青野賢一 連載:パサージュ #11 終わってほしくない旅──ヴィム・ヴェンダース『都会のアリス』

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青野賢一 連載:パサージュ #11 終わってほしくない旅──ヴィム・ヴェンダース『都会のアリス』

目次[非表示]

  1. 見たままに撮れない苛立ち
  2. ストが引き合わせたフィリップとアリス
  3. ロード・ムービーと宙ぶらりんな1970年代
  4. 思いがけずはじまるふたり旅
  5. 打ち解けてゆくふたり、成長する大人
  6. 静かな優しさに満ちた時間
 ストーリーは極めて単純である。30がらみの男と9歳の少女が期せずして一緒に旅をすることになる。道中、凄惨な事件や、どうだといわんばかりの大げさな感動あるいは悲劇はひとつもない。このような映画なのに、なぜわたしたちは『都会のアリス』に心動かされてしまうのだろうか。
  『都会のアリス』はヴィム・ヴェンダースの1974年作品。撮影は1973年の夏で16mmモノクロ・フィルムで撮られている。長篇映画としては4作目にあたるこの作品は、続く『まわり道』(1975)、『さすらい』(1976)と合わせてロードムービー三部作としても知られている。

見たままに撮れない苛立ち

 タイトル・バックは飛行機が遠くの空を飛ぶ映像。寂しげなギターの音──この作品の音楽はCANが担当している──が聞こえてくると、カメラが移動して海辺のボードウォークの下に座る男を映し出す。男は海に向けてポラロイドカメラのシャッターを切り、サム&デイヴやローリング・ストーンズ、トムトム・クラブらがカバーしたことでも有名なザ・ドリフターズの1964年のヒット曲「Under The Boardwalk」のサビ部分を口ずさみながら像が浮かび上がってくるのを待っている。「なぎさのボードウォーク 海に沿って続く 恋人と一緒に座っていたい」という歌詞であるが、彼はひとりだ。男の名前はフィリップ(リュディガー・フォーグラー)。アメリカを巡って記事にするためにドイツからやってきたジャーナリストである。ポラロイドカメラで風景を撮るのは、旅の記録といったところだろう。ちなみに彼が使うポラロイドカメラは1972年に発売が開始されたポラロイド社の「SX-70」である。クルマで移動しながら、フィリップはあれこれ撮影するのだが「見たままのものが撮れてない」。そんな状況だから、記事の方も一向に進んでおらず、そのせいか彼の様子からはどこか苛立ちのようなものが感じられる。細かいカット割はフィリップの焦りとシンクロしているかのようである。そうして彼がたどり着いたのはニューヨークだった。

「都会のアリス」© 2014 Wim Wenders Stiftung

ストが引き合わせたフィリップとアリス

 ニューヨークに着くと、フィリップはそれまで乗っていたクルマを中古車屋に売り払ってしまう。クルマを手放すということはどういうことか。これはつまりひとつの旅の終わりを意味するだろう。実際、彼はクルマを売ったその足で出版エージェントに向かい、ドイツに帰って原稿を書くと告げる。空港に航空券を取りに行くと、ドイツでのストライキのためドイツ行きの便はすべて欠航だという。航空会社窓口担当の提案はアムステルダムまで行くこと。そのやりとりの最中、リザ(リザ・クロイツァー)とアリス(イェラ・ロットレンダー)という親子と出会った。フィリップ同様、ドイツに帰りたいと考えているリザはひとまずアムステルダムまで行くことにし、フィリップも同じくアムステルダム行きの飛行機を予約。こうして三人はしばし行動をともにすることとあいなった。
 出発が翌日の午後ということで、その夜はリザとアリスはホテルにステイ。フィリップは恋人と思しき女性の部屋を訪ねてそこに泊めてもらおうとする。部屋でフィリップは「自分を失った ひどい旅だったよ」と彼女にこぼす。「見るもの聞くものが ただ通り過ぎた」。それを聞いた彼女は「昔と同じだわ 旅行するまでもないでしょ」と返す。「ここに来た理由は話を聞いてもらうためだわ でも独り言よ 本当は自分自身に向かって言い聞かせてるだけだから」と。そしてフィリップを追い返し、彼はリザとアリスが宿泊しているホテルの部屋に泊めてもらうことになった。ホテルの部屋では、リザがこの2年間で4箇所に住んだことや交際相手の男がリザの気持ちを考えないこと、それからフィリップが旅を通じて感じたアメリカの印象のひとつであるテレビについてが語られる。

