移動都市』。荒野を移動する巨大都市が小さな都市を捕食し、さらに巨大化していくという独創的なコンセプトのもと、争いに明け暮れる弱肉強食の世界で自由と共存を求める反逆者たちの物語を描く。 人物関係や設定が複雑に入り組んだ作品ゆえ、本稿ではなるべく全体像が掴みやすくなるよう、背景を含めたストーリーをかみ砕きながら説明していこう。なお、一部ネタバレが含まれているため、なるべく本編鑑賞後にお読み頂きたい。 巨大移動都市が荒野を駆け巡る西方捕食時代の物語 舞台は遠い未来のこと。高度に発達した人類の文明は、2118年に起きた「60分戦争」によって滅亡。生き残った人々の多くはノマド(放浪民)となり、エンジンと車輪を用いた都市を形成して移動するようになる。これが「偉大なる西方捕食時代」の幕開け。人類の文明はハイテクからアナログへと後退し、人々は限りある食料やエネルギーを奪い合い、弱者は狩られて強者は勢力を拡大していった。 それからおよそ1600年後、かつてヨーロッパだった広大な荒野を支配し、小さな都市を次々と捕食していくのは巨大移動都市ロンドン。彼らは捕食した都市の資源を再利用し、そこに暮らしていた人々を奴隷化することで、さらに大きく成長し続けていた。ロンドンの内部は7つの層で構成されており、階層を上がるごとに住民の生活も豊かになっていく。いわば未来の新階級制度だ。最上層では特権階級の人々が暮らし、セント・ポール大聖堂などの歴史的建造物がそびえ立ち、失われたハイテク文明(通称オールドテク)の遺物を展示する博物館も存在する。その博物館で働く歴史家見習いの青年が、最下層出身者のトム・ナッツワーシー(ロバート・シーアン)だ。 そんなある日、逃げ遅れた小さな採掘都市がロンドンに捕食される。そこに紛れ込んでいたのが、ロンドンの史学ギルド長ヴァレンタイン(ヒューゴ・ウィーヴィング)に復讐を誓う少女ヘスター・ショウ(ヘラ・ヒルマー)だ。ロンドンの人々から尊敬される博識な歴史学者で、今やロンドン市長(パトリック・マラハイド)に次ぐナンバー2の権力を持つヴァレンタインだったが、実は他人に知られてはならない裏の顔と暗い過去があった。 かつて同じ考古学者仲間のパンドラ・ショウ(カレン・ピストリアス)と深く愛し合い、小さな島で一緒に暮らしていたヴァレンタインだったが、ある時パンドラが発見した「あるもの」を巡って激しい口論となる。いずれ捕食する都市がなくなれば西方捕食時代も終わりを告げるだろう。来るべき新たな時代を切り拓くため、ヴァレンタインはその「あるもの」を必要としたのだが、しかしパンドラは彼の考え方を危険視する。激しく抵抗するパンドラを躊躇せず殺害し、「あるもの」を強引に奪い取ったヴァレンタイン。その光景を目撃したのが、当時まだ8歳だったパンドラの娘へスターだったのである。 ロンドンの最下層へ降りてきたヴァレンタインを発見したヘスターは、迷うことなく宿敵である彼に襲いかかる。ところが、たまたまその場に居合わせたトムが、尊敬するヴァレンタインを守ろうとヘスターを制止し、逃走する彼女の後を追いかける。何も事情を知らないトムに「ヴァレンタインは私の母親を殺した」と告げ、外の世界へと逃げ去るヘスター。すると、トムに秘密を知られたことに気付いたヴァレンタインは、命の恩人である若者を無情にもロンドンの外へと突き落とす。 広大な荒野に2人だけ残されたヘスターとトム。厳しい世界を生き抜いてきたヘスターは、世間知らずでお人好しなトムを最初は足手まといに感じるが、しかし実直で正義感の強い彼の人柄に心を開いていく。なにより、トムもまた幼い頃に親を失っていた。やがて、人身売買組織に捕らえられて競売にかけられる2人。そこへ救出に現れたのが、反移動都市同盟のリーダー、アナ・ファン(ジヘ)だった。 反移動都市同盟とは、「60分戦争」の後でノマドの生活を選ばなかった人々の末裔。「楯の壁」と呼ばれる巨大な防壁を守り、その向こうに広がる自然豊かな静止都市シャングオを拠点とする彼らは、自由と共存と平和の理念を掲げており、それゆえ弱肉強食と争いの象徴である巨大移動都市ロンドンに抵抗していたのだ。真っ赤な飛行船ジェニー・ハニヴァー号に乗って大空を駆け巡るリーダーのアナ・ファンは、実はヘスターの母親パンドラの古い友人だった。卓越した戦闘能力を駆使して、ヘスターとトムを救い出すアナ。すると、今度はヘスターを執拗に追いかけるストーカー(復活者)のシュライク(スティーブン・ラング)が出現する。 ストーカー(復活者)とは、何百年も前に人類が開発した人間と機械のハイブリッド。人間だった頃の記憶も感情も心臓も持たない彼らは、人間を狩り殺すことを目的に作られた。その最後の生き残りがシュライクなのだが、実は母親を殺されて行き倒れになった幼い頃のヘスターを発見し、まるで拾った人形を愛でるようにして育ったのが彼だったのだ。この世に絶望した少女時代のヘスターは、自分も手術を受けてシュライクのように記憶や感情を持たぬ機械人間になることを約束。ところが、ロンドンがすぐ近くに接近したことを知った彼女は、ヴァレンタインに復讐を果たすためシュライクとの約束を破ったのだ。これに激怒した彼は、裏切り者を抹殺するべくヘスターを追いかけてきたのである。 その頃、トムと親しかったヴァレンタインの娘キャサリン(レイラ・ジョージ)は、父親が何かを隠していることに気付き始めていた。トムの親友ベヴィス(ロナン・ラフテリー)から、父親がトムを外へ突き落したことを聞いて大きなショックを受けるキャサリン。ヴァレンタインが一部の部下たちを抱き込み、セント・ポール大聖堂の中で極秘プロジェクトを進めていることを知った彼女は、ベヴィスと共に事実を確かめるべく内部へ潜入する。