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PROGRAM/放送作品
カオス(2005)
謎が謎を呼ぶ強盗事件の衝撃の事実とは?2大アクション・スターの豪華対決で描く犯罪サスペンス
現金を盗まずに姿を消した銀行強盗団のリーダーにウェズリー・スナイプス、一味の行方を追う刑事にジェイソン・ステイサムが扮して対決。衝撃の事実へと収束していく、緻密な伏線に要注目。
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COLUMN/コラム2022.12.06
『ジェイソン・ボーン』シリーズより先行した多動的カメラワークとカオス編集『マイ・ボディガード』
「メキシコでは1時間に1件の誘拐事件が発生し、人質の70%は生還されず殺される」 2004年にトニー・スコット監督、デンゼル・ワシントン主演で発表された映画『マイ・ボディガード』は、このラテンアメリカでの誘拐に関する当時の実情を示して幕を開ける。本作の主人公であるクリーシー(ワシントン)は引退したCIAの対テロ工作員で、彼は自身のキャリアを血塗られたものとして後悔している。そんな彼の陰鬱な感情をはらおうと、元同僚のレイバーン(クリストファー・ウォーケン)は、クリーシーにピタ(ダコタ・ファニング)という少女のボディガードとして、メキシコシティで仕事をするようはからう。 警護にあたった当初は、クリーシーはピタとの感情的な壁を取り去ることができずにいたが、次第に二人は父娘にも似た絆を形成していく。そして映画は、少女の無垢な愛情が、一人の男を心の闇から解放する過程を表現豊かに捉えていくのだ。 しかし物語は予期せぬ事態によって、クリーシーは自らのささやさな幸福を破壊した者に対し、忌まわしいと捨て去ったスキルを用いることになる——。 原作はバイオレンス小説を過半とするイギリスの大家、A・J・クィネルが1980年に発表した「燃える男」。監督のトニー・スコットは吸血鬼伝説をモダンにアレンジした劇場長編デビュー作『ハンガー』(83) に次ぎ、出版ほどなくベストセラーとなった同作を手がけるつもりだった。もともとクィネルのファンだったスコットは、『ハンガー』公開後に早くも映画化の予算を獲得しようと動いたのである。しかし当時、彼はまだ兄リドリー・スコットの会社のCMディレクターだったために資金を確保できず、代わりにジェリー・ブラッカイマーより打診のあった『トップガン』(86) に着手する。 いっぽう「燃える男」は1987年にプロデューサーのアーノン・ミルチャンとロバート・ベンムッサが仏伊米合作で映画化を果たし、俳優陣についてはスコット・グレンがクリーシーを、ジョー・ペシが彼の友人でありパートナーのデヴィッドに扮し、ジェイド・マルが少女サマンサ役で出演した。アメリカでは同年10月9日に178の劇場で公開され、わずか519,000ドルの興行収入しか得られず、ビデオやテレビ放送などの二次収益に頼るしかなかった。 奇しくも『マイ・ボディガード』企画の再浮上は、この『マン・オン・ファイア』の二次収益媒体が大きく関与する。後年、ミルチャンがテレビで本作を見たとき、彼は翌朝トニーに電話し、自分がまだ「燃える男」の権利を持っており、再映画化に興味があるかどうか、そして『マン・オン・ファイア』が示したものより多くの可能性があるかどうかを訊いた。スコットは今なら「燃える男」を壮大で理想的な自身の作品として世に送り出せる自信があり、クィネルへの再アクセスはいつでも可能であることをミルチャンに示したのだ。 同時にスコットは脚本家にあたりをつけ、シルベスター・スタローンとアントニオ・バンデラス共演のアクションスリラー『暗殺者』(95) や、ジェームズ・エルロイ原作の犯罪サスペンス『L.A.コンフィデンシャル』(97) で注目中のブライアン・ヘルゲランドに依頼した。 スコットは彼が脚本を手がけた『ミスティック・リバー』(03) を気に入っており、偶然にもヘルゲランドは『マン・オン・ファイア』の存在を熟知していた。1989年、カリフォルニア州マンハッタンビーチで、彼は地元のレンタルビデオ店をよく訪れ、おすすめを尋ねていた。そこでクエンティン・タランティーノ(!)という脚本家志望の店員が同作のビデオを勧めてくれたのだという。