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PROGRAM/放送作品
太陽がいっぱい
背徳の完全犯罪の行方は?美青年アラン・ドロンを世界的スターに押し上げた不朽の名作サスペンス
『禁じられた遊び』の名匠ルネ・クレマンがパトリシア・ハイスミスの小説を映画化。当時無名ながら主役に抜擢されたアラン・ドロンが、美貌の裏に陰を秘めた貧乏青年を熱演。ニーノ・ロータのテーマ曲も印象的。
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COLUMN/コラム2020.04.21
“遊び”の要素に満ちた、香り高い男の世界を、名匠ルネ・クレマンが独自のムードで描くロマンティック・ノワール!
『狼は天使の匂い』、監督はフランスの巨匠ルネ・クレマン。ギターで誰でも練習した『禁じられた遊び』(52年)、アラン・ドロンを世界的スターにした『太陽がいっぱい』(60年)のクレマン監督の知られざる傑作が『狼は天使の匂い』です。 主人公トニー(ジャン=ルイ・トランティニャン)は、フランス人のジャーナリストですが、取材で乗っていたヘリコプターが、ロマ(昔でいう“ジプシー”)の村に墜落して、少女を殺してしまいます。ロマは一族の掟で復讐のためトニーの命を狙い、トニーはカナダのフランス語圏モントリオールまで逃げます。そこで偶然知り合ったギャング団の仲間になっていきます。ギャング団のボス、チャーリーを演じているのはハリウッドの名脇役ロバート・ライアン。『ワイルドバンチ』(69年)が素晴らしかったですね。彼らギャング団は、ある事件の証人となる女性の誘拐を請け負います。 そう聞くとハードなサスペンス映画みたいですが、そうじゃない。この映画、まるで夢を見ているような「お伽話」として作られているんですね。『不思議の国のアリス』がモチーフになっています。 僕は公開当時、小学6年生くらいで、凄く感動したのは、子供の話から始まるからなんです。冒頭に、気の弱そうな男の子がいじめっ子たちに絡まれるプロローグがついているんですが、その子と同年代だった僕にはそれがリアルだったんです。 脚本はセバスチャン・ジャプリゾ、邦訳もあるミステリ作家ですが、脚本家としてもアラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンの『さらば友よ』(68年)や、やはりブロンソン主演でクレマン監督作の『雨の訪問者』(70年)などがあります。ジャプリゾの脚本には、ある特徴があります。それは他愛のない“ゲーム”のシーンが必ず入ってること。『狼は天使の匂い』でもゲームは非常に重要なものなので、注意して観て下さい。 この『狼は天使の匂い』は『不思議の国のアリス』で始まり、『不思議の国のアリス』で終わります。『アリス』は少女の夢ですが、本作は少年のような心を持ったヤクザな男たちの夢ですね。 彼らの子供っぽさを象徴するのがゲームです。ギャングの仲間に入れてもらえないトニーは、タバコを3本を縦に積み上げるゲームでギャングたちの尊敬を勝ち取ります。もうひとつ、ギャングたちは“丸めた紙くずを植木鉢に入れる”ゲームもします。これらは何を意味しているかというと、彼らにとっての犯罪は金のためじゃなく“遊び”なんだよと。禁じられているからこそ、その“遊び”をするんだということで、クレマン監督の『禁じられた遊び』にもつながってくるんですよ。 『狼は天使の匂い』ではアルド・レイもいい味出してますね。ガキ大将がそのまま大きくなったような大男で、『暴力脱獄』(67年)のジョージ・ケネディ的なグッド・バッドガイ。『ヒート』(95年)のトム・サイズモアの原型ですね。 これに非常に強い影響を受けたのが香港のジョニー・トー監督です。彼の『ザ・ミッション非情の掟』(99年)では、暗黒街のガンマンたちが無言で紙くずサッカーすることで絆を固め、『エグザイル/絆』(06年)でも、空き缶を撃ち続ける遊びがギャングたちの子どもっぽい友情を表現しています。『エグザイル/絆』のギャングたちは記念写真を撮るんですが、それも『狼は天使の匂い』からの引用です。 『狼は天使の匂い』という邦題は、狼のようなアウトローたちが実は天使のように純粋無垢だという意味を詩的に表していて素晴らしいと思います。 (談/町山智浩) MORE★INFO. ●映画はデヴィッド・グーディスのノワール小説「Black Friday」を、作家で脚本家のセバスチャン・ジャプリゾがルネ・クレマン監督のために脚本化。しかし、小説は設定だけを借りたジャプリゾのほとんどオリジナル。これをジャプリゾ自らがノヴェライズした『ウサギは野を駆ける』が映画公開時に翻訳され、原作は約30年後の2003年に映画と同じ『狼は天使の匂い』(早川書房)の題名で翻訳された。 ●日本公開時は英語吹替の99分版で上映された。オリジナル完全版は140分。 ●当初ボスのチャーリー役はリー・マーヴィンにオファーされたが、マーヴィンの推薦で友人でもあるロバート・ライアンに決定した。 ●ポールの妹ペッパー役は当初フランク・シナトラの娘クリスティーナが候補に挙げられていたが、ミア・ファローの妹ティサ・ファローに決まった。 ●冒頭のお菓子を食べる少女は、映画デビューとなるエマニュエル・ベアール(ノンクレジット)。