そこで彼らが見たのは、かつてパンドラが発見した「あるもの」を利用して作られた巨大装置。実は、「あるもの」とはコンピューターの心臓部で、ヴァレンタインが作り上げた巨大装置の正体は、かつて人類を「60分戦争」で破滅へ追いやった量子エネルギー兵器メドゥーサだったのだ。 人類は「戦争」という過ちを再び繰り返さぬよう、ハイテク技術を捨て去ったはずだった。しかし、資源の枯渇で西方捕食時代が終わりを迎えることを予見したヴァレンタインは、「楯の壁」を破壊して静止都市シャングオを侵略するべく、メデューサを用いて戦争を仕掛けようと画策していたのだ。その頃、ヴァレンタインの計略に気付いて「楯の壁」の防御を固める反移動都市同盟とヘスター、トムたち。果たして、彼らは迫りくる戦争の危機を阻止することが出来るのか…? VFX工房WETAデジタルの底力を感じさせる圧巻のビジュアル 歴史学者が過去の歴史から学ぶことを放棄し、いわば「自国ファースト」の大義名分のもと、限りある資源を略奪するために愚かな戦争へ突き進んでいく。原作小説が出版されたのは’01年のことだが、しかし’18年製作の映画版自体は明らかにトランプ時代以降の、各地で全体主義と民族主義が台頭する世界情勢を念頭に置いているように思われる。かつてドイツのナチズムや日本の軍国主義がどんな結果を招いたのかを忘れ、世界は再び同じような過ちを繰り返そうとしているのではないか。いつの時代にも通用する戦争への警鐘を含みつつ、そうした現代社会へ対する危機感が作品の根底に流れているように感じられる。 もともと映画版の企画がスタートしたのは’05年頃のこと。しかし陣頭指揮を執るピーター・ジャクソン監督が『ホビット』三部作の制作に取り掛かったため、『移動都市』の映画化企画はいったん中断することとなってしまう。再開したのは’14年に最終章『ホビット 決戦のゆくえ』が劇場公開されてから。長年のパートナーであるフラン・ウォルシュやフィリッパ・ボウエンと脚本の執筆に着手したジャクソンは、自身の長編処女作『バッド・テイスト』(’87)からの付き合いである特殊効果マン、クリスチャン・リヴァーズに演出を任せることにする。 ジャクソン監督の『キング・コング』(’05)でアカデミー賞の視覚効果賞を獲得したリヴァーズは、その傍らで『ホビット』シリーズでは助監督を、『ピートと秘密の友達』(’16)では第2班監督を務めており、映画監督としての素地は既に出来上がっていた。そんな彼に以前から監督として独り立ちするチャンスを与えようと考えていたというジャクソンだが、しかし最大の理由は「クリスチャンが監督してくれれば、僕は観客として楽しむことが出来るから」だったそうだ(笑)。 ロケ地は多くのピーター・ジャクソン監督作品と同じく母国ニュージーランド。原作本と同じくヴィクトリア朝時代のスチームパンクをコンセプトとした美術デザインは素晴らしく、デジタルの3Dモデルとフィジカルな実物大&縮小セットを駆使して作り上げられた巨大移動都市ロンドンや空中都市エアヘイヴンなどのビジュアルも壮観!ジャクソンが設立したVFX工房WETAデジタルの底力がひしひしと感じられる。残念ながら劇場公開時は興行的に奮わなかったものの、恐らくそれは先述したような人物関係や設定の複雑さが原因だったように思う。是非とも2度、3度と繰り返しての鑑賞をお勧めする。きっとストーリー以外にも様々な発見があるはずだ。■ 『移動都市/モータル・エンジン』© 2018 MRC II Distribution Company L.P. and Universal City Studios Production LLLP. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
MINAMATA―ミナマタ―
日本に渡った写真家が目にした水俣病の恐るべき実態とは?ジョニー・デップ製作・主演で描く実話ドラマ
日本で社会問題になった四大公害病・水俣病の実態を世界に発信した写真家ユージン・スミスの実話を映画化。ジョニー・デップが製作・主演を務め、真田広之ら日本人俳優が水俣病の恐ろしさと病に苦しむ人々を熱演。
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COLUMN/コラム2021.08.04
中国伝統の水墨画をモチーフにしたチャン・イーモウ監督の傑作武侠アクション『SHADOW/影武者』
巨匠にとって名誉挽回のチャンスだった…? 中国映画界の巨匠チャン・イーモウが放った武侠アクション映画の傑作である。処女作『紅いコーリャン』(’87)でベルリン国際映画祭の金熊賞を獲得して以来、数々の名作で世界中の映画祭を席巻してきたチャン・イーモウ。ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞と女優賞(コン・リー)に輝いた『秋菊の物語』(’92)や、チャン・ツィイーを一躍トップスターへと押し上げた『初恋のきた道』(’99)など、チャン・イーモウ監督といえば中国の田舎を舞台にした素朴でノスタルジックな作品を思い浮かべる映画ファンも多いと思うが、しかしカンヌ国際映画祭審査員グランプリを受賞した『活きる』(’94)や『妻への家路』(’14)では中国の近代史をヒューマニズムたっぷりに振り返り、『キープ・クール』(’97)や『至福のとき』(’00)では変わりゆく現代中国を独自の視点で見つめるなど、実のところ30年以上に渡る長いキャリアで多彩な作品群を手掛けてきた。 