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アンタッチャブル
[PG12]暗黒街の帝王に立ち向かった勇気ある男たち──正義の戦いを記録した人気TVシリーズの映画版
1960年代の人気TVシリーズを鬼才ブライアン・デ・パルマ監督が映画化。渾身の役作りでアル・カポネに成りきったロバート・デ・ニーロの演技が圧巻。ショーン・コネリーがアカデミー助演男優賞を受賞。
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COLUMN/コラム2024.04.10
ブライアン・デ・パルマ復活!ケヴィン・コスナーをスターに押し上げた“西部劇”『アンタッチャブル』
アメリカに禁酒法が敷かれていた、1920年代から30年代はじめ。悪名高きギャングのアル・カポネは、酒の密造と密輸で莫大な利益を上げ、シカゴで「影の市長」と呼ばれるほどの権勢を誇っていた。 警察や議会、裁判所までがカポネの影響下に置かれる中、孤独な戦いを始めた男が居た。財務省から派遣された若き捜査官、エリオット・ネスである。 ネスは意気盛んに、密造酒摘発に乗り出す。しかし配下の警官は買収されており、捜査情報の漏洩で、初陣は大失敗に終わる。 世間の失笑を買ったネスは、初老の警官マローンと偶然知り合う。彼が信頼に値する男だと見定めたネスは、カポネに対抗するためのチーム作りへの協力を依頼する。 躊躇するマローンだったが、ネスのまっすぐな正義感に打たれ、警官の本分を通すことを決意。 マローンの指導の下、新人警官のストーン、財務省から派遣された簿記係のウォレスという仲間を得たネスは、大掛かりな摘発を成功させる。早速カポネの側から買収や脅迫などが仕掛けられるが、ネスは断固はねのけるのだった。 賄賂や脅しに決して屈しない4人のチーム“アンタッチャブル”と、カポネの築いた帝国は、血で血を洗う戦いへと、突入していく…。 ***** 「アンタッチャブル」というタイトルは、元々は本のタイトル。その内容は、実在の財務省捜査官だったエリオット・ネスが、アル・カポネ逮捕までの顛末を語ったインタビューを元に、構成されたものである。 この本によると、ネスたち“アンタッチャブル”は、デスクワーク中心の捜査官。銃を撃ったなどという話は、登場しない。 ところがこれを原作にしたTVシリーズの「アンタッチャブル」(1959~63/全118話)では、事実を大幅に脚色。ロバート・スタック演じるネスは、FBIの捜査官とされ、彼とその部下が毎回のように銃撃戦に臨んでは、ギャングを射殺するシーンが登場した。このシリーズはアメリカだけではなく、日本でも大人気となり、70年代頃までは度々再放送が行われていた。 TVシリーズの制作から、時は流れて20年余。1980年代中盤になって、このTVシリーズの放映権を持っていたハリウッドメジャーのパラマウントが、自社の75周年を記念する企画として、「アンタッチャブル」の“映画化”に取り組むことを決めた。 担当となったのは、パラマウントの契約プロデューサーだった、アート・リンソン。しかし彼は、原作となったTVシリーズを見ていなかった。 そんな彼が脚本を依頼したのは、デヴィッド・マメット。映画の脚本は、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(81)『評決』(82)を担当。後者ではアカデミー賞にノミネートされている。それ以上に評価されていたのは、劇作家として。「アメリカン・バッファロー」(76)「グレンガリー・グレン・ロス」(84)などを手掛け、後者ではピューリッツァー賞やトニー賞を受賞している。「アンタッチャブル」のTVシリーズは、リアルタイムで見ていたというマメット。シカゴ育ちで故郷をこよなく愛し、また“禁酒法”の時代に関しては、「マニア」と自負するほど詳しかった。 マメットはリンソンと打ち合わせながら、脚本の執筆を始める。実在の“アンタッチャブル”のメンバーが10人だったのを、4人に絞るのは、TVシリーズに倣いながらも、2人は端から、TVの映画版にする気はなかった。「75周年作品」にも拘わらず、パラマウントは1,500万㌦という、当時としても“大作”とは言えない製作費しか提供しなかった。そんな状況でリンソンが監督として声を掛けたのは、スローモーションや長回し、360度回転カメラ等々、技巧を凝らした映像美で熱狂的なファンを持っていた、ブライアン・デ・パルマ。 サイコサスペンスの『キャリー』(76)『殺しのドレス』(80)、ギャング映画の『スカーフェイス』(83)などではヒットを飛ばしたデ・パルマだが、その頃はちょうどキャリアの曲がり角。敬愛するヒッチコックにオマージュを捧げた『ボディ・ダブル』(84)、初のコメディに挑戦した 『Wise Guys』(86/日本では劇場未公開)が続けて大コケしたため、メジャーヒットを欲していた。 そんなデ・パルマが本作『アンタッチャブル』(87)の監督を引き受ける決め手となったのは、マメットが8か月掛けて書いた、その時点では第3稿となる脚本。