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PROGRAM/放送作品
(吹)太陽がいっぱい 【ゴールデン洋画劇場版】
背徳の完全犯罪の行方は?美青年アラン・ドロンを世界的スターに押し上げた不朽の名作サスペンス
『禁じられた遊び』の名匠ルネ・クレマンがパトリシア・ハイスミスの小説を映画化。当時無名ながら主役に抜擢されたアラン・ドロンが、美貌の裏に陰を秘めた貧乏青年を熱演。ニーノ・ロータのテーマ曲も印象的。
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COLUMN/コラム2019.09.08
最強のパパが愛する妻子を守り抜くチャールズ・ブロンソン版『96時間』
恐らく50代以上の日本人にとって、チャールズ・ブロンソンといえば「マンダム」。’70年に放送の始まった男性用化粧品「マンダム」のテレビCMは、アラン・ドロンと共演したフランス映画『さらば友よ』(’68)で日本の映画ファンを魅了したブロンソンをモデルとして起用し、一躍社会現象になるほどの大反響を巻き起こした。CM中でブロンソンの呟く「う~ん、マンダム」のセリフは子供の間でも流行語に。ちょうどこの時期、ヨーロッパでもブロンソン人気が過熱し、フランスやイタリアの映画界で引っ張りだこの大スターとなる。それらの主演作は、日本でも次々と輸入されてヒットした。そんなチャールズ・ブロンソン・ブームの全盛期に公開された映画のひとつが、この『夜の訪問者』(’70)である。 舞台は避暑地として有名なフランスのコートダジュール。観光客向けにボートをレンタルしているアメリカ人の船乗りジョー(チャールズ・ブロンソン)は、聡明で美しい妻ファビアン(リヴ・ウルマン)と可愛い娘ミシェル(ヤニック・ドリュール)に恵まれ、平凡だが満ち足りた生活を送っている。時おり夜中に悪夢でうなされることもあったが、それは朝鮮戦争に従軍した時の悲惨な経験が原因だとファビアンは思っていた。ある一本の電話がかかってくるまでは…。 それはいつものように、ジョーが船乗り仲間と酒や博打を楽しんで帰宅した晩のこと。娘ミシェルは学校のキャンプで外泊中だった。ファビアンの小言をジョーが苦笑いしながら聞いていると、そこへ一本の「お前を殺す」という不気味な電話がかかってくる。顔色を変えて受話器を置いたジョーは、すぐに実家へ帰るようにと妻へ指示。しかし、家の中で不気味な物音が響く。2階の寝室で隠れているように言われたファビアンだったが、ジョーが誰かと激しく揉み合っているような音を聞き、心配になって恐る恐る1階のキッチンへと降りてくる。すると、気を失って倒れている夫の横に、拳銃を手にした見知らぬ男が立っていた。 男の名前はホワイティ(ミシェル・コンスタンタン)。どうやらジョーとは旧知の仲のようだ。意識を取り戻したジョーは、隙を見てホワイティに襲いかかり、首の骨をへし折って殺してしまう。状況がまるで呑み込めず、夫に問いただすファビアン。そんな彼女にジョーは、長年隠してきた過去の秘密を打ち明ける。 軍隊時代に上官を殴った罪で投獄された彼は、刑務所でロス大尉(ジェームズ・メイソン)とその子分であるホワイティ、ファウスト(ルイジ・ピスティッリ)、カタンガ(ジャン・トパール)と知り合う。彼らは賄賂や密売の罪で逮捕された汚職軍人たちだった。運転の腕前をロス大尉に見込まれたジョーは、彼らの脱獄計画に力を貸すことに。しかし、たまたま鉢合わせた見回りの警官をカタンガが殺害したことから、これに強く憤ったジョーは自分だけ独りで逃走し、残されたロス大尉たちは捕まってしまった。刑期を終えて釈放された彼らが、いつか自分を見つけ出して復讐に来るかもしれない。ジョーが悪夢にうなされていた本当の原因はそれだったのである。 ファビアンの協力でホワイティの死体を海へ棄てたジョー。しかし、自宅へ戻るとロス大尉とファウスト、カタンガの3人が待ち受けていた。彼らの狙いはジョーへの復讐ではなく、当時の借りを返してもらうこと。つまり、自分たちの新たな犯罪計画に協力させることだった。妻と娘を人質に取られたことから、ロス大尉の要求を呑まざるを得なくなるジョー。だが、黙って命令に従うような男じゃない。ずば抜けた知性と俊敏な戦闘能力を駆使し、巧妙に敵の隙を突いて空港へ向かったジョーは、仲間と合流するため到着したロス大尉の愛人モイラ(ジル・アイアランド)を拉致し、妻や娘との人質交換を申し出るのだが、思いがけない事態が起きて窮地に追い込まれてしまう…。 実はテレビドラマ化もされていた! ずばり、これはチャールズ・ブロンソン版『96時間』。