中でもチャン・イーモウ監督作品のイメージを大きく変えたのが、大胆なワイヤー・アクションと鮮烈な色彩の洪水が圧倒的だった武侠アクション映画『HERO』(’02)と『LOVERS』(’04)。ハリウッド映画にも負けないエンタメ性と中国の伝統文化に根差す芸術性を兼ね備えた両作は、従来のファンからは賛否両論ありつつも、映像作家として同監督の懐の深さを広く知らしめたと言えよう。 しかしその一方で、本格的なハリウッド進出作となった米中合作『グレート・ウォール』(’16)は、巨額の製作費を投じただけの空虚なB級モンスター映画となってしまい、「チャン・イーモウよ、一体どうしてしまった!?」と悪い意味で驚愕させられた。7500万ドルの赤字を出したとも言われる同作は、中国国内の映画レビューサイトでも低評価を受けて物議を醸すことに。その輝かしいキャリアに大きなミソを付ける形となったわけだが、そんなチャン・イーモウ監督が見事に汚名を挽回した会心の作が、久々の武侠アクション映画となったこの『SHADOW/影武者』(’18)である。 策士たちの思惑に翻弄される影武者の運命とは? ※下記あらすじにおける()内の平仮名は漢字の読み、カタカナは俳優の名前 時は戦国時代。度重なる戦や権力抗争で命の危険に晒された王侯貴族は、密かに「影」と呼ばれる身代わりを仕立てていた。影たちは命を懸けて主君に仕えたものの、しかしその存在が歴史の記録に残されることはなかった。これはそんな時代に生きた影武者の物語。中国南部に位置する弱小の沛(ぺい)国は、強大な炎国に領土の一部・境(じん)州を奪われながらも、その屈辱に甘んじて休戦同盟を結んだ。 それから20年後、境州の奪還を強く主張する沛国の重臣・都督(ダン・チャオ)は、境州を統治する炎国の楊(やん)将軍(フー・ジュン)に独断で決闘を申し込み、あくまでも現状維持を望む享楽的な若き国王(チェン・カイ)の逆鱗に触れる。とはいえ、相手は民衆からも宮廷内からも人望が厚い英雄・都督。さすがの国王でもぞんざいに扱うことは出来ない。そのため、国王は琴の名手でもある都督と妻・小艾(しゃおあい/スン・リー)に演奏を命じてお茶を濁そうとするが、しかし都督は「境州を取り戻すまで琴は弾かない」と頑なに断るのだった。 というのも、実は国王の目の前にいる都督は影武者だったのである。8歳の時に母と生き別れ、彷徨っているところを都督の叔父に拾われた彼は、たまたま都督と瓜二つだったことから影武者として育てられたのだった。1年前に受けた刀傷が原因で病を患ってしまった都督は、その事実を隠すために自らは屋敷の秘密扉から通じる地下洞窟へ身を隠し、その代わりに影武者を立てて周囲を欺いていたのである。この事実を知っているのは、都督と影武者そして妻・小艾の3人だけだった。 都督の描いた筋書き通りに動く影武者は、国王に自らを厳罰に処するように求め、官職を剝奪されると「一介の民」であることを理由に楊将軍との決闘へ赴くことを宣言する。これはあくまでも私と楊将軍との問題であり、国王も沛国も関係ないというわけだ。しかし、都督は楊将軍との決闘を口実に敵陣へ攻め入り、境州を奪還して自らが沛国の王となることを画策していた。そのために100人もの囚人たちを軍隊として鍛え、小艾のアイディアによって傘の戦術を編み出す。これは鋼で作られた鋭利な傘を武器に、女体のごとき柔らかな動きで楊将軍や炎国軍の豪快な剣術に対抗しようというのだ。 しかしその一方で、都督の動きをけん制するように国王も動き始めていた。楊将軍に使者を遣わした国王は、実の妹・青萍(ちんぴん/クアン・シャオトン)と将軍の息子・平(ぴん/レオ・ウー)を政略結婚させ、両国の休戦同盟をより強固なものにしようとする。ところが、相手方からの返答は「姫を側室に迎える」という屈辱的なものだった。それでも国益のため受け入れようと考える国王。だが、その裏にはうつけものを装った国王の狡猾な策略があった。かくして迎えた決戦の時。炎国の大軍が待ち受ける境州の関所へ向かった影武者だったが…? 手作りの職人技にこだわった圧倒的な映像美 真っ先に目を奪われるのは、まるで中国の伝統的な水墨画の世界を思わせるスタイリッシュなモノクロの世界。しかもこれ、モノクロで撮影されているわけではなく、美術セットから衣装まで全て白と黒のモノトーンで染め上げられているのだ。赤を基調とした初期の「紅三部作」を筆頭に、鮮やかな色彩を効果的に使ってきたチャン・イーモウ監督だが、本作はまさしく逆転の発想。しかも、この作品全体を統一する白と黒の対比は、そのままストーリーの光と影、登場人物たちの表と裏、そして都督と影武者の主従関係を象徴するメタファーとなっている。この野心的かつ革新的な映像美だけを取っても、チャン・イーモウ監督の本作に賭ける意気込みや覚悟のようなものが如実に伝わってくることだろう。 さらに、監督は劇中で使用する衣装や小道具など全てにおいて、中国の素材を使って中国の職人が手作業で作り上げる「職人技への回帰」を標榜。デザインに関しても「中国の伝統」に徹底してこだわり、韓国や日本を感じさせるような要素は全て排除されたという。中でも、兵士たちの鎧や甲冑、鋼の刃を仕込んだ傘などのデザインのカッコ良さにはゾクゾクとさせられる。 もちろん、その傘を使用した終盤の大規模な合戦アクションも素晴らしい。雨の降りしきる中、敵陣の町へと潜入した100名の囚人部隊が、グルグルと回る傘で身を守りながら坂道を滑り降り、周辺を取り囲む敵軍に刃を飛ばしていくシーンは、過去のどんな映画でも見たことのないような奇策に思わず興奮してしまう。よくぞ考え付いたもんですよ。