オファー当時、ヘルゲランドは監督業に移行しようとしていたことから乗り気ではなかったが、スコットに代わって自分が同作の監督をやる可能性をミルチャンに示唆され、依頼を受けた。 ヘルゲランドの脚色は原作から多くのセリフを引用し、クィネルへのリスペクトを示したが、クライマックスを原作とは異なるものにした。小説は実際に起こった2つの誘拐事件からインスパイアされ、そのためクィネルは事件と同じような結末を維持したが、映画では独自の展開が用意されている。それはピタによって人間的感情を取り戻したクリーシーの贖罪といえるもので、彼とピタとの友情をパイプにしたエモーショナルな改変である。 しかし舞台となるイタリアが、映画製作時には小説執筆時の頃よりも犯罪率が低下していたため、製作サイドは物語の信憑性を損ねることを懸念。彼らは映画の舞台となる場所を変更することにした。前掲の「メキシコでは1時間に1件の誘拐事件」は、こうした経緯を抜きには語れぬ重要なリードなのだ。 また劇中における俳優たちのパフォーマンスも、この映画を観る者との感情の同期に貢献している。たとえば物語の当初、クリーシーがピタのボディガードを引き受けたことを後悔していたとき、実際にデンゼル・ワシントンはセットでファニングと距離を保ち、積極的にコンタクトをとることを避けたという。そして物語の過程でクリーシーがピタに親しみを覚えると、ワシントンは舞台裏で同じように接したのだ。ワシントンとファニングはお互いに見事なボレーを交わし、彼らの即興演出は対話に迫真性をもたらしたのである。 だが最も作品において効果的に貢献したのは、監督トニー・スコットによる多動的カメラワークとカオスに満ちた編集だろう。きめ細かなグラデーションフィルターの選択や大胆なジャンプカット、あるいはクイックズームに可変速度効果など、これらはクリーシーの感情に合わせて変化していく。加えて本作ではキャプションを活かしたタイポグラフィも目を引くが、これはスコットがBMWのPVを演出したとき、ジェームズ・ブラウンのセリフをスタリュシュに加工した効果を適応させたもので、映画の中でもひときわ強い印象を残す。 James Brown - Beat The Devil (2002) しかし、こうした効果が評論家の目には装飾的にしか映らず、その頃はむしろ批判の対象として捉えられる傾向にあったようだ。映画評論の権威ロジャー・エバートは本作を評し「この映画には、長さとスタイルを正当化するための深みが必要だ」と断じたが、これなどはその短絡的な解釈の顕著な例だろう。 だが『マイ・ボディガード』の映像的・あるいは編集に見られる傾向は、そのスタイルがドラマや登場人物の推移を巧みに視覚化したものとして再評価の機会が待たれる。何より本作の公開は、あの多動的表現でアクション映画の気流を変えた『ボーン・スプレマシー』(04) より公開が3ヶ月早く、その先進性を改めて問うべきだろう。なにより『マイ・ボディガード』は日本公開時、全体的によく編集された印象のある劇場用パンフレットにも、最大の貢献者であるトニー・スコットに関する記述が少なく、そこも画竜点睛を欠く口惜しさは否めなかった。本作を叩き台に、監督への言及が活発化することを望みたい。■ 『マイ・ボディガード(2004)』© 2004 Twentieth Century Fox Film Corporation and Monarchy Enterprises S.a.r.l. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
カオス
謎が謎を呼ぶ強盗事件の衝撃の事実とは?2大アクション・スターの豪華対決で描く犯罪サスペンス
現金を盗まずに姿を消した銀行強盗団のリーダーにウェズリー・スナイプス、一味の行方を追う刑事にジェイソン・ステイサムが扮して対決。衝撃の事実へと収束していく、緻密な伏線に要注目。
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COLUMN/コラム2016.12.13
人間同士の相互不理解がもたらすカオス!パラノイアの暴走する先はほとんどホラー⁉〜『トランストリップ』〜