一見したところ普通のお父さんだけど実は最強の元兵士という主人公ジョーのキャラは、『96時間』シリーズでリーアム・ニーソンの演じたブライアン・ミルズのルーツみたいなものだろう。まあ、ブロンソンの場合はTシャツの半袖から覗く筋骨隆々な腕を見ただけで、こりゃタダモノじゃないぞとバレてしまうのだが(笑)。それにしても撮影当時のブロンソンは49歳。無駄な贅肉を削ぎ落とした見事な筋肉美は、さすが子供の頃から炭鉱労働で鍛えまくっただけのことはある。しかも、本人だって実際に第二次世界大戦で従軍した元兵士。臨戦態勢に入った時の顔つきからして違う。しかも、渋くて枯れた大人の男の色気がダダ洩れ。これこそがブロンソンの魅力であり醍醐味だ。 原作はリチャード・マシスンが’59年に出版した中編小説『夜の訪問者』。実はこの作品、著者であるマシスンの脚色によって、約1時間のテレビドラマとして映像化されたことがある。それが、’62年に放送された『ヒッチコック・サスペンス』(『ヒッチコック劇場』のリニューアル版)シーズン1の第11話「Ride the Nightmare」(邦題未確認)である。そのストーリーを簡単にご紹介しよう。 物語の舞台は原作と同じアメリカのカリフォルニア。郊外の住宅地に暮らす中流階級の夫婦クリス(ヒュー・オブライアン)とヘレン(ジーナ・ローランズ)のもとに、ある晩一本の電話がかかってくる。「お前を殺す」という相手の言葉に戦慄し、家中の電気を消して窓のブラインドも下ろし、じっと息を潜める2人。すると、キッチンの窓から一人の男が乱入する。フレッド(ジェイ・レイニン)という侵入者は、クリスのことを知っている様子だった。やがてクリスとフレッドは揉みあいになり、相手の拳銃を奪ったクリスはフレッドを射殺する。 困惑するヘレンに今まで隠していた暗い秘密を打ち明けるクリス。今から15年前、当時19歳だったクリスは父親との不仲で非行に走り、悪い仲間たちとつるんでいた。ある時、仲間たちの宝石店強盗に加わったクリスは、店の外で車に乗って待機していたところ、防犯アラームが鳴って警官が現場へ駆け付ける。怖くなったクリスはそのまま一人で逃走。後になって仲間たちが店主を殺して逮捕されたことを知り、自らも指名手配されていることから、名前を変えてカリフォルニアへ逃げてきたのである。 新聞記事によると、かつての仲間アダム(ジョン・アンダーソン)とスティーヴ(リチャード・シャノン)、そしてフレッドの3人は刑務所を脱獄したらしい。正当防衛とはいえフレッドを殺したクリスは、警察に自首しようとするものの、そこでヘレンが反対する。そうなれば15年前の罪で逮捕されることは免れないからだ。深夜にフレッドの死体を処分した2人。すると、その翌日アダムとスティーヴがクリスの前に現れ、ヘレンを人質にして4万ドルの逃走資金を要求する。約束の時間までに現金を用意せねば妻は殺されてしまう。すぐに銀行へ向かうクリスだったが、しかしお節介な隣人や規則にうるさい銀行員などに邪魔されてしまい、刻一刻と制限時間が迫りくるのだった…。 原作をコンパクトにまとめたというドラマ版は、言うなれば過去の封印された罪と向き合わねばならなくなった男の因果応報な物語。大雑把な筋書きは『夜の訪問者』とほぼ一緒だが、ストーリーの趣旨はだいぶ異なる。ブロンソン版の脚色にはジャック・ベッケル監督の傑作ギャング映画『現金(げんなま)に手を出すな』(’54)の原作・脚本で有名な、フランスの犯罪小説家アルベール・シモナンが参加しており、やはりギャング映画的な側面が強調されていると言えよう。 演出を手掛けたのは初期007シリーズの監督としても知られるテレンス・ヤング。前半では『暗くなるまで待って』(’67)にも通じる閉鎖空間での心理サスペンス的な語り口でスリルを盛り上げつつ、後半はダイナミックなアクションでスケールを広げていく。中でも、終盤のカーチェイス・シーンは見もの。カースタントをロジャー・ムーア版007シリーズで有名なスタントマン、レミー・ジュリアンが担当しているのも興味深い。本作がブロンソンとの初タッグだったヤングは、その後も『レッド・サン』(’71)や『バラキ』(’72)でブロンソンとコンビを組むことになる。 ちなみに、冒頭で述べた通り、日本やヨーロッパにおけるブロンソン・ブームの真っただ中で公開された本作だが、その一方でアメリカでは『狼よさらば』が大ヒットする’74年までお蔵入りになっていた。そもそも、ヨーロッパでのブロンソン主演作の大半が、アメリカで公開されたのは1~2年遅れ。国外でのブームがアメリカ本国へと逆輸入されるまで、それなりにタイムラグがあったのである。ブロンソンのハリウッド凱旋復帰作は『チャトズ・ランド』(’72)。以降、『メカニック』(’72)や『シンジケート』(’73)などで着実にヒットを重ね、『狼よさらば』の大成功によって、ようやくアメリカでもブロンソン・ブームが巻き起こったというわけだ。■ 『雨の訪問者』© 1970 STUDIOCANAL - Medusa Distribuzione S.r.l.