楊将軍との対決で影武者が披露する、ダンスのように華麗な武術技もお見事。ワイヤーやCGなどをなるべく使わず、リアリズムにこだわったスタントは「本物」ならではの迫力と緊張感だ。実際、撮影に使用された特製の傘は切れ味が鋭く、一歩間違えば大怪我をする可能性もあったという。ある意味、俳優やスタントマンも命がけだったのである。 ちなみに、本作の元ネタとなったのは『三国志』に出てくる荊州争奪戦。製作総指揮を務めるエレン・エリアソフがチャン・イーモウ監督に持ち込んだオリジナル脚本は、『三国志』をかなり忠実に脚色した内容だったそうだが、しかしチャン監督はそのままではつまらないと考え、以前から興味を持っていた「影武者」をテーマに大胆なアレンジを施した。ロケ地には荊州と同じ中国南部の湖北省をチョイス。これまでの『三国志』の映像化作品は、荊州争奪戦を北部の乾燥した地域で撮影することが多く、雨や霧の多い荊州とは全く環境が異なっていたからだ。これまたチャン監督が目指したリアリズムのひとつ。終盤の舞台となる町の巨大セットは6ヶ月かけて建設され、沛国の囚人部隊が水中へ潜って敵陣へ乗り込むシーンでは、375トンの水を張った巨大プールが用意されたという。撮影チームは総勢1000人近く。紛うことなき超大作だ。 主人公の影武者と都督をひとりで演じ分けたのが、チャウ・シンチー監督の『人魚姫』(’16)にも主演した中国のトップ俳優ダン・チャオ。これまでアクション映画の経験があまりなかった彼は、およそ2ヶ月に渡る筋トレと食事で体重を72kgから83kgへと増やし、筋骨隆々とした肉体を作り上げたという。そのうえで1日6時間のアクション・トレーニングを4か月間続け、まずは先に影武者のシーンを撮影した。それが終わると今度は、食事制限によるダイエットを行い、5週間で体重を20kg落とすことに成功。病で肉体の衰えた都督を演じたわけだが、ダン自身も過度なダイエットのせいで体力が減退してしまい、撮影中にたびたび低血糖で倒れてしまったらしい。まさしくデ・ニーロやクリスチャン・ベールも真っ青のメソッド・アクティング。しかも都督に瓜二つの顔をした影武者と、別人のように老け込んでしまった都督を、一人二役で演じるというややこしさ。これだけの難役を、よくぞこなしたものだと感心する。 なお、本作は台湾の映画賞・金馬奨で最優秀監督賞や最優秀美術賞など4部門を獲得し、ジャンル系映画の殿堂サターン賞でも最優秀国際映画賞など4部門にノミネート。これによって、チャン・イーモウ監督は『グレート・ウォール』で傾きかけた信頼と名声を取り戻すことに成功した。■ 『SHADOW/影武者』© 2018 Perfect Village Entertainment HK Limited Le Vision Pictures (Beijing) Co.,LTD Shanghai Tencent Pictures Culture Media Company Limited ALL RIGHTS RESERVED
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PROGRAM/放送作品
ザ・リング
[PG-12]“呪いのビデオ”の恐怖が海を渡る…傑作Jホラー『リング』をハリウッド・リメイク
1998年の大ヒットJホラー『リング』をハリウッドでリメイク。オリジナル版の設定と展開だけでなく、日本的な湿った恐怖感も忠実に再現されている。呪いのビデオの謎の解明に挑む女性をナオミ・ワッツが好演。
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COLUMN/コラム2021.07.08
アル・パチーノvsロバート・デ・ニーロ ライバルにして友人同士の、初の本格共演作 『ヒート』
2005年10月21日、ビバリーヒルズのホテルで、アル・パチーノを顕彰する催しがあった。その席には彼と共演経験がある者を中心に、綺羅星のようなスター達が出席。「アメリカン・シネマテーク賞」が贈られたパチーノに、次々と賞賛の声を浴びせた。 会場には姿を見せなかったものの、メッセージビデオを寄せた中には、ロバート・デ・ニーロが居た。彼はパチーノに呼び掛けるような、こんな祝いの言葉を贈った。「アル、何年にもわたり、おれたちは役を取り合った。世間のひとたちはおれたちをたがいに比較し、たがいに競わせ、心のなかでばらばらに引き裂いた。正直に言って、おれはそんな比較をしてみたことはない。たしかにおれのほうが背が高い。おれのほうが主役タイプだ。しかし正直に言おう。きみはおれたちの世代で最高の俳優であるかもしれない……ただし、おれをべつにしてだ」 1940年生まれのパチーノと、43年生まれのデ・ニーロ。まさに同世代の中で、長年ライバル同士と目されると同時に、親しい友人関係にあった。そんな2人の仲を、端的に表したメッセージと言えよう。 共に、イタリア系アメリカ人。俳優を志した若き日、ニューヨークでスタニスラフスキー・システムを基にした「メソッド演技法」を学んだのも、同じだ。但し、パチーノの師がアクターズ・スタジオのリー・ストラスバーグであるのに対し、デ・ニーロが学んだのは、かつてストラスバーグと衝突して袂を分かった、ステラ・アドラーであった。 俳優としてのキャリア初期、デ・ニーロは『The Gang That Couldn't Shoot Straight』(71/日本未公開)という作品に出演した。彼が演じたのは、パチーノが『ゴッドファーザー』(72)に出演が決まったため、断った役である。 その『ゴッドファーザー』でパチーノが演じたマイケル・コルレオーネの役は、デ・ニーロも候補として、名が挙がった1人だった。