日本人にとって南米の映画といえば、例えばメキシコやブラジル、アルゼンチン辺りならパッと思いつく監督や作品も少なくないだろうが、しかしチリの映画となると馴染みが薄いのではないだろうか。それもそのはず、かの国では政情不安定な時期が長く、サイレント映画以降はなかなか映画産業が発展しなかった。’60年代にはニューシネマ運動の盛り上がりも僅かにあったようだが、それも’73年の軍事クーデターで誕生したピノチェト大統領の独裁政権下で潰えてしまう。同国出身のアレハンドロ・ホドロフスキーが、母国ではなくメキシコを活動拠点に選んだのも無理はなかろう。本格的にチリ映画界が産業として成長するようになったのは、ここ20年ほどのことなのだ。 最近はアカデミー外国語映画賞候補になったパブロ・ラライン監督の『NO』(’12)や、ベルリン国際映画祭の女優賞に輝いたセバスティアン・レリオ監督の『グロリアの青春』(’13)など、世界の主だった映画祭や映画賞でチリ映画が高く評価されることも増えてきた。そんな中、現在最も国際的な注目を集めているチリの若手映像作家の1人がセバスティアン・シルバだ。 カナダでアニメーション制作を学んだ後、イラストレーター兼ロックミュージシャンとして活躍した経歴のあるシルバ監督。特にイラストレーターとしてはニューヨークで個展を開き、実を結ばなかったもののハリウッドへ招かれたこともあったという。チリへ帰国して暫くはソロ・アーティストとして活動するも、やがて自らの制作プロダクションを立ち上げて映画監督へ転向。長編2作目の『La Nana(女中)』(’09)がサンダンス映画祭のワールド映画部門グランプリやラテンアメリカ映画祭の批評家賞などを獲得し、ゴールデン・グローブ賞の外国語映画賞にもノミネートされたことで、一躍脚光を浴びることとなったのである。 そんなセバスティアン・シルバ監督の作品に共通するキーワードは“相互不理解”と“パラノイア”である。裕福な家庭で長年に渡って雇い主の信頼を得てきたメイドを主人公にした『La Nana』では、年を取ってきた彼女に良かれと思って家主が若いメイドを補佐役として雇ったところ、自分の立場が脅かされると思い込んだ主人公が強迫観念を暴走させていく。また、同じくサンダンス映画祭でワールド映画部門監督賞に輝いた『Crystal Fairly & the Magical Cactus』(’13)は、幻のドラッグを求めてチリを旅する利己的なアメリカ人の若者(マイケル・セラ)とラブ&ピースな現代版ヒッピー女性(ギャビー・ホフマン)の対立を描くロードムービーだった。ベルリン国際映画祭でテディ賞を獲得した最新作『Nasty Baby』(’15)では、ゲイのカップルとその親友の女性が親切心で恵まれない浮浪者と関わったところ、その浮浪者がゲイに偏見を持つ差別主義者だったことから命の危険に晒されるという、弱者をヘイトする弱者の構図が描かれた。ディスコミュニケーション=相互不達によってもたらされるカオス、それこそがシルバ監督の一貫して描いてきているテーマだと言えよう。 そして、日本で唯一見ることのできるシルバ監督作品が『トランストリップ』(’13)。ちょうど『Crystal Fairly & the Magical Cactus』の直後に撮影され、ほぼ同時期に発表されたアメリカとチリの合作映画である。両作品にマイケル・セラが出演しているのもそのためだ。まずは簡単にストーリーを説明しよう。 主人公はカリフォルニアからチリへとやって来た若いアメリカ人女性アリシア(ジュノ・テンプル)。現地在住の従姉妹サラ(エミリー・ブラウニング)のもとを訪れた彼女は、その足でチリ南部の島へとバカンスに向かう。同行するのはサラとその彼氏アウグスティン(アウグスティン・シルバ)、その姉バーバラ(カタリーナ・サンディノ・モレノ)、そしてアウグスティンの同級生ブリンク(マイケル・セラ)だ。ただでさえ初めての外国旅行で緊張している上に、見ず知らずの他人に囲まれたアリシアは気分が落ち着かない。 5人揃って車に乗り出発したのも束の間、従姉妹のサラが学校の試験を受けるために戻らねばならなくなる。明日には合流するから、それまでみんなと一緒にいてというサラに押し切られ、知り合ったばかりの3人と旅を続けることになったアリシア。仲間同士の中でたった一人の赤の他人。内気で大人しく繊細なアリシアは、少々乱暴だが気がよくて明るい若者たちの輪に溶け込めない。島へ着いてからもなかなか打ち解けられず、彼らの他愛ない悪ふざけやジョークを必要以上に深刻に受け止める彼女は、やがて自分が彼らに嫌われている、馬鹿にされている、危害を加えられるかもしれないという妄想に取りつかれ、どんどん精神のバランスを崩していく…。 