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PROGRAM/放送作品
パリは燃えているか
ナチス占領下のパリを解放するためレジスタンスが立ち上がる!仏米オールスターキャストで描く戦争大作
巨匠ルネ・クレマン監督がアラン・ドロンら豪華キャストを集めて描いた戦争大作。当時のニュース映像を用いたリアルなドキュメンタリー・タッチも秀逸。若きフランシス・フォード・コッポラが脚本に参加している。
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COLUMN/コラム2019.04.30
巨匠ルネ・クレマンと俳優アラン・ドロンのターニング・ポイントとなった犯罪ミステリー
※下記レビューには一部ネタバレが含まれます。本作を未見の方はご注意ください。 ヌーヴェルヴァーグの波が大きなうねりとなって席巻した、’50年代末から’60年代のフランス映画界。旧世代の巨匠・名匠たちの多くが、第一線を退いたり低迷を余儀なくされる中、この過渡期を見事に切り抜けた数少ない戦前・戦中派の一人がルネ・クレマンだった。映画監督になるためには助監督として長いこと修業を積むのが当たり前だった時代、既に学生の頃から16ミリフィルムで実験映画を撮っていた彼は、’34年に映画界入りしてからも下積みの経験は殆どなく、すぐに短編ドキュメンタリーの監督として実績を積むようになる。そして、ナチス占領下のフランスにおける鉄道員たちのレジスタンス活動をセミ・ドキュメンタリー・タッチに描いた長編処女作『鉄路の闘い』(’45)でカンヌ国際映画祭の監督賞と国際審査員賞を獲得。カンヌでの受賞時は33歳。同世代の映画監督に比べると10年は早い最初の成功だった。 さらに、『鉄格子の彼方』(’49)ではカンヌの監督賞を再び獲得し、米アカデミー賞の外国語映画賞も受賞。『禁じられた遊び』(’52)でも2度目のオスカーに輝き、ヴェネツィア国際映画祭のグランプリ(金獅子賞)まで受賞するなど、40歳を前にしてフランスを代表する世界的な巨匠の仲間入りを果たす。しかし、’54年に後のヌーヴェルヴァーグの旗手フランソワ・トリュフォーが映画雑誌『カイエ・ドゥ・シネマ』に掲載した論文「フランス映画のある種の傾向」が、クレマンのキャリアと名声に少なからず暗い影を投げ落とす。この論文でトリュフォーは、当時の旧態依然としたフランスの商業映画を厳しく批判し、ジャン・ルノワールやジュリアン・デュヴィヴィエ、クロード・オータン=ララ、マルセル・カルネといった巨匠たちを否定した。その中に、彼らよりひと回り以上も若いクレマンも含まれていたのだ。 以降も『しのび逢い』(’54)や『居酒屋』(’57)などの作品をヒットさせたクレマンだったが、しかしその一方で、若い世代の映像作家や観客からは時代遅れな旧世代の監督と見なされるようになる。そんな彼が汚名挽回とばかりに、詩的リアリズムの伝統を受け継いだそれまでの作風から脱却し、高度経済成長期のヨーロッパに蔓延する虚栄と退廃、快楽主義と物質主義の世相を、ヌーヴェルヴァーグの時代に相応しいモダンなセンスで描いた犯罪ミステリー。それが『太陽がいっぱい』(’60)だったと言えよう。 原作はアメリカの女流ミステリー作家パトリシア・ハイスミスが’55年に発表した、代表作トム・リプリー・シリーズの第1弾『リプリー』。貧しい労働者階級のアメリカ人青年トム・リプリー(アラン・ドロン)は、大富豪の御曹司である友人フィリップ・グリーンリーフ(モーリス・ロネ)をアメリカへ連れ戻すため、フィリップの父親に雇われてイタリアのローマへ向かう。しかし、ヨーロッパで放蕩三昧の生活を楽しむフィリップに帰国の意思はなく、いつまでもトムを連れ回して遊びほうけるばかり。このままでは5000ドルの報酬にありつけない。なんとか彼のご機嫌を取ろうとするトム。しかし自分のことを雑用係も同然に扱うフィリップの尊大な態度に業を煮やした彼は、やがてある計画を思いつき実行に移す。それは、フィリップを殺して彼に成りすまし、その莫大な財産を横領するという大胆不敵な完全犯罪だった。 第二次世界大戦で本土が一度も戦場とならなかったアメリカが、未曽有の経済的繁栄を享受した’50~’60年代。そのアメリカによる経済援助のおかげもあって、激しい戦火に見舞われた西欧主要国も当時は奇跡的な高度経済成長期を迎えていた。まさしく『甘い生活』(’60)の時代である。