結果的にこの役を得たパチーノは、作品が記録破りの大ヒットになると同時に、スターダムにのし上がり、アカデミー賞助演男優賞の候補にもなった。 2人の初の共演作は、『ゴッドファーザーPARTⅡ』(74)。とはいえこの作品の中で、2人が顔を合わすシーンはない。パチーノが引き続きマイケル・コルレオーネを演じたのに対し、デ・ニーロの役は、マイケルの父であるヴィト―・コルレオーネの若き日であったからだ。 パチーノは今度は、アカデミー賞の主演男優賞候補になる。一方この作品で一躍大きな注目を集めたデ・ニーロは、候補となった助演男優賞のオスカー像を勝ち取った。 これは余談になるが、デ・ニーロが演じたヴィト―の生まれ故郷は、イタリア・シチリア島のコルレオーネ村。実はこの地は、パチーノの祖父の出身地であった。 さて、『ゴッドファーザーPARTⅡ』時には30代前半だった、パチーノとデ・ニーロ。そんな2人が初の本格共演を果たすのには、それから20年以上の歳月、共に50代となるまで、待たなければならなかった。 それが、マイケル・マン製作・監督による本作『ヒート』(95)。パチーノが演じる、ロサンゼルス市警の警部ヴィンセント・ハナと、デ・ニーロが演じる、プロの犯罪者ニール・マッコリ―の対決が描かれる、2時間50分である。 *** ニール・マッコリ―をリーダーに、クリス、チェリト、タウナーらがメンバーの強盗グループの今回のターゲットは、多額の有価証券を積んだ装甲輸送車。大胆不敵な襲撃で輸送車を横転させ、警察の追っ手が掛かる前に証券を手に入れて、現場から立ち去る計画だった。 ところが新顔のメンバーが、ガードマンの1人を無意味に射殺。そのため、目撃者である他のガードマンたちも、葬らざるを得なくなる。 急報を受けてロス市警から、強盗・殺人課のヴィンセント・ハナ警部が駆けつけた、彼は犯行の手口から、強盗のリーダーが、相当に頭が切れるタイプであることを見抜く。 グループの仲間たちが家族持ちなのに対し、ニールは情の部分を断ち切った独り者。しかしある時に出会った、グラフィック・デザイナーのイーディと恋に落ちる。 一方ニールたちを追うヴィンセントは、捜査にのめり込む余り、過去に2度の離婚歴がある。現在は3番目の妻とその連れ子の娘と暮らしているが、またもや関係がギクシャクし始めていた…。 ちょっとした糸口から、ニールたちの正体を割り出したヴィンセントの捜査チームは、強盗グループが犯行に及んだところを、一網打尽にする計画を実行する。ところが犯行途中、捜査チームのちょっとしたミスから、ニールは警察の罠に気付き、企てを中止して引き上げる。 ニールは意趣返しのように、逆に罠を張る。そして、ヴィンセントはじめ捜査チームのメンバーを突き止める。 虚々実々の駆け引きを経て、ヴィンセントとニールが、直接対決する日が近づく。それが2人のどちらかにとっては、最期の日になる。そんな予感を孕んでいた…。 *** デ・ニーロと同年の、1943年生まれのマイケル・マンは、70年代から「刑事スタスキー&ハッチ」「ポリスストーリー」など、TVの有名刑事ドラマの脚本や監督を担当。80年代にはエグゼクティブ・プロデューサーを務めた、「特捜刑事マイアミ・バイス」で大当たりを取った。 映画監督としては、『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』(81)でデビュー。本作に至るまでに、『ザ・キープ』(83)『刑事グラハム/凍りついた欲望』(86)『ラスト・オブ・モヒカン』(92)といった作品を手掛けていた。 本作でパチーノが演じた刑事と、デ・ニーロが演じた犯罪者には、実在のモデルが居る。刑事のモデルは、元シカゴ市警の警察官で、退職後に脚本家となったチャック・アダムソン。マンの映画監督デビュー作『ザ・クラッカー』で、脚本及び犯罪に関する専門的なアドバイザーを担当したことがきっかけで、マンの親友となり、「マイアミ・バイス」他のマン作品に深く関わるようになった。 犯罪者のモデルは、アダムソンが警察時代に追っていた、その名もニール・マッコリ―。60年代のシカゴで仲間と共に、深夜の金庫襲撃などを繰り返していた。最終的には食料品チェーン店に強盗に入った際、監視していた警察に追い詰められ、アダムソンとその同僚によって、射殺された。 マンはアダムソンからマッコリ―の話を聞いて、2人の関係をベースにした、刑事と犯罪者の対決の物語を映像化しようと構想を練る。そしてまずは89年に、TVムービーとして、『メイド・イン・L.A.』を完成させる。 この作品は日本の場合、『ヒート』公開後に、VHSやDVDなどのソフトで観た方がほとんどと思われる。そうした順番で鑑賞すると、『メイド・イン・L.A.』は、『ヒート』をスケールダウンして、ノースターで製作した93分のダイジェスト版のように感じられる。 もちろん実際は、その逆。予算のスケールアップはもちろん、パチーノ、デ・ニーロ以外に、脇役にもヴァル・キルマーやジョン・ボイトなどのスターを配し、尺も2倍近くにしたのが、『ヒート』なのである。先に映像化したものが“ダイジェスト”のように感じられるのは、展開がほとんど変わらず、主要な登場人物の数も、ほぼ同じだからであろう。『ヒート』は長尺にした分、各キャラクターの描写が厚くなっている。正直、未消化に終わって、余計に感じられるところも散見するが。 さてアクション以外の見せ場として、両作にあるのが、クライマックスの対決に至る前に、ヴィンセントがニール(『メイド・イン・L.A.』