とまあこんな感じなのだが、冗談半分で催眠術を掛けられたアリシアが一気に被害妄想を暴走させていく後半の展開は殆どホラー。まるで悪霊に取りつかれたような有様だ。まさか自分たちが誤解されているなどと思いもよらない若者たちは、彼女の異常な行動の原因や理由を全く理解できず、パニックで右往左往するしかない。まさしくディスコミュニケーションの招いたカオス、そして悲劇としか言いようがないだろう。 悪意を持った人間は一人も出てこない。誰もが言ってみればごく普通の若者だ。しかし、人見知りで生真面目で感受性豊かなアリシアにとって、アウグスティンら仲間たちは得体のしれない野蛮人にしか思えない。一方、細かいことなど気にしない楽天的なアウグスティンたちにとってみれば、終始うつむき加減で怯えたような様子のアリシアはどことなく薄気味の悪い存在だったりする。お互いに頑張って歩み寄ろうとはするものの、その溝はなかなか埋められない。次第に不信感を募らせていく両者の心理を丁寧に汲み取ることで、ヒリヒリとするような緊張感を高めていくシルバ監督の演出は非常に巧み。誰もがどこかで身に覚えのある嫌な感覚を蘇らせるのだ。 そう、相容れない他者との相互不理解というのは、恐らく誰でも一度は経験したことがあるはず。イジメや民族紛争の原因も往々にしてそこにあると言えよう。たいていの場合は、そういうものと割り切ってやり過ごせば済むものだが、しかし小さな島という限定空間の中に閉じ込められるとそうはいかない。みんなが自分と同じ価値観を持ち、自分と同じジョークで笑い、自分と同じものを好きだとは限らないという、我々が時として忘れがちな当たり前のことを、この作品は強烈に思い起こさせてくれる。 そして、本作は最後までその相互不理解が解消されることはない。恐らくクライマックスは賛否両論だろう。実際、あのエンディングはなんなんだ⁉という批判の声も多い。しかし、世界中で紛争やイジメのなくなることのない現実を鑑みれば、一見して不完全燃焼のように見える本作のラストも当然の帰結だろう。そこには、軍事独裁政権の恐怖政治によって国民の間に根深い相互不信の広がったチリという国の、いまだ払拭できないトラウマと歴史の教訓が反映されているようにも思えるのだ。■ © 2013 MAGIC, MAGIC LLC
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PROGRAM/放送作品
カオス・セオリー
分単位で行動するリスト・マニアのスケジュールが狂ったら…?笑いあり涙ありの大混乱コメディ・ドラマ
1日の予定をきっちり立てるリスト・マニアが陥る大混乱を、ライアン・レイノルズが控えめなユーモアで誠実に好演。人生がガラリと激変した先に深い家族愛を謳い、人としての生き方や家族の絆について考えさせる。
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PROGRAM/放送作品
バリスティック
壮絶な銃撃戦やカーチェイスそして爆破シーンなどが見どころの、ど派手なアクション満載の作品!
『マスク・オブ・ゾロ』のアントニオ・バンデラスとルーシー・リューとが競演、過剰なアクション描写で21世紀の映画シーンをリードするタイ映画界の新鋭、カオス監督が贈る、ど派手なサスペンス・アクション作!
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PROGRAM/放送作品
カオス・シチリア物語
文豪と巨匠──イタリアの2大才能が結実。シチリアの映像美がまぶしいオムニバス叙事詩大作
イタリアのノーベル賞作家ルイジ・ピランデッロの小説を、名匠タヴィアーニ兄弟が映像化。シリチアの人々の歴史や人間模様をプロローグと5つのエピソードで構成し、圧倒的な映像美とともに壮大に描き出す。
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PROGRAM/放送作品
ゲット スマート
ドジな即席エージェントが世界を救う!伝説のTVスパイ・ドラマ「それ行けスマート」が現代風に復活
1960年代に大ヒットしたTVスパイ・ドラマ「それ行けスマート」を21世紀の世界観でリメイク。大真面目な顔でドジを踏むトボけた即席エージェントを、全米人気コメディアンのスティーヴ・カレルが好演する。