ただ、その物質主義的で退廃した狂乱の世相を、フェリーニが傍観者であるジャーナリストの目から俯瞰して描いたのに対し、ほぼ同時期に作られた本作では「持てる者と持たざる者の格差」に焦点を当てつつ、今も昔も社会の大多数を占める「持たざる者」の若者トム・リプリーによる屈折した復讐劇が展開していく。 たまたま富裕層に生まれただけのフィリップがいい思いをして、なぜ自分ばかりがこき使われ辱めを受けなければならないのか。美しくも野心的で計算高い若者トムは必ずしも好人物とは言えないものの、しかしその一方で、親の財力を笠に着て我がまま放題に振舞うフィリップに対する彼の不満と憤りは、観客の共感を呼ぶに十分な説得力があると言えるだろう。 このトム・リプリー役を演じるアラン・ドロンが素晴らしい。まるで彫刻のように完璧な美貌と少年のように無邪気な笑顔の裏に、動物的な狡猾さと歪んだナルシシズムを秘めた危険な若者。灼熱の太陽のもと、地中海の洋上に浮かぶヨットの上でフィリップを躊躇することなく殺害した彼は、その後も良心の呵責に苛まれることなど一切なく、淡々と冷静沈着に完全犯罪計画を実行していく。かといって悪人というわけでもない。計画に気付いたフィリップの友人フレディ(ビル・カーンズ)を衝動的に殺した直後、平然とオーブンから取り出したチキンの丸焼きを夢中で貪り食うその姿は、善悪の概念に縛られることのないアンチヒーローという意味において、ゴダールの『勝手にしやがれ』(’60)のジャン=ポール・ベルモンドと双璧だ。 そんな主人公トムの本能的な残酷さと冷徹さを、ルネ・クレマンは肯定も否定もすることなく描いていく。ラストに彼を待ち受ける運命についても、恐らく警察に捕まって罰を受けるであろうことを匂わせつつ、しかしあえて解釈の余地を残して幕を閉じる。なにしろ、それまでも動物的な生存本能で危機的な局面を幾度も切り抜けてきた彼のこと、いくらでも逃げ切る可能性はあるだろう。事実、原作のトムは罪に問われることなく完全犯罪を成し遂げ、クレマンも当初はトムがギリシャへと逃げおおせる結末を想定していた。しかし、さすがにそれでは観客が納得しないだろうと、製作者アキム兄弟の助言によって、とりあえずギリギリでモラルの境界線を守った完成版のエンディングに落ち着いたらしい。これはこれで賢明な判断だと思うが、もう一つのエンディングも見てみたかった気がする。 そのアキム兄弟の推薦で脚本に参加したのが、当時クロード・シャブロルの『二重の鍵』(’59)で注目されていたポール・ジェゴフ。撮影監督にはシャブロルやトリュフォー、ルイ・マルの作品でお馴染みのアンリ・ドカエが起用された。この面子だけでも、クレマンとアキム兄弟がヌーヴェルヴァーグ世代を強く意識していたことは明らかだろう。 それだけでなく、クレマンは本作でヌーヴェルヴァーグ的な即興演出も多用している。例えば、フィリップ殺害後にトムが死体を処分しようとしたところ、急な天候の悪化でヨットが強風に見舞われるシーン。これは撮影中にたまたま天候が急変したことから、ああいう形になったという。激しい波と強風に煽られながら、トムが懸命になってヨットを操縦するロングショットは、アラン・ドロン一人だけを船上に残して撮影されたもの。クルーと共に大型船へ避難したクレマンは、無線を通して「とにかくヨットを転覆させるな」とドロンに指示した。撮影後のドロンは、ひどい船酔いで倒れてしまったそうだ。なお、ヨットの船室シーンは全て、ロケ地であるイスキア島で見つけた映画館の廃墟にセットを組んで撮影されている。 かくして、本作の世界的な大ヒットによって若い世代のファン層を獲得し、米仏合作の戦争超大作『パリは燃えているか』(’66)の演出を任されるなど、第二の全盛期を迎えることになったルネ・クレマン。主演のアラン・ドロンもこれが出世作となり、一躍フランスを代表するスーパースターへと躍り出た。ちなみに、ドロンが起用されることになった経緯について諸説あるが、クレマン監督によると当初のトム・リプリー役は別の俳優(当時ブリジット・バルドーの夫だったジャック・シャリエと言われる)が予定されていたという。 一方のフィリップ役を探している際、当時ドロンのエージェントだったオルガ・オルスティッグから熱心な売り込みがあり、クレマンは参考にするため彼の出演作『学生たちの道』(’59)を見に行った。監督曰く、ドロンの演技自体はパッとしなかったものの、何か特別に感じるものがあったという。そこで、クレマンはエージェントを交えてドロンと直に面談。その時点でトム役はモーリス・ロネに決まっていたが、直接会ったドロンの方がトムのイメージに合っていると判断し、2人の役柄を入れ替えたのだそうだ。これがドロンにとって、俳優人生を変える最大の当たり役となったのだから、人の運命というのは面白いものである。■