では役名はパトリック)に声を掛け、宿敵同士である刑事と犯罪者が、コーヒーショップで会話をするシーン。これはモデルとなった2人の間に、実際にあった出来事を脚色したエピソードだという。 アダムソンがマッコーリーを尾行していた時に、期せずしてショッピングモールで、顔を合わせてしまった。その時アダムソンは、犯罪者であるマッコーリーの行動を深く理解したいと考え、コーヒーに誘ったのである。そして2人で、多くのことを語り合ったという。 この“実話”を基に、マンはヴィンセントとニールが、「…コインの裏と表のような関係…」であり、「似たもの同士…」であることを表現するシーンを作った。共にワーカホリックで、平穏な家庭生活などは望めない、孤高のプロフェッショナル。それ故に2人は、激しく戦わざるを得ないというわけだ。 作品の本質を表す、屈指の名シーンと言えるが、一方で『ヒート』初公開時にはこのシーンがあるが故に、観客らが「あらぬ疑惑」を抱く事態となった。それについては、後ほど詳述する。 本作でマンが大いにこだわったのが、“リアリティー”。俳優陣には準備段階で、犯罪者の行動原理を学ばせた。 例えば犯罪チームの一員チェリトを演じたトム・サイズモアの場合、刑務所で受刑者の話を聞いたり、営業中の銀行を訪れ、自分が強盗だったらどう狙うかをシミュレーションした。更には実在のギャング団行きつけの店のテーブルで、わざわざ食事までした。 撮影前には3カ月に及ぶ、コンバット・シューティング=実践的射撃術の訓練を実施。犯罪者チームと警官チームは、それぞれ銃の撃ち方や扱いに微妙な違いがあることから、別々のトレーナーを付けて行った。これは、劇中で対立する2つのチームに、馴れ合いの空気を作らせないための工夫でもあったという。 マンは、ロサンゼルスでのオールロケにもこだわった。ロケ場所は実に85箇所にも及んだが、ハイライトはやはり、12分間に渡る白昼の市街戦の舞台。週末にロスのオフィス街の大通りを丸ごと借り切って、映画史に残るような壮大なドンパチを繰り広げた。 主演を務めた2大スター、アル・パチーノとロバート・デ・ニーロについては、マンはその演技を、次のように語っている。「デ・ニーロは役を建築物のように構築する。細部をすこしずつ、信じられないほどこまかく研究する。…一方、アルの役への入りかたはちがう。ピカソが何も描いてないキャンヴァスを何時間もみつめて集中するようにだ。集中したあとで何刷毛か絵筆をふるう。それだけで人物が生きて立ち上がる」 そんな2人が対峙する最大の見せ場が、先に挙げた、コーヒーショップのシーンだった。しかし初公開時は、私も含めて多くの観客の中に、「?」を残す結果となった。具体的には、「パチーノとデ・ニーロ、共演してないのでは?」という疑念が、猛然と沸き上がったのである。 2人の会話シーンは、各々のバストショットの切り返しばかり。同一画面に2人が存在する、そんな2ショットのシーンが、全く存在しなかったのである。 パチーノとデ・ニーロが、いくら親しい友人同士といっても、撮影現場ではお互いTOPスターのプライドなどもあって、そうはいかなかった。だから別々に撮ったのである。そんなもっともらしい解説も、当時耳にした記憶がある。 でも実際は、そんなことはなかった。現場のスチールやメイキングなどから明らかだが、2人はちゃんと共演していたのである。しかもリハーサルなしで撮影したこのシーンは、2人のアドリブも満載に、11テイクも回していた。 では、実際にはカメラに収めた2ショットなどは、なぜ使わなかったのか?「共演してないのでは?」という疑惑を生み出すような編集に、どうしてなったのか? パチーノとデ・ニーロは、視線を合わせたり逸らしたりしながら、セリフの応酬をする。そうした中でお互いが、「似ている人間」であることを理解していく。 それを見せるためには、それぞれの表情がはっきりと映る、バストショットの切り返しが最も有効。交互に見せることで、2人の演技が融合していく。マンと編集者は、そう考えたのである。 初見から25年経って、そのシーンを観返してみて私が思ったのは、「似た者同士」である2人だが、同じ世界での共存は許されない。2ショットを省いたのには、そんなことを表す意図があったようにも思えてきた。この編集だからこそ、刑事と犯罪者、それぞれの“孤高さ”が際立ってくる。『ヒート』で初めて、本格共演を果たしたパチーノとデ・ニーロ。2人はその後、『ボーダー』(2008)『アイリッシュマン』(19)と、ほぼ10年に1度ほどのペースで共演を重ねている。 一方、その後様々な犯罪映画を手掛けたマイケル・マンは、現在ヴィンセントやニールらの、本作以前のストーリーを描く前日譚の小説化や脚本化に取り組んでいると伝えられる。この映像化が実現しても、齢80前後となったパチーノとデ・ニーロが同じ役で再登板することは、ちょっと考えにくいが…。■ 『ヒート』© 1995 Monarchy Enterprises S.a.r.l. in all other territories. 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PROGRAM/放送作品
ベルリン・天使の詩
天使が舞い降りた古都ベルリン。ヴィム・ヴェンダース監督がめくるめく壮麗な映像美で綴るファンタジー
天使と人間の女性の愛を描き、日本でも大ヒットしたヴィム・ヴェンダースのファンタジー。まだ“壁”が存在していたベルリンを舞台に、天使の視点をモノクロ、人間の視点をカラーで表現した映像美にも魅了される。
