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COLUMN/コラム2019.05.13
吸血鬼を恐れぬ現代に、どんな恐怖を暗示させるのか—? 『地球最後の男 オメガマン』
■チャールトン・ヘストンのディストピア三部作 『地球最後の男 オメガマン』(71)は、TVシリーズ『ミステリーゾーン』(58〜64)における数多くのエピソードや、スティーブン・スピルバーグの出世作『激突!』(71)の原作を手がけた作家リチャード・マシスンが、1954年に発表した同名長編小説の映画化だ。日本で翻訳が出版されたときの邦題が「吸血鬼」で、そのタイトルどおり、ウイルスの蔓延によって人類は夜行性の吸血鬼と化し、抗体として人間のまま生き残った主人公ロバート・ネビルが、孤独に耐えながら彼らと戦う物語だ。 もっとも「吸血鬼」は過去に3度映画化されており、『オメガマン』はその2本目にあたる。1本目は怪奇俳優として名高いヴィンセント・プライスが主演した『地球最後の男』(64)。マシスンが偽名で脚本執筆に加わっただけあって、物語は原作にきわめて忠実だ。またタイトルからもわかるように、『オメガマン』はギリシャ語アルファベットの最後となる文字「Ω(オメガ)」を用い、『地球最後の男』を婉曲的に踏襲している(ちなみに3本目の『アイ・アム・レジェンド』(07)はこちらを参照) この『オメガマン』はネビルを演じたチャールトン・ヘストンがワーナー・ブラザースに売り込んだ企画で、その頃の彼の立ち位置を知ると動機がわかりやすい。『十戒』(56)や『ベン・ハー』(59)など、宗教啓蒙的な性質を持つ史劇大作で世界に名を広めたヘストンだが、60年代後期は俳優としての変革期にあった。そこで先述の作品で得たパブリックイメージを保たせながら、自身のキャリアに柔軟性をもたせるための、既成でない対勢力にあらがう新たなヒーロー像を模索したのだ。中でも際立ったのが、人類が猿に支配される『猿の惑星』(68)や、人間を食料加工品にする『ソイレント・グリーン』(73)といった、時代の機微に応じて製作されたディストピア(暗黒郷)SFへのアクセスである。 当時、アメリカはインフレが加速して石油価格が上昇し、景気が後退。ベトナム戦争の長期化によってNASAの宇宙開発は凍結され、社会を暗く揺れ動かしていた。これらの事象に対する動揺を反映するかのように、アメリカ映画界にはダークで終末感に満ちた作品が群発したのである。ヘストンはそんなムーブメントに対し、自らディストピアSFに活路を見出し、マシスンの原作の現代的アレンジに強い関心を示していたのだ。 ヘストンは「吸血鬼」を主演作『黒い罠』(58)の撮影時、監督のオーソン・ウェルズから勧められて手にとっている。そして原作に惹き込まれた彼は1969年11月、プロデューサーのウォルター・M・ミリッシュ(『荒野の七人』(60)『夜の大捜査線』(67))と話し合い、ワーナーと接触。翌1970年1月には『地球最後の男』にあたってアウトライン研究を始め、同年2月8日に脚本担当のジョン・ウィリアム・コリントンと、彼の妻ジョイスらと共に脚本開発に移行している。 ■作品の背後にあるゼノフォビア コリントン夫妻は『地球最後の男』と同様、ネビルが科学者である設定を引き継ぎ、また異なるポイントとして、ウイルスの影響によって変貌した人間の描写を更新させた。『オメガマン』において彼らは黒衣をまとい、自分たちの共同体を「ファミリー」と呼び、生存権を主張する“ミュータント”に変えたのである。 映画はこうした形で、人種のカテゴリーが崩壊し、社会的優位をが脅かされていくことへの警戒心を内在させ、そこには当時すさまじい勢いでアメリカを席巻していた公民権運動(黒人が自由と平等を獲得するためにおこした運動)や、ベトナム戦争への不審が生んだカウンターカルチャー(対抗文化)の存在がうかがえる(ヘストン自身は公民権運動の支持者であり、ベトナム戦争に反対の立場をとっていた)。あるいは若い信徒を「ファミリー」と称して引き連れ、映画女優シャロン・テートの殺害に及んだチャールズ・マンソンのような、カウンターカルチャーが誘引した反社会勢力を連想させるものとなっているのだ。またウイルス感染の起因が「中ソ戦争による科学兵器の使用」と設定づけられたのも、1969年3月2日に起こった中ソ国境紛争(中国人民解放軍がダマンスキー島のソ連国境警備隊55人を攻撃した紛争)が背景にあり、そこに当時の共産主義に対するアレルギーが見え隠れしている。 