これまで自分が手掛けてきた作品と違って、例えばジョン・フォード作品のような「伝統的なアメリカ映画の流れ」を汲んでいると感じたのである。 デ・パルマはこの作品を、“ギャング映画”ではなく、『荒野の七人』のような“西部劇”だと捉えた。実際マメットは、「老いたガンファイターと若いガンファイターの物語」としてストーリーを組み立てたと語っている。「神話的なアメリカのヒーローにまつわるスケールの大きな話」。これがプロデューサーのリンソン、脚本のマメット、監督のデ・パルマの間で一致した、本作の方向性となった。 主役のエリオット・ネスは、かつてなら、ゲーリー・クーパー、ジェームズ・スチュアート、ヘンリー・フォンダが演じたような役柄。望まれるのは、理想主義と強さを合わせ持つ、良い意味でクラシックな個性だった。 まずメル・ギブソンの名前が挙がったが、『リーサル・ウェポン』(87)の撮影が重なっていた。続いてウィリアム・ハートやハリスン・フォードなど、当時の売れっ子俳優が候補となった。 しかし、予算が折り合わない。そこで浮上したのが、売り出し中ではあったが、かなり知名度が落ちる、ケヴィン・コスナーだった。 コスナーの起用に懐疑的だったデ・パルマは、監督仲間のローレンス・カスダンとスティーヴン・スピルバーグに相談したという。 カスダンは、『再会の時』(83)でコスナーを起用しながらも、上映時間の関係で彼の出番を全カット。その後西部劇『シルバラード』(85)で正義のガンマンの役を与えている。スピルバーグは、プロデュースしたTVシリーズ「世にも不思議なアメージングストーリー」(85~87)の中で、自分が監督した一編で、コスナーを主役にしている。「彼はクリーンかつ素直で将来性がある」2人の監督のコスナーに対する評価は、まったく同じもので、デ・パルマもコスナー抜擢の踏ん切りがついた。 ネスの仲間のキャスティングも、重要だった。カポネを脱税で摘発することを提案する経理のエキスパート、ウォレス役には、『アメリカン・グラフィティ』(73)で知られた、チャールズ・マーティン・スミス。彼はこの「真面目でおかしな男」を、「漫画チックにしてはならない」と、肝に銘じながら演じたという。 アンディ・ガルシアは当初、カポネの用心棒で殺し屋のフランク・二ティ役の候補だった。しかし本人の希望もあって、新人警官ストーンのセリフを読んだらハマったため、“正義”の側に身を置くこととなった。 さてベテラン警官のマローンである。何とか“大作”の装いにしたいと考えたデ・パルマは、かねてからファンだった、元祖ジェームズ・ボンド俳優のショーン・コネリーにオファーした。「初めて脚本を読んだ時は“まるで天の啓示”のように感じた…」という、当時50代後半のコネリー。コスナーとの組み合わせは、まさに「老いたガンファイターと若いガンファイター」であった。 コネリーに対して、「いつも遠くから彼の仕事は素晴らしいと思っていた」コスナーは、この共演について、「プロの俳優としての、そして個人としての彼のスタイルには影響されたし、そこから学ぶこともあった」と語っている。まさに役の上での、ネスとマローンの関係に重なる。コスナーにとってコネリーは「特別な人」となり、後に自らの主演作『ロビン・フッド』(91)に、特別出演してもらっている。 コスナーはメソッド式で、ネスの役作りを行ったという。カポネについて、あらゆる文献を読み漁り、財務省関係、FBIなどで実際にネスを知っていた人々から話を聞いた。その中には実際の“アンタッチャブル”の、その時点でただ一人の生存者も含まれている。 ただマメットが、ネスのタフガイのイメージを和らげようと、守るべき愛する家族を持つ男としたことに関しては、役作りは容易だった。コスナーには当時、3歳と1歳の子どもがいたからである。 本当はデスクワークが似合う男なのに、成り行きで深みにはまっていく。シカゴの暗黒街の現実を知るにつれ、段々とタフになっていく。コスナーの役作りで、そんなエリオット・ネス像が出来上がっていった。それはデ・パルマによるネスのイメージ、「下水に落ちた白い騎士」と、正に合致していた。 「白い騎士」に対抗して、“悪”を体現するアル・カポネ役に、デ・パルマが切望したのは、ロバート・デ・ニーロだった。1960年代末、無名時代の2人は何度も組んでいたが、それから15年以上。アカデミー賞を2度受賞して、すでに名優の誉れ高かったデ・ニーロを起用するには、僅か2週間の拘束で、製作費の1割に当たる150万㌦も払わなければならなかった。 デ・パルマは、渋る映画会社の重役たちに、己の降板まで仄めかして起用を承諾させた。しかしデ・ニーロ本人から、なかなか出演のOKが届かない。 宙ぶらりんの状態でデ・パルマが頼ったのが、ボブ・ホスキンス。『モナリザ』(86)の演技で、カンヌ国際映画祭やゴールデングローブ賞で俳優賞を受賞して波に乗っていた彼にデ・パルマは、「もしデ・ニーロがやらなかったら、やってくれるか?」と、失礼を承知でオファーを行ったのである。 結局デ・ニーロが出演に応じ、デ・パルマはホスキンスに謝罪の電話を入れることとなった。数週間後、ホスキンスには詫び料として、20万㌦の小切手が届いたという。 