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PROGRAM/放送作品
パリは霧にぬれて
フェイ・ダナウェイの危うげな美に魅入られる…パリの米国人夫婦に迫る危機を描いたルネ・クレマン監督作
当時人気絶頂のフェイ・ダナウェイが巨匠ルネ・クレマン監督作のヒロインを務めたサスペンス。フランス映画らしいアンニュイな空気を身にまとい、夫との仲違いや不穏な出来事に追い詰められる心理を繊細に魅せる。
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COLUMN/コラム2014.06.03
映画の中のリゾートガイド
■『マンマ・ミーア!』 『マンマ・ミーア!』は、伝説のポップグループABBAの大ヒットナンバーでつづられた、最高にハートフルなミュージカル映画!結婚式を目前に控えた20歳の娘・ソフィと、メリル・ストリープ演じる母親のドナ、そして父親を名乗る3人の男性が繰り広げる騒動を描いた作品です。 舞台は、ギリシャの架空の小島・カロカイリ島。撮影の多くはエーゲ海に浮かぶ美しいリゾート地・スコペロス島で行われました。澄み切った海と白い砂、松やオリーブの木にいだかれたこの美しい島は、隠れ家的なリゾートとして、世界中の人々に愛されている場所。ソフィや婚約者のスカイたちが砂浜で激しく踊るシーン、ドナの親友・ターニャと島の若者のダンスシーンなど、美しい海辺の場面が撮られたのは、島の西側にあるカスタニビーチ。透明な海に浮かぶ印象的な桟橋は、撮影時に特別に作られたということです。ギリシャの青い空と海、そしてさんさんと降り注ぐ明るい太陽の下で繰り広げられる名シーンの数々は、見ているだけでハッピーな気分になれること請け合いです! ※『マンマ・ミーア!』桟橋シーン ※スコペロス島の風景 ▼「スコペロス島」プチ情報スコペロス島は、エーゲ海北西部のスポラデス諸島にあるギリシャの島。スコペロスはギリシャ語で「岩」の意味だが、肥沃な土地で緑も多く、アーモンドの産地として知られている。島内には350もの教会が点在している。 ▼アクセス方法日本からは、ヨーロッパの都市を経由してアテネへ向かい、国内線でスキアトス島へ。スキアトス島からスコペロス島へは船で1時間。(ほかに、ヨーロッパの都市からスキアトス島への直行便もある)ギリシャ中央に位置する港町・ヴォロスからスコペロス島へは船で2時間ほど。 ■『食べて、祈って、恋をして』 『食べて、祈って、恋をして』は、ジャーナリストとして活躍するヒロインが、離婚と失恋の後に、自分を見つめ直すために出かけた旅の日々を描いた作品です。 おいしい料理を堪能したイタリア、ヨガと瞑想に励んだインド…そしてジュリア・ロバーツ演じる主人公のリズが旅の最後に訪れたのが、「神々の島」と呼ばれるインドネシアのバリ島。彼女が過ごしたのが、バリ島の文化の中心地でもある山あいのリゾート地・ウブドです。ウブドでは稲作が盛んで、あちこちで青々とした美しいライステラス(棚田)を見ることができます。さらにはジュリアが颯爽と自転車で通り抜けるヤシの林、野生の猿が200匹も生息するという自然保護区「モンキーフォレスト」など、あふれる豊かな自然が人々を癒してくれるんです。パワフルなウブドの生活を肌で感じたければ、村のランドマーク、お土産や雑貨が揃う「パサール・ウブド」もはずせません! 見ているだけでリゾート地・バリ島の空気を満喫出来る、オススメの一本です! ※『食べて、祈って、恋をして』美しいライステラスシーン ※バリ島 ▼「ウブド」プチ情報ウブドは、バリ島中部にある古くからのリゾート地であり、バリ文化の中心地。ガムラン、バリ舞踊、バリ絵画、木彫り、石彫り、銀細工など、あらゆるバリの芸能・芸術を堪能出来る。豊かな自然でも知られ、素朴な田園風景や渓谷も大きな魅力。 ▼アクセス方法日本からはバリ島・デンパサール国際空港へ。空港から車で1時間。南部のリゾートエリアのクタまで車で1時間。さらにヌサドゥアから車で1時間半。 ■『黒いオルフェ』 『黒いオルフェ』は、ギリシャ神話の悲劇「オルフェウス伝説」を、現代のブラジルによみがえらせ、カンヌ国際映画祭でグランプリに輝いた名作です。舞台は、今年2014年、サッカーワールドカップが開催される情熱の街・ブラジルのリオデジャネイロ。