COLUMN/コラム2021.01.04
ダリオ・アルジェントの代表作にしてイタリアン・ホラーの金字塔『サスペリア』
日本でも社会現象となった大ヒット作
イタリアン・ホラーの巨匠ダリオ・アルジェントの名刺代わりというべき代表作であり、恐らくイタリア映画史上、最も世界的な成功を収めたホラー映画であろう。イタリアを皮切りに公開されたのは1977年。ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』とスティーブン・スピルバーグの『未知との遭遇』によって空前のSF映画ブームが巻き起こり、ジョン・トラヴォルタ主演の『サタデー・ナイト・フィーバー』でディスコ・ブームが頂点に達した年である。改めて振り返ると凄い一年であったと言えよう。
もともとホラー映画があまり一般受けしないイタリア本国で大ヒットしたのは勿論のこと、ここ日本でも「決してひとりでは見ないでください」という秀逸なキャッチコピーの効果もあってたちまち社会現象に。アメリカでは20世紀フォックスが配給権を獲得したものの、血みどろの残酷描写が問題視されるのを恐れたらしく、即席で立ち上げたペーパー会社インターナショナル・クラシックスで配給することとなり、盲目のピアニストが盲導犬に喉元を食いちぎられるシーンなど約8分の映像をカットしたうえで劇場公開したが、こちらもフォックスの予想を遥かに上回る興行成績を記録し、気を良くした同社はアルジェントの次回作『インフェルノ』(’80)に出資することとなる。
アルジェント監督のターニングポイントに
そんな本作は、それまで一連のジャッロ映画で鳴らしたアルジェント監督が、初めてスーパーナチュラルなオカルトの世界に挑戦することで、独自の映像美学をとことんまで極めたターニングポイント的な作品でもあった。ジャッロ(日本ではジャーロと表記されることもあるが、本稿では原語の発音に近いジャッロで統一する)とは、’70年代に一世を風靡したイタリア産猟奇サスペンス・ホラーのこと。本来はイタリア語で“黄色”を意味するのだが、昔からイタリアではペーパーバックで売られる犯罪スリラー小説の表紙が黄色に装丁されていたため、いつしか犯罪スリラーのジャンル全体をジャッロと呼ぶようになった。
そのジャッロ映画ブームの口火を切ったのが、アルジェント監督の処女作『歓びの毒牙(きば)』(’70)。女性ばかり狙う連続殺人鬼の正体を追うアメリカ人作家をスタイリッシュな映像美で描いた典型的なジャッロ映画なのだが、これが全米興行収入ランキングで1位という誰も想像しなかったような大ヒットを記録したことから、イタリア中の映画会社がこぞって似たようなジャッロ映画を量産するようになる。アルジェント自身も『わたしは目撃者』(’71)に『4匹の蠅』(’71)とジャッロ映画の秀作を連発。畑違いの歴史ドラマに挑んだ『ビッグ・ファイブ・デイ』(’74)が大コケした後、『サスペリアPART2』(’75・日本では『サスペリア』の大ヒットを受け、勝手に続編と銘打って劇場公開)でジャッロの世界へ戻ったアルジェントは、いい加減に猟奇サスペンス・ホラーの世界から足を洗おうと考える。恐らく、ジャッロ映画の最高峰とも呼ばれる『サスペリアPART2』を以てして、彼としてはやり尽くしてしまった感があったのだろう。
やはり本作でひときわ目を引くのは、けばけばしい極彩色と壮麗な美術セットによって表現された、一種異様なまでに幻惑的なゴシック映像美であろう。さながら、アルジェントのダークでディープなイマジネーションから生まれた悪夢のような異世界。冒頭、ニューヨークからドイツへと到着したスージーは、空港の自動ドアを出た瞬間から、さながら「不思議の国のアリス」の如く、世にも奇妙で残酷で恐ろしいアルジェント・ワールドへと足を踏み入れるのだ。そこでは、全ての事象がアルジェント流のロジックで展開する。そもそも、アルジェント作品は処女作『歓びの毒牙(きば)』の頃からそうした異空間的な傾向が少なからずあり、ストーリーはあくまでも彼の思い描くビジョンをスクリーンに現出させるためのツールに過ぎなかったりするのだが、本作ではオカルトという非現実的かつ非日常的なテーマを手に入れたことによって、その独創的なアルジェント・ワールドを究極まで突き詰めることが出来たと言えるだろう。
中でもアルジェントがこだわったのは、往年のテクニカラー映画を彷彿とさせる鮮烈な色彩。特にディズニー・アニメ『白雪姫』(’37)は、アルジェントと撮影監督ルチアーノ・トヴォリにとって重要なお手本となった。ミケランジェロ・アントニオーニやマルコ・フェレーリ、モーリス・ピアラとのコラボレーションで知られるトヴォリは、もともと日常的なリアリズムを大切にするカメラマンで、なおかつホラー映画には全く関心がなかったため、本作のオファーを受けた当初は大いに戸惑ったそうだが、アルジェントの熱心な説得で引き受けることにしたという。当時既にテクニカラーは時代遅れとなり衰退してしまっていたが、アルジェントの要望に応えるべくトヴォリは発色に優れた映画用フィルム、イーストマン5254を使用。ただし、手に入ったのはテキサスの倉庫に保管されていた40巻のみだったため、現場では各シーンを2テイクまでしか撮影できなかったという。
さらに、照明の基本カラーを三原色の赤・青・緑に指定し、シーンに合わせて黄色などの補色を使用。通常の映画撮影ではあり得ないほど強い照度のカラー照明を、俳優などの被写体のすぐ近くに寄せて当てたのだそうだ。シャープな輪郭を強調するため、照明のディフューザーやカメラのフィルターレンズは不使用。そうして撮影されたフィルムは、当時テクニカラー社のローマ支社に唯一残されていたテクニカラー・プリンターでプリントされた。その仕上がりと完成度はまさに驚異的。同じように原色のカラー照明を多用した撮影は、イタリアン・ホラーの父と呼ばれる大先輩マリオ・バーヴァ監督が『ブラック・サバス 恐怖!三つの顔』(’63)や『モデル連続殺人!』(’64)などで既に実践しているが、本作はその進化形と呼んでもいいかもしれない。
強い女性ばかりが揃ったメイン・キャスト
なお、もともとヒロインのスージー役にはダリア・ニコロディが想定されていたものの、彼女が主演ではアメリカのマーケットで売れないと映画会社に判断され、アルジェントがブライアン・デ・パルマ監督の『ファントム・オム・パラダイス』(’74)を見て気に入っていたジェシカ・ハーパーに白羽の矢が立った。当時、ジェシカはウディ・アレンの『アニー・ホール』(’77)の脇役をオファーされていたが、エージェントからの勧めもあって『サスペリア』を選んだという。その親友となるサラ役には、恋人だったベルナルド・ベルトルッチ監督の『1900年』(’76)でロバート・デ・ニーロとジェラール・ドパルデューを相手に3Pシーンを演じたステファニア・カッシーニ。性格の悪いオルガ役を演じているバーバラ・マニョルフィは、晩年のルキノ・ヴィスコンティがお気に入りだった美形俳優マルク・ポレルの奥さんだった人だ。
『サスペリア』©1977 SEDA SPETTACOLI S.P.A ©2004 CDE / VIDEA