正式な契約の日に、デ・ニーロに初めて会ったアート・リンソンは、酷いショックを受けた。出演していたブロードウェイの舞台の出で立ちで現れたデ・ニーロが、「七十キロもなくて、ポニーテイルをしている上に、三十歳ぐらいにしか見えない」状態で、ろくに口をききもしなかったのだ。カポネは太っていて四十歳、騒々しい男なのに…。 リンソンはデ・パルマを罵った。「あんな奴のためにボブ・ホスキンスを断ったなんて!もうおしまいだ」 そんなリンソンをデ・パルマはなだめながら、太鼓判を押した。次に会う時のデ・ニーロは、別人のようになっていると。 それから5週間。現れたデ・ニーロは、すっかり変わっていた。彼は契約後、すぐにイタリアに飛び、そこでパスタやポテトやピザ、ビール、牛乳を詰め込んで11㌔増量。更にカポネの出身地、ナポリ風のアクセントを身に着けて帰ってきたのだ。いわゆる“デ・ニーロアプローチ”だ。 更には古いニュースを見て、本物のカポネそっくりの声と動作、癖を身に付けた。外見的にも、髪の生え際を剃ることで、カポネの月のように丸い顔を作り上げた上、撮影中はローマから来たメイクアップ・アーティストが毎日3時間掛けて、顔の左側にカポネの有名な古傷を再現。更にはボディ・スーツを着込むことで、万全を期した。 本作の衣裳は、ジョルジョ・アルマーニが担当したが、デ・ニーロはリトル・イタリーの洋服屋に頼み、もっと本物らしくリメイク。更には画面には映らないにも拘わらず、絹の下着を、カポネが注文していた店に発注。それに加えて、カポネ愛用ブランドの葉巻や靴も手に入れた。 リンソンは、これらの経費の請求書に肝を冷やしながらも、デ・ニーロの役作りに関しては、不安を抱くことはなくなっていった。 本作のクランクインは、1986年の8月上旬。13週間の撮影で、使用されたロケ地は25以上。その多くが30年代前半には、カポネ行きつけの場所だったという。 クライマックスで、カポネの脱税の証拠である、帳簿係を拘束するための銃撃戦が撮影されたのは、シカゴのユニオン駅。20人のスタッフが2週間掛けて準備を行い、照明のために、電力会社が一時的に駅への電気の供給を増やした。 ここでデ・パルマは、映画史に残る『戦艦ポチョムキン』(1925)の“オデッサの階段”を引用。赤ん坊の乗ったベビーカーが階段を滑り落ちていく中で、激しい銃撃戦をデ・パルマの十八番、スローモーションで捉える。 実はこのシーンは、本作が“大作”の装いながら、製作費が抑えられたための、“代案”だった。本来は、列車に乗った帳簿係を車で追った上に、列車に乗り移って銃撃戦が繰り広げられる筈だったのが、予算の都合で実現不可能。代わりに撮られたこのシーンが、結果的にデ・パルマらしさが横溢する、本作を代表する名シーンとなったのである。 新旧問わずデ・パルマ作品には、“映像美”に走る反面、ストーリーがおざなりになる傾向がある。しかし本作は、マメットのストレート且つ説得力のある脚本によって、そうした欠点を解消。更には、デ・パルマが以前から仕事をしたかったという、エンニオ・モリコーネ作曲のスコアも素晴らしい響きを見せ、1987年に作られた“西部劇”としては、これ以上にない仕上がりとなった。 当初予定されていた製作費1,500万㌦はオーバーして、2,400万㌦が費やされたが、87年6月に公開されると、北米だけで7,500万㌦を稼ぎ出した。その秋に公開された日本でも、配給収入が18億円に達する大ヒットとなった。 アカデミー賞では、ショーン・コネリーに助演男優賞が贈られた。そしてケヴィン・コスナーはこの後、『フィールド・オブ・ドリームス』(89)『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(90)『JFK』(91)『ボディガード』(92)等々、ヒット作・話題作への出演が続く。特にプロデューサーと監督を兼ねた『ダンス・ウィズ…』では、アカデミー賞作品賞と監督賞の獲得に至り、大スターの地位を手にした。 監督のデ・パルマは、本作のヒットでせっかく取り戻した“信用”を、続く『カジュアリティーズ』(89)『虚栄のかがり火』(90)両作の大コケで無化する。次に復活するのは、やはり人気TVドラマシリーズを、オリジンを軽視して映画化するという、本作のパターンを踏襲した、『ミッション:インポッシブル』(96)となる。■ 『アンタッチャブル』™ & Copyright © 2024 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
ブラック・レイン
[PG12]日米の個性派名優たちが男と男の演技合戦! 松田優作の怪演が映えるクライム・アクション
ハリウッドを代表する映像派監督リドリー・スコットが大阪ロケを敢行し、日米刑事の決死の捜査と友情を描くアクション大作。本作が遺作となった松田優作が殺人犯を狂気満点に演じ、鬼気迫る存在感で異彩を放つ。
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COLUMN/コラム2021.12.28
16年振りのシリーズ最終作。『ゴッドファーザーPARTⅢ』で、コッポラが本当に描きたかったものとは!?