作品では、この地で行われる世界最大の真夏の祭典・リオのカーニバルを軸での出来事が描かれています。 カーニバルは世界各地で行われていますが、その中でリオのカーニバルはもっとも熱狂的といわれています。年に一回、2月から3月上旬、土曜日から火曜日にかけての4日間にわたって繰り広げられるこのカーニバルには、世界中から観光客が押し寄せます。お目当ては、ほかでは体験できないダイナミックな音楽とリズム、そして華やかな衣装であふれるパレード!この作品では、随所に実際のカーニバルの映像が使われ、サンバのリズムに合わせて歌い、踊る人々の熱気がスクリーンから伝わってきます。地球の裏側で行われる華麗なカーニバルの気分を楽しむにはもってこいの映画です。 ※『黒いオルフェ』リオのカーニバルシーン ※リオのカーニバル ▼「リオデジャネイロ」プチ情報リオ・デ・ジャネイロは、サン・パウロに次ぐブラジル第二の都市。華やかなカーニバル、ビーチリゾート、世界三大美港のひとつと言われるグアナバラ湾の景観などで知られる観光地。2014年のサッカーワールドカップ、2016年の夏季オリンピックの開催地にも選ばれた。 ▼アクセス方法日本からはアメリカやカナダ、ヨーロッパの都市を経由してリオデジャネイロ国際空港へ。所要時間は25〜30時間ほど。 ■『マレーナ』 『マレーナ』は、第二次大戦中のシチリア島を舞台に、悲劇的な運命をたどる女性・マレーナの生き様を、彼女に恋する少年の目を通して描いた人間ドラマです。撮影の多くが行われたのは、地中海のリゾート・シチリア島にあるシラクーサ。美しいリゾート地として知られると同時に、3000年以上の歴史を持つ古都の魅力も持ち合わせています。随所に見られるギリシャ・ローマ時代の遺跡の多くは、2005年、世界遺産にも登録されました。シラクーサは、大きな橋をはさんで、新市街と旧市街のオルティージャに分かれています。オルティージャは、町の発祥の地といわれ、石造りの建物が立ち並ぶ風情あふれる場所です。オルティージャの中心にあるのが、街のシンボル・ドゥオーモ広場です。バロック様式の荘厳なドゥオーモが見下ろすこの広場は、少年がモニカ・ベルッチ演じるマレーナの思い出を心に刻み付ける印象的な場所として登場します。ゆったりとした時間が流れるロマンチックなリゾート・シラクーサを、作品を通じて味わってみては? ※『マレーナ』のワンシーン ※シラクーサ ドゥオーモ広場 ▼「シラクーサ」プチ情報シラクーサは、イタリアのシチリア島南東部に位置する都市。古代ギリシャ時代にアテネと共に繁栄を誇ったと言われ、数学者アルキメデスの生地でもある。太宰治の『走れメロス』の舞台としても知られる。ギリシャ・ローマ時代の遺跡が数多く残り、世界遺産にも認定された。 ▼アクセス方法日本からはローマ、ミラノ経由でシチリア島のカターニャ空港へ。空港からシラクーサへはバスで1時間20分ほど。 ■『フレンチ・キス(1995)』 『フレンチ・キス(1995)』は、旅先で恋に落ちた婚約者を追いかけて、フランスをめぐるアメリカ人女性を描いたロマンチック・コメディです。メグ・ライアン演じる主人公・ケイトが、詐欺師のリュックと一緒に婚約者を追いかけた先は、南仏のカンヌ。国際映画祭が開催される街としても世界的に知られています。カンヌをふくむ地中海に面した一帯は「コート・ダジュール」=「紺碧海岸」と呼ばれ、その名の通り、紺碧の海に明るい太陽がふりそそぐ、ヨーロッパ随一のリゾート地!ケイトが大騒動を巻き起こすのが、カンヌの中心にそびえ立つセレブ御用達の豪華なリゾートホテル、インターコンチネンタル・カールトン・カンヌ。映画祭の開催期間中は著名な映画人がこぞって宿泊するとか。美しい建物とビーチ。その明るく開放的な空間が、ケイトとリュックの距離を急速に縮める大きな役割を果たしていると言えそうです。恋も実る憧れのリゾート、コート・ダジュール。あなたもぜひ一度、映画で体験してください。 ※『フレンチ・キス(1995)』様子を伺うメグ・ライアン ※コート・ダジュール ▼「カンヌ」プチ情報カンヌは、フランス南東部の地中海に面する都市のひとつ。もともとは小さな漁港だったが、今ではヨーロッパ有数のリゾート地として知られる。毎年5月のカンヌ国際映画祭の開催地として世界的に有名。 ▼アクセス方法日本からは、ヨーロッパの都市を経由してニース・コート・ダジュール国際空港へ。空港からカンヌへは車で1時間程度。 ■『太陽がいっぱい』 『太陽がいっぱい』は、アラン・ドロン演じる貧しい青年・トムが大富豪の放蕩息子・フィリップをねたんで犯罪を計画、彼になりすまして財産を奪おうと画策するサスペンス映画です。