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COLUMN/コラム2021.06.17
原作者も唸らせた、換骨奪胎の極み!『L.A.コンフィデンシャル』
本作『L.A.コンフィデンシャル』(1997)は、ジェームズ・エルロイ(1948~ )が1990年に著し日本でも95年に翻訳出版された、長編ノワール小説の映画化である。 エルロイは両親の離婚によって、母親と暮らしていたが、10歳の時にその母が殺害される。多くの男と肉体関係を持っていたという母を殺した犯人は見付からず、事件は迷宮入り。そしてその後彼を引き取った父も、17歳の時に亡くなる。 エルロイは10代の頃から酒と麻薬に溺れ、窃盗や強盗で金を稼いだ。27歳の時には精神に変調を来し、病院の隔離室に収容されている。 文学に目覚めて小説を書き始めた頃には、30代を迎えていた。彼の著作には、その過去や思い入れが、強く反映されている。 本作の原作は、後にブライアン・デ・パルマ監督によって映画化された「ブラック・ダリア」(87年出版)を皮切りとする、「暗黒のL.A.」4部作の3作目に当たる。原作は翻訳版にして、上下巻合わせて700ページに及ぶ長大なもので、1950年のプロローグから58年までの、8年にわたる物語となっている。 その間に起こった幾つもの大事件が、複雑に絡み合う。更には1934年に起こった、猟奇的な連続児童誘拐殺害事件も、ストーリーに大きく関わってくる。読み進む内に「?」と思う部分に行き当たったら、丹念にページを繰って読み返さないと、展開についていけなくなる可能性が、大いにある。 50年代のハリウッドを象徴するかのように、テーマパークを建設中の、ウォルト・ディズニーを彷彿とさせる映画製作者なども、原作の主な登場人物の1人。膨大な数のキャラクターがストーリーに関わってくるため、原作の巻頭に用意されている人物表の助けが、折々必要となるであろう。 当時の人気女優だったラナ・ターナーの愛人で、ギャングの用心棒だった実在の人物、ジョニー・ストンパナートは、実名で登場。映画化作品では、彼とターナーの愛人関係は、ギャグのように使われていたが、原作では、彼がターナーの実娘に刺殺される、実際に起こった事件まで、物語に巧みに組み込まれている。 さて原作のこのヴォリュームを、そのまま映画化することは、まず不可能と言える。そんな中で、原作を読んで直ぐに映画にしたいと思った男が居た。それが、カーティス・ハンソンである。 彼は、すでに映画化権を取得していたワーナーブラザースに申し入れをして、結果的に本作の製作、脚本、そして監督を務めることになった。監督前作であるメリル・ストリープ主演の『激流』(94)ロケ中には、撮影を進めながらも、頭の中は本作のことでいっぱいだったとも、語っている。 映画化に於いてハンソンは、原作の主人公でもある3人の警察官を軸に、その性格や位置付けは生かしつつも、「換骨奪胎の極み」とでも言うべき、見事な脚色、そして演出を行っている。本作を、90年代アメリカ映画を代表する屈指の1本と評する者は数多いが、一見すればわかる。 映画『L.A.コンフィデンシャル』は、そんな評価が至極納得の完成度なのである。 *** 1950年代のロサンゼルス。ギャングのボスであるミッキー・コーエンの逮捕をきっかけに、裏社会の利権を巡って血みどろの抗争が勃発。コーエンの腹心の部下たちが、正体不明の刺客により、次々と消されていった。 53年のクリスマス、ロス市警のセントラル署。警官が重傷を負った事件の容疑者として、メキシコ人数人が連行された。署内でパーティを行っていた警官たちが、酔いも手伝って彼らをリンチ。血祭りにあげたこの一件が、「血のクリスマス」事件として、大々的に報道されるに至る。 そこに居合わせた、バド・ホワイト巡査(演;ラッセル・クロウ)、ジャック・ヴィンセンス巡査部長(演;ケヴィン・スペイシー)、エド・エクスリー警部補(演;ガイ・ピアース)は、警官としての各々のスタンスによって、この一件に対処。それは対立こそすれ、決して交わらない、それぞれの“正義”に思われた…。「血のクリスマス」の処分で、何人かの警官のクビが飛んだ頃、ダウンタウンに在る「ナイト・アウル・カフェ」で、従業員や客の男女6人が惨殺される事件が起こる。被害者の中には、「血のクリスマス」で懲戒免職になった、元刑事でバドの相棒だった、ステンスランドも混ざっていた。 この「ナイト・アウルの虐殺」の容疑者として、3人の黒人の若者が逮捕される。エドの巧みな取り調べなどで、容疑が固められていったが、3人は警備の不備をついて逃走する。 エドは潜伏先を急襲して、3人を射殺。「ナイト・アウルの虐殺」事件は一件落着かに思われた。 しかしこの事件には、ハリウッド女優そっくりに整形した娼婦たちを抱えた売春組織、スキャンダル報道が売りのタブロイド誌、そしてロス市警に巣喰う腐敗警官たちが複雑に絡んだ、信じ難いほどの“闇”があった。 相容れることは決してないと思われた、3人の警官たち。エド、バド、ジャックは、それぞれの“正義”を以て、この底が知れない“闇”へと立ち向かっていく…。 *** ハンソンは、ブライアン・ヘルゲランドと共に行った脚色に際して、「ナイト・アウルの虐殺」の真相解明に絡むように発生する、連続娼婦殺害事件や、それと関連する20年前の連続児童誘拐殺害事件等々、原作では重要なファクターとなっている複数の事件のエピソードをカット。物語のスパンはぐっと短期に凝縮して、登場人物の大幅な整理・削減も断行している。 エドとバド、終盤近くまで睨み合いを続ける、この2人の警官の対立を深める色恋沙汰の相手として、原作では2人の女性が登場する。