他にも物語の要となるヒロインにロザリンド・キャッシュを起用し、当時のハリウッドメジャー作品としては異例の異人種間のロマンスを展開させたことで、そこに公民権運動を牽引するブラックパワーや、ウーマンリブ(女性解放運動)の影響を指摘することもできる。つまり『オメガマン』は、総じてアメリカが同時代に抱えていた「ゼノフォビア(外来恐怖症)」を反映したものになっているのである。 もっとも、こうしたゼノフォビアは原作が生まれた段階から宿命のようにつきまとっている。マシスンの「吸血鬼」が世に出た1950年代、アメリカは米ソ冷戦や共産主義への深刻な脅威にさらされ、ゼノフォビアは侵略SFという形を借りて描かれてきた。それを象徴するようにジャック・フィニィの「盗まれた街」や、ロバート・A・ハインラインの「宇宙の戦士」など侵略SFのマスターピースが発表され、また映画においては数多くのエクスプロイテーションな侵略SFものが量産されている。 マシスンは幼い頃、ベラ・ルゴシ主演のモンスター映画『魔人ドラキュラ』(31)を観たとき「個体でさえ恐ろしい吸血鬼が集団化したらどうなるのか?」という思いに駆られ、それが「吸血鬼」を手がける発端だったと語っている(*1)。多数派によるカテゴリーの侵食や崩壊がイメージの根にある本作が、映画化によってその時々のゼノフォビアに感応するのは自明の理といえるだろう。 ■原作者マシスンの『オメガマン』に対する反応 そんな『オメガマン』を、原作者であるリチャード・マシスン自身はどう思ったのか? マシスンは後年のインタビュー(*2)において、「チャールトン・ヘストンはいい俳優だし、マンソンファミリーのようなカルトを皮肉るなど、映画は時代性をよくあらわしている。だが個人的には好ましくない映画化だ」 と述べている。製作当時、ワーナーは改変のためにマシスン本人からの権利譲渡を避けたようで、こうした先方の態度に思うところがあったのだろう。ちなみにマシスンが「吸血鬼」の映画化作品で認める姿勢を示したのは、意外なことに傍流というべき食人ゾンビ映画の嚆矢『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(68)だ。同作は「吸血鬼」をイメージソースとしており、監督のジョージ・A・ロメロは『ナイト〜』の商標権を取り戻すために動いていたときにマシスンと会い、アイディアを拝借したことを彼に白状している。そこで商標権の登録ミスにより、自分がこの映画で儲けていないことを告げると「あなたがお金持ちになっていないなら、それ(アイディアの流用)は無問題さ」とロメロに同情を寄せたという(*3)。 さいわいにも2007年の映画化『アイ・アム・レジェンド』のときは、マーク・プロトセヴィッチの手による脚色がよく出来ていると賞賛。プロモーションにも協力するなど、ワーナーとの関係を回復させて彼はこの世を去っている。 とはいえ、こうした原作者の感情がどうであれ、『地球最後の男 オメガマン』はカルト映画として支持され、恒久的にファンを獲得し続けている。それは本作が、1970年代ディストピアものとして他にはない独特の雰囲気を放ち、また前述のようなメッセージ性をはらむ作品構造が、いつの時代の社会問題にも置き換え可能だからだろう。欧州の難民問題、トランプ政権下の移民政策etc.はたして我々はいま、この映画に何を見るのだろう?■
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COLUMN/コラム2019.05.13
マシスン原作の核に迫る映像化、そして幻となったシュワルツェネッガー版とは? ——『アイ・アム・レジェンド』——
■前映画化作品に勝る、地上に一人残された主人公の“孤独感” 2007年に公開された『アイ・アム・レジェンド』は、リチャード・マシスンによる終末パニックホラー小説「吸血鬼」(54)の3度目となる長編劇映画化だ。前回の映画化作品『地球最後の男/オメガマン』(71)のリメイクとして、ワーナーはこの企画を世紀をまたぎ息づかせてきた。 しかし本作はマシスンの小説に立ち返ることで、単なるリメイクではなく、原作と『オメガマン』両方の性質を持つ内容となっている。ウィル・スミス演じる主人公ネビルは『オメガマン』と同じく科学者に設定されており(原作のネビルは工場労働者)、ただ事態に翻弄されるのではない、原因究明の使命を帯びたキャラクターを受け継いでいる。また過去回想のインサートによって、ネビルの背景と感染パニックの起点が明らかになる構成は原作に準拠したものだ。 いっぽう『オメガマン』からの変更点は時代設定のほか、人類がウイルス感染し、吸血鬼症を引き起こす原因が同作とは異なっている。