フィリップが住むというモンジベロは架空の町。撮影の多くは、ナポリ湾に浮かぶイスキア島で行われました。イスキア島は、青い海と輝く太陽、そしてリラックスを求める人々でにぎわう大人気のリゾート地です。この島に来たらはずせないのが、地中海の豊かな自然を満喫できるクルージング!トムとフィリップもヨットで美しい海へと繰り出しますが、眩しく明るい陽光と、その下で行われる恐ろしい犯罪が、見事な対比を生み出しています。魚市場の場面は、「ナポリを見て死ね」と言われるほど風光明媚な港町・ナポリで撮影されています。人々の活気と彩りに満ちた市場で、アラン・ドロンの持つ影と、憂いを帯びた美しさが際立つ名シーンが生まれました。スリリングな犯罪と一緒に味わう地中海の明るい大自然、いつもとひと味違うリゾート体験ができるのでは? ※『太陽がいっぱい』ヨットのワンシーン ※イスキア島 ▼「イスキア島」プチ情報イスキア島は、イタリア・ナポリ湾内で一番大きな島。火山活動で出来た島で、別名「緑の島」と呼ばれるほど自然が豊か。至る所にわく温泉でのんびりできるほか、ビーチも楽しめる人気のリゾート地。 ▼アクセス方法日本からは、ローマやミラノ経由でナポリ・カポディキーノ空港へ。ナポリ港からイスキア島へは高速船で50分ほど。 『マンマ・ミーア!』© 2008 Universal Studios. All Rights Reserved.『食べて、祈って、恋をして』© 2010 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.『黒いオルフェ』ORFEU NEGRO ©1959 Dispat Film. All Rights Reserved.『マレーナ』© 2000 Medusa Film spa—Roma『フレンチ・キス(1995)』FRENCH KISS ©1995 ORION PICTURES CORPORATION. All Rights Reserved『太陽がいっぱい』© ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO. / Plaza Production International / Comstock Group
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PROGRAM/放送作品
狼は天使の匂い【町山智浩撰】
町山智浩推薦。子供じみた遊戯に夢中になりながらヤマを踏む裏社会の男達…おとぎ噺めいた不思議な犯罪映画
町山智浩セレクトのレア映画を町山解説付きでお届け。子供のようにゲームに興じながら犯行に身を投じる犯罪者たち…天使(≒子供)の匂いを漂わせる狼(≒裏社会の男)ども。町山偏愛作品を本人解説とともにお届け。
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COLUMN/コラム2012.12.22
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2012年1月】招きネコ
フランスの田舎を舞台に、戦争孤児となった5歳の都会の少女ポーレットと、彼女の面倒をみる農家の少年ミシェルの物語。死というものを解らない2人は、ポーレットの死んだ愛犬を埋葬したのを最初に、次々と様々な生き物の命を絶ってお墓作りと十字架を集めることに熱中します。この作品と同名のナルシソ・イエペスのギターのテーマ曲を知らない人はいないであろう有名作品で驚異的な子役2人の演技が可能にした涙なくして見られない感動作。でも、この作品のスゴさは、純粋に映画として面白く、かつ、戦場シーンなし、戦時下の子供たちの姿を通してのみで反戦というテーマを強烈に描けていることです。お涙ちょうだいの子供映画と思ってパスせず、ダマされたと思って見て下さい。特にラスト・シーンの余韻はマイ・ベスト3作品。映画の続きのストーリーを見る度に泣きながら考えていました。初めてテレビで見たのは小学生で某TV洋画劇場でしたが、その解説者が終わりの解説で映画で描かれなかった子供たちの未来について推理して断言。それは私としては許せない内容だったことは強烈な思い出で、それ以来その解説者を敵視。解説解釈は自由でも、見る人のイマジネーションを奪ってはダメだと現業の中で個人的にポリシーにしていることの原点の出来事です。 © 1952 STUDIOCANAL