しかし映画ではその役割は、キム・ベイシンガー演じる、ハリウッド女優のベロニカ・レイク似の娼婦リン1人に絞られる。 3人の主人公のキャラクター設定も、巧妙なアレンジが施されている。その中では、幼少期に眼前で父が母を殴り殺す光景を目撃したことから、女性に暴力を振るう男は絶対許せないというバドのキャラは、比較的原作に忠実と言える。しかしジャックに関しては、TVの刑事ドラマ「名誉のバッジ」のテクニカル・アドバイザーを務めながら、タブロイド誌の記者と通じているという点は原作を踏襲しながらも、過去に罪なき民間人を射殺したトラウマがあるというキャラ付けは,バッサリとカット。 そしてエド。彼が警官としての真っ当な“正義”を求めながら、出世にこだわるのは、原作通りである。しかし父親がかつてエリート警察官であり、退職後は土木建築業で成功を収めている実業家となっていることや、兄もやはり警官で、若くして殉職を遂げたなどの、彼にコンプレックスを抱かせるような家族の設定は改変。映画化作品のエドは、36歳で殉職して伝説的な警察官となった父を目標としており、兄の存在はなくなっている。 また原作のエドは、第2次世界大戦での日本軍との戦闘で、自らの武勲をデッチ上げて英雄として凱旋するなど、より複雑な心理状態の持ち主となっている。しかしハンソンとヘルゲランドは、この辺りも作劇上で邪魔と判断したのであろう。映画化に当たっては、その設定を消し去っている。 エドのキャラクターのある意味単純化と同時に、原作には登場しない、映画オリジナルで尚且つ物語の鍵を握る最重要人物が生み出されている。その名は、“ロロ・トマシ”。本作未見の方々のためにネタバレになる詳述は避けるが、奇妙な響きを持つこの“ロロ・トマシ”こそ、正に本作の脚色の見事さを象徴している。 キャスティングの妙も、言及せねばなるまい。主役の3人に関して、すでに『ユージュアル・サスペクツ』(95)でオスカー俳優となっていたケヴィン・スペイシーはともかく、ラッセル・クロウとガイ・ピアースという2人のオーストラリア人俳優は、当時はまだまだこれからの存在だった。 ラッセルの演技には以前から注目していたというハンソンだったが、ガイに関しては、全くのノーマーク。しかし本読みをさせてみると、素晴らしく、ガイ以外の候補が頭から消えてしまったという。またこの2人は観客にとっては未知の人であったため、「…どちらが死ぬのか、生きるのか見当もつかない」。そこが良かったともいう。 とはいえ無名のオーストラリア人俳優を2人も起用するとなると、一苦労である。まずプロデューサーのアーノン・ミルチャンを説得。映画会社に対しては、先に決まっていたラッセルに続いて、ガイまでもオーストラリア人であるということを、黙っていたという。 ラッセルとガイには、撮影がスタートする7週間前にロス入りしてもらい、当地の英語を身につけさせた。またラッセルには、近年のステロイド系ではない、50年代の鍛えられてはいない身体作りをしてもらったという。 さて配信が大きな力を持ってきた昨今は、ベストセラーなどの映像化に際しては、潤沢な予算と時間を掛けて、原作の忠実な再現を、評価が高い映画監督が手掛ける流れが出てきている。例えば今年、コルソン・ホワイトヘッドのベストセラー小説「地下鉄道」が、『ムーンライト』(16)などのバリー・ジェンキンスの製作・監督によって、全10話のドラマシリーズとなり、Netflixから配信された。 こうした作品について、従来の映画化のパターンと比して、「もはや2時間のダイジェストを作る意味はあるのか?」などという物言いを、目の当たりにするようにもなった。なるほど、一見キャッチ―且つ刺激的な物言いである。確かに長大な原作をただただ2時間の枠に押し込めることに終始した、「ダイジェスト」のような映画化作品も、これまでに多々存在してきた。 しかし『L.A.コンフィデンシャル』のような作品に触れると、「ちょっと待った」という他はない。展開に少なからずの混乱が見られ、遺体損壊などがグロテスクに描写されるエルロイ作品をそのままに、例えば全10話で忠実に映像化した作品などは、観る者を極めて限定するであろう。その上で、それが果して全10話付き合えるほどに魅力的なものになるかどうかは、想像もつかない。 因みにハンソンは、混乱を避けるために、エルロイには1度も相談せず、脚本を書き上げた。その時点になって初めて脚本を送ると、エルロイから夕食の誘いがあった。恐る恐る出掛けていくと、エルロイは~彼自身の考えていることがキャラクターを通して映画のなかによく出ている~と激賞したという。 まさに「換骨奪胎の極み」を2時間強の上映時間で見せつけ、映画の醍醐味が堪能できる作品として完成した、『L.A.コンフィデンシャル』。97年9月に公開されると、興行的にも批評的にも大好評を得て、その年の賞レースの先頭を走った。 アカデミー賞でも9部門にノミネートされ、作品賞の最有力候補と目されたが、巡り合わせが悪かった。同じ年の暮れに公開された『タイタニック』が、作品賞、監督賞をはじめ11部門をかっさらっていったのである。 本作はハンソンとヘルゲランドへの脚色賞、キム・ベイシンガーへの助演女優賞の2部門の受賞に止まった。しかしその事実によって、価値を貶められることは決してない。『L.A.コンフィデンシャル』は、監督のカーティス・ハンソンが2016年に71歳で鬼籍に入った後も、語り継がれる伝説的な作品となっている。■ 『L.A.コンフィデンシャル』© 1997 Regency Entertainment (USA), Inc. in the U.S. only.