前者は製作年度よりもやや先の2012年が舞台となり(『オメガマン』の時代設定は1977年)、そして後者は癌の治療薬として有効視されていた新型ウイルスが、抑制不能の伝染性ウイルスに変化したため引き起こされたものと改められた(『オメガマン』では中ソ戦争での生物兵器使用が原因)。 それにともない感染者の容姿や症状にも、著しい変化がもたらされている。『オメガマン』では感染者は肌の色素を失い、視力の退化した新種のミュータントと化し、自分たちの生存権を主張していた。しかし『アイ・アム・レジェンド』の感染者は「ダーク・シーカー」と呼ばれ、本能的に人を襲う凶暴な夜行性肉食生物として描かれている。その変化は「コミュニケーションのとれない外敵」という性質をおのずと強いものにし、9.11同時多発テロ以降のハリウッド映画らしい、姿なきテロリズムを暗喩したものになっている。 そして過去の映画化作にはない『アイ・アム・レジェンド』固有の特徴として、主人公ネビルの「孤独」を強調する演出が挙げられる。怪物化した感染症者との戦いもさることながら、地上から自分以外の人間が消え、ネビルは自律によって理性を保ち、近代文明から切り離された極限状態での生存を余儀なくされていく。マシスンの原作は、こうした孤独との葛藤を緻密に綴ることで、シチェーションそのものが持つ恐怖をとことんまで追求し、そして後半部の驚くべき展開への布石として機能させている。こうした原作に対する細心の配慮が、原作の根強い支持者だけでなく『オメガマン』に批判的だったマシスンの信頼をも取り戻していくのである。 ■徹底した封鎖措置と、デジタルの駆使によるニューヨークの廃墟化 そんなネビルの孤独を引き立たせるため、本作は無人となって廃墟化した市街地のシーンに創造の力点が置かれている。『オメガマン』では、この都市が無人化するインパクトのある場面を、舞台となるロサンゼルスで撮影。歩行者の少ない休日のビジネス街を中心にゲリラ撮影をおこない、効果的なショットの数々を生み出した。『アイ・アム・レジェンド』もこのアプローチにならい、作品の舞台であるニューヨーク市で実際にロケ撮影が行なわれている。ただ異なるのはその規模と方法で、こちらは南北は五番街を挟んだマディソン街と六番街の間、そして東西は49丁目から57丁目の間で歩行者と車の交通を完全に遮断し、人が一人として存在しない同シチェーションを見事に視覚化したのだ。ネビルを演じたウィル・スミスは、当時の撮影状況を以下のように振り返っている。「一生かけても無人のニューヨークなんて目にすることは絶対にないからね。あれはパワフルな光景だった。五番街の一角を無人にしたとき、僕たちは前例のないことをやっているんだということを痛感したよ」(*1) このようにして得た廃墟のショットを、本作はさらにデジタルで修正し加工することで、映画は無人となった都市の景観が、経年によってどのように変貌していくのかをシミュレートしたものにもなっている。本作のプロデュースと脚本を兼任したアキヴァ・ゴールズマンは、なによりそのモチベーションが『オメガマン』にあったのだと、同作への対抗意識をあらわにしている。「ロサンゼルスと違って、ニューヨークは24時間ひっきりなしに人が動いている。そんな場所で無人のゴーストタウンを作り出すなんて、それだけで挑戦的な価値があるといえるね」(*2) リメイクの話が幾度となく出ては消える、そんなサイクルが常態化していた『アイ・アム・レジェンド』の映画化は、まさに作り手の企画に対する情熱的な思いと、映画技術の熟成こそが突破口を開けたのだ。 ■リドリー・スコット×シュワルツェネッガー版『アイ・アム・レジェンド』の幻影 そもそも『アイ・アム・レジェンド』は、本来ならば1990年代の中頃には完成が予定されていたものだ。当時アクション映画のトップスターだったアーノルド・シュワルツェネッガーが主演し、『エイリアン』(79)『テルマ&ルイーズ』(91)の巨匠リドリー・スコットが監督する形でプロジェクトが進んでいたのである。 リドリーはこの『アイ・アム・レジェンド』を『G.I.ジェーン』(97)の直後に手がけるつもりで、ワーナーとシュワルツェネッガー側からマーク・プロトセヴィッチ(『ザ・セル』(00))による脚本と、ジョン・ローガン(『ラストサムライ』(03)『007 スカイフォール』(12))による改訂稿を受け取っていた。リドリーは監督のオファーを承諾。その理由は意外なことに「アーノルドと一度仕事をしてみたかった」からだったという。 リドリーはローガンの改訂稿をもとにプロジェクトに着手。