ロード・ムービーと宙ぶらりんな1970年代

  「旅は、家の崩壊からはじまる。〈家〉とは、定住するもの、はっきりした土台を意味する。拠るべきもの、確固たるものが失われている時、私たちは浮遊していくのだ」(海野弘著、フィルムアート社刊『映画、20世紀のアリス』)。この点からフィリップを眺めると、彼は仕事によるアメリカ旅行で「自分を失った」状態で、それゆえ何を見聞きしても裡に残るものはないから当然書けない。心に残らないのでポラロイド写真に風景を収めるけれども、それは単なる記録でしかなく当然ながら撮った本人ですら「見たままのものが撮れてない」とピンとこない仕上がりだ。つまり、自分という拠りどころを失くしたフィリップが撮る写真は画像として定着されこそするが、実際は彼の心持ち同様不確かな宙吊り状態にあるのである。思えば、1970年代というのはどこか宙ぶらりんな印象のある時代。言葉とスローガン、そしてそれが行動を促した1960年代が終わり、スローガンと行動は次第に後景に退き「大きな物語」は失われて、確固たる言葉でなく漠然としたイメージだけがふわふわと浮遊する──そんな拠りどころのなさが1970年代であり、この時代に本作に代表されるロード・ムービーが台頭するのは実に頷ける話である。

思いがけずはじまるふたり旅

 さて、映画に戻ると、アムステルダムへ出発する日の朝、リザは「エンパイア・ステート・ビルの屋上で1時に」との書き置きを残してそっと部屋を出ていってしまう。フィリップとアリスはエンパイア・ステート・ビルの屋上で待っていたがリザは来ず。ホテルに戻るとリズは1時間前にそこを出たことがわかった。そしてまたも書き置き。「彼が荒れて行けません」。こうしてフィリップとアリスはふたりでアムステルダム行きの飛行機に乗ることとなった。空港への道中、アリスはこういう「こうなるのは分かってた」。諦めでも達観でもないフラットな口調であることに驚くが、このような大人顔負けの部分がときおり顔を覗かせるのがアリス(9歳)なのである。
 物語がフィリップとアリスの旅に移ってからは、クスッと笑える場面が増えてくる。それ以前はフィリップの思い詰めた焦燥感が支配的であったが、アリスの登場によってそれが少しづつ和らいでいくのだ。フィリップが畿内から翼と空を撮ったポラロイド写真を見たアリスは「きれいな写真 空っぽね」という。それまでフィリップが撮ったアメリカの風景は単なる記録の域を出るものではなかったが、この写真にはなんというか能動的な「撮っておきたい」という気持ちが一緒に写り込んでいるようだ。アムステルダムに到着したのち、自分について話すことがないというフィリップをアリスがポラロイドカメラで撮影し「自分がどんなか分かるわ」と彼に手渡す。このシーンがわたしはとても好きだ。

「都会のアリス」© 2014 Wim Wenders Stiftung

打ち解けてゆくふたり、成長する大人

 先に記したように、アリスはしばしば大人のような態度をとるのだが、それがフィリップとの信頼関係を築くうえでも一役買っているようだ。会話も子どもと大人のそれではなく、ひとりの人間同士が話しているという感じである。もちろん子どもらしいところもあるので、フィリップはそれにイラッとすることもあるのだが、そういう場面ではむしろフィリップの未熟さが目につくのだ。こうして同じ時間を過ごし、打ち解けてゆくふたりだったが、リザは一向にアムステルダムにはやってこない。いよいよ行き場のなくなりそうなアリスにフィリップはドイツのおばあさんの家を訪ねることを提案。ふたりはドイツへと向かったが、おばあさんの家の手がかりが少なすぎてなかなか見つけることができない。ブッパータールからルール地方へ。ルール地方でのおばあさんの家探しの合間、証明写真で遊んだり妙な体操をするふたりを映し出したシーンは本作のなかでもひときわ美しい瞬間ではないだろうか。
 フィリップとアリスのふたり旅を通じて、フィリップは物語のはじめの頃の「自分を失った」状態から徐々に自分を回復していったようだ。不確かで宙ぶらりんな心持ちだった彼の表情に明るさが宿り、それにともなって画面にも太陽の光をより感じるようになる。その意味で、本作において成長するのは子どもではなく大人だといえるかもしれない。

静かな優しさに満ちた時間

 もともとこの旅はアリスの母リザがなかなか帰ってこない状況のなか、おばあさんに会う、すなわちおばあさんにアリスを託すために始められたもの。それゆえ、リザが帰国するかおばあさんの居場所がわかってしまえば自ずとふたり旅は終わりを告げ、アリスは家族のもとへ帰り、フィリップは遅れに遅れている原稿書きに着手することができる。そうなるのが正しい結末だとわかっていても、物語が進むにつれ、このふたりの旅が終わってほしくないと願ってしまう自分がいる。フィリップとアリスの旅はそれほど静かな優しさに満ちた時間なのである。本作を何度観てもそのたび温かい気持ちになるのはこの「静かな優しさ」ゆえのことだと思う。ラスト・シーン、徐々に空へと上昇するカメラがふたりを乗せた列車を捉える。この眼差しはふたりのそばで旅を見守っていた天使の眼差しのようだ。

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この記事のライター

青野賢一
青野賢一
1968年東京生まれ。株式会社ビームスにてプレス、クリエイティブディレクターや音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターなどを務め、2021年10月に退社、独立。現在は映画、音楽、ファッション、文学などを横断的に論ずるライターとしてさまざまな媒体に寄稿している。また、DJ、選曲家としても30年を超えるキャリアを持つ。

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