アメリカ映画史に燦然と輝く、『ゴッドファーザー』シリーズ。 イタリア系移民のマフィアファミリーの物語を、凄惨で血みどろの抗争を交えて、歴史劇のように描き、今日では「クラシック」のように評されている。少なくともシリーズ第1作、第2作に関しては。 本作『ゴッドファーザーPARTⅢ』に関しては、その存在を好んで語る者は、数多くない。「黙殺」する向きさえある…。 ファミリーの首領=ドン・ヴィトー・コルレオーネをマーロン・ブランドが重厚に演じた、1972年の第1作『ゴッドファーザー』。当時の興行新記録を打ち立て、アカデミー賞では、作品賞・主演男優賞・脚色賞の3部門を獲得した。 ジェームズ・カーン、アル・パチーノ、ロバート・デュバル、ダイアン・キートン、タリア・シャイアといった、70年代をリードしていくことになる若手俳優たちの旅立ちの場であったことも、映画史的には重要と言える。 74年の第2作『ゴッドファーザーPARTⅡ』。ファミリーを継いだ若きドン、マイケル・コルレオーネの戦いの日々と、先代であるヴィト―の若き日をクロスさせる大胆な構成が、前作以上に高く評価された。 興行成績こそ前作に及ばなかったものの、アカデミー賞では、作品賞・監督賞・助演男優賞・脚色賞・作曲賞・美術賞の6部門を受賞。作品賞を獲った映画の続編が、再び作品賞を得たのは、アカデミー賞の長きに渡る歴史の中でも、この作品だけである。 前作に続いてマイケルを演じたアル・パチーノは、堂々たる主演スターの座に就いた。そしてヴィト―の若き日にキャスティングされたロバート・デ・ニーロは、アカデミー賞の助演男優賞を得て、一気にスターダムを駆け上った。 余談になるが、続編のタイトルに「PARTⅡ」といった数字を付けるムーブメントは、この作品が作ったものである。 そんな偉大な2作から16年の歳月を経て登場したのが、1990年のシリーズ第3作、『ゴッドファーザーPARTⅢ』。主役は前作に続き、アル・パチーノが演じる、マイケル・コルレオーネである。 ********* 1979年、老境に差し掛かったマイケルは、資産を“浄化”するため、ヴァチカンとの取引に乗り出す。コルレオーネファミリーを犯罪組織から脱却させ、別れた妻ケイ(演:ダイアン・キートン)との間に儲けた子どもたちに引き継ぐのが、大きな目的だった。 しかし後を継ぐべき息子のアンソニーは、ファミリーの仕事を嫌って、オペラ歌手の道へと進む。一方、娘のメアリー(演:ソフィア・コッポラ)は、ファミリーが作った財団の顔として、慈善事業の寄付金集めに勤しんでいた。 そんな時マイケルの前に、妹のコニー(演:タリア・シャイア)が、長兄ソニーの隠し子であるヴィンセント(演:アンディ・ガルシア)を連れてくる。マイケルはヴィンセントの、今は亡き兄譲りの血気盛んで短気な気性を不安に思いながらも、自らの配下とする。 ニューヨークの縄張りを引き継がせた、ジョーイ・ザザが叛旗を翻した。ザザは、マイケルが仲間のドンたちを集結させたホテルを、ヘリコプターからマシンガンで襲撃。多くの死傷者が出る中、九死に一生を得たマイケルは、ザザを操る黒幕の存在を直感する。 血と暴力の世界から、抜け出そうとしても抜けられない。そんな己の人生を振り返って、マイケルは、かつて次兄のフレドまで手に掛けたことへの悔恨の念を深くする。ヴィンセントと愛娘のメアリーが恋に落ちたことも、彼を苦悩させた。 ヴァチカンとの取引も暗礁に乗り上げる中、マイケルはヴィンセントに命じて、諸々のトラブルの裏とその黒幕を探らせる。そして彼を、ファミリーの後継者に任ずると同時に、娘との恋を諦めるように諭す。 イタリア・パレルモのオペラ劇場での、息子アンソニーのデビューの夜。ファミリーが集結するそのウラで、またもや血と報復の惨劇が繰り広げられていく。 そしてマイケルには、己が死ぬことよりも辛い“悲劇”が待ち受けていた。 ********* 1990年のクリスマスにアメリカで公開された本作は、アカデミー賞では7部門でノミネートされながらも、結局受賞には至らなかった。興行的にも批評的にも、前2作には、遠く及ばない結果となった『PARYTⅢ』は、同じコッポラを監督としながらも、『ゴッドファーザー』3部作の中では、まるで「鬼っ子」のような扱いを受けるに至ったのである。 そもそも前2作の絶大なる成功がありながら、なぜ『PARTⅢ』の登場までには、16年の歳月が掛かったのか? それは一言で言えばコッポラが、「やりたくなかった」からである。 それとは逆に、製作した「パラマウント・ピクチャーズ」は、この16年の間、折に触れてはこのドル箱シリーズの第3弾を、コッポラに作らせようと働きかけた。80年代前半には、シルベスター・スタローンの監督・主演、ジョン・トラボルタの共演で、『PARTⅢ』の製作をぶち上げたこともある。 これはスタローンの『ロッキー』シリーズで主人公の妻役を演じ続けたタリア・シャイアが、実の兄であるコッポラとスタローンの橋渡し役を務めて、実現しかかった話と言われている。結局コッポラが、スタローンに『ゴッドファーザー』を任せることには翻意して、企画が流れたと伝えられる。 では「やりたくなかった」『PARTⅢ』を、なぜコッポラ本人が手掛けるに至ったのか?大きな理由は、彼の過去作である『ワン・フロム・ザ・ハート』(82)にある。 ラスベガスをセットで再現するために、スタジオまで買い取って製作した『ワン・フロム…』は、当初1,200万ドル=約35億円を予定していた製作費が、2,700万ドル=約78億円にまで跳ね上がった。しかも劇場に観客を呼ぶことは出来ず、コッポラは破産に至ってしまったのだ。 その後コッポラは、『アウトサイダー』(83)『ランブルフィッシュ』(83)『コットンクラブ』(84)等々の小品や雇われ仕事を多くこなし、借金の返済に務めることになる。