同稿はストーリーの流れがプロトセヴィッチの脚本(実際に映画化されたものはアキヴァ・ゴールズマンがこれを改訂)にほぼ近いが、ネビルの職業は科学者ではなく建築家で、また物語の後半、ネビルと、そして“カシーク”と名付けられた感染症者のリーダーとの壮絶な戦いが中心になっている。これは奇しくもリドリーの代表作『ブレードランナー』(82)における、デッカードとレプリカント・ロイとの異種同士の戦いを彷彿とさせ、図らずも同作を反復する刺激的な内容になっている。それでなくとも『アイ・アム・レジェンド』はリドリーの『ブレードランナー』以来のSF映画として、ファンの期待も相当に大きかったのだ。 しかし、予算計上が1億ドルを超えたあたりでワーナーは企画の進行に難色を示し、プロジェクトは暗礁に乗り上げた。シュワルツェネッガーの高額のギャラに加え、ロサンゼルス(企画時点での舞台設定)を封鎖して撮影をするという計画は、費用対効果の面で懸念の対象となったのだ。加えて当時はデジタル技術も過渡期にあり、物理的に廃墟を作り出すことを中心にする以外にない。同様の理由で吸血鬼症の感染者の表現も課題として、シュワルツェネッガー版の障害として立ちはだかった。リドリーの演出プランでは感染者は常時、皮膚を紫外線から隠すためにベドウィン(アラブの遊牧民族)のような外装をしていたが、実際に映画化されたクリーチャーに近いプロダクションデザインがなされ、その映像化にも多くの予算が費やされるであろうことが予測されたのだ。 とはいえ、このシュワルツェネッガー版、かなり長期にわたりプリプロダクション(撮影前の準備)がおこなわれていたようで、筆者(尾崎)が2000年代のリドリー・スコット作品の編集にたずさわった横山智佐子さんに取材したさい、編集室にひょっこりシュワルツェネッガーが顔を出すことがあったと語っていた。そのさいシュワは守秘義務などどこ吹く風で「今度リドリーと『アイ・アム・レジェンド』をやるんだよ、ガハハハハ!」と自慢げに話していたというから、本人もさぞや乗り気だったのだろう。ちなみに改訂稿にはネビルが葉巻を好むなど、実際のシュワルツェネッガーを想定して執筆したような痕跡が見られる。それだけシュワ自身としても肝煎りの企画だっただけに、個人的心情としては彼のバージョンも観てみたかった気がする。 ■シュワルツェネッガー版に異を唱えたギレルモ・デル・トロ ところが、もう一人『アイ・アム・レジェンド』の監督に名乗りをあげた人物は、こうしたシュワルツェネッガーのキャスティングに異を唱えている。人間と半魚人との恋を描いた『シェイプ・オブ・ウォーター』(17)で、後にアカデミー賞を手中にするギレルモ・デル・トロだ。 ギレルモは当時、長編デビュー作『クロノス』(93)を完成させ、ジェームズ・キャメロン(『タイタニック』(97)『アバター』(09)監督)の米国での支援を受けながら、メジャーデビューへの糸口を探っていた。そして同作のために収集した吸血鬼の研究素材を『アイ・アム・レジェンド』に活かし、同作を企画中のワーナーに自ら監督の売り込みをかけたのだ。しかし既にシュワルツェネッガー主演で企画が検討されていることを知ったギレルモは、そのキャスティング案に違和感を覚え、マシスンの原作の精神に反するとワーナーの担当者に説いたという。彼は言う。「マシスンの原作は、普通の男が感染者たちから伝説として恐れられるところに意味を持たせている。シュワルツェネッガーの超人的なイメージは、それに合致するものとは思えないよ」(*3) これらのリジェクト(却下された)企画に対し、実際に完成した『アイ・アム・レジェンド』以上に解説を費やした気もするが、その存在の正当性を示すには、背後に消えたものが何よりも強く声を放つことがある。とはいえジョン・ローガンの改訂稿にあった鹿の群れと遭遇する場面や、ネビルが罠に足をとられてしまう展開などは完成版でも引き継がれているし、リドリー・スコットはローガンと共に、SFに向けていた創作の熱意を古代ローマへと舵修正し、英雄史劇『グラディエーター』(00)という一大成果を生んだ。そしてギレルモ・デル・トロは、温めていた『アイ・アム・レジェンド』のアイディアを『ブレイド2』(02)に活かし、型破りで新しいヴァンパイアヒーローのさらなる洗練に成功している。そしてギレルモの危惧したネビル像は、アクションスターではあるが自然な演技感覚を持つウィル・スミスにより、理想的な形で具体化されたといっていい。 当人たちにはたまったものではないだろうが、こうしてリジェクト企画を振り返るのも、作品を知るうえで決して後ろ向きな行為ではないのだ。■