しかしディズニーランドのアトラクション用である、マイケル・ジャクソン主演の『キャプテンEO』(86)まで手掛けながらも、経済的苦境から抜け出すことは、なかなか出来なかった。 そこでようやく、自分の意図を最大限尊重するという確約を取った上で、「パラマウント」の提案に乗った。コッポラにとって、最後の切り札とも言える、『ゴッドファーザーPARTⅢ』の製作に乗り出すことを決めたのだ。 コッポラは89年4月から、『ゴッドファーザー』の原作者で、シリーズの脚本を共に手掛けてきたマリオ・プーヅォと、『PARTⅢ』の脚本執筆に取り掛かった。そしてその年の11月下旬にクランクイン。 ほぼ1年後にアメリカ公開となったわけだが、先に書いた通り批評家からも観客からも、大きな支持を得ることは出来なかった。 主演のアル・パチーノも指摘していることだが、その理由は大きく2つ挙げられる。まずは、ロバート・デュバルの不在である。 前2作を通じて、ファミリーの参謀役でマイケルの義兄弟に当たるトム・ヘーゲンを演じてきたデュバルは、『PARTⅢ』への出演を断った。コッポラの妻エレノアの著書によると、デュバルが気に入るよう何度もシナリオを書き直したのに、彼が首を縦に振ることは、遂になかった。 実際はギャラの面で折り合いが付かなかったと言われているが、結果的にヘーゲンは、既に亡くなっている設定にせざるを得なくなった。もしもデュバルが出演していたら、マイケルがヴァチカンと関わることになる触媒的な役割を果たしたという。 そして『PARTⅢ』バッシングの際に、必ず俎上に上げられたのが、マイケルの娘メアリー役のキャスティング。当初この役は、当時人気上昇中だったウィノナ・ライダーが演じることになっていた。しかし突然、「気分が良くないから、参加できない」と降板。 彼女のスケジュールに合わせて3週間も、別のシーンの撮影などで時間稼ぎをしていたのが、パーとなった。そこでコッポラは急遽、実の娘であるソフィアを、メアリー役に充てたのである。「パラマウント」などの反対を押し切ってのこの起用は、マスコミの格好の餌食となった。まるでスキャンダルのように、書き立てられたのである。 デュバルとライダーが出演しなかったことに加えて、アル・パチーノは、本作の大きな間違いとして、「マイケル・コルレオーネを裁き、償わせた」ことを挙げる。「マイケルが報いを受けて、罪の意識に苦しめられるのを誰も見たくなかった」というのだ。『PARTⅢ』のクライマックス、当初の脚本では、マイケルは敵の放った暗殺者に撃たれて、人生の幕を閉じることになっていた。しかしコッポラはそのプランを変更し、マイケルが最も大切なものを失い、その魂が死を迎えるという結末に書き変えた。 まるでシェイクスピアの「リア王」や、それを原作とした、黒澤明監督の『乱』(85)の主人公が迎える結末と重なる。黒澤が、コッポラの最も敬愛する監督であることは、多くが知る通りである。 コッポラは、自らの経験をマイケルに重ねていたとも思われる。『PARTⅢ』の準備に入る3年ほど前=1986年に、コッポラは当時22歳だった長男のジャン=カルロを、ボート事故で失っているのである。 アル・パチーノが指摘する本作の大きな間違いは、実はコッポラにとって、最も譲れない部分だったのではないだろうか? さて『ゴッドファーザー』シリーズを愛する気持ちでは、人後に落ちない自負がある私だが、91年春、日本での劇場公開時に『PARTⅢ』を鑑賞した時の感想を、率直に書かせていただく。それは第1作・第2作に比べれば見劣りするが、「悪くない」というものだった。『ワン・フロム…』後の紆余曲折を目の当たりにしてきただけに、コッポラは『ゴッドファーザー』を撮らせると、やっぱり違う。この風格は彼にしか出せないと、素直に思えた。 そして前2作が、パチーノやデ・ニーロといったニュースターを生み出したのと同じ意味で、マイケルの跡目を引き継ぐことになる、ヴィンセント役のアンディ・ガルシアの登場を歓迎した。ガルシアは、『アンタッチャブル』(87)『ブラックレイン』(89)で注目を集めた、まさに伸び盛りの30代前半に本作に出演。アカデミー賞の助演男優賞にもノミネートされるような、素晴らしい演技を見せている。 本作の後、彼の主演で、レオナルド・ディカプリオを共演に迎えて、『ゴッドファーザーPARTⅣ』が企画されたのにも、納得がいく。残念ながらガルシアは、パチーノやデ・ニーロのようには、ビッグにはならなかったが…。 実はコッポラは本作に、『PARTⅢ』というタイトルを付けたくなかったという。彼が当初構想したタイトルは、『Mario Puzo's The Godfather Coda: The Death of Michael Corleone』。翻訳すれば『ゴッドファーザー:マイケル・コルレオーネの最期』である。 そしてコッポラは、『PARTⅢ』公開30周年となる昨年=2020年、フィルムと音声を修復。新たなオープニングとエンディング及び音楽を付け加えて再構成を行い、当初の構想に基づくタイトルに変えて、リリースを行った。 このニューバージョンに対し、アル・パチーノは「良くなったと確信した」と賞賛。それまで『PARTⅢ』を「好きじゃなかった」というダイアン・キートンも、この再編集版を「人生最高の出来事のひとつ」と、手放しで絶賛している。 私ももちろん、この『』を鑑賞しているが、何がどのように「良くなった」かは、今回は敢えて触れない。それはまた、別の話である。■ 『ゴッドファーザーPARTⅢ』TM & COPYRIGHT © 2022 BY PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED
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PROGRAM/放送作品
(吹)アンタッチャブル【ゴールデン洋画劇場版】
[PG12]暗黒街の帝王に立ち向かった勇気ある男たち──正義の戦いを記録した人気TVシリーズの映画版
1960年代の人気TVシリーズを鬼才ブライアン・デ・パルマ監督が映画化。渾身の役作りでアル・カポネに成りきったロバート・デ・ニーロの演技が圧巻。ショーン・コネリーがアカデミー助演男優賞を受賞。
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COLUMN/コラム2015.12.25
男たちのシネマ愛②愛すべき、味わい深い吹き替え映画(6)
なかざわ:その他のイチオシはどれでしょう? 飯森:「ファールプレイ」(注54)ですね。これは日曜洋画劇場でやったバージョンなんですが、ローカライズが魅力的なんですよ。日本ならではの味というか、日本語吹き替えにしか出せない味。オリジナルよりも面白くなっちゃったというパターンです。なぜなら、ダドリー・ムーア(注55)を広川太一郎(注56)さんがやっているから。もう明らかにオリジナルのセリフとは関係ないことをしゃべっているんです。 なかざわ:コメディーは特にそうだと思うんですが、笑いの文化って国によって全く違うじゃないですか。その国の生活様式であったり価値観であったりが色濃く反映されますから。それをそのまま日本に持ってきてもピンと来ないことが多いですもんね。 飯森:あくまで僕の個人的な感想ですけど、某動画配信サイトで提供している字幕版の「サタデーナイトライブ」(注57)なんかも、すごく期待して見たものの、僕みたいなリアルタイムのアメリカ事情に通じてないコッテコテの日本男児でおまけに英語弱者には、面白さがいまいち分かりづらいんですよ。 なかざわ:ユーモアって言葉の組み合わせや語呂合わせ、ニュアンスなんかから生まれたりするので、そもそもの構造が違う別言語に直接変換しても意味が伝わらないんですよね。 飯森:広川太一郎さんはいつもの調子ですよ。“選り取りみどり赤黄色”、ってギャグを言うんですけど、そんなこと英語で言っているわけがない(笑)。でも、直訳しても意味がないんですよ。結果的に面白ければいいじゃんというノリで作られた吹き替えなんです。 なかざわ:結果的に面白くて、なおかつ映画を壊してなければ全然構いませんよね。 飯森:若干壊しちゃっているんですけどね(笑)。ちょっとヤンチャが過ぎるというか。なんでもこの調子で笑い倒してしまうので、そのキャラクターじゃなくて広川太一郎が前面に出てきてしまう。特にコメディーリリーフ的な脇役をやると、全部かっさらっていくような目立ち方をするんです。だって、この映画だってダドリー・ムーアなんか殆ど出ていない。たったの3回しか出てこないんですよ。その全てに変な日本語ギャグを入れているおかげで、すごく面白い。でも異常に広川太一郎の印象が残ってしまう。 なかざわ:もはやそれはダドリー・ムーアじゃない(笑)。 飯森:なのでこれには賛否両論あるかもしれませんが、でも気に入らなければ字幕版を見ればいいんですから。僕は間違いなく字幕版より面白いと思いますね。ちなみに、キャラクターよりも前に出てきてしまうといえば、野沢那智さんもその傾向がありますよね。ただ、今回初めて野沢さん版の「ゴッドファーザー」を見たんですけど、パート1の音声を最初に聞いたとき、何度聞いても野沢さんに聞こえないの。しかも完全に違うんじゃなくて、野沢那智にすごく似ている普通の人がやっている感じなんです。ミスで違う音源が納品されたのかと確認しても、テープには’76年版と書かれているし、野沢さん以外のキャストは’76年版キャスト表と照らし合わせて間違いなく一致するので、恐らく間違ってはいないはずです。でも、これオンエアしたら音源間違いの放送事故になっちゃうんじゃないかと、いまだに若干ビビってるぐらいなんですが、こればっかりは確かめようがない。結局、100%裏を取れる確実な方法が実は無いんですよ。最後に頼れるのは自分の耳だけなんです。 なかざわ:ご本人も亡くなっていますしね。 飯森:それがね、パート3になると完全に野沢那智になってるんです。アクが強くなっているんですよ。僕らの知っている野沢さんです。誰が聞いても一発で野沢さんだと分かる個性がある。山寺宏一(注58)さんみたいにカメレオンのごとく声を変えられる方もいますけど、野沢さんは野沢那智調みたいな独特の節回しがあって、パート1とパート3を聴き比べると、それが後年になるに従って強くなっていたことが分かります。恐らく吹き替えに寛容ではない人が見ると、「これはもうアル・パチーノじゃない」ってなるんでしょうけれど、その一方で「よっ!野沢那智!」って期待している人もいますから、良きにつけ悪しきにつけだとは思いますが。いずれにせよ、パート1の頃はすごく抑えて演技をしていたんでしょうね。まだ独特のクセが生み出される前だったんだろうと。 なかざわ:声優として経験を積むことで、自分のスタイルを確立して行ったんでしょうね。 飯森:するとね、「ゴッドファーザー」にも別の物語が生まれるわけですよ。堅気の道を歩もうとした若者マイケル・コルレオーネ(注59)が、やがてマフィアのボスに登りつめる。一方で、ごくごく平凡な青年の声だった野沢さんが、パート3で年季の入ったボスを演じると途端にドスが効いているんです。 なかざわ:マイケルと野沢さんの成長がシンクロするんですね。 飯森:そうなんですよ。しかも、野沢さんも意図してやっているわけじゃないですから。そういう面白い見方もできるかもしれませんよね。 なかざわ:それは確かに意外な発見です。 ■字幕絶対派だのアンチ字幕派だのということ自体がナンセンス(飯森) 飯森:さて、最後にこれだけは言っておきたいということがあるんですが、よろしいですか(笑)? なかざわ:どーぞどーぞ。 飯森:うちのザ・シネマというのは東北新社がやっているチャンネルじゃないですか。東北新社というのは映像制作会社でCM作ったり映画作ったりCSチャンネル運営したりしてますけれど、そもそもの成り立ちは外国映画やドラマの日本語吹き替え版の制作なんです。なので、もともと吹き替えに強い会社なんですよ。 なかざわ:確かに、最初に東北新社さんの社名を覚えたのは、映画だかドラマだかの最後に出てくるクレジットだったと思います。 飯森:とはいえ、字幕も作っているんですよ。両方うちで作ってる。だから、字幕絶対派だのアンチ字幕派だのということ自体がナンセンスで、両方いいに決まっているじゃないか!というのがサラリーマンとしての僕の立場なんです。だから、そういう日本における吹き替え制作の歴史を踏まえたうえで、この「厳選!吹き替えシネマ」という企画をやっているということも、是非みなさんにお伝えしておきたいと思います。 (終) 注54:1978年制作。ローマ法王の暗殺計画に巻き込まれた女性と探偵を描いたヒッチコック風コメディー。ゴールディ・ホーン主演。注55:1935年生まれ。俳優。代表作は「ミスター・アーサー」(’81)や「ロマンチック・コメディ」(’83)など。注56:1939年生まれ。声優。ロジャー・ムーアやトニー・カーティスの吹き替えのほか、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の古代守役でも知られる。2008年没。注57:1975年から続くアメリカの国民的なバラエティ系コメディ番組。ジョン・ベルーシやビル・マーレイなど数多くの大物コメディアンを輩出している。注58:1961年生まれ。声優。ジム・キャリーやウィル・スミスなどの吹き替えで知られ、バラエティ番組などでも活躍している。注59:映画「ゴッドファーザー」三部作を通しての主人公。コルレオーネ家の三男として生まれ、普通の人生を送ろうとするものの、やがて家業を継いでボスになる。 『ゴッドファーザー』COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED. 『ゴッドファーザーPART Ⅲ』TM & COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED 『レインマン』RAIN MAN © 1988 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved 『バーバリアン怪奇映画特殊音響効果製作所』©Channel Four Television/UK Film Council/Illuminations Films Limited/Warp X Limited 2012 『ファール・プレイ』COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
(吹)ブラック・レイン【ゴールデン洋画劇場版】
[PG12]日米の個性派名優たちが男と男の演技合戦! 松田優作の怪演が映えるクライム・アクション
ハリウッドを代表する映像派監督リドリー・スコットが大阪ロケを敢行し、日米刑事の決死の捜査と友情を描くアクション大作。本作が遺作となった松田優作が殺人犯を狂気満点に演じ、鬼気迫る存在感で異彩を放つ。
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COLUMN/コラム2015.01.05
【未DVD化】ハル・アシュビー、人生をやり尽くした巨匠の最後の挽歌〜DVD未発売『800万の死にざま』
その原作を名手オリヴァー・ストーンらが脚色(『ゴッドファーザー』や『チャイナ・タウン』の脚本をフィニッシュしたロバート・タウンも、クレジットなしで脚本に参加している)、『夜の大捜査線』(1967年)『チャンス』(1979年)の名匠ハル・アシュビーが監督した劇場用映画の「最期の作品」となった。つまり、遺作になったわけだ。 ハル・アシュビーの遺作として記憶するのは、ローレンス・ブロックというクライムストーリーの名手が紡いだ物語にしては若干破綻のあるストーリーかもしれない。ロサンゼルスを舞台にしたハードボイルドな映画でいえば、『チャイナタウン』や『ロング・グッドバイ』ほど緊密な映像が続くわけではない。しかし、最後のミニケイブルカーの銃撃戦のシーンだけは、とても強く記憶に残っている。 アルコール中毒で警察を辞めた元刑事の主人公がジェフ・ブリッジスで、黄金の魂を持った高級娼婦役がロザンナ・アークエット、そして本作のヴィラン(悪役)となる麻薬の売人役がアンディ・ガルシア。ガルシアは、スプラッターホラーさながらで、末期の顔が笑わせる。 時は1980年代半ばであり、この3人のビジュアルはピークといえる。 J・ブリッジスは『カリブの熱い夜』(1984年)の後で、『タッカー』(1988年)の前。R・アークエットは『アフター・アワーズ』(1985年)の後で、『グラン・ブルー』(1988年)の前。A・ガルシアは『アンタッチャブル』(1987年)の前なのだ。 その後、ブリッジスはアル中もので『クレイジー・ハート』(2009年)などにも出ているが、枯れた男のアル中話より、男真っ盛りという感じの当時のたたずまいがいい。主人公スカダーと女性たちのやりとりにじんわりと来るものがあって、彼は誰よりも傷つきやすくて、アル中でグチャグチャになっていきながらも酒を断って禁酒する感じが、強いだけのハードボイルド・ヒーローと違って、とても親近感がある。彼は据え膳食わぬは男の恥ではないが、目の前に裸の女がいても、彼はけっして手を出さないのだ。それにブリッジスは何よりも、『恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』(1989年)や、『ファッシャー・キング』(1991年)や、『ビッグ・リボウスキ』(1998年)といった僕の「偏愛する映画」(どうしても嫌いになれない映画)に3本も主演しているのだ。 それに、ガルシアもブレイク寸前で、サイコキラースレスレのぶち切れキャラを演じている。これが、痛快だ。オリヴァー・ストーン脚本作品『スカーフェイス』(1983年)の後であり、あのトニー・モンタナの延長線上のような演技で、『ゴッドファーザー PARTIII』(1990年)のアル・パチーノの後継者は決まったようなもんである(笑)。 アークエットも化粧っけもなく、素顔に近い。元ダンサーで、娼婦をやっている自分の身の上話を主人公スカダーにとつとつと話す場面が、叙情的ですばらしい。彼女はかなりのファニーフェイスで、悪くいえば漫画のようなコケティッシュなアヒル顔をしている。このときの彼女の表情はあるときは素の少女であり、またあるときは無垢な女性そのもので、思わず感情移入してしまうのだ。さすが、ロックバンドTOTOのヴォーカル、スティーヴ・ボーカロに「ロザーナ」を歌わせるだけはある(ボーカロとアークエットの消滅した恋愛関係を歌ったものだと思われていたが、その後にただ単にコーラスに合う名前だと判明した)。ともかく、彼女の魅力を存分に味わえるわけだ。ちょっと胸が大きいのも、すばらしい。こんなにも胸に沁みる映画なのに、彼女がステキなのに、いまのところセルビデオでしか観る機会がないというのが、本当に残念で仕方がない。 1970年代のハル・アシュビーといえば、『真夜中の青春』(1971年)『ハロルドとモード』(1971年)『さらば冬のかもめ』(1973年)『シャンプー』(1975年)『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』(1976年)『帰郷』(1978年)『チャンス』(1979年)といった、とてもシニカルな傑作ばかりを連発した。 ヘリコプターの羽音で始まるジェームズ・ニュートン・ハワードの音楽も、全体に緊迫感(サスペンス)を植え付けて、最後のミニケイブルカーの場面まで、一気呵成に見せてすばらしかった。だが、「あれ、この急展開って何?」という脚本上の些細な綻びはあるけれど、その音楽のおかげで僕には、最後にはズシリと来た。いわば、感動がである。 そして何よりも、主役3人のキャラクターが立っていて、彼ら3人がビジュアル的にピークにあったことから、彼らのアンサンブルが絶妙であり、何ともいえぬエモーションをかきたててくれたのだ。ちょっとぬるいアクション映画に感じる部分は少々残念だが、ハル・アシュビーの遺作と呼ぶにふさわしい、記憶に残るいい作品に仕上がっている。何しろ観終わって30年近く経つのに、最後のミニケイブルカーでの銃撃戦はフィルムのひとかけらひとかけらを憶えており、けっして忘れていないのだ。これはすごいことだ。まさに人生をやり尽くした巨匠の、最後の挽歌といえるかもしれない。■ © 1986 PSO Presentations. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ゴッドファーザーPART III 【デジタル・リストア版】
孤高のドンの苦悩に、荘厳な終幕が訪れる…アル・パチーノ主演の大河ドラマ・シリーズ第3弾
巨大な権力と財産を手にしたドン・マイケル・コルレオーネの晩年を、次世代のファミリーを絡めて描いたシリーズ最終章。マイケルの娘メアリーに扮するのは、フランシス・フォード・コッポラ監督の実の娘ソフィア。
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COLUMN/コラム2013.12.18
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2013年1月】にしこ
説明不要、オススメ不要かもしれませんが「アンタッチャブル」です!! 禁酒法時代のシカゴ。悪事の限りを尽くし、シカゴの帝王であったアル・カポネを財務省から肝いりでやって来た調査官エリオット・ネスはなんとかして捕まえようと息巻いていますが、警察内部までカポネの息がかかっているため、当然空回り。意気消沈のネスの前に現れたのはショーン・コネリー演じる巡回警官のマローン。マローン「この年でパトロール警官だ」ネス「どうしてだ?」マローン「この腐りきった街で唯一汚れてない警官だからさ」。 二人がスカウトする警察学校の生徒、若きアンディ・ガルシアのはにかみ笑顔もキュート。そしてそして、見所はたくさんありますが、ロバート・デ・ニーロ演じるアル・カポネの笑ってしまうほど絵に描いた様な悪役ぶりが、いろいろな意味ですごいです。ヒーローの前に立ちはだかる壁→尊敬する師との出会い→成長→悪との対決。シンプルだっていいじゃない。勧善懲悪だっていいじゃない。だって「アンタッチャブル」だもの。観終わった後の爽快感はピカ一!!そして!!この名作がザ・シネマではなんと元日1月1日に放送です!!新年の幕開けにこれほど相応しい作品があるでしょうか!!ザ・シネマでは12/28-1/5の9日間、年末年始の特別編成でヒット作から良作まで渾身のラインナップでお送りします。どうぞお楽しみ下さい!! TM & Copyright © 2013 Paramount Pictures. All rights reserved.